ゆるやかに水が流れる川辺に、その女性は居た。小さな渡舟が結わえ付けられた桟橋に座し、釣り糸を垂らしている。
赤い癖毛を側頭に二つ結わえ、白色の半袖襯衣と、青色の袷の有る着流しのようなものを身に着けている。その顔は釣りを楽しむに相応しい穏やかな顔をしている。釣り糸を垂らす手の傍らには、草刈りと言う本来の用途には使えないほどの、大きな鎌が立てかけてある。胡座をかき、釣竿を時偶思い出したように動かす以外は、目立った動きがない。川の流れと同じく、ゆるやかな時が流れているようだ。
ぴくり、赤髪の女性が釣り糸の先から、目線を上げる。何かに気づいた様子で、口を開いた。
「珍しいですね四季様。こんな所に居らっしゃるなんて。別に仕事をさぼってる訳じゃないですよ。単に客が居ないもんだから開店休業中なだけで。大方、そちらの方にも仕事が無いもんだから、暇潰しがてらあたいの仕事を監視しにきた、って所ですかい?」
がさり、と叢から、赤髪の女性より少し低いくらいの体格か、女性が姿を現す。肩口で揃えた緑色の髪の内、向かって右側の一房だけを長く垂らしている。その髪の上には深い藍色の帽子に紅白のリボンが付けられている。紅白のリボンは、女性の着ている長袖の襯衣を絞るように結わえ付けられ、どうにも動きづらそうだ。帽子と同じ色のベストを纏い、膝小僧が見えるくらいの短いスカート。左手に笏のようなものを持っている。整った顔立ちをしているのだが、凛とした表情が其れを隠すようで、可愛らしいと言う印象は受けない。
「よくよく分かっているようですね、小町。まあ、見たところ死者は居ないようですし、大体貴女は、こんな見付かりやすい所で油を売る様な人間じゃないでしょう」
「全くその通り。今日は珍しく仕事にやる気を出したってえのに、そんな日に限ってこの有様だ。態々仕事場まで来たもんだからと客を待てど、一向にやってくる気配もない。仕様がないからこうして釣り糸なんぞを垂らしてる訳で。いやはや、それはともあれ中々釣れないもんですな。こんなだだっ広い川なんだから、魚位入れ食い状態になったって構やしないのに」
べらべらと流れるような調子で、小町と呼ばれた女性は言葉を発する。
「只でさえお給金の少ない渡し稼業だ。釣りをしてる時くらい、日々の糧になれ、今宵の晩酌の肴になれよっ、と」
引きを感じたか、小町は釣竿を手繰り上げる、がどうにも硬い手応えの。根掛かりを起こしているようだ。
「まあ、仕事場に居るだけで、貴女にしてはよくやっていますと言いたい所だけど。ほら川の向こう、お客人みたいですよ」
根掛かりを起こした釣具に悪戦苦闘していた手を止め、水面の遥か彼方へ目をやれば、対岸にはゆらゆらと幽かに見える、人の影。小町は、ようやっと今日初めての渡しが出来る、と呟き、また根掛かりを外し始めた。
「ああそうだ四季様。丁度いい機会ですから、いっちょあたいの渡しに乗ってみては如何です? 仕事内容の監視が目的なら、全くいい塩梅でしょう」
ふい、と四季――四季映姫と呼ばれる女性は、考える素振り。別段断る理由はないが、暇潰しにほいほい誘いに乗っては、上司としての矜持に関わる。上手い言い訳は無いものかと頭を巡らすが、暇潰しに来ているのは周知だし、言い訳をするのは沽券に関わる。まあ仕方ない、と言った雰囲気を漂わせつ、口を開いた。
「良いでしょう。貴女がそんなに自信たっぷりに私を船に乗せると言うならば、どれほど完璧な仕事ぶりを魅せつけてくれるのか、楽しみにすることにします」
小町はぺろりと舌を出し、藪蛇だったか、とごちる。くい、と釣竿を引くと、根掛かりを起こしていた釣り針がようやくとれた。
「ま、口に出しちまったもんは仕様がない。精々確りお仕事に励むことにしますよ。……おや、餌が取られていやがる。意外な大物が、掛かっていたやもしれませんね」
ぎい、ぎいこ。小町の操る櫂の音が響き渡る。水面は穏やかで、水面を滑る渡舟の周り以外は、漣の一つもない。
「小町、貴女、もっと早く向こうに着けるんじゃなくて?」
「まあ、そうですね。此れ位なら数じゃないですな」
「渡しを待っている物が居るのでしょう。早く行きなさいな」
「いやあね、こんな凪に船を操るのは久々でして。ほら、櫂を止めると物音一つ聞こえやしない。こんな極上の空間なのに、早く行けなんて無粋も過ぎるってもんですぜ」
はあ、と溜息を吐き、映姫は頭を抱える。名目上とは言え、監視としてこの船に乗っている自分を忘れているのか。仕事の最中だってのに、そんなこと。
「どうなすりました四季様? 水気にでも当たりましたかい」
「水気に当たったのなら、ここを離れれば頭痛も収まるでしょうけど。そうもいかないみたいでね」
皮肉を言えど、小町の表情何処吹く風で。その後ものんびりと櫂を漕ぎながら、対岸へと船を寄せた。
「さあさお客人、乗った乗った。ようこそ、三途の川の、渡舟へ」
三途の川とはなんとも悪趣味な名前かと。明るい口調で言う、小町の言葉こそ冗談だと思えたが、渡しに乗ってきたお客人とやらの姿を見れば、それが真であると分かるだろう。その客人は、形こそなんとか人の姿型どっていたけれど、その実態は朧げな、よくよく見てみれば向こうの景色が透けて見える。ふわりと船に足を掛けれども、水面に波も立ちはしない。成程、陰気漂うその客人、幽霊というに相応しい。
「三途の川は知ってるね。そう、生死の境目、その川だ。あたいは其れの渡し守、別段鎌に怯えなくたっていい。あんたを狩るよな真似はしない。それじゃ渡しをする前に、三途の川の六文銭、きっちり払って……って、あんた文無しかい。人が格好良く決めようとしたのに」
するりするり、流暢に口上を並べ立てるも、相手が素寒貧と知るや小町は意気消沈。諦観した様子で言葉を続ける。
「あたいに服を奪う趣味は無いしなあ。しっかし、今の御時世、銭も持たずにこっちへ来るなんて珍しい。ははあ、さてはあんた、不義な死に方をなすったね? 道道の品を渡されず、焼かれたか埋められたか。そういう事なら仕方がない。あたいに任せておきな。向こう岸までしっかり渡してやるよ」
「……小町、貴女、確かに物言えない死者が相手の商売だけど、いつもそんな調子で捲し立ててるの?」
「ええ、まあそうですね。ほら、只でさえおっ死んじまって、娑婆から此方へ来て、これから閻魔様の前に引っ立てられる訳でしょう。それならせめてあたい位、独り身で寂しく旅をしてきたお客人を楽しませてやっても、罰は当たらないんじゃないですかね」
小町は幽霊の方へ向き直る。
「この可憐な同船者の事はお気になさるな。見るもんも特に無い渡しの中での清涼剤と思ってくだすれば結構。まあ、余りに色目を使い過ぎると、ちと良くないことが起こるやもしれんがね。よし、そいじゃ出港だ。天気晴朗、波も無し。進路ようそろ、それゆけ小町号――!」
まるで大型の船の如く、威勢を発して櫂を動かし始める小町嬢。三人だけの船路に、何を言ってるんだか、と苦笑する映姫。茫洋として、感情がわからぬ幽霊はいつもの事。それを楽しませるためにこんなことを毎回しているのなら、まあ仕事ぶりは悪くないかしら、と映姫は考えた。
船を出してからも小町の口は閉じず。幽霊が喋れぬなら自分がその分喋ってやろう、と言わんばかりに言葉を発する。
「いやあね、お客人、実はあんたが今日初めての客なんだよ。昔は疫病やらなんやらで結構な繁盛をしていたんだがね、向こうに優秀な薬師が来たんだってな。その御蔭か知らんが、最近はめっきり客が減っちまった。あたいとしては日がな一日のんびり過ごせるのは嬉しいんだが、おまんまの食い上げになるのは参っちまう。あんたに愚痴っても、仕方ないんだがね。
そうそう、あんた釣りはやるかい? あたいは結構好きな方なんだが、今日はとんと釣れやしない。客も居ないし魚も釣れない。全く駄目な日にゃとことん駄目だと思っていたが、あんたが来たから、もしかしたら釣りの方も上手く行くかもしれんね」
よくここまで言葉が続くものだと映姫は感心する。映姫自身、説教を行うのは好きどころか、日常の中に組み込まれているので、話をするのが嫌いな訳ではない。しかし、説教とは教え、説くべきものがあって行えるものである。目的もなくだらだら喋り続けるのは、余り得意な方ではなかった。
「実はここだけの話、三途の川ってのはその者が生前行なってきた事によってその道行が変わるんだ。よっぽどの極悪人でも無い限り、あたいは無駄に道行を伸ばしたりはしないけどね。その点、あんたは不幸な状況で死んだみたいだから、小町さんがおまけしてやったよ。ほら、もう向こう岸に到着だっ、と」
小町の話に気を取られていて、映姫もこうまで早く対岸が迫っていることに気が付かなかった。やれやれ、着いてしまったなら仕方がない。もう少し小町の話、聞いてもいいかなと思えてきた所なのに。
「着きましたか。では、貴方、ここから先は閻魔である私、四季映姫・ヤマザナドゥがご案内しましょう。裁きは白黒はっきり、公平に行いますのでご心配なく」
幽霊は、まさか同船していた少女が閻魔とは思いもしなかったであろう、の、表情からは推察出来ないが、そんな感情を、映姫は汲みとった。
幽霊を連れ、映姫は叢の向こうへ消えてゆく。小町は其れを見るとも無しに見送った後、また釣り糸を垂らした。
小町が渡しを終えてから数刻後、また映姫が川辺へとやってきた。
「お帰りなさい。勿論さぼってる訳じゃないですよ。ほら対岸を見ても影の一つもない。今日は本格的に閑古鳥が鳴きそうな気配ですな」
「……さっきの幽霊のことは気にならないのかしら。あんなにリップサービスして、気にかけていたみたいだけど」
「あたいは川の渡し守だ。聞いた所でどうしようもないでしょう。四季様なら、はっきりと公平な判断をしてくれるでしょうしね。それよりも晩酌の肴のが重要だ。このままじゃ塩を舐めながら酒を呑むことになっちまいそうで」
くい、と釣竿を操る。
「そうだ、どうです四季様、あたいの船の上は。中々のもんだったでしょう」
「まあ、悪くない仕事ぶりだったと思うわ。少し過剰奉仕な気がしないでもないけど。そんな渡し守が一人くらい居たっていいんじゃないかしら」
「ああ、そうではなくって。四季様は最近、ゆったりとした時間を過ごして居ないようだから、少しでも落ち着いた気分に出来たのなら幸いなんですが。別に人の趣味をとやかく言うつもりは無いですし、たまの休日に幻想郷へ行って、説教を垂れるのも良いんですがね。こんなぽっかり空いた時間なんだ。何もせずにのんびり過ごすのも、悪くないもんでしょう」
小町の言葉を聞いて、映姫は目をぱちくり。そんな心遣いの元、自分を船へ誘ったのか。驚きとともに、さぼり癖の有るだけだと思っていた部下が、自分のことを気にかけてくれているのが嬉しくて。
「そうね。いい時間を過ごさせてもらったと思うわ。でもまた、仕事が終わってしまったのよね。今度はどんな時間を与えてくれるのかしら」
凛とした顔から、柔和な顔へと表情を変え、少し驚きの表情を見せた小町の横へと座る。
「釣りも面白そうね。どうかしら、今度は釣りを教えてくださる?」
「ええ、勿論。四季様がこんな顔をなさるなんて、驚いちまった。ほら、こう釣竿を持って、くいくいと――」
小町から渡された竿には、確かな手応え。丁度魚が食いついたようだ。
「小町、魚が食いついたようです。どうすれば」
「おお、あたいがやってる時は全く掛からなかったのに。こう、針を引っ掛けて、ぐっと引き上げるんです」
力を込めて、引き上げた糸の先には、立派な魚が一尾。初めて釣り上げた魚を抱え、映姫は満面の笑みを浮かべた。
川辺には、ゆるやかな時間が流れている。
赤い癖毛を側頭に二つ結わえ、白色の半袖襯衣と、青色の袷の有る着流しのようなものを身に着けている。その顔は釣りを楽しむに相応しい穏やかな顔をしている。釣り糸を垂らす手の傍らには、草刈りと言う本来の用途には使えないほどの、大きな鎌が立てかけてある。胡座をかき、釣竿を時偶思い出したように動かす以外は、目立った動きがない。川の流れと同じく、ゆるやかな時が流れているようだ。
ぴくり、赤髪の女性が釣り糸の先から、目線を上げる。何かに気づいた様子で、口を開いた。
「珍しいですね四季様。こんな所に居らっしゃるなんて。別に仕事をさぼってる訳じゃないですよ。単に客が居ないもんだから開店休業中なだけで。大方、そちらの方にも仕事が無いもんだから、暇潰しがてらあたいの仕事を監視しにきた、って所ですかい?」
がさり、と叢から、赤髪の女性より少し低いくらいの体格か、女性が姿を現す。肩口で揃えた緑色の髪の内、向かって右側の一房だけを長く垂らしている。その髪の上には深い藍色の帽子に紅白のリボンが付けられている。紅白のリボンは、女性の着ている長袖の襯衣を絞るように結わえ付けられ、どうにも動きづらそうだ。帽子と同じ色のベストを纏い、膝小僧が見えるくらいの短いスカート。左手に笏のようなものを持っている。整った顔立ちをしているのだが、凛とした表情が其れを隠すようで、可愛らしいと言う印象は受けない。
「よくよく分かっているようですね、小町。まあ、見たところ死者は居ないようですし、大体貴女は、こんな見付かりやすい所で油を売る様な人間じゃないでしょう」
「全くその通り。今日は珍しく仕事にやる気を出したってえのに、そんな日に限ってこの有様だ。態々仕事場まで来たもんだからと客を待てど、一向にやってくる気配もない。仕様がないからこうして釣り糸なんぞを垂らしてる訳で。いやはや、それはともあれ中々釣れないもんですな。こんなだだっ広い川なんだから、魚位入れ食い状態になったって構やしないのに」
べらべらと流れるような調子で、小町と呼ばれた女性は言葉を発する。
「只でさえお給金の少ない渡し稼業だ。釣りをしてる時くらい、日々の糧になれ、今宵の晩酌の肴になれよっ、と」
引きを感じたか、小町は釣竿を手繰り上げる、がどうにも硬い手応えの。根掛かりを起こしているようだ。
「まあ、仕事場に居るだけで、貴女にしてはよくやっていますと言いたい所だけど。ほら川の向こう、お客人みたいですよ」
根掛かりを起こした釣具に悪戦苦闘していた手を止め、水面の遥か彼方へ目をやれば、対岸にはゆらゆらと幽かに見える、人の影。小町は、ようやっと今日初めての渡しが出来る、と呟き、また根掛かりを外し始めた。
「ああそうだ四季様。丁度いい機会ですから、いっちょあたいの渡しに乗ってみては如何です? 仕事内容の監視が目的なら、全くいい塩梅でしょう」
ふい、と四季――四季映姫と呼ばれる女性は、考える素振り。別段断る理由はないが、暇潰しにほいほい誘いに乗っては、上司としての矜持に関わる。上手い言い訳は無いものかと頭を巡らすが、暇潰しに来ているのは周知だし、言い訳をするのは沽券に関わる。まあ仕方ない、と言った雰囲気を漂わせつ、口を開いた。
「良いでしょう。貴女がそんなに自信たっぷりに私を船に乗せると言うならば、どれほど完璧な仕事ぶりを魅せつけてくれるのか、楽しみにすることにします」
小町はぺろりと舌を出し、藪蛇だったか、とごちる。くい、と釣竿を引くと、根掛かりを起こしていた釣り針がようやくとれた。
「ま、口に出しちまったもんは仕様がない。精々確りお仕事に励むことにしますよ。……おや、餌が取られていやがる。意外な大物が、掛かっていたやもしれませんね」
ぎい、ぎいこ。小町の操る櫂の音が響き渡る。水面は穏やかで、水面を滑る渡舟の周り以外は、漣の一つもない。
「小町、貴女、もっと早く向こうに着けるんじゃなくて?」
「まあ、そうですね。此れ位なら数じゃないですな」
「渡しを待っている物が居るのでしょう。早く行きなさいな」
「いやあね、こんな凪に船を操るのは久々でして。ほら、櫂を止めると物音一つ聞こえやしない。こんな極上の空間なのに、早く行けなんて無粋も過ぎるってもんですぜ」
はあ、と溜息を吐き、映姫は頭を抱える。名目上とは言え、監視としてこの船に乗っている自分を忘れているのか。仕事の最中だってのに、そんなこと。
「どうなすりました四季様? 水気にでも当たりましたかい」
「水気に当たったのなら、ここを離れれば頭痛も収まるでしょうけど。そうもいかないみたいでね」
皮肉を言えど、小町の表情何処吹く風で。その後ものんびりと櫂を漕ぎながら、対岸へと船を寄せた。
「さあさお客人、乗った乗った。ようこそ、三途の川の、渡舟へ」
三途の川とはなんとも悪趣味な名前かと。明るい口調で言う、小町の言葉こそ冗談だと思えたが、渡しに乗ってきたお客人とやらの姿を見れば、それが真であると分かるだろう。その客人は、形こそなんとか人の姿型どっていたけれど、その実態は朧げな、よくよく見てみれば向こうの景色が透けて見える。ふわりと船に足を掛けれども、水面に波も立ちはしない。成程、陰気漂うその客人、幽霊というに相応しい。
「三途の川は知ってるね。そう、生死の境目、その川だ。あたいは其れの渡し守、別段鎌に怯えなくたっていい。あんたを狩るよな真似はしない。それじゃ渡しをする前に、三途の川の六文銭、きっちり払って……って、あんた文無しかい。人が格好良く決めようとしたのに」
するりするり、流暢に口上を並べ立てるも、相手が素寒貧と知るや小町は意気消沈。諦観した様子で言葉を続ける。
「あたいに服を奪う趣味は無いしなあ。しっかし、今の御時世、銭も持たずにこっちへ来るなんて珍しい。ははあ、さてはあんた、不義な死に方をなすったね? 道道の品を渡されず、焼かれたか埋められたか。そういう事なら仕方がない。あたいに任せておきな。向こう岸までしっかり渡してやるよ」
「……小町、貴女、確かに物言えない死者が相手の商売だけど、いつもそんな調子で捲し立ててるの?」
「ええ、まあそうですね。ほら、只でさえおっ死んじまって、娑婆から此方へ来て、これから閻魔様の前に引っ立てられる訳でしょう。それならせめてあたい位、独り身で寂しく旅をしてきたお客人を楽しませてやっても、罰は当たらないんじゃないですかね」
小町は幽霊の方へ向き直る。
「この可憐な同船者の事はお気になさるな。見るもんも特に無い渡しの中での清涼剤と思ってくだすれば結構。まあ、余りに色目を使い過ぎると、ちと良くないことが起こるやもしれんがね。よし、そいじゃ出港だ。天気晴朗、波も無し。進路ようそろ、それゆけ小町号――!」
まるで大型の船の如く、威勢を発して櫂を動かし始める小町嬢。三人だけの船路に、何を言ってるんだか、と苦笑する映姫。茫洋として、感情がわからぬ幽霊はいつもの事。それを楽しませるためにこんなことを毎回しているのなら、まあ仕事ぶりは悪くないかしら、と映姫は考えた。
船を出してからも小町の口は閉じず。幽霊が喋れぬなら自分がその分喋ってやろう、と言わんばかりに言葉を発する。
「いやあね、お客人、実はあんたが今日初めての客なんだよ。昔は疫病やらなんやらで結構な繁盛をしていたんだがね、向こうに優秀な薬師が来たんだってな。その御蔭か知らんが、最近はめっきり客が減っちまった。あたいとしては日がな一日のんびり過ごせるのは嬉しいんだが、おまんまの食い上げになるのは参っちまう。あんたに愚痴っても、仕方ないんだがね。
そうそう、あんた釣りはやるかい? あたいは結構好きな方なんだが、今日はとんと釣れやしない。客も居ないし魚も釣れない。全く駄目な日にゃとことん駄目だと思っていたが、あんたが来たから、もしかしたら釣りの方も上手く行くかもしれんね」
よくここまで言葉が続くものだと映姫は感心する。映姫自身、説教を行うのは好きどころか、日常の中に組み込まれているので、話をするのが嫌いな訳ではない。しかし、説教とは教え、説くべきものがあって行えるものである。目的もなくだらだら喋り続けるのは、余り得意な方ではなかった。
「実はここだけの話、三途の川ってのはその者が生前行なってきた事によってその道行が変わるんだ。よっぽどの極悪人でも無い限り、あたいは無駄に道行を伸ばしたりはしないけどね。その点、あんたは不幸な状況で死んだみたいだから、小町さんがおまけしてやったよ。ほら、もう向こう岸に到着だっ、と」
小町の話に気を取られていて、映姫もこうまで早く対岸が迫っていることに気が付かなかった。やれやれ、着いてしまったなら仕方がない。もう少し小町の話、聞いてもいいかなと思えてきた所なのに。
「着きましたか。では、貴方、ここから先は閻魔である私、四季映姫・ヤマザナドゥがご案内しましょう。裁きは白黒はっきり、公平に行いますのでご心配なく」
幽霊は、まさか同船していた少女が閻魔とは思いもしなかったであろう、の、表情からは推察出来ないが、そんな感情を、映姫は汲みとった。
幽霊を連れ、映姫は叢の向こうへ消えてゆく。小町は其れを見るとも無しに見送った後、また釣り糸を垂らした。
小町が渡しを終えてから数刻後、また映姫が川辺へとやってきた。
「お帰りなさい。勿論さぼってる訳じゃないですよ。ほら対岸を見ても影の一つもない。今日は本格的に閑古鳥が鳴きそうな気配ですな」
「……さっきの幽霊のことは気にならないのかしら。あんなにリップサービスして、気にかけていたみたいだけど」
「あたいは川の渡し守だ。聞いた所でどうしようもないでしょう。四季様なら、はっきりと公平な判断をしてくれるでしょうしね。それよりも晩酌の肴のが重要だ。このままじゃ塩を舐めながら酒を呑むことになっちまいそうで」
くい、と釣竿を操る。
「そうだ、どうです四季様、あたいの船の上は。中々のもんだったでしょう」
「まあ、悪くない仕事ぶりだったと思うわ。少し過剰奉仕な気がしないでもないけど。そんな渡し守が一人くらい居たっていいんじゃないかしら」
「ああ、そうではなくって。四季様は最近、ゆったりとした時間を過ごして居ないようだから、少しでも落ち着いた気分に出来たのなら幸いなんですが。別に人の趣味をとやかく言うつもりは無いですし、たまの休日に幻想郷へ行って、説教を垂れるのも良いんですがね。こんなぽっかり空いた時間なんだ。何もせずにのんびり過ごすのも、悪くないもんでしょう」
小町の言葉を聞いて、映姫は目をぱちくり。そんな心遣いの元、自分を船へ誘ったのか。驚きとともに、さぼり癖の有るだけだと思っていた部下が、自分のことを気にかけてくれているのが嬉しくて。
「そうね。いい時間を過ごさせてもらったと思うわ。でもまた、仕事が終わってしまったのよね。今度はどんな時間を与えてくれるのかしら」
凛とした顔から、柔和な顔へと表情を変え、少し驚きの表情を見せた小町の横へと座る。
「釣りも面白そうね。どうかしら、今度は釣りを教えてくださる?」
「ええ、勿論。四季様がこんな顔をなさるなんて、驚いちまった。ほら、こう釣竿を持って、くいくいと――」
小町から渡された竿には、確かな手応え。丁度魚が食いついたようだ。
「小町、魚が食いついたようです。どうすれば」
「おお、あたいがやってる時は全く掛からなかったのに。こう、針を引っ掛けて、ぐっと引き上げるんです」
力を込めて、引き上げた糸の先には、立派な魚が一尾。初めて釣り上げた魚を抱え、映姫は満面の笑みを浮かべた。
川辺には、ゆるやかな時間が流れている。
和むねえ、良い雰囲気だわ。
>>の表情からは推察出来ないが
その表情からは
コメント、評価共にありがとうございます。
脱字の報告ですが、これは あろう、の とかかって書いたつもりなので脱字ではありません。
分かり辛かったようなので、読点と付けておきました。わざわざのご報告、感謝致します。
けれど、小町の四季様への信頼と、四季様の小町への信頼(再発見)が
伺える関係、感じられる雰囲気の素敵なお話でした。
こうしたお話が拝読できてよかったです。
10様の言うように、二人の距離感が絶妙ですね。
なんか粋で