Coolier - 新生・東方創想話

幽々子と妖夢 朽葉色の想い

2013/01/24 14:11:59
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 葉が紅や黄に色付く季節。
 縁側から眺める庭先の木々は、我ながら人目を惹き止めるものがあった。
 白玉楼の美しさは、なにも春の桜だけではないのだ。四季を通して楽しめる庭を産み出すのが庭師の仕事で誇りだと思っていた。
 そして、その努力に見合う評価を白玉楼は、幻想郷の住民からは与えられている。
 白玉楼の庭師として鼻が高かった。
 今、私は幽々子様と並び、紅葉を眺めている。
「妖夢。紅葉を見ていると、なんだか切ない気持になってくるわね」
「はい」
 しみじみと、幽々子様の口から漏れ出る言葉に私は賛同する。
 そう。秋と言えば憂いの季節だ。
 どうにも物思いに耽ってしまうことが増える。
 秋の夜長のせいなのか、それとも……。
 幽々子様の横顔を盗み見る。その瞳は、紅葉を通して何かに想いを馳せているかのようだった。
 何処か切なげで、儚げで。
 彼女が亡霊だからだろうか。手を伸ばせばスッと消えてしまうような、そんな寂しげな表情を浮かべていた。
「それに……、薩摩芋や栗が食べたくなる」
「はい」
 そう。秋と言えば食欲の――
「ってやっぱりそうなんですか!! そうなっちゃうんですか!?」
「な、何よ。妖夢ったらいきなり大声出して。折角の雰囲気が台無しじゃない」
「雰囲気をブチ壊したのはどっちですか!? で、でもまぁ、幽々子様らしいですね……」
 思わず嘆息してしまう。
 先ほどの憂いを帯びた表情も、きっと落ち葉で焼いた焼き芋のことでも考えていたせいなのだろう。
「なぁに。それじゃあ四六時中ご飯のこと考えているのが私らしいみたいじゃない」
「え、なんで今更そこを否定なさるんですか?」
「ちょっとした気分転換に」
「……そうですか」
 再び庭先に視線を向ける。
 使用人たちが落ち葉を集めている。大木々から落ちてくる大量の木の葉は、集めるだけで一苦労だ。
 庭から少し目を離すと一面の朽葉模様になっているのだから始末に負えない。
 そんな中、私たちの視線の先の日溜り、黒い毛だまりが丸まっていた。
「猫、ですね」
「猫ね」
「どうしたんでしょう。こんな所で」
 この白玉楼に、妖怪以外の動物が訪れるのは珍しい。
「いくら私でも猫は食べないわよ?」
「いや、誰もそんな話はしてませんよ!?」
「でも、一度食べてみたかったのよね」
「だから、誰もそんな話はしてないですって!!」
 ジュルリと、多量に分泌された唾液を啜るような音が幽々子様の方から聞こえたような気がした。
 私はそれを無視して庭先に降りると、猫の方へ歩み寄っていく。 
「でも、その子――」
 幽々子様が何か言おうとして、私が猫に手を伸ばそうとした時。
「亡霊よ」
 その猫が金色の光の胞子の様に飛び散った。

  〇

 私が幽々子様より承った任務の中に、幻想郷中に散らばった幽霊を白玉楼へと連れ帰るものがある。
 その原因となった事件やらを語った方がスムーズに話は進むのだろうが、その辺りを語ってしまうと冗長が過ぎるので割愛しようと思う。


 私が今日向かうのは人里だ。そこで亡霊を見かけたという情報が入ったから。
 そして、人里への道中、結構な頻度で見かけたのが、今朝の黒猫の霊だった。
 ――まるで、私のあとを追っているようで。
 犬、猫、動物の霊自体は珍しくもなんともない。冥界を探せばそれこそ溢れ返るほどいるだろう。
 しかし、その姿形を保って霊となっているものとなれば話は別だ。
 本来、霊の姿を象るのは生への執着。
 その想いの強さと霊体の強度が、比例するように出来ている。
 結果、必然的に、死後、生前の姿を保てる生き物は人間に限られるのだ。
 私たちはそれを亡霊と呼んでいる。
 故に、あの黒猫は異形。
 一時的にとはいえ、生前の姿を保つことに成功しているのだ。
 そう、私が気付けない程の精巧さで。
 あの猫が何を考えているかは、私には分からない。
 だけれど、あの猫が私たちに何かを伝えようとしていたのは確かだと思う。
 今朝、あの猫に触れようとした時に、そう感じたから。


 使用人たちが霊を見かけた、という場所に辿り着く。
 人里のど真ん中。
 中央通りの為か、他の地区よりも人通りが多い印象を受ける。
 雑多な足音の他に、人々が落ち葉を踏み締める、乾いた耳障りの良い音が印象的であった。
 霊がこのような場所に現れたのは、生前の記憶を頼りにうろついた結果だろうか。
 このような傾向は人霊に良く見られるのだが、だからと言って捜索が簡単というわけではない。
 幽霊、亡霊問わず、人里に紛れ込まれると一苦労だ。
 とりあえず、私は周囲の住民に聞き込みを始めた。


 数刻。
 周囲に居た人物には粗方、質問を終えたがやはり結果は芳しくない。
 私は思わず空を見上げる。
 秋の空は移ろいやすいと言うが、今日の空気はカラリと乾き、突然の雨に見舞われる心配などはないだろう。
 そして、空から地上へと視線を戻す。
 本日、何度目かも分らぬ視線がかち合う。
「どうしてアナタは、ずっと私を見つめているのですか?」
 件の黒猫だった。
 猫の瞳孔は、見た者を酔わせるような深い漆黒で彩られている。
 瞳孔の回りを縁取る虹彩は暗い金色をしており、今は不機嫌そうに半月型に歪められていた。
『どうしてお前は吾輩の言う事が聞けぬのだ?』
 とでも言いたげな目線。
 何かを咎められたような気持になる。
 そんな目で四六時中睨みつけられていては、いくら私でも気が滅入る。
 猫が飽き性だと言うのはデマだったのだろうか?
「……ふむ」
 しかし、だ。眺めれば眺めるほど、その愛くるしい外見に引き込まれてしまう。
 今すぐにでも抱きしめてモフモフしたい。そんな願望が頭を占めていく。
 手を、伸ばした。
 一瞬、今朝の光景が甦り、また光の粉となってしまうのではと危惧したが、杞憂に終わる。
 だけれど、願望が叶えられたのかと言うとそんなことはなく。猫は私が手を伸ばすと同時に、私に背を向け歩きだしたのだった。
「……私を、呼んでるんですか?」
 テクテクと、王者の様に道の真ん中を闊歩していく。
 そして数歩進むごとに『どうした、置いて行くぞ』とでも言いたげに振り向くのであった。
 良く見ると、猫は片足を引き摺るようにして、歩いていた。
 もしかすると生前、あの猫は足を悪くしていたのかもしれない。
「は、はぁ……?」
 捜査も難航していた私は、気分転換も兼ねて、黒猫の背を追うことにした。


 黒猫が私を誘ったのは、何てことはない、ただの民家だった。
 幽霊屋敷だとか、猫屋敷だとか、迷い家だとか、そんな大層なものではない。明らかに人間の家族が暮らす普通の家屋。
 黒猫はというと、この家の前門を潜るや否や、私を置いて虚空へと消えていってしまった。
 置いて行かれてしまった私は途方に暮れる。
 どうしたものか。
 この家を訪ねてみるべきなのだろうか? と。
 しかし、訪ねたところで何を聞くというのか。この家で昔、猫を飼ってませんでしたか? とでも聞けば良いのだろうか。
 それが妥当な気もするが……。
 ――むぅ。
 少なくとも、あの猫には何か目的があった筈なのだ。
 ならば、猫の想いを無碍にするわけにもいくまい。
「うちに、何か御用ですか……?」
「ひゃいっ!?」
 さあ、一歩を踏み出すぞ、と気合を入れた瞬間だった。背後からかけられた声に、私は驚き慄き、思わず情けない声を上げてしまった。


 
「はぁ、黒い猫さんですかぁ?」
 私に声をかけてくれたのは、どうやらこの家屋の家政婦らしい。
 妙におっとりとした喋り方で、何処か幽々子様を彷彿とさせる人だった。
「うちは、ご主人が動物嫌いでしてぇ。生き物を飼っていたことは一度もないんじゃないかしら」
「そうなんですか……?」
「黒猫……黒猫、あぁ、そう言えば、ご主人がお庭に迷い込んで来た猫を縊り殺したことがあったような」
 逡巡したかと思うと、予想以上に心臓に悪そうな話。
 内容と家政婦の語り口調との温度差がせめてもの救いだろうか。
「え……?」
 そして、何とか口から発することができたのは、そんな間の抜けた言葉。
 と同時に、何も殺すことはないのではないかと、ここには居ないご主人に対する怒りが湧いてくる。
「そうですねぇ、確かあの時の猫が黒かったような気がしますよぉ。私の知っている話はこれくらいですかねぇ」
 その殺された黒猫が霊となって、この家のご主人に化けて出たと……?
 それ自体は否定出来ぬし、有り得ぬ話ではないのだが――
「そう、ですか。お話有難うございました」
「いえいぇ、わたくしの方こそ、力になれず申し訳ありません」
 ――私があの猫から感じ取ったのは、恨みや不幸といった負の感情ではなく、感謝や幸福の感情だった筈なのだ。
 だから、私はあの猫に付いていってみようと思えたのだから。


 黒猫の件は気がかりだったが、いつまでもそちらに傾倒してもいられない。
 私には、逸れてしまった亡霊を探索という任務があるのだから。
 私はもう一度、家政婦に礼を言い捜索に戻った。 
 ――あの家に私を連れて行くことで、黒猫の未練は消えてしまったのか、その後の捜索中に黒猫が出てくることはなかった。

  〇

 沈みかけの夕陽が、里を赤く染めていた。
 遠く、鴉の鳴き声が茜空に反響して耳に届く。遥か遠く、程良い音量で聞く鴉の声は決して喧しいものではなかった。
 強いて言えば、愛郷の念に駆られる。
 私には故郷など存在しないが、それでも夕焼けに映る黒い影は、心の空洞部分に沁み入るように感じた。
 そこで私は、幽々子様には見つけても見つからなくても夕餉までには戻って来なさいと言われていたのを思い出す。
 これ以上捜索を続けても進展はないだろうと判断した私は、白玉楼への帰路を辿ろうとしていた。
 しかしその考えは、一人の少年の声によって中断される。
「貴女が、幽霊を探している魂魄妖夢さんですか?」
 年齢は十代半ばといったところだろうか。
 少年の顔は少量の不安によって歪んでいた。私が妖夢なのかどうか確信が持てずにいたのだろう。
「はい。私が魂魄妖夢ですが……あなたは?」
 少年は名前を応え、先ほど私が訪ねた家の長男だと言うことを伝えてきた。
 その少年が何の用だろうか。
「魂魄さんは、黒猫に誘われてうちを訪れたんですよね?」
「そうですね……。ですけど、あなたのお宅では猫は飼っていなかったと聞きましたが?」
「……彼女がそう言ったのも無理はないと思います。黒猫は、家族に隠されて飼われていたんですから」
 少年の言葉、そして、先ほどの家政婦の話。
 それらに、何処か引っ掛かりを覚えた私は、少年に詳しい話を聞く事にしたのだった。


 少年と私は、少年の家から数分歩いたところにあった空き地で会話を再開した。
「その黒猫は、祖父が飼っていた猫だと思います」
 少年は私を見上げる少年の目は真摯そのもので、嘘を吐いているようには思えなかった。
「だけど、家政婦さんは猫は飼っていなかったって……。それに、貴方の父親は猫がお嫌いなのでは?」
「そうです。だから祖父は両親に隠れて猫を飼っていたんです」
「そ、それは……」
 随分茶目っ気溢れるご老人がいたものである。
「もしかして、その猫は貴方の父親が縊り殺したという?」
「その猫だと思います」
 やはりあの黒猫はあの家屋で飼育されていたものだったのだ。
「しかし、よく両親にバレないで飼育なんてできましたね?」
「父様が負わせた怪我が原因で、足が殆ど動かなかったから……。だから、僕と爺ちゃんで世話してたんだ」
「なるほど、ではその御爺様と会話させていただくことはできませんか?」
 どうせならその祖父と会話をしてみたい。そんな想いに駆られた私はそんな言葉を口走ってしまう。
「……できないよ」
「ふむ、それは残念ですね。一度話を聞いておきたかったのですが」
「死んじゃったんだ」
「え?」
「猫が死んじゃって、その後を追うようにすぐに……。だから僕一人ぼっちに――」
 猫が現れた時期を鑑みるに、祖父が死んだというのもつい最近の出来事だろう。
 ……やってしまった。
 亡くなった祖父と猫を思い出したのだろう。少年の目には涙が溜まっていく。
「す、すいません」
 ただ謝ることしかできない自分が惨めになる。
 ここは祖父の話から遠ざかった方が賢明だろうか。
 数瞬の間を置き、私は言葉を紡いでいく。
「……黒猫が霊になって家に戻って来た理由、心当たりはないですか?」
 人によっては空気の読めない発言だと感じるかもしれないが、浸るべき感傷と浸るべきではない感傷があると私は思うから。
 少年は私の発言に暫し目をしばたたかせると、ハッとしたように言葉を紡ぎだす。
「分からないです」
 結果は芳しくないものであったが。
 それでも、少年の顔からは悲しみの色が少しだけひいていった。
「そうですか」
 残念だが、こればっかりは仕方がない。
 そして沈黙。
 このままお互い黙りこくっていても進展はないだろう。もしかしたら再び少年が泣き出してしまうかもしれない。
 私はここいらが引き揚げ時と判断した。
「今日は御話、ありがとうございました」
「い、いいえ! こちらこそ、聞いてくださってありがとうございます」
 日が暮れて半刻ばかりが経っただろうか。どうせ明日も訪れるのだから、これ以上の長居は無用と私は白玉楼へ戻る事にした。
 その前に――、
「もう遅いので、家まで送って行きます」
 まだ夕餉時とはいえ、少年が一人でうろつくのを黙認するわけにはいかなかった。
 少年も、駄々を捏ねるような事はせず、大人しく私の申し出を受けてくれた。


 と言っても片道数分の道程、何事もなく少年を送り届けた。
 かに思えたのだったが――、
 少年の家の前。一人の老人が途方に暮れたように突っ立っていた。
 老人は虚空を見つめ、うわ言のように何かを呟いている。
 一瞬、先ほどとは別の使用人かと思ったが、少年の反応を見るにどうやら違うようだ。
「えっ――」
 その少年の方を向くと、言葉を失い、その目には再び涙が溜まっていた。 
「じ、爺ちゃん!!」
 少年は家の前に佇む老人の元へと走っていく。
 今度は私が言葉を失う番だった。


「爺ちゃん! どうしたの? どうして――」
 感涙に言葉が詰まり、上手く言葉を発することの出来ない少年。
「おうおう。久しぶりじゃのう。いや、数日ぶりじゃったかの?」
 そんな少年の言葉を遮るようにして話し始める老人。
 孫との再開が嬉しくて仕方がないのか、ただ単にマイペースなだけなのか。
 私見では後者のように思える。
 少年と老人が容量を得ない会話を繰り広げていく。会話が終わるのを待っていては再びこの里で朝日を拝むことになりそうだったので、私は半ば無理やり会話に参入する。
「こんばんは――」
「こんばんは、お嬢さん。どうかしたのかの?」
「どうしてお爺さんまで幽霊になってうろついてるんですか!?」
 思わず叫ばずにはいられなかった。
「い、いや、ご、ごめんさい……」
 素直に謝るご老人に、自分は何をしているんだと我に帰る。
「す、すいません……、私もつい、取り乱してしまって」
 互いに頭を下げ合う私たち。
 形容し難い空気に包まれるも、老人が先の問いの回答を始めた。
「それで、わしがココに居るのはじゃな。猫を看取ろうと思ったんじゃよ」
「猫を、ですか?」
 私だけではなく、少年も目を丸くしていた。
「そうじゃよ。わしは猫を飼っておってな。それはもう愛くるしくてのう。その猫はそろそろ寿命だったんじゃが……、なんの手違いかわしの方が先に召されてしまってな」
「は、はぁ……?」
 老人の言葉は理解できる。
 しかし――、
「何言ってるのさ、御爺ちゃん! 猫なら御爺ちゃんが死んじゃう少し前に……」
 今度は老人が言葉を失ったのだった。


 一通り話を終えた私たちは途方に暮れていた。
 会談の場所は再び空き地に移っていた。
「そ、そうじゃったのか……」
 どうやら、亡霊になっても茶目っ気は引き継がれるらしい。
 老人の話を聞くに、愛猫を看取ってやりたいという強い思いによって亡霊となったらしい。
 しかし、少年によるとお爺さんと黒猫が亡くなったのはほぼ同時だったとのこと。つまり老人は杞憂によって亡霊となったのだった。
 老人の亡霊と半人半霊の少女。そして人間の少年。三者三様の反応を示し、私たちは頭を突き合わせて悩んでいた。
 幽々子様に課せられた門限はとうの昔に過ぎていたが、ここで引き返すのも後味が悪い。
「しかし、お爺さんが亡霊になった理由は分かったとして、猫はどうして……」
 私が喋り終えないうちに、三人の前に例の黒猫が現れたのだった。
 黒猫は私になど目もくれず、老人と少年の元へと一直線に歩いていく。
 真っ黒な鼻をひくつかせ、老人の臭いを確認する猫。そして老人の脚に頬を摺り寄せる。
 老人はというと、猫を前足を両手で抱え、目の高さまで持ち上げた。
 そして二言三言、言葉を交わしたかのように見えた。
 長年寄り添ってきた二人、もしかしたら心通う部分があるのかもしれない。
「どうやらコイツは、わしを救いたかったらしいのぅ」
「……え」
 私と少年の声が重なった。
「つまり、その猫が私を連れていったのは、私にお爺さんを救わせる為だった……ということですか?」
「コイツがいうにはな。じゃが、まぁ。コイツもわしが天寿を全うしたんだと気づいたんじゃろ。
 途中、目的がわしを看取ることになったみたいじゃ」
 それって――
「二人とも同じ理由で幽霊になったって事ですか!?」
「そうらしいのお」
 そんなことって……。
 途中、黒猫が私の前に姿を現さなくなったのも、老人が消えてしまった部屋を見て、目的を変更したからなのだろうか。
 少年と私は思わず溜息を吐き、その後声を出して笑ってしまったのだった。 


 そして――、
 未練の無くなった亡霊は、再び亡くなるのが運命。
「……二回も、お前に寂しい想いをさせてスマンのぉ」
 老人が少年の頭を撫でる。
 その腕は既に薄霞のように消えかかっており、本当にその感触が少年に伝わっているのかも定かではない。
 黒猫も、少年の脚に頬を擦り寄せ、別れの挨拶をしているように見えた。
「一度目はちゃんと別れの言葉を言えなかったからの、わしは……えが居て………」
 老人の声が小さくなっていく。
 私には聞こえないが、傍にいる少年にならもしかしたら――
「     」
「     」
 両者が最期の言葉を紡ぐ。
 私には聞き取ることができないくらい小さな声で。
 二人、いや二人と一匹の間で交わされた言葉。
 私へ向けた少年の目には、涙は浮かんでいなかった。

  〇

 どうやらこの老人が、件のはぐれ幽霊だったようで。
 気付くと私を囲っていた問題が何もかも解決してしまっていたのだった。
「と、いうわけなんです」
 夕餉の時刻から大幅に遅れてしまった私は、今だにぷりぷりとご機嫌を損ねている幽々子さまに事後報告をしていた。
「ふーん……。なんともそそっかしい幽霊さん達だこと」
 幽々子様に言われてしまっては彼らも報われまい、と思ったが口には出さないでおく。
「まるで妖夢みたいね」
「そうですね――ってそこ私なんですか!?」
「妖夢以外に誰が居るっていうの?」
 どうやら全く同じことを考えていたようで。
 白玉楼はこれで今後やっていけるのだろうかという、一抹の不安を覚える。
「しかし、看取るというのはそこまで重要なことなのでしょうか?」
 私は、疑問に思っていたことを幽々子様にぶつけた。
 あの老人ならいざ知らず、猫まで同じことを考えていたのには少しだけ驚かされた。
 幽々子様は少しだけ悩むようにと下をむく。
「さぁ、私には分からないわ。だって私には生前の記憶がないのだから。
 これから……再び死ぬような事もないのだから」
「そうです、よね」
「でも――」
 そこで幽々様は言葉を止め、私の目を覗きこむ。
 その、夜桜を溶かしこんだような鮮やかな瞳は、既に人間のものではない。
 何か見透かされているような気分になり、目を逸らしてしまった。
「大好きな人だからこそ、看取ってあげたい。最後まで一緒に居てあげたいっていうのは、少しだけ分かる気がする。
 私には死の恐怖が分からないけれど、看取る側の気持ちなら……そうね。分かるような気がするわ。
 妖夢はどうなのかしら? 少なくとも、今回の件で何かを感じたんじゃない?」
「私は――」
 私はどうなのだろう。半人半霊という立場上、死という言葉について悩んだことは少なからずある。
 だけれどそれは、自身や身近な人物の生死のそれとは隔絶した何かだったように思える。
 亡霊という身の幽々子様に仕える身だからだろうか。
 目の前で私を見つめる幽々子様に視線を向ける。
 ……私は何を思うのだろう。
「幽々子様と長く、永く一緒に居たいです」
「あら、妖夢。妖夢がそんな事言ってくれるのは嬉しいのだけど、私達が話していたのは『看取る――看取られる者の気持ち』よ?」
「あ……」
 どうやらいつの間にか、自分の中で疑問がすり変わっていたらしい。
 自身の死が、彼女との別れを意味するからだろうか。
 考えただけでもゾッとする。
 だけど、もしかしたら。最期のその時、幽々子様が傍に居てくれれば、それはまた違った答えになるのかもしれない。そう思った。
「うふふ、そうね。私も妖夢と一緒にいたい」
 そう言って、私を優しく抱き止める幽々子様。
「は――、ぇ」
 まるで割物でも扱うかのように、優しく。
 私は一瞬、幸福で視界が暗転し、香りで頭が白くなる。
 ただただ、幸せで頭が満たされる。
 私の意識が完全に覚醒状態に戻る前に、幽々子様は私から離れてしまう。
 名残り惜しい、そんな事を思ってしまう私は、どこか何かが壊れてしまったのだろうか。
「それじゃあ、ご飯にしましょうか」
 幽々子様は私を置いて、何事もなかったかのように食道へと歩いて行く。
 私はふと、働かない頭で、あのご老人と黒猫が羨ましく思った。私は死後も一途にあの人の事を思い続けることができるのだろうか、と。
 しかし、今は、幽々子様と美味しい夕餉共にしよう。悩むのはそれからでも遅くないだろう。

 そんな風に思った。
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コメント



0.140簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
こういうお話、個人的に大好きです。
4.100非現実世界に棲む者削除
やっぱりゆゆ様と妖夢の二人は最高です。
5.703削除
そこまで悪くないと思うのですが……
オリキャラってので避けられているのかなー
6.100非現実世界に棲む者削除
ゆゆさまと妖夢は同じ想いを抱き、同じ時を歩む。
だからこの二人には主従関係だけではない別の絆を感じるんです。
何が言いたいのかというと、この二人はやっぱり最高だということです。