『吸血鬼はこの時、自己か他者かという究極の選択に迫られるのである』
レミリア・スカーレットは従者・十六夜咲夜に呼ばれ、倉皇と本を元の場所に仕舞う。本棚の影から咲夜が姿を見せたのはほとんど同じだった。が、咲夜は相変わらず顔中に微笑を浮かべている。外は依然として秋雨が降っている。
「おやつはどうされます?」
「パチェと頂くわ」
「かしこまりました」
時を止めようとした咲夜に、レミリアは思わず大きな声を出した。何かを望むような期待に濡れた、無意識の声だった。
「咲夜」
「何でしょう?」
「パチェと一緒に話し合いましょう?」
「……私は力になれません」
「それでもいいのよ。お願い」
「パチュリー様を怖れているのですか?」
咲夜の思いがけない一言に、レミリアは正直に頷いた。咲夜の芙蓉のような微笑が一驚により引いた。次にレミリアが気付いた時には咲夜は姿を消し、寂しい蝋燭の灯火だけが揺らめいていた。
この話題を口にする時、レミリアはいつも劣勢であった。根源である以上はしっかりと受け止めるしかない。だから責め立てるパチュリーが怖く、冷たい優しさを感じた。
ずっと離れた所にあるロッキング・チェアに座り、読書に耽ける魔女に、レミリアは声をかけた。本の隙間から紫の髪が零れていた。
「パチェ」
が、パチュリーは聞こえていないのか本から顔を上げようとしない。レミリアはパチュリーの正面に座り、もう一度声をかけた。パチュリーは億劫そうに目を上げた。険しい声にレミリアは戸惑いを覚える。
「何?」
「そ、そんなに怒ることないじゃない」
「話があるんでしょう? 早くしてちょうだい。私、レミィが思っているほど気の長いタイプじゃないの。分かる? 今、私がどういう気持ちか。自分の一番楽しみな時を邪魔されるのが大嫌い」
パチュリーをなだめるかのように咲夜が舞い戻ってきた。紅茶とケーキを持って。パチュリーは食べながら、レミリアの言葉を待つ。レミリアはこれ以上の怒りや蔑みを受けると分かっているため、おやつには手を付けられず、声は自然と小さくなった。単調に降る雨の音にかき消されるような声であった。
「……フランのことで」
「は?」
「フランのことで相談したいことがあって」
「覚えていないの?」
パチュリーの氷のような言葉が様々な事情と共に鮮明に蘇る。
『幽閉ね』
レミリアがここまで頭を抱えているのは、純粋無垢な実妹、フランドール・スカーレットの柔らかく温かい精神状態のことであった。実妹の精神状態は現在、非常にぶれやすいものになっていた。実姉であるレミリアですら腫れ物を扱うように慎重になっている。あるいは、実姉ゆえに。
フランドールが感じる言動全てに注意を働かせなければならない。というのも、彼女の精神は子供であるがゆえ敏感に働くからである。
宝石のような深紅の瞳を、雪のように白い耳を、レミリアは確実に恐れるようになった。フランドールが怖かった。フランドールの純真な、ただ姉やその友人達と接したいだけなのであろう気持ちを理解しているからこそ、余計と怖かった。酷い時には館が半壊した。未熟な精神や頭脳に有り余る身体能力は、周りをゆっくりと不幸に触れさせた。
レミリアはフランドールに充足した一生を送ってほしかった。だから、パチュリーに相談を持ちかけた。どうすればフランドールの精神はぶれにくくなるのか、と。答えは簡潔なものだった。もう少し言葉を付け足すとすれば、一度自分自身と見つめ合う時間を要してみるのはどうか。
レミリアは断固として反対した。何のためにフランドールを幽閉しなければならないのか。彼女から何かを奪うことはレミリアでも許されないことなのである。パチュリーはレミリアの必死の訴えにこう答えた。その目に僅かな侮蔑があるのを、レミリアは見ていた。
『何もずっと、なんて言っていないわ。ただ反省していない子を閉じ込めるように、あの子にも同等の措置をとるだけよ。何が良くて、何が駄目か。しっかり理解していれば、彼女もレミィも同じよ』
レミリアはその言葉を聞いても反対したい気持ちがあった。レミリアにはその先が見えていた。その措置をとったところで、フランドールは良くはならない。むしろ、悪い方向に転がる。抑制された欲求が劣悪な感情に変化し、紅魔館全体に広がる。そうなれば、レミリアは主としてフランドールの前に屹立しなければならない時が来る。そんなことだけは防ぎたい。
この幽閉には一つの問題がある。誰がフランドールの教育係になるか。レミリアでは強い愛情に邪魔をされる。かといってパチュリーや小悪魔が立候補するとは思えない。もしフランドールの暴力が二人に伸びれば、命はないだろう。ならば、美鈴はどうか。パチュリーよりも戦闘能力は高い。教養もある。が、門番が内に入ってしまうのは館としてどうなのだろう。時を止められるという絶対的なアドバンテージを持ち、確かな目を持つ咲夜に白羽の矢が立つ。しかし、ただでさえ激務の咲夜に更に仕事を増やしてしまうのは一人の主として嫌だった。
この、主として、がフランドールとの関係を悪化させていることも理解していた。そういう諸々のことを理解しているからこそ、幽閉という選択は避けたかった。何よりも、幽閉したら一生出さないであろう。フランドールの精神を安定させるというよりも、レミリア自身の精神を安定させるために。
レミリアはもう一度、今度は明確な意思を持って伝える。
「やっぱり幽閉は駄目よ。フランのためじゃないわ」
パチュリーの手が一瞬止まる。静かに置かれたテイーカップがこれからのことを予期するかのように微かに震えた。パチュリーの病弱な肌が怒りで朱に染まった。が、声は意外なまでに冷淡だった。
「フランのためなの? 本当は自分の、どうでもいい、姉としての威厳とか、紅魔館の主としての矜持だとかじゃないの? レミィ、本当にフランのことが大事なの?」
レミリアは間髪入れず半ば感情的に叫んだ。
「大事よ。そうじゃなかったら、こんなふうに悩まないわ」
「だったら、ちゃんとフランと話しなさいよ。先延ばしにして、いかにも悩んでいます、なんて馬鹿みたい」
「そんなこと言う必要ないじゃない」
パチュリーはようやく本をテーブルに置き、レミリアを睨みつけた。
「私に言わせる気?」
レミリアは心の一片で、誰かがフランドールを良い道に案内してくれるだろうと思っていた。自分の手を汚したくない、フランドールにとって良き姉で、唯一の家族でいたいという表れであった。
「……ごめんなさい」
レミリアは図書館を出た。咲夜の悲鳴のような呼声に足をとめなかった。
※
「ありがとう、咲夜」
フランドールは咲夜に微笑を返した。レミリアとフランドールはおやつのケーキと紅茶を嗜む。咲夜は同じように微笑を返し、そっと出て行った。部屋に溢れる音は雨音だけになった。
フランドールは出て行く咲夜を目で追い終えるとレミリアの方を向いた。レミリアは緊張を和らげるために紅茶を人一口飲んだ。それから落ち着いた声を発した。
「フラン、あなた、今、自分がどういう状況にあるか分かる?」
悔いが残らないようにフランドールに集中する。フランドールの頬に薄く紅潮した。
「状況?」
「そうね、最近何か変わったことなかったかしら?」
「咲夜が優しくなった」
フランドールの予想外の言葉にレミリアは聞き返した。
「咲夜が?」
フランドールは眩しい幸福な笑みを浮かべた。
「うん。きっと、私がどうなるか知っていて、優しくなったと思う」
「どうなるの?」
「お姉様、私、時々、眠っているの」
レミリアが訊くより早く、フランドールが言う。その顔にはまだ眩しい笑顔がある。その顔は徐々に外の雨雲のように暗くなる。
「私が気が付くと何かあった後なの。それで咲夜が飛んできて、お姉様が怯えた顔を私に向ける。何かあったはずなのに、何も覚えていない。最近、そんなことが起きたの。お姉様、知っているでしょう?」
哀願されなくても、レミリアは正直に伝える気でいた。レミリアは気を確かに持って、言う。
「フラン、それは、心が安定していないからそういうことが起きるのよ。自分自身と話す時を設ければ、ちゃんと過ごせるから。フランはどうなりたいの?」
「お姉様が望むなら、それが一番かな」
「どうして! どうして、そんなことを言うの!」
フランドールの利他的な物言いに、レミリアは一気に感情を爆発させた。フランドールは目を見開かせた後、そのままの勢いで涙を閃かせた。
「だって、もう、私が私か分からないだもん……。何て言えばいいのかな」
「フラン、あなたを地下に幽閉するわ」
それから沈黙が部屋に落ちた。レミリアの慟哭声に寄り添うかのように、雨は降り続く。
「ありがとう、お姉様」
フランドールの言葉はあまりに静かに部屋に零れた。
レミリア・スカーレットは従者・十六夜咲夜に呼ばれ、倉皇と本を元の場所に仕舞う。本棚の影から咲夜が姿を見せたのはほとんど同じだった。が、咲夜は相変わらず顔中に微笑を浮かべている。外は依然として秋雨が降っている。
「おやつはどうされます?」
「パチェと頂くわ」
「かしこまりました」
時を止めようとした咲夜に、レミリアは思わず大きな声を出した。何かを望むような期待に濡れた、無意識の声だった。
「咲夜」
「何でしょう?」
「パチェと一緒に話し合いましょう?」
「……私は力になれません」
「それでもいいのよ。お願い」
「パチュリー様を怖れているのですか?」
咲夜の思いがけない一言に、レミリアは正直に頷いた。咲夜の芙蓉のような微笑が一驚により引いた。次にレミリアが気付いた時には咲夜は姿を消し、寂しい蝋燭の灯火だけが揺らめいていた。
この話題を口にする時、レミリアはいつも劣勢であった。根源である以上はしっかりと受け止めるしかない。だから責め立てるパチュリーが怖く、冷たい優しさを感じた。
ずっと離れた所にあるロッキング・チェアに座り、読書に耽ける魔女に、レミリアは声をかけた。本の隙間から紫の髪が零れていた。
「パチェ」
が、パチュリーは聞こえていないのか本から顔を上げようとしない。レミリアはパチュリーの正面に座り、もう一度声をかけた。パチュリーは億劫そうに目を上げた。険しい声にレミリアは戸惑いを覚える。
「何?」
「そ、そんなに怒ることないじゃない」
「話があるんでしょう? 早くしてちょうだい。私、レミィが思っているほど気の長いタイプじゃないの。分かる? 今、私がどういう気持ちか。自分の一番楽しみな時を邪魔されるのが大嫌い」
パチュリーをなだめるかのように咲夜が舞い戻ってきた。紅茶とケーキを持って。パチュリーは食べながら、レミリアの言葉を待つ。レミリアはこれ以上の怒りや蔑みを受けると分かっているため、おやつには手を付けられず、声は自然と小さくなった。単調に降る雨の音にかき消されるような声であった。
「……フランのことで」
「は?」
「フランのことで相談したいことがあって」
「覚えていないの?」
パチュリーの氷のような言葉が様々な事情と共に鮮明に蘇る。
『幽閉ね』
レミリアがここまで頭を抱えているのは、純粋無垢な実妹、フランドール・スカーレットの柔らかく温かい精神状態のことであった。実妹の精神状態は現在、非常にぶれやすいものになっていた。実姉であるレミリアですら腫れ物を扱うように慎重になっている。あるいは、実姉ゆえに。
フランドールが感じる言動全てに注意を働かせなければならない。というのも、彼女の精神は子供であるがゆえ敏感に働くからである。
宝石のような深紅の瞳を、雪のように白い耳を、レミリアは確実に恐れるようになった。フランドールが怖かった。フランドールの純真な、ただ姉やその友人達と接したいだけなのであろう気持ちを理解しているからこそ、余計と怖かった。酷い時には館が半壊した。未熟な精神や頭脳に有り余る身体能力は、周りをゆっくりと不幸に触れさせた。
レミリアはフランドールに充足した一生を送ってほしかった。だから、パチュリーに相談を持ちかけた。どうすればフランドールの精神はぶれにくくなるのか、と。答えは簡潔なものだった。もう少し言葉を付け足すとすれば、一度自分自身と見つめ合う時間を要してみるのはどうか。
レミリアは断固として反対した。何のためにフランドールを幽閉しなければならないのか。彼女から何かを奪うことはレミリアでも許されないことなのである。パチュリーはレミリアの必死の訴えにこう答えた。その目に僅かな侮蔑があるのを、レミリアは見ていた。
『何もずっと、なんて言っていないわ。ただ反省していない子を閉じ込めるように、あの子にも同等の措置をとるだけよ。何が良くて、何が駄目か。しっかり理解していれば、彼女もレミィも同じよ』
レミリアはその言葉を聞いても反対したい気持ちがあった。レミリアにはその先が見えていた。その措置をとったところで、フランドールは良くはならない。むしろ、悪い方向に転がる。抑制された欲求が劣悪な感情に変化し、紅魔館全体に広がる。そうなれば、レミリアは主としてフランドールの前に屹立しなければならない時が来る。そんなことだけは防ぎたい。
この幽閉には一つの問題がある。誰がフランドールの教育係になるか。レミリアでは強い愛情に邪魔をされる。かといってパチュリーや小悪魔が立候補するとは思えない。もしフランドールの暴力が二人に伸びれば、命はないだろう。ならば、美鈴はどうか。パチュリーよりも戦闘能力は高い。教養もある。が、門番が内に入ってしまうのは館としてどうなのだろう。時を止められるという絶対的なアドバンテージを持ち、確かな目を持つ咲夜に白羽の矢が立つ。しかし、ただでさえ激務の咲夜に更に仕事を増やしてしまうのは一人の主として嫌だった。
この、主として、がフランドールとの関係を悪化させていることも理解していた。そういう諸々のことを理解しているからこそ、幽閉という選択は避けたかった。何よりも、幽閉したら一生出さないであろう。フランドールの精神を安定させるというよりも、レミリア自身の精神を安定させるために。
レミリアはもう一度、今度は明確な意思を持って伝える。
「やっぱり幽閉は駄目よ。フランのためじゃないわ」
パチュリーの手が一瞬止まる。静かに置かれたテイーカップがこれからのことを予期するかのように微かに震えた。パチュリーの病弱な肌が怒りで朱に染まった。が、声は意外なまでに冷淡だった。
「フランのためなの? 本当は自分の、どうでもいい、姉としての威厳とか、紅魔館の主としての矜持だとかじゃないの? レミィ、本当にフランのことが大事なの?」
レミリアは間髪入れず半ば感情的に叫んだ。
「大事よ。そうじゃなかったら、こんなふうに悩まないわ」
「だったら、ちゃんとフランと話しなさいよ。先延ばしにして、いかにも悩んでいます、なんて馬鹿みたい」
「そんなこと言う必要ないじゃない」
パチュリーはようやく本をテーブルに置き、レミリアを睨みつけた。
「私に言わせる気?」
レミリアは心の一片で、誰かがフランドールを良い道に案内してくれるだろうと思っていた。自分の手を汚したくない、フランドールにとって良き姉で、唯一の家族でいたいという表れであった。
「……ごめんなさい」
レミリアは図書館を出た。咲夜の悲鳴のような呼声に足をとめなかった。
※
「ありがとう、咲夜」
フランドールは咲夜に微笑を返した。レミリアとフランドールはおやつのケーキと紅茶を嗜む。咲夜は同じように微笑を返し、そっと出て行った。部屋に溢れる音は雨音だけになった。
フランドールは出て行く咲夜を目で追い終えるとレミリアの方を向いた。レミリアは緊張を和らげるために紅茶を人一口飲んだ。それから落ち着いた声を発した。
「フラン、あなた、今、自分がどういう状況にあるか分かる?」
悔いが残らないようにフランドールに集中する。フランドールの頬に薄く紅潮した。
「状況?」
「そうね、最近何か変わったことなかったかしら?」
「咲夜が優しくなった」
フランドールの予想外の言葉にレミリアは聞き返した。
「咲夜が?」
フランドールは眩しい幸福な笑みを浮かべた。
「うん。きっと、私がどうなるか知っていて、優しくなったと思う」
「どうなるの?」
「お姉様、私、時々、眠っているの」
レミリアが訊くより早く、フランドールが言う。その顔にはまだ眩しい笑顔がある。その顔は徐々に外の雨雲のように暗くなる。
「私が気が付くと何かあった後なの。それで咲夜が飛んできて、お姉様が怯えた顔を私に向ける。何かあったはずなのに、何も覚えていない。最近、そんなことが起きたの。お姉様、知っているでしょう?」
哀願されなくても、レミリアは正直に伝える気でいた。レミリアは気を確かに持って、言う。
「フラン、それは、心が安定していないからそういうことが起きるのよ。自分自身と話す時を設ければ、ちゃんと過ごせるから。フランはどうなりたいの?」
「お姉様が望むなら、それが一番かな」
「どうして! どうして、そんなことを言うの!」
フランドールの利他的な物言いに、レミリアは一気に感情を爆発させた。フランドールは目を見開かせた後、そのままの勢いで涙を閃かせた。
「だって、もう、私が私か分からないだもん……。何て言えばいいのかな」
「フラン、あなたを地下に幽閉するわ」
それから沈黙が部屋に落ちた。レミリアの慟哭声に寄り添うかのように、雨は降り続く。
「ありがとう、お姉様」
フランドールの言葉はあまりに静かに部屋に零れた。
それを踏まえると、惜しいな、という印象を覚える。
どこが駄目でどこが良いのかすら俺には判断できないけれど、とにかく、もう一押しだよな、と思うのである。
考えるより感じろテイストな作品だと思いました。
厚かましいことかもしれませんが、地の文の段落分けを工夫してみると更に読みやすくなるかもしれません。
あと、一行目に「倉皇」という聞き慣れない言葉が出てくると、それだけで帰ってしまう人がいるかも。
(いや、私が知らなかっただけかもしれませんが)
意識が途切れてしまうのか…このフランは。