「――そうそう、それでね、昨日はこんな夢を見たのよ」
「……って、また夢の話なの?」
「だって、昨日の夢はとびっきりに怖かったから、誰かに話さないと怖くて怖くて今日の夜はまともに寝られなくなっちゃいそうで」
私の名前は宇佐見蓮子。
この小さな街でオカルトサークルをやっている。
普通のオカルトサークルとは違って、私達のサークルはまともな霊能活動を行っていない、所謂不良サークルなんだけど。
それにサークルって言っても、サークルメンバーは二人しかいないのだけれどね。
「ねぇ、夢って人に話すと正夢になるって知ってる?余計に怖くなるだけよ?」
私の前にいるのはメリー。
二人しかいないサークルメンバーのもう一人。
本名はマエリベ――忘れちゃった。
彼女の国の言葉は発音しにくいのだ。
メリーはおかしな力を持っている。
彼女の家系は代々霊感を持って生まれてくるらしいけど、彼女の力は特に強い。
彼女は次元と次元の狭間、つまりこの世界と別の世界との境目が見えてしまう。
サークル活動は次元と次元の狭間――結界の切れ目を探しては、そこから別の世界に飛び込んでみることにある。
かの文豪が表した、神隠しというものに近いものなのかも知れない。
本当は禁止されているらしいけど。
ただそのせいか、最近彼女は色々な世界の夢を見るようになってきた、と、私に話すようになってきて……
「お願い、貴方に夢の事を話してカウンセリングして貰わないと、どれが現の私なのかわからなくなってしまいそうなのよ」
「私は一人夜道を歩いていたわ。
どこに向かってたかって?
そんなの知らないわ。
夢の中の出来事っていうのは、いつでも唐突なものなの。
夜道って言ってもこの街のようなコンクリートでできた道じゃないわよ。
両端には好き勝手に草木が生い茂る雑駁とした道。
山道に近いものだったわ。
その道を照らすのは満月の淡い光だけ。
本当に真っ暗だった。
そんな道を私はたった一人で歩いているのよ?
それだけでも怖いでしょう?
夜だっていうのに蒸し暑かったわ。
風一つなかった。
歩く度に汗で濡れた服が肌に張り付いて、気持ち悪かったわ。
そんな時だったのよ、真っ暗な道の向こうから、ピチャ、ピチャ、と音がしたのは。
水が滴る音だったわ。
でもどちらかと言うと、それは、きちんと締められていない蛇口から落ちる水滴と言うよりも、雨上がりのすぐ後の大木の葉から一斉に落ちる水滴の音に似ていたわ。
私は音のする方に歩いていった。
いいえ、正確には、私の向かっていた方向に音があっただけのことなんだけどね。
岩か何かから清流が染み出ているものだと思ったわ。
それなら涼しくていいなぁと思って、私はそういう安易な考えで音の方に近づいていったの。
ピチャ、ピチャ、という音は徐々に大きくなっていたわ。
その時よ、私は道の真ん中に誰かが立っているのを見かけたわ。
暗くてよくわからなかったけど、私よりも少し背の低い、少女みたいだった。
その傍らでは、多分男の人ね、背格好からして、男の人が彼女に寄り添うように膝を付いていたの。
彼女は彼を抱き締めているようにも見えたわ。
二人は私に気付いていないみたいだった。
逢引かしら、と思ったわ。
だったらバレないうちに邪魔者はいなくなった方がいいかしら、と引き返そうとしたその時だったわ。
今まで淡い光だけを放っていたはずの満月が、突如輝きを増したのは。
彼女達の姿がくっきりと照らし出されたわ。
あぁ、って、私はその時になって気付くの、ピチャ、ピチャ、という水の音は、彼女達の方からしていたって。
少女は赤に染まっていたの。
それが何の赤だか、私にはすぐにわかったわ。
だって彼女のもとに寄り添う、いいえ、彼女のか細い腕にがっちりと掴まれている彼の体は、まるで大量のピラニアに襲われたかのように、幾らか体の部位が欠けていたんですもの。
いいえ、『まるで』じゃなくて、それそのものだったわ。
彼は彼女に食されていたのよ。
そしてこれも明らかだったわ。彼はもう、生きていられる状態じゃないって。
ピチャピチャという音は、彼の体と、そして少女の口から滴る血の音だったのよ。
私は悲鳴を上げそうになったわ。
でもそれを何とか抑えて、私の生存本能がそうさせたのかも知れないわ、素早く私は路傍の木の影に隠れたの。
幸い、少女はまだ私の存在に気付いていないみたいだった。彼女はゆっくりと自らの食事を続けていたわ。
私のすぐ目の前で、彼女は彼の首筋に噛み付いたの。
そしてそれを上品に引き千切ったわ。
何故上品かって?
彼女は彼の首が落ちないように、彼の首がまだ体と肉で繋がっているように、極力気を使って噛み付いていたんですもの。
ぶらんぶらんと肉一枚で体に繋がれて揺れる彼の首から上を見て、私は吐きそうになって口を必死で抑えたわ。
彼女は続いて頭に噛み付き、バキッと乾いた音が響かせたの、頭蓋骨を割ったのね。
そこに彼女は口をつけて、動かなくなったわ。
でも良く見ると、喉がゴクゴクと動いているのがわかった。
彼の脳髄を吸っているんだ、ってわかったわ。
それを想像するだけで、本当に気持ち悪くって、そして怖かったわ。
何故目を閉じなかったって?
だってそうでしょ?
もし閉じたら、次目を開けた時、口元を血で真っ赤に染めたその少女が立っていたらと思うと……
何故逃げなかったって?
あなただってそこにいたらわかるはずよ。
もし逃げようとして物音一つでも立てたら、今度は私が彼女の食事になっているのよ。
とにかく私はその恐ろしい光景を見ている他なかったの。
もちろん私の中では、ぎゅっと目を瞑りたい、一秒でも早くここから逃げ出したい、という気持ちが絶えず私の体を駆り立てていたわ。
それでも私は、この恐ろしい光景を見ていることを選んだの。
人の形をした人が同じく人の形をした人でないものに食されていく様子を、最後まで。
彼はゆっくりと体の部々を失っていき、最後には骨だけになったの。
少女はそれをバリバリと最後の一本まで食し、彼の存在した痕跡は、道に落ちた数滴の血だけになったわ。
でもそれも、次の日には土に吸収されて消えてしまっているのね。
最後に、少女は口元を歪ませて微かに笑ったの。
私はゾッとしたわ。
それは本当に、穢れ一つ無い幼稚な笑みだったから。
子供が『もうお腹いっぱい』とでも言っているようだった。
そうして、彼女は歩き去っていったわ。
私の方に来なかったのは、本当に偶然の産物だった。
もしこっちに来ていたら……
今それを思うと結構ゾッとするわね。
本当に蒸し暑い夜だったわ。
いつのまにか私は全身汗だくで、服が肌に張り付いて気持ち悪かった。
ピチャ、ピチャという音は、当然だけど、もう聞こえてはこなかったわ」
「これで私の話は終わりよ」
ふぅ。
どうやらやっと話は終わったみたい。
私はほっと一息つく。
でも私の体は、未だにガクガクと震えていた。
「そしてこれが、私がその時恐怖を堪えるために必死で握っていた草花よ。
見て、ほらこの部分、あんまり強く握ってたから、ここだけ色素が抜けて白くなっちゃってるでしょ」
「だから、それは夢の話じゃないの?
何で夢の話なのにその夢の中のものが現実に出てくるのよ?
まぁ、別にいいけどね、いつものことだし。
それよりもメリー、あなたがあんまりにもリアルに話すから、聞き入っちゃったじゃない」
「だって、私にとっては夢も現なんですもの」
「うーん、そうだとしても。
……あ、そういえば……」
「うん?どうしたの?」
「いいえ、そういえば、朝ニュースでやってたじゃない。
男の人が昨夜突然行方不明になったって。
その事件が起きた場所って実は私の家からそう離れていないのよね。
朝からパトカーが結構私の家の前を通っていったわ。
そのせいかね、妙な噂が流れてるのよ。
彼が突如消えたと思われる道端には、彼の片足だけが残されていたんだ、って。
もう、メリーのせいで嫌なこと思い出しちゃったじゃない――」
メリーは、少しだけ驚いた風に微かに目を見開いた。
「メリー?どうしたの?」
私が問うと、
「……いいえ、別に、そういえば夢の中の彼は、最初から右足がなかったわね、と思い出しただけよ。
案外怪異って近くで起こるものなのね」
妖怪「そーなのかー」もかなり怖かったのを思い出しました。