「困ったわ……」
呟いて霊夢は茶をすする。
ずーっ。
味が濃いのが良い茶の証では勿論ない。
しかしながら、数日前に缶の底が見えてから、半分、その半分、そのまた半分。
こうして使い続けるのも限界が近いとは薄々感じている。
だからこそ縁側に座布団を敷いて座り込み、貴重な茶など飲みつつ思案しているのだ。
が。
都合良く考えが浮かぶはずもない。
考え付いたことなど、お賽銭が増えれば問題ないのよ、と詮無いことばかりだ。
とはいえ窮地を脱する為にも思案を止める訳には行かない。
う~ん、と唸り続ける霊夢の奇態に耐えかねたのか、仕舞には同居の鬼が声を掛けてくる始末である。
「どうしたってのよ、一体? さっきから唸ってばかりで気味悪いわー、全く」
鬼娘が言う。
そんな能天気な彼女を霊夢は眼光鋭くきっ、と見据えてから言葉を放つ。
「どうしたかって? 見りゃ分かるでしょうに。お茶は薄い、台所の食料は尽きた、破れた障子に張る紙はない。
おまけに、お賽銭はゼロの大行進が絶賛ギネス更新中よ。清貧、赤貧どんとこい!」
よよよ、と泣き崩れる霊夢を見て、しょーがないな、と鬼娘は呟いた。
「ま、霊夢には世話になってるから手伝ったげるわよ、何か」
聞いた霊夢は巫女服の袖で隠れた目を怪しく輝かせる。
「じゃあ、お賽銭を集め……」
「嫌」
即答である。
「そんなことに私の『萃める』能力を使わせないでよ。
ていうか、もっと楽しいことがいいなー、主に私が」
宴会とかー、と続ける鬼娘を他所に霊夢は脳味噌をフル回転。
宴会は駄目だ、と結論する。此処でやれば出費が余計にかさむだけ。
ではどうするか?
『賽銭』、『萃める』、『楽しい』、『人』、『妖』、『鬼』、『灯』。
様々な言葉と続く連想が、ちょっと特殊な霊夢の博麗的思考回路を駆け抜ける。
ち、ち、ぽーーん。
軽快な音とともに霊夢が顔を上げた。
「――行けるわ」
呟いて霊夢は立ち上がると、呆然とした様子の鬼娘を縁側に残して足早に奥へと入っていった。
その翌日、幻想郷中のあらゆる所――それこそ人里から幽界に至るまで――に次の札が何時の間にやら立っていた。
『記。
来る○月○日の夜。
博麗の社にて祭を催す。
人に限らず、妖を問わず、
一夜を只楽しむ者ばかり集うべし。
但し、祭を楽しむ者はその証として、
各人一ヶの提灯を持て来べし。
尚、悪いことしようなんて奴がいたら、
容赦なく弾幕っちまうからそのつもりで。
――博麗霊夢』
以下裏面にみょんに小さく。
『出店などで参加を御希望の方は……
……売上を是非に神社まで御奉納下さい。きっと良いことがあります。
勿論強制ではありませんが、拒否された方に古今東西あらゆる天罰神罰が下ろうとも
当方の感知する所では一切御座いませんので、あしからず。
――博麗の巫女』
提灯話~Japanese lantern, hand in hand~
そして、当日。
「よーし、準備万端!」
そう言うと、チルノは飛び立つ。
向かうのは博麗神社。
数日前に湖のほとりの立札を見て以来の計画通りだ。
「忘れ物はないわよねー、水に、氷に」
うきうきと弾んだ声でひとりごちる。
水も氷も物々交換用に、とチルノが用意したものである。
その時、「あ」と声を挙げると、チルノは身体を捻って急旋回する。
そして元来た方へと戻っていった。
「いけない、いけない。肝心の提灯を忘れてたわよ」
提灯を手にしたチルノが空を行く。
陽は既に落ちかけて赤く、夕闇が辺りを覆いかける。
一路博麗神社へと向かっているはずのチルノは、右手を目の上にかざして呟いた。
「こっちで合ってるわよね……って自信なくなってきたわ」
言ってチルノは地上へと降りていく。
「誰か歩いてる奴がいるでしょ、きっと。聴いてみよ」
言葉の通りに地面に立つと、誰か居ないかと見回すが人影はない。
「だれかー、いないのー?」
ぶんぶんと首を振りながら叫んでみるが反応はない。
はぁ、と溜息をつき、チルノが再び空へ舞い上がろうとした、その時。
突然。
黒の一色が、視界を覆っていた。
「うわっ」
チルノが驚きの声を上げる。
それも当然、先ほどまで沈みかけと言えど陽が照らしていたのだ。
「どうなってんのよ、いったい?」
辺りを覆う一面の暗闇。
しかも何処となしに気分が落ち着かない。
まるで、他人の腹の中にいるような。
そんな風に感じてぞっとしたチルノは、急いでその場を離れようとした。
すると。
左の手に握った提灯の明りが、ふっと、静かに失われた。
「ねー」
「ぎゅわっわわわぁゎあああぁぁあーー!」
背後から突然掛けられた声にチルノが跳ね上がる。
そしてそのままチルノはどすんと尻餅をつき、思わずも見上げるような格好となった。
自然、チルノの視線の先には声の主が飛び込んできたのだが、チルノはあんぐりと口を開けて二重に驚いた様子である。
なにせ、その視線の先にいたものは。
――金髪の、女の子の顔だったのだから。
「だいじょうぶ?」
女の子が手を差し伸べてくる。
チルノはその手を取って立ち上がると「ありがとね」と言葉を返す。
ぱんぱんと服を払いながら女の子を見遣り、年の頃は自分と同じ、あるいは少し下かしらとチルノは思う。
金の髪を肩まで伸ばし、赤いリボンのようなものを留めている。
ふと女の子の右手に視線を下ろすと、そこには明りの消えた提灯が握られていた。
「あら、あんたも神社へ行くとこなの?」
あたいもよ、とチルノが言うのを聞くと、女の子は目をぱちくりと瞬かせて「そーなのかー」と呟いた。
「あたいの名前はチルノよ、チルノ。あんたの名前は?」
そう言うと今度は、チルノの方から手を差し出す。
女の子は少しの間逡巡して目を数回瞬かせたが、やがておずおずと手を差し出してこう言った。
「ルーミア」
身長差に由るものか、少しの上目遣いでチルノを見ながらそう言った。
チルノはすかさず手を握ってぶんぶんと振る。
「へー、ルーミアってのね。
……そうだ、旅は道連れとかなんとか言うんだし、神社まで一緒に行きましょ?
まぁ、道案内してくれると助かるんだけどね」
ルーミアと名乗った女の子は少し不思議そうな顔をしていたが、やがて空いていた手である方向を指し示した。
「神社はあっちだよ」
ルーミアが指したのはチルノが飛んで来たのと全くの別方向だったのだが、まぁ気にはするまい。
「んじゃ、行くわよ~」
言ってチルノは手を引くが、ルーミアはびくとも動かない。
「どしたのよ?」
振り返って尋ねるチルノに、ルーミアは淡々と答える。
「お祭りには行けないよ」
「え、どうしてよ? その提灯、お祭りに行くつもりじゃないわけ?」
驚きを隠せず問いかけてくるチルノに、ルーミアは言う。
「行くつもりだったけど、行けなくなったの」
「それは、なんでよ?」
的を射ないルーミアの答えにチルノが続けて問うと、ルーミアは少し顔をうつむけて言った。
「明りが、消えちゃうから」
聞いたチルノはぽかんと口を開けていたが、やがて、あはは、と笑い出した。
「大丈夫よ、こんなこともあろーかとってやつね!」
チルノは懐から火打の石を取り出してカチカチと鳴らす。
そして起こした火を、ルーミアから受け取った提灯の蝋燭へと移した。
「ほら、どんなもんよ」
チルノは少しだけ偉そうに、ふふんと鼻を鳴らしてルーミアに提灯を返す。
しばらくルーミアはぼんやりと明りを見つめていたが、やがて意を決したかのように受け取った。
すると、明りは段々と弱まり始め、ふっと消え去る。
「えー、なんでよ? 風も吹いてないってのに」
?を浮かべたチルノを他所に、さも当たり前という風にルーミアは言う。
「しょーがないよ。これが私の能力だもん」
ルーミアが説明したところでは、彼女の能力は『闇を操る程度の能力』。
だから彼女の周囲はいつも闇に閉ざされているのだ。
そしてそんな彼女が提灯に触れると、能力の故にか明りは消えてしまうらしかった。
話を聞いたチルノはしばらく、う~んと唸っていたが、うん、と一つ頷くとこう言った。
「あたいに任せときなさいっての! 一緒にお祭りに行くわよ、ルーミア」
聞いたルーミアは呆然とする。
「でも、お祭りには提灯を持って来いって書いてあったし……
あの恐い紅白に退治されちゃうよ?」
チルノは、うっと声を漏らすがそれでも続ける。
「だ、だいじょうぶよ。あんたでも平気な提灯があるわよ、きっと。
ていうか見つけるわ、ぜったい。――だから、安心してなさいっての!」
言ってチルノはルーミアから提灯を奪い取る。
少し紅くなった頬は、思わず飛び出た自分の言葉に驚いたからか。
チルノはぷいと背を向けると、あーでもない、こーでもないと唸り始めた。
ルーミアも初めはきょとんとしていたが、やがてチルノの背をじっと見て「そーなのかー?」と小さく言った。
「よし!」
五分程経った頃か、チルノが声を上げる。
「できたわ」
手に持つのは、先程と変わらぬルーミアの提灯。
しかし、違うのは中身である。
チルノが予備に持っていた蝋燭に入れ替えたのだ。
「あたいが思うに、あんたの蝋燭ってば湿ってるのよ。
湿ってれば火が弱くなる。これぞ、ものごとのどーり、ってやつね!」
火を灯して、提灯をルーミアへと向ける。
「はい、これでおっけーね」
満面の笑みを向けてくるチルノに、ルーミアは少し顔を曇らせた。
「うーん、どうかなー?」
答えてルーミアが手を伸ばすと、提灯の明りはやはり薄くなる。
手が近付くにつれて段々と明りが小さくなっていく。
そして、最後に手が提灯に触れると、ふっと消えた。
「なんでよー」と叫んで、チルノはうなだれる他にない。
その横では、ルーミアが只申し訳なさそうに、消えた提灯を持って立っていた。
「わかったわ、火よ!」
チルノが人差し指を立てて懇々と主張する。
「強力で、これは絶対に消えないぞっていう火を使うの。
……って言っても、あたいは持ってないけど」
う~~ん、と長めにチルノは唸っていたが、やがて辺りを見回しだした。
「どーしたの?」
「んー、わからなかったら人に聞くって偉い奴が言ってたわ。
こういう時は、その辺の奴に聴いてみるのが一番良いのよ」
すると、道を向こうから誰かが歩いてくるのが見える。
チルノは、調度良いわ、と言うと彼の人の方へと駆け出した。
「ちょっと、そこのあんた!」
チルノが声を掛けたのは銀髪の少女である。
足元まで届こうかという長い髪に幾つものリボンを結び、頭には一際大きなものが乗っている。
少女は神社の方角へと歩いていたが、チルノの声に足を止めた。
「――何よ、青いの?」
むっつりとした声で少女が答える。
「もしかして、また輝夜のおせっかいかしら?
神社に待ち人がいるのだけれど、手を出されたら黙ってないわよ?」
言ってチルノをにらみつける。
その目の宿っているのは純正の殺気であり、チルノに向けられたのは敵意に他ならない。
視線に射られたチルノは、膝ががくがくと鳴り出すのを感じた。
首すじを汗が伝い、震える喉はなかなか言葉を紡がない。
恐い。
唯、そう感じる。
勿論少女からの敵意に覚えはないが、本能が危険を告げる。
逃げ出したい、それが正直なところではある。
だがチルノは、ぐっと奥の歯を噛みしめて力を込める。
言う。言わねばならないことがある。
「……かぐや? 何の話よ?
あ、あたいは火が欲しいだけ。友達とお祭りに行くのに、強い火が必要なのよ!」
わずかにくぐもる声。
しかし、強い意志を込めてそう言った。
すると。
「ぷっ。……ははははは」
突然に銀髪の少女が笑い出す。
「悪かったわね? 私の誤解みたい」
言うと少女は手を握り、すっと一本の指を立てる。
――火が灯る。
少女の指の先には、小さな火球が生じていた。
「爪の先に火を灯すってね。昔ならいざ知らず、今は私も結構な貧乏暮らし。
だから、それなりに強力かもね?」
くすくすと意地悪気に少女が笑う。
少女の豹変ぶりにチルノはぽかんと口を開けていたが、急かされて火をもらい受けた。
「ありがとねー!」
チルノがぶんぶんと手を振りつつ礼を言うと、少女は左手を軽く上げてそれに答える。
そして、チルノが駆け寄る先に金の髪の女の子の姿を見て取ると、少女は不意に呟いた。
「柄でもないことしちゃったかしらね、慧音?」
そう言って踵を返し、少しの早足で待つ者の居る場所へと歩き出す。
既に夕闇が辺りを包み、微かに聞こえる笛の音は祭りが近いのを告げていた。
「きっと、これで大丈夫よ」
チルノは銀髪の少女から受け取った火を、ルーミアの提灯へと移す。
提灯は煌々と光を放ち、その内に灯されたのが只の火ではない――強い力に因るのを感じさせる。
チルノは、今度こそ大丈夫、と誰に聞かせるでもなく呟いて、ルーミアへ提灯を渡す。
するとルーミアの手に握られた提灯は、確かに輝き続けていた。
「やったわ!」
チルノが声に嬉しさを滲ませて叫ぶ。
ルーミアも思わず、「わぁ」と感嘆の声を上げ、初めて手の内で光を放つ提灯に見入っていた。
しかし。
二人を包む闇が急激に濃さを増す。
闇は提灯の明りを徐々に、徐々に侵食していく。
遂には光を提灯の内側へと閉じ込めたかと思うと、火がゆらりと蠢く。
黒の一色が、火を蹂躙して飲み尽くす。
やがて微かな光点は、闇の重さに耐えかねたのか、圧され音もなく消えた。
取り残されたのは、唯、二人。
チルノもルーミアもうつむいたまま、言葉一つ発することもできなかった。
「心配ないわよ。次こそ絶対うまくいくから」
先程の落胆を隠そうと、チルノは努めて明るく言った。
だが言葉とは裏腹に、良い考えなど一つも浮かんで来はしない。
陽は既にとっぷりと暮れて暗く、ルーミアの周囲だけでなく一面を闇が覆っている。
祭りも間もなく始まるのだろうか、遠くから聞こえる鈴の音、太鼓、響く笛。
そして、集まった者達の織り成す賑わいの声。
闇を通して微かに伝わるそれら全てが、今はチルノを焦燥に駆り立てる。
初めは座って考え込んでいたチルノだが、やがて地面をごろごろ転がりながら頭をかきむしり出した。
さらには使い慣れないものを酷使したせいか、う~~んと唸ったまま頭から煙を出す始末である。
そんな、いたたまれないチルノの姿をルーミアは心配そうに見つめていたが、やがて何かを決心したように歩み寄る。
そして出会った時と同じ様に、「ねー」と明るく声を掛けたのだった。
「もう、いいよ」
ルーミアが言う。
「もうすっかり暗くなっちゃったし、お祭りも始まっちゃう」
「え?」
チルノはぴたりと止まって顔を上げる。
「どういうことよ?」
暗くてルーミアの顔は見えない。
抑揚を無くした声だけが辺りに響く。
「だから、お祭には……一人で行ってよ」
――聞いた途端、頭に血が昇った。
「なんでよ!」
思わず叫ぶ。
「一緒にお祭に行くって、約束、したじゃない!」
ルーミアが言い返してくる。
「それは! あなたが、勝手に……」
言ってから、しまった、という表情で口をつぐむ。
「勝手って何なのよ!」
熱い頭のまま、怒りにまかせて言葉を続ける。
「あたいは、あんたの為に頑張ったんじゃない!」
違う。
「それを、勝手ですって?」
違う、ちがう。
「よくもそんな口がきけるもんよね?」
ちがうの。
「もう良いわよ」
目が熱くなる。
「あんたなんか」
頬にこぼれる。
「一人で居りゃ良いのよ!」
――言いたいのは、こんなことじゃないのに。
きゅう。きゅっ、きゅう。
耳慣れない音に我に返った。
目の前にいるのは、ルーミア。
さっき知り合ったばかりで、でも友達になったと思った女の子。
そんな彼女が、目には涙を溜めて口の端を歪めて。
それでも必死に泣くのをこらえている。
謝らなければいけない。
酷いことを言ってしまった。だから、謝らなければいけない。
「ご、ごめ」
口ごもる。
簡単なはずの言葉が口から離れない。
――あんたの方が悪いんだ。そんな馬鹿げた考えが頭をよぎる。
言わなければいけないと分かっているのに。
それでも、この口は動いてくれない。
どうして、と問いかけてみるが、真っ白なままの頭では考えることもできなかった。
きゅう。
その時、コツン、と頭を叩かれた。
「こらこら~、喧嘩はだめよ~?」
場を崩す、ふわりとした声の先にいたのは和装の少女。
手に持つのは、先程チルノを叩いた扇。
頭には、カリスマ溢れる文様の帽子。
そして身に纏うのは、ぼうと光る――人魂?
「うわぁ、あんた誰よ? ていうか幽霊?」
固まっていたチルノの口も衝撃の大きさに動き出す。
しかし、そんなチルノを他所にして少女はひたすらのマイペース。
「こら」
「あぅ」
今度は、ゴチンと鈍い音がした。
少女が手に持った扇で、少しキツ目に叩いたのである。
「――っ、何すんのよ!」
「そんなことの前に言うべきことがあるのでしょう、あなたには?」
少女の扇が指したのは、ルーミア。自分が傷つけてしまった女の子。
言われて気付いたチルノはルーミアへと向き直り、その顔をじっと見る。
ルーミアは少し驚いていたようで、もう泣いてはいなかったが目の辺りが擦ったように赤い。
チルノはそれを見て、ふっと一呼吸に目を閉じる。
ごしごしと勢いよく目をこすり、残っていた涙を一気に追い遣る。
そして、にっと笑ってから言った。
「ごめんなさい」
そう言って頭を下げた。
ルーミアは慌てて自分も、と頭を下げようとする。
「私も、ごめんなさ……」
ゴツン。
勢いよく衝突する、頭と頭。
あまりの痛みの為か、二人はうめきながら倒れ伏す。
そして倒れたままの二人を見詰める亡霊嬢は、「あらあら、仲良しさんなのね~」と言って楽しげに、ふふふと笑った。
「あんた、何か特別な提灯持ってない?」
無事に仲直りの成った二人に、少女は西行寺幽々子と名を告げた。
やはり二人でお祭りに。そんな二人の想いから、チルノは幽々子に尋ねたのだ。
「あらあら残念。今手元にそんな提灯はないわ」
幽々子の答えにチルノとルーミアはうなだれる。
落ち込む二人の様子に気を留めるでもなく、幽々子は更に続けて言った。
「それにね、闇を操るのがその子の能力。そう言ったわね?」
そうよ、と頷くチルノ。
「――じゃあ、無駄ではないかしら」
返ってきたのは思いもよらない言葉。
なんでよ、と語気を荒げるチルノを制して、幽々子は扇をすっとルーミアに向けた。
「違うのかしら、宵闇の妖怪?
抱く想いとも裏腹に、闇を招いてしまうのも正しくあなた自身の能力。
それほどの能力を打ち破る『灯』、果たしてこの幻想郷にあるものかしら?
諦めてしまいなさいな。あなたの望みは、初めから叶わないだけなのよ」
冷然とありのまま、事実だけを幽々子は告げる。
その言葉を受けたルーミアはと言えば、顔を曇らせてうつむいてしまう。
視線の先には、己の手と消えたままの提灯。
叶わない。そう言われた。
そんなこと分かってる。そう言いたかった。
しょーがないよ。チルノに告げた言葉の通りに折り合いを付けたはずだったのだ。
だけれども。
だけれども、幽々子の言葉がこんなに悲しくて悔しいのは何故なのか。
分からないままに涙だけこみ上げて来る。
チルノに泣き顔を見せたくない。
ふと思いついたそれだけの為に、ルーミアは必死に涙をこらえ続けた。
一歩が出る。
前へと踏み出す。
幽々子が言ったことが本当かは分からない。その通りなのかもしれない。
でも今はそんなこと、どちらでも良い。
考えなんてまとまらない。
だけれど、そんなことの前に言うべきことがある。
幽々子自身の言葉を借りて、チルノは幽々子と対峙する。
「……じゃない」
「あら何かしら? 聞こえないわ」
ふふ、と小さく笑んで幽々子はチルノをにらみつける。
それに臆さず、もう一歩。
口を結んで幽々子を見据える。ルーミアを背に、チルノは叫ぶように言葉を放った。
「そんなこと、分からないじゃない!
どうして何処にもないなんて、あんたに分かるのよ?
あたいが絶対見つけてやるわ。幻想郷になけりゃ他があるわよ。
あたいが、絶対、ぜったい、ぜったいにルーミアの提灯を探し出してやるわ!」
怒気さえ含んだチルノの声。
それを聞いた幽々子は、ふっと息をついて目を緩ませる。
「頑張りなさいな」
それだけ言って、幽々子は二人に背を向けて歩き出す。
その時、歩く幽々子の手の内から何かが落ちて転がったが、幽々子は気に留めるでもなく歩き去る。
扇で隠した顔からは表情を読み取ることもできず、チルノとルーミアは唯それを見守ることしかできなかった。
幽々子がしばらく歩いて行くと、自分を探す従者の姿があった。
「あらあら妖夢、どうしたの?」
とぼけて声を掛ける幽々子に、妖夢と呼ばれた小さな従者は口をとがらせる。
「どうしたではありませんよ、幽々子様。急に居なくなられては心配します」
よほど必死に探していたのか、声は少し嗄れている。
だがそんなことには無頓着と幽々子は、ふふふと笑う。
「それよりも早く神社へいきましょ、妖夢。
焼きそば、わた飴、氷にもろこし。今夜は永くなるのだからね?」
妖夢は相変わらずな主の様子に、はぁと溜息をつくが安心をした様子でもある。
「幽々子様! 本当に、ほんとうに心配したのですよ?
もし幽々子様の身に何かあれば、私は……」
そう言うと、ぐすっと妖夢は鼻を鳴らした。
「あれ、おかしいな……って泣いてませんよ? 泣いてませんからね?」
慌てて目をこする妖夢の手を見ると、藪でも覗いた時に付いたのか細かな傷が多くある。
それを見て取ると、幽々子はあら、と呟いて目を細める。
そしてそのまま妖夢の頭に腕を回し、ぎゅっと優しげに抱きとめた。
「あらあら、今日は妖夢まで泣き虫さんね?」
妖夢は思いもかけない主の行動に固まっていたが、やがて顔を真っ赤にしてもがき出す。
「ゆ、ゆゆ様? は、離してください。後生です!
ていうか道端で抱き合う二人って、この状況は誤解しますよ? されちゃいますよ?
あぁ、勿論嫌じゃない、嫌じゃないですけどぉぉぉ」
などと混乱した妖夢は口走るが、やはり幽々子は気にも留めない。
主従二人はしばらくの間そうしていたが、やがて仲良く連れ立ち歩き出す。
いつまでも顔の赤みが引かない妖夢を幽々子はからかいながら歩いていたが、道すがらにふと呟く。
「せっかくのお祭りですものね。しっかり楽しみなさいな、二人とも」
その頃、チルノはルーミアをなだめるのに必死であった。
幽々子が去った後、ルーミアはぐしぐしと泣き続けている。
チルノは「いざとなったら、あたいが紅白をぶっとばして~」などと言うのだが、詮無いことこの上ない。
ルーミアが泣くのも既に、悲しいからではない。
貰った言葉が嬉しいあまりなのだが、チルノはそれに気付かない悪循環。
そんなこんなでルーミアが泣き止む頃には、随分と時間が経ってしまった。
チルノは再び腕を組んで考え出したが、そうそう都合良くは行かない。
考えあぐねた末、それこそ幻想郷中探し回るしかないかしら、と思って愕然とする。
そんな時、ふと横にいるルーミアの顔を見ると、何かに驚いたように目を見開いていた。
「どしたの?」
声を掛けるチルノに、ルーミアは背後を指差す。
「あれ……」
何かしら、とチルノが後ろを振り返ると、そこに、あったものは。
地より伸び出た一本の茎。その頭頂、繁れる葉の下に一つだけ。
紅々と、けれど朧気に、燐光を湛える。
紅く照らす、儚く照らす、幻想の灯火。
「わぁ」とチルノが声を上げる。
二人してしばらく見詰めていたが、やがてチルノははたと気付いた。
「これ、これよ! 提灯の代わりになるわ」
「でも……」
ルーミアの顔に浮かぶのは不安。
だが、そんな不安を消し飛ばすかのように、チルノは元気良く言う。
「やってみなけりゃ始まらないわよ! それに、代わりなんて幾らでも見つけてやるわ」
にっと笑顔を向けて来るチルノに、ルーミアは一つ頷いて手を伸ばす。
そして。
ルーミアの小さな手の平にも包まれる、その灯。
けれど、しっかりと二人の顔を紅く、紅く照らし出す。
「――やったわ!」
チルノは嬉しさのあまりルーミアをぱんぱんと叩く。
「これでお祭りに行けるのよ!」
ルーミアは信じられない、とでも言うように手の中の灯を見詰めていたが、やがて笑顔が顔に出る。
「うん、うん! チルノちゃん、ありがとう!」
言って満面の笑みを顔に浮かべたまま、チルノにしかと抱きつく。
チルノはすっかり頬を紅潮させて、は、離しなさいよと言うが、ルーミアは決して離さない。
そしていつしか、二人はそのまま笑い出した。
遠くから聞こえて来るのは、鈴の音、太鼓、響く笛。
そして集った者の賑わいの声。
二人の笑い声もいつしか、それに調和して。
そう、今日はお祭り。なんといっても楽しくなければ。
――その夜の祭りは賑わった。
提灯の明りだけを頼りに、集い来るは人と妖。
わずかの一夜だからこそか。
それとも、微かな明りに互いに互いを気にせぬからか。
人と妖とは、今宵だけはと笑い合う。
その中に。
明かき鬼灯持った娘と、手を取り歩く小さな姉とが、居たという。
呟いて霊夢は茶をすする。
ずーっ。
味が濃いのが良い茶の証では勿論ない。
しかしながら、数日前に缶の底が見えてから、半分、その半分、そのまた半分。
こうして使い続けるのも限界が近いとは薄々感じている。
だからこそ縁側に座布団を敷いて座り込み、貴重な茶など飲みつつ思案しているのだ。
が。
都合良く考えが浮かぶはずもない。
考え付いたことなど、お賽銭が増えれば問題ないのよ、と詮無いことばかりだ。
とはいえ窮地を脱する為にも思案を止める訳には行かない。
う~ん、と唸り続ける霊夢の奇態に耐えかねたのか、仕舞には同居の鬼が声を掛けてくる始末である。
「どうしたってのよ、一体? さっきから唸ってばかりで気味悪いわー、全く」
鬼娘が言う。
そんな能天気な彼女を霊夢は眼光鋭くきっ、と見据えてから言葉を放つ。
「どうしたかって? 見りゃ分かるでしょうに。お茶は薄い、台所の食料は尽きた、破れた障子に張る紙はない。
おまけに、お賽銭はゼロの大行進が絶賛ギネス更新中よ。清貧、赤貧どんとこい!」
よよよ、と泣き崩れる霊夢を見て、しょーがないな、と鬼娘は呟いた。
「ま、霊夢には世話になってるから手伝ったげるわよ、何か」
聞いた霊夢は巫女服の袖で隠れた目を怪しく輝かせる。
「じゃあ、お賽銭を集め……」
「嫌」
即答である。
「そんなことに私の『萃める』能力を使わせないでよ。
ていうか、もっと楽しいことがいいなー、主に私が」
宴会とかー、と続ける鬼娘を他所に霊夢は脳味噌をフル回転。
宴会は駄目だ、と結論する。此処でやれば出費が余計にかさむだけ。
ではどうするか?
『賽銭』、『萃める』、『楽しい』、『人』、『妖』、『鬼』、『灯』。
様々な言葉と続く連想が、ちょっと特殊な霊夢の博麗的思考回路を駆け抜ける。
ち、ち、ぽーーん。
軽快な音とともに霊夢が顔を上げた。
「――行けるわ」
呟いて霊夢は立ち上がると、呆然とした様子の鬼娘を縁側に残して足早に奥へと入っていった。
その翌日、幻想郷中のあらゆる所――それこそ人里から幽界に至るまで――に次の札が何時の間にやら立っていた。
『記。
来る○月○日の夜。
博麗の社にて祭を催す。
人に限らず、妖を問わず、
一夜を只楽しむ者ばかり集うべし。
但し、祭を楽しむ者はその証として、
各人一ヶの提灯を持て来べし。
尚、悪いことしようなんて奴がいたら、
容赦なく弾幕っちまうからそのつもりで。
――博麗霊夢』
以下裏面にみょんに小さく。
『出店などで参加を御希望の方は……
……売上を是非に神社まで御奉納下さい。きっと良いことがあります。
勿論強制ではありませんが、拒否された方に古今東西あらゆる天罰神罰が下ろうとも
当方の感知する所では一切御座いませんので、あしからず。
――博麗の巫女』
提灯話~Japanese lantern, hand in hand~
そして、当日。
「よーし、準備万端!」
そう言うと、チルノは飛び立つ。
向かうのは博麗神社。
数日前に湖のほとりの立札を見て以来の計画通りだ。
「忘れ物はないわよねー、水に、氷に」
うきうきと弾んだ声でひとりごちる。
水も氷も物々交換用に、とチルノが用意したものである。
その時、「あ」と声を挙げると、チルノは身体を捻って急旋回する。
そして元来た方へと戻っていった。
「いけない、いけない。肝心の提灯を忘れてたわよ」
提灯を手にしたチルノが空を行く。
陽は既に落ちかけて赤く、夕闇が辺りを覆いかける。
一路博麗神社へと向かっているはずのチルノは、右手を目の上にかざして呟いた。
「こっちで合ってるわよね……って自信なくなってきたわ」
言ってチルノは地上へと降りていく。
「誰か歩いてる奴がいるでしょ、きっと。聴いてみよ」
言葉の通りに地面に立つと、誰か居ないかと見回すが人影はない。
「だれかー、いないのー?」
ぶんぶんと首を振りながら叫んでみるが反応はない。
はぁ、と溜息をつき、チルノが再び空へ舞い上がろうとした、その時。
突然。
黒の一色が、視界を覆っていた。
「うわっ」
チルノが驚きの声を上げる。
それも当然、先ほどまで沈みかけと言えど陽が照らしていたのだ。
「どうなってんのよ、いったい?」
辺りを覆う一面の暗闇。
しかも何処となしに気分が落ち着かない。
まるで、他人の腹の中にいるような。
そんな風に感じてぞっとしたチルノは、急いでその場を離れようとした。
すると。
左の手に握った提灯の明りが、ふっと、静かに失われた。
「ねー」
「ぎゅわっわわわぁゎあああぁぁあーー!」
背後から突然掛けられた声にチルノが跳ね上がる。
そしてそのままチルノはどすんと尻餅をつき、思わずも見上げるような格好となった。
自然、チルノの視線の先には声の主が飛び込んできたのだが、チルノはあんぐりと口を開けて二重に驚いた様子である。
なにせ、その視線の先にいたものは。
――金髪の、女の子の顔だったのだから。
「だいじょうぶ?」
女の子が手を差し伸べてくる。
チルノはその手を取って立ち上がると「ありがとね」と言葉を返す。
ぱんぱんと服を払いながら女の子を見遣り、年の頃は自分と同じ、あるいは少し下かしらとチルノは思う。
金の髪を肩まで伸ばし、赤いリボンのようなものを留めている。
ふと女の子の右手に視線を下ろすと、そこには明りの消えた提灯が握られていた。
「あら、あんたも神社へ行くとこなの?」
あたいもよ、とチルノが言うのを聞くと、女の子は目をぱちくりと瞬かせて「そーなのかー」と呟いた。
「あたいの名前はチルノよ、チルノ。あんたの名前は?」
そう言うと今度は、チルノの方から手を差し出す。
女の子は少しの間逡巡して目を数回瞬かせたが、やがておずおずと手を差し出してこう言った。
「ルーミア」
身長差に由るものか、少しの上目遣いでチルノを見ながらそう言った。
チルノはすかさず手を握ってぶんぶんと振る。
「へー、ルーミアってのね。
……そうだ、旅は道連れとかなんとか言うんだし、神社まで一緒に行きましょ?
まぁ、道案内してくれると助かるんだけどね」
ルーミアと名乗った女の子は少し不思議そうな顔をしていたが、やがて空いていた手である方向を指し示した。
「神社はあっちだよ」
ルーミアが指したのはチルノが飛んで来たのと全くの別方向だったのだが、まぁ気にはするまい。
「んじゃ、行くわよ~」
言ってチルノは手を引くが、ルーミアはびくとも動かない。
「どしたのよ?」
振り返って尋ねるチルノに、ルーミアは淡々と答える。
「お祭りには行けないよ」
「え、どうしてよ? その提灯、お祭りに行くつもりじゃないわけ?」
驚きを隠せず問いかけてくるチルノに、ルーミアは言う。
「行くつもりだったけど、行けなくなったの」
「それは、なんでよ?」
的を射ないルーミアの答えにチルノが続けて問うと、ルーミアは少し顔をうつむけて言った。
「明りが、消えちゃうから」
聞いたチルノはぽかんと口を開けていたが、やがて、あはは、と笑い出した。
「大丈夫よ、こんなこともあろーかとってやつね!」
チルノは懐から火打の石を取り出してカチカチと鳴らす。
そして起こした火を、ルーミアから受け取った提灯の蝋燭へと移した。
「ほら、どんなもんよ」
チルノは少しだけ偉そうに、ふふんと鼻を鳴らしてルーミアに提灯を返す。
しばらくルーミアはぼんやりと明りを見つめていたが、やがて意を決したかのように受け取った。
すると、明りは段々と弱まり始め、ふっと消え去る。
「えー、なんでよ? 風も吹いてないってのに」
?を浮かべたチルノを他所に、さも当たり前という風にルーミアは言う。
「しょーがないよ。これが私の能力だもん」
ルーミアが説明したところでは、彼女の能力は『闇を操る程度の能力』。
だから彼女の周囲はいつも闇に閉ざされているのだ。
そしてそんな彼女が提灯に触れると、能力の故にか明りは消えてしまうらしかった。
話を聞いたチルノはしばらく、う~んと唸っていたが、うん、と一つ頷くとこう言った。
「あたいに任せときなさいっての! 一緒にお祭りに行くわよ、ルーミア」
聞いたルーミアは呆然とする。
「でも、お祭りには提灯を持って来いって書いてあったし……
あの恐い紅白に退治されちゃうよ?」
チルノは、うっと声を漏らすがそれでも続ける。
「だ、だいじょうぶよ。あんたでも平気な提灯があるわよ、きっと。
ていうか見つけるわ、ぜったい。――だから、安心してなさいっての!」
言ってチルノはルーミアから提灯を奪い取る。
少し紅くなった頬は、思わず飛び出た自分の言葉に驚いたからか。
チルノはぷいと背を向けると、あーでもない、こーでもないと唸り始めた。
ルーミアも初めはきょとんとしていたが、やがてチルノの背をじっと見て「そーなのかー?」と小さく言った。
「よし!」
五分程経った頃か、チルノが声を上げる。
「できたわ」
手に持つのは、先程と変わらぬルーミアの提灯。
しかし、違うのは中身である。
チルノが予備に持っていた蝋燭に入れ替えたのだ。
「あたいが思うに、あんたの蝋燭ってば湿ってるのよ。
湿ってれば火が弱くなる。これぞ、ものごとのどーり、ってやつね!」
火を灯して、提灯をルーミアへと向ける。
「はい、これでおっけーね」
満面の笑みを向けてくるチルノに、ルーミアは少し顔を曇らせた。
「うーん、どうかなー?」
答えてルーミアが手を伸ばすと、提灯の明りはやはり薄くなる。
手が近付くにつれて段々と明りが小さくなっていく。
そして、最後に手が提灯に触れると、ふっと消えた。
「なんでよー」と叫んで、チルノはうなだれる他にない。
その横では、ルーミアが只申し訳なさそうに、消えた提灯を持って立っていた。
「わかったわ、火よ!」
チルノが人差し指を立てて懇々と主張する。
「強力で、これは絶対に消えないぞっていう火を使うの。
……って言っても、あたいは持ってないけど」
う~~ん、と長めにチルノは唸っていたが、やがて辺りを見回しだした。
「どーしたの?」
「んー、わからなかったら人に聞くって偉い奴が言ってたわ。
こういう時は、その辺の奴に聴いてみるのが一番良いのよ」
すると、道を向こうから誰かが歩いてくるのが見える。
チルノは、調度良いわ、と言うと彼の人の方へと駆け出した。
「ちょっと、そこのあんた!」
チルノが声を掛けたのは銀髪の少女である。
足元まで届こうかという長い髪に幾つものリボンを結び、頭には一際大きなものが乗っている。
少女は神社の方角へと歩いていたが、チルノの声に足を止めた。
「――何よ、青いの?」
むっつりとした声で少女が答える。
「もしかして、また輝夜のおせっかいかしら?
神社に待ち人がいるのだけれど、手を出されたら黙ってないわよ?」
言ってチルノをにらみつける。
その目の宿っているのは純正の殺気であり、チルノに向けられたのは敵意に他ならない。
視線に射られたチルノは、膝ががくがくと鳴り出すのを感じた。
首すじを汗が伝い、震える喉はなかなか言葉を紡がない。
恐い。
唯、そう感じる。
勿論少女からの敵意に覚えはないが、本能が危険を告げる。
逃げ出したい、それが正直なところではある。
だがチルノは、ぐっと奥の歯を噛みしめて力を込める。
言う。言わねばならないことがある。
「……かぐや? 何の話よ?
あ、あたいは火が欲しいだけ。友達とお祭りに行くのに、強い火が必要なのよ!」
わずかにくぐもる声。
しかし、強い意志を込めてそう言った。
すると。
「ぷっ。……ははははは」
突然に銀髪の少女が笑い出す。
「悪かったわね? 私の誤解みたい」
言うと少女は手を握り、すっと一本の指を立てる。
――火が灯る。
少女の指の先には、小さな火球が生じていた。
「爪の先に火を灯すってね。昔ならいざ知らず、今は私も結構な貧乏暮らし。
だから、それなりに強力かもね?」
くすくすと意地悪気に少女が笑う。
少女の豹変ぶりにチルノはぽかんと口を開けていたが、急かされて火をもらい受けた。
「ありがとねー!」
チルノがぶんぶんと手を振りつつ礼を言うと、少女は左手を軽く上げてそれに答える。
そして、チルノが駆け寄る先に金の髪の女の子の姿を見て取ると、少女は不意に呟いた。
「柄でもないことしちゃったかしらね、慧音?」
そう言って踵を返し、少しの早足で待つ者の居る場所へと歩き出す。
既に夕闇が辺りを包み、微かに聞こえる笛の音は祭りが近いのを告げていた。
「きっと、これで大丈夫よ」
チルノは銀髪の少女から受け取った火を、ルーミアの提灯へと移す。
提灯は煌々と光を放ち、その内に灯されたのが只の火ではない――強い力に因るのを感じさせる。
チルノは、今度こそ大丈夫、と誰に聞かせるでもなく呟いて、ルーミアへ提灯を渡す。
するとルーミアの手に握られた提灯は、確かに輝き続けていた。
「やったわ!」
チルノが声に嬉しさを滲ませて叫ぶ。
ルーミアも思わず、「わぁ」と感嘆の声を上げ、初めて手の内で光を放つ提灯に見入っていた。
しかし。
二人を包む闇が急激に濃さを増す。
闇は提灯の明りを徐々に、徐々に侵食していく。
遂には光を提灯の内側へと閉じ込めたかと思うと、火がゆらりと蠢く。
黒の一色が、火を蹂躙して飲み尽くす。
やがて微かな光点は、闇の重さに耐えかねたのか、圧され音もなく消えた。
取り残されたのは、唯、二人。
チルノもルーミアもうつむいたまま、言葉一つ発することもできなかった。
「心配ないわよ。次こそ絶対うまくいくから」
先程の落胆を隠そうと、チルノは努めて明るく言った。
だが言葉とは裏腹に、良い考えなど一つも浮かんで来はしない。
陽は既にとっぷりと暮れて暗く、ルーミアの周囲だけでなく一面を闇が覆っている。
祭りも間もなく始まるのだろうか、遠くから聞こえる鈴の音、太鼓、響く笛。
そして、集まった者達の織り成す賑わいの声。
闇を通して微かに伝わるそれら全てが、今はチルノを焦燥に駆り立てる。
初めは座って考え込んでいたチルノだが、やがて地面をごろごろ転がりながら頭をかきむしり出した。
さらには使い慣れないものを酷使したせいか、う~~んと唸ったまま頭から煙を出す始末である。
そんな、いたたまれないチルノの姿をルーミアは心配そうに見つめていたが、やがて何かを決心したように歩み寄る。
そして出会った時と同じ様に、「ねー」と明るく声を掛けたのだった。
「もう、いいよ」
ルーミアが言う。
「もうすっかり暗くなっちゃったし、お祭りも始まっちゃう」
「え?」
チルノはぴたりと止まって顔を上げる。
「どういうことよ?」
暗くてルーミアの顔は見えない。
抑揚を無くした声だけが辺りに響く。
「だから、お祭には……一人で行ってよ」
――聞いた途端、頭に血が昇った。
「なんでよ!」
思わず叫ぶ。
「一緒にお祭に行くって、約束、したじゃない!」
ルーミアが言い返してくる。
「それは! あなたが、勝手に……」
言ってから、しまった、という表情で口をつぐむ。
「勝手って何なのよ!」
熱い頭のまま、怒りにまかせて言葉を続ける。
「あたいは、あんたの為に頑張ったんじゃない!」
違う。
「それを、勝手ですって?」
違う、ちがう。
「よくもそんな口がきけるもんよね?」
ちがうの。
「もう良いわよ」
目が熱くなる。
「あんたなんか」
頬にこぼれる。
「一人で居りゃ良いのよ!」
――言いたいのは、こんなことじゃないのに。
きゅう。きゅっ、きゅう。
耳慣れない音に我に返った。
目の前にいるのは、ルーミア。
さっき知り合ったばかりで、でも友達になったと思った女の子。
そんな彼女が、目には涙を溜めて口の端を歪めて。
それでも必死に泣くのをこらえている。
謝らなければいけない。
酷いことを言ってしまった。だから、謝らなければいけない。
「ご、ごめ」
口ごもる。
簡単なはずの言葉が口から離れない。
――あんたの方が悪いんだ。そんな馬鹿げた考えが頭をよぎる。
言わなければいけないと分かっているのに。
それでも、この口は動いてくれない。
どうして、と問いかけてみるが、真っ白なままの頭では考えることもできなかった。
きゅう。
その時、コツン、と頭を叩かれた。
「こらこら~、喧嘩はだめよ~?」
場を崩す、ふわりとした声の先にいたのは和装の少女。
手に持つのは、先程チルノを叩いた扇。
頭には、カリスマ溢れる文様の帽子。
そして身に纏うのは、ぼうと光る――人魂?
「うわぁ、あんた誰よ? ていうか幽霊?」
固まっていたチルノの口も衝撃の大きさに動き出す。
しかし、そんなチルノを他所にして少女はひたすらのマイペース。
「こら」
「あぅ」
今度は、ゴチンと鈍い音がした。
少女が手に持った扇で、少しキツ目に叩いたのである。
「――っ、何すんのよ!」
「そんなことの前に言うべきことがあるのでしょう、あなたには?」
少女の扇が指したのは、ルーミア。自分が傷つけてしまった女の子。
言われて気付いたチルノはルーミアへと向き直り、その顔をじっと見る。
ルーミアは少し驚いていたようで、もう泣いてはいなかったが目の辺りが擦ったように赤い。
チルノはそれを見て、ふっと一呼吸に目を閉じる。
ごしごしと勢いよく目をこすり、残っていた涙を一気に追い遣る。
そして、にっと笑ってから言った。
「ごめんなさい」
そう言って頭を下げた。
ルーミアは慌てて自分も、と頭を下げようとする。
「私も、ごめんなさ……」
ゴツン。
勢いよく衝突する、頭と頭。
あまりの痛みの為か、二人はうめきながら倒れ伏す。
そして倒れたままの二人を見詰める亡霊嬢は、「あらあら、仲良しさんなのね~」と言って楽しげに、ふふふと笑った。
「あんた、何か特別な提灯持ってない?」
無事に仲直りの成った二人に、少女は西行寺幽々子と名を告げた。
やはり二人でお祭りに。そんな二人の想いから、チルノは幽々子に尋ねたのだ。
「あらあら残念。今手元にそんな提灯はないわ」
幽々子の答えにチルノとルーミアはうなだれる。
落ち込む二人の様子に気を留めるでもなく、幽々子は更に続けて言った。
「それにね、闇を操るのがその子の能力。そう言ったわね?」
そうよ、と頷くチルノ。
「――じゃあ、無駄ではないかしら」
返ってきたのは思いもよらない言葉。
なんでよ、と語気を荒げるチルノを制して、幽々子は扇をすっとルーミアに向けた。
「違うのかしら、宵闇の妖怪?
抱く想いとも裏腹に、闇を招いてしまうのも正しくあなた自身の能力。
それほどの能力を打ち破る『灯』、果たしてこの幻想郷にあるものかしら?
諦めてしまいなさいな。あなたの望みは、初めから叶わないだけなのよ」
冷然とありのまま、事実だけを幽々子は告げる。
その言葉を受けたルーミアはと言えば、顔を曇らせてうつむいてしまう。
視線の先には、己の手と消えたままの提灯。
叶わない。そう言われた。
そんなこと分かってる。そう言いたかった。
しょーがないよ。チルノに告げた言葉の通りに折り合いを付けたはずだったのだ。
だけれども。
だけれども、幽々子の言葉がこんなに悲しくて悔しいのは何故なのか。
分からないままに涙だけこみ上げて来る。
チルノに泣き顔を見せたくない。
ふと思いついたそれだけの為に、ルーミアは必死に涙をこらえ続けた。
一歩が出る。
前へと踏み出す。
幽々子が言ったことが本当かは分からない。その通りなのかもしれない。
でも今はそんなこと、どちらでも良い。
考えなんてまとまらない。
だけれど、そんなことの前に言うべきことがある。
幽々子自身の言葉を借りて、チルノは幽々子と対峙する。
「……じゃない」
「あら何かしら? 聞こえないわ」
ふふ、と小さく笑んで幽々子はチルノをにらみつける。
それに臆さず、もう一歩。
口を結んで幽々子を見据える。ルーミアを背に、チルノは叫ぶように言葉を放った。
「そんなこと、分からないじゃない!
どうして何処にもないなんて、あんたに分かるのよ?
あたいが絶対見つけてやるわ。幻想郷になけりゃ他があるわよ。
あたいが、絶対、ぜったい、ぜったいにルーミアの提灯を探し出してやるわ!」
怒気さえ含んだチルノの声。
それを聞いた幽々子は、ふっと息をついて目を緩ませる。
「頑張りなさいな」
それだけ言って、幽々子は二人に背を向けて歩き出す。
その時、歩く幽々子の手の内から何かが落ちて転がったが、幽々子は気に留めるでもなく歩き去る。
扇で隠した顔からは表情を読み取ることもできず、チルノとルーミアは唯それを見守ることしかできなかった。
幽々子がしばらく歩いて行くと、自分を探す従者の姿があった。
「あらあら妖夢、どうしたの?」
とぼけて声を掛ける幽々子に、妖夢と呼ばれた小さな従者は口をとがらせる。
「どうしたではありませんよ、幽々子様。急に居なくなられては心配します」
よほど必死に探していたのか、声は少し嗄れている。
だがそんなことには無頓着と幽々子は、ふふふと笑う。
「それよりも早く神社へいきましょ、妖夢。
焼きそば、わた飴、氷にもろこし。今夜は永くなるのだからね?」
妖夢は相変わらずな主の様子に、はぁと溜息をつくが安心をした様子でもある。
「幽々子様! 本当に、ほんとうに心配したのですよ?
もし幽々子様の身に何かあれば、私は……」
そう言うと、ぐすっと妖夢は鼻を鳴らした。
「あれ、おかしいな……って泣いてませんよ? 泣いてませんからね?」
慌てて目をこする妖夢の手を見ると、藪でも覗いた時に付いたのか細かな傷が多くある。
それを見て取ると、幽々子はあら、と呟いて目を細める。
そしてそのまま妖夢の頭に腕を回し、ぎゅっと優しげに抱きとめた。
「あらあら、今日は妖夢まで泣き虫さんね?」
妖夢は思いもかけない主の行動に固まっていたが、やがて顔を真っ赤にしてもがき出す。
「ゆ、ゆゆ様? は、離してください。後生です!
ていうか道端で抱き合う二人って、この状況は誤解しますよ? されちゃいますよ?
あぁ、勿論嫌じゃない、嫌じゃないですけどぉぉぉ」
などと混乱した妖夢は口走るが、やはり幽々子は気にも留めない。
主従二人はしばらくの間そうしていたが、やがて仲良く連れ立ち歩き出す。
いつまでも顔の赤みが引かない妖夢を幽々子はからかいながら歩いていたが、道すがらにふと呟く。
「せっかくのお祭りですものね。しっかり楽しみなさいな、二人とも」
その頃、チルノはルーミアをなだめるのに必死であった。
幽々子が去った後、ルーミアはぐしぐしと泣き続けている。
チルノは「いざとなったら、あたいが紅白をぶっとばして~」などと言うのだが、詮無いことこの上ない。
ルーミアが泣くのも既に、悲しいからではない。
貰った言葉が嬉しいあまりなのだが、チルノはそれに気付かない悪循環。
そんなこんなでルーミアが泣き止む頃には、随分と時間が経ってしまった。
チルノは再び腕を組んで考え出したが、そうそう都合良くは行かない。
考えあぐねた末、それこそ幻想郷中探し回るしかないかしら、と思って愕然とする。
そんな時、ふと横にいるルーミアの顔を見ると、何かに驚いたように目を見開いていた。
「どしたの?」
声を掛けるチルノに、ルーミアは背後を指差す。
「あれ……」
何かしら、とチルノが後ろを振り返ると、そこに、あったものは。
地より伸び出た一本の茎。その頭頂、繁れる葉の下に一つだけ。
紅々と、けれど朧気に、燐光を湛える。
紅く照らす、儚く照らす、幻想の灯火。
「わぁ」とチルノが声を上げる。
二人してしばらく見詰めていたが、やがてチルノははたと気付いた。
「これ、これよ! 提灯の代わりになるわ」
「でも……」
ルーミアの顔に浮かぶのは不安。
だが、そんな不安を消し飛ばすかのように、チルノは元気良く言う。
「やってみなけりゃ始まらないわよ! それに、代わりなんて幾らでも見つけてやるわ」
にっと笑顔を向けて来るチルノに、ルーミアは一つ頷いて手を伸ばす。
そして。
ルーミアの小さな手の平にも包まれる、その灯。
けれど、しっかりと二人の顔を紅く、紅く照らし出す。
「――やったわ!」
チルノは嬉しさのあまりルーミアをぱんぱんと叩く。
「これでお祭りに行けるのよ!」
ルーミアは信じられない、とでも言うように手の中の灯を見詰めていたが、やがて笑顔が顔に出る。
「うん、うん! チルノちゃん、ありがとう!」
言って満面の笑みを顔に浮かべたまま、チルノにしかと抱きつく。
チルノはすっかり頬を紅潮させて、は、離しなさいよと言うが、ルーミアは決して離さない。
そしていつしか、二人はそのまま笑い出した。
遠くから聞こえて来るのは、鈴の音、太鼓、響く笛。
そして集った者の賑わいの声。
二人の笑い声もいつしか、それに調和して。
そう、今日はお祭り。なんといっても楽しくなければ。
――その夜の祭りは賑わった。
提灯の明りだけを頼りに、集い来るは人と妖。
わずかの一夜だからこそか。
それとも、微かな明りに互いに互いを気にせぬからか。
人と妖とは、今宵だけはと笑い合う。
その中に。
明かき鬼灯持った娘と、手を取り歩く小さな姉とが、居たという。
妖夢かわいいよ!
>妖夢かわいいよ!
かわいいと言ってもらえて嬉しいです。
ちょい役ですが、美味しい所を持っていったようで。
こちらでも感想頂きまして有難うございます。
今回は⑨さんに知恵を絞ってもらいました。……最後はゆゆ様ですが。
でも、根も茎もなきゃ花咲きませんものね、と言ってみます。
読んで頂けて嬉しいです。