《この話は永夜抄で結界組が輝夜を倒したという前提で書いています。ネタバレ有りなので永夜抄を終わらせてない人(エキストラやっていない人)は読まない方がいいかも?いや、大したことは書いてありませんがw》
ふう、と小さく息を吐いてすでに白み始めた空を見上げる。
「結局今日も襲撃は無かった、か。」
最近は妖怪達の動きが活発になっているのが慧音には感じられていた。
その一番の要因は月。あの異変が起きていた夜、人妖の不思議な二人組に敗れたあの日から、幻想郷に降り注ぐ月の力が強まっていた。だが、何故か人里への妖怪の襲撃は一度たりとも起こっていない。
「何故だ。ハクタクになればわかるのだろうが……」
満月まで後数日。そうすれば自分の肉体は人間の物からハクタクの物へと変化し、幻想郷内の全ての知識は自分の物となる。だが、しかしこの静けさが何かの起こる前触れだとすれば、分かってからでは遅いのかもしれない、と慧音は思っていた。
「やはり、原因はあの二人なのだろうか。」
あの夜に出会った不思議な人間と妖怪の組み合わせ。人間の方は巫女の姿をしていたので正体が分かったのだけれど、妖怪の方には慧音は見覚えが無かった。それ以前にその妖怪についての知識も得た覚えは無かった。
「私が生まれる前から存在していた妖怪、それも幻想郷内に住む者ではない、という事なのだろうか。」
あの巫女は確か幻想郷の境に住む博麗神社の巫女で博麗霊夢。主な仕事は妖怪退治。人間に仇なす妖怪を退治して生活しているはずだ。
「だとしたら、何故彼女はあの日妖怪と一緒にいたのだろう。それもあの得体の知れぬ者と共に。」
自分の術をあっさりと、破っていないにも関わらずにそこにまやかしがあると分かった上で人間が見えると言い切ったあの妖怪は何者なのだろうか。
分からない。あの日から既に7日、もう次の満月はすぐそこだった。だがしかし、慧音には何の手がかりすらも見つけられていないのだった。
「慧音、また見回り?」
不意に後ろから声がかけられる。
「ああ、そうだ。まあ、私が好きでやっていることだが。」
「そっか、お疲れ様。」
そう言って妹紅は慧音にカップを手渡す。中の氷が解けてカラン、という小気味のいい音が辺りへと響く。
「相変わらず今日も熱帯夜だったんだってね。暑かったんじゃない?」
「私にとってはどうって事はないが。妹紅こそ暑かったのではないのか?」
「私は蓬莱人だから。火の気なら私には何の問題もないわよ。」
「ああ、そうか。すまない。」
「ううん、別にいいの。そんなことで謝らないでよ。」
妹紅はあわてて手を振る。慧音は妹紅が蓬莱人である自分のことを嫌っているのを良く知っているからだ。けれど、妹紅にとって慧音は大切な友達で、そんなことで本当に済まなそうな顔はしてほしくなかった。
「それで、慧音。何か分かったの?」
「いや、何も。里は平和そのものだ。幻想郷全体としてみても特に問題は起こっていない。もちろん月には変化が起きているのはわかるのだが。」
「そっか、一体何だったんだろうね、あれ。」
いつまでたっても夜が終わらない。あの日、妹紅は何となく胸騒ぎがしていた。けれど、結局輝夜は現れなかった。ああいう夜は決まって輝夜と殺し合いになるというのに。
不死の体。終わり無き肉体。永遠のその身の内に秘め、永久を過ごすことを定められし存在。蓬莱の薬を使った日から妹紅は死なない、死ねない体となった。
月へ帰ると言っていた輝夜。しかし、輝夜はここにいる。おそよ千年前、この地で輝夜を見つけ、何も手が無いまま襲いかかり、指一本触れる事が出来ずに大地へと叩きつけられたその日から輝夜の殺し合いは妹紅の日常となっていた。
「そういえば、相変わらずあの夜から輝夜は現れていないのか?」
「ええ、平和そのものよ。結局あの夜から輝夜は一向に姿を見せないわ。今までだったら二日おきぐらいに自分で私を殺しに来るか誰か刺客を送ってきていたというのに。」
「変わった所といえばそれぐらいのものか。」
「ええ、そうね。」
幻想郷全体としては変化がない。しかし、妹紅にとっては輝夜が襲ってこないというのは大きな変化だった。
「私はやっぱり輝夜が怪しいと思っているんだけど。どうなんだろう。」
「あの夜は輝夜が妹紅を消滅させるための準備の一環だったと、そう考えているのか?」
「そう、なのかな。まあ、私を殺す方法なんて輝夜ですら知っているとは思わないけど。知っていたなら今までもそうしていただろうし。」
そう言って妹紅は大きく溜息をついた。
「なんかさ、何も来ないと拍子抜けになっちゃうのよね。殺し合いが日常ってのも変な感じなんだろうけど、でも私にはそれぐらいしかすることはないし……」
「……そう、か。」
慧音は空を見上げる。既に太陽は地平線からすっかりと離れ、あたりには強い日差しが降り注いでいた。空は殆ど青一色に染まり、白い雲がまばらに存在する程度のものだった。
サク、という足音がして慧音は再び前へと視線を落とす。
「じゃあ、私はそろそろ行くから。また明日、かな。」
「ああ、ありがとう。また明日。」
手に持っていたカップを妹紅へとわたし、妹紅を軽く抱きしめる。
「何かあったら言ってくれ。すぐに駆けつける。」
「ありがと、慧音。それじゃあ、また。」
ばいばい、と妹紅が手を振って去ってゆく。木々でその姿が見えないようになってから慧音は再び溜息をついた。
「輝夜、そしてあの得体の知れぬ妖怪、か。」
考えていても分からない。少し休んだ後再び調査に出かけよう、と慧音は心に決めて住処へと戻っていった。
その頃、幻想郷の境にある神社では。
「暇ねー」
「暇だぜー」
「何か起こらないのかしらねー」
「何も起こらないぜー」
霊夢と魔理沙が並んで座っていた。二人ともどこを見るわけでもなく、ぼーっとした表情で座っているだけだ。霊夢の横にはお茶が入った湯のみがおかれているが、その中には緑色の液体が並々と入っていて少しも減っている様子がない。おそらく手持ち無沙汰だったのでいれてはみたものの、飲む気がおきずにそのままになっているのだろう。
「って、貴方いつの間に?」
「さっきからずっと居たぜ。まさか気づいてなかったのか?俺にはなしかけていたのだとばっかり思っていたんだが。」
「じょ、冗談に決まってるでしょ。」
「そうか。暇だな」
「暇ねぇ……」
霊夢の仕事は妖魔調伏。妖怪が人間に悪さをしないのであれば、全くすることはない。もちろん神社の巫女としての仕事も無いわけではないのだが、季節は夏。春は桜の花が。秋は落ち葉で、冬は雪かき等である程度忙しいのだが、夏は特にすることもない。神社に参拝客が少しでもいれば話は別なのだろうが、結局その神社も年中無休で参拝客が居ないわけで、何をするでもなく日向ぼっこをするぐらいしかすることがなかった。
「そういえばさ」
「あー?」
「この頃紫何してるか知らない?」
「寝てるんじゃないのか?」
「そうなのかしらねえ。」
「あいつは年中寝てるらしいがな。」
「そうねえ。」
「藍が嘆いてたぜ。家事も何もかもを自分ひとりにやらせるって。」
「それにしても、何でいきなり紫なんだ?」
魔理沙が怪訝そうな顔で霊夢の方を見る。
「ううん。只この頃何しているのかしら、って。あの夜一応世話になったわけだし、お礼ぐらいは言っておきたいと思ったんだけど。」
「結局あの夜はすぐに宴会に突入してしまったからな。」
「そうなのよねえ。結局ちゃんと話できないままに寝ちゃって藍が持って帰っていたし。」
「ま、いつものことだが。暇なら宴会でもやるか?」
「私の家で?冗談じゃないわ。もうお酒も全部飲みつくされたのよ。貴方がお酒用意してくれるっていうなら考えてもいいけれど。」
「げげ、そんなの冗談じゃないぜ、ほんとに。」
「そう、それならいいわ。」
「あーあ、お嬢様パワーで宴会とかやってくれないもんかね。」
「言ってみたら?やってくれるかもしれないわよ。」
その時、不意に後ろからの声が聞こえてきた。その声につられて霊夢と魔理沙は振り向く。
「無理ですよ、屋敷にも今飲めるお酒はありませんから。」
「咲夜か。無理ってのはどういうことだ?」
「ええ、フランドール様がちょっと。」
「あいつがどうかしたの?」
「テレビを見てボーリングとかいうものをやってみたいと言い出しまして。それで全ての酒瓶を粉々に。もちろん殆どは中身が入ったものです。」
ふう、と咲夜は大きな溜息を吐いた。
「やっと、片付けがついさっき終わった所です。いくら時間をとめられるとは言っても……その時間の中で働けるのは私一人ですし。」
「そ、そう。大変だったのね。お茶でも飲む?」
「頂きます。ありがとう、霊夢。」
そう言って咲夜は腰を下ろした。
「それにしても、テレビなんてあるんだな?」
「そりゃあありますよ。それぐらい。」
「でも白黒なんだろ?」
「そりゃあもちろん。」
「そーだよなあ。じゃなきゃピンは白なのに透明のビンを使うわけがないしな。」
「そういう問題?」
はい、と霊夢は氷の入った麦茶を咲夜と魔理沙へと手渡す。
「と、いうより何で酒瓶なのよ。」
「形が近いからそう思ったのでは?」
「そんなもんだぜ。」
「いや、あの子ならそういうことしそうな気もしないでもないんだけど……」
「まわりくどい口調だな。ようするにどっちなんだ?」
「しそう、って言ってるのよ。それぐらいわかってよ。」
「まあ、どっちにしてもお酒はありません。宴会はまだ無理ですね。」
「そーか、残念だぜ。」
「そういや、レミリアはどうしたんだ?」
「ええ、お嬢様ならちょっと謹慎中です。妹様にボーリングを許可したので。」
「なるほどねえ……」
お茶を一口のんでふう、と息を吐き出す。雲一つ無くなった青空を眺めながら、小さく呟く。
「今日も暑くなりそうね。」
神社では相変わらずのんきな人達がのんきに会話を続けていた。
「そういや、咲夜の方は何か変わりない?」
「何もありませんが。そちらはどうです?」
「私のほうもなにも無いわ。何かがおこっても良さそうなんだけど。」
「ですよねえ。」
「なんで俺には聞かないんだ?」
三人でいるというのに二人だけで話すのを不審に思った魔理沙が尋ねる。
「じゃあ魔理沙、何か起こったの?」
「いや、何も起こってないぜ。」
「でしょうね。何か起こっていたら魔法でどこかが焼き尽くされているでしょうし。」
「ひどいぜ。」
「……平和そのものだな。」
慧音は霊夢がいるのを見つけて会話を盗み聞きしていたものの、何もおかしな所も無ければ、物騒な会話もない。唯一気になったのが、『紫』という名前だった。
「どこかで聞いたことがあると思ったんだが……どこだ?」
と、そこまで考えたところで不意に後ろに気配を感じてあわてて振り向く。そこに立っていたのはあの夜に出会った二人の内の一人、それも正体が分かっていない相手だった。
「こんにちは。」
「!?」
予想だにしていなかった言葉が口から発せられて一瞬戸惑う。
「おはようございますの方が良かったでしょうか?」
「い、いや。」
「ところで、貴方はこんな所で何をしているのか?」
いつの間にか横に立っていた狐変化、藍が慧音に対して聞く。その問いに対して慧音が答える前に紫が
「藍、そんなの決まっているじゃないの。のぞきよ、の・ぞ・き。」
「な、そんなわけないだろう!」
「覗いた人は皆そう言うのよ。大丈夫、私は告げ口なんてしませんから。藍、貴方も言ってはダメよ?」
「紫様がそう言うのでしたら。ですが宜しいのでしょうか?」
「い、いや。私は覗きなんてしない。それより貴方に聞きたいことがある。」
「なんでしょう?」
「あの夜の事だ。あの夜は一体何だったんだ?」
「ああ、あの夜のことですか。あれは輝夜のせいです。輝夜、知っているのでしょう?」
その言葉に慧音は戦慄した。妹紅が言っていた言葉、『私を消滅させるための準備』という言葉が頭の中で何度も繰り返される。
「やはり、あれは輝夜のせいだった、と?」
「ええ、そうなるかしらね。」
「そうか、済まなかった。ありがとう」
そういうと慧音は地面を軽く蹴り、目立たないように低空で飛び立った。 後ろからは、
「それにしても、紫様寝る時間変わりましたね。昼間に起きて夜寝るようになるなんて。」
「しょうがないじゃない。夜をのばしたせいで体内時間が変わってしまったのよ。」
等という良く分からない会話が聞こえてきて何となく気になったものの、無理やりそれを慧音は無視した。
「輝夜、一体何を考えている?」
月の力を強化する、つまりそれは月の民である輝夜達の強化に繋がる。これが単純な力の強化であればいいのだが、もしも何かをたくらんでいるとなると、
「やはり、次の満月の日か。」
満月、月の力が一番強くなる日。だが、自分も満月の日にはハクタクとなり、普段とは一桁違う力が使えるようになり、それと共に幻想郷の知識を得、歴史すらも操れるようになる。
「妹紅を、殺させない。」
人間が好きだ。自身は妖怪だが、種族が違うからと言って守りたい存在になりえない事はない。人間と一緒に居る事が好きだ。小さな子供たちと遊んでいると心が安らぐ。のんびりと何をするでも無く会話をしているのもいい。そして、人間に頼られるのは嬉しい事だ。もちろん頼んでくる相手が自分で出来ることを慧音は手伝う気はない。自分の全力を尽くしても出来ない事を手伝うだけだ。
けれど、妹紅への想いは少し違っている。人間が好き、それとは関係なく慧音は妹紅を護りたかった。蓬莱の薬を飲んだ経緯はまだ聞いていない。が、妹紅は友達だった。慧音は人間が好きだが、自身が妖怪だと知れると何が起きるか分からないから、出来るだけ人間とは距離をおくことにしている。自分の事を妖怪だと思っている人は殆どいないだろう。自分が妖怪であると分かっても他の人間が自分のことを怖がらずにいてくれるかという確証が今でも持ててはいないから、出来るだけ人間とは距離をおいているのだった。
不意に、昔の事を思い出す。
ある日、慧音は里を護るために戦っていた。相手は強大で、満月だというのに里に近づけない事が精一杯だった。手持ちのスペルカードは全て焼き尽くされ、いよいよ後がない、という時に突如として真上から火の鳥が舞い降りてきたのだった。
そして、その火の鳥を身に纏った少女は慧音に対してこう言ったのだった。
「どうして、戦っているの?」
そして、その問いに私は答えた。
「人間を護りたいからだ。」
その答えを聞いた少女は少し寂しそうに微笑んだ。
「あれの狙いは私。狙いは蓬莱の薬、私の肝だわ。私が出てきたからもう里には危害を加えないはずよ。」
「だが、それでは君が狙われるのではないのか?」
「心配してくれるのかしら、でも大丈夫。こう見えても貴方よりも全然長生きしているし、私は死ぬ事がないのだから。」
「そういう事を言っているのではない。私は、人間が傷つくのを見ていられないだけだ。」
その答えが意外だったのか、その少女は一瞬目を見開く。慧音の顔を軽く首を傾げながら眺めながら小さく呟いた。
「私は、人間だと思う?」
「当然だ。」
慧音は即答していた。慧音が護りたいもの、それは他人を思いやる事が出来る者。殆どの妖怪が持ち得ない心だった。だから、それを持ちうるこの少女は
「貴方は、人間だ。」
慧音は妹紅に向かって断言していた。
気がついたら森を抜けていた。昔の事を思い出している内につい気を抜いてしまっていたらしい。慌てて飛行を止めて歩きへと変える。
「妹紅は、やらせない。」
改めて口に出して誓う。彼女は人間だ。月の民なんかの好きにさせるわけには行かない。
だが、その為には準備があまりにも足りなかった。今までの輝夜一人なら満月の夜ならなんとかなっただろう。だがしかし、月の力が強くなり、さらに新たな術で力を得ているとなると、慧音一人ではどうしようもないかもしれなかった。だが、しかし自分のために手助けをしてくれる妖怪がこの幻想郷内にいるとも思えなかった。
「くそ、なぜこんなに私は弱いのだ。」
力とはその存在の全てはない。一側面だ。だがしかし、力がないと何も出来ない場合もある。力はそれ自体では何も生み出さないが、自分の外との関わりを持つ時には大きな影響を与えるものだ。そして、慧音はその力の全てを人間を護るために使ってきた。だからこそ、妖怪達の中には慧音を恨んでいる者もいるし、機会があれば倒したいと考えている者も居る事だろう。
襲う者から襲われるものを護れば襲ったものには恨まれる。そしてそれが自身と同じ妖怪であるということは慧音には良く分かっていた。そして、それを承知の上で慧音は人間を護っていた。だから、今回の件で頼れる相手がいないというのは当然の事だった。
自身が傷つくのは怖くない。けれど、護りたい相手を護りきれないのが慧音には嫌だった。
「どうすれば、いい?」
いまから新しいスペルカードを作っている時間の余裕は無い。ハクタクになって使えるようになるのは歴史を操る能力に関係する物、オールドヒストリー・一条戻り橋・ネクストヒストリーの3枚だが、輝夜もその事は承知しているだろうし、もしも本気で妹紅を消滅させようとしているならばイナバ・永琳をつれて来る事だろう。永遠亭に住む兎も沢山連れて来るかもしれない。
「どうすれば……」
いくら考えても何も浮かんでこなかった。一緒に相談出来る相手もいない。人間ではこの問題に何かが出来るとは思えないし、妹紅にはこの事を話すわけにはいかなかった。
結局、その日は何の解決策も得られぬまま次の日へとなった。
毎日の巡回を終えて、休憩していると、昨日と同じように妹紅が手に飲み物を持ってやってきた。
「慧音何だか疲れてない?」
「いや、そんなことはない。」
内心では焦りながらも、人間の里を見回るのをやめるわけにはいかない。あの日から襲撃がないとはいってもそれは単なる偶然の可能性もあるからだ。妹紅の事が大切であるとは言っても、里の護りを手薄にするわけにはいかなかった。
「そう、なら良いんだけど。」
不思議そうに妹紅は頭を傾げるが、慧音はその顔をまともに見る事が出来なかった。
「相変わらず輝夜は何もしてこないのか?」
「うん、全く何も。張り合いが無くて困ってるわ。」
「そうか……」
「どうしたの?」
なぜ慧音が落ち込んでいるのか妹紅にはよく分からなかった。いままでの慧音であれば輝夜が来ない事を素直に喜んでいたのに、この頃はなぜか輝夜が着て欲しそうにしているのを何となくではあるが、感じていたからだった。
「い、いや。これまで襲撃がこんなに長い間なかったのはひさしぶりではないか、と思ってな。良いことだとはおもうんだが、ちょっと気になってな。」
「変な理由ね?」
不思議そうに妹紅が頭を傾げる。
「まあ、妹紅が傷つかないのは良い事だ。いくら死なないと言っても痛いことには変わりないのだろう。輝夜の相手は悔しいが私では出来ないのだし。」
「分かっていると思うけど、輝夜が来ても邪魔しちゃだめよ。彼女を倒すのは私の役目なんだから。私の事を殺せない、そして私では輝夜を殺せないと分かって殺しに来るのがまた憎たらしいんだけどね。」
今度は違うかもしれない、今度負けたら妹紅が消されるのかもしれない、という思いを慧音は心の中におしこめながら話を続ける。
「そうだな、死なないというのはすばらしい事だ。」
「ええ、本当に。」
何かが分かるのではないかという微かな期待と共に、博麗神社に来たものの、今日は誰も居なかった。諦めて帰ろうと思ったそのとき、突如として背後から背中を掴まれた。慌てて振り向くと、空間の裂け目から手だけが生えていて、慧音の肩を掴んでいた。
眉をひそめてその手を眺めてみるものの、なんの変哲も無い手だった。人間だったらそんな事をされれば驚いてにげてしまうものだが、慧音にとっては手が空中から生えているというのは驚きはあるが恐怖の対象にはなりえない。その手を掴んでみても特に何の反応もなかったので、肩から無理やり引き剥がそうとしたら突然掴む力が強くなって慌てて手を離す。
「……何だこれは?」
「覗き魔撃退用の手よ。」
その手から少し離れた所に大きな空間裂け目が生まれ、八雲紫が姿を現す。それと同時に肩を掴んでいた手が慧音の肩を離し、裂け目の中へと消えていった。
「やっぱり覗き魔だったわね。覗き魔はいつも同じような地点に出没すると言ったデータがありますし。」
「だから私は覗き魔では。」
「なら、何故二日続けてこんな何もない所に?」
その言葉に慧音は迷った。目の前にいるのは恐らくは慧音を遥かに超える力を持った妖怪だろう。もしも力になってもらえるとすればかなり頼もしい存在になるはずだ。しかし、慧音はその事を目の前の相手に話すべきかどうか判断できなかった。もしもこの相手が輝夜に与するものだとすれば、勝機を全て失う事となってしまうだろう。だが、しかし。
「頼みがある。聞いてくれるか?」
何もしなければどうしようも無い事はこの数日で分かりきっていた事だった。
「蓬莱人、ねえ。」
「ああ。藤原妹紅という。あの夜輝夜が何をしていたのか知っているのだろう。話を聞かせて欲しい。」
「私の見たところではあの夜にそんな仕掛けをする余裕と時間があったとは思わないけれど。どうしてそう思ったのかしら?」
「いままで数日おきに輝夜は妹紅と殺し合いをしていた。だがしかし、この頃は全く来る素振りが無い。あの月に異変が起きていた夜以来。だから輝夜は何かをしているのではないかと気になってしかたがない、と言うのが理由だ。」
只単に輝夜は私と霊夢に付けられた傷をなおしているだけではないのかしら、と紫は思ったが、結局口には出さなかった。
「どうなのかしら。それは良く分からないけれど。」
「だから、頼みがある。もしも貴方が輝夜の手先などではないのであれば、手助けを御願いしたい。私に出来る事であれば何でもする。」
「出来る事って、何でもいいのかしら?」
「ああ、私に出来る事であれば。」
その言葉に紫はちょっと考えると、こう言った。しかし、その言葉は慧音には到底受け入れられることではなかった。
「じゃああの里に住む人間を少しくださいな。そうすれば手伝ってあげますから。」
「な、本気で言っているのか?」
「勿論です、何でもすると言ったでしょう。あれだけ沢山いるのですから、少しぐらい減っても誰も気づかないのではないかしら。別に全部頂くというわけではないのですし。」
軽く微笑みながら紫はそう言い放つ。
「だ、だがしかし。」
「何でもする、と言う事はそういうことです。自分の言った言葉には責任を持つべきでしょう?」
「そ、それは確かに私はそう言ったが、それは自分をどうしてもいいと言う事であって。」
「出来ない事があるのであれば初めから言うべきではないのではないかしら。」
その言葉に慧音はうっ、と言葉を詰まらせる。
「それで、どうなのかしら。受け入れる、受け入れない。どちらでも私には良いのですけれど。」
その提案は慧音には到底受け入れられるものではなかった。だがしかし、慧音には他にどうする事も出来なかった。受け入れれば里の人間が死ぬし、受け入れなければ妹紅が消える事になるかもしれない。妹紅は死ぬと決まっているわけではないが、だからと言ってなにもしないわけにもいかなかった。
「頼む、人間を差し出す以外の事なら。いや、人間に害を加える事以外なら何でもするから私に力を貸して欲しい、頼む。」
その言葉を聞いた紫は再び軽く微笑むと、
「分かったわ、じゃあ貴方に何をさせるかは考えておくから。とりあえず先に話を聞かせてもらいましょうか。」
そう言って紫は手に持っていた傘をくるりと回したのだった。
「要するに、貴方はその妹紅って子を消滅させたくないわけね。」
「そういう事になる。」
「蓬莱人を消滅させるなんて、そんな方法があるのかしら。輝夜程度の力じゃだと思うけど、そこについてはどう思っているの。」
「今までの輝夜では無理だと思っている。だが、月の力が強くなった今はどうだか分からない。恐らくハクタクになった私の力も上がるだろうが、月人である輝夜の方が月の影響は大きいだろう。」
「まあ、月が変化した程度じゃ大して違いはないと私は考えますけど。」
「万が一、という事がある。他に何か準備をしていたかどうかも私には分からないんだ。それについては何か見たり聞いたりしなかったのか?」
「さっきの私の話聞いていませんでした?そんなことをする時間も余裕も輝夜にはなかったと言ったはずですが―――」
と、そこで一瞬紫は言葉を止める
「そういうことでしたら、多分輝夜は私たちをその蓬莱人のところへと送ると思います。輝夜は私と霊夢でかなり痛めつけてあげましたし。」
「あの輝夜をか?」
慧音にはにわかに信じられなかったが、恐らくこの妖怪の言っている事は冗談ではないのだろうと判断し、話を続ける。
「ならば、そのとき輝夜に何か言われても断って欲しい。いや、断らずに受け入れてもらった上で失敗して貰えるとさらに有難い。」
「別に良いわよ。輝夜に何か借りがあるわけではないし。」
「そうか、恩にきる。」
「でも、」
「まだ何かあるのか?」
「その蓬莱人を痛めつけるのはやぶさかじゃないわよ。死なないんでしょう。戦いになったらどちらかが戦えなくなるまで終わらないのだし。」
「それはそうだが……」
「もしかするとその戦いで命を落とすかもしれないわね。」
その言葉に慧音はぞくりと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「私たちは輝夜を倒した。今までその蓬莱人が輝夜に殺されなかったのは単純に輝夜の力が足りなかっただけかもしれないじゃない。だったら、輝夜を倒した私たちならその蓬莱人を殺す事が出来るのかもしれないのでしょう。私たちを行かせるとしたらそれが輝夜の狙いなんでしょうし。」
「そ、それでは話が違う!」
狼狽して叫ぶ慧音に向かい、紫は言い放つ。
「違わないわ。私と貴方の約束は輝夜にその蓬莱人を殺させない事。私達が殺す分には何の問題も無いはずですが。それとも貴方はそこまで強要しますか、それでしたらやはり人間を供えて貰うことになりますよ。」
と、そこで再び言葉を切る。何も言い返せない慧音に対して、紫は短く言い放つ。
「どちらも嫌なら、貴方自身で止めればいいでしょう。私達も一緒に。」
その言葉を最後に、紫の体が突如として現れた裂け目へと飲み込まれてゆく。
「そういえば、聞き忘れていました。貴方の名前は?」
「上白沢慧音だ。」
「慧音、私は八雲紫。次会う時は敵かしらね。」
その言葉を最後に紫の体が全て裂け目へと飲み込まれてゆく。その裂け目が完全に閉じたのを見越した後、慧音は誰に語るでもなく、小さく呟いた。
「八雲、紫。あれが神隠しか……。」
ともかく、輝夜によって妹紅が殺されるという心配は多少ではあるが減ったと考えるべきだろう。八雲紫が本当に輝夜と同等もしくは輝夜よりも上の力を持っているのであれば、輝夜の道具として働く事を良しとするとは思えない。そして、さっきの話を全て本当だと考えた上ではこちらから何もしなくとも輝夜は紫と霊夢を妹紅のところへと送って着るだろうと慧音は考えた。
だがしかし、八雲紫が約束を守ってくれるかどうかは分からない。守ってくれるとしても、妹紅が紫に殺されてしまうかもしれない。
「私は出来る事をするしかないんだな、つまりは。」
人間を護る、いつものように。
誰に頼るでもなく、自分だけの力で。
慧音は太陽が沈み、青白い光に照らされている漆黒の空を見上げていた。その身は既にハクタクのものへと変化しており、普段とは比べ物にならない霊力が自らの内に存在しているのが慧音には自覚できていた。
風が吹いて木々を揺らす。幾万もの木の葉が揺れ、静かな音楽を奏でる。
今の慧音には夜空に浮かぶ月が何なのか分かっていた。あれは真実の月。輝夜達が生まれた幻想の月だ。全ての妖怪に力を与える原初の月。それに干渉する事が輝夜の目的だったのだという事が今なら分かる。
再び、風が吹いて森が揺れる。自身がいる場所は竹林の奥へと通じる唯一の通路。ここさえ通さなければ誰もが先に進む事は出来ない。
妹紅が死なないであろう事は既にわかっている。知識に限って言えば、幻想郷内でハクタクになった慧音に得られぬ物はない。只心配だったのは、輝夜のたくらみが分かっても時間が足りずにどうしようもないという事だけだった。だが、それも杞憂だった。
遠くから音が聞こえてくる。諍いの音だ。何者かが竹林へと入って来て、魑魅魍魎どもと争いを繰り広げているのだろう。
「彼女は何のつもりであんな事を言ったのだろうか。」
神隠し、八雲紫。彼女は何のつもりで人間を生贄に、と言ったのだろう。彼女は既に輝夜の目的が分かっていた筈だ。なぜあんな事を言ったのか。全ての知識を手に入れられても、全ての想いを手に入れられるわけではない。他人が考えている事は知る事ができない。
不意に月が雲に隠れ、辺りが漆黒に染まる。諍いの音はまだ遠いが、まもなくここに来る事だろう。
その時を静かに待つ。目をじっと閉じて、竹林を通り抜けてゆく風が自分の体を優しく撫でてゆくのを感じながら。
月明かりが再び竹林を照らし始めた時、慧音の目の前には一人と妖怪が立っていた。一人は神社の巫女、博麗霊夢。一人は神隠し、八雲紫。この二人はこれから妹紅と戦いに行くのだろう。だから、慧音が言う言葉は既に決まっていた。
「待っていたぞ。満月の夜にくるとはいい度胸だ。」
「あら、ずいぶんとお変わりになって。」
霊夢が慧音の姿を見てとぼけた台詞を言い放つ。その後ろでは紫が楽しそうに傘を回しながら笑っていた。
全力で戦う。それが今の自分の出来ることの全て。
相手が力で望みを叶え様とするのであれば、自身も力で持って自身の望みを叶える他に方法はない。
私は独りで行く道を選んでいたはずではなかったのか、と八雲紫は言いたかったのだろうか。妖怪でありながら、人間の事が好きで人間の手助けをする私の事を。もしかしたら只単にからかいたかっただけなのかもしれないが。
恐らく自分は負けるだろうと慧音は思っていた。輝夜ですら倒す二人組みだ。いくらハクタクであるといっても、輝夜とそんなに大きな違いがあるとは思えない。だから、自身一人では打ち勝つ事はできないだろう、と。
けれど、相手が無傷ということもないだろう、とも思っている。自分が頑張れば頑張っただけ、相手に傷を負わせられる。そうすればそれだけ妹紅が楽を出来るだろう、とも。
だから、今言うべき言葉は
「あの人間には指一本触れさせない!」
全力を持ってこの二人を止める。
それは慧音が今、この時妹紅にしてあげられる全てだった。
ガサ、と落ち葉を誰かが踏む音がした。満身創痍の体に鞭打って顔をそちらへと向ける。
「慧音、大丈夫?」
「ああ、勿論だ。」
実をいうと、喋るだけでも体がだるい。初めて変身した日のように、肉体が悲鳴をあげていた。月の力が強くなって能力が上がるのは良いことなのだろうが、その分反動も強くなっているようだった。あの二人組みから受けた傷よりもそちらの方が深刻だというのは問題だろう。
「ああ、だから妖怪達の襲撃がないのか……」
使える力が大きくなっても、それを効率的に使えなければ意味がない。瞬発力は上がるのかもしれないが、その分持続力は下がっている。恐らく妖怪達が同じように生活が出来るようになるにはまだ時間がかかるのだろう。
「やっぱり彼女は別格という事か。」
全く問題なく動いていた八雲紫の姿を思い出して、苦笑する。
「何の話?」
「いや、こちらの話だ。それよりも、今日の二人はどうだった?」
「強かった、本当に。輝夜を倒したっていうのは本当なんでしょうね。でも悪い人達じゃないみたい。私を弱らせても肝を取ろうともしなかったし。」
「そうか、それは良かった。」
ふう、と大きく息を吐いて慧音は地面へと寝転んだ。
「あれ、今日は里への見廻りはいいの?」
「……そうだな、そろそろ行かないと。」
無理やりに立ち上がろうとした所で体がふらりとよろけ、妹紅に抱きしめられる。
「無理しすぎないでね。私は死なないから。慧音は無理すると死んじゃうんだよ。それは分かってる?」
妹紅は泣きそうな顔で慧音を見つめていた。
「私は死なないの。でも慧音は死んじゃうかもしれないの。」
「だが、妹紅も死ぬのかもしれない。ハクタクの私が知らないのだから、今幻想郷にいる存在、輝夜でも知識としては知らないのだろう。だが、もしかすると何か方法があるのかもしれない。」
その言葉に妹紅は頭を振る。
「でも、やっぱり私は慧音に傷ついて欲しくない。私は傷ついても、何をされても死なないけど、慧音は死んじゃうかも知れないから。慧音は大切な友達だから。ずっと一緒にいたいから。」
だからね、と妹紅は続ける。
「慧音は私が死ぬ事を恐れているのかもしれないけど、慧音が死んでも同じなんだよ。私が死んでも慧音が死んでも、同じ事なの。だから―――」
「だから?」
「だから、一人で悩んだりしないでね。」
そう言って妹紅は慧音をぎゅっと抱きしめる。その暖かさを背中に感じながら、慧音は呟くように言った。
「妹紅。」
「なあに、慧音。」
「―――――やはり貴方は人間だ。」
やわらかな微笑みと共に。
ふう、と小さく息を吐いてすでに白み始めた空を見上げる。
「結局今日も襲撃は無かった、か。」
最近は妖怪達の動きが活発になっているのが慧音には感じられていた。
その一番の要因は月。あの異変が起きていた夜、人妖の不思議な二人組に敗れたあの日から、幻想郷に降り注ぐ月の力が強まっていた。だが、何故か人里への妖怪の襲撃は一度たりとも起こっていない。
「何故だ。ハクタクになればわかるのだろうが……」
満月まで後数日。そうすれば自分の肉体は人間の物からハクタクの物へと変化し、幻想郷内の全ての知識は自分の物となる。だが、しかしこの静けさが何かの起こる前触れだとすれば、分かってからでは遅いのかもしれない、と慧音は思っていた。
「やはり、原因はあの二人なのだろうか。」
あの夜に出会った不思議な人間と妖怪の組み合わせ。人間の方は巫女の姿をしていたので正体が分かったのだけれど、妖怪の方には慧音は見覚えが無かった。それ以前にその妖怪についての知識も得た覚えは無かった。
「私が生まれる前から存在していた妖怪、それも幻想郷内に住む者ではない、という事なのだろうか。」
あの巫女は確か幻想郷の境に住む博麗神社の巫女で博麗霊夢。主な仕事は妖怪退治。人間に仇なす妖怪を退治して生活しているはずだ。
「だとしたら、何故彼女はあの日妖怪と一緒にいたのだろう。それもあの得体の知れぬ者と共に。」
自分の術をあっさりと、破っていないにも関わらずにそこにまやかしがあると分かった上で人間が見えると言い切ったあの妖怪は何者なのだろうか。
分からない。あの日から既に7日、もう次の満月はすぐそこだった。だがしかし、慧音には何の手がかりすらも見つけられていないのだった。
「慧音、また見回り?」
不意に後ろから声がかけられる。
「ああ、そうだ。まあ、私が好きでやっていることだが。」
「そっか、お疲れ様。」
そう言って妹紅は慧音にカップを手渡す。中の氷が解けてカラン、という小気味のいい音が辺りへと響く。
「相変わらず今日も熱帯夜だったんだってね。暑かったんじゃない?」
「私にとってはどうって事はないが。妹紅こそ暑かったのではないのか?」
「私は蓬莱人だから。火の気なら私には何の問題もないわよ。」
「ああ、そうか。すまない。」
「ううん、別にいいの。そんなことで謝らないでよ。」
妹紅はあわてて手を振る。慧音は妹紅が蓬莱人である自分のことを嫌っているのを良く知っているからだ。けれど、妹紅にとって慧音は大切な友達で、そんなことで本当に済まなそうな顔はしてほしくなかった。
「それで、慧音。何か分かったの?」
「いや、何も。里は平和そのものだ。幻想郷全体としてみても特に問題は起こっていない。もちろん月には変化が起きているのはわかるのだが。」
「そっか、一体何だったんだろうね、あれ。」
いつまでたっても夜が終わらない。あの日、妹紅は何となく胸騒ぎがしていた。けれど、結局輝夜は現れなかった。ああいう夜は決まって輝夜と殺し合いになるというのに。
不死の体。終わり無き肉体。永遠のその身の内に秘め、永久を過ごすことを定められし存在。蓬莱の薬を使った日から妹紅は死なない、死ねない体となった。
月へ帰ると言っていた輝夜。しかし、輝夜はここにいる。おそよ千年前、この地で輝夜を見つけ、何も手が無いまま襲いかかり、指一本触れる事が出来ずに大地へと叩きつけられたその日から輝夜の殺し合いは妹紅の日常となっていた。
「そういえば、相変わらずあの夜から輝夜は現れていないのか?」
「ええ、平和そのものよ。結局あの夜から輝夜は一向に姿を見せないわ。今までだったら二日おきぐらいに自分で私を殺しに来るか誰か刺客を送ってきていたというのに。」
「変わった所といえばそれぐらいのものか。」
「ええ、そうね。」
幻想郷全体としては変化がない。しかし、妹紅にとっては輝夜が襲ってこないというのは大きな変化だった。
「私はやっぱり輝夜が怪しいと思っているんだけど。どうなんだろう。」
「あの夜は輝夜が妹紅を消滅させるための準備の一環だったと、そう考えているのか?」
「そう、なのかな。まあ、私を殺す方法なんて輝夜ですら知っているとは思わないけど。知っていたなら今までもそうしていただろうし。」
そう言って妹紅は大きく溜息をついた。
「なんかさ、何も来ないと拍子抜けになっちゃうのよね。殺し合いが日常ってのも変な感じなんだろうけど、でも私にはそれぐらいしかすることはないし……」
「……そう、か。」
慧音は空を見上げる。既に太陽は地平線からすっかりと離れ、あたりには強い日差しが降り注いでいた。空は殆ど青一色に染まり、白い雲がまばらに存在する程度のものだった。
サク、という足音がして慧音は再び前へと視線を落とす。
「じゃあ、私はそろそろ行くから。また明日、かな。」
「ああ、ありがとう。また明日。」
手に持っていたカップを妹紅へとわたし、妹紅を軽く抱きしめる。
「何かあったら言ってくれ。すぐに駆けつける。」
「ありがと、慧音。それじゃあ、また。」
ばいばい、と妹紅が手を振って去ってゆく。木々でその姿が見えないようになってから慧音は再び溜息をついた。
「輝夜、そしてあの得体の知れぬ妖怪、か。」
考えていても分からない。少し休んだ後再び調査に出かけよう、と慧音は心に決めて住処へと戻っていった。
その頃、幻想郷の境にある神社では。
「暇ねー」
「暇だぜー」
「何か起こらないのかしらねー」
「何も起こらないぜー」
霊夢と魔理沙が並んで座っていた。二人ともどこを見るわけでもなく、ぼーっとした表情で座っているだけだ。霊夢の横にはお茶が入った湯のみがおかれているが、その中には緑色の液体が並々と入っていて少しも減っている様子がない。おそらく手持ち無沙汰だったのでいれてはみたものの、飲む気がおきずにそのままになっているのだろう。
「って、貴方いつの間に?」
「さっきからずっと居たぜ。まさか気づいてなかったのか?俺にはなしかけていたのだとばっかり思っていたんだが。」
「じょ、冗談に決まってるでしょ。」
「そうか。暇だな」
「暇ねぇ……」
霊夢の仕事は妖魔調伏。妖怪が人間に悪さをしないのであれば、全くすることはない。もちろん神社の巫女としての仕事も無いわけではないのだが、季節は夏。春は桜の花が。秋は落ち葉で、冬は雪かき等である程度忙しいのだが、夏は特にすることもない。神社に参拝客が少しでもいれば話は別なのだろうが、結局その神社も年中無休で参拝客が居ないわけで、何をするでもなく日向ぼっこをするぐらいしかすることがなかった。
「そういえばさ」
「あー?」
「この頃紫何してるか知らない?」
「寝てるんじゃないのか?」
「そうなのかしらねえ。」
「あいつは年中寝てるらしいがな。」
「そうねえ。」
「藍が嘆いてたぜ。家事も何もかもを自分ひとりにやらせるって。」
「それにしても、何でいきなり紫なんだ?」
魔理沙が怪訝そうな顔で霊夢の方を見る。
「ううん。只この頃何しているのかしら、って。あの夜一応世話になったわけだし、お礼ぐらいは言っておきたいと思ったんだけど。」
「結局あの夜はすぐに宴会に突入してしまったからな。」
「そうなのよねえ。結局ちゃんと話できないままに寝ちゃって藍が持って帰っていたし。」
「ま、いつものことだが。暇なら宴会でもやるか?」
「私の家で?冗談じゃないわ。もうお酒も全部飲みつくされたのよ。貴方がお酒用意してくれるっていうなら考えてもいいけれど。」
「げげ、そんなの冗談じゃないぜ、ほんとに。」
「そう、それならいいわ。」
「あーあ、お嬢様パワーで宴会とかやってくれないもんかね。」
「言ってみたら?やってくれるかもしれないわよ。」
その時、不意に後ろからの声が聞こえてきた。その声につられて霊夢と魔理沙は振り向く。
「無理ですよ、屋敷にも今飲めるお酒はありませんから。」
「咲夜か。無理ってのはどういうことだ?」
「ええ、フランドール様がちょっと。」
「あいつがどうかしたの?」
「テレビを見てボーリングとかいうものをやってみたいと言い出しまして。それで全ての酒瓶を粉々に。もちろん殆どは中身が入ったものです。」
ふう、と咲夜は大きな溜息を吐いた。
「やっと、片付けがついさっき終わった所です。いくら時間をとめられるとは言っても……その時間の中で働けるのは私一人ですし。」
「そ、そう。大変だったのね。お茶でも飲む?」
「頂きます。ありがとう、霊夢。」
そう言って咲夜は腰を下ろした。
「それにしても、テレビなんてあるんだな?」
「そりゃあありますよ。それぐらい。」
「でも白黒なんだろ?」
「そりゃあもちろん。」
「そーだよなあ。じゃなきゃピンは白なのに透明のビンを使うわけがないしな。」
「そういう問題?」
はい、と霊夢は氷の入った麦茶を咲夜と魔理沙へと手渡す。
「と、いうより何で酒瓶なのよ。」
「形が近いからそう思ったのでは?」
「そんなもんだぜ。」
「いや、あの子ならそういうことしそうな気もしないでもないんだけど……」
「まわりくどい口調だな。ようするにどっちなんだ?」
「しそう、って言ってるのよ。それぐらいわかってよ。」
「まあ、どっちにしてもお酒はありません。宴会はまだ無理ですね。」
「そーか、残念だぜ。」
「そういや、レミリアはどうしたんだ?」
「ええ、お嬢様ならちょっと謹慎中です。妹様にボーリングを許可したので。」
「なるほどねえ……」
お茶を一口のんでふう、と息を吐き出す。雲一つ無くなった青空を眺めながら、小さく呟く。
「今日も暑くなりそうね。」
神社では相変わらずのんきな人達がのんきに会話を続けていた。
「そういや、咲夜の方は何か変わりない?」
「何もありませんが。そちらはどうです?」
「私のほうもなにも無いわ。何かがおこっても良さそうなんだけど。」
「ですよねえ。」
「なんで俺には聞かないんだ?」
三人でいるというのに二人だけで話すのを不審に思った魔理沙が尋ねる。
「じゃあ魔理沙、何か起こったの?」
「いや、何も起こってないぜ。」
「でしょうね。何か起こっていたら魔法でどこかが焼き尽くされているでしょうし。」
「ひどいぜ。」
「……平和そのものだな。」
慧音は霊夢がいるのを見つけて会話を盗み聞きしていたものの、何もおかしな所も無ければ、物騒な会話もない。唯一気になったのが、『紫』という名前だった。
「どこかで聞いたことがあると思ったんだが……どこだ?」
と、そこまで考えたところで不意に後ろに気配を感じてあわてて振り向く。そこに立っていたのはあの夜に出会った二人の内の一人、それも正体が分かっていない相手だった。
「こんにちは。」
「!?」
予想だにしていなかった言葉が口から発せられて一瞬戸惑う。
「おはようございますの方が良かったでしょうか?」
「い、いや。」
「ところで、貴方はこんな所で何をしているのか?」
いつの間にか横に立っていた狐変化、藍が慧音に対して聞く。その問いに対して慧音が答える前に紫が
「藍、そんなの決まっているじゃないの。のぞきよ、の・ぞ・き。」
「な、そんなわけないだろう!」
「覗いた人は皆そう言うのよ。大丈夫、私は告げ口なんてしませんから。藍、貴方も言ってはダメよ?」
「紫様がそう言うのでしたら。ですが宜しいのでしょうか?」
「い、いや。私は覗きなんてしない。それより貴方に聞きたいことがある。」
「なんでしょう?」
「あの夜の事だ。あの夜は一体何だったんだ?」
「ああ、あの夜のことですか。あれは輝夜のせいです。輝夜、知っているのでしょう?」
その言葉に慧音は戦慄した。妹紅が言っていた言葉、『私を消滅させるための準備』という言葉が頭の中で何度も繰り返される。
「やはり、あれは輝夜のせいだった、と?」
「ええ、そうなるかしらね。」
「そうか、済まなかった。ありがとう」
そういうと慧音は地面を軽く蹴り、目立たないように低空で飛び立った。 後ろからは、
「それにしても、紫様寝る時間変わりましたね。昼間に起きて夜寝るようになるなんて。」
「しょうがないじゃない。夜をのばしたせいで体内時間が変わってしまったのよ。」
等という良く分からない会話が聞こえてきて何となく気になったものの、無理やりそれを慧音は無視した。
「輝夜、一体何を考えている?」
月の力を強化する、つまりそれは月の民である輝夜達の強化に繋がる。これが単純な力の強化であればいいのだが、もしも何かをたくらんでいるとなると、
「やはり、次の満月の日か。」
満月、月の力が一番強くなる日。だが、自分も満月の日にはハクタクとなり、普段とは一桁違う力が使えるようになり、それと共に幻想郷の知識を得、歴史すらも操れるようになる。
「妹紅を、殺させない。」
人間が好きだ。自身は妖怪だが、種族が違うからと言って守りたい存在になりえない事はない。人間と一緒に居る事が好きだ。小さな子供たちと遊んでいると心が安らぐ。のんびりと何をするでも無く会話をしているのもいい。そして、人間に頼られるのは嬉しい事だ。もちろん頼んでくる相手が自分で出来ることを慧音は手伝う気はない。自分の全力を尽くしても出来ない事を手伝うだけだ。
けれど、妹紅への想いは少し違っている。人間が好き、それとは関係なく慧音は妹紅を護りたかった。蓬莱の薬を飲んだ経緯はまだ聞いていない。が、妹紅は友達だった。慧音は人間が好きだが、自身が妖怪だと知れると何が起きるか分からないから、出来るだけ人間とは距離をおくことにしている。自分の事を妖怪だと思っている人は殆どいないだろう。自分が妖怪であると分かっても他の人間が自分のことを怖がらずにいてくれるかという確証が今でも持ててはいないから、出来るだけ人間とは距離をおいているのだった。
不意に、昔の事を思い出す。
ある日、慧音は里を護るために戦っていた。相手は強大で、満月だというのに里に近づけない事が精一杯だった。手持ちのスペルカードは全て焼き尽くされ、いよいよ後がない、という時に突如として真上から火の鳥が舞い降りてきたのだった。
そして、その火の鳥を身に纏った少女は慧音に対してこう言ったのだった。
「どうして、戦っているの?」
そして、その問いに私は答えた。
「人間を護りたいからだ。」
その答えを聞いた少女は少し寂しそうに微笑んだ。
「あれの狙いは私。狙いは蓬莱の薬、私の肝だわ。私が出てきたからもう里には危害を加えないはずよ。」
「だが、それでは君が狙われるのではないのか?」
「心配してくれるのかしら、でも大丈夫。こう見えても貴方よりも全然長生きしているし、私は死ぬ事がないのだから。」
「そういう事を言っているのではない。私は、人間が傷つくのを見ていられないだけだ。」
その答えが意外だったのか、その少女は一瞬目を見開く。慧音の顔を軽く首を傾げながら眺めながら小さく呟いた。
「私は、人間だと思う?」
「当然だ。」
慧音は即答していた。慧音が護りたいもの、それは他人を思いやる事が出来る者。殆どの妖怪が持ち得ない心だった。だから、それを持ちうるこの少女は
「貴方は、人間だ。」
慧音は妹紅に向かって断言していた。
気がついたら森を抜けていた。昔の事を思い出している内につい気を抜いてしまっていたらしい。慌てて飛行を止めて歩きへと変える。
「妹紅は、やらせない。」
改めて口に出して誓う。彼女は人間だ。月の民なんかの好きにさせるわけには行かない。
だが、その為には準備があまりにも足りなかった。今までの輝夜一人なら満月の夜ならなんとかなっただろう。だがしかし、月の力が強くなり、さらに新たな術で力を得ているとなると、慧音一人ではどうしようもないかもしれなかった。だが、しかし自分のために手助けをしてくれる妖怪がこの幻想郷内にいるとも思えなかった。
「くそ、なぜこんなに私は弱いのだ。」
力とはその存在の全てはない。一側面だ。だがしかし、力がないと何も出来ない場合もある。力はそれ自体では何も生み出さないが、自分の外との関わりを持つ時には大きな影響を与えるものだ。そして、慧音はその力の全てを人間を護るために使ってきた。だからこそ、妖怪達の中には慧音を恨んでいる者もいるし、機会があれば倒したいと考えている者も居る事だろう。
襲う者から襲われるものを護れば襲ったものには恨まれる。そしてそれが自身と同じ妖怪であるということは慧音には良く分かっていた。そして、それを承知の上で慧音は人間を護っていた。だから、今回の件で頼れる相手がいないというのは当然の事だった。
自身が傷つくのは怖くない。けれど、護りたい相手を護りきれないのが慧音には嫌だった。
「どうすれば、いい?」
いまから新しいスペルカードを作っている時間の余裕は無い。ハクタクになって使えるようになるのは歴史を操る能力に関係する物、オールドヒストリー・一条戻り橋・ネクストヒストリーの3枚だが、輝夜もその事は承知しているだろうし、もしも本気で妹紅を消滅させようとしているならばイナバ・永琳をつれて来る事だろう。永遠亭に住む兎も沢山連れて来るかもしれない。
「どうすれば……」
いくら考えても何も浮かんでこなかった。一緒に相談出来る相手もいない。人間ではこの問題に何かが出来るとは思えないし、妹紅にはこの事を話すわけにはいかなかった。
結局、その日は何の解決策も得られぬまま次の日へとなった。
毎日の巡回を終えて、休憩していると、昨日と同じように妹紅が手に飲み物を持ってやってきた。
「慧音何だか疲れてない?」
「いや、そんなことはない。」
内心では焦りながらも、人間の里を見回るのをやめるわけにはいかない。あの日から襲撃がないとはいってもそれは単なる偶然の可能性もあるからだ。妹紅の事が大切であるとは言っても、里の護りを手薄にするわけにはいかなかった。
「そう、なら良いんだけど。」
不思議そうに妹紅は頭を傾げるが、慧音はその顔をまともに見る事が出来なかった。
「相変わらず輝夜は何もしてこないのか?」
「うん、全く何も。張り合いが無くて困ってるわ。」
「そうか……」
「どうしたの?」
なぜ慧音が落ち込んでいるのか妹紅にはよく分からなかった。いままでの慧音であれば輝夜が来ない事を素直に喜んでいたのに、この頃はなぜか輝夜が着て欲しそうにしているのを何となくではあるが、感じていたからだった。
「い、いや。これまで襲撃がこんなに長い間なかったのはひさしぶりではないか、と思ってな。良いことだとはおもうんだが、ちょっと気になってな。」
「変な理由ね?」
不思議そうに妹紅が頭を傾げる。
「まあ、妹紅が傷つかないのは良い事だ。いくら死なないと言っても痛いことには変わりないのだろう。輝夜の相手は悔しいが私では出来ないのだし。」
「分かっていると思うけど、輝夜が来ても邪魔しちゃだめよ。彼女を倒すのは私の役目なんだから。私の事を殺せない、そして私では輝夜を殺せないと分かって殺しに来るのがまた憎たらしいんだけどね。」
今度は違うかもしれない、今度負けたら妹紅が消されるのかもしれない、という思いを慧音は心の中におしこめながら話を続ける。
「そうだな、死なないというのはすばらしい事だ。」
「ええ、本当に。」
何かが分かるのではないかという微かな期待と共に、博麗神社に来たものの、今日は誰も居なかった。諦めて帰ろうと思ったそのとき、突如として背後から背中を掴まれた。慌てて振り向くと、空間の裂け目から手だけが生えていて、慧音の肩を掴んでいた。
眉をひそめてその手を眺めてみるものの、なんの変哲も無い手だった。人間だったらそんな事をされれば驚いてにげてしまうものだが、慧音にとっては手が空中から生えているというのは驚きはあるが恐怖の対象にはなりえない。その手を掴んでみても特に何の反応もなかったので、肩から無理やり引き剥がそうとしたら突然掴む力が強くなって慌てて手を離す。
「……何だこれは?」
「覗き魔撃退用の手よ。」
その手から少し離れた所に大きな空間裂け目が生まれ、八雲紫が姿を現す。それと同時に肩を掴んでいた手が慧音の肩を離し、裂け目の中へと消えていった。
「やっぱり覗き魔だったわね。覗き魔はいつも同じような地点に出没すると言ったデータがありますし。」
「だから私は覗き魔では。」
「なら、何故二日続けてこんな何もない所に?」
その言葉に慧音は迷った。目の前にいるのは恐らくは慧音を遥かに超える力を持った妖怪だろう。もしも力になってもらえるとすればかなり頼もしい存在になるはずだ。しかし、慧音はその事を目の前の相手に話すべきかどうか判断できなかった。もしもこの相手が輝夜に与するものだとすれば、勝機を全て失う事となってしまうだろう。だが、しかし。
「頼みがある。聞いてくれるか?」
何もしなければどうしようも無い事はこの数日で分かりきっていた事だった。
「蓬莱人、ねえ。」
「ああ。藤原妹紅という。あの夜輝夜が何をしていたのか知っているのだろう。話を聞かせて欲しい。」
「私の見たところではあの夜にそんな仕掛けをする余裕と時間があったとは思わないけれど。どうしてそう思ったのかしら?」
「いままで数日おきに輝夜は妹紅と殺し合いをしていた。だがしかし、この頃は全く来る素振りが無い。あの月に異変が起きていた夜以来。だから輝夜は何かをしているのではないかと気になってしかたがない、と言うのが理由だ。」
只単に輝夜は私と霊夢に付けられた傷をなおしているだけではないのかしら、と紫は思ったが、結局口には出さなかった。
「どうなのかしら。それは良く分からないけれど。」
「だから、頼みがある。もしも貴方が輝夜の手先などではないのであれば、手助けを御願いしたい。私に出来る事であれば何でもする。」
「出来る事って、何でもいいのかしら?」
「ああ、私に出来る事であれば。」
その言葉に紫はちょっと考えると、こう言った。しかし、その言葉は慧音には到底受け入れられることではなかった。
「じゃああの里に住む人間を少しくださいな。そうすれば手伝ってあげますから。」
「な、本気で言っているのか?」
「勿論です、何でもすると言ったでしょう。あれだけ沢山いるのですから、少しぐらい減っても誰も気づかないのではないかしら。別に全部頂くというわけではないのですし。」
軽く微笑みながら紫はそう言い放つ。
「だ、だがしかし。」
「何でもする、と言う事はそういうことです。自分の言った言葉には責任を持つべきでしょう?」
「そ、それは確かに私はそう言ったが、それは自分をどうしてもいいと言う事であって。」
「出来ない事があるのであれば初めから言うべきではないのではないかしら。」
その言葉に慧音はうっ、と言葉を詰まらせる。
「それで、どうなのかしら。受け入れる、受け入れない。どちらでも私には良いのですけれど。」
その提案は慧音には到底受け入れられるものではなかった。だがしかし、慧音には他にどうする事も出来なかった。受け入れれば里の人間が死ぬし、受け入れなければ妹紅が消える事になるかもしれない。妹紅は死ぬと決まっているわけではないが、だからと言ってなにもしないわけにもいかなかった。
「頼む、人間を差し出す以外の事なら。いや、人間に害を加える事以外なら何でもするから私に力を貸して欲しい、頼む。」
その言葉を聞いた紫は再び軽く微笑むと、
「分かったわ、じゃあ貴方に何をさせるかは考えておくから。とりあえず先に話を聞かせてもらいましょうか。」
そう言って紫は手に持っていた傘をくるりと回したのだった。
「要するに、貴方はその妹紅って子を消滅させたくないわけね。」
「そういう事になる。」
「蓬莱人を消滅させるなんて、そんな方法があるのかしら。輝夜程度の力じゃだと思うけど、そこについてはどう思っているの。」
「今までの輝夜では無理だと思っている。だが、月の力が強くなった今はどうだか分からない。恐らくハクタクになった私の力も上がるだろうが、月人である輝夜の方が月の影響は大きいだろう。」
「まあ、月が変化した程度じゃ大して違いはないと私は考えますけど。」
「万が一、という事がある。他に何か準備をしていたかどうかも私には分からないんだ。それについては何か見たり聞いたりしなかったのか?」
「さっきの私の話聞いていませんでした?そんなことをする時間も余裕も輝夜にはなかったと言ったはずですが―――」
と、そこで一瞬紫は言葉を止める
「そういうことでしたら、多分輝夜は私たちをその蓬莱人のところへと送ると思います。輝夜は私と霊夢でかなり痛めつけてあげましたし。」
「あの輝夜をか?」
慧音にはにわかに信じられなかったが、恐らくこの妖怪の言っている事は冗談ではないのだろうと判断し、話を続ける。
「ならば、そのとき輝夜に何か言われても断って欲しい。いや、断らずに受け入れてもらった上で失敗して貰えるとさらに有難い。」
「別に良いわよ。輝夜に何か借りがあるわけではないし。」
「そうか、恩にきる。」
「でも、」
「まだ何かあるのか?」
「その蓬莱人を痛めつけるのはやぶさかじゃないわよ。死なないんでしょう。戦いになったらどちらかが戦えなくなるまで終わらないのだし。」
「それはそうだが……」
「もしかするとその戦いで命を落とすかもしれないわね。」
その言葉に慧音はぞくりと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「私たちは輝夜を倒した。今までその蓬莱人が輝夜に殺されなかったのは単純に輝夜の力が足りなかっただけかもしれないじゃない。だったら、輝夜を倒した私たちならその蓬莱人を殺す事が出来るのかもしれないのでしょう。私たちを行かせるとしたらそれが輝夜の狙いなんでしょうし。」
「そ、それでは話が違う!」
狼狽して叫ぶ慧音に向かい、紫は言い放つ。
「違わないわ。私と貴方の約束は輝夜にその蓬莱人を殺させない事。私達が殺す分には何の問題も無いはずですが。それとも貴方はそこまで強要しますか、それでしたらやはり人間を供えて貰うことになりますよ。」
と、そこで再び言葉を切る。何も言い返せない慧音に対して、紫は短く言い放つ。
「どちらも嫌なら、貴方自身で止めればいいでしょう。私達も一緒に。」
その言葉を最後に、紫の体が突如として現れた裂け目へと飲み込まれてゆく。
「そういえば、聞き忘れていました。貴方の名前は?」
「上白沢慧音だ。」
「慧音、私は八雲紫。次会う時は敵かしらね。」
その言葉を最後に紫の体が全て裂け目へと飲み込まれてゆく。その裂け目が完全に閉じたのを見越した後、慧音は誰に語るでもなく、小さく呟いた。
「八雲、紫。あれが神隠しか……。」
ともかく、輝夜によって妹紅が殺されるという心配は多少ではあるが減ったと考えるべきだろう。八雲紫が本当に輝夜と同等もしくは輝夜よりも上の力を持っているのであれば、輝夜の道具として働く事を良しとするとは思えない。そして、さっきの話を全て本当だと考えた上ではこちらから何もしなくとも輝夜は紫と霊夢を妹紅のところへと送って着るだろうと慧音は考えた。
だがしかし、八雲紫が約束を守ってくれるかどうかは分からない。守ってくれるとしても、妹紅が紫に殺されてしまうかもしれない。
「私は出来る事をするしかないんだな、つまりは。」
人間を護る、いつものように。
誰に頼るでもなく、自分だけの力で。
慧音は太陽が沈み、青白い光に照らされている漆黒の空を見上げていた。その身は既にハクタクのものへと変化しており、普段とは比べ物にならない霊力が自らの内に存在しているのが慧音には自覚できていた。
風が吹いて木々を揺らす。幾万もの木の葉が揺れ、静かな音楽を奏でる。
今の慧音には夜空に浮かぶ月が何なのか分かっていた。あれは真実の月。輝夜達が生まれた幻想の月だ。全ての妖怪に力を与える原初の月。それに干渉する事が輝夜の目的だったのだという事が今なら分かる。
再び、風が吹いて森が揺れる。自身がいる場所は竹林の奥へと通じる唯一の通路。ここさえ通さなければ誰もが先に進む事は出来ない。
妹紅が死なないであろう事は既にわかっている。知識に限って言えば、幻想郷内でハクタクになった慧音に得られぬ物はない。只心配だったのは、輝夜のたくらみが分かっても時間が足りずにどうしようもないという事だけだった。だが、それも杞憂だった。
遠くから音が聞こえてくる。諍いの音だ。何者かが竹林へと入って来て、魑魅魍魎どもと争いを繰り広げているのだろう。
「彼女は何のつもりであんな事を言ったのだろうか。」
神隠し、八雲紫。彼女は何のつもりで人間を生贄に、と言ったのだろう。彼女は既に輝夜の目的が分かっていた筈だ。なぜあんな事を言ったのか。全ての知識を手に入れられても、全ての想いを手に入れられるわけではない。他人が考えている事は知る事ができない。
不意に月が雲に隠れ、辺りが漆黒に染まる。諍いの音はまだ遠いが、まもなくここに来る事だろう。
その時を静かに待つ。目をじっと閉じて、竹林を通り抜けてゆく風が自分の体を優しく撫でてゆくのを感じながら。
月明かりが再び竹林を照らし始めた時、慧音の目の前には一人と妖怪が立っていた。一人は神社の巫女、博麗霊夢。一人は神隠し、八雲紫。この二人はこれから妹紅と戦いに行くのだろう。だから、慧音が言う言葉は既に決まっていた。
「待っていたぞ。満月の夜にくるとはいい度胸だ。」
「あら、ずいぶんとお変わりになって。」
霊夢が慧音の姿を見てとぼけた台詞を言い放つ。その後ろでは紫が楽しそうに傘を回しながら笑っていた。
全力で戦う。それが今の自分の出来ることの全て。
相手が力で望みを叶え様とするのであれば、自身も力で持って自身の望みを叶える他に方法はない。
私は独りで行く道を選んでいたはずではなかったのか、と八雲紫は言いたかったのだろうか。妖怪でありながら、人間の事が好きで人間の手助けをする私の事を。もしかしたら只単にからかいたかっただけなのかもしれないが。
恐らく自分は負けるだろうと慧音は思っていた。輝夜ですら倒す二人組みだ。いくらハクタクであるといっても、輝夜とそんなに大きな違いがあるとは思えない。だから、自身一人では打ち勝つ事はできないだろう、と。
けれど、相手が無傷ということもないだろう、とも思っている。自分が頑張れば頑張っただけ、相手に傷を負わせられる。そうすればそれだけ妹紅が楽を出来るだろう、とも。
だから、今言うべき言葉は
「あの人間には指一本触れさせない!」
全力を持ってこの二人を止める。
それは慧音が今、この時妹紅にしてあげられる全てだった。
ガサ、と落ち葉を誰かが踏む音がした。満身創痍の体に鞭打って顔をそちらへと向ける。
「慧音、大丈夫?」
「ああ、勿論だ。」
実をいうと、喋るだけでも体がだるい。初めて変身した日のように、肉体が悲鳴をあげていた。月の力が強くなって能力が上がるのは良いことなのだろうが、その分反動も強くなっているようだった。あの二人組みから受けた傷よりもそちらの方が深刻だというのは問題だろう。
「ああ、だから妖怪達の襲撃がないのか……」
使える力が大きくなっても、それを効率的に使えなければ意味がない。瞬発力は上がるのかもしれないが、その分持続力は下がっている。恐らく妖怪達が同じように生活が出来るようになるにはまだ時間がかかるのだろう。
「やっぱり彼女は別格という事か。」
全く問題なく動いていた八雲紫の姿を思い出して、苦笑する。
「何の話?」
「いや、こちらの話だ。それよりも、今日の二人はどうだった?」
「強かった、本当に。輝夜を倒したっていうのは本当なんでしょうね。でも悪い人達じゃないみたい。私を弱らせても肝を取ろうともしなかったし。」
「そうか、それは良かった。」
ふう、と大きく息を吐いて慧音は地面へと寝転んだ。
「あれ、今日は里への見廻りはいいの?」
「……そうだな、そろそろ行かないと。」
無理やりに立ち上がろうとした所で体がふらりとよろけ、妹紅に抱きしめられる。
「無理しすぎないでね。私は死なないから。慧音は無理すると死んじゃうんだよ。それは分かってる?」
妹紅は泣きそうな顔で慧音を見つめていた。
「私は死なないの。でも慧音は死んじゃうかもしれないの。」
「だが、妹紅も死ぬのかもしれない。ハクタクの私が知らないのだから、今幻想郷にいる存在、輝夜でも知識としては知らないのだろう。だが、もしかすると何か方法があるのかもしれない。」
その言葉に妹紅は頭を振る。
「でも、やっぱり私は慧音に傷ついて欲しくない。私は傷ついても、何をされても死なないけど、慧音は死んじゃうかも知れないから。慧音は大切な友達だから。ずっと一緒にいたいから。」
だからね、と妹紅は続ける。
「慧音は私が死ぬ事を恐れているのかもしれないけど、慧音が死んでも同じなんだよ。私が死んでも慧音が死んでも、同じ事なの。だから―――」
「だから?」
「だから、一人で悩んだりしないでね。」
そう言って妹紅は慧音をぎゅっと抱きしめる。その暖かさを背中に感じながら、慧音は呟くように言った。
「妹紅。」
「なあに、慧音。」
「―――――やはり貴方は人間だ。」
やわらかな微笑みと共に。
後は…幻想郷にテレビはあるのだろうか…。
意識していても言葉遣いって結構間違うものですね