さとりは耳を疑った。首を傾げる。
自室にやってきたお燐の報告が、ちょっと意外だった。てっきり、また地獄で怨霊が暴れたとか、お空が暴れたとかそんな話だと思ったのだが。こいしが消えるのはいつも通りだ。それも心配だが。
「いや、そんな驚いた顔しないで下さいよ。まあ、さとり様にしてみれば、そうかも知れませんが」
苦笑を浮かべてくるお燐に、さとりもまた同じ様な表情を浮かべた。
「ごめんなさい。でも、あまりにも意外だったから。……私に来客ですって?」
「はい」
地霊殿に来客はほとんどいない。
日々の変化があるとすれば、ペット成長と怨霊達の増減くらいか。
代わり映えのない日々、そして平穏な日々が延々と続いていくのみだ。閉じられた楽園だと、彼女は思っている。
「しかも地上から? 巫女……ではないみたいね、魔法使いでもないみたい。鴉天狗達とも違うわね。誰なのかしら?」
さとりはお燐の心を覗いてみるが、一度も出会ったことのない相手だ。
「はい。豊聡耳神子という方だそうです。何でも、ここ最近になってこの幻想郷で復活した仙人だそうです。人里で聞いた噂では生前は……というのも変な話ですが、結構偉い方だったようですよ?」
「そんな人がどうしてまたこんなところに? ますます分からないわね。用件は……え? 私に苦情なの?」
「そうみたいです。でも、本気で怒っているというわけでもないようでしたが」
「そう……そうみたいね」
もっともお燐の心から視えるのは、あくまでもお燐の見たイメージに過ぎないわけであって、その認識が正しいかどうかは分からないだが。とはいえ、そこまで大きく外れているということもないだろう。
「どうされます? 会われますか? アポ無しで急に来たわけですし」
さとりはしばし、顎に手を当てた。
「う~ん、でも折角この地底深くまで来て貰ったのだから、そのまま帰って貰うのも悪いわね。でも実際に私が会うと不愉快にさせてしまうかも知れないから、まずはお燐? もう少し詳しく苦情を聞いて……って、え?」
さとりは目を丸くした。お燐もまた少し困ったような表情を浮かべている。
「そう……私の能力を知った上で、それでも私に会いたいというのね? なら、仕方ないわね」
さとりは小さく嘆息した。
「いいわ、応接室にお通しして。くれぐれも、粗相の無いようにね。それと、お茶の用意もお願い。お茶っ葉とお茶菓子は松コースで」
「はい、分かりました。それでは、失礼します」
踵を返し、部屋を出て行くお燐を見送って、さとりは天井を仰いだ。
随分と酔狂なお客様もいたものだと思う。あるいは、ただの馬鹿か。
どのみち、これでもう二度と会うことはないのだろうが……平穏を乱すという意味で、迷惑な来訪者だとも思った。
だから……お持て成しはするが、その好奇心故に傷付いても、それはそれで仕方あるまいと、さとりは罪悪感を覚えるのは止めることにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
若干の緊張と共に、さとりは応接室の扉を開けた。
お燐の心を通して見た限り、来客は少女で、確かに恐そうな印象ではなかったのだが。
「失礼。お待たせしてすみませんね」
「いえ、こちらこそお忙しい中、押しかけてしまってすみません」
苦情を言いに来た……とは思えないほどににこやかな笑顔を豊聡耳神子が浮かべてきた。ミミズクみたいな髪型に耳当てをした、なかなか奇抜なファッションセンスの持ち主だとさとりは思う。
ただし、物腰はあくまでも柔らかいが、持って生まれた気品……だろうか? それ故に隙は見いだせない。
まるで、その透明な眼差しでこちらを見透かされているような……?
笑顔を浮かべたまま、神子が耳当てを外した。
「……えっ!?」
さとりは大きく目を見開いた。
目の前の少女が、信じられない。自席に着くことなく、席の隣で立ち尽くす。
「そんなに固くならなくてもいいですよ? 視えているのでしょう? 確かに私は苦情を言いに来ましたが、怒鳴り込みに来たつもりはありませんから」
「え……ええ。はい、それは勿論……視えているのですが」
神子に促されて我に返り、さとりは自席へと着いた。
「サトリ妖怪……ではありませんね? 記憶や考えていることを読んでいるわけではない。欲を聴き、察し、当人の資質と未来を読み解く……そういうわけですか」
「一部とはいえ、他者の心の中身を見通すという点においては、あなた達と共通している部分もあると思いますけれどね」
そう言って、神子はテーブルに置かれているお茶を啜った。どうやらそれは気に入って貰えたらしい。
「どうやら、用件は苦情を言いに来たというだけではないようですね」
「はい、視ての通りですよ」
「……本当にこんな物好きな人間がいるなんてね。好奇心は猫を殺すという言葉を知らないわけではないでしょうに。いえ、ご自身は返り討ちにする虎だと思っているようですが」
そして、確かにそう思えるだけの胆力もまた兼ね備えている。そう、さとりは神子のことを見積もった。
「怒りましたか? 苦情は確かにありますが、興味本位で見に来られてしまって」
「ん……それは、その……」
神子の問い掛けに、さとりは口ごもる。確かに、好奇心で来たのではあるが、悪意や邪気を神子は持ち合わせていない。だから、どう反応していいのか分からない。自分勝手で無礼だというのは確かで、それは人によっては怒るべきものと考えるのかも知れないが。
神子は微苦笑を浮かべた。
「まず、苦情から言いますか? もう、既にご存じだとは思うのですが」
「ええ、わざわざ話してもらわなくて結構です。でも、そんなことを言われても私には……」
さとりは少し目を伏せた。正直言って、困る。
「ですが、あなたの欲望……色々と迷惑です」
「そのようですね。すみません。いえ、本当に私にはどうしようもないのですけれど」
さとりは顔を赤らめた。
自身の欲望を……心を聴かれるというのがこんなにも恥ずかしいものだとは思わなかった。いや、知ってはいたのだが我が身の物としては実感出来ていなかった。そして、改めて……それは、他人から嫌われるものなのだと思った。心の大切さは、卑しいサトリ妖怪であるが故に、知っているつもりだから。
さとり自身気付いていなかった欲望……いや、もう忘れ去っていたと思っていた「他人と仲良くしたい」「嫌われたくない」「対等な友達が欲しい」……そんな欲望がしょっちゅう神霊となっては神子の下を訪れているのだという。朝昼晩ずっと、ご飯を食べるときもお風呂に入るときも寝るときもお構いなしに。聴いても聴いてもきりがない。
ここまで根性の入ったしつこい神霊はなかなかお目にかかれないと、神子は感心するやら呆れるやらといった具合であった。
「そして、好奇心ですか……そうですね。あなたも私と同じ苦しみを持ちながら生きてきたことは分かります。きっと私も、あなたのことを知っていたのなら、あなたに興味を持ったことと思います。ですから……視させて頂いてます」
そんなことは覚悟していた。神子の心はそう伝えている。そうでなければこうしてここには来ないのだと。そもそも、自分もさとりの欲望を聴いているのだから、その程度のことは気にするほどのことでもないのだと。
だが、やがてさとりは悲しげに首を横に振った。
「あなたは、残酷な人ですね」
「そうかも知れません。何しろ、こうして苦情を言いに来るくらいですから。いえ、実際残酷でしょうね。私は統治の為、己の権力の為、野望の為、そのためにはどんな真似だってしてきましたし」
確かに、神子はさとりと似ている。己の心を読みとられることを恐怖され、忌み嫌われることに悩んだ経験は両者に共通していた。
しかし、神子は耳を覆うことが出来た。己の心を守ることが出来た。そして、嫌われる度合いはさとりよりも圧倒的に少なかった。
さとりが望み続けて、それでも結局手に入れられなかった境遇を神子は手に入れていた。それがさとりには眩しく、そして羨ましく妬ましい。
「私もあなたのようになれないか? 私には無理ですよ。私には目を閉じる方法がありません。いえ、それは地上にはどんな薬でも作れる薬師さんもいるそうなので、その方に目を麻痺させる薬を作って貰えないか頼んでみるという方法もあるのかもしれませんが……。でも、私はサトリ妖怪の性を我慢するのは難しいでしょう。結局……私を忌み嫌う心を視たくないという自分もいますが……綺麗な心も視たいんです。そして恐怖を喰らい、嫌悪を啜りたい自分もいるんです。常に心に飢えた、浅ましい妖怪なのですよ私は」
さとりは自嘲した。
「私とあなたの差は、そこでしょうね。あなたは他人を傷付けない。私も……無闇に傷付けたいとは思いませんが、そこに至るまでの信頼が圧倒的に足りないでしょう。妖怪ですから。築き上げられるとも、もう思えませんし。ふふ……安易に『そんなことはない』などと思ってくれない辺り、儚い希望を見せてくれなくて助かります。ただ、あなたの手段を見せてくれただけにとどめてくれて。まあそれでも充分、私には残酷ですが」
と、さとりは怪訝な表情を浮かべた。
くすくすと、神子が笑いを噛み殺してくる。
「おかしな人ですね。何がそんなにも嬉しいんですか? いえ、視ていますけど……視られて嬉しいって、そんな……訳が分かりません」
精神的な部分をさらけ出したい変態? 恥女? そんなことを思ってしまうがどうやらそういうわけでもなさそうである。
「……え? ええ、まあ……確かに私はあなたに欲を聞かれても恥ずかしいのですが……不快……ではないです。何故かって? それは――」
さとりはその言葉を躊躇する。
口に出さなければ伝えられないことだとは思うが、こう……無理矢理に自分の心を暴かれたようで、それがどうにも抵抗がある。いつもは暴く立場だというのに。
決して、恥ずかしいことを考えているわけではないと思うのだが、自分はこんなにも自分の感情を伝えるのが下手だったのか?
初めての体験に、さとりは戸惑いを隠せない。
「に、にやにやしないで下さいっ! 分かっているんでしょ? そうですよ。私は初対面のあなたを信頼しています。欲を肯定し欲を大切にするあなたが、意味も無く私の心も邪険にはしないって分かってます。ですから……だからっ!」
「ふふっ、恥ずかしさに耐えてよく言えました」
「そこで『ご褒美を上げましょうか?』とか、ドS顔のまま冗談でも思わないで下さいっ! 変な小説の読み過ぎですっ!」
「でも、あなたも嫌いじゃないんでしょ?」
「読むのはですっ! 読むのはっ!」
さとりは真っ赤になって項垂れる。神子の顔を見ることは出来ない。そのくせ、心から目を放すことは出来ない。
そしてやっぱり、自身の心を無理矢理暴かれて恥ずかしいけれど、不快ではないのだ。
「そしてその……分かっています。あなたも私のことを信頼してくれているんですよね? こんな、私のようなサトリ妖怪のことを。だから、嫌悪はしないのだと」
「はい、あなたはあなたが常々心懸けている通りの妖怪ですよ。なので、私もあなたを信頼出来る者だと思いました」
「う……その、有り難うございます」
神子は再びお茶を啜る。やっぱりこのお茶は美味しいという心が視えた。松コースのお持て成しにして良かったと思った。お茶淹れ頑張ったお燐グッジョブ。後でご褒美をあげよう。
「私も嬉しいですよ。あなたが、私の思っていた通り、心の大切さを知っている方で。私と似ていると思った方が荒んでいるようだと、私も残念に思ったことでしょう」
そう言ってくる神子の心もまた、安らいだものだった。そんな安らぎを彼女に与えられたことをさとりは嬉しく思う。どうしても、なかなかそんな反応は始めてで、戸惑ってしまうけれど。
「ですが……信頼してくれるのは嬉しいですが、もし私があなたの考えているような妖怪でなかったらどうしていたんです?」
「んー? そうですねえ」
「なるほど『退治』ですか。分かりやすいですね。でも『そんな可能性は考えていなかった』『他人の心を気にせず貪る輩なら、地底に引きこもったりはしない』……なるほど、そうかも知れませんね」
どうやら、ここに来る前から自分は信用されていたようだ。最初から神子の緊張感は薄かったのも、そういうことだろう。
「そんなにも不思議ですか? 私があなたを信頼することが」
さとりは頷く。
理屈としては分かる。自分で言った通りだ。浅ましいながらもサトリ妖怪としての矜持は持っていて、それを神子は彼女の能力によって理解しているから。
だけど、感情としては納得出来ない。
自分はサトリ妖怪。誰からも忌み嫌われ、それまで生きてきた。そしてこれからも。それを覚悟していた。それが当たり前だった。
「『そういう、始めて綺麗にお化粧をしてもらった女の子のようなウブな反応が可愛らしい』とか……余計なお世話です」
「やれやれ、素直じゃありませんね。あなた自身、視えているんでしょう? 私の能力を通して、あなたの欲望がどんな風に聞こえているのか」
「視ていますが『涎を垂らして悦ぶ犬』みたいなことにはなっていません。おかしなイメージを追加しないでください」
じっとりとした視線をさとりは神子に送った。神子はまったく意に介していないようだが。どうにも迫力が足りない。自分の幼い顔立ちが悩ましい。
そして、どうやらこの道士は思慮深くもありながら、つくづくおちゃらけた性格の持ち主であるらしい。
こうして自分をからかうのが、楽しくて仕方ないようだ。これはこれで、当初思っていたのとは違うけれど、厄介なお客さんだとさとりは思った。
「それに、素直じゃないのはお互い様じゃないですか」
神子が怪訝な表情を浮かべる。その顔に、さとりはふふんと笑みを返した。サトリ妖怪として、やられっぱなしは性に合わない。
「あなたもでしょう? 友人が欲しいのは。慕ってくれる部下がいても、対等な友達がいないから。だから、自分の欲望が何かを知りたくてここに来たんですよあなたは。『そんなことを思考した覚えはない』? 関係ありませんよ。感情が視えれば、その正体も推し量れます。私を挑発するような言動もそうですが……興味を持って欲しいんですよね? この私に」
さとりがどのような妖怪なのかという興味や苦情。それらは決して嘘ではない。だが、その源となる神子の欲望、その正体が彼女自身には分からなかった。だからそこをさとりに視てもらい、正体を知りたい。そんな、神子の好奇心をさとりは暴く。
ああ、やはり人間の心を暴くのは楽しいとさとりは悦に入った。
「……ふぅむ。そうなのですかねー?」
神子はしばし虚空を見上げ、自身の心の中を分析する。自分でも腑に落ちない部分があったのは確かだが、そのもやもやを埋めるパーツとして、欲望の正体はそれほどおかしな形ではないと思ったようだ。同時に、素直に認めることも出来ないようだが。
そんな神子の反応に、さとりはにやにやする。
「どうします? 私への苦情を本当に解決したいというのなら……神子さんも、ちょっとは素直になってみては?」
「そういう話ですか。まったく本当に――」
「ええ、生憎と『素直じゃない』ので」
さとりと神子は互いに白い歯を見せた。それは笑顔であり、同時に威嚇でもある。そんな風に彼女は思う。
そんな顔を突き合わせること約十秒。先に表情を引っ込めたのは神子の方だった。
さとりは、少し寂しく思う。
「すみません。ですが私には結局、友人というのはよく分かりません」
「それは、私も同じ事なのですけれどね?」
そうでした、と神子は苦笑する。さとりもまた妹や、慕ってくれる……家族同然のペットがいても、友人はいない。
そして、神子にとっては霊夢や魔理沙、早苗に妖夢といった面々は友人というほどに特別な交流は無い。そんな必要もないのだから。聖に至っては、間違いなく敵である。
「ですから答えは『保留』ですか。まあ、また来る気のようですけどね。『私を苛めると反応が可愛いから』『お茶が美味しかったから』『そんなのでも迷惑な神霊がやって来ることが減るのなら』……酷い理由ですけど」
しかも、まったくそれで悪びれていない。
さとりは嘆息と共に、苦笑を浮かべた。
「ええ、それでもいいです。気が向いたらで結構ですので、たまには来てください。それと、もうお帰りなのですね?」
「ええ、要件も済みましたし。あんまり長居すると、布都あたりがまた騒ぎを起こしかねないので」
さとりは神子の心に浮かんだ少女を視る。なるほど、これはおちおち目を放していられなさそうだ。
もっとも、自分のところにも異変を起こしてしまったペットがいるので、あんまり野放しにしていられないのはそうなのだが。放任主義もほどほどにしないといけないと、ちょっぴり思う。
「ふふっ、そうですか」
微笑みを浮かべる神子に、さとりもまた微笑みを浮かべた。
そして、さとりも立ち上がり、神子を見送ることにした。
早くまた来てくれないだろうかと、そんな欲望が聴かれないことを祈りながら。
“聴こえていますよ?”
「ふぉっ!?」
神子の指摘に、さとりはびくりと体を震わせた。
鼻歌を歌いながら再び耳当てをする神子を前に、さとりはリベンジを誓った。
―END―
自室にやってきたお燐の報告が、ちょっと意外だった。てっきり、また地獄で怨霊が暴れたとか、お空が暴れたとかそんな話だと思ったのだが。こいしが消えるのはいつも通りだ。それも心配だが。
「いや、そんな驚いた顔しないで下さいよ。まあ、さとり様にしてみれば、そうかも知れませんが」
苦笑を浮かべてくるお燐に、さとりもまた同じ様な表情を浮かべた。
「ごめんなさい。でも、あまりにも意外だったから。……私に来客ですって?」
「はい」
地霊殿に来客はほとんどいない。
日々の変化があるとすれば、ペット成長と怨霊達の増減くらいか。
代わり映えのない日々、そして平穏な日々が延々と続いていくのみだ。閉じられた楽園だと、彼女は思っている。
「しかも地上から? 巫女……ではないみたいね、魔法使いでもないみたい。鴉天狗達とも違うわね。誰なのかしら?」
さとりはお燐の心を覗いてみるが、一度も出会ったことのない相手だ。
「はい。豊聡耳神子という方だそうです。何でも、ここ最近になってこの幻想郷で復活した仙人だそうです。人里で聞いた噂では生前は……というのも変な話ですが、結構偉い方だったようですよ?」
「そんな人がどうしてまたこんなところに? ますます分からないわね。用件は……え? 私に苦情なの?」
「そうみたいです。でも、本気で怒っているというわけでもないようでしたが」
「そう……そうみたいね」
もっともお燐の心から視えるのは、あくまでもお燐の見たイメージに過ぎないわけであって、その認識が正しいかどうかは分からないだが。とはいえ、そこまで大きく外れているということもないだろう。
「どうされます? 会われますか? アポ無しで急に来たわけですし」
さとりはしばし、顎に手を当てた。
「う~ん、でも折角この地底深くまで来て貰ったのだから、そのまま帰って貰うのも悪いわね。でも実際に私が会うと不愉快にさせてしまうかも知れないから、まずはお燐? もう少し詳しく苦情を聞いて……って、え?」
さとりは目を丸くした。お燐もまた少し困ったような表情を浮かべている。
「そう……私の能力を知った上で、それでも私に会いたいというのね? なら、仕方ないわね」
さとりは小さく嘆息した。
「いいわ、応接室にお通しして。くれぐれも、粗相の無いようにね。それと、お茶の用意もお願い。お茶っ葉とお茶菓子は松コースで」
「はい、分かりました。それでは、失礼します」
踵を返し、部屋を出て行くお燐を見送って、さとりは天井を仰いだ。
随分と酔狂なお客様もいたものだと思う。あるいは、ただの馬鹿か。
どのみち、これでもう二度と会うことはないのだろうが……平穏を乱すという意味で、迷惑な来訪者だとも思った。
だから……お持て成しはするが、その好奇心故に傷付いても、それはそれで仕方あるまいと、さとりは罪悪感を覚えるのは止めることにした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
若干の緊張と共に、さとりは応接室の扉を開けた。
お燐の心を通して見た限り、来客は少女で、確かに恐そうな印象ではなかったのだが。
「失礼。お待たせしてすみませんね」
「いえ、こちらこそお忙しい中、押しかけてしまってすみません」
苦情を言いに来た……とは思えないほどににこやかな笑顔を豊聡耳神子が浮かべてきた。ミミズクみたいな髪型に耳当てをした、なかなか奇抜なファッションセンスの持ち主だとさとりは思う。
ただし、物腰はあくまでも柔らかいが、持って生まれた気品……だろうか? それ故に隙は見いだせない。
まるで、その透明な眼差しでこちらを見透かされているような……?
笑顔を浮かべたまま、神子が耳当てを外した。
「……えっ!?」
さとりは大きく目を見開いた。
目の前の少女が、信じられない。自席に着くことなく、席の隣で立ち尽くす。
「そんなに固くならなくてもいいですよ? 視えているのでしょう? 確かに私は苦情を言いに来ましたが、怒鳴り込みに来たつもりはありませんから」
「え……ええ。はい、それは勿論……視えているのですが」
神子に促されて我に返り、さとりは自席へと着いた。
「サトリ妖怪……ではありませんね? 記憶や考えていることを読んでいるわけではない。欲を聴き、察し、当人の資質と未来を読み解く……そういうわけですか」
「一部とはいえ、他者の心の中身を見通すという点においては、あなた達と共通している部分もあると思いますけれどね」
そう言って、神子はテーブルに置かれているお茶を啜った。どうやらそれは気に入って貰えたらしい。
「どうやら、用件は苦情を言いに来たというだけではないようですね」
「はい、視ての通りですよ」
「……本当にこんな物好きな人間がいるなんてね。好奇心は猫を殺すという言葉を知らないわけではないでしょうに。いえ、ご自身は返り討ちにする虎だと思っているようですが」
そして、確かにそう思えるだけの胆力もまた兼ね備えている。そう、さとりは神子のことを見積もった。
「怒りましたか? 苦情は確かにありますが、興味本位で見に来られてしまって」
「ん……それは、その……」
神子の問い掛けに、さとりは口ごもる。確かに、好奇心で来たのではあるが、悪意や邪気を神子は持ち合わせていない。だから、どう反応していいのか分からない。自分勝手で無礼だというのは確かで、それは人によっては怒るべきものと考えるのかも知れないが。
神子は微苦笑を浮かべた。
「まず、苦情から言いますか? もう、既にご存じだとは思うのですが」
「ええ、わざわざ話してもらわなくて結構です。でも、そんなことを言われても私には……」
さとりは少し目を伏せた。正直言って、困る。
「ですが、あなたの欲望……色々と迷惑です」
「そのようですね。すみません。いえ、本当に私にはどうしようもないのですけれど」
さとりは顔を赤らめた。
自身の欲望を……心を聴かれるというのがこんなにも恥ずかしいものだとは思わなかった。いや、知ってはいたのだが我が身の物としては実感出来ていなかった。そして、改めて……それは、他人から嫌われるものなのだと思った。心の大切さは、卑しいサトリ妖怪であるが故に、知っているつもりだから。
さとり自身気付いていなかった欲望……いや、もう忘れ去っていたと思っていた「他人と仲良くしたい」「嫌われたくない」「対等な友達が欲しい」……そんな欲望がしょっちゅう神霊となっては神子の下を訪れているのだという。朝昼晩ずっと、ご飯を食べるときもお風呂に入るときも寝るときもお構いなしに。聴いても聴いてもきりがない。
ここまで根性の入ったしつこい神霊はなかなかお目にかかれないと、神子は感心するやら呆れるやらといった具合であった。
「そして、好奇心ですか……そうですね。あなたも私と同じ苦しみを持ちながら生きてきたことは分かります。きっと私も、あなたのことを知っていたのなら、あなたに興味を持ったことと思います。ですから……視させて頂いてます」
そんなことは覚悟していた。神子の心はそう伝えている。そうでなければこうしてここには来ないのだと。そもそも、自分もさとりの欲望を聴いているのだから、その程度のことは気にするほどのことでもないのだと。
だが、やがてさとりは悲しげに首を横に振った。
「あなたは、残酷な人ですね」
「そうかも知れません。何しろ、こうして苦情を言いに来るくらいですから。いえ、実際残酷でしょうね。私は統治の為、己の権力の為、野望の為、そのためにはどんな真似だってしてきましたし」
確かに、神子はさとりと似ている。己の心を読みとられることを恐怖され、忌み嫌われることに悩んだ経験は両者に共通していた。
しかし、神子は耳を覆うことが出来た。己の心を守ることが出来た。そして、嫌われる度合いはさとりよりも圧倒的に少なかった。
さとりが望み続けて、それでも結局手に入れられなかった境遇を神子は手に入れていた。それがさとりには眩しく、そして羨ましく妬ましい。
「私もあなたのようになれないか? 私には無理ですよ。私には目を閉じる方法がありません。いえ、それは地上にはどんな薬でも作れる薬師さんもいるそうなので、その方に目を麻痺させる薬を作って貰えないか頼んでみるという方法もあるのかもしれませんが……。でも、私はサトリ妖怪の性を我慢するのは難しいでしょう。結局……私を忌み嫌う心を視たくないという自分もいますが……綺麗な心も視たいんです。そして恐怖を喰らい、嫌悪を啜りたい自分もいるんです。常に心に飢えた、浅ましい妖怪なのですよ私は」
さとりは自嘲した。
「私とあなたの差は、そこでしょうね。あなたは他人を傷付けない。私も……無闇に傷付けたいとは思いませんが、そこに至るまでの信頼が圧倒的に足りないでしょう。妖怪ですから。築き上げられるとも、もう思えませんし。ふふ……安易に『そんなことはない』などと思ってくれない辺り、儚い希望を見せてくれなくて助かります。ただ、あなたの手段を見せてくれただけにとどめてくれて。まあそれでも充分、私には残酷ですが」
と、さとりは怪訝な表情を浮かべた。
くすくすと、神子が笑いを噛み殺してくる。
「おかしな人ですね。何がそんなにも嬉しいんですか? いえ、視ていますけど……視られて嬉しいって、そんな……訳が分かりません」
精神的な部分をさらけ出したい変態? 恥女? そんなことを思ってしまうがどうやらそういうわけでもなさそうである。
「……え? ええ、まあ……確かに私はあなたに欲を聞かれても恥ずかしいのですが……不快……ではないです。何故かって? それは――」
さとりはその言葉を躊躇する。
口に出さなければ伝えられないことだとは思うが、こう……無理矢理に自分の心を暴かれたようで、それがどうにも抵抗がある。いつもは暴く立場だというのに。
決して、恥ずかしいことを考えているわけではないと思うのだが、自分はこんなにも自分の感情を伝えるのが下手だったのか?
初めての体験に、さとりは戸惑いを隠せない。
「に、にやにやしないで下さいっ! 分かっているんでしょ? そうですよ。私は初対面のあなたを信頼しています。欲を肯定し欲を大切にするあなたが、意味も無く私の心も邪険にはしないって分かってます。ですから……だからっ!」
「ふふっ、恥ずかしさに耐えてよく言えました」
「そこで『ご褒美を上げましょうか?』とか、ドS顔のまま冗談でも思わないで下さいっ! 変な小説の読み過ぎですっ!」
「でも、あなたも嫌いじゃないんでしょ?」
「読むのはですっ! 読むのはっ!」
さとりは真っ赤になって項垂れる。神子の顔を見ることは出来ない。そのくせ、心から目を放すことは出来ない。
そしてやっぱり、自身の心を無理矢理暴かれて恥ずかしいけれど、不快ではないのだ。
「そしてその……分かっています。あなたも私のことを信頼してくれているんですよね? こんな、私のようなサトリ妖怪のことを。だから、嫌悪はしないのだと」
「はい、あなたはあなたが常々心懸けている通りの妖怪ですよ。なので、私もあなたを信頼出来る者だと思いました」
「う……その、有り難うございます」
神子は再びお茶を啜る。やっぱりこのお茶は美味しいという心が視えた。松コースのお持て成しにして良かったと思った。お茶淹れ頑張ったお燐グッジョブ。後でご褒美をあげよう。
「私も嬉しいですよ。あなたが、私の思っていた通り、心の大切さを知っている方で。私と似ていると思った方が荒んでいるようだと、私も残念に思ったことでしょう」
そう言ってくる神子の心もまた、安らいだものだった。そんな安らぎを彼女に与えられたことをさとりは嬉しく思う。どうしても、なかなかそんな反応は始めてで、戸惑ってしまうけれど。
「ですが……信頼してくれるのは嬉しいですが、もし私があなたの考えているような妖怪でなかったらどうしていたんです?」
「んー? そうですねえ」
「なるほど『退治』ですか。分かりやすいですね。でも『そんな可能性は考えていなかった』『他人の心を気にせず貪る輩なら、地底に引きこもったりはしない』……なるほど、そうかも知れませんね」
どうやら、ここに来る前から自分は信用されていたようだ。最初から神子の緊張感は薄かったのも、そういうことだろう。
「そんなにも不思議ですか? 私があなたを信頼することが」
さとりは頷く。
理屈としては分かる。自分で言った通りだ。浅ましいながらもサトリ妖怪としての矜持は持っていて、それを神子は彼女の能力によって理解しているから。
だけど、感情としては納得出来ない。
自分はサトリ妖怪。誰からも忌み嫌われ、それまで生きてきた。そしてこれからも。それを覚悟していた。それが当たり前だった。
「『そういう、始めて綺麗にお化粧をしてもらった女の子のようなウブな反応が可愛らしい』とか……余計なお世話です」
「やれやれ、素直じゃありませんね。あなた自身、視えているんでしょう? 私の能力を通して、あなたの欲望がどんな風に聞こえているのか」
「視ていますが『涎を垂らして悦ぶ犬』みたいなことにはなっていません。おかしなイメージを追加しないでください」
じっとりとした視線をさとりは神子に送った。神子はまったく意に介していないようだが。どうにも迫力が足りない。自分の幼い顔立ちが悩ましい。
そして、どうやらこの道士は思慮深くもありながら、つくづくおちゃらけた性格の持ち主であるらしい。
こうして自分をからかうのが、楽しくて仕方ないようだ。これはこれで、当初思っていたのとは違うけれど、厄介なお客さんだとさとりは思った。
「それに、素直じゃないのはお互い様じゃないですか」
神子が怪訝な表情を浮かべる。その顔に、さとりはふふんと笑みを返した。サトリ妖怪として、やられっぱなしは性に合わない。
「あなたもでしょう? 友人が欲しいのは。慕ってくれる部下がいても、対等な友達がいないから。だから、自分の欲望が何かを知りたくてここに来たんですよあなたは。『そんなことを思考した覚えはない』? 関係ありませんよ。感情が視えれば、その正体も推し量れます。私を挑発するような言動もそうですが……興味を持って欲しいんですよね? この私に」
さとりがどのような妖怪なのかという興味や苦情。それらは決して嘘ではない。だが、その源となる神子の欲望、その正体が彼女自身には分からなかった。だからそこをさとりに視てもらい、正体を知りたい。そんな、神子の好奇心をさとりは暴く。
ああ、やはり人間の心を暴くのは楽しいとさとりは悦に入った。
「……ふぅむ。そうなのですかねー?」
神子はしばし虚空を見上げ、自身の心の中を分析する。自分でも腑に落ちない部分があったのは確かだが、そのもやもやを埋めるパーツとして、欲望の正体はそれほどおかしな形ではないと思ったようだ。同時に、素直に認めることも出来ないようだが。
そんな神子の反応に、さとりはにやにやする。
「どうします? 私への苦情を本当に解決したいというのなら……神子さんも、ちょっとは素直になってみては?」
「そういう話ですか。まったく本当に――」
「ええ、生憎と『素直じゃない』ので」
さとりと神子は互いに白い歯を見せた。それは笑顔であり、同時に威嚇でもある。そんな風に彼女は思う。
そんな顔を突き合わせること約十秒。先に表情を引っ込めたのは神子の方だった。
さとりは、少し寂しく思う。
「すみません。ですが私には結局、友人というのはよく分かりません」
「それは、私も同じ事なのですけれどね?」
そうでした、と神子は苦笑する。さとりもまた妹や、慕ってくれる……家族同然のペットがいても、友人はいない。
そして、神子にとっては霊夢や魔理沙、早苗に妖夢といった面々は友人というほどに特別な交流は無い。そんな必要もないのだから。聖に至っては、間違いなく敵である。
「ですから答えは『保留』ですか。まあ、また来る気のようですけどね。『私を苛めると反応が可愛いから』『お茶が美味しかったから』『そんなのでも迷惑な神霊がやって来ることが減るのなら』……酷い理由ですけど」
しかも、まったくそれで悪びれていない。
さとりは嘆息と共に、苦笑を浮かべた。
「ええ、それでもいいです。気が向いたらで結構ですので、たまには来てください。それと、もうお帰りなのですね?」
「ええ、要件も済みましたし。あんまり長居すると、布都あたりがまた騒ぎを起こしかねないので」
さとりは神子の心に浮かんだ少女を視る。なるほど、これはおちおち目を放していられなさそうだ。
もっとも、自分のところにも異変を起こしてしまったペットがいるので、あんまり野放しにしていられないのはそうなのだが。放任主義もほどほどにしないといけないと、ちょっぴり思う。
「ふふっ、そうですか」
微笑みを浮かべる神子に、さとりもまた微笑みを浮かべた。
そして、さとりも立ち上がり、神子を見送ることにした。
早くまた来てくれないだろうかと、そんな欲望が聴かれないことを祈りながら。
“聴こえていますよ?”
「ふぉっ!?」
神子の指摘に、さとりはびくりと体を震わせた。
鼻歌を歌いながら再び耳当てをする神子を前に、さとりはリベンジを誓った。
―END―
似て非なる二人だから
お互いにお互いをわかり会えるということですね。
おもしろかったです。
とても面白かったです
似ている二人が出会ったとき、一体どんな反応を見せるのか? それが自分も見てみたくてこんな話を書きました。
同じ様な悦びと悩みを抱える者同士、きっと深く理解し合えるのではないかと自分も思います。
拙作をお読み頂き、有り難うございます。
>4さん
こちらこそ、お粗末様でした。
拙作をお読み頂き、多謝です。
>奇声を発する程度の能力さん
有り難うございます。面白いと言っていただけで嬉しい限りです。
拙作をお読み頂き、多謝です。
このふてぶてしさが羨ましい・・・
話の流れも自然な雰囲気で良かった。
神子様大したお人やでえ