心曲 目次
□1 想起 - Caina -
□3 想起 - Antenora -
□5 想起 - Ptolomea -
□7 想起 - Judecca -
□9 記銘 - Purgatorio -
□11 記銘 - Paradiso -
魔理沙とさとりの夢冒険 目次
■2 第一章 ~地の底~
■4 第二章 ~迷霧~
■6 第三章 ~きざはし~
■8 第四章 ~星月夜~
■10 第五章 ~分水嶺~
■12 Last Page ~古明地さとり~
□――― 想起 - Caina- ―――
私達サトリという存在が一箇所に根を張って生きることはひどく稀だ。
その理由は単純明快。己が心中だけは聖域にしておきたいという一点において、妖怪も人間も同じ穴のムジナ。それを犯すサトリなんて居ること自体が目障りなのだろう。
見目麗しきこと花の如しと自認する私達姉妹とてサトリはサトリ。私達を歓迎する土地も者も、在りやしないし居やしない。
第三の眼を服の中に隠して人のふりをしても、加齢で容姿が変化しないから一所に留まることも出来ないし、野山では妖怪達に煙たがられる。
そんなこんなで気づけば生まれ故郷の島国を追われ、大陸の端から端まで流浪してまた生まれ故郷の島国に戻って来てしまっていた私達にはモンゴル民族とて脱帽せざるをえまい。
こいしはそんな長い放浪生活をたいそう楽しんだようであったが、些か不注意で無鉄砲な妹を抱えた私としてはこれは中々にしんどいものがあった。
何せ数え切れないほどの人間を目にしてきたというのに、その心はまるで嫌味か何かのように統一性がない。
優しいかと思えば土壇場で裏切る、下品なことばかり考えているくせに窮地ではあっさりと裏心無しに人を助ける。
人の心は万華鏡、万人に対応できる共通解などというものはありもせず。であるが故に姉として、見た目だけは清楚なご令嬢で通る妹の安全確保に躍起になっていた私には、何時とて気が抜ける瞬間が存在しなくて。
故に生まれ故郷に戻ってきた時には私はもう、正直完全に疲れ果ててしまっていた。
だから正直で知られる閻魔と鬼が支配する地底で静かに暮らそうと提案したところ、こいしも私を顧みてくれたのかあっさりと了承してくれた。
ただそうなると自給自足が難しい地底では何らかの手段で自らの安全と職を得る必要があるのだけど、これに関しては意外なところから救いの手が差し伸べられたのだ。
大陸横断というぶっ飛んだ経歴と衣装(そう、そのときはまだ大陸の服を着用していたのだ)が目を引いたのだろう。
十王の一人である都市王の目に留まった私は、サトリにしては珍しく下っ端ながらも官職にありつくことが出来たのである。
そうやって地底生活を続けて早数十年。人の世で言えば江戸幕府とやらが開かれた頃。
気分転換のために地上へ赴いた先で目にした桜の杜。幻想郷の東端にしてこの一帯すべての気脈が集中する地、博麗神社の境内にて。
私は、彼女達と出会ったのだ。
「来たければ勝手にどうぞ。別に神社を訪れる妖怪なんてあんた以外にもいっぱいいるし、暴れなければ文句は無いわよ」『いまさらサトリの一匹や二匹増えたところで無人神社の汚名はそそげないしねぇ、はぁ……』
白衣に緋袴という出で立ちに黒髪を赤い元結で結わえた少女は博麗の巫女。
立ち並ぶ桜の美しさに目を奪われ、「時には神社を訪ねても構わないか?」 なんて己の種族も忘れて訪ねた私に対して、その少女は一切の迷い無くそう返してきて。
その答えを聞いたときに、胸中に暖かいものが広がったのを今でも覚えている。
嫌われ者のサトリとて、この巫女の前では唯の『妖怪』という枠に分類されるだけなのだろう。
いや、そもそも人間と妖怪の区別すら曖昧であるようにも見える。
だから大物なのか蒙昧なのかは分からないけど、この巫女が異常に強い存在であるということだけは理解できた。
そう、それはまるで闇夜を照らす満月のように。
故に妖怪である私はこのように惹かれてしまったのだろうか。
『「なにじろじろ見てるのよ。気持ち悪いわね」、目ン玉潰すわよ?』
「いえ、なんでもないんです」
見事なまでに、裏表の無い少女ですこと。
さあ、地上復帰の第一歩。
……果たしてこの巫女は、私達姉妹にとって最初の友人になってくれるのだろうか?
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■――― 第一章 ~地の底~ ―――
「目を覚ましなさい、さとり。夢の中で夢を見ても仕方が無いでしょう?」
耳朶を叩くつんとした声に夢を中断され、古明地さとりは目を覚ました。
視神経が重役労働を開始して像を結び始めると、目の中に飛び込んできたのはむっとした雰囲気を纏った、全体的に紫色の少女。
それが貴女の一張羅なんでしょうか、と寝ぼけた声で思わず尋ねそうになったさとりは慌てて口を噤んで起き上がった。
「一体、なにが……」
「貴女の名前を答えなさい。私の名前を答えなさい。此処が何処か答えなさい。此処で何をしていたか答えなさい。拒絶は棄却するわ」
「え? ええと、私は古明地さとり。貴女はパチュリー・ノーレッジさん……ですよね。ここは我が地霊殿の書庫で、私は貴方達に請われて貴女達をここに案内していたはず……あれ、射命丸さんは? なぜ私はこんなところで眠って……?」
小声ながらも有無を言わせぬ強い口調で尋ねられた、ごく基本的な質問に答えている間に少しずつさとりの頭も整理され、回転を始める。
事の始まりは陰陽玉からの通話だった。博麗の巫女がお空を懲らしめた後に置いていった、遠隔通話が可能な陰陽玉。
あの時のように地底で何かあった場合に、もしくは地上で不穏な空気があった場合に密に連絡を取れるようにと押し付けられたそれ。
そこから大量のノイズと共に、「今からそっちに向かうからお茶の準備をよろしく」なんて連絡が入ったのがきっかけだった。
普段は乗らないノイズが気にもなったが、それを問う前に通話は切れてしまったし、そもそも傍若無人な巫女である。
それ故に特に気にもせずにお茶の準備を進めていたさとりの前に現れたのは、人間達のふりをしてやってきた魔女と鴉天狗。
戸惑いながらもダージリンと旧地獄饅頭で一応もてなした後、彼女達を地下の書庫まで案内したことまではさとりも記憶している。
だがここで何があったのかを全く思い出すことが出来ず、その先まで思考が行き届かない。
「とりあえず状況に疑問を持てる程度までは意識がクリアになったようね。じゃ、行くわよ」
「行くって、何処にですか? それに射命丸さんは何処へ行ったんですか?」
「……状況把握に行くのよ。ボーディングスクールじゃないんだから聞けば何でも答えが返ってくると思わないで」
書庫の扉を開きつつ、ピシャリと冷たく返してきたパチュリーの声に、さとりは思わずびくりとしてしまう。
博麗の巫女に遠隔通話で「あんたさぁ」と切り出されるときと同じ、相手が不機嫌なのかそうでないのか全く分からないときの反応だ。
と、いうことは?
「心が、読めない?」
「……今更ね。とりあえず貴女の胸元にへばりついているシュ○ゴラスをよく見てみなさいな」
「シュ、シュマちゃん違いまシュよ!?」
あんな蛸と一緒にしないで欲しい、なんて遺憾の意を示しつつさとりが己のサードアイに目を向けると、そこにはほとんど瞼(まぶた)を閉じたうえに結心管が直脳の一本にまで減少した、見るも哀れなサードアイが静かに佇んでいた。
おまけにさとり自身の妖気もずいぶんと減衰しているし、今は宙に浮くことすらままならないようである。
「これは……一体、どうして?」
気づくのが遅いのよ、と地上階へ続く階段を昇る足を止めて、パチュリーはご自慢のジト目をさとりに向ける。
「能力のほとんどが奪われているようね。私も似たようなものよ。今のところ強固さでは随一を誇る金術しか使えないもの。もうすぐ浄化を司る水術も使えるようになるとは思うのだけれど」
「? 能力が奪われている? 誰にですか?」
「何度同じことを言わせれば気がすむのかしら?」
「す……すみません」
この時点でもう二人の力関係は決まってしまったようだった。つっけんどんに返されたさとりは再度萎縮してしまう。
なんでお客にここまで責められなければならないのかと思いつつも、しかし正論を並べ立てられては手も足も出ない。
心が読めさえすればここで相手の思考の穴を付くことも出来るのだが、今やそれが不可能とあっては知識人にさとりが口で及ぶはずも無い。
「それで? 貴女は全く心が読めなくなっているのかしら?」
「どうでしょう……どうにも瞼が上がらないもので。ふん! うぎぎ……っく、この!」
『……バロールみたいに取っ手でもつけておいたほうがいいんじゃないかしらね』
仕方無しにぎりぎりと力ずくで瞼をこじ開け、そのうえでこれでもかとばかりに凝視する。
そこまでしてようやく相手の思考がさとりの脳に流れ込んできた。
「いやさすがに生物なので取っ手はどうかと……」
「ふむ、完全に読めなくなったわけではないようね。ならば安心したわ」『今の私には足手まといを守るだけの余裕も無いしね』
「安心とは?」
「これから何が起こるのかあまり予想も付かないから。かろうじて心が読めるのであれば自分の身は自分で守れるでしょう?」『荒事は回避できれば良いのだけど』
「……あまり戦闘は得意ではないのですが」
『「知らないわ、そんなこと」』
そう言い捨てたパチュリーはさとりに背を向けると、再び階段に足を掛ける。
パチュリーに続いてさとりも階段を昇り、一階の廊下へと戻ったのだが……
「静かだ……」
ルネッサンス期のヴィラを模した、無駄に広い造りである地霊殿の中は今やがらんとしていて生物の気配が全くしない。
いつもは何かしらの鳴き声や心の声が響いている地霊殿廊下の静寂に、さとりは思わず肩を抱いて身震いした。
「誰も、いない?」
「外へ出てみましょう。部屋へ戻って靴に履き替えて来なさい」『ふむ、妖獣達の出番は無し、か』
そういい残し、さとりをその場に残して一人さっさと出口へ向かってしまうパチュリーだったが、さとりは焦る心配はないか、と一つ頷いて自室へと向かう。
その類まれなる思考の機敏さに反してパチュリー・ノーレッジの歩みは驚くほどに遅い。
書庫へ移動するときは風に乗るように移動していた彼女だったが、今は自分の足でゆっくりと歩みを進めるしかないからだ。
――風の魔法を、今は行使出来ないということなのね。
自身も空を飛べないことを思い出したさとりは、一旦自室に戻っていつものスリッパから外出用のブーツへと履き替える。
ゆっくりきっちり靴紐を結び終え玄関に戻り、パチュリーが開け放ったままの巨大なアーチを潜ったさとりは久方ぶりに地霊殿の外へと歩みを進め、そして絶句した。
古明地さとりの目に映ったのはほの暗い闇ではない。世界をやさしく包み込む朱色と、それをもたらす真円の天体だ。
「太陽が……」
地霊殿が存在するは、地底。哀れなあぶれ者達の吹き溜まりである旧地獄。その最奥とも言える場所には決して太陽の光は届かない。
だが今現在確かに地霊殿には空があり、そして沈みかけた太陽がその空と地霊殿を真っ朱に染め上げていた。
「お空の仕業じゃないわよね……まるで」
夢か幻。そう口にしそうになったさとりは己の言葉に引っ掛かりを覚えた。
記憶を探り返してその引っ掛かりの原因を特定したさとりは、驚愕するどころか眉一つ跳ね上げもしない隣人の横顔に視線を向ける。
「ここは夢の中なのでしょうか?」
「同じことを何度も……」
「最初に貴女は夢の中で夢を見ても仕方が無い、と言いましたよね? ……ここは夢の中なのでしょうか?」
気づけばさとりのサードアイは既に瞼を閉じてしまっている。
どうやら数分程度しか開眼を維持できないようで、既にパチュリーの考えていることはさとりには分からない。
しかしそれが逆にお気に召したようだ。ようやく話し合うに足る相手を得た、とでも言うかのようにパチュリーは頷くと小さく息を吸い込んで口を開いた。
「これから話す内容は状況からの推論になる。ほとんどアームチェアディテクティブと変わりないわ。整合は取れているけど、物的証拠はなく、信頼性は薄いわよ」
「構いません」
「多分、私達は夢の中にいる。犯人はあの書庫に潜んでいた妖本で、抜本的原因は貴女」
「……え? わ、私ですか?」
いきなり貴様が悪い、と告げられたさとりは狼狽して息を呑むが、そんなさとりの動揺を無視してパチュリーはさっさと話を進めてしまう。
「私が食客として迎えられている紅魔館には図書館が存在する。さてここで質問。図書館と書庫の明確な違いを挙げてもらえるかしら?」
「ええと、図書館は本の貸し出しをするところで、書庫は本を保管する場所、ですよね」
「そうね。では、本の存在意義とは何かしら?」
「……情報を、残すことでしょうか?」
「違うわ。情報を、時には自分を含む誰かへと伝えることよ」
きっぱりとパチュリーは言い切った。
「本は死蔵されるために存在するのではない。本は秘匿されるために存在するのではない。本は焚書に遭うために存在するのではない。本は、開かれなければならない」
「読まれなけばならない、と」
「そう、紅魔館大図書館が図書館であるのはそのためよ。本が本としての価値を最大限に発揮できる場所、それが図書館であり、そして私の世界」
「……貴女があの黒衣のシーフを憎々しく思うのは本が奪われるからではないのですね」
「そう。あの子は読んだ本をそのまま自分の家に積み上げて放置してしまう。それは死蔵と同じ。また読むかも、と思うなら都度借りにくれば良いものを。死んだら返す、なんてのは唯のものぐさであって言い訳としては最下級ね」
苦々しげな瞳でパチュリーは虚空を睨みつける。おそらくはここにいない誰かさんを視線で呪っているのだろう。
「貴女は、本を大切にしているのですね」
「当然よ。魔法使いにとって書物は何よりも重要なもの。本を経年劣化から保護する魔法や未熟者による破損を防ぐために一定レベル以下の者には読めないようにロックする魔法、果ては歴史の闇に葬られそうになっている本を収集する魔法すらある位なのよ? 魔法使いにとって書物とは、それが魔道書でなかったとしても何よりも失い難い宝であるのだから」
早口でパチュリーは捲し立てる。
だがその熱っぽい口調はさとりの興味深そうな目線を受けるとさっと消え去り、いつもの口調に戻ってしまう。
「話がれたわね。で、後はもう分かるでしょう?」
「……開かれなかった本の逆襲ですか。そう言われると確かに私の責任になってしまいますね」
「ちゃんと自覚なさい。貴女が読み取った人間の感情について記した本というのは、ある意味では妖怪が人間の感情を喰いためるのと同じこと。そんな本が数十冊程度、何の手も打たずにまとめて保存してあれば本棚の一つや二つ位あっという間に妖怪化してしまうのだから……7つある私の精神防壁が6つまで破られた辺りからして、妖怪化した本は少なくとも六百を下らないわよ?」
地霊殿の竣工、そしてさとりへの引渡しから数百年。
その間ずっと地霊殿書庫は殆どが字を読めないが故、本の価値を理解しないペット達に対して開かれることはなかった。
放浪癖のあるこいしには当然見向きもされず、来客もない。だから淡々とさとりが記載した、もしくは蒐集した書物を蔵書として蓄えていくばかり。
――せめてお燐位には開放しておくべきだったかしら?
そんなさとりの反省も今となっては後の祭りだ。
「では、私達は本の中にいるのでしょうか?」
「……メルヘンな物言いだけど、細かい説明をうだうだしても仕方ないしその認識でいいと思うわ」
「成る程、では最後のページを目指せば私達はここから抜け出せるんですね?」
ちょっと感心したように、パチュリーはさとりに頷いてみせる。
「脊髄反射思考もたまには役に立つのね。ええ、私もそう考えているのだけど……肝心のストーリーが分からないのは痛いわね。あそこに蓄えられていた千冊以上に及ぶ本の一体どれに私達が飲み込まれたか、まずはそれを確認してストーリーを進めなければ、いつまで経っても私達はここから抜け出せないわよ?」
「え? ストーリーがもう存在しているんだから、後は待っていればいいんじゃないでしょうか」
ふむ、とパチュリーは僅かに虚を突かれて溜息をついた。
その考えは全くパチュリーの頭の中にはなかったのだ。確かに本の中にいるのだからストーリーには抗いようがない。
待っていれば話の筋など理解していなくても自然とストーリーは進行して自分達はいずれ出口へと向かうかもしれない。それ自体は納得できる理論である。
だが同時にパチュリーは明らかな嫌悪を覚えた。
己の運命を他人に――親友たるレミリアは除くとして――握らせるのは魔女としての矜持が許さなかったし、それに何よりも最初から流されることを念頭に置いたかのようなさとりの発言が苛立たしくもあったからだ。
だからと言ってパチュリーに何か出来るのか、と問われればそれは否だ。
ストーリーを掴むにしてもパチュリーはそれらの本に目を通すことなくここに連れ込まれてしまっている。
持ち主であるさとりとて1000冊以上あった本の中からここがどの本に当たるかを判断するのは容易ではないだろう。
この世界は本の内容を一字一句間違いなく再現した世界ではない。
もしそうであるならばさとりと面識のなかったパチュリー・ノーレッジがこの世界に存在しているはずはないのだから。
だからこの世界は本のあらすじと現状の素材を元にリメイクされたストーリーということになるため、益々持って犯人たる本の特定は難しいだろう。
されど、
――行動するしかない、か。
黙して座するは本を貪る時のみ。知識の魔女にとって無為に任せたまま何もせず時を消費することは全くの無駄である。
先ほどから夕日が空に固定されたまま沈み行かないことを確認したパチュリーは、地霊殿の玄関に腰を下ろして夕日を眺めている少女に視線を投じる。
古明地さとりの表情はどこかうつろで、病弱な己とはまた別の意味で生気を感じさせない透明さがある。そんな印象をパチュリーに与える少女だった。
それが、どこまでも腹立たしい。
「……立ちなさいさとり。ここでボーっとしていても事態は変わらない。先に進むわよ」
「何処へ向かうんですか?」
「何処だっていいわ。移動して、少しでもストーリーを先に進める手がかりを探す。少なくとも私はそうする。貴女はここに残る?」
「ご一緒しましょうか。ここで一人ボーっとしているのもあまり芸がありませんので」
そう言って無造作に立ち上がったさとりはパンパンと軽く尻の埃を叩く。
「……」
「どうしました?」
「貴女……いえ、なんでもないわ、行きましょう。先、立って案内して」
一度さとりの顔を覗き込んだパチュリーは凍えたかのように一度体を震わせると、旧都へと続く道を指差した。
はて、と首をかしげたさとりだったが、結局は黙してパチュリーの前に立ち、先導として歩き出す。
夕日に包まれた、生なき静寂の世界に2つの足跡を刻みながら、二人は地霊殿を後にする。
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□――― 想起 - Antenora - ―――
白黒斑な、星の見えない夜。
空からは音を吸い込むような白雪が星光の代わりに舞い降りてくる。
雪に覆われた幻想郷。その東端に位置する結界の基点。
郷の中を幻とし、外を実とする境界を維持するために妖怪によって建設された、されど妖怪退治をご利益とする神社。
その博麗神社に一人、私は雪とともにふわりと静かに舞い降りて縁側でお茶を啜る人影に頭を下げる。
「お久しぶりです。寒くないんですか?」
「何奴? ってなんださとりか。妹は一緒じゃないの?」『まーどうせ一人でふらふらしてるんでしょうが』
白衣に緋袴という出で立ちに黒髪を紅い元結で結わえた女性。三十路を過ぎて、肌もそろそろ張りと艶を失いつつある女性。
出会った頃は十代前半、私よりも幼かったというのに、あっという間に大人になってしまった彼女。
もうそろそろ二十年近くの付き合いになる、私達姉妹にとって唯一無二の友人。
未だあらゆる妖怪に対して全戦全勝、常勝の二つ名を背負い妖怪退治を生業とする、されど退治にはそれほど積極的でない博麗の巫女。
初めての人間の友人はあっさりと妹不在の理由を言い……いや思い当てる。それくらいには私達と彼女は親しくなっていた。
「ええ、正解です。どうにも落ち着きがない子なので」
「会話をしろ間抜け。自分の能力だけで疏通を成立させるな。読んだ内容に返事するんじゃない」『私はあんたの子飼の動物じゃないんだから』
神社の社務所。その縁側で雪に沈みつつある幻想郷を眺めながら、ずずりと湯飲みを傾けているこの巫女はサトリに対しても容赦がない。
だけどそこに悪意が存在していないことを――心を読むまでもなく――知っているために私は悪びれた風もなく軽く頭を下げて心無い謝罪を口にするのみ。
「すみません。妹は目下一人旅中です。……私、嫌われてるんですかね?」
「よろしい。別にそういうわけじゃないんじゃないの? 誰だって一人になりたい時位あるわよ」『ま、姉妹がいない私にはよく分からないけど』
彼女は孤独な巫女だったと、そう本人から聞いていた。親も兄弟もなく、ただ才能があったが故にこの神社にて唯一人。
博麗の巫女として生活することを望まれて、しかしそれを苦痛に感じることも無いような、つまり色々とまぁ強靭な少女だった。
今はまぁ、怖いおば……オネエサンだけど。
「で、あんた何しに来たの?」『お土産の一つくらい持ってきてくれてもいいのに』
「いえ、ちょっと地底がゴタゴタしていて中々遊びにこられなかったので、まぁ様子見に」
「ふーん、飲む?」『お茶請けが切れてるんだけど』
「いただきます」
人間のようにそうそう風邪をひいたりはしないけれど、寒空の中を飛行してくるのは妖怪と言えども流石に堪える。
そんな私に、彼女は自分が啜っていた湯飲みをん、と差し出してきた。
受け取って温かいお茶を一口流し込むと、それだけで体があったまるような気がする。
そして、心も。
妹以外の存在とお茶をする機会など全くない私にとっては、このぬくもりに浸れる時間は何よりも得難い至宝の時でもある。
懐から笹に包まれた団子を取り出して、私と彼女の間にある盆の上に置く。
「食べますか?」
「あるならさっさと出しなさいよ。いただきます」『む、冷えてて固い』
「お茶が出てこなければ出さないつもりでした」
『「この卑怯者が」』
彼女と顔を見合わせて笑う。
改めて二人分のお茶を淹れなおし、団子を暖かいお茶で流し込んで。
私もほっと一息ついた頃に、
「なんだっけ、あれだ、紫に聞いたんだけど地底ってもう地獄じゃないんだっけ?」『地獄ってホイホイ引っ越せるもんだったのね』
降りしきる雪を眺めつつそう切り出してきた彼女にとっては多分、私が地底に住んでいるからそれに関連するただの茶話を、と。
そんな意図だったりするのだろうが、実は私はその渦中のど真ん中にいたりするわけで。
「ええ、そのために是非曲直庁――ああ、新たに十王が設立した組織なんですけど――の代わりに旧地獄の怨霊の管理をする者として、なんか私に白羽の矢が立ってしまいまして」
「へー、すごいじゃない」『ん? それとも閻魔の奴に厄介事を押し付けられただけなのか? 』
「すごいかどうかは分かりませんが、都市王様――ああ今は皆さん閻魔王を名乗っちゃいましたが――が是非にと仰るので。そんなわけで今後は地底の最奥での生活ですので、中々遊びに来られないかなー、と思いまして」
「そ。ならば神社を訪れる妖怪が一人減って、神社はさらに安全になるわね」『すこし寂しくなるわね』
「そうなりますね」
ちょっとばつが悪そうな顔で笑う彼女に、私もまたちょっと複雑な笑みを返す。
望まれることは嬉しいが、こうして友人と過ごす時間が減ってしまうのはちょっと悲しい。
でも是非曲直庁の依頼を受け入れれば、嫌われ者のサトリとて地底の要職の一人だ。
私も、そして何より妹が、たった一人の家族が――有形無形の悪意が消え去ることはなくても――迫害を受けることは殆ど無くなるはず。
何処に行っても、地獄ですらも嫌われるサトリには安全確保が急務であるのだから、おそらくは上司からの温情でもあるその打診を断る理由は何一つ無いだろう。
っと、ふと社務所の奥からガタリと物音が聞こえ、それによって思考の海に沈んでいた私の心が現実に引き戻される。
誰か、いる? 妖気は……感じないけど。
「あちゃー、起きちゃったか」『ちょっと声が大きかったかしら?』
「迷子の人間でも拾ったのですか?」
「うん、まぁ」『娘というか、弟子というか?』
「娘!?」
驚いた。この妖怪巫女と渾名される博麗の巫女に婿入りする相手がいただなんて!
なんだかんだでやることはちゃんとやっていた友人に向ける目線は嫉妬と、なによりも祝福のそれ。
「お子さんとは! いえそれよりも旦那様がいたんですね! 出来たんですね! キャー!!! 凄い!」
「……凄いの意味を聞かせてもらってもよろしいかしら?」『正直に答えないと潰す』
「いえまさか、鬼をも下す巫女様を嫁に貰うようなアハハ、物好きがいただなんでフフフ、どれだけ被虐思考の持ち主なのかと気になっただけでウェヒヒ」
「夢想封印」『……吹っ飛べ』
三秒後、私は雪の中で大の字に横たわっていた。
正直に答えたのに潰すとは何事かと。ああ、でも正直に答えたら潰さないとは考えてなかったか。
「かあさま。ようかい?」
「いえ、ただの痴れ者よ。ま、怖くない奴だからそんな怯えないで」
痴れ者とは失礼な。
さておき、新たに現れた人影に目を向けると、そこにいたのは3,4歳ばかりの利発そうな顔立ちをした少女。
その子は友人の背後に半ば隠れるようにして、怖々とした表情で周囲を見回している。
うん、あまり造形は彼女とは似ていないような……父親似なのだろうか?
こんばんは、と雪に埋もれたまま挨拶をすると、雪中から突如聞こえてきた声に少女は怯えたように一度体を震わせる。
だがそれでも少女は「こんばんわ」と頭を下げて丁寧に挨拶を返してくれた。
ああ、小さい子供はいいなぁ。癒される。サトリにも偏見なく接してくれるし、やはり子供は神様だなぁ。成長するにつれて人になってしまうけど。
それにしても、ああ。
夢想封印が痛い。妖気も四肢も封印されていて、まともに起き上がることが出来ない。
そんな私を雪の中に放置したまま、我が友はその娘さんを再度寝かしつけるべく社務所の奥へと消えていった。
ひどい話である。
◆ ◆ ◆
「次の巫女なのよ」『紫曰く、ね』
一刻ほど経過した後、雪の中から発掘した私を社務所の縁側に転がした彼女が言うには、そういうことらしい。
つまりまだ彼女は一人身、ということのようだ。まぁ仕方ないとは思う。彼女はあまり人間と妖怪の区別をしないから。
敵になるものは人間だって叩き潰すし、敵意がないなら妖怪だって普通に招き入れる。
その立ち位置を崩さないから、正直人里で暮らす人からの評判はそんなに良くはない。
その一方で凶悪な妖怪はきっちり退治するし、人里に被害をもたらすならば鬼や天狗に対してすら一歩も引かないその態度は賞賛されてもおり。
まぁなんというか、賛否両論の間で揺れ動いているのである。もっとも、肝心の我が友はそんな評判なんてどこ吹く風なのであるけれど。
「ちょっと早くないですか? 貴女まだ十分に現役じゃないですか」
丸太のように転がされ、未だ身動きが取れない私の現状がすべてを物語っている。溜め無し速射でこの威力だ。
これならあと三十年は現役を貫き通せるはずだというのに、何でそんなに急いで後継者を育てなければならないのだろうか?
「紫が言うにはね。巫女を担える才能は稀有だから、あの子を逃したら次にふさわしい子がいつ見つかるか分からないんだってさ」
『紫の奴、どっから後継者なんて……いや、そもそも私はどこの子なんだろう? まぁどうでもいいんだけど』
いいのか。
「だから、育てられる者は育てておこうってことですか」
「そうみたい。ま、素直な子だし。預かるのは別にやぶさかでもないしね」『多分、あの子は私より弱いだろうけど』
「そうですか。まぁ確かに貴女に不満がないならば誰かが損する話でもないですしね」
「そういうこと。……だからさ、あの子が望んだらあんたもこいしもあの子の友人になってあげて」『どうやら前の巫女が健在のうちは玄も眼を覚まさないみたいだし』
成る程、彼女は一体誰に育てられたのかちょっと気になっていたのだけど、どうやら彼女の心中に一瞬浮かんだ亀の妖怪が彼女の育ての親であるようだ。
妖怪なんかに育てられたから、彼女はこんな性格になってしまったんじゃないかとつい邪推してしまう。
だから、彼女の提案は悩みものだ。友人が増えるのは私も嬉しいし、こいしも喜ぶだろうとは思う。
でもやはり、人は人に育てられたほうが良いとも思うのである。目の前に酷い前例がいることだし。
「だから、あの子が望んだら、よ」『悪いけどあの子はなるべく人に触れさせようと思ってるから』
私の表情を視線で一撫でしただけで、あっさりとこの友人は私の考えていることを看過する。
これではどっちがサトリだかわかりゃしないなぁ。
とはいえ彼女がわりと真剣に少女の未来を考えている以上、友人である私はそれに応えて立派なお姉ちゃんとして振る舞うべきでしょう。
ぎぎぎ、とぎこちない動作で懐から星屑の詰まった瓶を取り出して、
「ええ、望みとあらば、そうしましょう。じゃあこれあの子にあげてください」
手渡すつもりだったのだけど、それはするりと私の未だまともに動かない手から滑り落ちてしまう。
だが流石は現役の巫女。床へと落ちる前にそれをすっと追尾符で華麗に救い上げる。
「金平糖? あら、ありがと」『希少品じゃないの。悪いわね』
「どういたしまして」
丸太のまま私は笑みを友人に返す。
夢想封印の影響で未だ弛緩中の私は顔の筋肉がちゃんと動いていないのか、友人は私の笑顔を見てプッと吹き出した。
ひどい話である。
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■――― 第二章 ~迷霧~ ―――
「ここも、誰も、いないわね」
「そのようですね」
一回の仮眠の後に二人が辿り着いたのは旧地獄の繁華街、鬼の支配する享楽と暴力と歓喜の都にして地底でもっとも華やかな場所、旧都。その玄関先。
玄関先と言っても普段であれば酔っ払いの十や二十がうろついているはずのそこも、今は不気味なほどの静寂に包まれている。
「どこかで再度休憩を取りますか?」
「……そのほうが、良さそうね」
息を切らせている己の体調を気遣うさとりに、若干悔しそうな表情をにじませたパチュリーは渋々といった感じで頷いた。
パチュリーもさとりも自他共に認めるインドア派である。だが身体能力が人間と殆ど変わらない魔法使いと違ってサトリの身体能力は人間のそれよりは上であるらしい。
さとりが特に疲労を感じることも無い一方、病弱体質なパチュリーは息も絶え絶えといった有様である。
「大通りからは離れますが、もう少し進んだ先に『鬼岩』がある広場がありますからそこで休憩にしましょう」
「そこら辺の、民家を、借りれば、いいんじゃないの? どうせ、誰も、いない、んだし」
「……無人だからとて他人の家を勝手に使用するのはすわりが悪いもので」
「誰かに、聞かせて、やりたいわね、その台詞。まぁ、いいわ、案内して」
「ええ、そこならベンチもありますし、普段は何かしら屋台も出ているはずですので、うまくすれば食料も手に入るでしょう」
夢の中で食料って必要なんですかね? と尋ねるさとりに知らないわと答えるパチュリーの興味はそこにはない。
さっきからパチュリーは周囲に視線を彷徨わせるばかり。
二度と訪れることの無いであろう旧都の光景を脳に刻んでおこう、というその知識欲は疲労困憊中であろうと健在のようであった。
そんな風に進んでいるから、
パチュリー達がそこにたどり着くにはさらに一時間程の時を必要とした。
「さ、ここです」
「……遠いわ」
遠くない。見学するのか歩くのか、どっちかに傾注しなかったパチュリーが遅かっただけの話だ。
でんとそびえる大岩をぐるりと囲む広場に設置された小さなベンチの一つに、パチュリーは音も無く沈み込む。
さとりはそんなパチュリーを視界に留めた後に無人の屋台を確認し始めた。
どうやら住人がいないだけで旧都の町並みは完全に再現されているようで、無人の屋台には加工前の食料がいくらか積み重なっている。
その中から加工せずに食べられる物をいくつか見繕って拝借。落ち着かないので一応小銭を各屋台に残しておく。
果物や瓶ジュースを入手したさとりもまた、ベンチに横たわるパチュリーの横に腰を下ろした。
「何か食べますか?」
「……飲み物だけ頂戴」
「どうぞ……あ、すみません、栓抜きが無いみたいです」
我ながら迂闊、とさとりはベンチを立とうとするが、それを横から伸びてきた手が制する。
疑問符を浮かべるさとりをよそにその手がちょいちょいと空中に印を描くと、瞬く間に現れ出でたのは小さな栓抜きだ。
「これ、どうしたんですか?」
「作ったのよ」
「ああ、これが前に言われていた金術ですか。凄い便利ですね」
「こんなので褒められてもね……蓋、開けて」
「はい、よっ、と」
最早瓶の蓋をあける余力も無いのか栓抜きを押し付けてくるパチュリーに苦笑した後、さとりはオレンジジュースの王冠を弾き飛ばす。
宙を舞った王冠が地面にチリンと落下した、
次の瞬間。
〈お賽銭!?〉
「きゃっ!」
「岩が、しゃべった?」
突如、広場の中央に鎮座している大岩から鋭い声が響き渡った。
思わずさとりは悲鳴を上げてしまうが、対するパチュリーは平然としたものだ。もっとも驚く余力すらない程疲弊しているだけなのかもしれないが。
「『鬼岩』ってそういう意味なの?」
「いえまさか。かつて鬼がこれを持ち上げられるようになったら大人の仲間入りっていう風に使っていただけで、喋るなんて……」
ベンチに沈み込んだままのパチュリーを放置して恐る恐るさとりが近づいてみると、はて? なんとなく中から静謐な霊気が漏れているように感じられる。
〈って、なんだ。夢か……で、そこに誰かいるの?〉
「いるわ。霊夢かしら?」
〈よく分かったわね。そっちは誰なの? 声が小さくてよく聞こえないからパチュリーで合ってる?〉
「そりゃ分かるわよ……ええ正解。あとさとりね」
お賽銭! なんて叫ぶ輩なんぞ幻想郷中探したって一人しかいやしない。
ふーん、さとりかと呟く大岩にパチュリーは呆れたというよりも最早哀れみへと変貌した視線を投げかける。
「それにしても石の中にいらっしゃるとは中々斬新ですね」
〈あーこれね、ほんと参ったわ。どうも此処への入り方が正規の方法じゃなかったせいみたい。笑いたきゃ笑ってもいいわよ〉
「 いしのなかにいる を笑える奴なんていないわよ」
「……全くですね」
パチュリーとさとりは思わずお互いの顔を見合わせて怖気に肩を震わせる。
それを嘲笑うなんてとんでもない話である。
〈そうなの? でさ、あんたの魔法でここから出してくれない? あんた魔理沙と違って万能型でしょ?〉
「お褒めの言葉と受け取っておくわね。でも残念、今の私は金術しか使えないのよ。それよりまず外の状況を教えて欲しいのだけど?」
金属製のベンチを魔術で岩の傍へと移動させると、パチュリーは相手の状況を無視して茶飲み話でもするかのように平然と岩と会話をする。
さとりからすれば異様な光景だったが、かつて目にした巫女と魔法使いの挙動を思い出し無理矢理納得することにした。
多分暴力が支配する地底とは異なり、奇行こそが地上を支配しているのだろう、と。
「そ、そうですね。今、外ってどうなっているんですか?」
〈あー、じゃあ私はこのまんまなわけか。まぁいいけどね〉
「いいのか」
〈とりあえず、外の状況だけど……〉
――少女説明中――
〈というわけ。じゃあ、あんた達が犯人じゃなかったんだ〉
「……貴女何も知らないで飛び込んできたのね」
〈まーね〉
威張るな、とパチュリーは自慢のジト目の代わりに大仰に溜息をついてみせる。
霊夢の話から把握できたのは外の被害と射命丸文の現状だけ。たったそれだけである。
まったく、どうして幻想郷の人間達はいつも行き当たりばったりでちゃんとした準備をしようとしないのか。
知性派のパチュリーからすれば、この現状を打破するための情報を何一つ知らぬと豪語する霊夢には溜息の一つもつきたくなるというものだ。
「貴女、とんだ役立たずね」
〈まーねー、返す言葉も無いわ〉
ぴしゃりと容赦なく言い放つパチュリーに若干慌てたさとりだったが、そう断言された霊夢は怒るでもなくその言に首肯してみせる。
浮き足立ったさとりを一瞥したパチュリーはふん、と一つ鼻を鳴らした後にベンチから立ち上がった。
どうやら霊夢の説明を聞いているうちに体力もおおむね回復したようで、その足取りも危なげのないものに戻っている。
「さ、行くわよさとり」
「え? 霊夢さんを放置して行くんですか?」
〈だってあんた達私をここから出す手段が無いんでしょ? だったらそうすべきよ。じゃ、パチュリー。後は任せた〉
「……信頼しているんですね」
〈ん? だってそいつ、読書の邪魔されるのが何より腹立つって奴だし。そういう意味じゃ今回の状況では十分信頼できるでしょ? 信用はしないけど〉
このままじゃろくに本も読めないもんね? と語る岩を「巫女が無能だからよ」とでも言いたげに睨む。
そんなパチュリーを目にしたさとりは意図せずして沈黙してしまう。
だがパチュリーはパチュリーで、もはや霊夢にもさとりにも一瞥をくれることも無くさっさと広場を後にしようとしてしまっていた。
慌てて追いすがるさとりの背中を、霊夢の気軽げな声が叩く。
〈じゃ、任せた。頑張ってねー〉
「ロストしてしまえ。ほらさとり、案内」
さとりにもパチュリーにも、霊夢がにこやかな表情でひらひらと手を振っている姿が幻視できる。
そんな霊夢に一言吐き捨てるパチュリーの前に立つと、さとりは無言の圧力に背押されるように広場を後にした。
◆ ◆ ◆
再び旧都の大通りに戻った二人は、しばしの間お互いの顔を見やって言葉も無く立ち尽くしていた。
「どうなっているんですか?」
「だから、私にも分からないって言っているでしょう?」『ストーリーが進み始めた、ってことかしら?』
気づけば大通りには数多の人妖が行き交っており、そこはまさに繁華街といった様相。
さとり達が広場で休憩をしていた時間は一時間弱。そんな短時間の間に旧都は混雑と喧騒で埋め尽くされていた。
基本的に情報を出し渋るパチュリー対策としてこっそり瞼をこじ開けて問うて視れば、やはりというかパチュリーは内心で一定の解答を出している様子。
成る程、と内心頷きつつ再度大通りを見回してみる。
広場を行き交う者達は様々だ。裕福そうな服装をした年配の者もいれば若い恋人達の姿もある。
子連れの母親やボロをまとった乞食のような者まで千差万別であるのだが……
「なぜ、人間ばかり?」
「確かに、妖怪があまりいないわね」『それに、服装のコーディネートに統一感がみられるし、コーカソイド系が目立つ、と』
確かにさとりが再度周囲を見回して見れば白色人種ばかりが妙に目に付く。モンゴロイドが中心であるのは幻想郷も地底も変わりないはず。
それに付け加えるならば、
「さとり、読める?」『心。さっきから瞼を開けているんでしょう?』
「え? いえ、それがぜんぜん」
「そう」『やはり、心がないのね 』
周囲の喧騒に反して、彼ら通行人の心が一切さとりの第三の眼に映らないのだ。
つまり主要人物じゃないから描写が甘い、ってことなのかなとさとりが首をかしげたところに、
『さて、どうしたものか……』
心の声が一つ、飛び込んできた。
「パチュリーさん、一人だけですが心が読める人がいましたが、どうしましょう?」
「どこ?」『アリスかしら? 』
「アリス? いえ、男性の方です。あちらの白髪の……」
さとりが指差した先。
収まりのない白髪を適当に切りそろえ、幻想郷では珍しい眼鏡を掛けた青年がパチュリーの眼に留まる。
どちらかと言うと女性よりの品を集めた小間物屋を、青年は真剣な面持ちで覗き込んでいるようだった。
「どうしましょうか。接触します?」
「そうね、弱そうだし。話を聞いてみるくらいはいいでしょう」
私達がそれを言いますか、という台詞を飲み込んださとりは黙って先を行くパチュリーの後について青年へと近づく。
さっきからさとりの眼に映っているのは、『いや、しかし』とか『でもなぁ』といった混迷に端を発する単語ばかりだ。
「ちょっとそこの貴方」『む、以外に身長が高い』
「ん? まさか、僕かい?」『おかしいな、少女に声を掛けられる程に人好きのする顔はしてないはずだが』
「軟派ではありませんので、ご心配なく」
先回りして否定したさとりにそうだろうね、とは嘯きつつもその青年の表情は些か複雑なものであった。
「それで、何用だい?」『さて、せっかくだしちょっと聞いてみようか? だが初対面だし変質者扱いされても困るか』
「貴方はそこで何をしているの?」『さて、こいつの配役は?』
「なぜそんなことを気にするんだい?」『こっちの紫はあまり人の話を聞かなそうだな』
「いえ、ずいぶん真剣に女物をそろえた店を覗き込んで悩んでいたようでしたので。こう見えて私はここの権力者なんですよ?」
「……変態でも盗人でもないよ。僕はただの商人で、知り合いの子に送る誕生日プレゼントを決めかねていただけだ」『問答無用で変質者扱いとは酷い話だ』
顔をしかめる青年とは対照的に、さとりはその発言になぜか嬉々として顔を輝かせ始めた。
パチュリーを押しのけて、青年の前に出る。
「恋人さんへのプレゼントですか? どんな方なんですか? どのように知り合ったんですか? 二人の馴れ初めは? 愛してるんですか、愛してるんですね? きゃー!」
「い、いや、知人の娘だ。まだ十にも満たない女の子だよ」『一体何なんだこの子は!?』
『「ロリコン」』
「違う」『無礼なネグリジェだな。いやしかし、スタイルはいい。此方は……可哀想に』
「……いま、値踏みしましたね?」
「ん? 何のことだい?」『鋭いな、気を付けないと。でもこれだけ人の表情仕草に聡いのは行幸か』
ロリコン発言に殊更に顔を歪めてみせた青年だったが、これも縁と考えたのだろう。誠実そうな表情を作りあげる。
「で、自ずからいけしゃあしゃあとプレゼントを要求してきた彼女に僕は何かくれてやらなきゃいけないんだが……こういうのはさっぱりでね。助言を頂けないだろうか?」『さっきのロリコン発言を水に流したんだ、助言ぐらいくれて当然だろうな』
「どんな子なんですか? それが分からないとちょっと。あと貴方とどれ位面識があるのでしょう? 親しさによってもこういうのって変わってきますし」
「……妖怪退治の英雄になるって言って家出した不良娘さ。彼女が物心ついた頃からの付き合いだよ」『兄代わり、になるのだろうか?』
十にも満たない少女が一人暮らしとは、とさとりは呆れたように頭を振った。
一方でパチュリーは一瞬めんどくさそうな表情を浮かべた後、青年を恨めしげにねめつける。
「育て方、間違ったんじゃない?」『こいつが諸悪の根源かしら?』
『「失礼だな、僕が育て方を間違うわけないだろう? 向こうが勝手に育ち方を間違ったんだ」』
(凄い自信ですね……)
(ほんと、兄妹揃って呆れた連中だわ)『諸悪の根源確定ね』
よくもまぁ、一片の疑念を抱くこともなくそう言い切れるものだ、と。
さとりとパチュリーは顔を見合わせて嘆息する。
「なら護身具でも与えてはいかが? 十にも満たぬ少女の一人暮らしとあれば何かと危険でしょうに」『多分、現実ではそうだったんでしょうね』
「それは僕も考えたんだけどね、護身と言うと大概は武器やらなにやらだろう?」『そういうのを与えて前向きに妖怪と向き合われたら……』
「貴方はその子に妖怪退治なんてやめて欲しいんですね」
「理解が早いね、その通りだよ。そういったものを与えて図に乗ったらますます彼女は家に帰らなくなるだろう? 僕がそうやってあの子の背中を後押しして、彼女に何かあったら眼もあてられないじゃないか。彼女はごく普通の女の子なんだ。妖怪退治なんて向いてないし、それに人には身丈にあった夢がある。そうじゃないかい?」『危ないことに首を突っ込むな、っていつも言っているのに……』
青年は若干憔悴したような表情で肩をすくめてみせるが、なぜか先ほどまでの元気を失って急に黙り込んださとりを目にして怪訝そうに眉をひそめた。
数秒、揺蕩った沈黙を切り裂いたのは知識の魔女の溜息だ。
「とりあえず、配慮するのはそこじゃない、と言っておきましょうか」『さとり、会話をいきなり放置しないで頂戴』
「……なぜだい?」『ずいぶんと外見不相応に落ち着いた子だ。このネグリジェも人間じゃないのか? 』
「まず第一に、譲れない夢があるものは決して己の願いを諦めない。それが他者から見てどんなに愚かしく、くだらない願いであろうとも」『望むように生きて、望むように死すでしょう』
「「……」」『やはり、そうなのか……』
沈黙する青年を見て、もはや言葉は不要とパチュリーは判断したが、それでも一応とばかりに問いかける。
「貴方、商人と言ったわね? 貴方は誰かに強硬に反対されたら商人を辞めるの?」『無理でしょう? 香霖堂』
「辞められないね」『まぁ、そうだよな。全く、誰に似たんだか』
「次に、相手に「贈る」ものはそれが言葉だろうと物だろうと、核になるのは貴方の心。贈り物は心、というのは陳腐でありしかし真理である。貴方がその子のことを想い、悩み、願った結果が贈与品になるのであって、贈与品が先にあるわけではないでしょうに」『ま、まず形からというのはいかにも商人らしいけど』
「……夢をへし折って大事に大事に懐に囲い込む、というのも、では「有り」なのですよね?」
急に会話に復帰したさとりを、パチュリーはつまらなそうに一瞥する。
「有りか無しかで言えば「有り」でしょうね。ただ、命を尊重するか夢を尊重するかにもよると思うけど、どちらが過干渉かを考えれば私自身は「無し」と答えるわ」『グレートマザーに興味はないもの』
「自分色に染めたいか、それとも勝手に育っていくのを見ていたいのか。どちらの比重が大きいか、ということだね」『ワイズマンには興味はないな』
「他者は貴女のために生きているのではない。他人の夢をへし折る、と言うのは一種の征服であり、支配でもあるわ」『その認識がきちんとあるなら、それも「有り」でしょう』
「そう、ですか……」
悩むさとりに一瞬心配そうな眼差しを向けた青年だったが、頭を振った後に満足げな表情を浮かべてパチュリーへと軽く頭を下げる。
「うん、そうだな。相談に乗ってくれて感謝するよ」『驚いた。案外優しい子のようだ、このネグリジェは』
「ま、智慧を提供するのが知識人の務めだからね」『やれやれ、久しぶりにまともに仕事をしたような…
思考を共有したかの如く淡い笑顔を交わす二人を、さとりは黙って見つめていた。
第三の眼が閉じてしまったというのにそれすら気づいていない様相で、ぼぅっと思考の海に溺れている。
そんなさとりに視線を向けて息を吐いたパチュリーは再び眼差しを青年へと戻す。
「で、貴方。私達は今、とある異変を解決しようとしているのだけど。何か怪しいものを見なかったかしら?」
「怪しい、か。ならば多分あれだろうな。あっちになぜか一軒だけ洋館があったんだ。怪しさという意味では十分じゃないかな?」
地霊殿とは逆の方向を指差す青年に対し、パチュリーは得心したように頷いた。
「そ、ありがとう。ならば多分そこでしょうね。ほら、行くわよさとり?」
「え!? ええ、そうですね、それでは失礼します」
「お気をつけて……魔理沙をよろしく頼むよ。あれで案外まっすぐで良い子なんだ」
背を向けて歩み出した両者の背中を優しく、暖かい声が叩く。
はっとして二人は振り向いたが、そこにはもはや青年の姿はない。
「何だったのでしょうか……」
「彼の話はこれでおしまい、ということなのでしょうね。さ、とっとと次のページを目指すわよ」
思考の海に溺れる時間はまた今度にしなさい、と呟いてパチュリーはさとりに歩みを促す。
だが請われるがままに先を行きながらも、さとりは自らの足を掴む水魔から自由になれないでいた。
――夢を手折るは太母の腕、望むように生きて、望むように死すでしょう、か。
言いたいことは分かる、でも、それでも。
――それでも、命あっての物種ではないのですか?
◆ ◆ ◆
「いきなり洋館が建ってると違和感バリバリですね」
「地霊殿の主が何言ってるのよ」『あっちのほうが地底では異常でしょうに』
焼屋造の長屋や塗屋造の町屋が立ち並ぶ旧地獄に突如現れた西洋建築。
南蛮漆喰による白壁こそ土蔵造りとそこまで変わらないものの、それ以外は明らかに他の建築物とは一線を画した風貌。
それはまるでこれでもか、とばかりに此処に何かあるぞと二人に誇示しているかのようでもある。
「で、これは?」
「人形師、アリス・マーガトロイドの館よ。アリス? 居るのかしら?」『アリス邸……さて、鬼が出るか蛇が出るか』
コンコンコン、とパチュリーがノックをするが、内側で何かが移動する気配も無い。
だが煙突から黒煙が立ち上っている以上、中に人が居る、と考えるほうがいくら夢の中とはいえ自然であろう。
「居留守ですかね?」
「踏み込むわよ」『瞼を可能な限り開いておきなさい』
鍵のかかっていない扉をガチャリと開け放ったパチュリーは躊躇い無く中に踏み込んでいく。
放置しておくと三分位で閉じてしまう瞼をギリギリと再度こじ開けたさとりが後に続くと、そこでは人形のような少女が一人、脇目も振らずにせっせと等身大の人形を作り続けているところだった。
――不気味の谷、だったかしら?
部屋の至る所には未完成のマネキンのような人形が散乱しており、中途半端に人を模す途中のそれは死体とも違った嫌悪感をさとりに与えてくる。
加えて鬼気迫る様相でそれらを人へと近づけている人形師の表情にさとりは薄ら寒さを覚え、己の右に立つパチュリーの背に隠れるように一歩後退した。
「アリス」『返事をしてくれればいいのだけど』
「何?」『誰?』
言葉のみを返すアリスは振り向くことなく黙々と手を動かしている。
「何をしているの?」『とりあえず会話にはなるか』
「研究しているのよ」『フフ、ついているわね……』
「何を?」『答えるかしら?』
『「心を」』
手を止めたアリスが二人のほうを振り返る。
そこに浮かんでいた表情はさとりにとって……そう、生きのいい死体を入手したばかりのお燐を髣髴とさせるものだった。
『「人の心を探しているの。自律人形作成の第一歩。人形が自律するためには意識と心が必要である、これは間違いない。では意思とは? 心とは何か? 人は人という括りに括られていながらその内面は驚くほどに統一性が無い。ここまで統一性が無いものを一まとめで心とする場合、何をもってして心があると言えるのか? 自ら考える能力があればそこには心が存在しているのか? 思考することをやめて命令に唯々諾々と従うものには心が無いのか? 生命体にしか心が宿らないのか? 心が宿っていることをどうやって証明すればいい? 我思う故に我在ることは間違いないが、我に心があるとどうして言えるのか? 霊には心がある。ならば心を得るに当たって肉体は不要なのか? 否、生前を持たず自然発祥した幽霊は概ね唯一つの感情に縛られている。感情を変えないものを心と読んでよいのか? そもそもそのような霊は自己というものを認識しているのか? 心とは各個別のものであり、ひとつとして同じものはないという。故にコンピュータに心は宿らない。ありとあらゆる同一インプットに対し同一アウトプットを返すものは心ではないと言う。だがひとつとして同じものが無いのであればそれを心と一括りに呼べるものは存在しないはず。ならば心と呼ばれるものの共通フォーマットは間違いなく存在している。観察と創造を繰り返せばいつかはそこに到達するに違いない。然るに! 私は研究する! ありとあらゆる存在を解体し、内側を覗き込んで記録、それらをすべて照らし合わせていけばいつか心の基底にたどり着くはず!」』
「あ、アリス? さん?」
「気の遠くなるような作業ね。そして遠回り」『配役は敵だったか。来るわよ。さとり、迎撃しなさい。私は右、貴女は左。迎撃後即座に入り口から後退。この屋敷から逃げるわよ』
え? とさとりが問う暇すらなくパチュリーは円盤状のノコギリを生成すると、突如ガタリと起き上がった人形にそれを投げつけて両断する。
『何をしているの! 死にたいの? 左! 早く! 』
示唆されて振り向けばさとりの左から外装が未完成の人形が一体、手に持った斧でさとりの頭蓋を狙っているではないか!
「……想起、アリスキック!」
流れるように人形の腹にブーツの靴底を叩き込み、人形が滑り落とした手斧を奪っておく。
先に外へと向かったパチュリーの後を追ってさとりもまた恐怖の館を飛び出し、入り口をバタンと閉じたまではよかった。
だが館の外の光景を理解した途端、さとりの足は凍りついたかのようにピタリと止まってしまう。
「囲まれてる……」
「ふむ。予想が当たっても嬉しくないわね」『ちょっとばかり不利ね』
変わらぬ口調でそう洩らすパチュリーだったが、流石にその目は笑っていない。
先ほど突如町に現れた人影。老若男女問わずのそのすべてが今や何らかの武器を手にアリス邸を囲むようにひしめいているとあっては、流石に一曜の魔女では余裕綽々とはいかないのだろう。
「予想してたんならなんで外に出たんですか!?」
「狭い室内に雪崩込まれるほうが問題でしょう?」『人形だもの。狭所で相対すれば自損すら気にせずに私達を押しつぶしに来るわよ? それよりはましでしょうに』
「それはそうかもしれませんが……これ、捕まったらどうなるんですかね?」
「アリスによる解体ショーは間違いないでしょうね」『その後ちゃんと再構築してくれればいいんだけど』
ああ、とさとりは頭を抱えた。やはり地上は奇行種で溢れている!
「何でいきなり解体なんですか!? おかしいでしょう!?」
「ちょっとスランプに陥った魔法使いなんてみんなあんなものよ」『とりあえず貴女はドアを死守して頂戴』
思考と同時にパチュリーは魔力を開放して淡く輝く金色の魔方陣を形成し、即座に円鋸を連続で射出する。
十体近い人形がその円鋸に体を両断され、擬似体液を吹き出しながら成すすべなく崩れ落ちた。
――詠唱省略で、これですか……。
片手でドアノブを、もう一方で手斧を握り締めたまま、さとりはほぅと溜息をつく。
魔術には明るくないものの、大陸横断という破天荒な経験から分かる。目の前の魔女は間違いなく一流の魔術師だ。
魔力の抽出から魔術の形成までの流れが恐ろしく丁寧かつ迅速で、見ていて惚れ惚れするほど。
一撃で二、三体を軽く粉砕する円鋸を五つ六つと生成していくパチュリーの金術は人形を寄せ付けることなく、一定の距離を保ったままそれらを次々とガラクタへと変えていく。
これならば、
――何とかなる、かな?
だがドンドンと鳴動するドアを押さえつけているさとりがほっと一息ついた、その安堵を嘲笑うかのように。
館の右手に屹立していた三階分はあろうかという高さの塔が突如として崩れ去った。
「……参ったわね」『これはまた金をかけた物を……』
円鋸をそれに向けて一枚投擲し、皮膚表面で弾かれたのを確認したパチュリーが深々と溜息をつく。
それは戦闘のためだけに作られた巨大な構造体。
試作機とは異なる重厚な装甲と双剣を備えし巨躯。
完成されたゴリアテは人形ゆえに感情通わぬ鉄面皮を足元の二人へと向け、一歩、また一歩と大地を揺らして近づいてくる。
「き、金術であれ、操れませんか?」
「装甲は高硬度レイヤードセラミックスで武装はセラミックサーベルのダイヤモンドコーティング。土術じゃないと無理ね」『あの短時間で金術だけしか使えないと見抜いたか。さすがは新進気鋭、テンパッててもいい洞察力してるわ』
「褒めてる場合じゃないですよね!?」
ドアノブを押さえて叫ぶさとりには手の打ちようがない。
手を離したら間違いなく中からアリスがハローと現れてくるのが目に見えている以上、扉から手を離すわけにはいかない。
だが逃げなければゴリアテにやられる。
ああ、そんなことを考えているうちに気付けばゴリアテの間合いの内だ。サーベルを振り上げるゴリアテの影に太陽が隠れ、さとりの周囲は闇へと落ちる。見下ろす視線は、何処までも無感情だ。
「此処で死んだら、外の私達はどうなるんでしょうか……」
「多分一生目を覚まさないのでしょうね」『眠り姫は魔女の役じゃないのにね』
ドンドンと鳴動するドアから手こそ放さないものの、覚悟を決めたさとりが目をつぶろうとした、その瞬間。
天を切り裂くような黄金の箒星が、輝ける光の奔流となってゴリアテに突き刺さった。
「よう、パチュリー・ノーレッジ先輩ともあろうお方が苦戦しているじゃあないか!」
自らを魔弾と化して巨兵を転倒させた後、地上を見下ろして不適に笑う黒い魔女。
揶揄するような笑みを浮かべた若輩をパチュリーは憎々しげに睨みつける。
それが出来るのは背後のドアが既に固く封印されており、前面の人形達は紅い二枚の結界に阻まれて彼女達に近づけないでいるからだ。
続いて結界に群がった人形達に輝く光弾が雨あられと降り注ぎ、それらを余すことなくスクラップへと変えてしまう。
「やれやれ、憂さ晴らしの相手としちゃ人形は最適ね。さ、次はでかいのをぶっ壊すわよ」
紅白の巫女、博麗霊夢はふわりと流れるように霧雨魔理沙の横へと並ぶ。
並ぶ巫女と魔女は起き上がった巨兵を顎で示し、恐怖を微塵も感じさせない獰猛さで微笑み合った。
「じゃ、どっちがやる?」
「お前がやれよ。どうせストレスたまってるんだろ?」
つくづく人を怒らせるのがうまい奴だ、と。
憤慨し、帽子をズリ下げて魔理沙のニヤニヤ笑いを潰した霊夢は光弾を生成してそのまま突撃。双剣を振りかぶるゴリアテを前に防御など不要とばかりに圧し進む。
軽々と霊夢を三枚におろすであろう双剣は、
「魔理沙」
「応よ!」
魚雷に弾かれ軌道をらされ、霊夢を落とせるはずもない。
「さ、ぶっ壊れなさい!」
空振った相手の懐に飛び込み巫女の代名詞。零距離から放たれた夢想封印がゴリアテの表面で次々と爆ぜて世界を白く染め上げる。
……が、
「おいダサいぞ霊夢、効いてないじゃないか!」
ことも無げにゴリアテは小首を一つ傾げた後、未だ残照残る白光の裏で双剣を勢いよく跳ね上げる。
だが霊夢の隙を突いたその一撃も、横合いから霊夢を掻っ攫った魔理沙によって空を切った。
「あちゃー、まるでアリスの面の皮みたいに堅いわね」
改めて無傷のゴリアテを憎々しげに悩めやった後、霊夢はふわりと魔理沙に正対して片手を挙げる。
それはすなわち、
「やっぱ品行方正な私じゃアリスの鉄面皮は引っぺがせないみたい……魔理沙、任せた」
「よく言うぜ」
パシンと手を鳴らし攻補交代。魔理沙は苦笑しつつも霊夢をその場に残してゴリアテから距離を取り、八卦炉に魔力を注ぎ込む。
残された霊夢の役目は時間稼ぎ。その両手にあるのは青く輝く霊力を纏った二つの陰陽玉だ。
「さあいくわよ、第一球!」
叫び声と共に振りかぶった特大陰陽鬼神玉を全力でゴリアテの頭部に叩きつける。グラリ、と揺れた巨体に追い打ちで「続いて第二球!」
たたらを踏んで荷重が片脚に偏った瞬間を狙って、巨躯の膝へ向けてチャージ済みの魔理沙が、
「ストライクだがデッドボールだ! 走ってもいいぞ、走れるならな!!」
箒を構えて綺羅星の巨弾を発射。僅かな時間を置いて逆の膝にももう一発。
ゴキリ、と鈍い音を響かせてゴリアテの膝関節が粉砕されれば、巨躯は最早直立を維持していられず地響きをたてて転倒する。
だが、苦痛のない人形に戦闘放棄はない。動かぬ膝などものともせずに腕のみで目的を果たさんとするが、
「霊夢、選手が錯乱している。腕押さえててくれ!」
「もうやってるわ」
ゴリアテの上腕部で輝くは霊夢の紅い方形結界。いかなる魔力も遮断するそれは容赦なくゴリアテから腕の自由をも奪う。
「ほら、早く処置しなさいよ」
ヒュウと短く口笛一つ。
小瓶を二つスカートから取り出し、無造作に投げ捨てた魔理沙は空へと舞い上がる。
二つの小瓶はあれよと亜空穴に吸い込まれたと思いきや、次の瞬間にはゴリアテの肩付近で炸裂して肩の外殻装甲を吹き飛ばした。
膝と肩、四肢を動かすための関節を損傷したゴリアテを見下ろし、口元を歪めた魔理沙は、
「外すこぉーとぉーの無い恋の魔砲ぅをー!」
魔力を蓄えた八卦炉をゴリアテへと向け、導線を結んで勝利を宣言する!
「そのー胸にー撃ちこんでーっよー、っと!!」
上空から凄まじい勢いで叩きつけられる爆炎が破損した関節からゴリアテ内部に侵入し、駆動系を破壊して火柱を吹き上げる。
肩と膝の関節から黒煙を吹き上げるゴリアテは外見はほとんど無傷、されど四肢の自由を失った今や巨大な案山子と大差がない。
勝敗は、驚くほど速やかに決したようだ。
「「いぇーい!」」
白黒の魔女と紅白の巫女が笑顔でバチーンと互いの両手を打ち合わせる様を見つめて、パチュリーは小さく溜息をついた。
「あれだけ息が合ってるのに、どうして彼女達はペアで異変を解決しようとしないのかしら?」
「ライバルだから? ですかね?」
彼女達のことなど殆ど知らず、心も読めない今のさとりには分からない。
だが、なぜかいきなり互いの頬をつねり始めた人間達の表情は、さとりにはなんだかとても素晴らしいものであるように思えた。
そう、思えたのだ。
◆ ◆ ◆
「で、どういうつもりなのかしら、アリス?」
「どういうつもりも何も、私は心のアーキタイプが欲しかっただけよ」
パチュリーの問いかけに、まるで愚問とばかりに平然とアリスは前髪をかき上げて応える。
操れる人形はすべて粉砕され、四方をパチュリー達に囲まれているというのに都会派魔法使いは悪ぶれるそぶりも見せない。
改めて邸宅に踏み込んださとり達に対し、むしろ私が何かしたのかといわんばかりに仁王立ちしたアリスは腕を組んで尊大に周囲を睨みつけてくる。
「人形に心を与えるために?」
「ま、そういうことね。一度心の原型をつかめれば後はとんとん拍子でしょうに。やらない理由が何処にあるというのかしら?」
「それはそうかもしれませんがね」
解体されかかったさとりとしては堪ったものではない。
パチュリーにアリスといい、このままでは他者を顧みない魔法使いという連中に苦手意識を抱いてしまいそうである。
ただ、誰もが張り詰めた空気をまとっている中で霧雨魔理沙だけがいつもの自然体だ。
「でも、ま。お前らしくもない無駄な行為だったな」
「なぜかしら?」
「心ってのは組み上げるもんじゃなくて育むもんだろうが。一体この世の何処に、最初から完成された心を持って生まれてくる奴がいるんだよ? 原型なんてあるはずないだろ?」
「……ならば私には一生自律人形は作れないとでも?」
眉を吊り上げて睨むが、睨まれたほうは動じることもなく、
「さあ? だから育む種を芽生えさせられるかがお前の課題になるんじゃないのか? 宿った心を育てるってのは自律人形の作成とは言わないのか?」
「あら、ちょっと興味があるわね。どちらなの? アリス」
「ふむ……。勿論それもありだけど、私は偶発的に宿った心を私の創造物などと認めたくないのよ。一から作ってナンボでしょうに」
「偶然からヒントを得るってのもありだろ?」
「最初から偶然ありきとは……貴女、それでも魔法使いの端くれなの? いい? そもそも魔法使いというものはね……
と、急にさとりは己の服が横からちょいちょいと引かれていることに気がついた。
振り向くと霊夢がさとりをの袖を引っ張りながらキッチンへと向かっていくところだった。
「っとと、どうしたんですか? 霊夢さん」
引っ張られるがままにバランスを崩しそうになったさとりに、霊夢は肩をすくめてみせる。
「あれ、長くなるわよ。お茶にしましょ。多分紅茶しかないからあんたが淹れて。私はお茶請け探すから」
「勝手に漁っちゃっていいんですか?」
「アリスの家だし問題ないでしょ? じゃああんた、黙ってあいつらの議論聞いてる?」
「……迷惑料ということで、頂いちゃいましょうか」
:
:
「……そうやって、生まれた心は他者との触れ合いの中でのみ成長するんだ。ま、いずれにせよそうやって距離を取って、高みから他者を見ていちゃ心には近づけないだろ?」
「私に、人ごみに入って行けと?」
「そうだ」
「触れ合わなきゃ何も始まらない、と?」
「そうだろ? 温室育ちなんてロクなもんにならんだろ」
「野育ちよりマシでしょう? 魔理沙」
ふっ、とアリスが若干シニカルな微笑みを浮かべたのを目にして。
「結論でたー?」
さとりと二人で計6杯の紅茶と1ホールのケーキを平らげた霊夢は、薄いティーカップをチンと一回爪弾いて椅子から立ち上がった。
さとりもまた、これが現実のお肉に成りませんように、と憂いを湛えた表情で後に続く。
「ああ、引きこもってちゃ心は育たないってお前ら! 何優雅に茶なんか啜ってんだよ! しかもケーキまで!」
「……中々耳に痛い結論をどうも」
さとりにとっては二重に胃が重い二時間であった。
そもそも地底の引きこもりであるさとりには社交性など殆どなく、ごくまれに交わされる会話でもネタなんてものは全て読心から拾っていた。
一方で霊夢は話し好きの紫やトラブルメーカーの魔理沙、ゴシップ好きの文などの相手をすることが多いために相槌を打つのは上手かったが自分から話を振ることは少なく、そんな両者の間にはあまりキャッチボールが成立しなかったのである。
結果、霊夢は特にすることがないから、さとりは沈黙の気まずさを誤魔化すためにひたすらケーキを食べ続ける羽目に相成った、というわけだ。
「じゃ、ま。気分を入れ替えてと。まずはこの状況を何とかしたいんだけど、あんたもちょっと協力してくれない?」
柔らかい表情に戻ったアリスに霊夢が問いかけるが、アリスは微笑んで静かに首を左右に振る。
「ごめんなさい、それは出来ないみたい。私の役目は貴方達の前に立ちふさがることみたいだから、己を取り戻した私はお役御免みたいね」
と。
そう語るアリスの体はいつの間にか半透明になっている。
語ることは許されぬとばかりに消え入りそうになりながらもアリスは最後に言葉を紡ぐ。
「最後に一つだけ助言を。私達は操り人形ではないの。故に配慮は不要、全力でひねり潰しちゃっても問題ないわ」
「あ? そりゃどういうことだ?」
だがもはや答える余力もないのか、ただ幸運を祈るとばかりにアリスは微笑んだ。
そのままアリスはその存在が幻であったかのごとくその場から掻き消えてしまった。
まったく迷惑な奴だわ、と霊夢が苛立たしげにトントンと爪先で床を叩く。
「でも一件落着か。ま、一応お疲れ様。パチュリー」
「ああ、遺憾ではあるけれど今回アリスの意にそった見解を導き出すのに貢献したのは魔理沙のようね」
ほう、と霊夢は僅かに感嘆を口にする。
「ふーん。あんたもやるときはやるんじゃない」
「ま、私は外でアリスに教わったことを伝えただけではあるがな」
えへんと胸を張る魔理沙を目にして、さとりは余計なことは言わなければいいのに、と思うのである。
実際霊夢の表情からまるで潮が引くように感心の色が薄れていくさまは、ある意味見事ですらあった。
「自分自身の言葉ならそりゃ納得するか。にしてもあんた説得の言葉すら他人の受け売りとはね。ちょっとだけ感心した私が馬鹿だったわ」
「パクり魔法使いここに極まれりね」
「うるせぇよ! ヒーロー扱いしろとまでは言わないけど、丸く収めたんだから少し位は賞賛するだろ普通!?」
だが霊夢とパチュリーが魔理沙を見る目は今や、おもちゃを見つけた子供のそれだ。
「「自分でヒーローとか言っちゃって、可愛いわね」」
「魔理沙さんって弄られキャラだったんですね」
「その認識は違うからな!? 私は主役、そう主人公だ! そうだろ? そうだって言ってくれよ!」
いじられ体質な主人公だっているわよ、と霊夢は相手にしない。
誰だって自分の物語の中では主人公よ、とパチュリーは相手にしない。
頑張って、しかも結果を出しているのにこの扱いならやはり脇役なんだろう、とさとりは哀れみの目線を魔理沙に向ける。
「ちくしょうお前ら、今に覚えてろ……」
「はいはい、覚えとくわよ。しかし遅かったじゃない魔理沙。あんた何ぐずぐずしてたのよ? こっちは体が痛むったらありゃしないってのに」
「しゃーないだろ。あのバカ月姉妹が領域侵犯だとかネチネチと因縁つけてこなけりゃもうちょっと早くこれたんだ。にしてもお前の体が痛むのは私のせいじゃないだろ? 自分で罠張っといて石の中とかマジありえないって!」
反撃、とばかりに魔理沙が霊夢の失態を嘲笑う様に、さとりとパチュリーは恐怖と、若干の寂寥を覚える。
「いしのなか を笑えるのか……若いっていいわね」
「本当ですね」
思い出し笑う魔理沙にも、笑う魔理沙の唇をむにっと指で無理やり塞いだ霊夢にも、顔を見合わせて震える年長者達が抱く恐怖は理解できないだろう。
「で、これからだけど。どう思う? パチュリー」
自分で思考することを明らかに放棄している霊夢に一度ジト目を向けた後、パチュリーは探るような視線を魔理沙に注ぐ。
「「次」に行くしかないんでしょうね。で、魔理沙。貴女何か追加情報を持ってきてはいないの?」
「悪いな。私が知っていることもあまり霊夢と大差ない。装備は寝込んじまった奴からかっぱらって来てるんで結構豊富だがな」
「魔法使いの最大の武器は知識でしょうに……そんなんだから貴女いつまで経ってもパクり魔法使いなのよ」
「やかましいよ。霊夢に聞いたぜ? お前今は空も飛べず金術しか使えないくせして偉そうに言ってくれるじゃないか!」
憤慨する魔理沙がパチュリーを羽交い絞めにする。そうされていると胸の張りが強調されて実にエロスだ。
悪かったとばかりに魔理沙の腕をタップして開放されたパチュリーは半ば呆れたように彼女達を見やるさとりの目線に気がつくと、ゴホンと軽く咳払いをした。
「ええとさとり、貴女はアリスから何か読めたかしら?」
「え!? ……すみません。ケーキ食べるのに夢中で、その……」
「おいおい? 今は役に立たないんだなそのクラブ」
「バ、バク○リアン軍違いますよ!」
あんなガニ股と一緒にしないで欲しいというさとりの抗議はBGMにしかならないようで、魔理沙達は「じゃ、次か」なんて言いながらさっさとアリス邸を後にしてしまう。
肩を落としたさとりも続いて館の外に出るが、なぜか先に外に出た三者は心底嫌そうな視線をある一方に注いでいた。
つられるようにさとりもそちらに目線を向ける。
旧都大通りからも目に入る旧地獄の入り口。本来ならば逆さ摩天楼が存在している場所。
今その縦穴の代わりにそこに存在し、地上へ地上へと伸びているのはジグザグとつづら折りになった白い一筋の階段だ。
「石段? でしょうか……」
一人首をかしげたさとりが三人に視線を戻せば、なにやら彼女達は円陣を組んでぼそぼそと相談中である。
なんとなく一人のけ者にされているようでさとりは何とも言えない物寂しさを覚えた……のだが。
「なぁ、次は接近戦になる可能性があると思うんだが、まず人間よりも身体能力が劣る人」
「はい」
パチュリーがすっと手を挙げる。
「次に身体能力が人間並みな人」
「「はい」」
自分自身の問いに対して、魔理沙が、そして霊夢が手を挙げる。
「じゃ、お前な」
そう嘯いた魔理沙は帽子の中から白楼剣と楼観剣を引っ張り出すと、さも当然とばかりにそれをさとりに手渡した。
「なんですか? これは……」
「見りゃ分かるだろ? 白兵戦対策だ。お前の仕事は物理で殴ることに今消去法で決定した」
包囲網が、
「む、無茶言わないでくださいよ! 私戦闘苦手なんですよ!?」
「いえ、さっきのヤクザキックは鮮やかだった。貴女ならできるわ」
じわじわと、
「僧侶一人に魔法使い二人よ? 遊び人でも貴重な打撃戦力でしょうに。ウダウダ言うな」
形成されていたようだ。
「何で私遊び人なんですか!」
「「「だってペットに仕事をすべて任せた自宅警備員でしょ?」でしょう?」だろう?」
有無を言わせぬ三者のインサイダー取引にさとりはもはやなすすべも無い。
遊び人扱いされ双剣を押し付けられた挙句、刀を佩いた姿を三者に口をそろえて「似合わない」と言い切られたさとりは、つまるところ己もまた脇役なのだろうと感じて無性に悲しくなった。
哀愁を帯びた瞳で夕日を見つめるさとりを胡乱な表情で一瞥した後、霊夢は「んーーっ」と軽く伸びをして皆に向き直る。
「どうする? 少し休む?」
「いいえ、このまま向かいましょう。いい加減この沈まぬ夕日も見飽きてきたわ」
「よし、じゃ乗りな。パチュリー、さとり。どうせページ飛ばしはさせて貰えないんだろうし、正面から行くぞ」
箒にまたがった魔理沙達三人と霊夢はふわりと地底の空に舞い上がると、地底の入り口へと向き直った。
そしてこの嫌われ者達の巣窟、再び無人となった華なき華の旧都に別れを告げるかのように、天へと伸びる白石の階段目指して空を行く。
そう、突如地底に姿を現した白玉楼階段。
おそらくはそこで待ち構えているであろう、人の話をろくすっぽ聞かない辻斬り侍を目指して。
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□――― 想起 - Ptolomea - ―――
夏の博麗神社。
春には優雅な桜色の花を付ける、一定の間隔を置いて立ち並ぶ木々も今は緑。
鎮守の森を構成する桜木は濃緑の光沢ある生き生きとした葉々を湛え、流れる風に涼やかに揺れている。
この空気に、雰囲気に触れると私の心はおぼろげながらも郷愁という感情を覚えてしまうようだった。
郷愁――と言っても私は生まれた土地の記憶なんて殆ど……いや全く思い出すことが出来ない。
だと言うのに郷愁なんていう感情が湧き上がってくるのは私の心がここを故郷のように感じているからなのだろうか?
そんなことを考えながら浮遊していると、木々の向こう側に博麗神社社務所が見え隠れし始めた。
そのまま森を飛び越えた私とこいしは博麗神社本殿の裏へすとんと降り立つ。そのままちょっと社務所を覗き込んでみても、中はもぬけの殻。
はて、留守とは珍しいな、と耳を澄ませばなにやら参道のほうからバシャリ、という打ち水の音が。
「こんにちわ、娘巫女さん」
「ああ、こいし……とさとりもか、こんにちわ」『名前覚える気は無いのかなこいつら。まぁいいけど』
いいのか。
本殿前に回ったこいしの声に反応して振り向いたのは、白衣に緋袴という出で立ちに黒髪を白い元結で結わえた少女。
そろそろ裳着も近かろうという位にまで成長した友人の弟子――そして今は私達の二人目の友人である巫女候補――はいきなり柄杓で私達に水をぶっ掛けてきた。
「パリイ!」『またつまらぬものを斬ってしまった……』
ふざけんな。
弟子巫女はぽかんと呆れたような表情を浮かべた後、『何やってんの貴女達』と至極まっとうな思考を浮かべていた。
それはそうだろう。何せこいしが私をホールドしなければ、鈍くさい私だって打ち水くらい簡単に回避できたのだから。
……とはいえ私は立派なお姉ちゃん。濡れ鼠になった位で一々腹を立てたりはしないのであった。
「今日も仲良いわね」『だよね?』
「ええ、勿論仲良し姉妹よ?」『当然よ!』
「今ちょっとヒビが入りましたが」
『「然様か」』
クスクスと笑う弟子巫女を見ているとまぁ濡れ鼠ぐらいどうってこと無いか、って思えてくるから不思議である。
どうせこの初夏の陽気では風邪を引くはずもないし、笑う友人を見ていると私も自然と笑顔がこぼれてくる。
ただまぁ、地霊殿に帰ったらこいしにはお灸をすえねばなるまい。今晩の献立はこいしの嫌いな虫食にしよう。……私自身にも結構クルけど。
「ほ、ほぎー!」『蟻だぁあああーーー!!』
ふふふ、嫌なら料理くらい覚えなさいこいし。覚えてみれば結構楽しいものなんですから。……虫の調理は結構クルけど。
「いいえ、残念ながら断固拒否します!」『こいしちゃんはこれからもただひたすらにお姉ちゃんのお世話になって生きていく所存であります!』
「夢想封印」『声に出せうつけども』
弟子巫女の青筋の浮いたエガオを乗せて、私とこいしに光弾が四つずつ襲い掛かってくる。
結果、三秒後には私とこいしはそろって境内の石畳に横たわっていた。
ほうほうほう、やってくれますね。
よろしい、お望みとあらば声に出してしんぜよう。
「ええとですね、虫料理というのは地底ではわりと重要な栄養源でしてね? 調理法ですがまずは丸々太った蛹を手「夢想封印!!」『聞きたくない!!』
……地に伏した相手に追撃っていうのは御法度だと思うんですよ、私は。
「で、何しに来たの?」『もう立つのか……』
よろよろと立ち上がった私達姉妹に弟子巫女は内心であんまりな舌打ちをする。
どうにもこの子は親代わりの悪いとこばかり受け継いでしまったようで困ったものだ。
『「暇つぶし!」』
「……まぁ、遊びに来ました。旧地獄饅頭、どうぞ」
「毎度ご馳走様。なんか悪いわね」『と言いつつも妖怪の来客が多くて茶菓子に困ってるからありがたく頂く私であった』
この子は物心ついた時から私達の知り合いであるために、心を読む私達のことをそれが当然とばかりに受け入れている。
そのせいもあってか、比較的真っ直ぐで素直な子のままに育ったのはよいことだと思う。
サトリも役に立つことがあるのねー、なんて親巫女が可笑しげに笑ったのはもはや数年前だったか。
「お茶、淹れて来るわ」『飲むわよね?』
「ありがとうございます。あ、これどうぞ」
「あら金平糖じゃない!? さとりお姉ちゃん愛してるわ!」『ふむ、奮発して宇治茶にしちゃおう』
貴重な甘味を懐に仕舞い込んだ少女が軽い足取りで社務所の中へと消えていく。ふむ、実に素直でよろしい。
少女を追って私達もまた社務所前に戻り、並んで縁側に腰を下ろす。
「親巫女がいないわね?」『放浪ついでに此処にもよく寄るんだけど、ほとんど見かけないのよ。お姉ちゃん知ってる?』
「いえ……また妖怪退治かしら?」
こいしが首をかしげて問いかけてくるが、私にも歯切れのよい答えなどできるはずも無い。
自慢じゃないが私は地底の引きこもり。怨霊集めてみぎひだり、が基本の生活を送っているのだからこいしよりも遥かに地上の状況には疎いのである。
唯一つ分かるのは、地獄の整頓に伴って地底も地上もここ十数年変動が激しいということ。それだけだ。
「どうしたのよ、落着き無くきょろきょろしたりして」
「いえ、お母様は一体どちらへ行かれたのかと。妖怪退治でしょうか?」
「ええ。人里へ続く山道に首つり狸が出たとかで。まぁ無事に帰ってくるから心配は要らないわよ」『妖怪退治は……ね』
お盆を手に私達の背後に現れた少女の、含みのある思考に私とこいしは顔を見合わせた。
だがしかし読み取ったことに対しては問いかけないのがこの親子と会話する時の暗黙の了解でもある。
尋ねたくとも尋ねられない。私達がそんな葛藤を抱いたのに少女も気が付いたのだろう。
言葉としてはまとまらない思考を数秒ほど頭の中で渦巻かせた後、少女は私達に湯飲みを手渡すと私の隣へ腰掛け、小さく湯飲みを傾ける。
私達が同様にお茶を啜って一息ついた後、少女は小さく別れを切り出してきた。
「こいし、さとり。貴女達はしばらく地上に上がってこないほうがいいかも」『判断は貴女達に任せるけど』
『「どうしてよ!?」』
「母さん、巫女を辞めることになるかもしれないのよ」『いや、多分そうなると思う』
憤慨するこいしに返されたのは直接の回答ではなく、彼女達の内情と寂しそうな微笑みで。
「……それは、私達が地上に上がらないほうがいい理由と関係あるのでしょうか」
「かなりね」『貴女達には一切罪も責任も無いんだけどね……』
そう語る少女がお茶をすする様はまるで苦い言葉で汚れた口を漱ぐかのようだ。
「最近さ、鬼が妖怪の山における支配を放棄したのよ。知ってる?」『ついでに鬼も随分減ってきたなー』
「ええ、知ってます。けっこう地底に流入してきていますから」
「あ、そうなんだ。でね、鬼が支配しなくなったことで下っ端妖怪の統制がかなり酷いことになってるのよ」『って言うかもう統制とは言えないわね』
『「どういうこと?」』
「ほら、良くも悪くも鬼ってその実力で他者を従えていたじゃない?」『まぁ、分かりやすい支配よね』
彼女は開いた手をぎゅっと握り締めてこいしに拳を作ってみせる。
腕、意外に太いなぁ。思ったよりも筋肉がついているみたいだ。
「けどさ、それを快く思わない妖怪もやっぱりいるわけよ。理由は分かるよね?」『化かすことに特化した妖怪とか』
「……分からない」『お姉ちゃん分かる?』
「分かります」
ふむ、と首肯してみせる。
「鬼は騙すこと、嘘をつくことを許容しない。それを他の妖怪に強要こそしないけど、それを行う者達を低く見ている感があるということですよね」
「そう。化かすことってのはある意味騙すことでもあるからね。でも化かすことに特化した妖怪からすれば鬼の考え方は力あるものの驕りにしか見えないってこと」『まー納得の思考だよね』
違いない。私も今、苦い表情を浮かべていると思う。
「で、鬼がいなくなれば当然そいつらは活気づく。活気づいた妖怪の向かう先は」『……本当、勘弁して欲しいわ』
「人間よね」『そりゃそうよね』
「ですね」
「だから今日も母さんは大忙し、ってわけ」『まぁ、化かすこと専門の妖怪なんて母さんなら秒殺……いや殺さないけど』
「あれ? 巫女を辞めるって話と繋がらないわ?」『忙しいなら辞められないじゃない?』
「……そういうことですか」
「『どういうこと? 』」
純朴な疑問をぶつけてくるこいしに、私は意図せずして表情と心情の二つで不快感を顕わにしてしまった。
こいしに言葉で説明しようとした私の口を、彼女が横から指でむにっと塞ぐ。
そんなことをしたって私の思考はこいしに筒抜けであると言うのに。
それでも、私がせめて棘のある口調をこいしに向けないようにと、配慮して。
「今は予備がいるじゃない。母さんより人里に近くて、母さんよりは人里の意見に従順であろう予備が」
「……」『予備って……』
「里人の感情もね、私には凄くよく分かるのよ。ほら母さん結構妖怪に甘いから。母さんからすればどいつが危険でどいつが安全かちゃんと把握できてるんだろうけどさ、それをきちんと里人に証明しているわけでもないし」『私だって時々疑うからなぁ。まぁこれまで母さんの判断が外れたことはないけど』
「悪であることの証明は一瞬で済みますが、善であること……いや、無害であることを証明することは難しい、と」
「そう。さっきの例えで言えば里人は大半が雑魚妖怪で一部が河童、母さんは鬼なのよ。私は……良くも悪くも天狗位かな」『……母さん、強いもんね』
「……」
語る彼女の心の中には若干……いや多分にとぐろを巻く海蛇が巣食っていた。それに気づいたこいしが私の顔を覗き込んでくるけど、仕方ない、とそれをたしなめる。
そう、それは仕方の無いことだから。同じ立場、同じ職に就こうという者がたった二人。常人ならば比較するのが当たり前で。
そして彼女は母親と違って常人であったから。
「だから里人達はまだ理解ができて、話が通る範疇にある私を巫女に据えたいの。異質な思考を持つ者に生殺与奪の権限を握らせておきたくないのよ」『私が母さんより優秀かどうか、なんてところまで頭が回らないのか。分かってて、それでも弱くてもいいから言うこと聞く奴のほうがいいのか。多分前者なんだろうなぁ』
彼女はまだ子供だった。でも、子供というのは恐ろしいほどに大人をよく観察しているものだ。
彼女の示した解はまるで心を読んだかのごとく正鵠を得ているが故に、私はどんな言葉を返せばいいのか分からなかった。
「ねえ、さとり、こいし……私は巫女の修行を辞めた方がいいのかな」『なまじっか私がいるからこそ、話がこじれていくような気がするんだけど』
「巫女になるのが嫌なの?」『だったらそう言えばいいのに』
「嫌じゃないわ。むしろなりたいわよ」『……そう、母さんみたいな強い巫女に』
サトリに相談を持ちかける以上、嘘やごまかしは無意味。
だから強い母親に嫉妬と、そしてそれよりもはるかに勝る憧れを抱く彼女は素直にそう答える。
「でも分かるでしょう? 鬼という圧倒的な力が消えつつある今の郷に必要なのは強い巫女なのよ」『そう、新たな秩序を作ることが出来るほどの力が、今最も必要とされているモノだって言うのに……』
里の人間ときたら、と彼女は続けたかったのだろうが、彼女は心の中ですらその思考を揉み消した。
多分、人里もこの妖々跋扈する今の状況に相当参っているであろうことが彼女の思考から読み取れる。
誰が悪い、という話ではない。
幻と実の結界が展開されて以降、幻想郷の妖怪は日増しに目に見えて増加しているようだ。里の人間が不安になるのも仕方が無いと思う。
絶対数が増えたが故に、一体一体妖怪を退治している余裕が無くなった里の人間は効率よく妖怪の力をそぐために退治ではなく駆逐を選択した。
それが、その行いを「人間が妖怪と向き合わなくなった」と判断した鬼の減少という事態を招いてしまった。
結果、妖怪の統制は崩れ、人は益々余裕が無くなっていく。
根源は恐怖を払拭したいという人間の心理と、時代の変化と弱者の心理を理解できない鬼の愚直さにあるのかもしれない。
でもそれを責めたら何が解決するのかといえば、やはり何にもならないのである。
だから、
「なりたいのであれば、なっていいのではないでしょうか?」
「本当に、そう思う?」『私みたいな力足らずでも?』
「誰もが結局は己の感情のままに生きているわけですし、貴女がそうしてはいけない理由は無いでしょう。それに多分、山は天狗がけりをつけます。元々天狗は相手が鬼であろうと膝をつくのが悔しいって位、気位が高い連中ですからね。いずれ山を己達のものにしようと動き出すはず。統制はいずれ復活しますよ」
ただ、鬼の次に位置する天狗は今は動かない。その理由は心を読まなくとも理解できる。
天狗は致命的な事件が起きるのを待っているのだ。それを待って、いざ事件が起きればそれを鮮やかに解決する、もしくは解決したかのように振舞う。
そうやって、天狗こそが妖怪の山を継ぐ存在である、と内外に知らしめたいのだ。
客観的に見ればその天狗の行動は正しい、と私も思う。
だらだらと頂点不在で下らぬ抗争を生むよりも、それが恣意的であれ頂点を決めてしまったほうが良い。
そしてその交代劇は、劇的であればあるほど強い求心力を生む。
最小限の犠牲で最大限の効果を挙げることこそ最上。情に流されないその冷徹さは天晴れと賞賛してあまりある。
おそらくは鷹揚な鬼が山を統治するよりも、天狗が統治したほうがはるかに山は組織として安定するだろう。
もっとも心に依るサトリたる私にとっては、そのあまりにも人間じみた行いは妖怪と言うよりも人の暗部を見ているようで好ましくないのだけど。
だがそれでも、その行いによって幻想郷はそう遠くない未来に平穏を取り戻す。
まぁそんな駆け引きに比べれば少女の悩みは実に受け入れやすいと言うものだ。
それに少女は自分自身を力足らず、と評価しているが、実際は彼女の目標――すなわち現役の巫女――が異常なだけで少女自身は他の退治屋と比較しても十分に強い。
そもそもそれぐらいの実力を秘めていなければ巫女候補として抜擢されないはずなのだから。
背中を押されたためか、少女は若干晴れやかになったように『ちょっとすっきりしたわ』と私達に笑顔を向けてくれる。
気恥ずかしくなった私は、故意に話題を主軸へと返した。
「地上は荒れているんですね」
「そう、多分今が時代の変換期なのよ。新たな秩序が出来上がるまで、郷は大いに荒れると思う」『紫もいろいろ手は尽くしているんだろうけど、あいつも基本妖怪だしね』
人里はこっちで何とかしなきゃかぁ、と少女は疲れたように溜息をついた。
やーお疲れ様、と他人事のように足をぷらぷらさせながら肩をすくめて答えたこいしは、三秒後には放物線を描いた後に大地と接吻していた。
うん、仲いいなぁ。
「で、貴女達の話に戻るけどさ、今は妖怪だってだけで人間に狙われるってことなのよ。秩序が回復されるまでは地底でやり過ごすほうが賢明でしょう?」『貴女達は言葉と心、二重の非難を受ける羽目になるわけだしさ』
「悲しいですが、そうかもしれませんね」
「言ってることは理解したけど、自分の責任でないことに縛られるって腹立つわ!」『ま、理不尽なんて今更なんだけど』
そう、私もこいしも大陸を二回も横断するくらいだから理不尽なんて腐るほど目にしてきている。
ただ私はある程度理不尽にも目をつぶれるようになったけど、うつ伏せからなんとか仰向けに身体を転がしたこいしには未だそれを許容することが出来ないようだ。
だが私達にとっては理不尽に見えても、本来地底の住人である私達がこのように地上で人間と親しく会話していることのほうが奇跡なのだ。
自分達の幸運を棚に上げて理不尽ばかり指摘するのは子供のやることに違いない。
……そう、数年我慢すればいいだけだ。そうすればこれまで通りの日常が帰ってくる。
「とはいえ、地底に篭っていては手持ち無沙汰になりますね」
「なら草紙でも書いてればいいんじゃない? ほら、この前貴女が話してくれたふぃれんつぇ? だっけ? あれすごい興味があるんだけどさ! 貴女の説明じゃよく分からなかったし、こう、書物にして纏めてくれれば理解しやすいと思うのよ」『ついでに挿絵もよろしく、記憶が色褪せないうちにね』
目を輝かせて無理難題を言ってくる弟子巫女に思わず私は苦笑する。私もこいしも物語なんて書いたことが無いし、ましてや挿絵など言わずもがなである。
しかも絵のほうは自慢じゃないけど猫を描いたら牛車みたいな怪物になりました位の腕前だ。画伯と呼んでいただきたい。
「興味があるなら一緒に行く?」『そのほうが手っ取り早いし』
「そういうわけにもいかないわ。一応私は巫女を継ぐ身だしね。気軽に旅ってわけにもいかないし」『だから血沸き胸躍るような臨場感あふれる資料を作ってよ』
「……前向きに検討いたします」
「それって実行しない奴のその場凌ぎ発言だよね?」『オトナって卑怯ね、さとりお姉ちゃん?』
うぐ、よく分かっていらっしゃる。
「努力は、してみますよ」
「よろしく。私に弟子が出来て、そいつが独り立ちしたら一緒にふぃれんつぇとやらに行きましょう?」『しかし……そのふぃれいんつぇってどこにあるんだろう?』
「約束ね?」『あと三十年くらい先かしら?』
「ええ、約束。だから予習用の資料をよろしくね」
こいしと弟子巫女が顔を見合わせて笑っている。だがこいしの内には本を書くなんて思考は微塵も存在していないわけで。
はぁ、と口から吐息が漏れる。
過保護はよくないと自覚してはいるのだが、どうにも私は妹に甘いようなのだ。だから執筆は自然と立派なお姉ちゃんである私の仕事になるのだろう。
仕方ない、今日から文章を書く練習でも始めよう。
まずは心の赴くままに筆を走らせてみようか。心に思うことのすべてをそのまま本に。
然るにこれを私の『心曲』と名づけよう。
あれ? 私結構乗り気かもしれない?
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■――― 第三章 ~きざはし~ ―――
「さとり! いつまで寝てんだ! いい加減目を覚ましやがれ!」
切羽詰った、悲鳴にも近い叫び声を耳にしたさとりははっとして目を見開いた。
最初に目に飛び込んできたのは表面を荒く削られた白い石段。
一体何が、と眼をこすろうとしたさとりだったが、その己の手が何かを強く握り締め続けていることに気がつく。
なんだろう、とそれに目を向けたさとりは息を呑むと同時に、跳ね起きるように――とはいかずによろよろと立ち上がった。
「避けろ!」
再度響いた魔理沙の叫び声にさとりが慌てて飛び退ると、一秒前にさとりが立ち尽くしていた踊り場の石畳が真っ二つに切り裂かれる。
――そうだ……私は。
ふらつく頭でさとりが周囲を見回すと、5m程離れた場所にて魔理沙が人影に向かって輝く直刀を袈裟に打ち込む姿が目に入った。
その斬撃が空を切った、とさとりが認識した次の瞬間には魔理沙は振り下ろされた双剣をすり上げている。
返す刀が相手の胴を狙うが、その刃は易々と短刀に打ち落とされてしまう。
よろめいた魔理沙が真っ二つにされなかったのはパチュリーが粘性の高い液体で振り下ろされた長刀に水膜を張ったからだ。
二刀剣士、魂魄妖夢はつい、と後方へと飛ぶと腕の一振りでその水膜を長刀から引き剥がす。
距離をとった妖夢を警戒しながら、魔理沙は再度ぎりぎりと第三の眼をこじ開けたさとりの横へと飛び退いてきた。
「無事か?」『ちきしょう、あっさりお寝んねするなよな前線要員!』
「ええ、多分。パチュリーさん水術が復活したんですね。それで、霊夢さんは?」
「パチェの後ろだ。まだ目を覚まさない」『あいつも思いっきしぶん殴られたからな。無事だといいが……』
苦々しげに語る魔理沙の声を耳にして、ようやくさとりは気絶する前の出来事を思い出した。
さとりが正面から、霊夢が背後からの同時攻撃を仕掛けてさとりが妖夢の二刀をいなした、と思った瞬間。
二刀を手放した妖夢が新たに握り締めた短刀の鞘を喉に突き込まれたのだ。
意識を失う直前に目にしたのは、同じように長刀の鞘をこめかみに叩きつけられ、崩れ落ちる霊夢の姿。
どうやら気絶した二人をかばうように今度は魔理沙が白兵戦を挑み、その間にパチュリーが二人を引きずって戦場から遠ざけたようだった。
なにやら擦過傷がそこかしこに刻まれているが、非難よりもあのパチュリーに力仕事をさせた申しわけなさがなんとなく先にたって来る。
「すみません。助かりました魔理沙さん」
「礼はいい。パチェと策を練り直す。無茶言ってすまんが三分、いや二分でいい、あいつを一人で抑えてくれ。出来るか?」『まあ、やってもらうしかないんだが』
「やりましょう。二分ですね?」
驚くほどあっさりとそんな台詞が自分の口から流れ出たことに若干驚きながらも、さとりは魔理沙に頷いてみせる。
「マジでか!? ずいぶんあっさり承諾したな」『結構無茶言ったと思ったんだが』
「やらなきゃ勝てないのでしょう? ならば仕方ありませんよ」
当然でしょう? と普段と変わらぬ視線を返すさとりに魔理沙は一瞬面食らったような表情を浮かべる。
「お前……」『どっちなんだ?』
「何がでしょうか?」
問いかけるさとりに返事はなかった。
後方ではパチュリーに狙いを定めた妖夢が狂ったように撃ち出される円鋸を一つ、また一つと弾き飛ばしてパチュリーににじり寄っている。
それに気づいた魔理沙の思考がそちらに向いてしまったからだ。
「まあいい、とりあえず頼む。二分後にサードアイだけこっち向けてくれ」『死ぬなよ? 頼むからさ』
「今度こそお任せあれ」
下がる魔理沙に一つ微笑むと、さとりは二刀を振りかぶって妖夢へと突撃する。
楼観剣と楼観剣、白楼剣と白楼剣が交錯する。どちらもこの世に一振りしか存在しない魂魄一家に伝わる名刀。
夢幻世界であるが故にそれらは複数存在し、振るい手の意に従って敵を両断せんと鍔迫り合う。
――二刀流は身体への負荷が洒落にならないわね……まぁやるしかないのだけれど!
◆ ◆ ◆
やはりと言うかなんと言うか、階段の踊り場で待ち受けていた妖夢は説得しようにも全く耳を貸そうとはしなかった。
ならば距離をとってドカンとやってしまおうと全員で遠巻きにしようとして、しかしさとり達は妖夢の踏み込みの速さを見誤っていたのである。
一度剣士の間合いに踏み込んでしまったが最後、そこから空も飛べぬ妖怪が離脱することなど夢のまた夢。
パチュリーだけでも妖夢の間合いから逃がそうとして、そして失敗し現状に至る、だ。
霊夢が目を覚まさない以上これ以降の失敗は後が無いし、しかしさとりもさらなる失態を重ねるつもりは無い!
「……貴様!」『こいつ、私の模倣を!』
「あ、やはり、気付き、ますよね」
長刀による上段からの一撃に、さとりもまた己の上段を叩きつける。
脇を狙う短刀に同様に短刀を。
馬鹿の一つ覚えのようにそっくり相手の攻撃を真似て、そのまま返す。そこにさとりの思考はほとんど差し挟まれない。
「死にたく、ないんで、手加減して、下さいね! っと!」
「っつ!!」『卑怯者!!』
相手の思考で以って己の体を直接動かす、サトリの高等技術にして禁忌の技。
妖気と腕力さえ足りれば自身の技倆に依らずあらゆる攻撃を相殺できるが、同時に相手が命を捨てたら自分も命を捨ててしまう一種の自爆技である。
されど必殺に必殺を間髪入れず返すその特性ゆえに一対多の戦闘ではそれが有利に働くから、重傷を負えば後がない妖夢はさとりに全力を振るえないでいる。
――こんな戦法ばかりとっているからますますサトリは嫌われるのよね。
時々足運びに少しだけ修正を加えればよいだけのさとりは、そんなことを思い浮かべて苦笑する。
対する妖夢の表情は猿真似を繰り返すさとりに対して焦れて来ているようで、若干険しいものになっていた。
このまま妖夢の攻撃が焦燥で乱雑になってくれれば言うことはないのだが……
――そうそう上手くいくはずがないか。
足元に目をやったさとりは冷静にそう判断した。
周囲を見回すと先ほどパチュリーが乱射していた円鋸で石階段の一部が削られており、一部の足場がガタついて不安定になっている。
二人の戦場はそんな環境へと移動……いや妖夢によって誘導されているのだ。
同じ攻撃を返されると言うのであれば、同じ攻撃が出来ない環境に状況をもっていけばよいだけのこと。
――私だけ床に足をとられて転ぶ、っていうのが一番可能性が高いかな?
武術の心得がろくに無いさとりでは一度体勢を崩したら立ち上がる暇を与えられず、あっけなく斬り捨てられてしまうだろう。
負けないためにはさとりはどこかで主導権をとらなければならない。
だからそれが当然のように至極あっさりと、さとりは第二の賭けに移行する。
意識をさっくりと切り替えた直後、
「では、参ります!」
「な!?」『猿真似を止めた!?』
逆袈裟に掃われた楼観剣を己の楼観剣で更に跳ね上げて、さとりは相手の懐にもぐりこむ。一瞬だが不意を突かれた妖夢は慌てて飛び退り、白楼剣の横薙ぎを回避した。
追うように一閃。楼観剣を平正眼に突きこんで来るそのさとりの動作も妖夢の思考に沿わない動きだ。
――さあ、後二十秒で二分。伸るか反るか!
白楼剣を投げうって、両手で楼観剣を握り締めたさとりはその長刃を袈裟に打ち込む。
それは妖夢の楼観剣によって阻まれるが、さとりは両腕に全体重を乗せ、少しずつ相手の楼観剣を押し負かして刃の切っ先を妖夢の首筋へ食い込ませるべく力を込める。
競り合いに白楼剣を加え、さとりの楼観剣を交差点で滑らせるようにして後方へ飛び退った妖夢を狙うさとりの返し刃は顎狙い。
下段からの跳ね上がるような切り上げを妖夢もまた両手持ちにシフトした楼観剣で受け流した。
――あと十秒! 持ちこたえられますかね?
今さとりの体を動かしているのも、やはりさとりではない。第三の眼を通して妖夢の心を読み続け、それを元にさとり内で再構築した擬似妖夢だ。
自分自身の中に「相手の人格と思考」を構築してしまうことで、相手の鏡写しだけでなく本来相手が可能なあらゆる動作を模倣できるようにする、サトリの高等技術。
だが鏡写しでなくなったとは言え、やはり相手の技に頼っていることに変わりはない。それに気づかれてしまえば一気に不利になるが、
――あと五秒!
押し切れ! と自身の内に構築した擬似妖夢にさとりは命令を下す。
魂魄妖夢は真面目で一本気な少女だ。脇目も振らずに前進する妖夢は恐ろしいほど強く、逆に動揺している時の妖夢は割と脆い。
その差が顕著に現れているようで、前に出るさとりの上段と退く妖夢の上段とが奏でる鋼の悲鳴をも声援に、迷い無きさとり≒妖夢はさらに突き進む。
打ち込みの勢いを失った楼観剣から手を放し、自身の勢いはそのままに妖夢の腕の下までもぐりこむと妖夢の腹に拳を向けて、
「ぁあああああぁあ!!」
一気に、全体重をそこに乗せてねじ込んだ。
「ぐぅっ!」『でも!』
呻きつつも妖夢はさとりの下腹に右足をかけて押しのけるように蹴り飛ばす。
武器を失い、姿勢を崩したさとりを討つべく妖夢が腰を落として、
『これで!』「終わりだ!!」
叫ぶ。そう、これで!
「ええ、終わりですね! 私達の勝ちです!!」
『目と耳を塞げ、さとり!』
直後にいざ踏み込まん、としていた妖夢へ四方八方から雨あられと金属光沢を放つミサイルの束が打ち込まれる。
それは魔理沙とパチュリーの複合魔術によるマグネシウム酸化物合成マジックミサイル、即ち破壊力をおまけで付けたスタングレネードの嵐。
それらが生み出した凄まじい爆光と爆音は、瞼を閉じて耳を塞いだ状態ですらさとりの網膜を明るく染め上げ、耳朶を叩く。
さとりにばかり気を取られていた、否、全力でさとりの相手をしなければならなかった妖夢には完全な不意打ちであったはず。これならば!
とったか? とさとりは己の内なる擬似妖夢に問いかけるが、されど擬似妖夢は否、とさとりに返す。
だから、
『さとり、トドメよ。私を視なさい』
魔理沙からパチュリーに第三の目線を移した瞬間、擬似妖夢によるエミュレートを破棄したさとりは、
「ウォー! アイ! ニィイイイー!!」
流れるような足運びで爆光の裏にいる妖夢目掛けて突進する!
飛び込んで一歩。両足で地面を踏み締めると同時に突き出した掌底で目を眩ませている妖夢の顎を強かに打つ。
右足を軸に身を捻るようにして二歩。全体重を乗せた肩口からの体当たり。そして、
「三歩!!!」
雄叫びと同時に踏み込んで三歩!
さとりの右拳が唸りを上げて、妖夢の顎を正面から遠慮なく容赦なく躊躇なく、
「必っ殺ぁぁぁぁつ!!!!」
打ち抜いた。
その一撃でようやく動きを止めて崩れ落ちた妖夢を前に、
「勝ったッ!第3章完!」
さとりは勝利の宣言も高らかに右拳を突き上げる!
「いや、確かに三人目だけどね……あとそれ三歩必殺じゃなくって」『何だったかな?確か崩山……』
「いいじゃんか別に何だって! さとり! 手ぇ!」『いよっしゃ勝ったぁああああッッ!!!』
「え? は、はい」
いきなり投げかけられた魔理沙の声にさとりがはっと掲げた右手を開くと、その手に走り寄ってきた魔理沙の掌が勢いよく叩きつけられた。
「いぇーい!」『マジかよこいつ! 本当に単独で妖夢を足止めしやがったぜ!』
「い、いえー?」
ヒリヒリと痛む掌に顔をしかめているさとりの背中がバンバンと遠慮なく叩かれる。
瞼が閉じる寸前に読んだ魔理沙の思考は、心底感心したかのような賞賛の声。
「何だよお前強いじゃないか! 何が戦闘は苦手だよ、嘘つきやがって!」
「確かにね。嘘つきは魔理沙の始まりよ?」
ああ……!
そうだ、勝ったのだ。
ふっ、と。
安堵の息を吐くさとりにとって容赦のない魔理沙の掌は不快なものの、若干胸の奥に熱いものを感じて自然と表情がほころんでくる。
「泥棒にはなりたくないですね……魔理沙さんこそ人間なのによく一人で彼女の足止めを出来ましたね?」
「そうね。言われてみれば二人が気絶してっから貴女、飛躍的に身体能力が向上したように見えたけど?」
そう、さとりが気絶している間はパチュリーのフォローがあったとはいえ、魔理沙が――おそらく神子のものであろう――直剣の一振りで妖夢の足止めを担当していたのだ。
妖夢の実力をまるパクりできたさとりとは違って、魔理沙は己の実力で妖夢の相手をしなければならなかったはずであるが……
「ま、ちょっとしたドーピングって奴さ。でもそうか……うん、こりゃ参ったな」
「何がですか?」
「いや、こっちの話だ、気にするな。それより妖夢が起きるぞ、用心しろ」
はっとしたさとりが振り返ると、そこにはいかなる執念か膝を揺らしながら、なおも立ち上がろうとする妖夢の姿。
その歯を食いしばって立ち上がる形相から妄執めいたものを感じたさとりは、思わず一歩後ずさる。
「もうやめましょう。勝負はついたはずです」
「まだ……まだだ! まだ、私は、やれる!」
「なぜ、そこまで」
問いかけるさとりを見据えるその目は、果たして正気か狂気の沙汰か。
「私は、白玉楼を、幽々子様を守ると誓ったのだ。下らぬ自愛に捉われて命の使いどころを間違えては御祖父様に面目が立たぬ!」
「別にそんなことないだろ。そりゃお前の勘違いだよ」
やれやれこいつも馬鹿モードか、と魔理沙は呆れたようにかぶりを振った。
そんな魔理沙の態度を侮蔑と取ったのだろう、妖夢の表情は今や鬼のそれである。
「それこそそんなことはない! 私は御祖父様に後を任されたのだ! ここを守るのが私の生きる意味であり、存在意義だ! 私は御祖父様に見捨てられたのではない! 託されて、ここにいるのだ!」
「よくもまあ、そんな中身が伴わない台詞を大声で吐き出せるものね」
世界が、凍りついたかのような錯覚。
それをもたらした言葉は、玲瓏とも言えるほどの美しき旋律となって三者の耳の中を木霊した。
妖夢が、そして端で耳をそばだてていたさとりが硬直して絶句する。
「ふうん。自覚しているのね。そう、貴女は所詮西行寺幽々子の足元にも及ばないもの。西行寺幽々子は不死身にして冥界最強。そんな彼女の護衛に価値が有るとしたら、あくまで対外的な体面や体裁を保つ、といった程度の意味合いしかないでしょうね」
知識人の言葉は抜き身の刃にも似た鋭さをもって、一切の手加減なく魂魄妖夢の魂をえぐる。
「逃げてるんでしょう?」
詰問するパチュリーの声色は飴色に艶を帯びて輝いている。
その唇から声が紡がれるたびに、まるで香気が立ち昇っているのではとすら感じるほどに淫蕩だ。
「本当は存在価値なんて、ありもしないのに」
「……ちがう」
耳元で、甘く囁くように、
「自分は白玉楼を守っているのだと、悦に浸って」
「……違う」
筆にたっぷり染み込ませた墨汁を、塗りたくるように、
「何の役にも立たないくせに、お飾りの職に就いて、自分を慰めているのね」
「違う!」
いっそ恍惚を覚えるほどの淫靡さをまとって、
「可哀想に。魂魄妖夢なんていなくても、白玉楼はまわっていくというのにね」
「違う!!」
語られる声が、切り裂かれた。
それが本当に一度敗北し地にまみえ、這い蹲った痩躯から放たれたものであるのか。
走った、と捉えるより空間を飛び越えたと捉えるほうが現実的、なんて錯覚する程の踏み込み。
そこから振るわれる上段の一撃が、それをすら超える速度で魔女に迫る。
だがその神速の斬撃をもってすら、突如出現した厚さ一m以上に及ぶクロム鋼の防御壁を両断するには至らない。
「残念。真正面から来ると分かっているならば、どんなに速くても防ぐのは容易いものよ」
直後に圧倒的な初速を与えられ、投擲されたその金属塊を疲弊した妖夢は回避しえなかった。まるでだるま落としの様に地面と水平に吹き飛ばされる。
相手の力量を把握した上で十分に準備をするだけの時間が与えられるならば、熟達した魔法使いはどんな相手にでも拮抗しうるのだ。
そして、それは。
全身全霊の刃が届かなかったという事実は、どうしようもないほどに明らかな敗北となって妖夢を打ちのめした。
「それでも、私が白玉楼に居ることは、無意味じゃないはずだ……」
膝をつき、黙り込んだ妖夢にかける言葉をさとりは持ちえなかった。
「でも、さ」
オーバーキルを容赦なく叩き込むパチュリーにこいつ怖えぇ、と言わんばかりの視線を向けた魔理沙がポツリと呟いた。
「白玉楼はおまえがいなくてもまわっていくかもしれないけど、幽々子もそうだとは限らないだろ?」
「え?」
「お前は知らんだろうが、お前が意識を失っている時の幽々子はマジ怖かったぞ? お前が目を覚まさなかったら殺すって脅されたからな。私は犯人どころか関係者ですらないってのに」
「幽々子様が……?」
「だからもしお前が死んだりなんかしたらあいつは多分暴走するぞ? 頼むから命を投げ捨てないでくれ、いやほんとマジで」
あの冥王が暁に出撃なんぞしたら地上は地獄絵図だ。
簡単に命を握りつぶされそうになった感覚を思い出して、ぶるりと魔理沙は身震いをした。
「だからさ、白玉楼にはお前は要らないかもしれないが、幽々子にはお前が必要なんじゃないか?」
「でも、私から護衛を、警備を。剣術を除いたら、何も残らない……」
「作庭は?」
まさか、これまで徹底的に己を打ちのめしていた相手からそのような台詞が出てくるとは。
うつむいて震える拳を握り締めていた妖夢が、弾かれたように顔を上げた。
「体育会系ってみんなそう。どうして美術や芸術といった類の物を下に見るのかしらね?」
辻斬りと、弾幕はパワーなんてうそぶく同業にパチュリーはチラリ、と呆れたような視線を送る。
知識の魔女にとって妖夢が武力ばかりを恃み、文化的景観を作り出せる手腕を誇らないという事実は腹立たしいものであったようである。
そう、知識の魔女は怒っているのだ。美的、歴史的、芸術的なものを内包する作庭――すなわち文化的、学問的なそれを誇ろうともしない妖夢に!
唯一四者の中で魔理沙だけがその感情が八つ当たりに近いものである事に気がついていたが、結局沈黙を維持する事を選んだ。
ここは既に言語がモノをいう論戦のフィールド。すなわちパチュリーの独壇場。
君子は、危うきに近づかないものだ。
「白玉楼庭園の出来映えは中々に素晴らしかった、と私は記憶しているのだけど。あなたは何故それを誇りに反論しなかったのかしら?」
「うぐ……」
パチュリー・ノーレッジは容赦しない。
相手が気がついていなかった相手の長所すらも攻撃の手段に変えるその手管はまさしく魔女そのものである。
「主のために作庭するのは貴女にとって全く意味のない無駄な行動? レミィはよく言っているわ。主は配下を守り、配下は主を引き立てねば成らない、ってね。立場的には主が上であっても、その実態は相互補完だと」
「それは、でも、しかし」
「レミィは咲夜と美鈴と小悪魔を配下に選んで手元に置き、彼女達はそれに応えている。貴女はどう? 主の思いに応えている? 一人善がりになってやしないかしら?」
「……耳が、痛いわね」
「自信過剰も過小評価も等しく独り善がりよ。等身大の己を把握するのは難しいものではあるけれど、ね」
過剰も、過少もか、と。
剣士、いや庭師は刃を収めて己の両手に視線を落とした。
「楽しくないんならさ、やめちまえよ」
悩む妖夢に配慮したのか魔理沙は労わるような口調で、しかしきっぱりと言い切った。
「人生ってのは、長いようで短いんだからさ。やりたくないことをやってる時間なんて無いんだ。面目だとか、誓いだとか、主従なんてお前が人生を楽しむ上で枷になるなら捨て去ってもいい、と私は思うんだが……ちょっと無責任か?」
「一人暮らしの小娘らしい無責任な意見ね。間違ってるとは言わないけど」
さっくりとパチュリーに返された魔理沙はうっ、と一瞬喉を詰まらせた。
「むぅ……だがまぁ、そういうことだ。作庭ってのは楽しいのか?」
「……分からない。幽々子様は未だ、私の庭を褒めてくださらない」
魂魄妖夢には、分からない。
「護衛っていうのは楽しいのか?」
「……分からない。お祖父様は刀は抜くべきではないと仰っていたから……」
魂魄妖夢には、分からない。
「じゃあさ、やめちまえよ。冥界なんか捨ててさ、もっと楽しくやろうぜ? そうじゃなきゃ生きてる意味がないじゃんか」
「楽しいかは、分からない。でも……」
「でも?」
一つだけ、確かなことがある。
「でも、私の手で幽々子様に笑顔をもたらせるならば、それは何よりも嬉しいことだと思う……」
「なら笑いなさい。言ったでしょう? 相互補完だと。貴女が笑わなければ、主だって楽しくないわ」
「そう……なんだろうか?」
「そうよ」「そうだろ?」
魔女二人は一瞬の遅滞もなく、即答する。
「そっか……魔理沙とパチュリーは毎日が楽しいの?」
「楽しいね。つまらんはずがないぜ」
「泥棒が入らなければ言うことなしね」
妖夢は笑った。なにせ笑えと言っている本人が。
「そっか。でもパチュリーが笑ってるところを見たことがない」
「代わりに美鈴が笑ってるからいいのよ。適材適所」
「そっか」
深々と、魂魄妖夢は溜息を深呼吸をした。その顔はまるで抜き取られていたパズルの一ピースを見付けたかのようだ。
それにようやく、妖夢の口から二人の、知人の名前が挙がったのである。ならば、と。
「そんなお前が更に楽しくなれることを教えてやろう」
「何? 魔理沙」
「決まってるだろう? 私達のサポート、っておい! 言ってるそばから消えんなよ!」
だが満足そうな笑みを浮かべた妖夢の姿もまた、アリスと同じように半透明になって消えていってしまう。
「消える前に私達を助けてくれてもいいと思うんだがなぁ。そこらへんお前らちょっと薄情じゃないか?」
「悪いわね、それはできないの。だって私は魂魄妖夢本人ではないのだから」
「何だと?」
「健闘を祈ってるわ。外でまた会いましょう」
妖夢の姿が完全に消え去った後、魔理沙は背後の二人を振り返って困ったように肩をすくめた。
「あいつらは偽者なのか? いや、そもそもアリスに妖夢。この配役、一体どうやって決められているんだ?」
「香霖堂もいたわよ?」
「な、何ぃ?」
まさか霖之助が出てくるとは夢にも思わなかった魔理沙は目を瞬かせる。
――私達を殺す気がないのか? いや、そんなはずはない。都合よくあいつらが私達に突っ掛かってくる以上、それは間違いない。この世界は確実に私を殺しに来るはずだが……
なぜ、そこで霖之助が出てくるのかが分からない。
まだ魔理沙がいなかったから? 妖怪二人は死ぬ定めにないから?
だが紫はこの物語の敵は覆しようがない理不尽だと言った。ならば敵対しなければおかしいし、それに理不尽にしては些か手緩くもある。
最初は夢の中のアリスを殺したら、現実のアリスが目を覚まさなくなるのかと魔理沙は思っていたのだ。
なのに当のアリスは全力でやって構わないと言った。説得にも応じた。
問答無用で襲いかかられるのは理不尽だが、その理不尽さは長くは続かない。
――なんか、物凄いちぐはぐさがあるぞ? どうなってんだ、これ?
理不尽一辺倒は勿論ノーサンキューである。
だが、こうも何もかもがあやふやではどのように行動指針を立てればよいかも分からない。
唯一つ魔理沙に推測出来たのは、この物語の配役には眠らせた者達を使用するのがルールであるようだ、ということ位。それ以上は全くだ。
「さとり、お前はどう思う?」
「え? ええと……」
わからなかったら人に聞く。基本中の基本である。
だが問われたさとりとて分かるはずもない。今も立て続けの戦闘でいっぱいいっぱいで、閉じた瞳を開くのすら億劫なくらいなのだ。
普段使わない全身の筋肉を駆使して白兵戦に挑んださとりには三者の会話に耳を傾けるのが精一杯で、殆ど会話に参加するだけの余力もなかったのである。
「配役はともかく、正偽に関しては心を読んだ限りでは偽者には見えませんでしたが……」
「ふむ、どうにもよく分らないわね」
その澄ました声は、魔理沙の警鐘を軽く小突いた。
「おいパチュリー、いいから今考えたことを言ってみな? それともさとりに読ませなきゃだめか?」
「……投影かもしれない、と。そう考えただけよ」
「投影、ですか」
かつて推測を口にした結果、役立たず呼ばわりされたことがあるパチュリーは憎々しげに魔理沙を睨むが、心を読まれるよりかはまし、とばかりに頭に浮かんだ仮説を口にした。
ふむ? と魔理沙が口にしたところで階段の脇から「んーっ」と間の抜けた声が聞こえてくる。
「ん? あれ、妖夢がいない。勝ったんだ、お疲れ様」
「お疲れ様じゃねえよ。役に立たないなお前」
「うっさいわね。そもそも妖夢に接近戦挑むのが間違ってんのよ! あー、まだ頭がガンガンするわ」
目を覚ました霊夢は殴られた場所をしきりにさすっていた。
どうやらこぶになっているようで、そこを触るたびに霊夢は顔をしかめている。
どれどれ? と霊夢の側髪を掻き分けている魔理沙達をチラリと見やったパチュリーは軽く首をひねる。
「ねぇ。ちょっと気になったんだけど、何で貴女『夢想天生』を使わないの? あれ使えば負けはないと思うんだけど」
「「あ」」
「呆れたわね。忘れてただけ?」
パチュリーお得意のジト目を向けられて魔理沙と霊夢は情けない表情で顔を見合わせた。
あれを使えば霊夢は無敵だ。霊夢自身の火力が圧倒的とは言えないために必勝が約束されるわけではないが、無敗は誇ることが出来るはずのそれを使わない道理は無いだろう。
「あー、じゃあ次に敵が出てきたら私があれで倒すわよ。今回寝てた分はそれでチャラ、どう?」
「ま、なんだっていいさ。とりあえず先に進もうか。まだ先は長いんだからさ」
「がっかりな話ね」
いい加減にして欲しいと言わんばかりな暗澹たる表情で、パチュリーは天へと伸びる白玉楼階段をにらみつけた。
本当に、まだまだ先は長いようだ。
◆ ◆ ◆
「その、魔理沙さん」
白玉楼階段をゆっくりと上昇していく最中。
しばらく魔理沙の背後で思案を続けていたさとりだったが、意を決したように魔理沙に問いかける。
「何だ? スリーサイズは秘密だぜ?」
「いえ、そんなものはどうでもいいですが」
どうせ私より下でしょうし、と背後で語るさとりを魔理沙はと後頭部によるヘッドバッドで沈黙させる。
底辺争いは熾烈なのだ。どっちが上かは……多分、当人達だけが知っている。
「で、なんだ?」
「先ほどの戦闘時に、どっちなんだ? って聞いたあれ、何だったんですか?」
「ああ、あれか。あれはもういい」
「は? い、いえ、質問したのはこちらなんですが……」
問いかけをいっそ清々しいほどさっぱりと切り捨てられ、その意図が読めないさとりは僅かに狼狽した。
「先に質問したのはこっちだろ? それを棄却したんだからそれに関する質問も棄却だ。そうだろう?」
「気になるなら眼を開いたらいいじゃない。それで一発解決でしょうに」
魔理沙の前からパチュリーが口を挟んでくる。
冬だからか厚手の衣装を纏った魔理沙にパチュリーがすっぽり隠れてしまうせいで、さとりからはまるで腹話術をしているようにも見える。
心中に軽い微小が翻ったが、しかしあっさりと心を覗けと示唆するパチュリーの言葉そのものは聞き捨てならなかった。
「そうかもしれませんが……やはり心を覗かれるのは嫌なのではありませんか?」
「私は普段なら精神障壁を張れるから構わないけど」
「お前なぁ。……だがまぁ私もあまり構わないがな」
「え? 何でですか?」
「どうせ心の中まで嘘だらけだからでしょう?」
揶揄するように語るパチュリーの首がコキャッとへし折られる。
「霊夢はどうだ? やっぱ心を読まれるのは嫌か?」
「私はあんたと違って裏表なく生きているから別に」
「ああそうかい」
箒の横を浮遊する霊夢にミサイル一つ。笑いながら霊夢はそれをやや硬い動作で回避する。
「なんつーか、まぁあれだ。最初は居心地が悪かったが、よく考えたら非難することでもないしな。だってそれってあれだろ? 鳥が空を飛ぶのは卑怯だとか、魚がえら呼吸できるのは卑怯だって言うようなもんじゃないか」
「……驚きました。達観してるんですね」
この四者の中では魔理沙が一番子供っぽい、という認識をさとりは修正せねばならないようだった。
しかし魔理沙はそうじゃない、と首を振る。
「それとはちょっと違うな。出来ることと、出来ないことについて色々考えた結果だよ。だが読んだ内容すべてをそのまま口にするのはいただけないな」
「あ、それは私も同感。最初喧嘩売ってんのかと思ったわ」
「読めてしまう分には仕方ないけど、それを口にして暴露するのはあまり上品とは言えないわね。なぜ貴女はそんなことをしているの?」
一転して三者に疑問と趣味の悪さを指摘されたさとりは口を噤んでしまった。
それは、だって、仕方がないじゃないか。
「言いたくないのね。ならいいわ。私は貴女と違って事を暴露することに興味はないもの」
「なんか棘があるわよ、あんた」
「……ごめんなさい、謝罪するわ。本が読めない禁断症状みたい」
その回答に霊夢と魔理沙は顔を見合わせて苦笑する。
パチュリー・ノーレッジはいつでもどこでも平常運転だ。
「お前ほんと活字中毒だなぁ。少しぐらい我慢しろよ」
「……嫌なんですよ」
いまさら答えが返ってくると思っていなかった三者はピクリと眉を跳ね上げた。
三人で顔を見合わせた結果、パチュリーが続きを促す。
「何が?」
「嘘を、暴くのがです」
「ってあんた、読んだことをそのまま垂れ流したら暴きまくりじゃないの」
「ですから、そうしていれば嘘をつきたい者は私には近づきませんし」
「いや、そりゃそうかもしれんが……」
そのあまりにも守りにはいったネガティブ思考に魔理沙はうわぁ、と顔をしかめる。
「嘘って必要じゃないですか。子供の落書きだって、上手だねって褒めてあげれば向上心に繋がりますが、下手糞だって事実を突きつければもう絵を描こうともしなくなっちゃうでしょう?」
「ま、確かに。嘘は嘘でもそういう優しい嘘はあってもいいわよねー」
「ああ、そういうこと」
「そういうことか」
「どういうことよ?」
納得したパチュリーと魔理沙に、未だ理解し得ない霊夢が食って掛かる。
「つまり貴女は、その優しい嘘を暴いて欲しい、って乞われるのが何よりも耐え難いのね」
「……そうです。他人のためを思っての嘘を、どうして暴かなくてはいけないのですか? それを暴いたって、人を傷つけるだけなのに」
サトリには、それが嘘であるか本当であるか、判断できてしまうから。
他人のためを思っての嘘を、いとも簡単に消し去って事実を白日にさらしてしまえるから。
一度、本当? って聞かれてしまったら、たとえ拒否したとしてもそれを拒絶すること自体が一つの回答になってしまうから。
だからさとりには読んだすべてを口にして、読まれたくない者には自主的に近づかないようにしてもらう以外に方法がない。
「なら私はそういう依頼は嫌だ、って突っぱねればいいじゃない」
「無理ね。真実を知りたい、という感情を押さえることの難しさは私が証明してあげてもいい位だもの」
「ええ、どんなに突っぱねたって、追い詰められた者は必ず私に聞くんですよ。「教えて?」と。そしてそれを拒絶する私を恨むようになります」
「……苦労してんだなぁ、お前も」
魔理沙が暗い話は御免だよ、とばかりに肩をすくめる。
「でも、それは貴女が受け入れなければいけない問題ね」
「おい、パチュリー」
辛辣な台詞を吐くパチュリーに魔理沙は一瞬動揺したような表情を浮かべるものの、数秒後には同意して確かにな、と呟いた。
「なぜですか?」
「さっき魔理沙が言った通りよ。鳥は手を持たずに生まれてしまった。魚は肺を持たずに生まれてしまった。それを嘆くことにどれだけの意味があるのかしら?」
「それは……」
「生きとし生ける者は皆、生まれたときに手にしたカードで人生の勝負をかけるしかないのよ。ここでもしダイヤのナインの代わりにジョーカーがあれば、と悔しがることで結果が変わるのかしら?」
「ま、確かにね」
「私は病弱体質と魔術の才能を持って生まれてきた。霧雨魔理沙は人として魔法を扱う才能を持って生まれてきた。博麗霊夢は巫女としての才能を持って生まれてきた。古明地さとりは心を読む能力を持って生まれてきた。それだけでしょう? 前言を撤回して謝罪するわ。貴女が読んだ事柄をすべて垂れ流しにするのは貴女が貴女を守る上で正しい判断であると言える。非難して悪かったわね。無恥ながら、無知ゆえの愚かさと斬って捨ててくれればありがたいのだけど」
「……」
さとりにはどのように言葉を返せばよいのか分らない。
ただ、パチュリーと納得したかのように首肯する霊夢を目の当たりにして、受け入れるしかないのか、と口を噤むばかりだ。
「……悔しいのか?」
「え?」
「いや、いい。見ろよ、もう階段の終わりはすぐそこみたいだ」
「ようやくかしら。実に長かったわね」
「お前乗っかってただけだろうが。さ、到着、って……」
長い白玉楼階段が続いていた縦穴を抜け、ようやく地上にたどり着いたというのに……
目の前に現れた建築物を目の当たりにして、さとりを除く三者は再度そろって溜息をついた。
正直、勘弁して欲しい。
「まあ、さ。素直に地底の出口が再現されているとは思ってなかったがよ」
「素直にって言うんなら白玉楼階段を昇ってきたのだから白玉楼本邸でしょ?」
「よりにもよってうちとはね……」
日の差す地底を抜け出た先、四者がようやく辿り着いた地上の空は紅く真円を抱く満月の夜。
真紅の満月が照らし出しているのは巨大な門と壁に囲まれ、中庭に美しい薔薇園を備えた重厚な石造りの建築物だ。
本来館の周囲にある湖は影も形も見当たらず、辺り一帯そこかしこに剣やら槍やらが突き立っている荒野はさながら戦場跡。
そんな中に屹立する建物の正面、二階の窓の先にある月当たりのよいルーフバルコニーは今は無人。
四者は吸い込まれるようにバルコニーよりはるか上、巨大な時計を備え、家屋と一体化している鐘楼へと視線を注ぐ。
その鐘楼の上、満月に酔いしれるような表情で翼を広げた少女は中庭に降り立った四者を一瞥した後、ひらりとバルコニーへと舞い降りた。
「我が館へようこそ、有象無象の輩達。館外での歓迎になってしまって申しわけないがね」
「多分私達は館の中へ入らないといけないのよ。中に入れてもらえないかしら? レミィ」
「ふむ、初対面だと言うのにずいぶんと馴れ馴れしい奴だな。まずはマナーから学んだほうがよろしいのでは? レディ」
三者に一歩先んじてパチュリーが尋ねるも、レミリア・スカーレットはバルコニーから眼下の四者を見下して轟然と腕を組むのみ。
振り向いたパチュリーは肩をすくめて首を横に振った。どうやらレミリアも話し合いで何とかなる精神状態ではない、ということだろう。
「ですが、礼儀正しく依頼しても入れてはくれないのではないですか?」
「その通りだよ三只眼。お前達にとっては死と破壊をばら撒くただの暴力かもしれない。だがね、それでも私にとっては大切な家族なんだ」
慈愛と憎悪で押し固められた不退転の意思が、レミリアの体から魔力となって迸る。
「あいつが何を思っているのかは私だって分からない。でも私は家族として、当主として、あいつを守ってやらねばならないんだよ。正義は貴様等に在るのかもしれないがね、引くわけにはいかないんだよ猟犬ども」
敵意もあらわにレミリアは宣言すると両手と翼を広げて天へと舞い上がった。
もはやお話の時間は終わり、というつもりなのだろう。紅の魔力が十字に迸り、紅い闇夜をさらに紅く染め上げる。
「殺る気満々ですね」
「霊夢、夢想天生はいいから鬼縛陣を張れ。でなきゃ私達が生き延びられん。パチュリー、雨は降らせられるか?」
「出力が2/7まで落ちている今では狭範囲にしか降らせられないし、五行循環を乗せられない以上あまり長続きしないわ。非実用的ね」
「マジかよ……あれ? おい霊夢、どうした? 聞こえなかったのか」
返事が返ってこないことにいぶかしんだ魔理沙が後ろを振り向こうとした、その時。
魔理沙の右肩に負荷が掛かる。次いでその肩に爪が立てられ、万力のように締め上げられた。
「ちょ、なにすんだ霊……霊夢!!」
どん、と魔理沙の背中に何か――おそらく霊夢の顔だろう――がぶつかってくる。
慌てて魔理沙が己の肩を握る手を取って振り向くと、肝心の霊夢はすさまじい形相で片手で頭を押さえて喘いでいた。
霊夢の斯様な苦悶の表情など、魔理沙はこれまで一度たりとも目にしたことがない。
「ごめ……ちょっと……頭が……なんなの、これ?」
額に脂汗を浮かべ、明らかに尋常ではない様子でか細い声を絞り出した霊夢は、
「霊夢!? おい、どうした!?」
問う魔理沙に答えることなく、霊夢の全身からストンと力が抜ける。
動揺した魔理沙はその体重を支えきれなかった。ドサリ、と霊夢が大地へと倒れ伏す。
「霊夢! おい霊夢!」
「魔理沙さん! まずは正面を! 彼女が来ますよ!」
「っ! パチュリー! 狭範囲でもいいから雨を降らせろ!」
「天候操作は大魔術。すぐには無理よ」
その回答に魔理沙の背筋は凍りついた。
弱体化無しでの鬼との正面決戦など人間――いや妖怪であってすら正気の沙汰ではない。
一秒後には散り散りになり、二秒後には各個撃破され、三秒後には魂が体を離れてさようなら、だ。
「どうするんですか? どうするんですか!? 彼女一直線に突っ込んでくるつもりですよ!?」
「万事休すね。霧の湖もない以上、大規模水術は不可。積んだかしら?」
「何でお前こんなときまで冷静なんだよ!? ふっざけんなぁあああああそうだ! おみくじがあったんだ!」
夢の中に入る前に神奈子から受け取っていて、即座に引けるように袖の中に仕込んであったそれを魔理沙は引っ張り出して読み上げる!
「中吉! 断じて行えば鬼神も之を避く!? なら何とかしてみろいやしてください神奈子様万歳!!」
レミリアが紅の魔力を纏って眼と鼻の先まで突っ込んできたその瞬間、魔理沙とパチュリーは横から伸びてきた手に突き飛ばされて尻餅をついた。
その直後に天に雷鳴が響き渡り、突如として紅魔館は集中豪雨に飲み込まれる。
山の神にして軍神にして天候神。八坂神奈子による神力が生み出した嵐は流水を厭う吸血鬼を阻む壁となって紅魔館の周囲、半径200m程を暴風域に巻き込んだ。
レミリアは? と魔理沙が周囲を見回せば、さすがは吸血鬼。
突っ込んできた勢いそのままに前進し、暴風域を瞬時に突き抜けて雨中の様子をうかがっていた。
安堵に胸を撫で下ろした魔理沙が、
「すまんさとり、助かった……って、おい? 大丈夫か!?」
背後を見れば魔理沙達を突き飛ばすのが精一杯だったのか、さとりもまた目を回して大地に横たわっている。
倒れたさとりを抱き起こしたパチュリーはさとりの頭や首に手を当てた後、問題ないと首を横に振った。
「大丈夫、かすっただけみたい。レミィの魔力にあてられて意識を失っているけど目立った外傷はないわ」
「そいつは何よりだ……で、パチュリー、霊夢のほうはどうしたんだ? レミリアの呪いかなんかか!?」
土砂降りの雨の中、一度肺腑を空にした魔理沙は意識を失って倒れ伏す霊夢を抱き起こすと、食って掛からんばかりの剣幕でパチュリーに問いかける。
「確かにレミィは呪いの類も使えるけど、あまり好んで使用したりしないわね。むしろもっと原因は単純、おそらくは脳が圧迫を受けているのではないかしら?」
「まさか……さっきの妖夢の一撃か?」
「ええ、血腫でもわずらったのかもしれない。私は医者ではないから詳しい診断は出来ないけど」
おそらくは頭を打ったということは早苗と似たような状況に陥ったのだろうと、そう解釈した魔理沙は土砂降りの雨よりも体を凍えさせる恐怖に打ち震える。
それは、医者がいなければ助からないということではないのか?
「ええい、詳細なんぞどうでもいい! 安全なのか、危険なのかどっちなんだ!」
「分からないわ。出血が少量なら死には至らないでしょうが、大量であればこのまま死亡することも十分にありえるわね」
なんだって?
霊夢が、死ぬ?
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□――― 想起 - Judecca - ―――
約束から一年後、少女が巫女を継いだのを契機に私は親子巫女の勧告に従って地上へ上がるのを自粛した。
決定的な破綻、事件は何一つ発生していない。だからこそ地上の状況は最悪のコースを歩みつつあった。
天狗は権力を掌握する時期を逸してしまったのだ。
天狗は自身が火付け役になることを選択肢に入れておくべきだった。
己の手腕を見せ付けて権力を握る、というのであれば、天狗は彼ら自身が放火して事件を起こす事位は計画に入れておかねばならなかったはず。
だけど狡猾な天狗は自分達が泥をかぶることを是とせず、待ちに徹することを選択した。
権力を握った後に後顧の憂いを残したくないと考え、事件の発生を自然に任せたことが天狗自身の首を絞める結果となってしまったようだ。
つまり、妖怪達の統率は未だ執れておらず、妖怪の山は荒れる一方という様相である。
友人である巫女と元巫女は毎日忙しげに幻想郷中を飛び回っているらしい。
だけど妖怪である私には彼女達の力になることが出来ない。
妖怪の山が荒れるに比例して、人里の妖怪に対する心情も悪化しているのだから、巫女の傍に妖怪が居るべきではない。
妖怪を引き連れる様は彼女達への信頼を損なわせ、結果的に足を引っ張ることになってしまうのだから。
ましてや嫌われ者のサトリであれば尚更であろう。
友人の力になってやることが出来ないという現実は私の心を内側からジリジリと焦がしているが、動くことが悪手になってしまうのだから耐えるしかない。
それに実際のところ私が彼女達の傍にいたとしても、彼女達にしてやれることなんて殆ど無いのである。
博麗の巫女としての秘術を身につけた彼女達はサトリよりもはるかに強いし、さらに言うならば師匠の方は戦鬼の如き勇猛さを誇る。
弟子のほうは師匠には劣るものの、既に彼女が博麗の巫女であるのだから知恵のある上級妖怪はこれを殺すことが出来ないし、下級妖怪如きに負ける程弱くもない。
彼女達が危機に陥ることなんてないし、だから私は静かにこの地霊殿で地上の騒乱が落ち着くのを待っていれば良い。
さ、どうしようもないことをうだうだ考えていても仕方が無いし、時間は前向きに使わねば勿体無い。
私の『心曲』も殆ど完成しているし、そろそろ依頼されたフィレンツェ旅行記の草案でも練り始めようか。
そう思っていた矢先だっだ。
「お姉ちゃん!」『早く! 早く早く早くしないと!!』
執務室の扉を蹴破って靴を投げつけてきたこいしの表情は戦慄に固まって引きつっており、心の声は混乱で意味を成さない。
だけど、いやだからか。私の体は尋常ならざることが起こっているのを肌で感じ取って総毛立つ。
大陸を横断する過程で他人の心の闇を見続けてきた私が恐れるものなど、私達の絶望以外はありえないのだから。
「何事ですか、こいし」
「いいから来て!」『移動しながら説明するからまずは急がないと!』
言うが早いかこいしは私の手を掴んで走り出す。
日ごろの運動不足故に何度かまろびそうになるが、それでも急がずにはいられない。
何とか私はこいしに引かれるままに玄関を潜り地霊殿正門を走り抜け、そのままこいしとともにふわりと地底の空へと飛び立った。
こいしが急ぐ理由。私達に共通の絶望。それらを考慮すればおぼろげながら『誰に』 関することかぐらいは予想がついた。
口を開く時間も勿体無いとばかりにこいしは私に眼と背中を向けてアイコンタクトを要求してくる。
こいしの飛翔速度に合わせると息をする余裕も無い私はそれを受け入れて第三の眼をこいしへと向けた。
『巫女が、巫女同士で戦い合っているのよ! どうすればいいの? お姉ちゃん!』
戦い合っている? あの二人が?
なぜ?
『そんなの分からないよ! あの二人の頭の中はどう攻める、どう防ぐで一杯だったし!』
こいしはあまり催眠術の類が得意ではないから、あまり深層までは読めなかったのだろう。
だから私を呼びに地霊殿まで戻ってきた、と。
とりあえず急ぎましょう。こいし、牽引してもらえますか?
『任せてお姉ちゃん! 飛ばすわよ!』
サトリとしては私のほうが優れているものの、妖怪としてはこいしのほうがはるかに優秀。
私の手をとったこいしがさらに加速する。一人を牽引しているというのにその飛翔速度は私一人が飛ぶよりもはるかに速い。
ちょっとこいしをうらやましいな、と思った私はその感情にはっとする。
……レヴィアタン。私の心にも巣食うこれがやはり原因なのだろうか?
◆ ◆ ◆
果たして、こいしに牽引されて降り立ったそこ。神社から二里ほど離れた森の中は確かに戦場だった。
今は小康状態なのか、大地に降り立って睨み合うのは対照的な二人の女性。
巫女であることを辞めたが故に白衣緋袴を脱ぎ、薄紅の小袖姿に赤い元結で髪を束ねた、少女の母親代わりにして師たる彼女。
巫女であるが故に白衣緋袴。白い元結で髪を束ねた、彼女の娘分にして弟子たる少女。
彼女はその背後に負傷した妖怪をかばいながら、困惑した表情で、されど余裕を持って弟子を見ている。
少女は背負うもの無く唯一人、屹とした表情で師を睨むものの、その呼吸は荒く額には汗の珠が浮かんでいた。
新たな妖気の接近を察知したでろう二人は、ほぼ同時に空を見上げる。
その妖気の元である私達に注がれる視線もまた対照的。
師たる彼女は些かほっとしたようで、弟子たる少女は諦観の様相で。
「さとり、こいし」『説得に協力して欲しいの。こんな争いはもう終わりにしたいのよ。お願い』
「来ちゃったか、古明地姉妹」『できれば地底に篭っていて欲しかったんだけど……上手くやるしか無い、か』
私とこいしは顔を見合わせる。双方から話を聞かねばなるまい、と思ったのだが弟子の巫女は最初の一言の後、黙したまま口を閉ざしている。
その思考を読んで得られたものは、
『さて、どうやれば三人同時に捌けるんだろう』
なんて戦術の構築。その思考に戦慄し、無意識に伸ばされたこいしの手を握り締めると年配の友人へと視線を向ける。
「……やり過ぎなのよ」『そう、殺す必要がない妖怪までも……』
その一言と一思考、そして彼女の背後で苦痛にあえぐ妖怪の姿から私は彼女達が相対し、戦へと発展した理由を理解できた。
おそらく少女は里に危害を加えた下級妖怪を命ごと排除しようとし、彼女はそれをやりすぎと判断して止めようとしたのだろう。
ならば、最初に確認しておかなければいけないことが一つ。
「被害は?」
「……建材用の木材を伐採していた里人数名が木を伐り出している最中をこの子が襲撃。すぐ傍に落ちた落雷で数名が若干麻痺、斧を滑らせて多少の切り傷を負ったものの重傷者は無しよ」『多分、ちょっと驚かそうとしただけ。殺す必要なんてないはず』
背後でおびえる妖怪にちらりと咎めるような視線を投じた後、彼女はやつれたような声を搾り出した。
おそらくは雷獣なのだろう。一見して年若く、まだあまり知恵がついているようには見えない。
だから彼女が推測したようにそいつは人間を発見して、特に悪意も無く驚かそうとしただけなのかもしれない。
成る程、確かに駆逐されるに値するほどの被害は出ていない。ちょっとぶっ飛ばしてお灸をすえる程度で十分だろう。
それが、三十年前であったならば!
なんて、切り出せばよいのだろう。
どう言葉を紡げばこの場を穏便に収められるのだろうか?
理解してしまった。
師と弟子。親子の如く暮らしてきた二人は互いを慈しみ合っていながらも、その間には氷壁の如き確たる隔たりが存在していることを。
もはやどちらかが傷つき折れること無しに、この睨み合いは終わらないということを!
『どうしよう? お姉ちゃん……』
心を読んで私の思考を理解したこいしがすがるような目線を私に向けてくる。
けど、私にだって分かるはずも無い。どっちにも正義があって、悪がある。
唯一つ分かるのは私達はここに来るべきではなかった、ということ。
サトリは人の心を読む妖怪だ。
その瞳は人の心を丸裸にし、あらゆる嘘を許さない。それがどんなに他人のことを思いやった嘘であったとしても、だ。
僅かな可能性ではあるけれど、私達がいなければ彼女達は優しい嘘で互いを思いやったまま、自分達の力で関係を修復できたかもしれない。
だけど彼女達は今や私達に一つ、「教えて?」と問うだけで互いの本心を知ることが出来るのだ。
人が人の世界で傷つけあわず生きていくために、嘘は絶対に必要なのに、サトリはそれを許さない。
私達はここにいるべきではなかった。
けど、来てしまった私達はもう後には引き下がれない。彼女達を放置してこのまま去ることなどできはしない。
黙って此処を去るのが最良だと分かっているのに。何とかしてこの諍いを諌めよう、と私達の心がそう思ってしまう。
出来ることは彼女達の本心を暴くだけであるというのに。
友人の力になりたいと、何か出来るはずだという欲が。
このまま何もせずに黙って立ち去っては、彼女達に侮蔑されるかもしれないという恐怖が。
私をこの場に縫い付けて、引き下がることを許さない。
「ね、さとり。貴女からも言ってあげて。やりすぎだって」『もう、この子は私の言うことを聞いてくれないのよ……』
もう、なるようにしかならない。最早私には二人の間に屹立する氷壁を破壊することしか出来ない。
これを破壊した後、二人の間に何が残るのかは分からない。それが正しいのかも分からない。
――だから、こいし。貴女も貴女で自分が正しいと思う心を選びなさい。
「いいえ、私にはやりすぎと止めることは出来ません」
その言葉を放った私に三者七つの瞳が集中する。五つは驚愕を、二つは若干の感謝の後に本心でない敵意を込めて。
「貴女の弟子の選択は間違っていません。その子が生きるためには、妖怪を殺さなければいけない。だから間違っていない」
「なぜ!?」『雷獣なんかに負ける子じゃないわ! 殺さなくたって問題ないはずよ!』
「違います。妖怪がその子を殺すんじゃないんですよ。人間の感情が、その子の心を追いつめるんです」
「……さとり、もういいわ。貴女も母さんの側に回りなさい。私は妖怪は善悪種族問わず全て撃ち倒すのだから」『ありがとう、でも、ごめん』
理解者を得たから、それでもう十分とばかりに少女は一瞬だけ微笑んで、そしてその形相を憤怒へと変える。
「母さん、私は里人から人間に危害を加えた妖怪の排除を依頼されたの。そいつが生きていることが里人に知れたら私の立場がなくなるのよ。好きで殺そうとしているわけじゃないの」『嘘ね。憎しみに任せてぶっ飛ばしたい気持ちはあるし』
「ならば感情に逆らってまで殺さなくったっていいでしょう?」『そんなことをしていては妖怪の恨みを買うばかり、敵が増えるばかりよ!』
そう、それは正しい意見だ。
でも違う、違うんだ。誰だって正しくありたい、って思っているのに。
「どんなに説得したとて、そいつが私の言うことを聞く保証は無い。私は母さんと違って人里寄りの巫女だからね。妖怪達もそれを知っているから母さんほど私は妖怪に信頼されてないし」『妖怪の世界は弱肉強食。弱者の言うことなんて誰も聞くはずがない。母さんは強いからそれに気付けないのよ』
「だったら信頼されるように「『強くも!!!』」
言葉と心、その二つが悲鳴を、
「『強くもないくせにそんなことをしてたから、私は里人の信頼を失ったわ』」
悲鳴を、上げていた。
説教などごめんだとばかりに挟み込まれた少女の言葉に、彼女は絶句して口を噤む。
「やってみたのよ、最初は。もう人里を襲わないから、って言葉を信じて背中を向けたらドン。で、その後にはさよならよ。一応背中に符を仕込んでおいたから死ななかったけどね。……前さ、私が帰ってきたときに母さんが背中流してくれるって言ったことあったじゃない? で、私がもう子供じゃないからって断ったこと。覚えてる?」『今でもその時の母さんの残念そうな顔、私は覚えてる』
心当たりがあるのだろう。彼女は白い顔で押し黙ったまま言葉を発することが出来ない。
多分彼女とて、同様のことは何度も体験しているに違いない。だがしかし、鬼のように強い彼女はそれらをすべて捌ききれたのだ。
でも少女にはそれが出来ない。手加減や許しというのは強者の特権だ。弱者にはそれをするだけの余裕がない。
「母さんみたいな巫女になりたかったのよ、私だって。でも私にはなれなかった。でも巫女にはなってしまったから私は戦い続けなければいけない」『自分で望んで就いた役だから、引き下がれない』
最も辛い時期に巫女になってしまった少女は手のひらをぎゅっと握り締める。その腕は同年代の少女に比べて一目見て判るほどに太く、そして引き締まっていた。
そう、それらの筋肉は少女が巫女としての能力を補うために身につけた武器であり、鎧なのだろう。
「判ってるんでしょう? 私は母さんより弱いのよ。母さんが出来るからって、それを私に望まないで」『私は、鬼じゃないんだから』
「そんなことは……」『私は、嘘吐きだ……』
「無いなんて言えないでしょう? 言えるんなら言ってみてよ。さとりとこいしがいるこの場所で! 私は母さんに負けず劣らず強いって!」『そんなわけ無いよね。もしそうだったら、私はこんなに傷だらけになってないもの!』
どちらの表情も驚くほどに真っ白だ。
ただ、彼女の表情が血の気が引いたが故であるのに対して、少女の顔が白いのは化粧をしてるからだった。
よく見ると顔だけではなく、首元に至るまで薄く白粉が塗布されている。
――ああ!
その理由、少女が化粧をしている理由に気がついた私は思わず少女の顔から目を背けてしまった。
多分あの子は、化粧で覆い隠しているのだろう。その肌の上に刻まれた、さまざまな痕を。
私の思考を読んだこいしがはっ、と息を呑む。それを皮切りとして、少女は堰を切ったかのように捲し立てる。
「今の私の人里での評判を知ってる? 「妖怪退治もろくに出来ない無能な巫女」よ? 私一人が馬鹿にされるならそれでもいい。でもね、私には里に友人がいるのよ! 私をかばってくれる友人が! 私が失敗すればするほど、友人達まで立場を失うのよ! 分かってるの!? 私はこれ以上失敗できないのよ!」『強者には分からないでしょう? 一人でも生きられるだけの強者には!』
『「それは……」』
「里人は怖いのよ! 母さんからすれば落雷一つなんて簡単に防げるけど、里人はそうも言ってられない。誰もが対価を払って退治屋を雇う余裕があるわけじゃないし、仮に懐に余裕があったとしても妖怪退治を生業としてる奴らだって今は休み無く働いている。誰もかれも余裕が無いのよ! 力を持たない里人達は、私を頼るほか無いのよ! 母さんには分からないでしょう!?」『弱いものの心なんて!』
流れ込んでくる。
――『どうやったって私は母さんにはかなわない。分かっていても諦められない』
――『説明下手ながらも丁寧に教えてもらっているのにどうやっても術を発動させられない』
――『母さんが寝静まった後に一人起き上がり暗闇の中でその日教えられた術を何度も何度も繰り返し練習し続ける』
――『そんなことを繰り返してようやく発動させた術の威力は母さんのそれの半分以下にも及ばない』
――『でも出来たんだ。だからいつかはとどくはずだ。今日がだめでも、明日、いや、一週間後には、いや、一年後には……』
――『嘘だ。そんなのは嘘だ。まやかしだ!』
少女の、苦悩が、絶望が。
「母さんの言うことだもの! 無視したくなんか無いわよ! でもこれ以上私に夢を見させないでよ! 私だって母さんみたいにやれるんだって、錯覚させないでよ! そんな錯覚に囚われて私の実力を見失ったら、私は死んじゃうんだから!!!」『出来ないことを、不可能なことを押し付けないでよ! この、鬼!!!』
激情を吐き出すかのように、少女が絶叫する。
耳が。いや、眼が痛い。潰れてしまいそうだ。
かつて少女に「巫女になりたいのであれば、なればいい」と言ったのは私だ。
少女が巫女になったのはあくまで少女の選択であり、少女自身の責任でもあり、少女はそれを理解している。
だけど私もまた、確かに「出来もしない夢」を視させた一人であるのだ。
人の心が読める私は、人よりもはるかに多くの情報を集められる私は、もっと多面的に考えて様々な選択肢示すことが出来たのではないか?
無責任な賛同で、茨の道を進むことを後押ししてしまったのではないのだろうか?
はぁはぁと荒い呼吸を続けていた少女が、深呼吸をして息を整える。
「言いたいことは言ったわ。母さんは私に言いたいことはある?」『私が正しい、とはどうせ言ってくれないよね……』
「……」『何を、言えば、いいんだろうか……』
「じゃあ会話の時間は終わり。私はそいつを始末しなきゃいけないんだけど、当然母さんは邪魔するよね? 小娘一人になじられて生き方を変えるような弱い巫女じゃないものね」『やっぱ、こうなるか』
「でも……」『ここで妖怪をかばうってことは、娘の未来を切り捨てるってこと。でも……妖怪だって命は命だ……さとりやこいしだって……友人じゃない……』
「悩んでるんだ。なら後押ししてあげるわ。私はね、時々人里近くに現れる第三の眼を持つ妖怪の排除も依頼されてるのよ」『殺せと明言されて無いのが救いかな?』
「な!?」
それは、まさか?
ぎょっとした表情でこいしが握っていた私の手に爪を立てる。
「こいし、どうする? 私の言うとおりに地下に潜っててくれる?」『でも多分無理だよね? 貴女好奇心旺盛な本能型だもん。いずれ外に出たくなるよね?』
『「……嫌だ」』
それは、その返答は何に対する拒絶だったのか? 混乱しているこいしの思考は私にも読み取れない。
「じゃあ仕方が無い。実力行使しかないわよね」『さあ、これで私は一人。何の心置きも無く戦える』
その宣言と同時に、八つの光弾が少女の周囲に浮かび上がった。
溢れんばかりの霊力を湛えたそれに、手加減はない。その少女の瞳が、こいしに注がれている。
なぜ。
なぜそこまで自分を追いつめるのか?
彼女の実力では決して母親には敵わない。そこに微力とは言えこいしや私までが加われば尚更だ。
彼女の思考が理解できない。何か意図があるのかもしれないけれど、それを思い浮かべてくれなければ私達はそれを読むことが出来ない。
ならば、せめて彼女の中核になっている深層を読もうと第三の眼に力を込め、そして私は凍りついた。
『悲しい、悔しい、痛い。私を苦しめるもの全てが、母さんが、さとりが、こいしが、里人が。憎い、恨めしい、おぞましい』
『――でも、嫌うことなんて出来ないから……』
「消し飛べ」「やめなさい!」『『夢想、封印!』』
その先を読む前に私の瞳術は中断された。目の前の危機に否応無しに対応せざるを得ない。
少女がこいしに放った攻撃を、彼女が同じ術で迎撃する。少女が放つ八つの光弾を彼女は六つで相殺し、残る二つが少女へと向かう、が……
「想起 ―― 夢想封印!」
「こいし!?」
それを打ち落としたのはこいしが模倣した彼女達博麗の巫女の秘術。
七つしかなく威力もはるかに劣る闇色の光弾は、かろうじてその二つの光弾を相殺するのが精一杯。
「正気なの?」『私は貴女を退治するって言ってるのに!』
「多分正気よ!」『だって、一人になんて出来ないじゃない!』
少女の心を知ってなお、躊躇い無くこいしは己を退治すると言った友人の支えとなることを選択した。
それは、少女が自分を退治することは無い、とたかを括ってのことではない。
己が退治されることを視野に入れた上で、少女の味方になることを選んだのだ、とこいしの心が告げてくる。
妹の友人を思いやるその心は、姉としてはとても誇らしい。
でも、でも私は……。
私は、唯一の肉親であるこいしを失うことに耐えられないだろう。
可愛いこいし。愛しいこいし。たった一人の大切な肉親。私が生きる理由のすべて。
……だから、私は彼女の側につく。
「一応言っておくけど、私が勝ったら次に貴女を排除するわよ? いいの?」『ありがとう、こいし。許してなんて言えないけど、でも、ごめん』
「私は生きたいように生きてるだけよ。それに私お姉ちゃんの困った顔ってちょっと好きなの」『どっちに転んでも私は負け組かぁ。ほんと、何やってんだろう』
少女とこいしが苦笑を交し合っている。
対する私と彼女は憔悴したような視線を交わす。
勝たなくてはいけない。そして多分勝てるだろう。
だが、この勝利に意味はあるのだろうか?
有るとも。勝たなければこいしは死んでしまうかもしれない。
無いとも。勝てば友人の未来を閉ざしてしまう。
迷いを断ち切れぬまま、私は少女が放つ追尾符を妖弾で叩き落とす。
ああ、世界はこんなにも人と妖怪に優しくない。
◆ ◆ ◆
一撃毎に心を切り取られるような戦闘は四者四様の博麗の巫女における奥義の撃ち合いで幕を閉じた。
光弾に吹き飛ばされた少女とこいしは最早自力で立つことも出来ないほどにまで消耗して大地に倒れ伏している。
妖怪を力ずくで封印する夢想封印。弱めに放てば妖気を削り、本気で放てば妖怪の存在そのものを削る。
その最上位を食らってなおこいしが五体満足であることに安堵した。
つまり全力で奥義を放つ私達姉妹や少女とは対照的に、彼女にはこいしに向かう光弾を手加減できる位に余裕があったのだ。
実力差は明白だった。私の助力など全く不要と言わんばかりに、四十を超えた彼女は終止戦場を圧倒していた。
「……勝ちましたね……」
「ええ……でもこの勝利は何処にも繋がらない」『勝って、よかったの……?』
勝ったとて、これから何一つ変わらないのだ。少女は生きるために妖怪と戦わなくてはならない。
彼女が少女の補佐をする、といった方法も取れないでもないだろうが、そんなことをすれば「いつまでも先代の尻に隠れる無能な巫女」という新たな烙印を押されるだけ。
私達姉妹が共にいることが出来れば騙し討ちはすべて阻止できるとは言え、妖怪を連れ歩いてはやはり信頼を失うのだろう。
今じゃなければ。こんなにも人と妖怪が対立する時代じゃなければ。
少女は無難に巫女をやり遂げられて、誰もがこんなにも苦しまずにすんだのだろうに。
虚しさに天を仰げば曇天の空模様。今のこの戦場を反映したかのようにどんよりとして、厚く、重くくすんでいる。
ああ、雨が、降り出しそうだ。
この先、私達はどうすればいいのだろう。何一つ分からないのにこの戦場での勝敗だけが、たった一つだけ残酷なまでに明白な事実。
倒れたこいしに歩み寄って抱き上げても、こいしは未だに目を覚まさない。
「来ないで」『来るな』
二人は、これからどうするのだろうか?
同じように地に伏した少女を助け起こそうと歩み寄った彼女に叩きつけられたのは拒絶の声。
横倒しで倒れていた少女は何とか寝返りをうって仰向けになると一度悲しげに天を睨み、再び表情を消した。
「私の夢はここで終わりね」『くだらないことに巻き込んじゃって悪かったわね、さとり』
「……どういうこと?」『まさか』
「巫女を、辞めるのですか?」
「ええ。それが一番でしょう?」『無様な……ものね』
「そんな……」『……やっぱり』
ことはない、と彼女は心の中ですら言い切れなかった。
これから先、少女が博麗の巫女を続けても多分、幸せにはなれないだろう。
里人の望みと自分の望み、そして親代わりの望みの板ばさみになって延々と苦しみ続けるだけかもしれない。
「今はまだ母さんがいるし、私が巫女を辞めた後はまた母さんが巫女に復帰すればいい。私が巫女でいる必要はない」『こんだけ実力差があるんだし』
「ですが、巫女を辞めた後、貴女はどうするんですか?」
少女は確かに優秀ではないかもしれない。それでも少女は里人に望まれているのだ。
勝手に巫女を辞めては里人達が裏切られた、と感じるかもしれない。そうなったらやはり少女に対する風当たりは強くなるだろう。
これから先、誰とも顔をあわせずに孤独に生きていくとでもいうのだろうか?
でも、少女は孤独でいることに耐えられないから、里人と己の望みの板ばさみになって苦しんでいたはずだ。
そうでなければ里人からの評判なんて親代わりたる彼女のように一切無視出来たはずだった。
そう考えていた、その時、
「ならばうちに来ればいいわ。嫌われ者の屋敷だもの、地底の妖怪だって近づかないし安全よ!」『いいでしょ? お姉ちゃん』
いつから目を覚ましていたのか、私の腕の中にいるこいしがそう提案する。
勿論、あの子が望むのであれば構わないし、それは名案でもあるように思える。
私の思考を読んだこいしはほっと安堵の溜息と共に胸をなでおろす。
でもそれは、私達が決めることではない。
『分かってるわ』
なら、良いのですが。
こいしが私の手を滑り降りる。おぼつかない足取りではあるが、もう一人でも立てるようだ。
「……どうするの?」『一緒に居たい。居てほしい。でも……』
母代わりにそう問いかけられた少女もまた、よろよろと立ち上がってぐるりと周囲を見回した。
順番に私達を覗き込むその瞳は静かな決意を湛えて澄み渡り、そして据わっていたから、私は思わず戦慄に肩を震わせた。
あの目は。
そう。
私はあのような視線を何度か目にしたことがある。戦場で……
「そうね、それも悪くないかも。ただ、その前にやらなきゃいけないことがあるのよ」『それが終わったら連れて行ってくれるかしら? こいし』
「勿論よ! でも……やらなきゃいけないことって?」『引継ぎかな?』
その決意を秘めた眼差しは、そう、まるで決死の戦に望む兵士を連想させたから。
……迂闊だった! 最早第三の眼に力を込める必要すらない!
「それは、駄目だ!なんてことを!!」
体が、戦闘の余韻でろくに動かない。
だから唯一動ける人間に向けて、遅いと知りつつも、あらん限りの、声を。
「結界を!!早く!!」
「さよなら、みんな。愛してた」『私の犠牲で以って幸せになる世界か。そんなもの、全て、呪われてしまえ!!!』
少女が突如放った光弾が、歩み寄っていたこいしを弾き飛ばした次の瞬間に、
曇り空を裂いて落ちてきた稲妻に打たれた少女はびくりと一度体を震わせ。
大気を引き裂く轟音が遅れて鳴り響いたときには、少女は物言わぬ骸に変わり果てていて、再びドサリと大地に倒れ伏した。
:
:
:
雨が、降ってきた。
「……え……?」『なんで……?』
弾き飛ばされたが故に側撃雷を回避できたこいしが上半身を起こして呆然と呟いている。
周囲を見回すと、すさまじい速度で此処から飛び去っていく雷獣の姿が目に映った。
最初に少女に殺されようとしていた、そして彼女に庇われていたあの雷獣だ。
「……嘘でしょう?」『……?……死?……んだ?』
立ち去っていく妖怪に見向きもせずに彼女が朦朧とした表情で少女に、いや少女だった物に歩み寄ってその手をとって脈を測る。
だが、すぐにその手は力なく開かれてしまう。
離された手は、とさり、と。
そのまま大地に落ちた。
『「あ、あ、あああああああああああああぁぁああああああ!!!」』
ああ、ここにはもう、絶望しかない。
こいしが彼女から少女の死体を奪って泣き叫ぶ中、私は泣けなかった。
心がもう閉ざされているのかもしれないし、もしくは少女よりこいしの生を選んで敵対した私にそんな権利が無いと思ったのかもしれない。
いや、そうじゃない。私だけが、彼女の深層心理を読める私だけが、この悲劇を回避できたはずだったのに。
全身に、脂汗が、滲んできて。
膝がガクガク震えて立っていられなくなり、無意識に膝をつく。
下を向くと猛烈な吐き気を覚えて、胃の腑から何かが湧き上がってくる。
ああ、なんて……無様なんだろう、私は。
冷え切っていく思考の中で、唯一つ揺れているのは、こいしのこれからのこと。
彼女の最後の心象。……吹き飛ばされている最中、こいしはあれを視たのか? それとも視なかったのか?
「わ、私が……」『……殺した……』
幽鬼のようにふらりと立ち上がった彼女が、私の元へと近づいてくる。
戦鬼の如しと讃えられた彼女もまた、私と同様に表情というものを忘れてしまっているようだった。
「巫女は、二人も、要らない。私が、死んでいれば、よかった」『私が……私がいなければ……そうしていれば、あの子は』
彼女はおそらく人生で初めて、無力感というものを味わっているのだろう。
あらゆる後悔が彼女を内側から食い破っている。
そんな状態でもなお私の元へと向かってくるのは、最後に一つ、確かめたいことがあるから。
それに気がついた私の体はひとりでに肩を抱いてガタガタと震えだす。凍りついた感情が、融解し始める。
胃の腑に渦巻く吐き気に耐え切れなくなって、げぇげぇと狂ったように胃液を大地へと溢す。
『「さとり」』
――嫌だ。来ないで。
――お願いだからそれを口にしないで。
『「一つだけ教えてくれないかしら?」』
――友達でしょう? 私がそれを望んでないことくらい分かっているでしょう?
――お願いだから私をそんな目で見ないで!
『「あの子は最後に何を思っていたの? 貴女には読めたんでしょう? 教えて? さとり」』
――言えるわけないでしょう!? あれを口にしたら貴女だって死を選んじゃうかもしれないじゃない!!
「私を」『怨んで、いた?』
――私を、人の心を覗くための遠眼鏡代わりにしないで!! 私にだって!!!
「どうして」『教えて、くれないの?』
――心が、あるんだから……
……
:
:
:
◆ ◆ ◆
そこから数日の間に起こった出来事を、私はあまりよく覚えていない。
かろうじて覚えていることはこいしが彼女の遺体と共に一度地霊殿へと赴き、そして帰ってきたときにはその瞳が完全に閉ざされていたこと。
天狗達が巫女の死という一大事を奇貨として動き出し、巫女を殺した妖怪を処罰して山の秩序を守るのが誰かを知らしめたこと。
そして再び、彼女が空いた座を埋めるべく巫女へと復帰したこと。
これくらいだ。
こいしが連れ去ったために遺体の無い少女の葬式には、割と多数の里人が集まっていた。
その中には少女の実力に不満を持ち、罵った者も含まれていたのかもしれない。
だがそれらを含めてなお里人のために奔走した少女の――実力はともかく――直向さは皆に慕われていたようだった。
沈痛な啜り泣きが聞こえるその神葬祭を、妖怪である私は遠方から眺めるのみ。
少女の死を契機として天狗が鬼に成り代わって妖怪の山を掌握したためだろう。少しずつ人里近くで暴れる妖怪の数は減少し、郷は落ち着きを取り戻し始めている。
天狗の行動は恐ろしいほどに迅速だったから、天狗と少女との間に密約があったであろうことは疑いない。
はたして、どっちがそれを持ちかけたのか。少女の性格をよく知っていたから、それは私にとっては考えるまでも無い問題だった。
重要なのは結果として少女は最後まで里人のための巫女として生き、そして死に。天狗がしっかりと約束を守り、山をきっちりと纏め、結果として郷が平和になったこと。
そして何より、私には何も出来なかった、ということ。
人による葬式が終わった後に一回、状況確認のために地底に降りてきた彼女の案内を務めて以降、私は彼女と会っていない。
彼女と会うと、少女の最後の顔が瞼の裏に浮かび上がってきて苦しいのだ。
それは彼女のほうも同様だったようで、自然とお互いに出会うことを避けてしまった。
唯一、第三の瞳を、己の心を閉ざして誰にも見られなくなったこいしだけが私と彼女の両者に寄り添うことができた。
一通り怨霊の監視を済ませた私は自室にて、今も筆を走らせている。
フィレンツェ旅行記ではない。それを書く必要はもうない。それを見せる相手を、私は永久に喪ってしまったのだから。
『心曲』を。
今日も私は『心曲』を書いている。
先に書き上げたほうは灼熱地獄へ投げ込んで焼き捨ててしまったから、私が書いているのは今も『心曲』である。
この心の中の苦しみを、嘆きを、悲しみを、心に思うことのすべてをこの『心曲』へと封じ込めて、立ち直らねば。
私は古明地さとり。古明地こいしの姉で、地霊殿の主で、地底の管理人の一人だ。
この旧地獄の秩序を守り、何かを求めるように放浪を続けるこいしの帰る場所を守るのが私の役目だ。
立ち直らなければ。
立ち直らなければ。
この暗い感情をこの『心曲』へと封じ込めて、立ち直らなければ。
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■――― 第四章 ~星月夜~ ―――
――私が死ななかったから、代わりに霊夢が死ぬのか?
虚ろな表情で魔理沙は霊夢の顔を覗き込む。
先程の苦悶の表情とは打って変わって、霊夢の表情は死んでいるかのように穏やかだ。
慌てて心臓に耳を当て、その心音が聞こえることにほっと胸をなでおろす。
「……ちきしょう、血腫だと? 夢の中だってのになんでそんな細かい身体構成まで忠実に再現するんだよ!」
「忠実に再現されているから私達は魔法を使えるのよ? そうでなければここまで生き延びられなかったわね」
正論なんかごめんだ、とばかりに魔理沙はパチュリーを睨む。
ストーリーに沿うなら、死ぬ人間は弱い方であるはずだった。だから魔理沙は己の命だけを心配していればよいはずだった。そう、思っていた。
だが、もし。
もし、胡蝶夢丸で強化された魔理沙と夢想天生を使用していない状態の霊夢。
比較して、魔理沙の方が強いと判断されてしまったら?
――この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道を分かたれていったところでお終い。残る一人の人間はそこにはいない。
うるさいよ。
――人間のうち一人はエンディングを迎えられない。逆に言うならば一人が死んだ状態でなくてはエンディングに辿り着くことができない。
「黙れって言っているだろう!!!」
叫びに込められた魔理沙の震怒は、冷静沈着で知られるパチュリーの身すらも怖気に振るわせた。
「そんな、そんな馬鹿な話があるか! 私達はみんな揃ってここを脱出するんだ! くだらない台本は書き換えるって、そう決めたはずだ!」
魔理沙の心の中に、抑え難い真っ黒い憤怒が膨れ上がっていた。
「ちきしょう! 何だってこんなあっさりと、定められたかのように終わっちまうんだよ!」
このふざけた展開の元を記述したさとりに、思わず憎しみを抱いてしまいそうだ。
紫が解析した『心曲』の概要を聞いていた魔理沙は、極力その筋からそれるようにと行動していたはずだった。
なのにそんな魔理沙の努力をあざ笑うかのごとく、一人の人間があっさりと死へと向かっている。
やり場のない怒りに染まった瞳をさとりに向けそうになって、
魔理沙は、はたと気がついた。
――人間のうち一人はエンディングを迎えられない。逆に言うならば一人が死んだ状態でなくてはエンディングに辿り着くことができない。
ストーリーを変えることが出来ないというならば、ならば、霊夢が死ぬより先に己が死ねばいい?
そこまで強い強制力が働いているというならば、自分が今死ねば霊夢が死ぬ前に三人が最後のページにたどり着けるかもしれない?
なんて吐き気を催す程に甘く、苦い選択肢だ。
それを選べば魔理沙は最後まで己の夢を叶えられずとも、夢を失わずに死んでいくことが出来る。
最終的に霊夢が生き残って異変は解決し、霖之助や咲夜達も目を覚ます。幻想郷は巫女の死という不慮の自体を回避できて、引き続き幸せな世界を築いていくだろう。
それが最良の選択なのだろうか。
魔理沙には分からない。自分が死ぬことでうまく回っていく世界を許容できない。
だから本当にそれが最良だなんてことを否定したくて、真実のみを映し出すという浄玻璃の鏡を覗き込んだ魔理沙は、
鏡に映った光景に違和感を感じて振り返った。
背後には誰もいない。パチュリーは霊夢を抱いて膝をつく魔理沙の正面にあり、さとりはその腕の中なのだから。
……いや、正確には200m後方の空に一人。レミリア・スカーレットが。
「なんだったんだ? 今のは……」
豪雨に濡れてよく見えなくなった浄玻璃の鏡の表面をふき取り、帽子のつばの下で再度背後を移すように覗き込む。
やはりそこに映し出されているのは薄桃色の服を纏った少女が一人だけだ。
「……なんだ、そういうことかよ。紫のせいで難しく考えすぎちまったじゃないか。そうだよな、さとりが書いたんだからそりゃそうだ」
「さっきから一体何なのよ?」
「どうやら私は戦う相手を履き違えていたらしい、ってことさ。配役の意味も概ね分かった。香霖はよく分からんが」
不満げに問いかけるパチュリーに、お前だっていつも考えてることを口にしないだろうが、と釘を刺して黙らせると、魔理沙は霊夢を紅魔館外壁に寄りかからせて己の帽子をその頭に載せる。
こうしておけば、少なくとも雨で窒息死したりはしないだろう。
顔を上げた魔理沙は、遠く豪雨の先に浮かぶ敵を睨んでフン、と鼻で笑う。
「だがまぁ、いずれにせよあいつは邪魔だな。さとりが目を覚ましたらあれをぶち落とすぞ」
◆ ◆ ◆
「『心曲』ですか……よりにもよって」
「この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道を分かたれていったところでお終い。残る一人の人間はそこにはいない。ね」
「そうだ。私はその結末を変えるためにここに来たんだ」
目を覚ましたさとりに礼を述べた後、己がここに来た一部始終を二人に説明し終えた魔理沙は語り疲れたかのようにふぅ、と深呼吸をした。
豪雨の中で話し合いを続けるのは中々に骨が折れる作業だったが、この豪雨が魔理沙達の安全を保障してくれているのだから我慢するしかない。
絶句するさとりをよそに、パチュリーは濡れた前髪をかき上げながら成る程、と心得たかのように頷いた。
「だからまずは保険だ。お前らが死ぬと話がややこしくなるからあいつは私が落とす。お前らはこの雨の中から出るなよ? どうやらレミリアの遠距離攻撃もこの雨を突破できないみたいだからな」
「吸血鬼の流水に弱い、という弱点は吸血鬼の魔力そのものにすら効果があるからね。聖なる雨ならなおのこと、よ」
「成る程な。だが、レミリアがそこらへんの物を引っつかんでブン投げればいい、って気がついたら不味いな」
「大丈夫、レミィは自分の力と技だけで勝つことを信条としているからそういう野蛮な戦法はとらないわ。貴族の矜持という奴ね」
「そりゃありがたい」
彼我の戦力差を指摘されているようで若干腹を立てながら、魔理沙は肩をすくめる。
実際レミリアに目をくれてみると、こちらの作戦会議が終わるまで律儀に待っていてくれるつもりのようだ。
貴様らなんぞいつでも殺せる、とばかりのその余裕綽々な態度は気に入らないが、それが現実。戦力差は絶望的だ。
「パチュリーは余裕があったら援護してくれ。銀や流水による攻撃ならあいつにも通用するだろ?」
「命中するとは思えないけどね。了解」
「あの、私はどうすれば……」
「お前は特にやることは無いが……しいて言うなら希望を持て」
「希望?」
鬼に狙いを定められている状況で一体どのような希望を持てというのか。
だが呆れるさとりに魔理沙はそうじゃない、と首を振る。
「そっちじゃなくて、日常にだよ。お前さ、なんか人生を投げてただろ?」
「そんなことありま「あるって」
さとりの感情に配慮しつつも、されど魔理沙はきっぱりと断言する。
「なんていうかさ、お前は世界を見てないんだよ……そうだな、一つ例を挙げてみようか。お前の日常生活で一番ウェイトを占めている感情って何だ?」
「何だ……って」
「いいから答えろよ。いつもお前は第三の眼で有無を言わさずに人の心を読んでるんだからさ、たまにはこっちの質問に問答無用で答えてもいいだろうが」
無茶苦茶な理論だ。だが、答えねば口に手ぇ突っ込んで開かせるぞとばかりに睨む魔理沙を目にして、さとりは考え込む。
「……そうですね、やはりこいしのことでしょうか」
「妹のことが心配か?」
「それはそうですよ。姉ですから」
「だが、それも形式上だろ?」
悪意の欠片も無く、ただ淡々と事実を突きつけるかのように魔理沙はさとりの言葉を否定する。
「お前、こいしが地上で何をやっているか知ってるのか? あいつ地上で人を殺しまくってるんだぞ? 得意の無意識潜伏をフル活用してな。なあパチュリー?」
「知らないわ。でも無意識に潜れるのだからそれもありうるわね。人は意識の裏でもさまざまな感情を絶えず処理している。敵意を持った相手に「あ、こいつ殺したい」と感じることだって当然あるでしょう。されど良識ある――いえ無くてもだけど――人間の意識が普通はそれをさせない。無意識の暴発を阻止するのが意識であるのだから、無意識だけの存在というのはあらゆる行動がノーブレーキ。大いに危険と言わざるをえない」
そう語るパチュリーの言葉に、さとりはびくりと身体を震わせる。
「そ、そんな……こいしが? ……そんなこと、するはずない……だって、あの子は……」
「ああすまん。まぁ、嘘だ」
真剣に、大真面目に魔理沙は頷く。
一瞬息を呑んだ後、魔理沙を非難するように睨み付けたさとりは、だがそれより強い視線で睨み返された。
魔理沙は一瞬さとりの目に浮かんだ奇異なる光彩を見逃さなかったのだ。
「私の言ったことは嘘だ。だがノーレッジ先生が言うことには嘘はない。いや、お前だってパチュリーが今言ったことくらい本当はもう認識済みなんだろ? なのにお前はそんな奴を放置している。それでお前、心配してるって言えるのか? お前の知らないところであいつが人間の恨みを買って、退治されるかもしれないって、そんな心配はしないのか? 心配だって言うなら、何でお前は延々と地霊殿に篭っていられるんだよ? こいしの性格を、もしくは能力を信じているから? 嘘だね。もしそうならお前はさっき断言できていたはずだ」
「それは……」
「妖夢を眠らされた幽々子なんざ、血の繋がりすらないのに烈火の如く怒っていやがった。……いやあれはちょっと過保護すぎだろうとは思うがよ、お前にはそういう苛烈さが無いんだ。一番お前の中でウェイトを占めている感情ですらそんなざまだってことは、然るにお前は世界とまともに向き合っていないんだよ」
鬼気迫る表情で立ち上がった魂魄妖夢の表情がさとりの脳裏に浮かぶ。あれこそが守らねばならぬ者を背負った者の表情。
こいしの帰ってくる場所を守らねば、と思っていたはずだった。だけどそんなのは薄っぺらなものであると言う事実をまざまざと突きつけられてしまう。
だが、それが、
「そ、それが、それが今の状況とどう関係があるんですか!」
「すまん。そこは正直なところ、よく分からん」
憤慨するさとりに、魔理沙はどう説明したものか、とばかりに雨水滴る頭を掻き毟る。
「よく分からんのだがな、この世界、どうやらお前の味方っぽいんだよ」
「は?」
「紫はこの世界における敵は覆しようのない理不尽だと言ったが、さっきから私達を遮っている敵は多分「お前」だ。つまり私達はお前の心の中にある闇を、しかもぶっ潰しながら先に進んでるんだよ」
ここにきて、もはやさとりは完全に五里霧中だ。魔理沙の言っていることが全く理解できない。
これまで立ちはだかって来たのは地上の、さとりとはなんの面識もない面々であったはずなのに。
「敵が私の心の闇、と言うのは? なぜそんな判断になるんですか?」
「こいつにレミリア――ああ、あの吸血鬼だ――を映してみな」
「浄玻璃の鏡!? 閻魔様から盗んできたんですか!?」
「……やかましい、ちょっと借りただけだよ。いいからとっとと見てみろ」
投げ渡された浄玻璃の鏡を覗き込んださとりは言葉を失った。
確かにそこに写っているのは蝙蝠の翼を生やした少女ではない。
距離がありすぎて豆粒程度にしか見えないが、袖口をフリルで広げた青いブラウスに薄桃のスカート、血色悪そうな白い顔。何よりも胸に浮かべたサードアイとくれば、
「私、自身? どうして……」
「パチュリーの投影かもしれない、って意見は正鵠を得ていたみたいだな。敵の正体はおそらく最も似通った悩みを持っていた者の化けの皮を被った、お前自身だったってことさ」
お見事だノーレッジ先輩、と偉そうにパチュリーの肩を叩いた魔理沙は自問するかのように言葉を紡ぐ。
「生き残った三者が絶望して終わりのはずのこのストーリーで、なぜ私達はお前の闇を、絶望を祓っているんだ? これは明らかな矛盾だ。これを突けば結末を覆せるんじゃないだろうかというのが私の予想なんだが……どうだパチュリー、どっかおかしいところはあるか?」
「ふむ、着眼点は悪くないと思うわ。けど、理不尽が敵と言うなら今まで勝って来れたのはただ単に持ち上げて落とすため、という可能性もあるわよ?」
「そうだな。だが眠りについた奴等の中では間違いなくレミリアが最強。これ以上の敵を用意することは出来ないだろう。だからもしあいつを落とせたならば……」
希望は、繋がるかもしれない。と、そういうことか。
「……だから私に希望を持て、と?」
「ま、そういうことだ。世界はお前の感情に託された……いや託されているかもしれないってことになるのかな? だからその一環として、私があいつを潰してやる」
「勝算は、あるんですか?」
旧地獄にて幾多の鬼を眼にしているさとりからすれば、ただの人が鬼に勝つなどそれこそ夢物語だ。
だが魔理沙は不敵に笑ってみせる。そうでなければ霧雨魔理沙ではない、と言わんばかりのその笑顔は、パチュリーにとっては小憎たらしいそれであり、さとりにとっては……どう写っているのであろうか。
「一応ドーピング済みの超人状態……のはずなんでな。それに鬼退治の英雄っていうのも悪くない」
自分自身を納得させるかのように、魔理沙はチラッと霊夢を横目で見やる。
「英雄に、なりたいんだ」
両手のひらをじっと見据えて、ぎゅっと握りしめる。
「ガキの頃から親父とはそりが合わなかったから知り合いの唐変木の所にばっか行ってたんだけどさ、そいつは野郎だから本を読んでくれ、ってせがんでも大概が鬼退治の英雄譚とかばっかりなんだよ」
女の子にそれはないだろ? と同意を求めるように魔理沙は語るが、たぶん回答は不要なのだろうと感じたさとりは黙って耳を傾ける。
「だからそんなのにばかり憧れてさ。でも私は唯の人間の小娘にすぎないって知っていたから、そう簡単にそんなものになれるはずが無いって思ってたのに。現実にはいるんだよな、英雄が」
懐かしむように、目を細める。
「衝撃だったよ。私と同い年位なのに、そいつはあらゆる妨害をすり抜けて、人に害なす妖怪を退治できるんだから。ああ、これこそが英雄なんだって、そう思ったんだ」
今は昏々と眠り続ける紅白の巫女を見やって、ここ数年はこんな風にあまりパッとしないがな、と呟く。
「だけどそいつは一人で十分だから、育ての親だった亀がいなくなった後はいつも一人だったんだよ。なのに「一人で戦って、寂しくないのか?」 って聞いても真顔で「なんで?」なんて言うんだぜ? そんなわけ無いだろう? 仮にそうだとしたって、人は一人でいちゃいけないんだよ」
噛み締めるように、自分自身に言い含めるかのような口調で。
「でも凡人には英雄を取り巻くことは出来ても、並び立つことはできないから。英雄の横にいられるのは、やはり英雄だけなんだ」
「それが貴女の希望かしら?」
ふうん、とあまり関心なさげにパチュリーが問いかけるが、ちょっと違うな、と魔理沙はかぶりを振る。
「希望、って言うよりは夢だな。恥ずかしいから他言無用で頼む」
「じゃあ何で語ったのよ」
「まぁあれだ。私は私のために戦うんであって、仮にくたばったとしてもそれは私の責任だってことを明言しつつも何かあったらお前ら霊夢をよろしく頼む、っていう美味しいところをとるためだろうな」
目線を帽子で隠すべくブリムに手をやろうとして、しかし帽子を霊夢に被せたままであったことに気がついた魔理沙は忌々しげに舌打ちした。
「あのさとりの闇は私が殺る。少なくとも相討ちにまでは持ち込んでやる。だからまぁ、もし私が死んで、それでもこのストーリーが終わらなかった時は霊夢が死ぬ前に何とかしてくれ、頼む」
「いいわ、引き受けましょう」
「こういうとき冷静なお前はありがたいよ。さとりもいいか?」
さとりは答えなかった。苦悩にあえぐような表情を魔理沙に向けて、震える手をギュッと握り締めている。
「……一つだけ聞かせてください。貴女がここで命を賭して、そして勝ったとしても得られるものはただの日常です。誰も貴女に感謝なんてしないだろうし、あまりにも割に合わない。それでも貴女は命を賭けられるのですか?」
「おいおい、そんな自己犠牲的精神の虜になった人間を哀れむような目線はやめてくれよ。誰かのために何かするんじゃない。私が、皆と馬鹿やりながら夢を追っていられる明日が欲しいだけなんだ。そんな毎日が楽しいんだからさ、いいじゃんかそれで」
馬鹿を言うな。毎日なんて!
「毎日なんて、楽しくありません。楽しくなんかなりません」
だって、サトリはいつだって、一人なんだから。
だけど、
お前は何を言っているんだ? とばかりに魔理沙は笑う。
「なるさ。だってさっきお前、自分の身も顧みずに私達を助けてくれたじゃないか。ありがとさん。マジ助かった」
「……!!」
「あぁ、質問に答えてやるよ。私が疑問に思ったのは、お前が流されるままに妖夢に挑んだのか、それとも私達と共に勝利を得たかったから妖夢に挑んだのか、ってことさ」
何の質問か、とさとりは首をひねり、そして思い出した。それは白玉楼階段にて自分が魔理沙に向けた問いかけだった。
「妖夢に勝ったときのお前の表情で、もう私は答えを得た。だから質問を棄却した、それだけだ」
「……」
「楽しいことをしようぜ? 毎日誰かの家を焼くとかでもいいからさ。世界には幸せを護ろうとしてる奴がいるんだ。そんな奴らに応えてやるには、やっぱり楽しまなきゃ駄目だろう?」
さとりにわざとらしく肩をすくめて見せると、魔理沙は箒を片手に二人に背を向ける。
そのまま箒にまたがると、打ち付けるような豪雨に逆らって一人ふわりと宙に浮き上がる。
「楽しいことをしようぜ。夢を追って生きるのは、辛くて、苦しいけど、楽しいんだ」
遠方で、魔理沙の交戦の意思を把握したレミリアが魔王の如き笑みを浮かべている。
ならば相対する魔理沙が浮かべるは勇者の、いや英雄の笑みだ。
「力を合わせて切り捨て御免に勝ったのは、楽しかったろ? 私は――悔しかったが、楽しかった。……だから、また、やろう。外でもさ」
箒に仕込んだ八卦炉と同調しているスレイブに一気に魔力を流し込んで解き放てば、瞬く間に魔理沙は輝く一筋の箒星となって鬼の前へと躍り出る!
「ようやくか、待ちかねたぞ? さぁ、ヴァンピリッシュナイトの始まりといこうか!」
「馬鹿言うんじゃない。これから始まるのは……」
地上を一目見やってニヤリと笑う。
<メイジ達の夜>
「メイガスナイトだ。吸血鬼なんざお呼びじゃない!」
再度圧倒的な紅の魔力を放出し始めたレミリアに、臆することなく八卦炉を構えた魔理沙が相対する。
英雄になりたい、と。そう願いながらこれまでずっと牙を研ぎ続けたのだ。
――喰らい付いてやるさ。
「行くぜ! 真紅の鬼!」
「来い! 黒金の魔女!」
真紅の光と、黄金の光が、交錯した。
◆ ◆ ◆
太陽の如き高熱高圧力のプラズマ球がレミリアの右半身を削り取って飛び往くが、それでも王の哄笑が途絶えることは無い。
「これでも駄目か……わりと上手く再現できてたはずなんだがな」
胡蝶夢丸の助けもあり、見よう見まねで発動させられたロイヤルフレアの劫火。だが陽光によって焼け落ちた右半身をレミリアは僅か数秒で再生させる。
次いで反撃に転じたレミリアのフライヤーをフレアの放出で防ぎつつ、魔理沙は一人虚空に毒づいた。
その間にも足元に展開した百二十八個のスレイブが絶えず光線を撃ち込んではいるのだが、レーザーの傷などは瞬時に再生されてしまう。
弱点属性をつかない限り、ほぼレミリアは無敵だった。逆に言えば弱点を突けば何とかダメージは残せる。
だが、
「もうそろそろネタがなくなってきたぞ……やっぱ見よう見まねじゃ駄目なのか!?」
ロイヤルフレア、サブタレイニアンサン、メガフレア、マーキュリポイズン、幻想大瀑布、雨の源泉。そのどれもがレミリアに止めを刺すに至らない。
霧雨魔理沙は星の魔法使い。本を質せばどちらも星とて、夜空の瞬きを打ち消す太陽の魔術とはあまり相性が良くはない。
一方で水術は魔理沙にとって非常に相性が良かったが、レミリアも火術を使えるし、何より魔理沙自身が未だ上手く水術を扱う自分をイメージできていない。
神奈子の聖なる雨ならともかく、そんな魔理沙の水術ではレミリアの火術を突破しきれない。魔理沙では、絶望的なまでにレミリアと相性が悪すぎる。
ガァン、と頭に衝撃が走る。
魔理沙の死角に回ったレミリアがその速度のままに炎を纏う爪を叩きつけたのだ。
吸血鬼の腕力で殴られてなお魔理沙が生きているのは、拝借した仏の御石の鉢と火鼠の皮衣による加護のおかげにすぎない。
それらの神宝がなければ、一分に一度は魔理沙は死ねるはずだ。体力も、膂力も、速度も、魔力も。どれ一つとっても魔理沙には勝ち目がない。
「なぶり殺しにする趣味はないのだが……そろそろ打つ手も無いようだし、ひと思いに死を受け入れたらどうだ?」
「はん、舐めるな! そんな台詞は私を傷つけてからにしたらどうだ?」
「では、そうしよう」
危機を感じて急上昇した魔理沙がそれを回避できたのはほとんど奇跡と言って良いだろう。
一瞬前まで魔理沙がいた空間には赤い魔力の残滓だけがたなびいていた。それを残した紅槍ははるか彼方――
かと思いきや投擲槍にあらざる機動で再度魔理沙を穿つべく進路を変える。
それは必中の運命。スピア・ザ・グングニル。
狙ったものは必ず貫く古来より伝わる神代魔術。フレアで落とせたこれまでの追尾弾とは格が違う!
「ああもう、文の次はレミリアとガチで今日の運勢は中吉とかウソだろ? 私の人生どんだけ茨の道なんだよ!」
一瞬だけ逡巡した後に、気づけば前方から再度飛来してきたそれを魔理沙は正面から蹴り飛ばすべく相対した。
レミリアと神槍、双方から挟み撃ちにされる前に神槍の必中の運命を解除することを選択したのだ。
だが、
「がぁあああぁちきしょうテメエこの馬鹿野郎! 痛すぎて涙が出てくるじゃないか!!」
それは脚を一本くれてやるのと同義。防御を解いた魔理沙の脚は神槍に易々と撃ち抜かれる。
だが大きく抉られた左脚と引き換えに必中の運命も解除され、魔理沙の足を貫通した神槍はそのまま空の彼方へと消えていった。
「これが吸血鬼の力だよ。思い上がりから目を覚ましたか?」
「ああ! おかげさんでな!」
「次は心臓に必中、と定めても良いのだが」
「いいや、グングニルはここでお終いだ!」
即座に地面に設置したスレイブによる光撃の照準をレミリアの両手のみに絞る。
グングニルは手から離れれば必ず敵を貫くという神槍。その名を冠した魔術とあれば、投擲する行動までが魔術発動のための儀式の一環であるはず。
瞬時に再生させられるとはいえ、百二十八本ものレーザーを集中すればレミリアが神槍を投擲する手を常時封じていられる。
一瞬でそう判断を下した魔理沙に、レミリアは呆れとも賞賛ともつかない表情を浮かべた。
「やれやれ、ずいぶんと小賢しい手を」
「人間は脳ある生物なんでな!」
魔方陣から無数に放たれるフォークと縛鎖を巧みな箒捌きでかいくぐりながら、魔理沙は八卦炉に魔力を込めて己の魔術を、星辰を模した6つのスレイブを発生させる。
どうやら借り物の魔術では勝ち目がない。それが嫌というほど理解できたからだ。
人が鬼を正面から相手取るなら、強化か弱化のどちらかが必須。となれば現在頼れるものは永琳に与えられた胡蝶夢丸以外にない。
永琳曰く『信じられないもの』では胡蝶夢丸の力は発揮できないとのことだが、魔理沙の力の元は幾重にも積み重ねた研究と鍛錬による努力の集積。それだけが戦闘において魔理沙が信じられるもの。
だから魔理沙が勝負をかけるにはそれに頼るしかない。
だが、どうやって?
霧雨魔理沙は星の魔法使いだ。それは吸血鬼の弱点を突くには至らない。
つまるところ魔理沙にはレミリアへ止めを刺す手段が存在しないのである。
「じゃ、やることはアシストしかないか。たまには単独で颯爽と勝利を飾ってみたいものだがなぁあ!」
遠く雨射す大地に光る、銀色に輝く魔方陣を横目で確認して魔理沙は苦笑する。
パチュリーもまた魔理沙が手詰まりであることを看過したのだろう。展開された魔方陣の直径は400m近い。
自然から魔力を抽出するのは精霊魔術師たるパチュリーの十八番。
現在展開されている神奈子の奇跡を丸ごと取り込むであろう極大魔方陣からの魔術は、恐らくレミリアを葬り去るための必殺の一撃だろう。
使うは水術か金術か。だがまともに放ってはその術とてレミリアに命中するはずもない。
――ならば、私がやるのはパチュリーの魔術が確実に命中するようにあいつの動きを止めること!
しかし弱点属性以外をものともしないレミリアの動きなどそう簡単に止められるものではない。
人工太陽ですらほとんど足止めにならなかったレミリアの動きをどうやって止める?
「だがな、舐めるなよ! 私は星の魔法使いだ! いつかは無重力の巫女に並び立つんだよ!」
四方八方から襲い来る蝙蝠の群れをレーザーの嵐で焼き尽くす。
然る後にレミリアを正面に捕らえ、マスタースパークで消し飛ばそうとしたその瞬間、地上から放たれた光が魔理沙の網膜を照らした。
と、同時に魔理沙の脳裏に浮かんだのはレミリアが砲火を回避して魔理沙の背後に回り、スクランブルする「未来の軌跡」だ。
「器用なことをするもんじゃないか!」
光の正体はさとりの催眠術。恐らくはレミリアの思考を第三の眼で読んで、それを催眠術を応用して魔理沙の意識に割り込ませたのだろう。
予定通り砲火を撃ち放ち、レミリアが己が視た未来の軌跡をトレースしたのを確認して、魔理沙は小さい喝采を上げる。
後頭部に打ち込まれる蹴りを再度、御石の鉢による加護で凌ぐ。
予測したことをレミリアに悟られないように回避はしない。
さとりから送られてきたレミリアの挙動。その行動予測に全てを賭けて、
「勝つんだ」
と。己に、強く言い聞かせる。
「霊夢が本気だったら、誰が相手だって絶対に負けない」
夢想天生。
博麗霊夢の全力。ありとあらゆる害意を嘲笑い、全てを無視する無敵の能力。
それを行使する不敗の巫女。で、あるが故に誰も、鬼にも共に並び立つことが出来ない、根本では孤独な巫女。
御伽噺の中の英雄と比較してすら見劣りすることがない、幼い霧雨魔理沙が夢想した英雄像をそのまま体現できるような友人を、
「今の私は、守ることが出来る。私だけが、守ることができる」
それは嘘だ。誇張にも程がある。永琳の胡蝶夢丸の助けがあればこそかろうじて鬼と相対せるような魔理沙は、夢想天生の足元にも及ばない偽者の英雄だ。
いまだって、ほら。
パチュリーの手助けがなければ、鬼を打ち倒すことも出来ないでいる。
「それでも、ここまで来た」
ただの商人の娘だった魔理沙は今、矢よりも速く空を往くことができる。
「ここまで、来れた」
ごく普通の一般人だった魔理沙は今、刀をも瞬時に融かすほどの業火を操れる。
「だから、まだ、行ける。もっと、歩いて行ける」
歯を食いしばってここまで来た。
嫉妬の言葉を飲み込んでここまで来た。
師に修行が足らないと毎日のように言われながらもここまで来た。
時に空から落下して、魔法の制御に失敗して、大怪我を負っても折れること無くここまで来た。
霊夢のように一人で歩んでこれたわけではない。
今だって師に与えられた魔法に、香霖の道具に、同業の魔術に、永琳の薬に、神奈子の奇跡に助けられている魔理沙は、故に一人ではない。
皆に助けられてここまで来た。それは魔理沙のプライドをちょっとだけ傷つけて、だけどやっぱりちょっとだけ嬉しい。
この嬉しさがあるからこそ、人は一人でいてはいけないのだって、断言できる。
魔理沙は、霊夢のようにはなれない。だけど、皆に助けられながら前に進む英雄がいたっていいじゃないか!
「勝つんだ、私! 英雄を気取るならば、理不尽に負けるわけにはいかないんだよ!!」
霧雨魔理沙は一度宙へと身を投げ出したならば決して歩みを止めることなく、輝きを失うこと無く、先へ先へと向かってただひたすらに飛び続ける箒星だ。
だから、一撃離脱しようとするレミリアの背中を、睨みつけて。
己の、全てでぶつかって行く。今の魔理沙には鬼の動きを止められるような魔術など扱えないけれど。
されど霧雨魔理沙は信じている。
限界を考えるな。
自分の可能性を疑うな。
いつか、この身は必ず届くと!
予想されたレミリアの進路上に星辰儀を一つ配置して、霧雨魔理沙は宣言する!
「無重力の巫女に並び立つは、重力の魔法使いだ! 覚えておけ! いつか私は、必ずここにたどり着く!」
36本ものレーザーを同時に撃ち込んで、星と見立てたそれを一気に爆縮する。
目の前の空間を捻じ曲げて収束する黒い穴に気がついたレミリアが反転して回避行動をとるが、今一歩遅い。
その圧倒的な引力は鬼たるレミリアをしてそこから逃げ出すことを許さない。
「貴様! 何をやった!?」
それは全てを引きつける星の力。
それは光すら逃さぬ万有引力の最高峰。
それは決して今の魔理沙に扱えるような力ではない。
されど必ず届くと信じる魔理沙に応えた胡蝶夢丸が引き出した、霧雨魔理沙の未来の魔法だ!
<事象の地平面>
「『イベントホライズン』だ! 運命だろうが自由だろうが、私が望んだものはなんであろうと逃がしはしない!! さあやれ! パチュリィイイ!!」
「単端式気動魔術・キハ三号、開放!」
遠方から響き渡った宣言と共に雷雲より現れ出るは銀色の龍。
パチュリーによって八坂神の神気を付与されたシルバードラゴン。
既にエルゴ領域まで下半身を引きずり込まれて身動きが取れないレミリアめがけて白銀の巨躯が天を裂く!
されど、
「舐めるなぁああああ!!」
されど不死の王は人ではない。常人なら死に至る傷を追ってなお、吸血鬼にとっては痛くも痒くもない。
叫んだレミリアは脱出不能となった下半身を自ら引きちぎって、上半身のみで重力の井戸から脱出する。
「さ!!……」
とり、と叫び、助力を仰ごうとしてしかし、魔理沙はその先を紡ぐことが出来ずに口を噤んだ。
黙してレミリアを睨みつけると八卦炉をしまい、逃がさないとばかりに星辰儀を一つずつ両手に掴んでレミリアへと突進する。
これが最後のチャンスなのだ。シルバードラゴンに組み込んだせいで神奈子の奇跡は消滅しつつある。
雨がやんでしまえばパチュリーとさとりを護るものがなくなるだけでなく、反撃の術も失ってしまう。
ここでレミリアを逃がしてしまったら、もう魔理沙達には対抗する手段がない。それが分かっているのに。
だが、
――「私達」で、勝ちましょう!!! 恃んで下さい魔理沙さん!!!!
声が、聞こえた。
いや、それは声ではない。鼓膜を通して伝わったのではない。
網膜に焼き付けられたそれは、テリブルスーヴニール。人の心へと染み込む催眠術。
それはまさに、三人目のメイジが魔理沙に叩きつけてきた魂の雄叫びだ。
心を明け透けにする薄気味悪い閃光に照らされた魔理沙の顔に浮かぶは、笑み。
笑いが止まらない。止められない。悔しいが、楽しくて楽しくて仕方がないのだから仕方がない!
思わず、口元が緩んで、
「ククッ! アハァハハハハハハハハ!!! ようやく『繋がった』か!! こちら彗星一号! 地上管制に支援を要請する!!」
助けてくれと、臆面もなく口にする。
情けないなんて思考は露程も浮かんで来ようはずもない。
なぜ? そんなのは決まっている。 楽しいことをしているからだろうが!!
魔理沙の叫びに応じて再度、催眠術の光が夜空を照らす。
同時に魔理沙の脳内にレミリアの回避ルートが浮かび上がった。
流石のレミリアも聖別された銀の一撃を正面から受けきる自信は無いらしく、その魔術が消滅するまでは逃げ、いや回避の一手しか選べないようだ。
「だが、絶対に逃がさないって言ったろ!?」
最近ようやく飲み込める程度まで小さくなった、身体強化のための丹を一粒ゴクリと飲み込んで。さあミッションスタートだ。
静止軌道から勝手に離脱していく紅い衛星を正しい軌道に戻さねばならない!
ウィザードリィフェアリング形成。メインスラスター・ミニ八卦炉、イグニッション!
《彗星》
術式名……『ブレイジングスター!!』
「待ってなお月様! 今行くぜ!」
瞬く間に輝く箒星となって天を走る魔理沙を目にしてしかし、レミリアは嘲笑する。当然だろう。鬼と人の速度差は未だ健在。人は、絶対に鬼を魔力や身体能力で凌駕しえない。
魔理沙の描く己の未来図は人間から逸脱し得ないから、胡蝶夢丸が引き出す力もまた人間の限界を上回らない。魔理沙の最大戦速は、未だレミリアに届き得ない。
その上魔理沙はレミリアへの最短距離を突っ走らずにあさっての方向へ飛んでいく、とくればそれはもう鬼からすれば失笑ものだろう。
されど霧雨魔理沙もまた、哂う。
「あんまり人間舐めんなよ!? 足りないから私達は技術を積み上げるんだってことを、教えてやる!!」
レミリアと己の位置と進路を確認し、星辰を模した残る3つのスレイブを再配置して周期運動を付与する。
一分の間違いも許されない複雑極まるその軌道計算も今の魔理沙には然したる困難ではない。
これも当然だろう。自身の成長を疑わない霧雨魔理沙の頭脳もまた、胡蝶夢丸によって強化されているのだから。
箒星と化して鬼を追う魔理沙がその星辰儀を掠めるように横切った、瞬間。
一気に魔理沙は転進し、速度を上げて鬼との距離を詰める!
「馬鹿な!」
引き離したと思った相手が逆に猛烈な勢いで接近してくる。そのありえない光景にレミリアは思わず驚愕を口にせざるを得なかった。
レミリアには理解できないだろう。それは綿密な計算と観測、そして細心の注意を込めた繊細な制御の集積だけが成し得る、人が生み出した奇跡の航宙術なのだから!
「スイングバイ航法って奴だよ! だから言っただろう?」
痛快だ。愉快すぎて頭が馬鹿になってしまいそうだ。
絶対的な覇者たる鬼に、吸血鬼に! 凡人の魔法と計算は届く、届くのだ!!
「人間の叡智を舐めるなってさぁあ! 思い上がりから目を覚ましたかよ!?」
魔理沙は不敵に笑ってみせる。そうでなければ霧雨魔理沙ではない、と言わんばかりのその笑顔は、パチュリーにとっては小憎たらしいそれであり、レミリアにとっては……いまや脅威のそれだ!
されど相手は不死の王。脅威は感じても恐怖など覚えようはずもない。
そうとも! 勘違いをしている愚か者を、調教してやらねばならない。
それは人の手に余る、どうしようもない原始的な脅威。即ち暴力の体現。全てを蹂躙し荒れ狂う止めようのないモノだからこそ、彼女らは鬼と呼ばれたのだから!
「調子に、乗るなァアアアッ!!」
レミリアが怒気も露わに怒号を発する。
直後に真紅の魔方陣がレミリアを中心に展開され、それと同時に魔理沙の上下左右前後、全周囲で圧倒的な魔力が収束を開始した。
小さな紅点群がみるみるうちに膨張し、紅以外の色を魔理沙の周囲から奪っていく。
――これは……血か!!
Red Magic.
下半身を失った上半身のみのレミリアから零れ落ち、空を舞っていた真紅の血液。その一滴一滴がいまや溢れんばかりの魔力を湛え、煌々と紅々と輝きながら魔理沙を包囲している。
カリスマの具現化、貴族たる吸血鬼にとって己が身に流れる血こそがこの世で何よりも尊きもの。
その血液そのものを魔弾と化すこの攻撃こそ、レミリアの切り札に違いない。
――そう簡単にゃ勝たしちゃくれないか……だが回避行動は、
出来ないのだ。既に二度目のスイングバイを行うための航路に魔理沙は乗っている。
この一撃でもくらえば致命傷となる鮮血の豪雨を、魔理沙は回避することなく凌がなくてはレミリアに肉薄できない。
だが、剰余分だけで世界を赤く染め上げる程の魔力を湛えたこの攻撃を凌ぐための手段など、魔理沙に有ろうはずがない。
しかし今、魔理沙は一人で戦っているわけではない。
レミリアの思考が読めるさとりには、この攻撃が展開されることが予想出来ていたはず! だから、
――信じるからなぁあ!!さとり!!
何とかしてくれると、そう信じて魔理沙は突っ込むのみ!!
「これで、幕引きだ!! Sangele meu este cea mai veche, dar este mereu noua... 『 Magie rosie! 』」
超高圧の魔力を孕んだ、何百何千という血液の弾丸が全方位から魔理沙を襲う。
生身の、いやどれだけ強化したとて人間如きが防げるような、躱せるような速度と密度ではない。
さながらそれは紅の大瀑布。真紅に攪拌された、神罰と呼ぶに相応しき魔力の洪水の中で、
「…………マジかよ!? 助かったが……パチュリーに殺されても知らんぞお前!!?」
霧雨魔理沙は未だ、生きている。
傷一つなく、空を征く。
銀色の障壁が魔理沙を守る。
流水に弱い、銀に弱いという吸血鬼の特性はその魔力にも反映されるから、
「改めて、『マーキュリポイズン』だ! シーフでごめんなァああ!!!!」
「貴様……!」
だから、その流れる銀で構成されたフェアリングを、突破できない。
それが霧雨魔理沙が見よう見まねで模倣した魔術ならば、レミリアの魔力はそれを紙のように突き破っただろう。
だがそれは七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジが検討に検討を重ねて編み出したオリジナル。
時にフランドール・スカーレットをも押さえ込まねばならない紅魔館の知識人が心血を注いで編み出したそれは、吸血鬼のあらゆる魔力を遮断してのける。
己が生み出す速度によって圧縮された高温の大気と衝突し、蒸発していく水銀のフェアリングを絶えず生成し続けながら、金銀煌めく魔理沙は前へ前へと圧し進む!
「パチュリーの顔を見るのが怖ぇええよちきしょう!! 非常事態なんでマジ許して……くれないよなぁ! すべてはさとりがやったんだぁあああ!!!」
先程、魔理沙の網膜に飛び込んできたのはそれを成すための魔方陣と魔術の処理方法、そして詠唱だ。
パチュリーはおそらくレミリアの秘術を目にして、己ならばそれをどうやって防ぐのかを反射的に思い浮かべたのだろう。
それを、その手段をさとりは横から思考を読んで、「丸ごとかっぱらった」のだ。
魔法使いの術は全てオリジナルにして、秘匿しておくべきもの。
その研鑽を遠慮なく躊躇なく盗み、あまつさえ他人に譲渡するなど魔法使いからすれば死罪に値する。
だが、そのさとりの蛮行のおかげで。
魔理沙は進路を変えることなく速度を落とすことなく、勝ちを獲りにいけるのだ。
紅の雲海を突き抜けて、フェアリングをセパレーション! 魔理沙の行く手を遮るものは、もう何もない!!!
「死ぬなよさとりぃいいい!!!」
レミリアの転進回避をも織り込んで針路決定した二度目のスイングバイにより鬼の背後に詰め寄って、更に足止めの一撃。
ランデブ軌道、オールグリーン! グラビティビート射出!!
「これで!!」
先読みの斥力弾を叩きつけられて一瞬動きを止めたレミリアに魔理沙が肉薄する。
そのまま魔理沙は迷わず自分の右掌にある星辰儀を爆縮して、
「第4章完だ!!!」
迎撃せんと振り向いたレミリアの左手へと叩きつける!
「「がぁァあああああ!!」」
己の腕が引き伸ばされ引きちぎられ、圧壊していく激痛に耐えながら、左手でもう一撃。
さあこれでドッキングは完了した。後は軌道修正を行うのみ!
「っく、離せ下郎!」
「やかましい!! 『第4章 吸血姫レミリア ~ 駄目なお姉ちゃんでごめんね』はもう読み飽きたんだよ!! さっきからスプラッタばっかでエロスがない! 焼き捨てても服ごと再生しやがるし、おまえにゃ読者だって心底がっかりだろうよ!!」
気を抜けば意識を手放してしまいそうなほどの激痛を、軽口を叩きながら無理矢理圧し殺す。もう少し、もう少しだけ意識が保てればよい。
レミリアが発生させた無数の赤い魔方陣を、それが呪術として破壊力を撒き散らす前にレーザーで粉砕。
地上からの光撃、シュート・ザ・ムーンはその名に恥じず幼き月の反撃のほとんどを撃ち砕く。
僅かに撃ちもらした魔方陣が矢を、縛鎖を生成するが、矢に腹を抉られ鎖に足を絡めとられようとも、ほとんど執念のみで魔理沙は重力塊ごとレミリアをシルバードラゴンの真正面に引きずり戻す。
――このままじゃあ私も巻き込まれるけど、解呪したら逃げられるよなぁ……
迫りくる銀龍の鋭角にチラリと視線を向ると、ああ。
流石に怖気が魔理沙の背筋を走りぬけ、魂が恐怖に凍りつく。
――でも、やることはやったしな。
銀龍を狙ったレミリアの最後の抵抗を魔理沙も念のため最後の一つとなった星辰儀を爆縮して喰らい潰し。
思考を読んだのだろう。魔理沙の直下へと走り寄ってくるさとりの、その表情を確認した魔理沙は満足そうに、
「悔しいが主人公の座はくれてやる。後は任せた。さとり」
小さく、笑う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
□――― 記銘 - Purgatorio - ―――
紅槍に正面から突っ込んだ魔理沙さんの生存が確認できた瞬間、ふっと体が緊張から解放された。
ああ、でも拙い。魔理沙さんもそろそろ集中力が切れてきたみたいだ。中吉とか考えてる場合じゃないだろうに!
あの脚の槍傷……あれだけの出血ではもう長時間の戦闘は不可能だろう。こっちでも、何か手助けを考えないと。
とは言え……鬼の馬鹿! 阿呆! 速い、速すぎる! 流石は鬼、とても目では追いきれない。読んだときには既に次の行動に移っている。
擬似人格の先読みでフォローするにしても……
現在の構成率は三割強、か。鬼に眼を留めていられる時間が短すぎる!
この状態での疑似人格による行動予測に、一体どれだけの信頼性があるだろう?
これではとても手助けするどころか、不要な情報を送りつけるだけに終わってしまう可能性が高い。
だけど擬似人格を完全構築するまで、魔理沙さんが耐えられるだろうか?
『――夢幻…界で最…な波長を。聞こえているか?』
!? 空耳?……じゃ、ない。でもパチュリーさんは……魔術構築を続行中だから聞こえて、いない?
貴女は!? 一体何者ですか?
『本物のレミリア・スカーレットだ。今は貴様が模倣、構築した私を介して貴様の意識に直接話しかけている』
そ、そんなことが出来るなんて……
『何言ってんだ貴様? 私はお前の尻馬に乗ってるだけだ。ほとんど貴様の能力だろうがこれ』
え? あ、うん。そうですね。確かに。
『お前な……だがまぁこの疑似人格を借りたとて、他者の内面へ強制的に干渉できる時間には限度がある。手短に行こうか、顔も名も知らぬサトリよ』
あ、はい。古明地さとりと申します。以後お見知りおきの程を。
『自己紹介、痛み入る。ではさとり、すまないが魔理沙を助けてやってくれ』
なっ!!
『ふむ、この擬似人格には些か粗が目立つな。私の運命走査結果を送る。5秒後、あっちの私の影が背を向けた瞬間に魔理沙に転写しろ。やれるな?』
え? ええと……精神汚染型テリブルスーヴニール発動3秒前。
転送情報を圧縮。送信後の展開式付与、誤り符号省略、変調完了。光導波路による同期確立、転送……終了。
終わりました。……にしても、なぜ? 鬼の貴女がなぜそこまで彼女に拘るんですか?
『いやまぁ、正直私自身はあんなちっぽけなコソ泥の命なんぞどうでもいいんだがね。あいつが死ぬと私の従者が悲しむんだよ』
従者!?
そのためだけに貴女はこんな小物妖怪に懇願すると?
『従者が心安らかに働ける環境を構築するのは主の役目である。その一過程として霧雨魔理沙の死の運命を回避するために、今私は此処にいる』
! まさか、それが目的で貴女は眠りについたんですか!?
『いかにも。望むものを手にするために、望む環境を維持するために成すべき事を成す。どこかおかしな点があるか?』
……従者の幸せが、貴女の望みですか?
『カリスマを維持する。領民を守る。両方やらなくちゃいけないのが貴族のつらいところで、腕の見せどころでもある……成る程、貴様の精神内にいるせいか、貴様の思考が読めたぞ。ハハ、貴様は私に似ているな、だが……』
だが、なんですか?
『古明地さとり、今の貴様は姉として、一国一城の主として実に情けない』
『さとり!もういっ……しまった嫌なんだったかああもうちきしょう馬鹿野郎この××××!!!!』
!!
『そんな貴様に頼るしかない私のほうが遥かに情けないが、私の運命走査は魔理沙の命を救えるのは貴様だけと答えを弾き出したのだから仕方がない……だがまぁそう複雑に考えるな。要は前向きに苦難の道を歩きたいか、引きこもって静かに暮らしたいかのどちらかを選ぶだけの簡単な二択だ。気楽に選べばいい……と言いたいところだが、もう答えは出ているようだな』
……ええ、これ以上の遠回りも醜態も、私には許されませんので。
『宜しい。さぁどうする? 魔理沙は貴様に頼るつもりはないようだが』
そのようですね。だからこそ私の次の行動は決まっています。
――『さあ、「私達」で、勝ちましょう!!! 恃んで下さい魔理沙さん!!!!』
『さとり! 勝ちたい!勝つんだ!負けたくないんだ!! 力を、貸せェええええええ!!!!』
お任せあれ!! 最適ルートを送りましょう!
擬似人格の構築完了、精神汚染型テリブルスーヴニール発動3秒前、手順の再現、1、0!!
『ハハッ! 上出来だ、今の予測は悪くないぞ! だがこれで私の思考を掌握したなどと思ってくれるなよ? ……しかしなんかお前、私が頭を下げなくても普通に魔理沙を助けていたんじゃないか? 一週間前の運命とちょっと違うような。えーっと、どれどれ? これは…… 魔理沙の仕業か。……あれ? これだと私はまるで強敵を提供しただけの道化じゃない?』
そんなことありませんよ。貴女は十分すぎるほど立派な方です。貴女のような当主でありたいものですね。
『……ええい、ならばいつまで下を向いている! 背筋を伸ばせ。顎をあまり引くな。自信がなくてもあるような振りをしろ! 私より年上だろう貴様?』
もしかして、照れてます?
『やかましい! っと、影の私が本気になったか。どうする? 魔理沙では絶対に耐え切れんぞ!?』
いやぁ、何とかしてくれる人が横にいますよ。
あ、ほらやっぱり何か考えてる。 ……んー、よく分からないけどこれを魔理沙さんに送っておけばよさそうですね。
『……無知って怖いわね。あんた、パチェを怒らせたらただじゃ済まないわよ?』
何言ってるんですか!? 今この場で最も重要なのはどうやったら私達が貴女の影に勝てるかでしょうに!
『いや、うん、そうなんだけどね……ま、どうでもいいか。さ、姉はいつだって妹より格好良く、が基本よ。 私はそうある。あんたもそうありなさい。じゃあね』
ええ、今日から再びそうありましょう。ですがまずは魔理沙さんを助けないと。
っと、まずい。本当に相打ち狙いだ。いや、でも魔理沙さんなら背中を這う蚤のような気味の悪い動きで必ず生き残ってみせるはず!
……何が、可笑しいんですか?
『……いや、なんでもないよ。では「後は任せた。さとり」』
いいですとも! このお姉ちゃんさとりに全て任せちゃってください。
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■――― 第五章 ~分水嶺~ ―――
役目を果たし終えた奇跡の雨は雨雲と共に消滅し、再び空には真紅の満月が輝いている。
だが最初に満月を見上げていた五者のうち、一人が聖別された銀の角に心臓を貫かれて消滅し、二人が地に倒れ伏した。両の脚で立っているのはもはやたった二人。
博麗霊夢の方は豪雨の発生前と全く変わらない。おそらくは脳の損傷で変わらぬ昏睡状態を維持している。
対する霧雨魔理沙は凄惨の一言に尽きる。パチュリーに言わせれば、「右肺と脳が無事でよかったわ」という有様だ。
パチュリーが水術で無理矢理血液を循環させていなければ、魔理沙は一刻と保たずに死に至るだろう。
だから、今この瞬間が、選択の時。
「さて、さとり。貴女に選ばせてあげるわ」
「……何をですか?」
「決まっているじゃない。霊夢と魔理沙、どっちの命を見捨てるか、よ。私にとってはどちらが生き残っても大差はないからね」
「本気で、言ってるんですか?」
眉一つ動かさずにそう語るパチュリーがまるで機械か何かのように思えて、さとりは思わず嘔吐きそうになる。
「魔理沙の話を聞いていなかったの? 彼女は貴女を助けるためにここに来たわけではないわ。魔理沙は、己の望みのためにここへ踏み込んできて、そして倒れただけ。貴女が責任を感じる義理はないし、それに妖怪が人間を救わなければいけない義務もない」
「それは……」
「魔理沙は言ったでしょう? この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道を分かたれていったところでお終いだと。どちらか一人が死ななくてはいけないのであれば、そのどちらかを選ばなくてはいけない」
「私に、それを選べと?」
睨み付けるさとりの視線など意にも介さず、パチュリーはなおも選択を迫る。
「ええ。誤解を招くのを承知でこのパチュリー・ノーレッジ、あえてここに明言しましょう。今も昔もこれからも、私が紅魔館の食客で、そして何よりも本をむさぼる魔女であることに変わりは無い。周囲の環境が変わったとて、それが私の未来に与える影響はごく僅かであるのだから私の選択には価値が無い。だから貴女が苦しまなくてすむほうを選べばいいわ」
「……ふざけないでください! だったら彼女達二人が助かる方法を考えても一緒ってことじゃないですか! どうしてそれを考えようとしないんですか!」
「二人とも生き残る方法ならもう考えたけど」
「へ?」
あっさりと言い放ったパチュリーに、さとりは思わず状況を忘れてマヌケ面を返してしまう。
「知りたいのなら教えるけれど、どうする?」
「本当に回りくどい人ですね……お願いしますから教えてください」
「先に言っておくけど、私はそれが可能だとは思っていなかったし、それ故に黙っていた。失敗すれば一人の人間の死を犠牲にエンディングにたどり着くという未来は消えて、再び登場人物を補充するまでこの世界は存在し続ける。この意味は分かるわね?」
「つまり、失敗したら犠牲が増えるだけ、と言いたいのでしょう? じゃあ何でその方法があるということを最後まで黙っていなかったんですか?」
「私がインテリゲンチャだからかしらね。問われたからには問うた者に利のある解を示さねばならない。それが知識人の務めだもの。それが出来ない知識人なんて辞書以下。存在する価値すらないわ」
律儀なのか融通が利かないのか。いずれにせよこの知識人を有効活用するのはまことに骨がおれる、ということだけは嫌というほど理解できた。
「回りくどい上に実に難儀な方なんですね……とりあえず続きをお願いします」
形容し難い表情を浮かべたさとりを憎々しげに睨んだパチュリーは、それでもさとりの望みに応えて言葉を紡ぐ。
「この世界における敵の正体は貴女の心の中に巣食う心の闇というのは魔理沙が明らかにしてくれた。すなわち、困難な夢へ挑む者の背中を不用意に押してよいのかという葛藤。人の心が分からないという嘆き。置いて行かれた、なのに帰る場所を守らねばならないという苦痛。妹に何もしてやれないという悲しみ。それらが最も似通った者達の皮を被って私達の前に立ちふさがって来た。だから答えは簡単。それらの根源を一時的にでもすべて滅してしまえば、もはやストーリーは敵を用意できなくなって破綻する。意味は分かるわよね?」
「私が、ありとあらゆる心の闇を克服すればよい、ということですか?」
「正解。但しそれが一時的ですら容易でないことくらい、貴女にだって分かるでしょう?」
さとりは首肯せざるを得ない。ありとあらゆる存在から嫌われるサトリが抱えた闇が一朝一夕で晴れるはずがないのだから。
「魔理沙の問いかけで何か変わった? ええ、表面上は変わったのでしょうね。でも根っこの部分で貴女は魔理沙の言を受け入れていない。……ああ、非難するつもりはさらさらないわ。だって彼女の言葉なんて、二十年も生きていない小娘のそれよ? そんなものであっさり蒙が啓けるならば、ありとあらゆる存在が賢者として覚醒できる」
百年以上を生きた魔女、五百年以上を生きたサトリにとって魔理沙の言葉など未熟者の戯言に過ぎない。
魔理沙は世界には幸せを護ろうとしてる奴がいる、と言ったが、その手があらゆる者に平等に伸びているはずがない。
現にこいしは目を閉ざし、友人だった少女は死んだ。彼女らにそれほどまでの苦難を背負わねばならない咎など無かったというのに、だ。
現実は常に非情であり、そんな夢妄想に浸るような言葉など容赦なく轢き潰して行くのだから、
「確かに貴女の言うとおりです。霧雨魔理沙の願いは世界の厳しさを知らぬ幼子のそれかもしれません」
さとりもまた、魔理沙の言が稚拙であることを否定しない。
魔理沙の言葉自体はそこまでさとりの心を動かすようなものではなかった。されど、
「されど、彼女は言葉だけでなく行動で私に未来を示してくれました。それだけは間違いありません」
「レミリア・スカーレットの影をかぶった闇を、貴女の絶望を一つ消し去ったことかしら? 諦めなければ、届くのだと」
「確かに、それも希望でしょうね。ですが私を突き動かすのはもっとちっぽけな行動なんです。思い返してみれば、彼女は私を背後に置くことに何の抵抗も感じなかったんですよ。意味は分かりますよね?」
意趣返し、と言わんばかりにさとりはパチュリーに問い返す。
「貴女は一度だって、私の視界内で長時間私に背を向けなかった。いえ、貴女だけではありません。私がサトリだと知った者達のほとんどがそうでした。私を背後に置けば私が瞳を向けているか、すなわち心を読んでいるかいないかの判断が出来なくなってしまうから」
「……」
「ですが彼女と、そして霊夢さんも。私を箒の後ろに乗せることに、背を向けることに一切の嫌悪を見出さなかった。それに何より、あの最後の瞬間」
そう、レミリアが重力の井戸から脱出して自由を取り戻したあの瞬間に。
「魔理沙さんは私に助けを請うべきだった。でも彼女はそれを打ち消した。私が、『人の心を覗いて欲しい』と求められるのが嫌だ、と言ったことをあんな状況ですら忘れていなかったから」
正直に言えば、無駄な躊躇で馬鹿だと思う。なぜなら魔理沙はその前に「またやろう」と言ったのだから。
サトリが戦うというのは即ち他人の心を覗くことであると、その瞬間まで気が回っていなかったのだから。
パチュリーが稚拙と切って捨てるのも頷ける。
でも、だからこその本心。理論だてて考えたことじゃない、脊髄反射の思考だからこそ、本心が乗る。
そう。魔理沙の稚拙な理論より、人の可能性より、生死の境ですらさとりを慮って躊躇したというその事実こそが、何よりも嬉しい。
「そうやって、か細い一縷の望みにすべてを託して夢を追ったっていつかは折れるわよ。魔理沙がそうやって生きていけているのは未だどうしようもない挫折というものを体験していないからに過ぎない。世界にはどうやったって越えられない壁というものがあるのだから」
そんなことはさとりだって知っている。魔理沙だってもし霊夢が魔理沙に関することで死を選べば、最後に霊夢が何を思っていたかさとりに問うに違いない。
人の心はそんなに強いものじゃない、そんなことは分かっているのだ。
でも。
「……貴女の言葉は否定ばかりですね」
「何?」
世界がサトリに優しくない、と。
心の底から理解した過去の日から、古明地さとりの夢は唯一の肉親たる古明地こいしの夢を守ることになった。
こいしは人の中に紛れるのが好きな妖怪だったからさとりは人とのつながりを求めた。
でもそんなこいしが眼を閉ざしてしまったから、さとりにはもはや何を夢見てよいか分からなくなってしまっていた。
でも、今は。
さとりはもう御託はたくさんだ、とばかりにまくし立てる。
「だったら! 貴女は何なんですか? 彼女の生き方を稚拙と切り捨てる貴女は、一体世界に何をもたらしているんですか? 子供の夢を馬鹿にするのが先人のやることですか!? 違うでしょう! 先人がやるべきことは、後に続く者達が幸せであるように理不尽の壁を壊していくことでしょうに! 子供の夢を馬鹿にして、踏みつけて、これが現実だとでもふんぞり返るつもりですか!? それで貴女は先達を気取るつもりですか!!」
「ならば、貴女はどうだと言うの? あらゆる現実から目をそらして引きこもっていた貴女が、私の何を偉そうに非難できると言うのかしら?」
夢を見た少女が夢叶わず消えていったこともさとりが夢を投げ捨てることの後押しをした。
夢を見たって叶うはずはないのだと、そう理解したさとりの生活は輝きを失ってただ静かに事務処理をこなすのみ。
だがそんな生活で塗りつぶそうとしたって、さとりの夢はさとりの心の奥底で延々と燻っていたのだ。
「……仰るとおり、今の私には貴女を非難する言葉はあっても否定する言葉を持ちません。だから、これから『なる』んですよ!」
「本当になれると、思っているのかしら?」
英雄になりたいのだと。
そう語った、どうしようもない程の愚直さを嘘で隠している少女の夢が。
僅かながらもさとりのことを思ってくれた少女の夢がこんなところで途切れてよいのか、と。
己は再び過去の悲劇を繰り返して、しかしそれに何も思うことなく地底でなんともなしに生きてゆくのか、と!
魔理沙が助力を求める叫びをさとりを思って押し殺した瞬間、埋火だった古明地さとりの夢は猛然と気勢を上げた。
今までよくも封印してくれていたなとばかりに炎上するそれは、燃え盛って灰色のさとりを内側から焼き尽くしてしまった。
なおも否定を続けるパチュリーを爆誕した新生――いや原始のさとりは轟然と見下ろし朗々と謳い上げる!
「なりますとも! 私の夢は『立派なお姉ちゃん』であることだったんですから。後行く者に格好悪いところなんて、これ以上見せられないんですよぉお!」
それが古明地さとりの夢の正体。何処までも分かりやすいエゴの塊。
されど衒いなく誇張なく、何処までも等身大の少女たるさとりの願い。
世界に救いの手が少ないと言うなら、古明地さとりが手を伸ばす!
さとりは頼られたくないのではない。本当は恃まれたくて、頼りにされたくて、そして今日、
「後は任せた」と頼られたのだから!
「……フフ、フフフフフ」
そして、その叫びを耳にしたパチュリー・ノーレッジは。
「アハハハハハハハ! 素敵じゃないの! 『立派なお姉ちゃん』だなんて!」
可笑しくて仕方がない、とばかりに大爆笑していた。
そう、紅魔館の住人がそれを眼にしたら夢か幻かと目を剥いて驚くだろう程に。
だがそんなことはさとりには関係ない。己の夢を嘲笑されてむかっ腹が立つばかりである。
「おかしければ其処で一人で笑っていてください」
「アハハハハハハハ! ファファファ、フフフアハハゲファ! ゴフッ! ゴホッ!」
ツボに入ったかのように延々と笑い続けていたパチュリーであったが、元々は喘息持ちの病弱っ子。
呼吸器系はさほど強い方ではなく、たちまち自分の笑いについていけずに呼吸を乱して沈黙した。
「……気は済みました?」
「ハーッ、ハーッ……魔理沙の『英雄』に匹敵する位恥ずかしい夢なのね。でもまぁ、嫌いじゃないわ」
「ないんだ」
「ええ。貴女が霊夢と魔理沙の命を秤にかけて、それを等しく扱ったのと同じ。人の命に貴賎がないのと同じく人の夢にも貴賎なんてないもの。それに私の夢だって『立派な魔法使いになる』だったしね」
だったし、と澄ました顔で言い切っている点がさとりとパチュリーの相違点なのだろう。
重要なのは夢の大きさではなく、夢をかなえるために動いているかである、とでも言いたげなパチュリーの表情にさとりはちょっと敗北感を覚える。
「パチュリーさんは、もう夢を叶えたんですね」
「叶えたけど、まだ終わってないわ。立派な魔法使いは立派であり続けなければならないのだから。私だって結構苦労してるのよ? 私は精霊魔術を得意とする田舎魔法使いなんですもの」
「精霊魔術って、田舎魔法なんですか?」
地底暮らしが長いさとりにとってはパチュリーの言動は十分に垢抜けているように感じられるのだが、
「大自然から魔力を抽出するような古典的な魔法は今じゃ時代遅れなのよ。今では小道具を使ってコンパクト、かつ速攻で発動する魔法の方が知的に見えるらしくって、そっちが魔界のトレンドよ。 ……ついでに言えば私自身だって元々の出身はド田舎、流行の服のなんたるかも知らない田舎娘だもの。でも、そんな私がこの幻想郷ではほぼ最年長の職業魔法使いなのよ? だったら、先達として無様な姿は見せられない」
それは不器用ながらもアリスや魔理沙にとって時には壁となり、時にほんのちょっとくらいは助けにならんとする先輩魔女としての誇り。
ますます年下の魔法使いに一歩先を行かれているようで悔しくなったさとりは、だからただ一点、センスに関してのみ得心して深々と頷いてみせる。
「ああ、だからネグリジェみたいな部屋着で通してるんですね」
「何か言ったかしら? カオスディメンションの主」
「いやまあ地霊殿は確かに結構カオスでシュけど! シュマちゃん違うって何度言ったら分かるんでシュか!」
「ふふっ、さあ今度こそ御託は終わりにしましょう? 目覚めた眠りし者。今やそいつの眼はすべてを見通す。さあ行きなさい。行って、第四の壁をぶち壊してきなさいな」
草紙の中だから第三の壁かしら? とパチュリーは小さな疑問符を一つ浮かべると、それっきりさとりの方は見向きもせずに瀕死の魔理沙の生命維持に傾注する。
……結局のところ第三の眼が閉じた状態のさとりには、さとりを非難したかと思いきや背を押すかのように賛同してもみせるパチュリーの真意が何処にあるかは分からなかった。
でも魔理沙の生命維持に全力を尽くしているパチュリーの姿は芝居ではないと思ったし、それが真実であろうとなんとなく信じられた。
だから、最後まで眼を開くまでもない。さとりは二刀を改めて佩きなおすとパチュリーに背を向ける。
「ああ、せっかくだから持って行きなさい」
そんな声と共にさとりに向かって放り投げられたのは魔理沙が持っていたマジックアイテム、ミニ八卦炉だ。
「一つ教えてあげるわ。分霊というのは何も神に限った話ではないの。永く愛用した道具には己の分霊が宿る。ほら、よくお話で友の形見が命を救ってくれたりするでしょう? それって奇跡でもなんでもないのよ。実際のところは道具に宿った持ち主の分霊が新たな持ち主に呼応して、その実力を遺憾なく発揮しただけに過ぎないってこと」
「貴女にかかればあらゆる奇跡がただの現象になってしまうのでしょうね……しかしパチュリーさんって結構いい人だったんですね」
「世界の不思議を解き明かすのが知識よ。そして知識には良いも悪いも無い。受け取る者次第なのよ」
そう言いつつもちょっと誇らしげに、パチュリーはさとりに笑ってみせる。
「次に顔をあわせる時はベッドの中かしらね」
「なんかそういう表現するとエロくってドキドキしますね」
二、三の忠告を受けた後、さとりは紅魔館の門をバァンと蹴破って中へと進む。
古明地さとりにとって紅魔館は未知の館、されど恐れるものなど何もない。
出るのは鬼でも蛇でもない。どうせさとり自身なのだから。
前進制圧。敵見必殺。古明地さとりの未来への展望で、すべて打ち砕くのみだ。
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□――― 記銘 - Paradiso - ―――
蝋燭の灯りが揺れる館の中を、私は一人歩いていく。
美しい館だった。
廊下のそこかしこには調度品を配置した白い大理石の台座が整然と並んでおり、くるぶしまで届こうかという毛羽を湛えた真紅の絨毯は手入れが行き届いていて、おざなりさは微塵も感じられない。
そう、雨水に濡れた私の衣服からこぼれる雫で湿らせてしまうのがちょっと申しわけなく思えてくる位に。
屋敷に住まう者の、主の満足だけを求めた結果がそこにあるのだろう。
「地霊殿は、こいしにとって此処に居たいと思える場所ではなかったのね」
帰ったら、まずは地霊殿の手入れを始めよう。少しでも居心地の良い館に変えるために。
あちこち埃が溜まっているところも多いだろうし、ランプの数も増やして陰鬱な影に沈む空間を消し去ってしまわないと。
とはいえ妖獣ばかりのペット達は妖怪ゆえに闇に潜むのが好きだから、そこはちょっと配慮しないとかもしれない。
「久しぶりに鏡台も手入れしておこうかな」
こいしとおそろいの鏡台。化粧をするためだけに作られた家具。よそ行きの時、客を招き入れる時のみ使われる家具。
屋敷の中に引きこもったが故に他者に見られることがなくなったため、不要となって心の中で捨てたもの。
されどこれからは、再び必要になってくるものだから。
「こいしも花が好きだったから、花で館を飾るのもいいかもしれない」
紅魔館の中庭にある花壇はとても素晴らしいものだった。夜空ではなく晴天の下で見ればさぞ輝いて見えたことだろう。
地霊殿にもあんな花壇があったらいい、と思う。
これまでは日の光届かぬ地底ゆえ、ろくに花なんて育てられなかったけれど、今の地底には太陽の化身といつの間にか相成っていた空がいる。
お願いしたら、空はこいしのために花を育ててくれるだろうか?
そんな、これからのことばかりが幾つも幾つも頭の中に浮かんでくる。そう、夢を抱いて生きるっていうのはこういうことだったんだ。
ただ衣食住をこなすだけだった場所ですら、これまでと違った輝きを持っているかのように感じられる。
私自身の眼が閉ざされていたから世界が無色に見えていただけで、世界はこんなにも色彩に溢れている。
無論その中には眼を痛めつけるような極彩色や全てを塗りつぶすかのような漆黒も無数存在していて、それらはいずれ私達を傷つけるのだろうが。
「それでも、眼を閉ざしているよりかは、ずっといい」
そう、ちゃんと眼を見開いていれば、きちんと目指すものに向かって歩いていける。
「だから私の敵は、日の当たる地上には居ないのね」
館を一通り巡り終えても、妖精一匹見当たらない。
玉座の間も、食堂も、主の寝室も、従者の部屋も、厨房も、倉庫も、食料庫も、武器庫も。
そしてパチュリーさん自慢の紅魔館大図書館も同じようにもぬけの殻だ。
最後に残ったのはたった一つ。
パチュリーさんに教えてもらった秘密の入り口、のうちの一つ。
本棚の前に立って、そこに収められている本の一冊をぐいと押し込むと、その奥にあるスイッチが作動して本棚が90°回転する。
歯車がきしむような鈍い音と共に本棚の後ろから現れたのは、逆さ摩天楼を髣髴とさせる暗い暗い階段だ。
光を取り戻したこの眼ですら闇としか称しえないその階段を私は一歩、また一歩と下っていって、終点に佇む扉をガチャリと開け放った。
◆ ◆ ◆
「誰?」
「蛇蝎です。地底一の嫌われ者ですMiss Darkness. 貴女の時間を今少しばかり私にいただけませんか?」
うっすらと埃が積もった、地下とは思えないほど広い一室。
私が持ち込んだランプの灯りが照らしているのは僅かに本を並べる小さな本棚と机、質素なベッド。
そして部屋の片隅で小さくうずくまっている十歳前後の小さな少女だ。
何処に肉がついているのかと言わんばかりに骨と皮ばかりが目立つ四肢。元は美しい光沢を放っていたのだろうくすんだ髪は埃で薄汚れて見る影も無い。
服と称していいものか判断つきかねるボロを纏った少女の全貌で唯一輝いているのは、闇の中でも敵意を湛えて爛々と燃ゆる双眸のみ。
力無くうずくまっているように見えるがしかし、膝を浮かしていつでも飛びかかれる体勢を維持しているその様は果たして猟犬か狂犬か。
「あなたが私の敵でないという保証は?」
「全くありません。何せ私は眼が三つあるという世にも奇妙な生物でシュので。自慢じゃないですが怪しさには定評があること間違いないでシュ」
おどけて語る私を信頼してもらえたのか、もしくはただの馬鹿だと思ったのか、それとももう自暴自棄なのか。少女は力無く「いいわ」と呟くと少しだけ警戒を解いた。
やれやれちょっと一安心。
「こんなところまで嗅ぎ付けられた以上、私にはもう逃げ場もないしね。殺しあう前にお話しましょ? あなたは誰?」
「古明地さとりというしがない愛の伝道師です。以後お見知りおきを」
「刻み込むのはあなたが馬鹿だという認識で問題ないかしら?」
「よろしいのではないかと」
満足げに笑う私を腐敗した発酵食品でも見るかのような眼で眺めやった少女は軽く溜息をつく。
「それで、本当の用件は何?」
「貴女を日の光溢れる世界へ連れ出しに来ました。世界は愛で溢れていますよ? 私の愛で」
「……お断りするわ。一人で帰って「なぜです?」
速攻で聞き返したのが功を奏したのか一瞬少女は驚愕に目を瞬かせたものの、すぐに暗い目で私を睨みつけてくる。
「外の世界では私は生きていけないからよ。あなたの三つある眼程じゃないけれど、私も普通じゃないの。普通じゃない存在はただそれだけで嫌われるのだから」
「だからとて、世界の全てが貴女を嫌っているわけでもないでしょうに。私は別に貴女を嫌いじゃないですよ?」
「へぇ?」
ひときわ強い視線で私を睨みつけた少女が手を開いて、ふらりと立ち上がったと思った瞬間。
私の背負っていた楼観剣と腰に佩いていた白楼剣の下げ緒がブチリと切れて両刀は地へと落下し、たちまちのうちに私は武装解除されてしまった。
なんとまぁ、一体何が起こったのやら。でも彼女が尋常ならざる能力を持っていることだけはまぁ、理解できた。
そしてその圧倒的な能力が一般人にどれほどの戦慄をもたらすのかも。
「私も異能持ちの嫌われ者なので、貴女からのメッセージは理解できました。ですがそれでも私はやはりここから出ましょうと貴女を誘い続けます」
「なぜ?」
「結局、ただ引きこもっていると熟成発酵を通り越して腐敗しちゃうからですよ」
脅迫が意味を成さない、と判断したのか少女は小さく首を振った。
その動きにあわせて少女の頭から埃がはらり、はらりと舞い降りる。
一体どれ位の時間を、彼女は誰とも出会わずにすごしてきたのだろうか?
「確かに誰とも顔を合わさずに引きこもっていれば傷つくことは無いでしょう。ですがそれで生きていると言えるのですか? 食べて寝て、食べて寝てを繰り返しているだけで本当に貴女は幸せになれるのですか?」
「……! 私だって、ただ引篭もっているわけではないわ。今の私は小娘だから、力が足りないから。今はただ成長するのを待っているだけよ」
「ほう、では世に出るのはいつですか? 幾つになったら世の中に出て行こうとするのですか? そのための修練は? 毎日どれだけ筋力をつけてます? そのいつかっていつか、ちゃんと定めてます? 話術は? 交渉術は? 人と話さないでどうやってそれを培うつもりですか? 身なりはどうやって整える「もう止めて!!」
いつでも私を殺せるであろうはずの少女が怖じ気づいたかのように声を張り上げる。
「もう止めてよ! どうしてあなたはそんなことを言うの? 私だってこんな薄暗い場所で一人で生きていたくなんか無い! 当たり前じゃない!」
少女が叫ぶ。世界の冷たさを憎むかのように。
「でも仕方ないじゃない! 確かに私を気の毒に思って手を差し伸べてくれる人もいたわ! でもそんな優しい人達も私に関わったばかりに非難されるのよ!? 世界は何処までも私に優しくないの! ならば私は誰も傷つかないために、ここに引き篭もるしかないでしょう!?」
「確かに、それで貴女の周りの人々は平穏無事に生きられるかもしれません」
ああ、やっぱりこの子も私だ。
忌み嫌われる能力を持つが故に外に出ることが出来ない。
外に出て、自分が傷つくのも怖いが、何よりもそれによって傷つけたくない相手を傷つけてしまうことが恐ろしい。
でも。
「でも、それでは貴女が幸せになれない。貴女にだって、夢があるでしょう?」
少女は愕然としたように息を呑んで私を睨みつけてくる。
まあ当然だろう。私の発言は「他者を傷付けてでも夢を掴み取れ」とも取れるものだから。
「そんなこと、許されるはずが無い」
「いいえ、許されます。貴女の言うとおり、世の中は私達に優しくないかもしれない。だからこそ私達は夢を追わねばならない。私達に優しくない世界を見返してやるためにも」
「……」
「これは戦争なんですウォー! 世の中には私達を悪と断じて傷つけることに躊躇いの無い者達がたくさんいます。私達はそれに泣き寝入りをするのではなく、逆に頬を張ってやらねばならないんですよ! 私達を愛してくれる者達に愛情を返して、私達に悪意だけをぶつけてくる者達は全身全霊を以ってフルボッコにして簀巻きにして地底湖の底にドッボーン、ブクブクブク。そうしなければならないんです。そうしなければ世界はいつまでも私達に優しくないままなんです」
「でも……」
「言いたいことは分かりますよ。それらの悪は狡猾で、大概は数を味方につけているから。それらは何処までも強大で、私達はちっぽけです。それでも、そんな悪意に負けて夢を諦めちゃいけないんですよ。そうしてしまったら何のために生きているのか分からなくなってしまう。 ……私達嫌われ者は、幸せになる権利すらありませんか?」
「幸せに」。その単語を耳にした目の前の少女は小さく身体を震わせる。
「でも、なら、私達に協力してくれて、そして不幸になってしまった人達に私達はどうすればいいの?」
「その真心を心に刻み込みましょう。そして感謝を返しましょう。言葉に出来ないほどの感謝と、礼を。差し伸べられる手を拒否するのではなくて受け入れて、そしてそんな優しく、勇気ある人達が手を差し伸べたことを後悔しないように、あらん限りの感謝を返しましょう。そして何より私達の手で、彼らを守りましょうよ。そっちのほうが素敵じゃないですか!」
胸を焼く苦痛に耐えかねているかのような表情の彼女に、語りかける。
自分でも偉そうなことを言っていると思う。何せ目の前にいるのはこの夢の中に引き込まれる前の自分なのだから。
魔理沙さん達の話によると外では一週間程度が経過しているらしいものの、私の体感時間はたったの一日程度。
そんな短期間でよくもまぁ手のひらを返したかのごとく高尚っぽい綺麗事をほざいているものだ。
でも、
「私の手を取ってください」
胸を張って、手を伸ばす。
かつての私はそんな奇麗事を夢見ていたんだ。奇麗事を嘲り、唾吐くことで自分を大きく見せるような張りぼての大人にはなりたくない。
だから、少女に語りかけるのではなく、自らの内で再び気炎を上げたこの夢を。
夢の中で取り戻した夢を私自身に焼き付けるかのように私自身へと語りかける。
「私と一緒に戦ってください」
これは相手を説き伏せるのではなく、私自身を説き伏せる戦いだ。
ならば、普通に私がやるような行動だけでは足りないはず。それで足りるなら私は既に自分の力で一歩を踏み出していたから。だから、
「一人でがんばっていると時々泣いちゃいそうになるんです。だから助けてくださいMiss Darkness. 私が貴女を護りますので、貴女が私を護ってください」
「でも……でも、それでも私はこの部屋から抜け出す一歩を踏み出せない」
「じゃ、この部屋壊しちゃいましょう。マスタースパークどーん!」
さあ、魔理沙さんの言ったとおり家を焼くぞぉー!
どーん! と頭上に向けて八卦炉を構えるとそこから溢れ出したのは凄まじい熱量の渦。
細い火線は瞬く間に野太い光の支柱となり、行く手にあるもの全てを飲み込んで蒸発させていく。あとに残るは天に輝く真紅の満月だけだ。
うーむ、そのつもりでやったとはいえ……ドーピング超人魔理沙さん、凄いですね。一撃で数十mからなる土砂と紅魔館をあっさりとふっ飛ばすなんて。
「はい部屋無くなっちゃいました。困っちゃいましたねーどうしまシュ?」
「……呆れた人ね。勝手に押し入ってやることがそれ?」
「今の私にはシーフの魂が宿ってますので」
「シーフは家を壊さないと思う……」
少女は肩をすくめて私にかすれたような声を返すけどいいえ、シーフは家を壊すんですよ。
残念なことに少女はこのような馬鹿みたいに馬鹿な行為を大真面目に実行する輩にどう反応してよいか知らなかったようだ。
その気持ちは実によく分かる。私も地霊殿に踏み込んできた人間達に相対したときは全力スルーさせてもらったし。
だけど私は目の前の少女にスルーさせるつもりなんて無い。
「私と共に歩んではくれませんか?」
おずおずと手を伸ばしてきた少女が、
「あなたを、信じていいの? あなたは、私を裏切らない?」
問うてくるが、
「いいえ、私は貴女を裏切ります」
伸ばされていた手が、ピタリと止まる。
「私は貴女ではありません。私は貴女が望む理想の他者には成り得ない。だから私は必ず貴女の意に沿わない振る舞いをするでしょう、でも」
深呼吸をして、背筋を伸ばす。
「それは貴女が嫌いだからじゃないんです。貴女を傷つけたいからじゃないんです。どんなに傷つけたくないって思ったって、私達は他人だから理解し得ない部分がある、傷つける。嘘も吐く。それでも」
届くだろうか? 届いて欲しい。
「この、共にありたいと願う感情は、一瞬たりとも偽物なんかになったりはしないんです。だからお願いしますMiss Darkness. 私の手を取ってください」
少女の、手が。
迷いながらも、そっと、伸ばされる。
「ありがとう」
そう呟くと、心中が何か暖かいもので満たされていく。
私の掌に触れた少女の手をぎゅっと握り返せば、さあ後はここから出ていくだけだ!
右手で少女の手をしっかりと掴んでふわりと夜空に舞い上が……ろうとした私は、今は自力では飛べないことを思い出したので、
「ブレイジングスターぷりーず!」
人に頼るのである。
カモーン! 分霊魔理沙さん! 二回目アシストお願いしまーっす。
左手に持つ八卦炉を地面に向けた途端、ゴゴゴゴゴ、と内臓を揺さぶられるような衝撃と共に私と少女は空へと舞い上がる。
純国産ロケット、さとり一号は今やとどまるところを知らない空を切り裂く流れ星!
「さあ、何処へ行きましょうかMiss Darkness. 何処へなりともお連れしますよ? 貴女の夢は何ですか?」
轟々と火花を放つ八卦炉の炎に炙られそうになっている彼女は、それゆえに恐々とした面差しを私に向けていたけれど。
その問いかけにふっと表情を和らげた。
「手入れの行き届いた館、真っ白なシーツに暖かい食事。優雅に笑う幼い吸血鬼、我が主とその妹君の満足。気取らない同僚、役に立たない部下達。そして私を恐れない人間の友人達の笑顔」
それが彼女の夢。彼女が守りたいものの全て。
「やはり私と貴女は似ていますね」
満たされた者だけが浮かべられる瀟洒な笑みを形作った少女はそうかもね、と小さく呟く。
「何処へ行きたいとも思わないわ。私の居場所はやはり紅魔館なのだから……ああ、あとMiss Darknessは止めてくれない? 私には十六夜咲夜という大切な名前がありますので」
「了解しました咲夜さん。それではまたいつか、お会いしましょう」
「ええ、さようなら愛のロケット。じゃ、余分なペイロードは消えるわね。 ……3,2,1、十六夜咲夜、セパレーション。 Good Luck!」
にこりと笑って本機から分離した少女もまた、これまでの皆と同じように半透明になって消えていく。
手のひらから重さが消え去ったことは嬉しくもあり喜ばしくもあり、しかしちょっとだけ寂しくもある。
「まだ、終わりではないのね」
目の前に現れた巨大な結界。
死者の住まう世界と生者の住まう世界を分かつ壁。多分この先が最後の舞台だ。
◆ ◆ ◆
やはり箒がないとブレイジングスターは格好悪いなーなんて思いつつ降り立ったそこは桜の杜。
世界は未だ静謐の闇夜であるものの、無数に浮かぶ人魂が放つ燐光によって桜の花が朧と闇に浮かび上がっている。
心を洗い流すかのような美しさを誇る桜の木々が立ち並ぶ光景は、花無き地底に引き篭もっていた私にとっては博麗神社を思い起こさせる。
「お疲れ様、さとり」
「また、会えて嬉しいです。……ですが貴女は本物なのですか? それとも私の記憶の中から引っ張り出された影なのでしょうか」
「無論本物よ。400年間草紙の中でじっとしているのは中々しんどいものがあったわ」
だから、そこに少女がいることに何の違和感も感じない。
白衣に緋袴という出で立ちに白い元結で髪を結わえた少女。私の二人目の友人であった少女。400年近く前に死んだ少女。かつての博麗の巫女。
浄玻璃の鏡を覗き込んでみるけど、そこに写っているのは半透明だけど紛れも無くかつての少女自身の姿であり、私自身の影なんかじゃない。
「草紙の中で、ですか?」
「そう。ほら、貴女が書いた『心曲』よ。私ってこいしに連れられて、そのまま閻魔を通さずに旧とはいえ地獄に来ちゃったじゃない? だから私の魂は迷子になっちゃってさ」
「うぐ」
ちょっと、いやかなり罪悪感が。
「いや、こいしに連れてってって言ったのは私だから気にしなくていいわよ。んで、魂だけになった者はひっきょう体を求めるわけだけど、そう都合よく体なんてあるわけないじゃない、と思っていたらあの草紙にぶち当たったってわけ。都合よく私達についてのストーリーだったし潜り込むにはちょうど良かったみたいね」
「じゃあ貴女は本当に400年も草紙の中で眠り続けていたんですか!?」
「うんまぁ。だって草紙は自分じゃ動けないし、死神も迎えに来ないし。さとりが草紙を開いてくれる日を待ってたんだけどなー。まさか宿主の草紙そのものが妖怪化しちゃうとは夢にも思わなかったわよ。さすがにこれにはちょっと焦ったわ」
「……すみません。あの草紙は一生開くつもりはありませんでした」
『心曲』は私の苦しみを、嘆きを、悲しみを。絶望を閉じ込めたものだったから。
博麗神社にも似通った美を見せる桜の園で、少女は郷愁の痛みに絶えかねたようにこぶしを握り、そして力なく開く。
「そっか……ごめん。傷つけるつもりは無かったんだ。いやごめん嘘、ちょっとはあった。でも幸せになって欲しかった。あれがあの時の私の最善だったの」
「……今でも後悔しています。なぜ私は貴女の力になってあげられなかったのかと」
「その後悔は不要だよ。さとりはさ、自分が失敗したと思ってる? だとしたらそれはちょっと勘違いだと思うな。最善を尽くしたってどうしようもないことはやっぱりあるんだよ。最善を尽くせば何もかもうまくいくなんて、世の中そんなに優しくは無いでしょう?」
「そうですね。貴女の最善で私達は三者三様に傷つきましたし」
ちくりと少女を責め立てる。私達に何の相談もせずに一人逝ってしまったのだからこれ位の復讐はして然るべきであろう。
一方でこの親子は基本短気だったから、自分が悪いと謝罪しながらもだんだんと不機嫌になっていって。
「わ、悪かったわよ。あーもー、土下座でも裸踊りでも何でもしてあげるから許してよ! 本当にそんな悲しむなんて思ってなかったんだってば! 母さんは強かったし、貴女達は心を読める妖怪なんだから多少の惨事ぐらい慣れっこだって思ってたし……」
「じゃ、とりあえず裸踊りで」
「夢想封印」
お約束どおり三秒後には私は桜の絨毯の上で大の字になって横たわっていた。
ああ、このやり取りも久しぶりだなぁ。
「……ねぇ。さとりってもしかして被虐志向でもあるの? ぶっ飛ばされて嬉しそうってなんか怖いんだけど」
「いえ、ただ懐かしいな、と」
「そっか、そうだね」
大の字に倒れる私の横に少女がちょこんとしゃがみこむ。
「眩しいね」
「何がですか?」
「さとりの手の中のそれ。私もそんな風に生きたかったけど、こればっかりは性格の差かな……いや、そいつは強くって、そして私が弱かっただけか」
「そんなことは……」
「あるよ。強い奴が諦めない奴とは限らないけど、諦めないでいられる奴はきっと強いんだ」
そう、確かに心に確たる芯がある者は大抵が強者となる。
一方で志を曲げないと言うことは傍若無人と紙一重だから、大概そんな奴はトラブルメーカーだったりもするのだけど。
「でも、どんなに諦めないと願っても、いつかは壁にぶち当たる。世の中そんなに優しくは無い、でしょう?」
「そのために貴女がいるんでしょ? さとりお姉ちゃん」
さとりお姉ちゃん。幼い時の少女に私は確かにそう呼ばれていた。
幸せになって欲しかった友人。幸せにしてあげたかった友人。こいしに続いて妹分のように愛しかった少女。……そして、こいしのために私が見捨てた少女。
「……でも、私は貴女の力になってあげることが出来なかった」
「誰だって上手くいかない時位あるし、優先順位だってあるよ。さ、ほら立って? 最後に一仕事しないと」
「一仕事?」
嫌な予感がした。いや、それは既に予感ではないのだろう。私がここにいて、少女がここにいる。その理由を私は知っている。
この夢幻世界が今も続いていて、私と少女が会話を出来ているのは草紙の親切心でも奇跡でもない。
多分、少女が私の最後の敵。私が私の夢を叶えるというエゴを貫くために、消し去らねばならない心の弱さ。
「そう、もう分かってるよね? さとりはこれから何度も苦しんで、躓いて、転ぶんだから。一回上手くいかなかった位で延々挫折していちゃ『立派なお姉ちゃん』にはなれないよ? 悔恨にも、うまくケリをつけられるようにならないと」
「でも……でも!」
「さまよえる魂に引導を渡すと思えばいいよ。そういう納得の仕方もまた、折り合いだと思うし」
「貴女は、それでいいのですか?」
「勿論。さとり達を傷つけた私が僅かとはいえ力になれるというのであれば、文句なんて無いよ。そのために私は400年、ここで眠り続けていたんだと思う」
もっとも、あっさりやられてあげるつもりは無いけどね、と呟いて立ち上がった少女の周囲には、光り輝く八つの光弾。
いつまでも寝ていたら間違いなくそれを私に叩き込んでくるだろう。この子はそういう子だ。
だから私は痛む体に鞭打ってよろよろと立ち上がり、少女と正対する。
「やっぱ、自殺だから私は改めて地獄行きかな? 眠ってる皆の記憶を読んだんだけど、今の幻想郷担当の閻魔様って石頭なんだよね?」
「ええ、ですがご安心を。貴女の魂は400年も眠り続けていた規格外ですし、特例ということで私の直属上司のところまで連れて行きます。あの方は色々と俗っぽい方ですので融通も利くでしょう」
「うわぁ、さとりってば真っ黒だね。さすが妖怪」
「私も一応、旧地獄の重鎮ですからね。権力とはこう使うものだと、上司にして偉大なる十王に教わりましたので」
「お見事」
半ば呆れ、半ば感心したように少女は呟く。そんな少女に私は黒い笑みを浮かべて見せる。
「生まれ変わったら貴女は何になりたいですか?」
「当然、博麗の巫女として再挑戦よ。今度は私もあの白黒魔法使いを見習うわ。絶対に諦めたりなんかしない」
「素敵ですね」
ま、閻魔の匙加減次第だけど、と少女は微笑むが、すぐにその表情は暗い情念に囚われたかのように強張ったものに変わってしまう。
「こいしにも謝りたかったけど、こいしはこの夢の中にはいないんだね……あの子が瞳を閉ざしたのって、やっぱり私のせいだよね?」
「ええ、そうです。ですがそれは仕方の無いことなんですよ。あの子は元々余り人の心を積極的に読まなかったから」
少女が死の間際に思い浮かべた生々しい心音。
そう、天寿を全うし得なかった者達が最後に思うのはいつだって誰だって同じなんだ。
それはありとあらゆる生者を妬むレヴィアタンの咆哮。
それは自分を死に追いやった者達を恨むサタンの怒号。
私はこれまでに数え切れないほどの感情を見続けてきたから、かろうじてそれに耐え切れた。
しかし今際の感情が概ねそういうものだということを識りつつも知らなかったこいしは、親しいはずの友人から向けられたその感情に耐え切れなくて不信に陥った。
それに加えて心が読めるくせに友人達の苦悩を理解し得なかったという悔恨。それらが積み重なってこいしは瞳を閉ざしてしまった。
でも、いつかこいしも再び眼を開ける。私達は妖怪だから、悟ったふりなんていつまでも出来やしないのだ。
「あれを、いまわの感情を眼にした程度では私は最後に貴女が口にした言葉を疑ったりはしませんよ。こいしだっていつか分かってくれるはずです」
「……ありがとう。母さんにはもう謝れないし、こいしだけが心残りだったけど。……任せちゃっても大丈夫だよね?」
「ええ、貴女を乗り越えて最強お姉ちゃんになった私に任せちゃってください」
彼女達と過ごした過去。記銘、保持された様々な思い出が胸の中で想起している。
最も幸せだった時。何度思い返しても色あせない、私達姉妹にとって何よりも大切な宝物。
だけど、過去を懐かしんでいるだけではいつまでたっても前に進めない。
「最後に。さとり、母さんは、あの後、どうなったのかな……」
「彼女は最後まで巫女を勤め上げましたよ。今際は貴女の傍で、と地底に下りてきて数日を地霊殿で暮らした後に天寿を全うしました」
「そっか……負けなかった?」
「ええ、最後まで。……やはり、悔しいですか?」
「悔しいけど、嬉しい。目標だったから。そうか……ならば私も、勤めを果たそう」
そう、少女が呟いた途端。
少女の周囲の光弾が、八つから倍の十六に増える。
「さあ、全十六発の夢想封印がさとりを遮る高い壁。超えられるかしら?」
霊夢さんや少女の母役には劣るとは言え、少女もまた博麗の巫女。
弾幕ごっこレベルに落とし込んでいないその全力の一撃は、サトリの一匹や二匹くらいなら容易く消し飛ばせる。
だけど。
「超えてみせましょう。いえ、ぶち破ってみせましょう!私の、いえ、私達の行く手を遮るものは撃って砕いて潰して進む!」
いつもだったら私に勝ち目なんて全く無いけれど、今の私の掌には熱を湛えて光り輝く夢があるから。
私に夢があるなら、諦めないなら、挑むのならこの熱は必ず応えてくれるのだから!
改めて向かい合った私達は互いに幾度と無く何かを語ろうと口を開きかけるけど、その都度口をつぐんだ。
口にするまでも無い。私達が思うのはいつだってお互いのこと。
第三の眼なんて無くったって、私達は同じことを考えているんだって、理解できる。
それでも言葉にしたい感情があるから、私達は口を開くんだ。
「共にあってくれてありがとう、さとりお姉ちゃん。そして頑張れ! 夢想封印、瞬!!」
「友であってくれてありがとう、博麗麟。いつかの博麗神社で、また逢いましょう。ファイナル……」
飛来する光弾全てと少女を射軸上に収め、混沌と混ざり合った感情と共に過去に終わりを告げる閃光を!
「スパァァァァーク!!」
極大火力。
絶対破壊。
撃ち出されるは何人にも往く手を阻ませぬと吼える、小さな魔法使いの芯たる一撃。
その一撃は進路上にある夢想封印の光弾を一つ、また一つと焼き尽くしていく。
少女の全力はまたしても敗れる。だというのに少女はそれを微笑みながら受け入れていた。
博麗の巫女の技が、常人には与えられない秘術が食い破られていくのが何よりも楽しいと言わんばかりの微笑で。
最後の光弾が、少女の目の前で灼熱に焼き尽くされ、
――いつか、また。
閃光が、少女を飲み込んだ。
「ええ、いつか、また」
次に会うときは、もっとしっかりしたお姉ちゃんになっていますから。
そう決意を胸に砲撃を止めようとするけれど、八卦炉からの熱量は収まりを見せない。
まだまだ砕くものがあるとばかりに放たれる光の奔流は闇を裂いて突き進み……
ついには天球に突き刺さってこの世界に大穴を穿つ!
「ほんと、滅茶苦茶やりますね魔理沙さん」
私の目の前で、闇空に刻まれた穴から覗く黄金の光が少しずつ大きくなって、闇夜にひびを入れていく。
暗い夜空に走る黄金の亀裂はついに空全体にまで広がって、
そして、空が砕け散った。
「夢幻世界の終焉か……パチュリーさん、魔理沙さんと霊夢さんはまだ生きてますよね?」
答えは無い。でも多分、いや絶対に無事だろう。
『立派な魔法使い』であるパチュリーさんがむざむざ知人を目の前で死なせるはずがないのだから。
そう遥か彼方に思いを馳せる私の目の前で、世界が少しずつかん高い音を立てながら崩れていく。
黒い夜空がまるで硝子のようにひび割れ、落下し、黄金の炎となって消えて行く。
炎と化した黄金の光は再び天へと舞い上がって、未だ空に残る暗闇を焼き捨て、輝く空へと変えていく。
ああ、つまり、これは。
「夜明けなんですね」
斜陽から始まった私達の旅は夜明けにて終焉を迎える。
さあ、夜が明けたのなら目を覚まさないと。
でも、ああ、この夜明けは悲しくて、されど胸の奥を締め付けるかのように美しい。
「さようなら。悲しく、楽しかった日々」
もう少しだけ、この黄金に染まっていく光景を見ていよう。
この眼から止め処もなく流れ出す涙が止まるまでは。
□――― 忘却 - Commedia - ―――
「ようやく三途の川か……にしても旧地獄から地獄まで遠い遠い。案内札ぐらい立てておいて欲しいわ」
「お疲れ様、麟」
「あれ?母さんがなんでいるの? ……もしかして、四百年間川を渡らずに私を待ってたとか?」
「……ええ」
「そっか……酷いこと言ってごめんね、母さん。ずっと、謝りたかった。謝れてよかった」
「……! 謝るのは貴方じゃなくて私でしょう!? 御免なさい、私が、私こそが……」
「いいのよ、命は、投げ捨てるほうが悪いんだから。……にしても母さん、死神はどうしてたのよ」
「……追い返してたわ」
「ここ、積み石崩しに鬼も来るよね」
「……それも追い返してたわ」
「相変わらず幽霊になってなお非常識な実力ね。なにそれ老婆の癖にありえないでしょう?」
「それは……貴方に謝りたい一心で無限の力が」
「嘘だよね」
「……ええ。割と余裕だったわ。連中。でも、謝りたかったのは本当。信じて欲しい」
「うん、それは疑ってない。じゃ、一緒に渡ろっか?」
「ありがとう。で、ね。麟。一つお願いが有るんだけど……」
「何?」
「渡し賃、貸してもらえないかしら…… 私、八文しか持ってなくて……」
「……前々から思っていたけど、母さんってわりと馬鹿だよね。渡し賃は六文あれば足りるんだけど」
「え!? 十文ではないの?」
「十文持たせている内の四文は予備。それぐらい知っておこうよ。……宗派が違うとは言え、仮にも神職だったんだから」
「……」
「ちなみに、そんな私は二百三十六文あります」
「……一人で事に当たるな、か」
「名言だね。……ねぇ、母さんは生まれ変わったら何になりたい?」
「少なくとも、巫女はごめんだわ」
「なんで?」
「だって、麟は次も巫女を目指すんでしょう? だったら邪魔はしたくないから」
「ああ。母さん知ってる? 今の幻想郷って神社が二つ有るらしいよ? 諏訪の神社が引っ越してきたみたい」
「ええ、知ってるわ」
「だから、さ。一緒に、巫女になれたらいいね。どっちの巫女でもいいから」
「……ありがとう。ね、麟。恥知らずだけど一つだけ言わせて欲しいの」
「何?」
「ありがとう。愛してた。貴女と一緒に過ごした日々は楽しかった」
「三つ言ったね。でも私も、ありがとう。憧れてた。大好きだった。ううん、今も大好き」
「……あり、がとう……」
「鬼の目に涙は似合わないよ。……うん、じゃ、行こうか。あ、船頭さーん、こっちこっち!」
「あいよー、半日ほど昼寝したら行くからちょっと待っておくれー」
「「いや、働いてよ」」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■――― Last Page ~古明地さとり~ ―――
「さとり様!」
耳朶を叩く聞きなれた声に夢を中断させられ、古明地さとりは目を覚ます。
焦点の定まらない視覚より先に嗅覚が回復した。
鼻腔に飛び込んできたのはちょっと埃っぽいリネンの香りと、煤のようなちょっと焦げ臭い灰塵のそれ。
「お燐?」
尋ねてさとりはベッドの傍らに目を向ける。予想通りそこに居たのはベルベッドのような赤毛を三つ編みにし、濃緑のブラウスワンピースに身を包んだ少女。
友人と同じ響きの名を与えた、彼女が最も信頼する最古参のペットのうちの一匹。影に地霊殿を支えるしっかり者の火車妖怪。
火焔猫燐は大粒の涙を瞳に浮かべながら、さとりにすがり付いていた。
「すみませんさとり様! まさか一週間も寝込んでいたなんて知らなかったから発見が遅れてしまって」『よかった……どこにも異常はないみたいだし……』
「ああ、そっか。私は寝てたんだったわね。あまりに生々しかったから忘れていたわ」
さとりは軽く周囲を見回す。そこはさとりの自室ではなくて、来賓用の客室の一つであるようだった。
おそらくはさとりの自室に許可無く入り込むことを自重した燐の判断によるものだろう。
ふと、さとりは隣にあるベッドにも使用された形跡があることに気がついた。
「パチュリーさんは? 私と一緒に意識を失っていた、不健康そうな人は何処へ?」
「あの人はベッドを起き上がったその足で書庫に向かって、そのまま篭りっきりですけど……どうしましょう?」『いくらなんでも非常識すぎでしょ、あの人』
「いいわ、あの人は活字中毒なのよ。後で私が迎えに行くからそれまで放置しておきましょう」
「そうですか? 分かりました……あの、さとり様は本当に大丈夫ですか?」『ああもう、お空はセンターの冷却を急には中断できないし、何かあったらあたいが何とかしないと』
「私なら大丈夫よ、心配しないでお燐。むしろ心配なのは地上の方達からの責任追及かしらね……はて、どうしたものか」
さとりにとっては頭の痛い問題だ。パチュリーは巻き込まれただけと言って責任を回避するだろう。射命丸文とて同様に違いない。
とりあえず嘘をついて地底に侵入してきた点を非難して何とかあの人達にも責任を着せてやろう、とさとりは暗い気勢を上げる。
「とりあえず異変を起こした犯人って解決後にどうやって謝罪しているのかしら? お燐、知ってる?」
「え? 地上の奴らは異変を起こしたって何処吹く風ですよ?」『基本謝罪したほうが負けだもんなぁ』
「……地上の連中のモラルってどうなっているのよ。旧地獄とあまり変わらないじゃないの」
「まぁ、セメントか弾幕ごっこか、位の違いしかないですね、確かに。あ、でも一部の良識ある方達は詫び代わりに宴会を主催しているみたいですけど」『うわばみばっかですし、幾ら位かかるんだろ? 』
「宴会か……じゃ、そうしましょうか」
え? と戸惑いの表情を浮かべている燐をよそに、さとりはベッドから立ち上がると、棚の上に転がされていた陰陽玉を手に取った。
さとりがそれのスイッチを押すと、数回のコール音の後に、霊夢のものではない陽気な声が響いてくる。
『よう、お燐か? さとりは目を覚ましたか?』
「いえ、私ですさとりです。無事だったんですね魔理沙さん。ご迷惑をおかけしました。霊夢さんも無事ですか?」
『ああ、さっき永遠亭――っつっても分らんだろうが――にやってきたぜ。一応医者の検査を受けたが異常ないそうだ、だろ?』
陰陽玉の向こうから、「そうらしいわ」という霊夢の声が聞こえてきたことにほっとさとりは胸をなでおろす。
『ま、そんなわけでおおむね無事だ。ただ本件関連で負傷した奴が若干名いるから、早めに詫びでも入れときな』
「ええ、それでですね。お詫びもかねて地霊殿主催で宴会でもと思っているのですが、いかがでしょうか?」
『宴会だってよー、どうする? 〈嫌よ〉嫌か。だってさ、聞こえたか? 霊夢が嫌だとさ』
ぐさり、と言葉のナイフがさとりの心臓に突き刺さった。おおお、と苦悩の声を洩らすがそれでもさとりは諦めない。
愛の伝道師、お姉ちゃんさとりはこれ以上へこたれていられないのである。
「な、何ででしょうか……霊夢さんに代わってもらえます?」
『ほらよ、霊夢…………いやだってあんた、神社の片付け誰がやると思ってんのよ? いっつもいっつもあんた達妖怪は暴れるばっかで片付けないし、酷い時には神社を壊すし!』
「あ、いえ、場所は地霊殿ですので」
『なんだ、それを先に言いなさいよ……あれ? ちょっと、地上の妖怪は地底進入禁止なんでしょ?』
やっぱり問題じゃない、と受話器の向こうで霊夢が呟く。
怨霊を管理する限り地上妖怪が地底に手を出さないという約束は未だ健在。地上妖怪が地底に入らないことは遵守されるべきルールである。
いかなさとりとてそれを覆すことは出来ない。だが、
「地霊殿は一種の治外法権が適用されているので、敷地内であれば私が許可を出せば問題ありませんよ。妖怪の山側からシャフトを伝って地下センター経由で地霊殿にいらっしゃっていただければ大丈夫かと。ただ地霊殿の外に出て頂くのは困るので、その分別がつく方だけ、ということにはなってしまいますが」
『ふーん、それなら御相伴に預かるわ。じゃあ日時を決めてくれる? それ決まったらこっちで適当に声掛けとくから』
「分りました。よろしくお願いします」
『はいはい、あんたも今回はお疲れ様。じゃーね……って、何よ魔理沙』
「? どうしました?」
霊夢の声が一旦遠のいたかな、とさとりが思った後にリノリウムの床を叩く音が響きわたる。
それと同時に背後で聞こえていた喧騒も若干遠くなったかな? とさとりが首をかしげた時、
『あー、私ださとり。最後に一つ言っておくことがあってな』
霧雨魔理沙が、
「なんでしょうか?」
『ありがとさん、助かった』
照れたような声で、そう。
その一言にどれだけの感情が込められているか。心を読まなくても分かる。
勇んで夢に飛び込んできたのにあまり活躍できなかったという羞恥心や自身の力不足を嘆く無力感もある。
だけど再び夢を得たであろうさとりへの祝福や、そしてなにより四者そろって夢を脱出することを選んでくれたであろうさとりへの嘘偽り無い感謝がそこに。
そうだ、感謝の「言葉」とはこれほどに心を満たしてくれるのだ、とさとりは夢幻世界の最後を思い出して、少しだけ目頭を熱くする。
「魔理沙さん」
「ん? なんだ?」
ふと、さとりは思ったのだ。
魔理沙は霊夢が最近はパッとしないと言ったが、それは霊夢が途中で脱落しても良いと考えているからなんじゃないかと。
魔理沙がさとりに後を託したように、仮に自分が倒れても、いつもすぐ横にいる友人が何とかしてくれると、そう信じているからなんじゃないかと。
そう言ってみようかとも思ったが、
「こちらこそありがとうございます。貴女のおかげで、私は夢を取り戻せました」
結局さとりは感謝の言葉のみに留めておいた。それは推測の域を越えないし、それにもしそうなら、それは霊夢の口から語られるべき事だろう。
『う、おお? そ、そうか、そりゃ良かった。じゃあ宴会でな』
ブチッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ。
感謝を向けられることに慣れていないのか、魔理沙は慌てて通話を終了してしまう。
「楽しいことをしましょう、魔理沙さん」
さとりはふっ、と微笑ましげな表情を浮かべて陰陽玉をポケットに滑り込ませた。
そんなさとりの裾を横合いからちょいちょいと引っ張るのは地霊殿の良心、燐である。
「あの、さとり様」『……言っといたほうがいいよね』
「何かしら? あ、宴会当日の料理だけど、まともに料理できるのなんて私と貴女位だし、手伝ってもらえるかしら? 私一人じゃとても手が回らないだろうし」
「……地霊殿で宴会なんて、誰も、来ないかもしれませんよ?」『やっぱり、傷は浅いうちのほうがいいし、中止にしたほうが』
叱責覚悟でそう呟いた燐の視界からさとりの姿が消える。
正面から抱きしめられたのだ、と燐が理解したのは迂闊にもさとり息を吸う音が真横から聞こえているのに気がついた後だった。
「ありがとうお燐、貴女は優しいわね」
「へ? え、いや、そんな」『あ、あたい抱きしめられてるよ! 抱きしめられちゃってるよ!? なんで!? 』
猫である燐に、背中に回されたさとりの両手がとても暖かく感じられるのはなぜなのだろう?
「でもいいの、誰も来ないなら来なくても。私達の現状はそうなんだ、って認識できる。それだけでも意味があるわ」
今の自分達は何処にいるのか。どのように見られていて、どのように思われているのか。
いつまでも目をそらしていては正しい一歩を踏み出せない。現状を正視できなければ克己は不可能だ。
抱擁を解くと、さとりはふと天井を見上げてふむと呟く。
「ねえお燐。この地霊殿ってちょっと暗いから照明をランプから電球に変えようと思うんだけど、どうかしら?」
「え? うーん……人間を呼ぶとなると、確かにちょっと暗いかもしれないのでいいと思いますが、あれ?」『確か電気製品は故障しても河童が修理に来てくれないだろうからって採用を見送ったんじゃなかったかな……』
間欠泉地下センターがあるこの地底ではお空が現在も絶賛核融合発電中である。だから地霊殿は本来、幻想郷で最もエネルギーに困らない場所なのだ。
で、あるというのに今だ電化製品を配備していないのは、嫌われ者の邸宅であるが故に技術者を招いても来てくれず、修理もままならないだろうという運用面での問題があったからだ。
しかし、
「いいのよ。せっかくお空が頑張ってくれてるのに、それを活用しないのではお空だってやり甲斐が無いでしょう? それに誠意を込めて頭を下げれば河童の一人や二人位は来てくれるわよ、多分」
「『さとり様……』」
暗闇に、暖かな光がともっているかのように燐には感じられた。
たぶん、さとりはお空ただ一人のちょっとした幸せのためにちょっとした苦労を背負い込むつもりなのだろうと、そう自然と理解できた。
「何か、あったんですか?」『寝込んでいる間に一体何が……』
歓喜と感謝と遠慮と困惑に首をかしげる燐に、さとりは小さく微笑んでみせる。
「夢を、見たのよ。そして今も夢を見ているの」
「は、はぁ」『抽象的すぎてわけ分らないけど、まぁさとり様が幸せならいいか』
「駄目よ。貴女も幸せじゃないと」
至極あっさりと返されたその言葉に、燐は背筋がぞくりと粟立つのを感じた。
たぶん、さとりは今日この日に生まれ変わったのだ、と直感する。
生まれ変わったさとりを最初に眼にしたのが自分であることが、燐にとってはなんとなく喜ばしい。
「あたいは多分、あたいの周囲のみんなが幸せなら、幸せですよ」『でも優先順位とかあるよなぁ。一番はお空かなぁ。すいませんさとり様』
「謝ることなんて無いわ、素敵じゃないの。じゃあ一緒に少しずつ地霊殿を幸せ溢れる場所に代えていきましょう? まずは……掃除かしらね」
うっすらと埃が積もった棚につつっと指を這わせてみた。夢の中で見た紅魔館とは雲泥の差である。
「言葉にすると格好いいのに、やることは凄く地味ですね」『幸せの第一歩は、掃除かぁ』
「そうね、でも多分そんなものなのよ。……お燐、手を貸してくれそうな子達をロビーに集めてもらえるかしら? 一時間後に全館の清掃を開始します」
『「はい! さとり様!」』
◆ ◆ ◆
「目を覚ましたのね?」
「ええ、おはようございます」
「……おはよう」
薄暗い書庫の中、眠りにつく前のそこには存在していなかったアームチェアに腰掛けたパチュリーは、さとりを視界に納めると読んでいた本をパタンと閉じた。
意図せず自然とパチュリーに第三の眼を向けてしまったさとりだったが、精神障壁とやらが復活したのか『 KEEP OUT 』としか読みとれないようだ。
「そんなに心を読まれるのが嫌なんですか?」
「それは誤解。そもそもこの精神障壁は今回みたいな本からの逆侵を防ぐのが目的なのだから。心が読めなくなるのはあくまでおまけよ」
ま、今回は防ぎきれずに醜態をさらしてしまったけど、とパチュリーは羞恥を口にするが、その表情は澄ましたものだ。はたして、なにを考えているのやら。
だが、これはこれでよいと思える位にはさとりはパチュリーに親近感を抱けるようになっていた。
「かくかくしかじかで一時間後に掃除が始まるのですが、パチュリーさんはいかがいたしますか?」
「放っておいてくれて結構よ? 私はここでずっと本を読んでいるから」
パチュリーがトン、と本を置いた小机も見覚えが無い。どうやら地霊殿の書庫は完全に知識の魔女に占領されてしまったようだった。
額に手をやりつつ辺りを見回すが、そこにいるはずだった存在は一向に見当たらない。
「あの、ここに幽霊が一人いませんでしたか?」
「伝言があるわ。『やっぱさとりの心象が悪くなってもあれだからズルせずに裁きを受けてくる』って」
「そうですか……ではもうあの子は逝ってしまったんですね」
なんとなくそうなるかもしれない、とさとりも思っていたのだ。少女は真っ直ぐで素直な子であったから。
最後に一目見れなかったのは残念だけど、交わすべき言葉はもう交わし終えた。だからこれでよかったのだ、とさとりは残念を胸に押し込める。
だがそんなさとりを見やって、パチュリーは揶揄するような笑みを浮かべていた。
「四季映姫・ヤマザナドゥの真価が問われる裁きになるわね」
「え?」
「だって今、彼女の手元には浄玻璃の鏡が無いのよ?」
「あ……」
彼女の浄玻璃の鏡は今、魔理沙の手の中である。
だからといって12時間交代制の閻魔は、少なくとも交代の時間まで審判を中止し、その場を離れるわけにはいかないのだ。
「真実を映し出す鏡の無い状態での裁きの結果は、即ち四季映姫の心を映し出す鏡でもある。あの堅物がどんな結果を出すか、楽しみではなくて?」
「そう、そうですね」
四季映姫が、あの少女の夢をかなえてくれればいいと思う。
それはエゴから来る単なる願いであって、正義でもなんでもないけれど。
けど、『こうあって欲しい』と願う意思は法の原点でもあろう。
地獄に落ちるものが一人でも減れば良い、と考える温情ある閻魔の裁きが悪いようになるはずが無い。
そう信じることにしたさとりを見るパチュリーの表情は、人の悪い笑顔に変わっていた。
「ずいぶん生気のある表情をするようになったじゃない。さとりお姉ちゃん?」
「からかわないでください……私はそんなに変わりましたか?」
「ええ、最初に会ったときの貴女はありとあらゆるものがどうでもよさそうな目つきをしていたもの。何が起きても全力スルー。何もまともに取り合わず事を荒立てず、相手に迎合しておけばよい。何であろうと真正面から受け入れる必要なんて無い。そんな感じ。貴女は、現実を見る眼を閉ざしていた……半分ぐらいね」
「そうですか……」
でも、今のさとりは違う。さとりの内側から燃え上がっているこの感情を誰かに伝えたい。
私は誰かの力になりたいのだと、そう願っていることを伝えたい。
愛の伝道師、古明地さとりは今も誰かを救うために手を伸ばしているのだと。
奇麗事を鼻で笑うスカした連中に「じゃあてめードンだけ立派なんでシュか? 所詮は斜に構えて、社会を理解した俺カッコイーっつってるだけじゃないでシュか。シュシュシュ」と牙を剥いて食らい尽くしてやりたいでシュ。
……なんか一個違うのが割り込んできた、とさとりは頭痛を覚えてよろめいた。
夢の世界での出来事は確実にさとりの経験になった――なってしまった――ようだった。
だがまあ、だからこそ。今は心の赴くままに筆を走らせたい、とさとりの内面は今や熱く火照っている。そう、心に思うことのすべてをそのまま本に。
「書きたいな」
「本を?」
「ええ、本を」
「そんな貴女にぴったりのお仕事があるわ。はいこれ」
「えーと、なになに――守矢神社第二次自転車販売促進計画における映像部門の重点強化依頼?」
守矢神社、という印が押された資料を手渡されて、さとりは一気に不安になる。
地下間欠泉センターの件といい、地霊殿でも守矢と言えば地底の入り口を護る勇儀やヤマメら地獄入りカルテットに次ぐトラブルの代名詞である。
「そ、ぶっちゃけて言えば自転車が格好よく見えて、かつ里の子供達の情操教育になる映画の脚本を書いてねってことよ。一作目は私が担当したんだけど……貴女も知ってるでしょう?」
「あ、あれ貴女の脚本だったんですか!? うちのステンドグラス幾らしたと思ってるんですか! 弁償してくださいよ!」
「ああ、クライマックスで主人公が飛び込んで来るところ? 脚本ではあれ、窓硝子をぶち破ってとしか書いてなかったんだけど。だから私は悪くないわね」
さとりは目眩に誘われるがまま小机に手をついた。
その一作目には覚えがあったのだ。確かヤマメがなぜか主人公してた変身ヒーローもの(早苗曰く、変身ヒーローは虫でなくてはいけないらしい)の映画で、なぜか地底の面々で構成されたその映画の撮影場所になぜゆえか許可無く地霊殿が使われ、なぜか中でガチバトルをしてくれちゃったおかげで地霊殿は当然のように壊滅状態に陥ったのである。
「どうせなら派手な場所で撮影しようぜーヘイヘイ!」とか言っているヤマメ、勇儀、キスメや早苗の後ろで呆れ返っているパルスィといった連中の顔がさとりの中に浮かんでは消えていった。
それの、続きを書くのか? と当惑を浮かべたさとりに、諭すように。
「引き受けなさい。子供達に夢と希望と正義を教える高尚なお仕事よ、一応」
「販売促進活動の裏で、ですよね」
「映画が作られる目的がそれでも、物語の主軸は貴女のもの。子供達からファンレターとか来るわよ? 大半が主役宛だけど」
「それは……素敵ですね」
「そう思うわ。引き受ける?」
「ええ、やらせてください。愛の伝道師、古明地さとりが世界に愛を振り撒いてみせましょう」
「よろしく。納期は次の夏だからそんなに急がなくても大丈夫よ」
「分かりました。お任せあれ」
パチュリーに一つ頷くと、改めてさとりは溜め込んだ書庫の本を順に眺めやった。
「もう暴れたりしないみたいですね」
「夢の中で一通り読ませ終わったみたいね。大部分の本がそれで満足したようで妖本からただの本に戻ってるわ。残った妖本は今ここにある奴だけよ。これらは私が貰っていこうと思うけど、異存はあるかしら?」
「いえ、専門家にお任せいたします」
机の上に積み上げられた二十冊程の本に手を置いて問うパチュリーに、首を横に振ってみせる。
さとりには妖本をどう扱っていいかなんて分からない。ならばその道のプロに預けるのが一番であろう。
ただまぁ、これからのことを考えると妖本の保存方法などはきちんと教えてもらっておいたほうがいいかもしれないな、と考えたさとりだったが、ふと
「専門家ついでに一つ教えてください」
「何かしら?」
「なぜ、私が全ての絶望を振り切ることであの物語が終焉を迎えたのですか? それだけがいまいち納得できないでいるのですが」
「あら、何が?」
「だっておかしいじゃないですか。私達が最初二人だけであった時にはストーリーは動かなかった。ならば敵側にも同じことが言えるんじゃないですか?」
そう、さとりの心の闇が一時的に消えたとて当面の敵がいなくなるだけで、つまりストーリーが停滞するだけになるのでは?
再び往く手を阻む何らかの障害が出てくるまで、何も進行しない停止状態になるはずではないのだろうか?
「悪くない推理ね。だけどその正解を私が知っているとでも?」
「知っているでしょう。だってパチュリーさん曖昧なことを口にするのを嫌ってたのに、あの時みんな助かる方法はある、って断言したじゃないですか」
そう推測した内容を口にしたさとりの顔を一回覗き込み、然る後にパチュリーはパチパチと乾いた拍手を送ってみせる。
「お見事! 今の貴女にならば種明かしをしてあげてもいいでしょう。つまりは、こういうことよ」
そう言うとパチュリーは懐から一冊の草紙を取り出した。
その草紙は何度も何度も読み返されていたのだろう。
小口は手垢で汚れていて表紙もまたぼろぼろであるそれは、書物としての役目を十二分以上に果たしてきたことを裏付けている。
「姉より妹のほうが優れている、と思われがちだけど世の中そんなことは無いのよね。レミィはフランより強い意志を持っているし、貴女も妹より強いものね」
パチュリーが懐から取り出したそれ。表紙に『心曲』と記された草紙を目の当たりにしたさとりは絶句した。
それは間違いなくさとり自身の筆跡であったが故に、それが今回の異変を起こした『心曲』の前、それより先に綴ったものであることは疑いない。
「そ、それが、それを……どうして、貴女が? それは灼熱地獄に捨てたはず……」
「歴史の闇に葬られそうになっている本を収集する魔法すらある、と私は言ったはずだけど?」
焚書に遭わんとしている本を収集するのもまた、ね。とパチュリーは楽しそうに解説する。
「同じ著者、同じ題名、同じ登場人物で中身が異なる二冊の草紙。さぁ、答えはもう分かったわね」
「結末は、二つ用意されていたんですね……」
「そういうこと。この二冊の草紙は絶えず主導権の取り合いをしていたのよ。三人で絶望に終わる結末と、四人で未来への希望を匂わせたまま終わる結末の間でね」
「貴女はそこまで知っていながら、何もしなかったんですか……ああ、向いてないんですね」
「そういうことよ。知識、というものは満足以外の感情に響かないから私ができることなんて何も無かったのよ。けど魔理沙はよくやったわ。死の今際でも希望を捨てずにギリギリ生き残ってみせたし、透明な無機質さを纏っていた貴女が希望へ至るきっかけになったのもあの子だもの。普段の行いには怒りを覚えるけど、今回ばかりは絶賛せざるを得ないわね」
「ええ、そう思います」
最後までさとりが迷わずに進めたのは、やはり彼女のように生きてみたいと思ったからだろう。
電話口では魔理沙は何も結果を残せないことを悔やんでいたようだが、おそらく彼女は過程によって道を示すタイプなのだ。
基本やる気が無くて、結果で実力を示す霊夢とは対極を行く主役。それが霧雨魔理沙なのか。
そう頷いたさとりに、パチュリーは背筋がむず痒くなるような澄ました笑みを向けてくる。
「さ、物語を締め括るために貴女には最後にしなければならないことが残っているわよ」
「と、言いますと?」
パチュリーは自分が所有していた『心曲』の最後のページを開いて机の上に置く。
「この草紙は私の蔵書の中でもほぼ一番の古株と言っても良い存在でね。わりと気に入っているのよ」
「は、はぁ……」
「子供の頃、病弱だった私は中々ベッドから離れられなくてね。それを哀れんだ両親が与えてくれた大量の本、その中の一冊がこれ。……いつかはこういう風に友人が出来たら、って思いながら何度も何度も読み返したものよ」
もっとも、できた友人は我侭いっぱいで後先考えなくて無鉄砲でどうしようもない鬼だったけど、とパチュリーは肩をすくめる。
「ついでに言えば心理描写が秀逸なこれは姉妹間の心境を指し図る物差しとしても役に立ったしね。おかげでけっこうレミィに感謝される助言ができたわ」
「お、おやくにたったようでなにより……」
「どうしたの? お顔が真っ赤よ?」
やかましい、とさとりは思う。何せそれは文章の練習代わりに心にあるがままを赤裸々に書き出した、そもそも他人に見せることを想定していないさとりの心そのものであるのだ。
妹以外の他人に心を読まれる恥ずかしさを初めて知ったさとりは悶絶しそうな表情を浮かべて縮こまった。
そんなさとりを眺めやって、パチュリーはニヤニヤと人を食ったような笑みを浮かべている。
「そ、それで、やらなくてはいけないこととは?」
「決まってるじゃない。先生、お願いできるかしら?」
「なにおでしようか?」
「無論、ファンへのサインに決まってるでしょう?」
駄目だこりゃ。今の私ではとてもこの人には太刀打ち出来ない、とさとりは心の中で白旗をあげた。
そもそもパチュリーは今回の裏についていつから、そしてどこからどこまで知っていたのだろうか?
魔理沙が夢に入ってきた理由を語った時? それとも最初っから?
いや、その前に少女の霊が宿っていた『心曲』は新旧どっちの『心曲』だったのだろうか?
少女は肝心な点を語らずに逝ってしまい、パチュリーの心は精神障壁とやらで読むことが出来ない。
少女の霊はパチュリーに伝言を頼んだ位だからやはり知り合いだったのか?
それともただ単にさとりが来る前に成仏する必要があったから行きずりのパチュリーに伝言を頼んだだけなのか?
いや、そもそも。
『パチュリー・ノーレッジは此度の異変、本当に巻き込まれただけだったのか?』
……分からない。自分の思考が何処までが正しくて、何処からが妄想なのか。
心が読めないことをさとりはここまで恨めしく思ったことはない。
先ほどまで感じていた親近感が嘘のようだ。もうさとりの頭は真っ白で何も考えられない。
だからさとりはろくに回らない頭で半自動的にパチュリーから手渡された羽ペンで、
四人はこれからも仲良く暮らすのでしょう、と書かれた結末の次の白ページに、
古明地さとり
と震える手で記載するのみ。
そして、パチュリーはと言えば。
その著者名が刻まれた草紙を手に取ってインクを乾かした後、大切そうに胸に掻き抱くと、
「さ、これでこの物語は閉じられた。お会いできて何よりよ。古明地さとり先生」
ふわりと笑って、握手を求めてきた。
……ちきしょう、いいエガオしやがって。
Fin.
□1 想起 - Caina -
□3 想起 - Antenora -
□5 想起 - Ptolomea -
□7 想起 - Judecca -
□9 記銘 - Purgatorio -
□11 記銘 - Paradiso -
魔理沙とさとりの夢冒険 目次
■2 第一章 ~地の底~
■4 第二章 ~迷霧~
■6 第三章 ~きざはし~
■8 第四章 ~星月夜~
■10 第五章 ~分水嶺~
■12 Last Page ~古明地さとり~
□――― 想起 - Caina- ―――
私達サトリという存在が一箇所に根を張って生きることはひどく稀だ。
その理由は単純明快。己が心中だけは聖域にしておきたいという一点において、妖怪も人間も同じ穴のムジナ。それを犯すサトリなんて居ること自体が目障りなのだろう。
見目麗しきこと花の如しと自認する私達姉妹とてサトリはサトリ。私達を歓迎する土地も者も、在りやしないし居やしない。
第三の眼を服の中に隠して人のふりをしても、加齢で容姿が変化しないから一所に留まることも出来ないし、野山では妖怪達に煙たがられる。
そんなこんなで気づけば生まれ故郷の島国を追われ、大陸の端から端まで流浪してまた生まれ故郷の島国に戻って来てしまっていた私達にはモンゴル民族とて脱帽せざるをえまい。
こいしはそんな長い放浪生活をたいそう楽しんだようであったが、些か不注意で無鉄砲な妹を抱えた私としてはこれは中々にしんどいものがあった。
何せ数え切れないほどの人間を目にしてきたというのに、その心はまるで嫌味か何かのように統一性がない。
優しいかと思えば土壇場で裏切る、下品なことばかり考えているくせに窮地ではあっさりと裏心無しに人を助ける。
人の心は万華鏡、万人に対応できる共通解などというものはありもせず。であるが故に姉として、見た目だけは清楚なご令嬢で通る妹の安全確保に躍起になっていた私には、何時とて気が抜ける瞬間が存在しなくて。
故に生まれ故郷に戻ってきた時には私はもう、正直完全に疲れ果ててしまっていた。
だから正直で知られる閻魔と鬼が支配する地底で静かに暮らそうと提案したところ、こいしも私を顧みてくれたのかあっさりと了承してくれた。
ただそうなると自給自足が難しい地底では何らかの手段で自らの安全と職を得る必要があるのだけど、これに関しては意外なところから救いの手が差し伸べられたのだ。
大陸横断というぶっ飛んだ経歴と衣装(そう、そのときはまだ大陸の服を着用していたのだ)が目を引いたのだろう。
十王の一人である都市王の目に留まった私は、サトリにしては珍しく下っ端ながらも官職にありつくことが出来たのである。
そうやって地底生活を続けて早数十年。人の世で言えば江戸幕府とやらが開かれた頃。
気分転換のために地上へ赴いた先で目にした桜の杜。幻想郷の東端にしてこの一帯すべての気脈が集中する地、博麗神社の境内にて。
私は、彼女達と出会ったのだ。
「来たければ勝手にどうぞ。別に神社を訪れる妖怪なんてあんた以外にもいっぱいいるし、暴れなければ文句は無いわよ」『いまさらサトリの一匹や二匹増えたところで無人神社の汚名はそそげないしねぇ、はぁ……』
白衣に緋袴という出で立ちに黒髪を赤い元結で結わえた少女は博麗の巫女。
立ち並ぶ桜の美しさに目を奪われ、「時には神社を訪ねても構わないか?」 なんて己の種族も忘れて訪ねた私に対して、その少女は一切の迷い無くそう返してきて。
その答えを聞いたときに、胸中に暖かいものが広がったのを今でも覚えている。
嫌われ者のサトリとて、この巫女の前では唯の『妖怪』という枠に分類されるだけなのだろう。
いや、そもそも人間と妖怪の区別すら曖昧であるようにも見える。
だから大物なのか蒙昧なのかは分からないけど、この巫女が異常に強い存在であるということだけは理解できた。
そう、それはまるで闇夜を照らす満月のように。
故に妖怪である私はこのように惹かれてしまったのだろうか。
『「なにじろじろ見てるのよ。気持ち悪いわね」、目ン玉潰すわよ?』
「いえ、なんでもないんです」
見事なまでに、裏表の無い少女ですこと。
さあ、地上復帰の第一歩。
……果たしてこの巫女は、私達姉妹にとって最初の友人になってくれるのだろうか?
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■――― 第一章 ~地の底~ ―――
「目を覚ましなさい、さとり。夢の中で夢を見ても仕方が無いでしょう?」
耳朶を叩くつんとした声に夢を中断され、古明地さとりは目を覚ました。
視神経が重役労働を開始して像を結び始めると、目の中に飛び込んできたのはむっとした雰囲気を纏った、全体的に紫色の少女。
それが貴女の一張羅なんでしょうか、と寝ぼけた声で思わず尋ねそうになったさとりは慌てて口を噤んで起き上がった。
「一体、なにが……」
「貴女の名前を答えなさい。私の名前を答えなさい。此処が何処か答えなさい。此処で何をしていたか答えなさい。拒絶は棄却するわ」
「え? ええと、私は古明地さとり。貴女はパチュリー・ノーレッジさん……ですよね。ここは我が地霊殿の書庫で、私は貴方達に請われて貴女達をここに案内していたはず……あれ、射命丸さんは? なぜ私はこんなところで眠って……?」
小声ながらも有無を言わせぬ強い口調で尋ねられた、ごく基本的な質問に答えている間に少しずつさとりの頭も整理され、回転を始める。
事の始まりは陰陽玉からの通話だった。博麗の巫女がお空を懲らしめた後に置いていった、遠隔通話が可能な陰陽玉。
あの時のように地底で何かあった場合に、もしくは地上で不穏な空気があった場合に密に連絡を取れるようにと押し付けられたそれ。
そこから大量のノイズと共に、「今からそっちに向かうからお茶の準備をよろしく」なんて連絡が入ったのがきっかけだった。
普段は乗らないノイズが気にもなったが、それを問う前に通話は切れてしまったし、そもそも傍若無人な巫女である。
それ故に特に気にもせずにお茶の準備を進めていたさとりの前に現れたのは、人間達のふりをしてやってきた魔女と鴉天狗。
戸惑いながらもダージリンと旧地獄饅頭で一応もてなした後、彼女達を地下の書庫まで案内したことまではさとりも記憶している。
だがここで何があったのかを全く思い出すことが出来ず、その先まで思考が行き届かない。
「とりあえず状況に疑問を持てる程度までは意識がクリアになったようね。じゃ、行くわよ」
「行くって、何処にですか? それに射命丸さんは何処へ行ったんですか?」
「……状況把握に行くのよ。ボーディングスクールじゃないんだから聞けば何でも答えが返ってくると思わないで」
書庫の扉を開きつつ、ピシャリと冷たく返してきたパチュリーの声に、さとりは思わずびくりとしてしまう。
博麗の巫女に遠隔通話で「あんたさぁ」と切り出されるときと同じ、相手が不機嫌なのかそうでないのか全く分からないときの反応だ。
と、いうことは?
「心が、読めない?」
「……今更ね。とりあえず貴女の胸元にへばりついているシュ○ゴラスをよく見てみなさいな」
「シュ、シュマちゃん違いまシュよ!?」
あんな蛸と一緒にしないで欲しい、なんて遺憾の意を示しつつさとりが己のサードアイに目を向けると、そこにはほとんど瞼(まぶた)を閉じたうえに結心管が直脳の一本にまで減少した、見るも哀れなサードアイが静かに佇んでいた。
おまけにさとり自身の妖気もずいぶんと減衰しているし、今は宙に浮くことすらままならないようである。
「これは……一体、どうして?」
気づくのが遅いのよ、と地上階へ続く階段を昇る足を止めて、パチュリーはご自慢のジト目をさとりに向ける。
「能力のほとんどが奪われているようね。私も似たようなものよ。今のところ強固さでは随一を誇る金術しか使えないもの。もうすぐ浄化を司る水術も使えるようになるとは思うのだけれど」
「? 能力が奪われている? 誰にですか?」
「何度同じことを言わせれば気がすむのかしら?」
「す……すみません」
この時点でもう二人の力関係は決まってしまったようだった。つっけんどんに返されたさとりは再度萎縮してしまう。
なんでお客にここまで責められなければならないのかと思いつつも、しかし正論を並べ立てられては手も足も出ない。
心が読めさえすればここで相手の思考の穴を付くことも出来るのだが、今やそれが不可能とあっては知識人にさとりが口で及ぶはずも無い。
「それで? 貴女は全く心が読めなくなっているのかしら?」
「どうでしょう……どうにも瞼が上がらないもので。ふん! うぎぎ……っく、この!」
『……バロールみたいに取っ手でもつけておいたほうがいいんじゃないかしらね』
仕方無しにぎりぎりと力ずくで瞼をこじ開け、そのうえでこれでもかとばかりに凝視する。
そこまでしてようやく相手の思考がさとりの脳に流れ込んできた。
「いやさすがに生物なので取っ手はどうかと……」
「ふむ、完全に読めなくなったわけではないようね。ならば安心したわ」『今の私には足手まといを守るだけの余裕も無いしね』
「安心とは?」
「これから何が起こるのかあまり予想も付かないから。かろうじて心が読めるのであれば自分の身は自分で守れるでしょう?」『荒事は回避できれば良いのだけど』
「……あまり戦闘は得意ではないのですが」
『「知らないわ、そんなこと」』
そう言い捨てたパチュリーはさとりに背を向けると、再び階段に足を掛ける。
パチュリーに続いてさとりも階段を昇り、一階の廊下へと戻ったのだが……
「静かだ……」
ルネッサンス期のヴィラを模した、無駄に広い造りである地霊殿の中は今やがらんとしていて生物の気配が全くしない。
いつもは何かしらの鳴き声や心の声が響いている地霊殿廊下の静寂に、さとりは思わず肩を抱いて身震いした。
「誰も、いない?」
「外へ出てみましょう。部屋へ戻って靴に履き替えて来なさい」『ふむ、妖獣達の出番は無し、か』
そういい残し、さとりをその場に残して一人さっさと出口へ向かってしまうパチュリーだったが、さとりは焦る心配はないか、と一つ頷いて自室へと向かう。
その類まれなる思考の機敏さに反してパチュリー・ノーレッジの歩みは驚くほどに遅い。
書庫へ移動するときは風に乗るように移動していた彼女だったが、今は自分の足でゆっくりと歩みを進めるしかないからだ。
――風の魔法を、今は行使出来ないということなのね。
自身も空を飛べないことを思い出したさとりは、一旦自室に戻っていつものスリッパから外出用のブーツへと履き替える。
ゆっくりきっちり靴紐を結び終え玄関に戻り、パチュリーが開け放ったままの巨大なアーチを潜ったさとりは久方ぶりに地霊殿の外へと歩みを進め、そして絶句した。
古明地さとりの目に映ったのはほの暗い闇ではない。世界をやさしく包み込む朱色と、それをもたらす真円の天体だ。
「太陽が……」
地霊殿が存在するは、地底。哀れなあぶれ者達の吹き溜まりである旧地獄。その最奥とも言える場所には決して太陽の光は届かない。
だが今現在確かに地霊殿には空があり、そして沈みかけた太陽がその空と地霊殿を真っ朱に染め上げていた。
「お空の仕業じゃないわよね……まるで」
夢か幻。そう口にしそうになったさとりは己の言葉に引っ掛かりを覚えた。
記憶を探り返してその引っ掛かりの原因を特定したさとりは、驚愕するどころか眉一つ跳ね上げもしない隣人の横顔に視線を向ける。
「ここは夢の中なのでしょうか?」
「同じことを何度も……」
「最初に貴女は夢の中で夢を見ても仕方が無い、と言いましたよね? ……ここは夢の中なのでしょうか?」
気づけばさとりのサードアイは既に瞼を閉じてしまっている。
どうやら数分程度しか開眼を維持できないようで、既にパチュリーの考えていることはさとりには分からない。
しかしそれが逆にお気に召したようだ。ようやく話し合うに足る相手を得た、とでも言うかのようにパチュリーは頷くと小さく息を吸い込んで口を開いた。
「これから話す内容は状況からの推論になる。ほとんどアームチェアディテクティブと変わりないわ。整合は取れているけど、物的証拠はなく、信頼性は薄いわよ」
「構いません」
「多分、私達は夢の中にいる。犯人はあの書庫に潜んでいた妖本で、抜本的原因は貴女」
「……え? わ、私ですか?」
いきなり貴様が悪い、と告げられたさとりは狼狽して息を呑むが、そんなさとりの動揺を無視してパチュリーはさっさと話を進めてしまう。
「私が食客として迎えられている紅魔館には図書館が存在する。さてここで質問。図書館と書庫の明確な違いを挙げてもらえるかしら?」
「ええと、図書館は本の貸し出しをするところで、書庫は本を保管する場所、ですよね」
「そうね。では、本の存在意義とは何かしら?」
「……情報を、残すことでしょうか?」
「違うわ。情報を、時には自分を含む誰かへと伝えることよ」
きっぱりとパチュリーは言い切った。
「本は死蔵されるために存在するのではない。本は秘匿されるために存在するのではない。本は焚書に遭うために存在するのではない。本は、開かれなければならない」
「読まれなけばならない、と」
「そう、紅魔館大図書館が図書館であるのはそのためよ。本が本としての価値を最大限に発揮できる場所、それが図書館であり、そして私の世界」
「……貴女があの黒衣のシーフを憎々しく思うのは本が奪われるからではないのですね」
「そう。あの子は読んだ本をそのまま自分の家に積み上げて放置してしまう。それは死蔵と同じ。また読むかも、と思うなら都度借りにくれば良いものを。死んだら返す、なんてのは唯のものぐさであって言い訳としては最下級ね」
苦々しげな瞳でパチュリーは虚空を睨みつける。おそらくはここにいない誰かさんを視線で呪っているのだろう。
「貴女は、本を大切にしているのですね」
「当然よ。魔法使いにとって書物は何よりも重要なもの。本を経年劣化から保護する魔法や未熟者による破損を防ぐために一定レベル以下の者には読めないようにロックする魔法、果ては歴史の闇に葬られそうになっている本を収集する魔法すらある位なのよ? 魔法使いにとって書物とは、それが魔道書でなかったとしても何よりも失い難い宝であるのだから」
早口でパチュリーは捲し立てる。
だがその熱っぽい口調はさとりの興味深そうな目線を受けるとさっと消え去り、いつもの口調に戻ってしまう。
「話がれたわね。で、後はもう分かるでしょう?」
「……開かれなかった本の逆襲ですか。そう言われると確かに私の責任になってしまいますね」
「ちゃんと自覚なさい。貴女が読み取った人間の感情について記した本というのは、ある意味では妖怪が人間の感情を喰いためるのと同じこと。そんな本が数十冊程度、何の手も打たずにまとめて保存してあれば本棚の一つや二つ位あっという間に妖怪化してしまうのだから……7つある私の精神防壁が6つまで破られた辺りからして、妖怪化した本は少なくとも六百を下らないわよ?」
地霊殿の竣工、そしてさとりへの引渡しから数百年。
その間ずっと地霊殿書庫は殆どが字を読めないが故、本の価値を理解しないペット達に対して開かれることはなかった。
放浪癖のあるこいしには当然見向きもされず、来客もない。だから淡々とさとりが記載した、もしくは蒐集した書物を蔵書として蓄えていくばかり。
――せめてお燐位には開放しておくべきだったかしら?
そんなさとりの反省も今となっては後の祭りだ。
「では、私達は本の中にいるのでしょうか?」
「……メルヘンな物言いだけど、細かい説明をうだうだしても仕方ないしその認識でいいと思うわ」
「成る程、では最後のページを目指せば私達はここから抜け出せるんですね?」
ちょっと感心したように、パチュリーはさとりに頷いてみせる。
「脊髄反射思考もたまには役に立つのね。ええ、私もそう考えているのだけど……肝心のストーリーが分からないのは痛いわね。あそこに蓄えられていた千冊以上に及ぶ本の一体どれに私達が飲み込まれたか、まずはそれを確認してストーリーを進めなければ、いつまで経っても私達はここから抜け出せないわよ?」
「え? ストーリーがもう存在しているんだから、後は待っていればいいんじゃないでしょうか」
ふむ、とパチュリーは僅かに虚を突かれて溜息をついた。
その考えは全くパチュリーの頭の中にはなかったのだ。確かに本の中にいるのだからストーリーには抗いようがない。
待っていれば話の筋など理解していなくても自然とストーリーは進行して自分達はいずれ出口へと向かうかもしれない。それ自体は納得できる理論である。
だが同時にパチュリーは明らかな嫌悪を覚えた。
己の運命を他人に――親友たるレミリアは除くとして――握らせるのは魔女としての矜持が許さなかったし、それに何よりも最初から流されることを念頭に置いたかのようなさとりの発言が苛立たしくもあったからだ。
だからと言ってパチュリーに何か出来るのか、と問われればそれは否だ。
ストーリーを掴むにしてもパチュリーはそれらの本に目を通すことなくここに連れ込まれてしまっている。
持ち主であるさとりとて1000冊以上あった本の中からここがどの本に当たるかを判断するのは容易ではないだろう。
この世界は本の内容を一字一句間違いなく再現した世界ではない。
もしそうであるならばさとりと面識のなかったパチュリー・ノーレッジがこの世界に存在しているはずはないのだから。
だからこの世界は本のあらすじと現状の素材を元にリメイクされたストーリーということになるため、益々持って犯人たる本の特定は難しいだろう。
されど、
――行動するしかない、か。
黙して座するは本を貪る時のみ。知識の魔女にとって無為に任せたまま何もせず時を消費することは全くの無駄である。
先ほどから夕日が空に固定されたまま沈み行かないことを確認したパチュリーは、地霊殿の玄関に腰を下ろして夕日を眺めている少女に視線を投じる。
古明地さとりの表情はどこかうつろで、病弱な己とはまた別の意味で生気を感じさせない透明さがある。そんな印象をパチュリーに与える少女だった。
それが、どこまでも腹立たしい。
「……立ちなさいさとり。ここでボーっとしていても事態は変わらない。先に進むわよ」
「何処へ向かうんですか?」
「何処だっていいわ。移動して、少しでもストーリーを先に進める手がかりを探す。少なくとも私はそうする。貴女はここに残る?」
「ご一緒しましょうか。ここで一人ボーっとしているのもあまり芸がありませんので」
そう言って無造作に立ち上がったさとりはパンパンと軽く尻の埃を叩く。
「……」
「どうしました?」
「貴女……いえ、なんでもないわ、行きましょう。先、立って案内して」
一度さとりの顔を覗き込んだパチュリーは凍えたかのように一度体を震わせると、旧都へと続く道を指差した。
はて、と首をかしげたさとりだったが、結局は黙してパチュリーの前に立ち、先導として歩き出す。
夕日に包まれた、生なき静寂の世界に2つの足跡を刻みながら、二人は地霊殿を後にする。
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□――― 想起 - Antenora - ―――
白黒斑な、星の見えない夜。
空からは音を吸い込むような白雪が星光の代わりに舞い降りてくる。
雪に覆われた幻想郷。その東端に位置する結界の基点。
郷の中を幻とし、外を実とする境界を維持するために妖怪によって建設された、されど妖怪退治をご利益とする神社。
その博麗神社に一人、私は雪とともにふわりと静かに舞い降りて縁側でお茶を啜る人影に頭を下げる。
「お久しぶりです。寒くないんですか?」
「何奴? ってなんださとりか。妹は一緒じゃないの?」『まーどうせ一人でふらふらしてるんでしょうが』
白衣に緋袴という出で立ちに黒髪を紅い元結で結わえた女性。三十路を過ぎて、肌もそろそろ張りと艶を失いつつある女性。
出会った頃は十代前半、私よりも幼かったというのに、あっという間に大人になってしまった彼女。
もうそろそろ二十年近くの付き合いになる、私達姉妹にとって唯一無二の友人。
未だあらゆる妖怪に対して全戦全勝、常勝の二つ名を背負い妖怪退治を生業とする、されど退治にはそれほど積極的でない博麗の巫女。
初めての人間の友人はあっさりと妹不在の理由を言い……いや思い当てる。それくらいには私達と彼女は親しくなっていた。
「ええ、正解です。どうにも落ち着きがない子なので」
「会話をしろ間抜け。自分の能力だけで疏通を成立させるな。読んだ内容に返事するんじゃない」『私はあんたの子飼の動物じゃないんだから』
神社の社務所。その縁側で雪に沈みつつある幻想郷を眺めながら、ずずりと湯飲みを傾けているこの巫女はサトリに対しても容赦がない。
だけどそこに悪意が存在していないことを――心を読むまでもなく――知っているために私は悪びれた風もなく軽く頭を下げて心無い謝罪を口にするのみ。
「すみません。妹は目下一人旅中です。……私、嫌われてるんですかね?」
「よろしい。別にそういうわけじゃないんじゃないの? 誰だって一人になりたい時位あるわよ」『ま、姉妹がいない私にはよく分からないけど』
彼女は孤独な巫女だったと、そう本人から聞いていた。親も兄弟もなく、ただ才能があったが故にこの神社にて唯一人。
博麗の巫女として生活することを望まれて、しかしそれを苦痛に感じることも無いような、つまり色々とまぁ強靭な少女だった。
今はまぁ、怖いおば……オネエサンだけど。
「で、あんた何しに来たの?」『お土産の一つくらい持ってきてくれてもいいのに』
「いえ、ちょっと地底がゴタゴタしていて中々遊びにこられなかったので、まぁ様子見に」
「ふーん、飲む?」『お茶請けが切れてるんだけど』
「いただきます」
人間のようにそうそう風邪をひいたりはしないけれど、寒空の中を飛行してくるのは妖怪と言えども流石に堪える。
そんな私に、彼女は自分が啜っていた湯飲みをん、と差し出してきた。
受け取って温かいお茶を一口流し込むと、それだけで体があったまるような気がする。
そして、心も。
妹以外の存在とお茶をする機会など全くない私にとっては、このぬくもりに浸れる時間は何よりも得難い至宝の時でもある。
懐から笹に包まれた団子を取り出して、私と彼女の間にある盆の上に置く。
「食べますか?」
「あるならさっさと出しなさいよ。いただきます」『む、冷えてて固い』
「お茶が出てこなければ出さないつもりでした」
『「この卑怯者が」』
彼女と顔を見合わせて笑う。
改めて二人分のお茶を淹れなおし、団子を暖かいお茶で流し込んで。
私もほっと一息ついた頃に、
「なんだっけ、あれだ、紫に聞いたんだけど地底ってもう地獄じゃないんだっけ?」『地獄ってホイホイ引っ越せるもんだったのね』
降りしきる雪を眺めつつそう切り出してきた彼女にとっては多分、私が地底に住んでいるからそれに関連するただの茶話を、と。
そんな意図だったりするのだろうが、実は私はその渦中のど真ん中にいたりするわけで。
「ええ、そのために是非曲直庁――ああ、新たに十王が設立した組織なんですけど――の代わりに旧地獄の怨霊の管理をする者として、なんか私に白羽の矢が立ってしまいまして」
「へー、すごいじゃない」『ん? それとも閻魔の奴に厄介事を押し付けられただけなのか? 』
「すごいかどうかは分かりませんが、都市王様――ああ今は皆さん閻魔王を名乗っちゃいましたが――が是非にと仰るので。そんなわけで今後は地底の最奥での生活ですので、中々遊びに来られないかなー、と思いまして」
「そ。ならば神社を訪れる妖怪が一人減って、神社はさらに安全になるわね」『すこし寂しくなるわね』
「そうなりますね」
ちょっとばつが悪そうな顔で笑う彼女に、私もまたちょっと複雑な笑みを返す。
望まれることは嬉しいが、こうして友人と過ごす時間が減ってしまうのはちょっと悲しい。
でも是非曲直庁の依頼を受け入れれば、嫌われ者のサトリとて地底の要職の一人だ。
私も、そして何より妹が、たった一人の家族が――有形無形の悪意が消え去ることはなくても――迫害を受けることは殆ど無くなるはず。
何処に行っても、地獄ですらも嫌われるサトリには安全確保が急務であるのだから、おそらくは上司からの温情でもあるその打診を断る理由は何一つ無いだろう。
っと、ふと社務所の奥からガタリと物音が聞こえ、それによって思考の海に沈んでいた私の心が現実に引き戻される。
誰か、いる? 妖気は……感じないけど。
「あちゃー、起きちゃったか」『ちょっと声が大きかったかしら?』
「迷子の人間でも拾ったのですか?」
「うん、まぁ」『娘というか、弟子というか?』
「娘!?」
驚いた。この妖怪巫女と渾名される博麗の巫女に婿入りする相手がいただなんて!
なんだかんだでやることはちゃんとやっていた友人に向ける目線は嫉妬と、なによりも祝福のそれ。
「お子さんとは! いえそれよりも旦那様がいたんですね! 出来たんですね! キャー!!! 凄い!」
「……凄いの意味を聞かせてもらってもよろしいかしら?」『正直に答えないと潰す』
「いえまさか、鬼をも下す巫女様を嫁に貰うようなアハハ、物好きがいただなんでフフフ、どれだけ被虐思考の持ち主なのかと気になっただけでウェヒヒ」
「夢想封印」『……吹っ飛べ』
三秒後、私は雪の中で大の字に横たわっていた。
正直に答えたのに潰すとは何事かと。ああ、でも正直に答えたら潰さないとは考えてなかったか。
「かあさま。ようかい?」
「いえ、ただの痴れ者よ。ま、怖くない奴だからそんな怯えないで」
痴れ者とは失礼な。
さておき、新たに現れた人影に目を向けると、そこにいたのは3,4歳ばかりの利発そうな顔立ちをした少女。
その子は友人の背後に半ば隠れるようにして、怖々とした表情で周囲を見回している。
うん、あまり造形は彼女とは似ていないような……父親似なのだろうか?
こんばんは、と雪に埋もれたまま挨拶をすると、雪中から突如聞こえてきた声に少女は怯えたように一度体を震わせる。
だがそれでも少女は「こんばんわ」と頭を下げて丁寧に挨拶を返してくれた。
ああ、小さい子供はいいなぁ。癒される。サトリにも偏見なく接してくれるし、やはり子供は神様だなぁ。成長するにつれて人になってしまうけど。
それにしても、ああ。
夢想封印が痛い。妖気も四肢も封印されていて、まともに起き上がることが出来ない。
そんな私を雪の中に放置したまま、我が友はその娘さんを再度寝かしつけるべく社務所の奥へと消えていった。
ひどい話である。
◆ ◆ ◆
「次の巫女なのよ」『紫曰く、ね』
一刻ほど経過した後、雪の中から発掘した私を社務所の縁側に転がした彼女が言うには、そういうことらしい。
つまりまだ彼女は一人身、ということのようだ。まぁ仕方ないとは思う。彼女はあまり人間と妖怪の区別をしないから。
敵になるものは人間だって叩き潰すし、敵意がないなら妖怪だって普通に招き入れる。
その立ち位置を崩さないから、正直人里で暮らす人からの評判はそんなに良くはない。
その一方で凶悪な妖怪はきっちり退治するし、人里に被害をもたらすならば鬼や天狗に対してすら一歩も引かないその態度は賞賛されてもおり。
まぁなんというか、賛否両論の間で揺れ動いているのである。もっとも、肝心の我が友はそんな評判なんてどこ吹く風なのであるけれど。
「ちょっと早くないですか? 貴女まだ十分に現役じゃないですか」
丸太のように転がされ、未だ身動きが取れない私の現状がすべてを物語っている。溜め無し速射でこの威力だ。
これならあと三十年は現役を貫き通せるはずだというのに、何でそんなに急いで後継者を育てなければならないのだろうか?
「紫が言うにはね。巫女を担える才能は稀有だから、あの子を逃したら次にふさわしい子がいつ見つかるか分からないんだってさ」
『紫の奴、どっから後継者なんて……いや、そもそも私はどこの子なんだろう? まぁどうでもいいんだけど』
いいのか。
「だから、育てられる者は育てておこうってことですか」
「そうみたい。ま、素直な子だし。預かるのは別にやぶさかでもないしね」『多分、あの子は私より弱いだろうけど』
「そうですか。まぁ確かに貴女に不満がないならば誰かが損する話でもないですしね」
「そういうこと。……だからさ、あの子が望んだらあんたもこいしもあの子の友人になってあげて」『どうやら前の巫女が健在のうちは玄も眼を覚まさないみたいだし』
成る程、彼女は一体誰に育てられたのかちょっと気になっていたのだけど、どうやら彼女の心中に一瞬浮かんだ亀の妖怪が彼女の育ての親であるようだ。
妖怪なんかに育てられたから、彼女はこんな性格になってしまったんじゃないかとつい邪推してしまう。
だから、彼女の提案は悩みものだ。友人が増えるのは私も嬉しいし、こいしも喜ぶだろうとは思う。
でもやはり、人は人に育てられたほうが良いとも思うのである。目の前に酷い前例がいることだし。
「だから、あの子が望んだら、よ」『悪いけどあの子はなるべく人に触れさせようと思ってるから』
私の表情を視線で一撫でしただけで、あっさりとこの友人は私の考えていることを看過する。
これではどっちがサトリだかわかりゃしないなぁ。
とはいえ彼女がわりと真剣に少女の未来を考えている以上、友人である私はそれに応えて立派なお姉ちゃんとして振る舞うべきでしょう。
ぎぎぎ、とぎこちない動作で懐から星屑の詰まった瓶を取り出して、
「ええ、望みとあらば、そうしましょう。じゃあこれあの子にあげてください」
手渡すつもりだったのだけど、それはするりと私の未だまともに動かない手から滑り落ちてしまう。
だが流石は現役の巫女。床へと落ちる前にそれをすっと追尾符で華麗に救い上げる。
「金平糖? あら、ありがと」『希少品じゃないの。悪いわね』
「どういたしまして」
丸太のまま私は笑みを友人に返す。
夢想封印の影響で未だ弛緩中の私は顔の筋肉がちゃんと動いていないのか、友人は私の笑顔を見てプッと吹き出した。
ひどい話である。
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■――― 第二章 ~迷霧~ ―――
「ここも、誰も、いないわね」
「そのようですね」
一回の仮眠の後に二人が辿り着いたのは旧地獄の繁華街、鬼の支配する享楽と暴力と歓喜の都にして地底でもっとも華やかな場所、旧都。その玄関先。
玄関先と言っても普段であれば酔っ払いの十や二十がうろついているはずのそこも、今は不気味なほどの静寂に包まれている。
「どこかで再度休憩を取りますか?」
「……そのほうが、良さそうね」
息を切らせている己の体調を気遣うさとりに、若干悔しそうな表情をにじませたパチュリーは渋々といった感じで頷いた。
パチュリーもさとりも自他共に認めるインドア派である。だが身体能力が人間と殆ど変わらない魔法使いと違ってサトリの身体能力は人間のそれよりは上であるらしい。
さとりが特に疲労を感じることも無い一方、病弱体質なパチュリーは息も絶え絶えといった有様である。
「大通りからは離れますが、もう少し進んだ先に『鬼岩』がある広場がありますからそこで休憩にしましょう」
「そこら辺の、民家を、借りれば、いいんじゃないの? どうせ、誰も、いない、んだし」
「……無人だからとて他人の家を勝手に使用するのはすわりが悪いもので」
「誰かに、聞かせて、やりたいわね、その台詞。まぁ、いいわ、案内して」
「ええ、そこならベンチもありますし、普段は何かしら屋台も出ているはずですので、うまくすれば食料も手に入るでしょう」
夢の中で食料って必要なんですかね? と尋ねるさとりに知らないわと答えるパチュリーの興味はそこにはない。
さっきからパチュリーは周囲に視線を彷徨わせるばかり。
二度と訪れることの無いであろう旧都の光景を脳に刻んでおこう、というその知識欲は疲労困憊中であろうと健在のようであった。
そんな風に進んでいるから、
パチュリー達がそこにたどり着くにはさらに一時間程の時を必要とした。
「さ、ここです」
「……遠いわ」
遠くない。見学するのか歩くのか、どっちかに傾注しなかったパチュリーが遅かっただけの話だ。
でんとそびえる大岩をぐるりと囲む広場に設置された小さなベンチの一つに、パチュリーは音も無く沈み込む。
さとりはそんなパチュリーを視界に留めた後に無人の屋台を確認し始めた。
どうやら住人がいないだけで旧都の町並みは完全に再現されているようで、無人の屋台には加工前の食料がいくらか積み重なっている。
その中から加工せずに食べられる物をいくつか見繕って拝借。落ち着かないので一応小銭を各屋台に残しておく。
果物や瓶ジュースを入手したさとりもまた、ベンチに横たわるパチュリーの横に腰を下ろした。
「何か食べますか?」
「……飲み物だけ頂戴」
「どうぞ……あ、すみません、栓抜きが無いみたいです」
我ながら迂闊、とさとりはベンチを立とうとするが、それを横から伸びてきた手が制する。
疑問符を浮かべるさとりをよそにその手がちょいちょいと空中に印を描くと、瞬く間に現れ出でたのは小さな栓抜きだ。
「これ、どうしたんですか?」
「作ったのよ」
「ああ、これが前に言われていた金術ですか。凄い便利ですね」
「こんなので褒められてもね……蓋、開けて」
「はい、よっ、と」
最早瓶の蓋をあける余力も無いのか栓抜きを押し付けてくるパチュリーに苦笑した後、さとりはオレンジジュースの王冠を弾き飛ばす。
宙を舞った王冠が地面にチリンと落下した、
次の瞬間。
〈お賽銭!?〉
「きゃっ!」
「岩が、しゃべった?」
突如、広場の中央に鎮座している大岩から鋭い声が響き渡った。
思わずさとりは悲鳴を上げてしまうが、対するパチュリーは平然としたものだ。もっとも驚く余力すらない程疲弊しているだけなのかもしれないが。
「『鬼岩』ってそういう意味なの?」
「いえまさか。かつて鬼がこれを持ち上げられるようになったら大人の仲間入りっていう風に使っていただけで、喋るなんて……」
ベンチに沈み込んだままのパチュリーを放置して恐る恐るさとりが近づいてみると、はて? なんとなく中から静謐な霊気が漏れているように感じられる。
〈って、なんだ。夢か……で、そこに誰かいるの?〉
「いるわ。霊夢かしら?」
〈よく分かったわね。そっちは誰なの? 声が小さくてよく聞こえないからパチュリーで合ってる?〉
「そりゃ分かるわよ……ええ正解。あとさとりね」
お賽銭! なんて叫ぶ輩なんぞ幻想郷中探したって一人しかいやしない。
ふーん、さとりかと呟く大岩にパチュリーは呆れたというよりも最早哀れみへと変貌した視線を投げかける。
「それにしても石の中にいらっしゃるとは中々斬新ですね」
〈あーこれね、ほんと参ったわ。どうも此処への入り方が正規の方法じゃなかったせいみたい。笑いたきゃ笑ってもいいわよ〉
「 いしのなかにいる を笑える奴なんていないわよ」
「……全くですね」
パチュリーとさとりは思わずお互いの顔を見合わせて怖気に肩を震わせる。
それを嘲笑うなんてとんでもない話である。
〈そうなの? でさ、あんたの魔法でここから出してくれない? あんた魔理沙と違って万能型でしょ?〉
「お褒めの言葉と受け取っておくわね。でも残念、今の私は金術しか使えないのよ。それよりまず外の状況を教えて欲しいのだけど?」
金属製のベンチを魔術で岩の傍へと移動させると、パチュリーは相手の状況を無視して茶飲み話でもするかのように平然と岩と会話をする。
さとりからすれば異様な光景だったが、かつて目にした巫女と魔法使いの挙動を思い出し無理矢理納得することにした。
多分暴力が支配する地底とは異なり、奇行こそが地上を支配しているのだろう、と。
「そ、そうですね。今、外ってどうなっているんですか?」
〈あー、じゃあ私はこのまんまなわけか。まぁいいけどね〉
「いいのか」
〈とりあえず、外の状況だけど……〉
――少女説明中――
〈というわけ。じゃあ、あんた達が犯人じゃなかったんだ〉
「……貴女何も知らないで飛び込んできたのね」
〈まーね〉
威張るな、とパチュリーは自慢のジト目の代わりに大仰に溜息をついてみせる。
霊夢の話から把握できたのは外の被害と射命丸文の現状だけ。たったそれだけである。
まったく、どうして幻想郷の人間達はいつも行き当たりばったりでちゃんとした準備をしようとしないのか。
知性派のパチュリーからすれば、この現状を打破するための情報を何一つ知らぬと豪語する霊夢には溜息の一つもつきたくなるというものだ。
「貴女、とんだ役立たずね」
〈まーねー、返す言葉も無いわ〉
ぴしゃりと容赦なく言い放つパチュリーに若干慌てたさとりだったが、そう断言された霊夢は怒るでもなくその言に首肯してみせる。
浮き足立ったさとりを一瞥したパチュリーはふん、と一つ鼻を鳴らした後にベンチから立ち上がった。
どうやら霊夢の説明を聞いているうちに体力もおおむね回復したようで、その足取りも危なげのないものに戻っている。
「さ、行くわよさとり」
「え? 霊夢さんを放置して行くんですか?」
〈だってあんた達私をここから出す手段が無いんでしょ? だったらそうすべきよ。じゃ、パチュリー。後は任せた〉
「……信頼しているんですね」
〈ん? だってそいつ、読書の邪魔されるのが何より腹立つって奴だし。そういう意味じゃ今回の状況では十分信頼できるでしょ? 信用はしないけど〉
このままじゃろくに本も読めないもんね? と語る岩を「巫女が無能だからよ」とでも言いたげに睨む。
そんなパチュリーを目にしたさとりは意図せずして沈黙してしまう。
だがパチュリーはパチュリーで、もはや霊夢にもさとりにも一瞥をくれることも無くさっさと広場を後にしようとしてしまっていた。
慌てて追いすがるさとりの背中を、霊夢の気軽げな声が叩く。
〈じゃ、任せた。頑張ってねー〉
「ロストしてしまえ。ほらさとり、案内」
さとりにもパチュリーにも、霊夢がにこやかな表情でひらひらと手を振っている姿が幻視できる。
そんな霊夢に一言吐き捨てるパチュリーの前に立つと、さとりは無言の圧力に背押されるように広場を後にした。
◆ ◆ ◆
再び旧都の大通りに戻った二人は、しばしの間お互いの顔を見やって言葉も無く立ち尽くしていた。
「どうなっているんですか?」
「だから、私にも分からないって言っているでしょう?」『ストーリーが進み始めた、ってことかしら?』
気づけば大通りには数多の人妖が行き交っており、そこはまさに繁華街といった様相。
さとり達が広場で休憩をしていた時間は一時間弱。そんな短時間の間に旧都は混雑と喧騒で埋め尽くされていた。
基本的に情報を出し渋るパチュリー対策としてこっそり瞼をこじ開けて問うて視れば、やはりというかパチュリーは内心で一定の解答を出している様子。
成る程、と内心頷きつつ再度大通りを見回してみる。
広場を行き交う者達は様々だ。裕福そうな服装をした年配の者もいれば若い恋人達の姿もある。
子連れの母親やボロをまとった乞食のような者まで千差万別であるのだが……
「なぜ、人間ばかり?」
「確かに、妖怪があまりいないわね」『それに、服装のコーディネートに統一感がみられるし、コーカソイド系が目立つ、と』
確かにさとりが再度周囲を見回して見れば白色人種ばかりが妙に目に付く。モンゴロイドが中心であるのは幻想郷も地底も変わりないはず。
それに付け加えるならば、
「さとり、読める?」『心。さっきから瞼を開けているんでしょう?』
「え? いえ、それがぜんぜん」
「そう」『やはり、心がないのね 』
周囲の喧騒に反して、彼ら通行人の心が一切さとりの第三の眼に映らないのだ。
つまり主要人物じゃないから描写が甘い、ってことなのかなとさとりが首をかしげたところに、
『さて、どうしたものか……』
心の声が一つ、飛び込んできた。
「パチュリーさん、一人だけですが心が読める人がいましたが、どうしましょう?」
「どこ?」『アリスかしら? 』
「アリス? いえ、男性の方です。あちらの白髪の……」
さとりが指差した先。
収まりのない白髪を適当に切りそろえ、幻想郷では珍しい眼鏡を掛けた青年がパチュリーの眼に留まる。
どちらかと言うと女性よりの品を集めた小間物屋を、青年は真剣な面持ちで覗き込んでいるようだった。
「どうしましょうか。接触します?」
「そうね、弱そうだし。話を聞いてみるくらいはいいでしょう」
私達がそれを言いますか、という台詞を飲み込んださとりは黙って先を行くパチュリーの後について青年へと近づく。
さっきからさとりの眼に映っているのは、『いや、しかし』とか『でもなぁ』といった混迷に端を発する単語ばかりだ。
「ちょっとそこの貴方」『む、以外に身長が高い』
「ん? まさか、僕かい?」『おかしいな、少女に声を掛けられる程に人好きのする顔はしてないはずだが』
「軟派ではありませんので、ご心配なく」
先回りして否定したさとりにそうだろうね、とは嘯きつつもその青年の表情は些か複雑なものであった。
「それで、何用だい?」『さて、せっかくだしちょっと聞いてみようか? だが初対面だし変質者扱いされても困るか』
「貴方はそこで何をしているの?」『さて、こいつの配役は?』
「なぜそんなことを気にするんだい?」『こっちの紫はあまり人の話を聞かなそうだな』
「いえ、ずいぶん真剣に女物をそろえた店を覗き込んで悩んでいたようでしたので。こう見えて私はここの権力者なんですよ?」
「……変態でも盗人でもないよ。僕はただの商人で、知り合いの子に送る誕生日プレゼントを決めかねていただけだ」『問答無用で変質者扱いとは酷い話だ』
顔をしかめる青年とは対照的に、さとりはその発言になぜか嬉々として顔を輝かせ始めた。
パチュリーを押しのけて、青年の前に出る。
「恋人さんへのプレゼントですか? どんな方なんですか? どのように知り合ったんですか? 二人の馴れ初めは? 愛してるんですか、愛してるんですね? きゃー!」
「い、いや、知人の娘だ。まだ十にも満たない女の子だよ」『一体何なんだこの子は!?』
『「ロリコン」』
「違う」『無礼なネグリジェだな。いやしかし、スタイルはいい。此方は……可哀想に』
「……いま、値踏みしましたね?」
「ん? 何のことだい?」『鋭いな、気を付けないと。でもこれだけ人の表情仕草に聡いのは行幸か』
ロリコン発言に殊更に顔を歪めてみせた青年だったが、これも縁と考えたのだろう。誠実そうな表情を作りあげる。
「で、自ずからいけしゃあしゃあとプレゼントを要求してきた彼女に僕は何かくれてやらなきゃいけないんだが……こういうのはさっぱりでね。助言を頂けないだろうか?」『さっきのロリコン発言を水に流したんだ、助言ぐらいくれて当然だろうな』
「どんな子なんですか? それが分からないとちょっと。あと貴方とどれ位面識があるのでしょう? 親しさによってもこういうのって変わってきますし」
「……妖怪退治の英雄になるって言って家出した不良娘さ。彼女が物心ついた頃からの付き合いだよ」『兄代わり、になるのだろうか?』
十にも満たない少女が一人暮らしとは、とさとりは呆れたように頭を振った。
一方でパチュリーは一瞬めんどくさそうな表情を浮かべた後、青年を恨めしげにねめつける。
「育て方、間違ったんじゃない?」『こいつが諸悪の根源かしら?』
『「失礼だな、僕が育て方を間違うわけないだろう? 向こうが勝手に育ち方を間違ったんだ」』
(凄い自信ですね……)
(ほんと、兄妹揃って呆れた連中だわ)『諸悪の根源確定ね』
よくもまぁ、一片の疑念を抱くこともなくそう言い切れるものだ、と。
さとりとパチュリーは顔を見合わせて嘆息する。
「なら護身具でも与えてはいかが? 十にも満たぬ少女の一人暮らしとあれば何かと危険でしょうに」『多分、現実ではそうだったんでしょうね』
「それは僕も考えたんだけどね、護身と言うと大概は武器やらなにやらだろう?」『そういうのを与えて前向きに妖怪と向き合われたら……』
「貴方はその子に妖怪退治なんてやめて欲しいんですね」
「理解が早いね、その通りだよ。そういったものを与えて図に乗ったらますます彼女は家に帰らなくなるだろう? 僕がそうやってあの子の背中を後押しして、彼女に何かあったら眼もあてられないじゃないか。彼女はごく普通の女の子なんだ。妖怪退治なんて向いてないし、それに人には身丈にあった夢がある。そうじゃないかい?」『危ないことに首を突っ込むな、っていつも言っているのに……』
青年は若干憔悴したような表情で肩をすくめてみせるが、なぜか先ほどまでの元気を失って急に黙り込んださとりを目にして怪訝そうに眉をひそめた。
数秒、揺蕩った沈黙を切り裂いたのは知識の魔女の溜息だ。
「とりあえず、配慮するのはそこじゃない、と言っておきましょうか」『さとり、会話をいきなり放置しないで頂戴』
「……なぜだい?」『ずいぶんと外見不相応に落ち着いた子だ。このネグリジェも人間じゃないのか? 』
「まず第一に、譲れない夢があるものは決して己の願いを諦めない。それが他者から見てどんなに愚かしく、くだらない願いであろうとも」『望むように生きて、望むように死すでしょう』
「「……」」『やはり、そうなのか……』
沈黙する青年を見て、もはや言葉は不要とパチュリーは判断したが、それでも一応とばかりに問いかける。
「貴方、商人と言ったわね? 貴方は誰かに強硬に反対されたら商人を辞めるの?」『無理でしょう? 香霖堂』
「辞められないね」『まぁ、そうだよな。全く、誰に似たんだか』
「次に、相手に「贈る」ものはそれが言葉だろうと物だろうと、核になるのは貴方の心。贈り物は心、というのは陳腐でありしかし真理である。貴方がその子のことを想い、悩み、願った結果が贈与品になるのであって、贈与品が先にあるわけではないでしょうに」『ま、まず形からというのはいかにも商人らしいけど』
「……夢をへし折って大事に大事に懐に囲い込む、というのも、では「有り」なのですよね?」
急に会話に復帰したさとりを、パチュリーはつまらなそうに一瞥する。
「有りか無しかで言えば「有り」でしょうね。ただ、命を尊重するか夢を尊重するかにもよると思うけど、どちらが過干渉かを考えれば私自身は「無し」と答えるわ」『グレートマザーに興味はないもの』
「自分色に染めたいか、それとも勝手に育っていくのを見ていたいのか。どちらの比重が大きいか、ということだね」『ワイズマンには興味はないな』
「他者は貴女のために生きているのではない。他人の夢をへし折る、と言うのは一種の征服であり、支配でもあるわ」『その認識がきちんとあるなら、それも「有り」でしょう』
「そう、ですか……」
悩むさとりに一瞬心配そうな眼差しを向けた青年だったが、頭を振った後に満足げな表情を浮かべてパチュリーへと軽く頭を下げる。
「うん、そうだな。相談に乗ってくれて感謝するよ」『驚いた。案外優しい子のようだ、このネグリジェは』
「ま、智慧を提供するのが知識人の務めだからね」『やれやれ、久しぶりにまともに仕事をしたような…
思考を共有したかの如く淡い笑顔を交わす二人を、さとりは黙って見つめていた。
第三の眼が閉じてしまったというのにそれすら気づいていない様相で、ぼぅっと思考の海に溺れている。
そんなさとりに視線を向けて息を吐いたパチュリーは再び眼差しを青年へと戻す。
「で、貴方。私達は今、とある異変を解決しようとしているのだけど。何か怪しいものを見なかったかしら?」
「怪しい、か。ならば多分あれだろうな。あっちになぜか一軒だけ洋館があったんだ。怪しさという意味では十分じゃないかな?」
地霊殿とは逆の方向を指差す青年に対し、パチュリーは得心したように頷いた。
「そ、ありがとう。ならば多分そこでしょうね。ほら、行くわよさとり?」
「え!? ええ、そうですね、それでは失礼します」
「お気をつけて……魔理沙をよろしく頼むよ。あれで案外まっすぐで良い子なんだ」
背を向けて歩み出した両者の背中を優しく、暖かい声が叩く。
はっとして二人は振り向いたが、そこにはもはや青年の姿はない。
「何だったのでしょうか……」
「彼の話はこれでおしまい、ということなのでしょうね。さ、とっとと次のページを目指すわよ」
思考の海に溺れる時間はまた今度にしなさい、と呟いてパチュリーはさとりに歩みを促す。
だが請われるがままに先を行きながらも、さとりは自らの足を掴む水魔から自由になれないでいた。
――夢を手折るは太母の腕、望むように生きて、望むように死すでしょう、か。
言いたいことは分かる、でも、それでも。
――それでも、命あっての物種ではないのですか?
◆ ◆ ◆
「いきなり洋館が建ってると違和感バリバリですね」
「地霊殿の主が何言ってるのよ」『あっちのほうが地底では異常でしょうに』
焼屋造の長屋や塗屋造の町屋が立ち並ぶ旧地獄に突如現れた西洋建築。
南蛮漆喰による白壁こそ土蔵造りとそこまで変わらないものの、それ以外は明らかに他の建築物とは一線を画した風貌。
それはまるでこれでもか、とばかりに此処に何かあるぞと二人に誇示しているかのようでもある。
「で、これは?」
「人形師、アリス・マーガトロイドの館よ。アリス? 居るのかしら?」『アリス邸……さて、鬼が出るか蛇が出るか』
コンコンコン、とパチュリーがノックをするが、内側で何かが移動する気配も無い。
だが煙突から黒煙が立ち上っている以上、中に人が居る、と考えるほうがいくら夢の中とはいえ自然であろう。
「居留守ですかね?」
「踏み込むわよ」『瞼を可能な限り開いておきなさい』
鍵のかかっていない扉をガチャリと開け放ったパチュリーは躊躇い無く中に踏み込んでいく。
放置しておくと三分位で閉じてしまう瞼をギリギリと再度こじ開けたさとりが後に続くと、そこでは人形のような少女が一人、脇目も振らずにせっせと等身大の人形を作り続けているところだった。
――不気味の谷、だったかしら?
部屋の至る所には未完成のマネキンのような人形が散乱しており、中途半端に人を模す途中のそれは死体とも違った嫌悪感をさとりに与えてくる。
加えて鬼気迫る様相でそれらを人へと近づけている人形師の表情にさとりは薄ら寒さを覚え、己の右に立つパチュリーの背に隠れるように一歩後退した。
「アリス」『返事をしてくれればいいのだけど』
「何?」『誰?』
言葉のみを返すアリスは振り向くことなく黙々と手を動かしている。
「何をしているの?」『とりあえず会話にはなるか』
「研究しているのよ」『フフ、ついているわね……』
「何を?」『答えるかしら?』
『「心を」』
手を止めたアリスが二人のほうを振り返る。
そこに浮かんでいた表情はさとりにとって……そう、生きのいい死体を入手したばかりのお燐を髣髴とさせるものだった。
『「人の心を探しているの。自律人形作成の第一歩。人形が自律するためには意識と心が必要である、これは間違いない。では意思とは? 心とは何か? 人は人という括りに括られていながらその内面は驚くほどに統一性が無い。ここまで統一性が無いものを一まとめで心とする場合、何をもってして心があると言えるのか? 自ら考える能力があればそこには心が存在しているのか? 思考することをやめて命令に唯々諾々と従うものには心が無いのか? 生命体にしか心が宿らないのか? 心が宿っていることをどうやって証明すればいい? 我思う故に我在ることは間違いないが、我に心があるとどうして言えるのか? 霊には心がある。ならば心を得るに当たって肉体は不要なのか? 否、生前を持たず自然発祥した幽霊は概ね唯一つの感情に縛られている。感情を変えないものを心と読んでよいのか? そもそもそのような霊は自己というものを認識しているのか? 心とは各個別のものであり、ひとつとして同じものはないという。故にコンピュータに心は宿らない。ありとあらゆる同一インプットに対し同一アウトプットを返すものは心ではないと言う。だがひとつとして同じものが無いのであればそれを心と一括りに呼べるものは存在しないはず。ならば心と呼ばれるものの共通フォーマットは間違いなく存在している。観察と創造を繰り返せばいつかはそこに到達するに違いない。然るに! 私は研究する! ありとあらゆる存在を解体し、内側を覗き込んで記録、それらをすべて照らし合わせていけばいつか心の基底にたどり着くはず!」』
「あ、アリス? さん?」
「気の遠くなるような作業ね。そして遠回り」『配役は敵だったか。来るわよ。さとり、迎撃しなさい。私は右、貴女は左。迎撃後即座に入り口から後退。この屋敷から逃げるわよ』
え? とさとりが問う暇すらなくパチュリーは円盤状のノコギリを生成すると、突如ガタリと起き上がった人形にそれを投げつけて両断する。
『何をしているの! 死にたいの? 左! 早く! 』
示唆されて振り向けばさとりの左から外装が未完成の人形が一体、手に持った斧でさとりの頭蓋を狙っているではないか!
「……想起、アリスキック!」
流れるように人形の腹にブーツの靴底を叩き込み、人形が滑り落とした手斧を奪っておく。
先に外へと向かったパチュリーの後を追ってさとりもまた恐怖の館を飛び出し、入り口をバタンと閉じたまではよかった。
だが館の外の光景を理解した途端、さとりの足は凍りついたかのようにピタリと止まってしまう。
「囲まれてる……」
「ふむ。予想が当たっても嬉しくないわね」『ちょっとばかり不利ね』
変わらぬ口調でそう洩らすパチュリーだったが、流石にその目は笑っていない。
先ほど突如町に現れた人影。老若男女問わずのそのすべてが今や何らかの武器を手にアリス邸を囲むようにひしめいているとあっては、流石に一曜の魔女では余裕綽々とはいかないのだろう。
「予想してたんならなんで外に出たんですか!?」
「狭い室内に雪崩込まれるほうが問題でしょう?」『人形だもの。狭所で相対すれば自損すら気にせずに私達を押しつぶしに来るわよ? それよりはましでしょうに』
「それはそうかもしれませんが……これ、捕まったらどうなるんですかね?」
「アリスによる解体ショーは間違いないでしょうね」『その後ちゃんと再構築してくれればいいんだけど』
ああ、とさとりは頭を抱えた。やはり地上は奇行種で溢れている!
「何でいきなり解体なんですか!? おかしいでしょう!?」
「ちょっとスランプに陥った魔法使いなんてみんなあんなものよ」『とりあえず貴女はドアを死守して頂戴』
思考と同時にパチュリーは魔力を開放して淡く輝く金色の魔方陣を形成し、即座に円鋸を連続で射出する。
十体近い人形がその円鋸に体を両断され、擬似体液を吹き出しながら成すすべなく崩れ落ちた。
――詠唱省略で、これですか……。
片手でドアノブを、もう一方で手斧を握り締めたまま、さとりはほぅと溜息をつく。
魔術には明るくないものの、大陸横断という破天荒な経験から分かる。目の前の魔女は間違いなく一流の魔術師だ。
魔力の抽出から魔術の形成までの流れが恐ろしく丁寧かつ迅速で、見ていて惚れ惚れするほど。
一撃で二、三体を軽く粉砕する円鋸を五つ六つと生成していくパチュリーの金術は人形を寄せ付けることなく、一定の距離を保ったままそれらを次々とガラクタへと変えていく。
これならば、
――何とかなる、かな?
だがドンドンと鳴動するドアを押さえつけているさとりがほっと一息ついた、その安堵を嘲笑うかのように。
館の右手に屹立していた三階分はあろうかという高さの塔が突如として崩れ去った。
「……参ったわね」『これはまた金をかけた物を……』
円鋸をそれに向けて一枚投擲し、皮膚表面で弾かれたのを確認したパチュリーが深々と溜息をつく。
それは戦闘のためだけに作られた巨大な構造体。
試作機とは異なる重厚な装甲と双剣を備えし巨躯。
完成されたゴリアテは人形ゆえに感情通わぬ鉄面皮を足元の二人へと向け、一歩、また一歩と大地を揺らして近づいてくる。
「き、金術であれ、操れませんか?」
「装甲は高硬度レイヤードセラミックスで武装はセラミックサーベルのダイヤモンドコーティング。土術じゃないと無理ね」『あの短時間で金術だけしか使えないと見抜いたか。さすがは新進気鋭、テンパッててもいい洞察力してるわ』
「褒めてる場合じゃないですよね!?」
ドアノブを押さえて叫ぶさとりには手の打ちようがない。
手を離したら間違いなく中からアリスがハローと現れてくるのが目に見えている以上、扉から手を離すわけにはいかない。
だが逃げなければゴリアテにやられる。
ああ、そんなことを考えているうちに気付けばゴリアテの間合いの内だ。サーベルを振り上げるゴリアテの影に太陽が隠れ、さとりの周囲は闇へと落ちる。見下ろす視線は、何処までも無感情だ。
「此処で死んだら、外の私達はどうなるんでしょうか……」
「多分一生目を覚まさないのでしょうね」『眠り姫は魔女の役じゃないのにね』
ドンドンと鳴動するドアから手こそ放さないものの、覚悟を決めたさとりが目をつぶろうとした、その瞬間。
天を切り裂くような黄金の箒星が、輝ける光の奔流となってゴリアテに突き刺さった。
「よう、パチュリー・ノーレッジ先輩ともあろうお方が苦戦しているじゃあないか!」
自らを魔弾と化して巨兵を転倒させた後、地上を見下ろして不適に笑う黒い魔女。
揶揄するような笑みを浮かべた若輩をパチュリーは憎々しげに睨みつける。
それが出来るのは背後のドアが既に固く封印されており、前面の人形達は紅い二枚の結界に阻まれて彼女達に近づけないでいるからだ。
続いて結界に群がった人形達に輝く光弾が雨あられと降り注ぎ、それらを余すことなくスクラップへと変えてしまう。
「やれやれ、憂さ晴らしの相手としちゃ人形は最適ね。さ、次はでかいのをぶっ壊すわよ」
紅白の巫女、博麗霊夢はふわりと流れるように霧雨魔理沙の横へと並ぶ。
並ぶ巫女と魔女は起き上がった巨兵を顎で示し、恐怖を微塵も感じさせない獰猛さで微笑み合った。
「じゃ、どっちがやる?」
「お前がやれよ。どうせストレスたまってるんだろ?」
つくづく人を怒らせるのがうまい奴だ、と。
憤慨し、帽子をズリ下げて魔理沙のニヤニヤ笑いを潰した霊夢は光弾を生成してそのまま突撃。双剣を振りかぶるゴリアテを前に防御など不要とばかりに圧し進む。
軽々と霊夢を三枚におろすであろう双剣は、
「魔理沙」
「応よ!」
魚雷に弾かれ軌道をらされ、霊夢を落とせるはずもない。
「さ、ぶっ壊れなさい!」
空振った相手の懐に飛び込み巫女の代名詞。零距離から放たれた夢想封印がゴリアテの表面で次々と爆ぜて世界を白く染め上げる。
……が、
「おいダサいぞ霊夢、効いてないじゃないか!」
ことも無げにゴリアテは小首を一つ傾げた後、未だ残照残る白光の裏で双剣を勢いよく跳ね上げる。
だが霊夢の隙を突いたその一撃も、横合いから霊夢を掻っ攫った魔理沙によって空を切った。
「あちゃー、まるでアリスの面の皮みたいに堅いわね」
改めて無傷のゴリアテを憎々しげに悩めやった後、霊夢はふわりと魔理沙に正対して片手を挙げる。
それはすなわち、
「やっぱ品行方正な私じゃアリスの鉄面皮は引っぺがせないみたい……魔理沙、任せた」
「よく言うぜ」
パシンと手を鳴らし攻補交代。魔理沙は苦笑しつつも霊夢をその場に残してゴリアテから距離を取り、八卦炉に魔力を注ぎ込む。
残された霊夢の役目は時間稼ぎ。その両手にあるのは青く輝く霊力を纏った二つの陰陽玉だ。
「さあいくわよ、第一球!」
叫び声と共に振りかぶった特大陰陽鬼神玉を全力でゴリアテの頭部に叩きつける。グラリ、と揺れた巨体に追い打ちで「続いて第二球!」
たたらを踏んで荷重が片脚に偏った瞬間を狙って、巨躯の膝へ向けてチャージ済みの魔理沙が、
「ストライクだがデッドボールだ! 走ってもいいぞ、走れるならな!!」
箒を構えて綺羅星の巨弾を発射。僅かな時間を置いて逆の膝にももう一発。
ゴキリ、と鈍い音を響かせてゴリアテの膝関節が粉砕されれば、巨躯は最早直立を維持していられず地響きをたてて転倒する。
だが、苦痛のない人形に戦闘放棄はない。動かぬ膝などものともせずに腕のみで目的を果たさんとするが、
「霊夢、選手が錯乱している。腕押さえててくれ!」
「もうやってるわ」
ゴリアテの上腕部で輝くは霊夢の紅い方形結界。いかなる魔力も遮断するそれは容赦なくゴリアテから腕の自由をも奪う。
「ほら、早く処置しなさいよ」
ヒュウと短く口笛一つ。
小瓶を二つスカートから取り出し、無造作に投げ捨てた魔理沙は空へと舞い上がる。
二つの小瓶はあれよと亜空穴に吸い込まれたと思いきや、次の瞬間にはゴリアテの肩付近で炸裂して肩の外殻装甲を吹き飛ばした。
膝と肩、四肢を動かすための関節を損傷したゴリアテを見下ろし、口元を歪めた魔理沙は、
「外すこぉーとぉーの無い恋の魔砲ぅをー!」
魔力を蓄えた八卦炉をゴリアテへと向け、導線を結んで勝利を宣言する!
「そのー胸にー撃ちこんでーっよー、っと!!」
上空から凄まじい勢いで叩きつけられる爆炎が破損した関節からゴリアテ内部に侵入し、駆動系を破壊して火柱を吹き上げる。
肩と膝の関節から黒煙を吹き上げるゴリアテは外見はほとんど無傷、されど四肢の自由を失った今や巨大な案山子と大差がない。
勝敗は、驚くほど速やかに決したようだ。
「「いぇーい!」」
白黒の魔女と紅白の巫女が笑顔でバチーンと互いの両手を打ち合わせる様を見つめて、パチュリーは小さく溜息をついた。
「あれだけ息が合ってるのに、どうして彼女達はペアで異変を解決しようとしないのかしら?」
「ライバルだから? ですかね?」
彼女達のことなど殆ど知らず、心も読めない今のさとりには分からない。
だが、なぜかいきなり互いの頬をつねり始めた人間達の表情は、さとりにはなんだかとても素晴らしいものであるように思えた。
そう、思えたのだ。
◆ ◆ ◆
「で、どういうつもりなのかしら、アリス?」
「どういうつもりも何も、私は心のアーキタイプが欲しかっただけよ」
パチュリーの問いかけに、まるで愚問とばかりに平然とアリスは前髪をかき上げて応える。
操れる人形はすべて粉砕され、四方をパチュリー達に囲まれているというのに都会派魔法使いは悪ぶれるそぶりも見せない。
改めて邸宅に踏み込んださとり達に対し、むしろ私が何かしたのかといわんばかりに仁王立ちしたアリスは腕を組んで尊大に周囲を睨みつけてくる。
「人形に心を与えるために?」
「ま、そういうことね。一度心の原型をつかめれば後はとんとん拍子でしょうに。やらない理由が何処にあるというのかしら?」
「それはそうかもしれませんがね」
解体されかかったさとりとしては堪ったものではない。
パチュリーにアリスといい、このままでは他者を顧みない魔法使いという連中に苦手意識を抱いてしまいそうである。
ただ、誰もが張り詰めた空気をまとっている中で霧雨魔理沙だけがいつもの自然体だ。
「でも、ま。お前らしくもない無駄な行為だったな」
「なぜかしら?」
「心ってのは組み上げるもんじゃなくて育むもんだろうが。一体この世の何処に、最初から完成された心を持って生まれてくる奴がいるんだよ? 原型なんてあるはずないだろ?」
「……ならば私には一生自律人形は作れないとでも?」
眉を吊り上げて睨むが、睨まれたほうは動じることもなく、
「さあ? だから育む種を芽生えさせられるかがお前の課題になるんじゃないのか? 宿った心を育てるってのは自律人形の作成とは言わないのか?」
「あら、ちょっと興味があるわね。どちらなの? アリス」
「ふむ……。勿論それもありだけど、私は偶発的に宿った心を私の創造物などと認めたくないのよ。一から作ってナンボでしょうに」
「偶然からヒントを得るってのもありだろ?」
「最初から偶然ありきとは……貴女、それでも魔法使いの端くれなの? いい? そもそも魔法使いというものはね……
と、急にさとりは己の服が横からちょいちょいと引かれていることに気がついた。
振り向くと霊夢がさとりをの袖を引っ張りながらキッチンへと向かっていくところだった。
「っとと、どうしたんですか? 霊夢さん」
引っ張られるがままにバランスを崩しそうになったさとりに、霊夢は肩をすくめてみせる。
「あれ、長くなるわよ。お茶にしましょ。多分紅茶しかないからあんたが淹れて。私はお茶請け探すから」
「勝手に漁っちゃっていいんですか?」
「アリスの家だし問題ないでしょ? じゃああんた、黙ってあいつらの議論聞いてる?」
「……迷惑料ということで、頂いちゃいましょうか」
:
:
「……そうやって、生まれた心は他者との触れ合いの中でのみ成長するんだ。ま、いずれにせよそうやって距離を取って、高みから他者を見ていちゃ心には近づけないだろ?」
「私に、人ごみに入って行けと?」
「そうだ」
「触れ合わなきゃ何も始まらない、と?」
「そうだろ? 温室育ちなんてロクなもんにならんだろ」
「野育ちよりマシでしょう? 魔理沙」
ふっ、とアリスが若干シニカルな微笑みを浮かべたのを目にして。
「結論でたー?」
さとりと二人で計6杯の紅茶と1ホールのケーキを平らげた霊夢は、薄いティーカップをチンと一回爪弾いて椅子から立ち上がった。
さとりもまた、これが現実のお肉に成りませんように、と憂いを湛えた表情で後に続く。
「ああ、引きこもってちゃ心は育たないってお前ら! 何優雅に茶なんか啜ってんだよ! しかもケーキまで!」
「……中々耳に痛い結論をどうも」
さとりにとっては二重に胃が重い二時間であった。
そもそも地底の引きこもりであるさとりには社交性など殆どなく、ごくまれに交わされる会話でもネタなんてものは全て読心から拾っていた。
一方で霊夢は話し好きの紫やトラブルメーカーの魔理沙、ゴシップ好きの文などの相手をすることが多いために相槌を打つのは上手かったが自分から話を振ることは少なく、そんな両者の間にはあまりキャッチボールが成立しなかったのである。
結果、霊夢は特にすることがないから、さとりは沈黙の気まずさを誤魔化すためにひたすらケーキを食べ続ける羽目に相成った、というわけだ。
「じゃ、ま。気分を入れ替えてと。まずはこの状況を何とかしたいんだけど、あんたもちょっと協力してくれない?」
柔らかい表情に戻ったアリスに霊夢が問いかけるが、アリスは微笑んで静かに首を左右に振る。
「ごめんなさい、それは出来ないみたい。私の役目は貴方達の前に立ちふさがることみたいだから、己を取り戻した私はお役御免みたいね」
と。
そう語るアリスの体はいつの間にか半透明になっている。
語ることは許されぬとばかりに消え入りそうになりながらもアリスは最後に言葉を紡ぐ。
「最後に一つだけ助言を。私達は操り人形ではないの。故に配慮は不要、全力でひねり潰しちゃっても問題ないわ」
「あ? そりゃどういうことだ?」
だがもはや答える余力もないのか、ただ幸運を祈るとばかりにアリスは微笑んだ。
そのままアリスはその存在が幻であったかのごとくその場から掻き消えてしまった。
まったく迷惑な奴だわ、と霊夢が苛立たしげにトントンと爪先で床を叩く。
「でも一件落着か。ま、一応お疲れ様。パチュリー」
「ああ、遺憾ではあるけれど今回アリスの意にそった見解を導き出すのに貢献したのは魔理沙のようね」
ほう、と霊夢は僅かに感嘆を口にする。
「ふーん。あんたもやるときはやるんじゃない」
「ま、私は外でアリスに教わったことを伝えただけではあるがな」
えへんと胸を張る魔理沙を目にして、さとりは余計なことは言わなければいいのに、と思うのである。
実際霊夢の表情からまるで潮が引くように感心の色が薄れていくさまは、ある意味見事ですらあった。
「自分自身の言葉ならそりゃ納得するか。にしてもあんた説得の言葉すら他人の受け売りとはね。ちょっとだけ感心した私が馬鹿だったわ」
「パクり魔法使いここに極まれりね」
「うるせぇよ! ヒーロー扱いしろとまでは言わないけど、丸く収めたんだから少し位は賞賛するだろ普通!?」
だが霊夢とパチュリーが魔理沙を見る目は今や、おもちゃを見つけた子供のそれだ。
「「自分でヒーローとか言っちゃって、可愛いわね」」
「魔理沙さんって弄られキャラだったんですね」
「その認識は違うからな!? 私は主役、そう主人公だ! そうだろ? そうだって言ってくれよ!」
いじられ体質な主人公だっているわよ、と霊夢は相手にしない。
誰だって自分の物語の中では主人公よ、とパチュリーは相手にしない。
頑張って、しかも結果を出しているのにこの扱いならやはり脇役なんだろう、とさとりは哀れみの目線を魔理沙に向ける。
「ちくしょうお前ら、今に覚えてろ……」
「はいはい、覚えとくわよ。しかし遅かったじゃない魔理沙。あんた何ぐずぐずしてたのよ? こっちは体が痛むったらありゃしないってのに」
「しゃーないだろ。あのバカ月姉妹が領域侵犯だとかネチネチと因縁つけてこなけりゃもうちょっと早くこれたんだ。にしてもお前の体が痛むのは私のせいじゃないだろ? 自分で罠張っといて石の中とかマジありえないって!」
反撃、とばかりに魔理沙が霊夢の失態を嘲笑う様に、さとりとパチュリーは恐怖と、若干の寂寥を覚える。
「いしのなか を笑えるのか……若いっていいわね」
「本当ですね」
思い出し笑う魔理沙にも、笑う魔理沙の唇をむにっと指で無理やり塞いだ霊夢にも、顔を見合わせて震える年長者達が抱く恐怖は理解できないだろう。
「で、これからだけど。どう思う? パチュリー」
自分で思考することを明らかに放棄している霊夢に一度ジト目を向けた後、パチュリーは探るような視線を魔理沙に注ぐ。
「「次」に行くしかないんでしょうね。で、魔理沙。貴女何か追加情報を持ってきてはいないの?」
「悪いな。私が知っていることもあまり霊夢と大差ない。装備は寝込んじまった奴からかっぱらって来てるんで結構豊富だがな」
「魔法使いの最大の武器は知識でしょうに……そんなんだから貴女いつまで経ってもパクり魔法使いなのよ」
「やかましいよ。霊夢に聞いたぜ? お前今は空も飛べず金術しか使えないくせして偉そうに言ってくれるじゃないか!」
憤慨する魔理沙がパチュリーを羽交い絞めにする。そうされていると胸の張りが強調されて実にエロスだ。
悪かったとばかりに魔理沙の腕をタップして開放されたパチュリーは半ば呆れたように彼女達を見やるさとりの目線に気がつくと、ゴホンと軽く咳払いをした。
「ええとさとり、貴女はアリスから何か読めたかしら?」
「え!? ……すみません。ケーキ食べるのに夢中で、その……」
「おいおい? 今は役に立たないんだなそのクラブ」
「バ、バク○リアン軍違いますよ!」
あんなガニ股と一緒にしないで欲しいというさとりの抗議はBGMにしかならないようで、魔理沙達は「じゃ、次か」なんて言いながらさっさとアリス邸を後にしてしまう。
肩を落としたさとりも続いて館の外に出るが、なぜか先に外に出た三者は心底嫌そうな視線をある一方に注いでいた。
つられるようにさとりもそちらに目線を向ける。
旧都大通りからも目に入る旧地獄の入り口。本来ならば逆さ摩天楼が存在している場所。
今その縦穴の代わりにそこに存在し、地上へ地上へと伸びているのはジグザグとつづら折りになった白い一筋の階段だ。
「石段? でしょうか……」
一人首をかしげたさとりが三人に視線を戻せば、なにやら彼女達は円陣を組んでぼそぼそと相談中である。
なんとなく一人のけ者にされているようでさとりは何とも言えない物寂しさを覚えた……のだが。
「なぁ、次は接近戦になる可能性があると思うんだが、まず人間よりも身体能力が劣る人」
「はい」
パチュリーがすっと手を挙げる。
「次に身体能力が人間並みな人」
「「はい」」
自分自身の問いに対して、魔理沙が、そして霊夢が手を挙げる。
「じゃ、お前な」
そう嘯いた魔理沙は帽子の中から白楼剣と楼観剣を引っ張り出すと、さも当然とばかりにそれをさとりに手渡した。
「なんですか? これは……」
「見りゃ分かるだろ? 白兵戦対策だ。お前の仕事は物理で殴ることに今消去法で決定した」
包囲網が、
「む、無茶言わないでくださいよ! 私戦闘苦手なんですよ!?」
「いえ、さっきのヤクザキックは鮮やかだった。貴女ならできるわ」
じわじわと、
「僧侶一人に魔法使い二人よ? 遊び人でも貴重な打撃戦力でしょうに。ウダウダ言うな」
形成されていたようだ。
「何で私遊び人なんですか!」
「「「だってペットに仕事をすべて任せた自宅警備員でしょ?」でしょう?」だろう?」
有無を言わせぬ三者のインサイダー取引にさとりはもはやなすすべも無い。
遊び人扱いされ双剣を押し付けられた挙句、刀を佩いた姿を三者に口をそろえて「似合わない」と言い切られたさとりは、つまるところ己もまた脇役なのだろうと感じて無性に悲しくなった。
哀愁を帯びた瞳で夕日を見つめるさとりを胡乱な表情で一瞥した後、霊夢は「んーーっ」と軽く伸びをして皆に向き直る。
「どうする? 少し休む?」
「いいえ、このまま向かいましょう。いい加減この沈まぬ夕日も見飽きてきたわ」
「よし、じゃ乗りな。パチュリー、さとり。どうせページ飛ばしはさせて貰えないんだろうし、正面から行くぞ」
箒にまたがった魔理沙達三人と霊夢はふわりと地底の空に舞い上がると、地底の入り口へと向き直った。
そしてこの嫌われ者達の巣窟、再び無人となった華なき華の旧都に別れを告げるかのように、天へと伸びる白石の階段目指して空を行く。
そう、突如地底に姿を現した白玉楼階段。
おそらくはそこで待ち構えているであろう、人の話をろくすっぽ聞かない辻斬り侍を目指して。
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□――― 想起 - Ptolomea - ―――
夏の博麗神社。
春には優雅な桜色の花を付ける、一定の間隔を置いて立ち並ぶ木々も今は緑。
鎮守の森を構成する桜木は濃緑の光沢ある生き生きとした葉々を湛え、流れる風に涼やかに揺れている。
この空気に、雰囲気に触れると私の心はおぼろげながらも郷愁という感情を覚えてしまうようだった。
郷愁――と言っても私は生まれた土地の記憶なんて殆ど……いや全く思い出すことが出来ない。
だと言うのに郷愁なんていう感情が湧き上がってくるのは私の心がここを故郷のように感じているからなのだろうか?
そんなことを考えながら浮遊していると、木々の向こう側に博麗神社社務所が見え隠れし始めた。
そのまま森を飛び越えた私とこいしは博麗神社本殿の裏へすとんと降り立つ。そのままちょっと社務所を覗き込んでみても、中はもぬけの殻。
はて、留守とは珍しいな、と耳を澄ませばなにやら参道のほうからバシャリ、という打ち水の音が。
「こんにちわ、娘巫女さん」
「ああ、こいし……とさとりもか、こんにちわ」『名前覚える気は無いのかなこいつら。まぁいいけど』
いいのか。
本殿前に回ったこいしの声に反応して振り向いたのは、白衣に緋袴という出で立ちに黒髪を白い元結で結わえた少女。
そろそろ裳着も近かろうという位にまで成長した友人の弟子――そして今は私達の二人目の友人である巫女候補――はいきなり柄杓で私達に水をぶっ掛けてきた。
「パリイ!」『またつまらぬものを斬ってしまった……』
ふざけんな。
弟子巫女はぽかんと呆れたような表情を浮かべた後、『何やってんの貴女達』と至極まっとうな思考を浮かべていた。
それはそうだろう。何せこいしが私をホールドしなければ、鈍くさい私だって打ち水くらい簡単に回避できたのだから。
……とはいえ私は立派なお姉ちゃん。濡れ鼠になった位で一々腹を立てたりはしないのであった。
「今日も仲良いわね」『だよね?』
「ええ、勿論仲良し姉妹よ?」『当然よ!』
「今ちょっとヒビが入りましたが」
『「然様か」』
クスクスと笑う弟子巫女を見ているとまぁ濡れ鼠ぐらいどうってこと無いか、って思えてくるから不思議である。
どうせこの初夏の陽気では風邪を引くはずもないし、笑う友人を見ていると私も自然と笑顔がこぼれてくる。
ただまぁ、地霊殿に帰ったらこいしにはお灸をすえねばなるまい。今晩の献立はこいしの嫌いな虫食にしよう。……私自身にも結構クルけど。
「ほ、ほぎー!」『蟻だぁあああーーー!!』
ふふふ、嫌なら料理くらい覚えなさいこいし。覚えてみれば結構楽しいものなんですから。……虫の調理は結構クルけど。
「いいえ、残念ながら断固拒否します!」『こいしちゃんはこれからもただひたすらにお姉ちゃんのお世話になって生きていく所存であります!』
「夢想封印」『声に出せうつけども』
弟子巫女の青筋の浮いたエガオを乗せて、私とこいしに光弾が四つずつ襲い掛かってくる。
結果、三秒後には私とこいしはそろって境内の石畳に横たわっていた。
ほうほうほう、やってくれますね。
よろしい、お望みとあらば声に出してしんぜよう。
「ええとですね、虫料理というのは地底ではわりと重要な栄養源でしてね? 調理法ですがまずは丸々太った蛹を手「夢想封印!!」『聞きたくない!!』
……地に伏した相手に追撃っていうのは御法度だと思うんですよ、私は。
「で、何しに来たの?」『もう立つのか……』
よろよろと立ち上がった私達姉妹に弟子巫女は内心であんまりな舌打ちをする。
どうにもこの子は親代わりの悪いとこばかり受け継いでしまったようで困ったものだ。
『「暇つぶし!」』
「……まぁ、遊びに来ました。旧地獄饅頭、どうぞ」
「毎度ご馳走様。なんか悪いわね」『と言いつつも妖怪の来客が多くて茶菓子に困ってるからありがたく頂く私であった』
この子は物心ついた時から私達の知り合いであるために、心を読む私達のことをそれが当然とばかりに受け入れている。
そのせいもあってか、比較的真っ直ぐで素直な子のままに育ったのはよいことだと思う。
サトリも役に立つことがあるのねー、なんて親巫女が可笑しげに笑ったのはもはや数年前だったか。
「お茶、淹れて来るわ」『飲むわよね?』
「ありがとうございます。あ、これどうぞ」
「あら金平糖じゃない!? さとりお姉ちゃん愛してるわ!」『ふむ、奮発して宇治茶にしちゃおう』
貴重な甘味を懐に仕舞い込んだ少女が軽い足取りで社務所の中へと消えていく。ふむ、実に素直でよろしい。
少女を追って私達もまた社務所前に戻り、並んで縁側に腰を下ろす。
「親巫女がいないわね?」『放浪ついでに此処にもよく寄るんだけど、ほとんど見かけないのよ。お姉ちゃん知ってる?』
「いえ……また妖怪退治かしら?」
こいしが首をかしげて問いかけてくるが、私にも歯切れのよい答えなどできるはずも無い。
自慢じゃないが私は地底の引きこもり。怨霊集めてみぎひだり、が基本の生活を送っているのだからこいしよりも遥かに地上の状況には疎いのである。
唯一つ分かるのは、地獄の整頓に伴って地底も地上もここ十数年変動が激しいということ。それだけだ。
「どうしたのよ、落着き無くきょろきょろしたりして」
「いえ、お母様は一体どちらへ行かれたのかと。妖怪退治でしょうか?」
「ええ。人里へ続く山道に首つり狸が出たとかで。まぁ無事に帰ってくるから心配は要らないわよ」『妖怪退治は……ね』
お盆を手に私達の背後に現れた少女の、含みのある思考に私とこいしは顔を見合わせた。
だがしかし読み取ったことに対しては問いかけないのがこの親子と会話する時の暗黙の了解でもある。
尋ねたくとも尋ねられない。私達がそんな葛藤を抱いたのに少女も気が付いたのだろう。
言葉としてはまとまらない思考を数秒ほど頭の中で渦巻かせた後、少女は私達に湯飲みを手渡すと私の隣へ腰掛け、小さく湯飲みを傾ける。
私達が同様にお茶を啜って一息ついた後、少女は小さく別れを切り出してきた。
「こいし、さとり。貴女達はしばらく地上に上がってこないほうがいいかも」『判断は貴女達に任せるけど』
『「どうしてよ!?」』
「母さん、巫女を辞めることになるかもしれないのよ」『いや、多分そうなると思う』
憤慨するこいしに返されたのは直接の回答ではなく、彼女達の内情と寂しそうな微笑みで。
「……それは、私達が地上に上がらないほうがいい理由と関係あるのでしょうか」
「かなりね」『貴女達には一切罪も責任も無いんだけどね……』
そう語る少女がお茶をすする様はまるで苦い言葉で汚れた口を漱ぐかのようだ。
「最近さ、鬼が妖怪の山における支配を放棄したのよ。知ってる?」『ついでに鬼も随分減ってきたなー』
「ええ、知ってます。けっこう地底に流入してきていますから」
「あ、そうなんだ。でね、鬼が支配しなくなったことで下っ端妖怪の統制がかなり酷いことになってるのよ」『って言うかもう統制とは言えないわね』
『「どういうこと?」』
「ほら、良くも悪くも鬼ってその実力で他者を従えていたじゃない?」『まぁ、分かりやすい支配よね』
彼女は開いた手をぎゅっと握り締めてこいしに拳を作ってみせる。
腕、意外に太いなぁ。思ったよりも筋肉がついているみたいだ。
「けどさ、それを快く思わない妖怪もやっぱりいるわけよ。理由は分かるよね?」『化かすことに特化した妖怪とか』
「……分からない」『お姉ちゃん分かる?』
「分かります」
ふむ、と首肯してみせる。
「鬼は騙すこと、嘘をつくことを許容しない。それを他の妖怪に強要こそしないけど、それを行う者達を低く見ている感があるということですよね」
「そう。化かすことってのはある意味騙すことでもあるからね。でも化かすことに特化した妖怪からすれば鬼の考え方は力あるものの驕りにしか見えないってこと」『まー納得の思考だよね』
違いない。私も今、苦い表情を浮かべていると思う。
「で、鬼がいなくなれば当然そいつらは活気づく。活気づいた妖怪の向かう先は」『……本当、勘弁して欲しいわ』
「人間よね」『そりゃそうよね』
「ですね」
「だから今日も母さんは大忙し、ってわけ」『まぁ、化かすこと専門の妖怪なんて母さんなら秒殺……いや殺さないけど』
「あれ? 巫女を辞めるって話と繋がらないわ?」『忙しいなら辞められないじゃない?』
「……そういうことですか」
「『どういうこと? 』」
純朴な疑問をぶつけてくるこいしに、私は意図せずして表情と心情の二つで不快感を顕わにしてしまった。
こいしに言葉で説明しようとした私の口を、彼女が横から指でむにっと塞ぐ。
そんなことをしたって私の思考はこいしに筒抜けであると言うのに。
それでも、私がせめて棘のある口調をこいしに向けないようにと、配慮して。
「今は予備がいるじゃない。母さんより人里に近くて、母さんよりは人里の意見に従順であろう予備が」
「……」『予備って……』
「里人の感情もね、私には凄くよく分かるのよ。ほら母さん結構妖怪に甘いから。母さんからすればどいつが危険でどいつが安全かちゃんと把握できてるんだろうけどさ、それをきちんと里人に証明しているわけでもないし」『私だって時々疑うからなぁ。まぁこれまで母さんの判断が外れたことはないけど』
「悪であることの証明は一瞬で済みますが、善であること……いや、無害であることを証明することは難しい、と」
「そう。さっきの例えで言えば里人は大半が雑魚妖怪で一部が河童、母さんは鬼なのよ。私は……良くも悪くも天狗位かな」『……母さん、強いもんね』
「……」
語る彼女の心の中には若干……いや多分にとぐろを巻く海蛇が巣食っていた。それに気づいたこいしが私の顔を覗き込んでくるけど、仕方ない、とそれをたしなめる。
そう、それは仕方の無いことだから。同じ立場、同じ職に就こうという者がたった二人。常人ならば比較するのが当たり前で。
そして彼女は母親と違って常人であったから。
「だから里人達はまだ理解ができて、話が通る範疇にある私を巫女に据えたいの。異質な思考を持つ者に生殺与奪の権限を握らせておきたくないのよ」『私が母さんより優秀かどうか、なんてところまで頭が回らないのか。分かってて、それでも弱くてもいいから言うこと聞く奴のほうがいいのか。多分前者なんだろうなぁ』
彼女はまだ子供だった。でも、子供というのは恐ろしいほどに大人をよく観察しているものだ。
彼女の示した解はまるで心を読んだかのごとく正鵠を得ているが故に、私はどんな言葉を返せばいいのか分からなかった。
「ねえ、さとり、こいし……私は巫女の修行を辞めた方がいいのかな」『なまじっか私がいるからこそ、話がこじれていくような気がするんだけど』
「巫女になるのが嫌なの?」『だったらそう言えばいいのに』
「嫌じゃないわ。むしろなりたいわよ」『……そう、母さんみたいな強い巫女に』
サトリに相談を持ちかける以上、嘘やごまかしは無意味。
だから強い母親に嫉妬と、そしてそれよりもはるかに勝る憧れを抱く彼女は素直にそう答える。
「でも分かるでしょう? 鬼という圧倒的な力が消えつつある今の郷に必要なのは強い巫女なのよ」『そう、新たな秩序を作ることが出来るほどの力が、今最も必要とされているモノだって言うのに……』
里の人間ときたら、と彼女は続けたかったのだろうが、彼女は心の中ですらその思考を揉み消した。
多分、人里もこの妖々跋扈する今の状況に相当参っているであろうことが彼女の思考から読み取れる。
誰が悪い、という話ではない。
幻と実の結界が展開されて以降、幻想郷の妖怪は日増しに目に見えて増加しているようだ。里の人間が不安になるのも仕方が無いと思う。
絶対数が増えたが故に、一体一体妖怪を退治している余裕が無くなった里の人間は効率よく妖怪の力をそぐために退治ではなく駆逐を選択した。
それが、その行いを「人間が妖怪と向き合わなくなった」と判断した鬼の減少という事態を招いてしまった。
結果、妖怪の統制は崩れ、人は益々余裕が無くなっていく。
根源は恐怖を払拭したいという人間の心理と、時代の変化と弱者の心理を理解できない鬼の愚直さにあるのかもしれない。
でもそれを責めたら何が解決するのかといえば、やはり何にもならないのである。
だから、
「なりたいのであれば、なっていいのではないでしょうか?」
「本当に、そう思う?」『私みたいな力足らずでも?』
「誰もが結局は己の感情のままに生きているわけですし、貴女がそうしてはいけない理由は無いでしょう。それに多分、山は天狗がけりをつけます。元々天狗は相手が鬼であろうと膝をつくのが悔しいって位、気位が高い連中ですからね。いずれ山を己達のものにしようと動き出すはず。統制はいずれ復活しますよ」
ただ、鬼の次に位置する天狗は今は動かない。その理由は心を読まなくとも理解できる。
天狗は致命的な事件が起きるのを待っているのだ。それを待って、いざ事件が起きればそれを鮮やかに解決する、もしくは解決したかのように振舞う。
そうやって、天狗こそが妖怪の山を継ぐ存在である、と内外に知らしめたいのだ。
客観的に見ればその天狗の行動は正しい、と私も思う。
だらだらと頂点不在で下らぬ抗争を生むよりも、それが恣意的であれ頂点を決めてしまったほうが良い。
そしてその交代劇は、劇的であればあるほど強い求心力を生む。
最小限の犠牲で最大限の効果を挙げることこそ最上。情に流されないその冷徹さは天晴れと賞賛してあまりある。
おそらくは鷹揚な鬼が山を統治するよりも、天狗が統治したほうがはるかに山は組織として安定するだろう。
もっとも心に依るサトリたる私にとっては、そのあまりにも人間じみた行いは妖怪と言うよりも人の暗部を見ているようで好ましくないのだけど。
だがそれでも、その行いによって幻想郷はそう遠くない未来に平穏を取り戻す。
まぁそんな駆け引きに比べれば少女の悩みは実に受け入れやすいと言うものだ。
それに少女は自分自身を力足らず、と評価しているが、実際は彼女の目標――すなわち現役の巫女――が異常なだけで少女自身は他の退治屋と比較しても十分に強い。
そもそもそれぐらいの実力を秘めていなければ巫女候補として抜擢されないはずなのだから。
背中を押されたためか、少女は若干晴れやかになったように『ちょっとすっきりしたわ』と私達に笑顔を向けてくれる。
気恥ずかしくなった私は、故意に話題を主軸へと返した。
「地上は荒れているんですね」
「そう、多分今が時代の変換期なのよ。新たな秩序が出来上がるまで、郷は大いに荒れると思う」『紫もいろいろ手は尽くしているんだろうけど、あいつも基本妖怪だしね』
人里はこっちで何とかしなきゃかぁ、と少女は疲れたように溜息をついた。
やーお疲れ様、と他人事のように足をぷらぷらさせながら肩をすくめて答えたこいしは、三秒後には放物線を描いた後に大地と接吻していた。
うん、仲いいなぁ。
「で、貴女達の話に戻るけどさ、今は妖怪だってだけで人間に狙われるってことなのよ。秩序が回復されるまでは地底でやり過ごすほうが賢明でしょう?」『貴女達は言葉と心、二重の非難を受ける羽目になるわけだしさ』
「悲しいですが、そうかもしれませんね」
「言ってることは理解したけど、自分の責任でないことに縛られるって腹立つわ!」『ま、理不尽なんて今更なんだけど』
そう、私もこいしも大陸を二回も横断するくらいだから理不尽なんて腐るほど目にしてきている。
ただ私はある程度理不尽にも目をつぶれるようになったけど、うつ伏せからなんとか仰向けに身体を転がしたこいしには未だそれを許容することが出来ないようだ。
だが私達にとっては理不尽に見えても、本来地底の住人である私達がこのように地上で人間と親しく会話していることのほうが奇跡なのだ。
自分達の幸運を棚に上げて理不尽ばかり指摘するのは子供のやることに違いない。
……そう、数年我慢すればいいだけだ。そうすればこれまで通りの日常が帰ってくる。
「とはいえ、地底に篭っていては手持ち無沙汰になりますね」
「なら草紙でも書いてればいいんじゃない? ほら、この前貴女が話してくれたふぃれんつぇ? だっけ? あれすごい興味があるんだけどさ! 貴女の説明じゃよく分からなかったし、こう、書物にして纏めてくれれば理解しやすいと思うのよ」『ついでに挿絵もよろしく、記憶が色褪せないうちにね』
目を輝かせて無理難題を言ってくる弟子巫女に思わず私は苦笑する。私もこいしも物語なんて書いたことが無いし、ましてや挿絵など言わずもがなである。
しかも絵のほうは自慢じゃないけど猫を描いたら牛車みたいな怪物になりました位の腕前だ。画伯と呼んでいただきたい。
「興味があるなら一緒に行く?」『そのほうが手っ取り早いし』
「そういうわけにもいかないわ。一応私は巫女を継ぐ身だしね。気軽に旅ってわけにもいかないし」『だから血沸き胸躍るような臨場感あふれる資料を作ってよ』
「……前向きに検討いたします」
「それって実行しない奴のその場凌ぎ発言だよね?」『オトナって卑怯ね、さとりお姉ちゃん?』
うぐ、よく分かっていらっしゃる。
「努力は、してみますよ」
「よろしく。私に弟子が出来て、そいつが独り立ちしたら一緒にふぃれんつぇとやらに行きましょう?」『しかし……そのふぃれいんつぇってどこにあるんだろう?』
「約束ね?」『あと三十年くらい先かしら?』
「ええ、約束。だから予習用の資料をよろしくね」
こいしと弟子巫女が顔を見合わせて笑っている。だがこいしの内には本を書くなんて思考は微塵も存在していないわけで。
はぁ、と口から吐息が漏れる。
過保護はよくないと自覚してはいるのだが、どうにも私は妹に甘いようなのだ。だから執筆は自然と立派なお姉ちゃんである私の仕事になるのだろう。
仕方ない、今日から文章を書く練習でも始めよう。
まずは心の赴くままに筆を走らせてみようか。心に思うことのすべてをそのまま本に。
然るにこれを私の『心曲』と名づけよう。
あれ? 私結構乗り気かもしれない?
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■――― 第三章 ~きざはし~ ―――
「さとり! いつまで寝てんだ! いい加減目を覚ましやがれ!」
切羽詰った、悲鳴にも近い叫び声を耳にしたさとりははっとして目を見開いた。
最初に目に飛び込んできたのは表面を荒く削られた白い石段。
一体何が、と眼をこすろうとしたさとりだったが、その己の手が何かを強く握り締め続けていることに気がつく。
なんだろう、とそれに目を向けたさとりは息を呑むと同時に、跳ね起きるように――とはいかずによろよろと立ち上がった。
「避けろ!」
再度響いた魔理沙の叫び声にさとりが慌てて飛び退ると、一秒前にさとりが立ち尽くしていた踊り場の石畳が真っ二つに切り裂かれる。
――そうだ……私は。
ふらつく頭でさとりが周囲を見回すと、5m程離れた場所にて魔理沙が人影に向かって輝く直刀を袈裟に打ち込む姿が目に入った。
その斬撃が空を切った、とさとりが認識した次の瞬間には魔理沙は振り下ろされた双剣をすり上げている。
返す刀が相手の胴を狙うが、その刃は易々と短刀に打ち落とされてしまう。
よろめいた魔理沙が真っ二つにされなかったのはパチュリーが粘性の高い液体で振り下ろされた長刀に水膜を張ったからだ。
二刀剣士、魂魄妖夢はつい、と後方へと飛ぶと腕の一振りでその水膜を長刀から引き剥がす。
距離をとった妖夢を警戒しながら、魔理沙は再度ぎりぎりと第三の眼をこじ開けたさとりの横へと飛び退いてきた。
「無事か?」『ちきしょう、あっさりお寝んねするなよな前線要員!』
「ええ、多分。パチュリーさん水術が復活したんですね。それで、霊夢さんは?」
「パチェの後ろだ。まだ目を覚まさない」『あいつも思いっきしぶん殴られたからな。無事だといいが……』
苦々しげに語る魔理沙の声を耳にして、ようやくさとりは気絶する前の出来事を思い出した。
さとりが正面から、霊夢が背後からの同時攻撃を仕掛けてさとりが妖夢の二刀をいなした、と思った瞬間。
二刀を手放した妖夢が新たに握り締めた短刀の鞘を喉に突き込まれたのだ。
意識を失う直前に目にしたのは、同じように長刀の鞘をこめかみに叩きつけられ、崩れ落ちる霊夢の姿。
どうやら気絶した二人をかばうように今度は魔理沙が白兵戦を挑み、その間にパチュリーが二人を引きずって戦場から遠ざけたようだった。
なにやら擦過傷がそこかしこに刻まれているが、非難よりもあのパチュリーに力仕事をさせた申しわけなさがなんとなく先にたって来る。
「すみません。助かりました魔理沙さん」
「礼はいい。パチェと策を練り直す。無茶言ってすまんが三分、いや二分でいい、あいつを一人で抑えてくれ。出来るか?」『まあ、やってもらうしかないんだが』
「やりましょう。二分ですね?」
驚くほどあっさりとそんな台詞が自分の口から流れ出たことに若干驚きながらも、さとりは魔理沙に頷いてみせる。
「マジでか!? ずいぶんあっさり承諾したな」『結構無茶言ったと思ったんだが』
「やらなきゃ勝てないのでしょう? ならば仕方ありませんよ」
当然でしょう? と普段と変わらぬ視線を返すさとりに魔理沙は一瞬面食らったような表情を浮かべる。
「お前……」『どっちなんだ?』
「何がでしょうか?」
問いかけるさとりに返事はなかった。
後方ではパチュリーに狙いを定めた妖夢が狂ったように撃ち出される円鋸を一つ、また一つと弾き飛ばしてパチュリーににじり寄っている。
それに気づいた魔理沙の思考がそちらに向いてしまったからだ。
「まあいい、とりあえず頼む。二分後にサードアイだけこっち向けてくれ」『死ぬなよ? 頼むからさ』
「今度こそお任せあれ」
下がる魔理沙に一つ微笑むと、さとりは二刀を振りかぶって妖夢へと突撃する。
楼観剣と楼観剣、白楼剣と白楼剣が交錯する。どちらもこの世に一振りしか存在しない魂魄一家に伝わる名刀。
夢幻世界であるが故にそれらは複数存在し、振るい手の意に従って敵を両断せんと鍔迫り合う。
――二刀流は身体への負荷が洒落にならないわね……まぁやるしかないのだけれど!
◆ ◆ ◆
やはりと言うかなんと言うか、階段の踊り場で待ち受けていた妖夢は説得しようにも全く耳を貸そうとはしなかった。
ならば距離をとってドカンとやってしまおうと全員で遠巻きにしようとして、しかしさとり達は妖夢の踏み込みの速さを見誤っていたのである。
一度剣士の間合いに踏み込んでしまったが最後、そこから空も飛べぬ妖怪が離脱することなど夢のまた夢。
パチュリーだけでも妖夢の間合いから逃がそうとして、そして失敗し現状に至る、だ。
霊夢が目を覚まさない以上これ以降の失敗は後が無いし、しかしさとりもさらなる失態を重ねるつもりは無い!
「……貴様!」『こいつ、私の模倣を!』
「あ、やはり、気付き、ますよね」
長刀による上段からの一撃に、さとりもまた己の上段を叩きつける。
脇を狙う短刀に同様に短刀を。
馬鹿の一つ覚えのようにそっくり相手の攻撃を真似て、そのまま返す。そこにさとりの思考はほとんど差し挟まれない。
「死にたく、ないんで、手加減して、下さいね! っと!」
「っつ!!」『卑怯者!!』
相手の思考で以って己の体を直接動かす、サトリの高等技術にして禁忌の技。
妖気と腕力さえ足りれば自身の技倆に依らずあらゆる攻撃を相殺できるが、同時に相手が命を捨てたら自分も命を捨ててしまう一種の自爆技である。
されど必殺に必殺を間髪入れず返すその特性ゆえに一対多の戦闘ではそれが有利に働くから、重傷を負えば後がない妖夢はさとりに全力を振るえないでいる。
――こんな戦法ばかりとっているからますますサトリは嫌われるのよね。
時々足運びに少しだけ修正を加えればよいだけのさとりは、そんなことを思い浮かべて苦笑する。
対する妖夢の表情は猿真似を繰り返すさとりに対して焦れて来ているようで、若干険しいものになっていた。
このまま妖夢の攻撃が焦燥で乱雑になってくれれば言うことはないのだが……
――そうそう上手くいくはずがないか。
足元に目をやったさとりは冷静にそう判断した。
周囲を見回すと先ほどパチュリーが乱射していた円鋸で石階段の一部が削られており、一部の足場がガタついて不安定になっている。
二人の戦場はそんな環境へと移動……いや妖夢によって誘導されているのだ。
同じ攻撃を返されると言うのであれば、同じ攻撃が出来ない環境に状況をもっていけばよいだけのこと。
――私だけ床に足をとられて転ぶ、っていうのが一番可能性が高いかな?
武術の心得がろくに無いさとりでは一度体勢を崩したら立ち上がる暇を与えられず、あっけなく斬り捨てられてしまうだろう。
負けないためにはさとりはどこかで主導権をとらなければならない。
だからそれが当然のように至極あっさりと、さとりは第二の賭けに移行する。
意識をさっくりと切り替えた直後、
「では、参ります!」
「な!?」『猿真似を止めた!?』
逆袈裟に掃われた楼観剣を己の楼観剣で更に跳ね上げて、さとりは相手の懐にもぐりこむ。一瞬だが不意を突かれた妖夢は慌てて飛び退り、白楼剣の横薙ぎを回避した。
追うように一閃。楼観剣を平正眼に突きこんで来るそのさとりの動作も妖夢の思考に沿わない動きだ。
――さあ、後二十秒で二分。伸るか反るか!
白楼剣を投げうって、両手で楼観剣を握り締めたさとりはその長刃を袈裟に打ち込む。
それは妖夢の楼観剣によって阻まれるが、さとりは両腕に全体重を乗せ、少しずつ相手の楼観剣を押し負かして刃の切っ先を妖夢の首筋へ食い込ませるべく力を込める。
競り合いに白楼剣を加え、さとりの楼観剣を交差点で滑らせるようにして後方へ飛び退った妖夢を狙うさとりの返し刃は顎狙い。
下段からの跳ね上がるような切り上げを妖夢もまた両手持ちにシフトした楼観剣で受け流した。
――あと十秒! 持ちこたえられますかね?
今さとりの体を動かしているのも、やはりさとりではない。第三の眼を通して妖夢の心を読み続け、それを元にさとり内で再構築した擬似妖夢だ。
自分自身の中に「相手の人格と思考」を構築してしまうことで、相手の鏡写しだけでなく本来相手が可能なあらゆる動作を模倣できるようにする、サトリの高等技術。
だが鏡写しでなくなったとは言え、やはり相手の技に頼っていることに変わりはない。それに気づかれてしまえば一気に不利になるが、
――あと五秒!
押し切れ! と自身の内に構築した擬似妖夢にさとりは命令を下す。
魂魄妖夢は真面目で一本気な少女だ。脇目も振らずに前進する妖夢は恐ろしいほど強く、逆に動揺している時の妖夢は割と脆い。
その差が顕著に現れているようで、前に出るさとりの上段と退く妖夢の上段とが奏でる鋼の悲鳴をも声援に、迷い無きさとり≒妖夢はさらに突き進む。
打ち込みの勢いを失った楼観剣から手を放し、自身の勢いはそのままに妖夢の腕の下までもぐりこむと妖夢の腹に拳を向けて、
「ぁあああああぁあ!!」
一気に、全体重をそこに乗せてねじ込んだ。
「ぐぅっ!」『でも!』
呻きつつも妖夢はさとりの下腹に右足をかけて押しのけるように蹴り飛ばす。
武器を失い、姿勢を崩したさとりを討つべく妖夢が腰を落として、
『これで!』「終わりだ!!」
叫ぶ。そう、これで!
「ええ、終わりですね! 私達の勝ちです!!」
『目と耳を塞げ、さとり!』
直後にいざ踏み込まん、としていた妖夢へ四方八方から雨あられと金属光沢を放つミサイルの束が打ち込まれる。
それは魔理沙とパチュリーの複合魔術によるマグネシウム酸化物合成マジックミサイル、即ち破壊力をおまけで付けたスタングレネードの嵐。
それらが生み出した凄まじい爆光と爆音は、瞼を閉じて耳を塞いだ状態ですらさとりの網膜を明るく染め上げ、耳朶を叩く。
さとりにばかり気を取られていた、否、全力でさとりの相手をしなければならなかった妖夢には完全な不意打ちであったはず。これならば!
とったか? とさとりは己の内なる擬似妖夢に問いかけるが、されど擬似妖夢は否、とさとりに返す。
だから、
『さとり、トドメよ。私を視なさい』
魔理沙からパチュリーに第三の目線を移した瞬間、擬似妖夢によるエミュレートを破棄したさとりは、
「ウォー! アイ! ニィイイイー!!」
流れるような足運びで爆光の裏にいる妖夢目掛けて突進する!
飛び込んで一歩。両足で地面を踏み締めると同時に突き出した掌底で目を眩ませている妖夢の顎を強かに打つ。
右足を軸に身を捻るようにして二歩。全体重を乗せた肩口からの体当たり。そして、
「三歩!!!」
雄叫びと同時に踏み込んで三歩!
さとりの右拳が唸りを上げて、妖夢の顎を正面から遠慮なく容赦なく躊躇なく、
「必っ殺ぁぁぁぁつ!!!!」
打ち抜いた。
その一撃でようやく動きを止めて崩れ落ちた妖夢を前に、
「勝ったッ!第3章完!」
さとりは勝利の宣言も高らかに右拳を突き上げる!
「いや、確かに三人目だけどね……あとそれ三歩必殺じゃなくって」『何だったかな?確か崩山……』
「いいじゃんか別に何だって! さとり! 手ぇ!」『いよっしゃ勝ったぁああああッッ!!!』
「え? は、はい」
いきなり投げかけられた魔理沙の声にさとりがはっと掲げた右手を開くと、その手に走り寄ってきた魔理沙の掌が勢いよく叩きつけられた。
「いぇーい!」『マジかよこいつ! 本当に単独で妖夢を足止めしやがったぜ!』
「い、いえー?」
ヒリヒリと痛む掌に顔をしかめているさとりの背中がバンバンと遠慮なく叩かれる。
瞼が閉じる寸前に読んだ魔理沙の思考は、心底感心したかのような賞賛の声。
「何だよお前強いじゃないか! 何が戦闘は苦手だよ、嘘つきやがって!」
「確かにね。嘘つきは魔理沙の始まりよ?」
ああ……!
そうだ、勝ったのだ。
ふっ、と。
安堵の息を吐くさとりにとって容赦のない魔理沙の掌は不快なものの、若干胸の奥に熱いものを感じて自然と表情がほころんでくる。
「泥棒にはなりたくないですね……魔理沙さんこそ人間なのによく一人で彼女の足止めを出来ましたね?」
「そうね。言われてみれば二人が気絶してっから貴女、飛躍的に身体能力が向上したように見えたけど?」
そう、さとりが気絶している間はパチュリーのフォローがあったとはいえ、魔理沙が――おそらく神子のものであろう――直剣の一振りで妖夢の足止めを担当していたのだ。
妖夢の実力をまるパクりできたさとりとは違って、魔理沙は己の実力で妖夢の相手をしなければならなかったはずであるが……
「ま、ちょっとしたドーピングって奴さ。でもそうか……うん、こりゃ参ったな」
「何がですか?」
「いや、こっちの話だ、気にするな。それより妖夢が起きるぞ、用心しろ」
はっとしたさとりが振り返ると、そこにはいかなる執念か膝を揺らしながら、なおも立ち上がろうとする妖夢の姿。
その歯を食いしばって立ち上がる形相から妄執めいたものを感じたさとりは、思わず一歩後ずさる。
「もうやめましょう。勝負はついたはずです」
「まだ……まだだ! まだ、私は、やれる!」
「なぜ、そこまで」
問いかけるさとりを見据えるその目は、果たして正気か狂気の沙汰か。
「私は、白玉楼を、幽々子様を守ると誓ったのだ。下らぬ自愛に捉われて命の使いどころを間違えては御祖父様に面目が立たぬ!」
「別にそんなことないだろ。そりゃお前の勘違いだよ」
やれやれこいつも馬鹿モードか、と魔理沙は呆れたようにかぶりを振った。
そんな魔理沙の態度を侮蔑と取ったのだろう、妖夢の表情は今や鬼のそれである。
「それこそそんなことはない! 私は御祖父様に後を任されたのだ! ここを守るのが私の生きる意味であり、存在意義だ! 私は御祖父様に見捨てられたのではない! 託されて、ここにいるのだ!」
「よくもまあ、そんな中身が伴わない台詞を大声で吐き出せるものね」
世界が、凍りついたかのような錯覚。
それをもたらした言葉は、玲瓏とも言えるほどの美しき旋律となって三者の耳の中を木霊した。
妖夢が、そして端で耳をそばだてていたさとりが硬直して絶句する。
「ふうん。自覚しているのね。そう、貴女は所詮西行寺幽々子の足元にも及ばないもの。西行寺幽々子は不死身にして冥界最強。そんな彼女の護衛に価値が有るとしたら、あくまで対外的な体面や体裁を保つ、といった程度の意味合いしかないでしょうね」
知識人の言葉は抜き身の刃にも似た鋭さをもって、一切の手加減なく魂魄妖夢の魂をえぐる。
「逃げてるんでしょう?」
詰問するパチュリーの声色は飴色に艶を帯びて輝いている。
その唇から声が紡がれるたびに、まるで香気が立ち昇っているのではとすら感じるほどに淫蕩だ。
「本当は存在価値なんて、ありもしないのに」
「……ちがう」
耳元で、甘く囁くように、
「自分は白玉楼を守っているのだと、悦に浸って」
「……違う」
筆にたっぷり染み込ませた墨汁を、塗りたくるように、
「何の役にも立たないくせに、お飾りの職に就いて、自分を慰めているのね」
「違う!」
いっそ恍惚を覚えるほどの淫靡さをまとって、
「可哀想に。魂魄妖夢なんていなくても、白玉楼はまわっていくというのにね」
「違う!!」
語られる声が、切り裂かれた。
それが本当に一度敗北し地にまみえ、這い蹲った痩躯から放たれたものであるのか。
走った、と捉えるより空間を飛び越えたと捉えるほうが現実的、なんて錯覚する程の踏み込み。
そこから振るわれる上段の一撃が、それをすら超える速度で魔女に迫る。
だがその神速の斬撃をもってすら、突如出現した厚さ一m以上に及ぶクロム鋼の防御壁を両断するには至らない。
「残念。真正面から来ると分かっているならば、どんなに速くても防ぐのは容易いものよ」
直後に圧倒的な初速を与えられ、投擲されたその金属塊を疲弊した妖夢は回避しえなかった。まるでだるま落としの様に地面と水平に吹き飛ばされる。
相手の力量を把握した上で十分に準備をするだけの時間が与えられるならば、熟達した魔法使いはどんな相手にでも拮抗しうるのだ。
そして、それは。
全身全霊の刃が届かなかったという事実は、どうしようもないほどに明らかな敗北となって妖夢を打ちのめした。
「それでも、私が白玉楼に居ることは、無意味じゃないはずだ……」
膝をつき、黙り込んだ妖夢にかける言葉をさとりは持ちえなかった。
「でも、さ」
オーバーキルを容赦なく叩き込むパチュリーにこいつ怖えぇ、と言わんばかりの視線を向けた魔理沙がポツリと呟いた。
「白玉楼はおまえがいなくてもまわっていくかもしれないけど、幽々子もそうだとは限らないだろ?」
「え?」
「お前は知らんだろうが、お前が意識を失っている時の幽々子はマジ怖かったぞ? お前が目を覚まさなかったら殺すって脅されたからな。私は犯人どころか関係者ですらないってのに」
「幽々子様が……?」
「だからもしお前が死んだりなんかしたらあいつは多分暴走するぞ? 頼むから命を投げ捨てないでくれ、いやほんとマジで」
あの冥王が暁に出撃なんぞしたら地上は地獄絵図だ。
簡単に命を握りつぶされそうになった感覚を思い出して、ぶるりと魔理沙は身震いをした。
「だからさ、白玉楼にはお前は要らないかもしれないが、幽々子にはお前が必要なんじゃないか?」
「でも、私から護衛を、警備を。剣術を除いたら、何も残らない……」
「作庭は?」
まさか、これまで徹底的に己を打ちのめしていた相手からそのような台詞が出てくるとは。
うつむいて震える拳を握り締めていた妖夢が、弾かれたように顔を上げた。
「体育会系ってみんなそう。どうして美術や芸術といった類の物を下に見るのかしらね?」
辻斬りと、弾幕はパワーなんてうそぶく同業にパチュリーはチラリ、と呆れたような視線を送る。
知識の魔女にとって妖夢が武力ばかりを恃み、文化的景観を作り出せる手腕を誇らないという事実は腹立たしいものであったようである。
そう、知識の魔女は怒っているのだ。美的、歴史的、芸術的なものを内包する作庭――すなわち文化的、学問的なそれを誇ろうともしない妖夢に!
唯一四者の中で魔理沙だけがその感情が八つ当たりに近いものである事に気がついていたが、結局沈黙を維持する事を選んだ。
ここは既に言語がモノをいう論戦のフィールド。すなわちパチュリーの独壇場。
君子は、危うきに近づかないものだ。
「白玉楼庭園の出来映えは中々に素晴らしかった、と私は記憶しているのだけど。あなたは何故それを誇りに反論しなかったのかしら?」
「うぐ……」
パチュリー・ノーレッジは容赦しない。
相手が気がついていなかった相手の長所すらも攻撃の手段に変えるその手管はまさしく魔女そのものである。
「主のために作庭するのは貴女にとって全く意味のない無駄な行動? レミィはよく言っているわ。主は配下を守り、配下は主を引き立てねば成らない、ってね。立場的には主が上であっても、その実態は相互補完だと」
「それは、でも、しかし」
「レミィは咲夜と美鈴と小悪魔を配下に選んで手元に置き、彼女達はそれに応えている。貴女はどう? 主の思いに応えている? 一人善がりになってやしないかしら?」
「……耳が、痛いわね」
「自信過剰も過小評価も等しく独り善がりよ。等身大の己を把握するのは難しいものではあるけれど、ね」
過剰も、過少もか、と。
剣士、いや庭師は刃を収めて己の両手に視線を落とした。
「楽しくないんならさ、やめちまえよ」
悩む妖夢に配慮したのか魔理沙は労わるような口調で、しかしきっぱりと言い切った。
「人生ってのは、長いようで短いんだからさ。やりたくないことをやってる時間なんて無いんだ。面目だとか、誓いだとか、主従なんてお前が人生を楽しむ上で枷になるなら捨て去ってもいい、と私は思うんだが……ちょっと無責任か?」
「一人暮らしの小娘らしい無責任な意見ね。間違ってるとは言わないけど」
さっくりとパチュリーに返された魔理沙はうっ、と一瞬喉を詰まらせた。
「むぅ……だがまぁ、そういうことだ。作庭ってのは楽しいのか?」
「……分からない。幽々子様は未だ、私の庭を褒めてくださらない」
魂魄妖夢には、分からない。
「護衛っていうのは楽しいのか?」
「……分からない。お祖父様は刀は抜くべきではないと仰っていたから……」
魂魄妖夢には、分からない。
「じゃあさ、やめちまえよ。冥界なんか捨ててさ、もっと楽しくやろうぜ? そうじゃなきゃ生きてる意味がないじゃんか」
「楽しいかは、分からない。でも……」
「でも?」
一つだけ、確かなことがある。
「でも、私の手で幽々子様に笑顔をもたらせるならば、それは何よりも嬉しいことだと思う……」
「なら笑いなさい。言ったでしょう? 相互補完だと。貴女が笑わなければ、主だって楽しくないわ」
「そう……なんだろうか?」
「そうよ」「そうだろ?」
魔女二人は一瞬の遅滞もなく、即答する。
「そっか……魔理沙とパチュリーは毎日が楽しいの?」
「楽しいね。つまらんはずがないぜ」
「泥棒が入らなければ言うことなしね」
妖夢は笑った。なにせ笑えと言っている本人が。
「そっか。でもパチュリーが笑ってるところを見たことがない」
「代わりに美鈴が笑ってるからいいのよ。適材適所」
「そっか」
深々と、魂魄妖夢は溜息を深呼吸をした。その顔はまるで抜き取られていたパズルの一ピースを見付けたかのようだ。
それにようやく、妖夢の口から二人の、知人の名前が挙がったのである。ならば、と。
「そんなお前が更に楽しくなれることを教えてやろう」
「何? 魔理沙」
「決まってるだろう? 私達のサポート、っておい! 言ってるそばから消えんなよ!」
だが満足そうな笑みを浮かべた妖夢の姿もまた、アリスと同じように半透明になって消えていってしまう。
「消える前に私達を助けてくれてもいいと思うんだがなぁ。そこらへんお前らちょっと薄情じゃないか?」
「悪いわね、それはできないの。だって私は魂魄妖夢本人ではないのだから」
「何だと?」
「健闘を祈ってるわ。外でまた会いましょう」
妖夢の姿が完全に消え去った後、魔理沙は背後の二人を振り返って困ったように肩をすくめた。
「あいつらは偽者なのか? いや、そもそもアリスに妖夢。この配役、一体どうやって決められているんだ?」
「香霖堂もいたわよ?」
「な、何ぃ?」
まさか霖之助が出てくるとは夢にも思わなかった魔理沙は目を瞬かせる。
――私達を殺す気がないのか? いや、そんなはずはない。都合よくあいつらが私達に突っ掛かってくる以上、それは間違いない。この世界は確実に私を殺しに来るはずだが……
なぜ、そこで霖之助が出てくるのかが分からない。
まだ魔理沙がいなかったから? 妖怪二人は死ぬ定めにないから?
だが紫はこの物語の敵は覆しようがない理不尽だと言った。ならば敵対しなければおかしいし、それに理不尽にしては些か手緩くもある。
最初は夢の中のアリスを殺したら、現実のアリスが目を覚まさなくなるのかと魔理沙は思っていたのだ。
なのに当のアリスは全力でやって構わないと言った。説得にも応じた。
問答無用で襲いかかられるのは理不尽だが、その理不尽さは長くは続かない。
――なんか、物凄いちぐはぐさがあるぞ? どうなってんだ、これ?
理不尽一辺倒は勿論ノーサンキューである。
だが、こうも何もかもがあやふやではどのように行動指針を立てればよいかも分からない。
唯一つ魔理沙に推測出来たのは、この物語の配役には眠らせた者達を使用するのがルールであるようだ、ということ位。それ以上は全くだ。
「さとり、お前はどう思う?」
「え? ええと……」
わからなかったら人に聞く。基本中の基本である。
だが問われたさとりとて分かるはずもない。今も立て続けの戦闘でいっぱいいっぱいで、閉じた瞳を開くのすら億劫なくらいなのだ。
普段使わない全身の筋肉を駆使して白兵戦に挑んださとりには三者の会話に耳を傾けるのが精一杯で、殆ど会話に参加するだけの余力もなかったのである。
「配役はともかく、正偽に関しては心を読んだ限りでは偽者には見えませんでしたが……」
「ふむ、どうにもよく分らないわね」
その澄ました声は、魔理沙の警鐘を軽く小突いた。
「おいパチュリー、いいから今考えたことを言ってみな? それともさとりに読ませなきゃだめか?」
「……投影かもしれない、と。そう考えただけよ」
「投影、ですか」
かつて推測を口にした結果、役立たず呼ばわりされたことがあるパチュリーは憎々しげに魔理沙を睨むが、心を読まれるよりかはまし、とばかりに頭に浮かんだ仮説を口にした。
ふむ? と魔理沙が口にしたところで階段の脇から「んーっ」と間の抜けた声が聞こえてくる。
「ん? あれ、妖夢がいない。勝ったんだ、お疲れ様」
「お疲れ様じゃねえよ。役に立たないなお前」
「うっさいわね。そもそも妖夢に接近戦挑むのが間違ってんのよ! あー、まだ頭がガンガンするわ」
目を覚ました霊夢は殴られた場所をしきりにさすっていた。
どうやらこぶになっているようで、そこを触るたびに霊夢は顔をしかめている。
どれどれ? と霊夢の側髪を掻き分けている魔理沙達をチラリと見やったパチュリーは軽く首をひねる。
「ねぇ。ちょっと気になったんだけど、何で貴女『夢想天生』を使わないの? あれ使えば負けはないと思うんだけど」
「「あ」」
「呆れたわね。忘れてただけ?」
パチュリーお得意のジト目を向けられて魔理沙と霊夢は情けない表情で顔を見合わせた。
あれを使えば霊夢は無敵だ。霊夢自身の火力が圧倒的とは言えないために必勝が約束されるわけではないが、無敗は誇ることが出来るはずのそれを使わない道理は無いだろう。
「あー、じゃあ次に敵が出てきたら私があれで倒すわよ。今回寝てた分はそれでチャラ、どう?」
「ま、なんだっていいさ。とりあえず先に進もうか。まだ先は長いんだからさ」
「がっかりな話ね」
いい加減にして欲しいと言わんばかりな暗澹たる表情で、パチュリーは天へと伸びる白玉楼階段をにらみつけた。
本当に、まだまだ先は長いようだ。
◆ ◆ ◆
「その、魔理沙さん」
白玉楼階段をゆっくりと上昇していく最中。
しばらく魔理沙の背後で思案を続けていたさとりだったが、意を決したように魔理沙に問いかける。
「何だ? スリーサイズは秘密だぜ?」
「いえ、そんなものはどうでもいいですが」
どうせ私より下でしょうし、と背後で語るさとりを魔理沙はと後頭部によるヘッドバッドで沈黙させる。
底辺争いは熾烈なのだ。どっちが上かは……多分、当人達だけが知っている。
「で、なんだ?」
「先ほどの戦闘時に、どっちなんだ? って聞いたあれ、何だったんですか?」
「ああ、あれか。あれはもういい」
「は? い、いえ、質問したのはこちらなんですが……」
問いかけをいっそ清々しいほどさっぱりと切り捨てられ、その意図が読めないさとりは僅かに狼狽した。
「先に質問したのはこっちだろ? それを棄却したんだからそれに関する質問も棄却だ。そうだろう?」
「気になるなら眼を開いたらいいじゃない。それで一発解決でしょうに」
魔理沙の前からパチュリーが口を挟んでくる。
冬だからか厚手の衣装を纏った魔理沙にパチュリーがすっぽり隠れてしまうせいで、さとりからはまるで腹話術をしているようにも見える。
心中に軽い微小が翻ったが、しかしあっさりと心を覗けと示唆するパチュリーの言葉そのものは聞き捨てならなかった。
「そうかもしれませんが……やはり心を覗かれるのは嫌なのではありませんか?」
「私は普段なら精神障壁を張れるから構わないけど」
「お前なぁ。……だがまぁ私もあまり構わないがな」
「え? 何でですか?」
「どうせ心の中まで嘘だらけだからでしょう?」
揶揄するように語るパチュリーの首がコキャッとへし折られる。
「霊夢はどうだ? やっぱ心を読まれるのは嫌か?」
「私はあんたと違って裏表なく生きているから別に」
「ああそうかい」
箒の横を浮遊する霊夢にミサイル一つ。笑いながら霊夢はそれをやや硬い動作で回避する。
「なんつーか、まぁあれだ。最初は居心地が悪かったが、よく考えたら非難することでもないしな。だってそれってあれだろ? 鳥が空を飛ぶのは卑怯だとか、魚がえら呼吸できるのは卑怯だって言うようなもんじゃないか」
「……驚きました。達観してるんですね」
この四者の中では魔理沙が一番子供っぽい、という認識をさとりは修正せねばならないようだった。
しかし魔理沙はそうじゃない、と首を振る。
「それとはちょっと違うな。出来ることと、出来ないことについて色々考えた結果だよ。だが読んだ内容すべてをそのまま口にするのはいただけないな」
「あ、それは私も同感。最初喧嘩売ってんのかと思ったわ」
「読めてしまう分には仕方ないけど、それを口にして暴露するのはあまり上品とは言えないわね。なぜ貴女はそんなことをしているの?」
一転して三者に疑問と趣味の悪さを指摘されたさとりは口を噤んでしまった。
それは、だって、仕方がないじゃないか。
「言いたくないのね。ならいいわ。私は貴女と違って事を暴露することに興味はないもの」
「なんか棘があるわよ、あんた」
「……ごめんなさい、謝罪するわ。本が読めない禁断症状みたい」
その回答に霊夢と魔理沙は顔を見合わせて苦笑する。
パチュリー・ノーレッジはいつでもどこでも平常運転だ。
「お前ほんと活字中毒だなぁ。少しぐらい我慢しろよ」
「……嫌なんですよ」
いまさら答えが返ってくると思っていなかった三者はピクリと眉を跳ね上げた。
三人で顔を見合わせた結果、パチュリーが続きを促す。
「何が?」
「嘘を、暴くのがです」
「ってあんた、読んだことをそのまま垂れ流したら暴きまくりじゃないの」
「ですから、そうしていれば嘘をつきたい者は私には近づきませんし」
「いや、そりゃそうかもしれんが……」
そのあまりにも守りにはいったネガティブ思考に魔理沙はうわぁ、と顔をしかめる。
「嘘って必要じゃないですか。子供の落書きだって、上手だねって褒めてあげれば向上心に繋がりますが、下手糞だって事実を突きつければもう絵を描こうともしなくなっちゃうでしょう?」
「ま、確かに。嘘は嘘でもそういう優しい嘘はあってもいいわよねー」
「ああ、そういうこと」
「そういうことか」
「どういうことよ?」
納得したパチュリーと魔理沙に、未だ理解し得ない霊夢が食って掛かる。
「つまり貴女は、その優しい嘘を暴いて欲しい、って乞われるのが何よりも耐え難いのね」
「……そうです。他人のためを思っての嘘を、どうして暴かなくてはいけないのですか? それを暴いたって、人を傷つけるだけなのに」
サトリには、それが嘘であるか本当であるか、判断できてしまうから。
他人のためを思っての嘘を、いとも簡単に消し去って事実を白日にさらしてしまえるから。
一度、本当? って聞かれてしまったら、たとえ拒否したとしてもそれを拒絶すること自体が一つの回答になってしまうから。
だからさとりには読んだすべてを口にして、読まれたくない者には自主的に近づかないようにしてもらう以外に方法がない。
「なら私はそういう依頼は嫌だ、って突っぱねればいいじゃない」
「無理ね。真実を知りたい、という感情を押さえることの難しさは私が証明してあげてもいい位だもの」
「ええ、どんなに突っぱねたって、追い詰められた者は必ず私に聞くんですよ。「教えて?」と。そしてそれを拒絶する私を恨むようになります」
「……苦労してんだなぁ、お前も」
魔理沙が暗い話は御免だよ、とばかりに肩をすくめる。
「でも、それは貴女が受け入れなければいけない問題ね」
「おい、パチュリー」
辛辣な台詞を吐くパチュリーに魔理沙は一瞬動揺したような表情を浮かべるものの、数秒後には同意して確かにな、と呟いた。
「なぜですか?」
「さっき魔理沙が言った通りよ。鳥は手を持たずに生まれてしまった。魚は肺を持たずに生まれてしまった。それを嘆くことにどれだけの意味があるのかしら?」
「それは……」
「生きとし生ける者は皆、生まれたときに手にしたカードで人生の勝負をかけるしかないのよ。ここでもしダイヤのナインの代わりにジョーカーがあれば、と悔しがることで結果が変わるのかしら?」
「ま、確かにね」
「私は病弱体質と魔術の才能を持って生まれてきた。霧雨魔理沙は人として魔法を扱う才能を持って生まれてきた。博麗霊夢は巫女としての才能を持って生まれてきた。古明地さとりは心を読む能力を持って生まれてきた。それだけでしょう? 前言を撤回して謝罪するわ。貴女が読んだ事柄をすべて垂れ流しにするのは貴女が貴女を守る上で正しい判断であると言える。非難して悪かったわね。無恥ながら、無知ゆえの愚かさと斬って捨ててくれればありがたいのだけど」
「……」
さとりにはどのように言葉を返せばよいのか分らない。
ただ、パチュリーと納得したかのように首肯する霊夢を目の当たりにして、受け入れるしかないのか、と口を噤むばかりだ。
「……悔しいのか?」
「え?」
「いや、いい。見ろよ、もう階段の終わりはすぐそこみたいだ」
「ようやくかしら。実に長かったわね」
「お前乗っかってただけだろうが。さ、到着、って……」
長い白玉楼階段が続いていた縦穴を抜け、ようやく地上にたどり着いたというのに……
目の前に現れた建築物を目の当たりにして、さとりを除く三者は再度そろって溜息をついた。
正直、勘弁して欲しい。
「まあ、さ。素直に地底の出口が再現されているとは思ってなかったがよ」
「素直にって言うんなら白玉楼階段を昇ってきたのだから白玉楼本邸でしょ?」
「よりにもよってうちとはね……」
日の差す地底を抜け出た先、四者がようやく辿り着いた地上の空は紅く真円を抱く満月の夜。
真紅の満月が照らし出しているのは巨大な門と壁に囲まれ、中庭に美しい薔薇園を備えた重厚な石造りの建築物だ。
本来館の周囲にある湖は影も形も見当たらず、辺り一帯そこかしこに剣やら槍やらが突き立っている荒野はさながら戦場跡。
そんな中に屹立する建物の正面、二階の窓の先にある月当たりのよいルーフバルコニーは今は無人。
四者は吸い込まれるようにバルコニーよりはるか上、巨大な時計を備え、家屋と一体化している鐘楼へと視線を注ぐ。
その鐘楼の上、満月に酔いしれるような表情で翼を広げた少女は中庭に降り立った四者を一瞥した後、ひらりとバルコニーへと舞い降りた。
「我が館へようこそ、有象無象の輩達。館外での歓迎になってしまって申しわけないがね」
「多分私達は館の中へ入らないといけないのよ。中に入れてもらえないかしら? レミィ」
「ふむ、初対面だと言うのにずいぶんと馴れ馴れしい奴だな。まずはマナーから学んだほうがよろしいのでは? レディ」
三者に一歩先んじてパチュリーが尋ねるも、レミリア・スカーレットはバルコニーから眼下の四者を見下して轟然と腕を組むのみ。
振り向いたパチュリーは肩をすくめて首を横に振った。どうやらレミリアも話し合いで何とかなる精神状態ではない、ということだろう。
「ですが、礼儀正しく依頼しても入れてはくれないのではないですか?」
「その通りだよ三只眼。お前達にとっては死と破壊をばら撒くただの暴力かもしれない。だがね、それでも私にとっては大切な家族なんだ」
慈愛と憎悪で押し固められた不退転の意思が、レミリアの体から魔力となって迸る。
「あいつが何を思っているのかは私だって分からない。でも私は家族として、当主として、あいつを守ってやらねばならないんだよ。正義は貴様等に在るのかもしれないがね、引くわけにはいかないんだよ猟犬ども」
敵意もあらわにレミリアは宣言すると両手と翼を広げて天へと舞い上がった。
もはやお話の時間は終わり、というつもりなのだろう。紅の魔力が十字に迸り、紅い闇夜をさらに紅く染め上げる。
「殺る気満々ですね」
「霊夢、夢想天生はいいから鬼縛陣を張れ。でなきゃ私達が生き延びられん。パチュリー、雨は降らせられるか?」
「出力が2/7まで落ちている今では狭範囲にしか降らせられないし、五行循環を乗せられない以上あまり長続きしないわ。非実用的ね」
「マジかよ……あれ? おい霊夢、どうした? 聞こえなかったのか」
返事が返ってこないことにいぶかしんだ魔理沙が後ろを振り向こうとした、その時。
魔理沙の右肩に負荷が掛かる。次いでその肩に爪が立てられ、万力のように締め上げられた。
「ちょ、なにすんだ霊……霊夢!!」
どん、と魔理沙の背中に何か――おそらく霊夢の顔だろう――がぶつかってくる。
慌てて魔理沙が己の肩を握る手を取って振り向くと、肝心の霊夢はすさまじい形相で片手で頭を押さえて喘いでいた。
霊夢の斯様な苦悶の表情など、魔理沙はこれまで一度たりとも目にしたことがない。
「ごめ……ちょっと……頭が……なんなの、これ?」
額に脂汗を浮かべ、明らかに尋常ではない様子でか細い声を絞り出した霊夢は、
「霊夢!? おい、どうした!?」
問う魔理沙に答えることなく、霊夢の全身からストンと力が抜ける。
動揺した魔理沙はその体重を支えきれなかった。ドサリ、と霊夢が大地へと倒れ伏す。
「霊夢! おい霊夢!」
「魔理沙さん! まずは正面を! 彼女が来ますよ!」
「っ! パチュリー! 狭範囲でもいいから雨を降らせろ!」
「天候操作は大魔術。すぐには無理よ」
その回答に魔理沙の背筋は凍りついた。
弱体化無しでの鬼との正面決戦など人間――いや妖怪であってすら正気の沙汰ではない。
一秒後には散り散りになり、二秒後には各個撃破され、三秒後には魂が体を離れてさようなら、だ。
「どうするんですか? どうするんですか!? 彼女一直線に突っ込んでくるつもりですよ!?」
「万事休すね。霧の湖もない以上、大規模水術は不可。積んだかしら?」
「何でお前こんなときまで冷静なんだよ!? ふっざけんなぁあああああそうだ! おみくじがあったんだ!」
夢の中に入る前に神奈子から受け取っていて、即座に引けるように袖の中に仕込んであったそれを魔理沙は引っ張り出して読み上げる!
「中吉! 断じて行えば鬼神も之を避く!? なら何とかしてみろいやしてください神奈子様万歳!!」
レミリアが紅の魔力を纏って眼と鼻の先まで突っ込んできたその瞬間、魔理沙とパチュリーは横から伸びてきた手に突き飛ばされて尻餅をついた。
その直後に天に雷鳴が響き渡り、突如として紅魔館は集中豪雨に飲み込まれる。
山の神にして軍神にして天候神。八坂神奈子による神力が生み出した嵐は流水を厭う吸血鬼を阻む壁となって紅魔館の周囲、半径200m程を暴風域に巻き込んだ。
レミリアは? と魔理沙が周囲を見回せば、さすがは吸血鬼。
突っ込んできた勢いそのままに前進し、暴風域を瞬時に突き抜けて雨中の様子をうかがっていた。
安堵に胸を撫で下ろした魔理沙が、
「すまんさとり、助かった……って、おい? 大丈夫か!?」
背後を見れば魔理沙達を突き飛ばすのが精一杯だったのか、さとりもまた目を回して大地に横たわっている。
倒れたさとりを抱き起こしたパチュリーはさとりの頭や首に手を当てた後、問題ないと首を横に振った。
「大丈夫、かすっただけみたい。レミィの魔力にあてられて意識を失っているけど目立った外傷はないわ」
「そいつは何よりだ……で、パチュリー、霊夢のほうはどうしたんだ? レミリアの呪いかなんかか!?」
土砂降りの雨の中、一度肺腑を空にした魔理沙は意識を失って倒れ伏す霊夢を抱き起こすと、食って掛からんばかりの剣幕でパチュリーに問いかける。
「確かにレミィは呪いの類も使えるけど、あまり好んで使用したりしないわね。むしろもっと原因は単純、おそらくは脳が圧迫を受けているのではないかしら?」
「まさか……さっきの妖夢の一撃か?」
「ええ、血腫でもわずらったのかもしれない。私は医者ではないから詳しい診断は出来ないけど」
おそらくは頭を打ったということは早苗と似たような状況に陥ったのだろうと、そう解釈した魔理沙は土砂降りの雨よりも体を凍えさせる恐怖に打ち震える。
それは、医者がいなければ助からないということではないのか?
「ええい、詳細なんぞどうでもいい! 安全なのか、危険なのかどっちなんだ!」
「分からないわ。出血が少量なら死には至らないでしょうが、大量であればこのまま死亡することも十分にありえるわね」
なんだって?
霊夢が、死ぬ?
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□――― 想起 - Judecca - ―――
約束から一年後、少女が巫女を継いだのを契機に私は親子巫女の勧告に従って地上へ上がるのを自粛した。
決定的な破綻、事件は何一つ発生していない。だからこそ地上の状況は最悪のコースを歩みつつあった。
天狗は権力を掌握する時期を逸してしまったのだ。
天狗は自身が火付け役になることを選択肢に入れておくべきだった。
己の手腕を見せ付けて権力を握る、というのであれば、天狗は彼ら自身が放火して事件を起こす事位は計画に入れておかねばならなかったはず。
だけど狡猾な天狗は自分達が泥をかぶることを是とせず、待ちに徹することを選択した。
権力を握った後に後顧の憂いを残したくないと考え、事件の発生を自然に任せたことが天狗自身の首を絞める結果となってしまったようだ。
つまり、妖怪達の統率は未だ執れておらず、妖怪の山は荒れる一方という様相である。
友人である巫女と元巫女は毎日忙しげに幻想郷中を飛び回っているらしい。
だけど妖怪である私には彼女達の力になることが出来ない。
妖怪の山が荒れるに比例して、人里の妖怪に対する心情も悪化しているのだから、巫女の傍に妖怪が居るべきではない。
妖怪を引き連れる様は彼女達への信頼を損なわせ、結果的に足を引っ張ることになってしまうのだから。
ましてや嫌われ者のサトリであれば尚更であろう。
友人の力になってやることが出来ないという現実は私の心を内側からジリジリと焦がしているが、動くことが悪手になってしまうのだから耐えるしかない。
それに実際のところ私が彼女達の傍にいたとしても、彼女達にしてやれることなんて殆ど無いのである。
博麗の巫女としての秘術を身につけた彼女達はサトリよりもはるかに強いし、さらに言うならば師匠の方は戦鬼の如き勇猛さを誇る。
弟子のほうは師匠には劣るものの、既に彼女が博麗の巫女であるのだから知恵のある上級妖怪はこれを殺すことが出来ないし、下級妖怪如きに負ける程弱くもない。
彼女達が危機に陥ることなんてないし、だから私は静かにこの地霊殿で地上の騒乱が落ち着くのを待っていれば良い。
さ、どうしようもないことをうだうだ考えていても仕方が無いし、時間は前向きに使わねば勿体無い。
私の『心曲』も殆ど完成しているし、そろそろ依頼されたフィレンツェ旅行記の草案でも練り始めようか。
そう思っていた矢先だっだ。
「お姉ちゃん!」『早く! 早く早く早くしないと!!』
執務室の扉を蹴破って靴を投げつけてきたこいしの表情は戦慄に固まって引きつっており、心の声は混乱で意味を成さない。
だけど、いやだからか。私の体は尋常ならざることが起こっているのを肌で感じ取って総毛立つ。
大陸を横断する過程で他人の心の闇を見続けてきた私が恐れるものなど、私達の絶望以外はありえないのだから。
「何事ですか、こいし」
「いいから来て!」『移動しながら説明するからまずは急がないと!』
言うが早いかこいしは私の手を掴んで走り出す。
日ごろの運動不足故に何度かまろびそうになるが、それでも急がずにはいられない。
何とか私はこいしに引かれるままに玄関を潜り地霊殿正門を走り抜け、そのままこいしとともにふわりと地底の空へと飛び立った。
こいしが急ぐ理由。私達に共通の絶望。それらを考慮すればおぼろげながら『誰に』 関することかぐらいは予想がついた。
口を開く時間も勿体無いとばかりにこいしは私に眼と背中を向けてアイコンタクトを要求してくる。
こいしの飛翔速度に合わせると息をする余裕も無い私はそれを受け入れて第三の眼をこいしへと向けた。
『巫女が、巫女同士で戦い合っているのよ! どうすればいいの? お姉ちゃん!』
戦い合っている? あの二人が?
なぜ?
『そんなの分からないよ! あの二人の頭の中はどう攻める、どう防ぐで一杯だったし!』
こいしはあまり催眠術の類が得意ではないから、あまり深層までは読めなかったのだろう。
だから私を呼びに地霊殿まで戻ってきた、と。
とりあえず急ぎましょう。こいし、牽引してもらえますか?
『任せてお姉ちゃん! 飛ばすわよ!』
サトリとしては私のほうが優れているものの、妖怪としてはこいしのほうがはるかに優秀。
私の手をとったこいしがさらに加速する。一人を牽引しているというのにその飛翔速度は私一人が飛ぶよりもはるかに速い。
ちょっとこいしをうらやましいな、と思った私はその感情にはっとする。
……レヴィアタン。私の心にも巣食うこれがやはり原因なのだろうか?
◆ ◆ ◆
果たして、こいしに牽引されて降り立ったそこ。神社から二里ほど離れた森の中は確かに戦場だった。
今は小康状態なのか、大地に降り立って睨み合うのは対照的な二人の女性。
巫女であることを辞めたが故に白衣緋袴を脱ぎ、薄紅の小袖姿に赤い元結で髪を束ねた、少女の母親代わりにして師たる彼女。
巫女であるが故に白衣緋袴。白い元結で髪を束ねた、彼女の娘分にして弟子たる少女。
彼女はその背後に負傷した妖怪をかばいながら、困惑した表情で、されど余裕を持って弟子を見ている。
少女は背負うもの無く唯一人、屹とした表情で師を睨むものの、その呼吸は荒く額には汗の珠が浮かんでいた。
新たな妖気の接近を察知したでろう二人は、ほぼ同時に空を見上げる。
その妖気の元である私達に注がれる視線もまた対照的。
師たる彼女は些かほっとしたようで、弟子たる少女は諦観の様相で。
「さとり、こいし」『説得に協力して欲しいの。こんな争いはもう終わりにしたいのよ。お願い』
「来ちゃったか、古明地姉妹」『できれば地底に篭っていて欲しかったんだけど……上手くやるしか無い、か』
私とこいしは顔を見合わせる。双方から話を聞かねばなるまい、と思ったのだが弟子の巫女は最初の一言の後、黙したまま口を閉ざしている。
その思考を読んで得られたものは、
『さて、どうやれば三人同時に捌けるんだろう』
なんて戦術の構築。その思考に戦慄し、無意識に伸ばされたこいしの手を握り締めると年配の友人へと視線を向ける。
「……やり過ぎなのよ」『そう、殺す必要がない妖怪までも……』
その一言と一思考、そして彼女の背後で苦痛にあえぐ妖怪の姿から私は彼女達が相対し、戦へと発展した理由を理解できた。
おそらく少女は里に危害を加えた下級妖怪を命ごと排除しようとし、彼女はそれをやりすぎと判断して止めようとしたのだろう。
ならば、最初に確認しておかなければいけないことが一つ。
「被害は?」
「……建材用の木材を伐採していた里人数名が木を伐り出している最中をこの子が襲撃。すぐ傍に落ちた落雷で数名が若干麻痺、斧を滑らせて多少の切り傷を負ったものの重傷者は無しよ」『多分、ちょっと驚かそうとしただけ。殺す必要なんてないはず』
背後でおびえる妖怪にちらりと咎めるような視線を投じた後、彼女はやつれたような声を搾り出した。
おそらくは雷獣なのだろう。一見して年若く、まだあまり知恵がついているようには見えない。
だから彼女が推測したようにそいつは人間を発見して、特に悪意も無く驚かそうとしただけなのかもしれない。
成る程、確かに駆逐されるに値するほどの被害は出ていない。ちょっとぶっ飛ばしてお灸をすえる程度で十分だろう。
それが、三十年前であったならば!
なんて、切り出せばよいのだろう。
どう言葉を紡げばこの場を穏便に収められるのだろうか?
理解してしまった。
師と弟子。親子の如く暮らしてきた二人は互いを慈しみ合っていながらも、その間には氷壁の如き確たる隔たりが存在していることを。
もはやどちらかが傷つき折れること無しに、この睨み合いは終わらないということを!
『どうしよう? お姉ちゃん……』
心を読んで私の思考を理解したこいしがすがるような目線を私に向けてくる。
けど、私にだって分かるはずも無い。どっちにも正義があって、悪がある。
唯一つ分かるのは私達はここに来るべきではなかった、ということ。
サトリは人の心を読む妖怪だ。
その瞳は人の心を丸裸にし、あらゆる嘘を許さない。それがどんなに他人のことを思いやった嘘であったとしても、だ。
僅かな可能性ではあるけれど、私達がいなければ彼女達は優しい嘘で互いを思いやったまま、自分達の力で関係を修復できたかもしれない。
だけど彼女達は今や私達に一つ、「教えて?」と問うだけで互いの本心を知ることが出来るのだ。
人が人の世界で傷つけあわず生きていくために、嘘は絶対に必要なのに、サトリはそれを許さない。
私達はここにいるべきではなかった。
けど、来てしまった私達はもう後には引き下がれない。彼女達を放置してこのまま去ることなどできはしない。
黙って此処を去るのが最良だと分かっているのに。何とかしてこの諍いを諌めよう、と私達の心がそう思ってしまう。
出来ることは彼女達の本心を暴くだけであるというのに。
友人の力になりたいと、何か出来るはずだという欲が。
このまま何もせずに黙って立ち去っては、彼女達に侮蔑されるかもしれないという恐怖が。
私をこの場に縫い付けて、引き下がることを許さない。
「ね、さとり。貴女からも言ってあげて。やりすぎだって」『もう、この子は私の言うことを聞いてくれないのよ……』
もう、なるようにしかならない。最早私には二人の間に屹立する氷壁を破壊することしか出来ない。
これを破壊した後、二人の間に何が残るのかは分からない。それが正しいのかも分からない。
――だから、こいし。貴女も貴女で自分が正しいと思う心を選びなさい。
「いいえ、私にはやりすぎと止めることは出来ません」
その言葉を放った私に三者七つの瞳が集中する。五つは驚愕を、二つは若干の感謝の後に本心でない敵意を込めて。
「貴女の弟子の選択は間違っていません。その子が生きるためには、妖怪を殺さなければいけない。だから間違っていない」
「なぜ!?」『雷獣なんかに負ける子じゃないわ! 殺さなくたって問題ないはずよ!』
「違います。妖怪がその子を殺すんじゃないんですよ。人間の感情が、その子の心を追いつめるんです」
「……さとり、もういいわ。貴女も母さんの側に回りなさい。私は妖怪は善悪種族問わず全て撃ち倒すのだから」『ありがとう、でも、ごめん』
理解者を得たから、それでもう十分とばかりに少女は一瞬だけ微笑んで、そしてその形相を憤怒へと変える。
「母さん、私は里人から人間に危害を加えた妖怪の排除を依頼されたの。そいつが生きていることが里人に知れたら私の立場がなくなるのよ。好きで殺そうとしているわけじゃないの」『嘘ね。憎しみに任せてぶっ飛ばしたい気持ちはあるし』
「ならば感情に逆らってまで殺さなくったっていいでしょう?」『そんなことをしていては妖怪の恨みを買うばかり、敵が増えるばかりよ!』
そう、それは正しい意見だ。
でも違う、違うんだ。誰だって正しくありたい、って思っているのに。
「どんなに説得したとて、そいつが私の言うことを聞く保証は無い。私は母さんと違って人里寄りの巫女だからね。妖怪達もそれを知っているから母さんほど私は妖怪に信頼されてないし」『妖怪の世界は弱肉強食。弱者の言うことなんて誰も聞くはずがない。母さんは強いからそれに気付けないのよ』
「だったら信頼されるように「『強くも!!!』」
言葉と心、その二つが悲鳴を、
「『強くもないくせにそんなことをしてたから、私は里人の信頼を失ったわ』」
悲鳴を、上げていた。
説教などごめんだとばかりに挟み込まれた少女の言葉に、彼女は絶句して口を噤む。
「やってみたのよ、最初は。もう人里を襲わないから、って言葉を信じて背中を向けたらドン。で、その後にはさよならよ。一応背中に符を仕込んでおいたから死ななかったけどね。……前さ、私が帰ってきたときに母さんが背中流してくれるって言ったことあったじゃない? で、私がもう子供じゃないからって断ったこと。覚えてる?」『今でもその時の母さんの残念そうな顔、私は覚えてる』
心当たりがあるのだろう。彼女は白い顔で押し黙ったまま言葉を発することが出来ない。
多分彼女とて、同様のことは何度も体験しているに違いない。だがしかし、鬼のように強い彼女はそれらをすべて捌ききれたのだ。
でも少女にはそれが出来ない。手加減や許しというのは強者の特権だ。弱者にはそれをするだけの余裕がない。
「母さんみたいな巫女になりたかったのよ、私だって。でも私にはなれなかった。でも巫女にはなってしまったから私は戦い続けなければいけない」『自分で望んで就いた役だから、引き下がれない』
最も辛い時期に巫女になってしまった少女は手のひらをぎゅっと握り締める。その腕は同年代の少女に比べて一目見て判るほどに太く、そして引き締まっていた。
そう、それらの筋肉は少女が巫女としての能力を補うために身につけた武器であり、鎧なのだろう。
「判ってるんでしょう? 私は母さんより弱いのよ。母さんが出来るからって、それを私に望まないで」『私は、鬼じゃないんだから』
「そんなことは……」『私は、嘘吐きだ……』
「無いなんて言えないでしょう? 言えるんなら言ってみてよ。さとりとこいしがいるこの場所で! 私は母さんに負けず劣らず強いって!」『そんなわけ無いよね。もしそうだったら、私はこんなに傷だらけになってないもの!』
どちらの表情も驚くほどに真っ白だ。
ただ、彼女の表情が血の気が引いたが故であるのに対して、少女の顔が白いのは化粧をしてるからだった。
よく見ると顔だけではなく、首元に至るまで薄く白粉が塗布されている。
――ああ!
その理由、少女が化粧をしている理由に気がついた私は思わず少女の顔から目を背けてしまった。
多分あの子は、化粧で覆い隠しているのだろう。その肌の上に刻まれた、さまざまな痕を。
私の思考を読んだこいしがはっ、と息を呑む。それを皮切りとして、少女は堰を切ったかのように捲し立てる。
「今の私の人里での評判を知ってる? 「妖怪退治もろくに出来ない無能な巫女」よ? 私一人が馬鹿にされるならそれでもいい。でもね、私には里に友人がいるのよ! 私をかばってくれる友人が! 私が失敗すればするほど、友人達まで立場を失うのよ! 分かってるの!? 私はこれ以上失敗できないのよ!」『強者には分からないでしょう? 一人でも生きられるだけの強者には!』
『「それは……」』
「里人は怖いのよ! 母さんからすれば落雷一つなんて簡単に防げるけど、里人はそうも言ってられない。誰もが対価を払って退治屋を雇う余裕があるわけじゃないし、仮に懐に余裕があったとしても妖怪退治を生業としてる奴らだって今は休み無く働いている。誰もかれも余裕が無いのよ! 力を持たない里人達は、私を頼るほか無いのよ! 母さんには分からないでしょう!?」『弱いものの心なんて!』
流れ込んでくる。
――『どうやったって私は母さんにはかなわない。分かっていても諦められない』
――『説明下手ながらも丁寧に教えてもらっているのにどうやっても術を発動させられない』
――『母さんが寝静まった後に一人起き上がり暗闇の中でその日教えられた術を何度も何度も繰り返し練習し続ける』
――『そんなことを繰り返してようやく発動させた術の威力は母さんのそれの半分以下にも及ばない』
――『でも出来たんだ。だからいつかはとどくはずだ。今日がだめでも、明日、いや、一週間後には、いや、一年後には……』
――『嘘だ。そんなのは嘘だ。まやかしだ!』
少女の、苦悩が、絶望が。
「母さんの言うことだもの! 無視したくなんか無いわよ! でもこれ以上私に夢を見させないでよ! 私だって母さんみたいにやれるんだって、錯覚させないでよ! そんな錯覚に囚われて私の実力を見失ったら、私は死んじゃうんだから!!!」『出来ないことを、不可能なことを押し付けないでよ! この、鬼!!!』
激情を吐き出すかのように、少女が絶叫する。
耳が。いや、眼が痛い。潰れてしまいそうだ。
かつて少女に「巫女になりたいのであれば、なればいい」と言ったのは私だ。
少女が巫女になったのはあくまで少女の選択であり、少女自身の責任でもあり、少女はそれを理解している。
だけど私もまた、確かに「出来もしない夢」を視させた一人であるのだ。
人の心が読める私は、人よりもはるかに多くの情報を集められる私は、もっと多面的に考えて様々な選択肢示すことが出来たのではないか?
無責任な賛同で、茨の道を進むことを後押ししてしまったのではないのだろうか?
はぁはぁと荒い呼吸を続けていた少女が、深呼吸をして息を整える。
「言いたいことは言ったわ。母さんは私に言いたいことはある?」『私が正しい、とはどうせ言ってくれないよね……』
「……」『何を、言えば、いいんだろうか……』
「じゃあ会話の時間は終わり。私はそいつを始末しなきゃいけないんだけど、当然母さんは邪魔するよね? 小娘一人になじられて生き方を変えるような弱い巫女じゃないものね」『やっぱ、こうなるか』
「でも……」『ここで妖怪をかばうってことは、娘の未来を切り捨てるってこと。でも……妖怪だって命は命だ……さとりやこいしだって……友人じゃない……』
「悩んでるんだ。なら後押ししてあげるわ。私はね、時々人里近くに現れる第三の眼を持つ妖怪の排除も依頼されてるのよ」『殺せと明言されて無いのが救いかな?』
「な!?」
それは、まさか?
ぎょっとした表情でこいしが握っていた私の手に爪を立てる。
「こいし、どうする? 私の言うとおりに地下に潜っててくれる?」『でも多分無理だよね? 貴女好奇心旺盛な本能型だもん。いずれ外に出たくなるよね?』
『「……嫌だ」』
それは、その返答は何に対する拒絶だったのか? 混乱しているこいしの思考は私にも読み取れない。
「じゃあ仕方が無い。実力行使しかないわよね」『さあ、これで私は一人。何の心置きも無く戦える』
その宣言と同時に、八つの光弾が少女の周囲に浮かび上がった。
溢れんばかりの霊力を湛えたそれに、手加減はない。その少女の瞳が、こいしに注がれている。
なぜ。
なぜそこまで自分を追いつめるのか?
彼女の実力では決して母親には敵わない。そこに微力とは言えこいしや私までが加われば尚更だ。
彼女の思考が理解できない。何か意図があるのかもしれないけれど、それを思い浮かべてくれなければ私達はそれを読むことが出来ない。
ならば、せめて彼女の中核になっている深層を読もうと第三の眼に力を込め、そして私は凍りついた。
『悲しい、悔しい、痛い。私を苦しめるもの全てが、母さんが、さとりが、こいしが、里人が。憎い、恨めしい、おぞましい』
『――でも、嫌うことなんて出来ないから……』
「消し飛べ」「やめなさい!」『『夢想、封印!』』
その先を読む前に私の瞳術は中断された。目の前の危機に否応無しに対応せざるを得ない。
少女がこいしに放った攻撃を、彼女が同じ術で迎撃する。少女が放つ八つの光弾を彼女は六つで相殺し、残る二つが少女へと向かう、が……
「想起 ―― 夢想封印!」
「こいし!?」
それを打ち落としたのはこいしが模倣した彼女達博麗の巫女の秘術。
七つしかなく威力もはるかに劣る闇色の光弾は、かろうじてその二つの光弾を相殺するのが精一杯。
「正気なの?」『私は貴女を退治するって言ってるのに!』
「多分正気よ!」『だって、一人になんて出来ないじゃない!』
少女の心を知ってなお、躊躇い無くこいしは己を退治すると言った友人の支えとなることを選択した。
それは、少女が自分を退治することは無い、とたかを括ってのことではない。
己が退治されることを視野に入れた上で、少女の味方になることを選んだのだ、とこいしの心が告げてくる。
妹の友人を思いやるその心は、姉としてはとても誇らしい。
でも、でも私は……。
私は、唯一の肉親であるこいしを失うことに耐えられないだろう。
可愛いこいし。愛しいこいし。たった一人の大切な肉親。私が生きる理由のすべて。
……だから、私は彼女の側につく。
「一応言っておくけど、私が勝ったら次に貴女を排除するわよ? いいの?」『ありがとう、こいし。許してなんて言えないけど、でも、ごめん』
「私は生きたいように生きてるだけよ。それに私お姉ちゃんの困った顔ってちょっと好きなの」『どっちに転んでも私は負け組かぁ。ほんと、何やってんだろう』
少女とこいしが苦笑を交し合っている。
対する私と彼女は憔悴したような視線を交わす。
勝たなくてはいけない。そして多分勝てるだろう。
だが、この勝利に意味はあるのだろうか?
有るとも。勝たなければこいしは死んでしまうかもしれない。
無いとも。勝てば友人の未来を閉ざしてしまう。
迷いを断ち切れぬまま、私は少女が放つ追尾符を妖弾で叩き落とす。
ああ、世界はこんなにも人と妖怪に優しくない。
◆ ◆ ◆
一撃毎に心を切り取られるような戦闘は四者四様の博麗の巫女における奥義の撃ち合いで幕を閉じた。
光弾に吹き飛ばされた少女とこいしは最早自力で立つことも出来ないほどにまで消耗して大地に倒れ伏している。
妖怪を力ずくで封印する夢想封印。弱めに放てば妖気を削り、本気で放てば妖怪の存在そのものを削る。
その最上位を食らってなおこいしが五体満足であることに安堵した。
つまり全力で奥義を放つ私達姉妹や少女とは対照的に、彼女にはこいしに向かう光弾を手加減できる位に余裕があったのだ。
実力差は明白だった。私の助力など全く不要と言わんばかりに、四十を超えた彼女は終止戦場を圧倒していた。
「……勝ちましたね……」
「ええ……でもこの勝利は何処にも繋がらない」『勝って、よかったの……?』
勝ったとて、これから何一つ変わらないのだ。少女は生きるために妖怪と戦わなくてはならない。
彼女が少女の補佐をする、といった方法も取れないでもないだろうが、そんなことをすれば「いつまでも先代の尻に隠れる無能な巫女」という新たな烙印を押されるだけ。
私達姉妹が共にいることが出来れば騙し討ちはすべて阻止できるとは言え、妖怪を連れ歩いてはやはり信頼を失うのだろう。
今じゃなければ。こんなにも人と妖怪が対立する時代じゃなければ。
少女は無難に巫女をやり遂げられて、誰もがこんなにも苦しまずにすんだのだろうに。
虚しさに天を仰げば曇天の空模様。今のこの戦場を反映したかのようにどんよりとして、厚く、重くくすんでいる。
ああ、雨が、降り出しそうだ。
この先、私達はどうすればいいのだろう。何一つ分からないのにこの戦場での勝敗だけが、たった一つだけ残酷なまでに明白な事実。
倒れたこいしに歩み寄って抱き上げても、こいしは未だに目を覚まさない。
「来ないで」『来るな』
二人は、これからどうするのだろうか?
同じように地に伏した少女を助け起こそうと歩み寄った彼女に叩きつけられたのは拒絶の声。
横倒しで倒れていた少女は何とか寝返りをうって仰向けになると一度悲しげに天を睨み、再び表情を消した。
「私の夢はここで終わりね」『くだらないことに巻き込んじゃって悪かったわね、さとり』
「……どういうこと?」『まさか』
「巫女を、辞めるのですか?」
「ええ。それが一番でしょう?」『無様な……ものね』
「そんな……」『……やっぱり』
ことはない、と彼女は心の中ですら言い切れなかった。
これから先、少女が博麗の巫女を続けても多分、幸せにはなれないだろう。
里人の望みと自分の望み、そして親代わりの望みの板ばさみになって延々と苦しみ続けるだけかもしれない。
「今はまだ母さんがいるし、私が巫女を辞めた後はまた母さんが巫女に復帰すればいい。私が巫女でいる必要はない」『こんだけ実力差があるんだし』
「ですが、巫女を辞めた後、貴女はどうするんですか?」
少女は確かに優秀ではないかもしれない。それでも少女は里人に望まれているのだ。
勝手に巫女を辞めては里人達が裏切られた、と感じるかもしれない。そうなったらやはり少女に対する風当たりは強くなるだろう。
これから先、誰とも顔をあわせずに孤独に生きていくとでもいうのだろうか?
でも、少女は孤独でいることに耐えられないから、里人と己の望みの板ばさみになって苦しんでいたはずだ。
そうでなければ里人からの評判なんて親代わりたる彼女のように一切無視出来たはずだった。
そう考えていた、その時、
「ならばうちに来ればいいわ。嫌われ者の屋敷だもの、地底の妖怪だって近づかないし安全よ!」『いいでしょ? お姉ちゃん』
いつから目を覚ましていたのか、私の腕の中にいるこいしがそう提案する。
勿論、あの子が望むのであれば構わないし、それは名案でもあるように思える。
私の思考を読んだこいしはほっと安堵の溜息と共に胸をなでおろす。
でもそれは、私達が決めることではない。
『分かってるわ』
なら、良いのですが。
こいしが私の手を滑り降りる。おぼつかない足取りではあるが、もう一人でも立てるようだ。
「……どうするの?」『一緒に居たい。居てほしい。でも……』
母代わりにそう問いかけられた少女もまた、よろよろと立ち上がってぐるりと周囲を見回した。
順番に私達を覗き込むその瞳は静かな決意を湛えて澄み渡り、そして据わっていたから、私は思わず戦慄に肩を震わせた。
あの目は。
そう。
私はあのような視線を何度か目にしたことがある。戦場で……
「そうね、それも悪くないかも。ただ、その前にやらなきゃいけないことがあるのよ」『それが終わったら連れて行ってくれるかしら? こいし』
「勿論よ! でも……やらなきゃいけないことって?」『引継ぎかな?』
その決意を秘めた眼差しは、そう、まるで決死の戦に望む兵士を連想させたから。
……迂闊だった! 最早第三の眼に力を込める必要すらない!
「それは、駄目だ!なんてことを!!」
体が、戦闘の余韻でろくに動かない。
だから唯一動ける人間に向けて、遅いと知りつつも、あらん限りの、声を。
「結界を!!早く!!」
「さよなら、みんな。愛してた」『私の犠牲で以って幸せになる世界か。そんなもの、全て、呪われてしまえ!!!』
少女が突如放った光弾が、歩み寄っていたこいしを弾き飛ばした次の瞬間に、
曇り空を裂いて落ちてきた稲妻に打たれた少女はびくりと一度体を震わせ。
大気を引き裂く轟音が遅れて鳴り響いたときには、少女は物言わぬ骸に変わり果てていて、再びドサリと大地に倒れ伏した。
:
:
:
雨が、降ってきた。
「……え……?」『なんで……?』
弾き飛ばされたが故に側撃雷を回避できたこいしが上半身を起こして呆然と呟いている。
周囲を見回すと、すさまじい速度で此処から飛び去っていく雷獣の姿が目に映った。
最初に少女に殺されようとしていた、そして彼女に庇われていたあの雷獣だ。
「……嘘でしょう?」『……?……死?……んだ?』
立ち去っていく妖怪に見向きもせずに彼女が朦朧とした表情で少女に、いや少女だった物に歩み寄ってその手をとって脈を測る。
だが、すぐにその手は力なく開かれてしまう。
離された手は、とさり、と。
そのまま大地に落ちた。
『「あ、あ、あああああああああああああぁぁああああああ!!!」』
ああ、ここにはもう、絶望しかない。
こいしが彼女から少女の死体を奪って泣き叫ぶ中、私は泣けなかった。
心がもう閉ざされているのかもしれないし、もしくは少女よりこいしの生を選んで敵対した私にそんな権利が無いと思ったのかもしれない。
いや、そうじゃない。私だけが、彼女の深層心理を読める私だけが、この悲劇を回避できたはずだったのに。
全身に、脂汗が、滲んできて。
膝がガクガク震えて立っていられなくなり、無意識に膝をつく。
下を向くと猛烈な吐き気を覚えて、胃の腑から何かが湧き上がってくる。
ああ、なんて……無様なんだろう、私は。
冷え切っていく思考の中で、唯一つ揺れているのは、こいしのこれからのこと。
彼女の最後の心象。……吹き飛ばされている最中、こいしはあれを視たのか? それとも視なかったのか?
「わ、私が……」『……殺した……』
幽鬼のようにふらりと立ち上がった彼女が、私の元へと近づいてくる。
戦鬼の如しと讃えられた彼女もまた、私と同様に表情というものを忘れてしまっているようだった。
「巫女は、二人も、要らない。私が、死んでいれば、よかった」『私が……私がいなければ……そうしていれば、あの子は』
彼女はおそらく人生で初めて、無力感というものを味わっているのだろう。
あらゆる後悔が彼女を内側から食い破っている。
そんな状態でもなお私の元へと向かってくるのは、最後に一つ、確かめたいことがあるから。
それに気がついた私の体はひとりでに肩を抱いてガタガタと震えだす。凍りついた感情が、融解し始める。
胃の腑に渦巻く吐き気に耐え切れなくなって、げぇげぇと狂ったように胃液を大地へと溢す。
『「さとり」』
――嫌だ。来ないで。
――お願いだからそれを口にしないで。
『「一つだけ教えてくれないかしら?」』
――友達でしょう? 私がそれを望んでないことくらい分かっているでしょう?
――お願いだから私をそんな目で見ないで!
『「あの子は最後に何を思っていたの? 貴女には読めたんでしょう? 教えて? さとり」』
――言えるわけないでしょう!? あれを口にしたら貴女だって死を選んじゃうかもしれないじゃない!!
「私を」『怨んで、いた?』
――私を、人の心を覗くための遠眼鏡代わりにしないで!! 私にだって!!!
「どうして」『教えて、くれないの?』
――心が、あるんだから……
……
:
:
:
◆ ◆ ◆
そこから数日の間に起こった出来事を、私はあまりよく覚えていない。
かろうじて覚えていることはこいしが彼女の遺体と共に一度地霊殿へと赴き、そして帰ってきたときにはその瞳が完全に閉ざされていたこと。
天狗達が巫女の死という一大事を奇貨として動き出し、巫女を殺した妖怪を処罰して山の秩序を守るのが誰かを知らしめたこと。
そして再び、彼女が空いた座を埋めるべく巫女へと復帰したこと。
これくらいだ。
こいしが連れ去ったために遺体の無い少女の葬式には、割と多数の里人が集まっていた。
その中には少女の実力に不満を持ち、罵った者も含まれていたのかもしれない。
だがそれらを含めてなお里人のために奔走した少女の――実力はともかく――直向さは皆に慕われていたようだった。
沈痛な啜り泣きが聞こえるその神葬祭を、妖怪である私は遠方から眺めるのみ。
少女の死を契機として天狗が鬼に成り代わって妖怪の山を掌握したためだろう。少しずつ人里近くで暴れる妖怪の数は減少し、郷は落ち着きを取り戻し始めている。
天狗の行動は恐ろしいほどに迅速だったから、天狗と少女との間に密約があったであろうことは疑いない。
はたして、どっちがそれを持ちかけたのか。少女の性格をよく知っていたから、それは私にとっては考えるまでも無い問題だった。
重要なのは結果として少女は最後まで里人のための巫女として生き、そして死に。天狗がしっかりと約束を守り、山をきっちりと纏め、結果として郷が平和になったこと。
そして何より、私には何も出来なかった、ということ。
人による葬式が終わった後に一回、状況確認のために地底に降りてきた彼女の案内を務めて以降、私は彼女と会っていない。
彼女と会うと、少女の最後の顔が瞼の裏に浮かび上がってきて苦しいのだ。
それは彼女のほうも同様だったようで、自然とお互いに出会うことを避けてしまった。
唯一、第三の瞳を、己の心を閉ざして誰にも見られなくなったこいしだけが私と彼女の両者に寄り添うことができた。
一通り怨霊の監視を済ませた私は自室にて、今も筆を走らせている。
フィレンツェ旅行記ではない。それを書く必要はもうない。それを見せる相手を、私は永久に喪ってしまったのだから。
『心曲』を。
今日も私は『心曲』を書いている。
先に書き上げたほうは灼熱地獄へ投げ込んで焼き捨ててしまったから、私が書いているのは今も『心曲』である。
この心の中の苦しみを、嘆きを、悲しみを、心に思うことのすべてをこの『心曲』へと封じ込めて、立ち直らねば。
私は古明地さとり。古明地こいしの姉で、地霊殿の主で、地底の管理人の一人だ。
この旧地獄の秩序を守り、何かを求めるように放浪を続けるこいしの帰る場所を守るのが私の役目だ。
立ち直らなければ。
立ち直らなければ。
この暗い感情をこの『心曲』へと封じ込めて、立ち直らなければ。
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■――― 第四章 ~星月夜~ ―――
――私が死ななかったから、代わりに霊夢が死ぬのか?
虚ろな表情で魔理沙は霊夢の顔を覗き込む。
先程の苦悶の表情とは打って変わって、霊夢の表情は死んでいるかのように穏やかだ。
慌てて心臓に耳を当て、その心音が聞こえることにほっと胸をなでおろす。
「……ちきしょう、血腫だと? 夢の中だってのになんでそんな細かい身体構成まで忠実に再現するんだよ!」
「忠実に再現されているから私達は魔法を使えるのよ? そうでなければここまで生き延びられなかったわね」
正論なんかごめんだ、とばかりに魔理沙はパチュリーを睨む。
ストーリーに沿うなら、死ぬ人間は弱い方であるはずだった。だから魔理沙は己の命だけを心配していればよいはずだった。そう、思っていた。
だが、もし。
もし、胡蝶夢丸で強化された魔理沙と夢想天生を使用していない状態の霊夢。
比較して、魔理沙の方が強いと判断されてしまったら?
――この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道を分かたれていったところでお終い。残る一人の人間はそこにはいない。
うるさいよ。
――人間のうち一人はエンディングを迎えられない。逆に言うならば一人が死んだ状態でなくてはエンディングに辿り着くことができない。
「黙れって言っているだろう!!!」
叫びに込められた魔理沙の震怒は、冷静沈着で知られるパチュリーの身すらも怖気に振るわせた。
「そんな、そんな馬鹿な話があるか! 私達はみんな揃ってここを脱出するんだ! くだらない台本は書き換えるって、そう決めたはずだ!」
魔理沙の心の中に、抑え難い真っ黒い憤怒が膨れ上がっていた。
「ちきしょう! 何だってこんなあっさりと、定められたかのように終わっちまうんだよ!」
このふざけた展開の元を記述したさとりに、思わず憎しみを抱いてしまいそうだ。
紫が解析した『心曲』の概要を聞いていた魔理沙は、極力その筋からそれるようにと行動していたはずだった。
なのにそんな魔理沙の努力をあざ笑うかのごとく、一人の人間があっさりと死へと向かっている。
やり場のない怒りに染まった瞳をさとりに向けそうになって、
魔理沙は、はたと気がついた。
――人間のうち一人はエンディングを迎えられない。逆に言うならば一人が死んだ状態でなくてはエンディングに辿り着くことができない。
ストーリーを変えることが出来ないというならば、ならば、霊夢が死ぬより先に己が死ねばいい?
そこまで強い強制力が働いているというならば、自分が今死ねば霊夢が死ぬ前に三人が最後のページにたどり着けるかもしれない?
なんて吐き気を催す程に甘く、苦い選択肢だ。
それを選べば魔理沙は最後まで己の夢を叶えられずとも、夢を失わずに死んでいくことが出来る。
最終的に霊夢が生き残って異変は解決し、霖之助や咲夜達も目を覚ます。幻想郷は巫女の死という不慮の自体を回避できて、引き続き幸せな世界を築いていくだろう。
それが最良の選択なのだろうか。
魔理沙には分からない。自分が死ぬことでうまく回っていく世界を許容できない。
だから本当にそれが最良だなんてことを否定したくて、真実のみを映し出すという浄玻璃の鏡を覗き込んだ魔理沙は、
鏡に映った光景に違和感を感じて振り返った。
背後には誰もいない。パチュリーは霊夢を抱いて膝をつく魔理沙の正面にあり、さとりはその腕の中なのだから。
……いや、正確には200m後方の空に一人。レミリア・スカーレットが。
「なんだったんだ? 今のは……」
豪雨に濡れてよく見えなくなった浄玻璃の鏡の表面をふき取り、帽子のつばの下で再度背後を移すように覗き込む。
やはりそこに映し出されているのは薄桃色の服を纏った少女が一人だけだ。
「……なんだ、そういうことかよ。紫のせいで難しく考えすぎちまったじゃないか。そうだよな、さとりが書いたんだからそりゃそうだ」
「さっきから一体何なのよ?」
「どうやら私は戦う相手を履き違えていたらしい、ってことさ。配役の意味も概ね分かった。香霖はよく分からんが」
不満げに問いかけるパチュリーに、お前だっていつも考えてることを口にしないだろうが、と釘を刺して黙らせると、魔理沙は霊夢を紅魔館外壁に寄りかからせて己の帽子をその頭に載せる。
こうしておけば、少なくとも雨で窒息死したりはしないだろう。
顔を上げた魔理沙は、遠く豪雨の先に浮かぶ敵を睨んでフン、と鼻で笑う。
「だがまぁ、いずれにせよあいつは邪魔だな。さとりが目を覚ましたらあれをぶち落とすぞ」
◆ ◆ ◆
「『心曲』ですか……よりにもよって」
「この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道を分かたれていったところでお終い。残る一人の人間はそこにはいない。ね」
「そうだ。私はその結末を変えるためにここに来たんだ」
目を覚ましたさとりに礼を述べた後、己がここに来た一部始終を二人に説明し終えた魔理沙は語り疲れたかのようにふぅ、と深呼吸をした。
豪雨の中で話し合いを続けるのは中々に骨が折れる作業だったが、この豪雨が魔理沙達の安全を保障してくれているのだから我慢するしかない。
絶句するさとりをよそに、パチュリーは濡れた前髪をかき上げながら成る程、と心得たかのように頷いた。
「だからまずは保険だ。お前らが死ぬと話がややこしくなるからあいつは私が落とす。お前らはこの雨の中から出るなよ? どうやらレミリアの遠距離攻撃もこの雨を突破できないみたいだからな」
「吸血鬼の流水に弱い、という弱点は吸血鬼の魔力そのものにすら効果があるからね。聖なる雨ならなおのこと、よ」
「成る程な。だが、レミリアがそこらへんの物を引っつかんでブン投げればいい、って気がついたら不味いな」
「大丈夫、レミィは自分の力と技だけで勝つことを信条としているからそういう野蛮な戦法はとらないわ。貴族の矜持という奴ね」
「そりゃありがたい」
彼我の戦力差を指摘されているようで若干腹を立てながら、魔理沙は肩をすくめる。
実際レミリアに目をくれてみると、こちらの作戦会議が終わるまで律儀に待っていてくれるつもりのようだ。
貴様らなんぞいつでも殺せる、とばかりのその余裕綽々な態度は気に入らないが、それが現実。戦力差は絶望的だ。
「パチュリーは余裕があったら援護してくれ。銀や流水による攻撃ならあいつにも通用するだろ?」
「命中するとは思えないけどね。了解」
「あの、私はどうすれば……」
「お前は特にやることは無いが……しいて言うなら希望を持て」
「希望?」
鬼に狙いを定められている状況で一体どのような希望を持てというのか。
だが呆れるさとりに魔理沙はそうじゃない、と首を振る。
「そっちじゃなくて、日常にだよ。お前さ、なんか人生を投げてただろ?」
「そんなことありま「あるって」
さとりの感情に配慮しつつも、されど魔理沙はきっぱりと断言する。
「なんていうかさ、お前は世界を見てないんだよ……そうだな、一つ例を挙げてみようか。お前の日常生活で一番ウェイトを占めている感情って何だ?」
「何だ……って」
「いいから答えろよ。いつもお前は第三の眼で有無を言わさずに人の心を読んでるんだからさ、たまにはこっちの質問に問答無用で答えてもいいだろうが」
無茶苦茶な理論だ。だが、答えねば口に手ぇ突っ込んで開かせるぞとばかりに睨む魔理沙を目にして、さとりは考え込む。
「……そうですね、やはりこいしのことでしょうか」
「妹のことが心配か?」
「それはそうですよ。姉ですから」
「だが、それも形式上だろ?」
悪意の欠片も無く、ただ淡々と事実を突きつけるかのように魔理沙はさとりの言葉を否定する。
「お前、こいしが地上で何をやっているか知ってるのか? あいつ地上で人を殺しまくってるんだぞ? 得意の無意識潜伏をフル活用してな。なあパチュリー?」
「知らないわ。でも無意識に潜れるのだからそれもありうるわね。人は意識の裏でもさまざまな感情を絶えず処理している。敵意を持った相手に「あ、こいつ殺したい」と感じることだって当然あるでしょう。されど良識ある――いえ無くてもだけど――人間の意識が普通はそれをさせない。無意識の暴発を阻止するのが意識であるのだから、無意識だけの存在というのはあらゆる行動がノーブレーキ。大いに危険と言わざるをえない」
そう語るパチュリーの言葉に、さとりはびくりと身体を震わせる。
「そ、そんな……こいしが? ……そんなこと、するはずない……だって、あの子は……」
「ああすまん。まぁ、嘘だ」
真剣に、大真面目に魔理沙は頷く。
一瞬息を呑んだ後、魔理沙を非難するように睨み付けたさとりは、だがそれより強い視線で睨み返された。
魔理沙は一瞬さとりの目に浮かんだ奇異なる光彩を見逃さなかったのだ。
「私の言ったことは嘘だ。だがノーレッジ先生が言うことには嘘はない。いや、お前だってパチュリーが今言ったことくらい本当はもう認識済みなんだろ? なのにお前はそんな奴を放置している。それでお前、心配してるって言えるのか? お前の知らないところであいつが人間の恨みを買って、退治されるかもしれないって、そんな心配はしないのか? 心配だって言うなら、何でお前は延々と地霊殿に篭っていられるんだよ? こいしの性格を、もしくは能力を信じているから? 嘘だね。もしそうならお前はさっき断言できていたはずだ」
「それは……」
「妖夢を眠らされた幽々子なんざ、血の繋がりすらないのに烈火の如く怒っていやがった。……いやあれはちょっと過保護すぎだろうとは思うがよ、お前にはそういう苛烈さが無いんだ。一番お前の中でウェイトを占めている感情ですらそんなざまだってことは、然るにお前は世界とまともに向き合っていないんだよ」
鬼気迫る表情で立ち上がった魂魄妖夢の表情がさとりの脳裏に浮かぶ。あれこそが守らねばならぬ者を背負った者の表情。
こいしの帰ってくる場所を守らねば、と思っていたはずだった。だけどそんなのは薄っぺらなものであると言う事実をまざまざと突きつけられてしまう。
だが、それが、
「そ、それが、それが今の状況とどう関係があるんですか!」
「すまん。そこは正直なところ、よく分からん」
憤慨するさとりに、魔理沙はどう説明したものか、とばかりに雨水滴る頭を掻き毟る。
「よく分からんのだがな、この世界、どうやらお前の味方っぽいんだよ」
「は?」
「紫はこの世界における敵は覆しようのない理不尽だと言ったが、さっきから私達を遮っている敵は多分「お前」だ。つまり私達はお前の心の中にある闇を、しかもぶっ潰しながら先に進んでるんだよ」
ここにきて、もはやさとりは完全に五里霧中だ。魔理沙の言っていることが全く理解できない。
これまで立ちはだかって来たのは地上の、さとりとはなんの面識もない面々であったはずなのに。
「敵が私の心の闇、と言うのは? なぜそんな判断になるんですか?」
「こいつにレミリア――ああ、あの吸血鬼だ――を映してみな」
「浄玻璃の鏡!? 閻魔様から盗んできたんですか!?」
「……やかましい、ちょっと借りただけだよ。いいからとっとと見てみろ」
投げ渡された浄玻璃の鏡を覗き込んださとりは言葉を失った。
確かにそこに写っているのは蝙蝠の翼を生やした少女ではない。
距離がありすぎて豆粒程度にしか見えないが、袖口をフリルで広げた青いブラウスに薄桃のスカート、血色悪そうな白い顔。何よりも胸に浮かべたサードアイとくれば、
「私、自身? どうして……」
「パチュリーの投影かもしれない、って意見は正鵠を得ていたみたいだな。敵の正体はおそらく最も似通った悩みを持っていた者の化けの皮を被った、お前自身だったってことさ」
お見事だノーレッジ先輩、と偉そうにパチュリーの肩を叩いた魔理沙は自問するかのように言葉を紡ぐ。
「生き残った三者が絶望して終わりのはずのこのストーリーで、なぜ私達はお前の闇を、絶望を祓っているんだ? これは明らかな矛盾だ。これを突けば結末を覆せるんじゃないだろうかというのが私の予想なんだが……どうだパチュリー、どっかおかしいところはあるか?」
「ふむ、着眼点は悪くないと思うわ。けど、理不尽が敵と言うなら今まで勝って来れたのはただ単に持ち上げて落とすため、という可能性もあるわよ?」
「そうだな。だが眠りについた奴等の中では間違いなくレミリアが最強。これ以上の敵を用意することは出来ないだろう。だからもしあいつを落とせたならば……」
希望は、繋がるかもしれない。と、そういうことか。
「……だから私に希望を持て、と?」
「ま、そういうことだ。世界はお前の感情に託された……いや託されているかもしれないってことになるのかな? だからその一環として、私があいつを潰してやる」
「勝算は、あるんですか?」
旧地獄にて幾多の鬼を眼にしているさとりからすれば、ただの人が鬼に勝つなどそれこそ夢物語だ。
だが魔理沙は不敵に笑ってみせる。そうでなければ霧雨魔理沙ではない、と言わんばかりのその笑顔は、パチュリーにとっては小憎たらしいそれであり、さとりにとっては……どう写っているのであろうか。
「一応ドーピング済みの超人状態……のはずなんでな。それに鬼退治の英雄っていうのも悪くない」
自分自身を納得させるかのように、魔理沙はチラッと霊夢を横目で見やる。
「英雄に、なりたいんだ」
両手のひらをじっと見据えて、ぎゅっと握りしめる。
「ガキの頃から親父とはそりが合わなかったから知り合いの唐変木の所にばっか行ってたんだけどさ、そいつは野郎だから本を読んでくれ、ってせがんでも大概が鬼退治の英雄譚とかばっかりなんだよ」
女の子にそれはないだろ? と同意を求めるように魔理沙は語るが、たぶん回答は不要なのだろうと感じたさとりは黙って耳を傾ける。
「だからそんなのにばかり憧れてさ。でも私は唯の人間の小娘にすぎないって知っていたから、そう簡単にそんなものになれるはずが無いって思ってたのに。現実にはいるんだよな、英雄が」
懐かしむように、目を細める。
「衝撃だったよ。私と同い年位なのに、そいつはあらゆる妨害をすり抜けて、人に害なす妖怪を退治できるんだから。ああ、これこそが英雄なんだって、そう思ったんだ」
今は昏々と眠り続ける紅白の巫女を見やって、ここ数年はこんな風にあまりパッとしないがな、と呟く。
「だけどそいつは一人で十分だから、育ての親だった亀がいなくなった後はいつも一人だったんだよ。なのに「一人で戦って、寂しくないのか?」 って聞いても真顔で「なんで?」なんて言うんだぜ? そんなわけ無いだろう? 仮にそうだとしたって、人は一人でいちゃいけないんだよ」
噛み締めるように、自分自身に言い含めるかのような口調で。
「でも凡人には英雄を取り巻くことは出来ても、並び立つことはできないから。英雄の横にいられるのは、やはり英雄だけなんだ」
「それが貴女の希望かしら?」
ふうん、とあまり関心なさげにパチュリーが問いかけるが、ちょっと違うな、と魔理沙はかぶりを振る。
「希望、って言うよりは夢だな。恥ずかしいから他言無用で頼む」
「じゃあ何で語ったのよ」
「まぁあれだ。私は私のために戦うんであって、仮にくたばったとしてもそれは私の責任だってことを明言しつつも何かあったらお前ら霊夢をよろしく頼む、っていう美味しいところをとるためだろうな」
目線を帽子で隠すべくブリムに手をやろうとして、しかし帽子を霊夢に被せたままであったことに気がついた魔理沙は忌々しげに舌打ちした。
「あのさとりの闇は私が殺る。少なくとも相討ちにまでは持ち込んでやる。だからまぁ、もし私が死んで、それでもこのストーリーが終わらなかった時は霊夢が死ぬ前に何とかしてくれ、頼む」
「いいわ、引き受けましょう」
「こういうとき冷静なお前はありがたいよ。さとりもいいか?」
さとりは答えなかった。苦悩にあえぐような表情を魔理沙に向けて、震える手をギュッと握り締めている。
「……一つだけ聞かせてください。貴女がここで命を賭して、そして勝ったとしても得られるものはただの日常です。誰も貴女に感謝なんてしないだろうし、あまりにも割に合わない。それでも貴女は命を賭けられるのですか?」
「おいおい、そんな自己犠牲的精神の虜になった人間を哀れむような目線はやめてくれよ。誰かのために何かするんじゃない。私が、皆と馬鹿やりながら夢を追っていられる明日が欲しいだけなんだ。そんな毎日が楽しいんだからさ、いいじゃんかそれで」
馬鹿を言うな。毎日なんて!
「毎日なんて、楽しくありません。楽しくなんかなりません」
だって、サトリはいつだって、一人なんだから。
だけど、
お前は何を言っているんだ? とばかりに魔理沙は笑う。
「なるさ。だってさっきお前、自分の身も顧みずに私達を助けてくれたじゃないか。ありがとさん。マジ助かった」
「……!!」
「あぁ、質問に答えてやるよ。私が疑問に思ったのは、お前が流されるままに妖夢に挑んだのか、それとも私達と共に勝利を得たかったから妖夢に挑んだのか、ってことさ」
何の質問か、とさとりは首をひねり、そして思い出した。それは白玉楼階段にて自分が魔理沙に向けた問いかけだった。
「妖夢に勝ったときのお前の表情で、もう私は答えを得た。だから質問を棄却した、それだけだ」
「……」
「楽しいことをしようぜ? 毎日誰かの家を焼くとかでもいいからさ。世界には幸せを護ろうとしてる奴がいるんだ。そんな奴らに応えてやるには、やっぱり楽しまなきゃ駄目だろう?」
さとりにわざとらしく肩をすくめて見せると、魔理沙は箒を片手に二人に背を向ける。
そのまま箒にまたがると、打ち付けるような豪雨に逆らって一人ふわりと宙に浮き上がる。
「楽しいことをしようぜ。夢を追って生きるのは、辛くて、苦しいけど、楽しいんだ」
遠方で、魔理沙の交戦の意思を把握したレミリアが魔王の如き笑みを浮かべている。
ならば相対する魔理沙が浮かべるは勇者の、いや英雄の笑みだ。
「力を合わせて切り捨て御免に勝ったのは、楽しかったろ? 私は――悔しかったが、楽しかった。……だから、また、やろう。外でもさ」
箒に仕込んだ八卦炉と同調しているスレイブに一気に魔力を流し込んで解き放てば、瞬く間に魔理沙は輝く一筋の箒星となって鬼の前へと躍り出る!
「ようやくか、待ちかねたぞ? さぁ、ヴァンピリッシュナイトの始まりといこうか!」
「馬鹿言うんじゃない。これから始まるのは……」
地上を一目見やってニヤリと笑う。
<メイジ達の夜>
「メイガスナイトだ。吸血鬼なんざお呼びじゃない!」
再度圧倒的な紅の魔力を放出し始めたレミリアに、臆することなく八卦炉を構えた魔理沙が相対する。
英雄になりたい、と。そう願いながらこれまでずっと牙を研ぎ続けたのだ。
――喰らい付いてやるさ。
「行くぜ! 真紅の鬼!」
「来い! 黒金の魔女!」
真紅の光と、黄金の光が、交錯した。
◆ ◆ ◆
太陽の如き高熱高圧力のプラズマ球がレミリアの右半身を削り取って飛び往くが、それでも王の哄笑が途絶えることは無い。
「これでも駄目か……わりと上手く再現できてたはずなんだがな」
胡蝶夢丸の助けもあり、見よう見まねで発動させられたロイヤルフレアの劫火。だが陽光によって焼け落ちた右半身をレミリアは僅か数秒で再生させる。
次いで反撃に転じたレミリアのフライヤーをフレアの放出で防ぎつつ、魔理沙は一人虚空に毒づいた。
その間にも足元に展開した百二十八個のスレイブが絶えず光線を撃ち込んではいるのだが、レーザーの傷などは瞬時に再生されてしまう。
弱点属性をつかない限り、ほぼレミリアは無敵だった。逆に言えば弱点を突けば何とかダメージは残せる。
だが、
「もうそろそろネタがなくなってきたぞ……やっぱ見よう見まねじゃ駄目なのか!?」
ロイヤルフレア、サブタレイニアンサン、メガフレア、マーキュリポイズン、幻想大瀑布、雨の源泉。そのどれもがレミリアに止めを刺すに至らない。
霧雨魔理沙は星の魔法使い。本を質せばどちらも星とて、夜空の瞬きを打ち消す太陽の魔術とはあまり相性が良くはない。
一方で水術は魔理沙にとって非常に相性が良かったが、レミリアも火術を使えるし、何より魔理沙自身が未だ上手く水術を扱う自分をイメージできていない。
神奈子の聖なる雨ならともかく、そんな魔理沙の水術ではレミリアの火術を突破しきれない。魔理沙では、絶望的なまでにレミリアと相性が悪すぎる。
ガァン、と頭に衝撃が走る。
魔理沙の死角に回ったレミリアがその速度のままに炎を纏う爪を叩きつけたのだ。
吸血鬼の腕力で殴られてなお魔理沙が生きているのは、拝借した仏の御石の鉢と火鼠の皮衣による加護のおかげにすぎない。
それらの神宝がなければ、一分に一度は魔理沙は死ねるはずだ。体力も、膂力も、速度も、魔力も。どれ一つとっても魔理沙には勝ち目がない。
「なぶり殺しにする趣味はないのだが……そろそろ打つ手も無いようだし、ひと思いに死を受け入れたらどうだ?」
「はん、舐めるな! そんな台詞は私を傷つけてからにしたらどうだ?」
「では、そうしよう」
危機を感じて急上昇した魔理沙がそれを回避できたのはほとんど奇跡と言って良いだろう。
一瞬前まで魔理沙がいた空間には赤い魔力の残滓だけがたなびいていた。それを残した紅槍ははるか彼方――
かと思いきや投擲槍にあらざる機動で再度魔理沙を穿つべく進路を変える。
それは必中の運命。スピア・ザ・グングニル。
狙ったものは必ず貫く古来より伝わる神代魔術。フレアで落とせたこれまでの追尾弾とは格が違う!
「ああもう、文の次はレミリアとガチで今日の運勢は中吉とかウソだろ? 私の人生どんだけ茨の道なんだよ!」
一瞬だけ逡巡した後に、気づけば前方から再度飛来してきたそれを魔理沙は正面から蹴り飛ばすべく相対した。
レミリアと神槍、双方から挟み撃ちにされる前に神槍の必中の運命を解除することを選択したのだ。
だが、
「がぁあああぁちきしょうテメエこの馬鹿野郎! 痛すぎて涙が出てくるじゃないか!!」
それは脚を一本くれてやるのと同義。防御を解いた魔理沙の脚は神槍に易々と撃ち抜かれる。
だが大きく抉られた左脚と引き換えに必中の運命も解除され、魔理沙の足を貫通した神槍はそのまま空の彼方へと消えていった。
「これが吸血鬼の力だよ。思い上がりから目を覚ましたか?」
「ああ! おかげさんでな!」
「次は心臓に必中、と定めても良いのだが」
「いいや、グングニルはここでお終いだ!」
即座に地面に設置したスレイブによる光撃の照準をレミリアの両手のみに絞る。
グングニルは手から離れれば必ず敵を貫くという神槍。その名を冠した魔術とあれば、投擲する行動までが魔術発動のための儀式の一環であるはず。
瞬時に再生させられるとはいえ、百二十八本ものレーザーを集中すればレミリアが神槍を投擲する手を常時封じていられる。
一瞬でそう判断を下した魔理沙に、レミリアは呆れとも賞賛ともつかない表情を浮かべた。
「やれやれ、ずいぶんと小賢しい手を」
「人間は脳ある生物なんでな!」
魔方陣から無数に放たれるフォークと縛鎖を巧みな箒捌きでかいくぐりながら、魔理沙は八卦炉に魔力を込めて己の魔術を、星辰を模した6つのスレイブを発生させる。
どうやら借り物の魔術では勝ち目がない。それが嫌というほど理解できたからだ。
人が鬼を正面から相手取るなら、強化か弱化のどちらかが必須。となれば現在頼れるものは永琳に与えられた胡蝶夢丸以外にない。
永琳曰く『信じられないもの』では胡蝶夢丸の力は発揮できないとのことだが、魔理沙の力の元は幾重にも積み重ねた研究と鍛錬による努力の集積。それだけが戦闘において魔理沙が信じられるもの。
だから魔理沙が勝負をかけるにはそれに頼るしかない。
だが、どうやって?
霧雨魔理沙は星の魔法使いだ。それは吸血鬼の弱点を突くには至らない。
つまるところ魔理沙にはレミリアへ止めを刺す手段が存在しないのである。
「じゃ、やることはアシストしかないか。たまには単独で颯爽と勝利を飾ってみたいものだがなぁあ!」
遠く雨射す大地に光る、銀色に輝く魔方陣を横目で確認して魔理沙は苦笑する。
パチュリーもまた魔理沙が手詰まりであることを看過したのだろう。展開された魔方陣の直径は400m近い。
自然から魔力を抽出するのは精霊魔術師たるパチュリーの十八番。
現在展開されている神奈子の奇跡を丸ごと取り込むであろう極大魔方陣からの魔術は、恐らくレミリアを葬り去るための必殺の一撃だろう。
使うは水術か金術か。だがまともに放ってはその術とてレミリアに命中するはずもない。
――ならば、私がやるのはパチュリーの魔術が確実に命中するようにあいつの動きを止めること!
しかし弱点属性以外をものともしないレミリアの動きなどそう簡単に止められるものではない。
人工太陽ですらほとんど足止めにならなかったレミリアの動きをどうやって止める?
「だがな、舐めるなよ! 私は星の魔法使いだ! いつかは無重力の巫女に並び立つんだよ!」
四方八方から襲い来る蝙蝠の群れをレーザーの嵐で焼き尽くす。
然る後にレミリアを正面に捕らえ、マスタースパークで消し飛ばそうとしたその瞬間、地上から放たれた光が魔理沙の網膜を照らした。
と、同時に魔理沙の脳裏に浮かんだのはレミリアが砲火を回避して魔理沙の背後に回り、スクランブルする「未来の軌跡」だ。
「器用なことをするもんじゃないか!」
光の正体はさとりの催眠術。恐らくはレミリアの思考を第三の眼で読んで、それを催眠術を応用して魔理沙の意識に割り込ませたのだろう。
予定通り砲火を撃ち放ち、レミリアが己が視た未来の軌跡をトレースしたのを確認して、魔理沙は小さい喝采を上げる。
後頭部に打ち込まれる蹴りを再度、御石の鉢による加護で凌ぐ。
予測したことをレミリアに悟られないように回避はしない。
さとりから送られてきたレミリアの挙動。その行動予測に全てを賭けて、
「勝つんだ」
と。己に、強く言い聞かせる。
「霊夢が本気だったら、誰が相手だって絶対に負けない」
夢想天生。
博麗霊夢の全力。ありとあらゆる害意を嘲笑い、全てを無視する無敵の能力。
それを行使する不敗の巫女。で、あるが故に誰も、鬼にも共に並び立つことが出来ない、根本では孤独な巫女。
御伽噺の中の英雄と比較してすら見劣りすることがない、幼い霧雨魔理沙が夢想した英雄像をそのまま体現できるような友人を、
「今の私は、守ることが出来る。私だけが、守ることができる」
それは嘘だ。誇張にも程がある。永琳の胡蝶夢丸の助けがあればこそかろうじて鬼と相対せるような魔理沙は、夢想天生の足元にも及ばない偽者の英雄だ。
いまだって、ほら。
パチュリーの手助けがなければ、鬼を打ち倒すことも出来ないでいる。
「それでも、ここまで来た」
ただの商人の娘だった魔理沙は今、矢よりも速く空を往くことができる。
「ここまで、来れた」
ごく普通の一般人だった魔理沙は今、刀をも瞬時に融かすほどの業火を操れる。
「だから、まだ、行ける。もっと、歩いて行ける」
歯を食いしばってここまで来た。
嫉妬の言葉を飲み込んでここまで来た。
師に修行が足らないと毎日のように言われながらもここまで来た。
時に空から落下して、魔法の制御に失敗して、大怪我を負っても折れること無くここまで来た。
霊夢のように一人で歩んでこれたわけではない。
今だって師に与えられた魔法に、香霖の道具に、同業の魔術に、永琳の薬に、神奈子の奇跡に助けられている魔理沙は、故に一人ではない。
皆に助けられてここまで来た。それは魔理沙のプライドをちょっとだけ傷つけて、だけどやっぱりちょっとだけ嬉しい。
この嬉しさがあるからこそ、人は一人でいてはいけないのだって、断言できる。
魔理沙は、霊夢のようにはなれない。だけど、皆に助けられながら前に進む英雄がいたっていいじゃないか!
「勝つんだ、私! 英雄を気取るならば、理不尽に負けるわけにはいかないんだよ!!」
霧雨魔理沙は一度宙へと身を投げ出したならば決して歩みを止めることなく、輝きを失うこと無く、先へ先へと向かってただひたすらに飛び続ける箒星だ。
だから、一撃離脱しようとするレミリアの背中を、睨みつけて。
己の、全てでぶつかって行く。今の魔理沙には鬼の動きを止められるような魔術など扱えないけれど。
されど霧雨魔理沙は信じている。
限界を考えるな。
自分の可能性を疑うな。
いつか、この身は必ず届くと!
予想されたレミリアの進路上に星辰儀を一つ配置して、霧雨魔理沙は宣言する!
「無重力の巫女に並び立つは、重力の魔法使いだ! 覚えておけ! いつか私は、必ずここにたどり着く!」
36本ものレーザーを同時に撃ち込んで、星と見立てたそれを一気に爆縮する。
目の前の空間を捻じ曲げて収束する黒い穴に気がついたレミリアが反転して回避行動をとるが、今一歩遅い。
その圧倒的な引力は鬼たるレミリアをしてそこから逃げ出すことを許さない。
「貴様! 何をやった!?」
それは全てを引きつける星の力。
それは光すら逃さぬ万有引力の最高峰。
それは決して今の魔理沙に扱えるような力ではない。
されど必ず届くと信じる魔理沙に応えた胡蝶夢丸が引き出した、霧雨魔理沙の未来の魔法だ!
<事象の地平面>
「『イベントホライズン』だ! 運命だろうが自由だろうが、私が望んだものはなんであろうと逃がしはしない!! さあやれ! パチュリィイイ!!」
「単端式気動魔術・キハ三号、開放!」
遠方から響き渡った宣言と共に雷雲より現れ出るは銀色の龍。
パチュリーによって八坂神の神気を付与されたシルバードラゴン。
既にエルゴ領域まで下半身を引きずり込まれて身動きが取れないレミリアめがけて白銀の巨躯が天を裂く!
されど、
「舐めるなぁああああ!!」
されど不死の王は人ではない。常人なら死に至る傷を追ってなお、吸血鬼にとっては痛くも痒くもない。
叫んだレミリアは脱出不能となった下半身を自ら引きちぎって、上半身のみで重力の井戸から脱出する。
「さ!!……」
とり、と叫び、助力を仰ごうとしてしかし、魔理沙はその先を紡ぐことが出来ずに口を噤んだ。
黙してレミリアを睨みつけると八卦炉をしまい、逃がさないとばかりに星辰儀を一つずつ両手に掴んでレミリアへと突進する。
これが最後のチャンスなのだ。シルバードラゴンに組み込んだせいで神奈子の奇跡は消滅しつつある。
雨がやんでしまえばパチュリーとさとりを護るものがなくなるだけでなく、反撃の術も失ってしまう。
ここでレミリアを逃がしてしまったら、もう魔理沙達には対抗する手段がない。それが分かっているのに。
だが、
――「私達」で、勝ちましょう!!! 恃んで下さい魔理沙さん!!!!
声が、聞こえた。
いや、それは声ではない。鼓膜を通して伝わったのではない。
網膜に焼き付けられたそれは、テリブルスーヴニール。人の心へと染み込む催眠術。
それはまさに、三人目のメイジが魔理沙に叩きつけてきた魂の雄叫びだ。
心を明け透けにする薄気味悪い閃光に照らされた魔理沙の顔に浮かぶは、笑み。
笑いが止まらない。止められない。悔しいが、楽しくて楽しくて仕方がないのだから仕方がない!
思わず、口元が緩んで、
「ククッ! アハァハハハハハハハハ!!! ようやく『繋がった』か!! こちら彗星一号! 地上管制に支援を要請する!!」
助けてくれと、臆面もなく口にする。
情けないなんて思考は露程も浮かんで来ようはずもない。
なぜ? そんなのは決まっている。 楽しいことをしているからだろうが!!
魔理沙の叫びに応じて再度、催眠術の光が夜空を照らす。
同時に魔理沙の脳内にレミリアの回避ルートが浮かび上がった。
流石のレミリアも聖別された銀の一撃を正面から受けきる自信は無いらしく、その魔術が消滅するまでは逃げ、いや回避の一手しか選べないようだ。
「だが、絶対に逃がさないって言ったろ!?」
最近ようやく飲み込める程度まで小さくなった、身体強化のための丹を一粒ゴクリと飲み込んで。さあミッションスタートだ。
静止軌道から勝手に離脱していく紅い衛星を正しい軌道に戻さねばならない!
ウィザードリィフェアリング形成。メインスラスター・ミニ八卦炉、イグニッション!
《彗星》
術式名……『ブレイジングスター!!』
「待ってなお月様! 今行くぜ!」
瞬く間に輝く箒星となって天を走る魔理沙を目にしてしかし、レミリアは嘲笑する。当然だろう。鬼と人の速度差は未だ健在。人は、絶対に鬼を魔力や身体能力で凌駕しえない。
魔理沙の描く己の未来図は人間から逸脱し得ないから、胡蝶夢丸が引き出す力もまた人間の限界を上回らない。魔理沙の最大戦速は、未だレミリアに届き得ない。
その上魔理沙はレミリアへの最短距離を突っ走らずにあさっての方向へ飛んでいく、とくればそれはもう鬼からすれば失笑ものだろう。
されど霧雨魔理沙もまた、哂う。
「あんまり人間舐めんなよ!? 足りないから私達は技術を積み上げるんだってことを、教えてやる!!」
レミリアと己の位置と進路を確認し、星辰を模した残る3つのスレイブを再配置して周期運動を付与する。
一分の間違いも許されない複雑極まるその軌道計算も今の魔理沙には然したる困難ではない。
これも当然だろう。自身の成長を疑わない霧雨魔理沙の頭脳もまた、胡蝶夢丸によって強化されているのだから。
箒星と化して鬼を追う魔理沙がその星辰儀を掠めるように横切った、瞬間。
一気に魔理沙は転進し、速度を上げて鬼との距離を詰める!
「馬鹿な!」
引き離したと思った相手が逆に猛烈な勢いで接近してくる。そのありえない光景にレミリアは思わず驚愕を口にせざるを得なかった。
レミリアには理解できないだろう。それは綿密な計算と観測、そして細心の注意を込めた繊細な制御の集積だけが成し得る、人が生み出した奇跡の航宙術なのだから!
「スイングバイ航法って奴だよ! だから言っただろう?」
痛快だ。愉快すぎて頭が馬鹿になってしまいそうだ。
絶対的な覇者たる鬼に、吸血鬼に! 凡人の魔法と計算は届く、届くのだ!!
「人間の叡智を舐めるなってさぁあ! 思い上がりから目を覚ましたかよ!?」
魔理沙は不敵に笑ってみせる。そうでなければ霧雨魔理沙ではない、と言わんばかりのその笑顔は、パチュリーにとっては小憎たらしいそれであり、レミリアにとっては……いまや脅威のそれだ!
されど相手は不死の王。脅威は感じても恐怖など覚えようはずもない。
そうとも! 勘違いをしている愚か者を、調教してやらねばならない。
それは人の手に余る、どうしようもない原始的な脅威。即ち暴力の体現。全てを蹂躙し荒れ狂う止めようのないモノだからこそ、彼女らは鬼と呼ばれたのだから!
「調子に、乗るなァアアアッ!!」
レミリアが怒気も露わに怒号を発する。
直後に真紅の魔方陣がレミリアを中心に展開され、それと同時に魔理沙の上下左右前後、全周囲で圧倒的な魔力が収束を開始した。
小さな紅点群がみるみるうちに膨張し、紅以外の色を魔理沙の周囲から奪っていく。
――これは……血か!!
Red Magic.
下半身を失った上半身のみのレミリアから零れ落ち、空を舞っていた真紅の血液。その一滴一滴がいまや溢れんばかりの魔力を湛え、煌々と紅々と輝きながら魔理沙を包囲している。
カリスマの具現化、貴族たる吸血鬼にとって己が身に流れる血こそがこの世で何よりも尊きもの。
その血液そのものを魔弾と化すこの攻撃こそ、レミリアの切り札に違いない。
――そう簡単にゃ勝たしちゃくれないか……だが回避行動は、
出来ないのだ。既に二度目のスイングバイを行うための航路に魔理沙は乗っている。
この一撃でもくらえば致命傷となる鮮血の豪雨を、魔理沙は回避することなく凌がなくてはレミリアに肉薄できない。
だが、剰余分だけで世界を赤く染め上げる程の魔力を湛えたこの攻撃を凌ぐための手段など、魔理沙に有ろうはずがない。
しかし今、魔理沙は一人で戦っているわけではない。
レミリアの思考が読めるさとりには、この攻撃が展開されることが予想出来ていたはず! だから、
――信じるからなぁあ!!さとり!!
何とかしてくれると、そう信じて魔理沙は突っ込むのみ!!
「これで、幕引きだ!! Sangele meu este cea mai veche, dar este mereu noua... 『 Magie rosie! 』」
超高圧の魔力を孕んだ、何百何千という血液の弾丸が全方位から魔理沙を襲う。
生身の、いやどれだけ強化したとて人間如きが防げるような、躱せるような速度と密度ではない。
さながらそれは紅の大瀑布。真紅に攪拌された、神罰と呼ぶに相応しき魔力の洪水の中で、
「…………マジかよ!? 助かったが……パチュリーに殺されても知らんぞお前!!?」
霧雨魔理沙は未だ、生きている。
傷一つなく、空を征く。
銀色の障壁が魔理沙を守る。
流水に弱い、銀に弱いという吸血鬼の特性はその魔力にも反映されるから、
「改めて、『マーキュリポイズン』だ! シーフでごめんなァああ!!!!」
「貴様……!」
だから、その流れる銀で構成されたフェアリングを、突破できない。
それが霧雨魔理沙が見よう見まねで模倣した魔術ならば、レミリアの魔力はそれを紙のように突き破っただろう。
だがそれは七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジが検討に検討を重ねて編み出したオリジナル。
時にフランドール・スカーレットをも押さえ込まねばならない紅魔館の知識人が心血を注いで編み出したそれは、吸血鬼のあらゆる魔力を遮断してのける。
己が生み出す速度によって圧縮された高温の大気と衝突し、蒸発していく水銀のフェアリングを絶えず生成し続けながら、金銀煌めく魔理沙は前へ前へと圧し進む!
「パチュリーの顔を見るのが怖ぇええよちきしょう!! 非常事態なんでマジ許して……くれないよなぁ! すべてはさとりがやったんだぁあああ!!!」
先程、魔理沙の網膜に飛び込んできたのはそれを成すための魔方陣と魔術の処理方法、そして詠唱だ。
パチュリーはおそらくレミリアの秘術を目にして、己ならばそれをどうやって防ぐのかを反射的に思い浮かべたのだろう。
それを、その手段をさとりは横から思考を読んで、「丸ごとかっぱらった」のだ。
魔法使いの術は全てオリジナルにして、秘匿しておくべきもの。
その研鑽を遠慮なく躊躇なく盗み、あまつさえ他人に譲渡するなど魔法使いからすれば死罪に値する。
だが、そのさとりの蛮行のおかげで。
魔理沙は進路を変えることなく速度を落とすことなく、勝ちを獲りにいけるのだ。
紅の雲海を突き抜けて、フェアリングをセパレーション! 魔理沙の行く手を遮るものは、もう何もない!!!
「死ぬなよさとりぃいいい!!!」
レミリアの転進回避をも織り込んで針路決定した二度目のスイングバイにより鬼の背後に詰め寄って、更に足止めの一撃。
ランデブ軌道、オールグリーン! グラビティビート射出!!
「これで!!」
先読みの斥力弾を叩きつけられて一瞬動きを止めたレミリアに魔理沙が肉薄する。
そのまま魔理沙は迷わず自分の右掌にある星辰儀を爆縮して、
「第4章完だ!!!」
迎撃せんと振り向いたレミリアの左手へと叩きつける!
「「がぁァあああああ!!」」
己の腕が引き伸ばされ引きちぎられ、圧壊していく激痛に耐えながら、左手でもう一撃。
さあこれでドッキングは完了した。後は軌道修正を行うのみ!
「っく、離せ下郎!」
「やかましい!! 『第4章 吸血姫レミリア ~ 駄目なお姉ちゃんでごめんね』はもう読み飽きたんだよ!! さっきからスプラッタばっかでエロスがない! 焼き捨てても服ごと再生しやがるし、おまえにゃ読者だって心底がっかりだろうよ!!」
気を抜けば意識を手放してしまいそうなほどの激痛を、軽口を叩きながら無理矢理圧し殺す。もう少し、もう少しだけ意識が保てればよい。
レミリアが発生させた無数の赤い魔方陣を、それが呪術として破壊力を撒き散らす前にレーザーで粉砕。
地上からの光撃、シュート・ザ・ムーンはその名に恥じず幼き月の反撃のほとんどを撃ち砕く。
僅かに撃ちもらした魔方陣が矢を、縛鎖を生成するが、矢に腹を抉られ鎖に足を絡めとられようとも、ほとんど執念のみで魔理沙は重力塊ごとレミリアをシルバードラゴンの真正面に引きずり戻す。
――このままじゃあ私も巻き込まれるけど、解呪したら逃げられるよなぁ……
迫りくる銀龍の鋭角にチラリと視線を向ると、ああ。
流石に怖気が魔理沙の背筋を走りぬけ、魂が恐怖に凍りつく。
――でも、やることはやったしな。
銀龍を狙ったレミリアの最後の抵抗を魔理沙も念のため最後の一つとなった星辰儀を爆縮して喰らい潰し。
思考を読んだのだろう。魔理沙の直下へと走り寄ってくるさとりの、その表情を確認した魔理沙は満足そうに、
「悔しいが主人公の座はくれてやる。後は任せた。さとり」
小さく、笑う。
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□――― 記銘 - Purgatorio - ―――
紅槍に正面から突っ込んだ魔理沙さんの生存が確認できた瞬間、ふっと体が緊張から解放された。
ああ、でも拙い。魔理沙さんもそろそろ集中力が切れてきたみたいだ。中吉とか考えてる場合じゃないだろうに!
あの脚の槍傷……あれだけの出血ではもう長時間の戦闘は不可能だろう。こっちでも、何か手助けを考えないと。
とは言え……鬼の馬鹿! 阿呆! 速い、速すぎる! 流石は鬼、とても目では追いきれない。読んだときには既に次の行動に移っている。
擬似人格の先読みでフォローするにしても……
現在の構成率は三割強、か。鬼に眼を留めていられる時間が短すぎる!
この状態での疑似人格による行動予測に、一体どれだけの信頼性があるだろう?
これではとても手助けするどころか、不要な情報を送りつけるだけに終わってしまう可能性が高い。
だけど擬似人格を完全構築するまで、魔理沙さんが耐えられるだろうか?
『――夢幻…界で最…な波長を。聞こえているか?』
!? 空耳?……じゃ、ない。でもパチュリーさんは……魔術構築を続行中だから聞こえて、いない?
貴女は!? 一体何者ですか?
『本物のレミリア・スカーレットだ。今は貴様が模倣、構築した私を介して貴様の意識に直接話しかけている』
そ、そんなことが出来るなんて……
『何言ってんだ貴様? 私はお前の尻馬に乗ってるだけだ。ほとんど貴様の能力だろうがこれ』
え? あ、うん。そうですね。確かに。
『お前な……だがまぁこの疑似人格を借りたとて、他者の内面へ強制的に干渉できる時間には限度がある。手短に行こうか、顔も名も知らぬサトリよ』
あ、はい。古明地さとりと申します。以後お見知りおきの程を。
『自己紹介、痛み入る。ではさとり、すまないが魔理沙を助けてやってくれ』
なっ!!
『ふむ、この擬似人格には些か粗が目立つな。私の運命走査結果を送る。5秒後、あっちの私の影が背を向けた瞬間に魔理沙に転写しろ。やれるな?』
え? ええと……精神汚染型テリブルスーヴニール発動3秒前。
転送情報を圧縮。送信後の展開式付与、誤り符号省略、変調完了。光導波路による同期確立、転送……終了。
終わりました。……にしても、なぜ? 鬼の貴女がなぜそこまで彼女に拘るんですか?
『いやまぁ、正直私自身はあんなちっぽけなコソ泥の命なんぞどうでもいいんだがね。あいつが死ぬと私の従者が悲しむんだよ』
従者!?
そのためだけに貴女はこんな小物妖怪に懇願すると?
『従者が心安らかに働ける環境を構築するのは主の役目である。その一過程として霧雨魔理沙の死の運命を回避するために、今私は此処にいる』
! まさか、それが目的で貴女は眠りについたんですか!?
『いかにも。望むものを手にするために、望む環境を維持するために成すべき事を成す。どこかおかしな点があるか?』
……従者の幸せが、貴女の望みですか?
『カリスマを維持する。領民を守る。両方やらなくちゃいけないのが貴族のつらいところで、腕の見せどころでもある……成る程、貴様の精神内にいるせいか、貴様の思考が読めたぞ。ハハ、貴様は私に似ているな、だが……』
だが、なんですか?
『古明地さとり、今の貴様は姉として、一国一城の主として実に情けない』
『さとり!もういっ……しまった嫌なんだったかああもうちきしょう馬鹿野郎この××××!!!!』
!!
『そんな貴様に頼るしかない私のほうが遥かに情けないが、私の運命走査は魔理沙の命を救えるのは貴様だけと答えを弾き出したのだから仕方がない……だがまぁそう複雑に考えるな。要は前向きに苦難の道を歩きたいか、引きこもって静かに暮らしたいかのどちらかを選ぶだけの簡単な二択だ。気楽に選べばいい……と言いたいところだが、もう答えは出ているようだな』
……ええ、これ以上の遠回りも醜態も、私には許されませんので。
『宜しい。さぁどうする? 魔理沙は貴様に頼るつもりはないようだが』
そのようですね。だからこそ私の次の行動は決まっています。
――『さあ、「私達」で、勝ちましょう!!! 恃んで下さい魔理沙さん!!!!』
『さとり! 勝ちたい!勝つんだ!負けたくないんだ!! 力を、貸せェええええええ!!!!』
お任せあれ!! 最適ルートを送りましょう!
擬似人格の構築完了、精神汚染型テリブルスーヴニール発動3秒前、手順の再現、1、0!!
『ハハッ! 上出来だ、今の予測は悪くないぞ! だがこれで私の思考を掌握したなどと思ってくれるなよ? ……しかしなんかお前、私が頭を下げなくても普通に魔理沙を助けていたんじゃないか? 一週間前の運命とちょっと違うような。えーっと、どれどれ? これは…… 魔理沙の仕業か。……あれ? これだと私はまるで強敵を提供しただけの道化じゃない?』
そんなことありませんよ。貴女は十分すぎるほど立派な方です。貴女のような当主でありたいものですね。
『……ええい、ならばいつまで下を向いている! 背筋を伸ばせ。顎をあまり引くな。自信がなくてもあるような振りをしろ! 私より年上だろう貴様?』
もしかして、照れてます?
『やかましい! っと、影の私が本気になったか。どうする? 魔理沙では絶対に耐え切れんぞ!?』
いやぁ、何とかしてくれる人が横にいますよ。
あ、ほらやっぱり何か考えてる。 ……んー、よく分からないけどこれを魔理沙さんに送っておけばよさそうですね。
『……無知って怖いわね。あんた、パチェを怒らせたらただじゃ済まないわよ?』
何言ってるんですか!? 今この場で最も重要なのはどうやったら私達が貴女の影に勝てるかでしょうに!
『いや、うん、そうなんだけどね……ま、どうでもいいか。さ、姉はいつだって妹より格好良く、が基本よ。 私はそうある。あんたもそうありなさい。じゃあね』
ええ、今日から再びそうありましょう。ですがまずは魔理沙さんを助けないと。
っと、まずい。本当に相打ち狙いだ。いや、でも魔理沙さんなら背中を這う蚤のような気味の悪い動きで必ず生き残ってみせるはず!
……何が、可笑しいんですか?
『……いや、なんでもないよ。では「後は任せた。さとり」』
いいですとも! このお姉ちゃんさとりに全て任せちゃってください。
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■――― 第五章 ~分水嶺~ ―――
役目を果たし終えた奇跡の雨は雨雲と共に消滅し、再び空には真紅の満月が輝いている。
だが最初に満月を見上げていた五者のうち、一人が聖別された銀の角に心臓を貫かれて消滅し、二人が地に倒れ伏した。両の脚で立っているのはもはやたった二人。
博麗霊夢の方は豪雨の発生前と全く変わらない。おそらくは脳の損傷で変わらぬ昏睡状態を維持している。
対する霧雨魔理沙は凄惨の一言に尽きる。パチュリーに言わせれば、「右肺と脳が無事でよかったわ」という有様だ。
パチュリーが水術で無理矢理血液を循環させていなければ、魔理沙は一刻と保たずに死に至るだろう。
だから、今この瞬間が、選択の時。
「さて、さとり。貴女に選ばせてあげるわ」
「……何をですか?」
「決まっているじゃない。霊夢と魔理沙、どっちの命を見捨てるか、よ。私にとってはどちらが生き残っても大差はないからね」
「本気で、言ってるんですか?」
眉一つ動かさずにそう語るパチュリーがまるで機械か何かのように思えて、さとりは思わず嘔吐きそうになる。
「魔理沙の話を聞いていなかったの? 彼女は貴女を助けるためにここに来たわけではないわ。魔理沙は、己の望みのためにここへ踏み込んできて、そして倒れただけ。貴女が責任を感じる義理はないし、それに妖怪が人間を救わなければいけない義務もない」
「それは……」
「魔理沙は言ったでしょう? この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道を分かたれていったところでお終いだと。どちらか一人が死ななくてはいけないのであれば、そのどちらかを選ばなくてはいけない」
「私に、それを選べと?」
睨み付けるさとりの視線など意にも介さず、パチュリーはなおも選択を迫る。
「ええ。誤解を招くのを承知でこのパチュリー・ノーレッジ、あえてここに明言しましょう。今も昔もこれからも、私が紅魔館の食客で、そして何よりも本をむさぼる魔女であることに変わりは無い。周囲の環境が変わったとて、それが私の未来に与える影響はごく僅かであるのだから私の選択には価値が無い。だから貴女が苦しまなくてすむほうを選べばいいわ」
「……ふざけないでください! だったら彼女達二人が助かる方法を考えても一緒ってことじゃないですか! どうしてそれを考えようとしないんですか!」
「二人とも生き残る方法ならもう考えたけど」
「へ?」
あっさりと言い放ったパチュリーに、さとりは思わず状況を忘れてマヌケ面を返してしまう。
「知りたいのなら教えるけれど、どうする?」
「本当に回りくどい人ですね……お願いしますから教えてください」
「先に言っておくけど、私はそれが可能だとは思っていなかったし、それ故に黙っていた。失敗すれば一人の人間の死を犠牲にエンディングにたどり着くという未来は消えて、再び登場人物を補充するまでこの世界は存在し続ける。この意味は分かるわね?」
「つまり、失敗したら犠牲が増えるだけ、と言いたいのでしょう? じゃあ何でその方法があるということを最後まで黙っていなかったんですか?」
「私がインテリゲンチャだからかしらね。問われたからには問うた者に利のある解を示さねばならない。それが知識人の務めだもの。それが出来ない知識人なんて辞書以下。存在する価値すらないわ」
律儀なのか融通が利かないのか。いずれにせよこの知識人を有効活用するのはまことに骨がおれる、ということだけは嫌というほど理解できた。
「回りくどい上に実に難儀な方なんですね……とりあえず続きをお願いします」
形容し難い表情を浮かべたさとりを憎々しげに睨んだパチュリーは、それでもさとりの望みに応えて言葉を紡ぐ。
「この世界における敵の正体は貴女の心の中に巣食う心の闇というのは魔理沙が明らかにしてくれた。すなわち、困難な夢へ挑む者の背中を不用意に押してよいのかという葛藤。人の心が分からないという嘆き。置いて行かれた、なのに帰る場所を守らねばならないという苦痛。妹に何もしてやれないという悲しみ。それらが最も似通った者達の皮を被って私達の前に立ちふさがって来た。だから答えは簡単。それらの根源を一時的にでもすべて滅してしまえば、もはやストーリーは敵を用意できなくなって破綻する。意味は分かるわよね?」
「私が、ありとあらゆる心の闇を克服すればよい、ということですか?」
「正解。但しそれが一時的ですら容易でないことくらい、貴女にだって分かるでしょう?」
さとりは首肯せざるを得ない。ありとあらゆる存在から嫌われるサトリが抱えた闇が一朝一夕で晴れるはずがないのだから。
「魔理沙の問いかけで何か変わった? ええ、表面上は変わったのでしょうね。でも根っこの部分で貴女は魔理沙の言を受け入れていない。……ああ、非難するつもりはさらさらないわ。だって彼女の言葉なんて、二十年も生きていない小娘のそれよ? そんなものであっさり蒙が啓けるならば、ありとあらゆる存在が賢者として覚醒できる」
百年以上を生きた魔女、五百年以上を生きたサトリにとって魔理沙の言葉など未熟者の戯言に過ぎない。
魔理沙は世界には幸せを護ろうとしてる奴がいる、と言ったが、その手があらゆる者に平等に伸びているはずがない。
現にこいしは目を閉ざし、友人だった少女は死んだ。彼女らにそれほどまでの苦難を背負わねばならない咎など無かったというのに、だ。
現実は常に非情であり、そんな夢妄想に浸るような言葉など容赦なく轢き潰して行くのだから、
「確かに貴女の言うとおりです。霧雨魔理沙の願いは世界の厳しさを知らぬ幼子のそれかもしれません」
さとりもまた、魔理沙の言が稚拙であることを否定しない。
魔理沙の言葉自体はそこまでさとりの心を動かすようなものではなかった。されど、
「されど、彼女は言葉だけでなく行動で私に未来を示してくれました。それだけは間違いありません」
「レミリア・スカーレットの影をかぶった闇を、貴女の絶望を一つ消し去ったことかしら? 諦めなければ、届くのだと」
「確かに、それも希望でしょうね。ですが私を突き動かすのはもっとちっぽけな行動なんです。思い返してみれば、彼女は私を背後に置くことに何の抵抗も感じなかったんですよ。意味は分かりますよね?」
意趣返し、と言わんばかりにさとりはパチュリーに問い返す。
「貴女は一度だって、私の視界内で長時間私に背を向けなかった。いえ、貴女だけではありません。私がサトリだと知った者達のほとんどがそうでした。私を背後に置けば私が瞳を向けているか、すなわち心を読んでいるかいないかの判断が出来なくなってしまうから」
「……」
「ですが彼女と、そして霊夢さんも。私を箒の後ろに乗せることに、背を向けることに一切の嫌悪を見出さなかった。それに何より、あの最後の瞬間」
そう、レミリアが重力の井戸から脱出して自由を取り戻したあの瞬間に。
「魔理沙さんは私に助けを請うべきだった。でも彼女はそれを打ち消した。私が、『人の心を覗いて欲しい』と求められるのが嫌だ、と言ったことをあんな状況ですら忘れていなかったから」
正直に言えば、無駄な躊躇で馬鹿だと思う。なぜなら魔理沙はその前に「またやろう」と言ったのだから。
サトリが戦うというのは即ち他人の心を覗くことであると、その瞬間まで気が回っていなかったのだから。
パチュリーが稚拙と切って捨てるのも頷ける。
でも、だからこその本心。理論だてて考えたことじゃない、脊髄反射の思考だからこそ、本心が乗る。
そう。魔理沙の稚拙な理論より、人の可能性より、生死の境ですらさとりを慮って躊躇したというその事実こそが、何よりも嬉しい。
「そうやって、か細い一縷の望みにすべてを託して夢を追ったっていつかは折れるわよ。魔理沙がそうやって生きていけているのは未だどうしようもない挫折というものを体験していないからに過ぎない。世界にはどうやったって越えられない壁というものがあるのだから」
そんなことはさとりだって知っている。魔理沙だってもし霊夢が魔理沙に関することで死を選べば、最後に霊夢が何を思っていたかさとりに問うに違いない。
人の心はそんなに強いものじゃない、そんなことは分かっているのだ。
でも。
「……貴女の言葉は否定ばかりですね」
「何?」
世界がサトリに優しくない、と。
心の底から理解した過去の日から、古明地さとりの夢は唯一の肉親たる古明地こいしの夢を守ることになった。
こいしは人の中に紛れるのが好きな妖怪だったからさとりは人とのつながりを求めた。
でもそんなこいしが眼を閉ざしてしまったから、さとりにはもはや何を夢見てよいか分からなくなってしまっていた。
でも、今は。
さとりはもう御託はたくさんだ、とばかりにまくし立てる。
「だったら! 貴女は何なんですか? 彼女の生き方を稚拙と切り捨てる貴女は、一体世界に何をもたらしているんですか? 子供の夢を馬鹿にするのが先人のやることですか!? 違うでしょう! 先人がやるべきことは、後に続く者達が幸せであるように理不尽の壁を壊していくことでしょうに! 子供の夢を馬鹿にして、踏みつけて、これが現実だとでもふんぞり返るつもりですか!? それで貴女は先達を気取るつもりですか!!」
「ならば、貴女はどうだと言うの? あらゆる現実から目をそらして引きこもっていた貴女が、私の何を偉そうに非難できると言うのかしら?」
夢を見た少女が夢叶わず消えていったこともさとりが夢を投げ捨てることの後押しをした。
夢を見たって叶うはずはないのだと、そう理解したさとりの生活は輝きを失ってただ静かに事務処理をこなすのみ。
だがそんな生活で塗りつぶそうとしたって、さとりの夢はさとりの心の奥底で延々と燻っていたのだ。
「……仰るとおり、今の私には貴女を非難する言葉はあっても否定する言葉を持ちません。だから、これから『なる』んですよ!」
「本当になれると、思っているのかしら?」
英雄になりたいのだと。
そう語った、どうしようもない程の愚直さを嘘で隠している少女の夢が。
僅かながらもさとりのことを思ってくれた少女の夢がこんなところで途切れてよいのか、と。
己は再び過去の悲劇を繰り返して、しかしそれに何も思うことなく地底でなんともなしに生きてゆくのか、と!
魔理沙が助力を求める叫びをさとりを思って押し殺した瞬間、埋火だった古明地さとりの夢は猛然と気勢を上げた。
今までよくも封印してくれていたなとばかりに炎上するそれは、燃え盛って灰色のさとりを内側から焼き尽くしてしまった。
なおも否定を続けるパチュリーを爆誕した新生――いや原始のさとりは轟然と見下ろし朗々と謳い上げる!
「なりますとも! 私の夢は『立派なお姉ちゃん』であることだったんですから。後行く者に格好悪いところなんて、これ以上見せられないんですよぉお!」
それが古明地さとりの夢の正体。何処までも分かりやすいエゴの塊。
されど衒いなく誇張なく、何処までも等身大の少女たるさとりの願い。
世界に救いの手が少ないと言うなら、古明地さとりが手を伸ばす!
さとりは頼られたくないのではない。本当は恃まれたくて、頼りにされたくて、そして今日、
「後は任せた」と頼られたのだから!
「……フフ、フフフフフ」
そして、その叫びを耳にしたパチュリー・ノーレッジは。
「アハハハハハハハ! 素敵じゃないの! 『立派なお姉ちゃん』だなんて!」
可笑しくて仕方がない、とばかりに大爆笑していた。
そう、紅魔館の住人がそれを眼にしたら夢か幻かと目を剥いて驚くだろう程に。
だがそんなことはさとりには関係ない。己の夢を嘲笑されてむかっ腹が立つばかりである。
「おかしければ其処で一人で笑っていてください」
「アハハハハハハハ! ファファファ、フフフアハハゲファ! ゴフッ! ゴホッ!」
ツボに入ったかのように延々と笑い続けていたパチュリーであったが、元々は喘息持ちの病弱っ子。
呼吸器系はさほど強い方ではなく、たちまち自分の笑いについていけずに呼吸を乱して沈黙した。
「……気は済みました?」
「ハーッ、ハーッ……魔理沙の『英雄』に匹敵する位恥ずかしい夢なのね。でもまぁ、嫌いじゃないわ」
「ないんだ」
「ええ。貴女が霊夢と魔理沙の命を秤にかけて、それを等しく扱ったのと同じ。人の命に貴賎がないのと同じく人の夢にも貴賎なんてないもの。それに私の夢だって『立派な魔法使いになる』だったしね」
だったし、と澄ました顔で言い切っている点がさとりとパチュリーの相違点なのだろう。
重要なのは夢の大きさではなく、夢をかなえるために動いているかである、とでも言いたげなパチュリーの表情にさとりはちょっと敗北感を覚える。
「パチュリーさんは、もう夢を叶えたんですね」
「叶えたけど、まだ終わってないわ。立派な魔法使いは立派であり続けなければならないのだから。私だって結構苦労してるのよ? 私は精霊魔術を得意とする田舎魔法使いなんですもの」
「精霊魔術って、田舎魔法なんですか?」
地底暮らしが長いさとりにとってはパチュリーの言動は十分に垢抜けているように感じられるのだが、
「大自然から魔力を抽出するような古典的な魔法は今じゃ時代遅れなのよ。今では小道具を使ってコンパクト、かつ速攻で発動する魔法の方が知的に見えるらしくって、そっちが魔界のトレンドよ。 ……ついでに言えば私自身だって元々の出身はド田舎、流行の服のなんたるかも知らない田舎娘だもの。でも、そんな私がこの幻想郷ではほぼ最年長の職業魔法使いなのよ? だったら、先達として無様な姿は見せられない」
それは不器用ながらもアリスや魔理沙にとって時には壁となり、時にほんのちょっとくらいは助けにならんとする先輩魔女としての誇り。
ますます年下の魔法使いに一歩先を行かれているようで悔しくなったさとりは、だからただ一点、センスに関してのみ得心して深々と頷いてみせる。
「ああ、だからネグリジェみたいな部屋着で通してるんですね」
「何か言ったかしら? カオスディメンションの主」
「いやまあ地霊殿は確かに結構カオスでシュけど! シュマちゃん違うって何度言ったら分かるんでシュか!」
「ふふっ、さあ今度こそ御託は終わりにしましょう? 目覚めた眠りし者。今やそいつの眼はすべてを見通す。さあ行きなさい。行って、第四の壁をぶち壊してきなさいな」
草紙の中だから第三の壁かしら? とパチュリーは小さな疑問符を一つ浮かべると、それっきりさとりの方は見向きもせずに瀕死の魔理沙の生命維持に傾注する。
……結局のところ第三の眼が閉じた状態のさとりには、さとりを非難したかと思いきや背を押すかのように賛同してもみせるパチュリーの真意が何処にあるかは分からなかった。
でも魔理沙の生命維持に全力を尽くしているパチュリーの姿は芝居ではないと思ったし、それが真実であろうとなんとなく信じられた。
だから、最後まで眼を開くまでもない。さとりは二刀を改めて佩きなおすとパチュリーに背を向ける。
「ああ、せっかくだから持って行きなさい」
そんな声と共にさとりに向かって放り投げられたのは魔理沙が持っていたマジックアイテム、ミニ八卦炉だ。
「一つ教えてあげるわ。分霊というのは何も神に限った話ではないの。永く愛用した道具には己の分霊が宿る。ほら、よくお話で友の形見が命を救ってくれたりするでしょう? それって奇跡でもなんでもないのよ。実際のところは道具に宿った持ち主の分霊が新たな持ち主に呼応して、その実力を遺憾なく発揮しただけに過ぎないってこと」
「貴女にかかればあらゆる奇跡がただの現象になってしまうのでしょうね……しかしパチュリーさんって結構いい人だったんですね」
「世界の不思議を解き明かすのが知識よ。そして知識には良いも悪いも無い。受け取る者次第なのよ」
そう言いつつもちょっと誇らしげに、パチュリーはさとりに笑ってみせる。
「次に顔をあわせる時はベッドの中かしらね」
「なんかそういう表現するとエロくってドキドキしますね」
二、三の忠告を受けた後、さとりは紅魔館の門をバァンと蹴破って中へと進む。
古明地さとりにとって紅魔館は未知の館、されど恐れるものなど何もない。
出るのは鬼でも蛇でもない。どうせさとり自身なのだから。
前進制圧。敵見必殺。古明地さとりの未来への展望で、すべて打ち砕くのみだ。
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□――― 記銘 - Paradiso - ―――
蝋燭の灯りが揺れる館の中を、私は一人歩いていく。
美しい館だった。
廊下のそこかしこには調度品を配置した白い大理石の台座が整然と並んでおり、くるぶしまで届こうかという毛羽を湛えた真紅の絨毯は手入れが行き届いていて、おざなりさは微塵も感じられない。
そう、雨水に濡れた私の衣服からこぼれる雫で湿らせてしまうのがちょっと申しわけなく思えてくる位に。
屋敷に住まう者の、主の満足だけを求めた結果がそこにあるのだろう。
「地霊殿は、こいしにとって此処に居たいと思える場所ではなかったのね」
帰ったら、まずは地霊殿の手入れを始めよう。少しでも居心地の良い館に変えるために。
あちこち埃が溜まっているところも多いだろうし、ランプの数も増やして陰鬱な影に沈む空間を消し去ってしまわないと。
とはいえ妖獣ばかりのペット達は妖怪ゆえに闇に潜むのが好きだから、そこはちょっと配慮しないとかもしれない。
「久しぶりに鏡台も手入れしておこうかな」
こいしとおそろいの鏡台。化粧をするためだけに作られた家具。よそ行きの時、客を招き入れる時のみ使われる家具。
屋敷の中に引きこもったが故に他者に見られることがなくなったため、不要となって心の中で捨てたもの。
されどこれからは、再び必要になってくるものだから。
「こいしも花が好きだったから、花で館を飾るのもいいかもしれない」
紅魔館の中庭にある花壇はとても素晴らしいものだった。夜空ではなく晴天の下で見ればさぞ輝いて見えたことだろう。
地霊殿にもあんな花壇があったらいい、と思う。
これまでは日の光届かぬ地底ゆえ、ろくに花なんて育てられなかったけれど、今の地底には太陽の化身といつの間にか相成っていた空がいる。
お願いしたら、空はこいしのために花を育ててくれるだろうか?
そんな、これからのことばかりが幾つも幾つも頭の中に浮かんでくる。そう、夢を抱いて生きるっていうのはこういうことだったんだ。
ただ衣食住をこなすだけだった場所ですら、これまでと違った輝きを持っているかのように感じられる。
私自身の眼が閉ざされていたから世界が無色に見えていただけで、世界はこんなにも色彩に溢れている。
無論その中には眼を痛めつけるような極彩色や全てを塗りつぶすかのような漆黒も無数存在していて、それらはいずれ私達を傷つけるのだろうが。
「それでも、眼を閉ざしているよりかは、ずっといい」
そう、ちゃんと眼を見開いていれば、きちんと目指すものに向かって歩いていける。
「だから私の敵は、日の当たる地上には居ないのね」
館を一通り巡り終えても、妖精一匹見当たらない。
玉座の間も、食堂も、主の寝室も、従者の部屋も、厨房も、倉庫も、食料庫も、武器庫も。
そしてパチュリーさん自慢の紅魔館大図書館も同じようにもぬけの殻だ。
最後に残ったのはたった一つ。
パチュリーさんに教えてもらった秘密の入り口、のうちの一つ。
本棚の前に立って、そこに収められている本の一冊をぐいと押し込むと、その奥にあるスイッチが作動して本棚が90°回転する。
歯車がきしむような鈍い音と共に本棚の後ろから現れたのは、逆さ摩天楼を髣髴とさせる暗い暗い階段だ。
光を取り戻したこの眼ですら闇としか称しえないその階段を私は一歩、また一歩と下っていって、終点に佇む扉をガチャリと開け放った。
◆ ◆ ◆
「誰?」
「蛇蝎です。地底一の嫌われ者ですMiss Darkness. 貴女の時間を今少しばかり私にいただけませんか?」
うっすらと埃が積もった、地下とは思えないほど広い一室。
私が持ち込んだランプの灯りが照らしているのは僅かに本を並べる小さな本棚と机、質素なベッド。
そして部屋の片隅で小さくうずくまっている十歳前後の小さな少女だ。
何処に肉がついているのかと言わんばかりに骨と皮ばかりが目立つ四肢。元は美しい光沢を放っていたのだろうくすんだ髪は埃で薄汚れて見る影も無い。
服と称していいものか判断つきかねるボロを纏った少女の全貌で唯一輝いているのは、闇の中でも敵意を湛えて爛々と燃ゆる双眸のみ。
力無くうずくまっているように見えるがしかし、膝を浮かしていつでも飛びかかれる体勢を維持しているその様は果たして猟犬か狂犬か。
「あなたが私の敵でないという保証は?」
「全くありません。何せ私は眼が三つあるという世にも奇妙な生物でシュので。自慢じゃないですが怪しさには定評があること間違いないでシュ」
おどけて語る私を信頼してもらえたのか、もしくはただの馬鹿だと思ったのか、それとももう自暴自棄なのか。少女は力無く「いいわ」と呟くと少しだけ警戒を解いた。
やれやれちょっと一安心。
「こんなところまで嗅ぎ付けられた以上、私にはもう逃げ場もないしね。殺しあう前にお話しましょ? あなたは誰?」
「古明地さとりというしがない愛の伝道師です。以後お見知りおきを」
「刻み込むのはあなたが馬鹿だという認識で問題ないかしら?」
「よろしいのではないかと」
満足げに笑う私を腐敗した発酵食品でも見るかのような眼で眺めやった少女は軽く溜息をつく。
「それで、本当の用件は何?」
「貴女を日の光溢れる世界へ連れ出しに来ました。世界は愛で溢れていますよ? 私の愛で」
「……お断りするわ。一人で帰って「なぜです?」
速攻で聞き返したのが功を奏したのか一瞬少女は驚愕に目を瞬かせたものの、すぐに暗い目で私を睨みつけてくる。
「外の世界では私は生きていけないからよ。あなたの三つある眼程じゃないけれど、私も普通じゃないの。普通じゃない存在はただそれだけで嫌われるのだから」
「だからとて、世界の全てが貴女を嫌っているわけでもないでしょうに。私は別に貴女を嫌いじゃないですよ?」
「へぇ?」
ひときわ強い視線で私を睨みつけた少女が手を開いて、ふらりと立ち上がったと思った瞬間。
私の背負っていた楼観剣と腰に佩いていた白楼剣の下げ緒がブチリと切れて両刀は地へと落下し、たちまちのうちに私は武装解除されてしまった。
なんとまぁ、一体何が起こったのやら。でも彼女が尋常ならざる能力を持っていることだけはまぁ、理解できた。
そしてその圧倒的な能力が一般人にどれほどの戦慄をもたらすのかも。
「私も異能持ちの嫌われ者なので、貴女からのメッセージは理解できました。ですがそれでも私はやはりここから出ましょうと貴女を誘い続けます」
「なぜ?」
「結局、ただ引きこもっていると熟成発酵を通り越して腐敗しちゃうからですよ」
脅迫が意味を成さない、と判断したのか少女は小さく首を振った。
その動きにあわせて少女の頭から埃がはらり、はらりと舞い降りる。
一体どれ位の時間を、彼女は誰とも出会わずにすごしてきたのだろうか?
「確かに誰とも顔を合わさずに引きこもっていれば傷つくことは無いでしょう。ですがそれで生きていると言えるのですか? 食べて寝て、食べて寝てを繰り返しているだけで本当に貴女は幸せになれるのですか?」
「……! 私だって、ただ引篭もっているわけではないわ。今の私は小娘だから、力が足りないから。今はただ成長するのを待っているだけよ」
「ほう、では世に出るのはいつですか? 幾つになったら世の中に出て行こうとするのですか? そのための修練は? 毎日どれだけ筋力をつけてます? そのいつかっていつか、ちゃんと定めてます? 話術は? 交渉術は? 人と話さないでどうやってそれを培うつもりですか? 身なりはどうやって整える「もう止めて!!」
いつでも私を殺せるであろうはずの少女が怖じ気づいたかのように声を張り上げる。
「もう止めてよ! どうしてあなたはそんなことを言うの? 私だってこんな薄暗い場所で一人で生きていたくなんか無い! 当たり前じゃない!」
少女が叫ぶ。世界の冷たさを憎むかのように。
「でも仕方ないじゃない! 確かに私を気の毒に思って手を差し伸べてくれる人もいたわ! でもそんな優しい人達も私に関わったばかりに非難されるのよ!? 世界は何処までも私に優しくないの! ならば私は誰も傷つかないために、ここに引き篭もるしかないでしょう!?」
「確かに、それで貴女の周りの人々は平穏無事に生きられるかもしれません」
ああ、やっぱりこの子も私だ。
忌み嫌われる能力を持つが故に外に出ることが出来ない。
外に出て、自分が傷つくのも怖いが、何よりもそれによって傷つけたくない相手を傷つけてしまうことが恐ろしい。
でも。
「でも、それでは貴女が幸せになれない。貴女にだって、夢があるでしょう?」
少女は愕然としたように息を呑んで私を睨みつけてくる。
まあ当然だろう。私の発言は「他者を傷付けてでも夢を掴み取れ」とも取れるものだから。
「そんなこと、許されるはずが無い」
「いいえ、許されます。貴女の言うとおり、世の中は私達に優しくないかもしれない。だからこそ私達は夢を追わねばならない。私達に優しくない世界を見返してやるためにも」
「……」
「これは戦争なんですウォー! 世の中には私達を悪と断じて傷つけることに躊躇いの無い者達がたくさんいます。私達はそれに泣き寝入りをするのではなく、逆に頬を張ってやらねばならないんですよ! 私達を愛してくれる者達に愛情を返して、私達に悪意だけをぶつけてくる者達は全身全霊を以ってフルボッコにして簀巻きにして地底湖の底にドッボーン、ブクブクブク。そうしなければならないんです。そうしなければ世界はいつまでも私達に優しくないままなんです」
「でも……」
「言いたいことは分かりますよ。それらの悪は狡猾で、大概は数を味方につけているから。それらは何処までも強大で、私達はちっぽけです。それでも、そんな悪意に負けて夢を諦めちゃいけないんですよ。そうしてしまったら何のために生きているのか分からなくなってしまう。 ……私達嫌われ者は、幸せになる権利すらありませんか?」
「幸せに」。その単語を耳にした目の前の少女は小さく身体を震わせる。
「でも、なら、私達に協力してくれて、そして不幸になってしまった人達に私達はどうすればいいの?」
「その真心を心に刻み込みましょう。そして感謝を返しましょう。言葉に出来ないほどの感謝と、礼を。差し伸べられる手を拒否するのではなくて受け入れて、そしてそんな優しく、勇気ある人達が手を差し伸べたことを後悔しないように、あらん限りの感謝を返しましょう。そして何より私達の手で、彼らを守りましょうよ。そっちのほうが素敵じゃないですか!」
胸を焼く苦痛に耐えかねているかのような表情の彼女に、語りかける。
自分でも偉そうなことを言っていると思う。何せ目の前にいるのはこの夢の中に引き込まれる前の自分なのだから。
魔理沙さん達の話によると外では一週間程度が経過しているらしいものの、私の体感時間はたったの一日程度。
そんな短期間でよくもまぁ手のひらを返したかのごとく高尚っぽい綺麗事をほざいているものだ。
でも、
「私の手を取ってください」
胸を張って、手を伸ばす。
かつての私はそんな奇麗事を夢見ていたんだ。奇麗事を嘲り、唾吐くことで自分を大きく見せるような張りぼての大人にはなりたくない。
だから、少女に語りかけるのではなく、自らの内で再び気炎を上げたこの夢を。
夢の中で取り戻した夢を私自身に焼き付けるかのように私自身へと語りかける。
「私と一緒に戦ってください」
これは相手を説き伏せるのではなく、私自身を説き伏せる戦いだ。
ならば、普通に私がやるような行動だけでは足りないはず。それで足りるなら私は既に自分の力で一歩を踏み出していたから。だから、
「一人でがんばっていると時々泣いちゃいそうになるんです。だから助けてくださいMiss Darkness. 私が貴女を護りますので、貴女が私を護ってください」
「でも……でも、それでも私はこの部屋から抜け出す一歩を踏み出せない」
「じゃ、この部屋壊しちゃいましょう。マスタースパークどーん!」
さあ、魔理沙さんの言ったとおり家を焼くぞぉー!
どーん! と頭上に向けて八卦炉を構えるとそこから溢れ出したのは凄まじい熱量の渦。
細い火線は瞬く間に野太い光の支柱となり、行く手にあるもの全てを飲み込んで蒸発させていく。あとに残るは天に輝く真紅の満月だけだ。
うーむ、そのつもりでやったとはいえ……ドーピング超人魔理沙さん、凄いですね。一撃で数十mからなる土砂と紅魔館をあっさりとふっ飛ばすなんて。
「はい部屋無くなっちゃいました。困っちゃいましたねーどうしまシュ?」
「……呆れた人ね。勝手に押し入ってやることがそれ?」
「今の私にはシーフの魂が宿ってますので」
「シーフは家を壊さないと思う……」
少女は肩をすくめて私にかすれたような声を返すけどいいえ、シーフは家を壊すんですよ。
残念なことに少女はこのような馬鹿みたいに馬鹿な行為を大真面目に実行する輩にどう反応してよいか知らなかったようだ。
その気持ちは実によく分かる。私も地霊殿に踏み込んできた人間達に相対したときは全力スルーさせてもらったし。
だけど私は目の前の少女にスルーさせるつもりなんて無い。
「私と共に歩んではくれませんか?」
おずおずと手を伸ばしてきた少女が、
「あなたを、信じていいの? あなたは、私を裏切らない?」
問うてくるが、
「いいえ、私は貴女を裏切ります」
伸ばされていた手が、ピタリと止まる。
「私は貴女ではありません。私は貴女が望む理想の他者には成り得ない。だから私は必ず貴女の意に沿わない振る舞いをするでしょう、でも」
深呼吸をして、背筋を伸ばす。
「それは貴女が嫌いだからじゃないんです。貴女を傷つけたいからじゃないんです。どんなに傷つけたくないって思ったって、私達は他人だから理解し得ない部分がある、傷つける。嘘も吐く。それでも」
届くだろうか? 届いて欲しい。
「この、共にありたいと願う感情は、一瞬たりとも偽物なんかになったりはしないんです。だからお願いしますMiss Darkness. 私の手を取ってください」
少女の、手が。
迷いながらも、そっと、伸ばされる。
「ありがとう」
そう呟くと、心中が何か暖かいもので満たされていく。
私の掌に触れた少女の手をぎゅっと握り返せば、さあ後はここから出ていくだけだ!
右手で少女の手をしっかりと掴んでふわりと夜空に舞い上が……ろうとした私は、今は自力では飛べないことを思い出したので、
「ブレイジングスターぷりーず!」
人に頼るのである。
カモーン! 分霊魔理沙さん! 二回目アシストお願いしまーっす。
左手に持つ八卦炉を地面に向けた途端、ゴゴゴゴゴ、と内臓を揺さぶられるような衝撃と共に私と少女は空へと舞い上がる。
純国産ロケット、さとり一号は今やとどまるところを知らない空を切り裂く流れ星!
「さあ、何処へ行きましょうかMiss Darkness. 何処へなりともお連れしますよ? 貴女の夢は何ですか?」
轟々と火花を放つ八卦炉の炎に炙られそうになっている彼女は、それゆえに恐々とした面差しを私に向けていたけれど。
その問いかけにふっと表情を和らげた。
「手入れの行き届いた館、真っ白なシーツに暖かい食事。優雅に笑う幼い吸血鬼、我が主とその妹君の満足。気取らない同僚、役に立たない部下達。そして私を恐れない人間の友人達の笑顔」
それが彼女の夢。彼女が守りたいものの全て。
「やはり私と貴女は似ていますね」
満たされた者だけが浮かべられる瀟洒な笑みを形作った少女はそうかもね、と小さく呟く。
「何処へ行きたいとも思わないわ。私の居場所はやはり紅魔館なのだから……ああ、あとMiss Darknessは止めてくれない? 私には十六夜咲夜という大切な名前がありますので」
「了解しました咲夜さん。それではまたいつか、お会いしましょう」
「ええ、さようなら愛のロケット。じゃ、余分なペイロードは消えるわね。 ……3,2,1、十六夜咲夜、セパレーション。 Good Luck!」
にこりと笑って本機から分離した少女もまた、これまでの皆と同じように半透明になって消えていく。
手のひらから重さが消え去ったことは嬉しくもあり喜ばしくもあり、しかしちょっとだけ寂しくもある。
「まだ、終わりではないのね」
目の前に現れた巨大な結界。
死者の住まう世界と生者の住まう世界を分かつ壁。多分この先が最後の舞台だ。
◆ ◆ ◆
やはり箒がないとブレイジングスターは格好悪いなーなんて思いつつ降り立ったそこは桜の杜。
世界は未だ静謐の闇夜であるものの、無数に浮かぶ人魂が放つ燐光によって桜の花が朧と闇に浮かび上がっている。
心を洗い流すかのような美しさを誇る桜の木々が立ち並ぶ光景は、花無き地底に引き篭もっていた私にとっては博麗神社を思い起こさせる。
「お疲れ様、さとり」
「また、会えて嬉しいです。……ですが貴女は本物なのですか? それとも私の記憶の中から引っ張り出された影なのでしょうか」
「無論本物よ。400年間草紙の中でじっとしているのは中々しんどいものがあったわ」
だから、そこに少女がいることに何の違和感も感じない。
白衣に緋袴という出で立ちに白い元結で髪を結わえた少女。私の二人目の友人であった少女。400年近く前に死んだ少女。かつての博麗の巫女。
浄玻璃の鏡を覗き込んでみるけど、そこに写っているのは半透明だけど紛れも無くかつての少女自身の姿であり、私自身の影なんかじゃない。
「草紙の中で、ですか?」
「そう。ほら、貴女が書いた『心曲』よ。私ってこいしに連れられて、そのまま閻魔を通さずに旧とはいえ地獄に来ちゃったじゃない? だから私の魂は迷子になっちゃってさ」
「うぐ」
ちょっと、いやかなり罪悪感が。
「いや、こいしに連れてってって言ったのは私だから気にしなくていいわよ。んで、魂だけになった者はひっきょう体を求めるわけだけど、そう都合よく体なんてあるわけないじゃない、と思っていたらあの草紙にぶち当たったってわけ。都合よく私達についてのストーリーだったし潜り込むにはちょうど良かったみたいね」
「じゃあ貴女は本当に400年も草紙の中で眠り続けていたんですか!?」
「うんまぁ。だって草紙は自分じゃ動けないし、死神も迎えに来ないし。さとりが草紙を開いてくれる日を待ってたんだけどなー。まさか宿主の草紙そのものが妖怪化しちゃうとは夢にも思わなかったわよ。さすがにこれにはちょっと焦ったわ」
「……すみません。あの草紙は一生開くつもりはありませんでした」
『心曲』は私の苦しみを、嘆きを、悲しみを。絶望を閉じ込めたものだったから。
博麗神社にも似通った美を見せる桜の園で、少女は郷愁の痛みに絶えかねたようにこぶしを握り、そして力なく開く。
「そっか……ごめん。傷つけるつもりは無かったんだ。いやごめん嘘、ちょっとはあった。でも幸せになって欲しかった。あれがあの時の私の最善だったの」
「……今でも後悔しています。なぜ私は貴女の力になってあげられなかったのかと」
「その後悔は不要だよ。さとりはさ、自分が失敗したと思ってる? だとしたらそれはちょっと勘違いだと思うな。最善を尽くしたってどうしようもないことはやっぱりあるんだよ。最善を尽くせば何もかもうまくいくなんて、世の中そんなに優しくは無いでしょう?」
「そうですね。貴女の最善で私達は三者三様に傷つきましたし」
ちくりと少女を責め立てる。私達に何の相談もせずに一人逝ってしまったのだからこれ位の復讐はして然るべきであろう。
一方でこの親子は基本短気だったから、自分が悪いと謝罪しながらもだんだんと不機嫌になっていって。
「わ、悪かったわよ。あーもー、土下座でも裸踊りでも何でもしてあげるから許してよ! 本当にそんな悲しむなんて思ってなかったんだってば! 母さんは強かったし、貴女達は心を読める妖怪なんだから多少の惨事ぐらい慣れっこだって思ってたし……」
「じゃ、とりあえず裸踊りで」
「夢想封印」
お約束どおり三秒後には私は桜の絨毯の上で大の字になって横たわっていた。
ああ、このやり取りも久しぶりだなぁ。
「……ねぇ。さとりってもしかして被虐志向でもあるの? ぶっ飛ばされて嬉しそうってなんか怖いんだけど」
「いえ、ただ懐かしいな、と」
「そっか、そうだね」
大の字に倒れる私の横に少女がちょこんとしゃがみこむ。
「眩しいね」
「何がですか?」
「さとりの手の中のそれ。私もそんな風に生きたかったけど、こればっかりは性格の差かな……いや、そいつは強くって、そして私が弱かっただけか」
「そんなことは……」
「あるよ。強い奴が諦めない奴とは限らないけど、諦めないでいられる奴はきっと強いんだ」
そう、確かに心に確たる芯がある者は大抵が強者となる。
一方で志を曲げないと言うことは傍若無人と紙一重だから、大概そんな奴はトラブルメーカーだったりもするのだけど。
「でも、どんなに諦めないと願っても、いつかは壁にぶち当たる。世の中そんなに優しくは無い、でしょう?」
「そのために貴女がいるんでしょ? さとりお姉ちゃん」
さとりお姉ちゃん。幼い時の少女に私は確かにそう呼ばれていた。
幸せになって欲しかった友人。幸せにしてあげたかった友人。こいしに続いて妹分のように愛しかった少女。……そして、こいしのために私が見捨てた少女。
「……でも、私は貴女の力になってあげることが出来なかった」
「誰だって上手くいかない時位あるし、優先順位だってあるよ。さ、ほら立って? 最後に一仕事しないと」
「一仕事?」
嫌な予感がした。いや、それは既に予感ではないのだろう。私がここにいて、少女がここにいる。その理由を私は知っている。
この夢幻世界が今も続いていて、私と少女が会話を出来ているのは草紙の親切心でも奇跡でもない。
多分、少女が私の最後の敵。私が私の夢を叶えるというエゴを貫くために、消し去らねばならない心の弱さ。
「そう、もう分かってるよね? さとりはこれから何度も苦しんで、躓いて、転ぶんだから。一回上手くいかなかった位で延々挫折していちゃ『立派なお姉ちゃん』にはなれないよ? 悔恨にも、うまくケリをつけられるようにならないと」
「でも……でも!」
「さまよえる魂に引導を渡すと思えばいいよ。そういう納得の仕方もまた、折り合いだと思うし」
「貴女は、それでいいのですか?」
「勿論。さとり達を傷つけた私が僅かとはいえ力になれるというのであれば、文句なんて無いよ。そのために私は400年、ここで眠り続けていたんだと思う」
もっとも、あっさりやられてあげるつもりは無いけどね、と呟いて立ち上がった少女の周囲には、光り輝く八つの光弾。
いつまでも寝ていたら間違いなくそれを私に叩き込んでくるだろう。この子はそういう子だ。
だから私は痛む体に鞭打ってよろよろと立ち上がり、少女と正対する。
「やっぱ、自殺だから私は改めて地獄行きかな? 眠ってる皆の記憶を読んだんだけど、今の幻想郷担当の閻魔様って石頭なんだよね?」
「ええ、ですがご安心を。貴女の魂は400年も眠り続けていた規格外ですし、特例ということで私の直属上司のところまで連れて行きます。あの方は色々と俗っぽい方ですので融通も利くでしょう」
「うわぁ、さとりってば真っ黒だね。さすが妖怪」
「私も一応、旧地獄の重鎮ですからね。権力とはこう使うものだと、上司にして偉大なる十王に教わりましたので」
「お見事」
半ば呆れ、半ば感心したように少女は呟く。そんな少女に私は黒い笑みを浮かべて見せる。
「生まれ変わったら貴女は何になりたいですか?」
「当然、博麗の巫女として再挑戦よ。今度は私もあの白黒魔法使いを見習うわ。絶対に諦めたりなんかしない」
「素敵ですね」
ま、閻魔の匙加減次第だけど、と少女は微笑むが、すぐにその表情は暗い情念に囚われたかのように強張ったものに変わってしまう。
「こいしにも謝りたかったけど、こいしはこの夢の中にはいないんだね……あの子が瞳を閉ざしたのって、やっぱり私のせいだよね?」
「ええ、そうです。ですがそれは仕方の無いことなんですよ。あの子は元々余り人の心を積極的に読まなかったから」
少女が死の間際に思い浮かべた生々しい心音。
そう、天寿を全うし得なかった者達が最後に思うのはいつだって誰だって同じなんだ。
それはありとあらゆる生者を妬むレヴィアタンの咆哮。
それは自分を死に追いやった者達を恨むサタンの怒号。
私はこれまでに数え切れないほどの感情を見続けてきたから、かろうじてそれに耐え切れた。
しかし今際の感情が概ねそういうものだということを識りつつも知らなかったこいしは、親しいはずの友人から向けられたその感情に耐え切れなくて不信に陥った。
それに加えて心が読めるくせに友人達の苦悩を理解し得なかったという悔恨。それらが積み重なってこいしは瞳を閉ざしてしまった。
でも、いつかこいしも再び眼を開ける。私達は妖怪だから、悟ったふりなんていつまでも出来やしないのだ。
「あれを、いまわの感情を眼にした程度では私は最後に貴女が口にした言葉を疑ったりはしませんよ。こいしだっていつか分かってくれるはずです」
「……ありがとう。母さんにはもう謝れないし、こいしだけが心残りだったけど。……任せちゃっても大丈夫だよね?」
「ええ、貴女を乗り越えて最強お姉ちゃんになった私に任せちゃってください」
彼女達と過ごした過去。記銘、保持された様々な思い出が胸の中で想起している。
最も幸せだった時。何度思い返しても色あせない、私達姉妹にとって何よりも大切な宝物。
だけど、過去を懐かしんでいるだけではいつまでたっても前に進めない。
「最後に。さとり、母さんは、あの後、どうなったのかな……」
「彼女は最後まで巫女を勤め上げましたよ。今際は貴女の傍で、と地底に下りてきて数日を地霊殿で暮らした後に天寿を全うしました」
「そっか……負けなかった?」
「ええ、最後まで。……やはり、悔しいですか?」
「悔しいけど、嬉しい。目標だったから。そうか……ならば私も、勤めを果たそう」
そう、少女が呟いた途端。
少女の周囲の光弾が、八つから倍の十六に増える。
「さあ、全十六発の夢想封印がさとりを遮る高い壁。超えられるかしら?」
霊夢さんや少女の母役には劣るとは言え、少女もまた博麗の巫女。
弾幕ごっこレベルに落とし込んでいないその全力の一撃は、サトリの一匹や二匹くらいなら容易く消し飛ばせる。
だけど。
「超えてみせましょう。いえ、ぶち破ってみせましょう!私の、いえ、私達の行く手を遮るものは撃って砕いて潰して進む!」
いつもだったら私に勝ち目なんて全く無いけれど、今の私の掌には熱を湛えて光り輝く夢があるから。
私に夢があるなら、諦めないなら、挑むのならこの熱は必ず応えてくれるのだから!
改めて向かい合った私達は互いに幾度と無く何かを語ろうと口を開きかけるけど、その都度口をつぐんだ。
口にするまでも無い。私達が思うのはいつだってお互いのこと。
第三の眼なんて無くったって、私達は同じことを考えているんだって、理解できる。
それでも言葉にしたい感情があるから、私達は口を開くんだ。
「共にあってくれてありがとう、さとりお姉ちゃん。そして頑張れ! 夢想封印、瞬!!」
「友であってくれてありがとう、博麗麟。いつかの博麗神社で、また逢いましょう。ファイナル……」
飛来する光弾全てと少女を射軸上に収め、混沌と混ざり合った感情と共に過去に終わりを告げる閃光を!
「スパァァァァーク!!」
極大火力。
絶対破壊。
撃ち出されるは何人にも往く手を阻ませぬと吼える、小さな魔法使いの芯たる一撃。
その一撃は進路上にある夢想封印の光弾を一つ、また一つと焼き尽くしていく。
少女の全力はまたしても敗れる。だというのに少女はそれを微笑みながら受け入れていた。
博麗の巫女の技が、常人には与えられない秘術が食い破られていくのが何よりも楽しいと言わんばかりの微笑で。
最後の光弾が、少女の目の前で灼熱に焼き尽くされ、
――いつか、また。
閃光が、少女を飲み込んだ。
「ええ、いつか、また」
次に会うときは、もっとしっかりしたお姉ちゃんになっていますから。
そう決意を胸に砲撃を止めようとするけれど、八卦炉からの熱量は収まりを見せない。
まだまだ砕くものがあるとばかりに放たれる光の奔流は闇を裂いて突き進み……
ついには天球に突き刺さってこの世界に大穴を穿つ!
「ほんと、滅茶苦茶やりますね魔理沙さん」
私の目の前で、闇空に刻まれた穴から覗く黄金の光が少しずつ大きくなって、闇夜にひびを入れていく。
暗い夜空に走る黄金の亀裂はついに空全体にまで広がって、
そして、空が砕け散った。
「夢幻世界の終焉か……パチュリーさん、魔理沙さんと霊夢さんはまだ生きてますよね?」
答えは無い。でも多分、いや絶対に無事だろう。
『立派な魔法使い』であるパチュリーさんがむざむざ知人を目の前で死なせるはずがないのだから。
そう遥か彼方に思いを馳せる私の目の前で、世界が少しずつかん高い音を立てながら崩れていく。
黒い夜空がまるで硝子のようにひび割れ、落下し、黄金の炎となって消えて行く。
炎と化した黄金の光は再び天へと舞い上がって、未だ空に残る暗闇を焼き捨て、輝く空へと変えていく。
ああ、つまり、これは。
「夜明けなんですね」
斜陽から始まった私達の旅は夜明けにて終焉を迎える。
さあ、夜が明けたのなら目を覚まさないと。
でも、ああ、この夜明けは悲しくて、されど胸の奥を締め付けるかのように美しい。
「さようなら。悲しく、楽しかった日々」
もう少しだけ、この黄金に染まっていく光景を見ていよう。
この眼から止め処もなく流れ出す涙が止まるまでは。
□――― 忘却 - Commedia - ―――
「ようやく三途の川か……にしても旧地獄から地獄まで遠い遠い。案内札ぐらい立てておいて欲しいわ」
「お疲れ様、麟」
「あれ?母さんがなんでいるの? ……もしかして、四百年間川を渡らずに私を待ってたとか?」
「……ええ」
「そっか……酷いこと言ってごめんね、母さん。ずっと、謝りたかった。謝れてよかった」
「……! 謝るのは貴方じゃなくて私でしょう!? 御免なさい、私が、私こそが……」
「いいのよ、命は、投げ捨てるほうが悪いんだから。……にしても母さん、死神はどうしてたのよ」
「……追い返してたわ」
「ここ、積み石崩しに鬼も来るよね」
「……それも追い返してたわ」
「相変わらず幽霊になってなお非常識な実力ね。なにそれ老婆の癖にありえないでしょう?」
「それは……貴方に謝りたい一心で無限の力が」
「嘘だよね」
「……ええ。割と余裕だったわ。連中。でも、謝りたかったのは本当。信じて欲しい」
「うん、それは疑ってない。じゃ、一緒に渡ろっか?」
「ありがとう。で、ね。麟。一つお願いが有るんだけど……」
「何?」
「渡し賃、貸してもらえないかしら…… 私、八文しか持ってなくて……」
「……前々から思っていたけど、母さんってわりと馬鹿だよね。渡し賃は六文あれば足りるんだけど」
「え!? 十文ではないの?」
「十文持たせている内の四文は予備。それぐらい知っておこうよ。……宗派が違うとは言え、仮にも神職だったんだから」
「……」
「ちなみに、そんな私は二百三十六文あります」
「……一人で事に当たるな、か」
「名言だね。……ねぇ、母さんは生まれ変わったら何になりたい?」
「少なくとも、巫女はごめんだわ」
「なんで?」
「だって、麟は次も巫女を目指すんでしょう? だったら邪魔はしたくないから」
「ああ。母さん知ってる? 今の幻想郷って神社が二つ有るらしいよ? 諏訪の神社が引っ越してきたみたい」
「ええ、知ってるわ」
「だから、さ。一緒に、巫女になれたらいいね。どっちの巫女でもいいから」
「……ありがとう。ね、麟。恥知らずだけど一つだけ言わせて欲しいの」
「何?」
「ありがとう。愛してた。貴女と一緒に過ごした日々は楽しかった」
「三つ言ったね。でも私も、ありがとう。憧れてた。大好きだった。ううん、今も大好き」
「……あり、がとう……」
「鬼の目に涙は似合わないよ。……うん、じゃ、行こうか。あ、船頭さーん、こっちこっち!」
「あいよー、半日ほど昼寝したら行くからちょっと待っておくれー」
「「いや、働いてよ」」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■――― Last Page ~古明地さとり~ ―――
「さとり様!」
耳朶を叩く聞きなれた声に夢を中断させられ、古明地さとりは目を覚ます。
焦点の定まらない視覚より先に嗅覚が回復した。
鼻腔に飛び込んできたのはちょっと埃っぽいリネンの香りと、煤のようなちょっと焦げ臭い灰塵のそれ。
「お燐?」
尋ねてさとりはベッドの傍らに目を向ける。予想通りそこに居たのはベルベッドのような赤毛を三つ編みにし、濃緑のブラウスワンピースに身を包んだ少女。
友人と同じ響きの名を与えた、彼女が最も信頼する最古参のペットのうちの一匹。影に地霊殿を支えるしっかり者の火車妖怪。
火焔猫燐は大粒の涙を瞳に浮かべながら、さとりにすがり付いていた。
「すみませんさとり様! まさか一週間も寝込んでいたなんて知らなかったから発見が遅れてしまって」『よかった……どこにも異常はないみたいだし……』
「ああ、そっか。私は寝てたんだったわね。あまりに生々しかったから忘れていたわ」
さとりは軽く周囲を見回す。そこはさとりの自室ではなくて、来賓用の客室の一つであるようだった。
おそらくはさとりの自室に許可無く入り込むことを自重した燐の判断によるものだろう。
ふと、さとりは隣にあるベッドにも使用された形跡があることに気がついた。
「パチュリーさんは? 私と一緒に意識を失っていた、不健康そうな人は何処へ?」
「あの人はベッドを起き上がったその足で書庫に向かって、そのまま篭りっきりですけど……どうしましょう?」『いくらなんでも非常識すぎでしょ、あの人』
「いいわ、あの人は活字中毒なのよ。後で私が迎えに行くからそれまで放置しておきましょう」
「そうですか? 分かりました……あの、さとり様は本当に大丈夫ですか?」『ああもう、お空はセンターの冷却を急には中断できないし、何かあったらあたいが何とかしないと』
「私なら大丈夫よ、心配しないでお燐。むしろ心配なのは地上の方達からの責任追及かしらね……はて、どうしたものか」
さとりにとっては頭の痛い問題だ。パチュリーは巻き込まれただけと言って責任を回避するだろう。射命丸文とて同様に違いない。
とりあえず嘘をついて地底に侵入してきた点を非難して何とかあの人達にも責任を着せてやろう、とさとりは暗い気勢を上げる。
「とりあえず異変を起こした犯人って解決後にどうやって謝罪しているのかしら? お燐、知ってる?」
「え? 地上の奴らは異変を起こしたって何処吹く風ですよ?」『基本謝罪したほうが負けだもんなぁ』
「……地上の連中のモラルってどうなっているのよ。旧地獄とあまり変わらないじゃないの」
「まぁ、セメントか弾幕ごっこか、位の違いしかないですね、確かに。あ、でも一部の良識ある方達は詫び代わりに宴会を主催しているみたいですけど」『うわばみばっかですし、幾ら位かかるんだろ? 』
「宴会か……じゃ、そうしましょうか」
え? と戸惑いの表情を浮かべている燐をよそに、さとりはベッドから立ち上がると、棚の上に転がされていた陰陽玉を手に取った。
さとりがそれのスイッチを押すと、数回のコール音の後に、霊夢のものではない陽気な声が響いてくる。
『よう、お燐か? さとりは目を覚ましたか?』
「いえ、私ですさとりです。無事だったんですね魔理沙さん。ご迷惑をおかけしました。霊夢さんも無事ですか?」
『ああ、さっき永遠亭――っつっても分らんだろうが――にやってきたぜ。一応医者の検査を受けたが異常ないそうだ、だろ?』
陰陽玉の向こうから、「そうらしいわ」という霊夢の声が聞こえてきたことにほっとさとりは胸をなでおろす。
『ま、そんなわけでおおむね無事だ。ただ本件関連で負傷した奴が若干名いるから、早めに詫びでも入れときな』
「ええ、それでですね。お詫びもかねて地霊殿主催で宴会でもと思っているのですが、いかがでしょうか?」
『宴会だってよー、どうする? 〈嫌よ〉嫌か。だってさ、聞こえたか? 霊夢が嫌だとさ』
ぐさり、と言葉のナイフがさとりの心臓に突き刺さった。おおお、と苦悩の声を洩らすがそれでもさとりは諦めない。
愛の伝道師、お姉ちゃんさとりはこれ以上へこたれていられないのである。
「な、何ででしょうか……霊夢さんに代わってもらえます?」
『ほらよ、霊夢…………いやだってあんた、神社の片付け誰がやると思ってんのよ? いっつもいっつもあんた達妖怪は暴れるばっかで片付けないし、酷い時には神社を壊すし!』
「あ、いえ、場所は地霊殿ですので」
『なんだ、それを先に言いなさいよ……あれ? ちょっと、地上の妖怪は地底進入禁止なんでしょ?』
やっぱり問題じゃない、と受話器の向こうで霊夢が呟く。
怨霊を管理する限り地上妖怪が地底に手を出さないという約束は未だ健在。地上妖怪が地底に入らないことは遵守されるべきルールである。
いかなさとりとてそれを覆すことは出来ない。だが、
「地霊殿は一種の治外法権が適用されているので、敷地内であれば私が許可を出せば問題ありませんよ。妖怪の山側からシャフトを伝って地下センター経由で地霊殿にいらっしゃっていただければ大丈夫かと。ただ地霊殿の外に出て頂くのは困るので、その分別がつく方だけ、ということにはなってしまいますが」
『ふーん、それなら御相伴に預かるわ。じゃあ日時を決めてくれる? それ決まったらこっちで適当に声掛けとくから』
「分りました。よろしくお願いします」
『はいはい、あんたも今回はお疲れ様。じゃーね……って、何よ魔理沙』
「? どうしました?」
霊夢の声が一旦遠のいたかな、とさとりが思った後にリノリウムの床を叩く音が響きわたる。
それと同時に背後で聞こえていた喧騒も若干遠くなったかな? とさとりが首をかしげた時、
『あー、私ださとり。最後に一つ言っておくことがあってな』
霧雨魔理沙が、
「なんでしょうか?」
『ありがとさん、助かった』
照れたような声で、そう。
その一言にどれだけの感情が込められているか。心を読まなくても分かる。
勇んで夢に飛び込んできたのにあまり活躍できなかったという羞恥心や自身の力不足を嘆く無力感もある。
だけど再び夢を得たであろうさとりへの祝福や、そしてなにより四者そろって夢を脱出することを選んでくれたであろうさとりへの嘘偽り無い感謝がそこに。
そうだ、感謝の「言葉」とはこれほどに心を満たしてくれるのだ、とさとりは夢幻世界の最後を思い出して、少しだけ目頭を熱くする。
「魔理沙さん」
「ん? なんだ?」
ふと、さとりは思ったのだ。
魔理沙は霊夢が最近はパッとしないと言ったが、それは霊夢が途中で脱落しても良いと考えているからなんじゃないかと。
魔理沙がさとりに後を託したように、仮に自分が倒れても、いつもすぐ横にいる友人が何とかしてくれると、そう信じているからなんじゃないかと。
そう言ってみようかとも思ったが、
「こちらこそありがとうございます。貴女のおかげで、私は夢を取り戻せました」
結局さとりは感謝の言葉のみに留めておいた。それは推測の域を越えないし、それにもしそうなら、それは霊夢の口から語られるべき事だろう。
『う、おお? そ、そうか、そりゃ良かった。じゃあ宴会でな』
ブチッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ。
感謝を向けられることに慣れていないのか、魔理沙は慌てて通話を終了してしまう。
「楽しいことをしましょう、魔理沙さん」
さとりはふっ、と微笑ましげな表情を浮かべて陰陽玉をポケットに滑り込ませた。
そんなさとりの裾を横合いからちょいちょいと引っ張るのは地霊殿の良心、燐である。
「あの、さとり様」『……言っといたほうがいいよね』
「何かしら? あ、宴会当日の料理だけど、まともに料理できるのなんて私と貴女位だし、手伝ってもらえるかしら? 私一人じゃとても手が回らないだろうし」
「……地霊殿で宴会なんて、誰も、来ないかもしれませんよ?」『やっぱり、傷は浅いうちのほうがいいし、中止にしたほうが』
叱責覚悟でそう呟いた燐の視界からさとりの姿が消える。
正面から抱きしめられたのだ、と燐が理解したのは迂闊にもさとり息を吸う音が真横から聞こえているのに気がついた後だった。
「ありがとうお燐、貴女は優しいわね」
「へ? え、いや、そんな」『あ、あたい抱きしめられてるよ! 抱きしめられちゃってるよ!? なんで!? 』
猫である燐に、背中に回されたさとりの両手がとても暖かく感じられるのはなぜなのだろう?
「でもいいの、誰も来ないなら来なくても。私達の現状はそうなんだ、って認識できる。それだけでも意味があるわ」
今の自分達は何処にいるのか。どのように見られていて、どのように思われているのか。
いつまでも目をそらしていては正しい一歩を踏み出せない。現状を正視できなければ克己は不可能だ。
抱擁を解くと、さとりはふと天井を見上げてふむと呟く。
「ねえお燐。この地霊殿ってちょっと暗いから照明をランプから電球に変えようと思うんだけど、どうかしら?」
「え? うーん……人間を呼ぶとなると、確かにちょっと暗いかもしれないのでいいと思いますが、あれ?」『確か電気製品は故障しても河童が修理に来てくれないだろうからって採用を見送ったんじゃなかったかな……』
間欠泉地下センターがあるこの地底ではお空が現在も絶賛核融合発電中である。だから地霊殿は本来、幻想郷で最もエネルギーに困らない場所なのだ。
で、あるというのに今だ電化製品を配備していないのは、嫌われ者の邸宅であるが故に技術者を招いても来てくれず、修理もままならないだろうという運用面での問題があったからだ。
しかし、
「いいのよ。せっかくお空が頑張ってくれてるのに、それを活用しないのではお空だってやり甲斐が無いでしょう? それに誠意を込めて頭を下げれば河童の一人や二人位は来てくれるわよ、多分」
「『さとり様……』」
暗闇に、暖かな光がともっているかのように燐には感じられた。
たぶん、さとりはお空ただ一人のちょっとした幸せのためにちょっとした苦労を背負い込むつもりなのだろうと、そう自然と理解できた。
「何か、あったんですか?」『寝込んでいる間に一体何が……』
歓喜と感謝と遠慮と困惑に首をかしげる燐に、さとりは小さく微笑んでみせる。
「夢を、見たのよ。そして今も夢を見ているの」
「は、はぁ」『抽象的すぎてわけ分らないけど、まぁさとり様が幸せならいいか』
「駄目よ。貴女も幸せじゃないと」
至極あっさりと返されたその言葉に、燐は背筋がぞくりと粟立つのを感じた。
たぶん、さとりは今日この日に生まれ変わったのだ、と直感する。
生まれ変わったさとりを最初に眼にしたのが自分であることが、燐にとってはなんとなく喜ばしい。
「あたいは多分、あたいの周囲のみんなが幸せなら、幸せですよ」『でも優先順位とかあるよなぁ。一番はお空かなぁ。すいませんさとり様』
「謝ることなんて無いわ、素敵じゃないの。じゃあ一緒に少しずつ地霊殿を幸せ溢れる場所に代えていきましょう? まずは……掃除かしらね」
うっすらと埃が積もった棚につつっと指を這わせてみた。夢の中で見た紅魔館とは雲泥の差である。
「言葉にすると格好いいのに、やることは凄く地味ですね」『幸せの第一歩は、掃除かぁ』
「そうね、でも多分そんなものなのよ。……お燐、手を貸してくれそうな子達をロビーに集めてもらえるかしら? 一時間後に全館の清掃を開始します」
『「はい! さとり様!」』
◆ ◆ ◆
「目を覚ましたのね?」
「ええ、おはようございます」
「……おはよう」
薄暗い書庫の中、眠りにつく前のそこには存在していなかったアームチェアに腰掛けたパチュリーは、さとりを視界に納めると読んでいた本をパタンと閉じた。
意図せず自然とパチュリーに第三の眼を向けてしまったさとりだったが、精神障壁とやらが復活したのか『 KEEP OUT 』としか読みとれないようだ。
「そんなに心を読まれるのが嫌なんですか?」
「それは誤解。そもそもこの精神障壁は今回みたいな本からの逆侵を防ぐのが目的なのだから。心が読めなくなるのはあくまでおまけよ」
ま、今回は防ぎきれずに醜態をさらしてしまったけど、とパチュリーは羞恥を口にするが、その表情は澄ましたものだ。はたして、なにを考えているのやら。
だが、これはこれでよいと思える位にはさとりはパチュリーに親近感を抱けるようになっていた。
「かくかくしかじかで一時間後に掃除が始まるのですが、パチュリーさんはいかがいたしますか?」
「放っておいてくれて結構よ? 私はここでずっと本を読んでいるから」
パチュリーがトン、と本を置いた小机も見覚えが無い。どうやら地霊殿の書庫は完全に知識の魔女に占領されてしまったようだった。
額に手をやりつつ辺りを見回すが、そこにいるはずだった存在は一向に見当たらない。
「あの、ここに幽霊が一人いませんでしたか?」
「伝言があるわ。『やっぱさとりの心象が悪くなってもあれだからズルせずに裁きを受けてくる』って」
「そうですか……ではもうあの子は逝ってしまったんですね」
なんとなくそうなるかもしれない、とさとりも思っていたのだ。少女は真っ直ぐで素直な子であったから。
最後に一目見れなかったのは残念だけど、交わすべき言葉はもう交わし終えた。だからこれでよかったのだ、とさとりは残念を胸に押し込める。
だがそんなさとりを見やって、パチュリーは揶揄するような笑みを浮かべていた。
「四季映姫・ヤマザナドゥの真価が問われる裁きになるわね」
「え?」
「だって今、彼女の手元には浄玻璃の鏡が無いのよ?」
「あ……」
彼女の浄玻璃の鏡は今、魔理沙の手の中である。
だからといって12時間交代制の閻魔は、少なくとも交代の時間まで審判を中止し、その場を離れるわけにはいかないのだ。
「真実を映し出す鏡の無い状態での裁きの結果は、即ち四季映姫の心を映し出す鏡でもある。あの堅物がどんな結果を出すか、楽しみではなくて?」
「そう、そうですね」
四季映姫が、あの少女の夢をかなえてくれればいいと思う。
それはエゴから来る単なる願いであって、正義でもなんでもないけれど。
けど、『こうあって欲しい』と願う意思は法の原点でもあろう。
地獄に落ちるものが一人でも減れば良い、と考える温情ある閻魔の裁きが悪いようになるはずが無い。
そう信じることにしたさとりを見るパチュリーの表情は、人の悪い笑顔に変わっていた。
「ずいぶん生気のある表情をするようになったじゃない。さとりお姉ちゃん?」
「からかわないでください……私はそんなに変わりましたか?」
「ええ、最初に会ったときの貴女はありとあらゆるものがどうでもよさそうな目つきをしていたもの。何が起きても全力スルー。何もまともに取り合わず事を荒立てず、相手に迎合しておけばよい。何であろうと真正面から受け入れる必要なんて無い。そんな感じ。貴女は、現実を見る眼を閉ざしていた……半分ぐらいね」
「そうですか……」
でも、今のさとりは違う。さとりの内側から燃え上がっているこの感情を誰かに伝えたい。
私は誰かの力になりたいのだと、そう願っていることを伝えたい。
愛の伝道師、古明地さとりは今も誰かを救うために手を伸ばしているのだと。
奇麗事を鼻で笑うスカした連中に「じゃあてめードンだけ立派なんでシュか? 所詮は斜に構えて、社会を理解した俺カッコイーっつってるだけじゃないでシュか。シュシュシュ」と牙を剥いて食らい尽くしてやりたいでシュ。
……なんか一個違うのが割り込んできた、とさとりは頭痛を覚えてよろめいた。
夢の世界での出来事は確実にさとりの経験になった――なってしまった――ようだった。
だがまあ、だからこそ。今は心の赴くままに筆を走らせたい、とさとりの内面は今や熱く火照っている。そう、心に思うことのすべてをそのまま本に。
「書きたいな」
「本を?」
「ええ、本を」
「そんな貴女にぴったりのお仕事があるわ。はいこれ」
「えーと、なになに――守矢神社第二次自転車販売促進計画における映像部門の重点強化依頼?」
守矢神社、という印が押された資料を手渡されて、さとりは一気に不安になる。
地下間欠泉センターの件といい、地霊殿でも守矢と言えば地底の入り口を護る勇儀やヤマメら地獄入りカルテットに次ぐトラブルの代名詞である。
「そ、ぶっちゃけて言えば自転車が格好よく見えて、かつ里の子供達の情操教育になる映画の脚本を書いてねってことよ。一作目は私が担当したんだけど……貴女も知ってるでしょう?」
「あ、あれ貴女の脚本だったんですか!? うちのステンドグラス幾らしたと思ってるんですか! 弁償してくださいよ!」
「ああ、クライマックスで主人公が飛び込んで来るところ? 脚本ではあれ、窓硝子をぶち破ってとしか書いてなかったんだけど。だから私は悪くないわね」
さとりは目眩に誘われるがまま小机に手をついた。
その一作目には覚えがあったのだ。確かヤマメがなぜか主人公してた変身ヒーローもの(早苗曰く、変身ヒーローは虫でなくてはいけないらしい)の映画で、なぜか地底の面々で構成されたその映画の撮影場所になぜゆえか許可無く地霊殿が使われ、なぜか中でガチバトルをしてくれちゃったおかげで地霊殿は当然のように壊滅状態に陥ったのである。
「どうせなら派手な場所で撮影しようぜーヘイヘイ!」とか言っているヤマメ、勇儀、キスメや早苗の後ろで呆れ返っているパルスィといった連中の顔がさとりの中に浮かんでは消えていった。
それの、続きを書くのか? と当惑を浮かべたさとりに、諭すように。
「引き受けなさい。子供達に夢と希望と正義を教える高尚なお仕事よ、一応」
「販売促進活動の裏で、ですよね」
「映画が作られる目的がそれでも、物語の主軸は貴女のもの。子供達からファンレターとか来るわよ? 大半が主役宛だけど」
「それは……素敵ですね」
「そう思うわ。引き受ける?」
「ええ、やらせてください。愛の伝道師、古明地さとりが世界に愛を振り撒いてみせましょう」
「よろしく。納期は次の夏だからそんなに急がなくても大丈夫よ」
「分かりました。お任せあれ」
パチュリーに一つ頷くと、改めてさとりは溜め込んだ書庫の本を順に眺めやった。
「もう暴れたりしないみたいですね」
「夢の中で一通り読ませ終わったみたいね。大部分の本がそれで満足したようで妖本からただの本に戻ってるわ。残った妖本は今ここにある奴だけよ。これらは私が貰っていこうと思うけど、異存はあるかしら?」
「いえ、専門家にお任せいたします」
机の上に積み上げられた二十冊程の本に手を置いて問うパチュリーに、首を横に振ってみせる。
さとりには妖本をどう扱っていいかなんて分からない。ならばその道のプロに預けるのが一番であろう。
ただまぁ、これからのことを考えると妖本の保存方法などはきちんと教えてもらっておいたほうがいいかもしれないな、と考えたさとりだったが、ふと
「専門家ついでに一つ教えてください」
「何かしら?」
「なぜ、私が全ての絶望を振り切ることであの物語が終焉を迎えたのですか? それだけがいまいち納得できないでいるのですが」
「あら、何が?」
「だっておかしいじゃないですか。私達が最初二人だけであった時にはストーリーは動かなかった。ならば敵側にも同じことが言えるんじゃないですか?」
そう、さとりの心の闇が一時的に消えたとて当面の敵がいなくなるだけで、つまりストーリーが停滞するだけになるのでは?
再び往く手を阻む何らかの障害が出てくるまで、何も進行しない停止状態になるはずではないのだろうか?
「悪くない推理ね。だけどその正解を私が知っているとでも?」
「知っているでしょう。だってパチュリーさん曖昧なことを口にするのを嫌ってたのに、あの時みんな助かる方法はある、って断言したじゃないですか」
そう推測した内容を口にしたさとりの顔を一回覗き込み、然る後にパチュリーはパチパチと乾いた拍手を送ってみせる。
「お見事! 今の貴女にならば種明かしをしてあげてもいいでしょう。つまりは、こういうことよ」
そう言うとパチュリーは懐から一冊の草紙を取り出した。
その草紙は何度も何度も読み返されていたのだろう。
小口は手垢で汚れていて表紙もまたぼろぼろであるそれは、書物としての役目を十二分以上に果たしてきたことを裏付けている。
「姉より妹のほうが優れている、と思われがちだけど世の中そんなことは無いのよね。レミィはフランより強い意志を持っているし、貴女も妹より強いものね」
パチュリーが懐から取り出したそれ。表紙に『心曲』と記された草紙を目の当たりにしたさとりは絶句した。
それは間違いなくさとり自身の筆跡であったが故に、それが今回の異変を起こした『心曲』の前、それより先に綴ったものであることは疑いない。
「そ、それが、それを……どうして、貴女が? それは灼熱地獄に捨てたはず……」
「歴史の闇に葬られそうになっている本を収集する魔法すらある、と私は言ったはずだけど?」
焚書に遭わんとしている本を収集するのもまた、ね。とパチュリーは楽しそうに解説する。
「同じ著者、同じ題名、同じ登場人物で中身が異なる二冊の草紙。さぁ、答えはもう分かったわね」
「結末は、二つ用意されていたんですね……」
「そういうこと。この二冊の草紙は絶えず主導権の取り合いをしていたのよ。三人で絶望に終わる結末と、四人で未来への希望を匂わせたまま終わる結末の間でね」
「貴女はそこまで知っていながら、何もしなかったんですか……ああ、向いてないんですね」
「そういうことよ。知識、というものは満足以外の感情に響かないから私ができることなんて何も無かったのよ。けど魔理沙はよくやったわ。死の今際でも希望を捨てずにギリギリ生き残ってみせたし、透明な無機質さを纏っていた貴女が希望へ至るきっかけになったのもあの子だもの。普段の行いには怒りを覚えるけど、今回ばかりは絶賛せざるを得ないわね」
「ええ、そう思います」
最後までさとりが迷わずに進めたのは、やはり彼女のように生きてみたいと思ったからだろう。
電話口では魔理沙は何も結果を残せないことを悔やんでいたようだが、おそらく彼女は過程によって道を示すタイプなのだ。
基本やる気が無くて、結果で実力を示す霊夢とは対極を行く主役。それが霧雨魔理沙なのか。
そう頷いたさとりに、パチュリーは背筋がむず痒くなるような澄ました笑みを向けてくる。
「さ、物語を締め括るために貴女には最後にしなければならないことが残っているわよ」
「と、言いますと?」
パチュリーは自分が所有していた『心曲』の最後のページを開いて机の上に置く。
「この草紙は私の蔵書の中でもほぼ一番の古株と言っても良い存在でね。わりと気に入っているのよ」
「は、はぁ……」
「子供の頃、病弱だった私は中々ベッドから離れられなくてね。それを哀れんだ両親が与えてくれた大量の本、その中の一冊がこれ。……いつかはこういう風に友人が出来たら、って思いながら何度も何度も読み返したものよ」
もっとも、できた友人は我侭いっぱいで後先考えなくて無鉄砲でどうしようもない鬼だったけど、とパチュリーは肩をすくめる。
「ついでに言えば心理描写が秀逸なこれは姉妹間の心境を指し図る物差しとしても役に立ったしね。おかげでけっこうレミィに感謝される助言ができたわ」
「お、おやくにたったようでなにより……」
「どうしたの? お顔が真っ赤よ?」
やかましい、とさとりは思う。何せそれは文章の練習代わりに心にあるがままを赤裸々に書き出した、そもそも他人に見せることを想定していないさとりの心そのものであるのだ。
妹以外の他人に心を読まれる恥ずかしさを初めて知ったさとりは悶絶しそうな表情を浮かべて縮こまった。
そんなさとりを眺めやって、パチュリーはニヤニヤと人を食ったような笑みを浮かべている。
「そ、それで、やらなくてはいけないこととは?」
「決まってるじゃない。先生、お願いできるかしら?」
「なにおでしようか?」
「無論、ファンへのサインに決まってるでしょう?」
駄目だこりゃ。今の私ではとてもこの人には太刀打ち出来ない、とさとりは心の中で白旗をあげた。
そもそもパチュリーは今回の裏についていつから、そしてどこからどこまで知っていたのだろうか?
魔理沙が夢に入ってきた理由を語った時? それとも最初っから?
いや、その前に少女の霊が宿っていた『心曲』は新旧どっちの『心曲』だったのだろうか?
少女は肝心な点を語らずに逝ってしまい、パチュリーの心は精神障壁とやらで読むことが出来ない。
少女の霊はパチュリーに伝言を頼んだ位だからやはり知り合いだったのか?
それともただ単にさとりが来る前に成仏する必要があったから行きずりのパチュリーに伝言を頼んだだけなのか?
いや、そもそも。
『パチュリー・ノーレッジは此度の異変、本当に巻き込まれただけだったのか?』
……分からない。自分の思考が何処までが正しくて、何処からが妄想なのか。
心が読めないことをさとりはここまで恨めしく思ったことはない。
先ほどまで感じていた親近感が嘘のようだ。もうさとりの頭は真っ白で何も考えられない。
だからさとりはろくに回らない頭で半自動的にパチュリーから手渡された羽ペンで、
四人はこれからも仲良く暮らすのでしょう、と書かれた結末の次の白ページに、
古明地さとり
と震える手で記載するのみ。
そして、パチュリーはと言えば。
その著者名が刻まれた草紙を手に取ってインクを乾かした後、大切そうに胸に掻き抱くと、
「さ、これでこの物語は閉じられた。お会いできて何よりよ。古明地さとり先生」
ふわりと笑って、握手を求めてきた。
……ちきしょう、いいエガオしやがって。
Fin.
だが自分は感情豊かに喋っていてメタルブレードで敵をなぎ倒し解決直後に著者にサインを要求するパッチェさんが一番見ていて面白かったのであった
これが助演女優賞ってやつか
原作既存ではない新たな敵(それも盲点を突く存在)、相次ぐどんでん返し等目を引く点は多々あるけれど、全体視点で見たら東方二次でよくある冒険活劇(さとり主役化、妖夢敵化等途中から展開と結末が容易に想像できる)に終始してしまっている、また前篇終了時(まだ3分の1しか消化してない)での敵の本質に関するネタ晴らしは時期尚早過ぎた感がある
超大作化に拘らず比較的冗長な部分を少しづつ削ればもっと良くなったと思う
喰えないお人なパッチェさんが素敵でした。
冒頭のやりとりだけでもはや魔理沙の動きは決定されたようなものなうえ都合のいい強化と弱体化に正直げんなり
過去作に繋がるさとりの立ち位置の確定には結構強烈な属性が付いたものだと面白かったです
さとりんかわいい。
あとさとりさんキャラぶっ飛びすぎじゃないでしょうか。めちゃくちゃ良かったです。
前後編でしたが、前編は前編、後編は後編でそれぞれ成立してしまいそうですらありますね。
願わくばもうちょっとコンパクトに納めてほしかった。読み応えがありすぎました。
にしてもパッチェさんいいキャラしてるな
これは黒幕の可能性を持ったポジションにパチュリーが居るから…なのか、
それとも「麟が居なくなった話」の絡みとして紅魔勢を多めにしたのか…。
あなたの作品はこういった深読みというか、穿ち読みを楽しめて私には好ましい。
ところで、あなたの作品からは時折ワイルドアームズからの「何か」が見られます。
私がそうだったのですが、セプテットを聞いたときに荒野が浮かんだり…したのでしょうか…
分量に関して言うならば、そこはあまり重要じゃないかと。
だらだらと冗長なだけならともかく、面白いのであれば長さは気にしないし気にならない。少なくても自分は。
なので、今後も作者が面白いと思うものを全力でぶつけて、読み手の自分を喜ばせてくれると嬉しいので応援シテマスヨ-
話の収束の仕方も納得で、読後感がとてもとても良かったです。
脱帽です。
花で館を飾るどころか旧地獄と地霊殿は花で包まれ梅園で酒宴なわけですね。
読んでる最中にも過去作とつながる部分でニヤニヤできて魅力的でした。
「第二章 ~迷霧~」の二つ目の「◆ ◆ ◆」からおそらく84行目前後にて「手を“話”したら間違いなく中からアリスが」…手を“離”す、ではないかと。違ったらごめんなさい細かくてすいません
とってもおもしろかったです。とてもとても。
タイトルの『先生』,前篇を読んだときは永林かとおもったらさとりなんですね
『心曲』読んでみたいですね,二作とも
とても面白かったです
惜しむらくは……展開がエロスにならなかったことか!
読ませる作品でした。
構えて読み始めましたが、面白さに寝食忘れるほどでした。
さとり様が随分とはっちゃけてましたね。愛の伝道師ですものね。
素敵な物語をありがとうございました。
あなたの新作を心待ちにしております。
私はむしろ後半が好みです。前半も好きですが。徐々に謎が紐解かれていくのが非常に好きです。後半でなんでそんな設定つけたの?って全部伏線とは恐れ入りました。
素晴らしい作品をありがとうございました。次は20作30作と期待しております!
ところでぬえと響子は単なる昼寝なのか(つまり四人以外に被害者なし)?
人格を変えるくらいのことって人によってはひょんなことで一瞬ってこともあると思うけど、内面ではこの位の衝撃があるんだと思います。心情が細やかに描写してあってわかりやすいです。白衣さんそういう衝撃、体験済なんですか?
そして毎回思うけど、どのキャラに対しても愛情が深い!!と思いまする。
これからも白衣観による幻想郷を心待ちにしております。
おおっと
ゆ め の な か
それぞれのキャラクターが立っていて、とっても素敵だった。
お疲れさまでした。
〆方など随所に書き慣れていると思わせるような描写がありましたが、
全体的に文章が読みにくいのが少し残念。
辛口コメントになってしまいましたが、この長さの文章を最後まで読ませる地点でこれが素晴らしい作品であることは疑いようがありません。
熱いバトル展開もありとても面白かったです