タラッタタラリラ、タラッタタラリラ……♪
「うわぁー!!」
いきなりの音楽に目が覚めてしまった。
私は慌ててポケットをまさぐって、音を止めようとする。
携帯の目覚まし機能をセットしていたのだ。
早く止めないと五月蝿い。
まだ鈍い体で携帯を取り出して、目覚ましを止める。
「はぁー、びっくりした。…………んー? 後三十分は大丈夫……むにゃむにゃ」
おやすみなさーい。
ぴったり五分後……。
チャーンチャーンチャンチャチャチャンチャンチャチャチャ……♪
「んー!!」
手に持ったままの携帯からさっきとは別の曲が流れ始める。
ああ、そうだ。
私、朝弱いからいつも目覚ましは二段構えだった。
もう、五月蝿いなぁ!
適当なボタンを押して携帯を止める。
普段聴くとお気に入りの曲でも目覚ましに使うと気分が悪くなる……。
でも、もう携帯に仕込んでおいた目覚ましはない~。
うーん、後一時間はいける。ちょっと遅刻するけど……まぁいいやぁ~。
おやすみー。
「どうしたの!?」
「んんー!?」
慌てて部屋に入ってきたのは……ええと……十六夜さん?
こんな朝早くからどうしたんだろぅ。
「何があったの?」
「……うー、何かありましたか?」
「私が聞いてるんだけど」
……そう言えば私、幻想郷っていう所に来てたんだっけ。
まだ辛いけど頭の方は普段の八割ぐらいには働くようになった。
脳の回復は早いんだけど……。
「うーん、喋ったり、動いたりは、まだだるい……」
体の機能の回復は滅法遅かった。
いつもの三割も動けないかもしれない。
駄目だー。やる気がしない。
「……朝は弱いのね?」
「……」
私は椅子に座ってテーブルに突っ伏した格好のまま、それに頷くだけで返事をする。
口を聞くのも面倒くさかった。
ん、そういえば肩に毛布が掛かっている。
気を利かせてくれたのかな?
後でお礼を言っておこう。
「朝食はいる?」
「……」
今度は首を横に振る。
とても何かを食べる気にはなれない。
今食べたら吐きそう。
えっと、携帯の目覚ましで起きたから、八時……五分過ぎか。
早起きしすぎた。
「何か飲み物は?」
「……冷たいものを……」
「分かったわ」
必要最小限の言葉で返す。
献身的な十六夜さんは取りに行ってくれたようだ。
助かる。
「はい、水でいいかしら?」
「ありがとう……」
この人の仕事は早くてありがたい。
ちょっと早すぎる気もするけど、そんなことはどうでもいい。
私は体を起こして十六夜さんからコップを受け取る。
コップに入った水を一口だけ口に含んで、中を湿らせてから飲み込む。
それが終わったら、今度はコップの中の水を一気に飲み干す。
んくんくんくんくんく
「ふはぁー……生き返るー」
私は空にしたコップをテーブルに置いて、歓喜の言葉を口にする。
さっぱりした。
「おかわりはいる?」
「いえ。もういいです」
「少しは目が覚めた?」
「はい、体を動かすのはちょっと駄目ですけど、喋るだけなら何とかなります」
後は徐々に慣らしていくしかない。
普通にコミュニケーションが取れるようになったのだから平気だろう。
「十六夜さん、仕事はいいんですか?」
「ええ、ついさっき終わったわ。それよりさっきの音は何?」
ああ、彼女は携帯の目覚ましの音を聞いて駆けつけてくれたのか。
ここに家電製品はないんだから驚くのも無理はない。
「これですよ。この目覚ましの音楽です」
「ふーん、便利ね」
私は手に持っていた携帯を見せながら説明する。
「本当は、目覚まし時計はおまけみたいなものですけどね」
「あら、そうなの」
「ええ、これは――」
そこまで言って私はこの携帯の機能をどう説明すればいいか悩む事になった。
テレビも知らない人に電波がどうとかこうとか言っても分かるはずがない。
適当に誤魔化そうと思ったけど、十六夜さんは興味心身に携帯を観察している。
予想して然るべきだったけど、食い付き良すぎるよ。
「えっとですね、これはある条件が揃ったところに、同じものを二つ用意するんです。
その条件が揃っているところなら二つが離れていても、会話や文字を交換できるんです。
……分かるように説明できてました?」
自分がこの説明を受けて理解できるかは五分五分と言ったところか。
生まれた頃から家電製品に囲まれている私を基準にした予想だから、実際はもっと低いかも知れない。
説明するのって難しいよ~。
私もマニュアルプリーズ。
「つまり、お互いにこれを持っていれば、離れていても連絡を取り合うことが出来るのね」
おお、理解力が高くて助かった。
伝わったか自信なかったけど、ちゃんと分かってくれてる。
「そうです。十六夜さんの頭が良くて助かりました。
でも多分幻想郷じゃあ、肝心の条件が揃わないので使えませんけどね」
「便利なのに勿体無いわね」
「確かに便利なんですけどね……」
私は少し言葉を濁した。
その機能の弊害として相手に気持ちが伝わりにくい、という事は教えなくてもいいか。
そのせいで行き違いも起こるのだ。
人間は直に会って話すのが一番いい。
少しかっこいい事を考えてしまった。
きっとこれも私らしい。
「ねぇ、じゃあこれは?」
「ん?」
十六夜さんは携帯に付いてるストラップを見ている。
「唯の飾りです。ただ見て癒されるだけ」
私は犬を可愛くデフォルメしたストラップを弾きながら答えた。
癒されると言っても、私は犬より猫派なので大した感銘は受けない。
何故付けているのかと言われれば、偶然景品か何かで貰ったからだ。
せっかくだから付けとくか、っという感じ。
一言で言えば何となく。
「うん、可愛いね」
「えっ!」
今この人から凄く似合わない言葉がまろび出たような。
ナイフの蒐集や懐中時計を持っている人が、犬のストラップを見て可愛いと!?
それが大きな偏見だと分かっていても驚いてしまった。
せめてそういう言葉は猫を見て言って欲しかった。
当然それも偏見です。
「もしかして、欲しいんですか?」
「えっ……な、何を言ってるのよ。わ、私がそんなもの欲しがるわけないじゃない?」
私に聞き返されても。
それにさっきまで至福という名の海にルパンダイブしてたでしょ。
誰が見ても欲しがってたのが分かってしまう。
メイド長のプライドが邪魔をしてるんだろうな。
「そんなに愛着もないんで、譲りますよ」
「ほ、ホントに!」
いや、声が裏返るほど喜ばなくても。
私としては思わず口元が釣りあがるような美味しい状況な訳だけど。
……ニヤリ。
「ええ、変わりに家のメイドに来て下さい」
「なっ!」
「当方は、全て先払いのみとさせていただきます~」
「くっ」
ふふふ、何だか凄く楽しい。
もしかしたら、これで優秀なメイドさんをゲット?
これからは面倒くさい家事をしなくて済むのかも。
十六夜さーん、こっちへおいでー。
「ううっ、なら諦めるわ」
……。
一瞬十六夜さんの瞳から目幅の血の涙(滝?)が見えた気がした。
そんなことはなかったけど、執念は確かに感じられる。
もはや怨念か?
「冗談ですよ。はいこれ、どうぞ」
私はストラップを携帯から外して十六夜さんに渡した。
実はどうなろうと上げるつもりでいた。
もし、十六夜さんが家に来るといったら……多分断ってストラップだけ上げただろう。
私は嫌がる事を無理矢理させるような事はしたくない。
平たく言えば、からかっていただけである。
「本当に?」
「本当ですよ」
「ホントに本当?」
「……」
すっかり疑り深くなってしまった。
でもそんなに聞かれると……悪い虫が騒いでしまう。
「実は嘘ではないんですよ」
「うん、ありがとう」
あら、引っかからなかった。
いいけどね。もう、飽きてきたし。
私は頬杖をつきながら、いそいそと懐中時計にストラップを付ける様子を眺めている。
朝から十六夜さんの意外な一面を見た気がした。
鼻歌交じりに結んでいる所を見ると上げてよかったと思うけど。
「んっ……」
私は伸びをするために、腰掛けたまま一度大きく背中を反らした。
「ふぅ」
うん、体ももういつも通りに動く。
やっと完全に目が覚めたよ。
起きてから一時間ぐらいかかってるけど……。
「あなた、空は飛べるの?」
「十六夜さん、私を何だと思ってるんですか?」
今は十六夜さんの部屋のテーブルを挟んで作戦会議をしている。
私がこれからどこに行けばいいのか教えてもらってるだけとも言う。
その中で始めに聞かれたのが飛べるかどうか。
「唯の変な人」
「傷つきますよ」
「それは楽しみね」
人を苛めて楽しむ悪女め。
「飛べないのね、それなら最初からそう言ってよ」
「普通そんな事聞きませんよ」
「あなた普通じゃないって事自覚してるじゃない」
また古傷を抉るような事を。
もうその話はやめて欲しい。
「その事はもういいじゃないですか」
「いや、楽しくって」
ひどい。
でも、私も彼女の弱味を握っている。
「十六夜さんが可愛いもの好きだって事ばらしますよ」
「いい? 飛べないのなら、まずこの森をここから抜けるのよ」
効果覿面だった。
私が言わなくても懐中時計に付けていれば直ぐにばれると思うんだけど。
気づいてないんだろうなぁ。
「さっきから飛ぶ事に拘ってますけど、十六夜さんは飛べちゃったりするんですか?」
「一応そんなことも出来ちゃったりするわよ」
「今更驚いちゃったりはしませんけどね」
幻想郷で私の常識が通じないことは知っている。
それに十六夜さんなら、違うところで見かけても飛びそうな気がする。
空間捻じ曲げるような人だし。
「ここでは割と当たり前の技能よ」
「分かりました。私こっちに定住します。だから養ってください」
これで私も憧れの空中遊泳が可能に。
しかも家事万能のメイド付き。
これなら一生遊んで暮らせる。
「飛べるようにもならないし、養いもしない。それと働け」
「幻想郷は以外に狭量ですね。人一人ぐらい飛べるようにしてくれてもいいと思いますよ。それに人の心を読まないで下さい」
「はいはい、あなたは帰るんでしょ」
「そのつもりです」
こっちに移住するかはともかく、一度帰らないといけないと思う。
大した理由はないけど、義理みたいなものかな。
「それじゃあ、当面の目的地を教えるわね」
「はい、お願いします」
「まず湖を渡って、それから――」
「ちょっと待って下さい!」
いきなり無理難題を押し付けられてしまった。
「どうやって渡れって言うんですか?」
「ここに来た時と同じように」
ああ、あの子供か。
「実はここでチルノを大量生産している事実はないんですか?」
「家は美鈴の面倒を見るので精一杯よ」
「じゃあ捏造してください」
「残念。許容量が少し足りないわ」
「美鈴の大食いのせいですね」
「そうよ」
なら仕方ないか。
やっぱりあの門番はいっぱい食べる人だったんだ。
食べるぞ食べるぞ、死ぬまで食べるぞ……っていうオーラが溢れてたからなぁ。
私も食べられそうになったし。
「チルノなら大体湖にいるから『カモンチルノ!』って叫べば表れるわ」
「十六夜さんて実は外の世界のことに詳しいですよね」
「外の世界なんて見たことも聞いたこともないわよ」
「むぅ、勘違いでした」
湖はこれで何とか渡れるかな。
凄い不安だけど。
十六夜さんはふざけたり、ちょっと抜けたりしてるところはあるけど嘘はつかない。
……と思う。
「後は地図を書きながら説明するわね」
メイド服のポケットからメモ帳のようなものと、ペンを取り出す。
私はそれを見てネコ型ロボットの四次○ポケットを連想してしまった。
メモ帳とペンならそんなものがなくてもポケットに入るか。
……十六夜さんなら持ってたほうが納得できるけど。
「湖を抜けたらここから森に入って――」
私は十六夜さんの書いてくれる地図を見ながら説明を聞く。
彼女は口を動かしながら、それに合わせて地図を描いていってるんだけど……。
微妙だ。
段々ミステリーサークルの様なものが出来上がってきてしまった。
な、難解な地図。
「でここを真っ直ぐ行くと、人間の集落があるわ。ここまでは分かった?」
「ま、まぁ何とか。分かったような気がします」
必死に自分は分かっていると言い聞かす健気な私。
「集落の中に上白沢慧音ってのがいるわ」
十六夜さんは言いながら、何と集落の中まで地図に書き始めた。
ここまで来たら面白そうなので、最後まで書かせてみたい。
どんどんミステリサークルの中にもう一つ新しいのが出来ていく。
「成る程、その人を人質にとって集落を襲えばいいんですね」
「ええ、逆らう者は皆殺しよ」
「捕虜にした人たちは?」
「女は紅魔館、男は辺境の未開拓地帯へ」
「仰せのままに」
私は出来上がった地図を持って立ち上がった。
いざ、戦場へ!
我が帝国に栄光あれ。
「それではお世話になりました。どうか無事を祈っていて下さい」
「……待ちなさい……門の所まで送るわ」
ノリで話し始めた二人は止まることなく、どこまでも突き進みだした。
何だかもう後には引けないところまで来てしまったらしい。
ああん、誰か早く突っ込んで下さい。
私たちは紅魔館の廊下を門へと向かって歩いている。
「さっきは言い忘れたけど、夜になる前に村を襲うのよ」
「何故でありますか?」
不可思議な会話はまだ続いていた。
「夜になると新手の援軍が集落に到着する可能性があるわ」
「は。してその援軍とはどのような輩で?」
「名前はキィモ・ケネー。頭に生えた二本の角が最大の武器よ」
「妖怪ですか」
人間の集落に妖怪の助っ人とは面妖な。
確かに妖怪相手では人質をとったとしても勝機はないかもしれない。
「今までその妖怪の餌食になった同士は数知れず。
特徴は妖怪の角にリボンがついていること。
きっと犠牲者の一人が付けていたものが何かの拍子に付いてしまったのでしょうね」
「それは悪趣味な」
……不味いなぁ。
どこまで本気にしていいか分からなくなってきてしまった。
かと言って私から脱線させた話を自分から戻すのも、負けみたいで悔しいしなぁ。
「細心の注意を払いなさい。……それとあなた」
「何でしょう? 隊長!」
「私の前を歩いているが、出口は知っているのか?」
「はい、もちろん知るわけがありません」
それなのに何で私が先頭を歩いているのか皆目検討がつかない。
その前に私はどこへ行こうとしていたのか?
それは誰も知らない秘密の花園。
ハレルヤ!
「……もういいわ、疲れたし。こっちよ」
「あっ、どうもすいません」
急に普通に戻る会話。
良かった助かった。
十六夜さんは迷いなく廊下を歩いていく。
メイド長ともなればこの程度の迷路も訳はない。
まぁ、この人が広くしているんだけど。
だが、迷いなく歩いていたという点については私も劣っていたわけではない。
結果として目的地に付くか付かないかという違いだけである。
それも些細な事。
「んしょ」
以外に可愛い声で扉を開ける十六夜さん。
これが世間一般で言う萌えと言うやつだろうか?
私は少し十六夜さんの認識を改めた方がいいかもしれない。
思ったより丸い人。
開いた扉から陽光が目に染みる。
中庭だ。
入る時にはここで美鈴が自転車の練習をしていた。
そして今もしている。
……うわぁ、凄い楽しそうに乗りこなしてる。
ずっと遊んでたんだろうなぁ。
「あれ、どうします?」
前輪を上げたままノリノリで自転車を操る美鈴を目で追いながら十六夜さんに訪ねた。
あれが出来るという事は、ブレーキの存在は自力で気付いてしまったようだ。
私の隣からは恐ろしい殺気が漂っている。
一日中仕事をしないで遊び続けるとは思っていなかったらしい。
「想像も付かないわね」
想像も付かないような事をする……って意味なんだろうな。
「それなら私にやらせて下さい。多分面白いものが見れますよ」
「……まぁいいか、せっかくだから任せるわ」
やった、メイド長の許可がもらえた。
楽しみだなぁ。
私はある程度美鈴の側によって声を掛ける。
「ねぇ、美鈴」
「ん? ああ見て。私まだ一度も転んでないのよ。壊してもないのよ。
初めはちょっとフラフラしたけど、コツを掴めば楽勝ね。
今ではこんな事も出来るのよ」
嬉しそうに技を披露する美鈴。
取り合えず私は自転車が壊れてない事が分かって安心できた。
でもね、それだけじゃ治まらない人もいるんだ。
美鈴……安らかに眠って下さい。
「一日でここまで乗れるようになるなんて凄いね」
「まぁね」
美鈴にとって遺失技能のウィリーが出来るんだから素直にそう思う。
私がそうさせたんだけど。
「じゃあ、両手離したまま乗れる?」
「そのぐらいなら……ほら」
さっきより勢いを付けてから、両手を離してみせる。
このぐらいは簡単なのだろう。
このぐらいなら、ね。
「それなら、そのまま立てる?」
「えっ? それは試した事ないわね」
「じゃあ、レッツトライ!」
来た!
まだやった事ないとは思ってたけど。
ある程度乗りこなせるようになるといろんな事を試してみたくなってしまう。
そんな若気の至り。
ふふふ、顔が綻ぶ。
きっと私は満面の笑みを浮かべているに違いない。
「足でサドル……座るところ挟んじゃ駄目だよ」
「分かったわ。……せーの、よ!」
美鈴が立ち上がったところで私もそれに並ぶように走る。
「あ、あれっ? 嘘!」
美鈴の体はゆっくりと、徐々に加速を付けて前方に傾いていく。
(あーあ、やっぱり)
「きゃー!」「おっと、危ない」「あはははははは」
三人の声が中庭に響く。
盛大に自転車の前方へ突っ込み、顔から落ちる美鈴。
それを見て、思いっきり笑う十六夜さん。
美鈴を無視して自転車だけ助ける私。
自転車と人を同時には助けられない。
命の価値は皆平等、ではない。
自分にとって大切な方を助けてしまうのが当然。
まぁ罰の意味もあるしね。
「あはは、面白いショーだったわ」
「楽しんでくれて嬉しいですよ」
「いや、あんなに派手に転んでくれると笑えるわ」
うん、面白いよね……。
昔の私は誰も見てないところでやってよかった。
身に覚えがあるとあまり笑えないなぁ。
ところで美鈴を心配する人が誰もいない。
でもそれが紅魔館チック。
「うう、ひどい……」
呻いているから大丈夫、まだ生きてる。
それに派手に倒れたから見かけよりダメージは少ないって何かで読んだ。
確かボクシングか何か。
「それじゃあ、私は行きますね。暗くなる前に着かないといけないんでしたね」
「ええ、夜は妖怪の時間だから」
「もう行っちゃうんですかぁ?」
十六夜さんが暗くなる前に着けって言ったのはそういう理由か。
集落にキィモ・ケネーが本当に出るのかと思ったから少し安心した。
それと美鈴立ち直り早いよ。
何事もなかったかのように会話に参加しようとしてるし。
「はい、これ。餞別」
「ありがとうございます。中は何ですか?」
十六夜さんが魔法のポケットから出したのは紙包み。
大きさは大体握りこぶし2~3つ分程度。
「ふふ、玉手箱」
「不吉なもの渡さないで下さい」
「あなたの時間は私のもの」
「そのセリフ、似合いすぎてて逆に怖いです」
「自転車だけでもここに置いてってくれない?」
十六夜さんから貰ったものから白い煙が!
紅魔館は地上の竜宮城だった。
そして、私の時間を奪った十六夜さんでした。
「冗談よ」
「本当だったら絶対開けませんよ」
「昨夜から今まで何も食べてないでしょ、朝食も抜いたし。おにぎりよ」
「あ、それは助かります」
「ねぇ、私の話聞いてる?」
そう言えば紅茶と水を一杯貰っただけだった。
いつ作ってくれたのかは分からないけど、よく気が付く人だ。
「アレのお礼よ。気にしないで」
十六夜さんは片目をつぶる仕草で私に笑いかけた。
アレか……私は鎖だけ出ている懐中時計を見ていた。
「大した物じゃありませんけど、大切にしてあげて下さい」
「言われるまでもないわ」
「そうですね」
「あのー、それは何の話?」
……
…………
話も尽きちゃったし、そろそろ行こっかな。
「お世話になりました。そろそろ行ってみます」
「ええ、気をつけて」
「あう~、自転車~」
私は自転車を押して紅魔館の門をくぐった。
籠の中に十六夜さんのおにぎりを入れて……。
中庭から、二人の声が微かに耳に届いた。
――ふあー、眠い。私は寝てくるわ。
――あ、私もこれで仕事終わりなんですよ。
――楽な仕事で羨ましいわ。
――いっしょに寝ませんか?
――ん? そうね。面白いもの見せてもらったし、偶にはいっか。
「チ・ル・ノ、散・る・の!?」
私は湖の岸に立って十六夜さんに教えてもらった合言葉を叫んだ。
勇気を出して叫んでみたけどやっぱり恥ずかしい。
軽くボケも入れてみたけど、基本すぎると思って少し後悔した。
こうなってしまったらチルノの登場&突っ込みに期待しよう。
…………
「なに!」
背後から子供特有の甲高い声。
まだ距離はある。
「叫んでんのよー!!」
さっきより近いところから絶叫。
ひょい。
後ろも見ないまま体を横に半歩ずらす。
ばしゃーん。
物体は勢いよく湖へと飛び込んで行く。
それを何となく見ながら私は短い溜息を吐いた。
やっぱりチルノじゃ基本通りに突っ込むのが精一杯か。
分かっていたけどがっかり。
「チルノ君、君には失望したよ……」
私はチルノの沈んで行った湖面を見ながら呟いた。
あれ? これ何のセリフだっけ?
確かこの後拳銃か何かを懐から出して、パーンてやるんじゃなかったっけ?
クラッカーでもあれば良かったのにな。
「ちょっと、避けるんじゃないわよ。危ないでしょ!」
湖から飛び出したチルノは早速抗議を開始する。
うん、子供は元気が一番。
「おはよう」
「私的にはもう、こんにちは、よ!」
現在の時間は十時ちょい過ぎ。
どっちでも通用するぐらいの時間帯。
しょうがないので私は妥協案を出してみる。
「じゃあ、おはにちは、でいいんじゃない?」
「えっ?」
チルノは一瞬驚いて考え出してしまった。
口の中でしきりに何か呟いている。
多分響きを確かめているのだろう。
「そ、そうね。これからは『おはにちは』で行きましょう」
「いや、勘弁してください」
「それなら私が広めるわ!」
マジで広めないで下さい、お願いします。
こんなもので流行語大賞なんかとれても嬉しくないです。
嗚呼、次に来た時に紅魔館で流行ってたりしたらやだなぁ。
十六夜さん辺りが日常的に使ってたら、きっとへこむ。
『あら、おはにちは。久しぶりね』
……いくらなんでも十六夜さんのキャラじゃないー!
「挨拶はもういいとして……後で話し合うとして、ちょっとお願いがあるんだけど」
「何よ?」
「向こう岸まで渡りたいんだけど」
「私は蛙が忙しいのよ」
面白い日本語を聞いた。
チルノは蛙が忙しい……?
ちょっとやそっとじゃ解けない暗号らしい。
これが現代社会で問題の、日本語の乱れと言うやつだろうか。
「じゃあ、よろしくね」
「私の話し聞いてなかったの? 私は忙しいのよ」
「そうそう、紅魔館のメイド長が『湖にチルノがいるから私たちは安全に暮らせる』て言ってたよ」
「今日は機嫌がいいから特別送ってあげるわ」
美鈴も言ってたけど、コツさえ掴めば楽勝だね。
チルノは私がここに来た時と同じように湖を凍らせてくれた。
ブイ!
「エッチルノッ!?」
「グベッ。……あんたふざけるのも大概にしなさいよ!」
「あはは、ごめんごめん」
後ろからチルノを自転車で軽く巻き込む。
巻き込む事の意味はほとんどない。
思いついたシャレを試すきっかけが欲しかっただけである。
「やんちゃな自転車でねぇー、中々言う事を聞いてくれんのよ」
「あんたが動かしてるんでしょ」
以外に目聡いな。
あぁ、そうそう自転車といえば……
「[スーパーチルノ轢き殺しマシーン]なんてどう?」
「いきなり何の話よ?」
「コレの名前。かっこいくない?」
「私専用の殺人マシーンになっちゃうじゃない」
そこがこの自転車の肝だから外せない。
「じゃあ、[湖上の氷精轢殺カーニバル]なんて、心躍らない?」
「あんた全然センスないわ。ここは私に任せときなさい」
おおぅ! 私のネーミングセンスに対抗したいとな。
受けて立とうじゃないか。
「[愛くるしい私の為の便利ちぇあー]……ふふ、完璧ね」
むっ、意味不明な中にも人を惹き付ける魅力がある。
思ったよりも強敵だ。
「なかなかやるね、でもまだまだ私には届かない」
「ふーん、言ってみなさいよ」
「[馬鹿は死ななきゃ直らない・必殺☆・あの世への片道切符]……略して……[馬鹿への切符☆]」
「長くすれば良いってもんじゃないのよ。それに見方が偏りすぎてるわ」
むむ、痛いところを突いてくる。
「いい? 名前っていうのはこういう風につけるのよ……」
「[湖上のアイドル! 皆が私にメロメロキュー]!!」
「[フルオートアイドル変死機器!?]!!]
「[我的名性紅美鈴]!!」
……ん、最後のなんだ?
「ハァ、ハァ」
「はぁ、はぁ」
死闘が終わった。
お互いに肩で息をしながら、数々の武勇伝を振り返る。
その中から最も優れていたものを、一つ選びださなければいけない。
嗚呼、駄目。私にはとてもそんな事出来ない。
「全部却下」
「ええ! ちょっと何でよ!?」
「問題外だから」
「どこがよ」
「全てにおいて」
「納得いかないわ」
チルノは自分のが選ばれると思っていたらしい。
確かにその考え方は、実にチルノチルノしている。
「この際だから私のも含めるけど、全部チルノっぽいから」
「それがまたいいんじゃない」
君にとってはそうかもしれないけどね、これから呼ばなくてはならない私には耐えられないよ。
チルノと同レベルなんて間違っても思われたくない。
「大人の事情があるのさ」
「そうよ、大人はそう言っていつも子供を無視するのよ」
あっ、いつのまにかチルノの会話レベルが上がってる。
ちゃんと学習してるんだ。
ちょっと見直したよ。
「少し余裕が出てきたね」
「まぁね、あんたと話してると自然にそうなってくるわ…………ほら、もう着いたわよ」
「ん、ありがと。忙しいところ悪かったね」
「べ、別にいいのよ。わ、私もそれなりに楽しかったし」
チルノは真っ赤になりながら岸まで渡してくれた。
ふむ、まだ素直にお礼を言われる事には慣れてないらしい。
次があったらその辺で楽しみつつ、チルノのレベルアップを計っていってみよう。
「じゃあねー、また何かあったらよろしくねー」
「ふ、ふん。もう二度と助けてやんないから」
「頼りにしてるよー」
「わ、私のことはいいから、は、早く行きなさいよ」
「あはははは」
私が森の中へ入っていくと、チルノも湖に帰って行ったようだ。
微かに聞こえた元気な鼻歌は、私の気持ちを温かくしてくれた。
…………
あっ! 『おはにちは』やめさせるの忘れてた。
慌てて振り返ってももうチルノの姿はないし。
がーん、自分でいらないオチを作ってしまった。
綺麗にまとまりそうだったのになぁ。
まぁ、私らしいと言えなくもないか……。
こっちに乗せたほうが返信が伝わるかなぁ、と思いこちらでレスさせていただきます。
『私』というキャラ、かなりアクが強いので幻想郷で受け入れられるか、投稿してからも冷や冷やしてました。
オリキャラは怖いですね。
それでも『私』を気に入ってくれた読者様がいて、悶え苦しみました……嬉しさのあまり。
今回新キャラとの絡みはありませんでしたが、次回はバッチリあります。
気になったら、控えめに期待してください。
ちょっと書いてみたら……あれー? な感じでしたけど(完成度はあまり変わらないと思うんですが)。
作者自身まだまだ『私』がどういう結末を迎えるのか分かっていませんが、応援の声を励みにしつつ、続きを頑張ります。
なんとなくこのフレーズで「キースがキースキースしてる話」という
フレーズを思い出してしまった
「私」はあの真顔の変質者な執事ほどではないにしろ紛れも無い変な人みたいですし
>『カモンチルノ!』
元ネタは「カモンバーニィ」か「レッドスネークカモン」ですか?
・・・世俗に詳しくないので分かりませんでした
咲夜さんとの掛け合いやチルノとの命名勝負など、見所いっぱいでとてもよかったです
次回も期待して待っています
・・・そういえば、中国って雑技団が有名ですよね
で、その中には自転車の曲乗りもあるわけで・・・いえ、深い意味は無いですが
わかつきめぐみの作品ようなホワホワしていながら、適度なシャープさが
あって何かとても引き込まれる。
次の「私」の幻想郷放浪記を楽しみにしております。
いや、どちらかというと違和感にて現実に引き戻されるのが原因かも。
普通とギャグとぶっ壊れの境界をもう少し滑らかにすると良いかも。
ですがかなり素敵な空気を醸し出してるのもまた事実。
次回にも期待させて頂きます。
あと、自転車には「平和の祈りを込めて(はぁと)」ってサインがいると思います。