一応前作の続きという形で書いてますが、読んでなくても問題ない程度だと思います。もしよろしければ前作の方もどうぞ!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「お邪魔しまーす」
僅かな軋みを響かせながら扉が私の体を家の中へと招き入れる。招き入れると言っても私はこの家の住人でもなければ、招かれたわけでもない。世間一般で言うところの不法侵入中なわけであるが、何かを盗んでやろうとかそんな気は毛頭無い。あるのは悪戯心と、ほんの少しの下心だけである。
家主も私のこの行為に呆れはすれど怒ることはないので、私もそれに甘えてこの行為を続けているというわけだ。
「いっそ責められた方が、いいのかもしれませんね」
今の私と彼女の関係は上司と部下、不法侵入者と被不法侵入者。それ以上でも以下でもないだろう。友達、というには二人の間には溝がある。やはりどこか超えがたい壁を感じるのだ、それは種族的な問題か立場的な問題か問われればそうでもあるし違うとも言える。勝手に私が感じているだけという可能性も否めないが。
ともあれ私たちはずっとこの微妙な関係を続けている。それが不満かというとそういうわけでもないのだが、今より先に進みたい、その気持ちがないわけでもない。ただ長らくこの距離感であったため今更何をすればいいのか、という状況であったりはする。こういうことを同僚のはたてあたりに相談すると「本当に……ヘタレね」と心底呆れた顔で言われるので多分私に非があるのだろうけど。
「もう……椛のばーか」
だからといって素直になれるならこんなことで悩んでないのである。ぶつけようのない思いを抱き、持て余し、結局は本人のいないところで責任転嫁して吐き出す。救いようがないとはこのことか。本人のいないところでも素直になれない辺り自分でも色々とダメだなぁと反省はするのだが。自分から動かないときっかけなんて坐して待つものでもないのは分かってる。これもヘタレと言われる所以か。
「誰が、馬鹿ですって?」
だから奥の居間から彼女の、椛の声が聞こえてきたときは心底驚いた。比喩ではなく口から心臓が飛び出るかと思ったほどだ。普段の彼女ならとっくに哨戒任務に出ている時間だったので油断した、休みだったのだろうか。
「椛!?」
そんなことを思いつつ、非常に焦りながら奥の居間に入るとそこはいつもと違った雰囲気であった。家具の配置、部屋の温度、そして室内に漂う空気。何もかもが澱みのようなものを発していた。
「あまり大声を出さないでくださいよ……頭に響きます」
なんてことはない、椛が寝込んでいたのである。
***
「いつから寝込んでるんですか」
「三日前、ですかね。隊の子が様子見に来たのが昨日なので」
やや抵抗する素振りを見せた椛を半ば強引に押さえつけるような形で彼女の体を拭いてやりながら数日間の様子を聞いてみた。彼女の哨戒任務は数人で隊を組んで行うので、無断欠勤した彼女を心配して見に来てくれたのだろう。
しかし、白磁のような肌を熱で紅潮させ、その慎ましい胸を手で隠しながら縮こまる姿はとても精神的にくるものがある。普段なら冗談でも飛ばしながら弄り倒して反応を楽しむところだが、さすがにこの状況でそれをするほど空気の読めない女ではない。
「三日、ですか……」
妖怪の在り方は精神に拠るところが大きいというのは有名な話であるが、白狼天狗である椛もその例には漏れないわけで。つまり彼女が三日という割と長い期間寝込むということは何かしらの心配事を抱えているということを示しているのだが。
「椛?何か悩みでもありませんか?」
「いえ、何も、ないと思いますよ」
おかしい。普段の椛なら「煩い上司が悩みの種ですね」くらいの厭味が飛んでくる場面なのだがそれがない。体調の悪さを加味しても返答の歯切れの悪さも踏まえると何かを隠しているのだろう。
「そうですか。ならいいのですが……はい、拭き終わりましたよ。冷えない内に羽織って布団に入ってくださいね」
敢えて深く追求することもないだろうと思い、それ以上の詮索はしないことにした。椛が寝間着に着替えるのを見届けて居間を後にする。
「帰られるのですか?」
帰るわけがないだろう。可愛い部下が寝込んでいるのにこんな中途半端な看病で放り出して行くわけがない。普段は強がっているくせにこういう時だけは弱いところを見せるんだから……本当にずるい、これ以上好きにさせてどうするつもりなのか。
「殆ど食べてないのでしょう?お粥でも作ってきますから少し寝ててください」
「……はいっ」
この時の椛の表情は敢えて見なかったが、私には手に取るように伝わってきて、それがどうしようもなく嬉しかった。
***
「はい、できましたよーっと……あやや」
土鍋を手に居間に戻ってきたときには椛はすやすやと安らかな寝息を立てていた。熱も低くないはずではあったが、魘されることもなくよく眠っている。この調子で良くなってくれるといいのだが。
取りあえず土鍋をちゃぶ台の上に置いて寝顔観察でもしようか。
「こうしてみると幼子のような寝顔ですねぇ」
無垢な寝顔と言ったらいいのだろうか。普段私に対する表情は呆れ、渋面、怒りが殆どでたまに恥じらいが出る程度なのでこうした顔を見ることは貴重である。元から幼い顔つきをしているが、寝顔はそれに輪をかけてあどけなかった。なんとなく頬をつついてみたい衝動に駆られたが、起こしては悪いので自重する。
「ん、んん……」
と言っていたら気配で目を覚ましたようだ。未だ半覚醒といった様子で、とろんとした目つきで辺りを見回し、少し廻ってから私に焦点が合う。
「ふあ、あや……さん?」
何これ可愛い。普段毒ばかり吐くのと同じ口とは思えないほど可愛らしい。いや、毒を吐いてる椛も可愛いのだけれどまたこれは別である。ここで私は普段では絶対に言わないような、椛が寝ぼけてる今しか言えないようなことを口に出してみる。
「そうですよー、椛の大好きな文さんですよー」
言った後に激しく後悔した。いくら冗談めかして言っても恥ずかしい、死にたくなってきた。なんでこんな恥ずかしいことを言おうと思ったのか、数秒前の自分を小一時間問い詰めたいくらいである。
「あやさんだー、えへへ」
前言撤回。可愛すぎてやばい、主に鼻血的な意味で。笑顔というだけでも希少なのに、それが自分に向けられているという状況が信じられなかった。このままここにいると熱と寝起きの影響で幼児退行起こしている椛にやられてしまいそうなので、自分の高ぶりを鎮める意味でも一度離れた方が良さそうだ。ということで少し居間を後にして、そういえば用意してなかった濡らした手拭いでも準備することにした。
「戻りましたよ」
「あ、ちょっと寝てしまっていたみたいで、すいません」
桶に水を張り、新しい手拭いを縁にかけて戻ると椛が半身を起こしていた。すっかり覚醒したようで口調もしっかりとしたものになっている。先ほどのことは覚えていないようだ、少し残念なような、ホッとしたような複雑な心境である。
「いいんですよ、ちゃんと寝た方が治りもいいでしょうし。食欲はありますか?」
「少し、ですかね」
「少しでもあるなら十分ですよ」
言いつつ土鍋の蓋を開ける。そこには会心の出来の梅粥が湯気を立てていた。病人の舌を考慮して薄めの味付けにもしてあるので味の方も問題ないはずだ。
しかしここで私の前に難題が立ちはだかる。難題といってもただの二者択一、要するに“あーん”をするかどうかという問題である。今私の手に握られている匙を椛に手渡せば彼女は自分でお粥を掬って食べるだろう。それがいつもの私たちであり、ベターな選択ではあると思う。
しかしそれではいつも通り、ここに来た時に私は何を思っただろうか。きっかけは自分で作らなければいつまで経っても向こうからやってきてはくれないのだ。ここで勇気を出して少し素直な自分を出してみてもいいのではないだろうか。……これ以上はたてに「ヘタレ乙」と言われるのも癪だし。
「あの、文さん?」
匙を片手に固まってしまった私を心配してか、椛が気遣わしげに声をかけてきた。ダメだ、気を遣わないといけない相手に逆に気を遣わせてしまっている。自分はどこまでヘタレなのか。この一言が私の背中を最後に一押しした。
「椛、あ、あーん……」
「うえぇ!?」
やめて。そんなこいつ熱でもあるんじゃないか?あぁそれは私の方か。だとしたらこれは夢?でもさっき起きたばかりだし、もしやこれは起きたところが夢とかいう二重夢オチ?みたいな表情をしないでほしい。あなたは思ってることがそのまま表情に出るのだから。それが美点でもあるのだけど、今に限っては私の心を抉るナイフにしかならない。
「ほら、椛は熱でふらふらしてますし!?折角作ったお粥を布団の上にこぼされても困るので私が直接食べさせてあげようかと!」
とは言ってもここまでが限界だ。いつもなら思考と言葉が直結して回る回る口車も思考という支えを失って空回りしている。勢いに任せた理由とも言い訳ともつかない主張で強引に押し切って匙を椛の前に差し出す。
「そ、そういうことなら……お願いします」
ここで拒絶されたら恥ずかしさで本格的に窓から飛び去ってやる算段だったがそんな事態にはならずに済んだようだ。安心したのもつかの間、私を襲うのは妙な気恥ずかしさ。誰が聞いても建前にしか聞こえない理由では自分を騙す論理武装にすらならない。今から椛に自分の意志であーんをしてあげるという行為を自覚すると心が折れそうになるが、戻りそうになる右腕をなんとか前に向けて進めることに成功した。
「あ、あーん」
「ん……」
餌を待つ雛鳥のように目を閉じて口を開いている椛の口内に梅粥を掬った匙を入れてやる。どうでもいいけど目を閉じているせいで、その、接吻を待つような表情になっているのは嬉しい誤算というか生殺しというか……。
「どうですか?」
「美味しいですよ、すごく。ちょっと意外でしたが」
美味しいなんて簡単な言葉だったが、椛に言われるだけで私にとってはどんな褒め言葉よりも効果絶大だった。きっと今の私は自然と綻ぶ顔を必死で繋ぎとめようとして変な表情になってるに違いない。
「一言余計ですよ。まだ、食べられますか?」
「はい、いただきます」
それから数分間、土鍋の中身が半分ほど無くなるまで私はこの恥ずかしさと嬉しさの混じった感情はなんて呼ばれるものなのか考えつつ、椛への餌付けを続けた。
***
「ごちそうさまでした、満足です」
「それは良かった。まだ残ってるのでお腹が空いたら温め直して食べて下さいね」
「はい、ありがとうございます」
お粥を半分平らげた椛は心なしか眠そうな目をしていた。身体が休息を求めているのだろう、朝見た時よりも心なしか顔色も良くなってきているし、確実に快方に向かっているようだ。
「眠いですか?また寝ても大丈夫ですよ」
「ん……そうさせてもらいますね」
起こしていた身体を再び布団へと沈めた椛に掛布団をかけてやって、固く絞った濡れ手拭いを額に乗せてやる。私が出来るのはこれくらいだろうか、看病の経験も知識もそこまであるわけではないがそこまで間違ったことはしてない、はずだ。
「ふわ……気持ちいいです」
「ふふ、また夜になったら様子を見に来るのでそれまで寝て大人しくしてるんですよ」
この様子ならすぐにでも寝入るだろうし、私は退散することにしよう。これ以上出来ることもないし、これ以上いると精神的に色々とやばい。夜になったら竹林の永遠亭から薬でも貰ってきて何か栄養のつくものも一緒に持ってくればいいだろう。
「では、私は一旦戻ります、ね」
そう言って立ち上がりかけた私の裾を椛の手が掴む。決して強くはない力、しかしそれは私にとって何よりも抗いがたい魔力を秘めた手であった。
「すいません、文さん。一つだけ我が儘を言わせてください」
「……どうしました?」
「その……傍に、あ、いえ、やっぱり大丈夫でした、あはは」
……明らかに無理をして作った笑みに嘘くさい笑い声をあげられても全然大丈夫に聞こえませんよ。
いくら私でも椛が言いかけた言葉は分かる。全く……寂しいときくらい頼ってくれても、素直になってくれてもいいのに。私が言えた義理ではないのかもしれないけど、この子だって相当な頑固者だ。
「椛」
「あ、はい。すいません、変に引き留めてしまって」
「それはどうでもいいんですよ、いえ、良くはないですが。私が言いたいのはですね、」
さっきまでの自分なら躊躇するような言葉も行動も、今なら素直に出来る気がした。意地を張っていた自分が馬鹿らしくなったのだ。私が椛の優しさに甘えきって勝手に意地を張ってる間、この子は何かで悩んでも誰にも相談せずに誰にも甘えられずに溜めこんで。自分の馬鹿さ加減には慣れていたはずだが、ここまで辟易したのも初めてだ。変えなきゃいけない、こんな射命丸文は。そう、きっかけは自分で作るのだ。
だから、私は、彼女を抱きしめた。
「え、えぇ?」
「寂しくなったらいつでも甘えてくださいよ。悲しくなったら私の胸で泣くことを特別に許します。遠慮なんていらないですからね、だって私は、」
布団越しに覆い被さるような不格好な形。でも不器用な私にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。唯一椛の体温を感じる左の頬が熱を帯びていく。果たしてこれは私の熱か、それとも。
―――あなたが好きなんですから。
***
それからの話を少ししよう。
「文さーん」
「はいはい、開いてますよー」
結果から言うと、私の人生の恥ずかしい事件三指に入るあの告白は喜ばしいことに椛に受け入れてもらえた。滅多に見れない椛の号泣というおまけ付きで。
『……遅いですよ、馬鹿文さん』
と漏らしながら抱きしめ返してきた椛の表情は私の脳内フィルムに焼き付けてある。本人にこの事を言うと問答無用で何かしらが飛んでくるのであまり言わないようにしないといけない。たまに言って赤くなった椛を見るのは楽しいので、まったく弄らないということは出来そうにないが。
「もう、出迎えるくらいの甲斐性は見せてくれませんか」
「今は手が離せないんですよ、固いことはいいじゃないですか」
それと椛の病気であるがやはりというか当たり前というか心因性のものだったようだ。あの翌日にはすっかり良くなって哨戒任務に戻っていた。まぁ私と、その、恋仲になった直後に良くなるのだから、その理由も推して知るべしというところで。
「どうせ新聞作りでしょう?私と新聞どちらが大事なんですか」
「うえ!?ちょっと椛、その質問はひどくないですか!?」
ちなみに私たちの仲はもはや妖怪の山の中では周知の事実らしい。スクープの発信源である私自身があまり口外してないのもあって山の外にはまだそこまで広まってはいないらしいが、守矢の風祝に伝わった時点でいずれ幻想郷中の知るところになるだろうことは火を見るより明らかだ。年頃の少女の例に漏れず彼女も色恋沙汰の噂話なんかは大好物だろう。はたてにだけは私から直接伝えた。「リア充氏ね」とだけ言われたがあれは彼女なりのお祝いだったのだろう……そう信じている。
「そこは椛、って即答出来ないと……はぁ、これはお預けですかね」
「嘘です!?椛が一番です、愛してますよ!だからその包みをしまうのはやめて!」
蛇足ではあるが、椛が心労を溜めこんだ時期がなぜ今だったのかも少しして気付いた。私と同じく素直になれない彼女のことだ、渡すかどうか、どういう理由をつけて渡すかなんかを悩みに悩んでしまったに違いない。まだここでは馴染みの薄い文化ではあるためすっかり私も失念していたが。危うく旬なネタを逃すところだった、私もまだまだである。
「どれだけ必死なんですか……仕方ないですね、はいどうぞ」
よし、今日の号外の見出しはこれに決めた。
「文さん、ハッピーバレンタイン、です!」
―――幻想郷に漂う甘い香り、恋の季節、バレンタイン到来!
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「お邪魔しまーす」
僅かな軋みを響かせながら扉が私の体を家の中へと招き入れる。招き入れると言っても私はこの家の住人でもなければ、招かれたわけでもない。世間一般で言うところの不法侵入中なわけであるが、何かを盗んでやろうとかそんな気は毛頭無い。あるのは悪戯心と、ほんの少しの下心だけである。
家主も私のこの行為に呆れはすれど怒ることはないので、私もそれに甘えてこの行為を続けているというわけだ。
「いっそ責められた方が、いいのかもしれませんね」
今の私と彼女の関係は上司と部下、不法侵入者と被不法侵入者。それ以上でも以下でもないだろう。友達、というには二人の間には溝がある。やはりどこか超えがたい壁を感じるのだ、それは種族的な問題か立場的な問題か問われればそうでもあるし違うとも言える。勝手に私が感じているだけという可能性も否めないが。
ともあれ私たちはずっとこの微妙な関係を続けている。それが不満かというとそういうわけでもないのだが、今より先に進みたい、その気持ちがないわけでもない。ただ長らくこの距離感であったため今更何をすればいいのか、という状況であったりはする。こういうことを同僚のはたてあたりに相談すると「本当に……ヘタレね」と心底呆れた顔で言われるので多分私に非があるのだろうけど。
「もう……椛のばーか」
だからといって素直になれるならこんなことで悩んでないのである。ぶつけようのない思いを抱き、持て余し、結局は本人のいないところで責任転嫁して吐き出す。救いようがないとはこのことか。本人のいないところでも素直になれない辺り自分でも色々とダメだなぁと反省はするのだが。自分から動かないときっかけなんて坐して待つものでもないのは分かってる。これもヘタレと言われる所以か。
「誰が、馬鹿ですって?」
だから奥の居間から彼女の、椛の声が聞こえてきたときは心底驚いた。比喩ではなく口から心臓が飛び出るかと思ったほどだ。普段の彼女ならとっくに哨戒任務に出ている時間だったので油断した、休みだったのだろうか。
「椛!?」
そんなことを思いつつ、非常に焦りながら奥の居間に入るとそこはいつもと違った雰囲気であった。家具の配置、部屋の温度、そして室内に漂う空気。何もかもが澱みのようなものを発していた。
「あまり大声を出さないでくださいよ……頭に響きます」
なんてことはない、椛が寝込んでいたのである。
***
「いつから寝込んでるんですか」
「三日前、ですかね。隊の子が様子見に来たのが昨日なので」
やや抵抗する素振りを見せた椛を半ば強引に押さえつけるような形で彼女の体を拭いてやりながら数日間の様子を聞いてみた。彼女の哨戒任務は数人で隊を組んで行うので、無断欠勤した彼女を心配して見に来てくれたのだろう。
しかし、白磁のような肌を熱で紅潮させ、その慎ましい胸を手で隠しながら縮こまる姿はとても精神的にくるものがある。普段なら冗談でも飛ばしながら弄り倒して反応を楽しむところだが、さすがにこの状況でそれをするほど空気の読めない女ではない。
「三日、ですか……」
妖怪の在り方は精神に拠るところが大きいというのは有名な話であるが、白狼天狗である椛もその例には漏れないわけで。つまり彼女が三日という割と長い期間寝込むということは何かしらの心配事を抱えているということを示しているのだが。
「椛?何か悩みでもありませんか?」
「いえ、何も、ないと思いますよ」
おかしい。普段の椛なら「煩い上司が悩みの種ですね」くらいの厭味が飛んでくる場面なのだがそれがない。体調の悪さを加味しても返答の歯切れの悪さも踏まえると何かを隠しているのだろう。
「そうですか。ならいいのですが……はい、拭き終わりましたよ。冷えない内に羽織って布団に入ってくださいね」
敢えて深く追求することもないだろうと思い、それ以上の詮索はしないことにした。椛が寝間着に着替えるのを見届けて居間を後にする。
「帰られるのですか?」
帰るわけがないだろう。可愛い部下が寝込んでいるのにこんな中途半端な看病で放り出して行くわけがない。普段は強がっているくせにこういう時だけは弱いところを見せるんだから……本当にずるい、これ以上好きにさせてどうするつもりなのか。
「殆ど食べてないのでしょう?お粥でも作ってきますから少し寝ててください」
「……はいっ」
この時の椛の表情は敢えて見なかったが、私には手に取るように伝わってきて、それがどうしようもなく嬉しかった。
***
「はい、できましたよーっと……あやや」
土鍋を手に居間に戻ってきたときには椛はすやすやと安らかな寝息を立てていた。熱も低くないはずではあったが、魘されることもなくよく眠っている。この調子で良くなってくれるといいのだが。
取りあえず土鍋をちゃぶ台の上に置いて寝顔観察でもしようか。
「こうしてみると幼子のような寝顔ですねぇ」
無垢な寝顔と言ったらいいのだろうか。普段私に対する表情は呆れ、渋面、怒りが殆どでたまに恥じらいが出る程度なのでこうした顔を見ることは貴重である。元から幼い顔つきをしているが、寝顔はそれに輪をかけてあどけなかった。なんとなく頬をつついてみたい衝動に駆られたが、起こしては悪いので自重する。
「ん、んん……」
と言っていたら気配で目を覚ましたようだ。未だ半覚醒といった様子で、とろんとした目つきで辺りを見回し、少し廻ってから私に焦点が合う。
「ふあ、あや……さん?」
何これ可愛い。普段毒ばかり吐くのと同じ口とは思えないほど可愛らしい。いや、毒を吐いてる椛も可愛いのだけれどまたこれは別である。ここで私は普段では絶対に言わないような、椛が寝ぼけてる今しか言えないようなことを口に出してみる。
「そうですよー、椛の大好きな文さんですよー」
言った後に激しく後悔した。いくら冗談めかして言っても恥ずかしい、死にたくなってきた。なんでこんな恥ずかしいことを言おうと思ったのか、数秒前の自分を小一時間問い詰めたいくらいである。
「あやさんだー、えへへ」
前言撤回。可愛すぎてやばい、主に鼻血的な意味で。笑顔というだけでも希少なのに、それが自分に向けられているという状況が信じられなかった。このままここにいると熱と寝起きの影響で幼児退行起こしている椛にやられてしまいそうなので、自分の高ぶりを鎮める意味でも一度離れた方が良さそうだ。ということで少し居間を後にして、そういえば用意してなかった濡らした手拭いでも準備することにした。
「戻りましたよ」
「あ、ちょっと寝てしまっていたみたいで、すいません」
桶に水を張り、新しい手拭いを縁にかけて戻ると椛が半身を起こしていた。すっかり覚醒したようで口調もしっかりとしたものになっている。先ほどのことは覚えていないようだ、少し残念なような、ホッとしたような複雑な心境である。
「いいんですよ、ちゃんと寝た方が治りもいいでしょうし。食欲はありますか?」
「少し、ですかね」
「少しでもあるなら十分ですよ」
言いつつ土鍋の蓋を開ける。そこには会心の出来の梅粥が湯気を立てていた。病人の舌を考慮して薄めの味付けにもしてあるので味の方も問題ないはずだ。
しかしここで私の前に難題が立ちはだかる。難題といってもただの二者択一、要するに“あーん”をするかどうかという問題である。今私の手に握られている匙を椛に手渡せば彼女は自分でお粥を掬って食べるだろう。それがいつもの私たちであり、ベターな選択ではあると思う。
しかしそれではいつも通り、ここに来た時に私は何を思っただろうか。きっかけは自分で作らなければいつまで経っても向こうからやってきてはくれないのだ。ここで勇気を出して少し素直な自分を出してみてもいいのではないだろうか。……これ以上はたてに「ヘタレ乙」と言われるのも癪だし。
「あの、文さん?」
匙を片手に固まってしまった私を心配してか、椛が気遣わしげに声をかけてきた。ダメだ、気を遣わないといけない相手に逆に気を遣わせてしまっている。自分はどこまでヘタレなのか。この一言が私の背中を最後に一押しした。
「椛、あ、あーん……」
「うえぇ!?」
やめて。そんなこいつ熱でもあるんじゃないか?あぁそれは私の方か。だとしたらこれは夢?でもさっき起きたばかりだし、もしやこれは起きたところが夢とかいう二重夢オチ?みたいな表情をしないでほしい。あなたは思ってることがそのまま表情に出るのだから。それが美点でもあるのだけど、今に限っては私の心を抉るナイフにしかならない。
「ほら、椛は熱でふらふらしてますし!?折角作ったお粥を布団の上にこぼされても困るので私が直接食べさせてあげようかと!」
とは言ってもここまでが限界だ。いつもなら思考と言葉が直結して回る回る口車も思考という支えを失って空回りしている。勢いに任せた理由とも言い訳ともつかない主張で強引に押し切って匙を椛の前に差し出す。
「そ、そういうことなら……お願いします」
ここで拒絶されたら恥ずかしさで本格的に窓から飛び去ってやる算段だったがそんな事態にはならずに済んだようだ。安心したのもつかの間、私を襲うのは妙な気恥ずかしさ。誰が聞いても建前にしか聞こえない理由では自分を騙す論理武装にすらならない。今から椛に自分の意志であーんをしてあげるという行為を自覚すると心が折れそうになるが、戻りそうになる右腕をなんとか前に向けて進めることに成功した。
「あ、あーん」
「ん……」
餌を待つ雛鳥のように目を閉じて口を開いている椛の口内に梅粥を掬った匙を入れてやる。どうでもいいけど目を閉じているせいで、その、接吻を待つような表情になっているのは嬉しい誤算というか生殺しというか……。
「どうですか?」
「美味しいですよ、すごく。ちょっと意外でしたが」
美味しいなんて簡単な言葉だったが、椛に言われるだけで私にとってはどんな褒め言葉よりも効果絶大だった。きっと今の私は自然と綻ぶ顔を必死で繋ぎとめようとして変な表情になってるに違いない。
「一言余計ですよ。まだ、食べられますか?」
「はい、いただきます」
それから数分間、土鍋の中身が半分ほど無くなるまで私はこの恥ずかしさと嬉しさの混じった感情はなんて呼ばれるものなのか考えつつ、椛への餌付けを続けた。
***
「ごちそうさまでした、満足です」
「それは良かった。まだ残ってるのでお腹が空いたら温め直して食べて下さいね」
「はい、ありがとうございます」
お粥を半分平らげた椛は心なしか眠そうな目をしていた。身体が休息を求めているのだろう、朝見た時よりも心なしか顔色も良くなってきているし、確実に快方に向かっているようだ。
「眠いですか?また寝ても大丈夫ですよ」
「ん……そうさせてもらいますね」
起こしていた身体を再び布団へと沈めた椛に掛布団をかけてやって、固く絞った濡れ手拭いを額に乗せてやる。私が出来るのはこれくらいだろうか、看病の経験も知識もそこまであるわけではないがそこまで間違ったことはしてない、はずだ。
「ふわ……気持ちいいです」
「ふふ、また夜になったら様子を見に来るのでそれまで寝て大人しくしてるんですよ」
この様子ならすぐにでも寝入るだろうし、私は退散することにしよう。これ以上出来ることもないし、これ以上いると精神的に色々とやばい。夜になったら竹林の永遠亭から薬でも貰ってきて何か栄養のつくものも一緒に持ってくればいいだろう。
「では、私は一旦戻ります、ね」
そう言って立ち上がりかけた私の裾を椛の手が掴む。決して強くはない力、しかしそれは私にとって何よりも抗いがたい魔力を秘めた手であった。
「すいません、文さん。一つだけ我が儘を言わせてください」
「……どうしました?」
「その……傍に、あ、いえ、やっぱり大丈夫でした、あはは」
……明らかに無理をして作った笑みに嘘くさい笑い声をあげられても全然大丈夫に聞こえませんよ。
いくら私でも椛が言いかけた言葉は分かる。全く……寂しいときくらい頼ってくれても、素直になってくれてもいいのに。私が言えた義理ではないのかもしれないけど、この子だって相当な頑固者だ。
「椛」
「あ、はい。すいません、変に引き留めてしまって」
「それはどうでもいいんですよ、いえ、良くはないですが。私が言いたいのはですね、」
さっきまでの自分なら躊躇するような言葉も行動も、今なら素直に出来る気がした。意地を張っていた自分が馬鹿らしくなったのだ。私が椛の優しさに甘えきって勝手に意地を張ってる間、この子は何かで悩んでも誰にも相談せずに誰にも甘えられずに溜めこんで。自分の馬鹿さ加減には慣れていたはずだが、ここまで辟易したのも初めてだ。変えなきゃいけない、こんな射命丸文は。そう、きっかけは自分で作るのだ。
だから、私は、彼女を抱きしめた。
「え、えぇ?」
「寂しくなったらいつでも甘えてくださいよ。悲しくなったら私の胸で泣くことを特別に許します。遠慮なんていらないですからね、だって私は、」
布団越しに覆い被さるような不格好な形。でも不器用な私にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。唯一椛の体温を感じる左の頬が熱を帯びていく。果たしてこれは私の熱か、それとも。
―――あなたが好きなんですから。
***
それからの話を少ししよう。
「文さーん」
「はいはい、開いてますよー」
結果から言うと、私の人生の恥ずかしい事件三指に入るあの告白は喜ばしいことに椛に受け入れてもらえた。滅多に見れない椛の号泣というおまけ付きで。
『……遅いですよ、馬鹿文さん』
と漏らしながら抱きしめ返してきた椛の表情は私の脳内フィルムに焼き付けてある。本人にこの事を言うと問答無用で何かしらが飛んでくるのであまり言わないようにしないといけない。たまに言って赤くなった椛を見るのは楽しいので、まったく弄らないということは出来そうにないが。
「もう、出迎えるくらいの甲斐性は見せてくれませんか」
「今は手が離せないんですよ、固いことはいいじゃないですか」
それと椛の病気であるがやはりというか当たり前というか心因性のものだったようだ。あの翌日にはすっかり良くなって哨戒任務に戻っていた。まぁ私と、その、恋仲になった直後に良くなるのだから、その理由も推して知るべしというところで。
「どうせ新聞作りでしょう?私と新聞どちらが大事なんですか」
「うえ!?ちょっと椛、その質問はひどくないですか!?」
ちなみに私たちの仲はもはや妖怪の山の中では周知の事実らしい。スクープの発信源である私自身があまり口外してないのもあって山の外にはまだそこまで広まってはいないらしいが、守矢の風祝に伝わった時点でいずれ幻想郷中の知るところになるだろうことは火を見るより明らかだ。年頃の少女の例に漏れず彼女も色恋沙汰の噂話なんかは大好物だろう。はたてにだけは私から直接伝えた。「リア充氏ね」とだけ言われたがあれは彼女なりのお祝いだったのだろう……そう信じている。
「そこは椛、って即答出来ないと……はぁ、これはお預けですかね」
「嘘です!?椛が一番です、愛してますよ!だからその包みをしまうのはやめて!」
蛇足ではあるが、椛が心労を溜めこんだ時期がなぜ今だったのかも少しして気付いた。私と同じく素直になれない彼女のことだ、渡すかどうか、どういう理由をつけて渡すかなんかを悩みに悩んでしまったに違いない。まだここでは馴染みの薄い文化ではあるためすっかり私も失念していたが。危うく旬なネタを逃すところだった、私もまだまだである。
「どれだけ必死なんですか……仕方ないですね、はいどうぞ」
よし、今日の号外の見出しはこれに決めた。
「文さん、ハッピーバレンタイン、です!」
―――幻想郷に漂う甘い香り、恋の季節、バレンタイン到来!
でもこれ、妖怪は恋煩いをしちゃったら高熱出して寝込むってことになると、
1.思い人がヒーローのように看病に現れてくれる
2.別の妖怪が看病に来て新たな恋が始まる
3.誰も看病に来ずそのまま死ぬ。幻想郷は残酷である
って選択肢を迫られることになるよねwww
これからもどんどん投稿してください。
どんどん読みたいので
P.S.椛かわいい~~
ストレートで卒なくまとまってる甘めのあやもみは久々見た気がする
すごくいいとおもう!