ある日の朝、私は草原を歩いていた。
木もまばらな、いかにも牧草地と言える場所である。
道の先には街並みが見える。
空を見上げる・・・。
灰色の雲が重なり合い、モノトーンのコントラストを形作っていた。
この時期、朝の街は霧と雲に覆われ太陽が直接地面を照らすことは少ない。
こうして私は陰鬱な気持ちで今日の朝を迎える。
朝なのに未だ夜が尾を引いているような感覚を覚えた。
そんなことを考えながら私はレンガ造りの街並みを目指す。
教会の横の道を通り市場に到着する。
辺りを見回すと・・・。
野原でしとめた兎を売る若い男。
屋台でコーヒーと揚げたジャガイモの朝食を摂る工場労働者。
郊外の畑で収穫されたと思われる野菜を売る老女。
片隅で震える片足の乞食。
店のりんごをくすねるボサボサ頭の浮浪児。
私もいつもの様に適当な場所に陣取り商売道具を広げる。
背中に背負ったズダ袋からオイルの入った瓶と数個の丸い石版を取り出す。
私は隣で商売しているおばさん連中のように声を張り上げるつもりは無い。
客が来るまで暫く暇だ。
私は地面に腰を下ろすと市場の喧騒の中でまどろみ始めた。
私には幼い頃の記憶が無い。
育ての親が言うには森で伐採をしている時に彷徨っている私を見つけたそうだ。
なんでもそのときの私は虚ろな目で聞いたことも無い言葉の歌を歌っていたらしい。
妖精か妖魔の類かと驚いたそうだが、よく見ればただの少女ということに気付いた。
置き去りにしておくわけにもいかず、連れて帰ることにしたそうだ。
森には狼の他に妖怪などの類が徘徊すると信じられていた時代である。
彼の家は村の外れにあった。
川をひとつ越えればすぐに森へ入れるほどの位置である。辺り一面に畑が見える。
彼に家族はいなかった。既に初老に手が届くというほどの年齢であったが、これまでに妻子を持つことはなかった。
家は二間に分かれている。片方は寝室兼居間、もう片方は工房。
彼は鍛冶屋であった。
家の主は玄関の扉を開けるとひとまず背負った薪を置いて暖を取ることにした。
自分の隣に今まで手を繋いでいた少女を座らせる。
ここに来るまでに名前や家の場所を聞いてはみたもののキョトンとしたまま宙を見つめているので埒が明かなかった。
実は言葉を知らないのではないかと彼は感じた。
かまどに薪をくべると鍛冶屋は少女に話しかけた。
「おめぇさんは一体どこからやって来たんだい?」
「・・・。」
相変わらずである。
かまどに掛けておいたポットの水が沸騰する。
それを小さなコップに注ぎ少女に渡しながら言った。
「俺の名前はジャック。それ飲んだら帰るんだぞ。嬢ちゃん。」
「・・・。」
ジャックは額を押さえながら工房へ向かった。
コークスと木炭をフォージへ放り込む。かまどから持ってきた火種で口火を点ける。
やがて、フォージの中は炎で満たされ彼の顔は紅い色で照らされた。
壁に立てかけた鋼材を手に取り、フォージの中に突っ込む。
鋼材は次第に自らが光を発し始める。
その色は正に炎の色、そして飴のような滑らかさを持っていた。
金床の上に置いてあるハンマーを手に取る。
ネイルは一瞬目を瞑り、そして何かが取り付いたかのようにハンマーで叩き始めた。
ハンマーの一打毎に鋼材に含まれる不純物が火花となって飛び散る。
”俺はこの瞬間が好きだ。余分なものをそぎ落とし、本物の自分になれる気がする。”
額には汗がにじみ、息遣いも荒くなるがハンマーを振り下ろすことをやめようとはしない。
やがて、鋼材はゆっくりとだがその姿を変えていった。
先は細く尖り、片方の側面は平たく延ばされていく。
遂に先はポイントとなり、側面はエッジとなる。
正しくナイフであった。
ジャックは一息つくと視線を感じ振り返った。
少女がジッとこちらを見据えている。
「なんだ・・・。ずっと見てたのか?嬢ちゃん。」
「嬢ちゃん・・・。」
「おい、嬢ちゃん。」
はっと私は我に返った。
「嬢ちゃん、俺のナイフ砥いどくれよ。」
「あ、はい。どのナイフですか?」
私の刃物砥ぎの腕前は自分で言うのもなんだが、相当なものだ。
そりゃ毎日父さんの指導の下に仕上げ砥してれば嫌でも身につくはずだ。
私は砥石に油を注ぎ、その上でナイフに角度を付け、円を描くように動かす。
刃物にはそれぞれ作った人の意思が込められている。
どうしてこの角度に刃を付けたか?
どうしてこの深さに焼きを入れたか?
どうしてこの種類の鋼を使っているか?
すべては刃物自身が教えてくれる。父さんはそう言っていた。
「お父さんっ!!」
家の中に声が響き渡る。夜中だが声の大きさを気にする必要はない。
隣近所に住む者などいないのだから。
「ああ?そんなでけぇ声ださねぇでも聞こえてる。」
「さっきからご飯できたって言ってるでしょ。早く一段落してこっち来てよ。」
「ああ、分かった分かった。鉄は生き物だからな。一度起こしちまったら手が離せねぇんだよ。」
二人は食卓に着くと両手を組み今日の糧を神に感謝した。
皿の上に乗っているのは焼いたベーコン、カブのスープ、そして堅いパンであった。
二人は互いに今日の出来事、明日からのことについて話し合った。
「私もお父さんのお手伝いしたいな。」
「何言ってんだ。おめぇの細腕じゃぁハンマーなんて扱えねぇよ。」
「なによ。せっかくこっちから手伝おうって言ってるのに~。」
ぷんぷんと娘は口を尖らせた。
「でも、それもそうね。あ、そうだ。私でも出来上がったのを砥ぐことならできるわよ。」
「おいおい、砥ぎっていうのはちょっとやそっとで身につくものじゃねぇんだぞ?」
「大丈夫大丈夫。目の前に優秀な親方がいるじゃない。」
「お、言いやがったな。よし、今日からおめぇは娘じゃなくて弟子だからな、ジル。」
その後、この工房製のナイフにJ&Jの刻印が刻まれるまでそれほど長くはかからなかった。
日が暮れるまでに客はそれほどたくさんはこなかった。
それでも今日と言う日をしのぐことはできる。
空が紅く染まり、やがて紫から深い蒼に変化する。
緩やかに落ちてゆく太陽に照らされ人々は各々の住処に帰ってゆく。
心なしかその脚は速いように思える。
[当然だ。]
最近、この街では夜な夜な殺人事件が起こる。
被害者は決まって女性・・・。
なんでも、腹を切り裂かれ内蔵を取り出されているらしい。
おそらく、これらの事件は同一犯の仕業だろう。分かりやすい異常者だ。
ギー・・・。
ある日の夜中、月は大きくて紅い。
戸を開けた男は家の中に入る。
工房を抜け、カーテンで仕切られた寝室へ。
カーテンの向こう側でその物音を聞いている者がいた。
彼女の娘である。
街は既に闇のベールを被り、人影は消えていた。
否、一人ここにいる。
・・・・・私である。
腰の部分に二つ。スカートの裏の腿に四つ。上着の裏に四つ。
私はそれぞれの場所に得物があることを確認する。
今日、私は確かめなくてはならないことがある。
それはおそらく私以外にできないことだ。
まばらな街灯が人魂のように青く照らす路地を私は歩いている。
私の足音以外物音はしない。
娘は窓から紅い月を眺めながら考えた。
最近、お父さんの行動はどこかおかしい・・・。
外に愛人でもできたかな?
だめだ・・・・・だめだ・・・・・。
私は逃げようとしている。一番自分が傷つかない答えへ。
せっかく手に入れたこの幸せな日々を終わらせないために。
私は知っている。
お父さんが夜中に出かけた次の日は必ず、街で死体が見つかることを・・・。
足音はひとつである。だが、それは重なっているだけだ。
つまり、何かが近づいている。
私は振り返らない。ぎりぎりまで引き付ける。
そうでなくては私の間合いを活かせない。
あと、8m・・・・・7m・・・・・6m・・・・・5m・・・・・・・・・・・
!?
足音が消えた。
私は振り返り、その瞬間、右手で腰から使い慣れたナイフを引き抜く。
頭上でレンガの壁に何かがぶつかる音がした。
・・しまった。
相手は跳躍して、今、私の頭上にいる。
可能な限り早く路地裏に飛び込む。
さっきまで私がいた空間から風を斬る音がした。
相手を確認している暇はない。
左手で素早くスカートの下のナイフを二本指の間に挟んで取り出す。
振り向きざまにさっき音のした向きへ投擲する。
やっと相手を確認することができた。
相手は黒いローブを被っていて顔はよく見えない。
その黒ずくめは両手に持った大きめのナイフで向かってきた二本のナイフを弾いた。
その瞬間、私には分かってしまった。
今までいつも見てきた金槌を持つ節くれだった手・・・。
その持ち主が目の前にいるということを。
相手は私を見ても躊躇がない。
黒い弾丸となり私に向かって突貫してきた。
私は奥の手を使うことにした。
幼い頃、封印したはずの能力を・・・。
周囲の空気が凍り、世界は完全な静寂に包まれた。
私はナイフを手に握りなおし、既にただの彫像となっている黒い弾丸に向かって走る。
すれ違い様に逆手に握ったナイフで首筋をざっと引く。
凍結した世界を私は解凍した。
黒い人の型は紅い液体を噴水のように高く飛ばしながら崩れ落ちる。
その様子を滲んだ視界から眺める。
足元に丸い染みがひとつふたつできた。
私はただぼーっとして心が体から抜け出して上空から見下ろしているような気分になった。
ざっ。
人の足音。
振り返ると通りからこちらを見ている人たちがいた。気づかなかった。
私は再び世界を凍らせ彼らの脇を抜けて駆け出す。
どれだけ走っただろうか、時計塔まで来てしまった。
これは街の中でも最も古い部類に属する建物のひとつである。
今夜はここで隠れていることにした。
路地に面した入り口から中に入る。
中は空洞のようになっていて中央の柱に螺旋階段が巻きついている。
その階段は二つある。二重螺旋だ。
片方の階段から上るともう片方の階段から降りてくる人には会うことがないまま頂上へ着く。
このことは私をなぜか不安にさせた。
恐る恐る階段を上る。
カツーン、カツーンと足音はよく反響する。
ひょっとしたらこの階段に終わりはないんじゃないだろうかという考えが頭をもたげた。
トッ、トッ、トッ・・・。
私以外の足音。
世界は凍結したままのはずだ。
とっさに立ち止まる。・・・向こうも立ち止まったようだ。
・・・静寂。
嫌な汗が額を滑り落ちる。
この柱の向こう側には私以外のものがいる。
「あら、今晩は。」
その声は幼いながらも気品さが見え隠れした。
私は拍子抜けしてその場違いな声に反応できていない。
数秒の沈黙の後に「こ・・今晩は。」やっと一言。
「私が怖い?」
「そんなことは・・・ないけど。」
「どうしてここに来たの?」
「えーと・・・、月が見たくて。今日はこんなに綺麗ですもの。」
「ふーん。私は食事に来たんだけどね。ちょっとした手違いで横取りされちゃったの。」
「そう・・・なの?」
「私の遠い血縁なんだけどね。もっとも私とは格が違うんだけど。」
「格?」
「そう、格。彼はまだ私たちの仲間に入ったばかりだったの。」
「彼?」
「彼は使役される側だったんだけどね。」
「・・・。」
「でも、もう横取りされることはないわ。」
「どうして?」
「彼、大地に帰ったの。あなたのおかげで。」
「・・・。」
「あなた、明日からどうするつもり?帰る場所はあるの?」
「・・・。」
「彼との闘い、見られてしまったわよ。」
「・・・。」
「どうして、目撃者を始末しなかったの?」
「・・・今日。・・・お客さんだった・・・から。」
「私、あなたに興味があるの。うちの館に招きたいわ。」
「え、えっと。それって。」
「私の館をあなたの家にするといいわ。」
「でも・・・。」
「ちょっと待って。そっちへ行くから。」
「え?」
羽音がして手摺の向こうに人影が見えた。
淡紅色のドレスを着た少女だった。
その肌は磁器のようになめらかで白かった。
瞳は血のように赤く、炎のような光を湛えている。
背中には蝙蝠の翼があり、今もせわしなく羽ばたいている。
「私はレミリア。私の館、紅魔館の主よ。
今までこの近くに住んでいたんだけど、ここも住みにくくなったから引越しを考えているの。
それで人手が足りないのよね。ところであなたの名前は?」
「ジ・・」「ま、そんなのはどうでもいいや。」
遮られた。
「あなた、私の従者になりなさい。」
断定的な口調である。しかし、不思議と抗う気持ちにはならなかった。
「・・・ええ、いいわ。」しばらくの後、私は答えた。
「決まりね。じゃ、私の館に行くわよ。」
レミリアは私の手をとって欄干の外へ引っ張る。
「ちょっと!私飛べませんよ?」
レミリアはクスリと笑い、答えた。
「大丈夫。あなたは飛べるわ。」
「え?」
私は既に空中にいた。
時計塔の内部を柱に沿って上へ上へ向かいついに頂上に達する。
歯車と歯車の間を抜け、鐘の隙間を縫って外に飛び出す。
急に視界が開けた。
紅い月の光に照らされ私たちは濃い紫の夜空を翔けてゆく。
そして、私はこの街をあとにした。
月の光に照らされた紅い顔をこちらに向けレミリアは言った。
「そうだ!あなたの名前考えたわ。
十六夜咲夜。十六夜の月は出が遅い。やっとあなたは私の従者になったわ。
こうなることは運命と決まっていたのにね。
今夜、やっとあなたという花は咲くことになったの。」
そして、私は生まれ変わる。十六夜咲夜として。
木もまばらな、いかにも牧草地と言える場所である。
道の先には街並みが見える。
空を見上げる・・・。
灰色の雲が重なり合い、モノトーンのコントラストを形作っていた。
この時期、朝の街は霧と雲に覆われ太陽が直接地面を照らすことは少ない。
こうして私は陰鬱な気持ちで今日の朝を迎える。
朝なのに未だ夜が尾を引いているような感覚を覚えた。
そんなことを考えながら私はレンガ造りの街並みを目指す。
教会の横の道を通り市場に到着する。
辺りを見回すと・・・。
野原でしとめた兎を売る若い男。
屋台でコーヒーと揚げたジャガイモの朝食を摂る工場労働者。
郊外の畑で収穫されたと思われる野菜を売る老女。
片隅で震える片足の乞食。
店のりんごをくすねるボサボサ頭の浮浪児。
私もいつもの様に適当な場所に陣取り商売道具を広げる。
背中に背負ったズダ袋からオイルの入った瓶と数個の丸い石版を取り出す。
私は隣で商売しているおばさん連中のように声を張り上げるつもりは無い。
客が来るまで暫く暇だ。
私は地面に腰を下ろすと市場の喧騒の中でまどろみ始めた。
私には幼い頃の記憶が無い。
育ての親が言うには森で伐採をしている時に彷徨っている私を見つけたそうだ。
なんでもそのときの私は虚ろな目で聞いたことも無い言葉の歌を歌っていたらしい。
妖精か妖魔の類かと驚いたそうだが、よく見ればただの少女ということに気付いた。
置き去りにしておくわけにもいかず、連れて帰ることにしたそうだ。
森には狼の他に妖怪などの類が徘徊すると信じられていた時代である。
彼の家は村の外れにあった。
川をひとつ越えればすぐに森へ入れるほどの位置である。辺り一面に畑が見える。
彼に家族はいなかった。既に初老に手が届くというほどの年齢であったが、これまでに妻子を持つことはなかった。
家は二間に分かれている。片方は寝室兼居間、もう片方は工房。
彼は鍛冶屋であった。
家の主は玄関の扉を開けるとひとまず背負った薪を置いて暖を取ることにした。
自分の隣に今まで手を繋いでいた少女を座らせる。
ここに来るまでに名前や家の場所を聞いてはみたもののキョトンとしたまま宙を見つめているので埒が明かなかった。
実は言葉を知らないのではないかと彼は感じた。
かまどに薪をくべると鍛冶屋は少女に話しかけた。
「おめぇさんは一体どこからやって来たんだい?」
「・・・。」
相変わらずである。
かまどに掛けておいたポットの水が沸騰する。
それを小さなコップに注ぎ少女に渡しながら言った。
「俺の名前はジャック。それ飲んだら帰るんだぞ。嬢ちゃん。」
「・・・。」
ジャックは額を押さえながら工房へ向かった。
コークスと木炭をフォージへ放り込む。かまどから持ってきた火種で口火を点ける。
やがて、フォージの中は炎で満たされ彼の顔は紅い色で照らされた。
壁に立てかけた鋼材を手に取り、フォージの中に突っ込む。
鋼材は次第に自らが光を発し始める。
その色は正に炎の色、そして飴のような滑らかさを持っていた。
金床の上に置いてあるハンマーを手に取る。
ネイルは一瞬目を瞑り、そして何かが取り付いたかのようにハンマーで叩き始めた。
ハンマーの一打毎に鋼材に含まれる不純物が火花となって飛び散る。
”俺はこの瞬間が好きだ。余分なものをそぎ落とし、本物の自分になれる気がする。”
額には汗がにじみ、息遣いも荒くなるがハンマーを振り下ろすことをやめようとはしない。
やがて、鋼材はゆっくりとだがその姿を変えていった。
先は細く尖り、片方の側面は平たく延ばされていく。
遂に先はポイントとなり、側面はエッジとなる。
正しくナイフであった。
ジャックは一息つくと視線を感じ振り返った。
少女がジッとこちらを見据えている。
「なんだ・・・。ずっと見てたのか?嬢ちゃん。」
「嬢ちゃん・・・。」
「おい、嬢ちゃん。」
はっと私は我に返った。
「嬢ちゃん、俺のナイフ砥いどくれよ。」
「あ、はい。どのナイフですか?」
私の刃物砥ぎの腕前は自分で言うのもなんだが、相当なものだ。
そりゃ毎日父さんの指導の下に仕上げ砥してれば嫌でも身につくはずだ。
私は砥石に油を注ぎ、その上でナイフに角度を付け、円を描くように動かす。
刃物にはそれぞれ作った人の意思が込められている。
どうしてこの角度に刃を付けたか?
どうしてこの深さに焼きを入れたか?
どうしてこの種類の鋼を使っているか?
すべては刃物自身が教えてくれる。父さんはそう言っていた。
「お父さんっ!!」
家の中に声が響き渡る。夜中だが声の大きさを気にする必要はない。
隣近所に住む者などいないのだから。
「ああ?そんなでけぇ声ださねぇでも聞こえてる。」
「さっきからご飯できたって言ってるでしょ。早く一段落してこっち来てよ。」
「ああ、分かった分かった。鉄は生き物だからな。一度起こしちまったら手が離せねぇんだよ。」
二人は食卓に着くと両手を組み今日の糧を神に感謝した。
皿の上に乗っているのは焼いたベーコン、カブのスープ、そして堅いパンであった。
二人は互いに今日の出来事、明日からのことについて話し合った。
「私もお父さんのお手伝いしたいな。」
「何言ってんだ。おめぇの細腕じゃぁハンマーなんて扱えねぇよ。」
「なによ。せっかくこっちから手伝おうって言ってるのに~。」
ぷんぷんと娘は口を尖らせた。
「でも、それもそうね。あ、そうだ。私でも出来上がったのを砥ぐことならできるわよ。」
「おいおい、砥ぎっていうのはちょっとやそっとで身につくものじゃねぇんだぞ?」
「大丈夫大丈夫。目の前に優秀な親方がいるじゃない。」
「お、言いやがったな。よし、今日からおめぇは娘じゃなくて弟子だからな、ジル。」
その後、この工房製のナイフにJ&Jの刻印が刻まれるまでそれほど長くはかからなかった。
日が暮れるまでに客はそれほどたくさんはこなかった。
それでも今日と言う日をしのぐことはできる。
空が紅く染まり、やがて紫から深い蒼に変化する。
緩やかに落ちてゆく太陽に照らされ人々は各々の住処に帰ってゆく。
心なしかその脚は速いように思える。
[当然だ。]
最近、この街では夜な夜な殺人事件が起こる。
被害者は決まって女性・・・。
なんでも、腹を切り裂かれ内蔵を取り出されているらしい。
おそらく、これらの事件は同一犯の仕業だろう。分かりやすい異常者だ。
ギー・・・。
ある日の夜中、月は大きくて紅い。
戸を開けた男は家の中に入る。
工房を抜け、カーテンで仕切られた寝室へ。
カーテンの向こう側でその物音を聞いている者がいた。
彼女の娘である。
街は既に闇のベールを被り、人影は消えていた。
否、一人ここにいる。
・・・・・私である。
腰の部分に二つ。スカートの裏の腿に四つ。上着の裏に四つ。
私はそれぞれの場所に得物があることを確認する。
今日、私は確かめなくてはならないことがある。
それはおそらく私以外にできないことだ。
まばらな街灯が人魂のように青く照らす路地を私は歩いている。
私の足音以外物音はしない。
娘は窓から紅い月を眺めながら考えた。
最近、お父さんの行動はどこかおかしい・・・。
外に愛人でもできたかな?
だめだ・・・・・だめだ・・・・・。
私は逃げようとしている。一番自分が傷つかない答えへ。
せっかく手に入れたこの幸せな日々を終わらせないために。
私は知っている。
お父さんが夜中に出かけた次の日は必ず、街で死体が見つかることを・・・。
足音はひとつである。だが、それは重なっているだけだ。
つまり、何かが近づいている。
私は振り返らない。ぎりぎりまで引き付ける。
そうでなくては私の間合いを活かせない。
あと、8m・・・・・7m・・・・・6m・・・・・5m・・・・・・・・・・・
!?
足音が消えた。
私は振り返り、その瞬間、右手で腰から使い慣れたナイフを引き抜く。
頭上でレンガの壁に何かがぶつかる音がした。
・・しまった。
相手は跳躍して、今、私の頭上にいる。
可能な限り早く路地裏に飛び込む。
さっきまで私がいた空間から風を斬る音がした。
相手を確認している暇はない。
左手で素早くスカートの下のナイフを二本指の間に挟んで取り出す。
振り向きざまにさっき音のした向きへ投擲する。
やっと相手を確認することができた。
相手は黒いローブを被っていて顔はよく見えない。
その黒ずくめは両手に持った大きめのナイフで向かってきた二本のナイフを弾いた。
その瞬間、私には分かってしまった。
今までいつも見てきた金槌を持つ節くれだった手・・・。
その持ち主が目の前にいるということを。
相手は私を見ても躊躇がない。
黒い弾丸となり私に向かって突貫してきた。
私は奥の手を使うことにした。
幼い頃、封印したはずの能力を・・・。
周囲の空気が凍り、世界は完全な静寂に包まれた。
私はナイフを手に握りなおし、既にただの彫像となっている黒い弾丸に向かって走る。
すれ違い様に逆手に握ったナイフで首筋をざっと引く。
凍結した世界を私は解凍した。
黒い人の型は紅い液体を噴水のように高く飛ばしながら崩れ落ちる。
その様子を滲んだ視界から眺める。
足元に丸い染みがひとつふたつできた。
私はただぼーっとして心が体から抜け出して上空から見下ろしているような気分になった。
ざっ。
人の足音。
振り返ると通りからこちらを見ている人たちがいた。気づかなかった。
私は再び世界を凍らせ彼らの脇を抜けて駆け出す。
どれだけ走っただろうか、時計塔まで来てしまった。
これは街の中でも最も古い部類に属する建物のひとつである。
今夜はここで隠れていることにした。
路地に面した入り口から中に入る。
中は空洞のようになっていて中央の柱に螺旋階段が巻きついている。
その階段は二つある。二重螺旋だ。
片方の階段から上るともう片方の階段から降りてくる人には会うことがないまま頂上へ着く。
このことは私をなぜか不安にさせた。
恐る恐る階段を上る。
カツーン、カツーンと足音はよく反響する。
ひょっとしたらこの階段に終わりはないんじゃないだろうかという考えが頭をもたげた。
トッ、トッ、トッ・・・。
私以外の足音。
世界は凍結したままのはずだ。
とっさに立ち止まる。・・・向こうも立ち止まったようだ。
・・・静寂。
嫌な汗が額を滑り落ちる。
この柱の向こう側には私以外のものがいる。
「あら、今晩は。」
その声は幼いながらも気品さが見え隠れした。
私は拍子抜けしてその場違いな声に反応できていない。
数秒の沈黙の後に「こ・・今晩は。」やっと一言。
「私が怖い?」
「そんなことは・・・ないけど。」
「どうしてここに来たの?」
「えーと・・・、月が見たくて。今日はこんなに綺麗ですもの。」
「ふーん。私は食事に来たんだけどね。ちょっとした手違いで横取りされちゃったの。」
「そう・・・なの?」
「私の遠い血縁なんだけどね。もっとも私とは格が違うんだけど。」
「格?」
「そう、格。彼はまだ私たちの仲間に入ったばかりだったの。」
「彼?」
「彼は使役される側だったんだけどね。」
「・・・。」
「でも、もう横取りされることはないわ。」
「どうして?」
「彼、大地に帰ったの。あなたのおかげで。」
「・・・。」
「あなた、明日からどうするつもり?帰る場所はあるの?」
「・・・。」
「彼との闘い、見られてしまったわよ。」
「・・・。」
「どうして、目撃者を始末しなかったの?」
「・・・今日。・・・お客さんだった・・・から。」
「私、あなたに興味があるの。うちの館に招きたいわ。」
「え、えっと。それって。」
「私の館をあなたの家にするといいわ。」
「でも・・・。」
「ちょっと待って。そっちへ行くから。」
「え?」
羽音がして手摺の向こうに人影が見えた。
淡紅色のドレスを着た少女だった。
その肌は磁器のようになめらかで白かった。
瞳は血のように赤く、炎のような光を湛えている。
背中には蝙蝠の翼があり、今もせわしなく羽ばたいている。
「私はレミリア。私の館、紅魔館の主よ。
今までこの近くに住んでいたんだけど、ここも住みにくくなったから引越しを考えているの。
それで人手が足りないのよね。ところであなたの名前は?」
「ジ・・」「ま、そんなのはどうでもいいや。」
遮られた。
「あなた、私の従者になりなさい。」
断定的な口調である。しかし、不思議と抗う気持ちにはならなかった。
「・・・ええ、いいわ。」しばらくの後、私は答えた。
「決まりね。じゃ、私の館に行くわよ。」
レミリアは私の手をとって欄干の外へ引っ張る。
「ちょっと!私飛べませんよ?」
レミリアはクスリと笑い、答えた。
「大丈夫。あなたは飛べるわ。」
「え?」
私は既に空中にいた。
時計塔の内部を柱に沿って上へ上へ向かいついに頂上に達する。
歯車と歯車の間を抜け、鐘の隙間を縫って外に飛び出す。
急に視界が開けた。
紅い月の光に照らされ私たちは濃い紫の夜空を翔けてゆく。
そして、私はこの街をあとにした。
月の光に照らされた紅い顔をこちらに向けレミリアは言った。
「そうだ!あなたの名前考えたわ。
十六夜咲夜。十六夜の月は出が遅い。やっとあなたは私の従者になったわ。
こうなることは運命と決まっていたのにね。
今夜、やっとあなたという花は咲くことになったの。」
そして、私は生まれ変わる。十六夜咲夜として。