冬はいい。
冬はいい。
二度も言ってしまったが、夏なんかよりもかなりいいのである。
温度が低いと原子というものの活動が鈍くなるらしいが、それは妖怪や人間の活動にも当てはまる。
寒い時期には体温が下がり変温動物たちは冷たいまま寝続ける。人間も猫も、ついでに犬も炬燵で丸くなっていることだろう。妖怪は…人の活動が鈍いと比例してその活動を鈍くするはずである。冬将軍や雪女、氷精辺りは例外であろうが。
そして半人半妖の僕にとっては最も暮らしやすい季節である。中途半端に妖怪である自分は寒さに強く、中途半端に人間だから妖怪より人間の活動による影響が少ない。
更に静かだから読書の邪魔が入らない。
これは特筆すべき特徴である。虫の音も起きることなく、全てが眠ってしまったかのような世界は、その寝息として風音を出す程度で雑音は殆ど起こさない。雪も雨と違って緩やかに降っているときは音をほとんど立てない。蛍雪の功という言葉があるように勉学の助けにさえなる。多少強引であろうか?
兎にも角にも、冬はいい季節なのだ。
春の眠りも、夏の太陽も、秋の収穫も、どれも確かによろしいのだが、冬の静寂の良さには到底かなわない。スキマ妖怪も冬眠中だからちょっかいを出してこないし、紅白も白黒も殆ど出てこない。彼女らも年並みに寒がりなのだ。
総じてこんな辺鄙な土地に立っている古道具屋などには客はおろか閑古鳥しか来ないだろう。
店としては大打撃であるのだろうがそんなことは関係ない。貨幣収入が無くとも、食物が無くとも人間ほどには困らない。
唯一困るのが無縁仏の供養と道具拾いなのだが、寒さは死体の腐敗を止め、雪は珍品を隠してくれるので夏程の頻度で出かける必要は無い。
ピュー
ストーブの上のヤカンが音を立てたので持ち上げて中身を湯飲みに注ぐ。お茶は読書の友である。
からんからん
読書の続きを始めようと思ったとたんに客が来てしまった。
今日は運が悪い。
「半人半妖が店主さんの道具屋さんはこちらでしょうか?」
「いらっしゃい。君とは…初めましてかな?僕は森近霖之助だ」
少し異様な客がやってきたが動じずに出迎えた。客は笑みを零した。
「ええ、初めまして。私は霍青娥と言います」
「君の隣にいるのは?」
天女のような服装をした、霍青娥と名乗った客の隣には、前ならえのように腕を伸ばした、血色の悪い少女がいた。顔に張り付けてあるお札が印象的である。
「ああ、“これ”ですか。ほら、芳香、挨拶をなさい」
青娥は横にどけ、催促をした。
「みやこ、よしか…?」
「よくできました」
青娥は満面の笑みで芳香の頭を撫でた。
「ところで、何をお探しで?」
青娥は顎に手を当てて少し考えるポーズをとった。
「うーん、と、お薬の材料?」
「生憎だがここは道具屋であって薬屋じゃない。他を当たってくれ」
流石に読書の邪魔であるからとは言わなかった。
しかし客に最低限以上の不満を与えずに帰らせることができると、僕は楽観した
「存じておりますわ。でも竹林の薬屋は普通の薬しか売ってくれませんの。ここなら珍品も置いてあるとのことだったので」
早くも希望は打ち砕かれた。仕方がないので会話を続行する。
「だから僕の所に来た…と?」
「そういうことですわ♪」
はぁ、ため息をついた。もうどうにでもなれ。
「好きに探すといい。非売品は売れないがね」
「ではでは~」
入り口に芳香を立たせたままに店内の払拭を始めた。
できるだけ長引くようにと祈りながら、僕は本へと視線を戻した。
――――
ストーブの上に置いたヤカンが、10回は煮え立つだろうというほどの時間がたった頃、気になったのでつい僕は聞いてみた。丁度読んでいた本が完結した所だったということもあるが。虎の正体には僕も驚いた。
「君は、寒くないのか?」
芳香に、である。青娥は夢中になって棚の間を行ったり来たりしている。
「寒、い?」
「そこは隙間風が来るだろう?」
芳香はかちゃりと音がしそうな仕草で顔を傾けた。
「隙…間風、寒い?」
「寒かったらこっちへ来ると良い。ストーブがある」
「その娘は寒いとか、そういうのは無いですわ」
芳香ではなく青娥が答えた
僕は棚の方に訝しげな視線を送る
「それはどういうことだ?」
「その娘、腑抜けの死体ですから」
「死体?腑抜け?動いてるのに死体なのか?」
「冷たくて動かないだけが死体じゃありませんわ。腐りやすい臓腑は抜いてその札で制御していますので」
気にも留めない様子で青娥は物色を続けているようだ。
「死体を集める妖怪は見たことがあるが君は死体を操る妖怪か?」
「そんなまさか。私は仙人ですわ」
「仙人…?というと霊夢が言っていた山の仙人か?」
「いえ…、そっちの仙人様とは少し違いまして」
「ということは?」
「私、邪仙なんです。」
「邪仙?」
「人を正道に導くのが仙人、人を惑わせて邪道に引きこむのが邪仙です」
「じゃあ邪仙だから死体を操っているという解釈でいいのか?」
「そういう解釈で大丈夫ですわ」
青娥は何かを見つけたようで僕の前にやってきた。
「これは非売品でしょうか?」
「これは…違うな」
青娥が差し出してきたのは大き目の温度計だった
なんとなくなぜこれを選んだのかが分かったので訊ねる。
「確か……水銀は仙薬の材料になるのだったかな?」
「あらあら、博識なことで」
「君はこの道具の用途を知っているかい?」
「存じておりますわ。温度を測ることですわ」
「それで、君はこれをどう使おうと思った?」
「…質問ばかりですわね」
「すまないね。でも答えてもらおうか」
僕は語気を強めて青蛾に向き直った。
「嗚呼、私は今、初対面の男性に乱暴をされそうです」
青娥は両手を目に当てて泣いているふりをし始めた
その証拠に涙が出ていない
「誤解されるような言い方はやめろ。誤解するような人間も妖怪もここにはいないが」
「うわーん、霖之助様が私を苛めてきます~」
「あとその泣き真似もだ」
「あら、つれないのですね」
「これでも一応商人なものでね。交渉中にはふざけないことにしている」
「まだお値段を聞いてすらいませんわよ?」
「だからさっきの質問に答えろ」
青娥は顔を曇らせた
「正直に答えても、霖之助様、お怒りになりませんか?」
「答えるなら約束しよう。僕は怒らない」
「そうでございますか。なら安心ですわ」
「その温度計の下の方をスッパリとやって中身だけ頂こうと思いました」
「用途以外で道具を使うなー!!」
「きゃうん」
「それに壊してしまうだなんて言語道断だ!」
ついカッとなって大声を上げてしまった。青娥は俯いてしまった
「怒らないと約束しましたのに…」
ぼそりと消えそうな声で青娥は言った。
「なんだ?」
「霖之助様は先程私と怒らないとお約束をしましたのに!」
青娥は今度はハンカチで顔を覆って泣き始めた。
一体どこから取り出したのだろうか?
「霖之助様の嘘吐き、いけず、だらず!」
「おいおい…」
これは本当に泣いているのだろうか?
昔魔理沙が泣いていたのをよく相手にしていたが青娥程の見た目の女性が泣いているところは見たことが無いので、正直対応に困る。
約束を破ったことがそこまで響いたのだろうか
そうこう考えている間も青娥はえーんえーんと泣いている。よく見ればハンカチは確かに濡れ染みが付いていた
「悪かった、僕が悪かった」
「どうせそれも嘘なのでしょう?」
「約束しよう。これは嘘じゃあない」
「さっきもそう言って私を騙したじゃあありませんか。グスン」
痛いところをついてきた。
全くその通りであるのが悔やまれる。
「あー…」
「霖之助様の嘘吐き、いけず、だらず、童貞!」
「最後のはどういうことだ!!」
「あーん、またお怒りになられましたわ」
あーんあーん、と青娥は泣き続ける。つくづく今が冬でよかった。もしここで別の客が来れば僕はかなり不名誉な事実を捏造されるところであったであろう
「わかった、わかった。僕が全面的に悪かった」
「ほんとですか?」
「だがさっきの最後のは取り消せ」
「霖之助様の嘘吐き、いけず、だらず!」
「最後以外を繰り返すな!」
「また怒られましたわ、うわーん」
「ああ、もう面倒くさい。出血大サービスだ。その温度計をやるから泣き止んでくれ。ついでにその温度計をどうするつもりだったかも忘れてやるから」
青娥はハンカチをずらし、こちらを見つめてきた
「…本当ですか?」
「ああ、今回は本当に本当だ」
「じゃあじゃあ、もし今回お約束をお破りになられましたら芳香同様死体人形になっていただけますか?」
「?」
「もし今回お約束をお破りになられましたら芳香同様死体人形になっていただけますか?」
「それは…そうだな…」
「やっぱり!そうやって霖之助様はまた私を騙しても大丈夫なようにきちんとお約束してくれません!」
青娥はまた目にハンカチを当てた
「わかった、約束する。もう君に嘘はつかない」
「では、指切りして約束してください」
「どうして指切りなんだ?」
「嘘をつかない約束をする時は指切りと相場が決まっているではありませんか」
「それは…そうかもしれないが」
「ではでは、小指をお出しになってください」
青娥は左手でハンカチを抑えながら、雪のように白い肌をした右手を差し出した
腑に落ちないところもあったがこれで満足されるなら、と僕も手を差し出す
「ゆーびきーり」
「げんまん♪」
「うーそついたら」
「死体人形にさ~れる♪」
器用に韻を踏んだ約束の文言が付け加えられる。
『指切った』
「さあ約束だ。温度計は持っていくといい」
「ありがとうございます♪」
さっとハンカチを顔から離した青娥は元通りの笑顔だった
そしてその左手にはハンカチとともにスポイトらしきものが握られていた
スポイト…?
「おい待て君」
「はて?何か不都合なことがありまして?」
「その左手の物はなんだ?」
「お手拭ですよ?」
「しらを切るな!」
僕が左手を取るとハンカチはひらひらと落ち、青娥の手元にはスポイトだけが残った
「さっきのは泣き真似だったんじゃあないか」
「あら?誰も本当に泣いてるとは言っておりませんわ」
「ああ、もう、さっきの温度計はやっぱり返してもらう。馬鹿馬鹿しい」
「いいのですか?」
「どうした?」
「先ほど霖之助様は“温度計は持っていくといい”と仰いました。これではあの台詞は嘘になってしまいますよ?」
「構うものか。嘘だなんてどうでもいい!」
青娥はクスリと嗤った。
「うーそついたら、どうなるのでしたかね?」
青娥はそういうと僕の右腕を指差した
確認しようと右腕を動かそうとすると、腕は全く動こうとしなかった
頭からすっと血が抜けた気がした
思わず左手で持ち上げると、その手のひらは腐葉土を思わせる色に変貌していた。いつの間にか右腕の感覚は無くなってしまっていた。
「なっ!」
「早く前言を撤回することをお勧めしますわ。そうでないと治らなくなりますわよ?」
「てっ、撤回する!その温度計は持っていくといいっ!!」
夢中になって叫ぶと、右腕にまた血が流れ始めたような気がした。感覚も戻ってきたようで腕が若干ピリピリと痛んだ
「だから確認しましたのに」
「何を僕にした?」
息を荒げたままに答えると青娥はまた笑った。
「ただの指切りですわ。」
「ただの指切りでこんなことになるものか」
「仙人と指切りしたのですわよ?しかも邪仙と。ただで済むわけがないじゃないですか」
「成程。僕は油断していたわけだ。」
「そういうことになりますわね。半分妖怪で助かりましたわね。もう元通りですわ」
「それはどうも」
落ち着いてきたので、改めて彼女と正対する
「で、僕をこんなことにして何が目的なんだ?」
「目的も何も、私はただの買い物客ですわ」
「嘘を言え」
「嘘を言えだなんて。私ももう霖之助様には嘘はつけませんわ」
「じゃあ証として一回嘘をついてくれ。」
「私に腐れと申すのですか?」
「いいだろう少しくらい。どうせ僕より丈夫なんだろうし」
はあ、とため息をついて青娥は観念したような顔になった
「仕方がないですわね。先っちょだけですよ?」
「だからそういう誤解を招くような言い回しはやめろ」
「解りましたわ。ではでは」
青娥は見えやすいように配慮したのか、指切りの時のように右腕を差し出した
「霖之助様は童貞」
ごずん
「きゃうん」
ついカッとなって青娥の頭を拳骨で殴った。後悔などするはずはない
「あ痛たたた、もう、何をなされるんですか!」
「こっちの台詞だ!なんてことを言ってくれてるんだ!?」
「だって手ごろな嘘を…ってあら?」
「もう触れないでくれ…」
とりあえず、仕切り直しである
「さあ、嘘をつけ」
「ではでは、改めまして、霖之助様は」
「そうやって僕についてYesNoで答えられる情報を得ようとするな」
「霖之助様は商人様なのにケチなのですね」
「情報の料金を支払うなら考えてやろう」
「仕方がないですわね。ではでは、改めまして」
青娥はすっと息を吸った
「私は霖之助様に嘘をつきません」
するとやはり、青娥の右手は小指の先から腐り始めた。
雪のようなその手がだんだんと色を得て黒ずんでいくさまは何か物悲しいものを感じさせた
「撤回します。嘘はもうつきました」
腐食が止み、時間の流れに逆らっているかのように青娥の腕は元の白色に戻った。
「これで満足でありましょうか?」
「これで対等だ」
「やっと信用していただけるのですね」
青娥はまた笑った。だんだんとこの笑顔すら嘘ではないのかと思ってしまう
「ところで」
「?どうかしたのか」
「温度計の代金を」
「また僕に嘘をつかせるつもりか?」
「いえいえ、霖之助様は“温度計は持っていくといい”と仰いましたが代金の踏み倒しまでは言っておりません」
「そうか。貨幣の持ち合わせはあるのか?」
「一応ありますが、今の時代から見ると古銭になってしまうと思いますわ」
「じゃあ物々交換でいい。」
「了解いたしましたわ。芳香、こっちにいらっしゃいな」
店の戸の傍で置物と化していた芳香が古時計のような動作でこちらに歩いてきた
「せーが、きた、ぞ?」
「よくできましたわね」
青娥は頬擦りまでして芳香を褒めた。
人目を気にしないのだろうか?
「あっ」
青娥はハッと我に返り、芳香の帽子を取り上げた。
今完全に僕のことを忘れていたんじゃなかろうか?
芳香の帽子を取ると、青娥はその中から巾着袋を取り出した
「今は常備薬程度の物しか持ち合わせておりませんが、お薬でどうですか?」
「毒薬じゃないだろうな?」
「毒薬ではありませんわ。人間に有害なものも殆ど入ってはおりません」
「ほとんど…か。まあいいだろう。良薬口に苦し、だ。何の薬がある?」
「夢を見れない睡眠薬、飲むだけで三日は食事をとらなくてよくなる強壮剤、消化不良を助けるお薬もありますね、あとこれは…霖之助様には必要なさそうですね」
「何の薬だ?」
「夜のお供のせいりょ」
「もういい」
「お聞きになられたのは霖之助様の方なのに」
「今度から無用なことには興味を持たないことにする」
「なんなら私がお相手いたしますのに」
青娥はスカートの端を左手で摘まんだ。
「指切りだけで体を腐らせるような相手と寝れるか」
「それもそうですわね」
相変わらずクスクスと青娥は笑う
「じゃあ睡眠薬を頂くことにする」
今日は夢にまで君が出てきておちおち寝れそうにないからなとは言わなかった
「ではでは、お包みしますね」
青娥は小さな紙袋に丸薬を詰めて渡してくれた。
「一回一錠、一日一錠までにしてくださいね」
「二錠飲むとどうなる?」
「なかなか起きれなくなります」
「具体的には?」
「確か…ひと月ほどですかね」
「注意することにする」
――
「では、今日はこの辺りでお暇させて頂きますわ」
青娥は手に入った温度計の入った風呂敷を抱えて言った。
風呂敷はサービスだった。
「ああ、では気を付けて」
「また来させていただきますわ」
「もう指切りはしないからな」
「フフフ、ではでは」
そういうと彼女は来た時と同じように芳香の肩に座った。
「ごきげんよう」
芳香を先に外へ出し、青娥は店を出た。
からんからんとベルが鳴ったのを最後に、店内は静けさを取り戻す。
戸の隙間から見えた景色は、夕日を受けて赤く染まっていた。
得たものは睡眠薬だけなのに色々な物を失ってしまったような気がする。
運悪く疲れたし、今日は早く寝てしまおう。丁度いい(?)睡眠薬も手に入ったことだし
そう決めるや否や、僕は布団の準備を始めるのだった。
冬はいい。
二度も言ってしまったが、夏なんかよりもかなりいいのである。
温度が低いと原子というものの活動が鈍くなるらしいが、それは妖怪や人間の活動にも当てはまる。
寒い時期には体温が下がり変温動物たちは冷たいまま寝続ける。人間も猫も、ついでに犬も炬燵で丸くなっていることだろう。妖怪は…人の活動が鈍いと比例してその活動を鈍くするはずである。冬将軍や雪女、氷精辺りは例外であろうが。
そして半人半妖の僕にとっては最も暮らしやすい季節である。中途半端に妖怪である自分は寒さに強く、中途半端に人間だから妖怪より人間の活動による影響が少ない。
更に静かだから読書の邪魔が入らない。
これは特筆すべき特徴である。虫の音も起きることなく、全てが眠ってしまったかのような世界は、その寝息として風音を出す程度で雑音は殆ど起こさない。雪も雨と違って緩やかに降っているときは音をほとんど立てない。蛍雪の功という言葉があるように勉学の助けにさえなる。多少強引であろうか?
兎にも角にも、冬はいい季節なのだ。
春の眠りも、夏の太陽も、秋の収穫も、どれも確かによろしいのだが、冬の静寂の良さには到底かなわない。スキマ妖怪も冬眠中だからちょっかいを出してこないし、紅白も白黒も殆ど出てこない。彼女らも年並みに寒がりなのだ。
総じてこんな辺鄙な土地に立っている古道具屋などには客はおろか閑古鳥しか来ないだろう。
店としては大打撃であるのだろうがそんなことは関係ない。貨幣収入が無くとも、食物が無くとも人間ほどには困らない。
唯一困るのが無縁仏の供養と道具拾いなのだが、寒さは死体の腐敗を止め、雪は珍品を隠してくれるので夏程の頻度で出かける必要は無い。
ピュー
ストーブの上のヤカンが音を立てたので持ち上げて中身を湯飲みに注ぐ。お茶は読書の友である。
からんからん
読書の続きを始めようと思ったとたんに客が来てしまった。
今日は運が悪い。
「半人半妖が店主さんの道具屋さんはこちらでしょうか?」
「いらっしゃい。君とは…初めましてかな?僕は森近霖之助だ」
少し異様な客がやってきたが動じずに出迎えた。客は笑みを零した。
「ええ、初めまして。私は霍青娥と言います」
「君の隣にいるのは?」
天女のような服装をした、霍青娥と名乗った客の隣には、前ならえのように腕を伸ばした、血色の悪い少女がいた。顔に張り付けてあるお札が印象的である。
「ああ、“これ”ですか。ほら、芳香、挨拶をなさい」
青娥は横にどけ、催促をした。
「みやこ、よしか…?」
「よくできました」
青娥は満面の笑みで芳香の頭を撫でた。
「ところで、何をお探しで?」
青娥は顎に手を当てて少し考えるポーズをとった。
「うーん、と、お薬の材料?」
「生憎だがここは道具屋であって薬屋じゃない。他を当たってくれ」
流石に読書の邪魔であるからとは言わなかった。
しかし客に最低限以上の不満を与えずに帰らせることができると、僕は楽観した
「存じておりますわ。でも竹林の薬屋は普通の薬しか売ってくれませんの。ここなら珍品も置いてあるとのことだったので」
早くも希望は打ち砕かれた。仕方がないので会話を続行する。
「だから僕の所に来た…と?」
「そういうことですわ♪」
はぁ、ため息をついた。もうどうにでもなれ。
「好きに探すといい。非売品は売れないがね」
「ではでは~」
入り口に芳香を立たせたままに店内の払拭を始めた。
できるだけ長引くようにと祈りながら、僕は本へと視線を戻した。
――――
ストーブの上に置いたヤカンが、10回は煮え立つだろうというほどの時間がたった頃、気になったのでつい僕は聞いてみた。丁度読んでいた本が完結した所だったということもあるが。虎の正体には僕も驚いた。
「君は、寒くないのか?」
芳香に、である。青娥は夢中になって棚の間を行ったり来たりしている。
「寒、い?」
「そこは隙間風が来るだろう?」
芳香はかちゃりと音がしそうな仕草で顔を傾けた。
「隙…間風、寒い?」
「寒かったらこっちへ来ると良い。ストーブがある」
「その娘は寒いとか、そういうのは無いですわ」
芳香ではなく青娥が答えた
僕は棚の方に訝しげな視線を送る
「それはどういうことだ?」
「その娘、腑抜けの死体ですから」
「死体?腑抜け?動いてるのに死体なのか?」
「冷たくて動かないだけが死体じゃありませんわ。腐りやすい臓腑は抜いてその札で制御していますので」
気にも留めない様子で青娥は物色を続けているようだ。
「死体を集める妖怪は見たことがあるが君は死体を操る妖怪か?」
「そんなまさか。私は仙人ですわ」
「仙人…?というと霊夢が言っていた山の仙人か?」
「いえ…、そっちの仙人様とは少し違いまして」
「ということは?」
「私、邪仙なんです。」
「邪仙?」
「人を正道に導くのが仙人、人を惑わせて邪道に引きこむのが邪仙です」
「じゃあ邪仙だから死体を操っているという解釈でいいのか?」
「そういう解釈で大丈夫ですわ」
青娥は何かを見つけたようで僕の前にやってきた。
「これは非売品でしょうか?」
「これは…違うな」
青娥が差し出してきたのは大き目の温度計だった
なんとなくなぜこれを選んだのかが分かったので訊ねる。
「確か……水銀は仙薬の材料になるのだったかな?」
「あらあら、博識なことで」
「君はこの道具の用途を知っているかい?」
「存じておりますわ。温度を測ることですわ」
「それで、君はこれをどう使おうと思った?」
「…質問ばかりですわね」
「すまないね。でも答えてもらおうか」
僕は語気を強めて青蛾に向き直った。
「嗚呼、私は今、初対面の男性に乱暴をされそうです」
青娥は両手を目に当てて泣いているふりをし始めた
その証拠に涙が出ていない
「誤解されるような言い方はやめろ。誤解するような人間も妖怪もここにはいないが」
「うわーん、霖之助様が私を苛めてきます~」
「あとその泣き真似もだ」
「あら、つれないのですね」
「これでも一応商人なものでね。交渉中にはふざけないことにしている」
「まだお値段を聞いてすらいませんわよ?」
「だからさっきの質問に答えろ」
青娥は顔を曇らせた
「正直に答えても、霖之助様、お怒りになりませんか?」
「答えるなら約束しよう。僕は怒らない」
「そうでございますか。なら安心ですわ」
「その温度計の下の方をスッパリとやって中身だけ頂こうと思いました」
「用途以外で道具を使うなー!!」
「きゃうん」
「それに壊してしまうだなんて言語道断だ!」
ついカッとなって大声を上げてしまった。青娥は俯いてしまった
「怒らないと約束しましたのに…」
ぼそりと消えそうな声で青娥は言った。
「なんだ?」
「霖之助様は先程私と怒らないとお約束をしましたのに!」
青娥は今度はハンカチで顔を覆って泣き始めた。
一体どこから取り出したのだろうか?
「霖之助様の嘘吐き、いけず、だらず!」
「おいおい…」
これは本当に泣いているのだろうか?
昔魔理沙が泣いていたのをよく相手にしていたが青娥程の見た目の女性が泣いているところは見たことが無いので、正直対応に困る。
約束を破ったことがそこまで響いたのだろうか
そうこう考えている間も青娥はえーんえーんと泣いている。よく見ればハンカチは確かに濡れ染みが付いていた
「悪かった、僕が悪かった」
「どうせそれも嘘なのでしょう?」
「約束しよう。これは嘘じゃあない」
「さっきもそう言って私を騙したじゃあありませんか。グスン」
痛いところをついてきた。
全くその通りであるのが悔やまれる。
「あー…」
「霖之助様の嘘吐き、いけず、だらず、童貞!」
「最後のはどういうことだ!!」
「あーん、またお怒りになられましたわ」
あーんあーん、と青娥は泣き続ける。つくづく今が冬でよかった。もしここで別の客が来れば僕はかなり不名誉な事実を捏造されるところであったであろう
「わかった、わかった。僕が全面的に悪かった」
「ほんとですか?」
「だがさっきの最後のは取り消せ」
「霖之助様の嘘吐き、いけず、だらず!」
「最後以外を繰り返すな!」
「また怒られましたわ、うわーん」
「ああ、もう面倒くさい。出血大サービスだ。その温度計をやるから泣き止んでくれ。ついでにその温度計をどうするつもりだったかも忘れてやるから」
青娥はハンカチをずらし、こちらを見つめてきた
「…本当ですか?」
「ああ、今回は本当に本当だ」
「じゃあじゃあ、もし今回お約束をお破りになられましたら芳香同様死体人形になっていただけますか?」
「?」
「もし今回お約束をお破りになられましたら芳香同様死体人形になっていただけますか?」
「それは…そうだな…」
「やっぱり!そうやって霖之助様はまた私を騙しても大丈夫なようにきちんとお約束してくれません!」
青娥はまた目にハンカチを当てた
「わかった、約束する。もう君に嘘はつかない」
「では、指切りして約束してください」
「どうして指切りなんだ?」
「嘘をつかない約束をする時は指切りと相場が決まっているではありませんか」
「それは…そうかもしれないが」
「ではでは、小指をお出しになってください」
青娥は左手でハンカチを抑えながら、雪のように白い肌をした右手を差し出した
腑に落ちないところもあったがこれで満足されるなら、と僕も手を差し出す
「ゆーびきーり」
「げんまん♪」
「うーそついたら」
「死体人形にさ~れる♪」
器用に韻を踏んだ約束の文言が付け加えられる。
『指切った』
「さあ約束だ。温度計は持っていくといい」
「ありがとうございます♪」
さっとハンカチを顔から離した青娥は元通りの笑顔だった
そしてその左手にはハンカチとともにスポイトらしきものが握られていた
スポイト…?
「おい待て君」
「はて?何か不都合なことがありまして?」
「その左手の物はなんだ?」
「お手拭ですよ?」
「しらを切るな!」
僕が左手を取るとハンカチはひらひらと落ち、青娥の手元にはスポイトだけが残った
「さっきのは泣き真似だったんじゃあないか」
「あら?誰も本当に泣いてるとは言っておりませんわ」
「ああ、もう、さっきの温度計はやっぱり返してもらう。馬鹿馬鹿しい」
「いいのですか?」
「どうした?」
「先ほど霖之助様は“温度計は持っていくといい”と仰いました。これではあの台詞は嘘になってしまいますよ?」
「構うものか。嘘だなんてどうでもいい!」
青娥はクスリと嗤った。
「うーそついたら、どうなるのでしたかね?」
青娥はそういうと僕の右腕を指差した
確認しようと右腕を動かそうとすると、腕は全く動こうとしなかった
頭からすっと血が抜けた気がした
思わず左手で持ち上げると、その手のひらは腐葉土を思わせる色に変貌していた。いつの間にか右腕の感覚は無くなってしまっていた。
「なっ!」
「早く前言を撤回することをお勧めしますわ。そうでないと治らなくなりますわよ?」
「てっ、撤回する!その温度計は持っていくといいっ!!」
夢中になって叫ぶと、右腕にまた血が流れ始めたような気がした。感覚も戻ってきたようで腕が若干ピリピリと痛んだ
「だから確認しましたのに」
「何を僕にした?」
息を荒げたままに答えると青娥はまた笑った。
「ただの指切りですわ。」
「ただの指切りでこんなことになるものか」
「仙人と指切りしたのですわよ?しかも邪仙と。ただで済むわけがないじゃないですか」
「成程。僕は油断していたわけだ。」
「そういうことになりますわね。半分妖怪で助かりましたわね。もう元通りですわ」
「それはどうも」
落ち着いてきたので、改めて彼女と正対する
「で、僕をこんなことにして何が目的なんだ?」
「目的も何も、私はただの買い物客ですわ」
「嘘を言え」
「嘘を言えだなんて。私ももう霖之助様には嘘はつけませんわ」
「じゃあ証として一回嘘をついてくれ。」
「私に腐れと申すのですか?」
「いいだろう少しくらい。どうせ僕より丈夫なんだろうし」
はあ、とため息をついて青娥は観念したような顔になった
「仕方がないですわね。先っちょだけですよ?」
「だからそういう誤解を招くような言い回しはやめろ」
「解りましたわ。ではでは」
青娥は見えやすいように配慮したのか、指切りの時のように右腕を差し出した
「霖之助様は童貞」
ごずん
「きゃうん」
ついカッとなって青娥の頭を拳骨で殴った。後悔などするはずはない
「あ痛たたた、もう、何をなされるんですか!」
「こっちの台詞だ!なんてことを言ってくれてるんだ!?」
「だって手ごろな嘘を…ってあら?」
「もう触れないでくれ…」
とりあえず、仕切り直しである
「さあ、嘘をつけ」
「ではでは、改めまして、霖之助様は」
「そうやって僕についてYesNoで答えられる情報を得ようとするな」
「霖之助様は商人様なのにケチなのですね」
「情報の料金を支払うなら考えてやろう」
「仕方がないですわね。ではでは、改めまして」
青娥はすっと息を吸った
「私は霖之助様に嘘をつきません」
するとやはり、青娥の右手は小指の先から腐り始めた。
雪のようなその手がだんだんと色を得て黒ずんでいくさまは何か物悲しいものを感じさせた
「撤回します。嘘はもうつきました」
腐食が止み、時間の流れに逆らっているかのように青娥の腕は元の白色に戻った。
「これで満足でありましょうか?」
「これで対等だ」
「やっと信用していただけるのですね」
青娥はまた笑った。だんだんとこの笑顔すら嘘ではないのかと思ってしまう
「ところで」
「?どうかしたのか」
「温度計の代金を」
「また僕に嘘をつかせるつもりか?」
「いえいえ、霖之助様は“温度計は持っていくといい”と仰いましたが代金の踏み倒しまでは言っておりません」
「そうか。貨幣の持ち合わせはあるのか?」
「一応ありますが、今の時代から見ると古銭になってしまうと思いますわ」
「じゃあ物々交換でいい。」
「了解いたしましたわ。芳香、こっちにいらっしゃいな」
店の戸の傍で置物と化していた芳香が古時計のような動作でこちらに歩いてきた
「せーが、きた、ぞ?」
「よくできましたわね」
青娥は頬擦りまでして芳香を褒めた。
人目を気にしないのだろうか?
「あっ」
青娥はハッと我に返り、芳香の帽子を取り上げた。
今完全に僕のことを忘れていたんじゃなかろうか?
芳香の帽子を取ると、青娥はその中から巾着袋を取り出した
「今は常備薬程度の物しか持ち合わせておりませんが、お薬でどうですか?」
「毒薬じゃないだろうな?」
「毒薬ではありませんわ。人間に有害なものも殆ど入ってはおりません」
「ほとんど…か。まあいいだろう。良薬口に苦し、だ。何の薬がある?」
「夢を見れない睡眠薬、飲むだけで三日は食事をとらなくてよくなる強壮剤、消化不良を助けるお薬もありますね、あとこれは…霖之助様には必要なさそうですね」
「何の薬だ?」
「夜のお供のせいりょ」
「もういい」
「お聞きになられたのは霖之助様の方なのに」
「今度から無用なことには興味を持たないことにする」
「なんなら私がお相手いたしますのに」
青娥はスカートの端を左手で摘まんだ。
「指切りだけで体を腐らせるような相手と寝れるか」
「それもそうですわね」
相変わらずクスクスと青娥は笑う
「じゃあ睡眠薬を頂くことにする」
今日は夢にまで君が出てきておちおち寝れそうにないからなとは言わなかった
「ではでは、お包みしますね」
青娥は小さな紙袋に丸薬を詰めて渡してくれた。
「一回一錠、一日一錠までにしてくださいね」
「二錠飲むとどうなる?」
「なかなか起きれなくなります」
「具体的には?」
「確か…ひと月ほどですかね」
「注意することにする」
――
「では、今日はこの辺りでお暇させて頂きますわ」
青娥は手に入った温度計の入った風呂敷を抱えて言った。
風呂敷はサービスだった。
「ああ、では気を付けて」
「また来させていただきますわ」
「もう指切りはしないからな」
「フフフ、ではでは」
そういうと彼女は来た時と同じように芳香の肩に座った。
「ごきげんよう」
芳香を先に外へ出し、青娥は店を出た。
からんからんとベルが鳴ったのを最後に、店内は静けさを取り戻す。
戸の隙間から見えた景色は、夕日を受けて赤く染まっていた。
得たものは睡眠薬だけなのに色々な物を失ってしまったような気がする。
運悪く疲れたし、今日は早く寝てしまおう。丁度いい(?)睡眠薬も手に入ったことだし
そう決めるや否や、僕は布団の準備を始めるのだった。
うらやましい。超うらやましい(真顔)
わずかな違いだと思うんですが、難しいですね。