『彼岸の裁判所。本日休廷』
裁きを待つ幽霊もおらず、小間使いの鬼や役人もいない閑散とした裁判所。
開店休業状態なのも外聞が悪いということで、数日の間だけ休廷するという運びになった。
当直の役人以外は皆が休暇を貰い、思い思いに過ごしている中。
一人の少女が裁判官席に手持ち無沙汰に座っている。
机の上の書類は全て片付けられ、特に何かをしている様子もない。
その目にいつもの鋭さは無く。
久方ぶりの休日を持て余し、ぼんやりと虚空を睨んでいる。
その視線の先に、唐突に幕が下ろされる。
「彼岸なう」
割れた空間のスキマから、にゅるりと妖艶な女性の手足が生えてくる。
ひらひらと手足を踊らせ、ゆっくりと這い出してくる。
床に降り立ち、厳粛な法廷に相応しくない妖艶な雰囲気を遺憾無く発散させている。
楽園の最高裁判長がそれを見るともなく見て、溜息を吐く。
「予想はしていましたが。こういう時に限って自らやってくるのですね」
四季映姫が、やれやれといった様子で首を振る。
胡散臭い妖怪が、それに向かって真顔でピースサインを送る。
「ごきげんよう、八雲紫。今日が非番なのが非常に悔やまれます」
「ご機嫌麗しゅう、幻想郷の誇る説教魔さん。貴女が非番の日でもなければ、態々こんな所まで来ませんわ」
本日仕事放棄中の閻魔様と、前科百犯は軽くありそうな胡散臭い大妖怪。
その二人がにこやかに睨み合う。
しばらく見つめ合った後、紫がつかつかと被告人席まで移動する。
そこにある粗末な椅子を愛おしそうに撫でた後、四季映姫に視線を送る。
「案外、座り心地が良さそうね」
被告人用の粗末な椅子に、しゃなりと座り込む。
本来ならそこに座るのは、これから罪を裁かれる幽霊たち。
自らの罪の重さに慄き、嘆きの声を上げる場所。
面白半分で座っていい場所ではない。
「一体どうすれば、貴女の性根を叩き直してやれるんでしょうね」
悔悟棒でぺちぺちと机を叩き、我が物顔で椅子を占有する紫を恨めしそうに眺めている。
その姿を見て、紫が勝ち誇ったようににっこりと微笑みかける。
その生きてきた歳月相応に、妖艶で、胡散臭い極上の笑みを。
裁く者と裁かれる者。
裁判官席に座っている四季映姫の方が、圧倒的優位な立場にいるはずなのに。
今だけは、被告人席に座っている紫の方が精神的優位に立っている。
部下に暇を出し、休廷にすると決めた以上、急にそれを覆すわけにもいかない。
私が働いてしまっては、他の者が気兼ねなく休む事が出来なくなる。
それを分かっているから、紫もこのような神をも怖れぬ行動が取れるのだ。
「それで、一体何をしにここまで来たのですか?
わざわざ彼岸のこちら側まで来たのですから、相応に重要な用件が……」
そこまで言って、少し考える。
余所を向いて少し唸ってから。
「無いですね」
迷いの無い目で、きっぱりと言い放つ。その姿に後光が差す。
「どうせ冷やかしに来たのでしょう。貴女はそういう妖怪です」
ふふりと口元に笑みを浮かべ、そうねと同意の言葉を口にする。
「貴女を冷やかせる、千載一遇のこの機会を逃すわけにはいかないもの」
顔を扇子で隠し、ころころと笑う。
それを見て四季映姫が、むーと眉を顰めている。
「休日ということは分かったけど。それならどうしてこんなところに一人でいるの?」
二人の他には、当直の役人が数人、隅の方で碁を打って遊んでいるくらい。
本日休廷の張り紙が風に揺れ、場末感が漂っている。
人気の無い廷内を見渡し、はっきりとした口調で言い放つ。
「ここが一番落ち着くのです」
「お地蔵さんみたいね」
「ふむ」
地蔵という言葉を聞いて、一人得心し、満足げに頷いている。
そして、一言付け加える。
「いつもは霊や役人でごった返すこの場所が、こんなにも静かで人気がないのを見るのは面白いものがありまして」
それには紫も同意する。
「ああ、分かるわ。誰もいない都心って、心惹かれるものがあるわよね。
廃墟とは違って生活臭があって、数時間もしないうちに人でごった返す。
たった数分の無人世界。すごく良いわよね」
「例えは分かりませんでしたが、恐らく同じようなものなのでしょう」
「これから見に行きます?」
紫が指の先に小さなスキマを作る。
目を凝らして覗き込めば、その先にある何かを見つけられそうな小さな世界の割れ目。
それを興味無さそうに一瞥し、拒絶する。
「遠慮しておきましょう。気軽に外の世界に行っては他の者に示しがつきませんので」
「ばれなきゃいいのよ」
「裁かれない罪など無いのですよ?」
「あら怖い。それじゃあ、裁かれないように気をつけないと」
八雲紫がぺろりと舌を出す。その姿は怖がっているようには見えない。
「私の任期中に、貴女を裁くのが使命ですね」
厄介な妖怪を前に己の決意を新たにする。
そして、悔悟棒を遠くの八雲紫に突きつける。
「それはそうと八雲紫」
「なんでしょう、四季映姫裁判長殿」
「何かしましたか?」
「質問の意図が分かりません」
涼しい顔をして映姫の詰問を受け流す。
「この平穏のことですよ。
60年に1度程度の事とは言え、ここまで綺麗さっぱり仕事が無くなってしまうなんて普通ではありえません。
そしていつもは逃げ回っている癖に、こういう時だけ目聡く察して冷やかしに来る貴女の存在。
これで何もしてないとは思えません」
紫がスキマ越しに、四季映姫の持つ悔悟棒の先を指で逸らす。
「イエスとも言えるし、いいえとも言えるわね」
「玉虫色の答えは嫌いです」
紫が間を置いて、映姫の尋問に答える。
「私は何もしていません。ただの偶然でしょう」
「貴女が直接的に何かをした証拠は無い。ですがおぼろげな確証はある。だから、判断に困っているのです」
「考えすぎよ。私はこれを予測して、ほんの少しお膳立てしただけ。何か特別なことをしたわけでは無いわ」
「未来予知ができるのですか。それは初耳ですね」
事情聴取をしているような映姫の鋭い視線を受け流し、柔らかく微笑みかける。
ピアノを弾くように、手袋に包まれた指で宙を撫でる。
「予測と言っても、そんな大層なものではありませんわ。
これから先、当然起こるであろうことが少しだけ先読み出来る。ただそれだけのこと。
この先に○○があります。そういった道路標識がはっきりと見えるだけです。
後はそれに従い、道を外れないよう少し誘導するだけ。するとあら不思議。望む未来が思いのまま」
運命を選び取るかのように、糸を紡ぐように指を運ぶ。
映姫が暫く瞑目して考える。
「心情的には黒ですね」
「そうかしら」
「聞く所によると天気予報が出来る程度の物のようですし。罰する必要もないでしょう。
ただし、少々度が過ぎている可能性もあります」
「それで裁判長。判決の方は?」
「今日は仕事をしないと決めているのです。それでも判決を下せというのなら、証拠不十分で白です」
「そうよね。私は何もしてないんだもの」
「高度な演算能力の延長だとでも思っておきます。幻想郷を統べる者には、その程度の知恵も必要でしょう。
境界を弄って悪さをしていないのなら問題はありません。
私としても部下の骨休めができますし。
何より人が死なない日は、そんなに悪いものではありません」
満足そうに頷く紫の勝ち誇った顔を見ないように目を逸らす。
「ところで四季映姫様。お外が見てみたくはありませんか?」
「外遊は厳禁です」
「未来予知の一環ですよ。いずれ幻想になるであろう物を調べ、脅威に備える。大義名分は立ちますわ」
「私の心情の問題です」
「相変わらず堅苦しくて面倒臭い人ねえ」
「そういう役職ですから」
幻想の賢者が、くるくると指で円を描く。
「それじゃ、人気の無い隠れ家に案内しましょう。そこなら幻想郷の内ですし、人目につきません。
息抜きには丁度いいと思います。
最高裁判長たる者がその辺をうろうろしてては、他の者の迷惑になるでしょう?」
少し考えた後、悪くない提案だと首肯する。
「お願いします」
「畏まりました。スキマツアーに一名様ご案内~♪」
紫が2つほど手を叩くと、スキマが現れ2人をどこかへ運んでしまう。
移動が人目に付かず時間も要らない。絶好の移動手段である。
☆
場所は森の中に佇む小さな五合庵。
年季が入っているがしっかりとした造りで。管理が行き届いているおかげで汚れた感じは全くしない。
人の住家から遠く離れ、隠遁するのにもってこいな隠れ家である。
そこから幻想郷を眺め、世の中の流れをしばし観察する。
「ふむ」
「どうかしたかしら」
「いえ。どこかに綻びや歪みがあるかと思えば、全くそんなことがないのですね」
「物事があるように流れる。その上で偶然起こったことなのです。
歪みや綻びが生じないからこそ、予測も立てやすいのです」
「大道に反せず、物事の理を知る。長く生きてるとそういうことも出来るようになるのですね」
「十分なデータと簡単な法則さえ見つけてしまえば、誰にだって出来ますよ。
勿論、程度の差こそありますがね」
「ふむ」
「未来予測に興味がおありで?」
「面白い話だとは思います」
「これから起こるであろう悪行の防止になると思いますが」
「防止策を取るより、そのようなことを起こさないように性根を叩き直す。
それが私が積める善行と思います」
「ふぅん。根本的解決というわけね。いいと思います」
「理解を示していただけてありがたいです」
縁側でお茶を飲む。
裁く者と、本来裁かれるべき者。
非番という非日常だからこそ起こる非常識。
全ての説法も啓蒙も等しく与太話。
幻想郷らしい大らかさである。
「それはそうと。何故ほうじ茶なのです?」
「京番茶よ。一番良いところ以外の、葉やら枝やらをまとめて燻して作るお茶っ葉。
1級品ばかり飲むのも嫌味だと思ってね。香ばしくて飲みやすくて、水代わりに丁度いいでしょう」
「おいしいですね。清濁併せ呑めといわれているようなのが若干癪ですしけど。
そもそもこれ、ぶぶ漬けのお茶ですよね?」
「なんのことかしら?」
ころころと笑う紫の顔から、真意を読み取るのは難しい。
長く生き過ぎた胡散臭い妖怪は巧妙に本音を隠す。本音がなくても、何か隠してるように感じさせる。
映姫もそれを分かっていて、追求は無駄と悟り、それ以上の深読みを諦める。
「まあいいです。ところで私はいつの間に着替えたのでしょう」
四季映姫の服装はいつもの裁判官服ではなく。黒のセーラー服に白のスカーフという女学生スタイル。
緑に輝く控え目なアクセサリーがアクセントになっているが、全体的に喪服のようなシックな装いになっている。
「スキマが一瞬でやってくれました」
どや顔を向ける紫の顔に、条件反射のパンチがめり込む。
そしてすぐにまたお茶に戻る。
「休日くらい堅苦しい服は脱ぎなさいな」
「だからといってこれはどうなのでしょう。
動き易いのは認めますが、幻想郷ではあまりメジャーな服とは言えません」
「私の趣味よ。どうせ見に来る人もいないのだから何だっていいじゃない」
「それならそもそも着替える必要も」
「オンとオフの切り替えは大事よ? 私服くらい遊んだって良いじゃない」
「主に貴女の趣味ですよね」
「真面目で野暮ったい娘を開発するのは楽しいわよね」
「そういうものですか」
「そういうものです」
「説教も封印していると手持ち無沙汰でいけませんね」
「何かして遊びましょうか」
「何をするんです」
「ここでの遊びと言えば、一つしかないでしょう」
「そうですね。貴女を懲らしめるのに丁度いい」
「たまには一方的にやられるのも悪くはありませんよ?」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。貴女の泣き顔も見てみたいですし」
「できるといいですね」
「やりますよ」
「では」
☆
「私はてっきり、弾幕ごっこかと思ったのですが」
八雲紫が盤上を睨みながら、ぱちぱちと石で遊ぶ。
「それもよかったのですが、このように静かな場所で暴れるのは、些か無粋と思いまして」
ぱちりと、四季映姫が品良く石を置く。
「それにしても、何故これを選んだのです?」
ぱちん、ぱちんとリズムよく石を置く。
「いいじゃないですか、囲碁。好きですよ。白黒はっきりしてて。
オセロも悪くはないのですが、簡単に白黒ひっくり返るところが気に入りません」
映姫が白で、紫が黒。
盤上が白と黒の2色で埋め尽くされていく。
その様を勝ち負けとは別に、美しい物を見るかのように眺めて楽しんでいる。
八雲紫は勝負は真面目にやりながら、どこか不満そうな顔をしている。
「いいのですが、こう、なんというか」
「奥歯に物が挟まったような物言いは嫌いです」
映姫のきっぱりとした言葉と、力強い石の置き方に圧倒され、紫が観念して本音を語る。
「縁側で碁をしてると、年寄りみたいで嫌だなあと」
その言葉を聞いて、映姫が控え目に笑う。
「十分年寄りですよ。貴女も私も」
「少女です」
「それはそうと紫」
「なんでしょう映姫様」
「貴女、引き分けにしようとしてません?」
「おや、ばれてしまいましたか」
勝負は一進一退。白熱した勝負に見えている。
しかし紫の本来の実力なら、もっと一方的な試合になっていてもおかしくはない。
そうならないのは、紫が遊んでいるからに他ならない。
「遊びで熱くなるつもりはありませんが、白黒つかないのは嫌いです。本気でかかってきなさい」
「それだとワンサイドゲームになってしまうので、私がつまりません」
「言うようになりましたね」
「こういうのはどうでしょう。引き分けに出来たら私の勝ち。それ以外なら貴女の勝ち」
「私が負けても、私の勝ちということですか。いやらしい」
「別にわざと負けもいいですよ。貴女のプライドが許すなら」
ぱちん。ぱちん。
「いいでしょう。その勝負乗りました。何事も貴女の予想通りに事が進むと思わないことですね」
「それじゃあ本気で相手してあげましょう。白黒つかないように」
☆
「29戦3敗26引き分け。まあ、こんなものかしら」
「むう」
「筋は良いけど読み易いのよね。もっと老獪な手が欲しいところよね」
「やはり、読み合いでは分が悪いですか」
「性格の問題かしら」
「次は勝ちます」
「残念ですが、これで終わりです」
「勝ち逃げは許しません」
「私は一度も勝っていませんよ」
「そのような詭弁は通りません」
「もう日も替わります。眠いので帰って寝ます」
「夜は妖怪の時間じゃないんですか」
「珍しく朝から起きてたせいで、生活リズムが狂って眠いのです」
「分かりました。雪辱戦はまたの機会にしましょう。あまり白熱して、明日の仕事に障っても困ります」
「そうですね。私のお尻を追いかける暇がないくらい多忙を極めてもらいたいものです」
「閻魔の多忙を望むのは不謹慎と思いますが、貴女はそもそも妖怪ですものね」
「そういうことです。人の命は碁石の一つと同じ程度にしか感じません」
「それでも、上等な物とそうでない物の区別はあるでしょう」
「ノーコメントで」
黒と白が並んだ碁盤がスキマに吸い込まれる。
映姫が名残惜しそうにそれを見つめている。
「それでは今日はこの辺で。またお休みの日にでも遊びましょう」
「私は休日以外にもお会いしたいですがね」
「お説教を封印して頂けるのなら、それでも構いません」
「考えておきましょう」
「あら、お優しいのね」
「幻想郷を守護する者との対話は無益ではありません。
気付かされる事も多いので、本当ならもっとお話ししたいところです」
ぎろりと紫を睨み、一言付け加える。
「貴女がそんな態度でなければ、ね」
「あら。それは失礼」
くねくねと体を踊らせ、スカートを翻す。
「全く。貴女がそういう妖怪だからこそ作ることが出来た楽園なのかもしれませんが。
貴女はもう少し」
「今日は働かないんじゃなかったのかしら?」
最高裁判長が言葉に詰まる。
言うべきこと、言いたい事。それらと休業日とを秤にかける。
「おやすみなさ~い」
「あ、こら。待ちなさ」
映姫が何かを言う前に、さっさとスキマの向こう側に消えてしまう。
いつもこんな具合に逃げられる。
追跡は困難だと知っているから、映姫もそれ以上後を追おうとしない。
一息ついて、小屋からの景色を一望する。
そして、おもむろに立ち上がる。
「幻想郷の住人たちがきちんと善行を積んでいるか、休日返上で見て回ることにしましょうか」
空に飛び上がり、人のいそうな場所へとふわりふわりと飛んで行く。
ここがどこかは分からない。
幻想郷はそこまで広くは無い。
適当に飛んでも、それらしいところに着くものだ。
下に行けば地底に。上に行けば天界に。
まずは分かり易く、東の果てを目指しましょう。
そこにいるであろう、ぐうたらな巫女を説教しに。
裁きを待つ幽霊もおらず、小間使いの鬼や役人もいない閑散とした裁判所。
開店休業状態なのも外聞が悪いということで、数日の間だけ休廷するという運びになった。
当直の役人以外は皆が休暇を貰い、思い思いに過ごしている中。
一人の少女が裁判官席に手持ち無沙汰に座っている。
机の上の書類は全て片付けられ、特に何かをしている様子もない。
その目にいつもの鋭さは無く。
久方ぶりの休日を持て余し、ぼんやりと虚空を睨んでいる。
その視線の先に、唐突に幕が下ろされる。
「彼岸なう」
割れた空間のスキマから、にゅるりと妖艶な女性の手足が生えてくる。
ひらひらと手足を踊らせ、ゆっくりと這い出してくる。
床に降り立ち、厳粛な法廷に相応しくない妖艶な雰囲気を遺憾無く発散させている。
楽園の最高裁判長がそれを見るともなく見て、溜息を吐く。
「予想はしていましたが。こういう時に限って自らやってくるのですね」
四季映姫が、やれやれといった様子で首を振る。
胡散臭い妖怪が、それに向かって真顔でピースサインを送る。
「ごきげんよう、八雲紫。今日が非番なのが非常に悔やまれます」
「ご機嫌麗しゅう、幻想郷の誇る説教魔さん。貴女が非番の日でもなければ、態々こんな所まで来ませんわ」
本日仕事放棄中の閻魔様と、前科百犯は軽くありそうな胡散臭い大妖怪。
その二人がにこやかに睨み合う。
しばらく見つめ合った後、紫がつかつかと被告人席まで移動する。
そこにある粗末な椅子を愛おしそうに撫でた後、四季映姫に視線を送る。
「案外、座り心地が良さそうね」
被告人用の粗末な椅子に、しゃなりと座り込む。
本来ならそこに座るのは、これから罪を裁かれる幽霊たち。
自らの罪の重さに慄き、嘆きの声を上げる場所。
面白半分で座っていい場所ではない。
「一体どうすれば、貴女の性根を叩き直してやれるんでしょうね」
悔悟棒でぺちぺちと机を叩き、我が物顔で椅子を占有する紫を恨めしそうに眺めている。
その姿を見て、紫が勝ち誇ったようににっこりと微笑みかける。
その生きてきた歳月相応に、妖艶で、胡散臭い極上の笑みを。
裁く者と裁かれる者。
裁判官席に座っている四季映姫の方が、圧倒的優位な立場にいるはずなのに。
今だけは、被告人席に座っている紫の方が精神的優位に立っている。
部下に暇を出し、休廷にすると決めた以上、急にそれを覆すわけにもいかない。
私が働いてしまっては、他の者が気兼ねなく休む事が出来なくなる。
それを分かっているから、紫もこのような神をも怖れぬ行動が取れるのだ。
「それで、一体何をしにここまで来たのですか?
わざわざ彼岸のこちら側まで来たのですから、相応に重要な用件が……」
そこまで言って、少し考える。
余所を向いて少し唸ってから。
「無いですね」
迷いの無い目で、きっぱりと言い放つ。その姿に後光が差す。
「どうせ冷やかしに来たのでしょう。貴女はそういう妖怪です」
ふふりと口元に笑みを浮かべ、そうねと同意の言葉を口にする。
「貴女を冷やかせる、千載一遇のこの機会を逃すわけにはいかないもの」
顔を扇子で隠し、ころころと笑う。
それを見て四季映姫が、むーと眉を顰めている。
「休日ということは分かったけど。それならどうしてこんなところに一人でいるの?」
二人の他には、当直の役人が数人、隅の方で碁を打って遊んでいるくらい。
本日休廷の張り紙が風に揺れ、場末感が漂っている。
人気の無い廷内を見渡し、はっきりとした口調で言い放つ。
「ここが一番落ち着くのです」
「お地蔵さんみたいね」
「ふむ」
地蔵という言葉を聞いて、一人得心し、満足げに頷いている。
そして、一言付け加える。
「いつもは霊や役人でごった返すこの場所が、こんなにも静かで人気がないのを見るのは面白いものがありまして」
それには紫も同意する。
「ああ、分かるわ。誰もいない都心って、心惹かれるものがあるわよね。
廃墟とは違って生活臭があって、数時間もしないうちに人でごった返す。
たった数分の無人世界。すごく良いわよね」
「例えは分かりませんでしたが、恐らく同じようなものなのでしょう」
「これから見に行きます?」
紫が指の先に小さなスキマを作る。
目を凝らして覗き込めば、その先にある何かを見つけられそうな小さな世界の割れ目。
それを興味無さそうに一瞥し、拒絶する。
「遠慮しておきましょう。気軽に外の世界に行っては他の者に示しがつきませんので」
「ばれなきゃいいのよ」
「裁かれない罪など無いのですよ?」
「あら怖い。それじゃあ、裁かれないように気をつけないと」
八雲紫がぺろりと舌を出す。その姿は怖がっているようには見えない。
「私の任期中に、貴女を裁くのが使命ですね」
厄介な妖怪を前に己の決意を新たにする。
そして、悔悟棒を遠くの八雲紫に突きつける。
「それはそうと八雲紫」
「なんでしょう、四季映姫裁判長殿」
「何かしましたか?」
「質問の意図が分かりません」
涼しい顔をして映姫の詰問を受け流す。
「この平穏のことですよ。
60年に1度程度の事とは言え、ここまで綺麗さっぱり仕事が無くなってしまうなんて普通ではありえません。
そしていつもは逃げ回っている癖に、こういう時だけ目聡く察して冷やかしに来る貴女の存在。
これで何もしてないとは思えません」
紫がスキマ越しに、四季映姫の持つ悔悟棒の先を指で逸らす。
「イエスとも言えるし、いいえとも言えるわね」
「玉虫色の答えは嫌いです」
紫が間を置いて、映姫の尋問に答える。
「私は何もしていません。ただの偶然でしょう」
「貴女が直接的に何かをした証拠は無い。ですがおぼろげな確証はある。だから、判断に困っているのです」
「考えすぎよ。私はこれを予測して、ほんの少しお膳立てしただけ。何か特別なことをしたわけでは無いわ」
「未来予知ができるのですか。それは初耳ですね」
事情聴取をしているような映姫の鋭い視線を受け流し、柔らかく微笑みかける。
ピアノを弾くように、手袋に包まれた指で宙を撫でる。
「予測と言っても、そんな大層なものではありませんわ。
これから先、当然起こるであろうことが少しだけ先読み出来る。ただそれだけのこと。
この先に○○があります。そういった道路標識がはっきりと見えるだけです。
後はそれに従い、道を外れないよう少し誘導するだけ。するとあら不思議。望む未来が思いのまま」
運命を選び取るかのように、糸を紡ぐように指を運ぶ。
映姫が暫く瞑目して考える。
「心情的には黒ですね」
「そうかしら」
「聞く所によると天気予報が出来る程度の物のようですし。罰する必要もないでしょう。
ただし、少々度が過ぎている可能性もあります」
「それで裁判長。判決の方は?」
「今日は仕事をしないと決めているのです。それでも判決を下せというのなら、証拠不十分で白です」
「そうよね。私は何もしてないんだもの」
「高度な演算能力の延長だとでも思っておきます。幻想郷を統べる者には、その程度の知恵も必要でしょう。
境界を弄って悪さをしていないのなら問題はありません。
私としても部下の骨休めができますし。
何より人が死なない日は、そんなに悪いものではありません」
満足そうに頷く紫の勝ち誇った顔を見ないように目を逸らす。
「ところで四季映姫様。お外が見てみたくはありませんか?」
「外遊は厳禁です」
「未来予知の一環ですよ。いずれ幻想になるであろう物を調べ、脅威に備える。大義名分は立ちますわ」
「私の心情の問題です」
「相変わらず堅苦しくて面倒臭い人ねえ」
「そういう役職ですから」
幻想の賢者が、くるくると指で円を描く。
「それじゃ、人気の無い隠れ家に案内しましょう。そこなら幻想郷の内ですし、人目につきません。
息抜きには丁度いいと思います。
最高裁判長たる者がその辺をうろうろしてては、他の者の迷惑になるでしょう?」
少し考えた後、悪くない提案だと首肯する。
「お願いします」
「畏まりました。スキマツアーに一名様ご案内~♪」
紫が2つほど手を叩くと、スキマが現れ2人をどこかへ運んでしまう。
移動が人目に付かず時間も要らない。絶好の移動手段である。
☆
場所は森の中に佇む小さな五合庵。
年季が入っているがしっかりとした造りで。管理が行き届いているおかげで汚れた感じは全くしない。
人の住家から遠く離れ、隠遁するのにもってこいな隠れ家である。
そこから幻想郷を眺め、世の中の流れをしばし観察する。
「ふむ」
「どうかしたかしら」
「いえ。どこかに綻びや歪みがあるかと思えば、全くそんなことがないのですね」
「物事があるように流れる。その上で偶然起こったことなのです。
歪みや綻びが生じないからこそ、予測も立てやすいのです」
「大道に反せず、物事の理を知る。長く生きてるとそういうことも出来るようになるのですね」
「十分なデータと簡単な法則さえ見つけてしまえば、誰にだって出来ますよ。
勿論、程度の差こそありますがね」
「ふむ」
「未来予測に興味がおありで?」
「面白い話だとは思います」
「これから起こるであろう悪行の防止になると思いますが」
「防止策を取るより、そのようなことを起こさないように性根を叩き直す。
それが私が積める善行と思います」
「ふぅん。根本的解決というわけね。いいと思います」
「理解を示していただけてありがたいです」
縁側でお茶を飲む。
裁く者と、本来裁かれるべき者。
非番という非日常だからこそ起こる非常識。
全ての説法も啓蒙も等しく与太話。
幻想郷らしい大らかさである。
「それはそうと。何故ほうじ茶なのです?」
「京番茶よ。一番良いところ以外の、葉やら枝やらをまとめて燻して作るお茶っ葉。
1級品ばかり飲むのも嫌味だと思ってね。香ばしくて飲みやすくて、水代わりに丁度いいでしょう」
「おいしいですね。清濁併せ呑めといわれているようなのが若干癪ですしけど。
そもそもこれ、ぶぶ漬けのお茶ですよね?」
「なんのことかしら?」
ころころと笑う紫の顔から、真意を読み取るのは難しい。
長く生き過ぎた胡散臭い妖怪は巧妙に本音を隠す。本音がなくても、何か隠してるように感じさせる。
映姫もそれを分かっていて、追求は無駄と悟り、それ以上の深読みを諦める。
「まあいいです。ところで私はいつの間に着替えたのでしょう」
四季映姫の服装はいつもの裁判官服ではなく。黒のセーラー服に白のスカーフという女学生スタイル。
緑に輝く控え目なアクセサリーがアクセントになっているが、全体的に喪服のようなシックな装いになっている。
「スキマが一瞬でやってくれました」
どや顔を向ける紫の顔に、条件反射のパンチがめり込む。
そしてすぐにまたお茶に戻る。
「休日くらい堅苦しい服は脱ぎなさいな」
「だからといってこれはどうなのでしょう。
動き易いのは認めますが、幻想郷ではあまりメジャーな服とは言えません」
「私の趣味よ。どうせ見に来る人もいないのだから何だっていいじゃない」
「それならそもそも着替える必要も」
「オンとオフの切り替えは大事よ? 私服くらい遊んだって良いじゃない」
「主に貴女の趣味ですよね」
「真面目で野暮ったい娘を開発するのは楽しいわよね」
「そういうものですか」
「そういうものです」
「説教も封印していると手持ち無沙汰でいけませんね」
「何かして遊びましょうか」
「何をするんです」
「ここでの遊びと言えば、一つしかないでしょう」
「そうですね。貴女を懲らしめるのに丁度いい」
「たまには一方的にやられるのも悪くはありませんよ?」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。貴女の泣き顔も見てみたいですし」
「できるといいですね」
「やりますよ」
「では」
☆
「私はてっきり、弾幕ごっこかと思ったのですが」
八雲紫が盤上を睨みながら、ぱちぱちと石で遊ぶ。
「それもよかったのですが、このように静かな場所で暴れるのは、些か無粋と思いまして」
ぱちりと、四季映姫が品良く石を置く。
「それにしても、何故これを選んだのです?」
ぱちん、ぱちんとリズムよく石を置く。
「いいじゃないですか、囲碁。好きですよ。白黒はっきりしてて。
オセロも悪くはないのですが、簡単に白黒ひっくり返るところが気に入りません」
映姫が白で、紫が黒。
盤上が白と黒の2色で埋め尽くされていく。
その様を勝ち負けとは別に、美しい物を見るかのように眺めて楽しんでいる。
八雲紫は勝負は真面目にやりながら、どこか不満そうな顔をしている。
「いいのですが、こう、なんというか」
「奥歯に物が挟まったような物言いは嫌いです」
映姫のきっぱりとした言葉と、力強い石の置き方に圧倒され、紫が観念して本音を語る。
「縁側で碁をしてると、年寄りみたいで嫌だなあと」
その言葉を聞いて、映姫が控え目に笑う。
「十分年寄りですよ。貴女も私も」
「少女です」
「それはそうと紫」
「なんでしょう映姫様」
「貴女、引き分けにしようとしてません?」
「おや、ばれてしまいましたか」
勝負は一進一退。白熱した勝負に見えている。
しかし紫の本来の実力なら、もっと一方的な試合になっていてもおかしくはない。
そうならないのは、紫が遊んでいるからに他ならない。
「遊びで熱くなるつもりはありませんが、白黒つかないのは嫌いです。本気でかかってきなさい」
「それだとワンサイドゲームになってしまうので、私がつまりません」
「言うようになりましたね」
「こういうのはどうでしょう。引き分けに出来たら私の勝ち。それ以外なら貴女の勝ち」
「私が負けても、私の勝ちということですか。いやらしい」
「別にわざと負けもいいですよ。貴女のプライドが許すなら」
ぱちん。ぱちん。
「いいでしょう。その勝負乗りました。何事も貴女の予想通りに事が進むと思わないことですね」
「それじゃあ本気で相手してあげましょう。白黒つかないように」
☆
「29戦3敗26引き分け。まあ、こんなものかしら」
「むう」
「筋は良いけど読み易いのよね。もっと老獪な手が欲しいところよね」
「やはり、読み合いでは分が悪いですか」
「性格の問題かしら」
「次は勝ちます」
「残念ですが、これで終わりです」
「勝ち逃げは許しません」
「私は一度も勝っていませんよ」
「そのような詭弁は通りません」
「もう日も替わります。眠いので帰って寝ます」
「夜は妖怪の時間じゃないんですか」
「珍しく朝から起きてたせいで、生活リズムが狂って眠いのです」
「分かりました。雪辱戦はまたの機会にしましょう。あまり白熱して、明日の仕事に障っても困ります」
「そうですね。私のお尻を追いかける暇がないくらい多忙を極めてもらいたいものです」
「閻魔の多忙を望むのは不謹慎と思いますが、貴女はそもそも妖怪ですものね」
「そういうことです。人の命は碁石の一つと同じ程度にしか感じません」
「それでも、上等な物とそうでない物の区別はあるでしょう」
「ノーコメントで」
黒と白が並んだ碁盤がスキマに吸い込まれる。
映姫が名残惜しそうにそれを見つめている。
「それでは今日はこの辺で。またお休みの日にでも遊びましょう」
「私は休日以外にもお会いしたいですがね」
「お説教を封印して頂けるのなら、それでも構いません」
「考えておきましょう」
「あら、お優しいのね」
「幻想郷を守護する者との対話は無益ではありません。
気付かされる事も多いので、本当ならもっとお話ししたいところです」
ぎろりと紫を睨み、一言付け加える。
「貴女がそんな態度でなければ、ね」
「あら。それは失礼」
くねくねと体を踊らせ、スカートを翻す。
「全く。貴女がそういう妖怪だからこそ作ることが出来た楽園なのかもしれませんが。
貴女はもう少し」
「今日は働かないんじゃなかったのかしら?」
最高裁判長が言葉に詰まる。
言うべきこと、言いたい事。それらと休業日とを秤にかける。
「おやすみなさ~い」
「あ、こら。待ちなさ」
映姫が何かを言う前に、さっさとスキマの向こう側に消えてしまう。
いつもこんな具合に逃げられる。
追跡は困難だと知っているから、映姫もそれ以上後を追おうとしない。
一息ついて、小屋からの景色を一望する。
そして、おもむろに立ち上がる。
「幻想郷の住人たちがきちんと善行を積んでいるか、休日返上で見て回ることにしましょうか」
空に飛び上がり、人のいそうな場所へとふわりふわりと飛んで行く。
ここがどこかは分からない。
幻想郷はそこまで広くは無い。
適当に飛んでも、それらしいところに着くものだ。
下に行けば地底に。上に行けば天界に。
まずは分かり易く、東の果てを目指しましょう。
そこにいるであろう、ぐうたらな巫女を説教しに。
この二人のコンビにはこうしたなだらかなSSがよく似合います。
囲碁って引き分けありましたっけ……