レミリア・スカーレットは考える。
何故自分は、紅霧異変と呼ばれるあの時に、博麗霊夢に負けてしまったのか、と。
場所は博麗神社。周囲の宴会騒ぎを耳も遠くに聞き流して、大して酔う気にもなれず一口飲んだだけの酒を眺め一人つらつらと考える。
いつも傍にいる咲夜には「楽しんできなさい」の一言で済んだ。それは咲夜が薄情なのではなく、レミリアの事をよくよく理解しているからなのだが、周囲の者からは酒の席もあってか、ある事ない事言われているようだ。
レミリアはゆっくりと、慎重に辺りを見回した。自分の周りには盛り上がる人だかりが出来ていて、自分を探す存在がいてもとてもではないが遠目では発見される事はないだろう。今夜の宴会は、考え事の為にあるのだ。目立ちたくは無い。
当時はスペルカードルールが制定されてから暫く経った時だった。紅魔館の内々でそれぞれのスペルを試し合い、研究を重ねた結果誰にも負けない自信がレミリアにはあった。
しかし、現実は正直だった。
あっさり、と言う程でもないが、それでも霊夢に軽くあしらわれたような気がする。必死になる様子もなく、めんどくさそうに、まるで全ての弾幕はお見通しだとでも言わんばかりの避けっぷりは実に見事だった。対して自分は、それなりにいい勝負は出来たという自負はあるのだが、結局の所負けてしまったのだ。人間を相手に。
会話もそこそこに始まった初めての「実戦」は楽しく、殺し合いではない、ただのゲームであれほど熱くなれたのも初めてだったかもしれない。
そういえば、霧雨魔理沙を相手にも敗れてしまったのだが、どうもそれについては印象が薄い。勝負事で負けたとあれば、自分なら次に相手に勝つまで一生忘れたりしないと思っていたが。
視線を宴会に向けて、その姿を探して見る。屈託無く馬鹿笑いする姿が直ぐに見付かり、どうやら今は鬼と天狗をけしかけて飲み合いを楽しんでいるようだ。その顔を、穴があく程、食い入るように凝視してみる。
……やはり、特に何の感慨も湧かなかった。
悔しさも、劣等感も恨みも無い。強いて言うなら、そう。馬鹿な友人を見て微笑ましくなるような、そんな感覚。
透き通った自分の酒を見下ろす。強い香りが鼻孔を突き、舌で舐める程度に味わった。
恐らく、魔理沙を相手に何も思わないのは、予想していたからかもしれない。その前に霊夢と弾幕ごっこで負けていたのだ。悪い事は続くと言うし、自分自身その光景を思い浮かべていたのかもしれない。確かに実力は出し切ったし、手加減も油断もしなかった。その上で二度も負けた。人間を相手に、二度も遅れを取った。
(ああ……もしかしたら)
その時に、弾幕ごっこの魅力を理解したのかもしれない。
制定当時の事を思い出す。純粋な力ではない、暴力での戦いはしない。美しさの決闘なのだと。もしかしたら鼻で笑っていたかもしれないその時から二度の敗北を通じて、自分はようやくそれがどういう事なのか分かったのかもしれない。
再び、視線を周囲に投げる。
人間、妖怪、妖精、幽霊、仙人、閻魔。細かく言えばキリが無いその種族が、こうして一同に解せるという事。
それがスペルカードルールの真意。生まれ持った能力は関係無い、より他を魅了した相手が勝つのだ。これほど馬鹿げた戦いも無いだろう。
杯に手を付け、くいっ、と一気に呷る。喉を焼く感触が心地良い。すぐそこに置いてあった酒瓶を取り、一人酌をする。
宴会の雰囲気に当てられたか、思考がずれてしまったと自省するレミリア。もう一度、何故霊夢に負けてしまったのかを考える。
種族的な能力で言えば、圧倒的に自分が勝っている。しかしそれは関係ない。弾幕を放つのに、種族などという野暮な物は必要ない。
魔力、霊力の総量? 以下同文。
油断、慢心、遊び心。試合に臨む姿勢は万全だった。遊びだろうが死闘だろうが、常に本気で楽しむのがレミリアという個。
技術の差、弾幕経験の差。これは有り得るかもしれない。博麗の巫女たる霊夢ならば、いかなる相手でも「最終的には」勝たなければならないのだ、八雲紫の指導があるかどうかは置いといて、少なくても相手にしてきた弾幕の数そのものが違うだろう。
しかし、いくら勝手が違うとはいえ、自分とて数々の修羅場を潜って来たのだ。戦場の勘は未だに衰えていない。
とはいえ、弾幕ごっこと戦場はその在り方が全く違うのも事実。一つの物を極める事が、どれだけ凄い事かをレミリアは知っている。当然、その行き着く先、特化された思考、勘、能力の脅威も。
安易な結論を出すならば、経験の差で敗れた、というのが妥当な所なのだが。
レミリアはそれだけで納得したくなかった。
自分を初めて負かした人間。
初めて、だったのだ。
酒を呷る。お猪口では全然足りない。酒瓶を掴み、そのまま一飲みする。
喉を酒が通る度に瞬間的な熱が広がり、冷たい液体が口内を満たす度に独特な香りが、味わいが広がり、旨さのあまり頭が喜びの悲鳴を上げる。
ごとん、と空瓶を置く。
頭が重い。一気に飲み過ぎたか。
周囲のざわめきもはっきりとは聞き取れなくなっている。がやがやとした音の集まりがうるさくて余計に酒を味わおうとしてしまう。
その辺りに酒瓶が転がっていないか視線を彷徨わせようとして、ふと自分の目の前に誰かが立っている気配を感じた。ゆっくりと見上げる。
緋袴に白い襦袢。穢れ一つない白い袖、剥き出しの腋。わき?
れい
「一気に飲み過ぎよ馬鹿っ」
頭を殴られた。拳で。地味に痛い。
くらくらと頭の中身が揺れてそうな衝撃を受けながらも、今しがた考え事の対象になっていた本人が来たのだ。レミリアは文句も言わず見上げて、優雅に微笑んでみせる。
「こ、こんばんは。霊夢」
無理だった。正面、それもわりと近くに霊夢の顔があったせいか、自分の顔が熱くなるのを感じて、呑み過ぎたせい呑み過ぎたせいと心の中で呪文をかけるレミリア。上手く挨拶も出来なかった事もあって、顔から火が出る程恥ずかしい。
「こんばんはって。宴会が始まってから、もう一時間は経ったわよ?」
そう言って、先程までレミリアが飲んでいた酒瓶を拾い上げる霊夢。中身が見事なまで空になっているのを見て複雑そうな顔をしたかと思うと、「あんな勿体無い飲み方して……全部飲んであるから、まぁ、許すけど」と呟いている。
それを見ていたレミリアは内心、そんな事まで貴方に指図される覚えは無いんだけど。一回くらい勝ったからって調子に乗らないでよね。永夜異変の時は、咲夜が一緒にいたとはいえ私が勝ってるんだし。大体霊夢は私のなんなわけ? 教育係かって。と思うのだが。
「聞いてんの?」
「……悪かったわよ」
目を合わせて至近距離から言われると、そっぽを向いてそう返事してしまった。
耳まで真っ赤になりそうな程感情が高ぶっている。自身の心音が大きすぎて落ち着かず、頬が熱を帯びているのが分かってしまう。
レミリア・スカーレットは考える。無理矢理思考を落ち着かせようとして。
何故自分は、この博麗霊夢に負けてしま――
「悪いと思ってるなら、ちゃんと私の目を見て言いなさいよ」
「ひゃあ!?」
ぐいっ、と。両手で頬を挟まれ、無理矢理顔を向かされた。
その先にあるのは当然、ちょっとだけ眉を吊り上げている霊夢の顔で。
吐息が。
鼻にかかり、唇に触れて。
それを自分が吸い込んで、自分の吐息を霊夢が。
「――――ごっ、ごめ、なさ……い」
あまりにも弱々しく、どぎまぎしながら真っ白の頭でそうと伝える。本人には分からなかったが、惚れ惚れとしたその表情は湯気が出そうな程真っ赤だった。
霊夢は一つ頷くと直ぐにその手を離し、そのままレミリアの隣に腰を下ろした。袴の裾が捲れないように注意する手の仕草をレミリアの目が追う。
「顔、真っ赤だけど。さっきの一気飲みを除けば今日はそんなに飲んで無かったわよね」
体調でも悪いの? と首を傾げて、レミリアの顔を覗き込む霊夢。
レミリアは背中を反らせてそれから逃げながら、首を横に振って否定した。
「そ、そんな事ない、わよ」
「ふぅん。じゃ、どうしたの」
そう言って、空いた分の距離を詰めて来る巫女。
霊夢の顔が近い。
そう意識しただけで、最早思考を落ち着かせる事など出来なくなってしまう。
流石にレミリアも、今なら自分の顔が熟したトマトのように真っ赤になっているだろうと容易に悟る事ができ、そんな顔を見られたくないと逃げ場を探す。
「そ、れは……」
霊夢の質問にも答えられず、また自ら人が密集している所にいた為逃げる事も出来ないレミリアは、そこで気が付いた。
意を決して、言う。
「そっ、そんな事。霊夢には関係ないでしょ」
「そうね」
くす、と笑い、あっさりと引き下がる少女。
からかわれたのか、と思うもそんな霊夢の表情を見ているとそれでもいいか、と思えてきてしまうのが不思議だった。
「ほら、こっちに来なさいよ。一緒に呑んであげるから」
言って、自分のすぐ隣、真横を指差す霊夢。言葉通りにそこに行けば自分がどうなってしまうのか、想像するまでもなく理解しているレミリアは霊夢との間に一人分の距離を開けて座り直した。
それを見た霊夢に、更に笑われてしまう。レミリアには、自分のこの唐突な変化を理解出来ないでいた。
(霊夢といると……)
霊夢といると。そこから続く筈の言葉を、レミリアは持っていなかった。
宴会は朝まで続き、レミリアは後片付けの手伝いを咲夜に命じて一人紅魔館へと帰って行った。
霊夢と一緒に飲み始めてからの記憶が、曖昧でぼんやりとしている。そこまで飲んだ覚えも無いのだが、思い出せないものは思い出せないのだ。何を話していたのかさえ、覚えていないという体たらく。
直ぐに寝ようと決め、真っ直ぐ自室へ向かうと寝巻きに着替えて床に就く。
のだが、一向に眠れない。
身体がふわふわとしているような、地に足が着いていない浮遊感。飛んでいる時とは別の、胸の内が暖かくなるような感覚は悪くないのだが、これが酒のせいだとは思えなかった。
仕方なく、ベッドから抜け出して一人飲み直す。外は太陽が出ているので室内でひっそりと飲む事にした。
レミリア・スカーレットは考える。
何故自分は、霊夢を相手にすると思い通りに動けなくなるのだろうか。
それは初対面の時から、ではない。紅霧異変も終わり、暫くの間博麗神社に遊びに行っていた時もこんな風では無かった。永夜異変の時でさえ、普通の、レミリアとして在れたのだ。
果たしていつからこうなってしまったのか、それがレミリアには分からない。
お気に入りのワインを開けようとして、その手が止まる。そういえば、霊夢と一緒に飲んでいた酒を、昔手に入れていた気がする。
レミリアはワイン貯蔵庫に向かった。日本酒の保存方法を知らない為、どこにそれがあるのかも分からない。少なくても酒類はそこにある、という程度の知識しか無い為、探す場所も限られていた。
久しぶりに自らの足で訪れた貯蔵庫に入りながら、レミリアは終わらない夜を思い出す。
霊夢との再戦。月を掲げた弾幕は、美しかった。
霊夢の弾幕は陰陽玉とか、御札とかで構成されている為、正直弾幕自体には美しいという感情を抱かなかったのだが、それを放つ巫女の姿はしっくりと型にはまっていて、まるで霊夢の為にあつらえたような弾幕は、念願の再戦相手だったレミリアを持ってしても美しいと、そう感じさせた。
あの時はレミリアが勝ったが、思えばその時、霊夢に勝利した後。
自分は、少しだけ。ほんの少しだけ。あの場を離れる事に、後ろ髪を引かれたかもしれない。
「ねえ、そこの貴方」
「はい? なんでしょう」
貯蔵庫に日本酒は見付からなかった。これでは今飲みたい酒が飲めない。ちょうどそこへ貯蔵庫を訪れた妖精を捕まえる。
「日本酒って、どこにあるか分かる?」
「ああ、それなら」
どうやら、珍しく仕事ができる妖精だったようだ。
妖精メイドはレミリアに日本酒が置いてある所まで案内すると、ワインの在庫管理があるから、と、また来た道を戻って行った。働き者を見ると感心してしまう。
特に労する事もなく、目当ての酒は見付かった。
部屋に戻ったレミリアは改めて向かい酒を始める。
そもそも、何故霊夢だけに、なのだろうか。
初めて自分を負かした相手だからかもしれない、とは思う。しかし、その事がどう変化すればこうなるのかが分からない。
分からない、分からない事だらけだ。
霊夢に関する自分の事は、まるで雲を掴むように難解な問題となってレミリアを悩ませる。
一旦思考を放棄して、暫くの間酒の味わいを楽しんだ。これが、昨夜霊夢と共に飲んだ、お酒の味。
そう考えてしまっただけで頬が熱くなってしまうのだから、もう堪らない。
レミリアはいつものドレスに着替え直すと、一人で考えるのを止めて親友に相談する為、地下の大図書館へと向かった。
階段を下りながら、どう切り出そうか、と考える。
実は、悩み事があるの、パチェ。鼻で笑われそうだ。
私、最近調子がおかしいみたいで。いや、吸血鬼の体調関連の話題は、根堀り葉堀り聞かれるだろう。
霊夢の事を考えると……、その切り出しだけは絶対にいけない、言ったが最後、私の中の何かが音を立てて崩れてしまいそうだ。
そして、どう切り出したらいいかも分からないまま、気付けばレミリアは親友の前に立っていた。
「どうしたの、レミィ。昨日は宴会だったから、てっきり夜まで寝てるかと思ったのに」
確かに、普段はそうだ。飲み疲れて寝てしまうのが常だった。
「いや、その。ちょっと、ね」
霊夢の事で話を聞いて貰おうと思ったのに、その霊夢の話をしようとするだけでしどろもどろになってしまう。その反応だけで何かを悟った風なパチュリーだったが、レミリアは気付かない。
「えと、パチェに聞いて貰いたい事があってさ」
「レミィ」
勇気を持って、恥を忍んで切り出そうとしたところで、制止の声をかけられた。
まさか、バレだのでは。そう心配するレミリアだったが、その通りであり、しかしそれは杞憂で終わった。
パチュリーはレミリアの目を真っ直ぐ見つめて、口を開いた。
「その問題は、レミィ。貴方自身で解答を得なければならない」
「……え?」
まだ何も言っていない。にも関わらず、そこまで断言できる理由は何なのか。
レミリアは戸惑いもあらわに目を丸くするが、パチュリーはそれ以上を話すつもりが無いのか、これから読む本の品定めに入ってしまっている。
「その問題に正解はない。いいえ、正しくは、どんな答えでも正解なのよ」
「どういう意味なのか、分からないんだけど」
「貴方はまだ幼いわ、レミィ」
言われて、押し黙る。親友にそこまで踏み込んだ事を言われるとは思っていなかった、というのが本音だったが、自分に何について悩んでいるのか、そしてその答えを知っている素振りのパチュリーの言葉は貴重だった。
「だからね、たくさん悩んで、たくさん迷って、たくさん考えればいいわ」
ああ、でも。と続けて、魔女らしかぬ柔和な笑みを浮かべたパチュリーが視線を合わせる。
「この問題だけには、時間制限があるから。急ぐ必要はないけど、後悔しない為にも、まずはたくさん『会う』事をお奨めする」
「っ」
会う、その言葉だけで、やはりこの魔女が自分の悩みの種を理解している事に驚くと同時、言い知れぬ羞恥に襲われた。
「ふふ。レミィ、大切なのはここじゃなくて」
魔女は顔を真っ赤に染めて狼狽するレミリアの頭に指を当て。
「ここよ」
その指を拳に変えて、レミリアの小さな胸に、触れるようにして押し付けた。
金魚のように口をぱくぱくさせるレミリアに笑いかけたかと思うと、パチュリーはもう話す事は無いとばかりに読書に没頭してしまった。
全身が熱湯をかけられたかのように熱い。
視線を向けられていないのがせめてもの救いだった。
レミリア・スカーレットは考える。考えようとする。
しかし、思考はまとまらず、逃げるようにして自室へと駆け出した。
その日は一睡も出来ず、一日中部屋に閉じこもっていた。
レミリア・スカーレットは考える。
自分は、霊夢に対してどんな感情を持っているのだろうか。
フランドールには姉妹愛を。パチュリーには友愛を。咲夜や美鈴、小悪魔、それに妖精メイド達には家族愛を。
なら、博麗霊夢は。
パチュリーは、頭で考えて出る答えじゃないと言った。
会う事を、奨められた。
だからレミリアは、考える事を止める事が出来ないものの、とりあえず霊夢に会う事にした。
正直、会って何かが変わるとは思えない。
しかしこのまま眠れない夜を過ごすのも、初めて自分を負かした相手とまともに接する事が出来ないのも御免だった。
どんな感情を自分が抱いていようとも、それを認め、受け入れる覚悟をした。
博麗神社が見えてくる。一昨日宴会を開いたのに、既に神社はいつも通りの閑散さを取り戻していた。
鳥居の形がはっきりと見えてきたかと思うと、その姿が視界に入った。
博麗霊夢。箒を持って、境内を掃除する少女を見ただけで、レミリアは心音が大きくなるのを感じた。
神社に近付く速度が、少しだけ落ちた。
それでもゆっくりと、ゆっくりとその顔が見えるようになってくると、飛翔速度が戻っていく。
不意に、目が合った。
思考が飛び、翼が震える。
霊夢はこちらに向かって、手を振っていた。
それを見た瞬間、直ぐにでもそこに辿り着きたくなってしまう。
名前を呼びたい。彼女の名前を呼んで、その傍らに立ちたい。
衝動を堪える。鳥居との距離が目前に迫った所で速度と高度を落とし、ゆっくりと地に降り立った。
山の上は風が吹いていた。
まるで背中を押すように背後から押し寄せる風の波は強く、油断すると日傘が飛ばされてしまいそう。
一歩だけ、踏み出す。
そして顔を上げた時、目の前には霊夢の顔があった。
「あ、え、と」
心の準備が出来ていなかったレミリアは、挨拶も忘れて立ち尽くしてしまう。
「こんにちは。あんたが昼間に来るの、最近じゃ珍しいんじゃない?」
「あ、うん。今日は、その」
先に話をされてしまうと、ますますどうしたらいいか分からなくなる。
何かを言おうとした唇は僅かに震えていて、声は出ないまま、レミリアは俯いてしまった。
日傘を持つ手に、力がこもる。
暫く、沈黙が続いた。
霊夢も何も言わないので、結果動けなくなってしまったレミリアは、それでも何かを言わねば、と頭の中で言葉を模索する。
「お茶」
「え?」
最初に発言したのは、再び霊夢だった。
あまりに短いただの単語に、レミリアは一瞬何を言われたのか分からなくなり、思わず顔を跳ね上げてしまう。
「お茶でも、淹れてあげようか」
「あ、うん。お願い、しようかな」
霊夢と視線が合うと、直ぐに逸らしてしまう。
自分は一体、何をしに来たのだ。
急速に冷えていく思考が、責めるように自問自答を繰り返し始めた。
「レミリア」
「ん、何?」
ふと名前を呼ばれ、今度はどもらないように返事をする。
上手くできた、と思うのも束の間、いきなり両頬を暖かい掌で包まれた。
「っへ」
そのまま、一昨日のように霊夢の顔を向かされる。
見上げる形で視線を合わせると、今にも笑い出しそうな霊夢の顔が映った。
「あんた、私に会いに来たんでしょ? だったら、ちゃんと私の顔を見てなさいよ」
「ふぇっ」
図星を指され、目を見開くと同時に間の抜けた声が上がってしまった。冷えた頭が、今度は急速に熱くなってくる。
「どうなのよ。分かったの?」
二人の息遣いが感じられる距離まで顔を近づけた霊夢が問う。
「わ、分かった。分かったから、離して霊夢……!」
霊夢の髪の、霊夢の吐息の、霊夢の匂いを感じてレミリアは内側から身体が爆発しそうだった。
自分の身体がどうなってしまったのか、見当も付かない。今は全身に汗をかいていて、とにかく霊夢と一旦距離を置きたくて仕方なかった。
レミリアの返事を聞いた霊夢は、そっと手を離す。満足そうにレミリアの赤くなった顔を見つめると、笑いを堪え切れなくなったのか口元を指先で覆いながら背を向けた。
何がなんだか分からないレミリアは、目を白黒させるばかりだった。
神社へと入っていく少女の後姿を見つめながら、ようやく熱が引いてきた身体を見下ろしてみる。
何か、変わったのだろうか。
自分は、今日霊夢と会って、何かが変わったのだろうか。
自身の胸に手を当ててみた。当然のように、何も答えは得られない。
とりあえず、お茶を淹れてくれるのだ。霊夢が消えていった縁側へと自分も向かう。じゃり、じゃり、と足音を立てながら近付く内に、何か言い合うような声が聞こえてきた。
なんとなく気配を消して、そっと近付く。後ろめたい気持ちに駆られながらも、向こうから悟られないように、襖にぴったりと耳を押し当てた。
声は二つ。
「で、何であんたがいるわけ」
「連れないわねぇ、せっかくの来客なのよ? ちょっとは持て成したらどうなの」
霊夢と、もう一人は八雲紫だった。
「あんたに持て成す必要はない。さっさと出てけ」
「なーんか、今日はいつもより冷たいわねぇ……」
「いつも通りよ。で」
「で?」
「自主的に出てくの? それとも追い出されたいの?」
不穏な空気が襖一枚隔てた向こうから漂っていた。さっきまで霊夢はあんなに上機嫌だったのに、なんで?
「質問に答えてくれたら、素直においとましょうかしらねぇ」
「質問?」
「簡単な問いよ。ずばり、レミリアね?」
自分の名前が出て、身体を強張らせる。
「そうよ」
答える霊夢の声は、あっさりとしていたが、そこには確かな意思があった。
その声の調子からして、レミリアは自分が盗み聞きしている事がばれたわけじゃないと分かるものの、何故今、自分の話になっているのかが分からない。もしかして、紫は自分が神社に来たところを見ていたのだろうか。
「博麗の巫女ともあろう者が、随分とあっさり言うのねぇ。私が、どうするか……」
「ほら、答えたんだからさっさと出てく」
「って、ちょ、ちょっと! 扱いがあんまりじゃない!?」
「知らん」
最後に聞こえたのは、すすり泣くような紫の声だった。
いたたまれない気持ちになりながらも、顔を出すべきか縁側で待っているべきか迷っていると、ひょっこりと霊夢が顔を出してきた。
視線が合う。自分は盗み聞きをしていた。霊夢に、軽蔑される。
そう考えて顔を青くしたレミリアだが、霊夢の反応は全く違うものだった。
「何してんの。さっさと入りなさいよ」
「え? あ、うん?」
襖にぴったり耳を付けた格好のまま固まるレミリア。
わけが分からないものの、言われた通りにお邪魔した。
結局、霊夢と紫は何を話していたのだろう。
「さっきの、私と紫の会話。意味分かった?」
「え? ううん」
机を挟んで向かい合う形になりながら、促されるままに座る。
霊夢からそう問われ、てっきり何か説明されるかと思ったレミリアだが、霊夢がそれ以上その話題に触れる事は無かった。
レミリア・スカーレットは考える。
結局、自分は霊夢の事をどう思っているのだろうか。
「はい、お茶」
「あ、ありがと」
「あんた、お茶好きよね」
「ん、まあね」
「西洋の妖怪のくせに。舌に合わないんじゃないの?」
「私を誰だと思ってるのよ」
「レミリア」
「う、ん。まぁ、そうなんだけど」
「お茶が好きな吸血鬼なんて、あんたくらいじゃないかしら」
「そういえば、フランはどうなのかしらね」
「あんたが連れて来ないから、分からないわね」
「お茶の葉、頂戴。持って帰って咲夜に淹れさせてみるわ」
「別にいいけど。咲夜の淹れたお茶、あんたは飲んだら駄目だからね」
「へ? なんで?」
「なんでもよ。約束出来るなら、タダであげるわ」
「まぁ、そのくらい、いいけど」
「ふふ。それでいいのよ」
「帰りに包んでちょうだいね」
胸に手を当ててみても、その答えは出なかったが。
いつの間にか、いつも通り普通に話せていた。レミリア本人は自覚していないが、その時彼女の胸は、暖かい想いで包まれていた。
問題を先延ばしにするわけじゃない。
ただ、解答を出すのはゆっくりでもいいのだ。
そしてレミリア・スカーレットは考えるのを止めた。
何故自分は、紅霧異変と呼ばれるあの時に、博麗霊夢に負けてしまったのか、と。
場所は博麗神社。周囲の宴会騒ぎを耳も遠くに聞き流して、大して酔う気にもなれず一口飲んだだけの酒を眺め一人つらつらと考える。
いつも傍にいる咲夜には「楽しんできなさい」の一言で済んだ。それは咲夜が薄情なのではなく、レミリアの事をよくよく理解しているからなのだが、周囲の者からは酒の席もあってか、ある事ない事言われているようだ。
レミリアはゆっくりと、慎重に辺りを見回した。自分の周りには盛り上がる人だかりが出来ていて、自分を探す存在がいてもとてもではないが遠目では発見される事はないだろう。今夜の宴会は、考え事の為にあるのだ。目立ちたくは無い。
当時はスペルカードルールが制定されてから暫く経った時だった。紅魔館の内々でそれぞれのスペルを試し合い、研究を重ねた結果誰にも負けない自信がレミリアにはあった。
しかし、現実は正直だった。
あっさり、と言う程でもないが、それでも霊夢に軽くあしらわれたような気がする。必死になる様子もなく、めんどくさそうに、まるで全ての弾幕はお見通しだとでも言わんばかりの避けっぷりは実に見事だった。対して自分は、それなりにいい勝負は出来たという自負はあるのだが、結局の所負けてしまったのだ。人間を相手に。
会話もそこそこに始まった初めての「実戦」は楽しく、殺し合いではない、ただのゲームであれほど熱くなれたのも初めてだったかもしれない。
そういえば、霧雨魔理沙を相手にも敗れてしまったのだが、どうもそれについては印象が薄い。勝負事で負けたとあれば、自分なら次に相手に勝つまで一生忘れたりしないと思っていたが。
視線を宴会に向けて、その姿を探して見る。屈託無く馬鹿笑いする姿が直ぐに見付かり、どうやら今は鬼と天狗をけしかけて飲み合いを楽しんでいるようだ。その顔を、穴があく程、食い入るように凝視してみる。
……やはり、特に何の感慨も湧かなかった。
悔しさも、劣等感も恨みも無い。強いて言うなら、そう。馬鹿な友人を見て微笑ましくなるような、そんな感覚。
透き通った自分の酒を見下ろす。強い香りが鼻孔を突き、舌で舐める程度に味わった。
恐らく、魔理沙を相手に何も思わないのは、予想していたからかもしれない。その前に霊夢と弾幕ごっこで負けていたのだ。悪い事は続くと言うし、自分自身その光景を思い浮かべていたのかもしれない。確かに実力は出し切ったし、手加減も油断もしなかった。その上で二度も負けた。人間を相手に、二度も遅れを取った。
(ああ……もしかしたら)
その時に、弾幕ごっこの魅力を理解したのかもしれない。
制定当時の事を思い出す。純粋な力ではない、暴力での戦いはしない。美しさの決闘なのだと。もしかしたら鼻で笑っていたかもしれないその時から二度の敗北を通じて、自分はようやくそれがどういう事なのか分かったのかもしれない。
再び、視線を周囲に投げる。
人間、妖怪、妖精、幽霊、仙人、閻魔。細かく言えばキリが無いその種族が、こうして一同に解せるという事。
それがスペルカードルールの真意。生まれ持った能力は関係無い、より他を魅了した相手が勝つのだ。これほど馬鹿げた戦いも無いだろう。
杯に手を付け、くいっ、と一気に呷る。喉を焼く感触が心地良い。すぐそこに置いてあった酒瓶を取り、一人酌をする。
宴会の雰囲気に当てられたか、思考がずれてしまったと自省するレミリア。もう一度、何故霊夢に負けてしまったのかを考える。
種族的な能力で言えば、圧倒的に自分が勝っている。しかしそれは関係ない。弾幕を放つのに、種族などという野暮な物は必要ない。
魔力、霊力の総量? 以下同文。
油断、慢心、遊び心。試合に臨む姿勢は万全だった。遊びだろうが死闘だろうが、常に本気で楽しむのがレミリアという個。
技術の差、弾幕経験の差。これは有り得るかもしれない。博麗の巫女たる霊夢ならば、いかなる相手でも「最終的には」勝たなければならないのだ、八雲紫の指導があるかどうかは置いといて、少なくても相手にしてきた弾幕の数そのものが違うだろう。
しかし、いくら勝手が違うとはいえ、自分とて数々の修羅場を潜って来たのだ。戦場の勘は未だに衰えていない。
とはいえ、弾幕ごっこと戦場はその在り方が全く違うのも事実。一つの物を極める事が、どれだけ凄い事かをレミリアは知っている。当然、その行き着く先、特化された思考、勘、能力の脅威も。
安易な結論を出すならば、経験の差で敗れた、というのが妥当な所なのだが。
レミリアはそれだけで納得したくなかった。
自分を初めて負かした人間。
初めて、だったのだ。
酒を呷る。お猪口では全然足りない。酒瓶を掴み、そのまま一飲みする。
喉を酒が通る度に瞬間的な熱が広がり、冷たい液体が口内を満たす度に独特な香りが、味わいが広がり、旨さのあまり頭が喜びの悲鳴を上げる。
ごとん、と空瓶を置く。
頭が重い。一気に飲み過ぎたか。
周囲のざわめきもはっきりとは聞き取れなくなっている。がやがやとした音の集まりがうるさくて余計に酒を味わおうとしてしまう。
その辺りに酒瓶が転がっていないか視線を彷徨わせようとして、ふと自分の目の前に誰かが立っている気配を感じた。ゆっくりと見上げる。
緋袴に白い襦袢。穢れ一つない白い袖、剥き出しの腋。わき?
れい
「一気に飲み過ぎよ馬鹿っ」
頭を殴られた。拳で。地味に痛い。
くらくらと頭の中身が揺れてそうな衝撃を受けながらも、今しがた考え事の対象になっていた本人が来たのだ。レミリアは文句も言わず見上げて、優雅に微笑んでみせる。
「こ、こんばんは。霊夢」
無理だった。正面、それもわりと近くに霊夢の顔があったせいか、自分の顔が熱くなるのを感じて、呑み過ぎたせい呑み過ぎたせいと心の中で呪文をかけるレミリア。上手く挨拶も出来なかった事もあって、顔から火が出る程恥ずかしい。
「こんばんはって。宴会が始まってから、もう一時間は経ったわよ?」
そう言って、先程までレミリアが飲んでいた酒瓶を拾い上げる霊夢。中身が見事なまで空になっているのを見て複雑そうな顔をしたかと思うと、「あんな勿体無い飲み方して……全部飲んであるから、まぁ、許すけど」と呟いている。
それを見ていたレミリアは内心、そんな事まで貴方に指図される覚えは無いんだけど。一回くらい勝ったからって調子に乗らないでよね。永夜異変の時は、咲夜が一緒にいたとはいえ私が勝ってるんだし。大体霊夢は私のなんなわけ? 教育係かって。と思うのだが。
「聞いてんの?」
「……悪かったわよ」
目を合わせて至近距離から言われると、そっぽを向いてそう返事してしまった。
耳まで真っ赤になりそうな程感情が高ぶっている。自身の心音が大きすぎて落ち着かず、頬が熱を帯びているのが分かってしまう。
レミリア・スカーレットは考える。無理矢理思考を落ち着かせようとして。
何故自分は、この博麗霊夢に負けてしま――
「悪いと思ってるなら、ちゃんと私の目を見て言いなさいよ」
「ひゃあ!?」
ぐいっ、と。両手で頬を挟まれ、無理矢理顔を向かされた。
その先にあるのは当然、ちょっとだけ眉を吊り上げている霊夢の顔で。
吐息が。
鼻にかかり、唇に触れて。
それを自分が吸い込んで、自分の吐息を霊夢が。
「――――ごっ、ごめ、なさ……い」
あまりにも弱々しく、どぎまぎしながら真っ白の頭でそうと伝える。本人には分からなかったが、惚れ惚れとしたその表情は湯気が出そうな程真っ赤だった。
霊夢は一つ頷くと直ぐにその手を離し、そのままレミリアの隣に腰を下ろした。袴の裾が捲れないように注意する手の仕草をレミリアの目が追う。
「顔、真っ赤だけど。さっきの一気飲みを除けば今日はそんなに飲んで無かったわよね」
体調でも悪いの? と首を傾げて、レミリアの顔を覗き込む霊夢。
レミリアは背中を反らせてそれから逃げながら、首を横に振って否定した。
「そ、そんな事ない、わよ」
「ふぅん。じゃ、どうしたの」
そう言って、空いた分の距離を詰めて来る巫女。
霊夢の顔が近い。
そう意識しただけで、最早思考を落ち着かせる事など出来なくなってしまう。
流石にレミリアも、今なら自分の顔が熟したトマトのように真っ赤になっているだろうと容易に悟る事ができ、そんな顔を見られたくないと逃げ場を探す。
「そ、れは……」
霊夢の質問にも答えられず、また自ら人が密集している所にいた為逃げる事も出来ないレミリアは、そこで気が付いた。
意を決して、言う。
「そっ、そんな事。霊夢には関係ないでしょ」
「そうね」
くす、と笑い、あっさりと引き下がる少女。
からかわれたのか、と思うもそんな霊夢の表情を見ているとそれでもいいか、と思えてきてしまうのが不思議だった。
「ほら、こっちに来なさいよ。一緒に呑んであげるから」
言って、自分のすぐ隣、真横を指差す霊夢。言葉通りにそこに行けば自分がどうなってしまうのか、想像するまでもなく理解しているレミリアは霊夢との間に一人分の距離を開けて座り直した。
それを見た霊夢に、更に笑われてしまう。レミリアには、自分のこの唐突な変化を理解出来ないでいた。
(霊夢といると……)
霊夢といると。そこから続く筈の言葉を、レミリアは持っていなかった。
宴会は朝まで続き、レミリアは後片付けの手伝いを咲夜に命じて一人紅魔館へと帰って行った。
霊夢と一緒に飲み始めてからの記憶が、曖昧でぼんやりとしている。そこまで飲んだ覚えも無いのだが、思い出せないものは思い出せないのだ。何を話していたのかさえ、覚えていないという体たらく。
直ぐに寝ようと決め、真っ直ぐ自室へ向かうと寝巻きに着替えて床に就く。
のだが、一向に眠れない。
身体がふわふわとしているような、地に足が着いていない浮遊感。飛んでいる時とは別の、胸の内が暖かくなるような感覚は悪くないのだが、これが酒のせいだとは思えなかった。
仕方なく、ベッドから抜け出して一人飲み直す。外は太陽が出ているので室内でひっそりと飲む事にした。
レミリア・スカーレットは考える。
何故自分は、霊夢を相手にすると思い通りに動けなくなるのだろうか。
それは初対面の時から、ではない。紅霧異変も終わり、暫くの間博麗神社に遊びに行っていた時もこんな風では無かった。永夜異変の時でさえ、普通の、レミリアとして在れたのだ。
果たしていつからこうなってしまったのか、それがレミリアには分からない。
お気に入りのワインを開けようとして、その手が止まる。そういえば、霊夢と一緒に飲んでいた酒を、昔手に入れていた気がする。
レミリアはワイン貯蔵庫に向かった。日本酒の保存方法を知らない為、どこにそれがあるのかも分からない。少なくても酒類はそこにある、という程度の知識しか無い為、探す場所も限られていた。
久しぶりに自らの足で訪れた貯蔵庫に入りながら、レミリアは終わらない夜を思い出す。
霊夢との再戦。月を掲げた弾幕は、美しかった。
霊夢の弾幕は陰陽玉とか、御札とかで構成されている為、正直弾幕自体には美しいという感情を抱かなかったのだが、それを放つ巫女の姿はしっくりと型にはまっていて、まるで霊夢の為にあつらえたような弾幕は、念願の再戦相手だったレミリアを持ってしても美しいと、そう感じさせた。
あの時はレミリアが勝ったが、思えばその時、霊夢に勝利した後。
自分は、少しだけ。ほんの少しだけ。あの場を離れる事に、後ろ髪を引かれたかもしれない。
「ねえ、そこの貴方」
「はい? なんでしょう」
貯蔵庫に日本酒は見付からなかった。これでは今飲みたい酒が飲めない。ちょうどそこへ貯蔵庫を訪れた妖精を捕まえる。
「日本酒って、どこにあるか分かる?」
「ああ、それなら」
どうやら、珍しく仕事ができる妖精だったようだ。
妖精メイドはレミリアに日本酒が置いてある所まで案内すると、ワインの在庫管理があるから、と、また来た道を戻って行った。働き者を見ると感心してしまう。
特に労する事もなく、目当ての酒は見付かった。
部屋に戻ったレミリアは改めて向かい酒を始める。
そもそも、何故霊夢だけに、なのだろうか。
初めて自分を負かした相手だからかもしれない、とは思う。しかし、その事がどう変化すればこうなるのかが分からない。
分からない、分からない事だらけだ。
霊夢に関する自分の事は、まるで雲を掴むように難解な問題となってレミリアを悩ませる。
一旦思考を放棄して、暫くの間酒の味わいを楽しんだ。これが、昨夜霊夢と共に飲んだ、お酒の味。
そう考えてしまっただけで頬が熱くなってしまうのだから、もう堪らない。
レミリアはいつものドレスに着替え直すと、一人で考えるのを止めて親友に相談する為、地下の大図書館へと向かった。
階段を下りながら、どう切り出そうか、と考える。
実は、悩み事があるの、パチェ。鼻で笑われそうだ。
私、最近調子がおかしいみたいで。いや、吸血鬼の体調関連の話題は、根堀り葉堀り聞かれるだろう。
霊夢の事を考えると……、その切り出しだけは絶対にいけない、言ったが最後、私の中の何かが音を立てて崩れてしまいそうだ。
そして、どう切り出したらいいかも分からないまま、気付けばレミリアは親友の前に立っていた。
「どうしたの、レミィ。昨日は宴会だったから、てっきり夜まで寝てるかと思ったのに」
確かに、普段はそうだ。飲み疲れて寝てしまうのが常だった。
「いや、その。ちょっと、ね」
霊夢の事で話を聞いて貰おうと思ったのに、その霊夢の話をしようとするだけでしどろもどろになってしまう。その反応だけで何かを悟った風なパチュリーだったが、レミリアは気付かない。
「えと、パチェに聞いて貰いたい事があってさ」
「レミィ」
勇気を持って、恥を忍んで切り出そうとしたところで、制止の声をかけられた。
まさか、バレだのでは。そう心配するレミリアだったが、その通りであり、しかしそれは杞憂で終わった。
パチュリーはレミリアの目を真っ直ぐ見つめて、口を開いた。
「その問題は、レミィ。貴方自身で解答を得なければならない」
「……え?」
まだ何も言っていない。にも関わらず、そこまで断言できる理由は何なのか。
レミリアは戸惑いもあらわに目を丸くするが、パチュリーはそれ以上を話すつもりが無いのか、これから読む本の品定めに入ってしまっている。
「その問題に正解はない。いいえ、正しくは、どんな答えでも正解なのよ」
「どういう意味なのか、分からないんだけど」
「貴方はまだ幼いわ、レミィ」
言われて、押し黙る。親友にそこまで踏み込んだ事を言われるとは思っていなかった、というのが本音だったが、自分に何について悩んでいるのか、そしてその答えを知っている素振りのパチュリーの言葉は貴重だった。
「だからね、たくさん悩んで、たくさん迷って、たくさん考えればいいわ」
ああ、でも。と続けて、魔女らしかぬ柔和な笑みを浮かべたパチュリーが視線を合わせる。
「この問題だけには、時間制限があるから。急ぐ必要はないけど、後悔しない為にも、まずはたくさん『会う』事をお奨めする」
「っ」
会う、その言葉だけで、やはりこの魔女が自分の悩みの種を理解している事に驚くと同時、言い知れぬ羞恥に襲われた。
「ふふ。レミィ、大切なのはここじゃなくて」
魔女は顔を真っ赤に染めて狼狽するレミリアの頭に指を当て。
「ここよ」
その指を拳に変えて、レミリアの小さな胸に、触れるようにして押し付けた。
金魚のように口をぱくぱくさせるレミリアに笑いかけたかと思うと、パチュリーはもう話す事は無いとばかりに読書に没頭してしまった。
全身が熱湯をかけられたかのように熱い。
視線を向けられていないのがせめてもの救いだった。
レミリア・スカーレットは考える。考えようとする。
しかし、思考はまとまらず、逃げるようにして自室へと駆け出した。
その日は一睡も出来ず、一日中部屋に閉じこもっていた。
レミリア・スカーレットは考える。
自分は、霊夢に対してどんな感情を持っているのだろうか。
フランドールには姉妹愛を。パチュリーには友愛を。咲夜や美鈴、小悪魔、それに妖精メイド達には家族愛を。
なら、博麗霊夢は。
パチュリーは、頭で考えて出る答えじゃないと言った。
会う事を、奨められた。
だからレミリアは、考える事を止める事が出来ないものの、とりあえず霊夢に会う事にした。
正直、会って何かが変わるとは思えない。
しかしこのまま眠れない夜を過ごすのも、初めて自分を負かした相手とまともに接する事が出来ないのも御免だった。
どんな感情を自分が抱いていようとも、それを認め、受け入れる覚悟をした。
博麗神社が見えてくる。一昨日宴会を開いたのに、既に神社はいつも通りの閑散さを取り戻していた。
鳥居の形がはっきりと見えてきたかと思うと、その姿が視界に入った。
博麗霊夢。箒を持って、境内を掃除する少女を見ただけで、レミリアは心音が大きくなるのを感じた。
神社に近付く速度が、少しだけ落ちた。
それでもゆっくりと、ゆっくりとその顔が見えるようになってくると、飛翔速度が戻っていく。
不意に、目が合った。
思考が飛び、翼が震える。
霊夢はこちらに向かって、手を振っていた。
それを見た瞬間、直ぐにでもそこに辿り着きたくなってしまう。
名前を呼びたい。彼女の名前を呼んで、その傍らに立ちたい。
衝動を堪える。鳥居との距離が目前に迫った所で速度と高度を落とし、ゆっくりと地に降り立った。
山の上は風が吹いていた。
まるで背中を押すように背後から押し寄せる風の波は強く、油断すると日傘が飛ばされてしまいそう。
一歩だけ、踏み出す。
そして顔を上げた時、目の前には霊夢の顔があった。
「あ、え、と」
心の準備が出来ていなかったレミリアは、挨拶も忘れて立ち尽くしてしまう。
「こんにちは。あんたが昼間に来るの、最近じゃ珍しいんじゃない?」
「あ、うん。今日は、その」
先に話をされてしまうと、ますますどうしたらいいか分からなくなる。
何かを言おうとした唇は僅かに震えていて、声は出ないまま、レミリアは俯いてしまった。
日傘を持つ手に、力がこもる。
暫く、沈黙が続いた。
霊夢も何も言わないので、結果動けなくなってしまったレミリアは、それでも何かを言わねば、と頭の中で言葉を模索する。
「お茶」
「え?」
最初に発言したのは、再び霊夢だった。
あまりに短いただの単語に、レミリアは一瞬何を言われたのか分からなくなり、思わず顔を跳ね上げてしまう。
「お茶でも、淹れてあげようか」
「あ、うん。お願い、しようかな」
霊夢と視線が合うと、直ぐに逸らしてしまう。
自分は一体、何をしに来たのだ。
急速に冷えていく思考が、責めるように自問自答を繰り返し始めた。
「レミリア」
「ん、何?」
ふと名前を呼ばれ、今度はどもらないように返事をする。
上手くできた、と思うのも束の間、いきなり両頬を暖かい掌で包まれた。
「っへ」
そのまま、一昨日のように霊夢の顔を向かされる。
見上げる形で視線を合わせると、今にも笑い出しそうな霊夢の顔が映った。
「あんた、私に会いに来たんでしょ? だったら、ちゃんと私の顔を見てなさいよ」
「ふぇっ」
図星を指され、目を見開くと同時に間の抜けた声が上がってしまった。冷えた頭が、今度は急速に熱くなってくる。
「どうなのよ。分かったの?」
二人の息遣いが感じられる距離まで顔を近づけた霊夢が問う。
「わ、分かった。分かったから、離して霊夢……!」
霊夢の髪の、霊夢の吐息の、霊夢の匂いを感じてレミリアは内側から身体が爆発しそうだった。
自分の身体がどうなってしまったのか、見当も付かない。今は全身に汗をかいていて、とにかく霊夢と一旦距離を置きたくて仕方なかった。
レミリアの返事を聞いた霊夢は、そっと手を離す。満足そうにレミリアの赤くなった顔を見つめると、笑いを堪え切れなくなったのか口元を指先で覆いながら背を向けた。
何がなんだか分からないレミリアは、目を白黒させるばかりだった。
神社へと入っていく少女の後姿を見つめながら、ようやく熱が引いてきた身体を見下ろしてみる。
何か、変わったのだろうか。
自分は、今日霊夢と会って、何かが変わったのだろうか。
自身の胸に手を当ててみた。当然のように、何も答えは得られない。
とりあえず、お茶を淹れてくれるのだ。霊夢が消えていった縁側へと自分も向かう。じゃり、じゃり、と足音を立てながら近付く内に、何か言い合うような声が聞こえてきた。
なんとなく気配を消して、そっと近付く。後ろめたい気持ちに駆られながらも、向こうから悟られないように、襖にぴったりと耳を押し当てた。
声は二つ。
「で、何であんたがいるわけ」
「連れないわねぇ、せっかくの来客なのよ? ちょっとは持て成したらどうなの」
霊夢と、もう一人は八雲紫だった。
「あんたに持て成す必要はない。さっさと出てけ」
「なーんか、今日はいつもより冷たいわねぇ……」
「いつも通りよ。で」
「で?」
「自主的に出てくの? それとも追い出されたいの?」
不穏な空気が襖一枚隔てた向こうから漂っていた。さっきまで霊夢はあんなに上機嫌だったのに、なんで?
「質問に答えてくれたら、素直においとましょうかしらねぇ」
「質問?」
「簡単な問いよ。ずばり、レミリアね?」
自分の名前が出て、身体を強張らせる。
「そうよ」
答える霊夢の声は、あっさりとしていたが、そこには確かな意思があった。
その声の調子からして、レミリアは自分が盗み聞きしている事がばれたわけじゃないと分かるものの、何故今、自分の話になっているのかが分からない。もしかして、紫は自分が神社に来たところを見ていたのだろうか。
「博麗の巫女ともあろう者が、随分とあっさり言うのねぇ。私が、どうするか……」
「ほら、答えたんだからさっさと出てく」
「って、ちょ、ちょっと! 扱いがあんまりじゃない!?」
「知らん」
最後に聞こえたのは、すすり泣くような紫の声だった。
いたたまれない気持ちになりながらも、顔を出すべきか縁側で待っているべきか迷っていると、ひょっこりと霊夢が顔を出してきた。
視線が合う。自分は盗み聞きをしていた。霊夢に、軽蔑される。
そう考えて顔を青くしたレミリアだが、霊夢の反応は全く違うものだった。
「何してんの。さっさと入りなさいよ」
「え? あ、うん?」
襖にぴったり耳を付けた格好のまま固まるレミリア。
わけが分からないものの、言われた通りにお邪魔した。
結局、霊夢と紫は何を話していたのだろう。
「さっきの、私と紫の会話。意味分かった?」
「え? ううん」
机を挟んで向かい合う形になりながら、促されるままに座る。
霊夢からそう問われ、てっきり何か説明されるかと思ったレミリアだが、霊夢がそれ以上その話題に触れる事は無かった。
レミリア・スカーレットは考える。
結局、自分は霊夢の事をどう思っているのだろうか。
「はい、お茶」
「あ、ありがと」
「あんた、お茶好きよね」
「ん、まあね」
「西洋の妖怪のくせに。舌に合わないんじゃないの?」
「私を誰だと思ってるのよ」
「レミリア」
「う、ん。まぁ、そうなんだけど」
「お茶が好きな吸血鬼なんて、あんたくらいじゃないかしら」
「そういえば、フランはどうなのかしらね」
「あんたが連れて来ないから、分からないわね」
「お茶の葉、頂戴。持って帰って咲夜に淹れさせてみるわ」
「別にいいけど。咲夜の淹れたお茶、あんたは飲んだら駄目だからね」
「へ? なんで?」
「なんでもよ。約束出来るなら、タダであげるわ」
「まぁ、そのくらい、いいけど」
「ふふ。それでいいのよ」
「帰りに包んでちょうだいね」
胸に手を当ててみても、その答えは出なかったが。
いつの間にか、いつも通り普通に話せていた。レミリア本人は自覚していないが、その時彼女の胸は、暖かい想いで包まれていた。
問題を先延ばしにするわけじゃない。
ただ、解答を出すのはゆっくりでもいいのだ。
そしてレミリア・スカーレットは考えるのを止めた。
考えても考えても答えの出ない問いに、霊夢は答えてくれるのか。
レミリアがもっと悩む過程を見たかったくらいに読み込んでしまいました。
やっぱり、この二人は好いですね。
問2解、レミリアが幼女で、可愛いから。
問3解、霊夢はロリコン。
解2、溢れんばかりの愛
解3、注視×愛=ストーカー
(訳:ヤンデ霊夢はいいものだ)
面白かったです
問2:心の距離を詰めたいから
問3:レミ霊、霊レミである
だがここに、自覚が薄いレミリア、咲夜さんの淹れた緑茶を飲むなという霊夢を加味すると
本質的には霊レミであると考えられる。
2 レミリアに気付かせる、または意識させるため。
3 お嬢様は成長期。そういう意味ではパチュリーは姉とか先輩に当たるんだろうか。
(訳:レミリアお嬢様の周りがすごくあったかくて幸せな気持ちになりました。)
紫母さまが強く言えない感じが可愛かったです。
霊夢さんは言わずもがな。
ごちそうさまでした。
問2 レミ霊
問3 レミ霊
レミ霊は大好きですよ。霊夢のこと考えた途端に真っ赤になるお嬢様可愛らしい。
弾幕勝負のあたりの考察ともっと上手く絡められたら、と思ったのでこの点数で。
霊夢かわいいい