「おーい、誰かいないかー」
「あら。魔理沙。どうしたの、びしょびしょじゃない」
「ちょっと湖にな」
「叩き落とされたの?」
「………………」
「珍しいこともあるものね」
「ちょっと回避の方向を間違えただけだ」
「そういう訳でな」
「どういう訳よ」
レミリアの部屋は少女一人が使うには不釣り合いなほどに大きい。魔理沙が勝手に座っているキングサイズのベッドが中央に置かれ、文机の前に置かれた椅子に座ってレミリアが漫画本を読んでいる。鏡台、化粧台、隣には衣装室があるが、この辺りはレミリアはあまり触らない。咲夜の領域だ。床には紅い絨毯が敷かれているが、こういう生活形態は魔理沙には馴染まない。今も、下着姿で、裸足で平気で歩いていた。
魔理沙は下着姿で、レミリアのベッドに勝手に座っていた。この辺りの傍若無人さは並の人間なら怒って当然、だがレミリアはどこか世間ずれしていた。迷惑だなあとは思いながら、まああの巫女もそんな風だしと放っておいた。珍しく機嫌は悪くない。
「理由になってないでしょ。下着姿で、私の部屋にいる理由になってないでしょ」
「ええ? 理由にならないか? 濡れたから服脱いだ、単純だろ」
「服着なさいよ。咲夜に言いなさいよ」
「咲夜がなんか服探してたけど、ジャッキーチェンが着てそうなジャージとか出してきたから」
「ああ、あの美鈴が良く着てる」
「美鈴着てるのか。美的センスを疑うな」
「『可愛いでしょう。キル・ビルみたいで』とか言ってたわよ」
「より疑うな」
魔理沙は足をぶらぶらさせて、手をベッドについて何となしに天井を見上げている。楽なスポーツブラと、ショーツを身につけている。多分咲夜が用意したんだろう、とレミリアは思った。
「それで、時間かかりそうだったからさ」
「それでここに来たの? 出て行きなさいよ。服を着て帰りなさいよ」
「まあまあ、そこまで邪険にするなよ」
魔理沙は気楽にそう言って、隣の衣装室へと入っていった。怖い物無しなのだなあとレミリアは人間に過ぎない魔理沙を見送った。
魔理沙は変わった人間だ。吸血鬼を怖がらない。霊夢も相当変わった人間だし、そもそも十六夜咲夜もだいたい変だ。だけど、魔理沙は違うのだ。魔理沙は自分からどこにでも顔を突っ込んで、だいたいの場合受け入れられてしまう。疎まれているのかもしれないが、どこでも魔理沙は顔を突っ込んでいく。これは変わった傾向じゃないのかな、とレミリアは少ない人間像を思い描いて考えている。
「うわっ」
「何よ。何をやってるのよ」
「お前らほんっとにふりふりの服着てるんだなぁ」
レミリアが衣装室に入る。魔理沙が持ち上げていたのは、レミリアの服だった。肩の所を持って、目の辺りに服の胸がくるように持ち上げている。紅くて、肩の少し膨らんだ服。うわーうわーと珍しそうに引っ繰り返すうちは良かったが、スカートに頭を突っ込んで首を出す頃になって、黙ってられなくなった。
「何やってるのよ」
「いや、着替え」
「着替えじゃないわよ……」
袖から手を出す魔理沙を見ると、フランドールにそっくりだった。金髪だし、くりくりと大きい目も似ている。身体の大きさと羽根がないことぐらいしか大きな違いはなかった。
「ちょっと小さいな」
魔理沙はうんうん言いながら袖から手を引っ張り出して、スカートの裾を引っ張った。つんつるてんで、少しかがんだら後ろから下着が見えそうだった。
「当然よ。私のだもの。……ねえ魔理沙、これ被ってみて」
「おお? 帽子か?いいぜ」
レミリアのいつも被っているドアノブカバーみたいな帽子を、レミリアは引っ張り出して魔理沙に手渡した。レミリアの思っている通り、魔理沙はよりフランドールみたいになった。
「……ちょっと、三つ編みほどいて頭のこの辺で結んで」
「おお? なんだ? まあいいが」
魔理沙はレミリアに言われた通りに、髪をほどいて片方の耳の上でサイドテールに結んだ。それで、ますます、フランドールの格好をしているようになった。
「うん……それでちょっと『レミリアお姉様』って言ってくれる」
「レミリアおねえ……じゃないよ。なんでお前をお姉様って呼ばなくちゃいけないんだよ」
「惜しいわ」
「惜しいわじゃないぜ。そんなに好きなら会いに行ったらいいだろ。どうして私がフランの身代わりをしなくちゃいけないんだよ」
「だってあの子フランって呼んだらものすごく怒るのよ」
「お前がレミィって呼ばれた時に怒ったりしたんじゃないのか」
「………………」
「図星かよ」
「だって」
「だってじゃないよ。そりゃ違うだろ。可愛いからってこんな格好をした私も良くないけどさ」
「だって」
レミリアはそう言ってから、ちょっと泣きそうな顔をした。魔理沙にはだいたい分かっている。フランドールはきっとパチュリーの真似をしてレミリアをレミィと呼んでみただけなのだろう。レミリアは、嬉しくて、でもフランドールにそう呼ばれて嬉しがっている顔をするのが嫌で、殊更に嫌な顔をして怒って見せたんだろう。それで、一度怒って見せるとフランドールはたちまち怒って、それからはなし崩しなんだろう。魔理沙はそう言った。
「どうして分かるの」
「バーカ。お前らは分かりやすいんだ、いつだって」
それから魔理沙は、フランドールの格好をしたまま、大股で歩いて行った。女の子らしくない、祭で女物の服を着せられた里の男のような歩き方だった。
「どこ行くのよ、魔理沙」
「フランに会いに行ってくるんだ」
「魔理沙」
「何だよ」
レミリアは魔理沙に、小さな箱を手渡した。リボンで包装されている。
「フランに渡したらいいのか?」
「……ええ、そうよ」
レミリアは言ってから、ふいと顔を背けた。まるで、フランドールに渡してるみたいに、錯覚したのだろう。魔理沙はそう思ってからこの吸血鬼は頭が緩いのじゃないのかと思った。魔理沙は口さがないように思考にも遠慮がない。
魔理沙を介して渡したって、レミリアがフランドールに渡したことには変わりがない。直接渡せないのが子供だよな、と思った。だけど、レミリアとフランドールが大人になることはない。二人の間のことは、時が解決しない。
ずっとこのままだったら、そんなに寂しいことはないな。魔理沙はぼんやりそう思った。でも、と魔理沙は反芻する。それは魔理沙自身が人間だからそう思うので、あの二人は吸血鬼だから、時が止まったように、そんな関係性でも特別気にしないのかもしれない。魔理沙が考えても仕方のないことだった。魔理沙は行きがかり上フランドールの格好をして地下室に入っていった。
フランドールの部屋は檻の中で、でももう檻に鍵はかかっていない。魔理沙が鉄の扉を開けて中に入ると、フランドールは眠っていた。布団の上で、瞳を閉じて寝息を立てていた。魔理沙が顔を寄せると、睫毛が目元に小さな影を作っていた。魔理沙は地下室の床に腰を下ろすと、ぼんやりと起きるのを待つことにした。しばらく待って、起きなかったら、起こしてしまおう、と魔理沙は思った。
大きな、レミリアの部屋にあるようなキングサイズのベッドの枕元に灯りがついていて、他に灯りはないから部屋の中はよく見えない。ぬいぐるみや本やそのほかよく分からないがらくた類が散らかしてあった光景を、魔理沙は思い出している。
魔理沙が見ている前で、灯りの上にフランドールの身体がかかって、影が大きく伸びた。フランドールはぐるりと顔を回して魔理沙を見ると、頭を掻いて、ベッドから降りて魔理沙に歩み寄った。まじまじと近付いて顔を見て、それから手を持ち上げて魔理沙の前にかざした。何となく、魔理沙はフランドールの手の平に、自分の手の平を重ねた。
「よう、フランドール。もう朝だぜ」
「鏡が喋った!」
フランドールは驚いて、きゃっと声を上げた。
「鏡じゃないぜ、魔理沙だぜ」
「魔理沙? 鏡の魔理沙? そう言えば、魔理沙今日は変な格好ね」
「ああ、鏡じゃないんだぜ」
「私、こんなところに鏡置いたかな、って思ったの。だってそっくりなんだもん」
「そうかな。だって私の髪は傷んだ染め物だし、フランみたいにさらさらじゃないだろ」
「でも一緒! 私は、魔理沙と一緒が、嬉しいの!」
フランドールは魔理沙に抱き着いて胸元に顔を埋めた。やれやれと思いながら魔理沙は小箱を取り出した。
「だけどな、今日はちょっと違うぜ。これはレミリアの服だからな、私はレミリアでもあるのだぜ」
「お姉様? お姉様と魔理沙が、一緒? おねえさまりさ?」
「そうだぜ。おねえさまりさから、プレゼントだぜ」
そう言うと魔理沙は、レミリアの小箱のリボンを引き、フランドールの前で開いた。中には小さなチョコレートが入っていた。魔理沙はそれを見たことがあった。里の片隅でやってる、店屋で売っているちょっとした有名なチョコレートだ。
「チョコ? ああ、そうだ、バレンタインデーね! 魔理沙ったら! ありがとう、嬉しいわ!」
魔理沙もチョコレートが出てきた瞬間にああしまったなと思ったのだ。今年は用意するのを忘れていた。今更私のはないんだぜなんて言えないと魔理沙は思った。ああくそもういいやと魔理沙は思った。
「ああ、私とレミリア、おねえさまりさからの贈り物だぜ」
「ほんと? ありがと、お返し考えなくちゃ。私も昨日作ってお姉様にあげようかなって思ったんだけど、喧嘩しちゃって……」
それからフランドールは急にぶすっとした顔になって、俯いた。
「どうしたんだ」
「……いらない。お姉様からのチョコなんて、いらないわ」
「そんなこと言うなよ。ああそうだ。これは、私とレミリアから、二人からのプレゼントだ。だから、お姉様からの分じゃなくてもいい。私からの分だけでも食えよ」
「魔理沙の、分?」
「そうだ。私の分だけでも食ってくれよ。フランに食べてほしくって二人で選んだんだ」
ここまで来るともう後には引けないと魔理沙は思った。もう後のことは『そうだったかな? 忘れたぜ』で通すしかないと魔理沙は割り切った。
「そっか。魔理沙のだったら、食べるね。それで、魔理沙のは、どっち?」
「どっち?」
「半分のはお姉様のなんでしょ。私、魔理沙のしか、食べない」
ああそうだな、と魔理沙は言い、こっち半分だ、と魔理沙は手の平でチョップするみたいにして示した。
「分かった。じゃ、こっち半分食べるね! ありがと、魔理沙!」
どういたしまして、と魔理沙は言いながら、うーんどうしようかな、と魔理沙は考えていた。そうしているうちに、フランドールはチョコレートを美味しそうに口に運んだ。
「おいしい! 魔理沙のチョコレート、おいしいわ!」
「そうだろ。レミリアと二人で選んだんだぜ」
「うん……お姉様と……やっぱり、ちょっとおいしくないかも」
「おいおい、ひどいぜ。せっかく私も選んだんだぜ」
「うーん……お姉様と魔理沙が選んで、でも、これは魔理沙の半分よね。だから……ううん、分からないけど、おいしいわ、魔理沙」
「そうだろそうだろ」
フランドールは考えながら、それでも美味しそうにチョコレートを食べた。半分食べきってから、残りの半分を、お姉様の分を、フランドールは俯いて眺めた。
「フラン?」
「ううん。お姉様の分……どうするの?」
「欲しいのか?」
「ううん! いらない。絶対いらないっ」
欲しいんだな、と魔理沙は思った。分かりやすくていい。でも、どんなに無理押ししても、フランドールは受け取らないだろう。なら、と魔理沙は思った。
「ならさ、フラン。私にくれよ。フランから、私に、ってことで」
「あっ! ごめんなさい、私、魔理沙に用意してなかったわ。……でも、……うーん……いいわ。それ、あげる。大事に食べてね」
「ありがとう、フラン。大事に食べるぜ。私とレミリアの選んだチョコレートは美味しかったか?」
「うん……」
フランドールは俯いて、考えた。でも、フランドールは顔を持ち上げて笑った。
「とってもおいしかったわ! 魔理沙と、……お姉様の、選んでくれたチョコだもの。だから、魔理沙が食べても、きっとおいしいわ!」
それは良かった、と魔理沙は笑った。次だな、と魔理沙は思いながら、地下室を後にした。フランドールはまた来てね、と笑って魔理沙に手を振った。
レミリアの部屋に戻ると、レミリアは布団に顔を押しつけていた。
「よう、レミリア」
「あら、魔理沙」
レミリアは魔理沙を見てから、手元の箱を見て、少し落胆した顔をした。
「いらないって言われたのね。ありがと、手間を取らせたわね」
「いいや、違うぜ」
魔理沙はそう言って箱を開けた。半分残ったチョコレート。
「フランは半分だけ食べたんだ。それから、フランは私に、『それ、お姉様にあげて、お姉様の選んだものだけど、とってもおいしかったから、お姉様にも食べてほしい』って、『私からお姉様にあげたいから』って言った。だからこれは、フランからお前へのバレンタインのチョコレートだぜ」
レミリアはぱっと嬉しそうな顔をした。私はその顔を見て、嬉しくなって笑った。それから私を睨み付けて、何を笑ってるのよ、という顔をした。嬉しそうな顔を見られて恥ずかしいのだな、と魔理沙は思った。全くこいつらは分かりやすい。なら、どう言ってやればレミリアが喜ぶのか、魔理沙は分かっていた。でも、若干の抵抗がある。でも、まあ、いいや。言ってやれ。魔理沙は箱を手渡して言った。
バレンタインよ。いつもありがとう、レミリアお姉様。
可愛らしいバレンタインSS、ご馳走様です!
姉妹が可愛いくて幸せになりましたぜ
氏の魔理沙は髪を染めてるんですね…。
フランの髪との対比としての設定なのかもしれませんが、そこだけ妙な違和感を感じました。
それにしても、素晴らしきかなバレンタイン。
クリスマスのサンタではないですが、バレンタインにもこんな橋渡し役の人がいると面白いですね
つまりはとてもそれっぽいSSだなと感じたわけであります。