「今日もいい月だな…」
本当に、いい月だ。
少し大きめの岩の上。
のびのびとした心地いい月の光を浴びながら、私は筆を走らせる。
スケッチの中に、特徴的な黒が滲む。
この中に描かれるのは大小様々な妖怪。
それは見える見えざるに関わらず、スケッチの中に等しく描き出される。
私の瞳を誤魔化せる妖怪など、どこにもいないのだ。
「……ぉ。希少種発見」
この時間帯に発見するとは、また珍しい。
これは少し、絵図の構成を変えなければいけないかな。
平穏とした絵図の中に、ほんの少しのおどろおどろしさを加えて…と。
「何をしているのかしら?」
「ん?輝夜か。いやなに、絵を少々な、描いていたんだ」
希少種の名前は――蓬莱山 輝夜。永遠を生きる蓬莱人だ。
「へぇ、意外とうまいのね。妖怪ばかりの絵というのが少し気になるけども」
「まぁ、趣味で嗜む程度だけどな。妖怪ばかりなのは、私がそういう妖怪だからさ」
そう、私は白澤。全ての妖怪を知る者にして、今は幻想郷の住人の一人。
「じゃあ、なんで私がその中に描かれているのかしら?」
「安心しろ。私は十分おまえ達のことを守るべき人間だと思っているぞ?」
「答えにはなってないけど、一応ありがとう…と言っておこうかしら」
「うむ。良きに扱わす。苦しゅうない、近う寄れ」
「姫は、私よ?なんでわざわざ許しを貰わないといけないのよ」
芝居掛かった口調で言ってみせると、輝夜が苦笑しながら私の隣に座った。
輝夜は自分で姫だと強調しておきながら、しかしその地位にあまりこだわりを持っていないのか(当然と言えば当然だが)、怒った様子はない。
「でもあれよね、てっきりあなたは妹紅の肩ばかりを完全に持ってるんだと思ったんだけど、そういう訳じゃないのよね」
「はっはっは。その口調だとなんだか、私が妹紅サイドに入ったほうが徹底的に嬲れるのにって言ってるように聞こえるぞ?」
「そう言ってるのよ」
はぁ、と輝夜は大きくため息をつく。
むっ、失礼な。
「そうは言っても、私はそれを狙ってやっているのだし、どうしようもないだろ?」
「嫌な性格ね」
膝の上で頬杖を突きながら、息をつく。
でもその言葉はお前のほうが当てはまると思うぞ、輝夜。
…いや、輝夜の場合は損な性格、というべきか。
「だって私がクッション役になってやらないと、ますます妹紅に嫌われてしまうぞ?」
――ぴく。
おっ。おもしろいくらい反応したな。どれ、ではもう少し弄くってみるか。
「あぁやって愛でるのも悪くないが…私や永琳の苦労も、少しは理解してくれると嬉しいんだけどな」
「な…わ、私は別に……愛でてなんていないわよ?ただあいつはからかうとおもしろいだけで…!」
「ちなみに妹紅は全く気づいてないからな。お前からまず折れてやないとな」
私がそう言うと、輝夜は慌てたようになにやらぶつぶつと呟き始める。
そんな輝夜の声を苦笑しながら聞いているうちに、木炭で描いていたスケッチはいっぱいになり、描ける部分がなくなってしまった。
まぁ、これはあとで香霖堂にでも売りつけに行くとするか。
別の紙を取り出しながら、新たに現れた妖怪を描き始める。
新しく現れた妖怪の特徴は、赤と白を基調とした服。そしてたくさんのリボン。何よりも印象的な、燃えるように赤い瞳。
これらを木炭のみで描くのは非常に勿体無い。
なので少しばかりカラフルに、色鉛筆なるものを使ってみる。
色鉛筆とは、香霖堂が私に「絵を描くならば」と勧めてくれた商品だ。
――私は妖怪の絵を香霖堂に売り、私は香霖堂から色鉛筆を買う。
それならば物々交換でいいではないかと思うのだが…
そういっややり取りが外の世界のブームなのだと香霖堂に熱弁されてしまい、以来私も、渋々といった風の顔をしながらもそれに付き合ってやっている。彼は、本当におもしろい人物だと思う。
――この商品を私に勧めておいて、ぽっきり定価で売りつけてくるあたりが、特に。
「あら、なんだか綺麗な色ね。何を描いているの?」
混乱から回復したのか、スケッチを覗き込む輝夜。
でも今はまだ背景を描いているだけなので何を描いているかわからないのは当然だ。
輝夜の言葉をそれとなく流しながら、リボンの少女のほうへと視線を向ける。
ふと、リボンの少女と目が合った。
どうやら私の存在に気がついたようだ。
嬉しそうに顔を綻ばせながら、こちらに向かって飛んでくる。
その表情から、おそらく私を発見したことだけに眼が捕らわれ、隣の輝夜のことに気づいてはいないのだろうなと推測できた。
「あら、あそこにいるのは妹紅じゃない」
そのことに気づいているのか否か。どちらにせよ、にわかに輝夜の声のトーンがあがったのがわかった。
…ほら、やっぱり好きなんじゃないか。
そう思って、知らず知らずのうちに笑みが漏れる。
「…ふふ。いいこと思いついたわ」
隣に座っていた輝夜が突然立ち上がり、私の背中のほうへと回る。
そして、ぴたりと体を合わせて抱きついてきた。
「……私的に、ナイチチな輝夜に抱きつかれても、嬉しくも何ともないんだが…」
「な、ナイチチ言うなっ!」
くわっと涙目になって輝夜が食って掛かってきた。
……意外と気にしてるんだな。
「…ちなみに聞いてみたいんだけど、胸のある人に抱きつかれたら嬉しいの?」
「妹紅に抱きつかれると気持ちいいから嬉しいぞ」
「うっ…妹紅に抱きしめられたことがあるのね!しかもその口調的に何回もっ!?」
「はっはっは。まぁ、落ち着け輝夜。骨が軋むほど痛いから。なっ?」
さらにぎりぎりと力をこめる輝夜を何とか宥めて、落ち着かせようと試みる。
「…げ、輝夜っ!?」
が、試みる前に妹紅が輝夜の存在に気がついてしまった。
…ちっ、タイミングが悪いな。これじゃあ、輝夜が私を襲っているように見えてもおかしくない。
妹紅は私に恩を感じているらしく、私に対して過剰なほど反応するからな。
…いや、もしかしたらそうすることこそ輝夜の狙っていたことか?
やれやれ。本当、無駄に頭の回るやつだ。
「あら、妹紅じゃない。タイミングが悪いわね、あなた。せっかくこれからがいいところなのに」
輝夜のその台詞は、半ば予想通りといえば予想通りなんだが…こう、色々と突っ込みたくなってしまうのは何故だろうか。
しかし仕方がない。ここは二人のスキンシップのために涙を飲んで黙っててやろう。
いやいや、決して黙っていたほうが面白そうだから、とかではないぞ?
そんなことを徒然と考えていたら、突然輝夜の手が怪しく蠢き始める。
…まぁ、いいけどな。ただ、そのなんとなく恨みがましい視線を送ってくるのをやめてくれないか?それはまさに逆恨みだから。
「なっ…ふ、不意打ちで襲おうとしてたんじゃ…え、襲うってまさかそういう…輝夜~!ききき貴様、表に出ろ~!」
そんな輝夜の仕草に、面白いくらい反応する妹紅。
これはさっきの輝夜と同じくらいの反応加減だな。
「ふっふっふ。いいわね。今日もあなたの顔を屈辱で染め上げてあげるわっ!そうね、せいぜい前菜になれるよう頑張ってみなさい!」
ばっと私から離れ、目をらんらんと輝かせながら輝夜が前に出る。
「今日の私のパートナーは、とある事情から譲り受けたとっておきの秘蔵っ子!」
「ただのアイテムを秘蔵っ子とか言うなっ!ただでさえネーミングセンス皆無のくせにっ!」
「安心しなさい。今回命名したのは私じゃなくて譲ってくれた人だから。だからすごく素敵な名前よ!」
…というか輝夜のやつ、自分のネーミングセンスがないって自覚はあったのか。
「そこ、うるさいわよっ!」
どうやらぼそりと本音が口に出たらしく、輝夜がきっと振り返り石鉢を投げつけてきた。
…さて、ここで少し状況を整理してみよう。
石鉢が私に向かって凄い勢いで飛んできている。
そして私が座っているのは、少し大きめの岩の上だ。
私が避ければあの石鉢は岩にぶつかって、最悪割れるだろう。
というわけで、仕方がないな。心優しい私はあえてこの直撃を喰らうことにしよう。
「あぐぉっ」
…いや、決して目で理解していても反応できなかったとかそんなんじゃないんだからな?本当だぞ?
「ふ…ちょっとした邪魔が入ったけど、続きを始めましょうか!おいでませ、我が愛しき人形よっ!」
輝夜がそう高らかに宣言し、術式を編みこんでいく。
ふむ…あの術式。そして人形。譲り受けたのは、マーガトロイドからか。
石鉢が当たった所――額、をさすりながら考察する。
彼女が渡した人形ということは、当然ただのびっくりアイテムなどではなく、何らかの付属した呪詛が込められているに違いない。
さて、それは一体どんな効果だろうか。
そして猪突猛進の妹紅は、それにどう対抗するのか…。
そこまで考えが至り、ようやく輝夜の術式が完成する。
展開される術式。艶かしい輝夜の唇が、ゆっくりと、その名を宣言する。
「――呪符『首吊り妹紅人形』!!!」
――ビヨーン、ビョーン、ビヨーン。
編まれた魔法陣の中から現れたのは、首に命綱を繋げてバンジージャンプをする人間のように、血の気(?)を微妙に失ったように見える妹紅。…の、人形。
「………………」
「………………」
――ビョーン、ビヨーン、ビヨーン。
「…………ぐぇ」
ぱたり。
カエルの潰れたような声を出して、妹紅が倒れる。
「あ、本当に死んだ」
輝夜が意外そうな声でそう言った。
でも、うん。その気持ちはよくわかる。だって私も驚いているのだからな。
たしかにマーガトロイドは人形師。そして以前も首吊り蓬莱人形なるものを作っていた。
たしかにマーガトロイドの能力は高い。そして妹紅も蓬莱人だが…
「意外と強いわね、妹紅人形…」
輝夜が冷や汗を拭う仕草をする。
「…て、あっさりと流すなっ!」
「でも純粋な窒息死で損傷が少ない分、復活も早いわね」
それは同感だ。
「でもなんだか楽しいから許すわっ♪」
それも、同感かも。
と、苦笑交じりに輝夜の意見に賛同していると…
「…………きゅう」
あ、また死んだ。
……なんだか、妹紅がすごく可愛いぞ。何かこう、ふつふつと沸き上がってくるような感覚が・・・
「そうか…!これが外の世界でいう萌えとかいう感情かっ!」
「ふふふ…硬派なあなたも、ついにその感情に目覚めたのね…」
「…むっ、永琳か?いきなり背後に立つな。驚いてしまうではないか」
「そんな落ち着いた口調で言われても、全然説得力ないけどね」
「そんなことないぞ。それよりも、永琳はどうしてこんな所に?輝夜の匂いでも追ってきたのか?」
「惜しいわね。それもできるけど、今回は別の方法よ」
「できるのか」
まさに天才。何でもできる。
…活用の仕方が大いに歪んでいる気がしないでもないが。
「今日はこっちに来れば姫様の萌え姿が堪能できる、という私の直感を信じて来ただけよ」
「さすが天才。本当に何でもありだな…」
相変わらずの飛び抜けた才能に、苦笑が漏れる。
「それで、いつから盗み見ていたんだ?」
「姫が、あなたと出会ったところくらいからかしら」
なるほど、つまり最初からか。
「…盗み見てたことは否定しないんだな」
永琳とそんな会話を続けながら、私は絵を描き続ける。
…実は額をさすっていたときも、考察をしていたときも描き続けていた絵は、そろそろ完成を迎えようとしていた。
「あら、それは…」
永琳が私の手元を覗き込んでくる。
「へぇ…つまりこれが、今回におけるあなたの萌えなわけね?」
完成を間近に控えた絵に、永琳の目の色が変わるのがわかる。
「やらんぞ?――と、言っても無駄か?」
「それはもちろん」
さも当然、と言わんばかりの永琳を前に、最後の一描きを終えて立ち上がる。
『も~切れた!輝夜、今日こそあんたをミンチにしてくれるわ!』
『常時首を絞められた状態でどこまで本気が出せるかしらね?』
遠くのほうから二人の声が聞こえる。
どうやら、あっちもそろそろ終局らしい。
ならばこっちも、終わりにしよう。
スケッチを安全な場所へ退避させ、再び永琳と対峙する。
「絵の所有権は勝ったほうに…で、いいな?」
「えぇ、いつも通り」
「それでは、始めようか――」
二人同時に、構える。
「決着は一瞬でつく――とね」
『いざ、勝負っ!』
――私の夜は、こんな日常で終わっていく。