「……何してるんだ」
賽銭箱の中に、小さな霊夢の身体がすっぽりと入り込んでいる。
魔理沙は訝しんでいた。ここ三日ほど、霊夢の姿が見えない。
それとなく聞き回っても、誰も霊夢を見ていない。おかしいと思った魔理沙は、隅から隅まで部屋を回って探してみたのだが、見つからなかった。
とはいえ、ここは異能の者には事欠かない幻想郷。たまたまそこらをうろついていたナズーリンを連れてきて、ダウジングで探して貰ったのだ。霊夢の反応はすぐにあった。
賽銭箱にすっぽりと入り込んでいたのだ。霊夢の身体は小さいから、ぎゅうぎゅうで苦しそうな訳でもなく、それなりに余裕がある。箱の中で、涼しい顔をしていた。
「何してるんだよ、霊夢」
「んー……、魔理沙?」
「んーじゃないよ。とりあえず出てこいよ」
この三日間、賽銭箱にこもっていたにしては、衰弱している様子もなかった。誰かに詰め込まれたのではなさそうだ。魔理沙はますます訝しんだ。なら、一体全体何の目的で、霊夢は箱になんて詰まっているんだ?
魔理沙が腕を引っ張っても、霊夢は面倒そうに手を持ち上げるだけで、出ようという感じを見せることはなかった。
「帰っていいかい」
「ちょっと待てよ。お前も手伝えよ」
「しょうがないなぁ。貸しだよ」
ナズーリンはロッドを賽銭箱につっこむと、器用に霊夢を釣り上げた。妖怪だから意外とパワーがある。ぶらんと吊り下げられた霊夢は、そのまま下ろされて、賽銭箱のへりに座り込んだ。
「おお、やるじゃないか。さすが私の相棒だぜ」
「いつから相棒になったのかは知らないがね。まあ、いいや。貸しだよ、覚えておきなよ」
「ああ、返すぜ、私が死んだ後にな」
「それはいい。鼠達に与えよう。私の鼠は死体でも喜んで食うんだ」
「おお、怖い。やっぱり言うんじゃなかった。現世の貸しは現世で返すに限るぜ」
ナズーリンは冗談だよ、と言って笑い、貸しは貸しだからね、とダウジングロッドをしまって帰って行った。
神社には、霊夢と魔理沙が二人になった。風が吹いた。もう、冬だ。寒い。魔理沙はぶるっと震えた。部屋に戻らないか、と言った。
「入りたいなら、入りなさいよ。私はここにいるから」
霊夢は何やら意地になっているようだった。霊夢は昔から、勘が良くて、自分の判断で間違ったことがないから、頑固なところがある。魔理沙はやれやれ、という顔をした。霊夢の表情はいつもと変わらなかった。何事も、問題ではないと言いたげで、少しつまらなそうな、表情の分かりづらい顔。
「何かあったのかよ」
「……別に? 特別何かあった訳でもないし。何かを喪った訳でもないけど」
「箱にこもって楽しいか」
「意外と。時々足を伸ばしに外に出るけど。動かなくていいし、お金が落ちてくるのが分かって楽しいわよ。あまりに時々だから、こんなに参拝客が少ないのかって、悲しくもなるけど」
「お前なあ」
特別、異変というわけでもないらしい。魔理沙はこれ以上何を言っても無駄だなと思った。また風が吹いた。また、魔理沙は震えた。今年の冬は特別寒い。
「分かったよ、もう何も言わないぜ。だから、部屋に入ろう。ここは寒い」
「一人で入ったらいいわ。賽銭箱の中は案外暖かいから」
そう言って霊夢はもぞもぞと賽銭箱の中に潜り込んだ。霊夢は飄々としてて色んなことに拘らないように見えるが、これはこれで割合頑固なのだ。魔理沙はそう思った。何をむきになっているのか知らないが、これ以上言っても面倒なだけ。でも、賽銭箱に閉じ籠もる霊夢は、いかにも寒そうだ。暖かいなどと、口先だけにしか見えない。
「うーん……ちょっと待ってろ」
色々と考えた挙げ句、魔理沙は台所でお茶を沸かして、霊夢の元に持って戻ってきた。また、霊夢は賽銭箱に閉じこもっていた。上を開けて、霊夢に湯飲みを手渡した。
「ほらよ」
「ここで飲むの? 部屋に入ったらいいのに。変わってるわね」
変わってるのはお前の方だぜ。
魔理沙はそこまでは言わなかった。霊夢は頑なに賽銭箱から出ようとはしなかった。まるで、子供が箱を湯船に見立てて、お風呂に入るような遊びをしているようだった。
「……いないと思ってたら、こんなとこ入ってたの?」
魔理沙が帰ってから、続けざまにアリスがやってきた。魔理沙から話を聞いたのだ。アリスもまた、魔理沙ほどの頻度ではないが、神社を訪れては霊夢がいないことを訝しんでいた。
「ご飯どうしてるの?」
「んー……?」
毛布にくるまった賽銭箱の中の霊夢が、ごそごそと賽銭箱の隅から小さな袋を引っ張り出した。バラバラになった海苔が無造作に突っ込まれていた。
「呆れた。あなた、こんなものばっかり食べてるの?」
「んーん……お腹空いたら部屋に戻って、食べて……」
呆れた。アリスは言って、箱を霊夢の賽銭箱に置いた。
「ケーキ入ってるから。お菓子じゃあんまりお腹膨れないかもしれないけど、ちゃんと食べなさいよ」
「ありがとう。でも、別に普段と食べてる量が違うわけでもないのに……」
「いいから!」
あら、そう、ありがとう、と霊夢は素直に受け取った。アリスは霊夢が何かしら凹んでいると思っていた。だから、聞くことも無理に連れ出すこともせず、甘いものをあげた。大抵のことは甘いものでも食べているうちに過ぎていくからだ。
「じゃ、帰るからね。いらなかったら捨てていいから」
アリスは口ではそう言ったけれど、食べ物には意地汚い霊夢がそんなことはしないだろうと思っていた。
「……何をしに来たのかしら?」
別に凹んでいる訳でもない霊夢は、一度賽銭箱から出て箸を取ってきて、賽銭箱を閉めて、ケーキを食べた。
真っ暗な中でケーキを食べると、感触が分からなくて、霊夢は何を食べているのか分からないような気持ちになった。でも、甘くて、お腹にたまったので、霊夢は特に文句もなかった。半分食べて、半分は箱の中に残しておいた。
霊夢が昼寝をしていると、がこがこと音がして賽銭箱の上が開いた。霊夢が寝ぼけ眼で見上げると、日傘の作った影が霊夢の顔を覆っていた。日傘の下から、レミリアが見下ろしていた。
「んー? ほんとにこんな狭いとこで暮らしてたのねぇ。まるでハツカネズミみたい。ハツカネズミの幽霊にでも取り付かれたの?」
「……レミリア? ……邪魔、しないで……」
「あらそう。じゃあ、続きをしてちょうだい。私は気にしないから」
レミリアにしては素直だな、と思って霊夢は賽銭箱の上蓋を探そうと手を伸ばした。その、身体の隙間に、レミリアは羽根を器用に引っ込めて潜り込もうとした。もぞもぞ、もぞもぞ。レミリアが入り込むと、霊夢が手を伸ばさなくても、誰かが上蓋を持ち上げて蓋をした。
「あ、咲夜。神社の中で時間潰してて」
「はい。分かりました」
そこにいたらしい咲夜が下がっていく気配がする。それからレミリアは、狭い箱の中で霊夢の腕にくるまって、小さくなっていた。まるで子供みたいだ、と霊夢は思った。どうせいつもの気紛れだろう、放っておいたら飽きて出て行くだろう、と思った。霊夢の胸元では小さく呼吸するレミリアの呼気だけがあった。
だけど、レミリアは出て行かないどころか、しばらくすると寝息が聞こえてきた。出て行く気はないのだな、と悟った霊夢は賽銭箱を押し上げて外に出、レミリアを放り出した。日光に焼かれて煙が上がった。慌てて日傘を取って影を作る。
「あっつ! あっつ! 何すんのよ、せっかく眠ろうとしてたのに」
「うるさいわね、いいから帰りなさいよ」
そう言って霊夢は箱の中に戻ろうとした。その背中に弾幕が飛んでくる気配を感じて、霊夢は飛び退いて避けた。
「なんなのよ」
「遊んでくれたっていいじゃないのよ」
いつものことだった。霊夢は自分の中に入り込まれるのが嫌いだった。神社の中なら好きにしていたらいいけど、賽銭箱の中は狭いのだ。自分一人のスペースしかない。霊夢は怒った。いつもならあっさりと結果がつく弾幕勝負だったけど、今日は一度決着がついても3度も4度も繰り返して、結局そろそろ帰りますよとなだめた咲夜に連れられて、レミリアは帰って行った。
「ばーか! 霊夢なんて、その箱の中で腐っちゃえばいいんだわ」
帰り際、レミリアはそう言った。霊夢はふん、と鼻を鳴らしたけれど、吸血鬼と休まずに撃ち合っていたのだから、全身に疲労がたまってて仕方なかった。汗もかいていたけれど、動くことよりも休むことを身体が求めた。賽銭箱に潜り込むとそのまま寝た。
「あやややや! おはよーございます! 霊夢さーん、朝ですよ-!」
朝からやかましい文屋が賽銭箱の周りをぐるぐる回っていた。霊夢は相手をしなかった。相手をしようとなかろうと、記事にはできる。どんな風に書かれても好きにすればいいと霊夢は思っていた。
「れーいーむーさーん? あやや。あんまり籠もってると、カビが生えますよ-。そんなのより、おとなしく取材を受けてくださーい? 今や引き籠もり巫女のことはちょっとした噂ですよー? 今はそこまで煽る気はないですが、ちょっとでも情報を見せてくれたらありがたいなーなんて。いやいや今のは聞き流してくれて結構ですよーぅ」
霊夢は相手をしなかった。うーん、と文は唸り、賽銭箱の上に座ってあからさまな独り言を始めた。
「困りましたねぇ。私にも一人引き籠もりの友人はいましたがあの子は私が何かやってると対抗心で出てきてくれるし参考にはならない……霊夢って元々何かをしようって気持ちは少ないですからねぇ。お姉さんは心配ですね」
大きなお世話だ。うるさい文屋、あっち行け、と霊夢は思った。ネタ集めくらいで構われまくっても全然嬉しくない、と霊夢は思った。
「まぁ、今はこのくらいにしておきますか。どのみちスクープなんてなければでっちあげるんですから」
全くその通りだと霊夢は思う。文はいつだって風任せだ。自分で風を起こして、その方に引っ張っていってしまう。好きにすればいいのだ、と思う。
萃香はいつでも霊夢の側にいた。元々、幻想郷のどこにでもいると言えばいるし、いないと言えばいないのだ。色んなことを、どんなところでも潜り込んで調べられるから、霊夢が賽銭箱に入っているのは萃香も知っていた。
萃香は霊夢が賽銭箱に入っているのを別に気にすることもなく、賽銭箱の前、本殿に上がる階段に座り込んで酒を飲んだ。萃香が一人でぐいぐいやっていると、霊夢が出てきてコップに一杯だけ酒をもらい、また箱の中に戻っていった。霊夢は酔ったまま、萃香が酒を飲んでることを思った。萃香は時折、やってきた誰かと酒を酌み交わし、その声が霊夢のところにも届いてきた。その声を聞きながら酒を飲んで、そのうちに眠ってしまった。夜に成って一度霊夢が起きても萃香はそこにいて、しばらく一人で飲んでたみたいだった。次の日の朝には、いなかった。
霊夢は箱の中で、紫のことを思った。思うと、紫がそこにいるような気がした。でも、勘が良い霊夢にも、外にいる気配は感じられなくて、いるような気がするのは気の迷いだろうと思った。だけど、紫は、そもそも、気の迷いのようなものではないのか?霊夢は思ったけど、気の迷いも、たぶん、本当のことだ、と霊夢は思った。
「あんたは私をここに閉じ込めているけど」と霊夢は語りかけた。心の中で語ったつもりだったのに、言葉になってこぼれたから、霊夢は驚いた。言葉にしてしまうと、何となくおしまいまで語ってしまわなければならないような気がした。
「あんたはここに私を閉じ込めているけど、でも、それで、私は満足してしまっているから、それでいいのかもしれないわ。別に、お金を儲けたいって気持ちも、どこまでも外に出てしまって帰らなくてもいい、って気持ちもないもの。好きな人がいて、その人のところに居着きたい、って訳でもない。
でも……でもね、そう決められているというのは心地よいことだけど、それでいいの?って気持ちもあるの」
それで、ここにいるの、と言われたように霊夢は感じた。それは紫の言葉というよりも霊夢の言葉だ。だけど、霊夢の中では紫の声で響いた。紫に言い返されたみたいだった。
「私が得ているものは何かな、と思ったの。うちの神社は少ない賽銭で成り立ってるけど、それが落ちてくる瞬間はどこなのかな、って。
つまらない? うん、つまらない理由だわ。物心ついた時から一人で過ごしてる神社の部屋が、私には広過ぎる、充分過ぎると思ったのかもしれない。ここは、狭くって、窮屈で、でも落ち着くの。私は何もしていないから。何もしないのだから、この程度のスペースで充分なのだって」
不満でしょう。そうでもないわ。
「私、満足している。……それで、これからも、それでいいのかな、って気持ちばかりだわ。私、何ができるのかしら。何ができるようになるのかしら」
紫は言い返さなかった。……まるで、霊夢の中にいる紫が、返すべき答えを持っていないかのようだった。霊夢は月を見た。賽銭箱の上蓋の隙間から、月灯りが斜めに切り取られて、射し込んでいる。霊夢は上蓋を上げて外に出た。月の灯りが強く、明るく見えた。
「結局、一枚も落ちてこなかったわ。気持ちばっかり、いらないくらい持ち込んでくるのに」
そういうのも嫌いじゃない、と霊夢は思ったのだった。
なんかそういいたくなるような雰囲気がありました。
霊夢への感謝その他もろもろの気持ちを皆賽銭以外で表してるから何もなかったんだよきっと
この一文がなんとなく心に響く。テンポもよくて面白かったです。
みんな神社に来てるんじゃなくて、霊夢に会いに来てるんだろうと思った
周りの人間が悩める霊夢の支えになったらいいなと思いました。
丸まってる霊夢さんかわいいです。
思いやりの気持ち、プライスレス
どことなくホラーにつながりそうなかおり。