ざあ、という雨音の中、輝夜は傘も差さずにいた。
悠々と踏み出せば、水溜まりの泥がよけるように撥ねる。
まっすぐな視線の先、木陰にあるのは猫に似た少女の姿だ。
「何しているの?」
「雨宿り」
二本の黒い尾が波打つようにゆらりと揺れる。
「帰らないの?」
「帰れないの。でもね、夜になったら藍さまが迎えに来てくれるの」
橙は輝夜を見上げると、顔を綻ばせてそう言った。
「傘はないの?」
「傘? 傘は日差しが強いときに使うものだって紫さまが言ってたよ」
あら、あれ、と揃って首をかしげる。
ぱた、ぱた、と雫が落ちて地を打った。
「えぇと……そう、そうね……これでどうかしら」
輝夜は橙の背にふわりとそれを掛けた。
「ん?」
橙はそれを見ようとして、しかし背中にかかっているために見えず
首を曲げてくるくると回っている。
輝夜は目を細めてそれを見ていたが、
橙は勢いあまって木陰から飛び出し、水溜りに飛び込んだ。
水の撥ねる音はしない。
「……あれ? 濡れてない?」
背にかかっていたそれ――毛皮が橙を包む形で下敷きになっていた。
赤い皮衣は水を吸ったはずなのに、まったく湿っていない。
それどころか、細い毛が燃えているように見える。
よく見ていれば、雨粒が降りかかる端から蒸発していく。
しかし不思議なことに、内側はまったく熱くない。
「気に入った?」
輝夜が額に濡れて張り付く髪を払いながら尋ねた。
「うん!」
橙は勢いよく頷いた。
よかった、と輝夜も目を伏せた。
空まで白く洗われる。
少し、少しと流される。
静かに、平らになっていく。
――明日はまだ来ず、今日が続く――
案内されるままに行けば、出迎えたのは狐の妖怪だった。
私を見るなり九尾を逆立て、今にも飛びかからんとしたが、
橙が間に入って事情を話すと、ころりと表情を変えた。
「式神ゆえに水が苦手でな。礼を言う」
言わなくていいから御飯を頂戴と返すと、
「……あぁ、雨も酷いし、ゆっくりしていくと良い」
一瞬ほうけたようにまじまじと私を見つめた後、
腕を逆の袖から通す形で組んで、そう答えた。
仕草はまさしく袖にする、でやや不安だったけれど。
ともあれ、いいと言われたのでくつろぐことにする。
外では雨足が強くなっていた。服は乾きそうもない。
九尾の妖怪・八雲藍はちょうど夕餉の準備を始めたところらしく、
鍋を見たり野菜を切ったりとせわしなく働いている。
豊かな尻尾は触ると気持ちよさそうだ。
丸いだけのものと違い、ふさふさと大きいところがいいと思う。
何の話だっけ。
「何もない家ねー」
「はは、確かに」
「普段は何をしているの?」
藍は少し手を止めて視線を彷徨わせると、
「家事、か。そうそう、橙と炬燵に入ると気持ちよいな」
炬燵、と言われて藍の視線を追う。
尻尾が二本生えた炬燵があった。
たまに持ち上がっては、ぱたりと落ちる。
なかなか面白い。
あれに入るんだろうか。二人、否、二妖で?
そんなこんなでゆったり時間をつぶしていると、夕餉が出来たらしい。
藍は橙を起こし、主を呼びに行った。
向こうの部屋から何やら問答が聞こえてくる。
藍だけ戻ってきた。しばらくして、家主が瞼をこすりつつやってきた。
隙間妖怪・八雲紫。こちらは面識がある。
夕餉は一汁三菜、しっかり4人分あった。
「あら、今日は一人多くない?」
「紫様……」
「橙、藍、輝夜……あれ3人、いつも通りね、……怖いわ藍どうしましょう」
「紫様、ご自分を忘れています」
「すると4人。どういうこと!?」
「輝夜殿が客人として」
「あら、あらあら。すっかり馴染んでいたものだから気づかなかったわ」
「えぇ、自分でも忘れていたもの」
ほほ、と笑いあう。
藍が溜め息をついていた。どうしたのだろう。
「まぁ冷める前にお上がりください」
「えぇ」
いただきます、と声を合わせて箸を取る。
横を見遣ると橙が焼き魚を直接齧ったりしていて、私には新鮮だ。
真似をしてみる。
歯ぐきに骨が刺さった。
「いい食べっぷりね、ねぇ藍」
「紫様なぜこっちを見るんです」
「髪を振り乱してむさぼるように喰らう藍が見たいと思って」
藍は返事をせずに顔をこちらへ向けると、
「……いつもそういう食べ方で?」
「ううん、うちだとイナバと永琳がやれ不健康だの行儀が悪いだの煩くてね」
はぁ、と呟いた藍は何とも言えない、といった表情。
橙は既に魚を食べ終わって、汁物のおかわりに手を伸ばしている。
紫は下を向いているのかと思ったら、箸を握ったままうつらうつらとしていた。
私が言うのもなんだけれど、変な一家だと思う。
共通点もほとんどないのに――とそれはうちの永遠亭も一緒だ。
そうね、そんなものよね、と一人頷くと
口元が緩むのが自分でもわかった。
藍はこちらを気にしていたようだったけれど、
「あぁ、おいひいわね」
と、もごもごしながら言うと、安心したように息をついた。
ふと、うちの永琳を思い出した。
今頃イナバとよろしくやっているだろうか。
食べ終わって片付けをすると、紫はまた寝に戻ってしまった。
橙も今は炬燵に入らず、毛皮に丸まって寝ている。
気持ちよさそうな寝息が聞こえる。
やはり無駄に長くて曲がっているより、シンプルな耳がいいと思う。
何の話だっけ。
「少し風に当たってくるわ」
鍋を洗う藍に言い残すと、外へ出る。
雨の勢いは相変わらず。
そして、空気が帯電していた。
雷が近い。
私には、よく落ちてくる。
天の火と呼ばれるそれは、罪人を裁くというから。
なんて意味のない考えはやめる。
見渡しても、周りに避雷針になるようなものはない。
今出てきた家以外は。
この一帯でどこかに落ちるとしたら、物理的に十中八九ここだ。
どうする。雷が見えてからでは遅い。
見えたときには光が落ちているのだから。
例えば、今なら雨を凌ぎつつ皆で離れるくらい簡単だろう。
あるいは、あの隙間妖怪なら造作もなく処理できるかもしれない。
けれど、それを良しとしない自分がいた。
理由はよくわからない。
しかし自分には結界を張る類の術はない。
ならば、大気中の電荷が集まりきる前に散らすだけ。
あぁ、つまらないことになった。
家と距離をおくと、懐から符を取り出し、力を通す。
「龍の顎門を餌にして、」
五色の玉が宙に浮かぶ。
こんなものでどうにかなるか。なるまい。相手が違う。
弾幕が動き出す前に、素早く新たな符を握る。
「月を目指すは玉なる樹、」
玉の群れが左手の枝に絡むようにして集まる。
枝から幹へ、幹から樹へ。膨れ上がる。
腕に血が溜まって、内側からはじけ飛びそうな気がする。
不死をいいことに、負荷を強引に無視した戦い方を選ぶ。
見苦しい、実につまらない方法。ねぇ妹紅。
自分は基本的に一度死んだらそれまで、負けでいいと思っていた。
死んでも死んでも起き上がる妹紅とは違う。
不死を否定し人であることを望みながら、不死に頼るという矛盾。
さっぱり理解できない。そう思っていた。
「混ぜる色素は12色、」
視界の隅で、橙が戸から顔を出した。
そしてこちらへ歩きかけたその尻尾を、藍が掴んだ。
いい判断だ、近寄るべきじゃない。
初めて見せた細い目は、狐らしいなと思った。
大きくなり過ぎた枝に耐え切れず、左手の肘から先が吹き飛んだ。
構わず、宙を舞う枝の端を右手で掴む。
「込める思いは万感に、」
自分の本質はやはり不死である。
通りがかり、通り過ぎるだけでも良かった。
けれど。
それ以上を望んで歩き出したのではなかったか。
「願う結果は濁りなし」
自分の「ほんとう」を見せた上で、それを認めてほしいなどと。
まったく以ってつまらない理由で。
まるで下賎な地上人のように。
「塗り潰せ」
枝を筆に模して、空に線を引く要領で振り切る。
色が重なり白一色の光となって天を裂く。
右手も光に呑まれた。
一瞬遅れて、轟音が空気を叩いた。
体中に震動が響く。
受身も取れず、背から倒れた。
死んだ。
再生した。
謳、と唸る風が吹き抜けた。
橙と藍が帽子を押さえ、家に引っ込むのが見えた。
夜が視える。
雲まで散り散りになってしまった。
空が深い。
目を閉じる。
体が重い。
疲れた。
「まぁ、こうなるでしょうね」
一人ごちる。
大きく息を吐くと、いろいろと一緒に抜け出て行った。
と、不意に空気が動いた。
何かが体に乗せられた。
暗がりの中で、赤い毛皮。
頭上で黒い尻尾が動いている。橙だ。
ああ、返しに来てくれたのね、と言おうにも喉すら震えない。
「外で寝ると風邪ひくよ?」
お前こそ風邪をひくよ、というつもりで視線を重ねる。
橙は何を思ったか目を細めて、尻尾を振るとぱたんと横になった。
あまり大きくない皮衣に、もぞもぞと入ってくる。
抵抗する気力もない。
遠くで藍がこちらを見ていたようだけれど、戻っていった。
と思ったら枕と毛布を抱えて出てきた。
「枕なしで寝れるのは羨ましいな」
橙の隣まで来ると、やはり転がった。
こうやってみると、彼女の変な帽子は眠るときには違和感がない。
「たまにはこういうのもいいわね」
いつの間にか、どこでも寝れそうな妖怪も橙と藍の隙間に潜り込んでいる。
藍が眉をひそめて少し向こうへ避けた。
虫が鳴いている。
見上げてみれば、雲はすっかり流れて星が覗いていた。
眩しい。
目を閉じても月が残っていたので、呟いてみる。
永琳。私、今日は久しぶりに頑張ったよ。
胸元にやわらかい毛があたった。耳だ。くすぐったい。
私を抱き枕にするのはどうかと思った。
思ったので抱き返してみる。
妙ね、と感じた。
火鼠の皮衣は熱を持たない。
それなのに、なぜだかとても温かい。
まぁいいか、と意識も溶けるようにまどろんでいく。
起きたときに、朝日が昇るのを見たいと思う。
今日が終わって、新しい日が来ていればいいな、と。
こういうささやかな所でこそ、輝夜の魅力は光るものですね。
公式でも永琳のほうが強いって言われていても、やっぱり姫さまも凄いんですからねぇ~
たまにはかっこいい姫も そして美しき難題を^^
軽い毒気を含ませながらも優しげな雰囲気が輝夜らしいという感じがします。
まあ軽い優しさと大量の毒気でも輝夜らしいんですがw
月を追われた輝夜は今尚、不死の罪人か? 月人の誇りを捨てた彼女は妹紅と何処が違うのか?
…違わない。ならば求めれば与えられる。やったね姫様、友達ゲット!
それにしても美味しそうに食べますね。いつもながら良い食事風景でした。ご馳走様。
>梨橙氏
八雲家ののんびり具合は紫様ゆずりだと思います。
もっと活躍させたかったんですが、寝てばかりで(笑)
>名前が無い程度の能力氏(8月1日の)
地味だ地味だ言われますけどそうですね、
カリスマはある筈です、わかりにくいだけで!
自分が書けるかはともかく…
>てーる氏
仮にも永遠亭の主ですしね(仮にもって)
やるときはやるのが姫様ジャスティス? かっこよければ幸いです^^
>CCCC氏
口は悪いけど悪意はない、みたいなイメージです(書けませんが)
毒気たっぷりでどす黒い輝夜もいいですよねw
>名前が無い程度の能力氏(8月2日の)
実は橙の頬につけたご飯粒を輝夜がとる、とか何の関係もない
食事風景を書いてしまう病気でして…はい削りました。
不死も不生も関係ない、皆が笑って弾幕りあえる幻想郷が
いつか書ければなぁと思っています。
この台詞が凄く好きです。
嗚呼、いいなぁこの姫様。
地味だなんて言わせない!輝いてるよ!!
うわぁ、さりげないですが、一番書きたかったところです。
10人いたら10人とも違和感覚えそうとは思いつつ
もしかしたら、わかってくれる人が居るかもしれないと。
はー、読んで貰えてよかったです。ありがとうございます。
あ、あと
>輝いてるよ!! って笑ってしまいました。
感じがします。
良いお話でした。ありがとうございました。
どうもありがとうございます、そう言って貰えると
書いた甲斐もあるというもので。頑張ります!
これイイ!!
好きです、全体的にこの空気