【二月十三日】
「ポッキーゲーム? なにそれ、新しいスペルカードか何か?」
「あんたそんなことも知らないの? 馬鹿?」
最悪だ。よりにもよってチルノに馬鹿にされるなんて。天子は心の底からそう思った。
久々に地上へ遊びに来たまでは良かったが、最初に声をかける知り合いを間違えたかもしれない。やはり初手は紫をからかいに行くべきだったか。
しかし、紫は神出鬼没で住居不明の輩なのだからしょうがない。そろそろ家の場所くらい教えてくれてもいいと思うのだけど。
そんなことを考えつつ、天子は半眼でチルノに言う。
「で、なんなのよポッキーゲームって」
「ふーん。本当に知らないんだ。へえー」
「この……。勝ったと思わないでよ」
「もう勝負付いてるから」
得意顔をしているこの妖精をどうしてくれようか。
幻想郷的には、人外への対処方は二つある。一つは、スペルカードで相手をボコボコにすることでこちらの要求を呑ませること。もう一つは、問答無用でボコボコにして言うことを聞かせること。
どちらも楽園の巫女公認のやり方だ。公認どころか実演してさえいる。ならば自分がやっても問題はあるまい。
……でもまあ可愛そうだから、スペルカードの一枚で済ましてあげましょうか。ええ、ちょっとバラバラに引き裂くだけで。大丈夫、所詮お遊びの技だから。
「天子、ちょっとあんた顔が怖いんだけど」
「え? 大丈夫大丈夫。斬るのは九回にしてあげる」
「会話になってないよーな気がするんだけど……」
が、天子が緋想の剣を抜くことはなかった。チルノの後ろ、湖畔で遊んでいた妖精たちの中から、駆け寄る影があったからだ。
その少女は純粋で純朴な笑顔を浮かべ、駆け寄る勢いのままチルノの肩に手を乗せると、
「チルノちゃん、何話してるの?」
「あ、大ちゃん。ちょっとさ、天子がポッキーゲームを知らないみたいなのよ」
「え!? てんこちゃん、ポッキーゲーム知らないの……?」
「私は天子でてんこじゃないってば……というか何、そんなに有名なゲームなの?」
天子は先程まで、チルノが適当なことを言っているだけなのだろうと思っていた。だが、大妖精も驚いているとなれば話は別だ。
大妖精は妖精の御多分に洩れず悪戯好きな子だ。しかし彼女のする悪戯は言葉通り可愛いもので、嘘の秘匿や他者を欺くことを喜びとはしていない。
そんな大妖精がこんな表情で驚いているのだから、推して知るべしだ。
「まだまだ私も知らないことが多いわねえ……」
「ふふ、まあどうしてもって言うなら教えてあげないこともないけど」
「無視して聞くけど、ポッキーゲームってなんなの? 大妖精」
「うん。簡単に言うとね、二人で一緒にポッキーを食べるゲームなの」
チルノの信じられないものを見たかのような顔をさらに無視しながら、天子は眉をひそめて言う。
「ポッキーって何かの食べ物なの?」
「ほら、チョコレートのかかった棒みたいな……」
「ああ、紫がたまに食べてるアレね」
どこから持ってくるのかは知らないが、紫はまれに珍しい菓子を食べていることがある。コアラの絵がプリントされた菓子や、たけのこの形をした菓子がそうだ。
紫の「やっぱりたけのこに限るわよねえー」という言葉に反応して、魔理沙がなにやら抗議をしていたのが印象に残っている。
ともかく。その中に大妖精が説明したような菓子があった気がする。
……しかし、幻想郷で一般流通していたなんて。
誰がやったかは考えるまでも言うまでもない。
「それでね、ポッキーゲームは自分のとっても大切な人とするんだよ。それも、明日するといいんだって」
「いいんだって、誰が言ってたの?」
「……誰だろう?」
……物を流通させたのが紫なら、付随する噂を流したのも紫かしら。
「しかし、好きな人ねえ。大妖精は誰とするの?」
「チルノちゃんにルーミアちゃんにミスティアちゃんにリグルちゃん。それにこあちゃんにパチュリーさんにレミリアさんにフランちゃんに咲夜さんに美鈴さんかな?」
「……とっても大切な人じゃなかったの?」
「うん。そうだよ?」
……うわ、この子素で言ってるわね。
なんて子だ。今度レミリア達にあったら追求してみよう。面白い反応が見れそうだ。
「でも、それのどこがゲームになるの? 早食いの類かしら」
「うーん。それはちょっと違うかも。一本のポッキーを二人で食べるわけだし」
「は? 一本を二人で?」
「そうだよ。両方の端っこから一緒に食べていくの」
「でもそれだけならゲームにならないじゃない。勝敗はどうするの?」
「……あれ、どうなるんだろう?」
……まあそこら辺は、弾幕ごっこと同じでローカルルールの比重が大きいんでしょうね。
弾幕ごっことて、明確な勝敗の基準があるわけでない。そもそもが遊びのルールであるように、敗北を感じたときは潔く負けを認める。それがルールだ。
しかし、と天子は思う。絶対の基準はなくとも、形の上での基準はあるはずだ、と。
「そもそも、一本のお菓子を両端から食べたら、最終的にはお互いがくっついちゃうじゃない。それだと引き分けなの?」
「食べ切る前に、より多く食べていたほうが勝ち……なのかな? あ、あと食べきる前に口を離しちゃうと負けなんだって」
「なるほど。両者がくっつく前に、より多く食べ進んでいたほうが勝ち。でも急ぐあまり口を離したり、手前でポッキーを折ってしまうと長さから考えて自動的に負けになる、と」
紫がこのゲームを考えたのなら、中々良いルールだと天子は素直に思う。流石はスペルカード創設に携わったと噂されるだけのことはある、と。
だが、
「これは紫の奴に一泡吹かせられるかもしれないわね……」
「え?」
「ありがとね大妖精。ついでにチルノ。私には必勝の策があるわ!」
「あ、あの、よくわからないけど、一箱ポッキーいる?」
「貰っておくわ!」
天子は言葉の勢いとは裏腹に、丁寧に菓子箱を受け取る。と、次の瞬間には空に飛び上がっていた。
背後で大妖精が手を振る気配を感じ取りながら、天子は笑っていた。
……紫め、見てなさい。いつもからかわれてる恨みを晴らしてやるんだから。
「よーし! 明日が楽しみね!」
●
「行っちゃった。……てんこちゃんともポッキーゲームしたかったのにな」
「……大ちゃんって、ケッコーすごいなってあたい思うよ」
「?」
●
【二月十四日】
紫の視線の先には、二つの暦がある。
自室の壁にかけられているそれは、それぞれ違った時間の区切りを有していた。
一つは幻想郷で使われる古式の暦。そしてもう一つは、外界で使われている“カレンダー”だ。
後者、カレンダーには、一つ赤い丸で囲まれている日があった。
二月十四日。
今日だ。そしてカレンダー赤丸の中には、一つの言葉が書かれている。それは、
「バレンタインデー……ふふ、人里でも流行りつつあるようね」
元々幻想郷には、バレンタインデーの風習はない。
当然だ。外と中では、そもそも暦すら違うのだから。だが、
「何かしらのイベントがあったほうが郷は活気付くし……バレンタインデーの風習は、幻想の郷としての在り方を壊すモノにはならないわ」
先刻から浮かべている笑みは、己の考えのとおりに事が運んだ時特有の笑い。紫のような者の専売特許だ。
本格的にバレンタインデーの概念を流布したのは今年が初めてだが、これが中々上手くいった。
騒がしいのはいいことね、と思いながら、紫はさらに口の端を吊り上げた。
藍と橙には既にチョコレートを渡してある。猫にチョコはどうかと思うが、妖獣だし大丈夫だろう。たぶん。
そして、と紫は思う。今日という日はここからが本番だと。何故なら、
「ふふふふふふ。後はコレを、天子に渡すだけよ……!」
視線を落としたテーブルの上には、鮮やかなラッピングで包まれたハート型の物体があった。
言うまでもなく、チョコレートだった。
「カカオも砂糖も勿論天然物。焙煎も型造りも何もかも勿論自家製手作り品。おまけにラッピングも私のセンスに溢れた手包み品。こんなチョコを貰えるなんて、天子は幸せ者ね。こんなことをしたのは何年ぶりかしら」
紫はうんうんと大きく頷き、
「もしここに天子がいたならば、“何世紀ぶりの間違いじゃないの?”と突っ込んでくれるのでしょうね。そして私はこう言うの。――喩え如何程の年月が経とうとも、錆付かぬ技術には関係がないこと。そう、それはまるで、千の季節の巡りを経た刀が、現在においてもなお光を失わないように、ね……。なんてね」
自分で言っていて何を言っているのかわからなくなってきたが、とにかくそんな彼女との言い合いもまた愉しみの一つだ。
だがしかし、今日に限っては争いを起こしてはならない。紫は目の前の包みを抱き上げると、至極真剣な眼差しでカレンダーを見つめなおした。
そう、二月十四日の紫には、暖かな雰囲気の中で天子にチョコレートを渡すという使命があるのだ。決して言い争いなどしてはならない。
「大丈夫、大丈夫よ私。いつものように不敵に突然現れて、すっ……とチョコレートを渡すだけなのだから。いつもと少し違うのは、言葉をちょっとだけ甘いものにすること。そう、まるでチョコレートのように……」
嗚呼、完璧ね、と目を伏せながら紫は呟く。
「今月の天子の行動パターンから言って、この時間は神社でお茶を飲んでいるはず。突然出て行って驚かせてやりましょうか」
よし、と紫は開眼し、
「さあ、行くわよ!」
「はい。行ってらっしゃいませ紫様」
背後から声をかけられた。
●
「…………」
「おや、どうしました? 神社へ行くのでは?」
「……藍、貴方いつからそこに?」
「紫様がカレンダーを凝視しながら笑い始めたときからです」
「一時間前からってことね……」
「ええ、そうなりますね」
「…………」
「ところで紫様」
「……何かようかしら、藍」
「独り言、すごいですね」
「そ、それほどでも……」
「時間は大丈夫なのですか? 天子にチョコレートのような甘い言葉を浴びせに行くのでしょう?」
「忘れなさい! 私の言葉は全部忘れなさい!」
まさか自室で背後から斬られるとは。しかも己の式から。
否。これは寧ろ、自分に気付かれることなく背後を取った藍を褒めるべきだろう。流石は私の式。プログラミングしていないことまでこなすとは。
「藍様、紫様はさっきから何を言っているんですか?」
「橙にはまだわからないことさ。――わからなくていいことでもあるが」
「橙もいたの!?」
なんてことだ。式だけではなく、式の式にまで背後を取らせてしまうとは。
チョコレートを渡すために橙を呼び寄せていたのがいけなかった。てっきりもう帰ったものだと思っていたが、まさか己の背後を取っていたとは。
「こんな展開になるなんて、この幻想の紫の目を持ってしても見抜けなかったわ……!」
「……天子は茶を飲み終わると高確率で弾幕ごっこを始めてしまうので、早く行ったらどうです」
そうだ。今はこんなことで動揺している場合ではない。華麗に天子の前に現れて、驚きを与えると共にイニシアチブ得るのだ。
そう心に言い聞かせた紫は虚空へ指を伸ばすと、
「ふふ、では改めて行ってくるわ。安心しなさい、逢魔時には戻るわ」
「キャラの戻りが早いですね」
「余計なことは言わなくていいの」
言い、宙に指を走らせる。縦一直線に指を切れば、そこに境界が生まれる。
つ、と音を立てて虚空に線が引かれ、光が零れる。粘つくように開く線の向こう側は、博麗神社だ。
……出鼻を挫かれたけど、天子に会ってしまえばこっちのものよ。準備をしている者とそうでない者では、どちらが有利かは語るまでもないわ。
思うと同時、開き繋がったスキマから一歩を行く。踏むように降ろした足は地面を踏まず、宙を裂いた。
落下する。
入り口を抜け、降り立った場所は神社の中。居間だ。
紫の調べによれば、天子はここで霊夢とお茶を飲んでいるはず。おそらくは四番煎じの緑茶だ。
そしてここで機先を取り、素早く天子をスキマの中へ連れ込む。そして他の者の目の届かない場所で、ハートの包みを渡すのだ。
完璧だ、と思いながら紫はスキマを閉じた。
さらに紫はいつもの笑顔を浮かべ、華やかなターンを決めて部屋の中央へと振り向くと、
「御機嫌よう天子。今日は貴方に用事が――」
「来たわね紫! 待ってたのよ!」
いきなり機先を奪われた。
●
霊夢は、覇気の全くない瞳で経緯を眺めていた。
突然現れた紫が胡散臭い笑顔で振り向くと同時、天子が紫に大声をかけるのを。そして紫が数拍の間の後、唖然とした表情になるのを、だ。
だがどれもこれも、霊夢の予想通りだ。
……天子の奴、いきなり朝からやってきたかと思えば……。
開口一番で告げた台詞が、「紫が来るだろうからお茶でも飲ませて! ついでに朝食も頂戴!」だった。
当然のように弾幕ごっこでしばき倒そうとしてやったが、どうにも調子が出ず敗北を喫してしまった。
何故。博麗の巫女にあるまじき失態。神の導きだとでも言うのだろうか。
この世の理不尽を感じつつ、しかし霊夢は思う。確かに紫を待つなら、ここが一番でしょうね、と。
天子が遊びに来る周期には、パターンがある。もっとも正確には、天子が地上で遊ぶときにはパターンがあるというのが本当のところだ。
天子本人が気づいているのかどうかは知らないが、地上の天子の知り合いの殆どはそのことを知っている。紫としても、天子の行動パターンは読みやすいのだろう。
そして紫からすれば、広い空間を持つ白玉楼や紅魔館よりも、狭い――いやいや普通! こっちが普通だから! ――の博麗神社のほうが訪れやすい。
「いやまあ、天子がここで待ったのは、単にお茶を飲みながら待ちたいってだけでしょうけど」
神社のことを何だと思っているのだろう。神社は賽銭を入れるところであり、決して待ち合わせの場所ではない。大抵の神社にあるのは狛犬で、忠犬ではないのだ。
そんな神社の冒涜者が行うことなど、霊夢にとっては割りとどうでもいいことだ。早く終われ。
どちらにせよ、天子と紫のやり取りはすぐに終わるだろうと霊夢は思う。
なにせ、天子の今回の目的は紫と勝負をすることなのだ。それも、短い時間で終わるような方法だ。
様々な勝負で紫に負け越している天子だが、今回持ち込んだ決闘法には勝算があるらしい。
そして霊夢の目の前で、天子がその決闘法の名前を口にした。それは、
「紫、私とポッキーゲームで勝負しなさい!」
……まあ、私としてはどうでもいいんだけどね。
●
天子は、紫が動揺を得たのを見逃さなかった。
当然だ。紫の常套手段である、不意をついた登場。そこに先制で勝負を持ちかけたのだから。
普段人を驚かし慣れている紫だが、逆に驚かされることには慣れていない。特に、突然のことに対する免疫は低い。
全ては狙ったことだ。胡散臭い態度で煙に巻くことに定評がある紫を相手にするときは、最初の攻めをしっかり決めていくことが肝要だ。
だがここで安心してはいけない。相手が崩れそうになったならば、間髪を入れずに追撃する。それこそが戦いの基本なのだから。
「紫、あんたが里にポッキーゲーム決闘法を流布したのは調べが付いてるのよ」
「え、ええと、け、決闘法?」
「まさか決闘を拒否したりはしないでしょうね? あんたの考案したゲームなんだから、当然逃げはしないわよねえ?」
「そ、そりゃあ拒否なんてしないけど、むしろ喜んでしたいくらいの勢いですけれども、ええと」
「喜んでしたいとは大きく出たわね。言っておくけど、あんたに勝ち目はないわよ!」
なんとか誤魔化そうとしているようだが、天子の目が曇ることはなかった。
紫のような妖怪は、策を巡らし準備を整えた戦いを好むものだ。そんな紫が突然勝負を持ちかけられたのだから、喜ぶ道理は何処にも無い。
……必死なのがバレバレよ、紫!
「ルールは単純。真ん中に印を入れたポッキーを両端から食べ進んで、先に印まで到達したほうが勝ち。当然、食べ終える前に途中で口を離したら負けよ」
「あ、あの」
「公平になるように、審判は霊夢にやってもらうからそのつもりで。不正は出来ないわよ?」
「れ、霊夢の目の前でポッキーゲームを!?」
「まあ弾幕ごっこで負けちゃったし。それくらいはやってあげるわよ」
「え、あ、その、ええと、ちょっと天子」
完璧だ。こんな表情の紫など見たことがない。
勝ち誇りの笑みを早くも浮かべながら、天子は言った。
「あらあら紫ってばそんなに動揺しちゃって……正々堂々の勝負は苦手かしら?」
●
どうしてこうなったのだろう。体温の高まりを感じながら、紫は思った。
予定では有無を言わさず天子をスキマの中に連れ込むつもりだったのに。それが、こんな事態になるだなんて。
渡すつもりだったチョコレートは、スキマの中に置きっぱなしだ。そして、もはや渡すタイミングは完璧に失われた。
それだけならまだしも、目の前の天人はこう言ったのだ。
……私とポッキーゲームをしようですって……!
確かに天子の言うように、ポッキーゲームの概念を郷に流したのは紫だ。
だがそれは、あくまでゲームとしてであり、勝負や決闘の意味を持たないものだ。外界で行われているそれは、ゲームとは名ばかりのレクリエーションでしかない。
それをどう勘違いしたのか、天子は勝負として持ちかけてきた。
……それはもう願ったり叶ったりですけど、でもいきなりそんな、しかも霊夢の前でなんてそんな!
どう考えても公開処刑だ。
天子に“そういう”考えが抜け落ちていることはわかっていたが、まさかそれでこのような展開を呼ぶことになるとは。
「ちょっと待ちなさい天子。ここは落ち着いて話をしましょう?」
「待たないし離したら負けよ」
駄目だ話が通じない。
どうするべきか、と火照る頭で思考をするが、それよりも早く天子は言う。
「さあ、このポッキーで勝負よ。早く咥えなさい。それと負けたほうは勝ったほうの言うことを何でも聞くこと。いいわね?」
「それはいいけど、いや、ちょっと待ちなさいってば」
勢いで了承してしまった。
どうやら天子はどうしてもゲームをするつもりらしい。さらには、天子の背後から飛んでくる霊夢の視線が“早くやれ”と語っていた。
……もうどうにでもなりなさい!
半ば自棄になりながら、天子の差し出した棒を咥え込む。そして天子も、反対側から同じように咥え込んだ。
「ふぁあ、ひぇーむしゅたーとよ!」
●
天子は己の勝算が正しいことを確信した。
ポッキーゲームのルールを聞いたとき、この決闘法には、紫の弱点に直結する要素があると天子は悟った。
お互いの顔を見合わせ、極限まで近づいて行く決闘法。そのルールで突くことの出来る紫の弱点とは、ただ一つ。
……紫は、私が顔を近づけると何故か動揺するのよ!
何故かと考えはするが、しかし天子には、ある程度の予想がついていた。
その理由とは、
……私という危険人物に必要以上に接近されることを、紫は警戒している……!
天子は妖夢や美鈴とは違い、技術としての戦闘法を学んではいない。だが、“間合い”というものが戦闘においてどれほど重要かは、経験として理解しているつもりだ。
特に妖夢を相手取ると判りやすい。彼女の持つ刀は長く、多くの相手に有利な間合いを有している。が、長いがゆえにその刀は重く、懐に潜られれば機能を失する。
剣戟を躱し懐に入り込んだときの妖夢の表情は、まさに青ざめたというべき顔だ。
そして、紫が動揺するのも同じ理屈だ。
紫は常に先を読み、掴み所のない態度でこちらを翻弄してくる。そして紫の戦い方も、それに通ずるものだ。
だが、そうであるがゆえに、必要以上の接近を許した場合、紫は脆さを見せる。
己の間合いに入られることを警戒しているのだ。
天子は過去に一度、偶然大きく転んで紫を押し倒してしまったことがある。
額同士をぶつけて地面に倒れこんでしまったが、天子は天人の体であるがゆえに、気にするほどの痛みはなかった。
そして紫のほうはどうかと思ってみれば、いつもの不敵な態度は何処へやら。言葉にならない声を漏らしながら、大きく目を見開いていた。
思えば、あれが紫の見せた最初の“隙”だった。
以後、何度か確認として接近してみたことがある。不意に腕に抱きついてみたり、疲れたと偽って紫の膝を枕にしてみたり。
結果から言えば、どれも同じ反応を紫は返した。
この弱点を利用できる戦いは無いかと以前から考えてはいたが、通常の弾幕ごっこでは利用できなかった。そもそも、紫相手に懐に入ること自体が至難の業だからだ。
だが、このポッキーゲームのルールならば、
……最初から顔を接近させているから、紫は終始動揺せざるを得ないわよね。
天子自身には、間近に迫られることによる動揺は無い。天人の肉体が強固なこともあるが、もとよりそんなことで怯む心など持ち合わせていないのだ。
ゆえに完璧。この作戦に隙は無い。
確信を持って、天子は現状を見た。
ポッキーを口に咥え、一口を噛み、二口を噛む。と、次の瞬間には意識するまでもなく数口を行った。
紫のほうを見れば、まだ三口と言ったところだ。
明らかにこちらが勝っている。
勝負の土俵で勝ち、速さでも勝っている。もはや負ける理由など一つも無い。と、天子が思った瞬間だ。
紫がある一つの動きを見せた。それは、僅かに顔を突き上げ、ポッキーに妙な力を加える動きだ。
これは――
……こちらの手前でポッキーを折り、勝負を決めようというつもり!?
速さで叶わないと判断した結果だろう。紫を改めて見れば、ポッキーを食べ進める動きは明らかに遅く、速さで勝とうとしていないのは明白だ。
動揺した心で器用なことをするものだ。だが、紫の頭脳を持ってすれば、この程度の力の加え方など一瞬で導き出せるのだろう。
やるわね、と天子は素直に紫を賞賛する。それでこそ、打ち倒す意味があるというものだと。
思い、瞬間的に天子は動いた。確信した勝ちを、現実のものとするために。
●
紫の思考回路は今にも焼け焦げようとしていた。
突然始まったポッキーゲームで、負ければ天子の言うことを何でも聞かなければならない。
しかも勝敗に関係なく、最後には両者がくっつくことになる。それも、知り合いの目の前で。
それだけは避けなければならない。否、誰も見ていないのならばそれも本望というか大歓迎なのだが、霊夢に見られているのなら話は別だ。確実に後でからかわれることになる。それも、年単位の長さで。
勝負に勝ち、しかも霊夢にからかわれることのない決着の方法。紫はそれを実行する必要があった。
策は簡単に思いついた。熱暴走した頭脳であっても、元が良ければある程度は何とかなるものなのだ。流石は私。
思い、僅かに冷静さを取り戻した紫は、その策を実行した。
天子の側でポッキーを折り、勝ちを得るという単純な戦略。そしてその動きは、今にも完了しようとしていた。
天子が何かの動きを見せようとしているが、遅い。今からでは、天子の口が印に到達するどころか、その手前の折ろうとしている箇所に到達することさえも出来ない。
非常に勿体無いが、これで終わりだ。勝負が終わったあとはスキマに連れ込んで、予定通りにチョコレートを渡すことにしよう。
安堵を感じた紫は、しかし、
……!?
遅いと、無駄だと判断していた天子の動きを見た。それは、口元や、顔を使ったものではなく、
「んんんんっ!?」
両の腕で、紫を抱きしめることだった。
●
霊夢は寝転がりポッキーを咥えつつ、ぼんやりと思考した。天子の奴も、重心の使い方が上手いわね、と。
紫のしていることは、口元と顔全体を使ってポッキーに力を加える動きだ。
速さ勝負という前提を無視し、裏をかいて決着をつける方法。対戦相手が気づいたときには既に遅く、対処が難しい動き。戦略としては優秀なものだ。
だがそれは、一つの事実を失念している。
「力を加えるのならば、体全体を使うべきよね」
霊夢は、天子が腕全体を使って紫をホールドするのを見た。これでは紫の重心は天子に掌握されてしまい、
「んっ! んん、んんんっ!」
ポッキーに自由に力を加えることも許されない。
これで本格的に決まったわね、と霊夢は思う。全く、と思考を繋げながら、
「面倒くさいわね。早くくっついちゃいなさいよ」
●
半ば締め上げるように紫を抱きしめ、天子は今度こそ確信した。
……勝った!
紫はほぼ完全に動きを止めている。己の策が予想外の方法で止められたことによる結果だろう。策士策に溺れるとはまさにこのこと。
あとはゆっくり、確実にポッキーを食べ進めるだけだ。
ポキポキと、紫の敗北を告げる無慈悲な音が響き渡る。
ポキポキポキ。
紫が赤い顔でわなわなと震えているが、もう紫にはどうすることも出来ない。
ポキポキ。
後少し。ほんの数ミリで勝負は終わるのだ。
ポキ。
そして、
「んぐ!」
「……!」
印を咥え込む。
印を超える。
ポッキーの半分を、食べ終えたのだ。
……やったわ! 紫に勝ったのよ!
霊夢をチラリと見てみれば、やる気の無い表情で頷いている。
審判も認めているのだ。
間違いなく、疑いようも無く、天子は紫に勝利したのだ。
そして天子はポッキーから口を離し、勝利宣言をしようとする。未だに振るえ、涙さえ浮かべている紫に言葉を浴びせようとして、
……あれ、確か私、食べ終える前に途中で口を離したら負けよ、って言ったような気が……。
半分以上を食べ切ることだけ考えていたので気が回らなかったが、勝利条件を満たした後で口を離してしまったらどうなるのかの取り決めをしていなかった。
ここで口を離してしまったら、勝利条件と敗北条件を同時に満たしてはしまわないだろうか。
……いやまあ、最後まで食べきればいい話か。
落ち着いて考えてみればどうということはない。そのままの勢いでフィニッシュすればいいのだ。
そこまで考えた天子は、冷静にポッキーの咀嚼を再開した。
もう勝利は確定したのだ。何も恐れる必要は無い。
と、その時だった。天子の背後から、激しい足跡が響き渡った。
客かしら、と天子は思う。それもこの無遠慮具合は、十中八九魔理沙か早苗のどちらかだろうと、天子は判断する。
すると、
「霊夢さん! バレンタインデーなので遊びに来ました!」
底抜けに明るい声が響く。声の主は、やはり早苗だった。
しかし、何も問題は無い。むしろ、この紫の負け姿を見る者は多ければ多いほどいいのだ。
……さあ、終わりよ紫!
●
「わあ! 紫さんと天子さん、何やってるんですか!?」
「ポッキーゲームとか言うらしいわよ。あんたなら詳しいんじゃないの?」
「それは知ってますけど……紫さんと天子さんって恋人同士だったんですか?」
「は?」
「ポッキーゲームって、恋人同士がするものなんですよ?」
●
……今、なんて言った!?
「でも今回は天子の奴が持ちかけてたわよ。わざわざ朝から紫を待って」
「へえー。天子さんって積極的なんですね」
……そうなるの!?
「そもそもバレンタインデーって、自分の好きな人にチョコレートを渡す日ですし。あ、霊夢さんコレ友チョコです」
「友チョコ?」
「友達にあげるチョコのことですよ。逆に言えば、何も言わずに渡すチョコは思い人に渡すチョコってことになりますね」
……そういうことになるの!?
天子は愕然とした。
話が違う。ということは何か。はたから見れば、私が紫に告白したようなものだとでも言うのか。
そう自覚した瞬間、天子は体中の温度が上がるのを感じた。
そしてよく考えてみれば、先程から抱きしめている紫の体も、やけに熱い気がする。
紫に視線を戻してみれば、今にも泣きそうな表情で見つめてくる。それも、上目遣いで。
「んんんっんん!? んんんんん!」
違うってば!? そうじゃない!
決してそういう意図はなかった。いや好きか嫌いかで言えば好きだけどそれはあくまでライバルとかそういう方向性であって――
「もうちょっとで食べ終わりますね! 頑張ってください!」
「頑張るようなことなの? これ」
余計なことを! と天子が思う暇も無い。視線の合っている紫は、何かを決意したかのような表情をすると、
……ちょっと、なんで食べ進んでくるのよ!
こっちはまだ覚悟が出来てないというのに。
そういえば、今日紫が現れたときに用事がどうのと言っていたような気がする。まさかそれがチョコレートを渡すことで、しかもそれが友チョコとやらでないとしたならば、
「きゃあー! 相思相愛ー!」
「早苗って、こういうの好きなのね」
ああ、そういうことだ。
気が付けば、もうこちらと紫の間には数ミリの隙間しか無い。
離れるのはまだ間に合う。急いで腕を引いて、素早く顔を背ければいいのだから。
だが――
……うん、まあ、別にいっか。
最初の闘争心は何処へいったのかしらねと、そう思いながら。
「――ん」
今度こそ、本当に今度こそ、勝負を終えたのだった。
●
「えーっとね、別にそういう意図があったわけじゃないのよ? 単に、紫に勝てそうなゲームが見つかったから持ちかけただけで……」
「…………」
「あの、紫? ねえ、ねえ、紫ってば」
「……言うこと」
「へ?」
「何でも言うこと聞くから、早く言ってほしいのだけど」
「あー……」
「…………」
「じゃ、じゃあ、紫の家に案内して。っていうか、紫の家にいつでも遊びにいけるようにして」
「……いいわよ」
言葉が終わるよりも早く、天子と紫の二人をスキマが包み込んだ。
抱き合ったままスキマに飲み込まれていく姿はどう見ても、
「お似合いな二人ですよねえ……」
「ようやくくっついたわね、もう」
霊夢の言葉に、早苗は疑問を感じた。疑問符を浮かべながら、早苗は霊夢に向き直ると、
「あら霊夢さん、お二人のことわかってたんですか?」
「そりゃあ紫とは付き合い長いし……まどろっこしいというか、さっさとしなさいよって感じだったけど」
「へえー」
やっぱり霊夢さんはすごいですね、と早苗は思いながら、自分の持っている残りのチョコレートのことを思い出す。
「あ、じゃあ私はチョコ配りがあるのでこれで失礼しますね。後で戻ってきますけど」
「なんで戻ってくるのよ」
「だって、魔理沙さんはどうせここに来るでしょうし」
「まあ、ねえ」
では! と霊夢に声をかけ、早苗は居間から出て行こうとする。と、その背後に霊夢の声がかけられた。
「ちなみに、誰に配りに行くの?」
「山の皆さんに、紅魔館の皆さんに、アリスさんに、後は冥界にも行ってくる予定です」
「その中に友チョコじゃないチョコはあるの?」
「ないですよー。もう残ってるのは友チョコだけですよ」
それにまあ、
「もし本命があったとしても、友チョコだって嘘ついて渡しちゃいますよ。私、天子さんほど積極的ではないですから」
「ふーん」
「では今度こそ!」
軽快な足取りで早苗は居間を飛び出した。
なんだかんだで、今日の夜はここで宴会になるんでしょうねーと、そう思いながら。
●
「全く、皆して騒がしいんだから……私が天子の奴に負けなければ、こんな面倒くさいことに関わらなくてすんだっていうのに」
どうして負けてしまったのか、それが最大の謎だ。
別に良いけどね、と思い直し、霊夢は早苗の置いていったチョコレートへと手を伸ばす。
「チョコは良いわね、甘くてカロリーも多いから、貰えるだけ貰っておきたいわね」
おや、
「なんかこのチョコ、友チョコとやらにしてはやけに美味しいわね」
「ポッキーゲーム? なにそれ、新しいスペルカードか何か?」
「あんたそんなことも知らないの? 馬鹿?」
最悪だ。よりにもよってチルノに馬鹿にされるなんて。天子は心の底からそう思った。
久々に地上へ遊びに来たまでは良かったが、最初に声をかける知り合いを間違えたかもしれない。やはり初手は紫をからかいに行くべきだったか。
しかし、紫は神出鬼没で住居不明の輩なのだからしょうがない。そろそろ家の場所くらい教えてくれてもいいと思うのだけど。
そんなことを考えつつ、天子は半眼でチルノに言う。
「で、なんなのよポッキーゲームって」
「ふーん。本当に知らないんだ。へえー」
「この……。勝ったと思わないでよ」
「もう勝負付いてるから」
得意顔をしているこの妖精をどうしてくれようか。
幻想郷的には、人外への対処方は二つある。一つは、スペルカードで相手をボコボコにすることでこちらの要求を呑ませること。もう一つは、問答無用でボコボコにして言うことを聞かせること。
どちらも楽園の巫女公認のやり方だ。公認どころか実演してさえいる。ならば自分がやっても問題はあるまい。
……でもまあ可愛そうだから、スペルカードの一枚で済ましてあげましょうか。ええ、ちょっとバラバラに引き裂くだけで。大丈夫、所詮お遊びの技だから。
「天子、ちょっとあんた顔が怖いんだけど」
「え? 大丈夫大丈夫。斬るのは九回にしてあげる」
「会話になってないよーな気がするんだけど……」
が、天子が緋想の剣を抜くことはなかった。チルノの後ろ、湖畔で遊んでいた妖精たちの中から、駆け寄る影があったからだ。
その少女は純粋で純朴な笑顔を浮かべ、駆け寄る勢いのままチルノの肩に手を乗せると、
「チルノちゃん、何話してるの?」
「あ、大ちゃん。ちょっとさ、天子がポッキーゲームを知らないみたいなのよ」
「え!? てんこちゃん、ポッキーゲーム知らないの……?」
「私は天子でてんこじゃないってば……というか何、そんなに有名なゲームなの?」
天子は先程まで、チルノが適当なことを言っているだけなのだろうと思っていた。だが、大妖精も驚いているとなれば話は別だ。
大妖精は妖精の御多分に洩れず悪戯好きな子だ。しかし彼女のする悪戯は言葉通り可愛いもので、嘘の秘匿や他者を欺くことを喜びとはしていない。
そんな大妖精がこんな表情で驚いているのだから、推して知るべしだ。
「まだまだ私も知らないことが多いわねえ……」
「ふふ、まあどうしてもって言うなら教えてあげないこともないけど」
「無視して聞くけど、ポッキーゲームってなんなの? 大妖精」
「うん。簡単に言うとね、二人で一緒にポッキーを食べるゲームなの」
チルノの信じられないものを見たかのような顔をさらに無視しながら、天子は眉をひそめて言う。
「ポッキーって何かの食べ物なの?」
「ほら、チョコレートのかかった棒みたいな……」
「ああ、紫がたまに食べてるアレね」
どこから持ってくるのかは知らないが、紫はまれに珍しい菓子を食べていることがある。コアラの絵がプリントされた菓子や、たけのこの形をした菓子がそうだ。
紫の「やっぱりたけのこに限るわよねえー」という言葉に反応して、魔理沙がなにやら抗議をしていたのが印象に残っている。
ともかく。その中に大妖精が説明したような菓子があった気がする。
……しかし、幻想郷で一般流通していたなんて。
誰がやったかは考えるまでも言うまでもない。
「それでね、ポッキーゲームは自分のとっても大切な人とするんだよ。それも、明日するといいんだって」
「いいんだって、誰が言ってたの?」
「……誰だろう?」
……物を流通させたのが紫なら、付随する噂を流したのも紫かしら。
「しかし、好きな人ねえ。大妖精は誰とするの?」
「チルノちゃんにルーミアちゃんにミスティアちゃんにリグルちゃん。それにこあちゃんにパチュリーさんにレミリアさんにフランちゃんに咲夜さんに美鈴さんかな?」
「……とっても大切な人じゃなかったの?」
「うん。そうだよ?」
……うわ、この子素で言ってるわね。
なんて子だ。今度レミリア達にあったら追求してみよう。面白い反応が見れそうだ。
「でも、それのどこがゲームになるの? 早食いの類かしら」
「うーん。それはちょっと違うかも。一本のポッキーを二人で食べるわけだし」
「は? 一本を二人で?」
「そうだよ。両方の端っこから一緒に食べていくの」
「でもそれだけならゲームにならないじゃない。勝敗はどうするの?」
「……あれ、どうなるんだろう?」
……まあそこら辺は、弾幕ごっこと同じでローカルルールの比重が大きいんでしょうね。
弾幕ごっことて、明確な勝敗の基準があるわけでない。そもそもが遊びのルールであるように、敗北を感じたときは潔く負けを認める。それがルールだ。
しかし、と天子は思う。絶対の基準はなくとも、形の上での基準はあるはずだ、と。
「そもそも、一本のお菓子を両端から食べたら、最終的にはお互いがくっついちゃうじゃない。それだと引き分けなの?」
「食べ切る前に、より多く食べていたほうが勝ち……なのかな? あ、あと食べきる前に口を離しちゃうと負けなんだって」
「なるほど。両者がくっつく前に、より多く食べ進んでいたほうが勝ち。でも急ぐあまり口を離したり、手前でポッキーを折ってしまうと長さから考えて自動的に負けになる、と」
紫がこのゲームを考えたのなら、中々良いルールだと天子は素直に思う。流石はスペルカード創設に携わったと噂されるだけのことはある、と。
だが、
「これは紫の奴に一泡吹かせられるかもしれないわね……」
「え?」
「ありがとね大妖精。ついでにチルノ。私には必勝の策があるわ!」
「あ、あの、よくわからないけど、一箱ポッキーいる?」
「貰っておくわ!」
天子は言葉の勢いとは裏腹に、丁寧に菓子箱を受け取る。と、次の瞬間には空に飛び上がっていた。
背後で大妖精が手を振る気配を感じ取りながら、天子は笑っていた。
……紫め、見てなさい。いつもからかわれてる恨みを晴らしてやるんだから。
「よーし! 明日が楽しみね!」
●
「行っちゃった。……てんこちゃんともポッキーゲームしたかったのにな」
「……大ちゃんって、ケッコーすごいなってあたい思うよ」
「?」
●
【二月十四日】
紫の視線の先には、二つの暦がある。
自室の壁にかけられているそれは、それぞれ違った時間の区切りを有していた。
一つは幻想郷で使われる古式の暦。そしてもう一つは、外界で使われている“カレンダー”だ。
後者、カレンダーには、一つ赤い丸で囲まれている日があった。
二月十四日。
今日だ。そしてカレンダー赤丸の中には、一つの言葉が書かれている。それは、
「バレンタインデー……ふふ、人里でも流行りつつあるようね」
元々幻想郷には、バレンタインデーの風習はない。
当然だ。外と中では、そもそも暦すら違うのだから。だが、
「何かしらのイベントがあったほうが郷は活気付くし……バレンタインデーの風習は、幻想の郷としての在り方を壊すモノにはならないわ」
先刻から浮かべている笑みは、己の考えのとおりに事が運んだ時特有の笑い。紫のような者の専売特許だ。
本格的にバレンタインデーの概念を流布したのは今年が初めてだが、これが中々上手くいった。
騒がしいのはいいことね、と思いながら、紫はさらに口の端を吊り上げた。
藍と橙には既にチョコレートを渡してある。猫にチョコはどうかと思うが、妖獣だし大丈夫だろう。たぶん。
そして、と紫は思う。今日という日はここからが本番だと。何故なら、
「ふふふふふふ。後はコレを、天子に渡すだけよ……!」
視線を落としたテーブルの上には、鮮やかなラッピングで包まれたハート型の物体があった。
言うまでもなく、チョコレートだった。
「カカオも砂糖も勿論天然物。焙煎も型造りも何もかも勿論自家製手作り品。おまけにラッピングも私のセンスに溢れた手包み品。こんなチョコを貰えるなんて、天子は幸せ者ね。こんなことをしたのは何年ぶりかしら」
紫はうんうんと大きく頷き、
「もしここに天子がいたならば、“何世紀ぶりの間違いじゃないの?”と突っ込んでくれるのでしょうね。そして私はこう言うの。――喩え如何程の年月が経とうとも、錆付かぬ技術には関係がないこと。そう、それはまるで、千の季節の巡りを経た刀が、現在においてもなお光を失わないように、ね……。なんてね」
自分で言っていて何を言っているのかわからなくなってきたが、とにかくそんな彼女との言い合いもまた愉しみの一つだ。
だがしかし、今日に限っては争いを起こしてはならない。紫は目の前の包みを抱き上げると、至極真剣な眼差しでカレンダーを見つめなおした。
そう、二月十四日の紫には、暖かな雰囲気の中で天子にチョコレートを渡すという使命があるのだ。決して言い争いなどしてはならない。
「大丈夫、大丈夫よ私。いつものように不敵に突然現れて、すっ……とチョコレートを渡すだけなのだから。いつもと少し違うのは、言葉をちょっとだけ甘いものにすること。そう、まるでチョコレートのように……」
嗚呼、完璧ね、と目を伏せながら紫は呟く。
「今月の天子の行動パターンから言って、この時間は神社でお茶を飲んでいるはず。突然出て行って驚かせてやりましょうか」
よし、と紫は開眼し、
「さあ、行くわよ!」
「はい。行ってらっしゃいませ紫様」
背後から声をかけられた。
●
「…………」
「おや、どうしました? 神社へ行くのでは?」
「……藍、貴方いつからそこに?」
「紫様がカレンダーを凝視しながら笑い始めたときからです」
「一時間前からってことね……」
「ええ、そうなりますね」
「…………」
「ところで紫様」
「……何かようかしら、藍」
「独り言、すごいですね」
「そ、それほどでも……」
「時間は大丈夫なのですか? 天子にチョコレートのような甘い言葉を浴びせに行くのでしょう?」
「忘れなさい! 私の言葉は全部忘れなさい!」
まさか自室で背後から斬られるとは。しかも己の式から。
否。これは寧ろ、自分に気付かれることなく背後を取った藍を褒めるべきだろう。流石は私の式。プログラミングしていないことまでこなすとは。
「藍様、紫様はさっきから何を言っているんですか?」
「橙にはまだわからないことさ。――わからなくていいことでもあるが」
「橙もいたの!?」
なんてことだ。式だけではなく、式の式にまで背後を取らせてしまうとは。
チョコレートを渡すために橙を呼び寄せていたのがいけなかった。てっきりもう帰ったものだと思っていたが、まさか己の背後を取っていたとは。
「こんな展開になるなんて、この幻想の紫の目を持ってしても見抜けなかったわ……!」
「……天子は茶を飲み終わると高確率で弾幕ごっこを始めてしまうので、早く行ったらどうです」
そうだ。今はこんなことで動揺している場合ではない。華麗に天子の前に現れて、驚きを与えると共にイニシアチブ得るのだ。
そう心に言い聞かせた紫は虚空へ指を伸ばすと、
「ふふ、では改めて行ってくるわ。安心しなさい、逢魔時には戻るわ」
「キャラの戻りが早いですね」
「余計なことは言わなくていいの」
言い、宙に指を走らせる。縦一直線に指を切れば、そこに境界が生まれる。
つ、と音を立てて虚空に線が引かれ、光が零れる。粘つくように開く線の向こう側は、博麗神社だ。
……出鼻を挫かれたけど、天子に会ってしまえばこっちのものよ。準備をしている者とそうでない者では、どちらが有利かは語るまでもないわ。
思うと同時、開き繋がったスキマから一歩を行く。踏むように降ろした足は地面を踏まず、宙を裂いた。
落下する。
入り口を抜け、降り立った場所は神社の中。居間だ。
紫の調べによれば、天子はここで霊夢とお茶を飲んでいるはず。おそらくは四番煎じの緑茶だ。
そしてここで機先を取り、素早く天子をスキマの中へ連れ込む。そして他の者の目の届かない場所で、ハートの包みを渡すのだ。
完璧だ、と思いながら紫はスキマを閉じた。
さらに紫はいつもの笑顔を浮かべ、華やかなターンを決めて部屋の中央へと振り向くと、
「御機嫌よう天子。今日は貴方に用事が――」
「来たわね紫! 待ってたのよ!」
いきなり機先を奪われた。
●
霊夢は、覇気の全くない瞳で経緯を眺めていた。
突然現れた紫が胡散臭い笑顔で振り向くと同時、天子が紫に大声をかけるのを。そして紫が数拍の間の後、唖然とした表情になるのを、だ。
だがどれもこれも、霊夢の予想通りだ。
……天子の奴、いきなり朝からやってきたかと思えば……。
開口一番で告げた台詞が、「紫が来るだろうからお茶でも飲ませて! ついでに朝食も頂戴!」だった。
当然のように弾幕ごっこでしばき倒そうとしてやったが、どうにも調子が出ず敗北を喫してしまった。
何故。博麗の巫女にあるまじき失態。神の導きだとでも言うのだろうか。
この世の理不尽を感じつつ、しかし霊夢は思う。確かに紫を待つなら、ここが一番でしょうね、と。
天子が遊びに来る周期には、パターンがある。もっとも正確には、天子が地上で遊ぶときにはパターンがあるというのが本当のところだ。
天子本人が気づいているのかどうかは知らないが、地上の天子の知り合いの殆どはそのことを知っている。紫としても、天子の行動パターンは読みやすいのだろう。
そして紫からすれば、広い空間を持つ白玉楼や紅魔館よりも、狭い――いやいや普通! こっちが普通だから! ――の博麗神社のほうが訪れやすい。
「いやまあ、天子がここで待ったのは、単にお茶を飲みながら待ちたいってだけでしょうけど」
神社のことを何だと思っているのだろう。神社は賽銭を入れるところであり、決して待ち合わせの場所ではない。大抵の神社にあるのは狛犬で、忠犬ではないのだ。
そんな神社の冒涜者が行うことなど、霊夢にとっては割りとどうでもいいことだ。早く終われ。
どちらにせよ、天子と紫のやり取りはすぐに終わるだろうと霊夢は思う。
なにせ、天子の今回の目的は紫と勝負をすることなのだ。それも、短い時間で終わるような方法だ。
様々な勝負で紫に負け越している天子だが、今回持ち込んだ決闘法には勝算があるらしい。
そして霊夢の目の前で、天子がその決闘法の名前を口にした。それは、
「紫、私とポッキーゲームで勝負しなさい!」
……まあ、私としてはどうでもいいんだけどね。
●
天子は、紫が動揺を得たのを見逃さなかった。
当然だ。紫の常套手段である、不意をついた登場。そこに先制で勝負を持ちかけたのだから。
普段人を驚かし慣れている紫だが、逆に驚かされることには慣れていない。特に、突然のことに対する免疫は低い。
全ては狙ったことだ。胡散臭い態度で煙に巻くことに定評がある紫を相手にするときは、最初の攻めをしっかり決めていくことが肝要だ。
だがここで安心してはいけない。相手が崩れそうになったならば、間髪を入れずに追撃する。それこそが戦いの基本なのだから。
「紫、あんたが里にポッキーゲーム決闘法を流布したのは調べが付いてるのよ」
「え、ええと、け、決闘法?」
「まさか決闘を拒否したりはしないでしょうね? あんたの考案したゲームなんだから、当然逃げはしないわよねえ?」
「そ、そりゃあ拒否なんてしないけど、むしろ喜んでしたいくらいの勢いですけれども、ええと」
「喜んでしたいとは大きく出たわね。言っておくけど、あんたに勝ち目はないわよ!」
なんとか誤魔化そうとしているようだが、天子の目が曇ることはなかった。
紫のような妖怪は、策を巡らし準備を整えた戦いを好むものだ。そんな紫が突然勝負を持ちかけられたのだから、喜ぶ道理は何処にも無い。
……必死なのがバレバレよ、紫!
「ルールは単純。真ん中に印を入れたポッキーを両端から食べ進んで、先に印まで到達したほうが勝ち。当然、食べ終える前に途中で口を離したら負けよ」
「あ、あの」
「公平になるように、審判は霊夢にやってもらうからそのつもりで。不正は出来ないわよ?」
「れ、霊夢の目の前でポッキーゲームを!?」
「まあ弾幕ごっこで負けちゃったし。それくらいはやってあげるわよ」
「え、あ、その、ええと、ちょっと天子」
完璧だ。こんな表情の紫など見たことがない。
勝ち誇りの笑みを早くも浮かべながら、天子は言った。
「あらあら紫ってばそんなに動揺しちゃって……正々堂々の勝負は苦手かしら?」
●
どうしてこうなったのだろう。体温の高まりを感じながら、紫は思った。
予定では有無を言わさず天子をスキマの中に連れ込むつもりだったのに。それが、こんな事態になるだなんて。
渡すつもりだったチョコレートは、スキマの中に置きっぱなしだ。そして、もはや渡すタイミングは完璧に失われた。
それだけならまだしも、目の前の天人はこう言ったのだ。
……私とポッキーゲームをしようですって……!
確かに天子の言うように、ポッキーゲームの概念を郷に流したのは紫だ。
だがそれは、あくまでゲームとしてであり、勝負や決闘の意味を持たないものだ。外界で行われているそれは、ゲームとは名ばかりのレクリエーションでしかない。
それをどう勘違いしたのか、天子は勝負として持ちかけてきた。
……それはもう願ったり叶ったりですけど、でもいきなりそんな、しかも霊夢の前でなんてそんな!
どう考えても公開処刑だ。
天子に“そういう”考えが抜け落ちていることはわかっていたが、まさかそれでこのような展開を呼ぶことになるとは。
「ちょっと待ちなさい天子。ここは落ち着いて話をしましょう?」
「待たないし離したら負けよ」
駄目だ話が通じない。
どうするべきか、と火照る頭で思考をするが、それよりも早く天子は言う。
「さあ、このポッキーで勝負よ。早く咥えなさい。それと負けたほうは勝ったほうの言うことを何でも聞くこと。いいわね?」
「それはいいけど、いや、ちょっと待ちなさいってば」
勢いで了承してしまった。
どうやら天子はどうしてもゲームをするつもりらしい。さらには、天子の背後から飛んでくる霊夢の視線が“早くやれ”と語っていた。
……もうどうにでもなりなさい!
半ば自棄になりながら、天子の差し出した棒を咥え込む。そして天子も、反対側から同じように咥え込んだ。
「ふぁあ、ひぇーむしゅたーとよ!」
●
天子は己の勝算が正しいことを確信した。
ポッキーゲームのルールを聞いたとき、この決闘法には、紫の弱点に直結する要素があると天子は悟った。
お互いの顔を見合わせ、極限まで近づいて行く決闘法。そのルールで突くことの出来る紫の弱点とは、ただ一つ。
……紫は、私が顔を近づけると何故か動揺するのよ!
何故かと考えはするが、しかし天子には、ある程度の予想がついていた。
その理由とは、
……私という危険人物に必要以上に接近されることを、紫は警戒している……!
天子は妖夢や美鈴とは違い、技術としての戦闘法を学んではいない。だが、“間合い”というものが戦闘においてどれほど重要かは、経験として理解しているつもりだ。
特に妖夢を相手取ると判りやすい。彼女の持つ刀は長く、多くの相手に有利な間合いを有している。が、長いがゆえにその刀は重く、懐に潜られれば機能を失する。
剣戟を躱し懐に入り込んだときの妖夢の表情は、まさに青ざめたというべき顔だ。
そして、紫が動揺するのも同じ理屈だ。
紫は常に先を読み、掴み所のない態度でこちらを翻弄してくる。そして紫の戦い方も、それに通ずるものだ。
だが、そうであるがゆえに、必要以上の接近を許した場合、紫は脆さを見せる。
己の間合いに入られることを警戒しているのだ。
天子は過去に一度、偶然大きく転んで紫を押し倒してしまったことがある。
額同士をぶつけて地面に倒れこんでしまったが、天子は天人の体であるがゆえに、気にするほどの痛みはなかった。
そして紫のほうはどうかと思ってみれば、いつもの不敵な態度は何処へやら。言葉にならない声を漏らしながら、大きく目を見開いていた。
思えば、あれが紫の見せた最初の“隙”だった。
以後、何度か確認として接近してみたことがある。不意に腕に抱きついてみたり、疲れたと偽って紫の膝を枕にしてみたり。
結果から言えば、どれも同じ反応を紫は返した。
この弱点を利用できる戦いは無いかと以前から考えてはいたが、通常の弾幕ごっこでは利用できなかった。そもそも、紫相手に懐に入ること自体が至難の業だからだ。
だが、このポッキーゲームのルールならば、
……最初から顔を接近させているから、紫は終始動揺せざるを得ないわよね。
天子自身には、間近に迫られることによる動揺は無い。天人の肉体が強固なこともあるが、もとよりそんなことで怯む心など持ち合わせていないのだ。
ゆえに完璧。この作戦に隙は無い。
確信を持って、天子は現状を見た。
ポッキーを口に咥え、一口を噛み、二口を噛む。と、次の瞬間には意識するまでもなく数口を行った。
紫のほうを見れば、まだ三口と言ったところだ。
明らかにこちらが勝っている。
勝負の土俵で勝ち、速さでも勝っている。もはや負ける理由など一つも無い。と、天子が思った瞬間だ。
紫がある一つの動きを見せた。それは、僅かに顔を突き上げ、ポッキーに妙な力を加える動きだ。
これは――
……こちらの手前でポッキーを折り、勝負を決めようというつもり!?
速さで叶わないと判断した結果だろう。紫を改めて見れば、ポッキーを食べ進める動きは明らかに遅く、速さで勝とうとしていないのは明白だ。
動揺した心で器用なことをするものだ。だが、紫の頭脳を持ってすれば、この程度の力の加え方など一瞬で導き出せるのだろう。
やるわね、と天子は素直に紫を賞賛する。それでこそ、打ち倒す意味があるというものだと。
思い、瞬間的に天子は動いた。確信した勝ちを、現実のものとするために。
●
紫の思考回路は今にも焼け焦げようとしていた。
突然始まったポッキーゲームで、負ければ天子の言うことを何でも聞かなければならない。
しかも勝敗に関係なく、最後には両者がくっつくことになる。それも、知り合いの目の前で。
それだけは避けなければならない。否、誰も見ていないのならばそれも本望というか大歓迎なのだが、霊夢に見られているのなら話は別だ。確実に後でからかわれることになる。それも、年単位の長さで。
勝負に勝ち、しかも霊夢にからかわれることのない決着の方法。紫はそれを実行する必要があった。
策は簡単に思いついた。熱暴走した頭脳であっても、元が良ければある程度は何とかなるものなのだ。流石は私。
思い、僅かに冷静さを取り戻した紫は、その策を実行した。
天子の側でポッキーを折り、勝ちを得るという単純な戦略。そしてその動きは、今にも完了しようとしていた。
天子が何かの動きを見せようとしているが、遅い。今からでは、天子の口が印に到達するどころか、その手前の折ろうとしている箇所に到達することさえも出来ない。
非常に勿体無いが、これで終わりだ。勝負が終わったあとはスキマに連れ込んで、予定通りにチョコレートを渡すことにしよう。
安堵を感じた紫は、しかし、
……!?
遅いと、無駄だと判断していた天子の動きを見た。それは、口元や、顔を使ったものではなく、
「んんんんっ!?」
両の腕で、紫を抱きしめることだった。
●
霊夢は寝転がりポッキーを咥えつつ、ぼんやりと思考した。天子の奴も、重心の使い方が上手いわね、と。
紫のしていることは、口元と顔全体を使ってポッキーに力を加える動きだ。
速さ勝負という前提を無視し、裏をかいて決着をつける方法。対戦相手が気づいたときには既に遅く、対処が難しい動き。戦略としては優秀なものだ。
だがそれは、一つの事実を失念している。
「力を加えるのならば、体全体を使うべきよね」
霊夢は、天子が腕全体を使って紫をホールドするのを見た。これでは紫の重心は天子に掌握されてしまい、
「んっ! んん、んんんっ!」
ポッキーに自由に力を加えることも許されない。
これで本格的に決まったわね、と霊夢は思う。全く、と思考を繋げながら、
「面倒くさいわね。早くくっついちゃいなさいよ」
●
半ば締め上げるように紫を抱きしめ、天子は今度こそ確信した。
……勝った!
紫はほぼ完全に動きを止めている。己の策が予想外の方法で止められたことによる結果だろう。策士策に溺れるとはまさにこのこと。
あとはゆっくり、確実にポッキーを食べ進めるだけだ。
ポキポキと、紫の敗北を告げる無慈悲な音が響き渡る。
ポキポキポキ。
紫が赤い顔でわなわなと震えているが、もう紫にはどうすることも出来ない。
ポキポキ。
後少し。ほんの数ミリで勝負は終わるのだ。
ポキ。
そして、
「んぐ!」
「……!」
印を咥え込む。
印を超える。
ポッキーの半分を、食べ終えたのだ。
……やったわ! 紫に勝ったのよ!
霊夢をチラリと見てみれば、やる気の無い表情で頷いている。
審判も認めているのだ。
間違いなく、疑いようも無く、天子は紫に勝利したのだ。
そして天子はポッキーから口を離し、勝利宣言をしようとする。未だに振るえ、涙さえ浮かべている紫に言葉を浴びせようとして、
……あれ、確か私、食べ終える前に途中で口を離したら負けよ、って言ったような気が……。
半分以上を食べ切ることだけ考えていたので気が回らなかったが、勝利条件を満たした後で口を離してしまったらどうなるのかの取り決めをしていなかった。
ここで口を離してしまったら、勝利条件と敗北条件を同時に満たしてはしまわないだろうか。
……いやまあ、最後まで食べきればいい話か。
落ち着いて考えてみればどうということはない。そのままの勢いでフィニッシュすればいいのだ。
そこまで考えた天子は、冷静にポッキーの咀嚼を再開した。
もう勝利は確定したのだ。何も恐れる必要は無い。
と、その時だった。天子の背後から、激しい足跡が響き渡った。
客かしら、と天子は思う。それもこの無遠慮具合は、十中八九魔理沙か早苗のどちらかだろうと、天子は判断する。
すると、
「霊夢さん! バレンタインデーなので遊びに来ました!」
底抜けに明るい声が響く。声の主は、やはり早苗だった。
しかし、何も問題は無い。むしろ、この紫の負け姿を見る者は多ければ多いほどいいのだ。
……さあ、終わりよ紫!
●
「わあ! 紫さんと天子さん、何やってるんですか!?」
「ポッキーゲームとか言うらしいわよ。あんたなら詳しいんじゃないの?」
「それは知ってますけど……紫さんと天子さんって恋人同士だったんですか?」
「は?」
「ポッキーゲームって、恋人同士がするものなんですよ?」
●
……今、なんて言った!?
「でも今回は天子の奴が持ちかけてたわよ。わざわざ朝から紫を待って」
「へえー。天子さんって積極的なんですね」
……そうなるの!?
「そもそもバレンタインデーって、自分の好きな人にチョコレートを渡す日ですし。あ、霊夢さんコレ友チョコです」
「友チョコ?」
「友達にあげるチョコのことですよ。逆に言えば、何も言わずに渡すチョコは思い人に渡すチョコってことになりますね」
……そういうことになるの!?
天子は愕然とした。
話が違う。ということは何か。はたから見れば、私が紫に告白したようなものだとでも言うのか。
そう自覚した瞬間、天子は体中の温度が上がるのを感じた。
そしてよく考えてみれば、先程から抱きしめている紫の体も、やけに熱い気がする。
紫に視線を戻してみれば、今にも泣きそうな表情で見つめてくる。それも、上目遣いで。
「んんんっんん!? んんんんん!」
違うってば!? そうじゃない!
決してそういう意図はなかった。いや好きか嫌いかで言えば好きだけどそれはあくまでライバルとかそういう方向性であって――
「もうちょっとで食べ終わりますね! 頑張ってください!」
「頑張るようなことなの? これ」
余計なことを! と天子が思う暇も無い。視線の合っている紫は、何かを決意したかのような表情をすると、
……ちょっと、なんで食べ進んでくるのよ!
こっちはまだ覚悟が出来てないというのに。
そういえば、今日紫が現れたときに用事がどうのと言っていたような気がする。まさかそれがチョコレートを渡すことで、しかもそれが友チョコとやらでないとしたならば、
「きゃあー! 相思相愛ー!」
「早苗って、こういうの好きなのね」
ああ、そういうことだ。
気が付けば、もうこちらと紫の間には数ミリの隙間しか無い。
離れるのはまだ間に合う。急いで腕を引いて、素早く顔を背ければいいのだから。
だが――
……うん、まあ、別にいっか。
最初の闘争心は何処へいったのかしらねと、そう思いながら。
「――ん」
今度こそ、本当に今度こそ、勝負を終えたのだった。
●
「えーっとね、別にそういう意図があったわけじゃないのよ? 単に、紫に勝てそうなゲームが見つかったから持ちかけただけで……」
「…………」
「あの、紫? ねえ、ねえ、紫ってば」
「……言うこと」
「へ?」
「何でも言うこと聞くから、早く言ってほしいのだけど」
「あー……」
「…………」
「じゃ、じゃあ、紫の家に案内して。っていうか、紫の家にいつでも遊びにいけるようにして」
「……いいわよ」
言葉が終わるよりも早く、天子と紫の二人をスキマが包み込んだ。
抱き合ったままスキマに飲み込まれていく姿はどう見ても、
「お似合いな二人ですよねえ……」
「ようやくくっついたわね、もう」
霊夢の言葉に、早苗は疑問を感じた。疑問符を浮かべながら、早苗は霊夢に向き直ると、
「あら霊夢さん、お二人のことわかってたんですか?」
「そりゃあ紫とは付き合い長いし……まどろっこしいというか、さっさとしなさいよって感じだったけど」
「へえー」
やっぱり霊夢さんはすごいですね、と早苗は思いながら、自分の持っている残りのチョコレートのことを思い出す。
「あ、じゃあ私はチョコ配りがあるのでこれで失礼しますね。後で戻ってきますけど」
「なんで戻ってくるのよ」
「だって、魔理沙さんはどうせここに来るでしょうし」
「まあ、ねえ」
では! と霊夢に声をかけ、早苗は居間から出て行こうとする。と、その背後に霊夢の声がかけられた。
「ちなみに、誰に配りに行くの?」
「山の皆さんに、紅魔館の皆さんに、アリスさんに、後は冥界にも行ってくる予定です」
「その中に友チョコじゃないチョコはあるの?」
「ないですよー。もう残ってるのは友チョコだけですよ」
それにまあ、
「もし本命があったとしても、友チョコだって嘘ついて渡しちゃいますよ。私、天子さんほど積極的ではないですから」
「ふーん」
「では今度こそ!」
軽快な足取りで早苗は居間を飛び出した。
なんだかんだで、今日の夜はここで宴会になるんでしょうねーと、そう思いながら。
●
「全く、皆して騒がしいんだから……私が天子の奴に負けなければ、こんな面倒くさいことに関わらなくてすんだっていうのに」
どうして負けてしまったのか、それが最大の謎だ。
別に良いけどね、と思い直し、霊夢は早苗の置いていったチョコレートへと手を伸ばす。
「チョコは良いわね、甘くてカロリーも多いから、貰えるだけ貰っておきたいわね」
おや、
「なんかこのチョコ、友チョコとやらにしてはやけに美味しいわね」
良いゆかてんでした。
やっぱり普段天界に引きこもってると情報量で地上に遅れをとってしまうことがわかったな。<天人感謝
さて、ここで幻想郷の地理についておさらいしようか。
守矢神社からの距離関係で云うと妖怪の山>紅魔館>魔法の森となっていくわけで、当然東の最果ての博麗神社なんて地底よりは近い、位に遠い。
さて、まだ山の方々にさえ渡してないのに真っ先に友チョコを渡しにきた早苗さんはなんなんですかねぇ……?(ニヤニヤ
霊夢さん、気づいてあげテ!
例えるなら、面積比で言ってゆかてんがチョコ部分でレイサナが柄の部分。
一本で二度美味しい。
四人とも爆発したらいいと思います。
どっちも可愛いなぁもう!
欲を言えば紫がチョコを渡すシーンも見たかったです
焦らしプレイなゆかてんも、クールビューティーなレイサナも甘いです
まあ俺一番好きなのトッポなんだけど。
これは悶える。
その後が気になる。
やばい。
大妖精、恐ろしい子……!
ゆかてんはいいものですなぁ