「というわけで構えよ天子」
「ごめん何言ってるかわからない」
突然現れてそんなことを言い出した萃香に、視線も合わせず私は応えた。
今日は釣りでも楽しもうかと池にやってきたのは数時間前のこと。
思い出したように引かれる糸を眺め、心地良い風のなかで思索に耽る。時間を贅沢に使う暇つぶしであったが、それも終わりのようだ。
何故かと言えば、目の前に萃香がいるから以外に理由はない。彼女がいて振り回されないことなどありえないからだ。
「そう? じゃあ、わかりやすく言い直す?」
「いや、いいです。マジで」
視線を池の周囲の茂みに逸らしつつ即答する私。今日も天界の景色は美しいなー綺麗だなー。
「理由はどうでもいいから、とりあえずイチャつこうぜってことだよ」
わぁい、こいつ人の話聞く気ねぇよ。鬼ってこういう奴ばっかなのか。
「いいじゃんかー。衣玖や紫とはイチャつけても私とは出来ないってことかよー」
「別にイチャついてるわけじゃないわよ。つーか、人に膝の上に座るな」
「あー、やっぱ天子の膝は落ちつくわ」
聞く耳持たずの萃香は膝の上に座り込むと、体を私の胸に預けてくる。
そのおかげで竿が持ちづらいったらない。
「じゃあ、私が持つよ。それでいいだろ?」
「あんたがどいてくれたら全部解決するんだけどね」
「それは困るな。せっかくいい場所なのに、離れるなんて勿体無い」
「はいはい」
私は萃香を膝の上からどかすことを諦め、彼女に竿を握らせる。
どうせ言っても聞きやしないのだ。それなら抵抗するより流れに任せたほうがマシな結果になるだろう。
萃香は興味深そうに竿を下から上まで眺め、感触を確かめるようにひゅんひゅんと竿先をしならせる。
見た目に加えて子どもじみた行動までしているせいで、鬼とは思えないくらいにその姿は幼く見えた。
「童心を忘れないっていうのは大事なことじゃない?」
「あんたのは子供っぽいって言うの」
「心外だなぁ。私は結構オトナだよ」
そう言って竿を置き、萃香は身体を反転させ私と向かい合う。
何のつもりかと思っていると、萃香は細く力強い腕を私の首に回し、引き寄せる。
突然の行動に、抗議の声をあげようとした唇に吐息がかかる。頬に触れる髪がこそばゆい。
『何するのよ』という一言すら発することは出来ない。身動ぎ一つで唇が触れ合いそうな距離に彼女はいる。
挑発するような彼女の瞳には、目を見開いた私が映っていた。
何をすればいいのか。何をすべきなのかわからず、私は石像のように固まっていた。そんな私を見て、萃香は微笑む。
ぐっ、と回された腕に力が込められる。その先を予想した私は、我知らず目を閉じ――
「えいっ」
「った!?」
おでこに響いた衝撃に、更に強く目を瞑ることになった。
「んー、ちょっと紫の気持ちがわかったかも。からかいがいがあるっていうか」
「……鬼は嘘をつかないんじゃなかったの」
頭突きを喰らったおでこを抑えながら私は言う。
恨みがましい視線をさらっと流しつつ萃香は応える。
「別に何をするって言ったわけでもないし。TPOもしっかりわかってるよ?」
「なによそれ」
「『二人っきりの時で星が綺麗な夜』って決まってるんだよ、そういうことは」
「無駄にロマンチストね」
「で、『そういうこと』って具体的にどんなことだと思う?」
酔っぱらいのように――いつも酔ってるけど――ニヤニヤ笑って絡んでくる萃香。
言わなくてもわかってくる癖に。本当に面倒くさい。
「……はぁ。あんた本当に何しに来たのよ」
「だから天子とイチャつきに。可愛い天子を独り占めしようと思って」
「よくそんな事言えるわね」
「素面じゃないからね」
私に背中を預け、けたけた笑う萃香。ため息を漏らしても彼女には聞こえないようだった。
本当にふざけたことばっかり言うやつだ。だけど、ふざけたことであってもそれは決して嘘ではない。
鬼はどんな小さな嘘も嫌う。からかうためであっても、偽りは口にしない。だから、彼女が言うのならそれは本当なのだろう。
ただ私を独占するためにやってきた、というのは。
「……私なんかを独占してどうしよってのよ」
「『なんか』、なんて言うものじゃないよ。天子は可愛くて格好いいんだから」
「……また、そういうことを言う」
「あ、照れてる? やっぱ可愛いわぁ」
「うるさいわよ」
熱い顔を冷ますために、目の前の萃香の髪に顔を埋める。
大雑把な性格とは裏腹に、栗色の髪は柔らかくて気持ちが良かった。
「私はさ、天子の自信過剰で我儘で素直じゃなくて――だけど、真っ直ぐひたむきなところが好きだよ」
そう思わない? 空中に投げられた言葉に応えるように、茂みが揺れる。
「急に何よ」
「口説いてみようかな、と」
「ばっかじゃないの」
吐き捨てるように言って、より深く彼女の髪に顔を埋めていく。
じゃあ、その馬鹿に心乱されている私は何なのだろう。
「誰かに取られたら悔しいし。選ぶのは天子だけど、そのための努力はするべきじゃん?」
「取るような奴はここにはいないわよ。池の魚くらいしかいない」
「そう?」
髪に埋もれた耳に、ごぽん、と大きく水面が揺れた音が響いた。
かかった魚に竿が持っていかれないか心配だ、と益体のない考えが脳裏に浮かぶ。
「偶には私とも遊んで欲しいな。私でもヤキモチくらい焼くんだから」
続けられた言葉には、どこか寂しさが含まれていた。
彼女らしくもない、弱気な科白。
「鬼なら鬼らしく、力尽くで攫えばいいじゃない」
「それは恐ろしいことになりそうだから、やめとくよ」
「ふぅん?」
「それにさ、私でも恋愛に憧れたりするんだ。だから、力任せにっていうのはしたくない」
「鬼はそういうものじゃないの?」
「時代が変われば鬼も変わるのさ」
だからさ、と彼女は言って、再び私と視線を合わせる。
「今日はこうして過ごしたいって思うんだけど、天子はどう?」
視界を支配するのは彼女だけ。真正面から無邪気な笑顔に見つめられた私に出来ることなど、一つしか無い。
動揺を悟られないように、冷静さを装って私は応える。
「……駄目って言っても、このままなんでしょ」
「当然」
何故か誇らしげに応える萃香に、呆れの溜息をつく。
結局強引なことには変わり無いじゃない。
「だって鬼だもの。強引だけど無理矢理じゃないでしょ」
「調子のいいことで」
そうであるのが当然のように、私の胸に体を預ける萃香を軽く抱きしめる。驚いたように見上げる彼女から目を逸らす。
これくらいしてもいい気分だったからだ。それ以外の理由はない。
「……ん」
萃香は何も言わず、満足気に微笑むと空を仰ぐ。雲一つない空は、夜になれば星が瞬き暗闇を飾ることになるだろう。
「いつまでこうしているの?」
「そうだなぁ……。とりあえず、『星が綺麗な夜』になるまでかな」
「気の長い話ね」
「きっとすぐだよ。天子が一緒だからさ」
そうかもね。
呟いた言葉は、栗色の髪に紛れて宙に消えた。
「『大物が釣れたわ!って衣玖かよ!』の流れで行こうとしたのに……今出ても空気読めてない扱いじゃないですか……」
どうしたらいいんですかね、という衣玖のボヤきは気泡となって水面まで舞い上がった。
「萃香め……私の前であんなにイチャイチャするなんて……邪魔したいけど天子に嫌われたくないし、照れくさそうだけど嬉しそうな天子を見ていたいけど……うぎぎ」
左右に振れる秤に葛藤を続ける紫の周りは、毟られた芝生が山になろうとしていた。
「ごめん何言ってるかわからない」
突然現れてそんなことを言い出した萃香に、視線も合わせず私は応えた。
今日は釣りでも楽しもうかと池にやってきたのは数時間前のこと。
思い出したように引かれる糸を眺め、心地良い風のなかで思索に耽る。時間を贅沢に使う暇つぶしであったが、それも終わりのようだ。
何故かと言えば、目の前に萃香がいるから以外に理由はない。彼女がいて振り回されないことなどありえないからだ。
「そう? じゃあ、わかりやすく言い直す?」
「いや、いいです。マジで」
視線を池の周囲の茂みに逸らしつつ即答する私。今日も天界の景色は美しいなー綺麗だなー。
「理由はどうでもいいから、とりあえずイチャつこうぜってことだよ」
わぁい、こいつ人の話聞く気ねぇよ。鬼ってこういう奴ばっかなのか。
「いいじゃんかー。衣玖や紫とはイチャつけても私とは出来ないってことかよー」
「別にイチャついてるわけじゃないわよ。つーか、人に膝の上に座るな」
「あー、やっぱ天子の膝は落ちつくわ」
聞く耳持たずの萃香は膝の上に座り込むと、体を私の胸に預けてくる。
そのおかげで竿が持ちづらいったらない。
「じゃあ、私が持つよ。それでいいだろ?」
「あんたがどいてくれたら全部解決するんだけどね」
「それは困るな。せっかくいい場所なのに、離れるなんて勿体無い」
「はいはい」
私は萃香を膝の上からどかすことを諦め、彼女に竿を握らせる。
どうせ言っても聞きやしないのだ。それなら抵抗するより流れに任せたほうがマシな結果になるだろう。
萃香は興味深そうに竿を下から上まで眺め、感触を確かめるようにひゅんひゅんと竿先をしならせる。
見た目に加えて子どもじみた行動までしているせいで、鬼とは思えないくらいにその姿は幼く見えた。
「童心を忘れないっていうのは大事なことじゃない?」
「あんたのは子供っぽいって言うの」
「心外だなぁ。私は結構オトナだよ」
そう言って竿を置き、萃香は身体を反転させ私と向かい合う。
何のつもりかと思っていると、萃香は細く力強い腕を私の首に回し、引き寄せる。
突然の行動に、抗議の声をあげようとした唇に吐息がかかる。頬に触れる髪がこそばゆい。
『何するのよ』という一言すら発することは出来ない。身動ぎ一つで唇が触れ合いそうな距離に彼女はいる。
挑発するような彼女の瞳には、目を見開いた私が映っていた。
何をすればいいのか。何をすべきなのかわからず、私は石像のように固まっていた。そんな私を見て、萃香は微笑む。
ぐっ、と回された腕に力が込められる。その先を予想した私は、我知らず目を閉じ――
「えいっ」
「った!?」
おでこに響いた衝撃に、更に強く目を瞑ることになった。
「んー、ちょっと紫の気持ちがわかったかも。からかいがいがあるっていうか」
「……鬼は嘘をつかないんじゃなかったの」
頭突きを喰らったおでこを抑えながら私は言う。
恨みがましい視線をさらっと流しつつ萃香は応える。
「別に何をするって言ったわけでもないし。TPOもしっかりわかってるよ?」
「なによそれ」
「『二人っきりの時で星が綺麗な夜』って決まってるんだよ、そういうことは」
「無駄にロマンチストね」
「で、『そういうこと』って具体的にどんなことだと思う?」
酔っぱらいのように――いつも酔ってるけど――ニヤニヤ笑って絡んでくる萃香。
言わなくてもわかってくる癖に。本当に面倒くさい。
「……はぁ。あんた本当に何しに来たのよ」
「だから天子とイチャつきに。可愛い天子を独り占めしようと思って」
「よくそんな事言えるわね」
「素面じゃないからね」
私に背中を預け、けたけた笑う萃香。ため息を漏らしても彼女には聞こえないようだった。
本当にふざけたことばっかり言うやつだ。だけど、ふざけたことであってもそれは決して嘘ではない。
鬼はどんな小さな嘘も嫌う。からかうためであっても、偽りは口にしない。だから、彼女が言うのならそれは本当なのだろう。
ただ私を独占するためにやってきた、というのは。
「……私なんかを独占してどうしよってのよ」
「『なんか』、なんて言うものじゃないよ。天子は可愛くて格好いいんだから」
「……また、そういうことを言う」
「あ、照れてる? やっぱ可愛いわぁ」
「うるさいわよ」
熱い顔を冷ますために、目の前の萃香の髪に顔を埋める。
大雑把な性格とは裏腹に、栗色の髪は柔らかくて気持ちが良かった。
「私はさ、天子の自信過剰で我儘で素直じゃなくて――だけど、真っ直ぐひたむきなところが好きだよ」
そう思わない? 空中に投げられた言葉に応えるように、茂みが揺れる。
「急に何よ」
「口説いてみようかな、と」
「ばっかじゃないの」
吐き捨てるように言って、より深く彼女の髪に顔を埋めていく。
じゃあ、その馬鹿に心乱されている私は何なのだろう。
「誰かに取られたら悔しいし。選ぶのは天子だけど、そのための努力はするべきじゃん?」
「取るような奴はここにはいないわよ。池の魚くらいしかいない」
「そう?」
髪に埋もれた耳に、ごぽん、と大きく水面が揺れた音が響いた。
かかった魚に竿が持っていかれないか心配だ、と益体のない考えが脳裏に浮かぶ。
「偶には私とも遊んで欲しいな。私でもヤキモチくらい焼くんだから」
続けられた言葉には、どこか寂しさが含まれていた。
彼女らしくもない、弱気な科白。
「鬼なら鬼らしく、力尽くで攫えばいいじゃない」
「それは恐ろしいことになりそうだから、やめとくよ」
「ふぅん?」
「それにさ、私でも恋愛に憧れたりするんだ。だから、力任せにっていうのはしたくない」
「鬼はそういうものじゃないの?」
「時代が変われば鬼も変わるのさ」
だからさ、と彼女は言って、再び私と視線を合わせる。
「今日はこうして過ごしたいって思うんだけど、天子はどう?」
視界を支配するのは彼女だけ。真正面から無邪気な笑顔に見つめられた私に出来ることなど、一つしか無い。
動揺を悟られないように、冷静さを装って私は応える。
「……駄目って言っても、このままなんでしょ」
「当然」
何故か誇らしげに応える萃香に、呆れの溜息をつく。
結局強引なことには変わり無いじゃない。
「だって鬼だもの。強引だけど無理矢理じゃないでしょ」
「調子のいいことで」
そうであるのが当然のように、私の胸に体を預ける萃香を軽く抱きしめる。驚いたように見上げる彼女から目を逸らす。
これくらいしてもいい気分だったからだ。それ以外の理由はない。
「……ん」
萃香は何も言わず、満足気に微笑むと空を仰ぐ。雲一つない空は、夜になれば星が瞬き暗闇を飾ることになるだろう。
「いつまでこうしているの?」
「そうだなぁ……。とりあえず、『星が綺麗な夜』になるまでかな」
「気の長い話ね」
「きっとすぐだよ。天子が一緒だからさ」
そうかもね。
呟いた言葉は、栗色の髪に紛れて宙に消えた。
「『大物が釣れたわ!って衣玖かよ!』の流れで行こうとしたのに……今出ても空気読めてない扱いじゃないですか……」
どうしたらいいんですかね、という衣玖のボヤきは気泡となって水面まで舞い上がった。
「萃香め……私の前であんなにイチャイチャするなんて……邪魔したいけど天子に嫌われたくないし、照れくさそうだけど嬉しそうな天子を見ていたいけど……うぎぎ」
左右に振れる秤に葛藤を続ける紫の周りは、毟られた芝生が山になろうとしていた。
過去の色々を踏まえてヘラヘラしてる萃香さんがらしくて好きです。
ところで僕の膝も空いてるんだけど
ほんのりと漂う甘さが良かったです。
ちょっと釣りしてくる
やりとりが良い感じでした。
これは(≧∇≦)b