その日、私の部屋に見慣れた人影が二つ入って来たのは、いつもの通り約束の時間に少し遅れての事だった。約束の時間の十分だけ後、それが私と、お姉様と、そして美鈴のいつもの時間だった。私はその十分がもったいなくて、けど不思議と二人を待つその時間が嫌いじゃなくて。いつも怒れず、喜べず、複雑な顔で二人を待っていた。多分誰も知らない、私だけの複雑な、けれど大切な時間。
「放せ美鈴!! 私は紅魔館のお嬢様だぞ!! お前より偉いんだぞ!!」
「はーい、ちゃんと知ってますよー。レミリアちゃんはお勉強の時間になったらいっつも逃げちゃう困ったお嬢様ですもんねー。けど、お嬢様だからって年上をお前呼ばわりしちゃいけません。てやっ」
「うきゅ!! くぅぅ~~」
そんな私の十分を終わらせるのは、いつもお姉様と美鈴のそんな愉快なやり取りで。お姉様はよせばいいのに、また要らないことを言っておしおきのデコピンを美鈴の肩に抱えられたまま受けて悶えている。私も何回か貰った事があるんだけれど、あれは痛い。とても痛い。何でか知らないけど、こう頭の中が痛くなる。とおあて? とか言う技の応用らしいんだけど。
ともあれ、そんなやり取りを経て、もともと席についていた私の横の席に美鈴がお姉様をよいしょと設置する。そうして置物のように置かれたお姉様は、涙目でおでこを抑えてぷるぷると微かに震えている。……うん、お姉様には悪いと思うのだけれど可愛い。涙目のお姉様は思わず抱きつきたくなるぐらい可愛い。
「はーい、それじゃ今日も美鈴先生の楽しいお勉強の時間となりました。今日のお題は算数です。まずは前回やったテストの返却からいきましょう」
そう言って美鈴は手に持っていた教科書や問題集の束から二枚の紙を抜き出した。チラリと見えた覚えのある字、まぁそれを見るまでもないんだけど、あれが私とお姉様の答案用紙なのだろう。その答案用紙を見て、お姉様の震えがピタリと止まる。そして私は逆に、緊張で僅かに身を震わせた。
「え~、じゃあレミリアからいきます。得点はなんと96点!! よく出来ました、花丸です!!」
「ぃやったーー!!」
美鈴がジャジャーンという音が聞こえてきそうな勢いで取り出した解答用紙には、真ん中に大きな大きな花丸が書かれていて、それを見たお姉様はおでこを抑えていた手で万歳をして満面の笑みを浮かべる。私はそんなお姉様と答案用紙を見て、目を大きく見開いた。
……凄い、お姉様平均50点いかないのに、このタイミングでそんな点取れるんだ。美鈴に頭を撫でられて、手で反抗しつつも笑っているお姉様を私は胸いっぱいの驚きと共に見つめていた。そして……
「えーと、それでフランは……」
美鈴が一転困った顔になって、私の方に申し訳なさそうに答案用紙を差し出す。ああ、嫌だな。美鈴に困った顔をさせてしまった。そういう顔は本当は私がしないといけないのに。そしてただ一人、私の答案の内容を知らないお姉様が私の点数を見て驚いた顔になった。
「さ、32点!? え、ちょっとどうしたのフラン? 貴方いっつも最悪90点は取ってるじゃない!?」
お姉様が私の肩をがくがく揺さぶって答案用紙をビシビシと指差す。
うん、まぁ算数は私の得意科目だから驚くのは解るんだけど……多分、お姉様が慌ててるのはそういう理由じゃないんだろうな。それはきっとお姉様が苦手な算数で頑張っていい点を取ったのと同じ理由。けど……
「わざとですよね?」
「……!!」
美鈴にポツリと言われ私は慌てて顔を上げた。見ると美鈴は人差し指で頬をかいて困った顔のまま苦笑いしていた。
「本当に、フランは嘘を付くのが下手だね。そこが貴方のいいところで、ちょっと心配なところでもあるんだけど」
美鈴は私の頭にポンと手を置いて、その顔はやっぱり困ったままで。違う、私は美鈴にそんな顔をさせたかったんじゃない。……違う、それも違う。私は美鈴にそんな顔を……
「……嫌だよ」
「ん」
「嫌だよ!! 心配ならもっとたくさん一緒にいてよ!! 嘘の付き方も教えてよ!!」
「……」
「これが最後なんて……門番になんてなったら嫌だよ!! 美鈴!!」
そんな顔を、見せて欲しいんだ。これからもずっと、もっとたくさん。……美鈴が私達の先生であるのは今日が最後。明日から美鈴は門番として務めるらしい。私のお母様も、そのまたお母様も、ずっと美鈴が先生だったのに、私とお姉様だけ美鈴が先生じゃなくなる。そんなの嫌だ。ずるい、嫌だ嫌だ嫌だ!!
美鈴もお姉様も私が大声を出したのでびっくりしている。ああ、思えばこんなに大きな声で我侭を言うなんて初めてな気がする。我侭、そうこれは我侭だ。解ってる、そんな事は解ってる、けど、けど……!!
「あはは参ったな、困ったお嬢様は一人だけだと思ってたんだけどなー」
「……っ」
美鈴はそう言って、私の事をぎゅっとした。私はまだまだ小さいから、あっさり簡単に美鈴の腕の中に収まってしまう。
「本当は私もまだまだ教えていたいんだけどね」
「……なら教えてよ」
「うーん、そういう訳にもいかなくて。どこから秘密が漏れたのか、最近"お客さん"の数が増え過ぎてるから、頑丈な私が表に立たないと」
「……」
ぎゅうっと美鈴の腕の力が強くなる。美鈴の温度が私の肌に触れているのがよく解る。美鈴も同じなのかな? だったら嬉しい、美鈴の手は今日も外に出ていたのか、いつもより少しだけ冷たかったから。少しでも温かくなるなら。
「私も本当はこの役を誰かに譲るのは嫌だよ。けど……」
それ以上に。
そう言って美鈴は最後により一層強く私の事を抱きしめて手を離した。その時にはもう美鈴はいつもの笑顔だった。
「大丈夫です。門番になるっていったってお屋敷に住んでるのは変わりませんから。折を見て、また会いに来ますよ」
「……本当?」
「ええ、もちろん。……さて」
美鈴は最後にまた私の頭を撫でて置いていた教科書を手に取った。
「これが最後ですから。私が先生だったこと、忘れられないようにしっかりやりましょうかね」
惜しむように、振り切るように、美鈴は笑って言った。
……忘れない、忘れたりしない。
「あれー? レミリアどうしたんですか? 何やら不満そうな顔してますけど?」
「してないそんな顔!! ぅー、なんでフランだけ……」
「あ、ひょっとしてレミリアも抱っこして欲しかったんですか?」
「な、違う!! 私は大人のレディなんだからそんな事ない!!」
「そうですか、じゃあやめときましょう」
「……ぅ」
「なんて嘘に決まってるでしょうが!! そりゃー!!」
「わぷっ!?」
こんなに素敵な人が私達の先生だったこと、絶対に忘れない。絶対に、絶対に……
「美鈴待って!! 胸、胸で溺れ……」
「そりゃそりゃそりゃー!!」
「あ、ちょ……うーー!!」
忘れないから。だから、また会いに来てくれるよね、美鈴。
………………
…………
……
「ん……また、夢……?」
昨夜から浅い眠りと目覚めを繰り返していたフランは、自分が暗い自室の隅っこで夢から醒めた事を静かに自覚した。
地下にあるフランの部屋には当然ながら窓がない。だから部屋の灯りを全て落とせば部屋は本当に真っ暗になってしまう。重たくて粘っこい、目蓋の触覚でしか目が開いているかどうか判断できない、そんな純粋な闇色。フランはそんな闇の中で床の隅にうずくまって眠っていた。本来フランが眠っているはずの柔らかなベットにはフランの代わりに本を並べて作った山が毛布を被って眠っている。その膨らみは上から見れば、ベットの上でフランが眠っているように見えるはずだった。
昨日、頭の痛みに耐えかね気を失ったフランは、気が付けばいつの間にやらベットの上で眠っていた。その事に気付いたフランは思わず悲鳴を上げてそこから飛び下りた。フランにはあの隠し階段がもう四角い形をした大きな目にしか見えなかったから、その視線に晒されているのは耐えられなかったのだ。だから、いっそそこを壊してしまおうかともフランは考えたのだが……
(それは駄目。それをやったら魔理沙が来れなくなっちゃう)
それは、それだけは駄目。そうなったら私は、私は一人ぼっちに……
『大丈夫です。門番になるっていったってお屋敷に住んでるのは変わりませんから。折を見て、また会いに来ますよ』
……いつからだろう、私がその折を待たないようになったのは。いつからだろう、美鈴が顔を見せるのが本当にあの食事会だけになってしまったのは。皆に会えるのが、あの大食堂だけになってしまったのは。
「美鈴……」
ねぇ美鈴、貴方はひょっとしてあの時もあの顔で笑っていたの? あの嘘の笑顔で、私の事を嘲笑っていたの?
ドロドロとした何かが私の中に溜まっていく。私を支えていた記憶が真っ黒に染まっていく。そんなはずはない、そんな事はない、ただ忙しかっただけだ。何か理由があったはずだ。そう思えば思うほど、黒い泥が溜まっていく。怖い。この泥が胸元を過ぎ、口を塞ぎ、顔を覆ってしまった時、私はどうなってしまうのか……
「美鈴」
本当に嘘なの? あの時の美鈴の言葉は、本当に?
違う、違うと思う、違うと信じたい、けど、だから、だけど……
信じたいけど、信じられない。信じられないけど、信じてる。どっちが正しいの? どっちも正しいの? もう、もう……
「わけ解んないよ……嫌だよ、もう嫌だ!! こんなの、こんなの……」
助けて、助けてよ……
「魔理沙、魔理沙……」
早く、お願いだから早く来て。じゃないと私……
――◯◯レテシマイソウ……
紅魔館の秘宝 ~Devil girls destiny~ 3rd Day
霧雨魔理沙が本を借りに来る時の様子を一言で表わせと言われたら、紅魔館の大抵の者はこう答えるだろう。曰く、ド派手と。
光り輝くレーザー魔法で門番を打ち倒し、巨大な星の魔弾をばら撒き図書館に突入し、七曜の魔女と花火を撃ちあうような華やかな弾幕戦を繰り広げ、真っ向から奪……もとい借りて行く。そんな盗人猛々しいという言葉が泣いて土下座しそうな派手さなのである。
しかし、それ故というか何というか、魔理沙が紅魔館に侵入した事自体を見逃したということは紅魔館史上で一度もない。巨大なネオンサインを背負って突撃してくるようなものなのだから気付かないはずがないのだ。しかし、
(ふっふっふー、つまり逆を言えば、いつもと違ってちょっと静かに入るだけで私が侵入した事を誤魔化せるってことだよなー、ふっふっふー)
魔理沙は図書館の本棚の影に隠れつつニンマリと笑った。いつもと違い裏手から壁を超え、館内でも人目につかぬよう極力静かに進んで来た魔理沙は、地下図書館まで誰にも存在を察知される事なく辿り着いていた。
ここまであっさり魔理沙が潜入に成功したのは、紅魔館が妖精メイドばかりでそもそもの警備力が低いというのも理由として挙げられるが、それでも一番はやはり魔理沙の日頃の行いによる刷り込みだろう。つまり、侵入者=魔理沙=ド派手という公式が紅魔館の面々の中で成り立ってしまっているのである。……肝心の魔理沙は実は隠密行動も得意としているにも関わらずである。
(後は図書館横切って暖炉のとこまで行くだけだな。ふ、私のこの完璧なカムフラージュはビタミンA不足のパチュリーじゃ見破れまい……ってか、あいつ読むの専門だから読書机から動かんしな)
魔理沙は書棚に囲まれる重厚な机の前で黙々と読書に励むパチュリーの姿を脳裏に描いてほくそ笑む。
そう、あの動かない大図書館は、それこそ魔理沙がぶっ放す魔砲クラスの轟音が響かなければ、図書館の中ですら動かないのだ。むしろ懸念すべき図書館内を動き回る人物というのは……と、そこまで考えた所で魔理沙の周囲が明るくなった。
「ま、魔理沙さん? ……なにしてるんですか、一体?」
「んなッ!? ば、馬鹿な、私のバーフェクト・カムフラージュが見破られただと!?」
「……色々置いといて聞きますけど、カムフラージュってまさかこのみかんって書いてあるダンボールのことですか?」
「そ、そうだけど……な、なんだよその目は!? なんか文句あんのか!? ……うぅ、やめろよぉそんな目で見るなよぅ」
被っていたダンボールをひっぺがされた魔理沙はしゃがんだ姿勢のまま、トンカチを手にした小悪魔に呆れきった目で見つめられ、しおしおとその身を縮こませるのであった。
………………
…………
……
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジはこと読書環境に関しては一切の妥協を許さない人物である。読書机の前にある椅子は何時間座っていても疲れたりしない最高級品であるし、本を読む時間が足りなければ容易く寝食を削る。そして読書中にパチェ~今日は一緒に遊びましょ~などと親友兼家主がのたまってくれば容赦なく攻撃魔法で吹き飛ばす。
論理的に、そして時に狂気的に並ぶ文字の魔力に取り憑かれたビブリオマニア。それが自他共に認めるパチュリー・ノーレッジの揺るがぬキャラクターなのである。そしてそんなパチュリーが、本を読むためには本を探す時間すら惜しいと考え、地下図書館の管理そして自身の求める本の捜索を一任しているのが……
「♪~♪~」
現在、赤髪のロングヘアを揺らして機嫌良さそうに魔理沙の前で紅茶を淹れている、主より背が高いくせに小悪魔などと呼ばれている使い魔なのである。
魔理沙が虎の子であるダンボールを図書館で使用したのは、実は彼女の存在に依る所が大きい。日夜パチュリーに命じられた本を探すべく図書館中を飛び回る小悪魔は、その動きが全く読めない為、不意の拍子で出くわすという事態への予防策が存在しないのである。故に出くわしたとしても絶対に見破られない偽装術を以って潜入に臨んだのだが……
(私じゃまだダンボール偽装術は無理だったか……むぅ、香霖とこの本では万能のカムフラージュって書いてあったんだが)
小悪魔程度に見破られるとはまだまだ習熟が足りないらしい。魔理沙はダンボールについて熱く語られた本の著者、ス◯ーク某に自らの未熟さを詫びる為、しばし黙祷した。
「はい、魔理沙さんどうぞ」
「お、おお、ありがとう……な?」
「いえ、なんで疑問形なんですか?」
「ん、いやまぁ……」
にこにこと朗らかに笑う小悪魔が差し出してくる紅茶を受け取って、魔理沙は訝しげに彼女の顔を見つめた。
「今日は随分サービスがいいんだな? 図書館があんなになった後だから、私は正直もっと弾幕チックな歓迎を受けると思ってたんだけどな」
そう言って魔理沙は少し視線を上げて、小悪魔の額に巻かれたねじり鉢巻に目をやった。
魔理沙と小悪魔が居る司書室兼小悪魔の自室の外では、今てんやわんやの大騒ぎで昨日の本棚倒壊の修復作業が行われていた。
魔理沙はあの時塵煙の中を慌てて逃げていたので気付かなかったが、どうやら倒れた本棚はドミノ倒しのような連鎖倒壊を引き起こし図書館内を横断、未曽有の大災害を引き起こしていたらしかった。図書館に入って来た時、妖精メイド達が工具やら木材やらを手にしてその修復に当たる姿を見て、さしもの魔理沙もやべぇと冷や汗を垂らしたのはついさっきの話である。なにせこの事態を起こした容疑は日頃紅魔館で暴れまくっている魔理沙に降り掛かってくるはずで……
「あはは、そんな訳ないじゃないですか。パチュリー様の命の恩人にそんな事しませんよ」
「あん? 命の恩人?」
「またまたぁ、とぼけちゃって♪ 本棚の下敷きになりかかったパチュリー様を助けたのは魔理沙さんなんでしょう? 他に誰も図書館に居なかったんですから」
知識人の使い魔たる私の目は誤魔化せませんよ♪ と小悪魔は得意げにえへんと胸を張る。
そんな小悪魔の姿を見て魔理沙は思わず顔を引き攣らせた。どうやら妙に好意的な様子の小悪魔はパチュリー救出というフランのお手柄を魔理沙の物だと勘違いしているらしかった。その勘違いは非常に照れくさかったので魔理沙としては訂正したかったのだが、しかし、フランのやった事だとバラす訳にもいかない。まぁ、放っておいてもいずれ知識人たるパチュリーが、魔理沙にもあんな巨大物体はどうしようもないと気付くだろうが……
「パチュリー様もいたく感謝されてましたよ。こう本でちょっと顔隠して、『こぁ、今度魔理沙が来たら連れてきて頂戴……お礼言いたいから』な~んて言っちゃって、きゃ~それでも赤くなってるの解るパチュリー様カワイイー!!」
(おい知識人ーー!?)
期待を裏切り全く気付く様子のないパチュリーの話を聞いて魔理沙は内心で絶叫した。小悪魔から向けられる勘違いの好意と感謝の眼差しは、それぐらい魔理沙の良心をチクチクと刺激していたのである。
「と、まぁそんな感じで当図書館は今、魔理沙さんウェルカム状態な訳です。あ、そうだ。良かったらこの貸出カードをどうぞ。見て下さい、なんとパチュリー様の寝顔プロマイド印刷版!!」
「や、そんな露骨に盗撮臭い代物いらな……」
「おやおやぁいいんですか? 当図書館の貸出カードは今のところ四枚しか発行されてないレアアイテムですよ? しかもパチュリー様印刷版はこれが初版のシリアルNo.001。激レアですよー?」
「む……」
激レアという言葉に反応して受け取ったカードを返そうとした魔理沙の手が止まった。
そのまま迷うように安らかなパチュリーの寝顔を虚空に彷徨わせ、最終的に蒐集家魔理沙は貸出カードをポケットにしまった。
「一応貰っとくぜ……ま、使わないとは思うけどな。本借りる時にパチュリーと弾幕ごっこするのは嫌いじゃないから」
「あはは、そうですね。渡しといてなんですけど、私もその方が嬉しいですね。魔理沙さんと弾幕ごっこしてるパチュリー様はとても生き生きしておられますから。……そして勝った時のドヤ顔パチュリー様、負けた時のしょんぼりパチュリー様、あぁどっちも素敵です♪」
「……相変わらずとばしてんな、お前さんは。それでよく首になんないよな」
件の素敵なパチュリー様を思い返しているのか、きゃ~きゃ~言って悶える小悪魔を見る魔理沙の目は限りなくぬるかった。
悪魔としての契約とか以前にパチュリーを溺愛しているこの小悪魔は、控えめに見てもちょっと危ない御仁に見えた。主にドラキュラ作家の名字的意味で。と、
(ん、四枚? ええと、一枚は多分レミリアだろ? あとは咲夜に美鈴に……)
「ふむん? どうかしましたか魔理沙さん?」
「ああ、いや……ちょっと気になってな、私の他に貸出カード持ってるのが誰かってな」
少し戸惑うように口ごもってから魔理沙は小悪魔の不思議そうな声にそう答えた。と言っても戸惑ったのはカードの持ち主が誰か解らなかったからと言う訳ではない。むしろその逆で、誰が持っているかおおよそ見当が付いたからの質問であった。そう、思えば他人の口から彼女の話を聞いたことがなかったから。
「誰って……ええと、お嬢様に咲夜さん、美鈴さん、後は……」
そこまで言って小悪魔はああ、と得心したように声を上げた。
「もしかして魔理沙さん、誰かからフランドール様……妹様の事を聞いたんですか? それで興味を持たれたとか?」
「ん、ちょっと妖精メイドからな。なんせレミリアの妹なんだ、どんなやつか気になるだろ?」
そうして小悪魔の口から出た名前はズバリ魔理沙の予想通りであった。
フランの部屋に積まれた本の塔、あれの出処がどこかというのは紅魔館を知る者なら容易く察せられる。というか、確か咲夜が本を探したのは小悪魔だとか言っていたような気がする。ならば小悪魔はフランとはそれなりに親しいはずで……
「あはは、すいません。そういう事なら私よりもパチュリー様に聞いて下さい。実は私、妹様にお会いした事がないので」
「あん? けどお前、フランが読む本選んでるって話じゃ……」
「あれ? 良く御存知ですね。それ知ってる子、ほとんどいないはずなんですけど」
「む、ああまぁな。それより会ったことないってのは、どういう事だ?」
「どういうって、言葉通りの意味ですけど。私は、こうこうこういう本が欲しいという要望を咲夜さんから聞いて、それに沿った本をお渡ししてるだけですから。というか、私は妹様に会うことを禁止されてますし」
「……禁止?」
「はい。何でも妹様は大変暴力的な方らしく、私みたいな下っ端小悪魔が近寄ると殺されかねないそうで。おまけにお嬢様に匹敵するトンデモ能力持ちだとか。……魔理沙さんもこの図書館より下には行かない方がいいですよ。以前、霊夢さんが行った事があるんですが、二度とあれの相手するのは御免だわって言ってましたから」
「れ、霊夢が……? いや、っていうか暴力的?」
「はい。まぁ、お嬢様も結構その辺過激な方ですからね。血は争えないって事でしょうか」
「……」
したり顔で頷く小悪魔の言葉を、その時魔理沙は聞いていなかった。そんな魔理沙の頭を占めているのはただ一言、一体誰だその妹様は。
(フランが、暴力的? いやどの辺が? あいつ危険度:低の類だろ?)
魔理沙の脳裏にここ数日のフランの様子が浮かんでは消える。その中で暴力的などという言葉が当てはまる物は一つも……
『え、そうなの? ……嘘、ついたんだ。なんで? どうしてそんなことするの? ねえなんで?』
……本当に?
『……う、うん、ありがとう魔理沙。信じてくれて』
……本当に?
『うそ、でも、まさか……魔理沙!!』
本当にそうなのか? 魔理沙はフランの事を思い出してそう自問する。
一つ一つは僅かな、けれど積み重なれば確かな違和感、そして不安感。暴力的とは間違っても言えないがそんな不吉な何かを私はフランから感じ取ってはいなかっただろうか?
そして何より……
(さっき小悪魔は本棚が倒れた時、図書館には私とパチュリーしか居ないって言った。それは多分正しい。本棚が倒れた後、すぐに出口を封鎖したはずの小悪魔が言うんだから。けど、それなら……)
本棚を"倒した"のは一体誰なんだ? 魔理沙は追い詰められて弾幕を放てなかったし、パチュリーの放った弾幕が原因だとしたら、爆発音がいくら何でも遠過ぎた。だとしたら? あの場で小悪魔に察知されず、隠し階段で姿を消したのは……
魔理沙はゴクリと唾を飲んで、そこで自分の喉がカラカラに乾いている事に気付いた。小悪魔から受け取った紅茶を熱さを無視して一気に飲み干す。昨日一度は考え、すぐさま振り払ったはずの疑問を、もう一度紅茶と共に飲み干して振り払う。
「……悪い小悪魔。パチュリーはどこに居るんだ? いつものとこか?」
「え、ああ、はい。パチュリー様なら、いつもの場所で建築と錬金関係の本を読んでいるはずです。何でも本棚の耐久度を一から見直して改善するとか」
「はは、まずは本から。あいつらしいな。そんじゃ私はお言葉通り、そっち行って妹様の話聞いてくるぜ。安心しな、今日は本借りてくのは勘弁しといてやるから」
「あはは、それは助かります。ついでに出来たらあと三日は勘弁して下さい。それでようやく応急処置が終わるので」
「おう、考えとくぜ。んじゃ、修理頑張れよ小悪魔」
そう言って魔理沙は小悪魔に気付かれない程度の早足で部屋を後にして箒に跨った。しかし、柄の先が向いているのはいつもパチュリーが居る読書机のある方角ではない。その先にあるのは……
(馬鹿らしい、これも何かの間違いだろ。小悪魔はフランに会ったことないからなんか勘違いしてるんだ。私がフラン出してやれば誤解も解けるに決まってる)
魔理沙はそう無理矢理納得して箒を駆る。
フランに会って、得体の知れない背筋の寒さを収める為に。何かに急かされるかのように、速く、ただ速く。
………………
…………
……
紅魔館の本館地上部は基本的に騒々しい。妖精メイドの雑談の声や、居眠りをメイド長に見咎められた門番の断末魔、果ては当主レミリアの思い付き暇潰しイベントなど静寂を破る種に事欠かないためである。しかし、今日の喧騒はいつものそれとは少し違っていた。具体的に言うのなら、長閑さがなく何処か切羽詰まっているように感じられる、といった点であろうか。……次のように。
「板~板~、補修用の板が足りないの~、もっと持ってきて~」
「無茶言わないでよ!! この掃除道具満載のアタシの手が見えんのかあんたは!? ああもう咲夜さんがダウンしてる時になんであんなになるかなぁ!!」
「はいはい、つべこべ言わずに走って下さい。こんな時こそ、日頃多忙な咲夜お姉様に代わって頑張るのが私達妖精メイドの勤めですよ」
「それは解るけど!! 解ってるけど!! あ~ん美鈴さんもなんかいつになく真剣に門番してるからヘルプ頼みづらいしー!!」
「板~板~」
「やかましい!! あんたは自分で持って来なさい!!」
ドタドタと、三人の妖精メイドが騒がしくも慌ただしく廊下を駆けていく。その先はパチュリーの地下図書館行きの階段であり、彼女達の手にある金槌やら箒やらが何に使われるかは語るまでもない。
……そして、その三人が通り過ぎた後の廊下で、
「……行った、な? ふぅー危なかったぜ」
「魔理沙ー、もう出ていいのー?」
「おう、もう大丈夫だぜフラン」
「ぷはっ」
廊下の壁際に飾ってあった大鎧の背中から魔理沙が、同じように置いてあった大壷の中からフランがそれぞれ顔を生やした。妖精メイドをやり過ごすべく廊下のインテリアに身を隠していた二人はメイド達が去っていった方に目をやった。
「あー、にしてもやっぱり裏手から入って来て良かったな。妖精メイドはともかく美鈴の警備レベルは上がってるみたいだし」
「……美鈴が本気だと魔理沙はやっぱり入って来づらいの?」
「んー、まぁそうだな。門のとこで戦うなら、地勢は私に有利だから昨日よりはマシになると思うんだが……拳法モードの美鈴はまだ底が見えんからな。それによしんば門を突破出来たとしても館に入れば咲夜もパチュリーも居る。相当しんどいのは間違いないな」
フランの問いかけに魔理沙は真剣に考えてそう返した。魔理沙からすれば今後常に美鈴が本気でかかってくるという事態は現実に有り得、かつ相当に不味い話なので本気で返してしまったのである。
「そうなんだ。……けど、大丈夫だよね。魔理沙、今日も来てくれたんだし、明日もちゃんと来れるよね!!」
「ん、まぁしばらくは大丈夫だと思うけどな。こっそり忍び込めば、気付かれないってのは今日ではっきりしたんだし」
小悪魔を除いてだが。
魔理沙は心の中でそう付け足した。とはいえ、どうやら小悪魔は魔理沙を見つけても見逃してくれるようなので問題はないのだが。それに今魔理沙が考えるべき問題は他にあった。
「にへへ~♪」
……フランの様子がまた変わった。
小悪魔の言葉を受けて、心逸らせフランの部屋に魔理沙が駆けつけると待っていたのは暴力的な攻撃ではなく、涙ながらの抱擁だった。
一応、何故か部屋が真っ暗になっていたので、不意を突かれて踏ん張れなかった魔理沙は飛びつかれて尻もちをつくという被害を受けた事は受けたのだが、それを暴力的というのは些か以上に酷というものだろう。
そして、何故泣いていたのか魔理沙が問えば、なんでも魔理沙の事を待つ内にもしかしたら今日は魔理沙は来てくれないのではないかと怖くなったからだと言う。そう言われてみると確かに昨日はちょっと照れるような事を魅入られるような笑顔で言われて慌てて帰ってしまったので、明日も来るとは言っていなかった気がする。フランにとって魔理沙は恐らく紅魔館の住人以外で初めて出来た友人であり、その自分に会えないのは相当堪えたのだろうと魔理沙は一応納得した。けれど……
(流石に……それだけじゃ納得しきれはしないよなぁ。これ)
魔理沙はすぐ隣にいるフランにさえ聞こえないような声で呟いた。そうフランは今魔理沙の本当にすぐ隣に居た。というより手を繋げば必然的にそうなる。フランの部屋から出てきてからずっとフランは魔理沙と手を繋いで離そうとしなかった。さっき妖精メイドをやり過ごした時もどうにか魔理沙と一緒に鎧の中に入ろうとするのを無理だからと言ってどうにか宥めてフランを壺に放り込んだのであった。
(ちょっと恥ずかしいけど、まぁフランとなら子供と手繋いでるようなものだから別にいいっちゃいいんだが……)
フランの、この子供のような様子が初めからであったのなら魔理沙は別段何の疑念も抱かなかっただろう。魔理沙より年上にも関わらず見た目、性格、双方ともに幼いという人外は、種族妖精を筆頭にいくらでも居る。けれど、フランは初めて会った時はこうではなかった。勿論、幼く見えるところが全くなかった訳ではないのだが、それはどちらかと言うと常識に疎い知識不足という感じの物で、その芯にあるフランの思考や性格はそれなりに落ち着いていたもののように思える。しかし、今のフランは違う。魔理沙の隣でフランが浮かべている笑顔はこちらを信じきった笑みであり、それはそう、幼子が親にするかのようなちょっとばかり行き過ぎな感もある無防備さが感じられた。
(小悪魔が言うみたく危なくはなくても、ちょっと情緒不安定なところはあるのかもな、こいつ。その辺、一応気を付けてやった方がいいのかね?)
フランの手を引いて廊下を歩き、とうとうレミリアの部屋の前に立った魔理沙はもう一度、フランの顔を流し目で一瞥する。すると、それを見て取ったフランは楽しくて仕方ないといった調子の笑顔を更に深めて笑う。その笑顔は朗らかで可愛らしい反面、やはり少し危うげな感じもした。……けれど、
(まぁ、頼りにされるっていうのは悪い気分じゃないよな。うん)
照れ隠しに帽子を深くかぶり直したその下で、魔理沙もまた小さく笑みを浮かべた。実家を出て以来、自分の事で手一杯だった魔理沙にはフランの信頼はとても新鮮で、ある種高揚を覚える程だった。
「ね、魔理沙。ここがお姉様の部屋なの?」
「おう、ここが紅魔館当主レミリア・スカーレットの部屋だぜ」
魔理沙とフランが今立っているのは周りの部屋の物よりも一際大きな扉で、そしてその大きさ以上にその色で他の部屋とは違う事を示す扉だった。
「うーん、それにしてもお姉様の部屋って本当に扉も真っ赤なんだね」
「ああ、紅魔館でも扉まで赤いのはこの部屋だけだな……レミリアの部屋の扉の事は知ってたんだな」
「うん、前にお姉様がペンキ持ってきて、私の部屋の扉も赤く塗ろうとしてたからその時に」
流石に止めたんだけど……と声をすぼませて言うフランだったが、その判断は真っ当な物だろうと魔理沙は思った。
確かに赤は紅魔館全体のシンボルカラーなのだろうが、真っ赤に塗られた扉というのははっきり言って目にも精神的にも優しくなく、ミステリー小説ならばきっと鮮血の間とか何か不吉な仇名が付く事請け合いだった。……まぁ実際に吸血鬼が住んでいるのだからそんな名前が付いても間違いではないのだが。それに今魔理沙達にとって重要なのは扉の色ではなく、その中央に空いた八角形の穴である。その一風変わった鍵穴を見つめて二人は思わず沈黙する。
「……ねぇ魔理沙、今日はお姉様は留守だって言ってたけど……」
「ああ。それは間違いないぜ。こっち来る前に神社覗いたらレミリアの奴が居たからな。あいつは神社に行くとだいたい夕方まで入り浸ってる」
二人揃って最初に口にしたのは一番の不安材料であるレミリアの所在だった。
初めからレミリアの外出時を狙うつもりだった魔理沙は、紅魔館に来る前にレミリアの外出先候補No.1博麗神社に寄って来ていたのだが、そこにはなんとも幸運な事にレミリアの姿があったのである。賽銭箱の前で霊夢と真剣な顔で話しているのが気になったが、それにしても昨日の今日で望んだシチュエーションが舞い込んだのである。どちらかと言わずともせっかちな気質の魔理沙はこれぞ天の配剤と言わんばかりにこの好機に食い付いた。なにせフランの話ではレミリアに次ぐ脅威である咲夜も調子を崩して臥せっており、今は身動きが取れない状態だというのだから。
(しかもさっきの妖精メイドの話だと美鈴の奴はいつもより真剣に門番をしている……つまり、私が中に入ってる事がばれない限り門の前から動かない。パチュリーにしたって図書館の修復で手が空いてるとは言い難い。余程の騒ぎを起こさん限り図書館からは出てこないはず)
改めて考えてみても、やはり今は千載一遇の大チャンスである。紅魔館上層部が軒並み動けないなどという状況はそうある物ではない。となれば……ごくりと魔理沙は緊張感溢れる顔で唾を飲み込む。
「……いくぜ、フラン」
「う、うん」
ハラハラした面持ちで手に汗握るフランが頷くのを見て、魔理沙はミニ八卦炉を扉の鍵の前に翳して魔力を込めた。昨晩、苦労して封入した術式が起動し、赤色の八角形の魔法陣が鍵穴に丁度収まる大きさで投影される。……そしてその十秒後、投影された八角形の一辺が緑色に染まった。
「よっし、術式の繋ぎ合わせは上手く行ったみたいだな。ちゃんと適合してる」
「魔理沙、この色が変わったのはなんなの?」
「ああ、お前も知っての通り、鍵の術式は二つともコピーして取り出せたんだが……そもそも取り出したコピー術式がパチュリーの術式とは毛色の違う私の術式だからな。100%完璧コピーって訳には行かないんだ。上手く行っても90%ぐらいだな。んで、今はその10%の不足分を実際の鍵と比べて解析中って訳だ。この色が変わったのはその解析の進行度だな。ただ待ってるだけってのも味気ないからつけてみた。なに、九割解れば術式の全体図は解るからな、すぐ終わるはずだ。……っとほら、もう三つ緑になったぜ」
自身の術式が上手く機能しているのが嬉しいのか、魔理沙は先程の緊張感を放り出して嬉しそうにフランに語る。魔理沙自身、魔法について語るのは大好きだったし、フランもこういう話題は好きだろうと思っての事である。フランも魔理沙の話を聞いて一層興味深そうに投影された魔法陣を覗き込んでいた。……と、
「……ッ!!」
「ん、どうしたフラン?」
七本目、解析完了まであと一辺になったところでフランが突然、弾かれたように顔を上げた。
そのフランに魔理沙が不思議そうに問いかけると、フランは黙ったまま口元で人差し指を一本立てた。静かに、そんな意味の込められたジェスチャー。それを見て魔理沙は思わず顔を引き攣らせた。フランが何に気付いたのか悟った為である。
「どっちから何人だ?」
「えっと……ダメ、両側からどっちも三人は来てる」
「くっそ、このタイミングで!!」
耳をそばだたせたフランの返事を聞いて、魔理沙は思わずそう叫んだ。
……吸血鬼というのは視覚を始めとする五感も人間のそれを上回る。フランの突然の反応は廊下の両側、その曲がり角から迫る妖精メイド達の足音を魔理沙よりも先に聞きつけての物だった。
魔理沙は扉の鍵穴にミニ八卦炉をかざしつつ辺りを素早く見回した。
(隠れる場所は……ない!! 不味い、レミリアの部屋の真ん前だから窓もない!!)
魔理沙の頬を焦りの汗が一筋伝う。ここで妖精メイドに見つかってしまえば振り出しに戻るどころの騒ぎではない。レミリアの部屋の鍵は恐らく更に難易度の高い物に付け替えられるだろうし、合鍵を所持している咲夜と美鈴もその管理を一段と厳とするに違いない。そうなれば言うまでもなくフラン解放という目標の達成は困難になる。そんな訪れ得る最悪の事態に思いを致し、魔理沙は顔を青く……
「魔理沙っ!!」
「フラン? ……ッ!!」
魔理沙と同じか、それ以上に切羽詰った声で呼びかけたフランが指差す先を見て、魔理沙は慌ててドアノブに手を伸ばした。ミニ八卦炉が投影した八角形がいつの間にやら全て緑に変わっていた。そして果たして……ドアノブは動いた。鍵は開いている。
(よし、ギリギリセーフ!! このままレミリアの部屋に逃げ込めば……)
安堵と共に扉を開けようとした魔理沙の手が止まった。頭をよぎったのは咲夜の部屋のトラップ、そして美鈴の部屋の隠し扉。従者二人の部屋にあれだけの仕掛けがあったのだ。その主たるレミリアの部屋にも仕掛けがないとは言い切れないのでは? いや、むしろある公算の方が高いのでは?
(この部屋に咲夜級のトラップが仕掛けられてたら洒落じゃなく死ぬ!! いやけど他に逃げ場は……)
窮地からの脱出口が新たなる懊悩を呼び込み魔理沙を苛む。更にL字廊下の曲がり角の先から、とうとう魔理沙の耳にも聞こえ始めてきた足音が、早く決めろと魔理沙を急かす。……と、
「ん?」
果たして、そんな風に進退極まった魔理沙への救いの手は、魔理沙の肩より低い所からドアノブに向けて伸ばされた。
「おいフラン!?」
半ば以上制止の意味での呼び掛けだったが、この時ばかりはそれに応えずフランは扉を開いてその身を部屋の中に踊らせる。フランを止めようと伸ばされた魔理沙の手が、間に合わずに空を切る。そして……一秒経ち、二秒経ち……何も起きない。
「魔理沙!!」
「お、おう!!」
自らの身を以てトラップの有無を確認したフランに呼ばれて、呆気に取られていた魔理沙が慌てて部屋に転がり込み、それと同時にフランが素早く扉を閉め、ガチャリと施錠する。
「おらおら、どいたどいたー!! 補修物資その他諸々のお通りだー!!」
「どわぁぁああ!? ちょ、あんた達、お屋敷の中でリアカーはまずいでしょ!! っていうかそれ、え、本当になに積んでるのそれ?」
「あたしも知らん!! けどパチュリー様の指示らしいから魔法具かなんかじゃない?」
「リアカーの方もこぁさんにオッケー貰ってるから大丈夫だよ!!」
「そ、そうなの? うーん、けど埃が……あ、あんた達ちょっと!!」
「おらおらおらー!!」
「ひゃっほーい!!」
扉の外から聞こえてくるそんな声に、耳をそばだたせ緊張する二人。
そんな二人が安全地帯のはずの部屋の中で安堵の息をはけたのは、まったくもう、という呆れたような声とそれを慰める声が靴音と共に遠ざかって行ってからだった。
「だはー、助かった」
「あ、危なかったねー」
思わず床に座り込んでしまった魔理沙と冷や汗を掻いていたフランが目を合わせて笑い合う。とはいえ、
「しっかしフラン、いくら何でも無茶しすぎだぜ。お前トラップの類、結構怖がってただろ?」
「あはは、うん、怖かったんだけどね。私、吸血鬼だし、なんとかなるかな~って」
苦言を呈するのを魔理沙は忘れなかったが。確かに、来るのが解っていれば、例えナイフが飛んでくることがあっても吸血鬼の身体能力で打ち落とす事は可能だろうし、最悪当たってしまったとしても、フランならば大したダメージには成り得ない。しかしそれでも、トラップの有無と種類が全く解らなかったあの時点ではフランの行いは無謀と言わざるを得なかった。故に魔理沙は言葉を重ね、フランに注意しようと……
「それにね」
「む」
したところでフランに機先を制され、口をつぐむ。そんな魔理沙の顔を覗きこんでフランは花が咲くように笑う。
「いざとなったら部屋ごと全部壊しちゃえばいいんだもん。平気だよ」
「――――」
そうしてフランに微笑まれ魔理沙が二の句を継げなくなったのは、どうしてか背中にスルリと滑り込んだ寒気の為だった。
何かがずれていた。昨日の最後にフランが見せた笑顔と見た目は全く同じだったのに、それ以外の何かが、決定的に。
「魔理沙? どうかしたの?」
「……んにゃ、なんでもない。それよりどうだ? 初めて見た姉の部屋は」
「え、あ、うん。ええと、何ていうか……」
魔理沙の誤魔化しの言葉を聞いて素直に辺りを見回したフランは、感心したような顔で一言こう言った。
「ええと、どの辺が私の部屋と似てるの?」
そこはとても天井の高い部屋だった。昨日の美鈴の部屋探しで紅魔館中の部屋を見てきたフランだったが、それでもこの部屋に比肩する背の高さを持つのは美鈴の部屋だけであったと断言できる。部屋の壁の一方を埋めるように並べられた本棚は地下図書館の物よりは流石に背が低いものの見上げてしまうような大きさだった。
そしてレミリアの部屋は勿論そんな天井に似つかわしい広い面積の部屋でもあるのだが、置かれている家具は酷く少なめだった。扉の真正面に位置する机、その側に置かれた対面するアンティークの長椅子が二つ、その間に置かれたテーブル。それらと天井に吊られた照明器具だけが寒々しく部屋にポツンと存在していた。
フランはそんな部屋の様子に内心首を傾げた。フランの知るレミリア・スカーレットという人物はあれでいて結構賑々しい空気を好む性格で、そんな姉の性格とこの部屋の姿はどうにも結びつかなかった。というより、そもそもこの部屋には寝台がない。机に、蔵書、それに応接用と思しき長椅子があるだけで、居室というよりはまるで……
「ねぇ魔理沙、ここってお姉様の"私室"じゃないよね?」
「お、気付いたか。さすが姉妹だな」
部屋を不思議そうに見渡していたフランが、部屋の奥にある入って来たのとは別の扉を見てそう言った。
「ここはレミリアの奴の……まぁ執務室とか、そういう感じの部屋だな。お前が言う私室は、あの扉の向こうだ」
そう言って魔理沙が指差したのはフランが見つめていた部屋の奥の扉だった。
今魔理沙とフランが立っているのはレミリアの、というよりは紅魔館当主の執務室だった。と言っても、その執務がどんな物なのか魔理沙はよく知らないのだが。魔理沙がお世話になった事があるのは応接用に置かれているアンティークの長椅子とテーブルで、偶にそこでレミリアとお茶を飲むことがあるのだった。
「さてと。ま、そんな訳でだフラン。私達の目的は覚えてるか?」
「うん、お姉様の、えーと何か恥ずかしがりそうな物を見つける事だよね?」
「そのとおーり。自作ポエム帳とか、あったらそんな感じのがベストだな」
「あはは、お姉様だったら普通にダース単位で持ってそうな気がするなぁ、ポエム帳」
「有り得るな。つー訳でだ、そんな感じのを二手に分かれて探すぜ、フラン。お前はあっちの私室の方を頼む。鍵はそもそもないから、そのまま入れるはずだ」
「……え」
魔理沙が続けて言った言葉にフランの笑顔が固まった。
それを見た魔理沙はポリポリと後ろ頭をかいた。何故かといって、フランの反応が予想通りだった為である。固まった後、何か言いたそうにこちらを見つめるフランの頭をポンポンと優しく叩いて魔理沙は諭すように言う。
「まぁ、なんだ。多分平気だとは思うんだが、もしレミリアがなんかの気まぐれで早めに帰って来たらまずいからな。この部屋の探索は出来るだけ早く済ませときたいんだ。……解ってくれるな?」
「……うぅ~」
魔理沙の説得を聞いてフランは納得行かなそうに唸った。しかし、
「……解った。魔理沙の言う通りにする」
「おう、悪いな」
しばしの間、不満そうに唸っていたフランだったが最後には魔理沙の方が正しいと認めたのかしぶしぶ折れた。名残惜しそうに魔理沙から離れて、タタタと軽い足音を立ててレミリアの私室に入っていく。最後に一度だけこちらを振り返った顔は大変寂しそうだったが。
「むぅ。何だか凄い罪悪感が……いや、よしっ」
消えたフランの背中を思い、ただならぬ居たたまれなさを得た魔理沙は一瞬気落ちしたような顔になったが、パチパチと頬を張って直ぐさま気を張り直した。そうだ、フランに寂しい思いをさせるのを悪いと思うなら、さっさとこの部屋の探索を終わらせて合流すればいいのだ、と。
そうして気分を入れ替えた魔理沙は自身が探索すべきレミリアの執務室を改めてぐるりと見回す。と言っても魔理沙が担当した執務室はだだっ広い面積に反して、物が極端に少ないので目に映る物は少なかったが。むしろ魔理沙の視覚に強い印象を残すのは置かれた家具ではなく、部屋に敷かれた絨毯の赤と清潔さだった。その鮮血のような赤とチリ一つ見当たらない無垢さはどうにも言い知れぬ威圧感を魔理沙に与えてくる。
(ふむ、こうして改めて見ると随分寂しい部屋だよな。まぁある意味、一番紅魔館に似合いな部屋な気もするが)
とっかかりがないのでとりあえずと言った感じで机に歩み寄った魔理沙の、それが素直な感想だった。魔理沙が感じる威圧感も、この派手さではなく上品さで高級感を表す机も、見た目如何にも貴族の館と言った感じの紅魔館にそぐう部屋だった。ただし……
(レミリアの奴の部屋って事を考えると……そぐってないよなぁ?)
魔理沙の知るレミリアは紅魔館当主というだけあって、一応貴族的な側面を持ってはいるが、それを自身の前面に押し出して来ることは滅多にない。というより、あの怜悧で冷厳な一面は必要だから身に付けたというだけでレミリアの地の性格と言う訳ではないのだろう。魔理沙がレミリアに持つイメージというのはもっと子供っぽい、深窓の令嬢ではなく下町に一人こっそり忍び出るような活動派お嬢様である。だから、
「ふむ。妙、って言うほどじゃないが、違和感あるなこの机の中身は」
魔理沙が三段程あった机の引き出しを開けると、二段目と三段目には何やら小難しい話が書かれた書類がぎっしり詰まっており、片方全てがレミリアのサイン入り、もう片方がサイン無しである事から処理済みの書類と未処理の書類を分けて引き出しに入れているのだろうと察せられた。そして、一番上の引き出しにはその書類の処理に用いられるであろう羽ペンやインク等の筆記用具が収められていた。その当たり前過ぎる中身を見て魔理沙は思う、真面目過ぎると。
(レミリアの奴なら、こう、執務の合間に摘むおやつとか、手遊び用の玩具とか入れときそうな気がするんだが……ああ)
そこで魔理沙は気付いた。この部屋が魔理沙に与える威圧感の、その正体に。
(レミリアらしさがないんだな、この部屋は。真っ赤だけど、あの脳天気なお嬢様の"色"がないんだ)
故に思い出してしまうのだろう。色のない、ただ紅魔館当主であるだけの無機質なレミリア。魔理沙にとってそれは……
『ふふふ、こんなに月も紅いから?』
恐怖の象徴だ。
(ったく、いつまでビビってんのかね私も。こんなんじゃ霊夢に追いつくのはいつになることやら)
ただの部屋にまで吸血鬼の影を見出し恐れている自分に思わず苦笑し、魔理沙は机の天板を撫でた。感触と赤みがかった色からするにマホガニー材で出来ていると思しきそれは、正しく紅魔館当主、レミリア・スカーレットに似つかわしい上品な品だった。……と、
「あん?」
ぐるりと魔理沙が振り返った。
レミリアらしからぬ違和感のある部屋。その部屋の中で更に別の違和感を感じた為である。魔理沙が目を向けたのは部屋の壁一面を埋め尽くす本棚であった。
「……」
魔理沙は無言でスタスタと本棚に歩み寄る。床から天井まで隙間なく塞いでいる本棚は、もはやそれ自体が壁であるかのような威容を誇っていたが、魔理沙が違和感を感じたのはそんな本棚の大きさではなかった。それはもっと表面的なものであり……
「……黒いよな。この本棚」
スーッと、魔理沙は本棚の仕切り板に指を這わせてポツリと呟いた。こちらは恐らく黒檀の類だろうか? 見るからに密度が高く、硬そうな木材が宿すのは黛のような黒色であった。本棚というのは本を満載してしまえば、本棚自体で目に触れる部分はごく少なくなる家具である。故に入ってきたばかりの時はそう気にならなかったのだが……魔理沙は改めて部屋の四方を見渡す。
(家具に絨毯は勿論の事、カーテンに壁紙、果ては天井のシャンデリアまで基調は赤。ここまで完璧に部屋を赤く染めてんのに本棚だけ浮かすか、普通?)
部屋全面赤一色というセンスの是非はさておいて、この部屋を赤く染め上げる事にレミリアが並々ならぬこだわりを持っていることは、その結果たるこの部屋を一望すれば妖精にだって理解できる。だと言うのに、本棚だけはその例外として置かれている。これは果たして偶然なのだろうか?
(この部屋が紅魔館の中でも殊更赤いのはレミリアの趣味ってのもあるだろうけど、多分紅魔館当主の部屋だからってのもあるはず。赤は間違いなく紅魔館のシンボルカラーなんだからその象徴って事で。そして、そこから外れた本棚の色……)
魔理沙は考える。先ほどまで魔理沙は一体何に違和感を感じていたのか。
魔理沙は考える。レミリアの性格を、負けず嫌いで派手好きなその性格。
更に魔理沙は思い出す。この部屋に入ろうとした時、自分は何を考えた? 確かあの時自分は、従者の部屋に仕掛けがあるのならレミリアの部屋にもあるのではないかと考えたのでは? そして紅魔館当主として浮いた色の本棚。これらを合わせて考えると……
そこまで考え、魔理沙は今度は一歩二歩と後ろ歩きで本棚から遠ざかり始める。わざわざ背表紙を手直ししたのか、詰め込まれている蔵書すら赤い本棚の姿が魔理沙の視界の中で拡大図から全体図に広がる。
「お!!」
その本棚の全体図を用心深く、注意深く観察していた魔理沙は本棚の一角に、比喩でなく本当に天井付近の一番角の所に収まっている一冊の本に目を止めた。
よく見なければ本棚の黒に紛れて見逃してしまいそうだが、その本はたった一冊だけ背表紙が黒色になっていた。
魔理沙は箒に跨り、喜び勇んでその本目掛けて飛んで行く。この本棚に何か仕掛けがあるのではないか? ほとんど根拠のない推測だったが見つけた黒い本のお陰で俄然信憑性が出てきた。本棚はまだいい、他にこの大きさの物が見つからなかったとか説明を付けることが出来るから。けれどあの本は幾ら何でも怪しすぎる。たかが本一冊代わりが見つからなかったというのは地下図書館がある以上あり得ないし、あんな風に隠すように隅っこにあるというのも出来過ぎだ。ここまで来ればそこに何の意図もなかったという方が不自然と言える。更に、
(おおう、しかもこれ、よりにもよって聖書だぜ。ははっ、解りやすいってレベルじゃないな、おい)
背表紙に書かれた題はそのまま『Holy bible』世界一の発行部数を誇るベストセラーではあるものの、吸血鬼に需要があるとは思えない。何かある、もはやそう確信しきった魔理沙は意気揚々とその聖書を本棚から引き抜いた。すると……
「お、おおっ!?」
ゴゴゴと、重い音を立てて本棚がこちらに迫り出してきた。いや、よくよく見れば迫り出してきたのは本棚全体でなく中央の一部、本棚の横幅を四分割した内の真ん中二つと言った感じの部分だった。そうして迫り出して来た部分は一度止まったかと思うと、今度はスライドドアのように横にずれて開き始める。変わらずゴゴゴと響く稼動音は迫力満点。魔理沙は呆然としつつも開いていく本棚を目で追う。
そうして本棚が開ききった先、本棚の裏の壁には……
「おお……ビンゴだぜ」
ポツリと、宙に浮く魔理沙の遥か下に本棚と比べるとあまりにも小さい普通の大きさの扉が一つ姿を現していた。隠し扉、そうそうお目にかかれる物ではないはずなのに、ここ数日で妙に見慣れてしまった仕掛けであった。しかし、それでも魔理沙の瞳に浮ぶ喜色は些かも衰えはしななかった。
(うふ、うふふ、吸血鬼のお屋敷の……しかも色の浮いた本棚の隠し扉。いやぁ解ってるじゃないか、レミリア)
同好の士たるフランに、その辺の趣に理解がないと言われていたレミリアが、ここまで"らしい"仕掛けを用意してくれるとは。これもまた、ここ数日で何度も味わった胸の高揚、自身が物語の主人公になったかのような浮遊感を得て魔理沙はニマニマと抑え切れない笑みを零して扉の前に降り立った。
(鍵は……こりゃ普通の、っていうか骨董品のウォード錠か? ふむ、これなら手持ちの道具で開けられるな。となると……)
フランを呼んでこよう。魔理沙は自然にそう思った。フランもこの隠し扉を見れば喜ぶだろうし、何よりこの扉を開く事はここ数日の冒険の締め括りになるはずなのだ。ならばそれはフランと共に行うべきだと、魔理沙はそう思ったのだ。故に魔理沙はレミリアの私室に向か
「全くもって呆れるわね。図書館から本を持ち逃げするだけじゃ足らないのかしら?」
「……ッ!!」
声。
あまりに唐突に背後から響いたその声に、魔理沙は背筋をゾクリと震わせた。有り得ない、空耳だ。そんな自身を慰めるような思考も、背筋に走った悪寒が思い出させる恐怖の前では全く意味を成さない。
魔理沙は何かに誘われるようにゆっくりと振り向く。魔理沙の思考はそれにもう一度抵抗した。やめろと、こんなシチュエーションで振り向けばどうなるかなんて、怪奇小説の一冊でも読めば解るだろうと。しかし、やはり怪奇小説さながらに魔理沙の身体は止まらず……
「随分と楽しそうね、魔理沙。良かったらこの部屋の主である私も混ぜてもらえないかしら?」
紅い紅い吸血鬼が、レミリア・スカーレットが、真っ赤な口を歪ませて艶やかに微笑んだ。
………………
…………
……
育ちの良さとは、結局の所どんな行動にも出るもので。
例えば家探しなどという、全く褒められない作業に勤しんでいるフランにもそれは当てはまったりした。どこがとは言いにくいのだが、例えばクローゼットを開ける仕草に、机の引き出しを閉めた時の静かさに、気まぐれのようにベットに腰掛けた時の柔らかさに、どうにも良家のお嬢様という雰囲気が滲んでしまう辺りに、フランの五体に流れるスカーレットの血の格が感じられた。……とはいえ、
「え~と、もう少し右かな。……う~んダメ。何か行き過ぎたような気がする。今度はもうちょっとゆっくり左に……」
流石の高貴な血筋も、ダイヤル式の金庫に耳を押し付け、小難しい顔で必死にダイヤルを右左と回している姿のフォローまでは無理だったようだが。金庫破りに挑むフランの姿は、どこからどう見ても泥棒ごっこに励むお子様にしか見えなかった。ただし、
「あっ、今何か良い感じの音がしたような……あっ!!」
ガチャリと鍵が外れる音を聞きつけたフランが慌てて金庫の扉を引くと、扉は何の抵抗もなく口を開けた。
……やっている事は魔理沙の見よう見まねの遊びレベルでも、そこに吸血鬼の聴覚が加わってくると話が違ってくる。本来開き得なかったはずの金庫は、フランのデタラメな耳の良さにあえなく敗退したのだった。
そうして自身の手で初めて破った金庫から中身を取り出したフランは出て来た物を見て一つ首を傾げてから、ベットの上にポスリと飛び乗った。自身の部屋のような遠慮のない振る舞いだったが、それもまた仕方のない事かも知れない。何せこのレミリアの私室は本当にフランの部屋とそっくり一緒だったのだから。それはもはや似ているとかいうレベルでなく、最初に入ったフランが転移魔法のトラップで自身が自室に戻されたのではと一瞬疑う程だった。強いて二つの部屋で違う所を挙げるのなら、クローゼットの中身や机の上といった住人の気まぐれによって変わる部分に目をやるしかない。
魔理沙と別れる事に不満たらたらだったフランが、こうして上機嫌を保てているのは金庫破りに成功した事も然ることながら、実はその事実が最も大きな理由だったりする。今や紅魔館の面々に並々ならぬ嫌疑の念を差し向けているフランだったが、それでもやはり実の姉たるレミリアは別格だった。血の繋がりというだけではない、それはやはり……
『けど、けどね、どうか信じてフラン、それは……』
昔を思い出して、フランがにへへとくすぐったそうに笑った。単純極まりない話だが、大好きな姉とお揃いという事実がフランには照れくさくも嬉しく感じられたのだった。
そうして上機嫌のままフランはベットに腰掛け、膝の上に乗った一冊の本に手を掛けた。その手つきに迷いはない。これが本当に魔理沙やフランの目論み通りポエム帳だったりしたのなら、少なからず気後れしたのだろうが、フランが金庫の中から持ってきたそれは別段見ることを躊躇するような物ではなかったためである。その本の表紙にはこう記されていた、紅魔館設計図集と。そのあまりにも端的な表紙を捲れば、中身は表題に違わず設計図面がページ番号を振られてズラリと並んでいた。膨大な面積を誇る紅魔館の物なのでそのページ数はあまりに多く、パラパラと適当にページを繰っていたフランは焦れて一気に最後のページを開いてページ数に目をやった。その数は823、この場で全て確認するのは流石に無理がある数だった。その数の多さに辟易したフランは設計図から顔を上げて改て首を傾げた。
(お姉様、何でこんなの金庫に入れておいたんだろう?)
紅魔館の設計図というのが秘匿すべき情報であるというのはフランにも解る。例えば、この設計図を外に持って行って売り出せば教会だの妖怪退治屋だのの吸血鬼ハンター達が嬉々として高額で買って行くに違いない。悪魔の屋敷たる紅魔館の内部構造というのは吸血鬼に敵対する者達にとっては垂涎の情報だからである。それ故に館の主であるレミリアが管理を厳重にするのは解る。解るのだが……
(だからって、"これだけ"金庫にしまっちゃうものかなぁ?)
金庫の中に入っていたのがこの設計図だけとなると途端に理解出来なくなってくる。
確かに設計図は隠しておくべき物ではあるが、紅魔館にとって隠すべき情報がこれだけかと言うとそんな事は断じてない。紅魔館の人員の名簿や資金の帳簿、吸血鬼同士の横の繋がりを示す手紙等など、隠すべき情報ならこれの他にだっていくらでもある。にも関わらず、この設計図だけ金庫に入れて保管されていた。その事がフランの中でどうしようもなく引っかかった。故にフランは止められなかった。自分達が目指す物とは違うと解っていながらも、設計図のページを捲る手を。そして……
「…………なに、これ」
フランがそのページを開いたのは偶然で、そのページで手を止めたのは必然だった。
血の気の引いた顔でフランが呆然と見つめるのは、彼女の住まいである地下四階の設計図が記されたページであった。だから……フランが動揺したのは彼女の居室の設計図が載っていたからではない。皆で食事を取ったあの大食堂の設計図を見たからではない。そんな物を見たところでフランが動じる理由はない。フランが動じたのはのはただ一つ、それらの部屋を全体的に眺めた俯瞰図の……その真下に敷かれた巨大で禍々しい見知らぬ魔法陣、その存在にだ。
「…………」
カチ、カチ、カチ、
何やら耳につく硬い音が部屋に響いているのをフランは奇妙に冷えた頭で認識した。時計の音か何かだろうか? 小うるさいそれを無視するのにフランはかなりの忍耐力を割く必要があったが、それでもフランはそれを無理矢理に意識の外に追いやった。
カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、
もう一度、フランは落ち着いて、少なくとも当人は落ち着いたつもりで描かれた魔法陣を見直す。信じられない気持ちを抱いて、自身の部屋を中心に描かれた魔法陣を読み解く。
(お願い、お願いだから……)
間違っていて。
そんな思いで魔法陣を最後まで追う。物理から外れた異系の理に従って与えられた式を解き明かす。そして出た答えは……
カチ、カチ、カチ……ブツリ
音が止んだ。自覚のないまま寒さに震えるように打ち鳴らされていた歯の音が、自覚のないまま唇を噛み切って止まった。
「う、あ……ああああああああああああッッッ!!」
叫んだ。矢も盾もたまらずただ叫んだ。
設計図を凝視し、集中する。今まで見えていなかった、否、感じられなかった物が浮き出てくる。それはフランに宿る原初の力。生まれついて持っていた、しかしフランの持つ力の中で最も大きな力。その力で感じられる物をフランは"目"と呼んでいる。氷のような白さと、罅のような黒く脆い質感を持った丸い感覚、そんな五感では察知出来ない物を知覚出来るからだ。そしてフランはその目に小さな拳を叩き付けた。
パン!!
乾いた音を立てて設計図が"破裂"する。一体何を使えば紙の塊である本にそんな音を立てさせられるのか、余人であるなら訝しむような現象であったが、フランにとってそれは当然の事であった。
「うぅ、うあ……」
フランがうずくまる。フランは自身が持つこの力が怖かった。だからこの力で感じられる世界について誰にも話した事はなかった。だって言える訳がない、世界は、世界はこんなにも"目"だらけで、フランがつつけば簡単に壊れてしまう物だなんて誰にも言えるはずがない。
ああ、けれど……
『……目、ねぇ? それを潰すと何でも壊せるのね?』
『うん!! だからね、だからねお姉様……』
そう言えば、昔、この世界の事を話した事があるような……
「……ッ」
フランが弾かれたように立ち上がった。ベットを飛び降り、脇目も振らず部屋の扉に向かって進んで行く。
「魔理沙……」
フランの身体が震える。
おかしい、変だ。さっきまでこの部屋はこんなに寒くはなかったのに。
「……魔理沙っ!!」
そう叫んだフランはとうとう駆け出した。恋しかった。あの魔理沙の温かい手が。
ああ、そうだ。どうして私はあの手を放してしまったんだろう、言えば良かったんだ、離れたくないって。一緒に居たいって。だって魔理沙は絶対私を見捨てないから!!
フランの手が辿り着いた扉を押し開ける。押し開けて、そしてその先には……
「……フラン?」
「お姉、様?」
今、きっと、フランが一番会いたくない者の姿が……
フランの口の端がヒクリと震えた。
………………
…………
……
六分十二秒。
魔理沙は知る由もなかったが、レミリア出現から魔理沙が壁に小規模のクレーターを作って叩きつけられるまでに要した時間であった。一見すると不甲斐ないタイムのように思えるが、諸々の不利な条件を考えれば十分に健闘したと言える時間である。分けても痛かったのが、レミリアが現れた瞬間の隙だった。動揺した魔理沙にレミリアは全く遊びを見せず、スペルカードを発動――魔理沙の記憶だと確かドラキュラクレイドル――咄嗟の反応でどうにか防ぎはしたものの吸血鬼の全力体当たりを食らった魔理沙はそのダメージをその後も引き摺り、詰められた距離を離せず……結局、見せ場も作れず敗北の憂き目に会ったのだった。
とどめとなったレミリアの右ストレートの一撃、それを食らったまま壁に押さえ付けられた魔理沙は一連のバトルの流れを思い返し苦い顔にならざるを得なかった。
「はぁ、随分と嫌そうな顔をしてくれるわね。嫌な運命を感じて帰って来てみれば、部屋に忍び込んだ鼠が一匹……そういう顔をしたいのは本当は私の方なのだけれど」
そう言いつつ涼し気な顔で魔理沙を見据えるのは、ほぼ被弾なしで勝利を収めたレミリアである。一番の被害と言えば、魔理沙の弾が掠めたスカートの端が焼け焦げていることであろうか。
「それにしても……貴方も随分進歩がないわね。っていうか、むしろ前より弱くなったんじゃない? 明らかに勝負に集中し切れてなかったわよ?」
「……」
レミリアの指摘に魔理沙は表情こそ動かさなかったが、内心で激しい苛立ちが巻き起こるのを自覚した。
レミリアが指摘した事に関しては魔理沙自身、はっきりと自覚していた。理由は言うまでもない、ここから扉一つ隔てた先に居るフランだ。もし万が一フランがレミリアに気付かず、何かの拍子でこちらの部屋に戻ってきたら万事休す。魔理沙のフラン解放計画は全て水泡に帰す。それを考えると気が気でなく、魔理沙は勝負に集中する事が出来なかったのである。……と、
(そう考えちまってる事が腹立たしい!! 一体どんなヘタレの言い訳だよ、これ!!)
確かに状況が良くなかったのは事実である。魔理沙が後ろを気にしながら戦う事に向かない性格であるのも事実である。しかし、それは言い訳にはならない。何故なら魔理沙は昨日同じ状況で美鈴を相手取り善戦したのだから。
(私が負ければフランが居る事がバレかねない、いや多分バレる。そういう状況は一緒。なのに今回は情けない勝負しか出来なかった。なら違いはなんだ? 私は何に動揺して集中出来なかったんだ?)
昨日の美鈴戦と違う点、そんなものは考えるまでもない。相手が吸血鬼、レミリア・スカーレットである。ただその一点が明確に違う。つまりは、魔理沙がまだレミリアを前にするだけで動揺するほど……
(ビビってる、恐れてる、ただそれだけの事だろ!! だって言うのに私は人のせいにして!!)
情けない。こういう時に備えてレミリア対策の魔法も用意していたのに何も出来なかった。自分自身の恐怖に負けて。
情けない。情けない情けない情けない――!!
「……チクショウ」
魔理沙の口から零れた言葉は短かった。しかし、言葉に込められた滴るような悔恨は感じられたのか、それを聞いたレミリアは微かに眉根をひそめた。
「……何だかよく解らないけど、魔理沙?」
「……なんだよ」
「悪いけど、今日から貴方の紅魔館の出入りを制限させて貰うわ」
「あん?」
私としてはとても残念なのだけれど。
そう言って言葉を繋いだレミリアを魔理沙は不思議そうな、何か珍奇な物でも見るような目で見ていた。
「……今更、か?」
それまでの悲愴な顔もうっちゃって、魔理沙はきょとんとした顔で首を傾げた。
それもそのはずで紅魔館に対する不法侵入、並びに窃盗行為というのは以前から魔理沙が度々行なっている事で今更咎められるような事ではない。それが問題になるのならもっとずっと前から出入り禁止くらいは食らっていて然るべきである。それを何故今? 出入り制限を言い渡された事への抗議というよりも、純粋に疑問だったから訊いたという感じの魔理沙の口調であった。
それに対してレミリアは一つ溜息をついて魔理沙に応える。
「今更、よ。……貴方の興味が図書館だけに向いているのなら問題はなかったのよ。パチェは正真正銘のビブリオマニアだから本を取られるってだけでカチンときちゃうんでしょうけど、貴方が取っていくレベルの魔導書なら実利的に全く問題がないもの。……その辺は貴方の方が解ってるんじゃない?」
「ぐっ」
レミリアに見透かしたような口調でそう言われ、魔理沙は思わず呻いた。
魔導書を扱う際に最も気をつけなければならない事は何かと言えば、それは自身の実力より上の魔導書は決して開かないと言う事に尽きる。魔導書というのはただの"本"ではない。魔力を帯び、術式を備え、それ自体が魔法を行使することさえある、一種の魔法機械と見なすべき存在である。勿論、魔導書の記述に従ってしか動けないので、ワンパターンである等の欠点を持ってはいるのだが、それでもその魔導書が持つ魔法が自身では対処出来ないレベルの物であった場合、最悪命を落す危険すらある。なにせ最高位の魔導書には目を通すだけで狂死するなどという物もあるのだから。故に魔理沙はこれまで地下図書館から持っていく本を慎重に選別してきた。自身でも対処出来る、しかし知識として糧となる。そんな丁度いい按配の魔導書を。そして、その場合……
(パチュリーにとって魔導書を取られる事は問題にならない。私が扱えるレベルの魔導書なんてパチュリーから見れば子供向けの教本みたいなもんだから、今更読む必要がない。レミリアにしたってその程度の知識が入用ならパチュリーに聞けばそれで済む)
魔理沙が今日までレミリアにもパチュリーにも本気で――例えば紅魔館主要メンバーでの複数がかり――迎撃されない、ひいては魔理沙が気後れせず地下図書館に挑める理由がそれであった。戦闘力でも、知識面でも魔理沙は紅魔館に実害を与えられるレベルにない。いざという時は本気を出して抑えてしまえば問題ない。その共通認識があればこそ、魔理沙は今日まで紅魔館の懐で大暴れする事を黙認されてきたのである。……さながら親に対して反抗する子供のように。
「本当に残念だわ。貴方の来訪は私の日常にあって得難いスパイスだったし、霊夢の話にちょっと期待してた所だってあったのに……」
「……何?」
魔理沙が二度目の疑問の声を上げた。霊夢? 何故今その名前が出る?
しかし、レミリアは今度は魔理沙の問いには答えず、余計な事を言ったわねと呟き、魔理沙の襟首を掴んだ手に力を込め魔理沙を壁に押し付けた。
「くぁ……」
肺腑を力で押し潰され、魔理沙の口から苦鳴が漏れた。そんな魔理沙の耳元にレミリアは顔を寄せて小さく囁く。
「けどね魔理沙、貴方が図書館以外の場所にも興味を示すなら話は別よ。私は紅魔館当主として貴方の来訪を認める訳にはいかないわ。貴方が万が一、あの場所に行って"アレ"に遭ってしまったら困るもの。私はそれだけは防がなければならない」
冷ややかな声。それまでのどこか憂いを帯びた声とは違って、ただただ魔理沙を拒絶する為の声。
レミリアを恐れる魔理沙でなくとも縮み上がってしまいそうなその絶対零度の声に、しかし魔理沙は逆に、あるいは正しく頭を冷やされレミリアの言葉を苦しい呼吸の中で咀嚼した。あの場所に行ってしまったら困る? 何処だそれは。私は紅魔館のだいたいの場所にはもう踏み込んでるぞ? ただ……
『というか、私は妹様に会うことを禁止されてますし』
レミリアが知らぬ間に踏み込んだ場所はあるが。それも身内ですら入れぬような場所に。
「……ぉい」
「?」
肺を圧迫されまともに息を継ぐ事の出来ない魔理沙が無理矢理声を絞り出す。
だらりと垂れていた手が持ち上がり、襟首を掴むレミリアの手を握り締める。その魔理沙の手に込められた意外な程の力の強さにレミリアが目を見張る。
「お前……」
思い出すのはフランの声だった。
あんなに暗い地下室に閉じ込められて、それでもお姉様と嬉しそうにレミリアを呼ぶフランの声だった。それを聞いて魔理沙は思ったのだ。きっとフランが閉じ込められているのは何かの間違いだと。レミリアだって本当は望んでいないことなのだと。この二人は本当は仲の良い姉妹なのだと。だから……
「そのアレっつーのは……フランの事じゃないだろうな?」
そう言ってレミリアを睨む魔理沙の目には怯えの色はもはや全く見られなかった。そんな情けない怯えなど忘れてしまうほど、魔理沙は今怒っていた。レミリアがフランを"アレ"と、さも不愉快そうに呼ぶ、その可能性に。
可能性があるというだけでこれなのだ。もし本当にアレというのがフランの事だったら自分はどうなってしまうのか? 魔理沙自身、それが少し怖くもあった。
そして果たしてレミリアは、魔理沙の言葉を聞いて目を大きく見開き……
「な……あ、貴方何でフランの事を知って――」
「魔理沙っ!!」
その背後から響いた叫び声に、レミリアは言葉を切って血相変えて振り向いた。そして魔理沙も目の前のレミリアから視線を上げて声のした方――レミリアの私室の扉――に驚いて目をやった。そして、二人が見ている先で扉がはね飛ぶ様に開き……
「……フラン?」
「お姉、様?」
金の髪を靡かせ、虹色の羽を揺らして……フランが、姿を現した。
部屋から飛び出して来たフランは呆然とした、どころかどこか虚ろにすら見える呆けた顔で部屋の対岸に居る姉と魔理沙の方を見つめる。そしてそれは彼女の姉たるレミリアも同じだった。ここに居ないはずの妹が全く唐突に自分の部屋から飛び出してきた事に、ともすればフラン以上に動揺し、身動き一つできずその身を凍らせた。
そして……
「ぁは、」
結論を言うなら、
「やっぱり、そうなんだ。コウモリさんが、言ってた通りだったんだ」
「フ、ラン?」
レミリアは、とにかく動くべきだったのだ。
どれだけ動じようとも、少なくとも魔理沙の襟首を掴む手は放すべきだったのだ。
「アハ、」
「――ッ」
そのポツリと零れた声に言い様のない怖気と、同時に奇妙な得心を得たのは魔理沙だった。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――!!」
これかと。
フランドール・スカーレットという存在の端々に感じ取っていた違和感。それが今、目の前で結実しているのだと。狂笑と共にひしひしとフランから伸び広がる悪寒に触れて、魔理沙は誰に言われるまでもなく静かに得心した。そして変異はそれだけに留まらない。フランの手の平からズプリと奇妙な何かが生えてくる。ゆっくりと背丈を伸ばしていくそれは、例えて言うなら捻じ曲がった時計の針だった。スペード型の頭をした、長針と短針を後ろで結んで捻じ曲げたような、魔法具を扱う魔理沙すら初めて見る異様な形のモノだった。まるで物理的に有り得ない騙し絵を無理矢理に立体に起こしたかのような、胃の腑が捻れそうになる違和感を持ったモノだった。
それを見て顔色を青くしたのは、唖然としている魔理沙ではなく彼女の前に居るレミリアだった。
「ウソ……だってアレは、夜にしか……」
「レミリア? ……っあだっ!?」
「魔理沙、今すぐこの部屋を出てパチェと美鈴を呼んできなさい」
「お、おぉ?」
いきなり手を離されしたたかに尻を打った魔理沙に目もくれず、レミリアは一片の遊びも見られない目でフランを見据えてそう言った。果たして魔理沙は気付いただろうか? レミリアの頬を伝う冷たい汗に。レミリア・スカーレットの明確な恐怖の証に。……そして、
「あ……? た、立て……?」
その恐怖がレミリアだけの物ではない事に。
レミリアの指示に従うにしろ、従わぬにしろ、ともあれ立ち上がろうとした魔理沙が再び尻もちをついて困惑する。気付けば魔理沙の膝はがくがくと震えていた。それだけではない、腕が、肩が、いつの間にか魔理沙の全身が安物のタイプライターのようにがたがたと揺れている。そんな頼りない我が身を目で見て、魔理沙はようやく自覚した。それはあたかも山のように巨大な津波が迫るのを一瞬呆けてから自覚するのにも似て……
(怖い。大き過ぎて解らな……いや、解りたくなかった。今、私は、フランがとんでもなく……)
怖い。怖い怖い怖い怖い。なんだこれは? 感情の振幅が上に振り切ったまま帰って来ない。魔理沙がその生涯で感じたどんな恐怖よりなお巨大。フランの姉であるレミリアへのそれと比してすらなお過大。こんな、こんな恐怖がこの世に……
「……ッ魔理沙!! 早くッ!!」
「うるさいよ」
ボッ、と焦れたレミリアの叫び声とは反対の、呟くような声が響くと同時に炎が爆ぜた。
轟々と唸りを上げる十メートルはあろうかという炎の柱がフランの手にした魔杖を包んだ。どれだけの熱量をそれに押し込めているのか、炎から十分に離れている壁や床の絨毯が焦げ付き、つられた様に火の手を上げ始める。魔理沙はその炎を目にして更なる恐怖に身を震わせる。そして、レミリアもまた……
「……喋った?」
「アハ」
「――ッ!? しまっ……っ!!」
レミリアがそう言って頬を引き攣らせると同時にフランが炎の柱を振るった。大きく飛び込んで横薙ぎに振るわれた炎はさながら剣の様に、軌道の上にある壁を薙ぎ払い、反応の遅れたレミリアに直撃する。そしてやはりその炎は魔性を帯びた代物であるらしく、炎にぶち当たったレミリアは炎に硬さがあったかのように弾き飛ばされ、巨大な本棚に叩き付けられる。その威力の程はレミリアが飛ばされた冗談のような距離と響いた激突音の大きさから推して知るべし、正に吸血鬼たるの面目躍如。
「……な」
魔理沙がそれしか言えなかったのは、自身の頭上ギリギリを薙いでいった炎への恐怖故か、"あの"レミリアがあっさりとやられた事への驚き故か。ともあれ、たった一字に込められたその感情は長続きはしなかった。何故かと言えば炎を手にしたフランが魔理沙の方に歩み寄って来たからだ。
ヒタヒタと、ヒタヒタと、フランは無言で魔理沙に歩み寄る。魔理沙の芯を震わす恐怖の源がゆらりゆらりと歩み来る。
「まりさ……まりさはちがうよね? まりさは……まりさは……」
幼い子供のような舌足らずな声で、フランが小さく真白い繊手を魔理沙に向けて伸ばす。怖いほどに必死な目で魔理沙を見据え、見る者の魂を縛る狂気を従え、口元に壊れたような笑みを浮かべて。
……違う。こいつはフランじゃない。フランはこんな顔で笑わない。咲夜のトラップを突破したときも、美鈴の隠し扉を見つけた時も、フランはもっと無邪気に楽しそうに笑っていた。……じゃあ、こいつは一体誰だ? フランと同じ顔で、フランと違う笑みを浮かべるこいつは――
……と、
(ああ、そうか)
常態の魔理沙であるなら、決してしないであろう破綻した思考。
極限の恐怖が間近に迫る中で魔理沙は一つの結論に至る。ああ、そうだ。こいつが何なのかは解らない。けど、少なくともフランじゃないなら……
――カチャリ
「まり、さ?」
「……あ」
フランが足を止めた。魔理沙が自身に向けた……ミニ八卦炉の砲口を目にして。
……そのほとんど反射的な行動に、非難の声を向けられる者は一人も居ないだろう。何せ魔理沙に迫るのは吸血鬼。人間のみに的を絞った究極の捕食者が明らかに異常な様で迫ってくるのだ。これに武器を向けない人間が居るのなら、その者はきっと武器というのを一風変わった装飾品であると捉えているに違いない。……だから、魔理沙を責められる者など一人も居ないのだ。ただ一人、
「……まりさも、なの?」
「――っ違……」
魔理沙当人を除いて。
間違ったと。フランの壊れた笑みが、くしゃりと違う顔に変わったのを見て、魔理沙は咄嗟にそう思った。何がと問われれば言葉に詰まる。しかし、確かに魔理沙はそう感じたのだ。私は今、決定的に何かを間違ったのだと。
……そして、その瞬間、
「気符!! 地龍天龍脚!!」
ゴォオオオン!! と壁を砕いて現れた、地を這う衝撃波にフランが飲まれた。突然の事態に頭が真っ白になる魔理沙の視界の中で、フランの小さな体躯が宙を舞う。そして、そこに、
「せやぁぁああああ!!」
虹色の気の輝きを迸らせ、紅美鈴が豪壮無比の飛び後ろ蹴りを叩き込んだ。恐らくは全身全霊で放たれたであろうその蹴りはフランに放物線を描く事すら許さず、完全に直線の軌道で彼女を対岸の壁に叩きつける。そして一拍の間を置き、フランがズルリと叩きつけられた壁から床に落ち……
「火符!! アグニレイディアンス!!」
フランが落ちきるところを魔理沙が見る事は出来なかった。
美鈴が開けた大穴から飛び出してきたパチュリーが即座に追撃の魔法を放ったからだ。メラメラと燃え盛る火炎弾が、"火気"その物の赤光を宿した魔弾が、落ちたはずのフランに殺到する。常ならば相手の逃げ道を塞ぐため、そして何より殺さぬよう威力を散らすために広範に撒かれるはずの弾幕が全て一点に収束する。スペルカードルールでは見られない、間違いなく殺すつもりの攻撃魔法。その威容に魔理沙は目を大きく見開き驚きを露わにする。
「……っておいパチュリー何やってんだ!? あれじゃ――」
ボン!!
「――ッ!?」
「……は?」
パチュリーの苛烈過ぎる魔法への抗議が途切れた。
突如爆ぜ飛んだパチュリーの脇腹から飛び散った血が、魔理沙の顔にピシャリとかかったからだ。
顔にかかった温かい水を手で拭い、その赤さでようやく何が起きたのか把握した魔理沙の前でパチュリーが苦鳴も漏らせず倒れ伏す。
「外れた♪? 外れた外れた外れたぁぁーー!!」
声帯を通して放たれたとは思えない、甲高い声キィキィ声を聞いて魔理沙が首を巡らす。その先であれだけの弾幕を受けたにも関わらずまるで堪えた様子を見せないフランが狂った笑みを浮かべて塵煙を引き裂き姿を現した。そして魔杖を持たない左手を魔理沙の方に向け……ギシリと、覚えのある怖気が空間を走った。魔理沙は覚えていた。そうだ、これは間違いなく地下図書館で本棚を吹き飛ばした時の……
(くっそパチュリーが食らったのはこれか!? 動転してこの気配に気付かなかったのか!? まずい!! この魔法、未だに正体が全く解らない。どうやって防げばいいんだ!?)
目に見えない礫を飛ばしているのか? それとも何らかの呪術の類なのか? 解らない解らない解らない――
完全なる未知という絶望に魔理沙の意識が侵食される。遠くなりかかった意識の中で、どうにか重体にしか見えないパチュリーの前に立ち庇い、魔理沙はこちらに突き出されたフランの左手を凝視する。何かヒントはないか? あの魔法を防ぐヒントは何か――!!
しかし、そんな魔理沙の必死の足掻きも虚しくフランの手がゆっくりと閉じられる。万事休す、魔理沙は思わず目を閉じ……
「…………あん?」
「??」
何も起こらない。
魔理沙が恐る恐る目蓋を開ければ、フランが壊れた笑みのまま不思議そうに自分の左手を眺めている。と、そんなフランの顔に紅い光が差し……
ドガガガガガ!!
「美鈴、突っ込め!! 能力は私が防ぐ!!」
今まで気を失っていたのか、何の動きも無かったレミリアが紅い巨大な魔弾をフランに五発連続で叩き込み、自らの従僕に向けてそう叫んだ。
それに対する美鈴の反応は早かった。レミリアの声が響くと同時に矢が放たれたかのようにフランに向けて疾走し拳を振りかぶる。それに対しフランは……美鈴を無視して再び魔理沙に左手を向けた。
「きゅっとして♪」
「――!!」
自身を視界に入れる事すらしないフランに動揺したのか、美鈴は主の言葉も忘れて咄嗟にフランの開かれた手に自身の手を打ち合わせるように叩きつけた。パンと、場にそぐわない軽い音を立ててフランの左手が閉じるのが防がれる。
「魔理沙さん!! パチュリー様を連れて逃げて下さい!! 何故かは解りませんがコレは貴方を狙っています!!」
「んなっ!?」
美鈴が顔をこちらに半分だけ向けて叫んだ言葉に魔理沙は思わず抗議の声を上げかかった。
それもそのはずで、明らかにやり過ぎな攻撃を放ちまくっている美鈴達を差し置き、魔理沙が狙われるのはどう考えても道理に合わず……
「ァハ♪」
「……!!」
と、魔理沙が道理などという安い代物を信じられたのは、こちらを見据えるフランの両の目を見るまでだった。
そう、フランはこの期に及んでまだ美鈴の事も、何らかの方法でフランの能力を防げるらしいレミリアの事も見てはいなかった。
ぞわぞわと揺れる不吉な光を満ち満ちと湛えた瞳で、フランはただただ魔理沙だけを見つめていた。そのあまりのおぞましさに魔理沙の身体が再び震え始める。
そして……
「行って下さい!! 魔理沙さん!!」
美鈴が叫び、フランに拳を打ち込む瞬間、フランの口が微かに動いた。
恐らく魔理沙だけが見ることが出来たその動き。それを見てしまった魔理沙は口を戦慄かせ、どうにかパチュリーを担ぎ一目散に逃げ出した。
……フランが本当に自分を殺そうとしている。それを理解してしまったから。
哀れな白黒鼠が魔女を担いで走りゆく、どうしてこうなってしまったのかと、臍を噛んで。
………………
…………
……
こんなにも身体が動かないのは初めてだった。
"こうなった"時の私の身体はいつももっと軽かったはずなのに、どうにも身体が重くて仕方ない。……こうなった時?
「疾ッ!!」
あぁほら、だからこんな拳に当たってしまうのだ。こんな威力だけに重きを置いた不格好な拳に。美鈴の手から溢れる力の大きさを見れば、これが来るのは解りきってた事なのに。
何発殴られたのかは忘れたけれど、結構な数を貰っていた左腕がとうとう千切れるのをボンヤリ見つめて私は呆れたようにそう思った。
痛いけど、余裕はある。だって腕がもげるぐらいなら"いつもの事"だし。……あれ? いつも?
――余裕があるなら、もう少し手伝ってくれてもいいんじゃないかなぁ?
……びっくりした。絶対に声には出していないはずなのに、ただの思考に返事が来た。
――それはそうさ。だって私は君なんだもの、君が思えば私にだって解るさ。
……そっか、それもそうか。けど、私に手伝ってって言う前にもう少し真面目にやった方がいいんじゃないかな? 貴方いつもよりずっと遅いよ? あぁほら、また貰っちゃった。あ、これ遠当てだ。美鈴ってば容赦ないなぁ。
――いやいや、私は至極真面目だよ? ただ、いつもと違ってコイツらが目的じゃないだけで。あぁ全く、君が手伝ってくれないから逃しちゃったじゃないか……魔理沙を。
……だめだよ。
――んん?
……魔理沙は、だめだよ。魔理沙を××しちゃったら。私は……
――もうとっくに君は一人ぼっちだろう? フラン。
……え?
――咲夜は君を騙していた。美鈴は君を監視していた。そしてあの魔法陣。理解してるんだろう? あの魔法陣が……吸血鬼を殺し尽くす為の術式だって事は。あんな高度な術式を組めるのはこのお屋敷ではパチュリーしか居ないって事に。そして、あんな大規模な術式は屋敷の持ち主であるレミリアの協力なくして築けはしないって事に。
…………けど、魔理沙は
――そして魔理沙も裏切った。こんなに強い美鈴を……あぁ、今度は足が折られたね。こんなに怖い美鈴をあそこまでボロボロにする魔法具をこっちに向けたんだ。助けを求める君に、こっちに寄るなって。あぁ酷いねぇ、あんなに信じてたのに。君はみんなみんな信じてた。五百年近く閉じ込められて、こんなにも傷めつけられて、それでもずっとずっと信じて私を抑え付けて来たのに。……ねぇ、これは純粋に疑問なのだけれど。
……なに?
――君はまだコイツらを庇うのかい? 傷付けたくないって言って、そんなの間違ってるって言って、君自身の憎悪である私を否定するのかい?
……それは、
――もういいんじゃないかい? 私から見ても君は十分頑張ったよ。もう疲れただろう? 楽になりたいだろう?
…………うん。もう、疲れた。信じるのは疲れたよ。
――なら話は簡単だ。いつも言っているように君は私と代わればいい。それだけで楽になる。君は君自身を否定しなくて済むようになる。さぁ。
……うん、そうだね。まかせた。
そう思った瞬間に、私がグルリと入れ替わる。私が持っていた物が、全部向こうの色に塗り替わる。
そうして私は真っ黒に染まって、落ちて墜ちて堕ちて……――
ポシャンと、黒い泥沼の底に沈んだ。
――……ああ、うん。お早う御座います。誰に言ってるのか解らないけど、そんな感じ。凄く爽快な目覚め、そんな感じだ。頭がとにかくハッキリしている。何時ぶりだろう、こんなに気分がいいのは。視界がクリアで、目的だけがハッキリ見える。とりあえず私は魔理沙を壊さなきゃいけないんだけど……コイツら邪魔だな。
「――ッ!! お嬢様!!」
「美鈴!? 何やって……ソレから離れなさい!!」
お? 美鈴が抱き着いてきた。上手い具合に極められて、ちょっとこれは動けないかな? あはは、さすが気を使う程度の能力。私が変わった事に気付いたみたい。すっごい焦りよう。
「お嬢……レミリア!! 私ごと……」
「いいよ。そんな事しなくて」
「……な」
「どっかーん♪♪」
冷や汗まみれで血の気の引いた美鈴の顔を楽しみながら、私は自分の魔力をこねくり回して暴走させる。ただ単純に滅茶苦茶に走り回らせる。うん、こういう場面での自爆攻撃はお約束だよねぇ、アハハ。アハハハ、
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
どっかーん、と。宣言通りの大きな音が響くまで私はただただ笑っていた。
私自身を吹き飛ばす祝砲でこうして私は生まれ変わった。プレゼントはアイツの悲鳴と美鈴の命。ああ、なかなかどうして、ゴキゲンな誕生日ではあるまいか。うん、ハッピーバースデイ、私。
………………
…………
……
『見てろよ、私はきっと普通の魔法使いになってやる!!』
今より少しだけ幼い声。だけど精一杯の大きな声。
そんな私の叫び声は、結構な決意を込めて言ったのに辺りに響かず虚しく消えた。もう少し響いて音が残った方が格好がついたと思うのだが、まぁ仕方ない。なにせここは夕暮れ時の博麗神社の境内で、周りには音を跳ね返しそうな物などないだだっ広い空間なのだから。
あるとすればただ一つ、私の一世一代の決意を聞いて胡乱げな目でこちらを見ている博麗霊夢ぐらいのものだろう。そしてその霊夢は恐ろしくローテンションな調子で、
『はぁ……あんた正気なの?』
『言うに事欠いて正気かと来やがったかお前は!?』
低気圧も真っ青の寒々しさで放たれた言葉に、私は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。正に低気圧と高気圧、北風と太陽。ただ、お伽話と違うのはこの北風と太陽で勝っているのは北風だということだろうか。その事を認めたくないあまりに血圧を高くする私に、北風こと博麗霊夢は相変わらずのやる気無さそうな調子で、だってさーと、間延びした声を出す。
『私、西洋魔法は専門外だけど、あんたが言ってるのが夢物語だって事ぐらいは解るわよ、さすがに』
『うぐ』
違う? と首を傾げて訊いてくる霊夢は投げやりみたいな態度に見えるけど、その目はどうしてか真摯な色を宿しているように見えて。だから私は言葉に詰まった。霊夢に言われるまでもなく解っていたから、自分が言っているのがただの夢物語だと言う事はよく解っていたから。
けれど、それでも私は自分の言葉を曲げる気はなかった。どこまでも深い湖の様な霊夢の目を、精一杯の意地を込めて睨み返す。私と霊夢のしばしの睨み合い。と言っても霊夢の奴は、ただ涼しげな顔でこちら見ているだけだったが。しかし、それでも私は必死だった。霊夢の目を見ていると意地とか強がりとか、そういう心の外側がべりべりと剥がされ吸い込まれるようで……霊夢の奴はそうして裸になった私の心にもう一度問いを発した。本気なの? と。その霊夢の目の問いかけに私は、私の心は……
『ま、いいんじゃないの?』
『……は?』
霊夢がふと柔らかく笑った。それはヒナゲシの花みたいな穏やかな色彩。
滅多に見せないそんな笑顔のまま、霊夢はだってさと今度は声を明るくして言葉を紡ぐ。
『そもそも私達の住んでる幻想郷が、夢物語みたいな物なんだもの。ならそこで願う夢が夢物語っていうのは……まぁ素敵なんじゃない?』
『なんじゃない? ってお前な……』
今の今まで文句言ってたのはお前だろうが。
そう言った私に肩を一つ竦めてみせて、霊夢はこちらにくるりと背を向け再び境内の掃除に戻った。
どうやら霊夢にとって、この話はこれで終わったことになったらしい。あまりに唐突で、私にとってはとても納得出来る終わりではなかった。
だから、
『……へへっ』
私は、嬉しかった。
人一倍勘の鋭い霊夢が、ああして認めて笑ってくれたのだ。ならきっと私の心は頷けたのだろうから。私自身ですら解らない心の奥の奥、芯の所に居る私はきっと霊夢の問いに頷けたはずだから。それなら私はやっていける。この夢を追って、後悔することなく進んでいける。絶対に、絶対に!!
『私の事は見捨てたのに?』
……え?
私の声が年を取る。夕暮れ色の博麗神社が西洋建築の屋敷に変わる。振り向いた霊夢の黒髪が金色に染まる。
『私に武器を向けたのに? 私の事を助けてくれなかったのに? それなのに魔理沙は普通の魔法使いを名乗るんだ?』
先ほどまでの高揚が嘘のように消え失せた。こちらをギラギラとした紅い目で見る少女の声は、私の心にザクザクと氷の刃を突き立てる。そして、
『まりさの……』
うらぎりもの。
そう言って少女が私に向けて両手を伸ばす。私はその手が怖くて怖くて仕方ないのに動けない。スルスルとこちらに近づいてくる青白いその手を恐れ、動け動けと脳裏で足掻いているのに動けない。そうして立ったまま金縛りに遭う私の首に、少女は手を掛けきゅっと指を引き絞り……
『アハ』
ポキンと、軽い音を立てて私の首がくにゃりと折れ曲がった。
少女は笑っていた。嬉しそうに、愉しそうに。なのに何故か、
『アハハ』
……涙を流して。
………………
…………
……
「……ぅな?」
「あ、魔理沙さん起きました? 具合はどうですか? どこか痛かったりしませんか?」
「う、うん? お、おお別にどこも痛くは……」
『……もの』
「――ッ!!」
「こあっ!?」
耳の奥から響いた微かな声を聞いて、一気に覚醒した魔理沙は慌ててベットから飛び起きて、彼女を心配そうに覗き込んでいた小悪魔に素っ頓狂な声を上げさせた。
しかし、そんな小悪魔に構う余裕のない魔理沙は、首に手をやりつつ右に左に顔を振って辺りを見回した。ベットから飛び起きたなどという状況にあってもなお、魔理沙は確信が持てていなかった。金色の髪の少女にあっさり首をへし折られた事が夢だという事に。そして、強迫観念に駆られ何度も部屋を見渡した魔理沙は……
「あ……」
「お目覚めのようね。ま、頭の方はまだ惚けてるみたいだけれど」
夢の中の少女と同じ紅い瞳に目を止めて、強張らせていた肩から力を抜いた。椅子に腰掛けカップ片手にこちらを見るレミリアにはそれぐらい説得力があった。あれが夢でこちらが現実なのだと魔理沙に理解させる程の"日常"を感じさせる説得力が。
「はーい、ちょっと失礼しますよ魔理沙さん」
「あん? って、ちょ、やめろよ小悪魔」
「ふむん、熱は無し、と。本当に大丈夫みたいですね」
脱力した魔理沙の隙を付いて、こつんと自身の額を魔理沙の額に押し当てた小悪魔は照れる魔理沙にも綽々とした態度で応じ、安堵の笑みをふわりと浮かべた。そして、その小悪魔の言葉を聞いてレミリアがカチャリとカップをソーサーの上に置き魔理沙を見ていた両の瞳を鋭くして口を開く。
「さて、それじゃあ早速話を聞かせて貰おうかしらね、魔理沙」
「う、な、何の話をだよ?」
「……悪いけど、下手な誤魔化しはやめて貰える? 私は今、貴方が想像しているよりはるかに苛立っているの。これからの話次第で、うっかり貴方を紅茶の中身に変えてしまいそうなぐらいにね」
「……は、はは、じょ、冗談だよな?」
「冗談を言っているように見える?」
そう言ってこちらを見据えるレミリアの目には冗談などというちゃらけた要素は一切見られなかった。こんな目をして冗談を言えるような奴がいたとしたら、そいつの存在こそが冗談だと思えるようなそんな真剣な目だった。
レミリアの本気に気圧された魔理沙は思わずゴクリと唾を飲み、ちょうど小悪魔がこちらに持ってきた紅茶を受け取って一息に飲み干した。
「……解った、話すぜ。フランの事だよな? ……でもその前に一つだけ訊いていいか?」
「……何かしら?」
「パチュリーは……無事か? それと何で私はベッドに寝かされてたんだ?」
「質問が二つになってるわよ。まぁ、その二つなら別にいいけど」
と、そう言って肩を竦めたレミリアは、小悪魔、と傍に控える小悪魔に促すように呼びかけた。それを聞いて小悪魔は一つ頷いて口を開いた。
「まず最初の質問ですが、パチュリー様は御無事です。結構な重傷でしたけど、パチュリー様が備蓄していた治癒の魔法薬をありったけぶっかけてどうにか傷を塞ぎました。今は輸血を受けながら美鈴さんの治癒に当たっています」
「美鈴の?」
「はい。美鈴さんも、その……かなりの重体でして。魔法薬はさっき言ったように使いきってしまったので、パチュリー様が傷を押して治癒するしかなく……それで魔理沙さんはパチュリー様を私の所に担ぎ込んで来た後、ばったり倒れてしまったので、そのまま客間に運んで……」
今に至ると、そういった感じです。
小悪魔がそう言葉を結ぶと同時に魔理沙の口があんぐりと開いた。小悪魔が言った美鈴が重体の一言の為である。あの美鈴が重体? 一体何をどうすればそうなるんだ? 私の必殺魔法食らって平気で動くような奴だぞ? ……いや、それよりも、
(フランが……やったのか? パチュリーだけじゃなく美鈴も?)
魔理沙とて自らの頬を濡らしたパチュリーの血の赤さと感触を忘れた訳ではなかったが、しかし、それでも信じ難かった。あのフランが、あの天真爛漫なフランが?
……そう結局、疑問はそこに帰ってくるのだ。パチュリーの容態と同じくらい、少なくとも自身が寝込んでいた理由などより余程答えを知りたい、しかし、知るのが怖い疑問。なぜフランがそんな事をという疑問に。
「なぁ、レミリ……」
「魔理沙」
意を決してその疑問を口にしようとした魔理沙をレミリアが鋭い語気で制した。出鼻を挫かれた魔理沙は思わず口を噤む。
「私は貴方の質問に答えたわ。だから今度は貴方の番。何より貴方の話を聞かない限り、私は貴方が口にしようとしている質問には答えられないわ」
そう言ってレミリアは目を閉じ、短く息を吸った。そして、次に目を開いたレミリアの顔は魔理沙の瞳に強く焼き付いた。嬉しそうで、悲しそうで、怒っているようで、慈しんでいるようで。目の前の少女が五百年生きた事を証明する奥深い表情。その顔でレミリアは……
「話して、魔理沙。貴方とフランの物語を」
……正直に言うなら、魔理沙はこの時、幾分か嘘を交えて話すつもりだった。
フランへの恐怖を忘れた訳ではなかったが、それでもやっぱりフランは友達だから。この三日間抜け出ていた事は黙っていようと。
けれど、結局それは出来なかった。何故なら……
『アハハ』
レミリアの顔を見て、何故か夢の中のフランの涙を思い出したから。
「解った。それじゃまずは、私があの暖炉を見つけたところからだな」
そうして魔理沙は話し始めた。彼女とフランのごくごく短い、けれど大切な二人の冒険譚を。
………………
…………
……
石造りの門を潜り、紅魔館の敷地を出た魔理沙は思わず自分の目の上に手を持ち上げて、ひさしを作った。時刻はもう夕暮れ近く、日は中天を大分過ぎ、もうじき空は青から紅に染まることだろう。そんな弱まった陽射しでも強く感じるのは、やはり吸血鬼の領土を出たという精神的なものなのだろうか? 魔理沙はそんな事を考え、それからヨロリとふらめいて門に手をついた。
「あの、本当に大丈夫ですか? なんでしたら家まで送りますけど」
「ん、大丈夫だ。私は歩くよりも箒に乗ってた方が調子が良くなるからな。平気平気」
そう言って魔理沙は心配そうにこちらを見る小悪魔に向けてひらひらと手を振って、それから帽子のつばを深く降ろして表情を隠した。
帽子のつばの下で魔理沙は我ながら説得力がないなと苦笑した。何せ小悪魔は今門を潜るまで何度も自分がよろけている所も、つばの下の血の気の引いた顔色もバッチリ見ているのだから。しかし、それでも魔理沙は強がらずにはいられなかった。いや、これ以上紅魔館の住人である小悪魔に迷惑をかけたくなかった。なにせ……
「それじゃ私は行くぜ。見送りありがとな、小悪魔」
「……はい、どういたしまして。道中お気をつけて」
最後まで魔理沙を案じる顔をしていた小悪魔に区切るような気持ちで背を向けて、魔理沙は箒に跨り飛び立った。
すでに紅魔館に特大の迷惑をかけた自分が、これ以上迷惑を掛けぬ為に。……十分程前の会話を思い出し、泣きそうに顔を歪めながら。
カチャン、というティーカップが割れる音を響かせたのはレミリアだった。
魔理沙の話――今日までのフランと魔理沙の行動――を聞き終え、何かを考えるように瞑目し、それから目を開き、何とは無しに伸ばした手がカップを掴み損ねてテーブルから突き落としてしまったのだった。その事に誰よりも驚いていたのは、カップが割れる高い音を聞いて肩を跳ねさせた魔理沙でもなく、慌ててポケットから布巾を取り出した小悪魔でもなく、自身の手をまじまじと見つめるレミリアだった。
自身の手を見つめたまま固まっているレミリアは、放っておくといつまでもそのままで居そうな気がしたので魔理沙は恐る恐る口を開いた。
「おーい、レミリア? 大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫よ。何でもないわ。ちょっと……そうね、動揺しただけ」
そのレミリアの返事を聞いて、魔理沙は確信した。駄目だこいつ大丈夫じゃない。
レミリア・スカーレットというお嬢様はとかく強がりの好きなお嬢様で、それがどんな些細な事であれ弱みに分類されるものなら隠したがる性格をしている。そのレミリアがちょっと動揺しただけなどとあっさり口にする。この時点でもうレミリアの動揺っぷりがちょっとどころではない事が解る。レミリア自身もその事に自覚はあるのか、再び話し出す前に胸に手を当てて一つ深呼吸をした。
「……はぁ、とりあえず貴方の話は信じるわ。フランが私の部屋に居た理由も、昨日図書館がえらい事になっていた理由も、貴方が時計塔を吹き飛ばした理由も、ね」
「あはは、ま、まぁ信じてくれて嬉しいぜ」
一度の深呼吸でそれなりに落ち着いたらしいレミリアの言葉を聞いて、魔理沙は口元を引き攣らせた。落ち着いて、冷たい感じを取り戻したレミリアの目に見つめられ、自分のやんちゃが人里辺りではお説教では済まないレベルである事を思い出したためであった。というか、もし被害総額とか見積もられようものなら、魔理沙は即刻破産である。
「フランがこっそり抜け出して、ね。貴方に唆されたとはいえ、そういう事になるのは考えてなかったわ」
「唆すって人聞きが悪いな。私はただ……」
「解っているわ。貴方が何を言ったとしても、結局最後はフランが自分の意思で抜け出したって事は。……あの子が外に出たがってた事は私も知ってるから」
そう言ってレミリアはどこか遠い所を、何か懐かしい物を思い出すように目を細め、魔理沙から視線を逸らした。
「それで……レミリア?」
「ん……何かしら?」
「私は話して貰えるのか? その、何だ、"あの"フランの事について」
「……そうね」
レミリアは新しく小悪魔が持ってきたカップに手を伸ばし、今度は違うことなく持ち手を掴み、紅茶を嚥下した。
「話した方がいいし、話すべきなんでしょうね。貴方がフランの友人だというのなら。……というか、話しておかないと貴方はまた地下に行ってしまいそうだもの」
そう言われて魔理沙はほんの少しだけ顔を強張らせた。あの時フランから感じた恐怖を思い出す。レミリアはこう言うが自分は果たしてもう一度フランに会いに地下に行けるのだろうか?
「そうね……まず、フランは今地下の自室で眠っているわ。最後の最後でアレが自爆攻撃なんて真似をしてきて、美鈴を道連れに自分も重傷を負ったからしばらくは動けないわ」
「……そのアレっていうのは」
「ん」
「フラン……とは、違うモノなのか?」
「……ええ、そのはずよ。そう判断出来る材料が揃い過ぎてるもの」
レミリアの奇怪な、まるで"フラン"と"アレ"が別人であるかのような言い様に突っ込んだ魔理沙の問い。レミリアはそれに苦い表情を浮かべてそう答えた。
「アレが……とりあえず私達はアレとかソレとかそんな感じで呼んでいるのだけれど、アレが最初に出てきたのは今から五十年程前の話よ」
レミリア曰く、ソレが出てきたのは本当に突然の事だったらしい。丸い丸い満月の夜、紅魔館地下部に激震が走った。紅魔館全体を揺らがしたそれは、ともすれば百年に一度の大地震かと勘違いしそうな程の大きさであったが、しかし同時に地下に響いた爆音でその誤認を否定し、偶々地下に居たレミリアに尋常ならざる事態が起こっている事を告げた。レミリアがそのお告げに言い知れぬ不安を覚えつつ、震源と思わしき地下四階の大食堂に駆けつけると……
『アハ』
『フ、フラン……?』
赤、青、黄色、原色の映えるステンドグラスの下でフランが笑っていた。何故か崩れた壁を背景に、レミリアがそれまで見たことのない禍々しい笑みを浮かべて、ズルズルと何かを引きずって。
最初レミリアにはそれが何か解らなかったが、フランが近付く事で輪郭をハッキリさせたそれを見て、レミリアはひっ、とらしくもない怯えた声を上げた。それはレミリアも見覚えのある"者"だった。紅魔館に仕える給仕係のメイドで、丁寧に手入れされた細い指で食器や酒器を操る様はとても綺麗だった事を覚えていた。けれど……その指が今、一本残らず"捻くれて"しまっていた。
『……フラン、そ、それは貴方がやったの?』
本来なら問うのも嫌になる質問だったが、レミリアは聞かずにはいられなかった。何せ捻くれ圧し折られ、前衛芸術みたいになってしまっている手と、殴打の跡が生々しく残る顔で気絶しているメイドを一切気遣った様子もなく引きずって来るのだ。日頃の温厚なフランを知るレミリアでなければ、問うことすらなく下手人扱いしていたに違いない。……そして、
『アハッ』
『……?』
『アハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハ!!』
『フラン!? な、何を……』
レミリアの問いに答えは返ってこなかった。フランはメイドを放り投げ……メイドに気を取られて気付かなかった魔針を振り上げ襲いかかって来た。全く唐突なフランの凶行にレミリアは混乱し、戸惑い、まともに動けず、そして……
「結果を言うなら、その時は異変に気付いて駆けつけて来た美鈴とパチェの助けで、どうにかアレを抑えこむ事が出来たわ。まぁ、その代わりに私は半死半生の目にあわされたけど。アレにボコボコにされてね。そして更に悪い事に、それだけじゃ終わらなかった」
「……って言うと?」
「貴方が今日見たように一回だけじゃ終わらなかったのよ。最初の一回を契機にフランは不定期でアレに取って代わられるようになってしまった。しかも何の前触れもなくね。その度に美鈴やパチェ、最近だと咲夜も駆り出してアレを抑えて来た……これが貴方が知らないフランドール・スカーレットの真実よ。貴方とフランが二人きりのときにアレが出て来なかったのは僥倖だったわ。だって……」
もしアレと二人きりになってたら、貴方、間違いなく死んでたわよ。
そう言ったレミリアの声は酷く素っ気なく淡白で。しかし、それ故にそれが殊更強調するまでもない事実である事を魔理沙に否が応でも理解させた。自身が知らず知らず命懸けの綱渡りをしていた事を自覚して魔理沙の全身に玉のような汗がぶわりと滲み出る。
「け、けど……」
「ん?」
「フランは、そうだフランはどうしてその事を私に言わなかったんだ? お前らが言うアレはともかく、フランならそんだけ危ないなら私にその事……」
「覚えてないのよ」
「……あん?」
「フラン自身は覚えてないの。アレに取って代わられて暴れた事を。何一つ、全くね」
「な……」
「当然でしょう? じゃないとフランはとっくの昔に首を吊ってるわよ。何より自分が他者を壊すのを怖がる子だもの。そういう意味ではこれも僥倖って言えるわね」
そう言ってレミリアは自嘲気味に笑う。
「そして、それがフランとアレが別物だっていう証拠でもある。自身の行動を覚えていないっていうのは多く憑物の類に見られる症状だもの。それに……」
「それに?」
「……私はダウンしていたから見ていないのだけれど、最初にアレが出た時、フランの部屋にあったらしいわ。それを直接確認したパチュリーですら理解不能な魔法陣が、フランの部屋にね。ついでに魔法陣はフラン自身の血で書かれていたと言えば解りやすくなるかしら?」
「……」
レミリアの言葉を聞いて魔理沙は思わず黙り込んだ。レミリアが言わんとしている事が解ったからだ。自身の血で書かれた魔法陣、それは確かに召喚術だの降霊術だのの定番である。そうして呼び出した何かにフランは憑かれた。そう考えれば確かにフランのあの状態にも納得がいく。
「は、悪魔の妹が悪魔憑きにあったってか? 笑えないぜ、それ。っていうかそんな魔法、フランはどこで知ったんだ?」
「はっきりとした事は解らないわ。"フラン"は召喚魔法を試した事はないって言ってるから。ただフランはパチェとも仲が良くて魔法について話している所を見たことがあったし、事情が事情だから制限付きだったけど初級の魔導書なら読んだりもしてたから、その辺から引っ張り出してきたのを試して"忘れてしまった"という可能性はあるわ。……あるいは、フランは感受性が豊かな子だからチャンネルが合って"直接教わって"しまったか」
憑物から直接魔法を教わる。荒唐無稽な話に聞こえるが実際そういう記録は幾らでもある。真偽の程を問わないのなら猟奇殺人の動機として現代でも語られる事のある事象であるし、いわゆる神託と言うものも囁くものが違うというだけで現象としてはさして変わらない。そしてレミリアとしては恐らくそちらの可能性が本命なのだろう。その可能性を語る時に口調が刺々しくなった。更に、
「これまでに対策も打ってきたわ。フランの時に何かが憑いていないか調べたり、地下への入り口に"そういうもの"を弾く結界を張ったり、パチェと一緒に地下を総ざらいして何か呪いのアイテムがないか確認したり。……霊夢にお祓いを依頼したりね」
「霊夢に?」
「ええ、この私すら退ける力を持った、神に仕える霊能力者。私達が打った対策はどれも成果なしだったから、妖怪じゃ手の出せない方面から切り込んでみたかったのよ。まぁそれも……」
そこでレミリアは少し言葉を切った。そして改めて魔理沙の顔をじっと見た。これまでも魔理沙の方を見ながら話していたのだから改めてというのは違うのだが、魔理沙は何故かそう感じた。今、レミリアの私を見る目が何か変わったと。
「なんだよ?」
「……何でもないわ。とにかく霊夢の方も成果はなかったわ。というか、いつものフランと弾幕ごっこで遊んでそれっきりよ。それからは私が何を言っても梨のつぶて、適当にはぐらかされてるわ」
レミリアが頬杖をついてぶすりと顔を不貞腐らせた。
そういう顔をすると五百年生きた吸血鬼もただの子供に見えるから不思議だ。……と、
「とはいえ、成果なしと判断するのは早計だったかもしれないわ。さっきのアレの様子を見ればね」
「……あん?」
レミリアの言葉を聞いて魔理沙は僅かに身構えた。
今度は目ではなくレミリアの声が変わったからだ。それも何かが変わったなどと言う曖昧なものではなく、もっと明確に何故か苦々しいものに。
「私……というより私達がアレに関して知っている事は少ないわ。理由は簡単、一旦アレが出てしまえば暴れるのを抑えるのに精一杯で調べる余裕がなくなってしまうから。けど、それでも幾つか経験則で解っている事もあるわ」
そう言ってレミリアは魔理沙の方に全ての指を握った手を突き出した。
「一つ、フランがアレに代わられた時は必ずあの魔杖が出てくる。貴方も見たでしょう? あの捻くれた針を」
レミリアがそう言って、突き出した手の人差し指を伸ばした。
魔理沙はフランが握っていた異形の造形物を思い出し、身を震わした。
「二つ、アレが出てくるのは夜、正確に言うなら日没後のみ。傾向としては明け方ギリギリの深夜が多いわ」
「……?」
レミリアがそう言って、突き出した手の中指を伸ばした。
魔理沙はレミリアの言葉を聞いて不思議そうに首を傾げた。
「三つ、アレは絶対に話さない。こちらが何を言っても返って来るのはイカレたような笑い声だけで、意味のある言葉は発さないし、話しかけてくる事もない」
「お、おい待てよ、レミリア」
レミリアがそう言って、突き出した手の薬指を伸ばした。
と、そこで魔理沙がたまらず制止の声をかけた。動揺も露わな魔理沙と違い、レミリアは落ち着いた様子で魔理沙を見返し、その視線だけで言葉の続きを促した。
「いや、言ってることがおかしいぜ? アレはさっき昼間に出てきたし、短いけど言葉だって話してただろ? うるさいよ、だったけか?」
魔理沙はレミリアの言葉と矛盾する記憶を掘り起こし、そのまま口にした。喋った事に関しては燃え盛る炎の音やレミリアが吹き飛ばされる音のせいで若干自信がなかったが、アレが昼に現れたというのはまず間違いない。何せ今窓を見ればまだ日が残っているのだから。
しかし、レミリアは魔理沙の言葉を聞いて首を横に振る。そして酷く憂鬱な顔で、
「いいえ、おかしくないわ。だってアレが日のある内に出たのは今日が初めてで、言葉を発したのも今日が初めてなんだもの」
「……なん、だって?」
「ついでに言うなら、ここ数日で一月前まで通じていた法則も一つ破れているわ。四つ、アレは連続では出てこない。一度出てくれば短くても二週間、長ければ半年近く出てこない。これが破れたのは昨日の事よ。咲夜が臥せっているのは知ってるでしょう? フランには風邪と伝えてあるけれど本当はアレにやられたのよ、一昨日にね。そして今日も出た、これで三日連続よ。これも今までには無かった事よ」
「……ッ」
魔理沙が目を見開いて絶句する。それを見てレミリアの顔に気遣うような色が浮かぶ。確信に近い嫌な予感が膨らむ。三日、その数字に魔理沙は心当たりが有る。まさか、まさか……
「三つよ。一つならともかく五十年安定していた法則が、ここ三日で三つ同時に破られている。これを偶然と考えるのは難しいわ。何か理由があると考えるべきよ。そして、その理由は……」
やめろ、やめてくれ。その先を言うのは……
「さっき解ったわ。フランが結界の張ってある地下を出ることで"憑物の症状が急速に悪化した"。アレのイレギュラーな行動と、フランがこれまでに取った事のない行動の時期が完全に一致してるんですもの。これでほぼ間違い無いわ」
「……ッ」
レミリアが断じるように言う。ここまで来れば変に気遣うよりも、ハッキリと言った方がいいと判断しての事だった。何より魔理沙の好奇心の強さを知るレミリアはこれを言っておかないと魔理沙がまた地下に行ってしまいかねないと考えていた。
「わた、私が……」
「……」
「レミリア!! フランは、フランは大丈夫なんだよな!? まだ、まだ……!!」
魔理沙が顔を歪ませて、レミリアに駆け寄り叫んだ。魔理沙がここまで動揺したのは一重に憑物という霊障の悪辣さにある。狐憑きや悪魔憑きに代表される憑物の症状の最終地点というのは、往々にして憑かれた者の完全な乗っ取りという形に辿り着く。憑かれた者の精神を押し潰し、憑物自体の精神が身体の主となる。……つまり、
フランが消えてしまうのだ。しかも身体は動きまわり、彼女に近しい者を殺し回るという最悪の形で。
実の所、魔理沙はレミリアの話を聞きながら、内心ほっとしていた。あのフランは、魔理沙を躊躇なく殺そうとしたフランは彼女自身でなく別物だと聞かされて、どうしようもなく安堵していたのだ。要はその憑物とやらさえ祓ってしまえば全部が元通りになるのだと、そういう風に。
故に全力で考えてもいた。フランに憑いているらしい憑物を、どうすれば祓えるのか。レミリア達ですら正体の掴めないソレへの対策を、まだまだ豊富とは言えぬ魔法の知識を振り絞り、必死で。だからこそ……
「……フランが無事か、フランのままでいてくれているかはまだ解らないわ。ここまで急激にアレが変化したのは初めての事だから。ただ……」
レミリアのその言葉を聞いて魔理沙の表情が揺らぐ、期待と、不安と、その双方に。そして……
「もし次目覚めた時、フランがアレのままだったら私はフランを"処分"しなければならないわ。紅魔館の当主として」
「――――」
息が止まった。
レミリアが何を言ったのか魔理沙は一瞬、本気で理解出来なかった。そして理解してからも動けなかった。だって、だって……
「……」
無言で佇みこちらを見るレミリアはどう見ても本気だったから。冷然とした瞳、厳しく引き結ばれた口元、その顔はあの紅い満月の夜を魔理沙に思い出せるには十分で。
「――ッ何言ってやがんだ!! フランを処分って、そんな、そんな……!!」
「……」
どうにか叫んだ魔理沙の声を聞いてもレミリアは揺らがない。冷たい瞳のままレミリアはただじっと魔理沙を見つめている。それを見て魔理沙は心が諦めていくのを感じた。ああ、駄目だ。こいつはきっと何を言っても……
「フランは、お前の妹だろう!? なのに殺すのか!? あいつは、ただ憑かれただけだってのに!!」
「……」
「考え直してくれよ。あいつは、あいつは……」
「魔理沙」
無駄だと解って、それでも言い募る魔理沙に一言そう呼びかけたレミリアの声を聞いて、魔理沙の肩がビクンと跳ねた。
「貴方が、それを言うの?」
「……ッ」
レミリアの短い問いかけに魔理沙の顔から血の気が引いた。解っていた。自分にそんな事を言う資格が無い事は、だってフランが処分されてしまうとしたら、それは自分のせいなのだから。フランを地下から連れ出した霧雨魔理沙のせいなのだから。自責の念で縮こまってしまった魔理沙にレミリアは更に言葉を連ねる。
「悪いけど、貴方が何を言ってもこの決定は覆らないわ。これまで私達はアレから一度意識を奪う事でどうにか抑えてきたの。これが最後の法則。五つ、アレは一度意識を失うとフランと入れ代わる。他の法則が破れるのはまだいいわ。けどこの法則が破れてしまえば、殺さないように加減してアレを抑えるのはもう無理よ。今までだってギリギリだったのに、吸血鬼の回復力で復活してこられたらこっちに先に限界が来るわ。そしてアレを外に出してしまえば……」
そこでレミリアは言葉を切り、かぶりを振った。そして、肺の奥底から吐いたような重たい溜息をつく。
「とにかく……これで話は全部よ。これまでの事も、これからの事も、これ以上貴方に話すことはないわ。だから……お引取り願えるかしら」
「……嫌だ」
「……もう一度、言って貰える?」
「嫌だって言ったんだ!!」
剣呑な雰囲気で聞き返したレミリアに、魔理沙は半ばやけっぱちでそう叫んだ。
「私のせいでこんな事になって、それで帰れって言われて帰れるか!! フランを、アレを止めるって言うんなら私も手伝う!! これでも腕に覚えはあるんだ。絶対、絶対役に立つ。だから……」
「貴方、紅魔館まで滅ぼす気なの?」
「……あ?」
レミリアの思いがけない言葉を聞いて、魔理沙の口から呆けた声が零れた。
「吸血鬼異変。貴方も知ってるでしょう? 私達が幻想郷に仕掛けた戦争の名は。そして、その結果がどうなったかも」
知っている。
というより、当時まだ生まれていない者を除けば、その異変は齢三つの赤子でも聞いた事があるはずだ。妖怪のモチベーションの低下により怠惰な空気が満ちる幻想郷に降りかかった本物の闘争。弱体化した妖怪達を次々打倒し、傘下に収めていったレミリア・スカーレットの名を幻想郷中に轟かせた近年稀に見る大異変。魔理沙が過度にレミリアを恐れるのも、当時妖怪達の間で鳴り響いたスカーレットデビルの威名が一役買っているのは間違いない。しかし……
「あの異変は私達の敗北で終わった。驕っていたつもりはなかったのだけれど、それでも幻想郷の懐の深さを甘くみてたわ。まさか、あんな化物レベルの妖怪があんなに現存しているなんて、流石に予想外だったわ」
レミリアの言う通り、吸血鬼異変は吸血鬼側の敗北でその幕を閉じた。如何にレミリアが最強種、吸血鬼の末裔であろうとも、所詮は齢千にも満たない若輩者である。神代の時代から存在する幻想郷の本物の強者達には敵わず、最後には自身が頼みにした力業でもって打ち破られたのだ。
「そうして負けた私達はそれでも幻想郷に残ることを望んだわ。他に希望が持てる所もなかったしね。けど、その引換えに私達は幾つもの禁止事項を盛り込んだ契約を結ばされた。まぁ、向こうからすれば当然よね。自身の首元に手を伸ばしかねない強盗を、我が家に迎えるって言うんだから。そして……」
言葉を区切ったレミリアは改めて魔理沙を覗きこんで言う。
「その禁止事項の一つにこうあるわ。紅魔館の者はみだりに幻想郷の人間を殺生してはならない、ってね。ちなみに契約に反した場合下される罰は例外なく紅魔館という勢力の"消滅"よ」
「……!!」
レミリアの語る想像以上に厳しい罰に魔理沙が絶句する。そんな魔理沙にレミリアはたたみ掛けるように言葉を繋ぐ。
「ねぇ魔理沙。私達は今、はっきり言ってボロボロよ。咲夜は動けないし、美鈴は半死半生の有様。パチェも傷こそ塞がってるけど、体力までは回復してないからフラフラの衰弱状態。かく言う私も姿こそ無事を保っているけど、アレの自爆攻撃に巻き込まれてここまで回復するのに相当の魔力を消費してるわ。……解る? アレは、力を増したアレは、一時は幻想郷を席巻した私達を、ここまで一人で追い詰めているのよ。それを相手に魔理沙、貴方は無事であることを約束出来るのかしら? 約束出来ないなら引っ込んでて。だって貴方が紅魔館の一員であるフランに殺されたらなら、他の全員も皆殺しの目に遭うんだから」
そうレミリアは、激する様子もなくただ淡々と語ってみせた。解るわね? と、子供に言い聞かせるように。
魔理沙はそれでも口を開こうとした、言葉にならない意地を、それでもどうにか声に出そうとして。けれど、
『まりさの……』
けれど、
『うらぎりもの』
けれど……
「…………解った、帰る。我侭言って悪かった、レミリア」
フランの最後の言葉を思い出し、魔理沙の意地が吸い込まれる様に消えた。心が折れた。だって私はもうフランにすら、きっと必要とされていないのだから。
「謝らなくていいわ。貴方の行動も、手伝うという申し出も、フランと私達を思ってのものだというのは解ってるから。……ありがとね、魔理沙」
そう言ってレミリアは魔理沙がこれまで見たこともないほど優しく微笑んで、魔理沙の肩を叩き、小悪魔を呼んだ。魔理沙を見送らせる為に。
すごすごと肩を落とし立ち去る魔理沙は、悪魔と呼ばれるレミリアをして同情を禁じ得ない程哀れな面持ちだったが、しかし、同時にレミリアの中に確信も与えていた。これで良かったのだと。
「これで良かったの?」
そう、門から飛び立った魔理沙を窓から見下ろしていたレミリアに声をかけたのは、部屋の戸口に立つパチュリーだった。心中を見透かしたかのような言葉に苦笑するレミリアの背中に、パチュリーは言葉を続ける。
「魔理沙なら、アレ相手でも間違いなく戦力になったわよ。日頃一番魔理沙の相手をしている私の、これは確信。契約の方も、事情を鑑みず皆殺しなんてそこまで極端な事は言ってなかったと思ったけど。特に、実際に契約を結んだ妖怪の賢者さんとやらは当人が納得ずくの状況にペナルティを科すほど話の解らない人には思えなかったわ」
語尾にコホコホと咳を乗せて、いつもより青白い顔色のパチュリーは小さな親友に確認するように静々と語る。
そんなパチュリーに、レミリアは背中を向けたまま口を開く。
「ねぇパチェ、私達って友達よね?」
「……ここで軽口を交えて否定しても、縁が切れない程度にはね」
「ふふ、そうね。その通りだわ」
レミリアは軽く笑って、じゃあ、と言葉を続ける。
「貴方は、フランとは友達だった?」
「……違うわね」
こちらを向かないレミリアの言葉を聞いて、パチュリーは眉根を寄せて険を露わにした。
「だった、じゃないわ。今も妹様は……フランは私の友達よ。監禁し続けて、向こうもそう思ってくれているか考えると悲しくなる程度には」
「……そうね。それはきっと咲夜もそう。けどね、知ってた? それって私がお膳立てした上での結果だって」
背後で軽く息を飲む気配を感じながら、レミリアは昔を思い出すように目を閉じて語る。
「私がフランに会わせるのはいつだって力の有る者だけだった。アレの事もあるけど、それがなくともあの子は不安定なところがあったから、何か間違いが起きても自力でどうにか出来そうな者だけあの子に会わせていたの。そうしないとあの子はきっと友達を、友達になる前に壊してしまうと思っていたから。けど……」
こつりと、窓に額を押し当て、儚く優しく微笑んで、
「違ったのね。あの子はちゃんと自分で友達を作れていた。特異な力も持たない、ちょっと魔法をかじっただけの、か弱い人間の友達を。私の手なんか借りなくても」
「……」
「壊させてなんかやらないわ。フランの身体でフランの力で、魔理沙を、あの子が作った初めての友達を、壊させてなんかやるもんですか。そんな運命は認めないわ。レミリア・スカーレットの名に掛けて、絶対に。だから、」
これで良かったのよ。そう言って振り返ったレミリアは、もういつものレミリアだった。振り返る前、肩を微かに振るわせて、未だ頬を濡らしているのに。
それを見てパチュリーは悟った。レミリアには、もう見えてしまっているのだ。フランのこの先がどのように転じるのか、その運命が。
「……レミィ、私が紅魔館に来た時の事、覚えてる?」
「ん? ええ、覚えてるわよ。あの時のパチェは随分可愛らしかったわね」
「否定したいのだけれど、そうだったんでしょうね」
からかうように言うレミリアに歩み寄りつつ、パチュリーは顔をしかめて答える。
パチュリーが紅魔館に訪れたのは、およそ九十年程前、パチュリーの歳が今の魔理沙と同じぐらいという範囲で括れる時だった。そして、その来訪は決して幸運とは呼べぬものだった。というより、来訪という言葉がまず間違い。パチュリーのそれは避難と呼ぶのが相応しいものだった。
――魔女狩り。
この言葉を聞けば、大抵の者は中世の世を思い浮かべるだろうが、さにあらず。魔女を追い立て、狩り落す勢力というのは彼女達を目の敵にする神職者を筆頭に現存している。パチュリーを、風の噂程度に聞いた悪魔の屋敷を頼らせるほど追い詰めたのも、そんな魔女狩りの勢力の一つだった。魔女狩りに追われ、首元にかかった刃が引かれる前に紅魔館に辿り着いたパチュリーは、それでも酷く怯えていた。無理もない話である。如何に生粋の魔法使いとはいえ、まだ子供と呼べる年齢と見た目のパチュリーが本気で殺す気の追手に追い回されたのだ。その恐怖が早々癒えるはずもない。いや、それ以前に避難先として頼ったこの屋敷は本当に安全なのか? 魔女狩りの連中に落とされたりはしないだろうか? もっと言うならあの吸血鬼は信頼出来るのか? 今、パチュリーが居る部屋の外で、どうやって自分から血を絞り出そうか相談しているのではないか?
……冷静に考えるなら、前者はともかく後者は否定出来そうなものだが、生きるか死ぬかの逃避行ですっかり疑心暗鬼になってしまったパチュリーにはどちらも有り得るように思える本当の恐怖だった。故にパチュリーは震えていた。わざわざ部屋の隅っこに寄って毛布を被りガタガタと、地下ではあるけど決して寒くはないはずの部屋の中で。……と、
『こんにちわー、ええとパチュリーちゃーん? 一緒にお茶でも、ってなんで震えてるの!? 大丈夫!? 寒いの!?』
『ふえ? え、え?』
『あわわわ、熱は無いみたいだけど……ええい、とりあえず暖炉つけるよ!! それにこんなとこで寝てちゃ駄目だよ!! 具合が悪いならちゃんとベットで寝てないと!!』
『え、え、え?』
紅茶のポット片手に現れた金髪の吸血鬼にあれよあれよという間に手を引かれ、ベットに放り込まれたパチュリーはその後勘違いの看病ごっこに一日付き合わされる事となった。暖かくしてないと喘息酷くなるよ? などと言われた時にはよっぽど突っ込んでやろうかと思いもしたが、結局パチュリーがそれをする事はなかった。だって、勘違いで自分を心配してクルクルとよく動くその子を見るのは楽しくて、どうしてか嬉しくて、抱えていた不安が溶けていくようで。何より――
「あの時私の手を握ってくれたフランの手の温もりは、今でも良く覚えてるわ。信じられるものがなくて、揺らいでいた私を支えてくれたのは、あの手だった。あれがなかったら私、きっとおかしくなってたわ」
「……」
「それもきっと貴方の目論見通りだったんでしょうね、レミィ。フランは優しいから、きっと怯える私を見れば元気づけてくれるって、そう考えたんでしょう? そしてフランが何かおかしな事をしてしまった時は、私の疑心暗鬼は防衛本能としていい具合に働く。考えてみたら丁度いい二人だったわね、私達は」
パチュリーは無言のレミリアに取り合わず、くすくすと笑い、けどね、と言葉を繋ぐ。
「どれだけ貴方がお膳立てしようとも、あるいは能力で運命に介入していたとしても、あの手の温もりは本物よ。魔法について語り明かした夜も、ワインを飲み過ぎて二人して潰れちゃった夜も、全部全部、ね。そして出会いを仕立て上げた貴方が、私とフランを心配してくれたことも、魔女狩りの連中を追い払う為に戦ってくれた事も」
パチュリーはそう言ってレミリアの手を取る。かつてフランがそうしてくれたように小さなその手を温かく包む。
「だから貴方達姉妹は、私の友人で、そして恩人。貴方は私の命を、フランは私の心を守ってくれたわ。だから……」
パチュリーが唾を飲む。喉がカラカラに乾く。けれど言わねばならない、それがきっと二人の小さな吸血鬼にしてあげられる、せめてもの恩返しだから。
「あの地下の魔法陣は私が起動するわ。魔力はもう十分に充填されてるから、私一人でも起動できる。貴方は何もしなくていい」
地下の魔法陣、地脈から吸い上げた魔力を純粋な『日』の属性に変換し、全てを焼き尽くす擬似太陽の術式。
その術式を起動する事が何を意味するか十分に理解して、パチュリーは氷のような覚悟で言葉を吐いた。親友に妹を殺させない為に。親友を姉に殺させない為に。
そんな凛然たる覚悟のパチュリーを目にして、レミリアは悲しそうに笑った。その顔を見て、パチュリーの口元が揺れた。レミリアがどう答えるのか、それだけで解ってしまったから。
「悪いわねパチェ、貴方の気持ちは嬉しいけど、その役目は譲れないわ。だって私は……?」
レミリアが言い掛けた言葉を遮ったのはパチュリーではなかった。それはもっと純粋な自然現象、初めはカタカタと窓を揺らす程度、次いでガタガタと机を揺らす程度、そして最後にはゴゥゴゥと紅魔館を揺らがす程の……
「地震……? けど、何か……?」
「……ッ!!」
「パチェ!?」
ただの地震にしては何か違和感を覚える揺れにレミリアが戸惑っていると、パチュリーが突如として駆け出した。
扉を蹴破る勢いで押し開き、廊下を飛翔術でかっ飛ばす。咄嗟についていったレミリアがうっかり振り切られそうになる程の速力だった。
「パチェ、一体どうしたのよ!?」
「地下の魔法陣が……!!」
「ッ!!」
パチュリーの息苦しそうな短い返事。それを聞いてレミリアの顔に驚きが走る。地下の魔法陣、パチュリーの表情を見るにそれに何かただならぬ事が起こっているらしい。そして今、地下の魔法陣に干渉し得るのは……
「……地下には私が行く!! パチェ、貴方はそこで待ってなさい!!」
「な、レミィ待……」
レミリアがパチュリーを追い越す。制止しようとしたパチュリーを吸血鬼の速力で振り切り地下に急行する。まさか、まさかと、不安を胸に抱えて。
………………
…………
……
Ten little Indian boys went out to dine♪
One choked his little self and then there were nine♪
ズルリ、ズルリと辛うじて人型を保っている人影が、暗い廊下で蠢いている。己の血で濡れた掌をピチャリピチャリと滑らせ、何かを廊下に描いている。ふと耳を澄ませば、辺りに響いている歌声もその人影から響いてくるようだった。
Nine little Indian boys sat up very late♪
One overslept himself and then there were eight♪
血の朱色が伸びる伸びる。マザーグースのリズムに乗せて、幾何学模様を走らせる。
人影は思い出していた。親しい友人だった魔法使いの少女に教えられ、自ら編み出した魔法の事を。
Eight little Indian boys travelling in Devon♪
One said he'd stay there and then there were seven♪
信じていたのだ。その魔法さえ成功すれば、自分を変えられると。暗い地下に押し込められる化物ではなくなるのだと。
Seven little Indian boys chopping up sticks♪
One chopped himself in half and then there were six♪
結局、そんな事はなかったのだけれど。どころか悲鳴を上げられ、尚の事疎まれてしまった。アイツに心酔し、私を憎悪していた彼女を、血に濡れた私を見て、追い出してやると言った彼女を私はどうしたのだったか。
Six little Indian boys playing with a hive♪
A bumblebee stung one and then there were five♪
その魔法の事は誰にも話していない。姉だった人にも、友だった人にも、先生だった人にも、人じゃないコウモリにも。
まぁ、尋ねられる事がそもそもなかったのだけれど。
Five little Indian boys going in for law♪
One got in Chancery and then there were four♪
歌が半分を過ぎる。あの日も確か私はこの歌を口ずさんでいた。
どこか不気味な歌詞なのに、変に陽気なこの歌を私は気に入っていた。あるいはこの歌こそが私の呪文なのかもしれない。
Four little Indian boys going out to sea♪
A red herring swallowed one and then there were three♪
紡ぐ紡ぐ、魔法の式を、
Three little Indian boys walking in the zoo♪
A big bear hugged one and then there were two♪
歌う歌う、魔法の歌を、
そうして出来上がった魔法陣に私は思い切り血をぶち撒けた。
さぁ、祝詞を唱えよう。私の誕生日はまだ終わってはいないのだから。
Two Little Indian boys sitting in the sun♪
One got frizzled up and then there was one♪
そう、バースデーパーティーはこれからだ。
One little Indian boy left all alone♪
He went out and hanged himself and...
「そして誰も、いなくなった♪」
then there were none♪
ごぉんと魔法陣が煌めき、辺りが悲鳴を上げるように揺れ始めた。
宴はまだまだ終わらない。だぁれもいなくなるまで終わらない。けど、まぁ手始めは、
「待っててね、魔理沙♪ アハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
狂笑に紅魔館が揺れた。
………………
…………
……
「んで、あんたは何で不機嫌そうに私の隣に座ってるわけ?」
「……」
その問いを博麗霊夢が発したのは実の所六回目だった。
そして、六回繰り返されたということは、その内五回は返答がなかったという事でもある。というより、答えようがなかったのだ。魔理沙自身、何故自分が今、博麗神社の軒先で霊夢の隣に座っているのか理解出来ていなかったのだから。
それはほとんど無意識で行われたと言っていい。小悪魔の危惧通り、フラフラといつ墜落してもおかしくないような危なっかしい軌道で飛んでいた魔理沙は、気が付けば博麗神社の鳥居の下に降り立ち、気が付けば幽鬼のようにさまよい歩き、お茶を片手に目を丸くしてこちらを見ていた霊夢の隣に腰掛けたのだった。おかしい、自分は確かに自宅に向かっていたはずなのに。
「……」
「おーい魔理沙ー? コソ泥キノコマニアのなんちゃって魔法使いー?」
「誰がなんちゃって魔法使いだ!!」
「おお、応えた。ていうか、否定する所はまずそこなのね」
反応が無い事にいい加減嫌気が差していた霊夢の暴言を聞いて、魔理沙が立ち上がり指を突き付け叫んだ。魔理沙の反応に気を良くした霊夢は勝利の美酒の代わりに茶を啜り、満足そうに笑う。そんな霊夢を見て、魔理沙は何かこう、とにかく何か叫びたいような衝動に駆られたがどうにか堪え、再び霊夢の隣に腰を下ろした。
「……人が珍しく落ち込んでるんだから、もう少し気遣ってくれてもいいんじゃないか?」
「気遣えっていうなら、まずあんたが気遣いなさい。人の憩いの一時にいきなり乱入して来てそのまま無言って、私のお茶の時間に混ぜて欲しいならお賽銭か面白い話を持って来なさい」
魔理沙の不貞腐れたような言葉にも全く動じず、霊夢はいつも通り茶を啜る。その姿はもはや堂に入っているとかそういうレベルでなく、どこか神々しさすら感じられた。そんな霊夢の姿に魔理沙はふん、と鼻を鳴らして、それから賽銭箱に向けて硬貨を一枚投げ入れた。チャリンという音が響いたので、驚いた事に先客が居たらしい。
「……まりさ?」
「なんだよ?」
「あんた、本当に魔理沙? 狸とかが化けてるんじゃないでしょうね?」
「なんだよそれ? 私は正真正銘、本物の霧雨魔理沙だぜ?」
と言いつつも、魔理沙は霊夢が驚いてこちらを見るのも仕方ないなと思っていた。なにせ自分が博麗神社で賽銭を入れるなどというのは……前の最後がいつだったか、ちょっと思い出せないほどの珍事である。いや、そもそも"前"があったかどうかがまず怪しい。
ただ……
「今の私じゃ面白い話は出来ないからな。仕方ない」
「ん……」
魔理沙のその言葉に霊夢は今度は茶化すような事は言わなかった。それが功を奏したのか、重かった魔理沙の口がするすると言葉を紡ぎ出す。
「……最初は、何とかしたいと思っただけだったんだ。何とかしてやれるとも思ったし」
魔理沙は会ったばかりのフランの事を思い出す。弾むように笑っていた、無邪気な吸血鬼の事を。
「そんで一日遊んで、思った以上に気が合って……ああ、そうか。あいつがどうとか以前に、私は、私があいつに会うのが楽しみになってたんだ」
思い出したのは机上の夢、甘いココアに誘われ、フランと幻想郷中で遊んだ楽しい夢。
「次に会った時、あいつは変に懐いてきて、でもなんか嫌な気はしなくて。代わりにちょっと気になった。何がっていうのは言えないけど、何か変だなっていうのは感じたんだ。まぁ、それが何なのかは後で……?」
そこで魔理沙は言葉を切った。ふと引っかかる、もし私がフランに感じていた違和感がアレのせいだとしたら、私はどうしてそれに気付かなかったんだろう? 妖怪だの何だのに憑かれているのなら気付けてもおかしくないのに。一瞬、そんな疑念を覚えて口を止めた魔理沙だったが、それも追憶の波に飲まれてさっと消える。
「まぁとにかく、そんな感じであいつと遊ぶのは面白くて……違和感だの何だの、そんなの大して気にならなくて。そんで……」
『まりさ……まりさはちがうよね? まりさは……まりさは……』
「――――」
魔理沙が目を見開いた。息が止まる。一瞬脳でさえも思考を止める。
気付いた。あれは、あの時の言葉はきっとフランのものだったのだ。あの時伸ばされた手は、きっと魔理沙に助けを求めるものだったのだ。そして、私はそれを……
(ああ、そうか……)
魔理沙の顔がくしゃりと歪む。
「私は、友達を裏切ったんだ。恐怖に負けて、手を振り払っちまったんだ。レミリアに負けてからずっと、それにだけは負けたくないって思ってたのに」
そうだ、気付けたはずだった。だって私にミニ八卦炉を向けられて、フランは、フランは、
『……まりさも、なの?』
泣いて、いたじゃないか。あの時確かに自分は間違ったのだ。武器を向けるのでなく、手を差し伸べていれば、食われかけていたフランは元に戻っていたかもしれないのに。
そして、間違いに気付いても挽回するチャンスはもうない。魔理沙にはもう、
「あいつに、してやれることがない。私は……結局、あいつに何もしてやれなかった。何も、出来なかったんだ」
魔理沙の視界が歪む、ポツリポツリと彼女の膝に雫が落ちる。
何も出来ない、そんな無力感が魔理沙を包む。もうフランは帰ってこないのではないか、そんな絶望感が魔理沙に満ちる。
涙が流れる。人目を憚らず泣くなど家を出て以来なかったことなのに。魔理沙は言葉もなくただただ静かに嗚咽を漏らす。
……と、
「ふむ……フランに会ったか。ようやくね」
「……ぁ?」
魔理沙が顔を上げた。自身の膝しか映っていたなかった魔理沙の目に霊夢の横顔が映る。そう、霊夢は魔理沙の方を見てはいなかった。彼女が見ているのは空だった。魔理沙が降りてきた方角の。その先には当然のことながら紅魔館があり……
「なに驚いてるのよ? 私はフランに会ったことあるって聞いてなかった?」
「え、あ……いや、聞いてるけど……」
レミリアが言っていた、フランのお祓いを霊夢に頼んだと。その前にも誰かに聞いた気がするが……いや待て、重要なのはそこじゃない。今こいつは……
「……ようやく?」
「そ。ようやく、よ。慣れないことはするもんじゃないわね。随分、時間がかかったわ」
「??」
霊夢の言葉に魔理沙は涙を拭うことも忘れて首を傾げる。何だ? こいつは何を言ってるんだ?
「ねぇ魔理沙、これはまぁ間違いないと思うんだけど、あんたが紅魔館の地下に行ったのって宝探しが理由じゃなかった?」
「……!!」
魔理沙の困惑した顔が図星を突かれてぎょっとした顔に変わる。そうだ、ここ最近すっかり忘れていたが自分は確かそういう理由で地下に行ったはずだ。
魔理沙の反応に気を良くしたのか、霊夢は得意げな顔で魔理沙を覗きこみニヤリと笑う。
「当たりね。でもさ、気付かない魔理沙? あんたって吸血鬼の屋敷だからって、"宝物があるなんて思い込むような素直な性格してた"?」
霊夢の指摘を受けて魔理沙はパチパチと瞬きを繰り返した。次いで気付く、確かにその通りだったと。
冒険小説のような宝探しに憧れてやまない魔理沙であるが、しかしそれ故と言うか何というか、現実という奴がそんなに都合良くいかないことには人一倍の理解があった。何となれば、偽の宝の地図のおかげで無駄骨を折ったなどという経験は一度や二度ではない。
なのに何故紅魔館の地下に限ってはそういう疑念を持たなかった? 魔理沙は考え記憶を辿る。その追憶はフランとの出会いを越え、隠し階段の発見以前に遡り……
「……あ。ああ!!」
叫んだ。思い出した。そうだ、あらかじめ聞いていたのだ。紅魔館の地下には宝があるらしいと、その物ズバリではなかったがその事を仄めかすようにそれとなく。その事を知っていてもおかしくない、紅魔館当主お気に入りの紅白から!!
「れ、霊夢お前……」
「ねぇ魔理沙、さっきのお賽銭だけどさ。やっぱりあれっぽっちじゃ足りないわ。最近、うちってば繁盛してるからねー」
呆然とした魔理沙の言葉を遮り、霊夢は気持ちよさそうに背筋を反らして、だからさ、と言葉を繋ぐ。
「面白い話、してみなさいよ。あんたが面白く無いって思ってても、私にとっては面白いと思うわよ、きっと。その代わりに……」
私はあんたに何が出来るか教えて上げる。
楽園の素敵な巫女は、運命にすら囚われぬ博麗の巫女は、そう言って不敵に笑った。
………………
…………
……
地獄のような光景だと、レミリアは思った。
素敵な素敵な世界だと、ソレは思った。
レミリアが全速力で地下四階に飛び込んだ時、事はすでに終わっていた。昔懐かしい『外』に居た頃と変わらない面々で食事を取った大食堂、今やその穏やかな記憶を想起するのが難しいほどに、そこは朽ち果てていた。縦横無尽にヒビが走りあちこち崩れてしまっている壁、床は波打ち歪み、天井から崩れてきた岩塊が幾つもめり込んでいる。レミリアとしては認めたくなかったが、岩塊の内一つが潰してしまっているのは皆で食事をとっていた食卓に違いない。
けれど、レミリアに嘆いている暇は与えられなかった。何故なら……
「One little Indian boy left all alone♪」
歌が聞こえてくる。大食堂の奥、崩れてしまった扉のその奥の廊下から、陽気なリズムが聞こえてくる。けれど、それは有り得ぬはずの事だった。この地下四階に居るただ一人の人物は、到底動けるような状態ではなかったから。如何に超絶的な回復力を持とうとも一週間はまともに動けぬはずの傷だったから。しかし……
「He went out and hanged himself and...」
ならばふらりと現れた人影……フランドール・スカーレットの姿はなんなのだろう? 呑気に歌など歌っているその姿には傷の痛みを堪えている様子は微塵もない。そもそも自爆によって火傷を負っていたはずの玉の肌が常の如き滑らかさを取り戻していた。
「フラン……」
レミリアが思わず妹の名を呟く。本来ならその声には妹の思わぬ回復を喜ぶ色が混じるはずだったが、今のレミリアの声にはむしろ不安そうな色が目立った。
"思わぬ"回復。ここ数日、この思わぬという言葉には苦い思いばかりさせられていたから。
「then there were none♪♪」
歌が終わった。最後の一節を歌い終わると同時、両腕を大きく広げフランは楽しそうに笑った。その笑みはレミリアが最も親しんだ笑みだった。愛する妹の、最も見慣れた表情だった。しかし、それ故にレミリアは悟った。ああ、コイツは、アレは……
「あらお姉様、こんな所でどうしたの? 私のお見舞いだったら……」
「私を姉と呼ぶな、下郎」
レミリアの叩き斬るような言葉を聞いて、フランの笑顔が彫像のように固まった。しかし何故だろう、動いていないはずなのに何かが変わった様に見えるのは。
「お前がどの程度フランの事を把握しているか知らんが、一つだけ教えてやる。私の妹はな、ここが、私達が揃って談笑した場所がこんな有様になっているのを見て、笑えるような性格はしてないんだよ。どうせ演技するなら、もっと上手くやれ。それじゃ笑えもしないんだよ、三流役者が」
「……」
口調すらガラリと変え、敵意を声音に変えて語るレミリア。言葉だけで相手を切り刻ざもうとする意志の具現を向けられ、フランは……
「ァハ」
否、ソレは……
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
嗤う、嗤う、嗤う。
日向のようだった笑みをかち割り、地の底から吹き出すマグマのような嗤いを噴出させた。……レミリアが、誰にも解らないほど小さな嗚咽を漏らす。
「なーんだ残念!! お見舞い嬉しいなって飛びついて、コレブッ刺してやろうと思ってたのに。残念残念、読み違えちゃった」
言って、フランが右手を一振りすると、手品のように捩れた魔杖が現れる。それを見てもレミリアはもう動じない。フランなら有り得ぬその笑いを見て、すでに意識を切り替えている。それにまだ目はある。事態を無事に済ます目は。アレが言葉を解する存在ならば……
「提案がある」
「……ん?」
レミリアの静かな、けれど確かな威厳を持って響いた声を聞いて、ソレはきょとんとして首を傾げた。フランの面影を残すその仕草にレミリアは思わず舌打ちしそうになるが、どうにか抑えて言葉を続ける。
「お前が何故フランに憑いているかは知らないが、何か目的があってのことなんだろう? その目的を、私達紅魔館一党が請け負い果たしてみせよう。その代わり、お前はフランを開放しろ」
「……」
魔理沙がフランを地下から連れ出した事は、意図せぬとはいえ様々な弊害をレミリア達にもたらしたが、しかしたった一つだけ確かな恩恵も与えていた。それはアレが会話が出来るようになったという点である。会話が出来るという事は、つまり交渉が出来るということである。これまでは試し用もなかった新たなアプローチ、それはこれまでろくに解決策を見い出せず歯噛みしていたレミリアが待ち望んでいたものであった。……ただ、
「ふ、」
「……?」
「ふふ、ふふ、ふふふ、そうだろうとは思ってたけど……ふふ、ふふふふふ」
くつくつと、いつものイカレた笑いではなく、何か含んだような陰鬱な笑い。それを聞いてレミリアの眉が訝しげに顰められる。そして、そんなレミリアを尻目にソレは一くさり不気味な笑みを零した後、それまでの陰鬱さが嘘のように明るく笑い答えた。
「えっとね、"お姉様"の提案なんだけど、却下です。だって、私の目的って、とりあえず紅魔館の人達の皆殺しだし。あ、自殺してもダメだよ? 私が壊さないとつまんないもん」
「……」
朗らかな笑みで告げられた答えにレミリアは小さな溜息一つで微かな落胆を吐き出した。
予想は出来ていた決裂だった。幾ら言葉を話すようになったとはいえ、元はあくまで無差別に破壊の限りを尽くしたアレなのだ。その目的が理性的なものである可能性は極めて低かった。
もはやこれまでかと、答えを聞いたレミリアは諦念に駆られその手に力を込め……
「ただね」
「……?」
「私のお願いを一個聞いてくれたら、ちょっとだけ譲歩してあげてもいいよ?」
「……なんだ?」
「魔理沙を私のところに連れてきて。そしたら貴方達を壊すのは後にしてあげる。地上なら壊せる物は他にもいっぱいあるだろうし」
「――――」
相変わらずニコニコと笑うソレの提案に、レミリアの思考が一瞬停滞する。
目の前のソレが理解不能な事も甚だしい存在であるのは理解していたが、その提案は流石に予想外過ぎた。思えば確かに不可解だった。美鈴を巻き込み自爆する前、アレが見せた魔理沙への執着は。とはいえ……
「どう? 地上って広いんでしょ? そこで魔理沙を探すのは大変そうだから、頷いてくれると嬉しいんだけど♪」
フランの笑みにほんの一滴、波紋が広がる。
ほんの僅かな変化ではあったが、それはワインに混ざった泥のように侵食し微笑みの持つ意味を変える。魔理沙を破壊するその時に思いを馳せ、喜悦に歪んだその笑顔はどこか禍々しく艶めいて、皮肉なことにフラン本来の笑みより余程悪魔に似つかわしい笑みだった。
そんな笑みに対するレミリアの返答は言葉ではなかった。ただ、真っ直ぐ右手をフランに向けて伸ばした。緩やかな動作だったが、それを行ったレミリアの目に宿る光を見れば、その意志は容易く察せられる。つまり、巫山戯るな、と。
「……ふーん、そっか。楽しみを後にとっておくのも嫌いじゃないんだけど。そっかそっか」
饒舌に語るソレとは対照的に、レミリアはもはや言葉を発しない。かつてのソレのように、ただただ行動を以って己を語る。刹那、脳裏をよぎったのはフランと過ごした記憶。かつてフランは星が見たいと言って泣いていた。そんなフランに、私は、私は……
『本当は……私にこんな事を言う資格はないのでしょうね。けど、けどね、どうか信じてフラン、それは……』
今はもう、信じては貰えないのだろう。けれど、けれど……
『貴方のことが、大好きだから』
だからこそ……
(私は貴方を絶対に止める。貴方に……世界を壊させたりはしない)
歯に罅が入るほど強く食いしばり、レミリアは溢れる感情を押し込め手に魔法陣の鍵を握る。鍵と言っても物理的なものではなく、ただ魔法陣を起動する為の術式であるが、レミリアは確かにその重みを感じ取った。それを起動すれば全てが終わる。終わってしまう。その事を理解し、忌避し、それでも――
「フラン、ごめんね……ッ」
カチリ、とレミリアの手の中で音が鳴る。もたらされるであろう喪失に反してあまりに軽い音。その結果を確かめる為、レミリアは思わず閉じてしまっていた目を開け……
「……な」
「ざーんねん♪♪」
地下四階で唯一の階段、その直下を除いて全て焼き尽くされるはずの大食堂が何一つ変わらない姿でレミリアの眼前に現れる。そしてその中央で、紅い紅い、滴る血のように紅い口で笑っているのは……
「あの魔法陣は私が食べちゃいました♪」
「……!!」
ソレの言葉にレミリアが目を見開く。
そうだ、そう言えば目の前のコイツは、そもそもどうやって回復したのだ? あの瀕死の有様から回復するには吸血鬼とはいえ莫大な魔力が――
「さぁ、お姉様」
「……ッ!!」
思考が中断される。アレがこちらに掌を向けている。奇しくも先程のレミリアと同じ動作。そして、その結果がもたらす破壊的な結果もまた……
「私と一緒に遊びましょう♪」
掌から魔弾の赤光が放たれる、暗い地下室に爆音が響く。
終わらない。宴はまだまだ終わらない。
………………
…………
……
「放しなさい魔理沙!! 今はあんたの悪巫山戯に付き合ってる暇はないの!! レミィが、レミィが……!!」
「……」
「……ッ放せ!! 馬鹿魔理沙!!」
「「「っていうか、こっちを無視するなーー!!」」」
かつてない危機が水面下で進行する紅魔館で、いつもと変わらぬような騒がしさを保っているのは箒に乗った霧雨魔理沙とその魔理沙の小脇に抱えられたパチュリー、そしてその二人を追跡する妖精メイドの一団だった。もっとも、必死で叫ぶパチュリーの表情や無言で箒を駆る魔理沙、更にはパチュリーを気遣い弾幕を撃てないメイド達など細かな違いはあったが。……と、そんな細かな差異の一つ、真面目な顔で箒を駆っていた魔理沙が、叫ぶパチュリーの必死さに折れたようにようやく口を開いた。
「パチュリー」
「……ッ、ようやく話を聞く気になった? なら……!!」
「今のお前が行って、役に立つのか?」
「な……」
魔理沙の冷たい声での指摘に言葉を失くす。しかし、その指摘はもっともで、そもそもパチュリーが今魔理沙に抱えられているのは、レミリアに追いつこうと飛翔術の速度を上げたところ、それまでの無茶が祟って貧血で倒れていたところを発見されたからなのだ。ただでさえ、ひ弱なパチュリーがここまで弱っていてアレに対抗出来るとは魔理沙でなくとも思えないだろう。しかし……
「……ッ立つわ!! 役に立つ!! 声が出せるなら、あの魔法陣が役に立たなくなったって伝える事は出来る!!」
「……あの魔法陣?」
魔理沙の訝しげな声に答えるべきかどうか、パチュリーは一瞬逡巡した。
しかし、何故か自分を放してくれない魔理沙を説得するには、現状の危険性を理解させるのが一番早いと判断し、最小限の言葉を選んで叫ぶ。
「地下には最悪アレをフランごと退治する為の魔法陣が敷いてあるの。吸血鬼の弱点である『日』の属性の巨大術式が。その魔法陣が破壊された……ううん、反転させられたの!!」
「反転?」
「そう!!」
話に気を取られて手を緩めないかと、子供の魔理沙の手を振りほどけないほどか弱くもがきつつパチュリーは話を続ける。
「月の光っていうのは元は日光、太陽の光よ。日光を星として魔力を持った月が反射し、反転させることで、吸血鬼の弱点から、むしろ力の源になる月光へと変化している。それと同じ要領で『日』の属性の魔法陣を『月』の属性の魔法陣へと反転させられた……!! あれじゃ退治どころか吸血鬼の身体を持っているアレを回復させかねない。……いいえ、きっともう回復してる。じゃないとわざわざ魔法陣を反転させる意味がない!!」
言葉の後半はもはや悲鳴に近かった。自分で口にした、恐らくは現実になっている可能性。それはつまり……
(レミィは今、一人でアレと対峙しているってことになる。これまで四人がかりでどうにか抑えてきたアレを相手に一人で。幾らレミィがフランの能力を防げるとはいえ、そんなの分が悪過ぎる……!!)
解っている。魔理沙に言われるまでもなく今の自分が役立たずだということぐらい。アレに負わされた傷のせいで自分の体調は過去最悪と言っていい状態であるし、何より肝心要の魔力が美鈴の治療で枯渇してしまっている。でなければ流石に飛んでいる最中に気絶などという無様は晒さない。……そう、あれは本当に酷い傷だった。四肢は千切れかかって、辛うじてくっついているだけの状態だったし、肌も焼死体かと思うほど焼け焦げていて……!!
紅魔の同胞の凄惨な姿を思い出し、パチュリーは喉が干上がるのを自覚して唾を飲み込む。怯えずにはいられない、動揺せずにはいられない、なにせ今また別の友人がそんな目に合いかねないのだ。猫の手でもいい、助けにいかねば。一発ぐらいなら自分の貧弱な身体でも弾除けにはなる。なのに、なのに――!!
「そうか。なら急がないとな――!!」
「急ぐんなら私の事は放しなさい!!」
何故こいつは私を放してくれないのか!! このままでは、フランがレミィを、最悪でもレミィがフランを殺すなどという事になりかねないのに!! というか急ぐってそもそもこいつはどこに……!?
「お前……!!」
思考が僅かにレミリア達の事から逸れて、パチュリーはようやく気付いた。魔理沙が向かっているその先に。そして気付くと同時にパチュリーは一瞬本気で魔理沙に殺意を抱いた。恐らくパチュリーが紅魔館で最も見慣れた廊下、この先にあるのは地下の大図書館――!!
「こ、の……お前!! こんな、こんな時まで盗人の真似事か!! 巫山戯るな、レミィはお前の事だって……!!」
魔理沙が予想通り階段を下り、図書館に飛び込んだ時点でパチュリーの中の何かがキレた。視界がぼやける、貧血で倒れる時の前兆だったが、パチュリーはそれも気に留めなかった。怒鳴り続けなければ自身の怒りで溺死しそうだった。……と、
「私がフランに会ったのは、偶然じゃなかった」
「……?」
ぼやける視界の先で魔理沙が見たことも無い程真剣な顔で呟いた。それがどんな言葉であれ、今更聞く気はなかったパチュリーだったがフランの名前を聞いて反射的に口をつぐんだ。
「いや、ま。偶然な事は偶然何だが、起こるべくして起こった偶然っていうか……そっか、こういうのを運命って言うのかもしれないな」
「……何を、言ってるの?」
パチュリーが戸惑った顔で、魔理沙の独白に疑問の声を投げた。
魔理沙は妖精メイド達を振り切るほど高速で巨大な本棚の間をすり抜けつつ、パチュリーの顔に一瞬だけ視線を向けて微かに笑った。その顔が霊夢に同じ事を言われた時の自分と同じ顔だったから。
魔理沙は思い出す。博麗神社での霊夢との会話を、霊夢が珍しく巫女のように託宣をもたらした事を。
………………
…………
……
『期待してるとこ悪いんだけどさ、私もフランを元に戻す方法っていうのは解らないわ。っていうかそれを知ってたら流石にレミリアに教えてるし』
『……な』
フランと過ごした三日間を洗いざらい話させられて、最初にあっけらかんと霊夢はそう言った。
『お前な、それじゃ私は一体何の為に……』
『ただし!!』
『んむ』
これまで解決の糸口になるかと、出来る限り正確に話そうと努力していた魔理沙の怒気を、霊夢はそう強く言って遮った。
『あんたが知らない事と、気付いてない事を話して上げる事は出来るわ。それが解れば、あんたが自分には何にも出来ないとか言って泣くことは無くなる』
『ぐっ、いや私は泣いてなんか……ええい、もったいぶらず先を言え、先を!!』
霊夢の言葉に自分が結構恥ずかしい姿を晒していた事を思い出した魔理沙が、顔を赤くして先を急かした。霊夢も別段魔理沙をからかう意図はなかったのか、あっさりその先を口にした。
『まずあんたが知らない、っていうか勘違いしてる事。レミリア達がアレって呼んでるのは……"憑物の類じゃないわ"。もっと別の何かよ』
『……は』
あまりに驚きな事をあっさり言われ、魔理沙の口から呼気が抜けた。驚きのあまり声でなく、本当にただの空気が抜けて出た。
『これってレミリアにも言ってはいるんだけどねー。あのお嬢様、頑固だから納得してくれないのよ。っていうか、私が適当なこと言ってはぐらかしてると思ってるみたい。この話すると角生やして怒るし』
やー困った困った、と嘯く霊夢に魔理沙はまだ開いた口が塞がらない。何せ霊夢が言っているのは、これまでの全てを根っこからひっくり返しかねない話である。天地が逆さに返ったような驚きに魔理沙はしばし呆然とし……それから正気に戻った魔理沙は当然ながらこう聞いた。
『お前、それは、何を根拠にそう言ってるんだ?』
実際レミリアの憑物説には確かな説得力があった。フランの狂乱の有様は何かがフランと取って代わったとしか思えなかったし、血で描かれた魔法陣などの根拠もあった。故に、この説をひっくり返すには相当確かな根拠が必要なはずなのだが……
『決まってるでしょ、勘よ』
『……はぁ、やっぱりそれか』
魔理沙は溜息を付く。ただしそれは、恐らくそれも言われたはずのレミリアがついたであろう物とは違い、諦念と共にある種の納得を含んでいた。そうか、それなら根拠なく気付いても仕方ない、と。この辺の物分かりの良さは魔理沙の霊夢との長い付き合いが物を言っている。
博麗霊夢の勘というやつは常人のそれとは一線を画す代物である。霊夢に迫る危機や好機、或いは知りたいと思っている事を例外なく察知できる訳ではないのだが、しかしその反面その勘という奴が働いた時の的中率は、間違いなく九割を越え十割に迫る高さを誇っている。
そこまでの精度を持つのなら、これはもう霊夢の勘というのは『勘』と呼んでいるだけの何らかの能力で、稀にある外れは見間違えや空耳などの誤認識に当たる何かだと考える方が理に適っている。……というのが魔理沙の魔法使いとしての見解なのだが、霊夢との付き合いの短いレミリアならその精度を知らずにはぐらかされている、と考えても不思議は無い。
故に魔理沙は続けて霊夢に問う、レミリアが霊夢の勘の的中率を知れば必ず問うたはずの事を。
『じゃあ、アレっていうのは一体何なんだ?』
『さぁ、それは解んないわ。私が解るのはアレが憑物でないって事だけよ。一回フランの方と弾幕ごっこしただけだけど、それだけは確か』
『……そうか』
舌打ちを堪えるのに苦労した。霊夢の勘と言うやつは知りたいこと全てを知れるほど都合のいい代物ではない。それは解っている。けれどそのあっけらかんとした言い様が少しだけ癇に障った。レミリアも、自分も、こんなにも真剣なのに、この巫女はいつもと変わらずふわふわと浮いている。その事に魔理沙は八つ当たりと解っていても止められぬ苦言を言おうと……
『だから、さ』
その悲しげな霊夢の呟きに、魔理沙の燠火のような憤りが消えた。
『私はフランと会うのが嫌いなのよね。私は博麗の巫女だから、相手が憑物でないなら何もして上げられる事がないのよ。私が妖怪相手に出来るのは退治する事だけだから、助けるなんてとても、ね』
『――――』
『何よ、その顔は。私だって、あんな子がイカれて暴れ回るっていうのは痛々しいって思うわよ』
拗ねた目でこちらを見る霊夢に、魔理沙は自分が恥ずかしくなると同時にとんでもなく申し訳ない気持ちになった。あと一瞬霊夢の言葉が遅ければ、自分はどれだけ酷い事を言っていたのか考えると冷や汗が出た。
そんな風にらしくもなく萎縮する魔理沙の内心を知ってか知らずか、霊夢は悲しげな様子からいつもの様子に戻って魔理沙から空に目を移した。フランの名前と同じ色に染まる夕暮れの空に。
『……だから、私はあんたをフランに会わせようと思ったのよ。あの子を助けられるとしたら、博麗の巫女じゃなくて普通の魔法使いだと思ったから。まぁ、レミリアにフランの事は口止めされてたから凄い遠回りになったけど。……あのお嬢様、こっちの話もはぐらかしだと思ってるのよね』
『ぶっっっ!! おま、それもレミリアに言ったのか!?』
『言ったわよ。あんたの妹を助けられるとしたら、それは私じゃなくて魔理沙だって』
魔理沙が口を金魚のようにパクパクさせる。そう言えばレミリアの奴がそれを思わせるような事を言っていた気が……いや、というか待て。
『お前、まさか普通の魔法使いがどうたら言う話覚えて……?』
『……何でまさかなのよ。忘れる訳ないでしょうが、あんな面白大宣言』
驚きの連続で動揺していた魔理沙が顔を赤くして羞恥に感情を切り替えた。そう、羞恥。あれは間違いなく恥ずかしい宣言だった。若気の至りここに極まると言った感じの、今なお若い、というか幼い魔理沙も頬を染めるほどの。ただ……
『あんたも覚えてるでしょ。私があんたの夢を何て言ったのかは。だから、ま、頑張ってみなさい。フランの事をどうにか出来たら、きっとあんたは夢に近づけるわよ。その為のヒントぐらいはあげるから……』
だから、頑張れ。
あくまで夕焼け空を見ながら言う霊夢の横顔を見て、魔理沙は口の端が緩むのを止められなかった。何故かと言って霊夢の顔が……まぁ夕日のせいなのだろうが赤く染まって見えたから。
『ん、じゃあそのヒントっていうのを聞かせてくれよ、博麗の巫女様。託宣の内容次第じゃ、また賽銭入れてやってもいいぜ?』
『……言ったわね。いいわ、財布丸ごと賽銭箱に入れたくなるようなのくれてやるから。そうね、まず……気付いてる魔理沙? あんたほど図書館に出入りしてるなら……』
………………
…………
……
「私ぐらい、それこそレミリアのやつが博麗神社に通うぐらい図書館に出入りしてるなら"あの隠し階段を見つけるのは当然"なんだ。あの暖炉はどう見たって怪しいから、目に付けば私なら当然近付いて調べる」
確かにこの広大な地下図書館であんなちっぽけな暖炉を偶然見つける確率はごくごく低い。百分の一か、それとも千分の一か。けれど、それは零と言う訳ではない。ならば、それを当然と語る事に問題はない。単純に確率の問題だ。魔理沙はもう"百回近い数で"この地下図書館を飛び回っているのだから。
百分の一? ならば当たるのは必然。千分の一? それでも魔理沙が図書館を訪れた回数を掛ければ十分の一、運が手伝えば充分過ぎる程当たる目のある確率である。何より魔理沙には未来もある。これから先、魔理沙が地下図書館を訪れるだろう数を考えれば、それが例え万が一を超える確率であっても隠し階段を見つける確率は……フランと魔理沙が出会う確率は十分あったのだ。それが偶々この世界では、運命では、ニ日前に訪れた。一月前か、或いは十年後かに訪れていたであろう出会いが偶々その日に来た。魔理沙とフランの出会いはそういう偶然を交えた必然であったのだ。
「解りにくかったらサイコロを思い浮かべればいい。千面ぐらいあるサイコロの一つの面に、出ればフランに会えるっていう目があるサイコロが、実際に存在する。そのサイコロを振っていいのは一日に一回か、まぁ多くて五回ぐらいっていうルール付きでな。普通に考えれば途方もない話だが……私はそのサイコロを何百回と無自覚に振っていた。ならフランに会うのは当然だろ? ま、ちょっと運が良かったのは否定できんが」
「……」
自身の疑問の答えとして返って来た言葉を聞いて、それでもパチュリーは変わらず困惑した顔だった。魔理沙の言っている事が理解出来なかった訳ではない。ただ、それが……
「それが、どうしたっていうのよ。あんたがフラ……妹様に会ったのが、その隠し階段のせいだったっていうのも、それがある種の必然だったっていうのも解るわ。けど、それが……」
「気付かないか? そのサイコロを振っていたのは、当たりを出すのが当然なのは、私だけじゃないって事に」
「……?」
「もっと言うなら、どうしてお前はあの隠し階段の事を知らなかったんだ? 知らなかったはずだよな? 知ってたらお前はきっと、あの暖炉を隠すなり何なりしてただろうからな」
「……」
魔理沙に問われ、パチュリーの頭脳が解を探し始める。この辺はもはや魔法使いという学者種族の反射に近い。
言われてみればおかしな話だ。魔理沙のサイコロの例えを借りるなら、この図書館に住んでいると言っても過言ではない自分は、そのサイコロを何万回と振っているはずなのに、こんな事態になるまでその隠し階段の存在に気付かなかった。この問題は魔理沙が幸運だったの一言で片付けるのは難しい。何せこちとら図書館に住み着いて、下手すれば百回どころか百年……いや違う。
(そうか、前提が間違ってるんだ。私は今までサイコロを振った事は一度もないんだ)
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジ。その二つ名に反して彼女は図書館に興味が無い。彼女が興味があるのはあくまでその中身である本だけである。その容れ物に隠し階段だろうが隠し扉だろうが、どんなギミックが仕掛けてあったとしても関心を持てない。ならばわざわざ埃で汚れた暖炉に近付こうなどとは思わない。そう考えれば、ひょっとするとパチュリーはその暖炉自体は見たことすら有るのかもしれない。ただ、それを今思い出せない程どうでもいい事と認識していただけで。
その事に気付いたパチュリーは自身気付かずに手を悔しげに握り締めた。もし仮に、その発見した時に関心を持てていたら。そうしたら今の事態は防げたかもしれないのに。
(……情けないわね。こんな後悔をするぐらいなら図書館の管理に日頃もっと気を割いて……? ……ッ!!)
それに気付いた瞬間、パチュリーは、嘘、とそう呟いていた。
理解した。魔理沙が言っている、サイコロを振っていたもう一人というのが誰か。魔理沙より遥かに長い時間、それこそアレが現れた五十年より昔からパチュリーと共にあり、この図書館の管理を続け、そもそも自分が図書館の管理に気を割かなくて済んでいたその理由。目に見えるようだった、ある日本棚の間にある暖炉などという危険物を見つけ、その見た目に驚き、興味津々で調べる彼女の姿が。
「よし、着いたぜパチュリー」
「……嘘」
果たして、そう言って魔理沙が降り立ったのはパチュリーの予想を裏付ける場所だった。そこは図書館の内部にある部屋の前だった。そして、そこに住んでいるのはパチュリーが想像しているのと同じ人物である。
「こいつなら隠し階段の事は気付いてて当然だ。ていうか、私が気付いたのに気付かない方がおかしい。だけどこいつはその事を隠してる。だって隠してないなら"ここの本棚が倒れたあの時、私とフランが逃げられるはずがないんだ"」
「……嘘」
「となると問題なのは何故隠すのか? ……私は実は、これに心当たりがある」
魔理沙は思い出す。思えば、それの存在を初めてフランから聞いたのもこの図書館での事だった。
魔理沙は思い出す。思えば、憑物と聞いてまずその存在を思い出すべきだったと、嘆くばかりでそれを出来なかった不甲斐なさを。
魔理沙は思い出す。思えば……その名を冠するのに彼女以上に相応しい"容姿"をした者は居なかったのだと。そもそも自分で言ったじゃないか、フランは、悪魔の妹は……
魔理沙は呆然としているパチュリーの手を引いて、扉の前に立ちノックする。
「パチュリー、お前を途中で拾えたのは運が良かったぜ。こいつを問いただすのに、お前が居るのと居ないのじゃ大違いだからな」
はい、と中から返って来た返事を聞いて、魔理沙はドアを開ける。
……その部屋はいつもと何も変わらなかった。魔理沙が今朝訪れたそのままだった。ただ、少しだけ違うのはテーブルの上に置かれた湯気を立てるカップが二つでなく、三つであること。
しかし、そんな細かい事は完全に無視して魔理沙は紅い髪の彼女を睨みつけた。
彼女は笑っていた。ニコニコと、いつものように朗らかに、気安い調子で。
「急に来て悪いな。ちょっと聞きたいことがあるんだが、今いいか?」
魔理沙の言葉を聞いて、彼女はより笑みを深くした。
「今いいか? と問われたら、私は勿論構いませんよ、と答えましょう魔理沙さん。ただまぁ、あまり時間はかからないと思います。貴方が今一番聞きたい事に私は即答するつもりですから」
その笑みは、やはりいつもの見慣れたものだった。けれど魔理沙は彼女の変化に気付いた。
「そうかい。それじゃ単刀直入に聞かせて貰うぜ」
「はい」
その変化は声にあった。
彼女の声はいつもの明るい透き通った声でなく、奇妙に酷薄で、けれど艶やかで……
「お前が"コウモリさん"だな? ……"小悪魔"」
その声はまるで……
「はい、その通りです。気付いて貰えて嬉しいです♪」
小悪魔と呼ばれる彼女は、紅魔館に住まう三人目の悪魔は、いつもの笑みで嬉しそうにそう答えた。
その声はまるで、人を誘う悪魔のような声だった。
………………
…………
……
ギィン!! ギン!!
暗い地下室に幽かな灯、光のボリュームが落ちたその部屋に響く音は、けれど、あまりにも勇壮な音だった。聞くものに軍靴の響きを連想させ、一軍と一軍の衝突を想像させるけたたましい激突音。しかし、その音を響かせるのはたった二人の少女達だった。ただ……
「アハハハハハハハハハハ!!」
「ッああああァッ!!」
その音の連想が間違っているかと言えば、そんな事はない。何故なら、捻くれた魔杖と魔力で形造られた真紅の槍を打ち合わせる二人はフランドール・スカーレットとレミリア・スカーレットという名の一騎当千の化性なのだから。その得物に込められた威力たるや一軍のそれと比しても劣る事など有り得まい。
「そこッ!!」
「……ッ!!」
激突音の連続が途切れる。
フランの、フランに憑いたソレの隙を突き放たれたレミリアの前蹴りが標的の鳩尾を打ち据え、弾き飛ばしたからだ。小さな身体を目一杯伸ばした、岩をも砕く一撃。しかし、それを食らったソレは決して笑みを崩さない。どころか……
「きゅっとして♪」
(……来るか!?)
吹き飛ばされながらソレが左手をこちらに向けたのを見て、レミリアは神経を尖らせ世界に張り巡らせる。この世で恐らくレミリアだけが持つ知覚を全力で行使する。
「ドカーン!!」
「……ッ!!」
ソレが叫び手を握る。しかし……
(よし、成功!!)
"何も起こらない"。
紅魔館でもごく僅かしかいない、フランの能力を知る者が見れば何度見ても瞠目する光景であった。
フランの能力は"ありとあらゆるものを破壊する程度の能力"、恐ろしいことにこの命名には全く誇張というものが存在しない。自然界で最高硬度を誇るダイヤモンドでも、あるいは一千km離れていたとしても、山のように巨大な質量を持っていたとしても、硬度、距離、質量、その全てを問わずありとあらゆるものを破壊してしまうのだ。如何に幻想郷広しと言えど、これ程単純明快に突き抜けてしまっている能力の持ち主はそうは居るまい。ただ……
(この能力の本当の恐ろしさはそこじゃない)
フランの能力の恐ろしさはその発動プロセスの絶対性にある。
レミリアがフラン当人に聞いた話では、この世の全ての物質には"目"という最も緊張した部分があり、そこに力を加えるとどんな物質でも赤子の力で破壊できるらしい。そして、フランはこの目に能力で干渉し自分の手の中に作る事が出来るらしい。……らしい、そうこの言葉こそがフランの能力をレミリア以外に抗いようのない物にしている核たる要素だ。つまり……
(フランがどうやってこちらの目を作り出しているのか、あるいは移動させているのか全く解らない。そもそも目というのを認識した事があるのも、それを目と名付けたのもフランなんだから)
例えばフランの能力が、ありとあらゆる物を破壊する"弾幕"を放つ程度の能力であったなら、これを大して脅威と感じない者は少なくないだろう。紅魔館の者でも美鈴や咲夜なら躱せるだろうし、パチュリーならその圧倒的な火力で弾幕を全て相殺出来るかもしれない。しかし、目を作り、破壊する。それに一体どう抗えというのか。そもそもフラン以外の者は目という物を想像で描く事すら出来ないのに。
(想像すら出来ない物を、想像すら出来ない方法で作り、破壊する。そんな能力を防ぐ方法なんて、そもそも想像することすら出来ない)
見えず聞こえない物をどうやって躱す? 火力で相殺する? 一体何に火力を向けて、どう相殺するのだ? 解らない解らない解らない、この絶対の不可解こそがフランの能力の恐ろしさ。絶対の未知には、対抗する術を考える事すら許されない。想像できる幻想すら超える、共有不能の概念操作。それこそがフランドール・スカーレットの力の真の恐ろしさである。……故に、
「キャハハハハハ、ダメダメダメ!! 壊れろ!! 壊れろォオーー!!」
「……ッ、……ッ」
フランの能力の不可侵性に対抗するには"同じレベルの概念"を行使するしか方法はない。
能力不発が癇に障ったのか、それまで辛うじて有ったように見えた理性を失くしソレが叫ぶ。取った行動も余人が見れば狂人のそれだったろう。武器たる魔杖を放り出し両手をパンと打ち合わせる。しかし、それはフランの能力を知るのなら背筋が寒くなるような光景である。両手での能力の二重発動。一つでも必殺の攻撃が、偏執的な悪意で二つ重ねられる。
しかし……
「あー?」
「……まだ、まだァ!!」
何も起こらない。
苦しそうに顔を歪ませつつも、ソレに向けて弾幕を放つレミリアには、傷一つ付いていない。絶対のはずのフランの能力が完全に打ち消されていた。……これこそがレミリアの力、フランの力に対抗し得る、種類こそ違えど同じ不可侵性を持った紅魔館当主の力、運命を操る程度の能力の発現であった。直接レミリアと対峙するソレとて想像し得まい、レミリアが能力を使いフランの能力発動が"失敗する運命"を導いているなどとは。
この能力に関してレミリア当人以外が理解している事はごく少ない。どころか、紅魔館の外の者にはこの能力を眉唾物だと言う者すら居るほどである。レミリアはそんな者を見る度、口を尖らせ抗議しているのだが、しかし内心ではそれも致し方なしと半ば以上諦めていたりもする。だって、それは仕方の無い事なのだ。運命を感知し得ない者が運命について理解出来るはずがないのだから。……この辺りは流石姉妹と言うべきかフランの能力と同じ理屈である。レミリアが今も感じている運命という"感覚"、それを認識した事があるのも、それを運命と名付けたのもレミリアなのだから。五感のどれとも違う感覚で察知するそれを、他者に語って理解させる事など不可能だ。言葉でクオリアを語る事は出来ないのだから。
……しかし、それでもどうにかそれを言葉にするなら、百パーセント伝わる事は決してないと解っていてなお言葉にするなら、レミリアはそれを一種の"流れ"であると表現するだろう。人とは、妖怪とは、つまるところ船のようなものだ。運命という名の海流に乗って進む船。どれほど強い意志と力で櫂を漕いだとしても、その流れからは逃れられない。だから、だから……
(だから私は、私達は!! 幻想郷にやって来た!!)
ソレに息を付く間も与えぬ苛烈な弾幕を放ちつつ、レミリアは過去を垣間見る。フランの運命の、その行き着く先を見てしまったその日から始まった、戦いの日々を。何者であっても運命からは逃れられない、それは運命の流れを知る自分ですら変わりはないのだと思い知らされる絶望の日々を。……単純な話である、レミリアの運命を操る程度の能力というのは、つまり運命という海流をある程度操作できる能力であるのだが……無論の事それには限度がある。如何に吸血鬼であるとはいえ、海流を変えるなどという天変地異に匹敵する事象を無制限に行えるはずがないのだ。故にレミリア個人の力では変えられなかった。どうしようもなく強く、はっきりと、破滅に向かうフランの運命は。
(昔からその兆候はあった。フランの運命の先には、フランが進み得る流れの先には、暗い影が掛かっている事が多かった。私はあの影を知っている。運命を語る上で絶対に出てくる凶兆の影!!)
始めの内、レミリアはそれをそこまで重要視してはいなかった。確かにフランの運命に凶兆の影は多かったが、しかし、それは程度の差こそあれ誰の運命にも必ず現れる物なのだから。ならば自分が、紅魔の一党が味方するフランに心配は不要と、必ずやその凶事を越えていけると確信していたからだ。……五十年前、アレが現れるまでは。
(あの日、アレが現れてからフランの運命は完全に変わってしまった。本来有り得ないほど唐突に、全くの別物に!!)
例えるならそれは断崖絶壁だった。かつて地球が平らだと信じられていた時代に空想された、世界の、海の果て。フランの運命の全てが、分岐もなく完全に途切れてしまっている絶対の終わり。即ち……死、そのもの。吸血鬼であるフランが、本来なら遥か未来に甘受するはずの運命が突如として至近に迫って来たのだ。幸、不幸問わず、これ程はっきりと運命が決まってしまうのはレミリアにとっても稀であり、そしてそれ故にレミリアは絶望を感じずにはいられなかった。完全なる運命の確定。かつてレミリアがそれを変えられた事は一度もなかったから。
(それでも、それでも私達は諦めなかった!! フランの運命を変えるため努力し続けて来た!!)
近くは十六夜咲夜、古くは紅美鈴とパチュリー・ノーレッジ。フランの秘密と運命を打ち明けられる盟友と共に、ありとあらゆる術を求めた。古の魔法を漁り、神秘の宝具を探し、幾度もレミリアは過酷な試練に挑み……そして、それらは全て無意味に終わった。そうしている間にもフランの運命は終わりの断崖に向けてゆっくりと、しかし確実に進んで行く。そんな焼け付くような焦燥の日々の中で……レミリアはとうとう幻想郷に辿り着いた。今やこの星のどこよりも幻想の力を色濃く伝える、妖怪達の土地に。
(それが最も可能性がある選択だった。幻想郷に残る異能の力、その中に私やフランと同格の、けれど憑物を落とす退魔に特化した力。それがある事に期待を懸ける!! それが、それが……!!)
そして……吸血鬼異変は起こった。
本来なら力のある者を探し、叩頭して助けを求めるべきだった。レミリアが求めるのは少なくとも自分と同レベルの強者だったのだから。けれど、それを選択する事は出来なかった。何故なら信頼のおける者以外に"フランの秘密"を話す事は出来なかったから。事情を話して協力を求めるというのは始めから無理だったから。ならばどうする? ……方法は一つしかなかった。力によって問答無用で従わせる。
……果たして幻想郷の誰が知ろう。自儘な吸血鬼が気紛れに起こしたはずの戦争、それが葛藤と焦燥の果てに選ばれた苦渋の決断であった事を。その戦争に破れた時の彼女の絶望の深さを。
(あの戦争に敗れて、私は今度こそ諦めそうになった。運命を変えるには、私では力不足だったのだと。そうやって諦めそうになった)
そうして諦めかかったレミリアが、それでも一縷の望みに縋って起こしたのが紅霧異変だった。ただ方々に迷惑をかけるだけのそれには八つ当たりの意図も含まれていたかもしれない。けれど、諦めきれない期待もあった。この異変を止めに来る者の中に、もしかしたらと。そして……
『これじゃ、なんなのかしら? そこの紅くてちっこいの』
レミリアは博麗霊夢を見出した。その瞬間、レミリアの胸は驚愕と歓喜で高鳴った。自身を、吸血鬼を退ける程の力を持った退魔の巫女。そして、レミリアが絶対だと思っていた運命からすら飛び離れる完全な不可侵性。間違いなく初めて見た、自身の能力が全く影響を与えぬ存在に、レミリアは畏怖すら覚えると共に確信した。こいつだと、運命を無視する事の出来るこいつこそが私が探し続けて来た者なのだと。
それからのレミリアの行動は早かった。幾度も博麗神社に赴き、霊夢にコンタクトを取り続けた。ふわふわとした捉えどころのない霊夢の魅力に惹かれる事を自覚しつつも、レミリアは慎重に手を進めていった。フランの秘密は明かさずに、ただお祓いを依頼する。初めからアレとぶつけようなどとは考えなかった。幾ら霊夢とはいえ、初見でアレをどうにか出来るとは思えなかったから、ただの面通しのつもりで"フラン"と会わせた。けれど……
『あーごめんレミリア、あれは私じゃ無理だわ。だってあれ憑物じゃないもん。……何でそう思うかって? まぁ、そう言われたら勘としか言い用が無いんだけど。あれはどっちかって言うと魔理沙の管轄じゃない? 多分』
そんな戯言を言って、霊夢はそれからフランにもアレにも会おうとしなかった。これは完全にレミリアの想定外だった。幾度も重ねた面会で霊夢はきちんとした依頼であるなら真面目にこなすと解っていたのに。
何故? 自分が妖怪だから? それこそまさかだ。霊夢がそのような隔意とは良くも悪くも程遠い事は誰もが知るところだ。ならば何故、何故!? ……何度問いかけても霊夢の返答は変わらなかった。憑物ではない、魔理沙なら、言葉は違えど霊夢が言うのはその二つしかなかった。
……納得など出来ようはずがない。自身の全てを懸け、最善を尽くしたはずの答えが、結果が……
(こんな……こんな……ッ!!)
レミリアの弾幕が途切れる。それは果たして疲労故か、それとも運命の残酷さを思い囚われた絶望故か。それとも……
「んー? あれ? もうオシマイ?」
塵煙の先から現れたソレに、弾幕がただの一発足りとも届いていないことに気付いたからか。
……これもまたフランの能力の恐ろしさの一つ、フランの能力は数にも影響されない。ソレの瑕疵無き姿は、単純にレミリアが放った膨大な数の魔弾を全て破壊した結果である。ソレの姿を一時隠した塵煙は、放っておいても当たらないと判断された流れ弾が床や壁を削った為の物だった。……もちろん、レミリアはその破壊を能力で以って相殺してはいたのだが……
「はぁ、はぁ……」
「アハハッ、なんであれぐらいで疲れてるのお姉様。ホントに私と同じ吸血鬼?」
レミリア・スカーレット。プライドの高い彼女が、自身の妹を抑える為に従者の手を借りねばならない理由がこの差にあった。
レミリアの能力とフランの能力、この二つの能力に甲乙を付けるのは難しい。と言うより同軸に並べて語るというのが、そもそも不可能な話である。しかし……こと戦闘に関して言うならば、この二つの甲乙ははっきりとついてしまう。レミリアの能力、運命を操る程度の能力は、何処ぞの巫女を除き、この世全ての事象に干渉し得る恐るべき広範さを持つ能力だが、その対価として、非常に使い勝手が悪いという欠点がある。能力で運命を変える際の消耗も大きい上、操る運命の対象を一つから二つ、三つと増やしていけば絡む運命の海流がそれぞれぶつかり操作に超絶の難易度を求められる事になる。この難解な能力操作を、瞬時の判断と集中力がものを言う戦闘中に行使するというのは、これはもう全力疾走しながら硝子細工を作るのに等しい難行である。
それに対しフランの能力は破壊するという事象に特化している代わりに、一回の発動での消耗も、また対象を増やした際の難易度もさほど変わらない。なにせ目指す結果が破壊なのだ、繊細さなど必要なはずもない。それが故のこの差、互いに能力をぶつけ合って戦えば、フランが能力の身軽さで必ず上を行く。戦闘とはフランの能力の専門分野、結局の所、相手を破壊するという行為に他ならないのだから。
「だからって……」
「あ?」
「ッあああああああ!!」
呼吸を荒くして、明確に消耗しながらレミリアは魔力槍を手に取り突貫する。
レミリアは全て承知している。フランと、フランに憑いたソレと一対一で戦えば、自分に勝ち目などまず無いことを。それでも止まる訳にはいかない。妹一人助けられない駄目な姉でも、それならせめて他の家族は守らなければ。ここでこいつを止めねば……!!
疾走する足の感覚が失われる、ソレまでの短い距離が奇妙に伸びる。瞬間、頭をよぎったのは守るべき者の姿。紅魔館に住まう者全ての笑顔。駆けるレミリアに向けてソレが嘲るように笑い弾幕を放つ。レミリアはそれを……
「がっ……ぐっ!!」
躱さない。レミリア自身のそれと同じ紅い魔弾を、全てその身で受け止める。
レミリアとソレの間の距離、それを駆け抜けるまでの短な時間でレミリアを仕留められるのは、ソレの持つ手札の中でも能力発動のただ一枚。だからこその特攻、だからこその捨て身。次の一撃で全てを決める、その覚悟があるのなら能力による攻撃に備えて、それ以外は無視するのが上策。弾幕のダメージは吸血鬼の頑健さと、不屈の闘志で押し切る!!
ソレも流石にレミリアの行動に驚いたのか目を大きく見開き、放つ魔弾の数を一気に増やした。その全てを喰らい、喰らい、喰らい……
「あああああああああああああああッッッッ!!」
それでもレミリアは止まらない、肌が焼け、肉が裂け、骨が削られても止まらない。レミリア・スカーレットは魂が折れるまで止まらない。そして……
「……ッ!!」
「遅い!!」
レミリアの裂帛の気迫に押されてか、切り札である能力を使おうと手をこちらに向けたソレに叫ぶと同時、レミリアは渾身の刺突を放った。常人ならば千度塵と化す決死行を切り抜け放たれた決意の一撃。それは過たずソレの、レミリアの愛した妹の胸を貫き、そしてレミリアはそれでも止まらずにソレに体ごとぶつかり、彼女の小さな身体を押しやる。五メートル進み、十メートル進み、部屋のほぼ中央に来たところでようやく止まり、ソレを押し倒し槍で床に縫い止める。
「か、ご……!!」
「ねぇ」
倒れたソレに上から被さり、レミリアが耳元で囁いた。
「知ってる? この上って今、崩れて屋根がないんだけど?」
「……!!」
仰向けに倒れたソレの目に映っているのは、ステンドグラスだった。もちろん知っていた。あの先が、分厚さ故に光をほぼ通さないあの向こうが……
「ごめんね、フラン。けど……」
一緒だから。
フランにそう言ったレミリアの顔をソレが見ることはなかった。ソレに見えたのはただ一つ、レミリアが渾身の力を込めて放った魔弾がステンドグラスを砕き……紅色の夕日が差し込んで来た事。
「が、ぁ、ぅぎいいいいいいいいい!!」
「……ッ」
ソレが聞くに堪えない苦鳴で呻く。恐らくレミリアの魔力槍が気管を貫いたのだろう、まともな声になっていなかった。そんなソレをレミリアは押さえ付け、背に陽光を浴びる。ソレと共に身体が塵と灰に返っていく。にも関わらず、レミリアの口の端に浮かぶのは微かな笑みだった。これは覚悟していた最期だったはずだ、元々自分が運命を変えられる可能性は低かったのだ。なら、この結末は悪くない。フランと一緒なのだから悪くはない。……避けたかったはずの結末に一筋の希望を見出しレミリアは儚く笑った。
「ァハ、ぅれ……な」
「……?」
しかし……
「アハ、うれしいな」
ソレが何事か呟くのを聞きとめレミリアが耳を寄せた。そして……
「嬉しいな。お姉様、私と同じ事考えてたんだ♪」
「……!?」
初めレミリアはそれを聞き違いだと思った。だからその声を、"自分の下からではない"声がした方を確かめるように顔を上げても、その先には崩れた扉が目に映るだけだと思っていた。けれど、そんなレミリアの予想を、あるいは希望を断ち切るかのようにソレは立っていた。そう、
「フ、ラン……?」
「せいかーい♪ まだ目は見えてるみたいだね。よきかな、よきかな」
陽光の中、呆然としているレミリアを見て、ソレは笑って指をパチリと打ち鳴らした。瞬間、レミリアの下に居た方のソレが弾け飛ぶ。その衝撃に押されて差し込む陽光の外に力なく吹き飛ぶレミリア。土煙で服を汚し、ボロボロになったその姿は到底見目が良いとは言えなかったが、今、レミリアにそれを気に掛けている余裕はなかった。
(何が、何が……? フランが、アレが二人? 今どうやって私の方に居た奴を吹き飛ばした? 能力を発動する気配はなかったのに)
上手く頭が働かない、全く事態が理解できない。混乱を極めるレミリアだったが、幸いにもその混乱の原因はすぐさま知ることが出来た。何故なら……
「「Four little Indian boys going out to sea♪」」
「……な」
カツコツと、靴音を立てて近付いてくるソレの姿が滲む陽炎のように二人に解れた。
「「「「A red herring swallowed one, and then there were three♪」」」」
陽気に歌う二人のソレが更にそれぞれ分裂した。足元に倒れているレミリアを見下ろして、四人に増えたソレがニマリと嗤う。
「「「「残念♪ 囮(red herring)に引っかかっちゃったね、お姉様!!」」」」
「……!!」
囮。
そう言われてレミリアは自身の致命的な失策を悟った。あの時だ、弾幕の塵煙でアレの姿が隠れたあの時、フランは囮と入れ替わり部屋の外に隠れていたのだ。私はそれに気付かず捨て身の一手を打ってしまった――!! あまりに残酷な現実にレミリアの顔が失意に歪む。
「うーん、正直残念だったかなー。囮で釣って日光浴びせて、ちょっと驚かせようとしただけなのにもう終わっちゃうんだもん。まぁ、魔理沙を壊す前にあんまり疲れるのは嫌だからラッキーではあるんだけど」
「……なんで」
「ん?」
「お前が、お前が今日まで使っていたのは全てフランの能力だったはずだ。けど、こんなにも精巧な分身を作るなんて力は、フランには、吸血鬼にはない。なのになんで、なんで――!!」
「……プ」
もはや自力で起き上がる事すら出来ないレミリアの悲痛な叫び。それに対する答えは……
「アハハハハハハハハ、ハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
呵々大笑。今まで以上の、比べるまでもなくこれまでで一番の心の底からの大笑であった。
「ふ、ふふ、可愛いなぁ。お姉様ってホントに可愛い。ふふ、ふふふ」
目の端に浮かんだ涙を拭って、どうにか笑声を収めたソレはニタニタと悪意の滴る笑みでレミリアの頭を踏みつけ……
「私が憑物の類だなんて、まだ本気で思ってるんだ。本当に、間抜け過ぎて可愛いよ」
「――――」
レミリアの思考が白く染まった。
何度も聞いたはずの言葉だった。博麗神社に訪れる度、霊夢に言われていたはずの言葉だった。けれど違った。霊夢に言われるのとは何かが決定的に違っていた。何となれば自分は今納得してしまっている。霊夢に、もはやある種の信仰さえ抱いてしまっている霊夢に言われても納得出来なかったのに、今自分は認めてしまった。間違っていたのは自分の方だったのだと。
「そぉ……れっ!!」
「がッ……!!」
茫然自失としたままのレミリアをフランが蹴り飛ばした。レミリアの身体はあっさりと宙を飛び、地に落ちる。その間にレミリアに抵抗らしい抵抗はなかった。もはや身体が全く動かなかった。連日連夜の戦闘、ダメージを無視した特攻、そして吸血鬼最大の弱点である日光、その全てが、とうとうレミリアから最低限の行動力すら剥奪した。いや、それ以前に……
(私は、私は今まで一体……)
心が……
「うん、やっぱり最後はこれで壊して上げるね。ック、ああ、嬉しいなぁ。初めてが魔理沙じゃないのが残念だけど、ック、お姉様ならまぁいっかなー」
「……?」
ギシリと空間に怖気が走る。
フランの能力が発動する前触れ。レミリアにとって死神が鎌を振り上げるより確かな死の前兆。けれど、レミリアが最期に顔を上げたのはそれが理由ではなかった。フランの言葉の中に混じる奇妙な嗚咽、それに気付いたためだった。そして……
「フラン、貴方……」
「んー? ック、どうし、ック……あれ?」
いつの間にか一人に戻っていたフランの顔、その顔に浮かぶのはやはり壊れた笑みだったが、
「……なに、これ?」
……その頬を、涙が伝っていた。
「……あれ? なん、ック、なんで? ……ってあれ? お姉様どこ行くのー?」
「……ッ!!」
フラン自身自覚していなかった涙に気を取らている間に、レミリアが移動していた。這いずって這いずって、もう立つことすら出来ない無様な姿を晒して、必死で。
(死ねない。まだ死ねない。少なくとも今ここでは!!)
レミリアの心に火が点る。そうだ、まだ諦める訳にはいかない。ここで私が死ぬのは、死ぬということは――!!
「もしかして、それ逃げてるつもりなの? ふーん、まだそんな元気があるんだ。……いーよ、逃げても。今のお姉様すっごい面白いし、三秒だけ待ってあげる」
這いずるレミリアを見て、フランが戸惑いから脱し、悪意を取り戻す。その間にもレミリアは一心不乱に地べたを這う。朽ちた身体を、土壇場で取り戻した一念で以って、必死に動かす。
「いくよー、さーん♪」
けれど、ああけれど、
「にー♪」
再び空間に怖気が走る。
……そもそも逃げられるはずがないのだ。フランの能力は万全の状態のレミリアをも屠る、最強の能力なのだから。
「いーち♪」
「……けて」
それでも諦めずにレミリアは這う。自身に出来る最善を、これまでと同じ様に尽くし続ける。だから、レミリアは口にした。
「……助けて」
プライドを砕いて口にした。矜持を捨てて口にした。お願いだから助けて、お願いだから私を死なせないで。お願いだから、お願いだから……
「ぜーろ♪ じゃあねーお姉様。私は貴方が、心の底から大嫌いでした」
フランの手が無情にも閉じられる。その瞬間、レミリアは叫んだ。
「お願いだから!! フランに私を殺させないで!!」
きっとあの子は泣くだろうから。大嫌いと言ったって、きっとあの子は土に還った私を見て、誰よりも大声で泣くはずだから。だから、だから……!! 果たして、優しき吸血鬼のその願いは……
「恋符!!」
「……え?」
「マスタースパァァァク!!」
天に届いた。
地下四階の唯一の階段、その階上から白光が迸りフランを飲み込み荒れ狂う。床を抉り、余波で崩れかかった大食堂を更に崩壊させたのはもちろん……
「後は任した!! ……そんでフラン!!」
階段の上に立つ魔女帽を被った人影は、霧雨魔理沙は、自身がぶち開けたクレーターに向かって力強く叫んだ。
「遊んで欲しけりゃ着いて来な!! とっておきの場所に招待してやるぜ!!」
「……カ、ハ、ハハ、ハハハハハハハハハハハハ!!」
フランがクレーターの淵に手をかけ姿を現す。
魔理沙はそれを見届けて、踵を返し一目散に飛び去る。それを最後に目に焼付けレミリアは……
「お嬢様、失礼します」
「――ッ咲」
レミリアの姿が"零秒"で掻き消える。
けれど、それを見た者は誰もいなかった。欲し続けた獲物を追って、悪魔の妹はすでに飛び去っていたから。
そうしてレミリアが去った後、暗い地下室には、もうただの一つも人影は残っていなかった。
………………
…………
……
「どちくしょう!! 速射版とはいえマスタースパークが時間稼ぎにもなんないのかよ!!」
誰も聞くものは居ない。いたとしても超高速の風切り音で聞こえるはずもない。もっと言うなら、聞こえるモノが居たらそもそもまずい。そこまで理解していながら、それでも魔理沙は叫ばずにはいられなかった。計算では、あのマスタースパークで数十秒時間を稼げるはずだった。その時間を活かして、目的地まで逃げ切る予定だったのだが……
(いきなりおじゃんだ。くっそ、稼げなかった分は速さで埋めるしかないのか!?)
霧雨魔理沙。幻想郷でも屈指の速さを誇る魔法使いが、正真正銘の全力で紅魔館地下の廊下を飛翔する。目にも留まらぬとは正にこのこと、今この地下の廊下に、誰かが居たとしても風が一陣吹いたとしか思えまい。……しかし、足りない。尋常ならざる魔理沙の速力、それを以ってしてもまだ……
「アハハハハハハハ!! 待て!! 待てぇぇええええ!! アハハハハハハハ!!」
後ろから響く、狂ったような呼び声を振り切るにはまだ足りない。どころか、その声は少しずつだか近付いて……
「……ッ、パチュリー!! こちら魔理沙、聞こえるか!?」
日の届かぬ地下での吸血鬼との鬼ごっこ。
およそホラー映画としか思えぬ状況に肝を冷やした魔理沙が叫んだ。ただし、こちらは先程の独り言と違い、ポケットから取り出した通信用の呪符に向けてだ。
『……聞こえてるわ。けど、もうちょっと声を落として。感度が良すぎて、鼓膜が破けそうになったわ。大したものね、あの子の呪符も』
「ああ、悪い。けど、こっちも急ぎなんだ!! このままだとフランに追いつかれる!! 何か策はないか!?」
『……予定通りにはいかないわね、やっぱり。……魔理沙』
「なんだ!?」
『フランはきちんと後を着いて来てるのね? 貴方を視認していないのに?』
「ああ!! 少なくとも分かれ道二つ三つは離してるけど、引き剥がせない!!」
『そう"朗報"ね、そっちは貴方の予想通り。……いいわ、そのまま予定通り進んで。貴方の推測が確かなら策はある。時間稼ぎくらいは出来るわ』
「了解!! 頼んだぜ!!」
言って魔理沙は再び呪符をポケットに戻して、クスリと笑った。この現状、この綱渡りな策を最初に提案された時のパチュリーの顔を思い出したからだった。主をあんな間の抜けた顔にする策をあっさりと提案する辺り、本当にいい度胸をしている。まったく、本当に……
(私もその度胸にあやかりたいもんだぜ。……小悪魔!!)
………………
…………
……
「嘘よ!!」
時間を少し巻き戻す。
レミリアとフランが得物を交えた、その最初の一合目。正にその瞬間にパチュリーは叫んだ。魔理沙の荒唐無稽な詰問を、彼女が、小悪魔が、誰よりも信頼している従者があっさりと受け入れてしまったから。パチュリーのその悲痛な声を聞いて、しかし魔理沙と小悪魔は表情を変えることはなかった。険と楽、対照的な面持ちで互いに向き合ったまま動かない。そんな二人にパチュリーは重ねて訴える。
「だって、こぁがそんな、そんな事……こぁ!! 貴方も馬鹿言ってないで何とか言いなさい!!」
叫ぶ。レミリアと魔理沙の話を最後しか聞いていなかったパチュリーは、コウモリさんとは何なのか知らなかった。しかしそれでも予想はついた。それが自分達がアレと呼ぶ者の正体なのだと。何せパチュリーは魔理沙との問答で小悪魔がフランを狂わせていたのだと、そう考えるに足る推理を聞かされていたから。けれどそれでもパチュリーは根っこのところでは信じていたのだ。小悪魔が一言違うと言えば、それで納得してしまえるほどに、パチュリーは小悪魔を信じていたのだ。……だと言うのに、
「ふむん、パチュリー様がそう仰るなら……そうですね、魔理沙さん貴方は私がコウモリさんだと知って、それで一体どうするおつもりなんですか?」
張り付けたような笑みのまま小悪魔は楽しげにそう言った。あくまで自分がコウモリさんだという前提の言葉だった。パチュリーの顔が名状し難い感情で歪む。……が、小悪魔に応えた魔理沙の言葉は、
「……別に、どうもしないさ。ただ、お前が知っている事は全部話して貰う。レミリア達が"アレって呼んでるモノの正体"も、もしそれをどうにかする方法を知っているなら、もちろんそれもだ。最初に言ったろ? ちょっと聞きたいことがあるってな」
「……驚きました、そこまでお気付きでしたか。霊夢さんの話だけじゃ、私をコウモリさんとして指名するところまでで止まるはずなんですが」
「あん?」
魔理沙と小悪魔が互いに驚きで表情を変えた。ただ、どちらの驚きが大きいかと言えば、それは直ぐに表情を笑みに戻した小悪魔ではなく今も動揺を隠せない魔理沙の方だったろうが。小悪魔はそんな魔理沙に向けてポケットから一枚の紙片を抜き出してみせた。それは魔理沙も見覚えのある、更に言うなら今も持っている……
「……貸出カード?」
「いえ違います。これはパチュリー様の寝顔プロマイド印刷版貸出カードです。ここ重要です。だって他のカードには"盗聴機能なんてついてませんから"。……ダメですよー魔理沙さん、悪魔からの贈り物をノーチェックで受け取ったりしたら♪」
「んなっ!?」
してやったりと得意げに笑う小悪魔に言われ、魔理沙は慌ててポケットから貸し出しカードを抜き出した。そして、パチュリーの安らかな寝顔をちょっと人目を憚りたいぐらい必死に凝視する。すると僅かに、本当に僅かにだが魔力が感じられた。恐らく音を拾い、届けるという最低限の機能のみに特化したその魔法は、かえってその単純さが隠蔽となり魔法使いたる魔理沙の目をも逃れていたのだ。……その魔法の存在を確認すると同時に、魔理沙はぐわばと小悪魔に目を戻した。その目は先を上回る驚愕の色で塗りつぶされていた。こいつ、一体どこまで周到なんだ……!! っていうかパチュリーの顔が印刷されてるのも、もしかして私に注視させない為の計算ずくか……!!
「……はは、紅魔館で一番悪魔らしいのはレミリアでもフランでもなくお前じゃないのか? 小悪魔」
「いえいえ、私などはお嬢様方には及びもつかない三流弱小悪魔ですよ。ただ、その分ちょっと注意深く生きてはいますが。例えば……」
言って小悪魔は手に持つカードを魔理沙に向けて投げた。ふわふわと、簡単な魔法で誘導されたそれは綺麗に魔理沙の手に収まった。
「こんな事もあろうかと受信機の方には録音機能と編集機能も付けてあります。私が編集したこれまでの経緯を、そっちで話について行けずに呆然としているパチュリー様に聞かせて上げて下さい。時間が有りませんので」
「な……って、うお!?」
そんな小悪魔の言葉に真っ先に反応したのはパチュリーだった。小悪魔の言葉が終わるやいなや、魔理沙の手からカードを引ったくり自分の寝顔が印刷されている事に文句の一つも言わず耳に寄せた。今、パチュリーは何より情報を欲していた。魔理沙と小悪魔、信じ難いがレミリアや自分よりも真実に近いところに居るらしい二人が持つ必須の情報を。
「ああ、うふふ。飢えた犬のように私の持つ情報に飛びつくパチュリー様……興奮します。主にサッキュバス的意味で!!」
「……おい」
「ああ、すみません。話がズレましたね。さて、では……何故解ったんですか? コウモリさんこと私が、妹様を"惑わしていたのではないと"」
「何故も何も……そりゃお前の方が良く解ってるんじゃないか? お前はそう解る行動を幾つも取ってるだろ?」
魔理沙の顔が不快げにしかめられる。今、魔理沙はようやく気付いた。先程からのこちらを小馬鹿にしたような小悪魔の対応、それは魔理沙を試しているのだと。魔理沙が今どれだけ自力で真実に近付いているのかと。それに気付いて魔理沙は言葉を慎重に選んで返答した。
「お前がもし仮に、フランに何か悪さをして良からぬことを企んでいるんだとしたら……今朝、私にフランについて話したりはしないだろ? 霊夢に聞いたぜ? 紅魔館外の人間には本来フランっていう名前を出す事も御法度だって。もし私が間違えてレミリアあたりの前でこの名前出しちまったらどうする気だったんだ? 実際、危なかったよな? 私がレミリアにお前の話をしなかったのはフランの事についてって聞かれたから省いたってだけだぜ? 一歩間違えたらお前の話だってしてたかもしれない。そしたらレミリアにも疑われるぐらいはしてたかもな。あとは……おいパチュリー」
「……何よ」
より多くの情報を得るためこちらの話にも耳を傾けていたパチュリーに魔理沙が呼びかける。返って来るパチュリーの声は非常に不機嫌そうだった。一体、どんな音声を聞いているんだと訝りつつも魔理沙は言葉を続けた。
「お前がレミリアの部屋の合鍵を預けてるのは咲夜と"小悪魔"だよな?」
「そうだけど……?」
「だ、そうだが?」
小悪魔が楽しげに楽しげに笑う。事情を知らないパチュリーは突然聞かれて不思議そうだったがそれは決定的な事実だった。
あの時の美鈴が鍵を持っているのではという魔理沙の推理は一見して妥当に見えるが……鍵を作ったのがパチュリーだという事実を組み込むと些かその妥当性が薄れる。だって合鍵を作ったのは恐らくパチュリーが自分の手間を減らす為なのだ。その負担を直接レミリアの部屋に入って作業することのない門番の美鈴に回すだろうか? パチュリーの立場で考えるなら、その鍵のもう一方を渡すのは己の従者たる小悪魔ではないのだろうか。だとするなら、フランが発見した合鍵は……
「ふふん、正解です。ご想像の通り、あの時妹様に偶然を装って鍵をお渡ししたのは私です。ちなみに言うと貴方を絞め落とした美鈴さんに、華麗なる不意打ちでとどめを刺したのも私だったりします。あとは……まぁ、それ以外にも色々と貴方と妹様の冒険を陰ながらサポートして参りました」
「……だろうな」
魔理沙が魔女帽のつばを目深にして、顔に浮かんだ不機嫌の色を隠す。知っていたはずだった、自分はもっと早くに気付けたはずだった。物語のような冒険などそうそうそこらに転がってはいないと。もしあるとしたら、それはあたかも劇の場面のように現状を上手く回している演出家がいるからで……
「……それでだ、小悪魔。私とフランの素敵で小憎たらしい演出家さんよ」
「はい」
「お前はどうしてそんな事をしたんだ? いい加減教えてくれよ。お前は一体何を知っていて、何を目指してるんだ?」
「……」
「頼む、教えてくれ。これは私の勘なんだが……お前が演出したいのは悲劇じゃないはずだ。皆が笑って終われる、大団円を目指してるはずなんだ。だから教えてくれ。お前が目指してる終幕の為なら私は……」
魔理沙の瞳に光が宿る。
一切の揺るぎなく凛として輝くそれを見て、小悪魔は一瞬、掛け値なしに全てを忘れた。全ての悪魔が焦がれてやまない人間の持つ魂の輝き。それを間違いなく小悪魔は見た。そして……
「普通の魔法使いは、何だってやってみせる。だから教えてくれ小悪魔、私は何をすればいいんだ?」
頼む。
魔理沙が帽子を脱ぎ胸元に当て、頭を下げた。傲岸不遜、唯我独尊……を"目指す"が故に、本当にそうである者以上に魔理沙が取らないはずの行動。自ら差し出す形では誰も見たことが無いはずの魔理沙の頭頂を見つめて小悪魔は薄く微笑んだ。
「ごめんなさい。私も、話をはぐらかすつもりではなくて……ただ、決心がつかなかったんです。……だって」
小悪魔は変わらず微笑んで、静かに言う。
「これから貴方にする話は多分貴方にとって最悪の話ですから。貴方は間違いなく命懸けになる、けど上手くいっても妹様が元に戻ってくれる保証はない。そんな割に合わない話です」
「構わない。むしろ安心したぜ、ここでお前に出来ることはないって言われたら泣いちゃってたかもな」
顔を上げた魔理沙は不敵に笑う。それを見て、小悪魔もいつもと変わらず……いや、
「こ、ぁ?」
「ごめ、ごめんなさい。少し、待って……」
小悪魔の笑顔が割れて、その罅から涙が溢れた。呆然としているパチュリーすら見た記憶のない小悪魔の涙。期せずして魔理沙とパチュリーは同時に悟る。小悪魔が今まで人を食ったように笑っていたのは、この涙を隠すためだったのだと。
「……ふぅ、すいませんでした。……魔理沙さん」
「お、おう」
「私が知っている事も、考えている事も、全てお話します。ですからお願いです。あの子を、妹様をどうか助けて上げてください」
「……ああ。任せとけ」
魔理沙の揺らがぬ決意の声を聞いて、小悪魔は一つ頷き、スルリと一冊の本を懐から取り出した。少し大きめのポケットなら収まる、厚みのない文庫本。小悪魔はそれを魔理沙に向けて差し出した。
「これは……?」
「これがパチュリー様達が"アレ"と、そう名付けることなく呼んでいる者の正体です」
魔理沙は手に取ったその本を目にして息を呑んだ。いや、それは後ろにいるパチュリーのものだったのかもしれない。神秘も魔力も持たぬただの薄っぺらい文庫本。けれどその本の意味する事は歴然としていた。ある意味では直接それを口にするより雄弁だろう。それぐらいその本はそれを示すものとして有名過ぎた。
「執筆は1885年、出版は翌年1886年。著、ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソン。彼の代表作『宝島』は妹様の愛読書でもあります。そしてこれは、それと並ぶ彼の代表作……」
小悪魔は司書らしく流々とした口調でその本の出自を明かす。そして……
「"ジキル博士とハイド氏"。これが妹様が抱えるアレの……いいえ、フランドール・スカーレットが抱える"精神疾患"の正体です」
その名を、口にした。
………………
…………
……
「二重人格?」
「はい。正確には解離性同一性障害、というらしいですが」
「かいりせいどう……? ええい、ややこしいわね。二重人格でいいわ、面倒くさい」
「はい、小悪魔の話によると妹様のそれはそう呼んだ方がいいらしいという事なので、それで宜しいのではないかと」
「……あん?」
紅魔館地上部のキッチン、広々としたそこに置かれた休憩用の椅子の上で、ズタボロになった身体を回復させるべく輸血パックをチューチューと吸っていたレミリアは、どうにもはっきりしない咲夜の話に苛立たしげな声を上げた。その声を聞いて、咲夜は申し訳無さそうに身を縮こまらせた。
「すいません。私も何分先程聞いたばかりで詳しい所は、その……」
「っごめん、私も気が立ってるみたいね。貴方もまともに動けない所を必死で動いてくれてるのに……っていうか、咲夜? 貴方本当に大丈夫なの? 顔色が紙っぽいっていうか土っぽいっていうか。そもそも人間って内臓半分ぐらい吹っ飛ばされて二日後に動けたかしら?」
「ふふ、問題ありませんお嬢様。メイドにとって内臓など飾りです。偉い人にはそれが解らないのです」
「……いや、ま、確かに私には良く解らないっていうか、内臓に飾りの要素があるのかどうかすら解らないけど」
ふふふと、不気味な顔色で不気味に笑う咲夜に気圧され若干引きつつもレミリアは忙しげに血を吸いながら、咲夜に先を促す。何せ事態は今も進行中。しかも、五十年に渡る模索の旅の答えが目の前にぶら下がっているのだから。
「二重人格……確かにアレの特徴は、それでも説明出来るわね。けど咲夜」
「はい」
「そもそも"吸血鬼"って二重人格とかなるものなの?」
レミリアとて馬鹿ではない。智慧の塊であるパチュリーを一門に抱え、自身も五百年の永きを生きているのだ。フランの症状が二重人格と似ていると思った事が一度もないわけではない。しかし、それでもその可能性をこれまで排除してきたのは……
「人間と妖怪じゃ精神性がそもそも違うわ。人間ならこうして血をがぶがぶ飲むなんて出来ないでしょう? 味とかそういうの以前の問題で」
飲む? とレミリアが輸血パックの飲み口を咲夜に向ける。咲夜はそれを丁重に、しかし考える間もなくノータイムで断る。
そう、妖怪と人間の精神は勿論似てはいるが同一ではない。例えばレミリアは五百年生きているわけだが、五百年、しかもほぼ姿が変わらず生きる気持ちを想像出来る人間というのは恐らくいないだろう。だって、人間というのはそもそもそういう風に出来ていないのだから。そして、そのような違いを抱えているにも関わらず、人間の精神疾患である二重人格を吸血鬼であるフランが発症するのだろうか?
そんなレミリアの最もな疑問に咲夜は一つ頷いてからこう答えた。
「はい、私もそれを疑問に思い、小悪魔に叩き起こされた時に聞いてみました。それは人間の精神疾患を犬が発症すると言っているようなものではないのかと」
「いや、犬って……」
「はい?」
「……いいわ、続けて」
「はい」
自身の主の種族を悪気なく犬呼ばわりする咲夜に、どっかで育て方間違ったかなーと内心首を傾げたレミリアだったが、それどころではないので流した。咲夜も本当に悪気はなかったのかあっさりと先を続ける。
「とりあえず、そう尋ねた私に小悪魔はこう答えました。分離不安障害という疾患を御存知ですか? と」
「……ご存知無いわ。何なのそれは?」
「人間も犬も掛かり得る、精神疾患の一種らしいです。人間なら主として子供が親と離れる時に、犬なら飼い主から離れた時に過度な不安を抱き、暴れたり、逆に無気力に囚われたりするらしいです」
「……」
「私はどちらの気持ちも良く解ります。お嬢様から引き離されたら私はお屋敷中にナイフを突き刺して回るでしょう」
したり顔で頷く咲夜は本当にどちらの気持ちも解るようで、しみじみとした顔で虚空を労しげに見やった。
それを尻目に咲夜の名付け親兼飼い主であるレミリアは途端に思案げな顔になった。
(つまり小悪魔はその分理不安とか言うのが、吸血鬼と人間で言うところの二重人格だって言いたいわけね。……確かにそれなら有り得るかも。人間と妖怪の精神性が違うって言ったって、犬と人間ほど違いはしないんだし)
レミリアがチッと一つ鋭く舌打ちした。新しく示された可能性、それは確かに歓迎すべきもののはずだったが、やはり苛立ちもあった。それなら私達は一体今まで何をしていたのかと。……いや、そもそも、
「なんで小悪魔はそれを私達に言わなかったのよ。幾ら何でも小悪魔に言われたら私だって……」
「……利用していたらしいです」
「……あ?」
「私達への妹様の不審を利用し、彼女が創造したキャラクター、コウモリさんに大きな信頼を持たせてカウンセリングで妹様の二重人格を治療する。それが小悪魔が打ち立てた当初のプランだったそうです」
「……??」
「ええと、この辺はやはり私も良く知らないのですが……」
精神疾患とはその名の通り、精神に抱えた疾患の事である。そしてこれに対しては特効薬というのは存在しない。勿論、鎮静剤などで気を落ち着かせる事などは出来るのだが、薬で心の在り方に干渉し望む通りの形に近付けるというのは現代医学を以ってしても不可能に近い難行である。となればどうするか? 会話によって、カウンセリングによってどうにかする。単純ではあるが決して簡単ではないこれしか方法はない。
「そもそも所謂精神疾患というのには、本来正しい心の働きが何らかの要因で行き過ぎてしまって起こるものが多いんだそうです。この解離性同一性障害もその一種で……"解離"というのは心の正しい働きなんですが、これが行き過ぎると……」
「二重人格になっちゃうって、そういう事?」
「はい」
解離と言うのは心が持つ防衛作用の一種で、簡単に言えば現実逃避と言ってしまってもいい。と言ってもこれには、例えばぼけっと空想に耽ってみたり、あるいは集中していて周りの事が見えなくなるというのも含まれる。本来の健常な解離というのはそういう誰もが一度は覚えのある感覚を指して言うのである。ところが、この解離が何らかの要因で行き過ぎると所謂病的な症状を起こすようになる。例えば心を守るために忘れすぎて、数日間記憶がなくなる。或いは……"別人のような自分でない人格を作りそれにストレスを肩代わりさせる"。それは、解りやすく言うなら心のアレルギー反応だ。自身に掛かったストレスや悲しみなどの精神的な毒素、それに過剰反応し過ぎて自らを壊してしまう、悲しい自己防衛。そして、それをやり過ぎだと、それは貴方自身をも壊してしまうと言葉で伝え、より良い程度、或いは方向に改善して貰う。これが大雑把なカウンセリングによる精神治療の仕組みである。だが……
「当然ですが、これは非常に難しい事です。何故なら精神疾患を抱える者にはそれがやり過ぎだという自覚がないのですから。というより無意識で行なっていて自身でもコントロール出来ていない。いえ、出来ているケースもあるらしいですが……」
「いいわ。言いたいことは解るから。っていうか私も心当たりはあるわ、要するに当人が間違っていないと思っているのを間違っていると言い聞かせるのは難しいってことでしょ?」
「……ざっくり言ってしまうと多分そうなるのではないかと」
要するにレミリアと同じだ。フランのアレが憑物だと信じて疑わなかった自分。それと同じ様に自身の人格を幾つもに分けないと自身が壊れてしまうと無意識で思い込んでしまっている。或いは、実際に分けなければ持たないにしても、分けすぎて自家中毒を起こしてしまっている。それが解離性同一性障害というものなのだろう。となれば貴方は人格を分けすぎて危険な域にありますよと話すのは、これは患者の側からすれば相当胡散臭い話になるだろう。だってそれは自分の心を守るのをやめろと言われているに等しいのだから。……しかし、もしそれでも、その話を受け入れて貰えるとしたら……
「なるほど。だから信頼って訳ね。あの人が言っているのだから、もしかしたら正しいのかも知れない。そう思って貰わない事には話にならないと」
「はい、小悪魔はまずそこから始めようとしたらしいです。とにかく会話を重ね、妹様にコウモリさんを信頼して貰う。自身は顔を出さず、隠し階段の上に潜んで、声を届かせる事で」
「……」
それがフランと一緒に話してくれる不思議なぬいぐるみ、コウモリさんの正体だった。フランの部屋の隠し階段の隠蔽は開いてもフランも見破れぬほどの能力があった。そこに隠れて二重人格の治療を行う。それが今からニ十年ほど前、小悪魔がアレの正体に気付き行なってきた対策であったのだ。
「ただ、これに関しては小悪魔も少々不思議に思っている事があるらしく……」
「いいわ」
「はい?」
「そこは飛ばしてもいいわ。だいたい解るから。それより先を続けて、その話はまだ私達に二重人格の事を話さなかった理由になってないわ。いえ、というかその理屈で言うなら、最低でも小悪魔自身は顔を出すべきじゃないの? そっちの方が信頼は得やすいでしょう? それこそ魔理沙みたいに」
「…………」
「咲夜?」
レミリアの矢継ぎ早な言葉を聞いて、咲夜が初めて主の問いに沈黙で答えた。ただ、咲夜の顔はその理由を知らないから話せないと言う感じではなく、むしろそれを知っているからこそ口に出すのを躊躇っているような……
「咲夜」
「はい」
「いいから言いなさい。時は金なり、今に限りそれは貴方にすら当て嵌まるはずよ」
「……はい」
レミリアの強い言葉に押され、咲夜は何かを堪えるような顔で口を開いた。
「解離性同一性障害というのは先程も言いましたように、何らかの要因で解離の作用が行き過ぎてしまう疾患なのですが……その何らかの要因というのは大抵の場合……」
そして言の葉に乗せた。今の事態、その……
「幼少時の虐待などによる心的外傷、所謂トラウマにあるそうです」
「……ッ」
そもそもの元凶を。
その時レミリアは確かに聞いた。ブチブチと自身の中の血管か、神経か、或いは他の何かが千切れていく音を。
「こんの……ああッ!!」
レミリアが手に持っていた輸血パックを思い切り床に叩きつけた。それでも治まらない、レミリアの中で荒れ狂う巨大な感情の奔流は全く治まらない。
「お嬢様」
「解っている!! そうか、そういう事か……!!」
「お嬢様、どうか冷静に」
「私は冷静だ!! ああ、うぅー」
レミリアが頭を掻きむしる。悲しかった、悔しかった、腹立たしかった。フランの幼少時のトラウマ? そんなもの一つしか有り得ない。親兄弟友人に至るまで、彼女の顔見知り全てに暗い地下に四百九十五年幽閉され続けた。これを虐待と呼ばずに何と呼ぶ? それしか有り得ない!! それしか選択肢がないような狭い世界に私達はフランを閉じ込め続けたのだから!!
(フランの治療には信頼が必要だった。なら何故それを私達に言わない? ……どの口でほざくレミリア・スカーレット!! フランを壊した、狂気に落とし込んだ張本人が!! 一体どの面下げて!!)
レミリアは今、小悪魔が取った行動の意味をようやく全て理解した。信頼が必要ならば今もなお、幾ら事情があるとはいえ、今もなお幽閉を続けているレミリア達は論外なのだ。小悪魔も無理だろう。顔を直接会わせた事はないはずだが、彼女の特徴や性格は本を選んでいるお姉さんとして、レミリア達を通じてフランに伝わっている。そして外部の者にフランを会わせるのも選択として有り得ない。……ならばどうする? 新しく"誰か"をでっち上げるしかない。フランを閉じ込め続けるレミリア達とは何の関係もない、全く新しい"誰か"を。
「……実際、小悪魔の目論みはある程度上手く行っていたらしいです。妹様はコウモリさんとの会話を楽しみにして、そして少なからず信頼していた。私達に言えないような話も打ち明けていたようですし……その為に」
「私達を利用した。私達を敵対者に見立て、フランの信頼を勝ち得た」
「……はい」
敵の敵は味方。フランを閉じ込め続けるレミリア達に反対する立場をとる。そうすればフランにとって掛け値なしの、この世でただ一人の味方という立ち位置を確保出来る。必然、コウモリさんに向けられる信頼はレミリア達への四百九十五年分の不信感の裏返しという大きなものになる。
(それなら私達にこのことを話すのは上手くない。むしろ自然な態度で敵対者としてあってくれた方が都合がいい。腹立たしいけど正論ね)
どうにか治まってきた感情の中でレミリアはようやく小悪魔を認めた。いつ、どのようにフランと出会ったかは知らない。けれど、彼女もまたフランを助けるため必死で戦ってきた一人だったのだと。いや、むしろたった一人で周囲全てを欺き、フランの狂気と正面から相対していたのだ。その心は、その想いの強さは……
「ふふ、流石はパチュリー・ノーレッジの使い魔ってところかしらね」
「はい、最善の為には主をも騙して行動する。私も見習うべきところが有ります」
「……!?」
「さて、そんな小悪魔のカウンセリングですが……当初は、本当に成果を上げていたようです。妹様の不安を軽減し、アレが出てくる回数を減らすなどの確かな成果を」
咲夜の発言に驚いた顔で反応したレミリアを軽くスルーして咲夜は話を続けた。レミリアは流石に何か言いたそうにしていたが、これも堪えた。何故かと言って語る咲夜の顔が一気に暗くなったからで……
「ですが、ある程度行ったところで一つ焦りが出てくるようになったそうです。私達がアレと呼ぶ、妹様が抱える凶暴な人格。それが妹様の無意識下でどんどん大きくなっている気がする。そんな感触を妹様との会話で得るようになったそうです」
「大きく……? どうしてよ? だって、上手く行ってたんでしょ?」
「そこが小悪魔が妹様の疾患を解離性同一性障害ではなく二重人格と呼んだ方がいいと言う理由らしいです。……お嬢様」
「な、なによ?」
「忘れていませんか? アレが話すようになったのはつい先日の話ですよ?」
「……? ……!!」
「話すことが出来ない人格には、そもそも会話による治療を行うことが出来ない。……二重人格というのは元々は造語らしいです。それの正式名称はかつては多重人格障害、現在は解離性同一性障害、というよりジキル博士とハイド氏のように人格が正反対に真っ二つに別れるというのは現実にはまずないそうです。外で最も有名な多重人格者、ビリー・ミリガンも最大で同時に23の人格を持っていたとか。……つまり妹様のような症例は本来有り得ないんです」
「有り得ないって……」
「だから小悪魔は妹様のそれを二重人格と名付けた。吸血鬼が発症したが故に、本来の解離性同一性障害とは僅かに、けれど確かに違うそれを二重人格と。話せない人格というのもその一つらしいです。小悪魔が調べた限り、そういう人格が発現した例は解離性同一性障害にはなかったらしいので」
「そ、それじゃ小悪魔はどうやって……?」
「とりあえずは妹様の方に話しかけてもう一つの人格に干渉するという手法を試していたらしいです。他にも色々試していたらしいですが。……これは私の想像ですが、本当に手探りだったのではないでしょうか。何せ吸血鬼の精神治療というのは恐らく世界初の、前例のない試みでしょうから」
「……な……な」
レミリアが絶句した。唯一の症例に、世界初の治療を挑む。それはつまり治療法を確立するところから始めなければならないということではないのか? 間違っても専門ではない分野にたった一人で、床下一枚に自身を簡単に殺せる狂気を置いて、何のあてどもなく。そのあまりの途方も無さを思いレミリアは顔を引き攣らせた。
「お気付きかと思いますが、小悪魔もかなり頭を悩ませ苦しんでいたようです。なにせ片一方の人格のみと会話を交わすというのは、本来この疾患を治療するにあたりタブーになる行為だそうですから。それに手を出さねばならない程追い詰められていた。しかも妹様の症状は悪化している気配さえある」
咲夜が痛ましげに目を細め、口を引き結んだ。レミリアにも解った。上手く行くかどうか解らない博打に出ねばならない程の焦燥、それはまさしく幻想郷に渡って来たレミリア達と同じ物であったはずだから。そして……
「どうにかしなければならない、けれどどうすればいいのか解らない。……そんな時だったそうです。妹様からコウモリさんとして魔理沙の事を聞いたのは、楽しそうにあの白黒との話を語る妹様を見たのは」
………………
…………
……
心臓が止まるかと思いました。
そう言った小悪魔の青ざめた顔を美鈴は思い出していた。明かりの落ちた暗い廊下で、目を閉じ静かに座禅を組む美鈴の身体には幾重にも包帯が巻かれ、その殆どは、未だ滲み続けている血による赤色で斑模様を作っていた。
小悪魔の話によれば、魔理沙が地下に降りフランと会っていた……どころか一緒に地上に抜け出していた事を知ったのは一日目の夜だったそうだ。魔理沙と咲夜の部屋に忍び込んだ話を楽しそうに話すフランを隠し扉越しに見て、小悪魔は本気で全ての終わりを覚悟した。何故かと言って、フランのコウモリさんへの信頼は自分が地下に閉じ込められている事への顕在的な、そして潜在的な不満を肯定してくれる存在だという事が大きな要因になっている。しかし、それでも小悪魔は、コウモリさんは一度もフランに外へ出ることを促した事はない。そんな事を言ってフランが本当に外に出てしまえばそれこそ破滅だからだ。……しかし魔理沙はそのタブーを、知らぬが故にあっさりと踏み越えてしまった。つまり、フランの望みの本当の理解者として、コウモリさんを越える立ち位置についてしまったのだ。
……フランといつものような会話を交わしつつ、小悪魔は冷たい汗が頬を伝うのを自覚した。
これまで二十年かけて築いてきた信頼が一日で塗り替えられてしまう、そんな可能性に気付いたからだった。何せ自分が演じるコウモリさんというのは、どう考えたって怪しい存在なのだ。完全に正体不明で、紅魔館の内情に妙に詳しく、かつフランの願いに理解を示しつつも絶対に協力しようとはしない。こんな胡散臭い存在に、それでも賢いフランが信頼を置いてきたのはコウモリさんという存在が無意識に不信感を抱えている紅魔館の面々より、かろうじてマシだったからという消極的な理由でしかない。そこに何の裏表もなく完全に善意のみでフランに接する魔理沙が現れれば……折よく現れた咲夜を理由に口を噤み、小悪魔は必死に自問を続けた。どうする、どうすると、何度も。下で謳われる咲夜の誓いの言葉、それが全くの本心であると知る小悪魔は、懸命に思考を働かせる。あの咲夜の想いが嘘だと思われたまま終わるなんて、そんなの、そんなの――?
……そこで、小悪魔の思考がぐるりと裏返った。それは正しく悪魔のような閃きだった。すなわち……この状況は逆に利用できるのではないかと。自分は今までフランの他者への不信を食い物にして信頼を得てきた。ならここで自分へ向けられるであろう不信すら利用して魔理沙に信頼を抱かせる事が出来たとしたら? そうだそもそも、フランの治療は何も自分が行う必要はないのだ。他の誰かがより強い信頼を得て、より良い結果を出せるのなら……!!
これまでアレの正体を唯一正しく認識し、またコウモリさんとしてカウンセリングを行なってきた小悪魔は誰よりも実感していた。フランの本来の人格が主人格でいられる時間は、フランがアレに本当に取って代わられるまでの時間はごく僅かしかないと。そして、このまま自身が行なってきたやり方では間に合う目は少ないと。なら、ならば、いっそのこと、このまま魔理沙に賭けてしまうのが最善なのでは?
破れかぶれの狂気と言ってもいいその思考に誘われ、小悪魔は口を開き言葉を発しようとして、そして口を閉じて思いとどまるという躊躇を何度も繰り返した。そして……
『……咲夜』
眼下で発されたフランの消えてしまいそうな声を聞いて小悪魔は覚悟を決めた。そんな悲しそうな声のままで、そんな悲しそうな顔のままで、フランドール・スカーレットを絶対に終わらせたりしないという決意と共に……
『そりゃあ騙されてるんじゃないかなぁ? キキキキ』
偽りの、けれど確かにあったはずの信頼を焼き捨てる覚悟を。
……その時欠けたはずの、知らぬふりをしたはずの小悪魔の感情を想い美鈴は強く強く歯を食いしばった。その感情は本来なら"最初のコウモリさん"である自分が請け負うはずのものだったから。
(懐かしいですね。あれは確か……アレが現れる前、パチュリー様がうちに来た、それよりも前の話でしたっけ)
フランが予想したようにあの隠し階段を作ったのは美鈴だった。ただその目的はフランの予想とは違っていた。というより隠し階段を作ったことに目的を持っていたのは美鈴ではなくレミリアだった。ある日、お世辞にも良く出来たとは言い難い、明らかに手作りと思わしきぬいぐるみを抱えてレミリアは言ったのだ。
『フランにこの子とお話させてあげたい』
……と。
どうやら少し前にフランと話した時に聞いてしまったそうだ。フランは本当は外に出たがっていると。それを聞いた美鈴の感想は、やっぱりか、だった。自分の前でも、他の誰の前でもそんな素振りは露とも見せないフランだったが、実の姉たるレミリアだけはやはり例外だったらしい。フランの好奇心の強さを知る美鈴はフランの望みを察しつつも、ついぞそれを当人から聞かされる事はなかった。
……自分達の事を気遣い笑顔で望みを堪えるフランに、せめて話だけでも。レミリアのこの願いに美鈴は勿論首を縦に振って答えた。そうして初代のコウモリさんは生まれた。レミリアと美鈴が時間を見つけて天井裏から話しかけ、フランの望む外の話を、彼女が望むだけ聞かせた。その話を聞いて楽しそうにはしゃぐフランを二人は初めの内喜ばしく思っていた。……けれど、いつの事だっただろうか。あれはそう地下で皆で行う食事会、その前日に外の話を聞いていたフランが泣き出してしまった時のことだ。思えばその事については気を使うべきだったのだ。フランが決して見ることのない外の話、それがフランに決して喜びだけを与えるものでは無い事に。そうして、フランの涙を見てバツの悪い気持ちを抱えたまま美鈴は翌日の食事会に赴いた、フランもきっと暗い顔をしているだろうと。そう思って。……だが、
『フラン……?』
『え、なに美鈴?』
『い、いえ……』
『……? 変な美鈴。それよりさ、このシチューってなんかいつもと違うよね? ね、お姉様』
そう言ってレミリアと料理について話すフランはいつもと全く変わらない笑顔だった。それを見て美鈴の背にひやりとした悪寒が走った。
フランの笑顔が本当は辛いのを堪えているように見えた……からではない。本当に本心から笑っているようにしか見えなかったためである。けれど、そんなはずはないのだ。昨日フランが泣いていたのを美鈴はコウモリさんとして確かに見たのだ。なら、なら……これは一体何なのか?
美鈴はこれまで己のことを、フランのことを最も良く知る一人であると自負してきた。彼女が人知れず助けを求めているのならきっと駆けつけられるだろうという自信があったのだ。なのに……自分は果たして気付けたのだろうか? コウモリさんでなかったのなら、フランが昨日涙を流したことに自分は気付けたのだろうか? いや、もっと言うなら昨日見せた涙はあれが初めてだったのだろうか? もしかするとフランはもっとずっと前から人知れずに……
『そういえばお姉様、外にある虹って……』
『……ッ』
フランがずっと前から泣いていた。そんな認めたくない可能性が真実であることを美鈴はその時知った。フランに外の話を振られたレミリアの顔が微かに歪んだ。それが自分と同じ事にもっと前から気付いていたからだと美鈴は直感で悟った。同時に自分はフランのことを、嘘が下手だと思っていた小さなフランのことを何も知らなかったのだとも。
……それ以来美鈴は時計塔に住み込むようになった。フランの感情の昂りを察知する術式、その真上に。そして知ったのは自分がフランのことを本当に何も知らなかったのだという事実だった。警報が反応はしない程度の小さな昂り、それと共にフランは幾度と無く泣いていた。そして、それに気付いて美鈴が部屋に駆けつけ扉を叩けば……
『あれ、美鈴どうしたの? 遊びに来てくれたの?』
いつもと変わらぬ、美鈴でも決してその後ろを見通せぬ笑顔で以って彼女を迎えるのだ。嬉しそうに、本当に嬉しそうに。
……そうして何度も駆けつける内に、いつからだろう、美鈴はそのフランの笑顔が怖くなった。フランに決してそんな意図はないのだろうが、自分は何も知らないんだと思い知らされるその笑顔を見る内に、昔自分が先生だった頃の笑顔まで嘘に思えて来るようで、守りたかった過去すら霞むようで。それはきっとレミリアも同じだったのだろう。いつしか二人してフランと話すのがコウモリさんとしてだけになり、それすらパチュリーが来た時の騒動を理由になくなり、加えて美鈴は時計塔にすら滅多に寄り付かなくなり……
(……無様)
ガキリと響いた音は座禅を組む美鈴が己の歯を噛み砕く音だった。回復力だけなら吸血鬼にすら劣らぬ美鈴のこと、その程度なら直ぐ様回復したが、悔恨の苦味は欠けた歯と共に口の中に残った。
無様、正に無様だ。レミリアが最後まで諦めずに足掻き、小悪魔が今日まで治療法を求め奔走する中で、自分は早々に自分が出来るはずのことを投げ出したのだ。最後まで諦めず、立ち続けることが仕事のはずの門番が、真っ先にフラン自身から顔を背けたのだ。結果的にそれが小悪魔の助けになったとしても、それはどう言い繕ったところで無様の極地たる所業だ。
『美鈴、聞こえる? こっちの準備は出来たわ。そっちはどう?』
「こっちも準備万端です。いつでも行けます、パチュリー様」
『そう……』
美鈴を苦い回顧から呼び覚ましたのは、正面に置いていた呪符から聞こえてきたパチュリーの声だった。いつもより更にか細いその声は、彼女もまた消耗を押して動いていることを美鈴に伝えていた。
『悪いわね、貧乏籤押し付けて』
「それはお互い様ですよ、パチュリー様。それに正直嬉しいんです、私は。今の役割が。生きるか死ぬか本当に実験で命を懸ける。それぐらいやらないとこれまでの私の無様は挽回できませんから」
『……解ってるとは思うけど』
「その上で私は死にません。絶対に。……頑丈なのが私の取り柄ですから」
パチュリーが何を言おうとしているのか察した美鈴は即座にそう答えた。命を懸けてその上で果てる、それを良しとなどできようはずもない。その死はきっとフランとパチュリー、他の皆の重荷にもなるのだから。
『……そう、ならいいわ。それじゃ……始めるわよ』
「はい、この門番めにお任せあれ。時間稼ぎの遅延戦闘は得意分野ですので」
その言葉を最後に通信が切れる。
美鈴は座禅を組んでいた足を解いて立ち上がる。さぁ役目を果たそう、難しい役目だがそれぐらいはこなさなければ格好がつかない。何せ自分は本命の役を担う魔理沙に、"中国などと揶揄される程"長く生きているのだから、それぐらいはやらないと年長者の意地が廃れる。
「さてと、それじゃ行きますか」
暗い廊下に紅い髪の人影が一歩を踏み出した。
………………
…………
……
Ten little Indian boys went out to dine♪
One choked his little self and then there were nine♪
心で馴染みの歌を歌いながらフランは魔理沙を追い掛けていた。
人間とは思えぬ速度で翔ぶ魔理沙はまだ目では見えてはいなかったが、それでもフランにはそれと同じぐらい確かに魔理沙のことが見えていた。脳裏に灯る明るい光点。あの日あの魔法を使って以来目覚めた新しい感覚に確かに魔理沙の気配が映っていた。
Nine little Indian boys sat up very late♪
One overslept himself and then there were eight♪
しかし油断は出来ない。フランが新たに得た感覚はまだまだ不安定でしっかりと集中していなければあっという間に魔理沙を見失ってしまうだろう。だからフランは唱えるのだ、自分の歌を、自分の呪文を――?
(……なに? 魔理沙が……三つに分かれた?)
フランの脳裏の光点が進路を三つに分かれて分裂した。予想していなかった事態にフランは困惑しつつも先に進み、魔理沙が分かれたと思しき十字路に到着した。フランは目を閉じて光点の位置を確認し、次に無数の扉と壁に挟まれた廊下を右、左、そして正面と見据える。信じ難いことだが、自分の感覚を信じるなら魔理沙はその廊下の先にそれぞれ一人ずつ居る計算になる。これは……
(デコイ、かな? 三つの内一つが本物で、二つが偽物。魔理沙は色々面白い魔道具を持ってたから、その類かな?)
これまで唯一の気配を追えば良かった追跡行が、いきなり三分の一の確率になった。そんな事態に置かれフランは……
「ァハ♪」
ギチリと笑い、赤い舌を踊らせ舌なめずりして……自身もまた分裂した。
「「「「向こうが三つに分かれたなら、私も三つに分かれて追えばいいんだよね。残念でした魔理沙♪」」」」
喜悦にまみれて笑う四人のフランがそれぞれ分かれて魔理沙を追い始める。……いや、
「「けど本命はこっちだよねぇ!! 魔理沙ったら解りやすくてカァーワイイー♪♪」」
それだけではない。右に曲がった廊下には二人のフランが並走して魔理沙を追い掛けていた。……フランが捉えている魔理沙の光点、それがこちらのだけ明らかに速い。
「まぁありさぁーー!! そんなに急いでどこ行くのー!? 私と遊んでよー!! キャハハハハハハハハ!!」
二人のフランが更に二手に別れた。……フランが現在居る地下二階は碁盤の目のように無数の廊下が走っている構造になっていた。そこを片方のフランが叫びながら魔理沙を追い立て、そしてもう片方が静かに、密かに十字路を曲がり先回りし……
「「つっかまえたーー!! ……!?」」
計画通りの完全な挟み撃ち。二人のフランが、手にした魔杖で魔理沙の首を跳ね飛ばす。人間の骨肉が吸血鬼の膂力で紙細工のように引き千切られ、魔理沙の首がクルクルと宙を舞う。
……しかし、
「……残念だったわね、妹様」
切り落とした魔理沙の首が、床に落ちた魔理沙の首が口を開いた。
……いや、そもそもフランが飛ばしたその首は、
「……パチュリー?」
「ええ、御名答。私はパチュリー・ノーレッジの……」
「黙れ」
何事か言いかけたパチュリーの首を片方のフランが踏み潰した。そうしてガシャンと響いた音はどう考えても生き物が潰れた音ではなかった。飛び出した金属の歯車、鈍色の発条、それらを考えれば……
「パチュリーによく似た……人形?」
「その通り。私はパチュリー・ノーレッジの人形よ」
「……!?」
聞き慣れたパチュリーの声が背後から響いたのを聞いてフランは慌てて振り向いた。そこには、やはりというか何というか十字路の真ん中に立つパチュリーの姿があった。
「酷いわね。話ぐらいは聞いてくれないかしら。でないとルールの説明が出来ないわ」
「……ルール?」
「ええ、ルールよ。これから始まるお遊びのね。まぁ、まずはこれを見て頂戴」
そう言ってパチュリーは自身の頭を両手で挟むように持ち、そのまま上に持ち上げた。するとどうだろう、まるで冗談のように何の抵抗もなくパチュリーの頭が胴体からあっさり抜けた。
「……なるほど、つまりこの貴方そっくりの人形は一体だけじゃないってこと?」
「ええ、元々は貴方の能力に対抗する為に実験していた魔法具の一つ。遠隔操作出来る人形で私の十分の一でも火力が出せれば、壊されることを前提に、レミィのフォローなしで援護射撃が出来る。まぁ結局、十分の一のそのまた十分の一も性能を出せなかった失敗作だけど。……けど、そんな失敗作でも貴方の注意を引くことぐらいなら十分に出来る」
「……で、その出来損ないを魔理沙の為に引っ張り出してきたんだ。ふーん、無駄な努力ご苦労様。けど残念でした。私は元々この地下二階で魔理沙に追い付くつもりだったの。ていうか、速度的に見て自然に追い付くのがここって言った方がいいのかな? ……ほら、言ってるうちに一人追い付いたよ」
パチュリーの人形と語る本体のフランにははっきりと見えていた。頭の中の四つの視界の内の一つに前を行く者の影がチラチラと揺れているのが。
「あれは魔理沙かな? それとも貴方の人形かな? 今、試してあげる。それじゃいくよー、きゅっとして……」
分身のフランが手を前に出す。そして目を作り出し……
「覇ッッ!!」
ドカンと、裂帛の気合と共に放たれた踵落としを受け墜落した。本体と分身、二重の混乱で動きを止めるフランに天井から降ってきた影は全く容赦をしない。そのまま殴り、蹴り、怒涛の連撃で分身のフランを追い詰め、そして……、
「……ッ!!」
本体のフランの視界が一つ消えた。それはつまりフランの分身の一体が過度のダメージにより消滅したことを意味していた。
「それじゃあ、ルールの説明をするわね」
分身を一体やられて動揺するフランに構わずパチュリーが口を開いた。フランはゆっくりとそのパチュリーの顔に視線を合わせる。
「見ての通り、私はこの"魔力を持った"人形を囮にして魔理沙を地下二階から脱出させるわ。その妨害をかい潜って魔理沙に追いつけたら貴方の勝ち。出来なければ私の勝ちよ」
「……パチュリー」
澄まし顔で滔々と語るパチュリーをフランは憎々しげに睨めつけ、その名を呼ぶ。
「ただ、気を付けなければならないこととして、貴方すら見破れない隠蔽の術式を扱える美鈴がここに潜んでいることが挙げられるわね。貴方本体でなく、分身の方と一対一なら美鈴でも何とかなることは今実証されたわ。……それともう一つ」
パチュリーがニヤリと笑い、フランの視線に真っ向から応じ……
「魔理沙とデコイの速度を調節して、貴方本体をここにおびき出したは私の策よ。貴方はすでに私の術中にいる。それに気付きもしなかった貴方が……」
「パチュリィィィイ!!」
言って、フランはパチュリーの元まで一息で駆け寄り魔杖を振り下ろした。パチュリーの人形は不敵な笑みを浮かべたまま何の抵抗もなく粉微塵に砕け散る。
(……落ち着いて)
フランは憤怒がグツグツと煮え立つのを自覚して、自身に言い聞かせた。
「Ten little Indian boys went out to dine♪
One choked his little self and then there were nine♪」
リズムを口ずさむ。怒りで乱れていた思考がたちまち静けさを取り戻す。
(まず追うべきはさっき美鈴が出て来た方に進んでる反応。魔理沙を助けたいなら普通に考えて美鈴は本物の護衛にするはず)
フランの思考を受けて、傍らにいた分身と新しくフランの背中から分かれた分身が美鈴が現れた方向に飛び立つ。
(けど、パチュリーはデコイの方を一番速くすることで私をおびき出した。これは結構リスキーな選択だったはず。もし私が遅い方から順に消していくことを選択していたら二分の一で魔理沙に私自身があっさり追い付くことになるんだから。そんなリスキーな策を採ってきたパチュリーなら、むしろ美鈴を引っ掛けに使って……あれ、こっちはハズレ?)
思考の途中に消されずに魔理沙を追っていた分身の一人が追い付いた。しかし、その視界に映っているのは魔理沙の白黒の姿でなく紫と白の装束のパチュリーの人形だった。フランはその人形を能力で手早く破壊して思考に集中する。
(これで美鈴の方が本物。ただ……やっぱりか)
フランが能力で最後のパチュリー人形を破壊すると同時に、魔理沙の反応がまた三つに分かれた。
パチュリーはあれを実験していた魔法具の一つと言っていた。今は失敗作という結論が出ているようだが、その結論が出るまでに一体パチュリーは何体の試験作を作っていたのか? その数は間違っても一体や二体ではあるまい。それを地下二階に無数にある部屋の中に隠しておけば囮はパチュリーが持っている人形の数だけ確保出来る。
ただ……
(ふふ、ふふふ、間抜けだなぁパチュリーも。……いいや。分身の方はとりあえず適当に追っかけさせておけば)
フランは分身に三つの光点を適当に追いかけるように指示すると、自分は魔理沙の反応とはまるで関係のない方向に羽ばたき飛び立った。
「Eight little Indian boys travelling in Devon♪
One said he'd stay there and then there were seven♪」
歌う、歌う。先ほどと違い、ただ上機嫌に誘われてマザーグースのリズムを口ずさむ。
(ふふ、パチュリーは私の前に出てきて説明なんてするべきじゃなかったね。あれも魔理沙から私を離す為の時間稼ぎだったんだろうけど……語るに落ちてたら逆効果だよ)
パチュリーはルール説明の際に自分は魔理沙の"脱出"を助けると言った。脱出、この一言さえなければ自分はもしかするとパチュリーの策に綺麗に嵌っていたかもしれないのに。
(パチュリーは挑発して、怒らせて、私をパチュリーの仕掛けたゲームに乗せようとした。私が魔理沙を追い掛け回すことに集中するよう仕向けた。……そうだよねぇ、だってそうじゃないと)
フランがニタニタと笑う。恐らく向こうもフランの位置は把握出来ているのだろう。それがフランに出来てパチュリーに出来ないはずがないのだから。それ故にフランは笑った。感じられる魔理沙と人形の反応が泡を食ったように慌てて、今この自分が居る方に方向転換したからだ。けれど遅い。それはどう考えても遅い。だってフランは……
「と~~う、ちゃく!!」
フランが全速力で目指した到着点、それは階段だった。昨日、自分の部屋から地上まで抜け出る際に使ったこの地下二階ただ一つの階段。
(地下四階に階段が一つしかないのは偶然じゃない。私を出さないためにわざとそうしたんだ。そして多分他の地下フロアにもそういう役割がある。私を出さない為に出口を絞るっていう役割が。じゃないと下から昇ってくる階段と上に昇る階段が離れているのは不自然だもの)
そして今、魔理沙が通過する前にフランがこの階唯一の階段の前に陣取った。魔理沙にとって決して勝ち目がないであろう能力を持つフランドール・スカーレットの本体が。
……これこそがこのゲームの攻略法。単純明快、フランがここに陣取る限り魔理沙は脱出しようがない。パチュリーが戯れ言で隠そうとしていた最善手、フランはそれを惑わされることなく選び取った。
(さてと。あと問題なのは美鈴かな? まぁそれも気にするほどじゃないけど。美鈴はまだ回復しきってなかったみたいだし……一対一ならどうにかなっても三対一ならどうかな?)
フランが階段に陣取る前に、すでに分身のフランは合流して三人で一つの反応を追い掛けていた。魔理沙の脱出口を塞いだ今、リスクを冒して分身を三手に別ける必要はない。ゆっくりと、時間を掛けてデコイを一つ一つ潰していけばいい。パチュリーがどれだけの数の人形を持っているかは知らないが、その数は間違っても無限ではないのだから。
(よっし、また一体壊した。六……七……八……、ふーん十体以上は居そうかな? 結構たくさん作ったんだ、パチュリー)
一体壊す度に新たに現れる反応、全体として常に三の数を保つ反応をフランは階段に座りながらニタニタと笑い、一つずつ破壊していく。
パチュリーの人形を一つ壊す度に、フランの喜悦は増していった。フランにとって空振りはもはや苛立ちには繋がらない。何せ自分が階段に居る限りフランが魔理沙を壊すのは確約された未来なのだから。むしろフランは鼠を甚振る猫のように魔理沙を追い詰めることを楽しんでいた。……と、
「……ん、思ったより早かったね、美鈴。人形の数がもうないのかな? 三十体ぐらいはあるかと思ってたんだけど」
「……」
階段前の広くなったホール、フランの眼前であるそこに険しい顔をした紅美鈴が進み出てきた。
これもまたフランの想定通りの展開だった。このまま人形が削られていけばいつかは必ず魔理沙が捕まるのだ、ならば分身としてフランの力が分かれている内に階段の突破を図る。これが魔理沙を脱出させる上での最善手だ。……しかし、
「残念♪ 最善だからといって望み通りの結果を得られるとは限らない。私と一対一で、私の能力を防げるアイツ抜きで、貴方が私に勝てるはずがない。解ってるよね? 美鈴?」
「……」
美鈴は無言でまた一歩、歩を進める。腰を低く落とし、拳を握り、構えを作る。
それを見てフランは立ち上がり、目を呆れたように細める。
「……へー本当になにも策はないんだ。ただの破れかぶれの特攻? つまんないな、もうちょっと遊べると思ったんだけど」
フランはそう言って掌を前に出す。それを見ても美鈴は全く退かない。ただ更に身体に力を込め……
「もういいわよ美鈴、終わったから。時間稼ぎご苦労様」
「……!!」
飛び出す。正にその瞬間、見計らったかのようにパチュリーが廊下の奥から進み出てきて美鈴の肩を叩いた。
それも人形だということは解っていたが、しかしそれでもフランは虚を突かれた。美鈴の後の角に隠れていた反応、フランはそれを魔理沙当人の反応だと思っていたからである。……いや、それよりも、
「……終わった?」
「ええ、終わったわ。このゲームは私の勝ちよ。魔理沙はすでにこの地下二階を脱出したわ」
パチュリーの堂々たる勝利宣言。微塵の揺らぎもないそれを聞いても、フランはパチュリーが何を言っているのか全く解らなかった。
「……負け惜しみにしても随分無理があるんじゃない? それ。私は魔理沙の反応が、貴方の人形の反応が、一つもここに来ない内にここに来た。それでどうやって魔理沙が脱出……」
絶対に揺らがないはずの事実、それを口にしようとした瞬間にフランの分身が追い掛けていた反応が……全て同時に消えた。
この地下二階でフランの感覚にかかっているのが眼前の二人だけになる。その事実をどう解釈していいのか解らず、フランは唖然として言葉を切る。
「忘れているのか、知らないのか……どちらにせよ教えてあげるわ。魔理沙はまだ種族魔法使いにはなっていない普通の人間よ。空を飛ぶことをやめて、自分の足で走れば"魔力反応"を追い掛けている貴方の知覚には当然かからなくなる。今消えた反応もただ単純に動力を切っただけよ」
「……!!」
「そして貴方はもう一つ勘違いをしている」
パチュリーの言葉にありありと驚きの表情を浮かべているフランに、畳み掛けるようにパチュリーは言葉を続ける。決して怯まず、これこそが私の戦いだと言わんばかりに。
「私は魔理沙を"脱出"させると言ったのよ。上階に、地下一階に魔理沙を逃がすなんて一言も言ってないわ。……となれば、あるわよね? ここに、地下二階にも貴方が塞いだ階段以外にルートが一つ」
「……それはまさか下に降りる方の階段を言ってるの? だとしたらお笑い種だよ。行き止まりの下に逃がして、その先どうする……」
「本当に、その先は行き止まりだったかしら? それなら何故貴方と魔理沙は出会うことができたのかしらね」
「……な」
今度こそフランの顔から余裕の色が完全に消えた。
「急がば回れ。本来の出口を無視して、貴方の部屋の隠し階段を使って脱出する。挑発に乗ってくれて、私の裏を読もうとしてくれて助かったわ。普段の貴方ならこれを見逃すようなことはなかったでしょうから。なにせ……」
貴方自身が一度使ったトリックだもの。
澄ました顔で、ちょっとした手品を披露したかのようにパチュリーは肩を竦めてみせた。
それを見てフランは……
「キヒ、ヒ、ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
狂ったように笑い出した。ただ、その大笑に違和感はなかった。むしろこれまでのフランにこそ付き纏っていた違和感を消し飛ばすような、今のフランにあまりにも似合いの狂声だった。
「そっかそっか、ようやく気付いたんだ? 私があくまでフランドール・スカーレットだって。じゃないとフラン向けの心理戦なんて出来ないもんね?」
「……ええ、本当にようやくの上、自力ですらないけれど」
「あ、大丈夫。そこはぜんぜん期待してないから。貴方達が私のことに気付くなんて有り得ないもん。四百九十五年間、可愛い可愛い表のフランしか見て来なかった貴方達が、裏の私に。気付いたのは魔理沙かあの巫女かどっちかでしょ?」
「……ッ」
パチュリーの人形のものであるはずの顔があまりに生々しく歪んだ。
魔杖を頭蓋に叩き込まれるより余程堪える言葉だった。
「ねぇ知ってる? ううん、知ろうとしてた? 私ね、辛かったんだよ? 苦しかったんだよ? 皆に嫌われたくなくて、笑って、けど嫌われて。それでも笑って、わけわかんなくて、魔理沙にまで嫌われて、それでも笑って笑って笑って……そしたらほら♪」
そう言ってフランは朗らかに笑った。パチュリーが良く知る明るい笑顔で。
「裏の私も、笑うことしか出来なくなっちゃった♪ おかしいよね? 私はアンタ達を壊したくて!! 壊したくて壊したくて壊したくて壊したくてッ!! 堪らないのにッッ!!」
「……」
「でもいいの。アンタ達を壊すのは後で。まずは魔理沙を壊すの。そうすれば私は止まらない、止まれない。全部全部壊すまで止められない!! 止まりたくない!! 我慢出来ない!! したくない!! アハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」
フランが笑う、叫ぶ。ずっとずっと誰にも言わなかった、言えなかった心の裏側を吐露して。愉しそうに、嬉しそうに、泣き顔のような顔で大笑いする。理性がある者ならば出せるはずのない、この世の全てから解放された、全てを捨て去った者の怖気を催す笑声だった。
「ハハハハハハハハ……あ、けど」
ピタリと、スイッチが切り替わったかのように突然笑いを収めてフランは言った。
「とりあえず、そこの赤髪は壊しておこうかな。また邪魔されたら面倒くさいし」
「……え」
あっさりと、何の感慨もなくフランが手を一つ叩いた。パンと、間抜けな音が響くと同時パチュリーの隣に立っていた美鈴が弾け飛んだ。血が辺りに撒き散らされ、朱色の肉が廊下にピチャリとへばりつく。
「貴方も薄情だよね、パチュリー。会って十年経ってないはずの魔理沙の為に美鈴を捨て石にするんだから。まぁ、私からしたら今更だけどさ」
呆然とするパチュリーにそう言い捨てて、フランは踵を返し猛然と飛び立った。その顔にはこれまでで初めての焦燥の色があった。
(間に合う? 間に合うよね!? 間に合うに決まってる!! 魔理沙が走って移動したっていうならまだあそこに居るはず……!!)
行き先は決まっている。フランの部屋の隠し階段を抜けた先、すなわち、
「地下図書館!! 待ってて魔理沙、今、今行くから!!」
狂気を満ち満ちと湛えてフランは翔ぶ。憎悪に引かれ、恋情に焦がれ、ただ一心に普通の魔法使いの影を追って。
………………
…………
……
「……行きましたか? パチュリー様?」
「ええ、行ったわ。"美鈴"」
「そうですか。では……何やってんのさパチュリー!! そこに立つのは私の役目だったはずでしょうが!? 逆にしてどうするの!?」
「解ってる、解ってるわ。けど仕方ないじゃない、"貴方の人形"を壊させる前にフランが階段に来ちゃったんだから。ああ、心臓が止まるかと思ったわ」
へなへなと腰が抜けたようにその場にへたり込むパチュリー……人形のフリをしていたパチュリー・ノーレッジ本人に辛抱たまらずと言った調子で叫ぶのは、フランの能力で散華したはずの紅美鈴その人だった。
「こっちもそれは解って言ってる!! それならそれで無理に確かめようとせず妹様を図書館に行かせれば良かったでしょうが!! 私と違って、貴方にはこの後も……」
「美鈴」
「ぐ……む」
「怒るわよ。貴方は、絶対に死なないって言ったわよね?」
「う、む。うー」
自分なら最悪死んでも、そんな意図が見え隠れする美鈴の言葉を鋭く咎めてからパチュリーはほうっと大きな安堵の息を付いた。本当に、ギリギリだった。予定ではもう少しフランに魔理沙と追い掛けっこを続けさせ、自分のものと同じように美鈴の姿をした人形を壊して貰ってから今の自分と同じ様に人形のフリをして立って貰うつもりだったのだが……
「やっぱり魔理沙の言う通りね。戦闘経験なんて私達と真正面からやり合うだけだったのに、搦手に対してあの判断速度。……間違いなく天才だわ」
あと少し、ほんの少しでもフランに用心深さがあれば念の為用意していた血糊入り美鈴人形と一緒に自分も消し飛ばされていたに違いない。フランの無垢さが、皮肉にもフランをこれまで閉じ込め続けて来たが故の無垢さが功を奏し、パチュリーの命を救ったのだ。……それは本来パチュリーにとって到底喜べることではない。けれど……
「収穫はあったわ。妹様の無垢さに付け込むなんて真似をしたのに見合う収穫は」
「……そうですね。妹様はパチュリー様が本物であることにも、吹き飛ばしたのが人形であることにも気付かなかった」
「ええ、これで欲しかった情報は全て出揃ったわ。後はこれをこぁに伝えれば準備は整う。本当に、本命の勝負を十全に行える」
パチュリーはそう言って呪符をポケットから取り出し、その向こう側に居る小悪魔と通信を始める。美鈴はそれを見てパチュリーに背を向けて階段の上を見上げた。
その顔に浮かぶのは予定とは違えどどうにか役目をやり切った安堵の色ではなく、これからのことを思っての真剣な色でもなく……と、ポスリと、そんな美鈴の背中に何かが柔らかくぶつかってきた。それは通信を終えた……
「パチュリー様?」
「……めんね」
小さく聞こえてきた嗚咽とパチュリーの声を聞いて、美鈴は振り返りかえるのを止めた。
「ごめんねフラン。……ごめん、気付いてあげられなくて……ごめんね」
「……」
まだやるべきことはあった。パチュリーにはもちろん、生き延びたのなら自分にも。けれど今は、少しだけ……
「ごめん……フラン」
涙だけは堪えた。年長者の意地で、どうにか。けど、願わずにはいられなかった。
どうか、どうか……
「どうか無事で……フラン、魔理沙、それに……」
……その願いが叶うかどうか、それはきっと誰にも解らない。運命を知る吸血鬼にも、運命に囚われぬ巫女にも、そして……
今この時、いよいよもって天で輝き始めた紅い紅い満月にも。
………………
…………
……
「……ねぇ魔理沙さん。少しだけお話させて貰ってもいいですか?」
「あん?」
奇妙な場所で、奇妙な作業だった。
場所の方は巨大な本棚に挟まれた高所の空中。そこに建築で使うような急拵えの足場が延々と続き、不安定ながらも明かりの付いた道を作っている。その道の一番端の方。そこで魔理沙はせかせかと箒に黒い革のベルトを巻きつけていた。そんな作業に勤しんでいた魔理沙は、ずっと黙っていた小悪魔に突然呼びかけられ肩越しに振り向いた。
「……別にいいけど、作業しながらでいいか? 時間ないし。いや、この木の棒っつーのが意外と滑ることに気付いてさ。これでうっかり手を滑らせて箒から落ちましたとかなったら笑えないからな」
ギシギシと、手早く滑り止め用のベルトを愛箒に巻きつけていく魔理沙に、小悪魔はもちろん構いませんと答えて言葉を続けた。
「話したいのは私の動機の話です」
「動機?」
「はい、私が妹様の為に今日まで努力を続けてきた動機です」
「……それはパチュリーの為じゃないのか?」
ギシギシと、決して手は止めずに魔理沙は小悪魔に言葉を返した。
パチュリーを溺愛している小悪魔のことである、パチュリーの為にフランを助けようとしたというのは誰が聞いてもすんなり納得出来る話だったし、事実魔理沙も聞くまでもなく、そして多分パチュリー自身もそう思っているはずだ。けれど小悪魔はそんな魔理沙の返事にいいえと答えた。そして……
「私が妹様を助けようとしたのは……初めは復讐の為でした」
ギシギ……、魔理沙の作業していた手が止まった。
「……復讐?」
「はい。……と言っても復讐だとちょっと言葉が強すぎますか。仕返しとか、意趣返しとか、そんな感じです」
「……解からんな。復讐とか、仕返し? どっちでもいいけどそういうのでフランを助けようって……どうしたらそうなるんだ?」
動揺から立ち直ったのか再びベルトを巻きながら魔理沙は問いかけた。
それに小悪魔は静かに、穏やかな声で答える。
「覚えてますか魔理沙さん。お嬢様が貴方にアレの事について話した時の事を」
「……二重の意味で忘れる訳無いだろうが。内容的にも、時間的にも」
言いつつも魔理沙はわざわざそれを聞いてきた小悪魔の気持ちが解るような気がした。何故だろう、まだ数時間前の話であるはずなのに、あの時の事が妙に昔のように感じられた。まぁ、それだけ色々あったということなのだろうが。
「初めてだったんです。あの時が」
「初めて? 何が?」
「私がお嬢様から……お嬢様方から、妹様の症状を聞いたのが、です」
「……なんだと?」
魔理沙がとうとうベルトを巻いていた手を止めて小悪魔の方に完全に振り返った。
その先で小悪魔は優しく笑って言葉を紡ぐ。
「もちろん私はそれ以前から妹様とコウモリさんとして会話を続けていましたし、アレの事についても知っていました。けど例えば……お嬢様やパチュリー様が妹様のもう一つの人格をアレと呼ぶとか、地下に対吸血鬼用の魔法陣が敷いてあるとか、そういうのは知らなかったんです。私の妹様へのアプローチは隠し階段の発見に端を発した、完全な独断でしたので。……私が本来知っているはずの情報は、地下にお嬢様の妹が居て、それが少々問題のある方だという事だけでした」
「それは……パチュリーからは聞いてなかったのか?」
流石に予想していなかった小悪魔の言葉に、魔理沙は少なからず戸惑いながらも尋ね返した。
「いいえ、パチュリー様からも何も。……多分、気を使って下さったんでしょうね。仮に私がアレの事を聞かされたとしても何も出来ないと思って」
「……あ」
そう言って儚く笑う小悪魔。そう"小"悪魔、それが彼女の呼び名なのだ。悪魔という強大な種族に生まれながらも小さな、それこそ人間の魔理沙にすら遥かに劣る力しか持たぬが故にそう呼ばれる、か弱い存在。
「実際、その判断は正しいんです。私が妹様を抑えるのに駆り出されたりしたら多分流れ弾一発でお陀仏でしたし、パチュリー様が手も足も出ない憑物相手なら私の知識なんてものの足しにもなりません。……だから、パチュリー様の判断は何一つ間違っていないんです。ただ……」
「それとこれとは話が別。せめて話しては欲しかった、だろ?」
「……はい、魔理沙さんなら解ってくれると思ってました」
「ちぇ、褒め言葉になってないぜ、それ」
魔理沙が口を尖らせておざなりながらも抗議の声を上げた。
小悪魔の気持ちが魔理沙には良く解った。恐らくは届かないのだろう、決して意味の有ることではないのだろう。それでも挑むことはさせて欲しかった、頼りにして欲しかった。それは魔理沙と同じ弱い者の思考だ。弱者のせめてもの矜持だ。
「私が妹様の二重人格に気付けたのもそれが理由です。このお屋敷の、ずっとずっと当てもなく妹様の為に戦ってきた強い人達には解らなかった。ただ一人、妹様の弱さに共感出来る私だけが気付けた。パチュリー様達ならきっと歯牙にもかけない小さな傷で苦しむ妹様の気持ちに」
「……」
「強さでなく弱さに頼った情けない成果です。けど、それでも私には嬉しかった。パチュリー様達に出来なかった事が私には出来た。……だから、これは仕返しなんです。弱い事を理由に置き去りにされた私の、紅魔館の強者達への意趣返し。"私が"妹様をお救いする。それが私の、除け者にされた事への些細な些細な復讐です」
それは決して褒められた理由ではなかった。もしそれが本当にパチュリー達に二重人格の事を黙っていた理由なのだとしたら、独り善がりだと糾弾されて然るべき動機だった。
しかし魔理沙は何も言わない。笑ったままの小悪魔の顔をただ見つめ続ける。そろそろ魔理沙にも解ってきていた。この小悪魔は、或いは紅魔館に住む悪魔達は、辛い時に、泣きたい時にこそ笑うのだと。そして案の定……
「……っていうのが最初の理由だったんですけどね」
「ためが長すぎる。さっさと言えよ、時間ないのは解ってんだろうが」
「ふふ、ごめんなさい。……そうですね、私の理由が変わったのは……大丈夫って聞かれたからでしょうか?」
「……?」
「実際、私は辛かったんです。パチュリー様の使い魔である私が、パチュリー様が本当に苦慮している妹様の件に無力で、パチュリー様にもそう思われていることが。そしてそれを逆恨みして馬鹿みたいな仕返しをやっている自分の矮小さが。本当に嫌だった。辛かった。けど変な意地でそれを表に出すことも出来なかった。……なのに」
大丈夫? と、そう言われたのはもちろん小悪魔でなくコウモリさんとしてだった。けれどそれでも、小悪魔は胸を突かれたような気持ちだった。誰にも気付かれていないはずなのに、主にすら隠してきたはずなのに、自分の顔すら知らない箱入り娘が、貴方いつも辛そうだけど大丈夫? と、こちらを見透かすように言ってきたのだ。言葉を返すのには随分と長い沈黙が必要だった。
『……何を、言っているんだいフラン?』
『コウモリさんの声ってさ、なんていうか作ってるっていうか、無理して硬くしてるっていうか、そんな感じがするんだよね。なんとくなんだけど、そういう声作るのって辛い気がするの』
『……』
『だからさ、辛かったらお話ぐらい聞くよ? いつも私の聞きたいこと聞いてばっかりだし、言いたいこと言ってばっかりだからさ。私でもそれぐらいなら出来るし……ね?』
そう言って、小首を傾げてぬいぐるみに笑いかけるフランを見て、小悪魔は……
「この子、正真正銘馬鹿な子なんだなぁって、そう思いました」
「ぅおい!! ちょっと待てお前今なんつった!?」
「いえ、だってそうじゃないですか。自分の人格がバラバラになっちゃうぐらい一杯一杯のくせに他人の心配してるんですよ? まず自分の事からどうにかしろっていう話でしょ?」
「うぬ……いや、ま、そりゃ……」
「……けど、私にそれを言う資格はないんですけどね。だって妹様のそんな言葉に私は何度も甘えちゃいましたから」
「……あん?」
「本当にその言葉を真に受けて、辛かった苦しかったっていう話を打ち明けていたんです。もちろん詳細はぼかしてですが。妹様の治療が上手くいかなかったのはこの辺にも理由があるのかもしれません。二重人格の治療者は何があっても動じない、頼もしい人が望ましいらしいので。……結局私は、四百九十五年の引きこもりの前でもそんな強い人にはなれなかった。妹様の優しさに、甘えてしまった」
……けど、
「その代わりに……気付いたら私が、私の方が、妹様と話すのが楽しくなっていた。コウモリさんとして妹様と話すのが好きになっていた。そして……ねぇ魔理沙さん、知ってました? 妹様は冒険もですけど、星も好きなんですよ」
「……初耳だけど、そりゃなんとも複雑な話だな。本格的に趣味が合うっていうのは嬉しいけど、フランは本物の星を見たことはないんだろ? そう考えると……」
「初めてじゃないんです」
「……あん?」
「初めてじゃ、ないんです。妹様も覚えていないずっとずっと昔に妹様は何度か外に出たことがあるんです。そして、それが妹様が今日この日まで閉じ込められてきた本当の理由に繋がっているんです」
「……」
魔理沙が口を閉じて押し黙る。フランが閉じ込められている本当の理由、それは魔理沙も引っかかっていることだった。もし仮にその理由が二重人格だったとしたら、フランが四百九十五年も閉じ込められるはずはないのだ。だってフランが二重人格を最初に発症したのは五十年前なのだから。
「これも本来なら私は知らないはずの情報です。私がこれを知っているのはお嬢様の部屋の隠し部屋……そこに収められた先代のスカーレットの手記を見たからです。そこには外に出たお嬢様方の会話がはっきりと記してありました」
小悪魔はそう言って、それを読んで以来決して忘れる事の出来なかったフランの秘密を魔理沙に話した。
時を越え今に続く、全ての始まりとなったその会話は……
『うぅー太陽っておっかないんだねーお姉様。あんなにピカピカして綺麗なのに』
『ええ、だからフラン、日傘の下からは出ちゃだめよ。日傘越しでないのなら見ても駄目。本当に目が焼けちゃうから』
『ふーん……ねぇお姉様。私の能力ってね、なんかこう……目? っていうのかな、そんな感じのをきゅっとしちゃうと何でも壊せるんだけど……』
『……目、ねぇ? それを潰すと何でも壊せるのね?』
『うん!! だからね、だからねお姉様……』
……少女はその時言ってしまったのだ。それを言えば、自分が暗い地下に閉じ込められるとも知らずに、無邪気に、無垢に、それが意味する事すら知らず、日傘越しの太陽を見上げ……
『私が"太陽を壊しちゃえば"お昼でも日傘いらなくなるのかなっ?』
……時を越えその言葉を聞いて、魔理沙の呼吸が一瞬止まった。
「……は?」
「恐らく目が見えていたんでしょうね。……妹様の能力は硬度、距離、質量、その全てを問わずありとあらゆるものを破壊する。説明を聞いて、その意味を、魔理沙さん貴方は本当に理解していましたか? 硬度はさておき……距離を問わない、それはつまり一億五千万キロ先のモノでも壊せるということです。質量を問わない、それはつまり太陽系の全質量中99.9%を占める巨大恒星でも破壊出来るということです。……これが妹様が頑なに"地下"に閉じ込められてきた理由です。この秘密を知るお嬢様達は、妹様に、二重人格を発症する前から精神的に不安定だった妹様に、決して太陽を敵と認識させる訳にはいかなかった。そうなれば万が一の確率で、しかし、世界が終わりかねない」
「……!!」
「お嬢様が霊夢さんに会うまで、そして私が外部の専門家に助けを求めなかったのも……同じくこれが理由です。だって私情を抜きに考えるなら……妹様は幽閉どころか処分しておくのが絶対に正しいんです。私だってこれが妹様の事でなければそう判断したでしょう」
パクパクと魔理沙は口を開け閉めする。何を言ったらいいのか解らない。あまりに衝撃が大きすぎた。
「……だから魔理沙さん、もう一度聞きます。貴方は本当に妹様と戦ってくれるんですか? 元に戻る"かも"しれない、そんな曖昧な可能性に賭けて、世界を滅ぼせる吸血鬼と。……今ならまだ間に合います。今降りるというなら、どうにかなるんです。さっきパチュリー様から連絡が有りました。貴方の予想は全て正しかったそうです。これで妹様の最後の謎の答えも、能力の弱点も解りました。後はそれを幻想郷の賢者達に伝えればきっと上手く"処理"してくれるでしょう」
非情な言葉をはいた小悪魔は、そこで一つ大きく息を吸い込み、覚悟を決めて言葉を続ける。
「……魔理沙さん、私はもちろん妹様に死んで欲しくありません。けど、妹様の事は結局私達の我侭なんです。貴方がその我侭に付き合えないって言っても、それは当然の事で誰かに咎められるような事じゃありません。だから……」
「我侭ってなんだよ」
「……え?」
「だから、我侭ってなんだよ。レミリアが妹に、お前が友達に生きてて欲しいっていうのが、何で我侭になるんだよ。我侭って言うなら、その正しい判断とやらの方だろ。だってフランは世界を滅ぼさないかもしれないのに自分達が怖いから死ねって言ってんだから」
「……それは」
衝撃から立ち直った魔理沙が、矢継ぎ早に言葉をぶつけた。
「それにだ、私はまだ本当の我侭を聞いてないぜ。お前さっき何言おうとしたんだ? フランが星が好きだって言う前、コウモリさんとしてフランと話すのが好きになって、それでお前はどうしたくなったんだ?」
「……」
「当ててやる。お前は、」
魔理沙はずけずけと歩み寄り、小悪魔の胸の真ん中に指を突き付け、
「フランに星を見せてやりたいんだ。もう一度、本物の星を。……いいんじゃないか? 今ならシリウスとプロキオンとか……ベテルギウスとか、綺麗に見えるぜ? 何ならこの星の魔法使い魔理沙さんの解説付きで天体観測会でも開くか?」
「……して」
「我侭っていうんなら、そういう楽しそうな事を言えよ。じゃないと叶えてやる甲斐がないぜ。ま、望遠鏡を部屋から引っ張り出すのは手伝……」
「どうしてッッ!!」
「……っ」
魔理沙の遠慮のない言葉に、小悪魔の感情が弾けた。
「どうして貴方は、そんな事が言えるんですか!! いつもの弾幕ごっこじゃないんですよ!? 九割方、いえ九分九厘間違いなく貴方は死ぬことになる、妹様にただの人間が勝てるはずがないんです!! なのに、なのに……なんで戻ってきたんですか。私は貴方が戻ってくるなんて思ってなかった。貴方があのまま帰ってくれれば私はこんな危ない事に貴方を誘う事はなかった。貴方が来なければ……私は、私はずっと……」
笑って――我慢して――いられたのに。
そう言って、溢れるように涙を零す小悪魔に魔理沙は苦笑で以って応えた。ここで少しいい話を、フランが友達だからとか言えればいいのだろうけれど、それは違う。それはフランを助ける理由ではあっても、魔理沙が再び戻ってこられた理由ではない。それはもっと利己的な、それこそ我侭のような理由だった。
「……なぁ小悪魔、お前はさ」
小悪魔に問われ、霧雨魔理沙は、
「普通の魔法使いって聞いたら何を思い浮かべる?」
………………
…………
……
やめときな! 気がふれるぜ?
――東方紅魔郷:ExtraStageより
………………
…………
……
フランがその光に気付いたのは、十六夜咲夜への煮え滾った殺意がピークに達した時だった。
魔理沙を探し求めるフランが飛び回る地下図書館、その面積が明らかに広がっていた。何せフランの、吸血鬼の視力ですら四方全てに"壁"が見えないのだ。フランの今居る位置が図書館のど真ん中だったとしても、その広さが百km四方を下回る事はないだろう。そしてそんな真似が出来るのは紅魔館においてもただ一人。
(十六夜咲夜……アイツが図書館を広げたとしか思えない。けど一体何でこんな真似を?)
フランは今、図書館の出口に自身の分身を配置して全力で扉が開かぬように押さえていた。咲夜の能力は魔理沙の脱出という点で確かに脅威だったが、ああしてしまえば時間を止めようが何をしようが吸血鬼を越える膂力で扉を押し開かねば脱出は出来ない。人間並みの膂力しか持たず、攻撃力もナイフ投擲以上の力を持ち得ない咲夜の、それが限界のはずだった。
(かと言って、もう一度戻って私がここに来た隙に本来のルートから逃げるのも無理。分身を一人置いてきたし、何より地下一階の上り階段を徹底的に破壊して来たから通りようがない)
魔理沙が使う高火力の魔法なら或いは道を塞ぐ瓦礫をどかすことも出来るかもしれないが、それをやれば威力が高すぎて自らの手で生き埋めの憂き目に遭うだろう。というよりそこに魔理沙が居ることが確認できればフラン自身がそうするつもりだった。そうしてしまえば本体である自分が隠し階段を抜けることにより今度こそ魔理沙の退路を完全に断てる。となれば……
(なんだ? 何を狙ってる? 時間稼ぎに意味はない。どうやったってもう魔理沙に逃げ道はないんだから。それなら美鈴みたいに、まだ咲夜が動ける内に何か仕掛けてきた方がいいのに)
実の所、フランにとって咲夜が動くことが出来たというのは完全に誤算だった。さもあらん、魔杖で腹を裂かれて、ほとんど背骨だけでくっついているような状態だった人間が、数日で動けるようになるなどと思うわけがない。今、その時の記憶をも思い出せるフランには、そもそも咲夜がまだ生きている事自体が驚きだった。
(あれだけのダメージを受けたんだから、咲夜が動ける時間は絶対に長くない。なのになんで――?)
そこでフランは不意に少し向こうで、こちらに伸びる奇妙な光に気付いた。
それは長い光だった。より精確に言うなら長く幾つもの光点が連なった二本の光の列だった。どうやら巨大な本棚の間に並び、まるで道を形作るように――
……いや、
_Preparation was completed...
_Ordinary witch stand by...
_Little devil stand by...
カチャリと、鉄色の音を立てて小さな靴が、重力に反して浮かぶ箒から下がった鐙の上に乗せられた。
光の道の上で箒に跨ったその人影を見て、フランの口元に引き裂いたような笑みが浮かんだ。見つけた、ようやく見つけたとフランの瞳が歓喜で潤む。
_Little-Elemental-Furnace Ignition...
_Ready for Love Sign "Master Spark"...Countdown to completion...
_Three...
そのフランに気付きながらも箒の上の人影は全く動じない。ギュゥと引き絞るように黒い革のグローブを嵌め、首に下げていた航空眼鏡を引き上げ視界を覆う、そうして顔を上げた人影とフランの視線が距離を隔てて宙空で絡む。どちらも口元に浮かぶのは笑み、フランは狂気を湛えた、人影はふてぶてしいまでの不敵な笑み。その魔女帽の下の笑みを歪めたくてフランはゆっくりと掌を向ける。銃口を向けるよりも、砲口を向けるよりも余程危険なその仕草。けれど、
_Two...
ああ、けれど。果たして気付いていただろうか? フランドール・スカーレット、彼女は己が居る場所が、光の道の……まるで"滑走路"のような光の道の、その先に立つ己の危機に。己が今、己の手の先と何ら変わらぬ危険地帯に居ることに。
_Own...
宙に浮く箒の穂先、そこに魔法で取り付けられたミニ八卦炉が白い光と甲高い音を発し始める。照りつける陽光のような、空で瞬く星のような光。風を引き裂くような、大気を熱するようなその音。それが高まり、高鳴り、ピークに達し……
_Zero...Good luck!! Ordinary witch!!
瞬間、手を閉じようとしたフランの視界を極大の白光が白く染めた。
「行っくぜぇぇぇぇええ!! 彗星!! ブレイジングスタァァァァアアア!!」
オオォォォォオオオオオオン!!
「……っが、あああああああッッ!?」
轟音と共に宣言通り彗星と化した魔理沙がフランを跳ね飛ばした。
奇怪な形状とはいえ生まれついて羽を持つフランが、あっという間に上下を見失い、近くにあった巨大な本棚に叩きつけられる。そうして本棚にめり込んだままフランは動かない、動けない。その動揺した顔は極光を引き連れ旋回する魔理沙が想定し、望んだ通りの顔だった。
(何が起こったか解らないって感じの顔だなぁ!? それなら……)
バキバキバキ、と空を飛ぶその衝撃波だけで近くの本棚を引き裂きながら、魔理沙は旋回し再びフランに向けて進路を合わせる。魔力を込める、速度を増す、瞬間――!!
「……ッ!!」
「もう一発だ、不良娘!!」
フランに激突。その膨大な速度による破壊力はフランごと激突した本棚を易々と貫通し、再びフランを吹き飛ばす。フランがその時何事か叫んだ気がしたが魔理沙には聞こえなかった。聞こえるはずもない、何せ魔理沙は今、音を遥か後ろに置いて飛翔しているのだから!!
――彗星・ブレイジングスター
魔理沙が対レミリア、つまりは対吸血鬼用に考案していたスペルカードの一つ。それが魔理沙に吸血鬼の動体視力を振り切り、音速を越える速度を与えた魔法の正体であった。原理は単純至極、時計塔を容易く壊滅させる威力のマスタースパークを推進力に使って飛翔する。
……こう言うとえらくあっさりした印象のスペルに思えるが然に非ず、何せ現行の戦闘機用ジェットエンジンですら、山一つ焼き払うミニ八卦炉の出力には及ばないのだ。しかもその大出力を用いて飛ばすのは戦闘機の百分の一程度の重さしかない霧雨魔理沙、つまり、同年代と比べてすら小柄な少女なのである。その速度が音の壁を突破するのは当然の事と言える。……しかし、そうなってくると一つ問題も生じてくる。それが魔理沙がこのスペルをレミリア相手に使えなかった理由であった。
(今んとこソニックブームの影響はないっぽいな。行ける、これなら行ける!!)
ソニックブーム、物体が音速を越える際に起きる衝撃波。その威力、抵抗力は人体を容易く殺傷するレベルにある。故にこのスペルを実用するにはこの衝撃波から身を守る結界が必要なのだが……魔理沙にはブレイジングスターを使用しながらこの結界を張るだけの余力がなかった。それもそのはずでブレイジングスター発動中は、マスタースパークという必殺魔法に加え、飛翔魔法、そして音速での操縦を可能にするだけの神経強化も同時に行わねばならないのだ。まだまだ駆け出しの新米魔法使いである魔理沙一人ではその上に結界まで張るというのは無茶な注文であったのだ。……そう、
「魔理沙さぁぁあん!! やりましたよ!! 妹様に真正面から突っ込んで生きてますよ私達!?」
一人ならば。
一見すれば一人に見える魔理沙だったが、その肩の上に何やら動く影があった。それはまるでぬいぐるみのようにニ頭身のお手軽サイズにデフォルメされた……
「……今更だが小悪魔、お前なんでそんな可愛らしくなっちまってるんだ? いや、重さも軽くなってるみたいだから助かるんだけどさ」
「あっはっはっはっは!! 何を言います魔理沙さん!! こちとら魔法少女の使い魔やって何十年!! マスコット化の魔法ぐらい心得ずして何としますか!?」
「いやぁ魔法少女の使い魔を何十年って色々おかしいような……」
「あっはっはっはっは!! 私と契約して、魔法少女(吸血鬼)と戦ってYO!!」
「それは現在実行中だ馬鹿野郎!!」
言いつつ魔理沙は機首を下ろし、急速に下降。その際に起きる衝撃を、空気の造波抵抗を小悪魔が結界で防ぐ。そしてそんな二人の頭上を本棚を貫通して来た幾つもの魔弾が薙ぎ払う。
「……ッ、今のは妹様ですか!?」
「他に誰が居る!? けど心配すんな魔力反応頼みの山勘だ!! ……とはいえ流石吸血鬼だな、この程度の速度じゃ追いついてくるか」
「……魔理沙さん!!」
「解ってる!! 飛ばすぜ小悪魔!! 気合入れろ!!」
「合点承知です!! ……結界強化完了!! 行けます!!」
「おう!! 行っくぜ!! 捕まってろ!!」
言って魔理沙が懐から星の煉丹を取り出し背後のミニ八卦炉に向けて放り投げる。覆いの真鍮が溶け、煉丹を飲み込んだ白光が膨れ上がる。魔理沙の速度が更なるマッハに到達する。
「うぎぎ……着いて、来てるか!?」
「いえ、来てません!! けど念の為次の角を曲がって下さい!!」
「了解!!」
小悪魔の指示に従って魔理沙が再び旋回し、本棚を盾にフランの視界から身を隠す。一秒経ち、二秒経ち……来ない。能力での追撃は、あの空間に走る怖気は全く追って来ない。
「魔理沙さん、これはやっぱり……」
「ああ、パチュリーの言う事疑ってた訳じゃないが、これで間違いない。これがあいつの能力の弱点だ!!」
……弱点、絶対であるはずのフランの能力の弱点。魔理沙と小悪魔が未だ命を保っている所以。つまりフランは……
(あいつは自分の視界に映らない物を破壊できない。……いや、目に見えない物に"照準"を合わせられない!!)
それに気付いた切っ掛けはパチュリーだった。フランの裏の人格と初遭遇した時に、フランの能力によって倒れたパチュリー。あの時フランは外れたと言った。最初それを魔理沙はパチュリーを仕留め損ねたという意味だと思った。フランの能力の破壊力を考えれば確かにあの程度のダメージは外れ、つまり失敗とも言える。そう思った。しかし、違う。それは違うのだ。何故ならあの時フランが狙っていたのは"魔理沙"だったのだから。
(フランはあの時、私から能力が外れたって言ったんだ。私を狙ったのにパチュリーに当たったって、そう言ったんだ。自分の能力を防げるレミリアも、自分に向かってくる美鈴も無視して私を狙ってきたフランなら、真っ先に私を狙ってくるはずなんだから)
……だとすると一つ疑問が出てくる。何故、そう、何故フランは能力を外したのか?
あの時の状況を思い返し、魔理沙はその疑問の答えとして一つの仮説を打ち立てた。フランの能力で認識されている"目"それには……"個性"がないのではないか。つまり魔理沙の目も、今肩の上に居る小悪魔の目も、あるいは太陽の目も区別がつかないのではないのか? だから魔理沙の隣に居たパチュリーの目を誤って壊してしまったのではないのか? それも恐らくは腹部の目などという中途半端な目を。
そう考えた魔理沙は更に思考を進めた。フランの特異な知覚、それで個性が判別出来ないのだとしたらフランは一体どうやって個性を判別し、つまり能力の照準を定めているのか? ……この答えは最初の仮説を打ち立てるより遥かに簡単だった。何故ならあの時フランと魔理沙の間を"塵煙が遮っていた"のだから。
(あの時私は声は出していた。それでフランは私の位置を大雑把に特定出来ていた。けど二つ、いや服とか壁とかの分も考えればそれだけで無数に有るはずの、その辺の目から私の目を選びとる事は出来なかった。いや、そもそも……)
フランは確かに言っていた。魔理沙と共に時計塔に、美鈴の部屋に忍び込んだ時に。もし歯車が上から降ってきた時に壊せるかと聞いた時に……
『……出来る、よ。"視界"に入っちゃえば数はあんまり関係ないから……』
確かに視界と、そう言っていた。
恐らくそれは天体観測のような物なのだろう。机上の計算で星の位置を割り出し、望遠鏡を覗きこんでその位置を確認する。それと同じ様に、視覚で相手を補足し、それと重なっている目を確認し、破壊する。それがフランの能力の隠された側面なのだ。
そして魔理沙のその仮説は正しかった。どのような方法を使ったかは知らないがパチュリーからフランの能力は確かに視覚に依存しているという通信があった。小悪魔が何て無茶を、と感想を言っていたから相当の無茶をしたようだが、しかしその甲斐はあった。何せこの仮説が正しいのなら……
(ブレイジングスターでフランの能力は無効化出来る!! だって……)
この世には、目に見えぬことを指して"目にも留まらぬ"などという形容が存在するのだから。
フランの動体視力をブッ千切るほどのスピードが出せれば、フランは魔理沙に照準を合わせられないのだから。そんな一見無謀な試みを確かに成功させ魔理沙は薄く、しかし確かに笑った。……そしてそんな魔理沙を、小悪魔は密かに信じられない物を見るかのように見つめていた。
いや、事実小悪魔はそう思っていた、信じられないと。
(魔理沙さん、貴方は本当に理解していますか? 妹様の能力の弱点、それを探るのはとっくの昔にパチュリー様達が諦めたことだったんですよ? 妹様の能力のあまりの特異さに負けて早々に匙を投げたことだったんですよ? なのに貴方は……)
クオリアを、語る事は出来ないはずなのだ。
感覚質を、理解することは出来ないはずなのだ。
なのに魔理沙は、この若年の魔法使いは、推測と思考でフランの能力の一部を解き明かしてしまった。それは何故か? それはきっと……
(この子が、きっと一番妹様のことを見ていたんだ。妹様のことが怖くて、どうしても申し訳なくて、妹様から目を逸らしてしまっていた私達よりずっと真っ直ぐに。だから気付けたんだ。能力のことを唯一理解する"妹様自身"を見ていたから、だから解ったんだ)
その愚直さを小悪魔は好ましく思った。そして、もしかしたら期待しているのかもしれなかった。この子なら、霧雨魔理沙ならもしかすると普通の魔法使いに届くのではないかと。
魔理沙が語った有り得ない夢、けれど小悪魔は思ってしまったのだ。もしその夢が叶ったのなら、それはどんなに、どんなに……
(素敵な、ことなんでしょう――!!)
……小悪魔が魔理沙の肩に乗り、一蓮托生の覚悟で戦いに臨んだ理由は二つあった。一つはもちろんフランの為、もう一つはこれももちろんパチュリーを始めとする紅魔館の皆の為。けれど、今それと同じくらい大きな目的が出来てしまっていた。それはもちろん……
「小悪魔ァッ!!」
「はいぃぃッ!?」
「覚悟はいいか!? フランならそろそろ気付くぞ、こっからが本番だ!! フランのもう一つの顔が出てくるぜ!!」
「……はい!! 任せて下さい!!」
覚悟はあった。魔理沙と共に飛び立ったその時から。
フランを救う覚悟も、紅魔館の皆の願いを背負う覚悟も、そして……魔理沙の夢、その前進を助ける覚悟も。
………………
…………
……
"お前にとって普通の、普遍的な魔法使いっていうのはパチュリーのことだろ? 日陰と本が似合う、学者気質の賢者。そんなとこか?"
"けどさ、違うんだよ。私みたいなのにとって普通の魔法使いっていうのはそういうんじゃないんだ"
"私にとって普通の魔法使いっていうのはさ……"
………………
…………
……
タンタンと、そんな軽い靴音が聞こえてきそうな調子でフランは踵でリズムを取っていた。しかし残念ながらというか何というか、そんな小気味の良い音が聞こえてくることはなかった。それも当然、何故ならフランが今居るの地面ではなく空中なのだから。けれど今フランはそんな事に全く頓着していなかった。というよりも今のフランは何事にも頓着しないほどに集中していた。今なら恐らく音速を出すまでもなくフランに近付く事も、或いはその羽を引っ張ったところでフランは何も気付かなかっただろう。
フランの二重人格は解離という心の作用が行き過ぎた結果である。しかし行き過ぎたというのはつまり常人より上という意味でもあり、稀に常人を遥かに越える力を二重人格者に与える事もある。フランのこれもその一つ、自分以外の全てを忘れ、常人より遥かに高い純度で思考に没頭する無類の集中力。その不純物のない真っ白な思考の中でフランは思考を続けていた。すなわち、どうすれば魔理沙を破壊できるのか?
(魔理沙が……私の能力の照準に気付いてるのは間違いない。幾らふざけた速度を出せるからって今の今まで一回も私の視覚に掛からないなんて出来すぎてるもの。……おっかしいなぁ、表のフランもこの事だけは言えないようにしといたはずなのに)
事実レミリア達はそのことに全く気付いていなかった。フランもそのことだけはレミリア達には無意識に話さなかった、話せなかった。裏のフランが、強くはない力を振り絞ってそれだけは出来ないように干渉していた為だ。
(何かボロをやっちゃったのかな……? まぁいいや、それは関係ない。今、魔理沙を壊すのには何も関係ないもの。ただ魔理沙が気付いてるっているっていうことだけ解ってれば十分)
フランは自分が失敗をしただろうという思考から解離して、思考をクリアにする。それでもうフランの中には魔理沙が能力の弱点に気付いているという以外のものが消えた。失敗への悔恨も、どうすれば上手く隠せたかなどという無駄な思考も完全になくなった。
(速度、速度、速度……うん。今のところ魔理沙が厄介なのはそこだけだよね。あの体当たりは結構効くけど、本格的に不味いレベルまでダメージが溜まるには、まだ余裕があるし)
速度、信じられないことだが魔理沙は今その一点において完全にフランの上を行っている。先ほど一度追い付いた時も、魔弾で一度攻撃できただけであっさり振り切られてしまった。あの弱い弱い魔理沙が、一つだけとは言えフランの上を。それは不味い、非常に不味いのだ。何故なら……
(関係ない。……何が関係ないんだっけ?)
一瞬良くない方向に流れた思考を再び忘れて、フランは考えを纏める。無駄な思考を投げ捨て、削り、必要なものだけを撚り上げていく。
魔理沙が自分よりも速いのは仕方がない。なら自分より速いモノをどうやって仕留めるか? ……能力の使用は、この際諦めた方がいいかもしれない。フランの能力には応用性というものが全くない。出来ることは目を作り破壊するというただそれ一つしかない。その一つが封じられたのなら能力なんてあってないようなものだ。少なくても今は忘れた方がいい。
(……ん? 能力ってなんだっけ? まぁいいやその内思い出すこともあるだろうし。それより……)
魔理沙を壊すにはどうするか? 手段は無数にある。魔弾を当ててもいいし、魔杖を叩きこんでやってもいい。或いはさっきの体当たりを仕掛けてきた時に自爆するという手段もある。けれどどれも難しい。何せ魔理沙の速度は魔力反応以外で知覚出来ない。しかも出来たと思ったらもう一直線に知覚の範囲外に……
(……一直線。……ああ、そっか♪♪)
フランが笑った。解離の底から戻って来た。見つけた。魔理沙を仕留める方法を。
「そっかそっか、そういう手もあるよね。だって私はそっちの方でも魔理沙の上なんだし」
忘れていた。魔理沙が何者なのか。恐れる必要などないのだ。何故なら自分は魔理沙の"生きる道"で遥かに先を行っているだから。
「Ten little Indian boys went out to dine♪
One choked his little self and then there were nine♪」
陰鬱に笑うフラン、その周囲に光の線が六本同時に走る。その線は六芒星を描きフランの背丈よりも遥かに大きな魔法陣を形作る。
「次に私の前に来た時が貴方の終わりだよ。魔理沙」
魔法陣の数が増える。最初に出来た物と同じ形の、しかし小さい物が四つ。
……くつくつと笑うフランと共鳴するように、魔法陣が鼓動を打つように輝いた。
………………
…………
……
都合三度目になる突撃を仕掛けたその時、フランの周囲に展開している魔法陣を見て魔理沙は思わず目を見開いた。ブレイジングスターへのフランが取ってくるであろう対応策、それを魔理沙はあらかじめ予測していた。そしてその魔法陣はその予測が正鵠を射ていたことを証明するものだった。しかし、それでも……魔理沙は驚愕し、度肝を抜かれた。これほどのものか、と。
「ま、魔理沙さん!! 減速を!! こ、これは幾ら何でも……」
「……ッできん!! 忘れんな!! 一回速度を落とせばもう一回加速するまでの時間で能力に捕まる!! 腹括れ!!」
「で、でも……!! こんな、こんな……!?」
ある種荘厳さすら覚える光景だった。
巨大な魔法陣を背負い、少女が歌っていた。叡智の集積たる書棚の塔に囲まれ、金の髪をくゆらせ、光玉を従えた少女が甘く甘く歌っていた。
悪魔の敵である神職者ですら見惚れ、膝を付き祈ってしまいそうな光景。魔理沙も小悪魔もきっと本当ならそうしていたに違いない。けれど、そんな事は出来なかった。魔法の煌めきに囲まれたフランが、脳裏に魔理沙の光を捉えたフランがこう呟いたからだ。
「禁忌、クランベリートラップ」
瞬間、フランを讃える光が牙を向いた。優に千を越えるだろう魔弾がその脅威を露わにした。そして魔理沙はそれに……
「こんなのを音速で避けるなんて――!?」
「やるっきゃねぇだろうが!!」
一切速度を緩めぬまま飛び込んだ。
フランが取ってくるであろう対応策、魔力反応への知覚でタイミングを合わせての飽和射撃。一直線に動く魔理沙では、音速で動く魔理沙では決して躱し得ない数の魔弾を照準を定めぬまま、ばら撒き尽くす。
(下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。いや、数撃ちゃ"当たってくれる"!! 来るとは思ってたぜ。お前なら……"種族魔法使い"のお前ならそうしてくるってな!!)
――紅魔館の誰もが解けなかったフランの最後の謎、五十年前フランが行った始まりの魔法。その正体に魔理沙はほとんど初めから気付いていた。パチュリーでは気付けなかっただろう、小悪魔でも気付けなかっただろう、魔理沙が気付けたのは一重にそれに対する憧憬故にだ。明敏な魔力への反応、魔力への親和性による剛力。……それを目指すのかどうか、魔理沙はまだ決めてはいない。それでも憧れずにはいられなかった。それは魔法使いの一つの到達点。それは――
(捨虫の魔法!! 魔法使いへの種族変換魔法!! それが五十年前の魔法の正体!!)
それならば色々と納得がいくのだ。例えばフランがそれを切っ掛けに正気を失ってしまった理由。恐らくフランの捨虫の魔法は完全なものではなかったのだろう。フランは未だ吸血鬼としての特性を備えているのだから。そしてそれによってフランは、半吸血鬼半魔法使いとでも言うべき……いや、吸血鬼にして魔法使いとでも言うべき極めて不安定な存在になった。健全な身体には健全な精神が宿ると言う、ならばその逆は? 元々精神的に不安定だったフランが、種族的に不安定などという身体になってしまえば、それは精神に破綻を来す切っ掛けに十分なるのではないか? 何せ自分の身体が半分別の種族になってしまうのだから。
そして例えばパチュリーが正体を掴めなかったという理由。捨虫の魔法というのは自分にしか使えない、自分という要素を初めから組み込まならねばならぬ完全にオリジナルの魔法なのだから、パチュリーの知識の中にだって有るはずが……いやフランの頭の中以外に存在するはずがないのだ。むしろパチュリー・ノーレッジが正体を突き止められなかったという時点でそれが捨虫の魔法だと推測すべきなのだ。……にも関わらず誰もそれに気付けなかったのは、
(本来出来るはずがないんだ。フランは地下から脱走出来ないように初歩の魔導書にしか触れられなかったんだから)
初級の、それこそおまじないレベルの本の知識で捨虫の魔法を考案し、習得する。これはもう、小学生向けの算数の教科書を参考にして、新しい定理を打ち立て、証明しろと言われているのに等しい。もちろんフランには美鈴から東洋術式について聞いたり、パチュリーと西洋魔法について語り合ったりすることもあっただろう。しかしそれでも絶対的に足りないのだ。捨虫の魔法に到達するには、どうやったって純粋な知識量が足りないはずなのだ。……しかし、
(居るんだよなぁ、そういう常識を飛び越えちまう……天才ってやつは)
魔弾の群れに飛び込むまでの刹那の間、魔理沙が垣間見たのは幼馴染の巫女の背中。修行なんてほとんどしていないはずなのに、自らのセンスと、在り方を信じ、貫くだけで魔理沙以上の実力を発揮する、本物の天才。……あいつがもし魔法使いだったらきっと夕飯の新しいレシピを考えるぐらいの感覚で捨虫の魔法を思い付いてしまうに違いない。そしてこの三日間、魔理沙はその霊夢の背中を幾度と無くフランの背中に被らせていた。霊夢と同じ紅白の装束の、フランの背中に。……霊夢という本物を知るが故の直感、フランドール・スカーレットは紛う事無き本物の天才なのだと。
(だったら私なんかが敵うわけないよなぁ。普通)
音が後ろに飛ぶ、景色が背後に延びる。
すぐ間近の小悪魔の声すら奇妙に間延びする時間の中で、魔理沙は力なく笑う。陰で死ぬほど努力して、それでも霊夢には敵わない自分が、正真正銘の真剣勝負で、本物であるフランに勝てるはずがないのだ。
(だから……)
魔理沙の神経が極限まで研ぎ澄まされる。
魔法で強化したとはいえ、本来有り得ないほどの鋭敏さで自身の眉間に迫る魔弾の姿を捉える。
(悪いなフラン……)
小悪魔が何かを叫んでいる。迫る。魔弾が迫る、迫る、迫る。そしてとうとう前髪を焦がし、それが皮膚に触れる寸前で……
("お遊び"に、付き合って貰うぜ?)
魔理沙が横にぶれて魔弾を躱した。
「行っくぜおらぁぁぁあああああ!!」
「うひゃあああああああああああ!?」
神懸かったタイミングでのバレルロール・マニューバ。
前進したままの螺旋回転によって魔弾を躱した魔理沙は、
「おおぁぁあああああああああッッ!!」
自身知らずに叫んでいた。魂を振り絞るような雄叫びに、音速の風切り音ですら身を潜め、耳から遠くなる。
そしてそれで終わらない、霧雨魔理沙の冴えは、妙技は、一度だけでは……
「う、うそ……」
「らぁぁぁあああああああああああああ!!」
躱し、躱し、躱し続ける。
迫る魔弾を、人間どころか妖怪にすら捉え切れないような数の魔弾を、一切の速度を落とさずに音速の中で紙一重で躱し続ける。
前方から迫る魔弾に、帽子の先を擦らせつつ急降下で回避した。横合いから飛来した三発の魔弾に、袖を掠めて急上昇で回避した。絞るように四方から迫る魔弾の列の間を、頬に傷を作りながら急旋回と急加速ですり抜けた。躱す躱す躱す躱す、一条の彗星が魔弾の群れの中を縦横無尽に駆け抜ける。
「はっはっはっはっはっはっは!! 笑えよ小悪魔!!」
もはや当然のように魔弾を躱す魔理沙に唖然としていた小悪魔が、その一言で我に返った。
「無粋な殺し合いが!! これでいつものお遊びになったんだぜ!! 楽しいだろ!?」
「――――!!」
「イィヤッホーー!!」
そう言われて小悪魔はようやく気付いた。魔理沙が魔弾を躱すことが出来るその理由に。
……本物の天才に凡人が勝つにはどうするか? 同じ分野で競うのなら結局の所、経験で上回るしかない。天才というのはつまり、凡人が一年掛けて覚えることを、一日で覚えてしまう者なのだから。そして魔理沙は今、その条件を十分過ぎる程に満たしていた。何故なら……
(……信じられない。この人は無理矢理この戦いを……)
運動性能で勝る相手に精確な照準を捨て、弾数で勝負し命中を狙う。この射撃戦術は一般に……"弾幕を張る"などと呼ばれるのだから。
(スペルカード戦にしてしまった!! 弾幕戦術を取らせる事で、妹様を自分のフィールドに引きずり込んだ……!!)
震えた。小悪魔の身体が何か得体の知れないモノに押されて、抑えられないほどに震えた。
一体何なのだ、この少女は? フランと比べて、主であるパチュリーと比べて、いや自分と比べてさえ赤子のような時間しか生きていないのに、この力は、掛け値なしの土壇場で発揮されるこの底力は。
「ふ、ふふふ」
どうしようもなく口が綻ぶ。魔理沙の力強さが熱のように伝わり、小悪魔の頬を震わせる。いける、この人なら、霧雨魔理沙なら――!!
「いっけええぇぇえ!! 魔理沙さん、貴方なら妹様にだって勝てます!!」
「あったり前だぁぁあああ!!」
フランの周りを衛星軌道のように周回し、回避に徹していた魔理沙が、ついに攻撃に転じた。自らを槍と化し、その矛先をフランに向けて突撃する。
「禁忌!!」
見えぬまでも追い詰めているはずの獲物の殺気を感じ取ったのか、フランが新たに叫び力を成した。それは魔理沙も見たことがある炎の柱……いや、
「レーヴァテイン!!」
伝説に名を刻む炎の剣、炎の杖、その力を模した劫火で辺り一面を薙ぎ払う。巨人スルトですら舌を巻くであろう灼熱が、一閃にて撒き散らされる。
しかし……
「当たらなけりゃ……」
「私が守って見せます!!」
舞い散る炎の塊をすり抜けて、小悪魔の結界に守られた魔理沙が姿を現す。
「食らっとけ!! マジックミサイル!!」
魔理沙の周囲に浮かび上がった四枚の魔法陣が緑の魔弾を連射する。それを受け、フランが苦痛で顔を歪ませ、怯み……
「ッぐぅぅぅうううう!?」
再びブレイジングスターを受け弾き飛ばされる。
宙を自らが望まぬ軌道で飛ばされるフランの顔にはやはり驚の一文字浮かんでいる。フランには解らなかった。魔理沙が何故自身の弾幕を躱し、ましてや反撃することが出来るのか。それもそのはず、スペルカード戦を一度しか経験したことのないフランには想像出来ようはずもない、魔理沙がこれまで潜り抜けて来た弾幕、スペルカード、その数がとうに百を超え千を超えているなどとは。弾幕戦において霧雨魔理沙はフランどころか幻想郷において並ぶ者なき古強者であることに、地上に出たことのないフランが気付けるはずがないのだ。故に……
「禁忌!! フォーオブアカインド!!」
フランの姿が四つに分かれる。
この日、この時、フランは初めて追い詰められる側として力を振るった。追い詰められれば逃げ出すであろう魔理沙の退路を押さえていた分身を放棄して、己の元に最大数を揃えたのだ。それは不気味さを恐れての行動だった。このままではまずい、出し惜しみをすれば負けてしまうかもしれない。しかし……どうして自分がそこまで追い詰めれているか解らない。これまでフランが専有していたはずの敵対者への不気味な威圧感。それに恐怖したが故の行動だった。
それに対し魔理沙のフランへの認識は全く明瞭だった。レミリアと美鈴が永きを戦い、パチュリーと小悪魔が知恵を絞り、咲夜がそれら全てを補佐し続けて紡がれた成果。フランの不気味さの根源であるはずの謎は今や全て解き明かされていた。もはやフランに不可解な点は何一つない。ならば魔理沙は正体不明の怪物でなく、ただの強敵としてフランを見られる。ただ攻略するための対象として見られる。だから……
「来たぞ小悪魔!! 例の分身魔法だ!!」
「はい、大丈夫です!! 準備は出来てます!!」
フランが行使する新たな力、それにも怯まず、冷静に対処の仕度を済ませる。そんな魔理沙と小悪魔の二人に、四人のフランが飛び回り、位置を変えながら一斉に弾幕を放つ。
そんなフラン達を見て魔理沙は……
「小悪魔!! どれが本物か解るか!?」
「解りません!!」
「よし、私もだ!! それじゃ適当に選んで仕掛けるぞ!!」
「イエス・マム!! それでは十時の方向の方から行きましょう!! 位置的に一番丁度いいです!!」
「応!!」
小悪魔が肩で指し示した方に旋回し、その先に居るフランに突撃する。ただし、今回は一直線ではなくあえて横に大きく蛇行する軌道で。その為か、目に残る白光の軌跡で、自身が狙われている事を察したフランの一人が顔を緊に結び、弾幕の密度を増す。その弾幕は確かに魔理沙を阻み、遠ざけ……そしてそれ故に、フランは弾幕を放つ事に集中してしまった。魔理沙の狙い通りに。
「頃合いですね、行きますよ!!」
マスコット化した小悪魔が悪どい笑顔でイヒヒと笑い、懐から一枚の呪符を取り出した。
「発破!! 巨大本棚大倒壊!!」
叫ぶやいなや小悪魔が手にした呪符が燃え上がる。それと同時にドカンとフランの能力を思わせる爆発音が響き……
「……え?」
弾幕を放つ事に夢中になっていた為反応が遅れたフランが、能力を使う間もなく倒れてきた巨大本棚に押し潰された。
どこかで見たことがあるようなやられ方をした自分自身の末路を見て、残る三人のフランが顔を引き攣らせる。
「まだまだ行きますよぉ? そぉれ!!」
小悪魔が続けて取り出した呪符を三つまとめて発動させる。すると再び呪符の数だけ爆発音が響き……
「「「……ッ!?」」」
再び本棚がフランに、三人のフランに向けてそれぞれ一つずつ倒れ始めた。
それに対するフランの反応はそれぞれ分かれた。一人のフランは飛翔の速度を増して本棚の下から逃れ、一人のフランはレーヴァテインで本棚を引き裂き無力化し、最後の一人は能力を使って本棚を木っ端微塵に破砕した。……しかし、
「しまった。煙で周りが……ッ!?」
能力の使用で視界を塞いでしまい、しかも動きを止めてしまったフランが、当たりを付けて突撃してきた魔理沙のブレイジングスターを食らい、バンッ!! と乾いた音を立てて光の粒になり弾け飛んだ。
「よっし、分身の方はブレイジングスター一発で倒せる!!」
「本棚に潰された方も起き上がって来ません!! これなら私でも分身は倒せます!!」
「……しっかし」
「こぁ?」
これまで火力的には、とんと無力だった為か、自分以上に大げさに喜ぶ小悪魔の顔を見て魔理沙は呆れたように尋ねた。
「いやまぁ今更パチュリーに向けて本棚を倒したことはどうこう言わんが……いつの間にあんなに爆薬仕掛けたんだ?」
「あっはっはっは。いやですねぇ魔理沙さん、あれって元々貴方対策なんですよ? 直撃させなくてもあれで驚かすことは出来ますし。まぁ数の方はこの戦いに備えて、図書館の修理のどさくさで妖精メイドさんの手を借りて増やしました。あの子達は爆弾とか見てもそうだと分かりませんし」
「…………色々置いといて聞くが、私は戻ってこないと思ってたんじゃないのか?」
「ええ、思ってました。けど、それでも戻ってきてくれた時に備えるのが、私流の注意深い生き方ってヤツです」
「ああ、そうかい!! それじゃその備えを使って次行くぜ!!」
「はい!!」
レミリア、そしてパチュリーからあらかじめ聞いていた分身魔法への対応策、それが本棚の倒壊を利用し一瞬とはいえフラン達の連携を遮断し、分身の方を狙って潰していくという策だった。もっとも魔理沙達は本物を見分ける事は出来なかったがそれでも問題はない。なにせランダムに選んだところで分身に当たる確率は七十五%もあるのだから。
そして更に一体、二体、新たに増やす度に分身を潰されてフランは気付いた。魔理沙のその狙いに。
(魔理沙は私の魔力を削る気だ……!! まずい、今日はもう結構分身を繰り返しちゃってる!!)
フランのフォーオブアカインドと名付けられた分身魔法。その原理、というより分類は霊夢が使う追尾式の御札とそれを同じくする。つまり、分身のフランはある程度自立した思考を備え、フラン本体からの命令で動かせるという"機能"を持った超精密な魔弾なのだ。では例えば、その魔弾を撃墜されてしまったとして、その時に残っていた魔力は果たしてフランに還元されるのか? 答えは否である。魔弾として"放った"力が返って来るはずがない。これがこの魔法の大きなリスクだった。長時間自立して動けるだけの魔力を撃墜されれば一気に散らされてしまうのだ。しかももしそれが連続で行われたとしたら? その魔力の消費量は、吸血鬼と魔法使いの二重属性を持つフランにとっても大きな消耗となる。……となれば、
「集合!!」
フランが分身を自分の元に集めて吸収する。撃墜ではなくこうして集めれば魔力はある程度回収できる。そして、フランがそれを選んだということは……
(……考えろ)
分身と自分が放っていた弾幕、それらが着弾し消える前にフランは解離による集中で時間を引き伸ばし思考に没頭する。皮肉にもフランの天才性を大きく支えるその力によってフランの思考が加速される。
(どうすれば当たる? どうすれば魔理沙を壊せる? どんな弾幕ならあの高速飛翔を撃ち落とせる?)
考える考える考える。自分がどこに居るのか、どうして魔理沙を撃ち落としたいのか、それすらも忘却の彼方に置いて考える。
そして……
「クヒッ!! 禁忌!!」
僅か数秒で弾き出した解答を、叫びと共に魔法として顕現させる。その新たな形は……
「カゴメカゴメ!!」
緑色の魔弾が列を成し本棚と本棚の間を走った。縦横無尽に走った魔弾の列が格子と成り空間に檻を形作る。……が、
「はっ、舐めんな!! 止まってる弾幕なんぞないのと一緒だ!!」
魔弾の間を見切った魔理沙が悠々と檻をすり抜け再びフランに突撃をかける。と……
「見ぃつけたっ♪」
「……ッ!!」
魔理沙の真正面に黄色の巨大な魔弾が放たれた。魔理沙はそれをどうにか回避するが、大慌ててで旋回しフランから再び距離を取った。何故なら……
「ま、魔理沙さん今の……」
「ああ、明らかにこっちを狙って撃ちやがった」
「まさか私達のことが見えて?」
「それはない。それなら私達はとっくに壊されてる」
「じゃ、じゃあ……? ッきゃあ!?」
怯えた小悪魔が突然旋回した魔理沙の機動に悲鳴を上げた。しかし本当は悲鳴を上げたいのは魔理沙の方だった。何故なら再び狙い澄ましたかのように黄色の魔弾が放たれたからである。
(この精度……!! 無駄弾も撃ってるが、さっきまでの山勘じゃ絶対に無理だ。けど私達のことが見えてるってのも有り得ない。ならなんで急に……?)
変わったことと言えば、この格子状に並んだ緑の魔弾。フランがわざわざ放ったのだ、今の精確な射撃と無関係とは思え……
(待て、格子?)
魔理沙は今またすり抜けた緑の魔弾の形を考えた。この緑の魔弾の列は、幾つもの直方体を描いて並んでおり……
「そういうことか……!! 小悪魔ァ!!」
「はいぃぃい!?」
「この緑の魔弾を出来る限り撃ち落せ!! ってか本棚倒せ!! 出来るな!?」
「え、うぇ? いえそりゃ出来ますけど……」
「ならさっさとやれ!! こいつの役目は牢屋っとおッ!! 牢屋と"将棋盤"だ!!」
「将棋盤……? ……ッはい!!」
魔理沙が再び飛来した黄色の魔弾を避けると同時に叫んだ言葉、それを理解すると同時に小悪魔は再び呪符を発動させ本棚を倒した。
将棋では駒の位置を、一般に右上から振った数字に対応した格子の目の番号で表す。例えば一番右上の目にある飛車は1一飛車となる。フランがやっているのはそれと同じことだ。つまり魔理沙が1一――立体である以上もう一つ座標があるのだろうが――の座標を通り過ぎた時にその"先"を予測して魔弾を放っている。どれだけ速度が速かろうと、始点とその速さをある程度把握出来れば、見えずとも何秒後に5五を通り過ぎるなどというタイミングで合わせる事は十分に可能だ。この緑の魔弾はそのタイミングを計る為の定規のような物なのだ。そして肝心の行き先も……
(この格子、良く見りゃ大きさが一定じゃない。ってか斜めにぶった切られてるのもある。私はああいうのは"通りたくない")
例えば1一から通り抜けられる座標、その先に明らかな難易度の違いがあったとしたら? 熟練の弾幕巧者である魔理沙なら反射的に難易度が低く、安全度の高い方に向かう。意図して崩された難易度のバランス、その設計者たるフランなら魔理沙がどちらの方に向かうかは予測が出来る。……恐ろしく緻密に、対魔理沙用に設計されたスペルカード、それが禁忌カゴメカゴメの正体だった。
(こんな、こんなスペルを即興で考えやがったのか? フラン、こいつ解っちゃいたが……)
天才。
その二文字が再び魔理沙に寒気と共に恐怖を与える。それ故に……
「魔理沙さん!! 緑の魔弾が動いてます!!」
「……ッ!?」
反応が遅れた。爆発音で本棚を倒す事を悟ったのか、フランが緑の魔弾の格子をまるで崩れるように動かしたのだ。それを今までと同じにすり抜けようとした魔理沙は、どうにかそれを躱すが体制が崩れ――
「アハッ!!」
狙ったわけでは……いやその体制が崩れるのを予測したのか、狙い澄ましたようなタイミングで魔理沙に黄色の魔弾が襲いかかり……
「っきゃああああああ!?」
「小悪魔!?」
直撃、初の被弾を魔理沙にもたらした。しかし魔理沙にダメージはなかった。小悪魔の結界を引き裂いて飛来した魔弾、それを小悪魔が我が身を以って受け止めたのだ。
「お前、何やって……」
「前を見て下さい魔理沙さん!!」
直撃を受け、それでも壊れた結界を素早く復活させた小悪魔が叫ぶ。
「速度を落としたら終わりなんでしょう!? なら細かいことは気にせず飛ぶことに専念してください!!」
「……お前」
「私だって悪魔の端くれです。これぐらいぜんぜんへっちゃらです!! だから、守りは任せてください!!」
「……ああ、任せたぜ小悪魔!!」
へっちゃらな、はずがないのだ。今のが十分ダメージになるからこそ彼女は小悪魔と呼ばれるのだから。けれど魔理沙はあえて知らぬ振りをした、弱わった細い声よりも、決意の込もったその言葉を汲んで守りは小悪魔に任せると決意した。
「はい!! ……それよりこのスペルカードは」
「心配すんな。タネさえ割れちまえば見切るのは……」
「禁忌!!」
「……ッ!!」
フランは休まない。魔理沙に一撃当てたのを好機と見込んで更に新たなスペルカードで畳み掛ける。そして放たれる新たなスペルカードは、
「恋の迷路!!」
フランが今度は放射状に弾幕をバラ撒き始める。密度が高く、かつ弾速も速い解りやすく厄介な弾幕。しかし、確かに見える密度の薄い箇所に滑り込み、魔理沙は弾幕を躱し、あまつさえ反撃の魔弾を撃ち込んでいく。……その光景に、けれど嫌な既視感を覚えたのは小悪魔だった。
(弾幕の薄い所……幾ら何でも隙間が開きすぎているような……あれじゃまるで避けてと言ってるようなものじゃ……ッ!?)
小悪魔が閃いたのはフランのスペルカード名を思い出した為だった。フランはこのスペルを恋の"迷路"と呼んだ。迷路、迷路には言うまでもなくゴールが存在する。ならばこの弾幕のゴールとは……
「いけない、魔理沙さんこのスペルは……!!」
「小悪魔!!」
「ゲームオォーバー!! あなたがコンティニュー出来ないのさ!!」
三者の叫びが重なった瞬間、フランが魔理沙に掌を向けた。その中にはすでに魔弾の光が灯り、開放の時を待っていた。
……狙いはカゴメカゴメと同じだ。弾幕の部分的な難易度を調整して魔理沙を任意の場所に誘導し、精確な一撃にて仕留める。その狙いをフランは先と同じく確かに果たした。ただ一つ違うとすれば……
「前面結界最大強化!! 突っ込むぞ!!」
「……ッはい!!」
魔理沙が初めからそれに気付き覚悟を決めていたこと。その魔理沙の覚悟に即座に応え小悪魔が結界に厚みを増す。そして……
「忘れんなフラン!! スペルカードっていうのは弾消しに使うもんだぜ!?」
ブレイジングスターで、向かってくる黄色の巨大魔弾に突撃した。
「が、ぐうぅぅぅうぅうぅ!!」
一瞬、しかしまともにフランの魔弾を浴びて小悪魔が苦鳴を漏らす。だが魔理沙はそれを意識の外に置く。小悪魔は言った、守りは任せろと。その言葉を信じる。小悪魔の覚悟を、意志を。そして……
「――ッ!!」
「霧雨魔理沙に二度ネタが通じるかぁ!!」
ゴッ!! と、魔弾を引き裂き、彗星の矛先に再びフランを捉えた。攻撃を放った直後のカウンターのタイミング、フランはまともに防御すら出来ず弾き飛ばされた。
「魔理沙さん、これはどっちかと言わずとも守りじゃなくて攻撃じゃ……!!」
「気にすんな!! 攻撃は最大の防御なりってな!!」
割りと息も絶え絶えな小悪魔にそう言って、魔理沙は続けてフランに追撃をかける。手応えがあった、先の一撃には今までとは違う確かにダメージを与えたという手応えが。ならばここは多少性急であっても攻め込む。何故なら……
(フランが気付いてるかは解からんが……こっちにはあんまり時間がない。早いとこフランを削らないとまずい!!)
ブレイジングスター、このマスタースパークを放射し続けるスペルは言うまでもなく消耗が大きい。魔理沙の魔力的な問題、また手持ちの煉丹の問題で、長時間維持し続けることは出来ないのだ。その上、小悪魔もかなり――無茶をさせておいて言うのもなんだが――疲れが出ているし、何気にこのスペルを使う為の広大なスペースを確保している咲夜もギリギリの状態のはずだ。一見フランを圧倒しているように見える魔理沙達だったが、その実、刻一刻とタイムアップという名の終わりへ追い詰められているのだ。だから……
「禁弾!! スターボウブレイク!!」
「単純すぎんぜフラン!! 当たるかぁぁ!!」
一気に攻め入る!!
数で勝負する単純な、しかし、それ故にふざけた弾数の弾幕を強気で嘲り、負けじとイリュージョンレーザーを撃ち込み道を押し開け、再びフランを弾き飛ばす。
「っく……禁弾!! カタディオプトリック!!」
「奇遇だなぁ!! 私んとこの望遠鏡もそれだぜ!!」
高速で放たれる巨大な紫の魔弾、しかも周囲の障害物に当たって反射するというトリッキーさも備えた弾幕を、魔理沙は人間離れした見切りと、絶妙の機動で軽快に躱していく。……それを見て魔理沙以外の二人が気付いた。
(魔理沙、コイツ……)
(間違いなく、始めより躱すのが上手くなってる……!!)
魔理沙がこれまで重ねた無数の修練、長い時間を費やした努力。それが音速の飛翔と、フランというこれまでにない難敵を得ることで繋がり、ついに花開いた。ある意味で皮肉な話であった、弾幕ごっこを誰よりも好む魔理沙の真価が、このような真剣勝負でこそ発揮される土壇場での冴えと集中力であることは。……しかし、ともあれ、
(まずい、このままじゃまずい。私は、私はこいつに負けたら……!!)
焦りが出た。超級の能力を携え、天賦の才を振るってきたフランに……いや、裏のフランに焦りが。
負けるわけにはいかないのだ。魔理沙には、魔理沙にだけは……!! だからこそ自分はずっと魔理沙を狙い続けていたのに!!
「禁弾!! 過去を刻む時計!!」
「はっ、微温いぜフラン!!」
光り輝く魔法陣を中心に十字にレーザーを走らせたこれまでで最も巨大な魔弾。並の妖怪なら間違い無く躱し切れずに露と消えるだろうそれを、もはや魔理沙は易々と躱してのける。しかし……
(それでいい)
魔理沙が弾幕を躱し、攻撃までに転じる僅かの時間。それこそがフランがこのスペルカードに求めたものだった。フランの目が焦点を失う。戦闘の轟音がかき消える。フランは再び解離の果てで、全てを忘却し思考する。魔理沙を……目の前の敵をただ壊すために。
フランの思考が魔理沙のみで染まる。そのスペック、これまで解っている性格、傾向、それらのみで頭を埋め尽くす。それ以外の一切を忘れ去る。そして、そして、そして……!!
「クハッ、ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
フランの身体がいきなり"四散"した。いや……
「んなっ!? これは……」
「コウモリ化? なんで今!?」
バサバサと羽音を立てて辺りに飛び広がるコウモリ達に驚きの声を上げる魔理沙達、そんな二人を尻目に……
"秘弾……"
虚空から、無数のコウモリ達の声が重なってフランの声を辺りに響かせる。そして……
"そして誰もいなくなるか?♪"
コウモリ達が一斉に"魔弾と化した"。
「……な」
魔理沙の魔力反応を追って殺到するコウモリを引き離し、その先にまだ残っていたコウモリの魔弾を躱しつつ、魔理沙は思わず唖然となった。
なんだこれは? フランが、フランが……
「き、消えた……?」
「い、いえ、恐らくフォーオブアカインドの応用でしょう。自分をコウモリとして分け本体として定めた個体以外を魔弾に転じる。……けど」
確かにこれは、消えたというべきかもしれません。
魔理沙と小悪魔の視界を埋める、総数不明のコウモリ魔弾、その中から本体のフランを見分ける。……それをフランがたったの四人の時ですら出来なかった二人に、今出来ようはずもない。
「でもこんな……妹様がフォーオブアカインドをやめたのは消耗を恐れたからのはずです。なのにこれは……」
「気付いたんだろ」
「……?」
「こっちも限界が近いってな」
「ッ!!」
自らの姿を消したフランの意図、それを魔理沙は理解していた。つまり我慢比べ。自分をほぼ間違いなく攻撃しようがない状態に置いて、魔理沙が先に果てるか、自分が今の分身を保てなくなるかの、ただ純粋な体力勝負。そこにフランは勝機を見出した。吸血鬼であり魔法使いである自分と、人間である魔理沙。どちらの魔力が先に尽きるのか、その解りきった答えを勝敗に直結させる。それがフランが弾き出した勝利への方程式なのだ。
「……上等ぉ」
「魔理沙さん?」
「ここが正念場だぜ小悪魔。こういう戦術を採ってきた以上、フランは私達がへたばるまでずっとこれを続けるはずだ。じゃないと意味が無いからな」
「そう、ですね」
「となりゃ、こっちが取る手は一つだ。こいつらを……」
「……」
「全部撃ち落とす。向こうが長期戦狙いなら、こっちは超短期決戦でいくぜ。……その前に一応聞いとく。お前は保つか?」
「……」
魔理沙が周囲に展開している四枚の魔法陣を光らせ尋ねた。
短期決戦と言うからには全力で、本当に戦力を出し惜しみすることなく勝負するはずだ。それには当然ブレイジングスターも、つまり小悪魔の結界で魔弾を落とすことも含まれる。それ故の質問、全弾撃ち落とすまでお前は保つのかという質問。けれど……
(ずるいです。魔理沙さん)
魔理沙は笑っていた。答えなど解りきっていると言わんばかりに。本当に、本当に魔理沙にとっては一応聞いてみたというだけなのだろう。
そんな顔をされて、そんな信じきった顔をされて……
「保たせます。やってみせます!!」
「ぃよし!!」
それ以外に、どう答えろというのだろうか?
小悪魔も笑った。偽りの為の笑みでなく、己を鼓舞し、戦意を露わにする火のような笑み。二人共にそれを点火剤にし……
「行くぜ、小悪魔!!」
「はい!!」
「よっし、そんじゃ……勝負だ!! フラン!!」
"キャハハハハハハハハハハハハハハハハ!!"
「「ああああああああああああッッッ!!」」
フランの狂笑が響く中で、魔理沙が加速した。小悪魔の結界が輝きを増した。当たれば墜落するはずの魔弾を彗星の光が逆に撃ち落とし、食らい尽くす。
「おまけだ!! 持ってけぇ!!」
展開していた魔法陣からマジックミサイルを連射し、イリュージョンレーザーを照射する。光の魔法に焼かれてフランの魔弾が焼け落ちる。
「魔理沙さん!!」
「解ってる任せろ!!」
魔理沙が勝負に出た事を悟ったのか魔弾の動きが変わった。無思慮に魔理沙を追い掛け回していたものが、追い詰めるように統率の取れた包囲弾幕に変わり、魔理沙の周囲を引き絞る。だが……
「甘い!! 今更そんなのに当たるかァァ!!」
魔理沙の疾風の如き飛翔を止めるにはまるで足りない。魔弾の間をすり抜け、轢き潰し、次々に弾幕と化したフラン自身を削っていく。
空間を埋め尽くす巨大な吸血鬼を、煌めく彗星が切り裂き続ける。
"――――――!!"
大気を震わしてフランが声にならない声で叫んだ。弾幕の攻勢がその威力を増す、魔弾が狂気に駆られ狂ったように踊り出す。
もはや弾幕でなくただの壁にしか見えぬそれに、小悪魔はまるで目が付いていかなかった。しかし……
(魔理沙さんなら――!!)
信じる。
自分を、ちっぽけな小悪魔を信じてくれた普通の魔法使いをただ信じて、結界を最高強度で維持する。
その過分であるはずの期待に、小悪魔の乗った小さな肩は、魔理沙は……
「おおおおおおおおおおぁぁあああああああああ!!」
駆け抜けた。弾幕の最も薄い箇所的確に見抜き、最高速度でイカレたような弾幕を切り裂いた。追い付けない、もはや魔弾ですら魔理沙に追い付くことはかなわない。
そしてその先に現れる人影があった。バサバサと消えた時とは逆にコウモリが集まり形作られるその影は……
「妹様!?」
「あっちも限界が来たんだろ!! この勝負……!!」
魔理沙が今までで最高の速度と勢いで、
「私達の勝ちだぁぁぁああ!!」
フランに突貫する!!
服も破け、煤を被り、肩で息をしているフランは……
「キヒッ」
「――!? 魔理沙さん!!」
「小悪魔!? 何を――?」
フランの口元に浮かんだ不吉な笑みに猛烈な悪寒を感じ取ったのは小悪魔だった。咄嗟に肩から飛び降りて、魔理沙を庇うように前に進み出た。そして二人は減速しないまま……
「禁忌ィッ!! レーヴァテイン!!」
「……な」
ゴウッ、とフランが真下から伸びた炎の柱に包まれた。
……魔理沙のブレイジングスターが突撃技であるということは、攻撃する瞬間は間違いなくフランに重なる座標を通るということで……魔弾とは比較にならない威力を持った炎剣に魔理沙が音速で飛び込んだ。
「っぐあああああぁぁぁあ!?」
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
自らも焼け焦げ、吸血鬼であったとしても看過し得ないほどのダメージを溜め、それでもフランは哄笑した。
もはや不可侵を思わせた魔理沙と小悪魔が炎に焼かれて墜落して行く。望み続けたその光景を見て、フランは痛みすら忘れてひたすらに笑った。
「が、ぐっ」
フランの勝ち誇った笑い声、焼け落ちるのを確かに見た箒の姿、砕けて千切れていった飛行眼鏡、そして地面に叩きつけられた自身の痛み。それら全てで何が起こったのか理解しながら魔理沙はそれでも解らなかった。
(一体何が起きた……? あのレーヴァテインは一体? ……ッ!?)
一撃でまともに動かなくなった身体をどうにか動かして振り向き、魔理沙は顔を引き攣らせた。フランの真下にある倒れた本棚、その中央に"貫通した穴"が空いていた。そしてあの本棚は……
『本棚に潰された方も起き上がって来ません!! これなら私でも分身は倒せます!!』
分身の魔力がまだ残っていたのだ。少なくともレーヴァテインを発動出来る程度には。魔理沙はそれに気付かず、最後の罠にかかってしまった。
(しまった。私も小悪魔も浮かれて完全に……そうだ小悪魔は!?)
魔理沙が慌てて周囲を見渡した。自分を庇い前に出た小悪魔は? いやそもそも音速で墜落して自分がまだ生きているのも……
「こっち、です。魔理沙……ん」
「こ、小悪魔!!」
呼ばれてようやく見つけた小悪魔の姿を見て、魔理沙は悲鳴に近い声で叫んだ。
小悪魔は顔だけはいつものように笑みを浮かべていた。けれどそれ以外の、ほぼ全身が真っ黒く焼け焦げていた。人間ならまず間違いなく死んでいるレベルの火傷だった。
「すいま、せん……わたしの、せいで……はやく、にげて……」
「馬鹿喋んな!! くそ、私は治癒の魔法は苦手だってのに!!」
言って魔理沙は辺りを見回すが、頼みの綱であるミニ八卦炉はどこにもない。遠くに飛ばされたか、それとも考えたくないが微塵に砕け散ったのか。……と、
「QED!!」
「……ッ!!」
宙から響いた声に魔理沙は振り返った。
フランが、背負った魔法陣をより巨大に広げ、禍々しい笑みで魔理沙を見下ろしていた。QED、数学において証明の終了を意味するその三文字は確かに今の状況に即していた。
小悪魔は動けず、ミニ八卦炉を失い、箒すら失って空も飛べなくなった魔理沙にはフランにこれ以上抗う力がない。例えフランも限界近くまで消耗していようとも、もはや魔理沙に打つ手は残されていない。
(くそ、あと一手……切り札はあるんだ。もう一押し出来る切り札は。けど……)
それは間に合わない。まだ"来ない"。どう考えてもフランが弾幕を放つ方が早い。せめて期待出来るのは援軍の可能性。しかし、それも望みは薄い。自分以外の全員は小悪魔と変わらぬぐらいボロボロだったはずだ。
「くそ……これで詰みなのかよ」
せめて小悪魔の前に立ち、魔理沙は悔しげに歯を食いしばった。
そして……
「495年の波紋!!」
フランが最後のスペルを放った。もはや能力を使うまでもないと判じたのか、言葉通り波紋のような弾幕を重ねて魔理沙に放つ。
魔理沙はその弾幕から目を逸らさない。せめて最後まで闘志は保ち、視線に力を込める。……と、
「全員構えぇぇ!!」
「「……ッ!?」」
結局の所、二人共どうかしていたのだ。特に魔理沙は、狂気に侵されたフラン以上に我を忘れていたのだ。何せ……
「紅魔館妖精メイド隊!! 撃てぇぇ!!」
「なッ……!?」
ゴガガガガガガガガガガ!! と、恐ろしい弾数を四方八方に撃ちまくる紅魔館最多種族である妖精達の事を忘れ去っていたのだから。
隊列を組む無数の妖精メイド達がいつ現れたのか、魔理沙もフランも気付けなかった。それもそのはず彼女達を運んできたのは……
「貴方達……お願い、魔理沙を、妹様を……」
「了解!! あんたらここが意地の見せ所よ!! 世話になりっぱなしの咲夜さんに!! 私ら妖精を雇ってくれるお嬢様達に!! せめて今恩を返せ!!」
「「「アイサーアイアイサー!!」」」
咲夜の懇願を受けて放たれる妖精達の弾幕、それはまさしく死力を尽くした弾幕だった。なにせ魔弾の撃ち過ぎにより衰弱で消えていくメイドが幾人も幾人も居たのだから。そしてその弾幕は……
(っく、向こう側が見えない……!! 能力でアイツらを壊せない……!!)
きっと考えてのことではなかっただろう。しかしそれでもフランの視界を塞ぎ、能力の無効化を果たした。
その事実にフランの怒りが瞬時に沸点を超えた。咄嗟に張った防御用の結界、それを全く、揺らがすことすら出来ない雑魚。それに自らが誇る一番の力を封じられたというその事実がフランに心底からの怒りを与えた。
「お前らぁぁぁああ!!」
フランが波紋の弾幕の矛先を妖精達に向けた。フランの魔弾は妖精達とは比べ物にならない威力で弾幕を貫通し、妖精達を撃ち抜き一時とはいえ消し去り自然に返す。それでも妖精達は怯まない、痛みを恐れず、自らの命を弾幕に変えてフランに無謀な攻撃を放ち続ける。……が、
「これで終わりだ!!」
フランが手を掲げ握り締める。それと同時に分厚い弾幕に大きな穴が空いた。フランが妖精達の数を削り、視界に収まるだけの魔弾を破壊した成果であった。そしてその開いた穴の先をフランは目を見開いて凝視する、決死で弾幕を放つ妖精達を一息に消し飛ばす為に……凝視、してしまった。
「お嬢様!! 今です!!」
弾幕が破られた正にその瞬間、それを待っていた咲夜が、通信用の呪符に向けてそう叫んだ。そして、
「良くやったお前達!! それでこそ我が紅魔の一党だ!!」
ガゴォンと、レミリアが、瀕死であるはずのレミリアが最後の力を込めて……フランの対面、咲夜が空間を元に戻して出現させた、妖精達の後ろの壁を破壊した。壁の向こう側、美鈴の監視術式のトンネルから。そして壁に空いた大穴から……
「……っぐ、ああああああああああああああああッッッ!?」
白い光が……日光が注ぎ込まれた。
咄嗟に空中を転がるように逃げたが、能力を使うべく目を見開いていたフランの目が吸血鬼最大の弱点によって焼かれた。
(なんで……有り得ない!! 今はもう、どう考えても日没は過ぎてるのに!! なんで日光が!?)
フランには、目を焼かれたフランには解らなかった、見えなかった。
壊れた壁の向こうで美鈴が支えている巨大な、直径二十メートルはあろうかという鏡が空から注いだ月光を"反射"していることに。そしてその鏡にパチュリーが月の属性を反転させ日の属性に変える魔法をかけ続けていることに。
……自らがその逆の術式を行ったが為に、彼女達にこの最後の攻撃の着想を与えてしまったことに。
しかし、それでもフランは己の優位を確信していた。
(目はあと二十秒もあれば回復する!! その間に私を倒せる攻撃力はもうアイツらにはない!! 妖精は論外、他も魔理沙以外は瀕死だし、その魔理沙だってあの魔法具を失くしてる。それなら……)
目が回復し次第、能力で壊し尽くす。それで終わり。フランが暗闇の中で打ち立てたそんな目論みを……
「……な」
巨大な太陽がその光で焼き尽くした。それはまだ見えない目に映ったものではなかった。フランのもう一つの感覚、魔力反応への知覚が太陽と見紛わんばかりの光を、あまりにも巨大な魔力を捉えたのだ。
見えぬまま、それでもフランは振り向いた。もし、彼女があれから動いていないのなら、そこには……
「忘れてないか、フラン」
顔を見ずとも解る力強い声。予想に違わぬその声はフランに続けて……
「この屋敷には、初めから八卦炉があっただろ?」
「――――!!」
フランはその時幻視した。時計塔の隠し部屋の底にあった巨大な水晶の板に描かれた八卦炉図を。
そして今それは……魔理沙の目の前の床に、水晶を通り鏡で月光から変じた日光で、影絵という形で転写されていた。無論それだけでは八卦炉から魔力を取り出すことなど出来ない。しかし……
(日光ってのは……結局の所、星の光だ。太陽より遠い所にある恒星を私達は星って呼んでるんだから)
ならば、星と光の魔法を得意とする魔理沙ならば、星の光で繋がる八卦炉から魔力を汲み上げる事は十分に可能。それが故のこの魔力、吸血鬼さえ瞠目する巨大な魔力、携帯用ではない本来の八卦炉から汲み上げるその巨大な魔力を……
「が、あああああああああああああああああああッッッ!!」
魔理沙が撚り上げ、式として紡ぎ上げる。
あまりに巨大過ぎる魔力の奔流に、皮膚が裂け、肉が血を噴き出し、骨が軋みを上げてひび割れる。
そして……
「ぐ、ぬ……!!」
真っ赤に染まった視界が、片方バチンとスイッチを落としたように見えなくなる。それを契機に魔理沙の身体から力が失われる。
(くっそ駄目だ。まだ、まだ倒れるわけには――……?)
決意と裏腹に力を失う魔理沙の身体が倒れずに誰かに支えられた。
「あと一息です。魔理沙さん」
「小悪魔……?」
「妹様は貴方に負ければ帰ってきます。戦って確信しました。間違いなくあれは貴方を恐れている。弱い……"弱いと思われている"貴方だからこそ……!!」
「……ああ!!」
小悪魔が、フランが裏の人格と入れ替わるという最悪の事態に備え、打っていた最後の保険。それが魔理沙は弱いという刷り込みだった。
……フランの狂気を本当の意味で理解するには、時系列を整理することが大事になってくる。五十年前の捨虫の魔法は確かにフランを狂わす要因だったのだろう。長年閉じ込められたことは確かにフランの心の傷になったのだろう。けれどその前、そもそもフランが閉じ込められた要因は何だったのか? 恐ろしい能力を持つというのならレミリアとて当て嵌まるのに、何故フランだけが。その答えは……
『妹様には元々、生まれついて精神的に不安定なところがあった。何かの拍子で自分すら巻き込んで世界を滅ぼしかねないような危うさが』
その危うさこそが狂気の根源。そしてその危うさは……
『妹様の能力に起因している。怖がっているんです、妹様は。自分が少しつつくだけで壊れてしまう世界の脆さを。そしてそれ故に危うくなる。こんなにも怖いのならいっそ自分が壊してしまえばいいのではないか。そんな自殺願望にも似た感情が妹様の無意識には確かにあるんです』
世界の脆弱さに対する恐れ。それこそがフランの狂気、その全ての土台になっている。そう説明して小悪魔は魔理沙に言った。
『もし仮に、能力を全力で振るう妹様に、"弱いと思われている"霧雨魔理沙が勝利したとしたら?』
逆説的にフランの根源的な恐れを払えるのでは? 世界はフランが思っているほどに脆くはないと証明できるのでは? それが出来れば土台を否定された狂気は崩れ去るのでは?
……暴論であることは小悪魔も承知していた。しかし、確かな成算もあった。なにせこれが間違っているのならフランが魔理沙を執拗に狙う理由が説明できない。
……そして魔理沙はその小悪魔の提案に乗った。本気で殺しに来る吸血鬼に勝利しろという無茶な要求にフォールドでなくコールで応えたのだ。
そしてその大勝負は……
「あと一歩で、貴方の勝ちです!! 普通の魔法使い!!」
「おお!!」
小悪魔の鼓舞に応えた魔理沙の叫び。それと同時に術式が完成した。
これもまた対レミリア用に用意していた、けれど魔力が足りずに実用できなかった術式。
その完成に気付いて我に返ったフランが魔理沙に向けて飛翔し突撃する。しかし……
「行かすかぁ!!」
「妖精舐めんなこらぁ!!」
「いてまえ魔理沙ぁ!! 私達ならそれ食らっても復活するし!!」
「……な、この!!」
まだ残っていた妖精達が外敵に群がるミツバチのようにフランに飛びついた。
当然、フランはそれを容易く引き剥がす。しかし……
「恋符……」
「……!!」
その一瞬で十分だった。もうフランは纏わりついていた妖精を除けることは出来なかった。フランの意識は、日輪の灼熱を抱えた、紅く紅く輝く八卦炉のイメージだけで染められ、そして……
「サンライトスパァァァァアアアアアク!!」
八卦炉から天地逆さに陽光が迸った。
それは正しく太陽そのものだった。吸血鬼の弱点である太陽という星の魔力を収束し、マスタースパークを遥かに越える出力で撃ち出す対吸血鬼最強魔法。その威力に、フランに纏わりついていた妖精達は一秒と持たずに自然に返った。そしてフランも……いや、
「っが、くっ、クヒッ、アハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「……なっ!?」
フランは防御用の結界を張って堪えていた。吸血鬼とはいえ、もはや限界寸前までダメージを負ったフランのそれは弱々しく、強大な光の猛威を前に砕け散る寸前だった。しかし……
(あと数秒保てばいい!! それで目が回復する!!)
どれだけ威力を持とうと関係ない。フランの能力は太陽そのものを破壊できるのだから、魔理沙の、人間一人が撃てる魔法程度……
(容易く破壊できる!! あと少し、もう少し耐えれば……!!)
目の潰れたフランが最後の最後に笑みを取り戻す。その破滅を前にしての笑みは正に狂気そのものだった。
その絶大な狂気の前にレミリア達が、妖精達が、誰もが絶望を覚えた。皆、思わず膝を付きそうになった。
……ただ一人を除いては。
「まだ、まだぁぁぁあああああ!!」
魔理沙が吠えて、懐から煉丹を抜き出した。それを見て小悪魔が血相を変えて叫んだ。
「魔理沙さん、駄目です!! これ以上の魔力は貴方が……!!」
魔理沙が抜き出した星の煉丹は三つ、今、本物の八卦炉から魔力を引いているだけでも限界なのに、そんなものを使ったら――!!
「死んじゃいますよ!! 魔理沙さん!!
止める小悪魔を、即席の相棒にしてはあまりに頼りになり過ぎた小悪魔の言葉を、この時ばかりは無視して魔理沙は煉丹を八卦炉に放り込んだ。瞬間……
(なん、だ、これ……?)
魔理沙の身体から全ての感覚が消し飛んだ。
自分が今立っているのか? いやそもそもこの世に存在しているのかすら不明瞭。さっきまで感じていたはずの痛みすら綺麗に消し飛んでいる。
頑張らねばならないはずだったのだ。耐えなければならないはずだったのだ。……しかし、これでは何に耐えればいいのかすら解らない。
(だ、めだ。あいてが……なにをすればいいのかわからん。これじゃ、がんばりようがない)
ああ、ごめん小悪魔。ごめんフラン。ごめん……みんな。私はもう……
『私にとって普通の魔法使いってのはさ……』
……?
『私みたいな商家に生まれた普通の子供にとってさ、普通の魔法使いっていうのはさ、』
……あれ? これは、誰の声だっけ?
『絵本の中の住人なんだよ。呪文一つで白馬に乗った王子様でもどうにもならないような事を解決しちまう。そんなヤツなんだよ』
ああ、解った。これは私の声だ。これはあの時、霊夢に、小悪魔に……
『なぁ笑うなよ? 私はさ、それを目指してるんだ。そんな絵物語みたいな普通の魔法使いをさ。
……そうだろう?』
ああ、そうだな。その通りだ。
『ならそれを頑張れよ、霧雨魔理沙。そしたらきっと……みんな幸せになれるはずさ』
そう言って、誰かに肩を叩かれたような気がした。その感触を切っ掛けにして、感覚が戻ってくる。熱さも、痛みも……そして、
(……そういやフランには、まだ話してなかったよな)
音は聞こえなかった、匂いも、多分まだ。しかし目は開いていた。その先でフランが笑っていた。笑っているはずなのだ。……しかし、それでも今度は魔理沙は間違えなかった。
(泣くなよフラン。今……)
助けてやるから。
魔理沙はそう言って……口はろくに動かなかったので言ったつもりで、手を無理矢理持ち上げフランに向けた。
(私はさ、まだまだ全然未熟だから……いつもせめて気持ちでは負けないようにって思ってるんだ)
それは魔法においては決して無意味なことではない。精神的な要素で大きな影響を受ける魔法を行使する上で、むしろ最も重要と言ってもいいことである。だから……
(だから、名前を付けてみたんだ。人が持つ感情の中で一番強いはずの感情。それに負けないぐらい気合を入れてぶっ放すって意味でさ。……中々洒落てるだろ?)
故に恋符。まだ魔理沙はその感情を乗せて魔法を放ったことはない。今持つこの感情も、それとはきっと違うのだろう。
(けど、けどさ……それに負けないぐらい)
私は、私はさ、
「お前のことが、大好きだぜ。フラン」
「――――」
魔理沙のその微笑みを、フランだけがその時見た。魔理沙の正面に居た、フランだけが。けれどそれも一瞬、魔理沙が差し伸べるように伸ばした手に力を込めた。
(だから……)
八卦炉が軋む。人間一人容易く吹き飛ばせるはずの八卦炉が、少女の感情に呼応して揺れる。
(さっさと……)
暴れ狂っていた魔力が一瞬静まり、一点に収束する。
それはきっと奇跡と呼んでいい魔法だった。人間の少女が成せるはずのない、奇跡のような魔法だった。そして……
「帰って来い!! この馬鹿娘ぇぇぇぇええええええええ!!」
瞬間、空気が灼熱した。
音が消えた。光が消えた。魔理沙が放った光が全てをかき消しフランを飲み込んだ。何人も抗えるはずのない、そんな風に誰もに思わせる魔法だった。
(あ……)
そしてその魔法に飲み込まれたフランは……
(太陽って……こんなにあったかいんだ……)
その温もりに、フランは魔理沙と手を繋いだことを思い出した。……いや、
(ううん、それだけじゃない。お姉様の手も、美鈴の手も、パチュリーの手も、咲夜の手も……皆みんなあったかかった)
馬鹿だなぁとフランは笑った。
あの手の温もりに比べればぬいぐるみの事とか、術式の事とかそんなのどうでもいいことだったのに。
そして残念だなぁとフランは悲しげに笑った。
気付けたのに、せっかくそれに気付けたのに。身体が灰になっていくのが解った。それも当然、あんなとんでもない魔法を受けて無事に済むわけがない。
(けど……仕方ないよね)
フランは……裏も表も関係ないフランにはよく解っていた。今の今まで自分は親しかった人達を、愛しかった人達を本気で殺そうとしていたのだと。恐怖に負けて、馬鹿みたいに暴れて、皆みんな壊そうとしていたのだと。なら……
(仕方ないよね……)
ごめんね、みんな。
最後に一つそう呟いて、フランは光の中で目を閉じた。これで終わりだ。世界の敵だった吸血鬼は、正義の魔法使いに見事討ち取られて果てるのだ。もしそんな風に語られるのなら、敵としてでも魔理沙と一緒に語られるなら……
(ああ、うん。思ったより、悪くはないかな……けど……)
やっぱり、残念かなぁ……
………………
…………
……
……あれ?
「あんのバカ魔理沙……あいつ、やっぱり、本当は何も考えてないんじゃ……!! っていうか偉っそうに……!!」
なんでまだ聞こえるんだろ?
……ふと、自分の耳がまだ聞こえることに気付いたフランが目を開ける。
「ま、まあまあお嬢様。こうしてどうにかなったんですからそこは結果オーライということで……」
そこには何故か自分を膝枕している咲夜が居た。
「……とりあえず図書館の片付けは魔理沙にやらせるわ。決定」
とか言いつつも、図書館の方などちっとも見ずにこちらを心配そうに覗きこむパチュリーが居た。
「あのー私かなりズタボロだったんですけど、なんで皆して真っ先に私を盾にしたんですか? ほら、治りかかってた腕がまた真っ黒焦げに……」
「「「だって美鈴だし、大丈夫かなーって」」」
「ひどい!! ……うぅ昔は皆可愛かったのにぃ~」
そんな風に言いながらも皆を優しく見つめ、私の頭を撫でる美鈴が居た。
……ふむ、結論。これは、
「夢、かな……?」
「フラン……!! 目が覚めたのね? 良かった」
「夢なのに……リアルだなぁ。うん……」
良かった、最期にいい夢が見られて。
「ちょっとフラン!! どうしてまた目を閉じるの? 待って、やめて!! 誰か、誰か!!」
有り難うお姉様。
私の為に、泣いてくれて。私はそれで十分です。今まで迷惑かけてごめんなさいでした。
………………
…………
……
「……あれ?」
フランが再びそんな驚いたような声で目を覚ましたのは、やはり自分の目が覚めたからだった。
目が覚める。それはもう二度と自分には訪れることのないイベントだと思っていたのに。
カローンの渡し守の世話になり、そのまま地獄行きになると思っていたのに、目覚めたのが何故かふかふかのベットの上だったのだから驚きもする。その上窓があるからここはどうやら地上の部屋のようだった。
しかも……
「ふにゃ……そして時は動き出すー……むにゃ……」
「……凄い寝言だね。咲夜」
思わず素で突っ込んでしまい、そしてその自分の予想の上を行くボケで以って、フランはこれが夢とか幻覚でなく本物の咲夜だとどうにか認めた。
「よく、寝てる……」
「すー……すー……」
私が言うのも何だけれど正気だろうか? 数日前に洒落でなく殺されかかった相手の横で熟睡してるとか。……もちろん今はそんな気は全くないけれど。
そのまま何となく咲夜の頭を撫でたり(くぅーんと鳴かれた)、三つ編みで顔をくすぐったりしてみてから(くしゅんと可愛らしくクシャミをしていた)、フランは改めて首を傾げた。
「一体どういう……?」
辺りをぐるりと見回したフランの視線がある一点で止まった。
それは一周してまた戻ってきた咲夜のポケットにだった。そこから何か、こう見覚えのある羽のようなものがはみ出ていた。フランはほとんど無意識にそれに手を伸ばした。伸ばしてから気付いたが、それはきっと期待に背を押されてで……そして、
「……おはよう、咲夜」
「はい、おはようございます。妹様」
その手が羽に触れる前に咲夜に手を掴まれて止められた。
「その、妹様……」
「んー色々聞きたいことはあるんだけど……とりあえず、手、放してくれない?」
「……それはご命令でしょうか?」
その言葉を聞いてフランがパチパチと意外そうに瞬きをした。
このご命令でしょうかというのは咲夜の中で割りと最上級の断り方だからだ。もちろんメイドの鏡である咲夜のこと、ここでご命令ですと言えばしぶしぶ手は放すのだが、ぶっちゃけ咲夜がこれを言う時は、もうその場で裸踊りをしろというのを嫌がっているクラスの断り方なので、レミリアとフランは大抵これで引く。そしてこの時も例に漏れずフランは大人しく手を引いた。
「ん、ごめんね咲夜。嫌がることして」
「い、いえ、こちらこそ申し訳ありません」
「ううん、いいの。それに……」
見ない方が良かったと思うから。
……それを聞いて咲夜の肩がピクリと跳ねた。
「私の、勘違いだと思うし。……うん、それより咲夜、あれから一体……」
「妹様」
「おおう」
ズイソと、咲夜がいきなりフランの視界に大写しになった。
時間を止めたのではないかと思う唐突さでフランに顔を寄せた咲夜は、そのままあーだのうーだの散々唸った挙句に……
「嫌いじゃ、ありません」
「……はい?」
「あの時はその、ちょっとお答え出来ない状態だったので言えませんでしたが……今ならはっきり言えます。私は、妹様が、嫌いではありません」
そう言ってフランの手に何かを握らせた。フランは首を傾げながらようやく思い出した。そう言えば二日前に入れ替わっていた時にそんな事を咲夜に訊いた気がする。そう思い至ると同時にフランの顔が歪んだ。なにせ咲夜をお答え出来ない状態にしたのは、間違いなく自分なのだから。
「咲夜あの、謝って済むことじゃないと思うんだけど……」
「妹様、申し訳ありませんが、先に手の中の物を見て頂いていいでしょうか? その、それを人の手に……あまつさえご当人に預けているというのは、非常に気恥ずかしく……」
「……え?」
言われてフランは初めて気付いた。咲夜に渡された物、それが何やら柔らかい……
「……私だ」
「……はい」
フランの手の中にあったのは、フラン自身を形どったぬいぐるみだった。
フランがそれをじぃっと見つめると、その分の時間に比例して咲夜の顔がどんどん赤くなっていった。
……羽を引っ張ってみた。咲夜が何やらアワアワと手を振って慌てた。
……頬を摘んでみた。咲夜が何やら自分の頬に手を当ててアワアワと慌てた。
……正直、咲夜がとても可愛かったのでもう少しやってみたかったフランだったが、何やらこれ以上やると本気で泣かれそうだったので礼を言って咲夜に返した。すると咲夜は凄い勢いでそれをポケットにしまい込み、ほっと息をついた。
「その、ですね……」
「うん」
息をついた咲夜の言葉をフランは静かに聞いた。
「このぬいぐるみはですね。幼少の頃……恥ずかしながらお嬢様に我侭を言って作って貰ったものでして。今でも補修の際はお嬢様にお願いしてですね……その、妹様がこれがなかったことを気にしておられたと聞いたので……」
恥を押して持ってきたという次第です。それが限界だったのか、エプロンをたくし上げて顔を隠してしまった咲夜を、呆然としてフランは見ていた。……蓋を開けてみれば何ともつまらない落ちだった。そしてそれ故に……
「さ、さくや……」
「妹様……? どうされました?」
「ごめん。私……そんな、そんなことで……」
こんなつまらないことで危うく自分は咲夜を殺すところだったのだ。そのことにフランは心底恐怖した。自分は本当に……本当はあのまま死んだ方が……
「妹様」
咲夜がすっ、とフランの頬に手を当てた。
その思いの外の優しい感触にフランは驚き不思議そうに瞬きをした。
「そのですね。私は全く気にしていないのですが、妹様が私に悪いと思うようでしたら一つ、いえ二つお願いが有りまして」
「……!! なに、なんでも言って。私に出来る事ならなんでもやるから!!」
咲夜の言葉に勢い込んでフランが身を乗り出した。
それに対して咲夜は、本当にこんなことを頼んでいいのだろうかと、散々迷った顔をして……それを見てフランがゴクリと唾を飲む。何を言われるのだろう? ジャパニーズ・セップク(白木の杭使用)的罰ならやる覚悟はあるが、嫌いなヤツをきゅっとして欲しいとかだったら考えねばなるまい。そんな短絡的なことをする愚か者は自分だけで十分だ。
……と、そんな悲壮な覚悟で咲夜をどう諭すかまで考え始めたフランに、咲夜は……
「今更、私にこんな事を言う資格はないと思うのですが……」
「……!!」
フランが白洲の砂の上に引っ立てられるような心持ちで耳をそばだてる。
そして……
「私に、もう一度妹様を……フラン様と呼ばせて下さい」
「……………………はい?」
「すいませんごめんなさい高望みしました。今の発言は忘れて下さい。調子に乗ってすいませんすいませんすいません……」
「咲夜?」
「はひっ!!」
噛んだ。
完璧で瀟洒なメイドの珍しい失態であった。けれどそれも致し方ないことだろう。なにせフランの呼びかけがどこか色っぽく、悪戯っぽく、はっきり言って裏の方を思わせる声音だったのだから。けれどフランは別段魔杖を握ったりすることはなく……
「もう一回、言って。……様抜きで」
「……その」
「ん」
「……フ、フラン」
「噛まないで、もう一回」
何故だろう、その可愛らしい威圧感を纏ったフランに、咲夜の脳裏で彼女の姉であるレミリアの姿が被った。
咲夜がちょっと掠り傷で寝込んでいる間にフランのキャラが変わっている気がした。しかし、ともあれ……
「……それはご命令ですか?」
「嘘つき。……命令じゃないよ。けど……」
咲夜が、嫌じゃなかったら呼んで。
そう言ったフランを見て、咲夜は確信した。フランはやはり変わったと。しかし……それは多分良いことなのだろうと。
「……フラン」
「プリーズ、ワンスモア」
「フラン」
「ダメ」
「……え?」
「それじゃダメ、もっとお願いして。だって……」
それじゃ、罰にならないよ。
フランはそう言って困ったように笑った。それを見て咲夜もそうですか、それは良かったですと言って笑った。
話が噛み合っていなかった。けれどお互いに通じ合っていた。そうして笑い合っていると咲夜の来たばかりの頃を思い出すようで……
(ああ、そっか)
フランの胸の中にすとんと理解が落ちて来た。私が本当に悲しかったのは……
……狂気に堕ちたのも、狂って暴れ回ったのもそれは自分のせいだ。けれどもし、それでも一つだけ皆に謝って欲しい事があるのだとすれば……と、
「ぐ……」
「さ、咲夜? どうしたの……?」
「フラン様……二つ目のお願いなんですが……行って欲しい場所が……ぐはっ」
「咲夜!?」
笑ったままいきなり斜めに傾いだ咲夜が、どうにか行って欲しいらしい部屋の番号を言って、そのままベッドに倒れこんだ。そして混乱するフランの耳に……
「隊長!! 咲夜さんがまたベッドを抜け出しましたー!!」
「誰が隊長かッ!? ってええ!? あの人縄抜けも出来るの!? ……ええいメイド服の残数は!?」
「一着なくなってました!!」
「良し、お嬢様方の部屋を洗って!! どうせまた誰かの部屋行って看病してるんだから!! ああもう、何であの人はいっちゃん重篤患者のくせに看病とかしたがるかなぁ!!」
そんな声が廊下から聞こえてきてフランは一瞬無言になった。
そうして咲夜の方を一度見る。良く見ると咲夜の顔色は何かこう、加速度的に悪くなっているようで……
「メディーーック!! 咲夜はここに居るよ!! メディーーック!!」
フランの叫びが紅魔館に木霊した。
………………
…………
……
コンコンとノックして、返事が返って来たのでガチャリと扉を開けると、部屋のベットに寝転んだ人物はこちらに背を向けて窓の方を向いていた。
そして、扉が開いた音で入ってきたことを察したその人物は一息にまくし立てた。
「ふーんだ、ふーんだ。何ですか今更ご機嫌取りに来て。私はどうせいらない子ですよーだ。真っ黒焦げになっても放っとかれるような子ですよーだ。そりゃね、解ってますよ。今回のことを考えたら私は端役だって。けどそれでももう少し心配してくれてもいいじゃないですか。全身焦げ焦げでごろんって放っとかれた私の気持ちが解りますか? 解るんでしたらそこの兎さんカットにしたリンゴをあーんして下さい。ああ、そうしないと私の身体と心の傷は癒されないんです。解りましたか? 解ってくれましたか? それじゃほら、あーんですよパチュリ……」
「……ごめん。パチュリーじゃなくて。……あーん」
「あ、あーん……」
どうやら来たのがパチュリーだと思い込んでいたらしい小悪魔が、フランの暗い、あまりに暗い顔でのあーんでリンゴをしゃくしゃく咀嚼してゴクリと飲み込む。
蜜の乗った美味しいリンゴだったはずなのに、何故か小悪魔は全く味を感じることが出来なかった。完全に無味無臭だった。虚しい、あまりにも虚しいあーんだった。
……いや、どころか。小悪魔にリンゴを食べさせたフランは背もたれのない椅子の上でくるりと回って背を向け……
「ごめん、私が、ック……馬鹿だったから……ごめん……ック」
「ちょーーーー!?」
背中を向け、しかし明らかに泣いているフランの姿を見て小悪魔が叫んだ。
「待って、待って下さい!! 何ですかこれは!! 私が傷心の妹様をイジメる悪魔みたいじゃないですか!? 誰ですかこんな気まずい出会いを演出したのは!?」
「……ここに行けって言ったのは、咲夜だけど……」
「咲夜さーーん!? いくら天然だからって許される事と許されない事がありますよ!? 貴方時間の巻き戻しは出来ないでしょうが!?」
今頃新たな、そして究極の拘束方法として三人のフラン(分身)に抱きつかれて床に就いているはずのメイド長に向けて小悪魔が力の限り叫んだ。
……と、フランがそんな小悪魔の叫びを聞いて席を立ち、スタスタと歩いて部屋の外に出た。あまりに唐突なその動きに小悪魔は首を傾げた。そこで……
コンコン
「……は、はい?」
「ひ、ひつれいします。フ、フランです、よ?」
「……」
これはあれか、もしかして最初のやり取りを時間を巻き戻してやり直そうと、そういう試みなのだろうか?
小悪魔は正直、かなり可哀想な子を見る目でぎこちなく再び椅子に座るフランを見やった。……ああ、忘れてた。そういえばこの子基本は結構馬鹿な子だった。天才だけど。
とまれ、内心はどうあれそんなフランの気遣いを無碍にするほど、小悪魔は空気の読めない小悪魔ではなかった。如才なく営業にこにこスマイルを決め、嫋やかに……
「はい、お噂はかねがね伺っております。初めまして。私はパチュリー様の使い魔で、小悪魔と呼ばれている者です」
決まった。小悪魔は心の中でガッツポーズを決めた。長年研究してきた出来る秘書風、けど優しそうなお姉さん的挨拶が理想的に決まったと確信した。……だが、
「ごめん……ごめん……」
「泣いちゃったーー!? え、え、待って下さい今の何が悪かったんですか? 何かまずかったら謝るんで教えて下さい!!」
ポロポロと、今度は隠すことすら出来ずに泣き出すフランに小悪魔は再び全力で叫んだ。今度は正真正銘訳が解らなかった。何故にフランが泣き出すのか、その理由が。
……と、
「だって……」
「な、なんですか?」
「初めましては……怒るのは解るけど、私が悪いけど……初めましては、辛いよ。コウモリさん」
「――――」
小悪魔が一転して絶句した。
それは、それは……
「さ、咲夜さんに聞いたんですか?」
「……? ううん」
「です、よね。それは私が自分で言うって、言いましたからね」
如何に咲夜が天然だとはいえ、その辺はきっちり汲んでくれるからこそ完全で瀟洒なメイドなどと呼ばれるのだ。
ならば何故……
「話せば、解るよ。ずっと一緒にお話して来たんだから」
「い、いえでも、口調とか全然違いますし……」
「最初」
「……ッ」
「二人目のコウモリさんが最初に出て来た時と、口調がおんなじ」
「覚えて……というよりお気付きでしたか」
厄介だ。本当に馬鹿で天才というのは厄介だ。
小悪魔は改めて痛感し、額に手を当て天を仰いだ。二十年フランの話相手を務めてきた小悪魔だったが、治療とは別に苦労したのが、一番始めの頃のコウモリさんの演技だった。なにせ小悪魔は前任の――小悪魔の予想では多分レミリアと美鈴――コウモリさんのことを何も知らなかったのだから。
口調を色々な物にさり気なく変化させ、話す内容を様々に展開し、その都度フランの反応を見分けて元のコウモリさんに近いキャラクターを作り上げるというのは中々に骨が折れる仕事だった。
そしてフランはどうやらその一番初めの、要するに小悪魔の素の口調を覚えていたらしい。
「うん、二人目っていうのは本当にさっきだけどね。ちゃんとコウモリさんが"居る"のを見て、そうなんだろうなぁって」
「さ、察しがいいですね」
「それにね?」
「はい?」
「忘れないよ。コウモリさんがずっと出てきてくれなくて泣いてる私に、貴方が最初に大丈夫ですかって話しかけてくれたのは。あれで私、コウモリさんがずっと出て来てくれなかったのも、許しちゃったんだから」
はにかむように笑うフランを見て、小悪魔が感じたのは痛ましさだった。
……フランの親しい友達だったコウモリさん、唯一本音で話せる相談役だったコウモリさん。そのコウモリさんが一度フランの元に現れなくなった長い断絶、それは百年近い時間であったはずなのに、それにもこの子は怒らない……怒れないのだ。ずっと自分が疎まれていると思っていたこの子は、それでも怒って今以上に疎まれることを怖がっているのだ。……そして自分は、
「……妹様」
「え? ……な、なに?」
顔を険しくしてベッドから下りてフランの前に片膝をつき、頭を垂れた小悪魔は、
「どうか御処罰を。私はずっと貴方を騙していました」
「――――」
小悪魔の、いつもおどけている小悪魔の、それは真摯な謝罪だった。
「貴方のその思考は、貴方がお嬢様方に疎まれていると思い込んでしまっているのは私の責任です。お嬢様達の思いやりを悪意に満ちた曲解で捻じ曲げて、私はずっと貴方の不審を育ててきました」
勿論、理由はあった。考えもあった。そもそもフランの疎まれているという思考は小悪魔が紅魔館に来るずっと前からあったはずだった。
けれど、それでも小悪魔は許せなかった。レミリア達の血の努力を、有り得ぬ敵意に仕立て上げ食い物にしてきた自分の嘘が、決して。だから、
「どんな罰を言い渡されても、例えこの場で命を散らされても、私に不服はありません。ですがそれでも言わせて貰えるのなら、二十年の友誼に免じて言わせて貰えるのなら」
その勘違いを忘れて下さい。私への罰で終わらせて下さい。貴方は……
「妹様、貴方は……愛されているのだから。……あんなに素敵な人達に」
「……」
小悪魔はそう言って結局最後まで顔を上げなかった。今フランがどんな顔をしているのか、それを見る勇気がなかったのだ。
そして、そんな臆病な小悪魔の頭にポンと、小さな手が置かれた。
「それじゃ、罰です」
「……はい」
「これから私が訊くことに、正直に答えて下さい」
「――――!!」
伏せられた小悪魔の顔が驚きの色で染まった。何故ならその言葉は……
「貴方が嘘を付いたのは……誰の為でしたか?」
「それは……!!」
「自分の為はダメだよ。それを言い出したら、この世に自分の為じゃない行動なんてなくなっちゃうもん」
「……貴方は……貴方達は、本当に、良く似た姉妹なんですね」
「ん?」
小悪魔は同じ言葉を、同じ様に謝罪したレミリアからすでに聞いていた。そして言われたのだ、もし謝るのなら自分達でなく……
「謝るなら私よりお姉様達に謝って欲しいかな。私は……もう貴方に怒ってないから」
「……本当に」
良く似た姉妹だった。馬鹿なところが……お人好しなところが。
……ただ、レミリアとフランで少しだけ違ったのは、
「けど別の事には謝って欲しいかなー?」
「はい? ってあだだだだ、痛い、痛いです妹様!!」
「はいアウトー」
「ひきぃ!?」
頭に置かれていた手と空いていた手が、小悪魔の頭についた羽を引っ張って無理矢理顔を上げさせた。
そうして上げられた顔の先で、フランは笑っていた。笑って……怒っていた。
「ねぇ小悪魔、貴方コウモリさんなのになんで私を妹様って呼ぶの?」
「い、い、うぇ?」
「うーん困ったなー、これ以上強くするともげちゃいそうな気がするんだけどなー」
「えぇっ!?」
一瞬本当に強くなった気がする握力に驚いて声を上げた小悪魔から、フランは苦笑して手を放した。
「私ね、解ったの。私が……誰も信じられなくて、一人で怖がってた弱い私が、昨日まで、四百九十五年も保った理由が」
フランはそう言って、今度は小悪魔の手を取った。
「それはきっとね、皆が私をフランって呼んでくれたから。そう言って私が誰かずっと教えてくれたから。私がフランであることを望んでくれたから」
「……あ」
「だから、妹様はやめて。それじゃ私は、私が誰だか解らなくなっちゃう。お姉様の妹は私だけだけど、それでもフランじゃなくなっちゃう」
「……」
言われて、小悪魔は初めて気付いた。
主であるパチュリー、初めはフランと呼んでいたのにいつの間にか妹様と呼んでいた。
同じ従者である咲夜、彼女も初めはフランと呼んでいたはずなのにいつの間にか妹様と呼んでいた。
そして自分、コウモリさんを演じる時はフランと呼んでいたのに、小悪魔はいつの間にか妹様と、心の中でさえ、そう呼んでいた。
そのことを知ってはいたけれど、言われて初めて実感した。一体いつから、どうして……
「それはきっと貴方が、お姉様達も多分、私に悪いと思ったから。地下に閉じ込めてるのを負い目に感じて、私のことを見ていられなくなったから」
けど、
「悪いと思うなら、負い目に思うなら、尚更私のことは名前で呼んで。私を見て、縛って、私を……」
フランで、いさせて。お願いだから。
そう言って目から溢れるように涙を零したフランを、気付けば小悪魔は抱きしめていた。
「フラン、フラン……」
「ん、うん。……ね、小悪魔? 私ね、貴方を許すよ。嘘も、他に何かあっても全部。だから貴方も私を許して? それで、それでね……」
「はい……」
私とまた、これからも友達でいてくれますか?
そう言って小悪魔を抱き返し、フランは小悪魔の肩に顔を埋めた。
「……はい」
そんなフランの言葉に小悪魔は笑顔で、何かを偽るのでもなく、何かに耐えるのでもない陽だまりのような笑みで……
「喜んで。フラン様」
そうして二人は笑いあった。
それは昔々から友達の、けれど初めて顔を会わせた二人に相応しい出会いだった。
495年の終わりに相応しい、晴やかな笑顔だった。
………………
…………
……
「ねぇパチェ、おかしくないかしらこれ? 普通あそこでフランと感動的な抱擁を交わすのは、姉である私だと思うんだけど。ねぇ、ねぇってば」
「知らないわよ。ていうかそもそも貴方、咲夜とか私にフランが目を覚ましたら小悪魔の所に行かせなさいって言ってなかった?」
「言ったわよ? 小悪魔が大分気にしてたから。でもね、でもね? ……どうしても納得いかないわ」
「まぁまぁお嬢様、小悪魔も色々と頑張ったことですし、ここは一つ大目に……」
「咲夜、ねぇ咲夜? そんなフランを三人も身体にへばりつけながら言われても、腹立ちが増すだけなんだけど解って言ってるのかしら咲夜? って言うか一人寄越しなさい、その抱き付きフラン!!」
「お嬢様がお望みなら、もちろん構いませんが……このフラン様、私から離れると泣き出す仕様みたいですよ?」
「……うー」
「情けない……初代コウモリさんとして……駄目な先生でごめん、フラン……」
喜怒哀楽、様々な様子で薄く開けた扉の隙間からフランと小悪魔をこっそり見ている四人組が居た。
それは例えば、覗き見中という自分の位置に不満たらたらのレミリアだったり、意外と普通に感動しているパチュリーだったり、動けないはずなのにフランをくっつけたまま笑っている咲夜だったり、自身の不甲斐なさに凹んでいる美鈴だったりした。
けれど……
「……軽いわね。なんだか」
「そう、ですね」
「ええ。なんだか胸が軽いです」
「そう? 私は……ちょっと変わった気はするわね。やっぱり」
フランと、その名前を何気なく口に上らせる。
そのことが、それだけのことが何故か全員の胸を浮き立つように弾ませた。それはきっと終わったから。始まったから。色々な物が。
しかし、明るい顔色だった四人が誰からと言わず不意に顔を暗くした。
「あとは……魔理沙のことはやっぱりフランに言わないと駄目よね」
「そうね。……黙っている方がきっとあの子を傷つけるわ。それでも辛いだろうけど。美鈴、咲夜、魔理沙の容態は?」
「はい。私の能力と、パチュリー様の魔法で傷の方はもう八割方治っているのですが……」
「それは間違いありません。人里から連れてきた医者もそう言っていましたので。……魔理沙はもう、いつ目を覚ましてもおかしくないほど回復していると。ただ……」
だからこそ、いつ目を覚ますかは解らないとも。
……咲夜の言葉に、知っていたはずのその言葉にそれでも全員が暗く沈んだ。
魔理沙は今、紅魔館の客室の一つでこの三日間――フランは三日経ったことに気付いていないようだが――昏々と眠り続けていた。
あの戦いが終わった後、もういつ事切れてもおかしくない状態だった魔理沙を、美鈴とパチュリーは紅魔館の威信と己の命を賭して治癒し、どうにか命を繋ぐことに成功していた。しかし……激しい弾幕で神経が傷ついたのか、それとも魔力の過負荷によって脳にダメージを負ったのか、魔理沙が意識を取り戻すことは今日まで一度もなかった。
「……最悪の場合ですが、ずっとこのままということも有り得るそうです」
「あれだけの魔法を人間が使えば……そう、なるわよね」
「魔理沙さん……」
目に浮かぶのはあの日輪の魔法だった。そしてその太陽のような魔理沙の笑顔だった。
もしかすると、あの笑顔はもう二度と見られないのかもしれない。その事は紅魔館の誰もに言い知れぬ喪失感を与えていた。きっと妖精メイド達の中にも同じ気持の者は多いだろう。魔理沙は、気付けば魔理沙は紅魔館にとってそれ程大きな存在になっていた。……と、
「……ふん、何を言い出すかと思えば。随分と的外れの心配をしているのね、貴方達は」
「「「……!!」」」
暗く沈んでいた三人を、レミリアが小馬鹿にするように鼻を鳴らして嘲った。
「私達が心配すべきなのはフランでしょうに、はぁ、あの子魔理沙が眠ったままだって知ったら絶対落ち込むわよ。せっかく元気になったのに」
「……お嬢様、それは流石に」
「どうせあっさり目を覚ます魔理沙を気にしてね。馬鹿らしいったらありゃしない」
「はい?」
レミリアの態度に流石に不満気な三人を代表した咲夜の窘めに、レミリアはさも当然のようにそう言って言葉を被せた。と、そこで三人は思い出した。そう言えばレミリアの能力は……
「言っとくけど、運命を読んだんじゃないわよ。っていうか魔理沙の運命って読みにくいのよね。多分、私の能力で捉えられない霊夢と関わりが深いからなんでしょうけど」
そう言ってレミリアは期待に弾んだ三人の顔をあっさりと不思議そうな色に塗り替えた。それなら何故そう思うのか? そう表情で問う三人にレミリアは……
「魔理沙の運命は私でも読めないわ。けど……少なくても魔理沙には運命を変えるだけの力がある。終わるはずだったフランの運命を変えてしまう力が。それはもちろん魔理沙だけの力じゃないけど……今だって魔理沙は一人じゃないでしょ? だったらきっとまた運命を変えて目を覚ましてくれるわよ。……私はそれが、フランを助けることより難しいことだとは思わないもの」
そうでしょ? と笑うレミリアの姿には何故だか奇妙な説得力があった。言っていることは理屈になっていない感情論であるはずなのに、本当にそうだと思わせるような、大丈夫だとそんな気にさせるような何かが。だから……
「そうですね。きっと、魔理沙なら」
「はい、何か魔理沙さんなら今この瞬間にも起きだしてきそうな気がしてきました」
「……それは勘弁して欲しいわね。私、魔力までは回復してないから、あの盗人に本を持ってかれたら抵抗出来ないわ」
「ははっ、私よりひどいこと言ってるわよ。パチェ」
パチュリーの珍しい冗談に、皆が笑った。
魔理沙ならきっと目を覚ます。そう信じて、今はただ祈り、彼女がもたらした喜びを……
……と、
ドォオン!!
「……ん?」
「……は?」
「……え?」
「……へ?」
突然紅魔館に響き渡った爆発音、そして覗いていた部屋の窓の外で立ち上る黒い煙。それを見て、四人は、そしてフランと小悪魔は唖然として窓の外を見つめる。そしてそこに……
「伝令ー!! パチュリー様は、パチュリー様は何処かー!? あ、いた!! 大変ですパチュリー様、魔理沙が、魔理沙が……!!」
「……ッ魔理沙がどうしたの?」
息せき切って駆け寄ってきた妖精メイドの言葉にその場の全員が息を呑んだ。魔理沙がどうしたというのか? 魔理沙は今意識がないはずなのに。
……いや、だからこそ、
(まさか今の爆発に……)
一瞬パチュリーの頭を過ぎった最悪の可能性。そんなはずはない、そんなことはないとパチュリーは必死にその可能性を否定した。……そして幸いなことにパチュリーはその否定が正しい事をすぐに知った。何故なら……
「魔理沙が!! 今までで一ニを争うぐらい大量の本を持ち逃げしやがりましたー!!」
「…………むきゅ?」
モチーニゲ・シヤガリィマシター。どちら様だろうそれは? そんなアホな事をパチュリーは一瞬本気で考えた。目の前の妖精メイドが何を言っているのか本気で理解出来なかった。……が、
「あーはっはっはっはっはっは!!」
「今の声……!!」
全員が全員パチュリーと同じように混乱していたが、聞こえてきた笑い声を聞いてどかどかと部屋の中に駆け込んだ。するとフランと小悪魔も窓から外を眺めており、その先には……
「油断したなぁパチュリー!! この本は私が頂い……死ぬまで借りてくぜ!!」
「なっ!? そ、それはパラケルススの妖精の書初回限定サイン入りー!?」
幾冊もの本を抱え膨らんだ風呂敷を背負い、デッキブラシに乗ってこちらに勝ち誇った笑みを見せる魔理沙がふわふわと浮いていた。
……あまりと言えばあまりの展開に、パチュリー以外の紅魔館の面々は開いた口が塞がらない。
「それじゃあ世話になったなお前ら!! また本借りに来るからよろしくなー」
「ちょ、待ちなさいあんた!! って良く見たら他の本も稀覯本ばっかじゃない馬鹿ー!!」
「パ、パチュリー様駄目です落ち着いて下さい!! 今のパチュリー様落ちますから!! 窓から出たら普通に魔力足りなくて落ちますから!! っていうかむしろ何で魔理沙さんは平気で飛んでるんですか!?」
早々に立ち去ろうとする魔理沙を追って窓枠に足を掛けるパチュリーと、それに飛びつき必死に止める小悪魔。そんな二人の横で、フランは戸惑い口を震わせていた。魔理沙が行ってしまう、その前に自分は何かを言わなければならない。けれど……一体何を? 謝ればいいのか? お礼を言えばいいのか? ……どれも違う気がする。何かを言いたい、けど何を言えばいいか解らない。そうして戸惑うフランを余所に魔理沙はこちらに背を向ける。
「……ッ、魔理沙!!」
「ん?」
考えの纏まらないまま、それでもフランは魔理沙に呼びかけた。
魔理沙はそのフランの声を聞いてあっさりと振り向いた。フランの戸惑いが増す、私は、私は一体何を……
……と、そんなフランを見て魔理沙がああ、と何か得心したように頷いた。そして……
「フラーン!!」
「……ッ」
魔理沙が大きな声でフランに応えた。その声にフランは肩を跳ねさせた。その時ようやく気付いた、自分は魔理沙に何を言われるのかは考えていなかったと。酷いことをしたのだ、何度も傷つけたのだ……壊そうと、してしまったのだ。それなら魔理沙の口から出てくる言葉は……。
恨みの言葉を想像してフランが思わず俯く。そして、そんなフランに魔理沙は……
「また、明日遊ぼうな!!」
「……!!」
フランがその言葉を聞いて顔を上げた。
その時にはもう魔理沙は顔を戻して、飛び去っていた。けど、フランは一瞬確かに見た。魔理沙の楽しそうな笑顔を。
……思えば、自分はあの笑顔に惹かれたのだ。諦めていたはずの地上への憧れを、あの太陽の笑みを見て思い出したのだ。
……フランは笑った。謝ることも、お礼を言うことも出来なかった。けれどそれは今日言えなくても、明日言えばいいのだ。……太陽が昇るのは一日だけではないのだから。
「また来る気かお前はー!!」
「パチュリー様、待って、本気で待って下さいー、私、まだ、病み上がり……」
「……ふふっ」
「お嬢様?」
騒ぐ図書館主従と窓の外を見つめ続けているフランに、くるりと背を向けてレミリアは笑った。
「咲夜、明日魔理沙が来たら教えなさい。私が直々に相手をするわ」
「は、はい……?」
くすくすと笑い、立ち去るレミリアに呆けたように返事を返す咲夜。
そんな咲夜に気付かぬままレミリアは歩を進める。
(まったく、大したやつね。あの白黒も)
結局、全部魔理沙の言う通りになった。魔理沙は魔法を使って意識を失う前に、レミリアにこう言っていた。
『お前らさ、フランが目を覚ましたら、あいつのこと名前で呼んでやれよ。大好きだって、言ってやれよ。そうしたらさ、そう言ってやればさ……フランはきっと、もう大丈夫だから』
本当にフランはきっともう大丈夫だろう、小悪魔に名を呼ばれ頷くフランを見てレミリアはそう思っていた。あれならもう屋敷の中ぐらいなら出歩かせても何の問題もあるまい。
それを保つのだって今となっては難しくはない。名前で呼んで、フランがあんな顔をしてくれるのなら何度だって、喜んで呼んでみせよう。……大好きと言うのは少し恥ずかしいけれど。
そして魔理沙が持っていった本。あれが一体どれだけの稀覯本かは知らないが、今回の件の謝礼として求められれば、レミリアはもちろん、パチュリーだってあの倍どころか巨大本棚の一つや二つ分ぐらいは差し出したはずなのだ。なのに魔理沙はわざわざ盗っていった。それはきっと……
(あれだけの働きをして、求める報酬がいつも通りの日常。本当に大したやつ、それじゃまるで……)
ほんの僅かな報酬で、報酬とも呼べぬような些細な対価で奇跡を齎す。それはまるで……
(お伽話の魔法使いみたいじゃない)
あるいはそれが紅魔館当主としてのレミリアの資質なのかもしれない、なにせ知らぬまま魔理沙にとっての最大の報酬を、普通の魔法使いという賛辞を魔理沙に贈ったのだから。
……空を行く魔理沙は、軽い笑みを口の端に乗せ、鼻歌交じりでこれからに思いを馳せていた。明日はフランと何をしようか? 今度は二人してパチュリーの図書館に殴り込みでも掛けてみようか。それとも宝探しの続きでもしてみようか? 一つあったのだから、また隠し階段でも見つかるかもしれない。……いや、
(違うな。明日はまず……)
天体観測から始めてみよう。昼には星について語り合い、夜に望遠鏡を担いで星を見よう。呼べばレミリア達だってきっと乗ってくる。間違いなく楽しい夜になるだろう……部屋から望遠鏡を発掘するのが少し骨だが。
(よし、そうと決まれば……明日晴れますようにって、お参りしていきますかね)
魔理沙が乗ったブラシの柄の先は魔理沙の家に向いてはいなかった。
……何はともあれ今日はまず、
(この前お供えし損ねた面白い話を……)
魔理沙には自信があった。今なら間違い無く、賽銭箱から溢れるほどの面白い話を聞かせてやれる自信が。
あの巫女に、フランと同じ色をした巫女様に、普通の魔法使いの話を聞かせてやれる自信が、それもまた溢れんばかりに。
……良く晴れた真っ青な空の上では、そんな魔理沙を地球と最も親しい恒星が、温かに温かに見下ろしていた。
………………
…………
……
――翌日PM23:10
こつんこつんと、階段を寂しく降りる足音があった。
ボロボロに崩れた壁、割れている天井、床に飛び散った硝子片。
それらを昨日までは決して上がることを許されなかった階段から降りてきたフランが寂しそうに見つめていた。
皆で食事をした思い出の大食堂、自身が行った破壊の跡が残るそこには今、急遽用意された幾本もの柱が天井と床を繋いでいた。
……フランが四百九十五年を過ごしたこの地下四階は、パチュリーの魔力が戻り次第、土の魔法で埋め立てられることが決まっていた。そうしなければ紅魔館が地盤沈下で沈んでしまう可能性があるらしい。
――フランが大食堂の中央まで歩き出て、天井のステンドグラスの跡を、その向こう側を見上げた。
フランにとって、この地下四階は牢獄だった。外に出ようとするフランを閉じ込める、暗く冷たい牢獄だった。フランはここを出たくて出たくて……だからこそ魔理沙と共にこっそり抜け出したのだ。
しかし、屋敷の中だけとはいえ外に出ることを許され、そしてこうして失われることが決まり、新しく用意された自分の部屋を見て……そうしてフランはようやく気付いた。フランにとってここは牢獄であると同時に、今日までフランを守り続けた揺り篭だったのだと。レミリア達に裏切られたと思い込み、魔理沙をすら憎悪したフランを許し抱えていた、フランの故郷だったのだと。
――フランが視線を下ろして、壊れた扉の向こうを見つめ、透かすように目を細めた。
大食堂の扉の向こう、その先がついこの前までフランの世界の全てだった。地上部に用意された新しい部屋を、我侭を言って一つ上の地下三階に変えて貰ったのは、その世界から離れることの心細さ故だった。
フランの世界は今日から、明日から、日を経るごとに変わって行くだろう、広がって行くだろう。今までの四百九十五年を埋めるように、きっと足早に、目も眩むような速さで。その中できっと、ここで過ごした日のことを思い出すこともあるのだろう。いや、それをその時思い出すために、自分の原点を忘れないために、フランは今日ここへと足を運んだのだった。
――フランが目を閉じ、これまでの日々を思い出す。
嫌なことばかりでは決してなかった。ここでの思い出は、決して。
レミリアと共に笑い、美鈴と共に学び、パチュリー共に眠り、咲夜と共に泣いた。そして小悪魔と共に語り合い、魔理沙に出会った。
それも全てここでの出来事。ここに育まれ、過ごしてきたからこその思い出。それを思った時フランは……
「今まで有り難う御座いました。本当に……お世話に、なりました」
自然とフランは扉の向こうの世界に向けて頭を下げていた。スカートの端をつまみ、深々と頭を下げたカーテシー。ここで幾度も繰り返し練習した礼は、今この時の為に練習したのだと思ってしまうぐらいに、気付けば自然と行われていた。
「フラーンそろそろ時間よー? あれ、部屋に居ない……?」
フランを呼ぶ姉の声、それが聞こえてきてフランは頭を上げ、名残惜しそうに扉の向こうを見つめてから踵を返した。
今、この世界は……終わろうとしている、この地下の世界は、どんな気持ちだろうか。四百九十五年も自分のような化物を抱えて、そいつ自身に壊され、用済みとばかりに消されてしまうこの世界は。フランはそれを思い、眉を悲しそうに寄せて階段に足をかけ……
カシャン
「……?」
姉の声の元に駆けて行こうとしたフランが、後ろから聞こえてきた澄んだ音に気付いて振り返った。
その視線の先には、月の光が注ぐ大食堂の中央が映っていて、そこに紅く月の光を反射する何かが落ちていた。フランはそこまで歩き、それを拾い上げた。
「なにこれ? 硝子……?」
紅いそれは、確かに硝子であると考えるのが自然であろう。割れたステンドグラスの残りがさっき落ちてきたのだと、そう考えるのが普通であろう。ただ……
「きれい……」
その硝子はまるで人の手で磨かれたかのように美しかった。
二つの四角錐を重ねたような、フランの羽に並んだ結晶のような形をしたそれは、滑らかな断面で鏡のように月の光を反射し、また飲み込んで煌めいていた。フランはその宝石にも劣らぬ美しさに、思わず息を呑み見惚れて……
"One little……living……"
「……!!」
フランが驚いて顔を上げた。
今、何か、誰も居ないはずの扉の先から……
「フラーン、そこに居るのー? 危ないから上がってきなさーい」
「…………うん、今行くよお姉様!!」
耳を澄ませど何も聞こえてこない内に再びレミリアに呼ばれて、フランは諦めたように階段に向かい、その一段目を踏んだ。
……と、その背中に、
"……hand on……and then there……"
「……ふふっ」
掠れるように小さく、吹き消えるように細く、けれど本当に聞こえた気がした。
フランが一番親しんだリズムで、けれど違う歌が。それを聞いてフランは笑った。その聞こえてきた声が優しく、まるで言祝いでいるようで……だからフランは振り返り、笑って言った。嬉しそうな明るい声で。
「ありがとうっ!! ……行ってきます!!」
フランが階段を駆け上がる。
フランの顔にもう影はなかった。今日は天体観測だ。レミリアは言ったのだ、ようやく貴方にベテルギウスを見せて上げられるわねと。冬の大三角形の一つ、紅色の変光星、その紅に思いを馳せてフランは笑った。その色はきっと、その姿はきっと……
(この贈り物と、同じぐらい綺麗だよねっ!!)
紅い硝子を胸に抱いて、星を目指してフランは走る。
その背中に向けて、歌が響いていた。どこか温かい声で、まるで娘の巣立ちを見送る母親のように……
"One little vampire girl living all alone♪"
―― 一人の吸血鬼少女、一人ぼっちで暮らしていたが ――
"She is pulled a hand on ordinary witch♪"
―― 彼女は普通の魔法使いに手を引かれ ――
マザーグースの一節が、フランを歌った一節が、いつまでもいつまでも響いていた。
そうして役目を果たした世界には……
"and then there were none♪"
―― そして誰も、居なくなった ――
その声は満足そうで、館の誰もと同じ様に嬉しそうだった。
>>紅魔館の秘宝 ~Devil girls destiny~ ...Q.E.D.
森秋一さんが。万感の思いを込めて、「面白かった」と言わせていただきます。
それにしても妖精メイド隊って小気味よくていいキャラしてることが多くて良いなぁ。
だが追伸、フランちゃんは元から愛され系だからその主張はお門違いDA!
コウモリさんの正体を予想したけど大はずれ・・・と思ったらおまけにいた。作品中でもいたんだろうか?
題材としては確かに使い古されてるんだけど、にも関わらずここまで濃厚かつあっさり仕上げられる人は稀だ。よほど考えたんだろうなー…
内容も読みやすいし続きが気になるようにかかれてて読んでて負担が少ない。
読んでいても飽きが来なくサクサク読めました
とても素晴らしかったです
途中何度も胸が詰まりそうになったけど、最後まで読めてよかったです。
霊夢さんがかっこよすぎて惚れそうだった。
何回鳥肌と涙が出たか…
忘れない、この思い。
良大作過ぎて、寝れませんヽ(´o`;
一時間目は睡眠学習決定だ…
明日は怖い歴史の先生なのに
作者さん頭突き受けたら責任
とって下さいね
次も、素晴らしい作品を書く、責任を
全部読んでしまった…
そして、天然な咲夜さん可愛い
ガタガタ怯えるパッチェさん(十代)かわいいとか
内臓は飾りですとか瀟洒すぎんだろな咲夜さんとか
結構良いとこもってった小悪魔とかみんなキャラが立ってて楽しく読めました
なんといっても最高にキャラが立っててかっこよかったのは魔理沙&フランですが!
色々な人がこれまで書いてきたテーマですが料理の仕方によってはまだまだ面白い作品が出てくるんだなと痛感しますね
フランの一連のスペカについても面白い描き方で特徴を出していて素晴らしい
話全体のテンポも伏線も描写もバランスがよくもっともっと読みたいと感じる作品でした
でも、推理とバトルと心理描写とボリュームで、ここまでの話は読んだことが無かった。
素晴らしい!!
だからこそ、届いて欲しいと感情移入してしまう。
今回その背中は霊夢でなくフランだったわけだけれども、そのフランの設定補完も面白かった。
もちろん、フランだけでなく、レミリア、咲夜、パチュリー、小悪魔、美鈴・・・
名無しの妖精メイド達に至るまで、紅魔館はやっぱりそれだけでキャラが立ってしまうのが最大の強みだなぁと痛感。
だからこそ、たとえ何番煎じであろうとも、魂込めて書かれた物語は最高です。
御馳走様でした、たいへん美味しゅうございました。
むしろ、先が気になって仕方がないといった感じでした。
読む前は長さに驚愕してたのに気が付くと暇な時間全部この作品につぎ込んじゃってましたし
あと、ある時点を越えたあたりからの魔理沙のかっこよさがすごいですねっ
惚れました
面白かったですよ
なのにこんなに感動してしまった
キャラクターがとても丁寧に作られていたのが個人的にツボで、特に名前もない妖精が妙に印象に残っていたりします
読み始めたら止まらなくなって、一気に読んでしまいました
とても良い作品をありがとうございます!
この一言しかいえません。
フランがいい子すぎ…
次回作も期待をせざるを得ない!!
ところで,抱きつきフランちゃん私も欲しいです.
しかし私はそれを最後までノンストップで読まされてしまいました。
作者さんの料理の仕方次第で、よくある陳腐な内容の作品でも人を惹きつけて最後まで読ませることが出来る、そういう魅力ある作品昇華させられるのだと身をもって感じました。
やっぱり紅魔館は至高だな、と思わせられた。
ていうか500KBてどういうこっちゃ。久しぶりに見たわ、こんな数字。
作者様、本当にお疲れ様でした。あんたは凄いよ!
でも正直、破壊能力の設定はぶっ飛びすぎてる気がしないでもない。
加えてこの精神状態、ソレを愛することができるなんて、狂人を措いて他にない。
まあ最後までしっかり楽しく読ませてもらったんだけどね!
何が言いたいかというと小悪魔マジカウンセラー。正に適材適所というやつですね。
レミリアは「そもそも吸血鬼が二重人格になるのか」と言っていましたし、アレをフランだと認めたくなかったこと以上に、妖怪が精神を病むという発想がなかったのかもしれませんね。
美鈴や咲夜、パチュリーも皆フランの事を思いやっていましたが、強者と弱者という立場の違いゆえに、すれ違いが生じてしまったのかもしれません。
多くの複線を孕んだ大ボリュームに加え、優れた戦闘描写や心理描写、キャラクターの考察と作者様のセンスには脱帽です。どれだけの時間を費やせばこれ程の作品を生み出せるのか想像もつきません。
笑いあり、涙ありの超大作でした。この作品がもっと多くの方に読んでいただいて、評価されてもらえますように。
あとがきで???は出す必要がなかったのではないかなー、と。
というか、紅魔郷関連だけで纏めて欲しかった。
それだけが惜しいなぁ、と。
熱く、強く、響きました。
心踊る作品をありがとうございました。
おぉ……!素晴らしいです!この長さをもっても破綻しない構成や文章力。場面場面をありありと想像出来る細やかな書き方。息抜きにちょっぴり入るほんわかシーンの可愛さ。シリアスのピンとはった空気感や、戦闘の躍動感。
完成された物語だなぁと脱帽です!そして、そういう上手さ抜きでも本当にとても素敵なお話しでした。この作品に出会えたこと、そして拝読できたことを感謝♪
次の主役はこいしですね。
伏線と回収の仕方も好き。
とても面白かったです。ありがとうございました。
>親に大して
>自分沙
300kb以上の文章に誤字が2つしかないとは恐れ入ります
どれだけの推敲を重ねたのか伺い知れます
心が震えたんだ。
何十番煎じかわからない作品であることは間違いないけれど、むしろ私にはこの作品は、偉大な先達者たちから「美味しい素材」をそれぞれ取り出して、再び料理されているような印象を受けました。それでいて全く面白さが損なわれていないんですよ。脱帽せざるを得ません。いやいや帽子脱ぐだけじゃあ足りませんね。カツラも取りましょう。禿げます。禿げ上がるほどの面白さでした。
あと何十番煎じとか言いましたが、種族魔法使いのくだりは新鮮で新しい衝撃でした。
しかしながら一つだけ、いや二つだけ気になるところが。
一つは、咲夜さんの回復の速さ。二つに"別けられた"ダメージ、というヒントはあるのですが、そこから答えを導き出せずに悶々としています。誰か助けてー!
それからフランが自力で捨虫の魔法を考案できた理由が、天才だからの一言で片付けられている点が、他のロジックはかっちりしているのに、ここだけ理屈に添ってなくて、どうも浮いているような気がしました。これが霊夢だったら、霊夢だから、で片付けられるのですが。
紅魔組の面々全員が最高に格好良くて最高にイカしてて素晴らしかった。
そんな面々の中で一際輝きを放つ魔理沙が究極に素敵すぎて感動した。
あと作中で魔理沙は霊夢やフランを指して天才天才と呼んでるけど、魔理沙自身も立派な天才の類いだと思う。能力や才覚ではなく、一欠片の可能性を掴み取ることができるのも、積み重ねた経験を武器にして勝利への道筋を導き出せるのも立派な天賦の才能だろうから。
つまり、魔理沙最高。お前は最高に普通の魔法使いだぜ!
あと、最後のもう一人のこうもりさんの正体に腹抱えて笑ったw
個人的には小悪魔がここまで出張るのが珍しいなぁと思ったり。この手の脇役大好きです。
ここまでの作品を書ききった作者に感謝を!
キャラ達がみんないきいきしているから読んでいて引っかかるところがなく、改心の出来のゆで卵みたいにつるんとした読後感です。
複線という殻が綺麗に剥け、異物のない純白なストーリーに歯をたてたら黄金色にも似た情熱が溢れ出て。
これはもはや快感といっても過言ではありません。
雑な演技で画面を汚すエキストラが一切居ない。これがとても嬉しかったです。
各々が自分の役割を全うし魅力を出し切っていました。
みんな主演です。
脇役というには勿体無い、甲乙つけがたい縦横無尽の活躍に心躍るばかりです。
ただ、主演女優賞を決めろといわれたら私は小悪魔ちゃんを押します。
こあけっこんしてくれ
フランを閉じ込めておく為の設定が良かったです。
すばらしい物語ありがとうございました!
良かったですよ!最高でしたよ!なにもかもハッピーでしたよ!ありがとう!
フランが可哀想過ぎる。
最後の和解シーンが、全員分あったらもっと良かったかも。
面白かったです!!
登場人物がみんな生き生きしてた。
うん、泣いた。
フラン可愛いよフラン!
…で、いつ映画化されますか?
脇役含めて生きたキャラクターばかり、特に熱血バトルやってる魔理沙が魅力的。コウモリさんは不気味で威圧感があって気になる存在でした。
バトルシーンは熱い展開や逆転あり、特に小悪魔とタッグのフラン戦は大満足です。
ただ、いくつかダメだしをさせてもらうと、
1つ目が、冒頭の金の少女・銀の少女の表現を繰り返すのが合わなかったこと、普通にフラン・レミリアでいいんじゃないかと思いました。金の少女・銀の少女はフラン・レミリアの比喩表現で、ストレートにそのまま表していますが、単純な比喩を繰り返すのはあまり良くないのではと。小説を書いたことのない読み専の意見なので見当違いだったら申し訳ないです。
2つ目が、太陽を壊せるという理由で閉じ込められるという設定ですが、そもそも吸血鬼なので太陽を直視することができないから壊せないのではと思いました。
それでも、最初から最後まで素晴らしい作品なのは間違いない!という感想は変わりません、500kbの傑作をありがとうございました。
最後の、この一言の持ってきかたが余りに素敵過ぎて…!
作者様の形作ってきた世界が一気に収束し、物語にこれ以上ない形の幕を引いてくれるようでした。余韻が凄すぎて、気がふれるぜ?
お見事でしたぜ、紅魔ズfeat.普通の魔法使い!
しかし自分は驚愕した
不思議な事に、読んでいるうちに、東方紅魔境のゲーム画面が克明に想起されていくではないか
レミリアが霊夢を訪ねた辺りからそれは始まった
そこからはフランの本格的な暴走を挟み、図書館で小悪魔がこれは弾幕勝負だ、と気づいてから自分も気づかされた
これはまさに紅魔境EXの姿では無いかと
あとは理屈やストーリー等はもはやどうでもよく、文章を読んでいるはずなのに他人の紅魔境EXをプレイを見ているかの様な錯覚にどっぷりと漬かるだけだった
二次創作なのに原作プレイ(プレイヤー:魔理沙)を横から見ている様な感覚
貴重な体験をさせてもらいました
フランとやりあうレミリアもかなり好きでしたが、やはり東方と言えば花形は弾幕であり、それに心奪われたのが普通の魔法使いなのだ
面白かったです。大変な力作でした。
……皆さんが100点を出してる中で、この点数なのはちょっと気が引けますが、うーん。
二重人格の下りは、もっとバッサリ削っても良かったんじゃないかと思います。詳しく書けば書くほど、逆にリアリティが感じられなくなるし、テンポも悪くなったように感じます。
もっとファンタジーに、吸血鬼に稀にある病気だったくらいでいいんじゃないかと。
それと、クライマックスの周辺で、キャラクターから魂が少し抜けて、物語の都合上で動かされているように感じることがほんの少しありました。
たとえば、霊夢が紅魔館地下にお宝があると仄めかす行為。少なくとも自分の中では、霊夢はそういう小賢しいことはやらないイメージなんですよね。
作者様の作品のキャラには魂を感じられました。だからこそ、ありがちな展開でも読ませられたのですが、それだけにかえって、細かな瑕疵が目についてしまいました。
この辺りが、満点をつけられない理由ですね。
とは言っても、素晴らしい作品であるのは間違いありません。本当に面白かった。
これだけの作品を作るのに、どれだけの情熱と時間と力量が必要だったのか。作者様に感謝の念が絶えません。
いい作品を読ませて頂き、本当にありがとうございました。
コレを読んだら好きにならざるをえない、すごく面白かったです!
もうこの一言に尽きます。
誰に参ったかというと、そりゃあ、魔理沙さんだったり、レミリアさんだったり、咲夜さんだったり……なんてあげていったらキリがないのでやめますが、まとめると登場人物全員にですね。
無駄な人物が誰ひとりいなくて、しかもみんな輝いてるんですもん。もう白旗を振るしかありません。
でもやはり一番参ったのは、この作品を書かれた作者さんですね。知らないでしょ? 読んでいるあいだにこちらが何回泣かされたかを。
500KBを読ませて、しかも読者をずっと惹き込んで逃がさない作者さんはスンゲー人であります。もっと誇ちゃってください。
加えて、この作品を書いてくださったことへ、最大限の感謝を。
ありがとうございました。そして、執筆お疲れさまでした。
登場人物全員に見せ場があって、キャラクターが生き生きしてていいですね
誰が悪者ってわけでもなく、みんな自分なりに戦う理由を持ってるのが何より好感をもてました!
ひとつ私なりに思うところは、前半(1、2)においての冒険パートのワクワク感とじわりと滲むフラン絡みの暗黒面(不安感)の対比の落差がもっとあると、さらにいい作品になったのではと思うのです。なんかさらっと流してしまいそうになったのは私がフラン乖離性モノを読みすぎただけではないはず。シーンごとの対比と言う意味では3における攻守逆転もそうかも。フラン(ラスボス)性能の絶望感はバッチリなんだけど弾幕ごっこに持ち込んだ!あたりの爽快感がイマイチ。ネタバラシが早過ぎた気が。クランベリー→レバ→カゴメ→恋とくれば東方やってりゃ嫌でも「おや?」となって非常に興奮したんじゃないだろうか。
ただまあ上記はあくまで私の趣味。良作に『あえて』口をだしたら、ってぇもんです。
いい作品にこそ口を出したくなる捻ねくれた私の精神のカウンセリングを小悪魔さんにお願いします。
誤字みつけちゃいました。
>そもそも人間って内蔵半分ぐらい吹っ飛ばされて二日後に動けたかしら?~メイドにとって内蔵など飾りです。偉い人には~私には良く解らないっていうか、内蔵に飾
内臓:生物の臓器を示す場合はニクヅキがつきます。
……あまリと言えばあまりの展開に、パチュリー以外の紅魔館の面々は開いた口が塞がらない。
あまリ→り
(後書き)……メイドにとって内蔵など飾りなんです(精神論)。
内臓
;
何回泣かされた事かw
このSSに出会えたことに最上級の感謝を!
皆皆最高だっ!
キャラみんなが魅力的。
ありがとうございました。
作品の質とは全く関係無く純粋に当方の好みとして、あまり戦闘シーンに乗り切れないものですから後半は読み疲れてしまいましたが、それでもよく練られた奇策の連発が楽しかったです
最後の歌の最後の一節、そこに持っていくのかと声を漏らして驚いてしまいました
素敵な話を読ませてくれてありがとうございます
もう感動する場面が幾つもあって甲乙付けがたい程です。
魔理沙だけじゃなく他の紅魔館メンバーが皆かっこいい って思える程皆のアクションや心理描写が素晴らしかったです。
フランの想いや悲しみも痛い程伝わってきました。
でもそれを乗り越えたフランの笑顔はまさしく紅魔館の秘宝ですね。
しかし最後のあの部屋から聞こえてきた歌声にはゾクッとしました。
作者さん、僅かにホラー要素を練り込んだなっていう目論見を勝手に想像してしまいました。
そして後書きの???。まさかの人格保持者が登場してたとは...一体フランとどんな会話をしてたんだろうか。
他にも言いたいことがありますが、もう言葉にできないのでこの辺にしておきます。
では最後に、
感動する作品をありがとうございました!
???こと第3のコウモリさんですが、最初誰だか全く分かりませんでした。でも幻想郷の姉妹で絞って見たらようやく理解。
それを踏まえて1を読み直してみるとここが『彼女』が話してた部分かなってところがいくつか分かりました。
こんなとこから布石を打ってるなんてほんと脱帽しました。
ここまで熱中して読んだ作品はここしばらくありません。それほどまでに緻密に練られたストーリーだったと思います。とにかく感動して、涙を流しながら読みました。
言いたいことは本当にたくさんあって、それこそ台詞の一つ一つまで言及してここが良かった、素晴らしかったなどと言いたいほどなのですが、あまりにも量が多すぎてまとめられないし、今この感想を書いている最中も、読み終わった後の余韻がすごすぎて自分でも何を書いているのかよくわからないし、なんだろう、もう本当に素晴らしい作品をありがとうございました。
創想話で今まで読んだ中で最高の話を五個あげろと言われたら、間違いなくこの作品が入ります。この作品に出会えて良かった。本当にありがとうございました。
コメント不可避
読めない展開に手に汗握る戦闘シーン。理想の紅魔館作品でした。
ギャグも入れてあるのがよかったです。それを除いても、かなりのボリュームなのに
構成がしっかりしていて、楽しめました。
数々の二次創作のせいでフランが嫌いになった私も、フランに好感が持てるくらいに
気に入った作品です
死ぬまで忘れないと思います
明日死ぬのなら最後にこの作品を私は読みに来るだろう
ありがとうございました