1
紅美鈴が微かな物音を聞き、そちらを見た。紅魔館の数少ない窓で、一匹の白い野良猫が香箱を作っている。声をかけようとした。が、双眸が細くなっているのを見て、何も言わなかった。
猫はこのように度々、紅魔館に忍び込んでいた。門番兼庭師の紅美鈴も、従者の十六夜咲夜も、主であるレミリア・スカーレットも、この猫を少なからず好んだ。だから誰も追い出そうとしない。よってこの白い猫は悠々と紅魔館に居る。
もうそんな時間になっているのだ。この時、ある異国の詩人の言葉を思い出していた。支那人は猫の瞳に時刻を読む。そんな馬鹿なと思ったが、事実であった。
美鈴は寒凪に身を震わせた。猫は目覚め、ゆったりと内に入った。美鈴は再び寂しい庭に目を遣った。従者の十六夜咲夜が窓を閉めようとやって来たのはその時であった。
咲夜はすらりとした背中に声をかける。
「美鈴」
しかし、反応はない。何度か呼んでも反応がなかったため、咲夜は美鈴の近くに歩んだ。肩を叩き、美鈴はようやく反応を見せた。
「あれ、咲夜さん?」
驚いたように青い瞳が見開かれた。咲夜は思わず溜息を吐いた。白い息が庭に落ちる。それからもう一度問う。
「何か飲む?」
「寝なくて平気ですか?」
「私の台詞よ。明日も早いんでしょう?」
「咲夜さんもですよね?」
咲夜は追求を拒むように低い声で尋ねる。
「それで?」
「あ、飲みます、温かいのを」
美鈴はすぐに微笑を浮かべて答えた。その胸の内には寒々しい庭がずっと広がっていた。
2
「庭を?」
「そうです」
二人は温かい部屋に戻り、紅茶を飲んでいた。美鈴が話題を切り出したのはすぐのことだった。咲夜は訝しそうに美鈴を見た。美鈴は窮屈そうに言う。
「何ですか?」
「どうしたいの?」
「いや、別にどうしたいってわけはないんですけど……。ちょっと寂しくありません?」
「そう?」
咲夜は何事もないように言う。
二人の間にこれほど見解の相違があるのは当然だった。咲夜は紅魔館の内部を主に担当し、美鈴は紅魔館の外部を担当している。もしこれが、室内のコーディネートを変えたいとかであれば、美鈴も咲夜と同じような反応をするであろう。
それだけではなく、出生も関係しているのであろう。庭園というのは、詩的で絵画的美を具えていなければならない。自然と人工が組み合わさってはじめて芸術になる。水路や池や岩石を用いられたら良いのだが、主が主のため難しい。そのため重要なのは配置と、幻想郷にも四季があるため、季節ごとに入れ替えなければならない植物となる。
東国の庭師もこの点に頭を悩ませているらしい。が、美鈴からしてみれば、簡単なことだった。彼女の場合、砂利を敷き詰め湖を模することができる。空間を作り上げることができれば、後は広大な庭をどう仕上げるかが問題になる。あの庭園には山河が似合う。蓬来山などを用意も容易い。四季の変化はなくていい。あの家はその方が似合っている。
が、美鈴の場合は違う。どうしても西洋に傾かざるを得ない。この西洋の表現が美鈴を非常に悩ませていた。できることならば、東洋の要素も加えたい。
そろそろ早春を迎える。その前にどういう花を用意できるか。美鈴は咲夜に遠慮がちに言う。咲夜は落ち着き払った調子で詳細を促す。
「咲夜さん。風見幽香さんって呼べますか?」
「いつ?」
「早い方が良いです」
「明日聞いてみるわ」
「ありがとうございます」
「花のことで?」
美鈴は浅学を恥じるように笑った。
「そうです」
「パチュリー様は?」
「知識だけじゃ難しいんです。目で見て、鼻で嗅いで、耳で聞いて、肌で感じないと。そっちの方が楽しいんです」
「難しいのね」
「妖精メイドに仕事が務まらないと同じですよ」
するっと言葉が滑り、美鈴は慌てて付け加えた。
「パチュリー様が妖精メイドと同格だってことを言いたいわけじゃないんですよ」
「分かっているわよ」
咲夜は微笑を浮かべた。美鈴は頬に血の気が上がってくるのを感じた。
3
白い野良猫は紅魔館の大体を、図書館の一角で香箱を作る。時折敏感そうに耳だけを動かす。が、何もないことを知ると動かさなくなる。
この図書館には黒い猫も来る。その黒い猫は野良ではないらしい。ちゃんと名前も持っている。が、猫なのである。この黒い猫が来てしまうと、図書館は一気に騒がしくなる。そうなると白い猫は迷惑そうに丸くなる。それでも図書館を好むのは、他の者のように――特に二人の少女――追い回さないからであった。猫は低い太陽に感謝しながら、祈るように目を閉じていた。
「日当たりも悪くないし、水も近くにある。それに紅だから緑と合うじゃない。どうして今まで何も言わなかったの?」
風見幽香は庭を見て、図書館へ来た。その道中に悔しそうに美鈴に言った。少なからず怒りもあり、美鈴は平謝りに徹した。
数冊の植物図鑑を二人で読む。これはどうか、あれはどうかと話し合う。先客の猫を邪魔しないように小さな声で。
「桜や紅梅や白梅……。薄いのはちょっと厳しいと思わ。後ろが後ろでしょ? 色が食われてね」
「同色で固めても良いと思いますけど?」
幽香は美鈴の言葉に被せるように言った。
「どうしても濃い色に目を持っていかれるじゃない? いいの?」
「嫌です」
「でしょ?」
幽香は同情するように微笑んだ。美鈴は少し考えた。使える植物が限られるとなれば、目的を鑑賞から変える必要があるかもしれない。現在の美鈴の腕では、単色を活かすのは難しいと思う。それでも美鈴は強情を張る。これはプライドでも何でもなく、ただ草花を愛するがゆえの言葉だった。
「中心となる一つを決めて、周りに置くのはどうでしょう?」
「緑と赤で惹きつけてってこと?」
「そんな感じです」
「具体的に何かある?」
「欅を育てようと思います」
美鈴の提案に幽香は目を丸くした。真剣な調子で問う。
「正気?」
「はい」
「どうして欅なの?」
「外、出られると思うんです」
「誰が?」
「お嬢様や妹様やパチュリー様が」
美鈴は庭園に美以外の目的を見出していた。それが主を含めて、自然に触れ合わせる環境を作ることである。吸血鬼は直射日光に弱いため、外出の時期は限られる。が、影があれば可能なのではないか。
そこで欅なのである。欅は成長すれば堂々とした大木になる。葉は小さい卵型だが、伸び伸びと枝が広がるため、影は大きくなる。その下に寛げる椅子や小さいテーブルを置く。寝転がれる芝生も用意してみてはどうか。そうすれば二人は外に出られるのではないか。
美鈴の頬が綻びるのを見て、幽香も笑った。
「いいわ、種、持って来てあげる。欅があれば、他はいらないとわ。あれ、結構な広さが必要だから」
「ありがとうございます」
4
欅は庭一杯に広がり、館と同じぐらいの高さになった。麗らかな陽射しを気持ち良さそうに浴びている。数多の葉が薄い影を広げる。二匹の猫はその下で寛ぐ。黒い猫は椅子に座り、図書館で本を借りた本を読んでいる。この欅の下で紅茶と共に嗜む時間がぐっと増えた。曰く、ここが落ち着くと。
白い猫は、黒い猫の膝の上で相変わらず香箱を作っている。柔らかい日陰を好んでいるらしい。
「捕まえた!」
その歓喜の叫びと共に、白い猫は宙に浮いた。細い腕にがっしりと抱きしめられる。猫は驚いたように一声鳴いた。白い猫を抱きしめたフランドール・スカーレットは、嬉しそうに猫の顎を撫でる。フランドールは猫を抱いたまま、芝生に座る美鈴へ見せびらかすようにこう言った。美鈴はフランドールの笑みに釣られるように、烈しい幸福の笑みを見せた。
「美鈴! やっと捕まえたわ!」
「その調子でもう一匹の猫も捕まえたらどうです?」
フランドールは黒い猫に目を遣り、笑った。
「あれはパチュリーがもう捕まえているじゃない」
猫から始まり、猫で終わる幸せなお話ですね。
猫がいたからこそ庭の彩りに気付き、素敵なお庭だからこそ1人と1匹がそこに集まり、1人と1匹の憩いの場となったからこそフランは白猫を抱っこすることに成功して幸せ……。
猫の幸せスパイラル現象ですね。猫を満面の笑みで抱っこするフランがありありと浮かんで和みました。
透明感のある描写には毎度感嘆させられます
節はじめの書き出しの部分が特に素晴らしいと思います
しかしやはり、もうすこし何か、という読後感が否めません
起承転結の「転」が抜け落ちて
淡々としすぎていると感じました
前回と同じく手前勝手ですが、今回はこの点数で
一見淡々とした文体ですが,赤と緑を基調とした幸せの一風景を見ることができました.
黒い猫はどうなったのやら……
淡々と進み紅魔館が移りゆく様を見たようで雰囲気が好きですが、
それだけに最後もアッサリ終わってしまったのが寂しいようなそれでいいような。
初出の時フリがな振るかカタカナ表記にされるとよろしいかと
うん、とても綺麗で繊細で。
そして色んな所に意味をもたせる文章
おもしろかった!
にゃんこかわいい。