兎が死んだ。
屋敷の裏手と言える場所に、少し開けた場所がある。
その中央に、米俵ほどの岩がぽつりとたたずんでいた
私は水の代わりに消毒液をかけて、その兎に問う。
安らかに眠っているか、と。
私の知識を持ってすれば、まだ死なずとも済んだろう。
それをやんわりと拒否したのは、紛れもない当の彼女だった。
結局、私は何かできたのに、何もしなかったのだ。
素直に羨ましいと思う。
自分の思うように生き、そのことに満足し、
共に歩んできた仲間に看取られて逝く。
客観的に見て、幸せだったと言えるだろう。
今まで数多の死を見てきただけに、よくわかる。
それは、どう足掻いても、もう私たちには得られないものだ。
不意に視界が曇った。
目をしばたき、数秒おいてその意味に気づく。
近くに気配がないことを確認し、目元を手で拭う。
苦笑がこぼれた。不遜だと思う。
悲しい、などという感情は私には分不相応だ。
憐れむ資格も、憐れまれる資格もあるまい。
この兎は逃げも隠れもしなかったのだから。
兎の死が悲しいのか、自分の生が辛いのか。
それすらも判然としないけれど。
忘れない。
///
トマトを食べたいの。
初めて会ったとき、既に人語を解していながら、第一声がそれだった。
自分たちの仲間に入りたい理由を尋ねたのに、だ。
今でも、呆気にとられた皆の顔がありありと思い出せる。
笹の震える音だけが笑っていたことも。
墓前に供えるのは、やはりトマトがいいだろう。
竹林の外、あいつが丹念に世話をしていた畑を歩き、良いものを探す。
ここにはいろんなものが植えられている。
一緒に収穫したのは何回になったろうか。
数えてみて、私もていよく扱われていたんだなと感じる。
確かに、あいつ一人ではできないだろう。
きっとトマトでなくても良かったんだと、今更気づいた。
長生きして楽しいか。
健康生活を薦める私に、そんなことを訊いてきたのも、あいつ位だった。
そりゃ、長く生きる分だけ楽しいことも多いわ。
自分には至極当前の答えに、納得いかないと首を傾げていたっけ。
でも楽しくないことも多いでしょ、って。
私はそれにどう応えたんだったか。
曖昧な記憶しかないってことは、適当に誤魔化したのかもしれない。
今思えば。
私のつまらない能力なんかなくても、あいつは大抵幸せそうだったし、
自分でもそう言っていたけれど。
本当は、ほんとうの幸せを知らなかったのかも知れない。
私はまだ死にたくない。
永く生きて楽しそうな奴らに会えた。
長く生きてほしいと思う相手に会えた。
彼女らは、死ぬなと言ってくれる。
私もあいつに言ってやれば良かった。
だから言う。
ばか。
///
誰かが死んで思い出すのは、逃げてきたときのこと。
みんなが死ぬのが怖くて、月から逃げ出してきたこと。
老衰で死ぬのは、戦って殺されるのとは全然違うけれど、
でも死んでしまえば一緒だ。
思い出になるだけ。
師匠も姫も殺しても死なないような人だから忘れがちだけど、
他の兎は死ぬ。いつか死ぬ。
すこし、怖い。
高く積み上げるほど簡単に崩れて、元には戻らないから。
てゐがいなくなっても、私は耐えられるだろうか。
そのときは私の瞳で私を壊そうか。
そんなことを考える私の弱さが嫌だ。
そんなときだけ便利な私の能力がどうしようもなく嫌だ。
見たくないものから目を背けるだけの力なんて。
見たいものを見ていられるような、そんな力がほしい。
もう逃げないために。
だからこれからも薬を学ぶ。
約束する。
///
兎が死んだ。
私にとっては、名も知らないイナバだ。
区別しようなんて考えたこともない。
外で突っ立っていた永琳に声をかける。
トマトを後生大事に抱えたイナバを呼び止める。
机で突っ伏していたイナバを引っ張り起こす。
揃って兎みたいな目をして下向いて。耳までへたっている。
何をやっているんだか。
私は言った。
「行くわよ」
みんなしてぼさっとしている。
私には永遠があるけれど気は長くない。
怒鳴ろうとしたら、珍しく、おずおずとしながら永琳が口を開いた。
「姫、失礼ですがどちらへ?」
私が閉口する番だった。永琳は頭はいいのに、たまに回っていない。
何でも背負うわりに捨てるのが下手なんだ。
「決まっているでしょう、冥界よ冥界。白玉楼よ」
イナバたちは眉を寄せて、まだわかっていないようだ。
でも今度は永琳は気がついたみたいだった。
「しかし、死者が全てあそこへ行くわけでは」
「そんなの探してみないとわからないじゃないの」
もう付き合っていられない。
背を向け、手近な酒を引っ掴み、歩き出した。
「先に行っているわよ」
少し遅れて、足音がついてくる。
私は駆け足になって助走、そして全力で飛んだ。
後ろは見ない。
白玉楼に着けば、浮いているのは白い霊魂たちだ。
みな同じように生き、死んだものたちだ。
どうして区別する必要がある。
「さぁ、騒ぐわよ!」
知っているものも、知らないものも。
生きているものも、死んだものも。
月も地上も人間も妖怪も。
誰もが、代わりのない一人なのだから。名前など関係ない。
名も知らない兎よ。
どこにいてもいい。
お前も一緒に楽しみなさい。
///
それが、私からの手向け。
上手く表せませんが、ふと重荷が少し軽くなった気のする一作でした。
逃げも隠れもしない、真っ向から受け止める。区別をしない。
そんな、輝夜もいいなぁ。
こんな風に歌って踊って騒いで、笑って見送って欲しい。
誰もが願う事だけど、自分が見送る立場ならそうそう笑う事なんて
出来やしない。
あぁ輝夜って凄いなぁ。
何でも背負うわりに捨てるのが下手なんだ」
まとめて何もかも背負ってしまう余り、ある一時を境にぽっかりと空いてしまう欠落に愕然としてしまうんでしょう。不器用な生き方しかできない師匠はきっと、その穴が他で埋まってしまうをよしとせず、空虚を抱えたままその上にまた色々なものを積み重ねてしまう。
それはとてもバランスの悪いことで、でも明晰な師匠はきっとそれをすすんでこなして生きていくんでしょうね……。
めくるめく彼女たちの笑顔が救いにならん事を祈って。
>名前がない程度の能力氏
伊達に長生きしてない……ハズですきっと。
何歳かはともかく、万年っていうと亀みたいですね?
>CGPH氏
些細なことには拘らない器の大きさを持つ姫様かなと。
うどんげもてゐも他の兎も、みな家族なんだと思います。
>大石氏
受け止めた上で、前を見て進んでいける、
そんな輝夜を書きたかった次第です。はい。
>床間たろひ氏
過去を想って悲しむんじゃなくて、今を楽しむことを考える、
それが輝夜の強さであり、そうしなければいけないのかも知れません。
>Mya氏
はい、永琳は輝夜の罪の責任を感じたりとか、
優しいゆえに余計なものまで抱え込んで、けれどプライドも相まって、
弱音を吐くこともできない人だと思います。
だから家族が助けになるし、大切にする人でもあると、思います。
ホッとしつつ、しかし死んだのが実際に鈴仙やてゐだとしても、やることは同じそうですね。
――これが呑まずにいられるかっ!
見えないし言わないけれど、他の三人と同様に実は悲しんでるんだろうな、って妄想…しますよ?
永久に観客である彼女は…でも、いつも、きっと、おしみない拍手を送れる。
これが……カリスマか。
四人それぞれの悼み方もさることながら、この兎は最後まで、自分の道をマイペースにゴールしたんだろうなと思いました。
は、心配をかけさせてしまったようですみません。
タイトルが下手で。でもどうぞ呑んでください。
もし鈴仙が死んだら輝夜はともかく永琳はダメそうな気がしますね……
鈴仙も悲しんでいる筈です、そこは描写不足でした。
>たまゆめ氏
か、かっこいい感想! ともあれそうですね、観客としての輝夜。
生きものとしての一線を超えたというか一歩離れているのは確かで
だからこそ軽んじることなく、真摯に敬意を払えるんだと思います。
>おやつ氏
はい、当の兎の遺言めかしたパートも書くか迷ったんですが、
考え方も背景も関わりの程度も違う四者の感慨で、想像して頂ければ。
永遠亭で幸せだったかはともかく、寂しくはなかったでしょうし。
だから、自分なりの、自分だけのゴールに辿り着けたのだと思います。
・・・探してねえええええええええ!!!!!
トマトを食べたいの。のフレーズが非常に好きです。何となく、それで彼女の人となりが想像できました。GJ
このSSはそのあたりが、とても自然だと思うのです。
もし私が死んだときは笑って見送ってほしくもあり、涙を流してほしくもある、なんて。
とりあえず、
>ばか。
ここでやられた。
すごく良かったです