一年を通じて様々な草木が生い茂り、蝶や鳥が活き活きと舞い歌う場所。そこにひっそりと建てられた屋敷には煌びやかで美しい調度品がそこかしこに飾られ、それ自体が一種の芸術品であるかのように完成された趣を放っていた。そんな浮世離れした屋敷にも人の姿はあり、それらの服装や所作にもやはり気品が漂っている。
だがその中をヒラヒラと舞う様に歩く影がひとつ。鍔付き帽子とヒラヒラした服が特徴のその少女は、屋敷の中をしばし夢遊病者のようにフラフラとうろついていたが、やがてひとつの部屋の前に来るとその動きをピタリと止めた。
彼女がその襖を無造作に開けると、一際格調高くしつらえられた部屋が目の前にとび込んでくる。そしてその部屋の真ん中近くにこちらに背を向けて少女がひとり座っていた。彼女はこちらを見ることなく静かに口を開く。
「どなたですか?」
少女は少し意外だった。屋敷に入ってからここまで来るのに誰にも感づかれたりはしなかったし、大体彼女の存在を認識できる者自体幻想郷には少ない。
どういうトリックを使ったのだろう。少し興味が湧いた彼女はそのまま部屋にズカズカと入ると、目の前の少女の前にすとんと腰を下ろした。
「貴方が最近来たっていう新しいみこさん?」
彼女の唐突な質問に、しかし目の前の少女は薄く微笑みながら頷いた。
「いかにも。私の名前は豊聡耳神子。貴方は?」
「私はこいし。古明地こいし」
こいしはそう言ってニッコリと微笑むと、突然話を切り出した。
「ねえ。どうして私のことが分かったの?」
ねえどうして、と繰り返すこいしに優雅に微笑みながら神子が答える。
「私には人の欲が聞こえるのですよ。貴方が部屋の戸を開けた時、微かに貴方の「私と話したい」という欲が聞こえたのです。だから姿は見ずとも貴方の存在を知ることができた」
「っ!! それってひょっとして心が読めるってこと?」
身を乗り出して聞いてくるこいしに神子は鷹揚に頷く。
「まあ正確には違いますが、大体一緒と言ってもいいでしょう」
「すごいすごい! じゃあ私の妹ってことね?」
「は? 妹?」
突拍子もない言葉に神子の目が白黒する。そんな彼女を余所にこいしはひとり興奮した様子で言葉を続ける。
「どうやって生まれたの? やっぱりお姉ちゃんのお腹から?」
「ええと……」
「それとも私からかな? 産んだ憶えはないけれど、ひょっとしてお通じから生まれたって可能性も……」
「わ、私はそんな不浄なものではありません!」
もう、と言って神子が目を細める。そしてじっと集中すると、こいしの欲が聞こえ始め、そこから彼女がどういうものであるかを知る。
「……なるほど。貴方は「さとり」なのですね」
さとり。人の心を読む妖怪。その能力故に人間だけではなく妖怪からも疎まれる存在。
「そうよ。貴方も―――」
「私は違います」
神子はきっぱりとそう言うと、自分の来歴をざっくりと話し出す。自分が大昔聖人と呼ばれた人物だったということ。尸解仙となって最近になって蘇ったこと。そして自分の能力は正確には心を読む能力ではないこと。
「私の能力は人の話をよく聞くことができる能力。話を聞くということは、突き詰めればその人が何を欲しているかを読み取るということ。さとりの能力が相手の記憶や今現在を知る力ならば、私の能力は相手の資質から未来を予測する力と言えます」
「……よくわかんない」
「簡単に言えばさとりは心の動きをダイレクトで読み取ることができますが、私は行動の所作からそれを予測しており、それを他人はあたかも心を読み取っているかのように感じるのです」
「………つまり、妹じゃないってことね」
しょぼんとするこいしに神子は悪いことしたかなと思うと、気分を変えさせようと話題を切り出した。
「そういえばよくここに来れましたね。仙界は普通来ようと思って来れるところではないのですが」
「んーと。なんとなく」
こいしは顎に人差し指を当てると、きょろきょろとあさっての方向を見ながら話し出す。
「貴方に会おうと思って適当に歩いてたら来れたの」
「私に?」
「うん。妹ができたんだと思って。でも違ったんだぁ……」
「あ、ええと……」
再び落ち込むこいしに慌てる神子。話題を変えるつもりが結局同じところに戻ってしまった。なんとかこいしを元気づけなければと思い、神子は咄嗟にこう言った。
「べ、別に妹ではありませんが妹と思って頂いても構わないんですよ?」
その言葉にこいしの目がキラキラと輝く。
「ホントに?!」
「え、ええ。勿論……」
若干無理があるかなと思わなくもなかったが、そう言われて急に元気になるこいしに思わず神子の目尻が下がる。
どちらかというと妹ができたような感覚を神子が感じていると、こいしが無造作に立ち上がってこちらに近づいてきた。その意味を読み解こうとするが、こいしからは「新しい妹ができて嬉しい」という欲しか聞こえず、次の行動がどうにも予測できない。
神子がどうしようか迷っていると、不意にこいしが彼女に抱きついてきた。
「っ! いったい何を!?」
「えへへ~。みこたん♪ お姉ちゃんだよ~」
こいしが頬をすりすりと擦りつける。気恥ずかしさに真っ赤になる神子であったが、頭の中ではこの行動の意図を探ろうと必死であった。
稀に思考と行動が直結していない者がいる。今のこいしはまさにそれだ。妹ができて嬉しいという気持ちは分かるが、抱きつきたいという思考を介することなくこちらに抱きついている。
そう。いうなれば無意識にこいしは抱きついているのである。
(―――もしや)
それこそが今の彼女の能力ではあるまいか。無意識を操る能力。本来さとりであれば開いているとされる第3の瞳が閉じているのが何よりの証拠だろう。彼女は何らかの理由でその心を閉ざし、それによって得た能力がこれなのだ。
彼女が心を閉ざした理由。推測ではあるが、神子にはそれが分かる気がした。心の声を聞くということは、すなわち人の醜い部分と向き合うということ。彼女はそれに耐えられなかったに違いない。
だから神子はこいしをそっと抱きしめ返した。
「あっ……」
「大丈夫ですよ。お姉ちゃん」
しかし彼女はきっと怖いのだ。心を閉ざすということは相手の心も読めないということ。それは例え彼女の姉であろうと変わりない。
彼女のこの過度の愛情表現もそれゆえだろう。心が読めるらしい自分を探していたのも、彼女が愛に飢えている証拠。
仙人とは仏様とは違う。誰かを救うものではない。しかしこちらを慕うその手を無下にはねのけることができるだろうか。
神子はこいしのぬくもりを感じながら、これも保護欲の一種だろうかなどと思った。しかしこいしは不意に震えだすと、
「うう、うわああああああん!」
突然大声で泣き始めた。滂沱と流れるこいしの涙。彼女はそれをぬぐうことすらせずに流し続ける。
「ええ?! ちょ! どうしました?」
「うわああああああああああああああん!!」
こいしの声に屋敷の中がどたどたと騒がしくなってくる。家人たちはやがて声の出所が神子の部屋だと気付くと、部屋の前に大挙して押し寄せてきた。
「太子さま! 如何なさいました!」
「な、何でもありません! 下がりなさい!」
こんなところを見られたら何を思われるか分かったものではない。神子は慌てて部屋に入ろうとする者たちを制止する。
「しかし……!」
「いいから下がりなさい! 命令です!」
そう言われてようやく家人たちの気配が遠ざかる。神子はほっと胸をなでおろすと、目の前で泣き続けるこいしの背中を落ち着けるように撫でる。
「……どうかしましたか?」
「あのねあのね、お姉ちゃんがね、あのね……ぐすん」
「はいはいわかりました。ちょっと待って下さい」
そう言うと神子はこいしの欲の声を聞き出す。今のこいしは無意識に泣いているわけではない。泣きたいと思って泣いているのなら、自分にはその理由が分かるはず。そして集中していると少しずつではあるが彼女の欲が聞こえてきた。
「……なるほど。お姉さんと喧嘩を」
「……うん」
こいしがぐずりながら言うことには、彼女には無意識の蒐集癖があるらしく、その蒐集物を家に持ち帰っては姉を困らせているらしい。そして先日、そのことについて姉と大喧嘩したという。
「お姉ちゃんね。私のこと「おバカ!」って言ったのよ。今までそんなこと言ったことなかったのに。だから私も「お姉ちゃんのバカ!」って言って家を飛び出したの」
「それは……」
正直彼女の姉にはご愁傷さまとしか言いようがないが、その程度の言い争いを大喧嘩というとは、普段は相当仲が良いのだろうと思われる。
こいしは後から出てくる涙をぬぐいながら言う。
「きっとお姉ちゃん、私のこと嫌いになったわ。だってバカって言っちゃったんだもの。バカって」
「そんなことありませんよ」
「そんなことあるよ。だってそれ以外にもお姉ちゃんを困らせることいっぱいしてるもの」
いっぱいよ。そう言ってこいしはまた涙を流す。
確かに彼女の行動は無意識に依っているためか予想がつかない。今の自分も困らせられているくらいだから、彼女の姉の困り様は想像に難くない。
でもそれで彼女への姉の愛情が変わるだろうか。
「大丈夫ですよ。だって私には聞こえますから」
「……何が?」
「貴方がどれだけお姉さんのことが好きかってことです」
こうして泣いている間も彼女からは姉に謝りたい、許してほしい、優しくぎゅってしてほしいという欲が溢れ出ていた。それは間違いなく彼女の偽りない素直な心。
「謝りたいんでしょう?」
「……でもお姉ちゃん、きっと怒ってる」
「怒ってませんよ。むしろ貴方のことを心配してます」
「……ホントに」
「本当です。妹を信じなさい」
「………うん」
微笑みながら言う神子を見て安心したのか、そこでようやくこいしも笑顔を見せる。そこで神子もようやく悟った。
彼女が妹を探していた本当の理由。それは姉を傷つけてしまったという後悔と不安からの行動だった。姉やかつての自分のように心を読む者なら、自分の気持ちを分かってくれるのではないかという期待を抱いていたのかもしれない。
「ふふ、うふふふふふふ」
不意にこいしが笑いだす。これは彼女の無意識の行動。しかし神子にはその理由が分かる気がした。
(ひとりは寂しいですものね)
家人たちのことを思いながら、神子は涙をぬぐいながら笑うこいしの頭を優しく撫でたのだった。
「今日はありがとう。慰めてもらっちゃって」
「いいえ。こちらとしても貴重な体験ができました」
神子がそう言うとこいしはなにそれ、と笑った。目にはまだ赤みが差していたが、その笑顔は何処かさっぱりしたように見受けられた。
「本当に送らなくていいのですか? ここからなら幻想郷のどこにでも移動することができますが」
「いいのいいの。自分の足で帰りたい気分なの」
ひとしきり泣き終えたこいしはすぐに帰ることを申し出た。神子は食事でも食べてからではどうかと言ったのだが、
「早く帰らないと心配してるでしょう。お姉ちゃんなんだから」
そう言ってこいしは笑った。
仮初の姉妹。そうは言ってもこれは彼女にとって姉の気持ちを知るひとつの契機だっただろう。そしてそれは自分にとっても。
神子はじゃあねと言って飛び去ろうとするこいしに声をかけた。
「今度、そちらにお邪魔してもいいですか」
こいしは最初意外そうな顔をしていたが、すぐににっこりと笑った。
「勿論! だって姉妹だもん!」
そう言ってこいしは大きく手を振りながら飛び去って行った。後に残るのは心地よい静寂。
「……お姉ちゃん、か」
まさか俗世を捨て、尸解仙となった自分に姉ができるとは。幻想郷はすべてを受け入れる言うが、こういうことも指すのだろうか。
「いやはや、まったく……」
「やや。どうしました太子さま。そのように嬉しそうな顔をして」
家人のひとりが怪訝そうに声をかける。神子はそんな彼女に笑いかけながら、静かに風の残滓を感じ続けるのだった。
了
ひとまず置いといて、気持ちよく読ませて頂きました。情景が分かりやすいと言いますか、キャラクターの表情が目に浮かぶようで、よく書けていると思います。羨ましいです、はい。
ただ冒頭のような、堅苦しいというか品格ある感じの文章について思うところがあります。悪いとは思わないし、作品の雰囲気とあって居ないわけでは無いし、むしろ私は好きで自分の作品も似たような書き出しをしたくなるんですが、
少し、インパクトに欠けるかなぁ、と。掴みとしては、つまらないんじゃないかと、そう感じます。
言いたいことは以上です。ありがとうございました。あと、さとりさんのことも忘れないであげて下さい。
良い雰囲気のお話で良かったです
それ以外はとても気に入りました。神子様素敵。