いつ来てもこの湖には寂しい空気が充満している気がするのだが、他のやつが言うにはそんな事はないらしい。
聞いた話では化物がここによく出現するという噂があるようで、普段ここで遊んでいる妖精達はそれにびびり表に出なくなる事がたまにあるそうだ。私が出かける時に限ってその『たまに』にかち合うのだから、間がいいのか悪いのかわからない。
まあ妖精なんていたらいたでやかましいだけなので、いない分に困ることはない。
そもそも、この辺にはよく来るがそんな化物らしい化物にあったことなど無い。一度合ってお手合わせしたいものだね。案外可愛らしい見た目で、化物呼ばわりされてるのに傷ついてるのかも知れないな……うん。
今夜はそんな曰く付きの湖へ咲夜と一緒に来ている。
今日の散歩は珍しいことに咲夜からの誘いで、それは初めての事だった。気が乗らなかったらすっぱり断っていたところだが、ちょうど私も出歩きたかったのでそれを了承することにした。
それに、咲夜の様子がいつもと違うのが気になったというのもある。その時はいつになく真剣というかなんというか、いつもの柔らかい雰囲気が無くなったような、とにかく普段の咲夜と変わったように見えてしまった。
「咲夜、見て見て。今日も良い月ね?」
「はい、そうですね」
「少し欠けてはいるけど、それはそれで慎ましやかで良い感じだわ。いついかなる時の月も悪いものではないな」
「確かに、そうだと思います」
今も心ここにあらずと言ったところだ。自分から誘っといてその態度はどうなのかと問いただしたくなるが、始まったばかりの夜を冷ますような事はあまりしたくないし、誘ったときの咲夜の様子からこうなるだろうと言うことは予測出来たので触れないことにする。
歩いている内にいつも通りになるだろう、きっと。
「それにしても今日は星が少ないわね。はっきり見えるのは月の側にあるあの星だけじゃない」
今日の空は、星も雲もあまりなく、この湖みたいに寂しいものに見えた。
―――
ベッドに入ってすぐに寝るのに特別な事をする必要があったっけ? そんなことを考えるぐらいに前はあっさりと眠れていたし、最近は寝付きの悪い日が続いていた。
原因はわかっている。なにかもやもやしたものが心のなかにちらついていて、その言い様のない不快感が気になって眠れていないのだ。
起きてるときも、寝ようとしているときも、ずっとずっとひっかかってるその感覚をぬぐい去りたくて、でも私はそれの正体がわからなくて、対処しようにも出来なくて。じっと目をつぶっているしかなかった。
明日も館を駆け回らないといけない。お嬢様を失望させないように頑張らないと。
―――
夜に出かけるのが好きな理由の一つに、月光浴できるからというのがある。
目的もなく、ただぶらぶらと歩いているだけで気がよくなってくるのだから、散歩しないだけ損というものだろう。
「あぁ、いいねぇ。やっぱり月の光はさいこーだわ」
気分が高揚し、良い気持ちになる。これは月の光に酔っていると言っても言い過ぎでは無いだろう。
月に酔えるのは妖怪ならではの特権だ。
「あの月が私なら、その横にある星は咲夜ね。なんか可愛らしいし、側にぴったりくっついて離れそうにないし」
こんな意味のわからない事を言えるのも酔った勢いがあってこそ。実際そういう風に見えたというのは本当の話なんだが、そもそもそれも素面だとそう見えたかどうか。
「……ふふ、ありがとうございます」
「お?」
まさか今ので反応してくれるのは思っていなかった。勢いっていうのは大事なものだな。
「やっと笑ったわね」
「私も同じようなことを考えていましたので、少し可笑しくて」
まさか咲夜も酔ってるのか?……そんなわけないな。
「でも、駄目ですね」
「ん? 駄目って、なにが……」
そこまで言って、言葉を飲んだ。笑っているはずの咲夜の顔が、今にも崩れそうなぐらい儚くて、何故だかとても悲壮感に溢れていたから。
その不思議な表情を見て、それ以上喋れなくなってしまった。
「あの月と星に私たちを照らし合わせると、とても切なくなるんです。私はあの星みたいに、永く輝けませんので」
―――
最初は、ほんの小さな気持ちだった。この人の下で働くのも悪くないなと、ただそれだけのもの。
月日が経つにつれ、そしてお嬢様に接する度に、それは少しずつ大きくなっていった。
ここまでは別に良い。私は純粋に、単純に、お嬢様が好きなのだと思えているから。もうひとつ先のところに気付かなければ、ずっと幸せだったに違いない。
あるいは、もう気付いていた事だったけど、意識していなかっただけで。
いつかお嬢様に言われたことがきっかけで、目を会わせることになっしまったに過ぎない。
「咲夜も不老不死になってみない?そうすればずっと一緒に居られるよ」
何気なく言われたのだろうこの言葉に頭を抱えてしまうなんて、あの時の私には予想出来なかった。
私が人間であるかぎり、お嬢様といられる時間は限りが有る。
人外になってしまえばこの不安も消えるのだろうが、人では無くなった私はもう私とは言えないのでは無いだろうか? 人だからこそ感じる思いや気持ち、それらが消えてしまう気がして、だから私は人として死のうと決めている。
死ぬのが怖い訳じゃない。私が消えてしまったらみんなから、それこそお嬢様からもいつか忘れ去られてしまうのだろう。それが、我慢出来ないぐらいに怖い。
感情と理性の矛盾。考えたくなくても頭に浮かんでしまって、私は今日も眠れないでいる。
誰か。誰でも良いから。私の不安を、止めて。
―――
「今日の咲夜、やっぱり変よ」
ちょっと変わってるとかそういった程度ではない。明らかな異様さが咲夜から感じられる。
「今日に限ったことでは無いです」
空に当てていた視線をこちらへ向けてくる。笑顔はまだ張り付いたままだった。
「私は、お嬢様の事が好きです」
「そんなこと聞くまでもなくわかってるわ」
「お嬢様の事が、大好きです」
「……ちょっと、そんなに何回も言わなくても」
「お嬢様の事が、好きで、好きで、好きで、好きで」
それはまるで壊れたおもちゃのよう。その三文字以外は最初から知らないみたいに、繰返し繰返し音を出す。
「咲夜……?」
「好きで――は、はは」
「あははははははははははははははははははは!」
「この期に及んで、私はまだ自分を騙そうとしている! ……好きじゃないんです、愛してるんです。だから、苦しいんです」
ゆっくり近づいてくる咲夜に対して、私は話すことも動くことも出来なかった。今はその言葉を聞くことしか許されていないような、そんな感覚に襲われて。
「今日はそんな苦しさを感じなくてよくなるように、お嬢様をお誘いしました。さあ、お嬢様」
―――
他の誰かに助けを求めようにも、こんなことを誰かに相談するのも躊躇われてしまって。だから私は考えた。自分自身で不安を消してしまう方法。
それがようやく見つかった。見つかった。やっと見つけた。
とても簡単な事だった。
とても単純な事だった。
取り残されるのが怖いなら、取り残さなかったらいいんだ。でも、それがどう言うことだかわかっているのか?
もちろん、わかってる。わかった上で実行する。
つまり、こう言うことだ。
―――
「私と一緒に、死にましょう」
―――
ここから動かなければいけない、そう考えるよりも早く体は勝手にその場から飛び退いていた。それでも、唐突に目の前に展開されたナイフの群れを完全にかわす事はできず、傷を負ってしまう。
「避けましたか。さすがですね、お嬢様」
「……どういうことなのかしら、これは」
「どうもこうも、さっき私が言った通りです。あなたを殺して私も死ぬ。とてもわかりやすい文章だと思いますが」
「あんたさっきからなに言って――」
話しを遮るように現れる、よく切れて動く壁。とても悔しいが、悪態をつく間もなく襲いかかってくるそれらから逃げるより他ない。
ちょこまか逃げ回るのは性分では無いのだが、こっちから相手を仕留めにかかることは出来ない。
理由はただひとつ。その相手が咲夜だから。
「逃げてばかりじゃどうにもならないですよ!」
しかし、いつまで経っても攻撃は止む素振りを見せない。避けても避けてもその先にはナイフが展開された後。このままじゃその内……
……いや。違うな。
もっとよく思慮したいが、連続して迫る攻撃の中、あまり考える時間はない。その少ない時間で導き出す私の行動は――
「……ぐっ……ああああぁぁ!」
まず、足を止めること。
そんなことをすればどうなるかはわかっていた事だけど。
「銀の、ナイフは、やっぱり、効くわね」
傷が塞がらない。回復を間に合わすことが出来ない……これだから、銀ってやつは苦手なんだ。
「何故、避けなかったのですか」
毅然とした態度に透けて見えた動揺の色に、確信する。
「……あんた、私を、殺す気が、ないな」
「殺す気が無い? そんな馬鹿なこと」
「ただ、死に急いでいる、だけだろう? これは私を、使った、自殺だ」
「違う!私は本気でお嬢様を……」
「なら、なぜ、本気を出さないんだ。やるなら、もっと簡単に、私を、仕留めることが、出来るだろう。それに……なぜ、泣いてるんだ?」
私が止まった理由。それは咲夜の涙に他ならなかった。
それを指摘された咲夜はさらにうろたえるが、取り繕うようにすぐに表情をあらためる。
「お喋りはこの辺にしましょうか」
「そう。まだ、その気だと、いうのなら……」
こっちもそれ相応の対応がある。
「さようなら、お嬢様」
咲夜の攻撃開始の合図と同時に、私もまた声に出す。秩序にまみれ、でも、だからこそ人間に本気でぶつかれる、このワード。
「『紅符』不夜城レッド」
ただ一言。それでナイフは全て戦意を失い地に落ちる。簡単な事だ、とても。
「弾幕ごっこですか……私の本気を受け止めるには、これで充分と言う事ですね」
「違うね。こっちだって、本気だよ。ただ、この地のルールに、乗っただけさ」
「私はごっこ遊びなんかじゃ満足できないんですよ」
「勘違い、していたんだよ。あんたのわがままに、丁寧に、付き合う必要が、あるんだって。でも、それは違う。それなら、私だって、わがまま言っても、許されるはずだろ」
「……屁理屈を言わないでください」
「そう。屁理屈だよ。でもね」
向こうがやりたいようにやるのなら、こっちだってやりたいようにやってやる。
筋が通ってようが通ってまいが構わない。
「壊すわけにはいかないんだよ。あなたを」
「―――まだ、そんなこと!」
そんなこと、か。一方通行なところは私によく似ているな。
さて。どうやら私の直感は当たったらしい。時止め直前に行動するっていうのはかなり難しいと言うか不可能に近いんだが、咲夜の急な狼狽えぶりを見ると成功していたようだ。
正攻法じゃないからあんまりしたくなかったけど、私のわがままだ、勝手にさせてもらった。
まあ、あの咲夜でも冷静じゃないと挑発に乗ってしまうというのがわかったのは大きな収穫だよ。得るものも得たし、もういいかな? ……霧から戻っても。
今日の散歩は長かった。そろそろ締めにかかろうじゃないか。
終わらし方までちゃんと考えているんだよ、咲夜の後ろにいきなり現れて、最後のワードを唱えるんだ。
「『紅色の幻想郷』」
ってね。
「う……」
「お、起きた」
いくら弾幕ごっこだからって全力でぶっぱなし過ぎた。小一時間咲夜が起きなかったので、打ち所が悪かったのだろうかとか、もしこのまま起きなかったらとか内心冷や冷やしていたのだが……とりあえずその心配は無くなったようだ。
「……結局、死ぬことも殺すことも出来ませんでした」
しばらくの静寂の後、咲夜の方から口を開いてきた。一度倒されて落ち着いたのか、目の前にいるのは恐い咲夜じゃなく、いつもの咲夜だ。
「そりゃね。私がさせないよ、そんなことは」
「……私が人間のままで生きるのなら、お嬢様が許さなくても私は先に老いて、先に逝くでしょう。だから、綺麗なまま記憶に残りたかったんです。勝てないことなんてわかってました。それでも……」
「なにいってんだか。咲夜はいつまで経っても咲夜だよ、お婆ちゃんになっても、幽霊になっても、ちゃんと成仏してこの世からいなくなっても。私が死ぬまで綺麗なあなたは生き続ける、それじゃ不満?」
「……ずるいですよ。嫌だなんていえないじゃないですか」
「ああ、悪魔はずるいよ。でも、約束は、ちゃんと、守る」
「……完敗です。そこまでいうなら……責任、ちゃんと取ってくださいね」
「はは、考え……て、おくよ……」
「お嬢様?どうしました?」
「ちょっと、ね。すごく、ね、む……」
「……お嬢様?」
その場で私に聞こえたのは、そこまでだった。
次に気がついたときには、もう建物の中にいた。
確か外でそのまま寝てしまったと思ったんだけど……咲夜が運んでくれたのだろうか?
それはさておき、この熱さの原因はすぐにわかった。今、私は咲夜の抱き枕になっていて、結構強めに抱き締められてるからだ。
あんなことがあったのが嘘みたいに幸せそうな顔で寝てる咲夜を見ると、もしかして本当にあれは夢だったのでは無いかと思ってしまう。全身の痛みが消えていたら間違いなくそう思っていたところだろう。
色々と考えることは増えた。今日の事がその切っ掛けになったことは良いことだったのかもしれないし、余計な事とだったのかもしれない。
難しい事は余り考えたくないのだけど、とりあえず咲夜が起きたら散々と叱ってやることにするのは確定だ。それまでは、その幸せな寝顔を見せていてくれるだけで満足しといてあげよう。
―――
お嬢様を抱えながら、館へと歩く。まだ痛いけれど、あんなところで寝ていると二人揃って風邪を引いてしまう。
……お嬢様はもう終わったことだと思っているかもしれないけれど、私の中ではまだ終わっていない。まだ火は消えていない。
でも。殺す、死ぬ、この考えがそもそも突飛すぎたし、冷静じゃなかった。
別れるのは怖いことだ。その内また恐怖が襲ってくるだろう。でも、それに負けないぐらいお嬢様を愛することが出来れば、そんな恐怖も跳ね返せるはずだ。
私がすべきこと。それはお嬢様を愛でて愛でて愛でること。
死んでも愛でであげますから、見放さないでくださいね。お嬢様。
聞いた話では化物がここによく出現するという噂があるようで、普段ここで遊んでいる妖精達はそれにびびり表に出なくなる事がたまにあるそうだ。私が出かける時に限ってその『たまに』にかち合うのだから、間がいいのか悪いのかわからない。
まあ妖精なんていたらいたでやかましいだけなので、いない分に困ることはない。
そもそも、この辺にはよく来るがそんな化物らしい化物にあったことなど無い。一度合ってお手合わせしたいものだね。案外可愛らしい見た目で、化物呼ばわりされてるのに傷ついてるのかも知れないな……うん。
今夜はそんな曰く付きの湖へ咲夜と一緒に来ている。
今日の散歩は珍しいことに咲夜からの誘いで、それは初めての事だった。気が乗らなかったらすっぱり断っていたところだが、ちょうど私も出歩きたかったのでそれを了承することにした。
それに、咲夜の様子がいつもと違うのが気になったというのもある。その時はいつになく真剣というかなんというか、いつもの柔らかい雰囲気が無くなったような、とにかく普段の咲夜と変わったように見えてしまった。
「咲夜、見て見て。今日も良い月ね?」
「はい、そうですね」
「少し欠けてはいるけど、それはそれで慎ましやかで良い感じだわ。いついかなる時の月も悪いものではないな」
「確かに、そうだと思います」
今も心ここにあらずと言ったところだ。自分から誘っといてその態度はどうなのかと問いただしたくなるが、始まったばかりの夜を冷ますような事はあまりしたくないし、誘ったときの咲夜の様子からこうなるだろうと言うことは予測出来たので触れないことにする。
歩いている内にいつも通りになるだろう、きっと。
「それにしても今日は星が少ないわね。はっきり見えるのは月の側にあるあの星だけじゃない」
今日の空は、星も雲もあまりなく、この湖みたいに寂しいものに見えた。
―――
ベッドに入ってすぐに寝るのに特別な事をする必要があったっけ? そんなことを考えるぐらいに前はあっさりと眠れていたし、最近は寝付きの悪い日が続いていた。
原因はわかっている。なにかもやもやしたものが心のなかにちらついていて、その言い様のない不快感が気になって眠れていないのだ。
起きてるときも、寝ようとしているときも、ずっとずっとひっかかってるその感覚をぬぐい去りたくて、でも私はそれの正体がわからなくて、対処しようにも出来なくて。じっと目をつぶっているしかなかった。
明日も館を駆け回らないといけない。お嬢様を失望させないように頑張らないと。
―――
夜に出かけるのが好きな理由の一つに、月光浴できるからというのがある。
目的もなく、ただぶらぶらと歩いているだけで気がよくなってくるのだから、散歩しないだけ損というものだろう。
「あぁ、いいねぇ。やっぱり月の光はさいこーだわ」
気分が高揚し、良い気持ちになる。これは月の光に酔っていると言っても言い過ぎでは無いだろう。
月に酔えるのは妖怪ならではの特権だ。
「あの月が私なら、その横にある星は咲夜ね。なんか可愛らしいし、側にぴったりくっついて離れそうにないし」
こんな意味のわからない事を言えるのも酔った勢いがあってこそ。実際そういう風に見えたというのは本当の話なんだが、そもそもそれも素面だとそう見えたかどうか。
「……ふふ、ありがとうございます」
「お?」
まさか今ので反応してくれるのは思っていなかった。勢いっていうのは大事なものだな。
「やっと笑ったわね」
「私も同じようなことを考えていましたので、少し可笑しくて」
まさか咲夜も酔ってるのか?……そんなわけないな。
「でも、駄目ですね」
「ん? 駄目って、なにが……」
そこまで言って、言葉を飲んだ。笑っているはずの咲夜の顔が、今にも崩れそうなぐらい儚くて、何故だかとても悲壮感に溢れていたから。
その不思議な表情を見て、それ以上喋れなくなってしまった。
「あの月と星に私たちを照らし合わせると、とても切なくなるんです。私はあの星みたいに、永く輝けませんので」
―――
最初は、ほんの小さな気持ちだった。この人の下で働くのも悪くないなと、ただそれだけのもの。
月日が経つにつれ、そしてお嬢様に接する度に、それは少しずつ大きくなっていった。
ここまでは別に良い。私は純粋に、単純に、お嬢様が好きなのだと思えているから。もうひとつ先のところに気付かなければ、ずっと幸せだったに違いない。
あるいは、もう気付いていた事だったけど、意識していなかっただけで。
いつかお嬢様に言われたことがきっかけで、目を会わせることになっしまったに過ぎない。
「咲夜も不老不死になってみない?そうすればずっと一緒に居られるよ」
何気なく言われたのだろうこの言葉に頭を抱えてしまうなんて、あの時の私には予想出来なかった。
私が人間であるかぎり、お嬢様といられる時間は限りが有る。
人外になってしまえばこの不安も消えるのだろうが、人では無くなった私はもう私とは言えないのでは無いだろうか? 人だからこそ感じる思いや気持ち、それらが消えてしまう気がして、だから私は人として死のうと決めている。
死ぬのが怖い訳じゃない。私が消えてしまったらみんなから、それこそお嬢様からもいつか忘れ去られてしまうのだろう。それが、我慢出来ないぐらいに怖い。
感情と理性の矛盾。考えたくなくても頭に浮かんでしまって、私は今日も眠れないでいる。
誰か。誰でも良いから。私の不安を、止めて。
―――
「今日の咲夜、やっぱり変よ」
ちょっと変わってるとかそういった程度ではない。明らかな異様さが咲夜から感じられる。
「今日に限ったことでは無いです」
空に当てていた視線をこちらへ向けてくる。笑顔はまだ張り付いたままだった。
「私は、お嬢様の事が好きです」
「そんなこと聞くまでもなくわかってるわ」
「お嬢様の事が、大好きです」
「……ちょっと、そんなに何回も言わなくても」
「お嬢様の事が、好きで、好きで、好きで、好きで」
それはまるで壊れたおもちゃのよう。その三文字以外は最初から知らないみたいに、繰返し繰返し音を出す。
「咲夜……?」
「好きで――は、はは」
「あははははははははははははははははははは!」
「この期に及んで、私はまだ自分を騙そうとしている! ……好きじゃないんです、愛してるんです。だから、苦しいんです」
ゆっくり近づいてくる咲夜に対して、私は話すことも動くことも出来なかった。今はその言葉を聞くことしか許されていないような、そんな感覚に襲われて。
「今日はそんな苦しさを感じなくてよくなるように、お嬢様をお誘いしました。さあ、お嬢様」
―――
他の誰かに助けを求めようにも、こんなことを誰かに相談するのも躊躇われてしまって。だから私は考えた。自分自身で不安を消してしまう方法。
それがようやく見つかった。見つかった。やっと見つけた。
とても簡単な事だった。
とても単純な事だった。
取り残されるのが怖いなら、取り残さなかったらいいんだ。でも、それがどう言うことだかわかっているのか?
もちろん、わかってる。わかった上で実行する。
つまり、こう言うことだ。
―――
「私と一緒に、死にましょう」
―――
ここから動かなければいけない、そう考えるよりも早く体は勝手にその場から飛び退いていた。それでも、唐突に目の前に展開されたナイフの群れを完全にかわす事はできず、傷を負ってしまう。
「避けましたか。さすがですね、お嬢様」
「……どういうことなのかしら、これは」
「どうもこうも、さっき私が言った通りです。あなたを殺して私も死ぬ。とてもわかりやすい文章だと思いますが」
「あんたさっきからなに言って――」
話しを遮るように現れる、よく切れて動く壁。とても悔しいが、悪態をつく間もなく襲いかかってくるそれらから逃げるより他ない。
ちょこまか逃げ回るのは性分では無いのだが、こっちから相手を仕留めにかかることは出来ない。
理由はただひとつ。その相手が咲夜だから。
「逃げてばかりじゃどうにもならないですよ!」
しかし、いつまで経っても攻撃は止む素振りを見せない。避けても避けてもその先にはナイフが展開された後。このままじゃその内……
……いや。違うな。
もっとよく思慮したいが、連続して迫る攻撃の中、あまり考える時間はない。その少ない時間で導き出す私の行動は――
「……ぐっ……ああああぁぁ!」
まず、足を止めること。
そんなことをすればどうなるかはわかっていた事だけど。
「銀の、ナイフは、やっぱり、効くわね」
傷が塞がらない。回復を間に合わすことが出来ない……これだから、銀ってやつは苦手なんだ。
「何故、避けなかったのですか」
毅然とした態度に透けて見えた動揺の色に、確信する。
「……あんた、私を、殺す気が、ないな」
「殺す気が無い? そんな馬鹿なこと」
「ただ、死に急いでいる、だけだろう? これは私を、使った、自殺だ」
「違う!私は本気でお嬢様を……」
「なら、なぜ、本気を出さないんだ。やるなら、もっと簡単に、私を、仕留めることが、出来るだろう。それに……なぜ、泣いてるんだ?」
私が止まった理由。それは咲夜の涙に他ならなかった。
それを指摘された咲夜はさらにうろたえるが、取り繕うようにすぐに表情をあらためる。
「お喋りはこの辺にしましょうか」
「そう。まだ、その気だと、いうのなら……」
こっちもそれ相応の対応がある。
「さようなら、お嬢様」
咲夜の攻撃開始の合図と同時に、私もまた声に出す。秩序にまみれ、でも、だからこそ人間に本気でぶつかれる、このワード。
「『紅符』不夜城レッド」
ただ一言。それでナイフは全て戦意を失い地に落ちる。簡単な事だ、とても。
「弾幕ごっこですか……私の本気を受け止めるには、これで充分と言う事ですね」
「違うね。こっちだって、本気だよ。ただ、この地のルールに、乗っただけさ」
「私はごっこ遊びなんかじゃ満足できないんですよ」
「勘違い、していたんだよ。あんたのわがままに、丁寧に、付き合う必要が、あるんだって。でも、それは違う。それなら、私だって、わがまま言っても、許されるはずだろ」
「……屁理屈を言わないでください」
「そう。屁理屈だよ。でもね」
向こうがやりたいようにやるのなら、こっちだってやりたいようにやってやる。
筋が通ってようが通ってまいが構わない。
「壊すわけにはいかないんだよ。あなたを」
「―――まだ、そんなこと!」
そんなこと、か。一方通行なところは私によく似ているな。
さて。どうやら私の直感は当たったらしい。時止め直前に行動するっていうのはかなり難しいと言うか不可能に近いんだが、咲夜の急な狼狽えぶりを見ると成功していたようだ。
正攻法じゃないからあんまりしたくなかったけど、私のわがままだ、勝手にさせてもらった。
まあ、あの咲夜でも冷静じゃないと挑発に乗ってしまうというのがわかったのは大きな収穫だよ。得るものも得たし、もういいかな? ……霧から戻っても。
今日の散歩は長かった。そろそろ締めにかかろうじゃないか。
終わらし方までちゃんと考えているんだよ、咲夜の後ろにいきなり現れて、最後のワードを唱えるんだ。
「『紅色の幻想郷』」
ってね。
「う……」
「お、起きた」
いくら弾幕ごっこだからって全力でぶっぱなし過ぎた。小一時間咲夜が起きなかったので、打ち所が悪かったのだろうかとか、もしこのまま起きなかったらとか内心冷や冷やしていたのだが……とりあえずその心配は無くなったようだ。
「……結局、死ぬことも殺すことも出来ませんでした」
しばらくの静寂の後、咲夜の方から口を開いてきた。一度倒されて落ち着いたのか、目の前にいるのは恐い咲夜じゃなく、いつもの咲夜だ。
「そりゃね。私がさせないよ、そんなことは」
「……私が人間のままで生きるのなら、お嬢様が許さなくても私は先に老いて、先に逝くでしょう。だから、綺麗なまま記憶に残りたかったんです。勝てないことなんてわかってました。それでも……」
「なにいってんだか。咲夜はいつまで経っても咲夜だよ、お婆ちゃんになっても、幽霊になっても、ちゃんと成仏してこの世からいなくなっても。私が死ぬまで綺麗なあなたは生き続ける、それじゃ不満?」
「……ずるいですよ。嫌だなんていえないじゃないですか」
「ああ、悪魔はずるいよ。でも、約束は、ちゃんと、守る」
「……完敗です。そこまでいうなら……責任、ちゃんと取ってくださいね」
「はは、考え……て、おくよ……」
「お嬢様?どうしました?」
「ちょっと、ね。すごく、ね、む……」
「……お嬢様?」
その場で私に聞こえたのは、そこまでだった。
次に気がついたときには、もう建物の中にいた。
確か外でそのまま寝てしまったと思ったんだけど……咲夜が運んでくれたのだろうか?
それはさておき、この熱さの原因はすぐにわかった。今、私は咲夜の抱き枕になっていて、結構強めに抱き締められてるからだ。
あんなことがあったのが嘘みたいに幸せそうな顔で寝てる咲夜を見ると、もしかして本当にあれは夢だったのでは無いかと思ってしまう。全身の痛みが消えていたら間違いなくそう思っていたところだろう。
色々と考えることは増えた。今日の事がその切っ掛けになったことは良いことだったのかもしれないし、余計な事とだったのかもしれない。
難しい事は余り考えたくないのだけど、とりあえず咲夜が起きたら散々と叱ってやることにするのは確定だ。それまでは、その幸せな寝顔を見せていてくれるだけで満足しといてあげよう。
―――
お嬢様を抱えながら、館へと歩く。まだ痛いけれど、あんなところで寝ていると二人揃って風邪を引いてしまう。
……お嬢様はもう終わったことだと思っているかもしれないけれど、私の中ではまだ終わっていない。まだ火は消えていない。
でも。殺す、死ぬ、この考えがそもそも突飛すぎたし、冷静じゃなかった。
別れるのは怖いことだ。その内また恐怖が襲ってくるだろう。でも、それに負けないぐらいお嬢様を愛することが出来れば、そんな恐怖も跳ね返せるはずだ。
私がすべきこと。それはお嬢様を愛でて愛でて愛でること。
死んでも愛でであげますから、見放さないでくださいね。お嬢様。
咲夜さんは自由に愛し続けるのでしょう
というかラブラブすぎ末長く爆発しろ