1900年代。
戦時中の東欧のある国にて。
夜の街に警報の音が響き渡り、サーチライトの光条が、幾重にも暗雲に覆われた天を照らし上げる。
何かを狙い追い詰めようとする、その光の先に微かに映し出される者、それは箒に跨り空を飛ぶ人影。紫色の髪の魔女。
魔女は自分を追いかけ続ける光と、自分に向かって近付きつつある爆音に対して悪態を付く。
「しつこいわ。なんで静かに暮らしているのに、こうもまあ追いかけてくるのかしら。ねぇ? 」
魔女は自分が跨っている箒に返答を求める。
『偉い人の考えなんて分かりません。それより後方から高速の飛行物体が来ます』
「飛行機、って奴かしら。囲まれるとやっかいね、雲の中へ上昇するわ」
『了解』
魔女と箒は短いやりとりの後、頭上の雲目指し垂直に舞い上がる。
それを追いかける様に、鋼の翼を持つ流線形の影が轟音と共に人影目がけ急上昇を開始した。
その数は三機。
機首の先端にプロペラは無く、細い突起物を複数装備しているのが見えた。
魔女は呆れた様につぶやく。
「あれは・・・・・・ 「夜の猟犬」だったかしら。こんな追いかけっこに興じる暇があったら、自分の国の民を守りなさいな」
夜間戦闘に特化された最新鋭のその機体は、編隊を組み視界もままならない暗雲の中を、その名を示すかの如く正確に魔女と箒を追尾し続ける。
雲に紛れて身を隠そうと考えていた魔女は、時々咳き込みながら、そのまま上昇を続け雲海の上に身を現した。
澄み渡る夜空には、煌々と満月が輝いている。
その光は全ての魔力の源。
魔女も自分の身体に、熱に似た力が漲り始めるのを実感していた。
追跡者の上げる唸り声が尚も近づいて来る。
魔女はついに腹を決めた。
「もう、この国には居られない。自分のしたい事も出来ないなんてうんざりよ」
そして箒に己の意志を伝える。
「空間転移魔法を使うわ。行き先は遙か東、幻想の存在が暮らす場所。そこなら誰にも邪魔されず暮らせるでしょ。詠唱に時間がかかるから適当に猟犬共をあしらってちょうだい」
『了解』
同時に雲の中から三つの影が飛び出し、瞬時に散開する。両翼のエンジンから蒼い炎を吹き出し、天空を駆ける猟犬達。
それらは、月の光に照らし出される魔女を取り囲む様に、機体を捻りながら旋回行動に移る。
主の命により、箒は最小限の三次元移動でその包囲の網を擦り抜け続けた。
だが操縦者の腕によるのか、猟犬達はすぐに体勢を立て直し確実に包囲の輪を縮めようとしてくる。
箒には、この行動に何か意図がある様に感じられた。
しかし主はすでに詠唱を始めている。
伝える事を躊躇し、従者は主の『命令』を遂行し続ける事に決めた。
箒は回避に専念し後方に付こうとする一機を、一瞬停止後に後退移動でやりすごす。猟犬が作り出す風が箒を揺さぶった。
もうすぐ主の詠唱が終わる。そうすれば、このやっかいな連中達の顔も見なくて済む。
東の国とはどんな所だろう、自分と同じような箒もいるのだろうか。
箒が一瞬油断したその時、狂気の叫びと共に雲海の下から信じられない速度で上昇してくる『物』がいた。
巨大な釘の様な身体に小さな翼を持つ、鋼の魔槍。箒にはそう見えた。そして猟犬達が自分達から急速に離れていくのも。
危険だ。
未知の驚異を箒は回避しようとしたが。
主の詠唱が終了し術が発動するのと、魔槍が雲海を抜け弾けたのは同時だった。
衝撃で主の身体が箒から浮き上がる。
箒は弾けた魔槍の中から迫り来る、銀の閃光の渦から主を守る為、ありったけの魔力で障壁を展開した。
そして。
銀の爆煙が消え去った後に、魔女と呼ばれていた者の姿は跡形もなく消失していた。
猟犬の操縦者の一人がつぶやく。
「逃げたか・・・・・・ 」
彼は爆発の瞬間、魔女の姿が消えていくのを目撃していた。
魔女が跨っていた箒が、流星の様に飛び去るのも。そして作戦の失敗を司令部に報告する。
無線機から聞こえてくる、けたたましい罵り声を右から左へと聞き流し、彼は魔女の安否を祈る。
上からの命令だったが、元々気乗りしない作戦だった。
この緊迫した戦況の中で、魔女を捕らえろなどと与太話も良い所だと思っていた。
実際にこの目で見るまでは。
紫色の髪をなびかせ箒に乗り空を舞う魔女を見て、自分はおとぎ話の国に居るのかと思い、そして獲物であると知りつつ魅了された。
今晩の事は一生忘れないだろうな、きっと。
彼は僚機に指示を出し、基地を目指し帰投する。
何処とも知れない薄暗い巨大な部屋の中に、紅く光る球体の様な魔法陣が突如現れた。
それは二、三度明滅を繰り返し消滅する。
魔法陣が消えた後に残されたのは、一人の魔女。
「酷い有様ね、だから一緒に来いって誘ったのに。それにしても『こんな事もあろうかと』が役に立ったみたいね」
忍び笑いを浮かべながら、蒼みがかった銀髪で、フリルの付いたドレスを着た少女が腕を組み魔女の前に立ち話しかける。
まるで魔女が今ここに現れる事を予知したかの様に。
その背中には赤黒い羽の様な物が見え隠れしていた。
黒く煤けた自分の衣服を見ながら、魔女は少女に対して溜息混じりに返答する。
「空気も綺麗であの国は気に入っていたから・・・・・・ 。まあ仕方ないわ、今頃になって魔女狩りをするような狂人がいるとは思わなかったし」
咳き込み落ち込む魔女に、銀髪の少女は手を差し出す。
「とにかく着替えて、それからお茶でも飲みましょう。色々と聞きたい話もあるし。ところで、貴方の自慢の箒はどうしたの? 」
魔女の乗騎、忠誠心の厚い従者。少女は月明かりの下で、彼女が箒に乗り本を読んでいた光景を思い出す。
魔女は少女の手を取りながら、うつむきつぶやいた。
「私をかばおうと盾になって、それから先は分からない。転移の瞬間『さようなら、我が主』って、かっこつけすぎよ、馬鹿」
少女は何も言わずに魔女の肩に手を添える。部屋の中に小さな嗚咽が漏れた。
箒は、森の中の開けた丘の上から、天に輝く星を見上げていた。
魔槍から放たれた銀の光の奔流は、箒の作り上げた障壁を相殺し箒自身の魔力をも奪い取っていった。
だが、主は無事に転移に成功した。それを見届けた後、残りわずかの魔力を解放し箒は空を駆けた。
東へ。
主の居る東へ。
まだ見ぬ東の国へ。
主への想いが箒に力を与えた。
月光を浴びながら箒はひたすらに、唯ひたすらに東を目指し空を走る。
幾つもの山を、川を、国を越え飛び続けた。
だが、限界が来た。
主のいない箒の魔力は既に尽きていた。
ゆっくりと、ゆるやかに、箒は地上に滑落し、そして動きを止めた。
箒は静かに独り思う。
ここまでなのか。
ここまでだ。
そうだ、ここで終わりだ。
ここで私は朽ち果て、土に還る。
主よ、私はあなたの箒として、従者として空を飛ぶ事が出来た。
楽しかった。本当に楽しかった。
出来る事なら、今一度。
一度だけで良い。この空を・・・・・・ 。
箒の意識はそこで途絶えた。
月光に照らされ、丘の上で風に揺らされ横たわる、魔法の箒『だった物』
だが、その箒を見つけ眺める者がいた。
安い紙巻きタバコの火をもみ消し、風変わりな衣装を身に纏い双剣を腰からぶら下げた男は、箒に近付くと片手に取りくるりと回す。
「こんな所で魔女の箒を拾えるとは思わなかったな」
そして両の手で持ち直し、箒に自分の耳を当てる。まるで箒の声を聞こうかとする様に。
「そうか、お前東に行きたいのか。俺と一緒だな。この大陸もやばそうだから連れてってやるよ」
男は所々傷ついた箒を間近で眺める。
「元の主様に出会えるかは分からないが、それまでに壊れたくないだろ。ちょいと細工させてもらうぜ」
男は地面に箒をそっと横たえた。
月明かりの下で温かな輝きが生まれ、そして消えた。
暗闇の中で箒は目を覚ました。
ここはどこだ。
私は死んだのではなかったのか。
混乱する箒に、その疑問に答える『声』が聞こえてきた。
『やっとお目覚めか』
『仕方ないよ、重傷だった所を親父さんに拾われたんだから。あんたと違って』
『うるさいな、お前も同類だろうが』
『まあまあ、喧嘩はしなさんな。さて、ようこそ幻想郷へ。西の国の魔女の箒殿』
幻想郷? 西の国? ここはいったい何処なんだ?
暗闇に目が慣れ、箒は自分が大きな倉庫の中にいる事を認識した。そして、周囲に様々な物達が保管されている事も。
『声』はそれらの物達から聞こえてくる。
黄色いバイクが答える。
『ここは主のいない哀れな物達の、親父殿の蒐集品の揺りかごだぜ。』
壁に掛けられた朱塗りの槍が続ける。
『まあ、今はその親父さんは居ないから、お弟子さんがここを管理しているんだけどね』
その隣に丁寧に掛けられている打ち掛けが、箒に囁きかけた。
『さて、質問に答えようかね。ここは遙か東の国、幻想の産物達の楽園、幻想郷。おぬしの東へ行きたいという想いが、我らが親父様に伝わったのだよ』
東の国。
幻想郷。
ここは。
箒の主の声が蘇る。
『行き先は遙か東、幻想の存在が暮らす場所』
ここだ。
この場所だ。
私が願い、たどり着こうとした、この世界に私の主がいる。
『教えて欲しい、私はどの位眠っていたんだ? 』
槍が答える。
『五十年、位かな。外界で大きな戦があった頃だから』
五十年、そんなにも時間が経っていたのか。でも何故この身は朽ちもせずここにいる。
『親父様の力よ、箒殿』
打ち掛けが、ここにいる物達全てが、その拾い主の力の為に朽ち果てる事も無く、新たな主が現れる時を待っているのだと。
それまで、新たな出会いの日が訪れるまで、皆ここで眠りについているのだと箒に告げた。
『じゃが、お前さんは案外早く新しい主ができるじゃろうよ』
新しい主? 私の主は唯一人だけ・・・・・・ 。
バイクがつぶやく。その声には少しだけ、羨望の想いが含まれていた
『昨日か、もやしみたいな今の管理人がお前を見て言ってたぜ、おちびな嬢ちゃんの箒にしようかってな。それに前の主も何処にいるか分かんねえんだろ。何十年も経ってんだ、諦めろよ、主無しじゃ俺達は動けねえ。正直お前が羨ましいぜ。お、噂をすれば何とやらだ』
倉庫の扉が音を立て開く。
扉から差し込む、半世紀ぶりの日の光を浴び目が眩む箒に、二人の人影が見えた。
一人は背の高い男、そして。
「あれが、私の箒になるのか、こーりん」
山高帽を被った小さな少女の声が、箒の心に響いた。
箒は、男に魔理沙と呼ばれた少女の手に、その体を握られ倉庫の外へと連れ出された。
久方ぶりの陽光が身を焦がし、風が周囲をゆるやかに流れていくのを感じる。
そして。
頭上には何処までも高く澄み渡る蒼穹。
青空。
空がある。
私の、私の唯二つの望み。
前の主には、もう二度と会えないかもしれない。
でも会えるかもしれない。その可能性は十分ある。だが。
「今日からお前のご主人様は、この霧雨魔理沙だぜ。よろしくな」
新たな主となった、背の低い金髪の少女が私の身体に跨る。
彼女の身体からは懐かしい力が伝わってくる。半世紀ぶりの魔力の導き、魔法の力。そうだ、私は。
「行くぜ、ワン、ツー、スリー!! 」
私は空を行く者、天を走り駆ける物。もう一つの望みは、願いはかなった。
少女のかけ声と共に、箒は浮かび上がる。
「いいぜ、いいぜ。その調子だぜ」
新たな主を得た箒は空目がけて舞い上がる。
天に、空に向けて、感動に打ち震え高らかに喜びの歌を奏でながら。
「おいおい、ちょっと飛ばし過ぎじゃねーか。ま、いいか。いーやっほおぉぉぉぉぉー!!!! げふんげふん」
小さな黒い魔法使いを乗せた箒は、白い飛行機雲を描きながら空を走り続けていった。
ある湖の島にある紅い館の中の大図書館で、紫の服を着た魔女は何かの気配を感じ、ふと顔を上げた。
そこには空は無く、薄暗い天井しか見えないが。
「パチュリー様、どうかしましたか」
司書を務める小悪魔が、天を見上げ続ける自分の主人に気が付き声をかける。
「懐かしい感じがしたのよ。昔、お別れした従者のね」
パチュリーは読んでいた本を閉じ、心の中で小さくつぶやいた。
『お帰りなさい、私の大事な魔法の箒さん』
「終」
最初ミマかと思ってた。
などとその後のエピソードに思いを馳せて。良い話でした!
作中にでてくるバイクは 「式神橙、上野へ」に出てた
店主のものでしょうか?
そういや、銀髪で黒い羽って誰のことでしょう。レミリアの血縁かなんかかな。
>名前が無い程度の能力様
作者として、自分の子供を褒められている様で光栄です。今後も慢心せずに頑張ります。
>豆蔵様
実はそんな話も書きたいです。でも安易に連作にするのもどうかな~と思ったりしてます。楽しんでいただけて幸いです。
>紅狂様
素直に嬉しいです。お察しの通り店主のバイクです。最初は魔理沙がそれを、こーりんから強奪する話だったんですが、色々考えてこの様な話になりました。
>K-999様
箒も色々葛藤して、今の主人の元に残ったのかな? とお茶を濁しつつ、レミリアお嬢様の羽って紅だよな~、日差しが強くてボケが進んだな~とorz。
ご本人です。有り難うございました。
特にこの『箒』ときたらもう!
ご感想有り難うございます。普段、身の回りにいる相棒達にも「よろしく」と「お疲れさま」と声かけしていると何故か調子が良かったりして
こんな素敵な箒、家にも一本欲しいですね。
まあ、でも、彼も収まるべき所に収まりたいでしょう。(変な意味じゃないです)
楽しんでいただけて幸いです。これからも頑張り続けます。蛇足ですが、先日バイクで転倒して肩の骨を折りました。大人しくしていれば自然に治る程度だと医者に言われて、バイクが自分を守ってくれたのかな~と勝手に思ってみたり。
今日、好きな映画の一つ「メンフィス・ベル」を観ました。何度観ても良い話です。勢い余って、「空へ」のMe262のパイロットを主人公にした外伝を作りたくなりそうなくらいに。今回の話、楽しんでいただけて幸いです。体が治ったら、次は相棒の修理をします。『早く走りに行こうぜ』と、せっつかれる前に。どうも有り難うございました。