この幻想郷では今、紙の価値が急速に低下の一途をたどっている。
外の世界では紙が大量生産され、幻想郷にもその多くが舞い込むようになった。
価値が下がって手に入りやすくなった紙は、身の回りの至る所で見かけることが出来る。
紙の用途とは何か?
それは何かしらの文字をその滑らかな表面へ書き綴ることだ。
巧みに折り込んで一つの立体物を形作ることも可能だが、第一の使用法と言えば、コレに尽きるだろう。
人々は己の持つ知識や思想を文字に起こして紙に記し、後の世の人々に伝えていったのである。
天狗の書く新聞が隆盛を誇っているのも、紙が容易に手に入れることのなった影響の一つだろう。
それぞれの天狗が、自分の書いた新聞を宣伝している様ももはや日常の風景だ。
香霖堂店主であるところの僕は現在、その天狗の一人が発行した新聞を購読している。
何も僕が新しい情報に飢えている訳ということではない。
正確さよりも速さを売りとする天狗達の新聞に、興味惹かれる新たな情報を求めるというのは間違いというものだ。
もっぱらこの新聞は暇つぶしの一環として、謹んで拝読させていただいている。
店は開いているが、客は来ない。たまにくるのはお茶をたかりにくる知人くらいなのだ。
身の回りが静かなのは多いに結構だが、退屈という無味無臭の毒薬はどうにもいただけない。
どうにかこの退屈さを紛らわせやしないかと思ったのだが、こうくると新聞はなかなか良い働きをしてくれる。
お茶を片手に椅子を揺らして新聞を読みふけるというのが、このところの僕の日課である。
新聞記者かつ我が知人の烏天狗がいつものように新聞を届けにきてくれた後、
いつものようにさっさと飛び立たずに、カウンターの前に置いてある椅子に座ったのを見て僕は顔を向けた。
「なんだい。何か買っていってくれるのか」
「いえ、別にそういうわけではないのですけれど」
「ならばそこには座らないでくれ。そいつはお客様専用だよ」
「ああ、道理でちょいとばかし埃を被ってる」
言いつつ射命丸文は椅子に触れたスカートの辺りを手でぱっぱと払っていた。
彼女は僕が購読している「文々。新聞」随一の敏腕記者である。
随一の敏腕と言っても、執筆・販売を行っているのは文一人なので、当然と言えば当然なのだが。
本来ならば、僕に新聞を渡してくれた後は疾風のように空へ消えていくのだけれど、今日は何やら勝手が違う。
僕は淹れたばかりのコーヒーを一口だけ飲んで尋ねた。
「じゃあ何か。君がまだ新聞を投げ込んでいたときに割れたガラスの弁償をするつもりにでもなったかい」
「もう、霖之助さんたら昔の話を蒸し返して。それはもうきっちりと弁償したじゃないですかぁ」
僕の問いに文は笑いながら答えてくれた。
彼女は購読者以外にも号外と称して自前の新聞を空からお届けしていて、かつては僕も例外無く受け取っていた。
だが香霖堂の立地が悪いのか、はたまたわざとやっているのか、ほぼ毎回ガラスを突き抜けて配達してくれたものだ。
何度も何度も繰り返されるので、たまたま手渡ししにきたときに取っ掴まえてお説教してやったのが交流の初めだった。
それ以来は必ず直接渡しにきてくれるので、割とユーザーの声を大事にするタイプなのかもしれない。
僕は鼻を鳴らして文を糾弾する。
「なにをぬけぬけと。『文々。新聞定期購読無料サービス券』とやらがガラス代になるものか」
「でもお役に立ったでしょう?」
「……まあ使ったことは使ったが。しかし適用期間一ヶ月はちょっとばかり短すぎやしないか」
「ふっふーん。そう長々とタダ読みされちゃあ困りますからね」
そういって得意げに腕を組む文。
ちなみに文々。新聞は最低でも一年以上の定期契約からスタートである。
使わなきゃ損だということで契約をさせられたが、結局残りは通常のお支払いプランというわけだ。
上手い具合に彼女の掌の上で転がされているようにも思えるが、今言ってもしょうがないので言わない。
実際のところ新聞読みは前述のように格好の暇つぶしの種にもなるのだし。
…決して負け惜しみなどではないぞ。
僕はえへんと咳払いをし、腕組みをして文に改めて声をかけた。
「それで?ご用件をお伺いしましょうか、新聞記者殿」
「あやや。実は霖之助さんにお願いがあるのです」
「ふむ。わざわざ僕に頼み事とは、おおよそろくなことではなさそうだね」
僕の軽口を聞いてやや口角をあげた文は、しかしそれについては何も言わずに続けた。
「霖之助さん。我が文々。新聞の片棒を担いではくれませんか?」
片棒を担ぐ。
ある企てや仕事に協力するの意。大抵は悪い行いに手を貸すことを言う。
…本当にろくなことではないんじゃないだろうか。僕はため息をついた。
「すまないが、もう少し詳しくお願いできるかな」
「勿論。霖之助さんは物書きにご興味がおありとのことでしたよね?」
文はずずいっ、とばかりに身を乗り出して聞いてくる。
キラキラ輝く瞳に気圧されるように少々のけぞりつつも僕は返答した。
「うん…そう言った、かな?」
「実際お書きになったことも?」
「まあ、嗜む程度にはね」
「グッド!まさしく素晴らしい人材です!」
文は大きな音を立てて両手を合わせ、椅子から跳ねるようにして立ち上がった。
そして鞄をごそごそして自前の新聞を取り出す。怪訝な顔つきの僕などどこ吹く風だ。
わざわざ準備した新聞をご丁寧に丸めると、文はそいつをメガホンよろしく僕に突きつけ宣言した。
「それでは、貴方を我が『文々。新聞』の新規外部執筆者として迎え入れます!」
僕は呆けた顔で目を瞬かせた。文は晴れ晴れとした顔で胸を張っていた。
数秒の後、僕は思考回路を再起動させて、努めて穏やかに告げた。
「断る」
「そんなっ!?」
文は大げさにも新聞紙を手から取り落とし、両手を頬に当ててショックな顔つきを作った。
どこぞの画家の「叫び」とかいう絵に非常に良く似ているような気もする。
僕は如何にも面倒くさいと言わんばかりの表情で手を振りつつ続けた。
「遠慮させてもらうよ。他をあたってくれ」
「そんな殺生な!貴方には人助けの心得がないのですか?」
「新聞記者になるつもりはないんだ。僕の仕事は香霖堂店主だからね」
「いえいえ、何も記者になれと言っている訳ではないんですよ。それは私の役目ですし」
「ではどういうことかな?」
「ええ。新たな風を吹き込みたいと思ってのことでして」
文の話はこうだった。
幻想郷に住む天狗は、その多くが新聞作りに勤しんでいる。
しかし天狗達の新聞は数多くあれど、その中身はどれもこれも似たり寄ったり。
これではどの新聞を買っても大差はないし、何より読んでいる側もつまらないはず。
我が「文々。新聞」は他の新聞とは違う。自分だけのオリジナリティを前面に出したい。
なにかスパイスとなりえる新要素はないだろうか────
「そこで思いついたんです。楽しむことを主目的とした文章を書いては如何かと」
「言っては何だが、君たち天狗の新聞にはゴシップ記事も多いだろう。民衆はそれで充分楽しめるのでは?」
「確かにそうですが、ゴシップ記事だってニュース情報であることにはかわらないじゃないですか」
「ほう。つまりは情報伝達要素を抜きにした、完全なる娯楽文章を載せようと言う訳か」
「おお、仰る通り!流石は霖之助さん、話が早いですねぇ〜」
文はニコニコ笑って僕の意見を肯定した。
僕は喉の奥で小さく唸り、顎に手をやって考えてみる。
文の新聞は他の天狗新聞に比べて情報の正確さが強みで、その辺りが僕の気に入っているところだ。
だが言われてみれば、少々娯楽性に欠けるというのもうなずける。
読むことで時間つぶしにはなるが、それが娯楽として成り立つかと言えば首を傾げるものがあった。
なるほど「文々。新聞」に限らず幻想郷の新聞は、情報伝達にのみ特化しているように思える。
そんな業界に新風を吹き込んでもう一つの売りを作りたいという訳だ。
良い考えではあるが……
「『文々。新聞』は君の新聞だろう。まず文自身が何か書くのが筋というものだろうが」
「ぎくり。なかなか痛いところをついてくれますね」
「そりゃどうも。で、どうなんだい?」
「……情けないことに、私は新聞記事以外ではとんと文才が無いみたいで……」
よよよ、とばかりに文がハンカチを目元にやりつつ答える。
リアリティを出すためか、涙用の目薬まで手に握りしめての言い回し。
せめてバレないようにやってくれよ、そういうのは。
「ということで、ひとまず霖之助さんに執筆をお願いしようかと」
「何故僕だ。他にも人材はいるだろう」
「友人である貴方に対する信頼の証。そう、受け取っていただきたいですね」
…………。
「自分で書けないのなら、一般から起稿を募ってみたらいいじゃないか」
「そんなの…暇人が一回程度ひょいっと書いて終わりですよ。そうでなくて、安定して連載して欲しいのです」
「…お断りだ。そんなことにつきあってはいられないよ」
「いけずぅ。か弱い女の子が困り果ててるんですよ?手を差し伸べるのが男でしょ?」
「断言できるが、僕は君よりはるかに弱いんだ」
「…こっちが悲しくなるようなことをきっぱりと言っちゃいますね貴方」
「なんとでも言いたまえよ」
実際のところ半妖と天狗では、半妖に勝ち目があるわけがない。
鬼には敵わないにしろ、それでも充分に強大な力を持つ天狗がか弱いなんて、とんでもないホラ吹きだ。
文はまだ交渉を諦めていないようで、なお話を続けた。
「ちなみに言っておきますが、無報酬ではありませんよ。ちゃんとこちらにも考えがありますので」
「ほう…?」
「まず一つ目。『文々。新聞』に貴方のお店の広告情報を掲載いたします」
「香霖堂の広告を?」
「その通り。私がこの場末のお店の宣伝をして盛りたてて差し上げましょう」
真顔でさらりとひどいことを言う新聞記者もいたものだ。
君の目の前にいるのは取引相手かつその場末の店の店主なのだから、もう少し言葉を選んだらどうなのだろう。
もっとも、閑古鳥が鳴いていることは確かなのでその辺のことはグッとこらえる。
「一つ目というのは、二つ目もあるのかい」
「ええ。霖之助さんが協力してくれたら、その後の新規購読の売り上げから一割、貴方に献上します」
「なるほど、金銭か…そりゃまたストレートな交渉だ」
「どうです?悪い条件じゃないでしょう?」
悪くなかった。
無報酬ならば即座に踵を返してもらうが、こうくれば話は別だ。
文章を書くのは元々嫌いではない。以前からも、本として出すつもりで日記を書き上げてきた。
半ば物書きは道具収集に次ぐ趣味みたいなもので、それで収入が入るのなら中々の好条件だ。
加えてこの香霖堂の宣伝もしてくれるというのだ。本業が活発化するのは僕も嬉しいところだ。
僕はしばし頭の中で考えを巡らしていた。
文は両手を胸の前でさすりさすりしながらこちらの様子を伺っている。越後屋か君は。
ともかく、だいたいの計画は今の時間でまとまった。では後は…。
たっぷりと時間をかけた後、僕は右手を大きく開け放ち、文に向けて突き出した。
相手の目を見据えてきっぱりと言い放つ。
「五割だ。売り上げの五割を寄越してもらおう」
「一割五分でいかがでしょう」
即座に文が返してきた。
「四割五分」
「二割」
「四割」
「二割五分!」
「さん…」
「無料サービス券もお付けしましょう」
「………」
「………三枚♪」
「…よし。商談成立としようか」
差し出された文の掌と自分の掌をパチンと合わせ、文字通りそれで手打ちということになった。
文は原稿用紙を鞄から大量に取り出して、ドサッと机の上に置いた。
「それでは、文章を書く際にはこれを使ってください。足りなくなったら言ってくださいね」
「良いだろう。ほかに何か注意事項は?」
「文量は元々の新聞記事を圧迫しない程度で、締め切りはなるべく早めに、人気が出る文章を」
「……随分と難しい注文をなさるね」
「出来ませんか?」
文は僕に向かって笑ってみせる。
「…出来るとも」
僕も笑って、文にそう言ってやった。
物を書く作業は嫌いではない。
とりあえず締め切りだけに気をつけて書いていれば、それなりにまとまった量の物が書けた。
僕が初めて文々。新聞のために書き上げた文章を渡したとき、文はそれを流し読みしてすぐに飛び立っていった。
二回目に渡したとき、文章をチラと眺めた文は片眉を上げて、何も言わずに青空の向こうへと小さくなった。
三回目、文はもはや原稿を見ることもせずにさっさととんぼ返りしていった。
その次の日、文は呆れとも憮然ともとれるような表情で言った。
「人の話をきちんと聞くようにと、寺子屋で習いませんでしたか?」
「……どういう意味だい、それ」
開口一番、ご挨拶な文句を言う文に僕はお茶を啜りながら答える。
文は僕の質問には答えてくれずにつかつかとカウンターまで歩み寄ってきた。
「霖之助さん。なんですかこれ。なんなんですか?」
「?これ、とは?」
「これですよ!貴方の書いた、こ・れ!」
文はわざと大きな音を立てるようにして新聞を机に叩き付けた。
そこには新聞の丸まる一紙面を割いて掲載された僕の文章があった。
タイトルは「鳥居の刻まれた隕鉄・その活用法と可能性について」。
「これのどこが娯楽だっていうんですか!?」
「…何か間違っていたかな」
バンバンと机を叩く文の腕をひとまず押しのけて、僕はやっとのことでそれだけ発した。
しかし文には僕の言葉など何の効力もなかったようで。
「もっと楽しいモノを書いてください。こんなお堅い文章じゃなくて」
「僕としては非常に楽しく書かせてもらったのだが」
「書いた方が楽しんでどうするんですが。読む側を楽しませてくださいよ」
「面白いと思うんだけど…」
「皆が皆、貴方のように偏屈だと思わないでください」
失敬だな。
そう言ったが、文には届かず黙殺された。
僕のことなど一切気にせず文はなおも言い募る。
「読者さんもほとんどついてこれなかったようです。肯定的な意見は皆無でしたよ?」
「むう……すると前に書いた『成長する化石についての考察』も?」
「オマケに一番最初の『外界からの式神は如何にして発動しうるか』も、あまり芳しくは」
「そうなのか……」
僕としては、なるべく多くの物に興味を持ってもらえるよう、分かりやすく解説したつもりだったのだが。
それでもその道の者ではない人妖たちには、まだまだ複雑に過ぎるということであろうか。
いやはや、自分の好きに書いていい日記とは違い、人に読ませる文章を書くのはなんと難しいことだろう。
「本当に…頼みますよ。文々。新聞の命運がかかってるんですから」
「これでもしっかり書き上げたつもりだよ」
「評判がついてこなかったら全然意味ないです。物書き業界は厳しいんですよ?結果が全てなんですから」
「………」
「皆が楽しめるような作品を書いてください。出来ますよね?」
「そうは言ってもだね…」
僕はどう返答したものか迷っていて口淀んだ。
文はそんな僕を尻目にして、温くなった僕のお茶を勝手にひったくってごくごく飲んでいる。
そもそも僕は古道具屋であって、物書きが本業ではない。
本業ではないにしろ、やるからには手を抜かないタチだ。不慣れなりに頑張って挑んだのだ。
そうやって書き上げた文章が喜ばしくない結果に落ち着いたのを知らされると、やはりそれはショックだった。
人気が取れないのなら、これ以上文の新聞作りに協力してもしょうがないんじゃあなかろうか。
自分以外が書いた文章で自分の新聞の評判が下がるのも、文としても望ましいことではないだろう。
彼女には悪いが、協力者はまた別の誰かを探してもらうことにしよう。
報酬も…これでは受け取れそうにあるまい。
やはり、僕は勝手気ままに自分の書きたいことを書くのが一番性に合っているのだ。
そこまで考えをまとめて、僕は文にその旨を伝えようとした。
が、その瞬間に文の口から飛び出た一言が、僕の発言を止めさせた。
「霖之助さんならイケると思ったのに、とんだ見込み違いだったですかねぇ?」
ほんの数瞬だけ、僕と文がいるこの空間に静寂が訪れた気がした。
僕は椅子に座った状態で目の前に立つ文を仰ぎ見た。
彼女は飲み干してしまった僕の湯のみを片手に持ち、立ったまま僕を見下ろしていた。
ニヤリと笑う目元と、綺麗な歯が見え隠れする口元が織りなすその表情。
それは丁度、自分が仕掛けた悪戯が上手く成功しそうだぞ、という少女のごとき顔つきだった。
僕は文の瞳を見つめた。文も僕の瞳をじっと見つめている。
わかっている。
何故文がこのようなことを言うかはわかっている。
その手には乗らない。乗ってなるものか。読者を楽しませるなど、僕のガラじゃないんだ。
しかし、まるで僕の反応を伺っているようなその物言い。
挑戦的な文の一言に、僕の心は反応した。反応してしまった。
久々に、僕は自身の胸の奥に揺らめく、何かを感じ取ったのである。
「三日くれ」
「ほほう?」
唐突に静寂を破った僕の発言に、文は芝居がかった口調で確認をとる。
そんな文に答えるように僕は繰り返す。
「三日くれ。次の文章を書こうじゃないか」
「ううん……お気持ちは有り難いのですがね。でもこれ以上似たような文章を書かれると、やはり…」
「任せてくれたまえ」
僕は、わざと困った風にして返事を濁す文に言い聞かせるつもりで言ってやった。
「必ず、君のご意向に添う文章を書き上げてみせる。嘘はつかない」
文は何も言わず僕の瞳を見つめ続けていた。
が、それもちょっとの間のことで、
「どうしても、と言うのなら仕方ないですね」
やがてニッコリ笑うとそう言って、新しく原稿用紙の山を取り出して机の上に置いてくれた。
「三日後、取りに参りますので」
「ああ」
僕が短く返事をすると、文はやはり笑顔のまま一礼して背を向け、ドアを開け放って帰っていった。
その晩、僕は原稿用紙の山と対峙していた。
もちろん、新聞記者の射命丸文と交わした約束を果たすためである。
満月が店の頭上に輝く夜に、僕は筆を片手に何を書こうかと思案に耽っていた。
そして同時に、今までに文の口から発せられた言葉の一つ一つを、鮮明に思い出していた。
───友人である貴方に対する信頼の証。そう、受け取っていただきたいですね。
僕を信頼して、頼ってきてくれたのは嬉しかった。
───読者さんもほとんどついてこれなかったようです。肯定的な意見は皆無でしたよ?
全力を出して書いた文章が受け入れられなかったのは、悲しかった。
───霖之助さんならイケると思ったのに、とんだ見込み違いだったですかねぇ?
友人の信頼を裏切ってしまったようで、申し訳なかった。
所詮はこの程度かと言われたようで、悔しかった。
一方的に頼んできての言い草に、少々腹も立った。
何故だか、必ず彼女を見返してやりたくなった。
今の僕は、僕らしくもなくやる気に溢れていた。
不思議な気持ちだった。負けん気というものがこの僕にもあったとは、ついぞ知らなかったことだ。
申し訳なさも、悔しさも、むかっ腹も、全部取り返してやりたい気がする。
こうなったら店など暢気に開いていられるような心境ではない。当分はクローズドだ。
新聞記者の射命丸文。友人の射命丸文。常に余裕たっぷりそうな、そんな僕の友人。
あのときの彼女の顔。真っ白い歯を見せつけてくるような、ワルい笑顔。
あの挑発的な笑顔のアイツに、絶対ぎゃふんと言わせてやりたい、そういう気持ちでいっぱいなのだ。
ならば書こう。持てる力のすべてを傾けてでも書こう。
万人が認めるような大作はいらない。そんなものは必要ない。
文が求める「娯楽向け」の、自分が希望するものにピッタリだと認めてくれるような、そんな文章を書こう。
読んだ人の中の誰か一人でも良いから、僕の書いたものを面白いと思ってくれるような作品を書こう。
そしてちょっぴり僕を見くびったアイツに、ちょっぴりの仕返しが出来るような、そんなステキな物を書いてやろう。
しかし、一体どうすれば?
燃え上がるような僕の心とは対照的に、僕の手はちっとも動いてはくれなかった。
どのようなものが娯楽向けの文章と言えるのだろうか。
今まで僕が書いたような考察文は避けた方が良いとなると、何を書けば良いんだ?
僕は考えた。己が持つ全ての脳細胞をフルに回転させた。
もしかしたら、今まで生きてきた中のどの瞬間よりも知恵を振り絞ったかもしれない。
そうやって一刻ほど机に向かってうんうん唸っていると、一つの考えがひょいと浮かんだ。
それは忽ちのうちに、ある種の悪戯心にも似たものとして変化していき、僕はいつの間にかにんまりしていた。
このプランならば、ひょっとすればあらゆる方面で、完璧に満足の行く作品が書けるかもしれない。
ならば、思い立ったが吉日だ。すぐにでも取りかかろう。
僕は勢い込んで筆を執り、一心不乱に目の前の紙と格闘を始めたのだった。
「さて霖之助さん。お約束は覚えておいでですよね?」
果たして三日後、文はやってきた。
新聞を渡しにくれたのであるが、当然、それはことのついでに過ぎない。
「私の希望に添った文章…しっかり書きあげてくれましたか?」
あのときと変わらない、ニッコリとした笑顔で文は僕に催促する。
僕はそんな文に、わざともったいぶって返事をしてやる。
「僕が約束を取り違えるような男に見えるかい?」
「なかなかご大層な自信ですこと」
言って文は僕に右手を突き出した。
要するにさっさと渡せ、ということであろう。まったく、そんなに焦ることもないだろうに。
カウンターの引き出しを開けてがさごそ中を探り、原稿用紙の束を取り出して机の上に置く。
僕は人差し指を立てて、文に解説をしてやった。
「前に書いた僕の考察は受けが悪かったようだからね。ちょいと今までとは趣向を変えてみたんだ」
「なんと、頭の固い貴方がそんなことを?」
「余計なことは言わなくていいぞ」
「あやや。それは失敬失敬。して、どのような?」
「ああ、小説を書いてみたのさ。娯楽文章と言えば、やはりコレだろうと思ってね」
「へーえ。貴方にしては中々良いアイデアですねえ」
文はうんうんと頷きながら、今しがた僕が取り出した原稿用紙を手に取った。
その最初の一枚目をチラッと確認し、また、ふむふむと頷いて最後までぱらぱらめくって文量を確認する。
そしてまた最初に一枚目に戻ると、人差し指で紙を弾いて質問してきた。
「前よりも結構な量がありますね。これ、本当に三日で?」
「その通り。手は抜いていない。自分で言うのもなんだが、必ず君の期待に添う働きをしてくれるはずさ」
「それはまた結構。ちなみに、どんなお話で?」
「お楽しみさ。帰ってから実際に読んでみると良いじゃないか」
「道理ですね。言っておきますけど、駄作だったら承知しませんよ?」
「わかっているとも…ま、いらない心配だと思うがね」
僕が散々に自信たっぷりなことを繰り返すので、文はすっかり満足したようだった。
「じゃあ、私は戻って確認作業に入ります。次の文々。新聞にはこれが掲載されていることでしょう」
「楽しみにしているよ」
「ええ。それではまた」
「ああ。…また五分後くらいに」
僕は口を動かさずに目だけで笑うようにして、別れの挨拶に小さくそう付け加えた。
文はその言葉を聞き取っただろうが、早く原稿を確認したくて仕方がなかったようで、特に何の反応も示さなかった。
自前の鞄に原稿用紙を丁寧かつ素早く突っ込むと、カウンターに座る僕に背を向け、流星のような速さで帰っていった。
さて、と。上手くいくだろうか。
僕はらしくもなく、一人ほくそ笑んだのだった。
五分後、文は流星より速いと思える速度で舞い戻ってきた。
「霖之助ッ!!」
「店内ではお静かに」
吹き飛ばさないギリギリの勢いで扉を蹴り開けた文は猛然と僕に食って掛かる。
僕は落ち着き払って文に応対してやった。
「どうしたんだい、文。そんなに慌てて」
「慌てるに決まってんでしょ!?なによ、貴方の書いたこれは!」
なぜだか顔を赤く火照らせた文は、いつかそうしたときよりも数段強く原稿を机に叩き付けた。
さっき僕が彼女に渡したものなので、当然ながらそれには僕が書き上げた小説がそっくりそのまま載っている。
僕はどうやら計画が上手くいったということを確信し、それでもなお冷静に答えてやる。
「小説だよ、それは。いい出来だろ?自信作さ」
「そういうことを言ってるんじゃないの!何なのこれはっ……」
「文。不躾で悪いが、少々言葉が乱れているんじゃないか?」
「っ……!!そ、そういうことを言っているのではなくてですね…その…」
「ふむ。一体何がお気に召さなかったのか…」
唾をまき散らしそうなほどの剣幕の文と対照的に僕はわざとのんびり答える。
僕が書いた小説。それは恋愛小説だった。
そんなものを書くなんて全く森近霖之助らしくない、とは思う。
が、実はと言うべきか、もちろんと言うべきか、それはただの恋愛小説などではないのだ。
僕はわざわざ椅子から立ち上がって、文に確認をとってやった。
「新聞記者をやっている烏天狗の女の子がヒロインの恋愛小説。それのどこがマズかったかな?」
「……マズくないわけ、ないでしょうがーーーーー!!!」
ついに文は顔を真っ赤に紅潮させて僕にキレた。
あの夜にちょっとしたイタズラのつもりで思いついたこと。
それは射命丸文をモデルにして小説を書き上げることだった。
それだけだと何か物足りない気がしたので、ついでにそれは恋愛ものということにしてやった。
「なんで勝手に私を小説に登場させてるんですか!あなたバカなんですか!?」
「バカとは失礼な。それに、何も君が出演しているなどとは言っていないだろうが」
「こ、こんな特徴が当てはまるのなんて私以外にいないでしょうに!!」
「じゃあ聞くけど、その小説内で一度でも『射命丸文』という名前が出てきたかい?」
「ぐっ……!そ、それは…出てないですが…、で、でもでも!」
顔を真っ赤にしてじたばたと暴れる文。
その顔が赤い理由が怒りによるものか、それとも別の要因によるものなのかは分からない。
ともかく、ほんのちょっぴりの仕返しがおおいに成功したようで、僕は至極満足な気持ちだった。
恋愛小説。
烏天狗の少女が、意中の男性を射止めようと奮闘する物語。
そしてその意中の男性が誰かというと……
「なんで!なんでヒロインが好きな男の人が!偏屈な古道具屋の店主なんですかぁ!!?」
「いいじゃないか。何も問題はないだろ?」
「有りです!大有りです!なんで霖之助さんが出てくるんですか!」
「別に僕じゃないったら」
僕はじたじたと地団駄を踏む文に、懇切丁寧に解説を施してやる。
「僕は世事に疎くてね。モデルとする人物がパッと思いつかなかったのさ」
「だけど…っ!!」
「でも、これなら書くのも簡単だ。何せ自分だし」
「今自分って言った!今自分って言った!絶対自分って言った!!」
「おやおや」
僕はすっとぼけるようにしてニコニコ笑う。
文はもはや目に涙を浮かべて、僕に掴み掛からんばかりの勢いだ。
「やり直し!こんなもの…私の新聞に載せる訳にはいかないわ!」
「それはひどい。せっかく僕が全力を持って書いたのに」
「こんな小っ恥ずかしいものが掲載できると!?評判だって…悪いに決まってるわよ!」
「それは、これを読んだ人たちが決めることだ。僕らに決めつける権利はない。まずは載せてみないと」
「霖之助は恥ずかしくないの!?こんな…」
「文。清く正しい新聞記者というものが、そんな言葉遣いを?」
「……り…霖之助、さんは、恥ずかしく、ないんですか?こんなモノを、載せて…」
「別になんとも」
「……っ!!」
目の前の文は息も絶え絶えである。
僕はお構いなしでとどめの一言を投げた。
「結果が全て。君、前にそう言ったよね?」
この言葉が決め手になり、最終的に僕の書いた小説は掲載されることが決定した。
最後まで文はああだこうだと文句を言い募っていたが、結局は僕に言い負かされたようだ。
文はここに殴り込んできたときとは反対に、ゆらゆらと風に揺られるようにして力なく帰っていった。
悪いな、文。
恨むなら、あのとき僕を挑発した自分を恨むがいい。
僕はいつも余裕しゃくしゃくなあの文をやっつけてやれたことで、満たされた気持ちで椅子に座り直す。
そして、帰る瞬間まで涙目&赤面状態だった文を思い返して、少しやり過ぎたかな、と自己反省するのだった。
僕と文にとって幸か不幸か、それはよくわからない。
だが結果として、僕が文に一杯食わせるつもりで書き上げたあの恋愛小説はヒットした。
新聞に小説を掲載するという、幻想郷ではあまり見られない手法への物珍しさも手伝ったかもしれない。
ともかく、あの小説は目下のところ、人里の一部でちょっとしたブームになっているそうだ。
一回きりのつもりで書き上げたものだが、読者の中には続編を希望する声も多くあるという。
小説を目当てにしてその回だけの購入を希望した者もいるそうで、購読者もなんと2倍ほどに増加したとのことだ。
文もその人気だけは認めざるを得ないようで、続編を書いてはどうかと僕に持ちかけてきた。
書いてもいいのか、と僕が聞くと、読者の望みですから、と文は真っ赤な顔でそっぽをむきつつ答えてくれた。
ただし、掲載する前に文が僕が書いた文章を確認して、細かな部分の修正をしてから、という条件付きで。
小説は二週に一回、連載することにした。小説の質を保つため、一度に掲載する量は少なくした。
文と交わした報酬の約束による収入も思いの他あって、多少は僕の生活も潤っていた。
おかげで僕もしっかりと身を入れて執筆に臨むことが可能である。
いやはや、文へのちょっとした仕返しのつもりが、とんだ大事になったものだ。
この調子では本業の古道具屋もろくに営業が出来なくなってしまうな。
しかし事の経緯はともあれ、自分の書いた文章の人気が出たことはやはり嬉しいと感じる。
あれ以来文は、小説について僕に口うるさく注文してくるようになった。
やれあの場面は削れ、だとか、この場面はもっとこうしろ、だとか。
いちいち大げさなほどやかましく騒ぎ立てるので、最近は耳栓を用意する事も考え始めた。
文は打ち合わせの度に僕の書いた小説を読んでは、赤くなって小刻みにぷるぷると震えている。
やはり自分がモデルになっている事の恥ずかしさ、というものがあるのだろう。僕は特に何も感じないのだけれど。
嫌ならば読まなければいいのに、といっても、仕事ですので、といって譲ろうとしない。
怒ったように小説を読み進める文の横顔は、やっぱり赤い。
あの文が、と考えると僕にはそれがなんだかとっても可笑しいことみたいに思えた。
射命丸文が「文々。新聞」に僕の小説を掲載する際のこと。
彼女は必ずある一文を小説の隣に大きく書くようになった。
外の世界では紙が大量生産され、幻想郷にもその多くが舞い込むようになった。
価値が下がって手に入りやすくなった紙は、身の回りの至る所で見かけることが出来る。
紙の用途とは何か?
それは何かしらの文字をその滑らかな表面へ書き綴ることだ。
巧みに折り込んで一つの立体物を形作ることも可能だが、第一の使用法と言えば、コレに尽きるだろう。
人々は己の持つ知識や思想を文字に起こして紙に記し、後の世の人々に伝えていったのである。
天狗の書く新聞が隆盛を誇っているのも、紙が容易に手に入れることのなった影響の一つだろう。
それぞれの天狗が、自分の書いた新聞を宣伝している様ももはや日常の風景だ。
香霖堂店主であるところの僕は現在、その天狗の一人が発行した新聞を購読している。
何も僕が新しい情報に飢えている訳ということではない。
正確さよりも速さを売りとする天狗達の新聞に、興味惹かれる新たな情報を求めるというのは間違いというものだ。
もっぱらこの新聞は暇つぶしの一環として、謹んで拝読させていただいている。
店は開いているが、客は来ない。たまにくるのはお茶をたかりにくる知人くらいなのだ。
身の回りが静かなのは多いに結構だが、退屈という無味無臭の毒薬はどうにもいただけない。
どうにかこの退屈さを紛らわせやしないかと思ったのだが、こうくると新聞はなかなか良い働きをしてくれる。
お茶を片手に椅子を揺らして新聞を読みふけるというのが、このところの僕の日課である。
新聞記者かつ我が知人の烏天狗がいつものように新聞を届けにきてくれた後、
いつものようにさっさと飛び立たずに、カウンターの前に置いてある椅子に座ったのを見て僕は顔を向けた。
「なんだい。何か買っていってくれるのか」
「いえ、別にそういうわけではないのですけれど」
「ならばそこには座らないでくれ。そいつはお客様専用だよ」
「ああ、道理でちょいとばかし埃を被ってる」
言いつつ射命丸文は椅子に触れたスカートの辺りを手でぱっぱと払っていた。
彼女は僕が購読している「文々。新聞」随一の敏腕記者である。
随一の敏腕と言っても、執筆・販売を行っているのは文一人なので、当然と言えば当然なのだが。
本来ならば、僕に新聞を渡してくれた後は疾風のように空へ消えていくのだけれど、今日は何やら勝手が違う。
僕は淹れたばかりのコーヒーを一口だけ飲んで尋ねた。
「じゃあ何か。君がまだ新聞を投げ込んでいたときに割れたガラスの弁償をするつもりにでもなったかい」
「もう、霖之助さんたら昔の話を蒸し返して。それはもうきっちりと弁償したじゃないですかぁ」
僕の問いに文は笑いながら答えてくれた。
彼女は購読者以外にも号外と称して自前の新聞を空からお届けしていて、かつては僕も例外無く受け取っていた。
だが香霖堂の立地が悪いのか、はたまたわざとやっているのか、ほぼ毎回ガラスを突き抜けて配達してくれたものだ。
何度も何度も繰り返されるので、たまたま手渡ししにきたときに取っ掴まえてお説教してやったのが交流の初めだった。
それ以来は必ず直接渡しにきてくれるので、割とユーザーの声を大事にするタイプなのかもしれない。
僕は鼻を鳴らして文を糾弾する。
「なにをぬけぬけと。『文々。新聞定期購読無料サービス券』とやらがガラス代になるものか」
「でもお役に立ったでしょう?」
「……まあ使ったことは使ったが。しかし適用期間一ヶ月はちょっとばかり短すぎやしないか」
「ふっふーん。そう長々とタダ読みされちゃあ困りますからね」
そういって得意げに腕を組む文。
ちなみに文々。新聞は最低でも一年以上の定期契約からスタートである。
使わなきゃ損だということで契約をさせられたが、結局残りは通常のお支払いプランというわけだ。
上手い具合に彼女の掌の上で転がされているようにも思えるが、今言ってもしょうがないので言わない。
実際のところ新聞読みは前述のように格好の暇つぶしの種にもなるのだし。
…決して負け惜しみなどではないぞ。
僕はえへんと咳払いをし、腕組みをして文に改めて声をかけた。
「それで?ご用件をお伺いしましょうか、新聞記者殿」
「あやや。実は霖之助さんにお願いがあるのです」
「ふむ。わざわざ僕に頼み事とは、おおよそろくなことではなさそうだね」
僕の軽口を聞いてやや口角をあげた文は、しかしそれについては何も言わずに続けた。
「霖之助さん。我が文々。新聞の片棒を担いではくれませんか?」
片棒を担ぐ。
ある企てや仕事に協力するの意。大抵は悪い行いに手を貸すことを言う。
…本当にろくなことではないんじゃないだろうか。僕はため息をついた。
「すまないが、もう少し詳しくお願いできるかな」
「勿論。霖之助さんは物書きにご興味がおありとのことでしたよね?」
文はずずいっ、とばかりに身を乗り出して聞いてくる。
キラキラ輝く瞳に気圧されるように少々のけぞりつつも僕は返答した。
「うん…そう言った、かな?」
「実際お書きになったことも?」
「まあ、嗜む程度にはね」
「グッド!まさしく素晴らしい人材です!」
文は大きな音を立てて両手を合わせ、椅子から跳ねるようにして立ち上がった。
そして鞄をごそごそして自前の新聞を取り出す。怪訝な顔つきの僕などどこ吹く風だ。
わざわざ準備した新聞をご丁寧に丸めると、文はそいつをメガホンよろしく僕に突きつけ宣言した。
「それでは、貴方を我が『文々。新聞』の新規外部執筆者として迎え入れます!」
僕は呆けた顔で目を瞬かせた。文は晴れ晴れとした顔で胸を張っていた。
数秒の後、僕は思考回路を再起動させて、努めて穏やかに告げた。
「断る」
「そんなっ!?」
文は大げさにも新聞紙を手から取り落とし、両手を頬に当ててショックな顔つきを作った。
どこぞの画家の「叫び」とかいう絵に非常に良く似ているような気もする。
僕は如何にも面倒くさいと言わんばかりの表情で手を振りつつ続けた。
「遠慮させてもらうよ。他をあたってくれ」
「そんな殺生な!貴方には人助けの心得がないのですか?」
「新聞記者になるつもりはないんだ。僕の仕事は香霖堂店主だからね」
「いえいえ、何も記者になれと言っている訳ではないんですよ。それは私の役目ですし」
「ではどういうことかな?」
「ええ。新たな風を吹き込みたいと思ってのことでして」
文の話はこうだった。
幻想郷に住む天狗は、その多くが新聞作りに勤しんでいる。
しかし天狗達の新聞は数多くあれど、その中身はどれもこれも似たり寄ったり。
これではどの新聞を買っても大差はないし、何より読んでいる側もつまらないはず。
我が「文々。新聞」は他の新聞とは違う。自分だけのオリジナリティを前面に出したい。
なにかスパイスとなりえる新要素はないだろうか────
「そこで思いついたんです。楽しむことを主目的とした文章を書いては如何かと」
「言っては何だが、君たち天狗の新聞にはゴシップ記事も多いだろう。民衆はそれで充分楽しめるのでは?」
「確かにそうですが、ゴシップ記事だってニュース情報であることにはかわらないじゃないですか」
「ほう。つまりは情報伝達要素を抜きにした、完全なる娯楽文章を載せようと言う訳か」
「おお、仰る通り!流石は霖之助さん、話が早いですねぇ〜」
文はニコニコ笑って僕の意見を肯定した。
僕は喉の奥で小さく唸り、顎に手をやって考えてみる。
文の新聞は他の天狗新聞に比べて情報の正確さが強みで、その辺りが僕の気に入っているところだ。
だが言われてみれば、少々娯楽性に欠けるというのもうなずける。
読むことで時間つぶしにはなるが、それが娯楽として成り立つかと言えば首を傾げるものがあった。
なるほど「文々。新聞」に限らず幻想郷の新聞は、情報伝達にのみ特化しているように思える。
そんな業界に新風を吹き込んでもう一つの売りを作りたいという訳だ。
良い考えではあるが……
「『文々。新聞』は君の新聞だろう。まず文自身が何か書くのが筋というものだろうが」
「ぎくり。なかなか痛いところをついてくれますね」
「そりゃどうも。で、どうなんだい?」
「……情けないことに、私は新聞記事以外ではとんと文才が無いみたいで……」
よよよ、とばかりに文がハンカチを目元にやりつつ答える。
リアリティを出すためか、涙用の目薬まで手に握りしめての言い回し。
せめてバレないようにやってくれよ、そういうのは。
「ということで、ひとまず霖之助さんに執筆をお願いしようかと」
「何故僕だ。他にも人材はいるだろう」
「友人である貴方に対する信頼の証。そう、受け取っていただきたいですね」
…………。
「自分で書けないのなら、一般から起稿を募ってみたらいいじゃないか」
「そんなの…暇人が一回程度ひょいっと書いて終わりですよ。そうでなくて、安定して連載して欲しいのです」
「…お断りだ。そんなことにつきあってはいられないよ」
「いけずぅ。か弱い女の子が困り果ててるんですよ?手を差し伸べるのが男でしょ?」
「断言できるが、僕は君よりはるかに弱いんだ」
「…こっちが悲しくなるようなことをきっぱりと言っちゃいますね貴方」
「なんとでも言いたまえよ」
実際のところ半妖と天狗では、半妖に勝ち目があるわけがない。
鬼には敵わないにしろ、それでも充分に強大な力を持つ天狗がか弱いなんて、とんでもないホラ吹きだ。
文はまだ交渉を諦めていないようで、なお話を続けた。
「ちなみに言っておきますが、無報酬ではありませんよ。ちゃんとこちらにも考えがありますので」
「ほう…?」
「まず一つ目。『文々。新聞』に貴方のお店の広告情報を掲載いたします」
「香霖堂の広告を?」
「その通り。私がこの場末のお店の宣伝をして盛りたてて差し上げましょう」
真顔でさらりとひどいことを言う新聞記者もいたものだ。
君の目の前にいるのは取引相手かつその場末の店の店主なのだから、もう少し言葉を選んだらどうなのだろう。
もっとも、閑古鳥が鳴いていることは確かなのでその辺のことはグッとこらえる。
「一つ目というのは、二つ目もあるのかい」
「ええ。霖之助さんが協力してくれたら、その後の新規購読の売り上げから一割、貴方に献上します」
「なるほど、金銭か…そりゃまたストレートな交渉だ」
「どうです?悪い条件じゃないでしょう?」
悪くなかった。
無報酬ならば即座に踵を返してもらうが、こうくれば話は別だ。
文章を書くのは元々嫌いではない。以前からも、本として出すつもりで日記を書き上げてきた。
半ば物書きは道具収集に次ぐ趣味みたいなもので、それで収入が入るのなら中々の好条件だ。
加えてこの香霖堂の宣伝もしてくれるというのだ。本業が活発化するのは僕も嬉しいところだ。
僕はしばし頭の中で考えを巡らしていた。
文は両手を胸の前でさすりさすりしながらこちらの様子を伺っている。越後屋か君は。
ともかく、だいたいの計画は今の時間でまとまった。では後は…。
たっぷりと時間をかけた後、僕は右手を大きく開け放ち、文に向けて突き出した。
相手の目を見据えてきっぱりと言い放つ。
「五割だ。売り上げの五割を寄越してもらおう」
「一割五分でいかがでしょう」
即座に文が返してきた。
「四割五分」
「二割」
「四割」
「二割五分!」
「さん…」
「無料サービス券もお付けしましょう」
「………」
「………三枚♪」
「…よし。商談成立としようか」
差し出された文の掌と自分の掌をパチンと合わせ、文字通りそれで手打ちということになった。
文は原稿用紙を鞄から大量に取り出して、ドサッと机の上に置いた。
「それでは、文章を書く際にはこれを使ってください。足りなくなったら言ってくださいね」
「良いだろう。ほかに何か注意事項は?」
「文量は元々の新聞記事を圧迫しない程度で、締め切りはなるべく早めに、人気が出る文章を」
「……随分と難しい注文をなさるね」
「出来ませんか?」
文は僕に向かって笑ってみせる。
「…出来るとも」
僕も笑って、文にそう言ってやった。
物を書く作業は嫌いではない。
とりあえず締め切りだけに気をつけて書いていれば、それなりにまとまった量の物が書けた。
僕が初めて文々。新聞のために書き上げた文章を渡したとき、文はそれを流し読みしてすぐに飛び立っていった。
二回目に渡したとき、文章をチラと眺めた文は片眉を上げて、何も言わずに青空の向こうへと小さくなった。
三回目、文はもはや原稿を見ることもせずにさっさととんぼ返りしていった。
その次の日、文は呆れとも憮然ともとれるような表情で言った。
「人の話をきちんと聞くようにと、寺子屋で習いませんでしたか?」
「……どういう意味だい、それ」
開口一番、ご挨拶な文句を言う文に僕はお茶を啜りながら答える。
文は僕の質問には答えてくれずにつかつかとカウンターまで歩み寄ってきた。
「霖之助さん。なんですかこれ。なんなんですか?」
「?これ、とは?」
「これですよ!貴方の書いた、こ・れ!」
文はわざと大きな音を立てるようにして新聞を机に叩き付けた。
そこには新聞の丸まる一紙面を割いて掲載された僕の文章があった。
タイトルは「鳥居の刻まれた隕鉄・その活用法と可能性について」。
「これのどこが娯楽だっていうんですか!?」
「…何か間違っていたかな」
バンバンと机を叩く文の腕をひとまず押しのけて、僕はやっとのことでそれだけ発した。
しかし文には僕の言葉など何の効力もなかったようで。
「もっと楽しいモノを書いてください。こんなお堅い文章じゃなくて」
「僕としては非常に楽しく書かせてもらったのだが」
「書いた方が楽しんでどうするんですが。読む側を楽しませてくださいよ」
「面白いと思うんだけど…」
「皆が皆、貴方のように偏屈だと思わないでください」
失敬だな。
そう言ったが、文には届かず黙殺された。
僕のことなど一切気にせず文はなおも言い募る。
「読者さんもほとんどついてこれなかったようです。肯定的な意見は皆無でしたよ?」
「むう……すると前に書いた『成長する化石についての考察』も?」
「オマケに一番最初の『外界からの式神は如何にして発動しうるか』も、あまり芳しくは」
「そうなのか……」
僕としては、なるべく多くの物に興味を持ってもらえるよう、分かりやすく解説したつもりだったのだが。
それでもその道の者ではない人妖たちには、まだまだ複雑に過ぎるということであろうか。
いやはや、自分の好きに書いていい日記とは違い、人に読ませる文章を書くのはなんと難しいことだろう。
「本当に…頼みますよ。文々。新聞の命運がかかってるんですから」
「これでもしっかり書き上げたつもりだよ」
「評判がついてこなかったら全然意味ないです。物書き業界は厳しいんですよ?結果が全てなんですから」
「………」
「皆が楽しめるような作品を書いてください。出来ますよね?」
「そうは言ってもだね…」
僕はどう返答したものか迷っていて口淀んだ。
文はそんな僕を尻目にして、温くなった僕のお茶を勝手にひったくってごくごく飲んでいる。
そもそも僕は古道具屋であって、物書きが本業ではない。
本業ではないにしろ、やるからには手を抜かないタチだ。不慣れなりに頑張って挑んだのだ。
そうやって書き上げた文章が喜ばしくない結果に落ち着いたのを知らされると、やはりそれはショックだった。
人気が取れないのなら、これ以上文の新聞作りに協力してもしょうがないんじゃあなかろうか。
自分以外が書いた文章で自分の新聞の評判が下がるのも、文としても望ましいことではないだろう。
彼女には悪いが、協力者はまた別の誰かを探してもらうことにしよう。
報酬も…これでは受け取れそうにあるまい。
やはり、僕は勝手気ままに自分の書きたいことを書くのが一番性に合っているのだ。
そこまで考えをまとめて、僕は文にその旨を伝えようとした。
が、その瞬間に文の口から飛び出た一言が、僕の発言を止めさせた。
「霖之助さんならイケると思ったのに、とんだ見込み違いだったですかねぇ?」
ほんの数瞬だけ、僕と文がいるこの空間に静寂が訪れた気がした。
僕は椅子に座った状態で目の前に立つ文を仰ぎ見た。
彼女は飲み干してしまった僕の湯のみを片手に持ち、立ったまま僕を見下ろしていた。
ニヤリと笑う目元と、綺麗な歯が見え隠れする口元が織りなすその表情。
それは丁度、自分が仕掛けた悪戯が上手く成功しそうだぞ、という少女のごとき顔つきだった。
僕は文の瞳を見つめた。文も僕の瞳をじっと見つめている。
わかっている。
何故文がこのようなことを言うかはわかっている。
その手には乗らない。乗ってなるものか。読者を楽しませるなど、僕のガラじゃないんだ。
しかし、まるで僕の反応を伺っているようなその物言い。
挑戦的な文の一言に、僕の心は反応した。反応してしまった。
久々に、僕は自身の胸の奥に揺らめく、何かを感じ取ったのである。
「三日くれ」
「ほほう?」
唐突に静寂を破った僕の発言に、文は芝居がかった口調で確認をとる。
そんな文に答えるように僕は繰り返す。
「三日くれ。次の文章を書こうじゃないか」
「ううん……お気持ちは有り難いのですがね。でもこれ以上似たような文章を書かれると、やはり…」
「任せてくれたまえ」
僕は、わざと困った風にして返事を濁す文に言い聞かせるつもりで言ってやった。
「必ず、君のご意向に添う文章を書き上げてみせる。嘘はつかない」
文は何も言わず僕の瞳を見つめ続けていた。
が、それもちょっとの間のことで、
「どうしても、と言うのなら仕方ないですね」
やがてニッコリ笑うとそう言って、新しく原稿用紙の山を取り出して机の上に置いてくれた。
「三日後、取りに参りますので」
「ああ」
僕が短く返事をすると、文はやはり笑顔のまま一礼して背を向け、ドアを開け放って帰っていった。
その晩、僕は原稿用紙の山と対峙していた。
もちろん、新聞記者の射命丸文と交わした約束を果たすためである。
満月が店の頭上に輝く夜に、僕は筆を片手に何を書こうかと思案に耽っていた。
そして同時に、今までに文の口から発せられた言葉の一つ一つを、鮮明に思い出していた。
───友人である貴方に対する信頼の証。そう、受け取っていただきたいですね。
僕を信頼して、頼ってきてくれたのは嬉しかった。
───読者さんもほとんどついてこれなかったようです。肯定的な意見は皆無でしたよ?
全力を出して書いた文章が受け入れられなかったのは、悲しかった。
───霖之助さんならイケると思ったのに、とんだ見込み違いだったですかねぇ?
友人の信頼を裏切ってしまったようで、申し訳なかった。
所詮はこの程度かと言われたようで、悔しかった。
一方的に頼んできての言い草に、少々腹も立った。
何故だか、必ず彼女を見返してやりたくなった。
今の僕は、僕らしくもなくやる気に溢れていた。
不思議な気持ちだった。負けん気というものがこの僕にもあったとは、ついぞ知らなかったことだ。
申し訳なさも、悔しさも、むかっ腹も、全部取り返してやりたい気がする。
こうなったら店など暢気に開いていられるような心境ではない。当分はクローズドだ。
新聞記者の射命丸文。友人の射命丸文。常に余裕たっぷりそうな、そんな僕の友人。
あのときの彼女の顔。真っ白い歯を見せつけてくるような、ワルい笑顔。
あの挑発的な笑顔のアイツに、絶対ぎゃふんと言わせてやりたい、そういう気持ちでいっぱいなのだ。
ならば書こう。持てる力のすべてを傾けてでも書こう。
万人が認めるような大作はいらない。そんなものは必要ない。
文が求める「娯楽向け」の、自分が希望するものにピッタリだと認めてくれるような、そんな文章を書こう。
読んだ人の中の誰か一人でも良いから、僕の書いたものを面白いと思ってくれるような作品を書こう。
そしてちょっぴり僕を見くびったアイツに、ちょっぴりの仕返しが出来るような、そんなステキな物を書いてやろう。
しかし、一体どうすれば?
燃え上がるような僕の心とは対照的に、僕の手はちっとも動いてはくれなかった。
どのようなものが娯楽向けの文章と言えるのだろうか。
今まで僕が書いたような考察文は避けた方が良いとなると、何を書けば良いんだ?
僕は考えた。己が持つ全ての脳細胞をフルに回転させた。
もしかしたら、今まで生きてきた中のどの瞬間よりも知恵を振り絞ったかもしれない。
そうやって一刻ほど机に向かってうんうん唸っていると、一つの考えがひょいと浮かんだ。
それは忽ちのうちに、ある種の悪戯心にも似たものとして変化していき、僕はいつの間にかにんまりしていた。
このプランならば、ひょっとすればあらゆる方面で、完璧に満足の行く作品が書けるかもしれない。
ならば、思い立ったが吉日だ。すぐにでも取りかかろう。
僕は勢い込んで筆を執り、一心不乱に目の前の紙と格闘を始めたのだった。
「さて霖之助さん。お約束は覚えておいでですよね?」
果たして三日後、文はやってきた。
新聞を渡しにくれたのであるが、当然、それはことのついでに過ぎない。
「私の希望に添った文章…しっかり書きあげてくれましたか?」
あのときと変わらない、ニッコリとした笑顔で文は僕に催促する。
僕はそんな文に、わざともったいぶって返事をしてやる。
「僕が約束を取り違えるような男に見えるかい?」
「なかなかご大層な自信ですこと」
言って文は僕に右手を突き出した。
要するにさっさと渡せ、ということであろう。まったく、そんなに焦ることもないだろうに。
カウンターの引き出しを開けてがさごそ中を探り、原稿用紙の束を取り出して机の上に置く。
僕は人差し指を立てて、文に解説をしてやった。
「前に書いた僕の考察は受けが悪かったようだからね。ちょいと今までとは趣向を変えてみたんだ」
「なんと、頭の固い貴方がそんなことを?」
「余計なことは言わなくていいぞ」
「あやや。それは失敬失敬。して、どのような?」
「ああ、小説を書いてみたのさ。娯楽文章と言えば、やはりコレだろうと思ってね」
「へーえ。貴方にしては中々良いアイデアですねえ」
文はうんうんと頷きながら、今しがた僕が取り出した原稿用紙を手に取った。
その最初の一枚目をチラッと確認し、また、ふむふむと頷いて最後までぱらぱらめくって文量を確認する。
そしてまた最初に一枚目に戻ると、人差し指で紙を弾いて質問してきた。
「前よりも結構な量がありますね。これ、本当に三日で?」
「その通り。手は抜いていない。自分で言うのもなんだが、必ず君の期待に添う働きをしてくれるはずさ」
「それはまた結構。ちなみに、どんなお話で?」
「お楽しみさ。帰ってから実際に読んでみると良いじゃないか」
「道理ですね。言っておきますけど、駄作だったら承知しませんよ?」
「わかっているとも…ま、いらない心配だと思うがね」
僕が散々に自信たっぷりなことを繰り返すので、文はすっかり満足したようだった。
「じゃあ、私は戻って確認作業に入ります。次の文々。新聞にはこれが掲載されていることでしょう」
「楽しみにしているよ」
「ええ。それではまた」
「ああ。…また五分後くらいに」
僕は口を動かさずに目だけで笑うようにして、別れの挨拶に小さくそう付け加えた。
文はその言葉を聞き取っただろうが、早く原稿を確認したくて仕方がなかったようで、特に何の反応も示さなかった。
自前の鞄に原稿用紙を丁寧かつ素早く突っ込むと、カウンターに座る僕に背を向け、流星のような速さで帰っていった。
さて、と。上手くいくだろうか。
僕はらしくもなく、一人ほくそ笑んだのだった。
五分後、文は流星より速いと思える速度で舞い戻ってきた。
「霖之助ッ!!」
「店内ではお静かに」
吹き飛ばさないギリギリの勢いで扉を蹴り開けた文は猛然と僕に食って掛かる。
僕は落ち着き払って文に応対してやった。
「どうしたんだい、文。そんなに慌てて」
「慌てるに決まってんでしょ!?なによ、貴方の書いたこれは!」
なぜだか顔を赤く火照らせた文は、いつかそうしたときよりも数段強く原稿を机に叩き付けた。
さっき僕が彼女に渡したものなので、当然ながらそれには僕が書き上げた小説がそっくりそのまま載っている。
僕はどうやら計画が上手くいったということを確信し、それでもなお冷静に答えてやる。
「小説だよ、それは。いい出来だろ?自信作さ」
「そういうことを言ってるんじゃないの!何なのこれはっ……」
「文。不躾で悪いが、少々言葉が乱れているんじゃないか?」
「っ……!!そ、そういうことを言っているのではなくてですね…その…」
「ふむ。一体何がお気に召さなかったのか…」
唾をまき散らしそうなほどの剣幕の文と対照的に僕はわざとのんびり答える。
僕が書いた小説。それは恋愛小説だった。
そんなものを書くなんて全く森近霖之助らしくない、とは思う。
が、実はと言うべきか、もちろんと言うべきか、それはただの恋愛小説などではないのだ。
僕はわざわざ椅子から立ち上がって、文に確認をとってやった。
「新聞記者をやっている烏天狗の女の子がヒロインの恋愛小説。それのどこがマズかったかな?」
「……マズくないわけ、ないでしょうがーーーーー!!!」
ついに文は顔を真っ赤に紅潮させて僕にキレた。
あの夜にちょっとしたイタズラのつもりで思いついたこと。
それは射命丸文をモデルにして小説を書き上げることだった。
それだけだと何か物足りない気がしたので、ついでにそれは恋愛ものということにしてやった。
「なんで勝手に私を小説に登場させてるんですか!あなたバカなんですか!?」
「バカとは失礼な。それに、何も君が出演しているなどとは言っていないだろうが」
「こ、こんな特徴が当てはまるのなんて私以外にいないでしょうに!!」
「じゃあ聞くけど、その小説内で一度でも『射命丸文』という名前が出てきたかい?」
「ぐっ……!そ、それは…出てないですが…、で、でもでも!」
顔を真っ赤にしてじたばたと暴れる文。
その顔が赤い理由が怒りによるものか、それとも別の要因によるものなのかは分からない。
ともかく、ほんのちょっぴりの仕返しがおおいに成功したようで、僕は至極満足な気持ちだった。
恋愛小説。
烏天狗の少女が、意中の男性を射止めようと奮闘する物語。
そしてその意中の男性が誰かというと……
「なんで!なんでヒロインが好きな男の人が!偏屈な古道具屋の店主なんですかぁ!!?」
「いいじゃないか。何も問題はないだろ?」
「有りです!大有りです!なんで霖之助さんが出てくるんですか!」
「別に僕じゃないったら」
僕はじたじたと地団駄を踏む文に、懇切丁寧に解説を施してやる。
「僕は世事に疎くてね。モデルとする人物がパッと思いつかなかったのさ」
「だけど…っ!!」
「でも、これなら書くのも簡単だ。何せ自分だし」
「今自分って言った!今自分って言った!絶対自分って言った!!」
「おやおや」
僕はすっとぼけるようにしてニコニコ笑う。
文はもはや目に涙を浮かべて、僕に掴み掛からんばかりの勢いだ。
「やり直し!こんなもの…私の新聞に載せる訳にはいかないわ!」
「それはひどい。せっかく僕が全力を持って書いたのに」
「こんな小っ恥ずかしいものが掲載できると!?評判だって…悪いに決まってるわよ!」
「それは、これを読んだ人たちが決めることだ。僕らに決めつける権利はない。まずは載せてみないと」
「霖之助は恥ずかしくないの!?こんな…」
「文。清く正しい新聞記者というものが、そんな言葉遣いを?」
「……り…霖之助、さんは、恥ずかしく、ないんですか?こんなモノを、載せて…」
「別になんとも」
「……っ!!」
目の前の文は息も絶え絶えである。
僕はお構いなしでとどめの一言を投げた。
「結果が全て。君、前にそう言ったよね?」
この言葉が決め手になり、最終的に僕の書いた小説は掲載されることが決定した。
最後まで文はああだこうだと文句を言い募っていたが、結局は僕に言い負かされたようだ。
文はここに殴り込んできたときとは反対に、ゆらゆらと風に揺られるようにして力なく帰っていった。
悪いな、文。
恨むなら、あのとき僕を挑発した自分を恨むがいい。
僕はいつも余裕しゃくしゃくなあの文をやっつけてやれたことで、満たされた気持ちで椅子に座り直す。
そして、帰る瞬間まで涙目&赤面状態だった文を思い返して、少しやり過ぎたかな、と自己反省するのだった。
僕と文にとって幸か不幸か、それはよくわからない。
だが結果として、僕が文に一杯食わせるつもりで書き上げたあの恋愛小説はヒットした。
新聞に小説を掲載するという、幻想郷ではあまり見られない手法への物珍しさも手伝ったかもしれない。
ともかく、あの小説は目下のところ、人里の一部でちょっとしたブームになっているそうだ。
一回きりのつもりで書き上げたものだが、読者の中には続編を希望する声も多くあるという。
小説を目当てにしてその回だけの購入を希望した者もいるそうで、購読者もなんと2倍ほどに増加したとのことだ。
文もその人気だけは認めざるを得ないようで、続編を書いてはどうかと僕に持ちかけてきた。
書いてもいいのか、と僕が聞くと、読者の望みですから、と文は真っ赤な顔でそっぽをむきつつ答えてくれた。
ただし、掲載する前に文が僕が書いた文章を確認して、細かな部分の修正をしてから、という条件付きで。
小説は二週に一回、連載することにした。小説の質を保つため、一度に掲載する量は少なくした。
文と交わした報酬の約束による収入も思いの他あって、多少は僕の生活も潤っていた。
おかげで僕もしっかりと身を入れて執筆に臨むことが可能である。
いやはや、文へのちょっとした仕返しのつもりが、とんだ大事になったものだ。
この調子では本業の古道具屋もろくに営業が出来なくなってしまうな。
しかし事の経緯はともあれ、自分の書いた文章の人気が出たことはやはり嬉しいと感じる。
あれ以来文は、小説について僕に口うるさく注文してくるようになった。
やれあの場面は削れ、だとか、この場面はもっとこうしろ、だとか。
いちいち大げさなほどやかましく騒ぎ立てるので、最近は耳栓を用意する事も考え始めた。
文は打ち合わせの度に僕の書いた小説を読んでは、赤くなって小刻みにぷるぷると震えている。
やはり自分がモデルになっている事の恥ずかしさ、というものがあるのだろう。僕は特に何も感じないのだけれど。
嫌ならば読まなければいいのに、といっても、仕事ですので、といって譲ろうとしない。
怒ったように小説を読み進める文の横顔は、やっぱり赤い。
あの文が、と考えると僕にはそれがなんだかとっても可笑しいことみたいに思えた。
射命丸文が「文々。新聞」に僕の小説を掲載する際のこと。
彼女は必ずある一文を小説の隣に大きく書くようになった。
そこに痺れる! 憧れるぅ!
プロットそのものはよくあるタイプですが、肝となる二人がよく書けていて良かったです。満足。
ノンフィクションって書こうとしたら書かれてたでバザールでござーる
小説がどんな感じなのか気になるw
文ちゃんが可愛い。
霖之助は期待を裏切らないな!
絶妙な距離間での空気が良かったです
文好きにはたまらない
しかし、これだけは言わねばなるまい……紙面で惚気るなチクショーw
可愛い
破壊力がぱない
面白かったです。
ニヤニヤしてしまいました
タイトルがどう絡んでくるかと思っていましたが、なかなか上手かったと思います。
読みやすい文章で、素直に読み進めることが出来ました。