「続いて……眼飛等舎人(まなひとのとねり)」
響く声は偉ぶっているが、どこか乾いて張りを失っているようでもある。緊張のせいでもあろう。朝方から延々と続く儀式のせいで、疲労もしているはずである。いちど誰かの名前を読み上げれば、そのたびに一座の視線が“ぐるり”と彼には注がれる。身分の上下もない。しかも、新たな王権が正式に発動する第一日目である今日という日のことだった。論功行賞(ろんこうこうしょう)の場において、名前の読み上げ役を仰せつかった官吏が、ひどく緊張をしているのも無理はなかったと言える。
「眼飛等舎人。八坂神の御前に」
改めて名前を読み上げられると――、百人近い群衆のなかから、今さっき名前を読み上げられた眼飛等舎人が眼光をいやにぎらつかせながら、蜥蜴(とかげ)か何かの爬虫動物を思わせる動作で歩いてくるのであった。
小石ひと粒、葉っぱのひとかけらさえなく掃き清められた中庭に、ぽつぽつと足跡が残っている。それをたどるようにして進み出てきた眼飛等が見上げたのは、諏訪新政の高官たちがひしめく建屋である。中庭に臨む方向にだけ、儀式に用いるために壁がつくられていないこの場所だったが、面積の半分は屋内に引っ込んだようなつくりになっている。そのせいで、もっとも奥に座する人物はまるで御簾(みす)を介するごとき薄暗さで外と隔てられ、せいぜい、眼光の鋭さくらいが外に向けて伝わるのみだ。
眼飛等が見つめる、その薄暗さの先に居る『神さま』。……八坂神奈子は、未だ無言だ。いったいどんな沙汰があるものかと、眼の良さだけが取り柄の醜男は、肩を震わしておののく様子。 否、眼飛等だけではない。この諏訪の国、この科野諸州をまがりなりにも束ねる最高権力者たる八坂の神さまの姿を、召しだされたすべての者たちがじいと見つめてやろうと躍起だった。だから諏訪の柵の決断所(けつだんどこ)は、科野州の縮図である。諏訪はじめ各郡の主だった領主たちが召喚を受け、八坂神の王権について占める位置を言い渡されるのだから。
今日この場に集い神奈子からの正式な沙汰を待っているというのは、単なる恩賞の発表ではないのだと言って良かった。
各々の私領で各々の政(まつりごと)を行ってきた地方の豪族たち、土豪たちが、西方からやってきた新たな統治者たる八坂神奈子に、――そしてその背後に存在する大王(おおきみ)という巨大な権威に、仮にであろうがまことであろうが、ひとまずは服するという厳然たる『既成事実』の形成に他ならなかった。むろん、人々が腹のうちに秘めた利害はそれぞれにあるのだろう。だが少なくとも、八坂神奈子を首魁(しゅかい)とする一国の誕生を、この地の豪族たちが受け容れているという事実は確かに残る。そして、その政に従うのだということも。神奈子の意による恩賞の下賜という建前は、それをはっきりとした形で示す意味があった。
「眼飛等舎人、御前にま、まか……まかり越しまして、ございます!」
誰にどんな思惑があるにせよ、儀式そのものは粛々と進行する。
緊張のあまりか言い慣れていない口調のためか、眼飛等はつい言葉を噛んだ。
張りつめた空気に呑まれ、神さまを畏れ多いと思う気持ちが蘇ったのか、彼はべったりと地面に這いつくばる。その姿勢は、いやに滑稽であった。周りに列席する出雲人たちや、科野の諸豪族たちからは、こらえきれない失笑が漏れる。「まるで潰れた蛙か、痩せた芋虫じゃな」と、誰かの軽口まで飛ぶ。眼飛等舎人の名を読み上げた官吏でさえ、頬の裏で笑いを噛み殺す素振りなのだ。が、当の眼飛等本人は気にも留める様子さえない。なぜなら、
「眼飛等」
と、八坂神奈子が彼の名を呼んだからである。
ますますもって、眼飛等はひれ伏す。
肩先の震えから、嬉しさがじんわりと滲みでているようなところがある。
「今日の除目(じもく)にて、そなたのものとなる官も土地もない。だが、多年に渡りてこの八坂の東征につき従うてくれたこと、嬉しく思う。また過日の野駆けにて、そなたの眼力こそモレヤを見つけ出す一助となったことは、疑うべくもない。よってかの日に約した通り、眼飛等には砂金を賜うことと致す」
ばッ! と顔を上げ、わなわなと唇を震わせる眼飛等。
何か感謝の言葉を述べたいらしい。が、無学な彼には上手いことは何も思いつかなかった。「ははーッ! あ、ありがとうございます、神さま!」と、何度も何度も神奈子へ礼を述べながらひれ伏すことをし、額を地面にこすりつけて見せるのだった。少しばかり大げさな所作は、またしても群衆の笑いを誘うところとなる。
「あの日、眼飛等は諏訪の湖に舟を浮かべる漁師たちの仕事を山上より見つめ、獲れるものは、魚ではなく海老と申したな。後になって調べてみれば、まさにその通りであったよ。そなたの眼の良さと正直を、我は買うているのだよ」
あらかじめそうするよう決まっていたのだろう、神奈子が改めて命じるまでもなく、舎人たちが大きな桶を眼飛等の元まで運び込んでくる。桶の上には白い布が被せられていたが、その布の下には、何かが盛りに盛られてこんもりと山をつくっている。「布を取り、眼飛等に見せてやれ」と神奈子が命じると、舎人のひとりがさっと布を取り払った。
「おおっ……!」と。
瞬間、群衆から漏れた溜め息は、今度は失笑ではなく羨望であった。
桶のなかに山盛りになっていたのは、やはり砂金。それが初秋に陰る昼の日を受け、きらきらと眼飛等の顔を照らしていた。
「その桶のなかに用意した砂金を両手で三度すくい上げ、布の上に置くが良い。それが、眼飛等舎人の取り分ぞ」
今度は、もう返事もなかった。
飢えた子供みたいな勢いで、眼飛等は砂金を掬いにかかる。両手いっぱいに砂金を包みこみ、しかし未だ足りないと見て何度も何度もやりなおした。布の上に三回分の砂金が乗っかるまでには、しばらくの時間がかかったのであった。さすがの神奈子も、これには決断所の奥から苦笑を見せる。
「眼飛等は身分こそは卑しいかもしれぬが、いずれいかなる仕事であってもわが王権に報いる奉職であることは変わりがない。その金の輝きにふさわしき務めとなるよう、これからもよう励め」
手のひらにくっついた金の粒を布の上でよくよくこすり落としながら、何度も何度も頭を下げる眼飛等だった。
「舎人衆、終わり。次は諏訪子を筆頭に科野諸州の者たちの任官と領地配分、および出雲人による目付の任官を述べる」
神奈子の声が朗々と響き渡ったとき、すでに眼飛等は自らに与えられた恩賞たる砂金の山をしっかりと白布に包みこみ、胸に抱いていそいそと群衆のなかに紛れこんでいた。さっきまで人々の注目を受けていた彼に、もう誰もその眼をそそぐことはない。ようやくにして今日の除目の目玉――科野州の豪族たちへの処置が明かされるのだ。集まった誰しもが鼻息を荒くし、一時、静粛を忘れてひそひそと噂をし合った。
そのようななかに、諏訪子とモレヤも居る。
周りがみな神奈子に贈った進物の多寡について口にしているなか、この一組の夫婦(めおと)だけは唾ひとつ飲み込む様子もない。諏訪子が夫の不安を解すように、人目に隠れてその手を握ると、モレヤもまた妻への応え(いらえ)で握り返す。神奈子がはっきりと宣した通り、彼女たちふたりへの正式な処置もまた、次の発表には含まれるのだ。南天の日は少しずつ傾き始め、除目も後半に差し掛かろうという頃合いだった。
――――――
除目というのは、現代の言葉で喩えるなら『公務員の人事の発表』とでもなるだろうか。
中央官や地方官に誰を任ずるか、任地はどこか。与えられる位階はどれほどか。
そういう諸々を発表する儀式が除目だ。
とはいえ。政治的な儀式としての厳格さは求められていても、そこは元が武断的な性格を持つ八坂神の政権でのことである。除目は単なる人事云々の発表ではなく、明確に論功行賞の色を帯びていた。諏訪攻略この方、戦いで軍功を立てた者たちへは恩賞を与えなければならないし、数多の反抗を経てようやく服属した野諸州の豪族たちへの処分も、今日の機会を通じて正式に通達しなければならない。何せ、城に近郷の領主連を招いて行った血盟の儀式と相前後するかたちで、ようやく科野諸州に含まれる土地の検地があらかた終わったのだ。また砂金の取れ得る山川の把握も終え、軍資金を用立てるにも租税の取り立てを行うにも、ようやく八坂神奈子のつくる国が国家としての出発点に立ったというところである。
ところで、国というのは人の集まりなのだから、利権利害を巡って争いも起きる。
そういう争いや諸々の訴訟沙汰を取り扱うべくこのたび諏訪の柵に新設された決断所は、種々雑多な勢力に対する処置と政令の坩堝(るつぼ)としての様相を、早くも呈し始めていた。政を健全に行うには、よく当事者たちの意と事態の情勢とを汲み上げて判断を行わなければならない。訴訟や裁判の沙汰を明確な機構として整備しようと考えたのは、神奈子である。むろん、恩賞の次第によっては不平不満もあろう。だが、それは法令と政の実情に沿って行われるものだというのを、あまねく科野人士には示す必要がある。そのために、決断所で執り行われる除目であった。だから必然、国家のための厳格な儀式としての性格を帯びないわけにはいかない。
使われる紙の一枚を取って見ても、諏訪数ヵ村の人々が二月、稗でも粟でもなく米を食べられるくらいの値打ちがあるのだと、領主連のあいだではもっぱらの噂となっている。それだけの『格』が要求される儀式だからだ。おまけに官吏たちの足の運び方、発声の仕方なんかもこと細かに決まっているのは、いかにも儀式礼式を重んずる出雲人のやり方らしいと、これもまた人の口に上るところではある。そして、その“出雲式”を諏訪の地で行うこと自体が、出雲の世界観を東国に輸入するという一大事業が目指した、ひとつの帰結であったのかもしれない。
――――――
昼にしばし休憩を挟んだ後、諏訪の柵での除目は再開された。
これから日が落ちるまでに、大急ぎで残りの発表を行わなければならない。
何せ恩賞を受ける者、任官叙任される者、出雲人だけでも数十人に上っている。おまけに、ひとりひとりが皆、作法にのっとって神奈子の眼前に召しだされるものだから、いやでも時間がかかるというもの。それでもどうにか昼の日が空のてっぺんに差し掛かる頃合いで、出雲人の論功行賞だけは終わったのだが。
午前の除目で中庭の土に残った足跡がきれいに掃き清められると、見計らうようにして、人々はみな決断所に戻って来た。
少し疲れの見え始めてきた官吏が再び紙を手にし、大きく息を吸い込んだ。
除目の対象となる者の名前が記された一書であり、これもまた、折り目のつけ方まで正式なやり方が決められているという有り様。
「……諏訪旧主、諏訪子」
間延びしかかったような声が、決断所を取り巻く中庭に響く。
老若の隔て何ひとつなく、集まった群衆の注意は自分たちの中心にその身を置いていた、黄金(こがね)の髪の少女へと向けられる。赤い飾り紐をして、その髪を両頬の脇に垂らした格好の諏訪子。ゆっくりと神奈子の面前に進み出る彼女を見、「あれが……」とか、「おお、血盟の晩に剣舞をなされた……」とか、そういうひそひそ話が漏れ聞こえる。声に秘められた心の大半は、神や王に対する尊崇というよりも、単なる好奇心の産物だった。“諏訪さま”という元の名が表している通り、諏訪子は決して科野全土の支配者ではなかった。あくまで諏訪地方を自らの領国とする豪族たちに祀り上げられ、彼らに政治的権威と政令の正当性を与える象徴としての王であったに過ぎない。仮にもその威光が及んでいたのは、やはり諏訪国内だったのである。
元は“諏訪さま”なる諏訪の王、それが八坂神の人質を経、“諏訪子”という名を賜って、諏訪新政の重鎮を占めているというではないか。そんな数奇な運命をたどった彼女が、今日、新たにどんな沙汰を下されるか。見物(みもの)ではないかよ……。科野人士たちのなかには、確かにそんな気持ちがあったはずである。
「諏訪子さま……」
と、不安げな様子でいたのは、夫たるモレヤだけだった。
さっき、妻の諏訪子は自分の不安を解消させるため、手を握っていてくれた。自分もまた握り返しはしたが、しょせんは気休めなのだと気づいてしまった。まさかあの八坂さまが、御自身の盟友たる諏訪子さまに不利な裁定を下すはずはない。少年は、そうやって自らを落ち着かせようと努めることだけで精一杯である。
誰が何を考えていようと、事態は進行する。
人々のちくちくとした視線をその小さな背に負いながらも、諏訪子は神奈子の面前にひれ伏すことをした。今や八坂神奈子とは、確かな友誼(ゆうぎ)を結んだ間柄。とはいえ政治上のことにて、諏訪の者と出雲の者とがやたらと交わるのは良くないことと、そんな根強い反発が拭い去られたわけではないのも承知のうえだ。そもそも、諏訪王家の創始に出雲人の血を混ぜ込むことが神奈子の王権にとっては争いの種になりかねないのだから、妥協案の体現として自らモレヤの妻となった諏訪子である。今日の除目で言い渡される沙汰を、未だ神奈子自身の口からはっきりと聞いていないとはいえ、何があっても受け入れる覚悟はできていた。
「諏訪子よ」
ゆっくりと、よく通る声で神奈子が呼びかける。
「は。諏訪旧主、諏訪子。確かに、八坂神の御前にまかり越しましてございまする」
「おお。……そなたと斯様(かよう)にあらたまった作法で話をするは、およそ一年前、我が諏訪入りを果たしてより、未だ日が浅かったときのことか」
「よく憶えておりまする。そのとき、諏訪子は“諏訪さま”であり、」
「また、我は御身を東夷(あずまえびす)の首魁として見、その首筋に刃突きつけた」
「そのようなことも、ございました。同じほどに、わたしも八坂さまの胸に刃を突き立てようと目論んだ」
ふっ、と、ふたりは笑った。
だが、他の誰も笑みを見せない。この儀式の場において、新旧の権力者が一年前を懐かしんで笑っている。少なくとも、他の者たちにすれば阿諛(あゆ)でのつくり笑いさえはばかられる光景である。諏訪子と神奈子が、緊張の糸なるものを両端から引っ張り合って遊んでいる。そんな間抜けな比喩さえ当てはまるほど。そしてそのことの是非曲直はさておいても、ふたりが語る昔話は、今こうして当たり前に笑い合う関係にある者としては、あまりにも物騒な内容なのだった。
「今も未だ、我の寝首を掻かんと思うことあるか」
「……せいぜい、夜、まどろみのうちに夢見るほどには」
地面に突いた諏訪子の指先が、ざりと土を掻いた。
が、神奈子はそれに気づかない。ひょっとすると、諏訪子自身すら気づいていなかったかもしれない。
「此度(こたび)、あらためて問おう」
神奈子は腹の奥に湧きあがる笑いを努めて隠し、刺々しい音声(おんじょう)を発している。そのことに気がついているのは、おそらく諏訪子ひとりだけだった。
「諏訪子は、わが王権に何を望む」
「何を、とは」
「とぼけずとも良い。諏訪人として、出雲人への勝利か。王として、諏訪人民の太平か。あるいは祟り神として、この八坂の首を挙げること望むか」
すぅ、と、面(おもて)を上げて、諏訪子は眼を細くした。笑みをいっそう深くしたのだ。中庭の諏訪子と決断所の神奈子。距離の隔てのせいで、互いに互いの顔も表情も、ついに見えることはない。だけれど彼女が笑んだのは、神奈子が内に秘めた笑いに応えようという気持ちがあったからだ。
「いずれも、……」
すべては言わず、ただ首を横に振るだけ。
「では」、と、神奈子が続ける。
「何を望む」
「よもや、お忘れになったわけでもありますまい」
身を起こし、正座するかたちで諏訪子は言う。
「八坂さまが王道誤りしときはこの諏訪子、遠慮なく寝首を掻きに行く所存。同時に諏訪子が王道誤りしときは、八坂さまにわが首、献上を仕る覚悟にて」
声は、少女のものでしかない。
が、ひどく決然としたその物言いは瞬く間に決断所と、決断所を取り巻く人々のあいだに広がっていく。誰もみな噂話に忙しかった口を閉じ、除目の日が本来あるべき厳格さを取り戻していく。ふたりの神の手で、取り戻されていく。皆、水を打ったように静まり返っていた。
「諏訪子は依然、崇り神。ゆえに血と鉄とによりて、郷里たるこの諏訪に報いることだけは、犬馬の労も厭わぬ所存」
神奈子のため、とは言わなかった。
世辞を含まない正真の意志。それが、相手が欲する最良の答えと解っているからである。
「一年、経ったのだったな」と、あらためて神奈子は呟いた。彼女を取り巻いていた出雲人の高官たちは、怪訝な顔で彼女の方を振り返る。決断所の薄闇の向こうで、今度こそ隠すことない笑みを見せる神奈子の歯の白さだけが、いやにきらめいているようであった。
「諏訪子は一年経っても、相変わらず生意気なことを申すやつよ。だが、我はその言葉こそ欲していた。まことの友が、真実の忠臣が、甘言ばかり述べたという例は古今に存しないであろうからな」
諏訪子は、再びひれ伏した。
群衆たちはやはり何も言えず、除目の場は、元の静けさを取り戻しつつある。
そのなかで、モレヤはふと身を乗り出す。諏訪子と神奈子の息づかいまで、はっきり耳にしようと努めるみたいにだ。
「では、諏訪子。あらためて諏訪王たる八坂神が、諏訪旧主たるそなたに、わが御いくさたる諏訪平定における沙汰のほど、此度、申し渡す」
深々と息を吸って、神奈子は長々と語り始めた。
身体のなかにある全部の空気を声に変えているみたいだと、諏訪子は可笑しがる。
「この天地の開闢(かいびゃく)より幾数十万年、天子たるところの皇祖神武大王(じんむのおおきみ)の行いたる東征の御いくさより幾数千年。天下(あまのした)の隅々にまであまねくその御稜威(みいつ)を広めんと欲したわが主上の御叡慮(ごえいりょ)が一下、数多の将士が長きいくさにつき従い、東方へ東方へと歩みて戦うこと千幾年。それもみな、葦原中ツ国を一個の神州と成し、すべての人民にひとりの隔てもなく、太平のさなかにてその生を遂げさせんという、大王の広大無辺の御厚情をその故としてのことである。これなる御いくさによりて、出雲人は出雲人の国を建て給うたものなり」
ひざまずいたまま、諏訪子はぴくりとも動かない。
無言に耳だけそばだてる。
「されど、その深き御叡慮届かぬ異国異邦の地にては、蒙昧なる蛮夷の魔手のもと、彼らの欲得において当地の政が恣(ほしいまま)とされ、人民は幾年(いくとせ)疲弊し、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に苛め抜かれていたものか知れぬ。多年、歴代の大王は斯様な窮状にその御心を痛められ、ために諸国の人民を蛮夷の手より解き放たんと正義と信義に基づきたる軍勢を糾合し、未だ異神異人の跳梁止まぬ諸州へと、幾たびも征伐を行われた。すなわち、これすべて天下国家とそこに住まう者たちを称揚すべく行われる義戦なり。その義戦にて死したる者、千歳(せんざい)に渡りて顕彰と誉れとを受くるまことの英霊なり」
神奈子の『演説』はなおも続く。
こうして何かの由来話を延々と続けなければ、沙汰することの正しさを明かすこともできないのだろう。難儀な、友人だ。
「然るに。神武大王より数えて二十六代の後嗣(こうし)たる今上の大王は、二十五代武烈大王(ぶれつのおおきみ)より受け継ぎしその御世(みよ)の十一年に及ぶなか、はるか東方諸国において人民の貧窮ならびに絶え間なき悪政が行わるるをお聞きあそばされ、ついには歴代の大王が天下に敷いてきた多くの武威と仁政との事績に倣い、天下国家の平安をなさしめんとするそのお志によりてお起ちあそばされた。もって、この八坂神に一万余の軍勢を賜い、東征の途につかしめたものである。わが手に率いられし軍勢が、まつろわぬ東夷の蕃神、化外(けがい)たる民どもを打ち破る長征の旅路、ついに十余年に及び、御いくさはこの諏訪の地にまでたどり着いた」
演説は――幾分の潤色があるとはいえ――いよいよ“一年前”の辺りであろうか。
「諏訪の国は蛇神ミシャグジの万余さきわう地にて、その蛇神と人民とを調停する諏訪の神なる姫の棲まう地なり。なれど、諏訪土着の豪族たちは諏訪の姫の意を弄び、多年、政を恣とし、天を嘲り地を冒瀆し、世に正道の行わるるべきことにおいて大いなる妨げであった。元より主上が御叡慮とは斯様な者どもの倭国における跳梁をお嘆きあそばれており、かつまた、あまねく諸国諸州における人民と神々との心を太平と平安のうちに救い参らせることであった。ゆえに十幾年もの御いくさの果て、わが八坂の軍勢は主上が御稜威を東国諸州に広める一歩と成し、さらに、諏訪の地とそこに住まう人民と神とを悪政より救うため、当地の豪族を討ち、これを従わしめたものである」
やはり、可笑しい。
舌の奥で、諏訪子はどうにか笑いを噛み殺そうと必死だった。
むろん、この『演説』が政治的正当性を示すための示威行動に過ぎないとは解っている。
だけれど、“自分たち”の関わりはそれほどまでに単純化された善と悪でできているわけではあるまい。政とは、不思議なものだ。世の中は単純な善と悪では割り切れないと解っていながら、善と悪の二極に頼って自らの正しさを世に問うことをしなければならないのだから。そうして、神奈子はいま『善』の一方に立とうとしている。本来であれば、『悪』の側として貶められるべき諏訪子をも、自らの『善』に組み入れるかたちで。
「この倭国は大王を父として、その国土を母として、諸国の人民と神々とを等しく慈しむべき子らとして、八紘一宇(はっこういちう)の世の招来を成し遂げねばならないのである。ゆえに諸国において安寧を阻む者あらば、われら大王に仕えし軍勢は、古今、その正義と信義に基づきてただちに討ち参らせてきた。諏訪における御いくさも、そのひとつである。この大義に従う者は永劫の同胞(はらから)として、子々孫々までわれらが友となろう。……――――諏訪の地とそこに住まう者たちもまた、われらが大義を知るところとなった。諏訪の姫、ならびに彼女を奉りし豪族たち、みな等しく主上の臣民である」
語りは、いよいよ佳境のようであった。
誰知らず、われ知らず、ごくりと唾を飲むのが解る。
「だが御稜威ついに及びし諏訪の地なれど、未だわが主上が御叡慮のうちなる倭国一統の世は訪れるものではない。こののち数十年数百年と、夷狄(いてき)たちとの御いくさは続くと思わるるのである。すなわち、諏訪をも含む科野州は、よりいっそうの遠国(おんごく)たるところの坂東(ばんどう)、さらにはそれより先の北国(ほっこく)に蠢く荒蝦夷(あらえみし)たちと接するいくさ場の先端、敵の喉元に突きつけるつるぎの切っ先である。斯様なる土地なれば、出雲本国からの助けも甚だ届き難く、また主上たる大王が御意思の行わるるべきところ、それを為し得ること甚だ困難と言わざるを得まい。されど、これに在るはひとつの僥倖(ぎょうこう)である。主上が御叡慮は、東国の果てにおいて御自らの思う政が直に行われ難しとは、むろんお考えであり、それゆえこの八坂神に御いくさの権とともに政の権をも賜ったのである。いま直ぐに科野州を出雲一国に組み入れることできぬのなら、諏訪の地に立つ新たなる血脈を創始し、その流れを受け継ぎし者たちを王と成し、神々と大王を祀らせん。それがひいては倭国一統、その果ての八紘一宇という遠大なる志を戦わすための御剣ともなり、大王をお支えするための柱ともなるからである」
高官が、かたわらの舎人に何か命令を下しているのがちらと見えた。
命ぜられた者は葛(つづら)めいた箱を空け、中からひとくくりの巻き紙を取り出す。そして、巻き神はうやうやしく神奈子の手へと奉られる。紙を留めるために飾り紐が結ばれていたが、紐に織り込まれた金糸の色が、針の先みたいに視界の端に刺さる。
「諏訪の姫――諏訪子。汝の胎には夫たるモレヤとの婚儀によりて、いずれは次代の諏訪王となる子が宿ることであろう。そのさらに子らに受け継がれるべき血脈に、諏訪王家としての嫡流発することを、八坂神は確かに認める。そして子々孫々までその名跡と社稷(しゃしょく)を伝えんがため、かつまた、汝が倭国一統の大義を知りし神々の一柱とも認め、ために汝が名を“諏訪子”というものより改めることを命ずる」
人々は、沈黙を忘れた。
途端にざわざわとやかましくなる場に「方々、どうかご静粛に」と官吏たちの警告が飛ぶ。だが、動揺した群衆にそのような言葉は意味がなかった。皆、諏訪子が元は“諏訪さま”であるのを知っている。“諏訪子”という名が神奈子より賜ったものであるというのも知っている。敵であった者から名を賜るということが、果たして謗り(そしり)と羨み、世に問えばどちらにより近いのか。いずれにせよ尋常の沙汰は下るまいと、思わぬ者はひとりとてない。
ゆっくりと、諏訪子は顔を上げる。
「今このときより、諏訪子に対しては諏訪亜相の官として八坂神第一の臣たること、そして夫モレヤの名になぞらえた“洩矢”の氏(うじ)を賜う」
巻き紙の紐を解き、“そこ”に書かれていたものを神奈子は諏訪子へ、そして集まった人々へと見せつけた。その顔は、ただ不敵と言うより他になかった。
「“洩矢諏訪子”。これが、そなたの新しき名ぞ」
洩矢、諏訪子。
わたしが名乗るべき、新しき名。
うなずきも平伏しもせぬまま、ただ茫然と諏訪子はそこに居るだけだった。口元はいつか緩み、何か新しく言葉を紡ごうとしたはずだが、上手いものは何ひとつ現れてはくれないのだ。洩矢、諏訪子。幾度か、舌の上や頬の真裏でその響きを咀嚼する。何度経験しても慣れぬことである、自らの名を改めるというのは。まして、それがかつて“諏訪子”という名をくれた相手からのものだから。はっきりと『敗残者』だった一年前の悔しさと、自分を打ち負かした敵と、今は友人として対等に在ることができているという嬉しさが、互いに形を失ったまま混じり合っていた。
お、おめでとうございまする――――!
ひそひそとささやく群衆たちのあいだから、ひとつ、少年の声が漏れる。
皆の視線が、自分からその声の主へと移っていくのが諏訪子には感じられた。けれど、自分から振り返ることはしないのである。誰が叫んでいるのか、直ぐに解ったからだ。
「おめでとうございまする、諏訪子さま! 洩矢亜相諏訪子(もりやのあしょうすわこ)さま!」
洩矢亜相諏訪子。
そのように言祝ぐモレヤの声を背負いながら、ようやく諏訪子は神奈子に向けてひれ伏した。「おめでとうございまする!」。少年の声の後を追うかのように、人々もまた諏訪子への祝福を口にし始める。ひとしきりの唱和が過ぎ去るまでは、幾たりか、決して短いとは言えない時間が必要だった。そのあいだずっと、ずっと諏訪子はひれ伏すことを続けていた。
「八坂さま」
と、言祝ぎを終えた人々の視線を幾度目か受けながら、諏訪子は語りかけた。
「うん」
「この諏訪子、此度賜りし洩矢の氏に恥じることなきよう、わが務め、果たす次第にございまする」
型通りの言を述べ、彼女は立ち上がる。
そうして再び人々のなかに紛れ込み、少女の姿を隠してしまうのであった。
「励めよ」と、後にはただ、神奈子の声だけがわずかに残っていた。