ある日、白玉楼に一通の手紙が届いた。
飾り気の無い封筒に入れられた手紙。表裏と封筒を確認するが、必要最低限の事項だけが綴られた封筒からは何も情報を読み取ることが出来ない。
その日は朝から温度と湿度が高く、重い空気が肌に纏わり付くようにして停滞していた。
木陰では数羽の雀が羽根を休めている。出来れば私もその横に並んで涼でも取りたいところだ。
朝日が昇って数刻しか経っていないとは信じられない程の熱さ。太陽はまだ天辺にすら辿り付いていないなんて冗談としか思えなかった。
私は辟易しつつも歩みを進める。
廊下を歩くと、湿気で足の裏が張り付きぺたぺたと音を立てる。
飛行でもすれば風も浴びれて一石二鳥なのだろうが、屋内でそれは行儀が悪すぎる。私はそんな下らない欲求を抑えながら、幽々子様の部屋を目指し廊下を進んでいった。
白玉楼の中をを行き来するだけで、肌が軽く汗ばんでしまう。
私は額にうっすらと浮かんだ汗を拭い、
「幽々子様、お手紙が届いていました」と室内にいる幽々子様に告げた。
「入っていいわよ」
「失礼します」
義務的な応酬を終え、入室する。
手紙を渡すと幽々子様は小首を傾げ、慣れた手つきで便箋を取り出した。
差出人は人里の若い男だった。
幽々子様涼しい顔で手紙を読んでいく。
そして彼女はその手紙を読み終えると、軽い笑みを浮かべた。
「手紙には、なんとあったのですか?」
幽々子様に宛てられた手紙の大半が幽霊や亡霊に関する物だ。
妖怪退治の専門家はいれど、やはり霊のトラブルは我々の本分だからだろう。
「……聞きたいの?」
「はい」
「ホントに本当に?」
わざとらしく繰り返してみせる、あくまでからかう様な口調の幽々子様。
「そんなに繰り返さなくても……、何か勿体ぶるようなことがあるんですか?」
「もしかしたら妖夢がショックで寝込んじゃうかも……」
「そんな軟弱な精神はしていないつもりですが?」
私には教えたくないような事柄が書かれていたのだろうか? それならそうと、一言教えられないと言ってくれればいいものを。
下手に隠されると余計に気になってしまうのが、人間の性分だろうに。
「じゃあ、言うわよ……?」
そこから更に溜めに溜め、呼吸を思わず止めてしまっていたが為に苦しくなり始めたころ、幽々子様は告げた。
「私、告白されちゃった」
キャっと、頬をほのかな桜色に染め、わざとらしく両手を頬に添える。
その阿呆らしい仕草も合わさってか、それとも単に脳が酸欠を起こしていたのか。幽々子様の言葉を噛み砕くのに更に時間を必要とした。
その間――数十秒。
「あー、妖夢? 大丈夫? 魂とか抜けてない?」
おーいと、幽々子が妖夢の顔の前で手をチラつかせているが、頭が反応しようとしない。
幽々子様が告白?
……告白?
……。
「よーむー?」
それってもしや――
「恋文ですか!?」
痺れを切らしたのか、私の頭をポンポン叩いていた幽々子様が、私の言葉に驚き一歩後ずさる。
「きゅ、急に動き出すのは止めて欲しいわ。妖夢」
「そんな事より、どういうことなんですか!! 私、そんなの初耳ですよ!?」
「初耳って、当たり前じゃない。私も今手紙を読んだんだから」
呆れたような目つきで私を眺める幽々子様。
どうして彼女はこんなにも余裕が有り余っているのだろうか。
――どうして私はこんなにも余裕がないのだろうか?
「で、で、ででで! どうするんですか!?」
興奮の余り舌が回らない。
が、それすらも気にならない程に私は気が動転していた。
「どうしようね?」
「どうしようじゃないですよ!」
「……妖夢が言いだしたんじゃない」
どうするべきなのか。
私の頭がフル稼働するも、正答が見当たらない。
(それもその筈、私は恋などしたことがないし、他人に慕情を寄せられたこともないのだから。当たり前と言えば当たり前の話だ。
しかし、今の私がそんな冷静な自己分析など出来る筈もなく)
「取り敢えず赤飯ですか!?」
「落ち着きなさい。妖夢」
幽々子様の手刀を額に喰らい、一先ず落ち着きを取り戻すのだった。
〇
「恋文……ですか」
二人で何かを誤魔化すように茶菓子を堪能し、再び幽々子様の自室へ戻ってきたところであった。
「私もまだまだ捨てたものじゃないわねー」
えへへ、とだらしなく笑ってみせる幽々子様。
「手紙には、告白以外の内容は記されていなかったのですか?」
「と言うと、どういうことかしら?」
「えっと……、そういうのって普通、どこどこで待ってますとか書かれてるものじゃないのですか?」
「そういうものなの?」
「私も良くは知らないのですが……」
慣れぬ出来事に、私達は頭を突き合わせるようにして相談する。
「でも、この手紙には何も書かれていないのよ?」
「という事は……」
私の言葉の続きを、幽々子様が紡ぐ。
「『私という人間が貴方の事を好いている。その事実だけを知っておいて欲しかった』みたいな感じかしら?」
「なんだか今にもその人が自決してしまいそうな想像ですね」
「まぁ……、私にはどうする事も出来ないわけだし、続報を待て、ね」
幽々子様は既に恋文に対する興味を失いかけているのだろうか。随分と投げやりな回答である。
「まだ続くんですか、この手紙って」
「知らなぁい」
「そんな無責任な」
「こんな一方通行なお手紙出しちゃう男の人の方がよっぽど無責任よ」
それはそうだが……、幽々子様の中でこの手紙がどのような意味合いを持つのか。
それを考えると、どうにもヤキモキしてしまう自分がいた。
「ま、気を取り直して三時のおやつでも食べましょう」
「……私は遠慮しておきます」
……数十分前に食べたお団子は何処へ消えてしまったのだろう。
〇
幽々子様の元に一通目の恋文が届いてから、一週間ほど過ぎただろうか。例の男からは音沙汰は無く、平穏が淡々と流れる様な日々が続いていた。
しかし今朝、あの日と同じ様に件の男から手紙が届いていたのだった。
相変わらず無骨な封筒に入れられた手紙。誰がこれを見て恋文だと気付こうか。
幽々子様に渡す前にこの恋文を読んでみたいという衝動に駆られるが、寸でのところで踏みとどまる。
先週と同じ様に、私は主に便箋を手渡した。
既視感漂う風景。強いて相違点を挙げれば、先週よりも気持ち涼しくなったような気がするという程度。
先週よりも少しだけ時間をかけて文を読み終えると、幽々子様はそれを丁寧に折り畳んだ。
「……そうねぇ」
困った様な顔を浮かべなたら、畳んだ文と睨めっこを始める幽々子様。
珍しく、幽々子様の顔には分かり易い思考の色が浮かんでいた。
「どうかしたのですか?」
幽々子様は私の問いに答えず、
「人間が私に好意を寄せる。妖夢にはその意味が分かるかしら?」と逆に問いかけてきた。
唐突に始まった謎かけ。
彼女は偶に、私に向けてこの様な質問を投げかけてくる。
ふわふわとしていて捉え所の無い様な質問。それこそなぞなぞの様なものだと、私は考えている。
「好意なんですから……人間同士が想いを寄せ合うのと同じではないのですか?」
珍しい例だが、人間と妖怪のハーフなんてものが産まれた例もあるらしい。
珍しくは在るが、有り得なくは無い。
だから、私は今回もそのようなものなのだろうと楽観して考えていた。
少しばかり妬けてしまうが、まぁ幽々子様が好かれるのは悪い事ではあるまいと。
「それが一番よねぇ。容姿にしろ、性格にしろその人物に惚れたのであれば、それが一番良いに決まっている」
「今回の……その男の人の場合は、違うんですか?」
「人間はね、その人物自体にではなく、背景に恋をする事があるのよ」
……人物の背景に恋をする?
それは、財産であったり、家柄であったりを指しているのだろうか。
確かに、男女の契りにその様な事情があるのも事実だろう。
その場合、そこに存在するのは恋愛とは呼べない代物なのかもしれないけれど。
今回の場合で言えば……幽々子様自身にでは無く、幽々子様を取り巻く環境に恋をするということだろうか?
どうにも形に成らない思考の行方。私の頭の中が疑問符で満ちていく。
「ただ、この差出人自身に聞いてみなくては分からないのだけど」
幽々子様は、そこで言葉を一度区切る。
逡巡するように表情を曇らせ、続ける。
「私は死を司る亡霊。私に魅せられるという事はすなわち――。死に魅せられるという事。
まぁ、人間は元来、死に大する感受性が膨大だから……、多かれ少なかれ私に好意を寄せてしまう例は少なくないの。彼らは、私を通して彼岸を覗いているのかもしれない。無意識のうちにね。
でもね、所詮それは思春期の少年少女が寝床で想いを耽る妄想の類。だから時が過ぎれば忘れ、生の多忙さに洗い流されていく。
だけど……、今回の恋文は余りにもその好意が激し過ぎるのよ。一通目の時は人並み程度のものでしかなかったのだけど……、二通目は――」
想い焦がれ、胸を締め付けられ、好意が日に日に増していく。
それはつまり――
「死に、近づいているという事ですか?」
「あくまで私の仮説だけどね」
『死ぬほど愛おしい』
『君の為なら死ねる』
なんて言葉が罷り通ってしまう程にもともと死と恋は密接に絡み合った存在なのだ。
「どうにも、嫌な予感がするのよね」
幽々子様の表情から何かを読み取ろうと試みるも、さして得られるものは無かった。
〇
次の日。その日は霧雨が降っていた。
温度は低く、肌に触れた水滴が体温を奪っていく。私は思わず身震いをする。
そして、私は三通目の封筒が届いているのを発見した。
幽々子様はその手紙を受け取ると、直ぐに開封を始めた。
彼女の表情は、悲哀で歪んでしまっていた。
簡潔に手紙の内容を述べると、
『差出人の男が、幽々子様の為に自殺を行う』
という中身であった。
私は言葉を失った。
私たちは、手紙に書かれていた住居へと向かったのだった。
待っていたというのは語弊があるだろうか。所在無さげに佇んでいる女性が一人。記された住居の前に立っていた。
女は焦点の合わない瞳で、私たちを見つめていた。
「アナタ達が……」
その女性の視線に、私が感じたの純粋な恐怖だった。
半人半霊である私が、ただの人間に恐怖するなどお笑い草であるが、それほどまでにその女には鬼気迫るものがあったのだった。
「彼を殺したの……?」
その女性は幽々子様に掴みかかるも、崩れ落ちる様にして突っ伏してしまう。
「……そうね。私が彼を殺したのよ」
幽々子様の言葉はその女性には届かなかったのだろうか。一人泣き崩れ、私たちの足許で絶叫を続ける女。
私たちは、彼女を慰めるべく言葉など持ち合わせていなかった。
喉が張裂けんばかりに泣き叫ぶ女性。そして泣き止むのを只管待ち続ける私たち。
小一時間は泣き続けていただろうか。
やっと落ち着きを取り戻した女性が、喋り出す。
「……優しいんですね」
「私が?」
幽々子様が驚いたように聴き直す。驚いたのは私も例外ではなかった。
「彼は自殺なんてしてないんですよ」
「それは、どういう事ですか?」
私が疑問を口にする。幽々子様は黙って彼女を見つめていた。
彼女は、私たちに語り始めた。
「私は、彼に片思いしていたんです。私たちは世間一般でいうところの幼馴染という間柄で。家族間の交流も盛んでした。
彼は元々、宿痾を患っており、決して健康とは呼べない身体だったのです。
それでも、彼の性格は快活で、持病のことなど感じさせない明るさの持ち主でした。
数か月前、春のことです。彼は白玉楼の桜が見たいと言いました。その頃はまだ彼も元気だったので、私と二人で白玉楼へと赴きました。
そこで、彼はアナタと出会ったのです。彼の視線が桜ではなくアナタに奪われてしまっているのに、私はすぐに気が付きました。皮肉な事に、私もアナタに見蕩れてしまっていたのだから彼の事は言えないのですが……。
その日から、彼は熱病に浮かされた様に、アナタに想いを馳せていました。同時に、表情は窶れ、身体は衰え、見る見るうちに死相に塗れていったのです
そんな中、彼が書き綴っていたのがあの手紙です。
私には一度も見せた事のない表情で、彼はアナタに向けて恋文を書いていたのです。
彼は痩せこけた腕で、それでも必死に愛を綴っていました。
私嫉妬で狂いそうになりました。でも、それが彼の選択ならと私は諦め、彼の行く末を眺めていました。
でも……それが間違いだったんですね。
もしかしたら、私がもっと早く彼に想いを告げていれば、彼はまだ生きていたのかもしれない。なんて思う事があります。
彼がアナタにではなく、私のことを見てくれさえいれば……」
意味のない戯言ですけどね、そう言葉を締め括り、女は再び泣き崩れてしまう。
「三通目の手紙、あれは貴方が書いたものだったのかしら?」
「……そう、です。アナタに責任を擦り付けずにはいられなかった。全てアナタのせいにして、アナタを悪者にして、それで私はずっと泣いているつもりだった。
でも、貴女は謝ってしまった。有りもしない罪に対して。どうして……、私を惨めにするの?
アナタは白を切ればよかったのに、彼の死と私は関係ないって、言い放ってくれれば良かったのに!
そうすれば、私はアナタを好きなだけ恨むことが出来たのに……」
死の前に、全てが手遅れになってしまった女が叫ぶ。
怨嗟を叫ぶ。
自身の弱さと、世界の薄情さを叫ぶ。
「貴方は、優しいのね。彼が貴方に惚れてしまったのにも頷けるわ。
それに、私は結果として、二人もの人間を傷つけてしまったのだから、悪役である事に間違いはないと思うわ。
貴女は私を怨んでくれて構わない。その資格は十分にある」
「彼が……私に?」
幽々子様は、その質問には答えずに、そそくさとその場を後にしてしまう。
私はその後ろ姿を追う。
「最後のあれは、どういう意味ですか?」
「『自分と結ばれても彼女は幸せにならない』なんて自分勝手な考えに至ってしまった哀れな男の話よ。
一番可哀想なのは、残された人間だけど……」
独り残されてしまった女性だけが、最後まで泣き続けていた。
〇
「結局、どういうことだったんでしょうか?」
白玉楼へと戻った私たち。
私は帰路の途中ずっと思い悩んでいた疑問を投げ掛ける。
「幽々子様に恋文を送ってきた男が好きだったのは――」
「彼が好きだったのは、最初から最後まであの娘でしょうね」
「だったら、どうして幽々子様に恋文なんて送ったのですか?」
「さぁ……これは私の想像でしかないけれど、きっと彼は病を抱える自分は彼女に相応しくないとでも考えていたのではないかしら。
結果、誰よりも死に近い存在になってしまった。
彼女は、彼のそんな所まで含めて愛していたというのに。
だけど男はそれに気付かず、自分が死んだ後に、彼女が未練なんて残さないようにわざとらしく恋文なんか書いてたんじゃないかしらね」
幽々子様は、そう呟いた。
「幽々子様は、それで良いんですか?」
「と、言うと?」
「だって、こんな形とは故幽々子様に恋文なんて……。幽々子様の気持ちを弄んでいるようで――」
「そうね。でも私は安心しているのよ、妖夢。人間が亡霊に恋をするなんて、どう転んでも良いお話になんてならないんだもん。それに……」
「それに?」
「私には妖夢がいるからね」
そこには、久々に見る幽々子様の笑顔があった。
身体中の血液が、頭に昇っていくような気がして、私は咄嗟に彼女から視線を逸らしてしまう。
「あはは、妖夢ったら顔が真っ赤よ?」
幽々子様の冷たい手の平が私の頬に触れる。
頬が腫れてしまったかの様な熱が奪われていくのが、心地良かった。
「まぁ、妖夢がもう少し大人になってくれないとねぇー」
最後にそう言い残し、幽々子様は自室へと戻って行ってしまった。
「私が大人になったら……」
何がどうなってしまうのだろう、と考え、再び頭が沸騰しそうになった。
飾り気の無い封筒に入れられた手紙。表裏と封筒を確認するが、必要最低限の事項だけが綴られた封筒からは何も情報を読み取ることが出来ない。
その日は朝から温度と湿度が高く、重い空気が肌に纏わり付くようにして停滞していた。
木陰では数羽の雀が羽根を休めている。出来れば私もその横に並んで涼でも取りたいところだ。
朝日が昇って数刻しか経っていないとは信じられない程の熱さ。太陽はまだ天辺にすら辿り付いていないなんて冗談としか思えなかった。
私は辟易しつつも歩みを進める。
廊下を歩くと、湿気で足の裏が張り付きぺたぺたと音を立てる。
飛行でもすれば風も浴びれて一石二鳥なのだろうが、屋内でそれは行儀が悪すぎる。私はそんな下らない欲求を抑えながら、幽々子様の部屋を目指し廊下を進んでいった。
白玉楼の中をを行き来するだけで、肌が軽く汗ばんでしまう。
私は額にうっすらと浮かんだ汗を拭い、
「幽々子様、お手紙が届いていました」と室内にいる幽々子様に告げた。
「入っていいわよ」
「失礼します」
義務的な応酬を終え、入室する。
手紙を渡すと幽々子様は小首を傾げ、慣れた手つきで便箋を取り出した。
差出人は人里の若い男だった。
幽々子様涼しい顔で手紙を読んでいく。
そして彼女はその手紙を読み終えると、軽い笑みを浮かべた。
「手紙には、なんとあったのですか?」
幽々子様に宛てられた手紙の大半が幽霊や亡霊に関する物だ。
妖怪退治の専門家はいれど、やはり霊のトラブルは我々の本分だからだろう。
「……聞きたいの?」
「はい」
「ホントに本当に?」
わざとらしく繰り返してみせる、あくまでからかう様な口調の幽々子様。
「そんなに繰り返さなくても……、何か勿体ぶるようなことがあるんですか?」
「もしかしたら妖夢がショックで寝込んじゃうかも……」
「そんな軟弱な精神はしていないつもりですが?」
私には教えたくないような事柄が書かれていたのだろうか? それならそうと、一言教えられないと言ってくれればいいものを。
下手に隠されると余計に気になってしまうのが、人間の性分だろうに。
「じゃあ、言うわよ……?」
そこから更に溜めに溜め、呼吸を思わず止めてしまっていたが為に苦しくなり始めたころ、幽々子様は告げた。
「私、告白されちゃった」
キャっと、頬をほのかな桜色に染め、わざとらしく両手を頬に添える。
その阿呆らしい仕草も合わさってか、それとも単に脳が酸欠を起こしていたのか。幽々子様の言葉を噛み砕くのに更に時間を必要とした。
その間――数十秒。
「あー、妖夢? 大丈夫? 魂とか抜けてない?」
おーいと、幽々子が妖夢の顔の前で手をチラつかせているが、頭が反応しようとしない。
幽々子様が告白?
……告白?
……。
「よーむー?」
それってもしや――
「恋文ですか!?」
痺れを切らしたのか、私の頭をポンポン叩いていた幽々子様が、私の言葉に驚き一歩後ずさる。
「きゅ、急に動き出すのは止めて欲しいわ。妖夢」
「そんな事より、どういうことなんですか!! 私、そんなの初耳ですよ!?」
「初耳って、当たり前じゃない。私も今手紙を読んだんだから」
呆れたような目つきで私を眺める幽々子様。
どうして彼女はこんなにも余裕が有り余っているのだろうか。
――どうして私はこんなにも余裕がないのだろうか?
「で、で、ででで! どうするんですか!?」
興奮の余り舌が回らない。
が、それすらも気にならない程に私は気が動転していた。
「どうしようね?」
「どうしようじゃないですよ!」
「……妖夢が言いだしたんじゃない」
どうするべきなのか。
私の頭がフル稼働するも、正答が見当たらない。
(それもその筈、私は恋などしたことがないし、他人に慕情を寄せられたこともないのだから。当たり前と言えば当たり前の話だ。
しかし、今の私がそんな冷静な自己分析など出来る筈もなく)
「取り敢えず赤飯ですか!?」
「落ち着きなさい。妖夢」
幽々子様の手刀を額に喰らい、一先ず落ち着きを取り戻すのだった。
〇
「恋文……ですか」
二人で何かを誤魔化すように茶菓子を堪能し、再び幽々子様の自室へ戻ってきたところであった。
「私もまだまだ捨てたものじゃないわねー」
えへへ、とだらしなく笑ってみせる幽々子様。
「手紙には、告白以外の内容は記されていなかったのですか?」
「と言うと、どういうことかしら?」
「えっと……、そういうのって普通、どこどこで待ってますとか書かれてるものじゃないのですか?」
「そういうものなの?」
「私も良くは知らないのですが……」
慣れぬ出来事に、私達は頭を突き合わせるようにして相談する。
「でも、この手紙には何も書かれていないのよ?」
「という事は……」
私の言葉の続きを、幽々子様が紡ぐ。
「『私という人間が貴方の事を好いている。その事実だけを知っておいて欲しかった』みたいな感じかしら?」
「なんだか今にもその人が自決してしまいそうな想像ですね」
「まぁ……、私にはどうする事も出来ないわけだし、続報を待て、ね」
幽々子様は既に恋文に対する興味を失いかけているのだろうか。随分と投げやりな回答である。
「まだ続くんですか、この手紙って」
「知らなぁい」
「そんな無責任な」
「こんな一方通行なお手紙出しちゃう男の人の方がよっぽど無責任よ」
それはそうだが……、幽々子様の中でこの手紙がどのような意味合いを持つのか。
それを考えると、どうにもヤキモキしてしまう自分がいた。
「ま、気を取り直して三時のおやつでも食べましょう」
「……私は遠慮しておきます」
……数十分前に食べたお団子は何処へ消えてしまったのだろう。
〇
幽々子様の元に一通目の恋文が届いてから、一週間ほど過ぎただろうか。例の男からは音沙汰は無く、平穏が淡々と流れる様な日々が続いていた。
しかし今朝、あの日と同じ様に件の男から手紙が届いていたのだった。
相変わらず無骨な封筒に入れられた手紙。誰がこれを見て恋文だと気付こうか。
幽々子様に渡す前にこの恋文を読んでみたいという衝動に駆られるが、寸でのところで踏みとどまる。
先週と同じ様に、私は主に便箋を手渡した。
既視感漂う風景。強いて相違点を挙げれば、先週よりも気持ち涼しくなったような気がするという程度。
先週よりも少しだけ時間をかけて文を読み終えると、幽々子様はそれを丁寧に折り畳んだ。
「……そうねぇ」
困った様な顔を浮かべなたら、畳んだ文と睨めっこを始める幽々子様。
珍しく、幽々子様の顔には分かり易い思考の色が浮かんでいた。
「どうかしたのですか?」
幽々子様は私の問いに答えず、
「人間が私に好意を寄せる。妖夢にはその意味が分かるかしら?」と逆に問いかけてきた。
唐突に始まった謎かけ。
彼女は偶に、私に向けてこの様な質問を投げかけてくる。
ふわふわとしていて捉え所の無い様な質問。それこそなぞなぞの様なものだと、私は考えている。
「好意なんですから……人間同士が想いを寄せ合うのと同じではないのですか?」
珍しい例だが、人間と妖怪のハーフなんてものが産まれた例もあるらしい。
珍しくは在るが、有り得なくは無い。
だから、私は今回もそのようなものなのだろうと楽観して考えていた。
少しばかり妬けてしまうが、まぁ幽々子様が好かれるのは悪い事ではあるまいと。
「それが一番よねぇ。容姿にしろ、性格にしろその人物に惚れたのであれば、それが一番良いに決まっている」
「今回の……その男の人の場合は、違うんですか?」
「人間はね、その人物自体にではなく、背景に恋をする事があるのよ」
……人物の背景に恋をする?
それは、財産であったり、家柄であったりを指しているのだろうか。
確かに、男女の契りにその様な事情があるのも事実だろう。
その場合、そこに存在するのは恋愛とは呼べない代物なのかもしれないけれど。
今回の場合で言えば……幽々子様自身にでは無く、幽々子様を取り巻く環境に恋をするということだろうか?
どうにも形に成らない思考の行方。私の頭の中が疑問符で満ちていく。
「ただ、この差出人自身に聞いてみなくては分からないのだけど」
幽々子様は、そこで言葉を一度区切る。
逡巡するように表情を曇らせ、続ける。
「私は死を司る亡霊。私に魅せられるという事はすなわち――。死に魅せられるという事。
まぁ、人間は元来、死に大する感受性が膨大だから……、多かれ少なかれ私に好意を寄せてしまう例は少なくないの。彼らは、私を通して彼岸を覗いているのかもしれない。無意識のうちにね。
でもね、所詮それは思春期の少年少女が寝床で想いを耽る妄想の類。だから時が過ぎれば忘れ、生の多忙さに洗い流されていく。
だけど……、今回の恋文は余りにもその好意が激し過ぎるのよ。一通目の時は人並み程度のものでしかなかったのだけど……、二通目は――」
想い焦がれ、胸を締め付けられ、好意が日に日に増していく。
それはつまり――
「死に、近づいているという事ですか?」
「あくまで私の仮説だけどね」
『死ぬほど愛おしい』
『君の為なら死ねる』
なんて言葉が罷り通ってしまう程にもともと死と恋は密接に絡み合った存在なのだ。
「どうにも、嫌な予感がするのよね」
幽々子様の表情から何かを読み取ろうと試みるも、さして得られるものは無かった。
〇
次の日。その日は霧雨が降っていた。
温度は低く、肌に触れた水滴が体温を奪っていく。私は思わず身震いをする。
そして、私は三通目の封筒が届いているのを発見した。
幽々子様はその手紙を受け取ると、直ぐに開封を始めた。
彼女の表情は、悲哀で歪んでしまっていた。
簡潔に手紙の内容を述べると、
『差出人の男が、幽々子様の為に自殺を行う』
という中身であった。
私は言葉を失った。
私たちは、手紙に書かれていた住居へと向かったのだった。
待っていたというのは語弊があるだろうか。所在無さげに佇んでいる女性が一人。記された住居の前に立っていた。
女は焦点の合わない瞳で、私たちを見つめていた。
「アナタ達が……」
その女性の視線に、私が感じたの純粋な恐怖だった。
半人半霊である私が、ただの人間に恐怖するなどお笑い草であるが、それほどまでにその女には鬼気迫るものがあったのだった。
「彼を殺したの……?」
その女性は幽々子様に掴みかかるも、崩れ落ちる様にして突っ伏してしまう。
「……そうね。私が彼を殺したのよ」
幽々子様の言葉はその女性には届かなかったのだろうか。一人泣き崩れ、私たちの足許で絶叫を続ける女。
私たちは、彼女を慰めるべく言葉など持ち合わせていなかった。
喉が張裂けんばかりに泣き叫ぶ女性。そして泣き止むのを只管待ち続ける私たち。
小一時間は泣き続けていただろうか。
やっと落ち着きを取り戻した女性が、喋り出す。
「……優しいんですね」
「私が?」
幽々子様が驚いたように聴き直す。驚いたのは私も例外ではなかった。
「彼は自殺なんてしてないんですよ」
「それは、どういう事ですか?」
私が疑問を口にする。幽々子様は黙って彼女を見つめていた。
彼女は、私たちに語り始めた。
「私は、彼に片思いしていたんです。私たちは世間一般でいうところの幼馴染という間柄で。家族間の交流も盛んでした。
彼は元々、宿痾を患っており、決して健康とは呼べない身体だったのです。
それでも、彼の性格は快活で、持病のことなど感じさせない明るさの持ち主でした。
数か月前、春のことです。彼は白玉楼の桜が見たいと言いました。その頃はまだ彼も元気だったので、私と二人で白玉楼へと赴きました。
そこで、彼はアナタと出会ったのです。彼の視線が桜ではなくアナタに奪われてしまっているのに、私はすぐに気が付きました。皮肉な事に、私もアナタに見蕩れてしまっていたのだから彼の事は言えないのですが……。
その日から、彼は熱病に浮かされた様に、アナタに想いを馳せていました。同時に、表情は窶れ、身体は衰え、見る見るうちに死相に塗れていったのです
そんな中、彼が書き綴っていたのがあの手紙です。
私には一度も見せた事のない表情で、彼はアナタに向けて恋文を書いていたのです。
彼は痩せこけた腕で、それでも必死に愛を綴っていました。
私嫉妬で狂いそうになりました。でも、それが彼の選択ならと私は諦め、彼の行く末を眺めていました。
でも……それが間違いだったんですね。
もしかしたら、私がもっと早く彼に想いを告げていれば、彼はまだ生きていたのかもしれない。なんて思う事があります。
彼がアナタにではなく、私のことを見てくれさえいれば……」
意味のない戯言ですけどね、そう言葉を締め括り、女は再び泣き崩れてしまう。
「三通目の手紙、あれは貴方が書いたものだったのかしら?」
「……そう、です。アナタに責任を擦り付けずにはいられなかった。全てアナタのせいにして、アナタを悪者にして、それで私はずっと泣いているつもりだった。
でも、貴女は謝ってしまった。有りもしない罪に対して。どうして……、私を惨めにするの?
アナタは白を切ればよかったのに、彼の死と私は関係ないって、言い放ってくれれば良かったのに!
そうすれば、私はアナタを好きなだけ恨むことが出来たのに……」
死の前に、全てが手遅れになってしまった女が叫ぶ。
怨嗟を叫ぶ。
自身の弱さと、世界の薄情さを叫ぶ。
「貴方は、優しいのね。彼が貴方に惚れてしまったのにも頷けるわ。
それに、私は結果として、二人もの人間を傷つけてしまったのだから、悪役である事に間違いはないと思うわ。
貴女は私を怨んでくれて構わない。その資格は十分にある」
「彼が……私に?」
幽々子様は、その質問には答えずに、そそくさとその場を後にしてしまう。
私はその後ろ姿を追う。
「最後のあれは、どういう意味ですか?」
「『自分と結ばれても彼女は幸せにならない』なんて自分勝手な考えに至ってしまった哀れな男の話よ。
一番可哀想なのは、残された人間だけど……」
独り残されてしまった女性だけが、最後まで泣き続けていた。
〇
「結局、どういうことだったんでしょうか?」
白玉楼へと戻った私たち。
私は帰路の途中ずっと思い悩んでいた疑問を投げ掛ける。
「幽々子様に恋文を送ってきた男が好きだったのは――」
「彼が好きだったのは、最初から最後まであの娘でしょうね」
「だったら、どうして幽々子様に恋文なんて送ったのですか?」
「さぁ……これは私の想像でしかないけれど、きっと彼は病を抱える自分は彼女に相応しくないとでも考えていたのではないかしら。
結果、誰よりも死に近い存在になってしまった。
彼女は、彼のそんな所まで含めて愛していたというのに。
だけど男はそれに気付かず、自分が死んだ後に、彼女が未練なんて残さないようにわざとらしく恋文なんか書いてたんじゃないかしらね」
幽々子様は、そう呟いた。
「幽々子様は、それで良いんですか?」
「と、言うと?」
「だって、こんな形とは故幽々子様に恋文なんて……。幽々子様の気持ちを弄んでいるようで――」
「そうね。でも私は安心しているのよ、妖夢。人間が亡霊に恋をするなんて、どう転んでも良いお話になんてならないんだもん。それに……」
「それに?」
「私には妖夢がいるからね」
そこには、久々に見る幽々子様の笑顔があった。
身体中の血液が、頭に昇っていくような気がして、私は咄嗟に彼女から視線を逸らしてしまう。
「あはは、妖夢ったら顔が真っ赤よ?」
幽々子様の冷たい手の平が私の頬に触れる。
頬が腫れてしまったかの様な熱が奪われていくのが、心地良かった。
「まぁ、妖夢がもう少し大人になってくれないとねぇー」
最後にそう言い残し、幽々子様は自室へと戻って行ってしまった。
「私が大人になったら……」
何がどうなってしまうのだろう、と考え、再び頭が沸騰しそうになった。
ただ、冥界ってそんな簡単に行けたっけ?という疑問が残りました
里の人間が結界をどうやって越えたの?っていう疑問は先に出ているけれど、やっぱりそれだけは引っかかった