「……はい、そうです……他にも、躁になる傾向があって……前はそれで異変まで起こしてしまって……」
発言を永遠亭の薬師、八意永琳がカルテにまとめていく。
「そうね、典型的なアルコール依存症ね。段階的にやめていくのが望ましいけれど、現状では摂取量が多すぎるわ」
症状について話しながら、カルテに書き加えていく。
「こうなってしまったら禁酒はかなり難しいわ。でも、周りの人の支援があれば、立ち直れるわよ、安心しなさい」
「はい、ありがとうございます。先生。なんとしてでも彼女を克服させてあげたいのです」
こうした事情は患者の友人などにしっかりと伝えられ、依存症を克服することを望む友人らは協力に同意したのであった。
周りの人に支えがある環境のなんと素晴らしいことか。
こうして患者――伊吹萃香はアルコール依存症を脱する一歩を踏み出したのでした!
* * *
「酒だーッ! 酒! 酒!」
制止する霊夢を撒いた私は走りながらも考えを巡らせていた。
酒があるのはどこだろうか、と。
もちろん、必ずある場所はわかっている。
人里の酒屋などが一例だ。おそらく、幻想郷で最も酒が集中している場所の一つだろう。
おそらく、紫に没収された私の伊吹瓢が保管されているのもあそこだ。
だが、元々人里は妖怪に対する警戒の強い地域。対策は十分とられているだろうし、こうした事態におけるノウハウも積まれている。
警戒され、紫が監視しているであろう現状において奪取に乗り込むのは非常にリスキーな行為と言えるだろう。
では、そこを避けながらも酒のある場所は?
博麗神社――無駄。紫主導の禁酒措置は博麗神社にも及んでいる。霊夢も協力していやがる!畜生!
妖怪の山――悪くはない。だが、現在人里から紫に確実に連絡が行く。天狗の速度ならば広い山を漁る前にお縄だろう。
単なる民家――おいおい、鬼を野盗か何かと勘違いしてないか?
目的地が見えてきた。
本来、どちらかといえば私は日本酒などのほうが好きなのだが……贅沢はいっていられない。
狙うはワイン……紅魔館!
* * *
「咲夜さん、どうやら来ました」
門番の美鈴が報告を送る。
霧状となった萃香に対して、美鈴は有効な打撃を与える手段を持たない。
しかし、一方で完全に正面からの対決を避けようとする鬼を察知することに関しては、”気を使う程度の能力”は幻想郷でもトップクラスであろう。
「わかったわ。門番は妖精に任せて、館内の持ち場につきなさい」
有効な攻撃手段を持たないとはいえ、この察知能力は有用だ。もちろん、霧状化を解除した時には戦力としても扱える。
遊ばせておく訳にはいかない。
「お嬢様、人里へ連絡が届くのは早くとも30分程度はかかると見込まれます」
人里ほどではないにせよ、かなりの戦力を有する紅魔館。
不羈奔放の鬼といえども楽に相対できる相手ではない。
だが、最大のネックがある。それは、対萃香の対策を司る人里からかなりの距離があるということだ。
連絡役として妖精の中でも飛行速度の早いものを選んだとしても、そのネックはなかなか埋められない。
「そう、わかったわ」
対萃香主力、レミリア・スカーレットが立つ。
フランドールの”ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”でさえも、霧と化した萃香にまともなダメージを与えることはできない。
だが、霧状化には霧状化。霧状化したレミリアは同じく霧となった萃香に対して打撃が可能となるのである。
霧状化を解除させる策はいくつか練ってあるものの、霧と化した萃香にプレッシャーを与えられる数少ない存在である。
紅魔館の頭脳、パチュリーの魔法も有効ではあるものの、実体化した瞬間の純粋な戦闘能力の差考えると、補助的な存在としてしか扱えないのだ。
狙いはわかっている。地下のワインセラー。位置はおそらく把握されているだろう。
もちろん、ただ奪われるために手をこまねいているわけではない。
奪取を阻止する罠は張り巡らされている。
「ふふふ、それでは……『鬼ごっこ』を始めるとするか」
「お嬢様」
確かに鬼は強大だ。
だが、吸血鬼がそれに劣らないことを――幻想郷に知らしめるいい機会だと考えていた。
「その手の台詞は本日で3回目です」
「こういうときでもない言えないじゃないか、こういうの」
* * *
「うおらああああ!」
門番に察知されたのはわかった。
いつもの紅魔館とは違う、張り詰めた雰囲気を感じる。
明らかに私を止めるために何か仕掛けているのがわかる。
だがしかし、単騎にして短気。鬼が酒を前にして退くわけにはいかない。
最短距離で地下のワインセラーへ向かう。
「来たか!」
この館の主、レミリアの気配を察する。
まだ距離はあるものの、正確に私の位置を追ってきているのがわかる。良い部下を持っているようだ。
この状況で相手取るのは流石に面倒だ。ワインセラーに突入し酒さえ奪取してしまえばいい。
酒さえ手に入れれば。
そう考え、背後からの接近に意も介さないかのように進む。
妖精メイドが炒った豆を持っているのはわかったが、霧状化している以上大した効き目はない。
位置を正確に把握しているであろう美鈴の投擲には気をつけなければならないが、弾幕ごっこと比べれば投擲してくる豆を躱すことなど容易。
現状警戒すべきはレミリアだけだ。
ワインセラーの入り口に当たる扉をぶち破る。
ここを抜けてしまえばあとは地下に降りるのみ。
だが。
「なっ……!」
入り口の部屋の床に撒かれているのは大量の炒った豆。
もちろん、これだけなら霧状化して上を抜けていけばいい。だが。
その床を超え地下に至る入り口の先には魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。
五行における木は、単純に木のみを意味していない。
シルフ、それは風の精霊。風は木行。
霧と化した萃香を吹き飛ばすだけの暴風を意味する。
霧を解除して走るか?
流石に厳しい。炒った豆で致命傷は考えられないが明らかに速度は落ちるだろう。間違い無く狙われる。
では、手前から飛び越えるか?
可能だろう。だが、飛び越えている間は明らかに無防備。地面に叩き落されただけで無力化される状態で、あの大魔法使いの魔法をすべて捌けるか?
簡単だ、飛んでしまえばいい。
だが、飛んでしまえば鬼の自慢の脚力は意味を成さない。単純な飛行速度では文や魔理沙には敵わない。その彼女らをも捉えることを要求する弾幕ごっこで鍛えられた魔法をかいくぐれるのか?
特にこちらから目視できていないのが厳しい。だいたいの位置しか把握していない現状懐に飛び込んで一瞬で無力化は運次第だ。
そう考えている間に背後からレミリアの接近を感じる。
まずい。
アルコールの不足した悪コンディションで地の利を生かされて勝ち目はあるのか?
萃香の脳は今やアルコールが欠乏しかけていた。
だが、ゆえにそのアルコールへの欲求が、奇跡を生んだのだ。
* * *
紅魔館が揺れる。
「天井、ぶち抜かれました!」
「なんですって? ワインは諦めたのかしら」
「まずい」
レミリアが呟く。
「アレが狙っているのは――私の部屋のブランデーだ!」
萃香の決断は早かった。
確実に酒のあるワインセラーへ誘引されるのは敵の思う壺だ。
だが、妖精メイドを始めとして紅魔館の人口密度は高い。
幻想郷で酒の管理などほとんどうまくいかない。ましてや、妖精を主体とするコミュニティにおいて酒を厳格に管理するのは難しいだろう。
もちろん、体面としては全面禁止であったものの、度が過ぎない範囲であればお目こぼしされていた。
そうした状況であろうことを一瞬で萃香は見抜いた。そして、現状況で酒を探して奪うとすれば量は見込めないと考え、もっとも質の高い酒があるであろうレミリアの寝室を狙ったのだ。
「お嬢様!」
「ええい許せ咲夜! 幻想郷の民はな、酒から離れては生きられないんだよ!」
追いかけるものの、完全に虚を突かれた。もともと狙っている地点が点であったからこそ成り立っていた待ち伏せ。
美鈴の能力を生かした完璧な管制は、機動力と柔軟性に欠けていた。
ブランデーはかっさらった萃香は窓をぶち破って逃げていった。
「……どうやら、遅かったようね」
スキマを通って、幻想郷の管理者にして伊吹萃香アルコール依存更生の会の会長である、八雲紫が現れる。
「すまん、取り逃がした」
「いえ、酒に狂った萃香の襲撃を受けて独力で跳ね返すのはほとんど不可能よ。むしろ、飲みかけのブランデー1本なら上出来ですわ。
――むしろ、これだけの準備。感謝しても感謝しきれません」
「なに。なんたって萃香は友人だと――私は思っているよ。このぐらい当然さ」
それにしても、とレミリアは漏れるように呟く。
「この『鬼ごっこ』は……長引きそうだな」
「お嬢様? いろいろと、言いたいことがあるのですが?」
* * *
「くそー、レミリアの奴め。半分も残ってないじゃねえか。友達がいのない奴め、畜生!」
飲みかけのブランデーをラッパ飲みする。
いくらかアルコールが補充されたのがわかるが、まだまだ全く足りない。
「流石に紅魔館再襲撃、ってわけにもいかんだろうなあ」
人里から距離があり、かつ酒が集中している場所。もちろん、私がある程度把握していないといけない。
そうした場所はなかなかあるわけではない。
だが、心当たりはあった。
人里から距離があり、紅魔館よりも手薄で、酒のある拠点。
なぜそうした好条件にもかかわらず紅魔館よりも先に狙わなかったか?
単純な話だ。非常にリスクが高い。おそらく、捕まれば帰ることはできないであろう。
だが、もはやアルコールの欠乏は限界に近い。腹を括らねば。
狙うは、永遠亭。
* * *
「……紅魔館が襲われたそうです。もっとも、被害はブランデー一本だそうですが」
「そう。じゃあおそらく狙われるわね、ここ」
まず狙われるとすればおそらく紅魔館か永遠亭、というのは会議の時点で挙がっていた話だ。
もちろん、加えて襲撃を頓挫させた場合再度狙われるのはもう片方だ、ということも。
「兎達の酒を蔵に仕舞わせなさい。同じ轍を踏まないわ……もちろん、輝夜、あなたのもよ」
「もう、面倒臭いわねえ」
そう言いながらも永琳の言葉に従い、”須臾”の間に全て作業は進められる。
紅魔館に比べ火力に欠けるが、この俊敏性が強みだ。
流石に兎たちは須臾の間にというわけにはいかないが、永琳によって事前によく練られ、通達されているマニュアルによって正確かつ迅速に作業は進められる。
ただし、霧状と化した萃香の観測はネックの部分だ。
鈴仙の波長の揺らぎの観測に頼っているが、位置を正確に把握することはできない。
「来たか、まだ来ていないか」「いるか、いないか」。この程度である。
また、有効な打撃手段も持たない。
ゆえに撹乱や、酒の隠匿などによって時間を稼ぐしかないというのが弱みだ。
だが。
「永夜異変をご存知? 撹乱、隠匿、時間稼ぎ。私たちの十八番よ、それは」
* * *
「けっ。流石永遠亭。やることが違う」
庭先にばら撒かれた豆。
紅魔館と比べ準備する時間があったことを差し引いても、尋常ではない対応だ。
その上狂ったように長い縁側に障子。
守り辛い診療所方面ではなく奥まったあたりに位置する住居側に酒を集中させて守ってくるとは予想していたものの、この量には面を喰らう。
おそらく、あるのは最奥である輝夜の部屋周辺だろう。もちろん、その裏をかく、とか平気でやってくるのがここの連中だが。
「くそっ、おかしいのはわかっていてもどうもならんな、これ」
感覚が狂わされているのはわかっている。だが、狂わされたことがわかってもなおどうにもならない。
明らかに同じ地点を回っている。
鈴仙を撒き、一時的に感覚が戻ることはあるものの追いつかれるたびに狂わされる。
なお悪いのは、狂わされる感覚が全くないことだ。正常な判断かどうかを疑っていては動くことも出来ないが、動きすぎれば見当違いの方向に出る。
「あの素兎め。一杯食わされてばっかじゃいかんね」
どうやら、これを指揮しているのは永琳ではなく因幡てゐのようだ。度々姿を見る。
頭脳に関しては流石に一歩譲るものの、前線指揮官としては彼女の勘、決断力、そして幸運は非常に厄介である。
撒いても撒いても、追いつかれ、待ち伏せられ、誘い込まれる。
その上拠点には未だ姿を見せない輝夜と永琳がいるのであろう。滅入ってくる。
「仕方がない。腹、括るしかないね!」
霧化を解く。足がばら撒かれた豆で焼ける。悪条件だ。
幸運、勇気、決断力、狡猾さ! 鬼にとって実にワクワクする相手だ。
だがね、これでも――これぐらいで鬼を止められるとでも?
* * *
突然、姿を表した萃香。
妖怪兎達が豆を構えるが、投げる余裕さえもなく昏倒させられる。
そして、その数秒後には萃香のいる部屋の周囲数十メートルの襖が全て吹き飛んでいった。
「まずいっ、逃げるよ鈴仙!」
「で、でも私が今ここで逃げたら……」
「ここであんたがやられるほうがマズいんだってば!」
「はっはー、作戦会議は終わりだよ?」
遮蔽物を吹き飛ばして進んできた萃香。
こうなれば多少の撹乱では止められない。容易に場所を突き止められる。
「ほら、早く行きな!」
そういって鈴仙を撤退ルートに導く。
「いいねー、あれでしょ。『ここは私に任せて、お前は先に行くんだ』ってやつ?」
「わかってるじゃん、一度やりたかったんだ」
後ずさりしつつ考えを張り巡らせる。
「なーに、当たり前だけど死ぬこたないよ。その代わり、逃しもしないけど」
「いやー、私じゃ鬼相手は役不足かな」
「……わかってて言ってるでしょ、それ」
鬼が凄む。
そこそこ長生きしてきたつもりだが、これほどのプレッシャーは記憶に無いかもしれない。
ま、でも。
そこそこ、やらせてもらうとしますかね。
* * *
こちらが弾幕を放つと、文字通り脱兎のごとく逃げ出していった。
だがしかし、付かず離れず。こちらが進もうとすると邪魔できる距離で様子をうかがう――甘い考えだ。
たとえこの悪条件下でも、鬼を捉えられると思ったら――
大量の豆が飛んでくる。
初歩的なブービートラップ!
ここまでにもこの手の罠はいくらかあった。
だが、この広い永遠亭で私が気づかずに踏み、かつ作動直後に罠が有効に働く位置に私がいるなどという偶然はそうなかった。
無理やり体を仰け反らして躱す。
今度は弾幕。
霧になって躱すが――!? まずい、見失った!?
「へっへっへ、ご苦労さま、鈴仙。いやあ、位置バレてる状態で足止めちゃだめっしょ」
まずい、あの兎の撤退からしてブラフだったのか。
一瞬の隙でモロに波長が狂わされたようだ。頭がまわらない。
「ま、仕方ないよね。たまたま罠にかかって、たまたま位置がはっきりと把握できた。怖いねえ、偶然って」
どうすればいい? どう動けばいい?
「さて、もう少し付き合ってもらうよ」
まずい。この兎のペースに付き合わされるのが一番まずい。
「まあ少し話でも聞いてってよ、皆がこうやってあんたを止めてるのは――」
屋根をぶち破って脱出する。
時間感覚がなくなっている。侵入が看破されてからどれだけたったかわからない。
モタモタしていれば伝達が紫に届くだろう。流石にこの状況で紫と対面すれば容易に敗北しうる。
酒飲みとして許せるか許せないかの範囲、次悪の策といえるようなものだが手薄な診療所のアルコールをひっつかみ脱出した。
しかし、こんな代物じゃもう持たないだろう。こうなれば本丸に向かうしかない。
紅魔館、永遠亭と来て注意が逸れていればよいのだが。
* * *
「尽力、感謝いたしますわ」
「べ、別にあなたのために頑張ったんじゃないんだからねっ!」
「姫様、お戯れを」
萃香の撤退は好判断であった。
ほとんど入れ替わりのような形で紫が駆けつけた。
「持っていかれたのは、研究用のアルコールぐらいね」
「申し訳ないわ、本当に」
「いえ、患者のために尽くすのは当然ですから」
なにいってるのよ、と輝夜が口を挟む
「今回の立役者はてゐじゃない。私達の出番、とられちゃった」
「鈴仙もよくやったわね」
「い、いやあ師匠、それほどでも……だいたいほとんどがてゐの功績で……ってあれ? どこいったの?」
あたりを見回すが、最大の功労者は見当たらない。
「まったくもう、すぐいなくなるんだから!」
* * *
まったく、馬鹿はいつまでも馬鹿のまんまだねえ、と呟く。
私の幸運でもまだ足りなかったか。難儀な奴め。
次でなんとか止めてあげたいんだけど……なんとかなるかねえ。
* * *
いくらなんでも、メタノールで妥協するというのは酒飲みとして許しがたい。
エタノールならいいのか、というとまたそういう話でもないのだが。
結局のところ、どこもそれなりの準備はしてきている。耐えるぐらいであればお手の物、というわけだ。
最初から鬼らしく正面から挑んだほうが良かったのかもしれない。
本丸攻めだ。
流石にメタノールの一気となると頭がガンガンする。
フラフラとやや蛇行気味だったが、人里に辿り着いた。
霧状と化し、それらしい場所を探す。
……ふむ。あそこまでガチガチに守っているとなれば、逆にわかりやすい。
炒った豆、柊の葉、鰯の頭!
何百年も戦ってきた相手だ。厄介だが、むしろ慣れ親しんだ相手だ。
むしろ警戒すべきは紫。だが、少なくとも今は気配は感じられない。
もちろん、そのうちこちらに駆けつけてくるだろうが、振り切るだけならおそらく可能だろう。
あの程度の鬼への対策、本気になれば打ち破るのはわけない。
「うおっしゃー、ミッシングパワー!」
巨大化し、私の伊吹瓢があるであろう家屋の壁をなぎ倒そうと腕を振りかぶって……!?
顎に打撃がクリーンヒット。
まったく予期していなかった攻撃に思わずのけぞる。
スキマから出てきた幾人かが並び立つ。
「うわあ、本当に当たるとは思いませんでしたよ。なんたって相手萃香さんですし」
「幸運だねえ、こりゃあ幸先いいんじゃない?」
「幸運? 運命の間違いだろう?」
どうやら先程の打撃は紅魔館の門番の飛び蹴りらしい。
紅魔館勢だけではない。先ほど相対した永遠亭の連中もいる。
肩の横を思いっきり矢が掠めていく。
「あら、せっかく脱依存症用の薬を塗ったのに」
「え、そんな便利なものがあるんですか? なら最初から処方してくださいよ」
「常人では耐えられない苦痛が三日三晩続いてお酒どころじゃなくなる、という薬でちょっとリスクが大きすぎて……」
「師匠!?」
気づかぬ間に投げナイフが周囲に。すんでのところでなんとか叩き落とす。
「銀のナイフって、鬼にも効くのかしら。それとも柊でも飛ばしたほうがよさそう?」
巨大な火炎球が飛んでくる。馬鹿な、詠唱していた様子はなかったぞ。皮膚が焦げる。
「詠唱時間も永遠から須臾まで思いのまま、ってね」
「あなた、魔法使いにとって悪夢みたいな存在ね。色んな意味で」
なるほど、各所から人、妖怪問わずかき集めてきたわけか。
だが、なぜか肝心の紫は姿を現さない。
再び奇襲でも狙っているのだろうか?
ならばその慢心、正面から打ち砕く。鬼を舐めるな。
「『投擲の天岩戸』! 『戸隠山投げ』!」
まずは飛び道具。ただの投擲だが、それでも大多数は守勢を強いられるだろう。
その隙に壁を蹴り飛ばす。
無残に吹き飛び、目当ての物が見える。もう、目的は9割達成したようなものだ。
掴んでしまいさえすれば、あとは霧散するだけ。捕まえられる存在は何処にも居ない。
そういって駆け出そうとすると、目の前にスキマが開いた。
これは……星色の閃光!
「おおっと、外したか。アンラッキーだな」
「ちょっと! そんな盲撃ちで味方に当てる気!?」
「悪い悪い。でも、お前らならどうにかするだろ」
目の前には紫、魔理沙、霊夢……だけではない。
幻想郷の有力者が揃っていた。
一瞬体が強張る。その瞬間隙間が背後に開いた。
まずい、やられる!
と思ったら、なんと紫は抱きついてきた。
なぜか他の連中も群がってくる。
「萃香、あなたのことを心配している人はこんなにいるのよ。
……もう、やめにしない?」
まさか、あんな酒好きの幻想郷の奴らが。
こんなにも、止めようとするなんて。
「わかったよ紫ーっ! 私、頑張ってみるよ!」
歓声が上がる。
「これはめでたい、博麗神社で宴会だな」
魔理沙が算段をつけ始める。
「ちょっと、待ちなさいよ。意味ないでしょうが、それじゃあ」
「なに、たまには酒なしってのもいいじゃないか。今日は満天の星らしいぜ? 酒はなくてもお釣りが来るさ」
そうはいっても寂しいなあ、一日ぐらい我慢しなさいよなどと皆が囃し立てる。
こうして、幻想郷を揺るがす小さな小さな騒動は終わりを告げた。
* * *
ぐびぐびぐび。
「かーっ、やっぱ仕事あがりの一杯は効くねー!」
「『夢想封印』」
萃香が庭に吹き飛ぶ。
「ちょっとー! ひどくない!」
「ひどいのはお前だ。まだ1日経ってないわよ!?」
「まあまあ、落ち着いてよ霊夢」
立ち上がって、にこやかに笑いながら言う。
「お酒は節度を守りましょう、って言うだろ? 全く飲まないのも、それはそれで……」
「『八方鬼縛陣』」
「そう言いながら霊夢だってガンガン飲んでるじゃ……ぎゃーッ!」
……結局、前と変わりない?
いやいや、これがそうでもないのよ。
ずっと持っていると飲み過ぎるから、と伊吹瓢を自発的に博麗神社に預けてね。
その結果、なんと!
監視対象が2人に増えたのよ!
藍、ちょっと、お酒持ってきてくれない?
発言を永遠亭の薬師、八意永琳がカルテにまとめていく。
「そうね、典型的なアルコール依存症ね。段階的にやめていくのが望ましいけれど、現状では摂取量が多すぎるわ」
症状について話しながら、カルテに書き加えていく。
「こうなってしまったら禁酒はかなり難しいわ。でも、周りの人の支援があれば、立ち直れるわよ、安心しなさい」
「はい、ありがとうございます。先生。なんとしてでも彼女を克服させてあげたいのです」
こうした事情は患者の友人などにしっかりと伝えられ、依存症を克服することを望む友人らは協力に同意したのであった。
周りの人に支えがある環境のなんと素晴らしいことか。
こうして患者――伊吹萃香はアルコール依存症を脱する一歩を踏み出したのでした!
* * *
「酒だーッ! 酒! 酒!」
制止する霊夢を撒いた私は走りながらも考えを巡らせていた。
酒があるのはどこだろうか、と。
もちろん、必ずある場所はわかっている。
人里の酒屋などが一例だ。おそらく、幻想郷で最も酒が集中している場所の一つだろう。
おそらく、紫に没収された私の伊吹瓢が保管されているのもあそこだ。
だが、元々人里は妖怪に対する警戒の強い地域。対策は十分とられているだろうし、こうした事態におけるノウハウも積まれている。
警戒され、紫が監視しているであろう現状において奪取に乗り込むのは非常にリスキーな行為と言えるだろう。
では、そこを避けながらも酒のある場所は?
博麗神社――無駄。紫主導の禁酒措置は博麗神社にも及んでいる。霊夢も協力していやがる!畜生!
妖怪の山――悪くはない。だが、現在人里から紫に確実に連絡が行く。天狗の速度ならば広い山を漁る前にお縄だろう。
単なる民家――おいおい、鬼を野盗か何かと勘違いしてないか?
目的地が見えてきた。
本来、どちらかといえば私は日本酒などのほうが好きなのだが……贅沢はいっていられない。
狙うはワイン……紅魔館!
* * *
「咲夜さん、どうやら来ました」
門番の美鈴が報告を送る。
霧状となった萃香に対して、美鈴は有効な打撃を与える手段を持たない。
しかし、一方で完全に正面からの対決を避けようとする鬼を察知することに関しては、”気を使う程度の能力”は幻想郷でもトップクラスであろう。
「わかったわ。門番は妖精に任せて、館内の持ち場につきなさい」
有効な攻撃手段を持たないとはいえ、この察知能力は有用だ。もちろん、霧状化を解除した時には戦力としても扱える。
遊ばせておく訳にはいかない。
「お嬢様、人里へ連絡が届くのは早くとも30分程度はかかると見込まれます」
人里ほどではないにせよ、かなりの戦力を有する紅魔館。
不羈奔放の鬼といえども楽に相対できる相手ではない。
だが、最大のネックがある。それは、対萃香の対策を司る人里からかなりの距離があるということだ。
連絡役として妖精の中でも飛行速度の早いものを選んだとしても、そのネックはなかなか埋められない。
「そう、わかったわ」
対萃香主力、レミリア・スカーレットが立つ。
フランドールの”ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”でさえも、霧と化した萃香にまともなダメージを与えることはできない。
だが、霧状化には霧状化。霧状化したレミリアは同じく霧となった萃香に対して打撃が可能となるのである。
霧状化を解除させる策はいくつか練ってあるものの、霧と化した萃香にプレッシャーを与えられる数少ない存在である。
紅魔館の頭脳、パチュリーの魔法も有効ではあるものの、実体化した瞬間の純粋な戦闘能力の差考えると、補助的な存在としてしか扱えないのだ。
狙いはわかっている。地下のワインセラー。位置はおそらく把握されているだろう。
もちろん、ただ奪われるために手をこまねいているわけではない。
奪取を阻止する罠は張り巡らされている。
「ふふふ、それでは……『鬼ごっこ』を始めるとするか」
「お嬢様」
確かに鬼は強大だ。
だが、吸血鬼がそれに劣らないことを――幻想郷に知らしめるいい機会だと考えていた。
「その手の台詞は本日で3回目です」
「こういうときでもない言えないじゃないか、こういうの」
* * *
「うおらああああ!」
門番に察知されたのはわかった。
いつもの紅魔館とは違う、張り詰めた雰囲気を感じる。
明らかに私を止めるために何か仕掛けているのがわかる。
だがしかし、単騎にして短気。鬼が酒を前にして退くわけにはいかない。
最短距離で地下のワインセラーへ向かう。
「来たか!」
この館の主、レミリアの気配を察する。
まだ距離はあるものの、正確に私の位置を追ってきているのがわかる。良い部下を持っているようだ。
この状況で相手取るのは流石に面倒だ。ワインセラーに突入し酒さえ奪取してしまえばいい。
酒さえ手に入れれば。
そう考え、背後からの接近に意も介さないかのように進む。
妖精メイドが炒った豆を持っているのはわかったが、霧状化している以上大した効き目はない。
位置を正確に把握しているであろう美鈴の投擲には気をつけなければならないが、弾幕ごっこと比べれば投擲してくる豆を躱すことなど容易。
現状警戒すべきはレミリアだけだ。
ワインセラーの入り口に当たる扉をぶち破る。
ここを抜けてしまえばあとは地下に降りるのみ。
だが。
「なっ……!」
入り口の部屋の床に撒かれているのは大量の炒った豆。
もちろん、これだけなら霧状化して上を抜けていけばいい。だが。
その床を超え地下に至る入り口の先には魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。
五行における木は、単純に木のみを意味していない。
シルフ、それは風の精霊。風は木行。
霧と化した萃香を吹き飛ばすだけの暴風を意味する。
霧を解除して走るか?
流石に厳しい。炒った豆で致命傷は考えられないが明らかに速度は落ちるだろう。間違い無く狙われる。
では、手前から飛び越えるか?
可能だろう。だが、飛び越えている間は明らかに無防備。地面に叩き落されただけで無力化される状態で、あの大魔法使いの魔法をすべて捌けるか?
簡単だ、飛んでしまえばいい。
だが、飛んでしまえば鬼の自慢の脚力は意味を成さない。単純な飛行速度では文や魔理沙には敵わない。その彼女らをも捉えることを要求する弾幕ごっこで鍛えられた魔法をかいくぐれるのか?
特にこちらから目視できていないのが厳しい。だいたいの位置しか把握していない現状懐に飛び込んで一瞬で無力化は運次第だ。
そう考えている間に背後からレミリアの接近を感じる。
まずい。
アルコールの不足した悪コンディションで地の利を生かされて勝ち目はあるのか?
萃香の脳は今やアルコールが欠乏しかけていた。
だが、ゆえにそのアルコールへの欲求が、奇跡を生んだのだ。
* * *
紅魔館が揺れる。
「天井、ぶち抜かれました!」
「なんですって? ワインは諦めたのかしら」
「まずい」
レミリアが呟く。
「アレが狙っているのは――私の部屋のブランデーだ!」
萃香の決断は早かった。
確実に酒のあるワインセラーへ誘引されるのは敵の思う壺だ。
だが、妖精メイドを始めとして紅魔館の人口密度は高い。
幻想郷で酒の管理などほとんどうまくいかない。ましてや、妖精を主体とするコミュニティにおいて酒を厳格に管理するのは難しいだろう。
もちろん、体面としては全面禁止であったものの、度が過ぎない範囲であればお目こぼしされていた。
そうした状況であろうことを一瞬で萃香は見抜いた。そして、現状況で酒を探して奪うとすれば量は見込めないと考え、もっとも質の高い酒があるであろうレミリアの寝室を狙ったのだ。
「お嬢様!」
「ええい許せ咲夜! 幻想郷の民はな、酒から離れては生きられないんだよ!」
追いかけるものの、完全に虚を突かれた。もともと狙っている地点が点であったからこそ成り立っていた待ち伏せ。
美鈴の能力を生かした完璧な管制は、機動力と柔軟性に欠けていた。
ブランデーはかっさらった萃香は窓をぶち破って逃げていった。
「……どうやら、遅かったようね」
スキマを通って、幻想郷の管理者にして伊吹萃香アルコール依存更生の会の会長である、八雲紫が現れる。
「すまん、取り逃がした」
「いえ、酒に狂った萃香の襲撃を受けて独力で跳ね返すのはほとんど不可能よ。むしろ、飲みかけのブランデー1本なら上出来ですわ。
――むしろ、これだけの準備。感謝しても感謝しきれません」
「なに。なんたって萃香は友人だと――私は思っているよ。このぐらい当然さ」
それにしても、とレミリアは漏れるように呟く。
「この『鬼ごっこ』は……長引きそうだな」
「お嬢様? いろいろと、言いたいことがあるのですが?」
* * *
「くそー、レミリアの奴め。半分も残ってないじゃねえか。友達がいのない奴め、畜生!」
飲みかけのブランデーをラッパ飲みする。
いくらかアルコールが補充されたのがわかるが、まだまだ全く足りない。
「流石に紅魔館再襲撃、ってわけにもいかんだろうなあ」
人里から距離があり、かつ酒が集中している場所。もちろん、私がある程度把握していないといけない。
そうした場所はなかなかあるわけではない。
だが、心当たりはあった。
人里から距離があり、紅魔館よりも手薄で、酒のある拠点。
なぜそうした好条件にもかかわらず紅魔館よりも先に狙わなかったか?
単純な話だ。非常にリスクが高い。おそらく、捕まれば帰ることはできないであろう。
だが、もはやアルコールの欠乏は限界に近い。腹を括らねば。
狙うは、永遠亭。
* * *
「……紅魔館が襲われたそうです。もっとも、被害はブランデー一本だそうですが」
「そう。じゃあおそらく狙われるわね、ここ」
まず狙われるとすればおそらく紅魔館か永遠亭、というのは会議の時点で挙がっていた話だ。
もちろん、加えて襲撃を頓挫させた場合再度狙われるのはもう片方だ、ということも。
「兎達の酒を蔵に仕舞わせなさい。同じ轍を踏まないわ……もちろん、輝夜、あなたのもよ」
「もう、面倒臭いわねえ」
そう言いながらも永琳の言葉に従い、”須臾”の間に全て作業は進められる。
紅魔館に比べ火力に欠けるが、この俊敏性が強みだ。
流石に兎たちは須臾の間にというわけにはいかないが、永琳によって事前によく練られ、通達されているマニュアルによって正確かつ迅速に作業は進められる。
ただし、霧状と化した萃香の観測はネックの部分だ。
鈴仙の波長の揺らぎの観測に頼っているが、位置を正確に把握することはできない。
「来たか、まだ来ていないか」「いるか、いないか」。この程度である。
また、有効な打撃手段も持たない。
ゆえに撹乱や、酒の隠匿などによって時間を稼ぐしかないというのが弱みだ。
だが。
「永夜異変をご存知? 撹乱、隠匿、時間稼ぎ。私たちの十八番よ、それは」
* * *
「けっ。流石永遠亭。やることが違う」
庭先にばら撒かれた豆。
紅魔館と比べ準備する時間があったことを差し引いても、尋常ではない対応だ。
その上狂ったように長い縁側に障子。
守り辛い診療所方面ではなく奥まったあたりに位置する住居側に酒を集中させて守ってくるとは予想していたものの、この量には面を喰らう。
おそらく、あるのは最奥である輝夜の部屋周辺だろう。もちろん、その裏をかく、とか平気でやってくるのがここの連中だが。
「くそっ、おかしいのはわかっていてもどうもならんな、これ」
感覚が狂わされているのはわかっている。だが、狂わされたことがわかってもなおどうにもならない。
明らかに同じ地点を回っている。
鈴仙を撒き、一時的に感覚が戻ることはあるものの追いつかれるたびに狂わされる。
なお悪いのは、狂わされる感覚が全くないことだ。正常な判断かどうかを疑っていては動くことも出来ないが、動きすぎれば見当違いの方向に出る。
「あの素兎め。一杯食わされてばっかじゃいかんね」
どうやら、これを指揮しているのは永琳ではなく因幡てゐのようだ。度々姿を見る。
頭脳に関しては流石に一歩譲るものの、前線指揮官としては彼女の勘、決断力、そして幸運は非常に厄介である。
撒いても撒いても、追いつかれ、待ち伏せられ、誘い込まれる。
その上拠点には未だ姿を見せない輝夜と永琳がいるのであろう。滅入ってくる。
「仕方がない。腹、括るしかないね!」
霧化を解く。足がばら撒かれた豆で焼ける。悪条件だ。
幸運、勇気、決断力、狡猾さ! 鬼にとって実にワクワクする相手だ。
だがね、これでも――これぐらいで鬼を止められるとでも?
* * *
突然、姿を表した萃香。
妖怪兎達が豆を構えるが、投げる余裕さえもなく昏倒させられる。
そして、その数秒後には萃香のいる部屋の周囲数十メートルの襖が全て吹き飛んでいった。
「まずいっ、逃げるよ鈴仙!」
「で、でも私が今ここで逃げたら……」
「ここであんたがやられるほうがマズいんだってば!」
「はっはー、作戦会議は終わりだよ?」
遮蔽物を吹き飛ばして進んできた萃香。
こうなれば多少の撹乱では止められない。容易に場所を突き止められる。
「ほら、早く行きな!」
そういって鈴仙を撤退ルートに導く。
「いいねー、あれでしょ。『ここは私に任せて、お前は先に行くんだ』ってやつ?」
「わかってるじゃん、一度やりたかったんだ」
後ずさりしつつ考えを張り巡らせる。
「なーに、当たり前だけど死ぬこたないよ。その代わり、逃しもしないけど」
「いやー、私じゃ鬼相手は役不足かな」
「……わかってて言ってるでしょ、それ」
鬼が凄む。
そこそこ長生きしてきたつもりだが、これほどのプレッシャーは記憶に無いかもしれない。
ま、でも。
そこそこ、やらせてもらうとしますかね。
* * *
こちらが弾幕を放つと、文字通り脱兎のごとく逃げ出していった。
だがしかし、付かず離れず。こちらが進もうとすると邪魔できる距離で様子をうかがう――甘い考えだ。
たとえこの悪条件下でも、鬼を捉えられると思ったら――
大量の豆が飛んでくる。
初歩的なブービートラップ!
ここまでにもこの手の罠はいくらかあった。
だが、この広い永遠亭で私が気づかずに踏み、かつ作動直後に罠が有効に働く位置に私がいるなどという偶然はそうなかった。
無理やり体を仰け反らして躱す。
今度は弾幕。
霧になって躱すが――!? まずい、見失った!?
「へっへっへ、ご苦労さま、鈴仙。いやあ、位置バレてる状態で足止めちゃだめっしょ」
まずい、あの兎の撤退からしてブラフだったのか。
一瞬の隙でモロに波長が狂わされたようだ。頭がまわらない。
「ま、仕方ないよね。たまたま罠にかかって、たまたま位置がはっきりと把握できた。怖いねえ、偶然って」
どうすればいい? どう動けばいい?
「さて、もう少し付き合ってもらうよ」
まずい。この兎のペースに付き合わされるのが一番まずい。
「まあ少し話でも聞いてってよ、皆がこうやってあんたを止めてるのは――」
屋根をぶち破って脱出する。
時間感覚がなくなっている。侵入が看破されてからどれだけたったかわからない。
モタモタしていれば伝達が紫に届くだろう。流石にこの状況で紫と対面すれば容易に敗北しうる。
酒飲みとして許せるか許せないかの範囲、次悪の策といえるようなものだが手薄な診療所のアルコールをひっつかみ脱出した。
しかし、こんな代物じゃもう持たないだろう。こうなれば本丸に向かうしかない。
紅魔館、永遠亭と来て注意が逸れていればよいのだが。
* * *
「尽力、感謝いたしますわ」
「べ、別にあなたのために頑張ったんじゃないんだからねっ!」
「姫様、お戯れを」
萃香の撤退は好判断であった。
ほとんど入れ替わりのような形で紫が駆けつけた。
「持っていかれたのは、研究用のアルコールぐらいね」
「申し訳ないわ、本当に」
「いえ、患者のために尽くすのは当然ですから」
なにいってるのよ、と輝夜が口を挟む
「今回の立役者はてゐじゃない。私達の出番、とられちゃった」
「鈴仙もよくやったわね」
「い、いやあ師匠、それほどでも……だいたいほとんどがてゐの功績で……ってあれ? どこいったの?」
あたりを見回すが、最大の功労者は見当たらない。
「まったくもう、すぐいなくなるんだから!」
* * *
まったく、馬鹿はいつまでも馬鹿のまんまだねえ、と呟く。
私の幸運でもまだ足りなかったか。難儀な奴め。
次でなんとか止めてあげたいんだけど……なんとかなるかねえ。
* * *
いくらなんでも、メタノールで妥協するというのは酒飲みとして許しがたい。
エタノールならいいのか、というとまたそういう話でもないのだが。
結局のところ、どこもそれなりの準備はしてきている。耐えるぐらいであればお手の物、というわけだ。
最初から鬼らしく正面から挑んだほうが良かったのかもしれない。
本丸攻めだ。
流石にメタノールの一気となると頭がガンガンする。
フラフラとやや蛇行気味だったが、人里に辿り着いた。
霧状と化し、それらしい場所を探す。
……ふむ。あそこまでガチガチに守っているとなれば、逆にわかりやすい。
炒った豆、柊の葉、鰯の頭!
何百年も戦ってきた相手だ。厄介だが、むしろ慣れ親しんだ相手だ。
むしろ警戒すべきは紫。だが、少なくとも今は気配は感じられない。
もちろん、そのうちこちらに駆けつけてくるだろうが、振り切るだけならおそらく可能だろう。
あの程度の鬼への対策、本気になれば打ち破るのはわけない。
「うおっしゃー、ミッシングパワー!」
巨大化し、私の伊吹瓢があるであろう家屋の壁をなぎ倒そうと腕を振りかぶって……!?
顎に打撃がクリーンヒット。
まったく予期していなかった攻撃に思わずのけぞる。
スキマから出てきた幾人かが並び立つ。
「うわあ、本当に当たるとは思いませんでしたよ。なんたって相手萃香さんですし」
「幸運だねえ、こりゃあ幸先いいんじゃない?」
「幸運? 運命の間違いだろう?」
どうやら先程の打撃は紅魔館の門番の飛び蹴りらしい。
紅魔館勢だけではない。先ほど相対した永遠亭の連中もいる。
肩の横を思いっきり矢が掠めていく。
「あら、せっかく脱依存症用の薬を塗ったのに」
「え、そんな便利なものがあるんですか? なら最初から処方してくださいよ」
「常人では耐えられない苦痛が三日三晩続いてお酒どころじゃなくなる、という薬でちょっとリスクが大きすぎて……」
「師匠!?」
気づかぬ間に投げナイフが周囲に。すんでのところでなんとか叩き落とす。
「銀のナイフって、鬼にも効くのかしら。それとも柊でも飛ばしたほうがよさそう?」
巨大な火炎球が飛んでくる。馬鹿な、詠唱していた様子はなかったぞ。皮膚が焦げる。
「詠唱時間も永遠から須臾まで思いのまま、ってね」
「あなた、魔法使いにとって悪夢みたいな存在ね。色んな意味で」
なるほど、各所から人、妖怪問わずかき集めてきたわけか。
だが、なぜか肝心の紫は姿を現さない。
再び奇襲でも狙っているのだろうか?
ならばその慢心、正面から打ち砕く。鬼を舐めるな。
「『投擲の天岩戸』! 『戸隠山投げ』!」
まずは飛び道具。ただの投擲だが、それでも大多数は守勢を強いられるだろう。
その隙に壁を蹴り飛ばす。
無残に吹き飛び、目当ての物が見える。もう、目的は9割達成したようなものだ。
掴んでしまいさえすれば、あとは霧散するだけ。捕まえられる存在は何処にも居ない。
そういって駆け出そうとすると、目の前にスキマが開いた。
これは……星色の閃光!
「おおっと、外したか。アンラッキーだな」
「ちょっと! そんな盲撃ちで味方に当てる気!?」
「悪い悪い。でも、お前らならどうにかするだろ」
目の前には紫、魔理沙、霊夢……だけではない。
幻想郷の有力者が揃っていた。
一瞬体が強張る。その瞬間隙間が背後に開いた。
まずい、やられる!
と思ったら、なんと紫は抱きついてきた。
なぜか他の連中も群がってくる。
「萃香、あなたのことを心配している人はこんなにいるのよ。
……もう、やめにしない?」
まさか、あんな酒好きの幻想郷の奴らが。
こんなにも、止めようとするなんて。
「わかったよ紫ーっ! 私、頑張ってみるよ!」
歓声が上がる。
「これはめでたい、博麗神社で宴会だな」
魔理沙が算段をつけ始める。
「ちょっと、待ちなさいよ。意味ないでしょうが、それじゃあ」
「なに、たまには酒なしってのもいいじゃないか。今日は満天の星らしいぜ? 酒はなくてもお釣りが来るさ」
そうはいっても寂しいなあ、一日ぐらい我慢しなさいよなどと皆が囃し立てる。
こうして、幻想郷を揺るがす小さな小さな騒動は終わりを告げた。
* * *
ぐびぐびぐび。
「かーっ、やっぱ仕事あがりの一杯は効くねー!」
「『夢想封印』」
萃香が庭に吹き飛ぶ。
「ちょっとー! ひどくない!」
「ひどいのはお前だ。まだ1日経ってないわよ!?」
「まあまあ、落ち着いてよ霊夢」
立ち上がって、にこやかに笑いながら言う。
「お酒は節度を守りましょう、って言うだろ? 全く飲まないのも、それはそれで……」
「『八方鬼縛陣』」
「そう言いながら霊夢だってガンガン飲んでるじゃ……ぎゃーッ!」
……結局、前と変わりない?
いやいや、これがそうでもないのよ。
ずっと持っていると飲み過ぎるから、と伊吹瓢を自発的に博麗神社に預けてね。
その結果、なんと!
監視対象が2人に増えたのよ!
藍、ちょっと、お酒持ってきてくれない?
なんだかんだで1行目のギャグが一番良かった
面白かったけど盛り上がりの割にちょっとオチが弱いかな
何回もかっこつけたがるレミリアが好きです。