Coolier - 新生・東方創想話

お天狐様は黒猫式の夢を見るか?

2005/08/08 08:33:35
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  これは、紅魔や桜下の亡霊嬢、それに月人達と渡り合った、ある代の博麗の巫女が生まれるよりも前のお話。


  幻想郷の山奥深く、人など滅多に立ち入らない場所に立つ一軒の屋敷。
  そこには、今日も陽の昇る前からトントンと小気味良い音を響かせる、ある者の姿があった。
  彼女は勿論、ただ朝餉の用意しているだけなのだが、その姿は少し奇妙である。
  白い三角巾で髪を覆うのは良いのだが、その隙間からは獣のような耳が覗く。
  その耳が、彼女が料理をしながら動くたびに、ぴょこぴょこと揺れているのだ。
  さらに彼女は割烹着を身に着けているのだが、妙なのはその腰の辺り。
  ふさふさと毛に覆われた尾らしきものが、1、2と数えて見れば合わせて9本生えている。
  そんな耳と尾から察するに、彼女は九尾の狐の妖らしい。
  勿論この幻想郷では妖怪など珍しくもない。
  だがやはり奇妙と言わなければならないのは、
  外界の伝説にも名を残した程の彼女が、食事の用意などしているこの姿だろう。
  とはいえ、彼女はさも当然と言わんばかりに、慣れた手つきで用意をこなす。
  所作にほとんど無駄な動きはなく、彼女が何千、あるいは何万回も同様の朝を過ごして来たことをうかがわせる。
  そうして朝の支度を終えて陽が昇る頃、彼女は己の主を起す為、その寝所へと向かった。


 「紫様、起きてください」
  正座で主の枕元へとにじり寄り、肩をそっと揺する。
  紫と呼ばれた主の寝起きが悪いのは毎朝の話であり、常人ならば遥か昔にしびれを切らしているだろう。
  しかし、少女は主の機嫌を寸分たりとも損ねないようにと、優しく辛抱強く肩を揺すり続ける。
  そして紫が起きるまでには随分と時間が経っていたのだが、少女は目を細めて笑顔を向ける。
 「紫様、お早うございます。よくお休みになられましたか?」
 「お早う。近頃は日和も良くて、ついつい寝坊をしてしまうわね」
  紫はそう言って、ふぁぁと欠伸をしながら伸びをする。
  少女は変わらぬ主の姿に安心し、まだ支度の続きがございますから、と退出しようとする。
  それを紫は呼び止めた。
 「何でしょう、紫様? 手水の用意も整っていますが」
  少女は怪訝な顔で聞き返す。
  だが、対する紫の答えはたわいもないもの。
 「いえね、今日はまだあなたの名前を呼んでいないと思って。
  だから、もう一度。お早う、藍」
  少女は、そうですか、と軽く言って今度こそと席を立つ。
  『藍』。それが少女の名前であった。


  藍が手馴れた様子で御飯をよそって紫に渡す。
 「では、いただきます」
  紫が言って食事を始めるが、漬物に味噌汁と手を伸ばした所でふと箸を止めた。
 「ねぇ、藍。前にも言ったけれど、一緒に御飯を食べない?
  こういうのは、一人よりも二人の方が美味しいものよ?」
  藍は少し驚いたようであったが、直ぐに笑顔を造って言った。
 「お心遣い有難うございます、紫様。
  ですが、こうして御傍に居なければ御用向の時に役割を果たせませんので」
 「それ位、食事をしながらでもできるんじゃない?」
  続ける紫に、藍は変わらぬ笑顔で言う。
 「例えその通りであっても、主である紫様と食事を共になど、とても畏れ多くて……」
  一礼しながら詫びる藍に、紫は少し残念そうに、そう、と軽く呟いた。


  そうして食事を終えた頃、紫が言う。
 「ねぇ、藍。話があるのだけれど」
  膳を下げようとしていた藍は、それが良い従者の条件とばかりに先読みをする。
 「お出掛けですか? 今日も白玉楼の桜は見頃でございましょう」
 「今日も、って、まるで私に幽々子以外の友人がいないみたいじゃないの?」
  失礼しちゃうわ、とおどける紫に、藍は只低頭で答える。
  紫は、そんな藍の顎に手を遣って「違うわ」と言う。
  そして、藍の顎をくいと引き上げ、吐息が届くほど近くに己の顔を寄せる。
  藍は驚いて顔を真っ赤に染め上げるが、構わず紫はじっと目を見据えて言う。
 「今日はね、あなたに話があるの」
  優しげに笑顔を浮かべ、だが眼には冷たさも湛えて紫は言った。
 

  藍は姿勢を正して紫へと向かう。
  それが式として、従者としてあるべき姿と藍は考えている。
  礼儀は正しく、命令は寸分も違えず実行する。そうして初めて主に愛される、と。
  紫など、「そんなに気を張らなくても良いのじゃない?」と言うのだが、藍はそう思わない。
  紫が言うのは、主であり強者である者の理屈だろう。
  従者たる自分は、そうは思えない。
  出来の悪い式など取り替えれば良いだけではないか、と。
  だからこそ、藍はあらゆることに完璧を期して来たのだ。
  愛すべき主である、八雲紫の意に沿うように。ぽいと屑籠に捨てられない為に。
  
  だから、余計に信じられない。
  そんな藍に向かって、紫は「あなたもそろそろ式を持ってはどうかしら?」と告げたのだから。

 「どういうことですか?」
  心中穏やかでない藍の言葉が鋭く響く。
 「どういうことって、これが今日のお話よ」
  対する紫は普段の通り、そろそろ少し暑くなって来たかしら、と扇で風を送る。
  藍は無礼なことと思いつつ、主に再び問う。暑さなど関係ない。式に暑い寒いなど必要ない。
 「そうではありません。
  ……紫様は、私のはたらきに何か不満がありますか?」
  あら、と紫は呟くと、扇をたたんで手をぽんと打つ。
 「どうしてそう思うのかしら?」
 「どうして? 決まっているではありませんか。
  紫様の仕事の代わりは、私が務め上げられます。この屋敷を保つのも、私一人で十分。
  それなのに、もう一人の式が必要というのは、私に不満があるからではないですか?」
  はっと気付いた藍は、申し訳ありません、と頭を下げる。
  そんな藍の様子に、紫は少しだけ悲しそうな顔をすると「違うわ」と呟いた。
 「では何故ですか? 私は精一杯に紫様に仕えて来たつもりです。
  それなのに何故、他の式が必要などと言われるのですか?」
  聞いた紫は、悲しげな表情を深くして「ねぇ、藍」と言う。
 「――あなた、どうしてそんなに不安そうなの?」


  不安?
  それが藍の思ったことの全てであった。つまり、思いもよらないことを言われたのだ。
  藍は、はは、と笑って言う。
 「不安などありません。私は、幻想郷のあらゆる境界を操る偉大な妖怪、八雲紫の式。
  その式である私に不安なことなど……」
  紫が手を上げて言葉を遮る。
 「では」
  細められた目は少し下を向く。
 「どうして」
  視線を上げて藍を見る。この上なく悲しげに見詰める。
 「泣いてるの?」

  ――泣いてなんかいない。
  そう言わんとした藍は違和感を感じる。
  頬が熱い。目が熱い。
  違う、違う、ちがう。藍が叫ぶ。
  式に涙は必要ない。だから、違う。
  
  そんな藍の様子を見て、紫は小さく首を振る。藍の頬へと手を添える。
  そして。
 「恐いの?」
  それだけ言った。


  頭が白くなる。
  藍は、何も考えられずに只ぶるぶると震える。
  だが口だけは勝手に動いていて、支離滅裂な言葉を放つ。
 「私は、あなたの織った『式』です。あなたの作った『式』です。
  主に必要とされていない『式』に価値なんてありません。
  私は、紫様のお役に立つ為に居るのです。その役目、他の者に渡したくありません」
  それだけ言うと、藍は両手を畳に着いて嗚咽を漏らす。
  

  紫は語る。泣きじゃくる藍の背中に語りかける。
  聞きなさいとも、顔を上げなさいとも言わず、優しく只優しく言葉を紡ぐ。

  ねぇ、藍。
  今の『あなた』が元々あった『あなた』なのか、それとも私の織った『あなた』なのか。
  そんなものの境界は、既に解けて混じってしまって、もう私にも見えないわ。
  でもね。
  でもね、藍?
  もし『あなた』が作られたとして、その価値は、主が決めるものかしら?
  自分の価値は、あなた自身がお決めなさいな。
  
  言うと、紫は後ろ手にすっと障子を開ける。
  そこは縁側へと続いており、開け放たれた戸口からは庭の景色が一望されるはずだった。
  見えたのは、やはり庭である。
  大きな木が、視界の端から端へと一本の枝を伸ばしている。
  桃。緑。紅。白。
  奇妙なのは、その枝に四色の幕が懸かっていること。
  視界は四色に分割されて、境界を唯ゆらゆらと揺らめかせていた。
  泣きながらも顔を上げ、ぼんやりと見入る藍に、紫は続ける。

  春。
  芽吹く生命を詠い上げ、染まる花を愛でなさい。
  夏。
  暑気を厭って耳を凝らし、鳴き抜く虫を聞きなさい。
  秋。
  月にはススキ、山には紅葉。移る季節を惜しみなさい。
  冬。
  清らな雪に許しを乞うて、寒さに震えて眠りなさい。
  
  感じなさいな、全部あなた自身の心でね。
  ――そうすれば、もっと楽しくなるはずよ?


  泣き続ける藍を、紫はぎゅっと抱きしめる。
 「だから、安心しなさいな? これからもずっと、あなたは私だけの式なのだから。
  ねぇ、『八雲藍』?」
  藍は紫の胸に顔を埋めて、赤子のように涙を流す。
  紫はそれを抱きとめて、時折ぽんぽんと背を叩く。
  幻想郷の山奥深く、そんな二人を見ている者など、何処にも誰もいなかった。


  それは、黒猫の橙が八雲藍の式となる、ほんの少しだけ前のお話。




  そうして今日もマヨイガには、
 「あンの、ス・キ・マァアアアアアー!!! 橙を、私のちぃぇんを、何処へやったぁぁぁあ?」
  元気な藍の声が響き渡る。
読んで下さった方、重ね重ね有難うございます。
3度目の投稿になります、CGPHです。連夜の投稿ごめんなさい。
最新の『香霖堂』の式神に関する記述を見たら、こんな妄想が浮かんで来ました。短めですが。
八雲一家ファンの方ごめんなさい、式に対する理解が間違ってたらごめんなさい、と
色々謝りたい気分にも駆られるのですが、少しでも楽しんでもらえたなら幸いです。
でも一気に書き上げて、自分が楽しんだので良いかな、と。
お叱りの言葉など頂けると、とても喜びます。
CGPH
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コメント



0.3830簡易評価
4.70名前が無い程度の能力削除
うわぉ、良い話だ。 この心地よさは50じゃ足りない。
最後の3行が素敵に締めているのが尚良い。 拍手。
16.70削除
藍さまの葛藤と紫さまの優しさがこの上なく上手に描かれていて、心があったまる思いでした。ごっそうさんです。

しかし、最後の3行ですっかり変り果てても違和感なし、と思えるのはやはりテンコクオリティの御業でしょうな
17.80てーる削除
紫さまが完璧超人だったとしても、一人よりも二人いたほうがいいことだってある
紫様だって藍様が好きなんですから・・・

でも、最後の3行だけ見ると過去の歴史は何とやら・・w
18.70沙門削除
 割烹着姿の藍様は実に良い、みたいな。ふかふかしながらご馳走様でした。
36.無評価CGPH削除
感想有難うございます。

>名前が無い程度の能力さん
オチが弱いかと土壇場で3行入れました。入れといて良かったです。

>幕さん
最後の3行に反応してくれる方がこんなに居るとは……
つくづくテンコーの強さを思い知ります。

>てーるさん
一人より二人、二人より三人ってやつですね。八雲一家が羨ましい。

>沙門さん
様々な作品の影響から藍様は割烹着が脳内固定に……ふかふかもふもふ。
此処を見ておられるか分かりませんが、骨折の件ご自愛下さい。
39.80名前が無い程度の能力削除
最後ので台無しw
41.70おやつ削除
ああん藍様変わりすぎ!
だが、それが良い!!

本文は上下関係、最後の三行で家族、良いお話でした
44.70変身D削除
最初の方の紫に尽くす藍の姿に、一瞬ですが妖夢をダブらせてしまったり。

何はともあれ、素敵な作品でした。
47.無評価CGPH削除
これだけ感想頂いたのは初めてです。有難や、有難や。

>名前が無い程度の能力さん
ある意味余韻は台無しだよな、と思いつつ入れてしまいました。
あぁ、あの三行に対する感想が一番多い……すごいよ天狐さん。

>おやつさん
うぁ、格好良い藍様の方から感想を頂けるとは。
もし、こんな藍様も楽しんで貰えたならば幸いです。

>変身Dさん
>妖夢をダブらせてしまったり
確かに、紫→幽々子、藍→妖夢としても、あまり場面に違和感がないやも。
新たな発見か、はたまた(私の)修行不足か……精進します。

48.70名無し毛玉削除
新たな人間(じゃないけど)関係ができると、己の中に眠っていた性質が見えてくると思います。
紫はそのことを生真面目な藍に言いたかったのでしょうが…。
いやぁ…お稲荷様の親馬鹿っぷりは五臓六腑に染みますなぁ…。
51.無評価CGPH削除
>名無し毛玉さん
感想有難うございます。
新しい関係が、他人を変え自分も変わる。
そんなものも書いてみたいのですが、どうにも実力が及ばないものでorz
87.100名前が無い程度の能力削除
藍……最後の3行さえなければw
96.70名前が無い程度の能力削除
あぁ…やっぱり最後の藍さまが一番『らしい』
100.90名前が無い程度の能力削除
紫の藍に対する言葉がとても自然で優しくて好きです。