―1―
遥か昔は「いとおかし」だとか「桜散りぬるを」といった手紙だったものだが、今は洋菓子で済ませるのだそうだ。
まったく、イイ時代になった。
書に対して「いとさっさと私の部屋にこい」と達筆で書き返礼してやったものだが、そういう手間も菓子でいい。
菓子の方がいいに決まっている。書は食えぬ。
2月14日というものが、ヴァレンタインなる行事が行われると積極的に言いだしたのは、あらゆる迷惑の伝道師霍青娥だ。
「おわかりいただけましたか神子様?しっかり用意しなければいけませんよ」
「なるほど。商魂たくましい。初めに考えた輩は摂政関白に相応しいだろうね」
「私もそう思います、チャンスです」
「腐ったようなもの売りつけるのはやめなさいね」
「ぐっ……」
霍青娥は私の寝室までやってきて、わざわざヴァレンタインの説明を始めた。
曰く、2月の14日はチョコレートなる洋菓子を渡すのが現在の習慣であるということ。
曰く、渡された相手は即日同等の品を渡しかえさねば10倍にして3月14日に返さねばならぬということ。
曰く、つまりチョコレートなる菓子で1つの冠位の給料丸ごと支払えるぐらいには儲けられるだろうとのこと。
ようするに、霍青娥は私がお気に入りのヒョウ柄のバスローブをまとったまま寝ているのを丁寧にはだけさせながら商いの話をし始めたという事だ。
なお、バスローブは屠自古からの誕生日祝いだった。愛用している。
私は腰紐をキツく縛り直して霍青娥の進行を阻止しつつ、首を横に振った。
「私は金銭欲に関しては今はありませんから、貴方が勝手になさい。勿論、私が協力することもありません」
「神子様だって、美味しいもの食べたくありません?」
「……それは私に、言っているんですか」
「ですわね。衣食住全く不自由ないですものね。こんな成金バスローブまで着ちゃって」
「それは私の趣味ではない」
「サンタクロースと違って、元手がかかるんですよ。何とかなりませんか」
「あくどい商法は後々の信仰に傷をつけますからね」
「あくどくなんてありませんよぉ、真っ当ですわぁ」
と、私の上にまたがるようにして開けた胸元の辺りから人様の体を儚くまさぐり出す霍青娥。
あ、これもしかして房中術なんですね(笑)
私は霍青娥の手首をつかんで半身を思いっきり起こす。
バランスを崩した霍青娥の身をそのまま倒しきって今度は私が上にのっかる。
完全に見下ろしてやると、予想外だったのか目が点になっている霍青娥の顔が見えなくなるぐらいに体をグッと近づける。
髪を舌でどかした後、耳を噛んでやると少し呻いた。
「お教えありがとう。備えはすることにしますよ。ただし、貴方からは買わないしもらわない」
「み、神子様、しかしですね……」
「ふー」
「!?」
耳に息を吹きかけると震えが起こる。
音がするように舐めてやると歯を食いしばる。
そのまま黙りましょう、の合図だ。
私は手を離してやり立ち上がり、バスローブの首元を戻していると、霍青娥は何も言わずに部屋を出て行った。
迷惑なことに壁に穴をぶちあけて、そのまま放置していった。
「このバスローブ、保温性は薄いんですよね」
考える。
残り2日でヴァレンタイン当日はやってくる。
バスローブをまた貰ったとして、10倍返しは出来ないだろう。
だから洋菓子なのは実にいい。
選ぶのにも少しは楽しめるから。
―2―
「だから、そんなこと重要じゃないだろ? なんでそんなこだわるんだって!」
「チョコレートはブレインよ。もとい味覚全般は知的パズルだから、解き方も考えなくっちゃいけないのよ」
「食えりゃいーじゃないか! 私は作り方の本を貸せって言ってるだけだぜ!!」
「あら、貴方私の図書館からそういって盗んで行ったじゃない」
「あの本は良くわからない言語で書いてあったからダメだった。ストーブの燃料にしておいた」
「むきゅ!?」
お喋りな3人の魔法使いに、チョコレートの作り方を学ぼうと思った私の目論見は間違っていたと出鼻をくじかれる。
全然迷わない迷いの森にあるアリス・マーガトロイド邸のソファーに私は座って紅茶を飲んでいる。
やたらと香りだかくて、ほんのりと柑橘の味わいと数滴垂らされた蜂蜜が良く溶け合っていた。
苛立っているのは白黒の服を着た霧雨魔理沙。
優雅に同じく紅茶を飲んで自身の一人用の赤くてリッチな椅子に座っているのが主のアリス・マーガトロイド。
そして私の隣で本をめくっているのが、パチュリー・ノーレッジだ。
パチュリー・ノーレッジは紫の髪を揺らしながら、難しい顔をしている。
顔の険しさに反して、手持ちの本のページ数は薄い。カタログなのだそうだ。
豆の。
洋菓子を良く知っていそうな、それなりに頼りになる相手として、私は魔法使いを選んだ。
単純に西洋人の名前だったからである。
紅魔館の吸血鬼も西洋風味だが、奴らの場合「クックック」とか言われながら大した情報は得られそうにないのでやめた。
アリス邸に先客として、更に二人の魔法使いがいたのは好都合だと思ったのだが、雲行きはとても怪しい。
なにせ、隣のパチュリー・ノーレッジが読んでるのは菓子の本ではない。
豆だ。
私は最近プレゼントされお気に入りのヒョウ柄の耳あてをかいて困惑した様子を表現しながら、
「あの、何故2人は洋菓子ではなく豆の話をしているのかな?」
と質問をしてみた。
顔を見合わせるパチュリー・ノーレッジ&アリス・マーガトロイド。
アリスがいわゆるドヤ顔をしながら語りはじめた。
「ヴァレンタインに贈られるお菓子は、80%がチョコレート菓子なのよ」
「私も、それは存じています」
「そこで原材料の問題よ。チョコレートというのは、カカオ豆から作られる。つまり、カカオの味からチョコレートの味わいは計算されるの」
「若干、説明が偏っているわ。カカオの主成分に頼らないミルクなどを主体にする事は可能だし、それはあくまで真っ当で正当なチョコレートの美学にすぎない。技法によってはその等式はイコールじゃないでしょう」
「でも、カカオの研究から錬成される可能性の違いは貴方もわかっているハズよ」
「異論はないわ」
「あるよ! だからって豆の違いがどうこうから始めることはないだろ!」
ここは私も、霧雨魔理沙に同意で、要するに土偶を作るのに土の話からするのは面倒臭いということだ。
霧雨魔理沙も私と同じく、アリス・マーガトロイドに菓子の作り方を教わりにきたのに、チョコレートのカカオ違いのものを20種類ほど試食させられたのだとか。
そんなに食べたら飽きる。弱った、書を紡ぐほうが楽だったかもしれない。
しかし、二人の魔女の飽くなき探究心は火がつきすぎて大文字を作りそうだった。
「それでアリス、結論は?」
「うん、ヴァレンタインに最適なのはマダガスカルかチュアオじゃないかなって」
「チュアオ? ワインフェチな貴方好みすぎるじゃない。凡庸性がないわ」
「だから、もうひとつの候補がマダガスカルね。女性的な酸味とリッチな苦味、白い花の香りで男性を惹きつける。王道のフレンチ系よ」
「甘いわ。貴方、チョコレートにストロベリーフレーバーを加えるぐらいに甘い」
「なん……ですって……?」
この間、なかなかに面白い身振り手振りの小演劇めいた展開なのだが、私と霧雨魔理沙は完璧に観客と化していた。
我々を無視して、魔女のカカオ談義が続く。
「さて」
「何故ミステリ風味」
「アリス、貴方がおかした最大のミスはヴァレンタインの捉え方よ。女性から男性に送る、という儀礼性はもはや形式としても成立しがたくなっている事実を知らないのね」
「え、そうなの?」
「雑誌で読んだわ、間違いない。今では女性同士や男性同士での因縁の付け合いとして渡される方が多いのよ!」
「あっ!」
「なにせ10倍返しなのでしょう。現代の人間は大変ですね」
私が口を挟むと刹那、魔女が目を点にして振り向いてきたが、すぐに首を元に戻した。
なんだか本当に人形みたいなギチッとした動きでさしもの私も少しびびった。
「そっか……そうなると女性らしさが強いマダガスカルはレズビアンすぎる」
「都会派の貴方らしくない情報収集ミスだったわね。だからまだまだ甘ちゃんなのよ」
「ううっ、恥ずかしい」
顔を両手で隠すアリス・マーガトロイド。紫髪の魔法使いのにやにやが最高潮に達する。
なお、2人に男性への性欲はあまり観ぜられない。この2人はまさに因縁の付け合いの為のチョコレートを作るつもりなのだ。
研究して。
いやぁ、恐ろしいですねー(笑)
「よって貴方に教えてあげるわ、ヴァレンタイン向けの豆の真理を」
「うん……」
パチュリー・ノーレッジは深呼吸をして、手を前にかざし
「それは、ハワイよ!」
叫んだ。
我々絶句。
アリスだけは薄いながらも艷やかな口元に手を添えて考えている。
表情が変わった。否の顔だ。
「それこそ、甘々じゃない。ハワイって、コーヒーですらそうだけど甘すぎるというかバニラ香をつける習慣があるわよね」
「ロマンの日、ならば根源こそ迫力のある甘味であるべきでしょうが。陽気なパーティーを思わせる味こそ行事に相応しい」
「貴方、そんな迫力のあるチョコを何個ももらいたい?」
「むきゅッ!?」
あ、なんか逆転しましたねー。
私も霧雨魔理沙はポップコーンでも食べたい気分である。くれぐれも塩味で。
「女性同士ならばエレガントにいかなくっちゃ。ハワイはちょっとホモチックですらあると思う」
「むきゅきゅっ……!?」
「まだまだね、パチュリー。シュチュエーションを考えられない貴方は、図書館に篭りすぎているの」
「む……きゅっ……」
私はところでなんでパチュリー・ノーレッジは良くわからない声をあげるのか問うておこうと思ったが、先に霧雨魔理沙が手をあげた。
「あー、オマエラのさっぱりわからん話はそこまでにしとけ」
「なんですって?」
「要するにさー、美味ければいいじゃん。さっき無理やり食わされた中ならさー、アレが一番美味しかった。ええと、コス……」
「「コスタリカッ!!!!!!!!!」」
目をかっぴらくダブル魔女。
世界が揺れたような気がする程のダイナミックさ。
「そ、その手があった!」
「コーヒーのアタックとナッツの余韻が長く出る勇ましさが、逆にチョコレートの本質をみせてくれるかもしれない」
「エピソードとしてもコスタリカなら申し分ないわ。うん、華やかではないけれど、深い選択ね」
「やはり天才だったか」
「あん?」
とても爽やかな顔で霧雨魔理沙に手を差し出す2人。
霧雨魔理沙もにこやかに手を伸ばし、掴んだ八卦炉から特大ビームを照射した。
――40分程で、ぶっ飛ばされた2人は意識を取り戻した。
私は面倒なので出来合いのチョコでいいから差し出すように後光が差し込みそうな政策スマイルで目覚めたアリス・マーガトロイドに命じた。
ついでに何かあう飲み物も持ってくるように言ったら、何故か葡萄酒をもたされた。食後酒だそうで。アイスワインだとか言っていた。凍っているのか?
お茶を期待していたのだけれど、お酒の方が高いしいいでしょうとにこやかに手をふって、霧雨魔理沙と共に元々壁だった場所から颯爽と立ち去る。
はて、最近こんな場面を見たような?
夕暮れ時で太陽は鮮やかにオレンジ色をしていた。
いよいよ明日がヴァレンタインである。ハートマークがヴァレンタインのキーマークらしいのだが、オレンジのハートとなると臓器的でリアリティがあるなぁ……
などと考えていると、金髪をなびかせて霧雨魔理沙が話しかけてきた。
「なぁ、摂政だかなんだかやってたお偉いさんもこんなチョコがどうのってイベントに興味あるんだな」
「お偉い人ほど、欲求に忠実なのですよ。昔は恋文は命がけでしたし、情事は冠位をあげる為の手段にもなってしまっていた」
「じょ、じょうじって」
「ふふ、君にはまだ早いかな」
「なんだよ、偉そうな顔してスケベなんだな」
「でも、今日の魔女3人の中なら、貴方が一番スケベでしょうが」
「……」
そう、アリスとパチュリーの両名は魔女である本懐なのかどちらかというと「研究すること」にこだわっていた。
すると、ああして豆がどうのとなってしまったのだろう。
2人は本質的に「渡す」事を考えていなかった。
誰かに渡したい、という欲求は霧雨魔理沙が遥かに強かった。
本当にアリスを頼ってチョコ作りをするつもりだったに違いない。
「誰に渡すんです?」
「言うかよ。案外頭悪いのかオマエ」
「何だか若くっていいですね。羨ましいんですよ。他の欲望が絡まずに、人と接する事が出来る事が。お偉い私には考えられなかった事だよ」
「ふーん、まぁ、同情はしないぜ」
「うちでは道場もやってますから是非来てくださいね」
「親父ギャグかよ」
「乙女ギャグです」
霧雨魔理沙と別れる頃には日が落ちていた。
備えることは出来たが、よくよく考えてみれば私は誰かにチョコを渡されるなんて事があるのだろうか。
義理でなら万を超えてもらえる自身があるけれど。
本命が欲しいな、たまには。
―3―
「では渡しましたので!これにて!!」
「ご苦労様」
「こーれーにーてー!!!」
霍青娥は無理やりでも私に恩を作らねば気が済まない性分らしい。
ひょこひょこと、霍青娥の使いである宮古芳香が去っていった。
ようするに宮古芳香が渡したから、私のカウントじゃないけれど意味はわかりますよね? という意思表示だった。
流石の邪仙ぶりに、歓心する。そうでなくては、困るというものだ。
勿論こっそりとスカートの中にチョコを挟んでおいたので、10倍返しは発生しない。
毎度思うのだが、どうして宮古芳香を霍青娥は使いたがるのか。
続いて、布都がやってきて物凄い満足気な顔で私にチョコを差し出してきた。
陰陽術で作った抹茶混入チョコレートだそうだ。怪しい。
私の方からも渡してやると
「お、おぉ!? 何も混入されておらなんだ、干しぶどうや木の実の味がする! これは旨いのう!! 流石太子様!!!」
「本場っぽい人達から取り寄せましたからね」
「うーん、本場は凄いのぅ。日いづる国にも敵わぬ事があるものか」
「たくさんありすぎて、全く今思うと恥ずかしい文章ですね」
「太子様は寛容であるな!」
「ははは」
元気いっぱいに頬張る姿にほっこりさせられる。
思わず頭を撫でてしまうと驚いたようだった。
布都とも無事交流した訳だが、神霊廟一同から唯一屠自古から何の接触もないまま、もうすぐでヴァレンタインは終わりを迎える。
23時45分。
普段なら私はとうに寝ている時間なのだが、ついつい起きてしまった。
向こうから何の接触もないと不安になってしまう。
役職だとかで文句を言うのも大人気ないが、こう私から行くのは恥ずかしいものじゃないか?
しかし、あの蘇我屠自古だ。もしかするとこうしたイベント事には疎いのかもしれない。
もしかして、渡してやれば10倍の見返りがもらえるのか。
豪族たるものが洋菓子に対して10倍、何を返すのかを見るのは面白いかもしれない。
私はヒョウ柄バスローブのまま、アリス・マーガトロイドから頂戴したチョコと葡萄酒を持って廊下をスタスタと移動し、屠自古の部屋の襖を「たのもー」などと言いながら遠慮なしに開ける。
屠自古は何やら書物をしていたようだった。
ヒョウ柄のバスローブ姿で。
え、お揃い!?
見てはいけないものを見てしまった気がしまって、思わずチョコレートを投げ渡す。
ナイスキャッチをする屠自古。運動神経はこの一族とても良い。
取ったのを見て足早に襖を閉めようとしたが、襖に触れた右手が震えてのけぞる。
電流。屠自古が放ったのだ。
「知ってるよ、これヴァレンタインでしょ」
「そうです。本場西洋の魔女仕込みのチョコレートです。トリニダード・トバゴです」
「なにそれ」
「そう言ってました。意味は良くわかりません」
「好奇心旺盛なのは昔からだけど、知ったかぶりは良くない」
「ふっ……」
「何故笑うし」
「貴方は受け取った以上、私に即座にお返しせねば10倍返しせねばなりません。さぁ、後5分で私に菓子を渡しなさい。さもなければイタズラしますよ」
「それ、ハロウィンとやらでは」
「さぁ!」
屠自古はやれやれだな、と小さく呟いた後に机の上にあった紙――私が突入した際に書物をしていた――を献上した。
なるほど、菓子ではなく結局旧式の方法を採用した訳か。
達筆かつ硬い文章で今後共ヨロシク云々書いてあった。
しかし、それで満足する私ではない。
「菓子はどうしました」
「ぬ?」
「ヴァレンタインの法則は菓子の献上です。私は菓子を包んだ銀紙を渡されましたが、中身が入っていませんよ」
「何いってんの? それで充分でしょうが」
「もう一度言いましょう。包み紙をよこされても意味がないと言っているんです。な・か・み・が・な・け・れ・ば・だ・め・で・す」
「天下の太子が一休和尚に成り下がったか」
「優秀な人材は見習わなければなりません。ほれほれ、後3分ですよ」
「ぬぅ……」
腕組みをしばらくしていた屠自古だが、両手を開いて降参のポーズをとった。
2月15日だ。
私はガッツポーズをとる。
「来月の10倍返しが楽しみですね!」
「……来月まで待つのは面倒だと思わない?」
「ほわっ!?」
「今、ここで、済ませてしまうのはどうよ」
用意していたらしい布団を親指で突き刺し、バスローブの紐を解き始める屠自古。
そうだった、こやつも豪族であった。それもトップクラスに豪族であった。
先日の霧雨魔理沙のスケベ扱いが脳裏をよぎる。
偉い人(笑)
何だかここまで大胆に脱がれてしまうと私もどうしていいかわからない。
もう色々と危ない感じになっていたのを、着せ直して手持ちの葡萄酒をみせる。
「ん、10倍返しは不要かな」
「そう……でもありませんが、雰囲気といいますか何というか」
「まどろっこしいでしょ。そういう目的なんでしょ」
「と、とにかく一杯やりましょう。ね?」
何だか重たくなってしまったが、屠自古は葡萄酒を受け取るとほんのりと微笑んだ。
器とツマミを用意する、と言って部屋を出て行ってしまう。
私は火照った頬を叩きながらしゃがみこんだ。
ふと、机の横においてある屑籠にぐしゃぐしゃになった紙が飛び出していたのが見えた。
覗きこんでみると、丸まった紙が敷き詰められていた。
一体何枚書いていたのだろう?
ようやく、屠自古の大胆アプローチが自棄だったのだとわかった。
包み紙だなどと悪い事を言ってしまった。
屠自古が戻ってくるなり私は思いっきり肩を引き寄せて頬が当たるぐらいに抱きしめる。
喋ろうとする喉の動きを抑止したくて、私は屠自古の耳に息をふきかけてからふちを舐める。
口を閉じろ、の合図だ。
「なんだか私が10倍返しをしたい気分になりました」
「……」
「悪かったよ」
「……もう、充分です」
私はそっと耳元から離れると、布団の上にあぐらをかいた。
「ささ、飲みましょう。無礼講ですわ。なんでもその葡萄酒は甘いらしいから菓子をつまみにしましょう」
「そうなのか。スルメを持ってきてしまった」
胸元から出されるスルメワンパック158円。
この状況でスルメなどと! なんだかわかっているのかいないのか。
私は可笑しくなってゲラゲラと品なく笑ってしまう。
棒立ちで下げずんだような目で私をみる屠自古。その呆れ顔すら面白くなってしまった。
「とにかく乾杯だ。さぁさぁ、注いで注いで」
屠自古は慣れた手つきで葡萄酒を注ぐ。黄色くトロリとした液体が晩酌用の盃に並々と入った。
「それでは、素晴らしき洋菓子の日に」
「乾杯」
本当に一気に飲むにはキツく甘かった。レモンや桃の味がして、後味にキノコのような風味が残った。
そこにチョコ菓子を含むと格別に味わいが引き立ち、豆から作られるという独特の苦味すら甘味へと転換されるようだった。
「うーん、美味。屠自古、私は摂政にこの菓子を通貨とすれば良かったと思う」
「アホか。そうしたら食べてしまって一気に財政難になるでしょうが」
「ああ、それはいけない」
「それにしても、10倍などと酷いものだ。西洋人は汚いな。金貸しでもそこまでアコギではなかろう」
「1ヶ月ありますからね。じっくり返せばいい」
「違うって。1ヶ月後に10倍が本来正しいんでしょ。まとめるまでにどれだけの働きをさせたのだろうな」
「私がルールです。法則なぞ私が変える」
「え?」
「1ヶ月間、10倍にして返し続けてあげますよ屠自古。さて、何が望みかな」
間が開いて、顔を真赤にして俯く屠自古。
先ほど人前でグイグイとバスローブを脱いでいたのはなんだったのか。
「貴方って人は……」
「おや、お嫌かな」
「なら」
「うん」
「枕をここに持ってきてね」
布団を叩く屠自古は歯がゆそうにコチラを睨んでいる。
偉い人という奴は(苦笑)
―4―
目覚めると、屠自古の珈琲が飲めるというのが最大の利点だった。
屠自古の部屋で寝るようになって3日目だ。
どうやら屠自古は既に部屋を出ているらしい。
いそいそと服を着て目をこすりながら、机の上に用意してあった珈琲を音なくすする。
うむ、苦い。
布団の中で話していて初めて知ったのだが、屠自古は最近お茶よりも珈琲が好きなのだそうだ。
身が引き締まるという。霊体の癖に、と笑ってやったら電撃を浴びせられた。
あの手早さは勘弁いただきたい。
幻想郷で復活してから、少しずつ世の移り変わりを感じる。
それは生活であったり、心境の変化であったり様々である。
本質自体変わらずとも、常に人と営みは進化し続けている。
遥か昔は手紙だったものが、今は菓子ですませるのだ。
イイ時代になったものだ。
そういえば、珈琲という奴はチョコレートと同じく豆を使うのだと言う。
改めて私は珈琲に口付けをする。
やはり、苦い。
そういえば、と机の上から二番目の引き出しに入れている余っていたチョコレートを取り出す。
珈琲の中に入れて指でかき回す。
砂糖代わりにはなるだろうという打算だ。
少し苦い香りが増したようにも感じられるが、甘さがふっくらと丸く見えるようだった。
私は、甘々ぐらいが丁度いいからね(笑)
おしまい
遥か昔は「いとおかし」だとか「桜散りぬるを」といった手紙だったものだが、今は洋菓子で済ませるのだそうだ。
まったく、イイ時代になった。
書に対して「いとさっさと私の部屋にこい」と達筆で書き返礼してやったものだが、そういう手間も菓子でいい。
菓子の方がいいに決まっている。書は食えぬ。
2月14日というものが、ヴァレンタインなる行事が行われると積極的に言いだしたのは、あらゆる迷惑の伝道師霍青娥だ。
「おわかりいただけましたか神子様?しっかり用意しなければいけませんよ」
「なるほど。商魂たくましい。初めに考えた輩は摂政関白に相応しいだろうね」
「私もそう思います、チャンスです」
「腐ったようなもの売りつけるのはやめなさいね」
「ぐっ……」
霍青娥は私の寝室までやってきて、わざわざヴァレンタインの説明を始めた。
曰く、2月の14日はチョコレートなる洋菓子を渡すのが現在の習慣であるということ。
曰く、渡された相手は即日同等の品を渡しかえさねば10倍にして3月14日に返さねばならぬということ。
曰く、つまりチョコレートなる菓子で1つの冠位の給料丸ごと支払えるぐらいには儲けられるだろうとのこと。
ようするに、霍青娥は私がお気に入りのヒョウ柄のバスローブをまとったまま寝ているのを丁寧にはだけさせながら商いの話をし始めたという事だ。
なお、バスローブは屠自古からの誕生日祝いだった。愛用している。
私は腰紐をキツく縛り直して霍青娥の進行を阻止しつつ、首を横に振った。
「私は金銭欲に関しては今はありませんから、貴方が勝手になさい。勿論、私が協力することもありません」
「神子様だって、美味しいもの食べたくありません?」
「……それは私に、言っているんですか」
「ですわね。衣食住全く不自由ないですものね。こんな成金バスローブまで着ちゃって」
「それは私の趣味ではない」
「サンタクロースと違って、元手がかかるんですよ。何とかなりませんか」
「あくどい商法は後々の信仰に傷をつけますからね」
「あくどくなんてありませんよぉ、真っ当ですわぁ」
と、私の上にまたがるようにして開けた胸元の辺りから人様の体を儚くまさぐり出す霍青娥。
あ、これもしかして房中術なんですね(笑)
私は霍青娥の手首をつかんで半身を思いっきり起こす。
バランスを崩した霍青娥の身をそのまま倒しきって今度は私が上にのっかる。
完全に見下ろしてやると、予想外だったのか目が点になっている霍青娥の顔が見えなくなるぐらいに体をグッと近づける。
髪を舌でどかした後、耳を噛んでやると少し呻いた。
「お教えありがとう。備えはすることにしますよ。ただし、貴方からは買わないしもらわない」
「み、神子様、しかしですね……」
「ふー」
「!?」
耳に息を吹きかけると震えが起こる。
音がするように舐めてやると歯を食いしばる。
そのまま黙りましょう、の合図だ。
私は手を離してやり立ち上がり、バスローブの首元を戻していると、霍青娥は何も言わずに部屋を出て行った。
迷惑なことに壁に穴をぶちあけて、そのまま放置していった。
「このバスローブ、保温性は薄いんですよね」
考える。
残り2日でヴァレンタイン当日はやってくる。
バスローブをまた貰ったとして、10倍返しは出来ないだろう。
だから洋菓子なのは実にいい。
選ぶのにも少しは楽しめるから。
―2―
「だから、そんなこと重要じゃないだろ? なんでそんなこだわるんだって!」
「チョコレートはブレインよ。もとい味覚全般は知的パズルだから、解き方も考えなくっちゃいけないのよ」
「食えりゃいーじゃないか! 私は作り方の本を貸せって言ってるだけだぜ!!」
「あら、貴方私の図書館からそういって盗んで行ったじゃない」
「あの本は良くわからない言語で書いてあったからダメだった。ストーブの燃料にしておいた」
「むきゅ!?」
お喋りな3人の魔法使いに、チョコレートの作り方を学ぼうと思った私の目論見は間違っていたと出鼻をくじかれる。
全然迷わない迷いの森にあるアリス・マーガトロイド邸のソファーに私は座って紅茶を飲んでいる。
やたらと香りだかくて、ほんのりと柑橘の味わいと数滴垂らされた蜂蜜が良く溶け合っていた。
苛立っているのは白黒の服を着た霧雨魔理沙。
優雅に同じく紅茶を飲んで自身の一人用の赤くてリッチな椅子に座っているのが主のアリス・マーガトロイド。
そして私の隣で本をめくっているのが、パチュリー・ノーレッジだ。
パチュリー・ノーレッジは紫の髪を揺らしながら、難しい顔をしている。
顔の険しさに反して、手持ちの本のページ数は薄い。カタログなのだそうだ。
豆の。
洋菓子を良く知っていそうな、それなりに頼りになる相手として、私は魔法使いを選んだ。
単純に西洋人の名前だったからである。
紅魔館の吸血鬼も西洋風味だが、奴らの場合「クックック」とか言われながら大した情報は得られそうにないのでやめた。
アリス邸に先客として、更に二人の魔法使いがいたのは好都合だと思ったのだが、雲行きはとても怪しい。
なにせ、隣のパチュリー・ノーレッジが読んでるのは菓子の本ではない。
豆だ。
私は最近プレゼントされお気に入りのヒョウ柄の耳あてをかいて困惑した様子を表現しながら、
「あの、何故2人は洋菓子ではなく豆の話をしているのかな?」
と質問をしてみた。
顔を見合わせるパチュリー・ノーレッジ&アリス・マーガトロイド。
アリスがいわゆるドヤ顔をしながら語りはじめた。
「ヴァレンタインに贈られるお菓子は、80%がチョコレート菓子なのよ」
「私も、それは存じています」
「そこで原材料の問題よ。チョコレートというのは、カカオ豆から作られる。つまり、カカオの味からチョコレートの味わいは計算されるの」
「若干、説明が偏っているわ。カカオの主成分に頼らないミルクなどを主体にする事は可能だし、それはあくまで真っ当で正当なチョコレートの美学にすぎない。技法によってはその等式はイコールじゃないでしょう」
「でも、カカオの研究から錬成される可能性の違いは貴方もわかっているハズよ」
「異論はないわ」
「あるよ! だからって豆の違いがどうこうから始めることはないだろ!」
ここは私も、霧雨魔理沙に同意で、要するに土偶を作るのに土の話からするのは面倒臭いということだ。
霧雨魔理沙も私と同じく、アリス・マーガトロイドに菓子の作り方を教わりにきたのに、チョコレートのカカオ違いのものを20種類ほど試食させられたのだとか。
そんなに食べたら飽きる。弱った、書を紡ぐほうが楽だったかもしれない。
しかし、二人の魔女の飽くなき探究心は火がつきすぎて大文字を作りそうだった。
「それでアリス、結論は?」
「うん、ヴァレンタインに最適なのはマダガスカルかチュアオじゃないかなって」
「チュアオ? ワインフェチな貴方好みすぎるじゃない。凡庸性がないわ」
「だから、もうひとつの候補がマダガスカルね。女性的な酸味とリッチな苦味、白い花の香りで男性を惹きつける。王道のフレンチ系よ」
「甘いわ。貴方、チョコレートにストロベリーフレーバーを加えるぐらいに甘い」
「なん……ですって……?」
この間、なかなかに面白い身振り手振りの小演劇めいた展開なのだが、私と霧雨魔理沙は完璧に観客と化していた。
我々を無視して、魔女のカカオ談義が続く。
「さて」
「何故ミステリ風味」
「アリス、貴方がおかした最大のミスはヴァレンタインの捉え方よ。女性から男性に送る、という儀礼性はもはや形式としても成立しがたくなっている事実を知らないのね」
「え、そうなの?」
「雑誌で読んだわ、間違いない。今では女性同士や男性同士での因縁の付け合いとして渡される方が多いのよ!」
「あっ!」
「なにせ10倍返しなのでしょう。現代の人間は大変ですね」
私が口を挟むと刹那、魔女が目を点にして振り向いてきたが、すぐに首を元に戻した。
なんだか本当に人形みたいなギチッとした動きでさしもの私も少しびびった。
「そっか……そうなると女性らしさが強いマダガスカルはレズビアンすぎる」
「都会派の貴方らしくない情報収集ミスだったわね。だからまだまだ甘ちゃんなのよ」
「ううっ、恥ずかしい」
顔を両手で隠すアリス・マーガトロイド。紫髪の魔法使いのにやにやが最高潮に達する。
なお、2人に男性への性欲はあまり観ぜられない。この2人はまさに因縁の付け合いの為のチョコレートを作るつもりなのだ。
研究して。
いやぁ、恐ろしいですねー(笑)
「よって貴方に教えてあげるわ、ヴァレンタイン向けの豆の真理を」
「うん……」
パチュリー・ノーレッジは深呼吸をして、手を前にかざし
「それは、ハワイよ!」
叫んだ。
我々絶句。
アリスだけは薄いながらも艷やかな口元に手を添えて考えている。
表情が変わった。否の顔だ。
「それこそ、甘々じゃない。ハワイって、コーヒーですらそうだけど甘すぎるというかバニラ香をつける習慣があるわよね」
「ロマンの日、ならば根源こそ迫力のある甘味であるべきでしょうが。陽気なパーティーを思わせる味こそ行事に相応しい」
「貴方、そんな迫力のあるチョコを何個ももらいたい?」
「むきゅッ!?」
あ、なんか逆転しましたねー。
私も霧雨魔理沙はポップコーンでも食べたい気分である。くれぐれも塩味で。
「女性同士ならばエレガントにいかなくっちゃ。ハワイはちょっとホモチックですらあると思う」
「むきゅきゅっ……!?」
「まだまだね、パチュリー。シュチュエーションを考えられない貴方は、図書館に篭りすぎているの」
「む……きゅっ……」
私はところでなんでパチュリー・ノーレッジは良くわからない声をあげるのか問うておこうと思ったが、先に霧雨魔理沙が手をあげた。
「あー、オマエラのさっぱりわからん話はそこまでにしとけ」
「なんですって?」
「要するにさー、美味ければいいじゃん。さっき無理やり食わされた中ならさー、アレが一番美味しかった。ええと、コス……」
「「コスタリカッ!!!!!!!!!」」
目をかっぴらくダブル魔女。
世界が揺れたような気がする程のダイナミックさ。
「そ、その手があった!」
「コーヒーのアタックとナッツの余韻が長く出る勇ましさが、逆にチョコレートの本質をみせてくれるかもしれない」
「エピソードとしてもコスタリカなら申し分ないわ。うん、華やかではないけれど、深い選択ね」
「やはり天才だったか」
「あん?」
とても爽やかな顔で霧雨魔理沙に手を差し出す2人。
霧雨魔理沙もにこやかに手を伸ばし、掴んだ八卦炉から特大ビームを照射した。
――40分程で、ぶっ飛ばされた2人は意識を取り戻した。
私は面倒なので出来合いのチョコでいいから差し出すように後光が差し込みそうな政策スマイルで目覚めたアリス・マーガトロイドに命じた。
ついでに何かあう飲み物も持ってくるように言ったら、何故か葡萄酒をもたされた。食後酒だそうで。アイスワインだとか言っていた。凍っているのか?
お茶を期待していたのだけれど、お酒の方が高いしいいでしょうとにこやかに手をふって、霧雨魔理沙と共に元々壁だった場所から颯爽と立ち去る。
はて、最近こんな場面を見たような?
夕暮れ時で太陽は鮮やかにオレンジ色をしていた。
いよいよ明日がヴァレンタインである。ハートマークがヴァレンタインのキーマークらしいのだが、オレンジのハートとなると臓器的でリアリティがあるなぁ……
などと考えていると、金髪をなびかせて霧雨魔理沙が話しかけてきた。
「なぁ、摂政だかなんだかやってたお偉いさんもこんなチョコがどうのってイベントに興味あるんだな」
「お偉い人ほど、欲求に忠実なのですよ。昔は恋文は命がけでしたし、情事は冠位をあげる為の手段にもなってしまっていた」
「じょ、じょうじって」
「ふふ、君にはまだ早いかな」
「なんだよ、偉そうな顔してスケベなんだな」
「でも、今日の魔女3人の中なら、貴方が一番スケベでしょうが」
「……」
そう、アリスとパチュリーの両名は魔女である本懐なのかどちらかというと「研究すること」にこだわっていた。
すると、ああして豆がどうのとなってしまったのだろう。
2人は本質的に「渡す」事を考えていなかった。
誰かに渡したい、という欲求は霧雨魔理沙が遥かに強かった。
本当にアリスを頼ってチョコ作りをするつもりだったに違いない。
「誰に渡すんです?」
「言うかよ。案外頭悪いのかオマエ」
「何だか若くっていいですね。羨ましいんですよ。他の欲望が絡まずに、人と接する事が出来る事が。お偉い私には考えられなかった事だよ」
「ふーん、まぁ、同情はしないぜ」
「うちでは道場もやってますから是非来てくださいね」
「親父ギャグかよ」
「乙女ギャグです」
霧雨魔理沙と別れる頃には日が落ちていた。
備えることは出来たが、よくよく考えてみれば私は誰かにチョコを渡されるなんて事があるのだろうか。
義理でなら万を超えてもらえる自身があるけれど。
本命が欲しいな、たまには。
―3―
「では渡しましたので!これにて!!」
「ご苦労様」
「こーれーにーてー!!!」
霍青娥は無理やりでも私に恩を作らねば気が済まない性分らしい。
ひょこひょこと、霍青娥の使いである宮古芳香が去っていった。
ようするに宮古芳香が渡したから、私のカウントじゃないけれど意味はわかりますよね? という意思表示だった。
流石の邪仙ぶりに、歓心する。そうでなくては、困るというものだ。
勿論こっそりとスカートの中にチョコを挟んでおいたので、10倍返しは発生しない。
毎度思うのだが、どうして宮古芳香を霍青娥は使いたがるのか。
続いて、布都がやってきて物凄い満足気な顔で私にチョコを差し出してきた。
陰陽術で作った抹茶混入チョコレートだそうだ。怪しい。
私の方からも渡してやると
「お、おぉ!? 何も混入されておらなんだ、干しぶどうや木の実の味がする! これは旨いのう!! 流石太子様!!!」
「本場っぽい人達から取り寄せましたからね」
「うーん、本場は凄いのぅ。日いづる国にも敵わぬ事があるものか」
「たくさんありすぎて、全く今思うと恥ずかしい文章ですね」
「太子様は寛容であるな!」
「ははは」
元気いっぱいに頬張る姿にほっこりさせられる。
思わず頭を撫でてしまうと驚いたようだった。
布都とも無事交流した訳だが、神霊廟一同から唯一屠自古から何の接触もないまま、もうすぐでヴァレンタインは終わりを迎える。
23時45分。
普段なら私はとうに寝ている時間なのだが、ついつい起きてしまった。
向こうから何の接触もないと不安になってしまう。
役職だとかで文句を言うのも大人気ないが、こう私から行くのは恥ずかしいものじゃないか?
しかし、あの蘇我屠自古だ。もしかするとこうしたイベント事には疎いのかもしれない。
もしかして、渡してやれば10倍の見返りがもらえるのか。
豪族たるものが洋菓子に対して10倍、何を返すのかを見るのは面白いかもしれない。
私はヒョウ柄バスローブのまま、アリス・マーガトロイドから頂戴したチョコと葡萄酒を持って廊下をスタスタと移動し、屠自古の部屋の襖を「たのもー」などと言いながら遠慮なしに開ける。
屠自古は何やら書物をしていたようだった。
ヒョウ柄のバスローブ姿で。
え、お揃い!?
見てはいけないものを見てしまった気がしまって、思わずチョコレートを投げ渡す。
ナイスキャッチをする屠自古。運動神経はこの一族とても良い。
取ったのを見て足早に襖を閉めようとしたが、襖に触れた右手が震えてのけぞる。
電流。屠自古が放ったのだ。
「知ってるよ、これヴァレンタインでしょ」
「そうです。本場西洋の魔女仕込みのチョコレートです。トリニダード・トバゴです」
「なにそれ」
「そう言ってました。意味は良くわかりません」
「好奇心旺盛なのは昔からだけど、知ったかぶりは良くない」
「ふっ……」
「何故笑うし」
「貴方は受け取った以上、私に即座にお返しせねば10倍返しせねばなりません。さぁ、後5分で私に菓子を渡しなさい。さもなければイタズラしますよ」
「それ、ハロウィンとやらでは」
「さぁ!」
屠自古はやれやれだな、と小さく呟いた後に机の上にあった紙――私が突入した際に書物をしていた――を献上した。
なるほど、菓子ではなく結局旧式の方法を採用した訳か。
達筆かつ硬い文章で今後共ヨロシク云々書いてあった。
しかし、それで満足する私ではない。
「菓子はどうしました」
「ぬ?」
「ヴァレンタインの法則は菓子の献上です。私は菓子を包んだ銀紙を渡されましたが、中身が入っていませんよ」
「何いってんの? それで充分でしょうが」
「もう一度言いましょう。包み紙をよこされても意味がないと言っているんです。な・か・み・が・な・け・れ・ば・だ・め・で・す」
「天下の太子が一休和尚に成り下がったか」
「優秀な人材は見習わなければなりません。ほれほれ、後3分ですよ」
「ぬぅ……」
腕組みをしばらくしていた屠自古だが、両手を開いて降参のポーズをとった。
2月15日だ。
私はガッツポーズをとる。
「来月の10倍返しが楽しみですね!」
「……来月まで待つのは面倒だと思わない?」
「ほわっ!?」
「今、ここで、済ませてしまうのはどうよ」
用意していたらしい布団を親指で突き刺し、バスローブの紐を解き始める屠自古。
そうだった、こやつも豪族であった。それもトップクラスに豪族であった。
先日の霧雨魔理沙のスケベ扱いが脳裏をよぎる。
偉い人(笑)
何だかここまで大胆に脱がれてしまうと私もどうしていいかわからない。
もう色々と危ない感じになっていたのを、着せ直して手持ちの葡萄酒をみせる。
「ん、10倍返しは不要かな」
「そう……でもありませんが、雰囲気といいますか何というか」
「まどろっこしいでしょ。そういう目的なんでしょ」
「と、とにかく一杯やりましょう。ね?」
何だか重たくなってしまったが、屠自古は葡萄酒を受け取るとほんのりと微笑んだ。
器とツマミを用意する、と言って部屋を出て行ってしまう。
私は火照った頬を叩きながらしゃがみこんだ。
ふと、机の横においてある屑籠にぐしゃぐしゃになった紙が飛び出していたのが見えた。
覗きこんでみると、丸まった紙が敷き詰められていた。
一体何枚書いていたのだろう?
ようやく、屠自古の大胆アプローチが自棄だったのだとわかった。
包み紙だなどと悪い事を言ってしまった。
屠自古が戻ってくるなり私は思いっきり肩を引き寄せて頬が当たるぐらいに抱きしめる。
喋ろうとする喉の動きを抑止したくて、私は屠自古の耳に息をふきかけてからふちを舐める。
口を閉じろ、の合図だ。
「なんだか私が10倍返しをしたい気分になりました」
「……」
「悪かったよ」
「……もう、充分です」
私はそっと耳元から離れると、布団の上にあぐらをかいた。
「ささ、飲みましょう。無礼講ですわ。なんでもその葡萄酒は甘いらしいから菓子をつまみにしましょう」
「そうなのか。スルメを持ってきてしまった」
胸元から出されるスルメワンパック158円。
この状況でスルメなどと! なんだかわかっているのかいないのか。
私は可笑しくなってゲラゲラと品なく笑ってしまう。
棒立ちで下げずんだような目で私をみる屠自古。その呆れ顔すら面白くなってしまった。
「とにかく乾杯だ。さぁさぁ、注いで注いで」
屠自古は慣れた手つきで葡萄酒を注ぐ。黄色くトロリとした液体が晩酌用の盃に並々と入った。
「それでは、素晴らしき洋菓子の日に」
「乾杯」
本当に一気に飲むにはキツく甘かった。レモンや桃の味がして、後味にキノコのような風味が残った。
そこにチョコ菓子を含むと格別に味わいが引き立ち、豆から作られるという独特の苦味すら甘味へと転換されるようだった。
「うーん、美味。屠自古、私は摂政にこの菓子を通貨とすれば良かったと思う」
「アホか。そうしたら食べてしまって一気に財政難になるでしょうが」
「ああ、それはいけない」
「それにしても、10倍などと酷いものだ。西洋人は汚いな。金貸しでもそこまでアコギではなかろう」
「1ヶ月ありますからね。じっくり返せばいい」
「違うって。1ヶ月後に10倍が本来正しいんでしょ。まとめるまでにどれだけの働きをさせたのだろうな」
「私がルールです。法則なぞ私が変える」
「え?」
「1ヶ月間、10倍にして返し続けてあげますよ屠自古。さて、何が望みかな」
間が開いて、顔を真赤にして俯く屠自古。
先ほど人前でグイグイとバスローブを脱いでいたのはなんだったのか。
「貴方って人は……」
「おや、お嫌かな」
「なら」
「うん」
「枕をここに持ってきてね」
布団を叩く屠自古は歯がゆそうにコチラを睨んでいる。
偉い人という奴は(苦笑)
―4―
目覚めると、屠自古の珈琲が飲めるというのが最大の利点だった。
屠自古の部屋で寝るようになって3日目だ。
どうやら屠自古は既に部屋を出ているらしい。
いそいそと服を着て目をこすりながら、机の上に用意してあった珈琲を音なくすする。
うむ、苦い。
布団の中で話していて初めて知ったのだが、屠自古は最近お茶よりも珈琲が好きなのだそうだ。
身が引き締まるという。霊体の癖に、と笑ってやったら電撃を浴びせられた。
あの手早さは勘弁いただきたい。
幻想郷で復活してから、少しずつ世の移り変わりを感じる。
それは生活であったり、心境の変化であったり様々である。
本質自体変わらずとも、常に人と営みは進化し続けている。
遥か昔は手紙だったものが、今は菓子ですませるのだ。
イイ時代になったものだ。
そういえば、珈琲という奴はチョコレートと同じく豆を使うのだと言う。
改めて私は珈琲に口付けをする。
やはり、苦い。
そういえば、と机の上から二番目の引き出しに入れている余っていたチョコレートを取り出す。
珈琲の中に入れて指でかき回す。
砂糖代わりにはなるだろうという打算だ。
少し苦い香りが増したようにも感じられるが、甘さがふっくらと丸く見えるようだった。
私は、甘々ぐらいが丁度いいからね(笑)
おしまい
いつも牛乳や水で食べてたけど、紅茶も試してみるかな。
しかし、魔女二人の役に立たない事。実学一本の魔理沙に負けてどうするのかw
屠自古がかわいくて甘い。
魔法使い二人の頭でっかちぶりも素敵
個人的に(笑)が頻出過ぎて興ざめなのが難点。そういうキャラだとはわかるんですが、浮き過ぎなので他の表現を採った方がよいかと。