窓のない部屋だった。
部屋に置かれたチェストやベッド、壁紙やカーペット、部屋の隅々まで最高級で埋められた部屋だったが、日と月の光を浴びる事がないというただそれだけで、少し精彩を欠いているように感じられた。
そんな豪奢で侘しい部屋の中で二人の少女が開かれた本を挟んで向かい合い、ベッドの上で楽しそうに言葉を交わしていた。
「ねぇお姉様。このベテルギウスっていう星は、どれくらい赤いの? 私達の目よりも赤いのかな?」
金の髪の少女が、開かれた本を指差し、弾むような声で問いかけた。
問いかけられた青みがかった銀の髪の少女はそれを聞いて鷹揚に頷き、得意そうに答えた。
「いいえフラン。どんな美しい星だって私達の瞳の緋色には及ばないわ。でも、そうね……半分ぐらいには届いてるかも知れないわね」
「半分? ……本当にそれだけなの?」
「ええ、昨日見て確認したから間違い無いわ」
「……きのう?」
胸を張って答えた銀の少女の言葉に金の少女はパチパチと瞬きして、それから壁にかかった七曜表に目をやってから口を開いた。
「お姉様、ベテルギウスっていうのは冬の大三角形って呼ばれてる星の一つで……その、今の時期は見れないんだけど」
「…………」
銀の少女が胸を張ったまま固まった。彼女の後ろの壁にある七曜表、月毎に捲る種類のそれが指し示す月は七月、夏真っ盛りである。
「……フラン」
「なに? お姉様?」
「ごめんなさい、お姉様ちょっと知ったかぶりしちゃったわ」
「そうだと思った!! も~何でそういう事するの、お姉様は!?」
「あ、ごめんごめん。ちょっと待って、痛い、痛いわフラン、お姉様の耳齧らないで」
「うぅー!!」
あっさり銀の少女が白状すると、金の少女が彼女を仰向けに押し倒してガジガジと耳を齧り始めた。
ただ、金の少女も本気ではないのか鋭い犬歯が耳朶に食い込む事はなかった。まるで子犬がじゃれつくような、甘えるような啄みだった。銀の少女も痛いというよりはくすぐったいのかクスクスとさえずるように笑っていた。
「……ねぇお姉様」
「あら、何かしらフラン?」
「私、ベテルギウス見てみたいな」
「……」
金の少女のその言葉に銀の少女は笑いを収めて再び沈黙で応えた。
冬の星を夏に見たいと願われたからではない。その願いがもっと別の事への遠回しな訴えだった為である。
「ベテルギウスだけじゃないよ。アルタイルとかシリウスとかもっともっと、いっぱい……」
「フラン」
金の少女が熱っぽく耳元で囁く言葉を、銀の少女が短い言葉で断ち切った。
ただ一言、しかし断固とした意思の込められた呼び掛けに金の少女は泣き出してしまいそうな顔になり、それでも、
「ねぇ、お姉様……」
「何かしらフラン?」
「なんで、なんで私を外に出してくれないの?」
「……」
その震える声を最後に本当に泣き出してしまったのか、銀の少女の耳にえずくような嗚咽が聞こえてくる。
金の少女の下で天井を見つめる銀の少女はそれを聞いて目を閉じた。そして、
「フラン」
銀の少女は泣いている金の少女の頭を抱いて、真摯な声音で囁き返す。
「本当は……私にこんな事を言う資格はないのでしょうね。けど、けどね、どうか信じてフラン、それは……」
……それ以来、金の少女が同じ問いを投げる事はなかった。
その時囁かれた言葉は時を経て記憶となり、薄れ、掠れ、それでも金の少女の中に残り続けた。
それはまるで星のようだった。暗い地下室で過ごす少女の胸に灯った小さな明かり。その言葉は今日まで確かにその輝きで少女の心を支えて来た。だから……
――始まりは、きっとその言葉だったのだろう。その輝きが彼女を留め、幻想の園まで導いたのだから。きっと、きっとその言葉こそが……
紅魔館の秘宝 ~Devil girls destiny~ 1st Day
――霧雨魔理沙がそれを見つけたのは、ただの偶然だった。
「おりょ? なんじゃありゃ?」
紅魔館。湖に張り出した出島に建つ、仮に幻想郷に観光案内が付くのなら、必ず名所的扱いを受けるだろう真っ赤なお屋敷。
今日も今日とてその地下図書館に突撃し、辛くも図書館の主たるパチュリーとの弾幕戦を制した魔理沙は戦利品としてかっぱらう……もとい、死ぬまで借る本を選んでいたのだが、ふとした拍子に物色していた本棚とその隣の本棚の間にホコリまみれの何かがある事に気が付いた。
「どれどれ……んーこりゃ暖炉なのか? なんだってこんなとこに? しかもまた凄いセンスだなおい」
"何か"の上に積もった埃を魔理沙が愛用の箒でバサバサ払えば、現れたそれは確かに暖炉のようだった。
しかし唯の暖炉にしては奇妙な点が二つあった。一つは場所、この暖炉、奇妙なことに本棚と本棚の間、約1m程度の隙間にひっそりと一つだけ佇んでいるのだ。図書館のだだっ広さを考えればこの大きさの暖炉が一つあったところで暖を取ることなど出来そうにないし、そも木と紙の集まりである本棚の間にぴったり収まっている暖炉になど火を入れられようはずもない。入れる奴が居るとしたらそれは余程のうつけか粗忽者かのどちらかだろう。そして、もう一つ変わった点が……
「おーホントにえぐいな、牙付き角付きの暖炉なんて初めて見たぜ。うお、中には舌まであんのか。無駄に凝ってるな」
見た目である。例えて言うなら沖縄のシーザー悪魔版と言ったところだろうか。そんな、とにかくいかつい感じの面相が断末魔の悲鳴が聞こえてきそうな捻れた形相でガパリと口を開けていた。そこに薪を入れて火を付けろということなのだろうが、薪を入れるのに少しばかり度胸が要りそうなデザインだった。しかし暖炉の前に立つのは霧雨魔理沙、伊達に悪魔の館に殴り込みをかけることを日常の一コマとしておらず、肝の太さは一級品である。暖炉が発するローマの真実の口すら先を譲りそうな迫力を物ともせず、好奇心の赴くまま悪魔の顔を弄り回す。
(ふーん、結構いい石材使ってんな。意匠も悪魔像として見れば中々だし、こりゃ……ん?)
中の方は意外と綺麗だった暖炉に頭を突っ込んではしゃいでいた魔理沙だったが暖炉内部の一箇所を見つめ、目を細めて口を閉じた。
魔理沙が目を止めたのは悪魔暖炉の舌だった。蛇の舌の様に二又に裂けた舌の彫刻、その付け根と床の接続部によくよく、本当によくよく注意深く見れば、僅かに隙間があるのが見て取れた。魔理沙はその舌の根元に指を這わせ触診する。確信があった、これはただの隙間でなく……
(へへっ、やっぱりな。この舌動きやがるぜ。ってことはもしかすると……)
魔理沙は歳相応の可愛らしい顔に、新発見の遺跡を見つめるトレジャーハンターの鋭さを宿し、悪魔の舌を押し込んだ。
すると、ゴゴゴゴと、石の擦れる重苦しい音を立て暖炉の底が開き……
「おお、隠し階段!! そうだよな、悪魔の屋敷の地下図書館なんてのにはこれぐらいの仕掛けがなくちゃ駄目だよな!!」
真っ暗な洞窟を下っていく隠し階段が現れた。振って湧いた素敵な展開に魔理沙は思わず手を打ってはしゃいだ。
怪しい紅屋敷の秘密階段、こんな露骨にお宝の匂いがする代物を見つけて血が滾らないようなら魔理沙は強欲の魔法使いなどと呼ばれはしない。
チロリと舌なめずりした魔理沙は懐からミニ八卦炉を取り出し、呪文を唱えて威力のない明かりを灯す。行動派魔法使い必須の即席懐中電灯の魔法である。
「ふっふっふ、そんじゃパチュリーが復活する前に行ってみましょうかね。ふふ……いかん、笑いがおさまらん」
そもそも、魔理沙が実家を飛び出してまで魔法使いなんぞやっている理由には、こういう如何にもなシチュエーションでの宝探しが大好きだからというのがカウントされたりする。故に魔理沙は鰹節を丸ごと渡された猫のような喜色満面の笑顔で、暗く冷たい石の階段を靴音立てて降りて行く。まだ見ぬ秘宝に思いを馳せて。
魔理沙は知らない、彼女の行く先にある"秘宝"が、彼女の求める金銀宝石や魔導書などとは多少、いやかなり異なるものであることを。
ゴゴゴゴと、魔理沙が降りていった後ろで悪魔の喉が再び音を立てて閉じられる。
――霧雨魔理沙がそれを見つけたのはただの偶然だった。
――しかしそれを、人は、あるいは……
――運命と、呼ぶのかもしれない。
………………
…………
……
カツン、カツンと、そんな足音さえもあまりに"らしい"出来過ぎた洞窟のような隠し階段。魔理沙がそれを降り始めて、どれほどの時間が立っただろうか?
夢中で友人宅でのトレジャーハントに興じていた魔理沙は今、腕組みをして唸っていた。というのも、プラスにせよマイナスにせよ何のイベントもなく階段の終点らしき行き止まりに到着してしまった為である。前を見れば壁、左を見ても壁、そして一縷の望みを胸にそっと右を見てもそっけなく壁。そんな一切の弁明を拒むようなどうしようもない行き止まりであった。
「……これはあれか? 私をからかう為にパチュリーが用意した婉曲なイタズラだったとか、そういうことか?」
だとしたらこの場で魔砲をぶっ放すのを堪えることは出来んな、例え私が埋まるとしても。
魔理沙は憎々しげにパチュリーが居るだろうと思われる上方を睨み、かの魔法使いの代わりに罪なき天井に怒りをぶつけた。おのれあの引き篭もりめ、私の純情を弄びやがって、と。
そうして魔理沙は数秒、あまりに近すぎる天を睨んでいたが……
「……お?」
怒りの表情から一転して、どこか呆気にとられたような顔で魔理沙はあくまで壁しかない左方に再び視線をやった。と言っても魔理沙が見ているのは壁ではない。緩やかに波打った金色のロングヘア、その左肩にかかった先端が微かにふよふよそよいでいた。
(確か階段の入口は私が入った後閉じたよな? そして終点が行き止まりなんだから風が吹くはずがないんだが……)
訝る魔理沙は更に自身の髪先を見つめて……気付いた。この風、下から上に吹いている。
魔理沙は慌ててミニ八卦炉をノーチェックだった床に向ける。 するとミニ八卦炉の明かりに照らされ、改めて下に降りるツルリとした綺麗な石の扉が現れた。
「……」
その扉と何秒か無言でにらめっこした後、魔理沙は再び上を向いた。すまんパチュリー、勘違いだったんだぜ。
そうして頭上の魔法使いに一瞬謝罪の念を送った魔理沙は、気を取り直して引き上げ式の扉を持ち上げ開く。そうして開いた入り口に向け、魔理沙は箒に跨り下降して……着地した絨毯の柔らかさに驚いた。
「うん? ここは……?」
魔理沙は降り立った部屋を見渡して、首を傾げた。
魔理沙の魔法の光に照らされた暗い部屋はどうにも見覚えのある部屋で……そう、レミリアだ、レミリアの部屋だここは。魔理沙は豪奢な天蓋付きベットに光を当ててそう気付いた。が、それが有り得ない事だともすぐに気付いた。何せレミリアの部屋は紅魔館の地上部にあるのだ。地下図書館から更に下降した所にある部屋がレミリアの居室であるはずがない。となると……、
「レミリアの部屋に良く似た部屋ってことか? 何でそんなもんが地下に……」
「何でって言われても、ここが私の部屋だからとしか答えようがないんだけど」
「そうなのか? そりゃ悪かったな。しっかし、ならなんで隠し階段なんて……お?」
……ちょっと待て。今、どこから応えが返って来た?
魔理沙は慌ててミニ八卦炉を四方に巡らし暗い部屋の中を再び見渡す。しかし……誰もいない。
(気のせい? いやそんなレベルじゃなくはっきり聞こえたぞ今のは。となると……姿を消す程度の能力? そんな能力の奴いたか? 紅魔館に)
魔理沙は油断なくミニ八卦炉を構えて襲撃に備える。
基本的に魔理沙は紅魔館において見敵必殺の認められた撃墜目標である。まぁ勿論それも状況によりけりなのだが、付近に一緒にお茶を飲むレミリアも、魔法について語るパチュリーもいない今は間違いなく撃っていい方の状況である。故に魔理沙は前後左右、四方何処から仕掛けてきても反応できるよう目を凝らし、耳を済まし、声の主の姿を探し求め……
「ねぇどこ見てるの? こっちだよこっち」
「……ッ!!」
……上、真上。しまった、空飛ぶ妖怪ひしめく幻想郷で、上方警戒を怠るとは――!!
反応は一瞬。魔理沙は飛び込み前転の要領で素早く声の元から距離を取り、身体を捻り後ろに向き直る。すると……
「あはは、すごいすごい。まるでネコみたい。まぁネコって昔に一回しか見たことないんだけど」
ボッ、と音を立てて天井のに照明の火が灯った。すると居た。紅魔館の名に相応しく紅々しく彩られた部屋の中でも一際紅い、何よりも深い紅が天井に立ってそこに居た。
いや紅だけではない。くるりと宙返りして床に降り立った少女は、しゃらしゃらと涼やかな音を立てる七色の羽をはばたかせ、金鎖を溶かしたような細い髪で頭を飾る、およそ紅一色とは言えぬ容貌であった。しかし、それでも魔理沙が彼女を紅と思ってしまったのは……
(あの瞳……冗談じゃない。ピジョンブラッドを埋め込んだってあんな深い色にはなんないぞ。あんなの、あんなの……)
魅入られるような深い紅、あんな紅を見たのは後にも先にもただ一度、あの緋色の月を背に負った……
『……ふふふ、こんなに月も紅いから』
あの吸血鬼の……
「ねぇ、目に触られると多分私が痛いと思うんだけど?」
「――ッ!!」
きょとんとした声に手を引かれて、どうにか夢想から回帰した魔理沙は慌てて手を引っ込めた。
いつの間に近づいてしまったのか、気づけば魔理沙は手を伸ばして紅い少女の目に指を突き込みそうになっていた。
そんなおいたをしかけた自分の右手を左手で抑えつつ、魔理沙はもう一度、今や目の前に居る少女をとっくり眺める。
(ふむ、よく見れば髪の色と羽……羽? まぁいいや、羽以外はあいつにそっくりだな)
冷静になってみれば一目瞭然、この少女は恐らく……
「お前、レミリアの姉妹か何かか?」
「わ、すごい。なんで解ったの? ……うん、私はフランドール・スカーレット。レミリアお姉様の妹だよ」
お姉様はフランって呼ぶよ、と続けて言葉を結んだフランはスカートの端を摘み丁寧にお辞儀して見せる。
そのキチンと背筋の通った礼は実に見事であり、彼女の幼い言動と比べるとどうにも違和感がある。しかしともあれ、このレミリアの妹を名乗る少女に敵意が無いらしい事を察した魔理沙は安堵の息を付きつつ、フランの礼に答えた。
「丁寧な挨拶痛みいるぜ、フラン。私の名前は森近霖之助、道具屋だ。よろしくな」
……もっとも魔理沙の答えは多分に礼を欠いていたというか嘘だったが。しかし別に魔理沙には悪気があったわけではない。この程度の冗談は幻想郷の少女達にとってはちょっと洒落のきいた挨拶のようなものなのである。ところが、
「あ、そうなんだ。よろしくね、りんのすけ。それで……」
「いや待った待った。悪かった、私が悪かったから信じないでくれ。私の名前は霧雨魔理沙、普通の魔法使いだぜ」
無邪気100%の微笑みと共にあっさり嘘を信じられた魔理沙は慌てて訂正する。ここまで素直な反応が返ってくるのは魔理沙の想定外だった。
魔理沙の訂正を聞いたフランは、目をパチクリさせ表情を消して首を傾げた。
「え、そうなの? ……嘘、ついたんだ。なんで? どうしてそんなことするの? ねえなんで?」
「な、なんでって……ただの冗談だぜ? というか騙されると思わなかったしな。霖之助なんてどう聞いたって男の名前だろ?」
目を大きく見開き異様な威圧感を漂わせて問い詰めてくるフランに気圧されつつも、しどろもどろに魔理沙は答えを返した。と言ってもその言葉はひどく正論で、私魔女ですと全身で主張している魔理沙がフラン以外に同じことを言ったところで信じる者など皆無だろう。
しかし、
「おとこ? ……男!? へ~そうなんだ。男って本でしか見たことないから解らなかったよ。へ~」
「本でしかって……マジか?」
「え? マジだけど?」
威圧感こそなくなったものの、フランの予想だにしないぶっ飛んだ言葉に魔理沙は唖然とした。
魔理沙自身、男の知り合いは多くないが、それでも見たことがないなどと言う奴はそれこそ見たことがない。
目の前の吸血鬼が突如珍妙な生き物に見えてきて魔理沙はうんうん唸って考える。……そして結論、
「……そうかなるほど。つまり、お前、箱入りお嬢様なんだな?」
「うーん、どっちかっていうと墓入りかも。地下だし、ここ」
「……おまけに吸血鬼だしってか?」
「そう、その通り!! 我は死者の王なりってね!!」
フランは楽しげにそう言って、にぱっと笑う。
ふむ、洒落を言えるだけの頭はあるから馬鹿ではない。そのくせ常識以前の常識も知らない。こりゃ本物だ。
魔理沙は得心したように一つ頷いた。
「そうかい。それじゃ王様、一つ聞きたいことがあるんだが」
「え? なに?」
「私は隠し階段を通ってここまで来たんだが、なんでそんなもんがここに繋がってるか知ってるか?」
「隠し階段……? ってそう言えば魔理沙、天井から生えてきたよね。そういう能力かと思ってたけど……隠し階段?」
魔理沙の言葉を聞いたフランは羽をはためかせ浮遊し、魔理沙が入ってきた"何事もなく平らな"天井をしげしげと見つめ検分し始めた。
それに気付いた魔理沙は肩を跳ねさせ驚いた。なにせ自分が入ってきた入り口が何事も無かったかのように消えているのだから。しかし、
「ん~……ここ、かな? えやっ!!」
「おお!? フ、フラン!?」
勢い良くフランが天井に頭を突っ込むと、なんとそのまま天井をすり抜けた。さらに続けてフランは腰元までの上半身も天井に突っ込み……当のフランもこの事態に驚いているのか天井の上から、お~とか、わ~とか感嘆まじりの声を上げては、室内に残った足をパタパタと嬉しそうに揺らしていた。
それを見て魔理沙は天井のカラクリの正体をようやく理解した。恐らく隠し階段の扉に幻術の類が掛かっていて部屋側からは常に天井の"絵"が見えるようになっているのだろう。この辺の仕掛けは流石悪魔の館と言ったところだろうか。魔理沙がその仕掛けに感心してふむふむと唸っていると、フランが床に降り立ち目をキラキラさせて魔理沙に駆け寄って来る。
「凄い凄い、隠し階段だよ魔理沙!! なんかこう、これでもかってぐらいの!!」
「おお!? そうだよな、その通りだぜフラン!! 解ってるじゃないか、あれぐらいこれでもかってのは中々ないもんだぜ!!」
「やっぱり!? だよね!?」
戻ってくるなり興奮して叫ぶフランとそれを聞いて相好を崩して喜ぶ魔理沙。そう、そうなのだ、隠し階段にしてもあそこまで"らしい"物となると中々ない。その辺のらしさに所謂ロマンとか信念とかそういうモノを持っているのが霧雨魔理沙という少女なのだが、知り合いの巫女やら何やらにその辺を語っても、よく解らんと今日までそっけなく流され続けてきたのである。それを考えれば初対面でいきなりそのロマンに理解を示すフランを見て、はしゃいでしまうのは仕方ない事なのかもしれない。
「怪しい秘密の階段!! そして行く手を遮る骸骨兵に苛烈なトラップ!! 吸血鬼の屋敷ってんならそれぐらいないとダメだよな!?」
「そうだよね!! そう思うよね!! だっていうのにお姉様意外とその辺保守的なの。私は前々から地下の廊下を全部迷宮化しようって言ってるのにっ!!」
「おお、いいなそれ!! 私は全面的に支持するぜその案!!」
「ホントに!? そう言ってくれた人初めてだよ魔理沙!!」
頬を赤く染め、高揚を閉じ込めたキラキラした目で語り合う二人。僅か数秒の会話で完全に意気投合した二人は肩を組んでレミリアに提案してみたい紅魔館改造計画を部屋中に響く声で叫ぶ。やれ庭に食人植物を植えろだの、やれ門にパズル式の鍵を付けろだの、やれ時計塔の最上階に宝箱を用意しろだの……宝箱?
「って、おおそうだフラン。お前の部屋に宝箱とかってないのか? 私はそういう展開期待してここまで来たんだが」
「へ、そうなの? ああ、でもうん、確かにあの隠し階段の先にはそれくらいあってもいいかも……」
「だろ? という訳でなんかそういう感じのないか? あるいは更に先を示す宝の地図でもいいぜ」
「うーん、あったかなぁ? 私、495年地下から出てないけど、そういうのは見なかったような気が……」
「……は?」
困ったように眉根を寄せて、とりあえず部屋にあったチェストを開こうとするフランと、何か聞き捨てならない台詞をさらっと言われた気がして呆ける魔理沙。そして魔理沙が我に返り、チェストを漁っているフランに声をかけようとしたところで、
「妹様、少々よろしいでしょうか? 以前頼まれていた本を小悪魔が見繕ってきたのでお持ちしたのですが」
コンコンと、そんなノックの音と共に完全で瀟洒なメイド、十六夜咲夜の声が部屋の扉の向こうから聞こえてきた。
その声を聞いた魔理沙とフランの反応は全くの正反対だった。魔理沙はげっ、と呻いて顔をしかめ、フランはチェストから顔を引き抜いて顔に笑みを灯らせる。
「あ、うん、いいよ入って!! それとね咲夜、今魔理沙が……」
(フラーン!!)
「もごっ!?」
明るい顔に相応しい明るい声音で咲夜に応えようとしたフランの口を小声で絶叫するという器用な真似をした魔理沙が素早く手で塞いだ。
(フラン頼むから、頼むから私がここに居ることは咲夜に黙っててくれオーケー?)
「むく? ……もぐふも」
口を自らが塞いでしまっている為、フランが何と応えたかは魔理沙にもさっぱり解らなかったが、とりあえずフランが頷いたのを見て手を放す。そして、再度打ち鳴らされたノックの音と、妹様? という訝しげな咲夜の呼び掛けに急かされるように魔理沙は慌てて天井の隠し扉に退却。その後、天井から腕一本だけ生やし、フランに向って親指を立てて見せるとその手もすぐに引っ込めた。そんな魔理沙の行動を見て、一人残されたフランは不思議そうに首を傾げる。
「……? えーと?」
「妹様ー? 居らっしゃいますかー?」
「あ、居る居る。居るよ咲夜、入って」
「はい、失礼します」
ようやく返って来たフランの返事を聞いて咲夜が背中で扉を押し開け部屋に入ってくる。何故手を使わず部屋に入ってきたかと言えば、その両手に本を何冊も抱えていたためである。その量は正に一抱えと言った有様で人の頭に振り下ろせば確殺できるであろう重量があるはずだ。そして、そんな咲夜の姿を……
(ほー、この幻術、扉開けるとこっち側から透けて見えるんだな)
天井裏に潜んだ魔理沙もまたその目に捉えていた。
ガラス板を一枚隔てたかのような部屋の中の光景を見て魔理沙は感心の吐息を零す。魔理沙自身、通り抜けたにも関わらず全く気付けなかった隠密性、そしてこのマジックミラー仕様、どうやら隠し階段にかけられた幻術は思ったより高度な物のようだった。
「それで咲夜、どの本持ってきてくれたの?」
「えーとですね。まず、幻想郷縁起、著:稗田阿未。未来記、著:聖徳太子。十五少年漂流記、著ジュール・ヴェルヌ。淑女の礼儀作法【中編】著:早乙女……」
ポケットから取り出したメモを読み上げ、羅列されて行く書名達。魔理沙が聞く限り本のジャンルはどれもバラバラで本棚から適当に引き抜いてきたかのような有様だったが、書名を全て聞き終えたフランは満足そうに頷いていた。
「ありがと咲夜。注文通りだったよ」
「恐れ入ります。と言っても、探したのは私ではないのですが。お褒めの言葉は小悪魔にも伝えておきます、きっと喜ぶでしょうから」
「うん、えっと……小悪魔によろしくね?」
「はい。では私は夕食の仕込みがありますのでこれで……あ、それとも何かお飲み物をお持ちしましょうか? 読書のお供に」
「あ、うん、そうだねお願……あ、いいや今は、欲しくなったら呼ぶから今は要らない」
「……? 解りました。その時はいつものベルでお呼び下さい。では失礼します」
魔理沙の方に思わず目をやり、慌てて咲夜の提案を断ったフランに不思議そうな顔をしながらも瀟洒なメイドは一礼してその場から姿をかき消した。残されたフランは一応辺りを見回し、ついでに扉を開けて廊下の左右も確認。誰も居ない事を確かめ魔理沙に手招きをした。それを見て魔理沙は天井裏から飛び降りる。
「ふぅ~、ったくあのメイドはいっつもいきなり現れるから心臓に悪いぜ。ありがとなフラン、黙っといてくれて」
「うん、それはいいんだけど……魔理沙、何で咲夜から隠れるの? 何か悪さでもしたの? お皿割っちゃったとか」
「うぐ、そ、それはだなその……っと、いやそれよりフラン、お前随分と読書家なんだな。半分ぐらいしか聞いてなかったけど、凄いラインナップじゃないか」
いえ泥棒稼業に励んでました。
……まさか本当の事も言うわけにもいかない魔理沙は誤魔化すように早口でそう言って机に置かれた本の塔を見上げる。机の高さを足した塔の背丈は魔理沙のそれを完全に上回っていた。しかもよく見れば机の横には似たような塔が三本鎮座している。
「本当に凄いな。こっちの横のは読破済みの奴だよな? こんだけあるなら読むのも時間かかるだろうに」
「あ……うん、私、時間だけならたくさんあるし……地下だと他にあんまりやることもないから」
「――――」
照れくさそうに、しかしどこか寂しげに呟いたフランの言葉を聞いて、魔理沙は眉を顰めた。
さっき引っかかったフランの一言。まさかそのままの意味ではあるまいと思っていたのだが……
「なぁフラン、お前さっき495年地下から出てないって言ってたけど……あれってまさか一回も出てないって意味じゃないよな?」
「……そういう意味だけど?」
それがどうかしたの? とでも言いたげなフランの顔を見て、魔理沙は自分の顔が凄まじい勢いで引き攣っていくのを自覚した。クラリときた。よんひゃくきゅうじゅうごねん? 本当に?
(その間空も飛ばず、森にも行かず、ずっとか? ずっと地下に居たってのか?)
頼むから嘘であってくれ、自身初めてのような気がするそんな思いを胸に、魔理沙はフランの大きな瞳を引き攣った顔のまま凝視する。しかし、その瞳にはどうにも嘘付き特有の揺らぎは見られない。というか、そもそもそんな嘘を付く理由が魔理沙には全く想像出来ない……故に魔理沙は静かに得心し改めて驚愕した。どうやらホントにマジらしいぞ、これ。
そして、そんな魔理沙の青褪めた顔を見て慌てたのがフランである。さっきまで明るい表情ばかり見せていた魔理沙が突然、余命宣告されたような顔になってしまったのだから無理もない。何が何やら解らないが自分の言った何かが魔理沙に衝撃を与えたらしいという事だけ察したフランは必死でフォローの言葉を考え……
「あ、大丈夫だよ魔理沙!!」
「……あん?」
何か閃いたようにパッと顔を明るくしたフランが、ベットに置かれていた古ぼけたコウモリのぬいぐるみを魔理沙の顔に突きつけた。
「これ、コウモリさん!! ええと、今は喋らないけど偶にお話してくれるの!! あと、えと……お辞儀の練習とか他にもやる事はあるから心配しなくても大丈夫だよ!!」
「……くぅ」
コウモリのぬいぐるみに、今喋ってくれたら嬉しいんだけどなーコウモリさーん、と話しかけているフランの姿が魔理沙の視界の中で滲んだ。無論、それは魔理沙の瞳から溢れそうになった涙のせいである。だって、だってコウモリだけなら私の為の嘘と解るけど、お辞儀の練習って言って部屋の姿見を指差すんだもの!! 魔理沙は涙を隠すためフランから逸らした視線の先に、一人で部屋の鏡に向かってお辞儀を繰り返すフランの姿を幻視した。……不憫過ぎる。
「フラン!!」
「わひゃ!? え、なに魔理沙?」
「外に出よう!! 大丈夫、私が一緒に行ってやるから!!」
「へ、へ?」
「いいから行くぞ!! 約半ミレニアムも引き篭もりなんてお天道様が許しても私が許さん!!」
「え、ちょ……」
力強い叫びと共にフランの手をがっちり掴んだ魔理沙がズルズルと扉の方へフランを引きずっていく。495年物の引き篭もり、外がどんだけ怖いか知らないが、このまま見放してはアウトドア派魔法使い、霧雨魔理沙の名折れである。
「ちょ、魔理沙? 私、外に出たら……」
「ええい、聞く耳持たん!! お前も一回屋根の上でひなたぼっこしてみろ、こんなホコリっぽい地下に引き篭もるのが阿呆らしくなるから!!」
「や、私、吸血鬼だからそれやったら外でも辺りがホコリっていうか灰っぽくなるんだけど!? ……じゃなくて、待って本当に待って魔理沙!!」
「知らん!! 私はもうお前を外に出すって決めたんだ!! この霧雨魔理沙に二言はなーい!!」
「ええと、そんな事言わないで話を……って、ああもう、とにかく待ってってば!!」
「ぐほあっ!?」
魔理沙の強気な態度に押されっぱなしだったフランが、初めて本気の抵抗に出た。と言っても、ただ足に力を入れその場に踏みとどまったというだけなのだが。しかし、フランの手を引いていた魔理沙のつんのめり方はあたかも散歩に連れていた仔犬が、突如リードの先で巨岩に変じたかのようだった。
「く、お……意外と、力持ち、なんだな、フラン」
「……だから、私、吸血鬼だからね? 念の為もう一度言うけど」
肩を抑えて蹲る魔理沙に最初はやり過ぎたかと心配そうな視線を送っていたフランだったが、返って来た言葉とよろける魔理沙の仕草にダウンしたボクサーを演じるような冗談の匂いを感じ、呆れた顔でそう言った。
「とにかく、私は外に出ちゃ駄目なんだよ魔理沙」
「いーや、そんなことないぜフラン。ていうかお前が言う通り、お前は吸血鬼なんだ。外に出るのに一体何を怖がるってんだ?」
「うん? ……別に怖いことは一個もないけど?」
「あん? ……じゃなんで外出ないんだ?」
フランと魔理沙は互いに顔を見合わせ首を傾げる。未だ互いの齟齬に気付かない二人だったが、その行き違いもフランの一言によってあっさり解消された。
「それは……出たらお姉様に怒られちゃうからだけど……」
「なんだと?」
魔理沙の顔が一気に険しくなった。
魔理沙は今の今までフランが地下に居るのは自分で望んでの事だと思っていた。なにせ何度も言うようだがフランは吸血鬼なのである。およそ妖怪の最強種と言っても過言ではない吸血鬼、その吸血鬼を望まぬ地下に押し込めることなど出来ようはずもない。
……ただ一人、同じ吸血鬼であるレミリア・スカーレットを除けば。
「じゃあ何か? フランお前、本当は外に出たいのにレミリアに閉じ込められてるっていうのか?」
「と、閉じ込めるって……違う、違うよ。お姉様はそんな事しないよ。ただ、外に出るのは私の為にならないからって……」
「お前そりゃ……いや、いいや。それこそ言ったってしょうがないな、じゃあ聞くけどさフラン」
「なに?」
「お前は外に出たくないのか? レミリアとか、その、為にならないとかいう話を取っ払った所にある……フランドール・スカーレットの意思は何て言ってるんだ?」
「…………」
魔理沙が滅多に見せない真剣極まる顔でそう言われて、フランは俯いて黙り込んでしまった。フランは無言であった。ただの一言も発しはしない。しかし、
(ここで黙ったら本当は出たいですって言ってるのと変わんないんだがな。……この辺、ホント初いよなこいつ)
魔理沙は腹芸の出来ない素直なフランの様子に苦笑した。何というか、覚えがある。この初さには、覚えが。それは自分が周囲の反対を押し切って、家を飛び出したばかりの頃で……
(うん、よし)
俯き何も言えないフランにかつての自分を重ねた魔理沙は心の中で一つ頷き、フランの肩にそっと手を置いた。その手に込められた優しさを感じてか、フランは気弱気におずおずと顔を上げ……太陽のような笑顔の魔理沙と顔を合わせた。
「フラン」
「うぅ……なに? 魔理沙?」
「お前の気持ちは良く解った。言わずとも、私にはよーく解る。だから、お前にはこんな時古くから先人達が、励みにしてきた言葉を教えてやる」
「え……そんなのあるの?」
「ああ、この言葉はかつて何人もの迷える子羊を救ってきたんだ」
魔理沙はそう言ってフランの顔を聖母のような慈愛溢れる顔で見つめ、その箴言を口にした。すなわち、
「犯罪はッ!! バレなけりゃオッケェ!!」
「……ふぇ?」
ビシリと親指おっ立て、今度は聖母様にはとても見せられないような邪悪な笑みを見せた魔理沙は、続けて天井に目をやった。正確に言うと、有ると解っていてもさっぱり見えない隠し階段に。……魔理沙の笑みが一層悪どく、楽しげに深められた。
………………
…………
……
抜き足、差し足、忍び足。
ぬきあし、さしあし、しのびあし。
紅魔館の真っ赤な廊下、ふかふかの絨毯が敷かれたそこを、こそこそ蠢く影二つ。
足音潜ませ、そっと静かに歩み行く、小さな小さな影二つ。
……抜き足、差し足、忍び足。
「抜き足、差し足、忍び足」
一度止まって周囲確認……
「一度止まって周囲確認……」
…………
「フラン」
「え? なに、魔理沙?」
「口に出して言っちゃ駄目だ。それじゃ足音を忍ばせても声でバレる」
「あ、そっか。ごめんなさい」
素直にペコリと頭を下げて謝るフラン。それを見た魔理沙は一瞬、顔を引き攣らせ、解ればいいと言って再び忍び足に戻る。
普通の魔法使いこと霧雨魔理沙。周囲にひねくれ者の変わり者(当人含む)しかいないので、憎まれ口なしの素直な謝罪は、どうにも苦手なようだった。
……さて、魔理沙とフランが歩いているこの廊下は当然の事ながら地下の物ではない。ここは本来フランの出入りが禁じられている紅魔館地上部、それも最上階である四階の廊下であった。そこを行くフランはやはり落ち着かないのか顔をきょろきょろさせ辺りを何度も見回している。……いや、その忙しない動きが不安による物であるのも確かであろうが、それだけでないのもまた確かな事であった。他の誰でもない魔理沙にはその事が良く解った。なにせ隠し階段を登って地下図書館を隠れながら渡り切り、地上部に繋がる扉を開けた瞬間……
『……凄い、世界が明るいよ』
フランが零したその一言で不覚にもまた涙がちょちょ切れた魔理沙であった。何せ紅魔館は日当たりを悪くする為に窓を北向きに作っているので昼でも薄暗いのである。しかしそれでも……頼りない燭台の蝋燭のみが明かりの地下に比べれば格段に明るい。
薄暗い廊下を明るいと評するフランの姿に胸を痛ませながらも、やっぱりこいつを連れてきて良かったとフランの感激した横顔を見て魔理沙は改めて思ったのだった。そして同時に、
(よし決めた。レミリアの奴、今回は容赦なしで凹ませてやる。金髪美少女の自由を奪うのは何より重い罪なんだぜ)
くっくっくっ、と人攫いの魔女のような笑い声を零しつつ魔理沙はレミリアへの怒りを燃え立たせた。
はっきり言ってしまえば、魔理沙はフランを地下に閉じ込めるのが彼女の為になるというレミリアの言い分を一ミリ足りとも信じていなかった。普通そんなのはただの言い訳というか自分を正当化する為の嘘だろうと。
確かに、貴方の為なのよと言って我が子を地下に閉じ込める母とかいうのは、いわゆる児童虐待の典型である。その事は魔理沙の滅茶苦茶な言い分であっさり付いて来たフランを見れば明らかであった。そう、バレなければ大丈夫というトンデモナイ言葉でフランは本当にあっさり魔理沙に付いて来たのだ。それはすなわち、フランが本当は外に出たくて仕方がなかったという証左に他ならない。それを無理やり押し込めるというのは……やはりどう考えても犯罪的である。
……しかし、そうレミリアを疑る一方で魔理沙は、
(何やってんだかなーあのチビッコ吸血鬼は。大方、くだらねー事情でこうなってるんだろうに)
と、こうも思っていた。実のところ、レミリアと魔理沙の付き合いというのは結構深い。そも、住人以外で紅魔館を頻繁に出入りする者というのが魔理沙の他にほぼ居ない。その上、魔理沙は吸血鬼として五百年を生きるレミリアから見ても面白いと思えるような人間で、しかも彼女がご執心の博麗霊夢に最も近しい者の一人なのである。必然、紅魔館で見かける魔理沙の姿が彼女の目を引く事も多く、そのまま一緒にティータイムと洒落込む事も少なくない。そんな風にレミリアと共にカップを傾けて来た魔理沙からすると……今回のフランに対する仕打ちは非常にレミリアらしくない。魔理沙からすればレミリア・スカーレットというお嬢様は短気で喧嘩っ早いが決して陰湿ではない人格の持ち主である。そんな奴が怒って手袋を投げつけるならともかく拉致監禁……はっきり言って有り得ない。そう言い切れる程度には魔理沙はレミリアの事を知っていた。故に魔理沙は……
(多分、おっそろしくどうでもいい気まぐれな理由でフランに出るなって言っちゃったけど、撤回するタイミングなくしてズルズル今日まで来ちゃってんだろうなー)
と、そう結論付けていた。あんまりと言えばあんまりな結論であったが、レミリアの性格を考えるとこれが一番しっくり来る結論なのである。勿論、そんな理由で495年も妹を閉じ込めるって有り得んのかよ、という意見も魔理沙の脳内には浮き上がってきたが……実はこれも有り得たりするのだ。レミリアが人間でない事を考慮すると。この辺もまた、妖怪に挟まれて生きている魔理沙は良く知っていた。悠久の時を延々と生き続ける妖怪と、人生長くて百年ちょっとの人間とでは時間の感覚にかなりのズレが有ることを。知り合いの妖怪に十年ぐらい前の話をちょっと前という前置きと共に語られ混乱する等というのは今でもザラにある。
そしてその辺を勘案し、フランの現状を解決すべく魔理沙が考えたのが……
「魔理沙、魔理沙」
「……ん? 何だフラン?」
「ええと、咲夜の部屋通り過ぎちゃってるけど……いいの?」
「おお、悪い悪い。ちょっと考え事しててな。見逃しちまった」
フランに袖を引かれ振り返った魔理沙は頭を掻きつつ後ろ歩きで三歩ほど後退した。そうして魔理沙が立ったのは"Sakuya Izayoi"と洒落た飾り字で書かれたネームプレートの掛かった部屋の前だった。そう、この部屋こそは誰あろう紅魔館の諸事一切を取り仕切るメイド長、十六夜咲夜の私室であった。
……別名、紅魔館最危険地帯とも言う。だって、ネームプレートの下に"勝手に入るなトラップ有り"って書いてあるんだもの。上の名前部分とのギャップが激しい威嚇的な字体とバックの髑髏マークの不吉さに、さしもの魔理沙もつぅと一筋冷や汗を流した。なにせ、
「さて……んじゃ行くかフラン」
「う、うん……って魔理沙、本当に入るの? その……咲夜の部屋に?」
「おう、レミリアの部屋の鍵があるのは、ここしかないからな。行かざるを得ない」
「うぅ……本当にいいのかなぁ?」
「いいんだってば。さっきから言ってんだろ、バレなきゃ問題なし!!」
「うぅ~」
魔理沙とフランは今からこの紅魔境の最北たる咲夜の部屋に侵入しようとしているのだから。
フランを閉じ込めているのがしょうもない理由であろうと推測した魔理沙がフランを地下から出すために考えたのが、同じくしょうもない交渉材料をゲットしてレミリアを説得しちゃおうぜ、というプランであった。この場合のしょうもない交渉材料というのはいわゆる日記とか自作ポエムとかえっちぃ本とか……あるいは普通の恋愛小説とかでもあの吸血鬼なら恥ずかしがりそうな気がする。……要するにそういう物をレミリアの部屋から拝借しちまおうぜ、という算段である。
しかし、ここで問題になるのが言うまでもなくレミリアの部屋の鍵である。レミリアの部屋の鍵はパチュリー謹製の難解極まる魔法錠であり、業腹ながら鍵なしでこれを解錠するのは些か魔理沙の手に余る。そこで魔理沙が目を付けたのが咲夜の部屋にあるレミリアの部屋の合い鍵であった。これは魔法を使えない、けれどレミリアの部屋に出入りする事の多い咲夜に発行された物で、オリジナルの鍵と変わらない働きを果たすコピー品であり、普段は咲夜の部屋にある金庫に厳重に収められている。
ちなみに魔理沙が何故そんな事を知っているかというと、勿論前々からレミリアの部屋にあるらしいレア本目当てに狙っていたためである。日頃の悪行がこんな風に都合良く転がる辺りに、霧雨魔理沙という少女の強運っぷりが伺えた。
「でも魔理沙、そもそも咲夜の部屋にも鍵はかかってるよ? どうやって入るの、これ?」
魔理沙のプランに、外に出られるようになるかも……けど、お姉様に悪いしなぁ、という感想のフランはどうにも歯切れが悪かった。長年閉じ込められていたにも関わらず未だ心配が覗く辺りにフランがまだレミリアを姉として慕っていることが伺えた。しかし、いやだからこそ魔理沙は、
(ここで私が一肌脱いで、姉妹仲直りのキッカケを作ってやらにゃ普通の魔法使いの名が廃るってもんだぜ)
と、張り切っているのだった。そう、やり方はどうあれ魔理沙の目的はしっかりフランとレミリアの関係を最善に持っていくことなのだ。故に魔理沙は躊躇しない。魔法を嗜まない咲夜の部屋の……機械式の鍵を前に帽子の中からピッキングツールを取り出すことにも、全く躊躇しない。
「くっくっくっ、咲夜め。幻想郷で手に入る中では最新式の鍵を使ってる辺りは流石だが……ピンシリンダー錠なあたりまだまだだな。私に喧嘩売るのは十年早い」
言いつつ魔理沙は、ガンベルトのような収納具に収まったL字のテンションレンチを鍵穴に押し込み捻り、次いで差し込んだピックで鍵の奥のピンを手先の感覚を頼りに押し上げる。カチャカチャと小さな金属音を立てて魔理沙が二本のピックを細心の注意で操っていく。
ピッキングという言葉を知らないフランでも魔理沙の雰囲気から何か良からぬことをやっているのは察しがつくのか、ごくりと緊張感溢れる様子で唾を飲み込んだ。そして、
カチャリ
「ふ、ミッションコンプリート」
「あ、開いちゃった……」
魔理沙が弄っていた鍵穴が90度回ったのを見て、フランが呆然とした様子で呟いた。それもそのはず、魔理沙が咲夜の部屋の鍵を開けるのに要した時間、なんと僅か20秒。まず熟練の手管と言っていい犯罪的な鍵開けを初心な少女が目撃したのである。その心中に走った衝撃たるや……
「す、凄いよ魔理沙!! まるで冒険小説みたい!!」
「ハッハッハ、そうだろうそうだろう。何せいつか宝箱とか発見した日の為に磨いてきた技だからな。もっと褒めていいぞフラン」
「いよっ、白黒トレジャーハンター、魔法使いにして探検家、この女インディ・ジョーンズ!!」
「ハッハッハッハッ!!」
感激の一言だった。フランドール・スカーレット、好きな小説は冒険物。この二人、趣味の一致という点で本当に望ましいコンビのようだった。
フランに褒め称えられた魔理沙は隠密行動であることも忘れて高笑いを上げつつ、再び帽子に手を突っ込み中を探る。そんな魔理沙の右手をフランは期待に満ちた瞳で見つめる。その瞳は如実にこう語っている、次はどんな秘密道具が出てくるの? ……尻尾を振りたくる仔犬のような期待を受け、魔理沙が帽子から取り出したのは……
「……何それ? ていうか何してるの魔理沙?」
「んー何かって言うと、まぁ用心だな。咲夜の部屋は本気で物騒だからな」
「物騒?」
「ああ。前に一回だけ咲夜の部屋に忍び込もうとしたことがあるんだが……」
フランにそう応えつつ、魔理沙は部屋の扉の前に四つん這いになって頬を床につけ、扉の下から自作の内視鏡を突っ込み部屋の内部を探る。
部屋の四方の壁と、フランに不意を突かれた経験を活かし今度は天井のチェックも忘れない。その結果……
「うおー、え、えげつないな咲夜のやつ。前々から思ってたが、あいつ本当にメイドなのか?」
「……魔理沙?」
「あー、いや、ちょっと待ってなフラン。開けたら解るから」
内視鏡を帽子の中に放り込みつつ立ち上がった魔理沙は、彼女の一連の行動に訝しそうな顔をするフランを後ろに押しやりつつ、そっと扉を開く。すると、
「ひゃっ!?」
「速っ!! 一体どんなバネ使ってやがるんだ、あいつ」
魔理沙が扉を開いた瞬間、大開きにした扉の影に隠れていた魔理沙とフランの前をナイフが一本、二本……合計二十本横切って行く。その威力の程は扉正面の石壁に楽々突き刺さっている辺りから推して知るべし。もし、魔理沙達が扉の正面に立っていれば、間違いなく串刺しの憂き目に遭っていたに違いない。そんな物騒極まるトラップを目撃したフランは初めて見る本物のトラップに喜ぶ事も忘れて顔を強張らせた。
「わ、わー……さ、咲夜って実は怖いんだねー。いつもはすっごく優しいのに」
「や、フラン、騙されてるぜそれ。あいつは私の事見かけたら問答無用でナイフ投げてくる奴だからな? しかも時間止めて百本ぐらい」
「へ、へーそうなんだ……咲夜が、騙して……?」
「っと、待ったフラン。まだ前に出ちゃ駄目だ」
「え?」
魔理沙の冗談めかした言葉を聞いてブツブツと何事か呟きながら扉を潜ろうとしたフランを、魔理沙が首根っこ引っ掴んで引き戻す。すると、
「ふやっ!?」
「……二段目は上と前、そして左右からの挟撃。マジで殺る気だな、あのメイド」
風切り音と共に再び飛び出すナイフ群。しかも今度は前方からだけでなく扉を入ってすぐの空間を全方位から刺すように、天井そして左右の壁からも飛び出てくる。……一度トラップを回避して油断したところを本命の包囲射撃で確殺する。魔理沙の言う通りえげつない時間差トラップであった。
(し、しかもナイフがNot銀製。そして壁に刺さったナイフの高さがちょうど私の急所位置……ターゲットは完全に私だなこりゃ)
人間にあんな速さのナイフが刺さったら本当に死ぬんだが。壁に刺さったナイフに目をやった魔理沙はそれに込められた咲夜の本気を察して改めて戦慄する。しかし……
「ふっ、いかに本気だろうと当たらなにゃ意味がない。いくぜフラン」
「う、うん」
トラップを回避しきった事に気を良くした魔理沙が意気揚々、扉に向かう。
そしてフランはそんな魔理沙の後ろにおっかなびっくり続く。どうやらいつも優しいメイド長の意外な一面を見て怯えているようだった。
「はっはっは、心配すんなフラン。見た感じ、もうトラップはないからな」
「う、うん、でも……」
「平気だ平気。ほらこうしてれば怖くないだろ?」
「あ……うん!!」
フランの怯えた様子を見て、魔理沙はフランの手を握る。その手から伝わる温かさ、そして頼もしさを感じとり、萎んでいたフランの元気がたちまち元通りの大きさを取り戻す。そんなフランを見て魔理沙は一つ満足気に頷き……そして、ついに紅魔館最危険地帯:咲夜の部屋に最初の一歩を踏み出した。
その一歩は確かに小さな一歩かもしれない、しかしフランドール・スカーレット解放を目指す、普通の魔法使い、霧雨魔理沙にとっては大きな……
――ガゴン!!
「……お?」
「……へ?」
大きな一歩であったのだが、その一歩を踏み出したらなんか床が割れて開きやがりましたよ? あー、つまりこれは……
己が身が重力に囚われる前の一瞬、魔理沙はその最終トラップの名に思いを馳せる。
其はトラップの原点にして頂点、其は幾多のサーガに名を刻む偉大なる一つ、其の名は……
「落とし穴だとぉぉおおおおおおお!!?」
「魔理沙ぁぁああああ!?」
叫ぶ通りのトラップに引っかかった魔理沙が深い縦穴に飲み込まれる。そうなってしまえば奈落の底まで一直線。何人たりとも逃れられない地獄の底への一本道。
……魔理沙一人ならそうなっていたはずである。
「う、うぅううう……」
「フ、フラン平気か!? 無理そうなら離していいぞ!?」
「へ、平気……一回耐えちゃえば魔理沙ぐら……いっ!!」
「うおぅ!?」
魔理沙と手を繋ぎ、かつ彼女の後ろに続いていた為、落とし穴に落ちずに魔理沙を支える事に成功していたフランが、掛け声と共に小柄な体躯に似合わぬ膂力で魔理沙を一気に引き上げる。
勢い余ったフランはそのまま尻餅をついてしまい、魔理沙も引っ張られた勢いのまま床を転がる羽目になったが、見事落とし穴の危険域から脱出を果たした。
「はー……」
「フ、フラン……すまん、正直助かった。私もこれはちょっと予想してなかった……」
「う、うん……私も、びっくりした……」
しばし二人揃って激しく息を継ぐ。
そして、その動悸が収まると二人は開いた落とし穴をそっと上から覗き見た。
「ふ、深いねー。ここ、四階なのに……」
「わ、わざわざ下の階の壁を縦に掘ったのかあいつ。……意外と暇なのか? 紅魔館メイド長」
底の見えない暗い穴に二人それぞれ感想を述べる。しかし……
「なんで落とし穴? こんなの飛べる人なら意味ないのに」
「あーそれは多分……私用なんだろ、これも」
「え、魔理沙飛べないの? あ、そういえばさっきは飛んでこなかったよね」
「あー飛べないっていうか……」
決まり悪そうな調子で魔理沙はわしわしと後ろ頭を掻いた。
……実は魔理沙は魔女としてのこだわりから飛行の術の発動条件に箒というアイテムをあえて組み込んでいる。そのため空を飛ぶのに必ず箒を取り出すというワンアクションが必要になるのだが……
「穴の直径が狭いだろ? 落とし穴っていうのは普通、手とかで突っ張れないようにある程度広く作るんだが……」
「これだけ狭いと箒には乗れないね。ていうか取り回すのも無理そう」
「ああ。つまり、そういうことだろうな」
どんだけ私をマークしてるんだ咲夜の奴は……人、というか魔理沙が丁度一人入るぐらいの大きさの穴を見て魔理沙の背に冷たい物がぞわりと走る。
しかし、実のところ話は簡単で、そもそも咲夜の部屋に不法侵入を試みる無謀な輩など魔理沙ぐらいのものだというだけの事なのだが……当人は気付いていないようであった。
「とは言え、これでもうトラップは本当に最後だろうな。こんだけ私をマークしてるなら間違いなく」
「え、なんで?」
「私一人ならここで落ちて終わってたから。私は忍びこむ時は基本一人でやるからな。フランを連れてるのは、いくら咲夜でも予想できないだろ」
恐ろしい事であるが、咲夜はこの部屋まで踏み込んで来た場合の魔理沙の行動を読み切っている節がある。二段式のナイフトラップを魔理沙が見切る事も、ナイフの威力と配置から本気を汲み取る事も、その本気を見てかつそれを躱した事で魔理沙が油断するだろう事も。そして、そう読み切った上での三段目の落とし穴。……まさに完全の名を冠する咲夜らしい隙のないトラップ群である。しかし、それだけの洞察力を持つという事は、このトラップを魔理沙なら越えられないという事すら読み切ってしまうという事であり……
「四段目を用意する必要がないって事も解っちまうっつー事だ」
「おお、なるほど」
上機嫌で自らの推理を話す魔理沙と、それを聞いて感嘆の言葉を零すフラン。そして、その魔理沙の推理が正しい事は二人が今現在、部屋のチェストを開いてその中の金庫を目前にしている事から明らかであった。……まぁ、落とし穴を越える際わざわざ宙を飛んでいたあたり、多少はビビっていたのかもしれないが。
「はぁん、ダイヤル式とは手抜かりだな咲夜。トラップの出来に慢心したか?」
金庫の鍵を見て魔理沙はニンマリと笑い舌舐めずり。魔女帽の中から聴診器を取り出しダイヤルの横に貼り付ける。
カチカチ、カチカチ……フランが固唾を飲んで見守る中、魔理沙がダイヤルを回す音が静かに響く。
そして……
「ふ、イッツ・パーフェクトワーク」
「お、おおー、開いた、開いたよ魔理沙!!」
トラップ回避に苦労したのが信じられないぐらいあっさりと金庫の扉が開く。
それを見て二人は思わずハイタッチ。難関を乗り越えた喜びを噛み締める。
「わ、わ、なんかすっごい……こう、胸の奥からなんかこうっ!?」
「はっはっは、お前なら解ってくれると思ってたぜフラン。今お前の中から沸き上がってくるのが冒険の喜びってやつだ。私みたいのはな、それに中毒しちまってんだよ」
「う、うん、解るよ……なんか、なんかーーッッ!!」
「お、おおう解った、解ったから暴れるなよフラン」
その身に溢れる得体の知れない喜びに耐えかね、腕を振り回し身悶えするフランとそれを羽交い絞めにしてどうにか抑える魔理沙。流石に吸血鬼だけあって抑えるのに苦労したが、フランも本気ではなかったのかどうにか抑えられた。
そうして、難関クリアの興奮が一段落すれば二人の視線は必然……
「ね、ねぇ魔理沙……中、見てみていい?」
「ん、見てみろ見てみろ。正直、今回の一番手柄はフランだからな。お前が居なきゃ今頃どうなってたか解らん」
「そ、そうかな?」
「おう、お前が居てくれて良かったぜフラン」
照れたように顔を赤らめるフランの頭をポンポンと叩いて、魔理沙はフランをチェストの方に押し出した。そうして、この部屋で初めて魔理沙の前に立ったフランはおっかなびっくり金庫の中に手を差し入れ……
「……あった。これだよね、魔理沙」
「おお、それだ。間違いない。そのカッチリした術式は間違いなくパチュリーのだ」
重要そうな書類やら、高価そうな宝石やらに目もくれずフランが取り出したのは、六芒星の描かれた六角形の木版で、形状としては魔理沙の持つミニ八卦炉に近い。ただし、そこに込められたのは動ではなく静、パワーの過多よりロジックの精密さに重きを置いた魔理沙とは正反対の、正しくパチュリー・ノーレッジのあり方を体現するかのような魔法であった。
「うっしっし、さーてあとはこの術式を魔理沙さんお手製のコピー術式で解析しまして……どうしたフラン?」
「え、あ、うん……それ……」
「あん? ってなんだそれ?」
ミニ八卦炉から出る青白い光の魔方陣の上に木版を置いて解析していた魔理沙が、何か困惑するような様子のフランに気付いて振り向くとフランは金庫の片隅を指差した。その先を見た魔理沙は思わず自身が目にしたそれに手を伸ばした。何故かといって、それは金庫の中身として、何より十六夜咲夜の持ち物として似つかわしくない物で……
「……ぬいぐるみ、だよな?」
「う、うん、多分」
だよな? 多分。そんな疑問気な言葉が本来必要無いほど、それはぬいぐるみだった。結構な年代物なのか、よく見れば何度も補修した跡が見受けられる。
「それにこれ……レミリアか? お、こっちは美鈴にパチュリー、おっと小悪魔までいるな」
可愛らしく二頭身ぐらいにデフォルメされたぬいぐるみ。それがフランが指差した金庫の中身であった。それを確認した魔理沙はレミリアのぬいぐるみとパチュリーのぬいぐるみをそれぞれ手に取って、右左と次々見遣り……、
「に、似合わねー」
思わず、といった調子でそう呟いた。
いやいやいや、解ってるぜ? 咲夜だって私とそう年も変わらない女の"子"だって解ってるぜ? 大人びてるけど、メイド長だけど、トラップしかけちゃうけど。だけど、あのクールビューティーな咲夜が金庫にぬいぐるみって、しかも自分と一緒に住んでる奴の。それは流石に……
ぐるぐる回る頭の中、魔理沙は思わず妄想する。それは例えば、こっそり金庫からぬいぐるみを取り出して大事そうに頬ずりしてる咲夜だったり、あまつさえぬいぐるみと一緒に幸せそうな笑顔で眠る咲夜だったり…………おお。
「おお~、か、可愛い。咲夜ちゃん可愛いんだぜ。うふ、うふふ」
咲夜のそんな姿を想像して、思いの外似合うというか普通に可愛らしい事に気付いてしまった魔理沙が、側にあったベットをばしばし叩いて、身を震わせた。
新発見、新発見だぜ、咲夜は可愛い系、とそんな事を考えてニヤけている魔理沙の顔はそれはそれはだらし無くやに下がっており……そんな魔理沙を困ったような顔で見つめる悲しげな瞳が一対。その視線にハッと気付いた魔理沙は慌てて真面目な顔を取り繕う。
「いやぁ、意外だけど咲夜の奴も可愛いとこあるんだな!! なぁフラン、あっはっはっは!!」
「う、うん……そうだね」
「……フラン? どうし……ッ」
フランの前では頼れる先輩の顔をしていたかった魔理沙が誤魔化すようにそう叫ぶとフランは変わらず戸惑っているような顔でぎこちなく頷いた。それを見て魔理沙はフランの様子が何かおかしい事にようやく気付き……ほぼ同時にその原因にも気が付いてしまった。咲夜の金庫に入っていたぬいぐるみはレミリア、美鈴、パチュリー、小悪魔の四人分で……それで全部"フランは居ない"。
その事に気付いた魔理沙は冒険の興奮から一転、氷の塊が突然肺腑の中に現れたような気分になった。魔理沙ですらそれなのだ、果たしてフランは今どんな気持ちなのか?
「あー……な、なぁフラ……」
「そっちは見つかった!?」
「ううん、居なかった。後は……客室の方かなぁ?」
「良し、それじゃそっちの方に行くわよ!!」
「……ッ!!」
フランを気遣い肩を叩こうとした魔理沙が、弾かれたように扉の方へと振り向いた。扉の向こうからの声を聞くまですっかり忘れていたが、魔理沙はパチュリーを撃墜した足でそのままフランを連れ出しているのだ。そしてフランの事はともかく、出て行く時もだいたい派手な魔理沙がまだ紅魔館の中に居るという事はパチュリーが復活すれば簡単に察せられる。となると……
(これ以上長居するのは不味いか? 私はともかく、あんまり妖精メイドが捜索に駆り出されるとフランをこっそり帰すのが難しくなる)
魔理沙は扉を見つめてここまで来た道のりを思い返し、そう結論した。とはいえ、今の何か危うい感じのするフランを置いて行く訳にも……
「魔理沙!!」
魔理沙が懊悩しているとフランがそんな風に魔理沙の名を呼んだ。魔理沙はその声に自分でも大げさに思う程驚いた。何故かと言えばフランのその声音が……
「今のって魔理沙を探してるんだよね? だったら早く逃げた方がいいんじゃない? 咲夜の部屋で見つかるのは不味いでしょ」
なんなら手伝うおっか、と魔理沙に手助けを申し出るフランは果たして声音通りの明るい笑顔だった。扉の方から改めてフランに目を向けた先にそんな快活な顔を認めて魔理沙は思わず呆気に取られた。
「ん? 魔理沙どうかした?」
「え、ああ、おう。別に何ともないぜ。そうだな、これ以上ここに居るのはちと不味いな」
フランのあっけらかんとした様子に魔理沙は少々動揺しつつも、かぶりを振ってそれをどうにか思考から追い出した。
そうだよな。考えてみたら、自分のぬいぐるみを咲夜が持ってなかったってだけだもんな。ていうか、紅魔館の住人の数を考えたらぬいぐるみになってる奴の方が少ないぜ。
魔理沙はパチュリーの図書館に突撃する度湧いてくる妖精メイド達の顔を思い浮かべて得心する。となれば、今重要なのはフランをこっそり自室まで帰す策で……魔理沙は鍵を解析中だった魔法陣の色が完了を示す緑色に変わっているのを横目で確認してから、おとがいに手をやってしばし思考に耽る。
「……ふむ。フラン一つ聞くが、お前ここまで来た道っていうのはしっかり覚えてるか?」
「え、うん、覚えてるけど?」
「よし、それじゃあ今から私は派手に暴れながら来た道と逆方向に撤退して行くから、お前はその隙をついてこっそり部屋まで戻れ。出来るな?」
「出来るけど……魔理沙、そんな事ばっかりしてたら本当に咲夜に怒られちゃうよ? いいの?」
「はっはっは、そんなセリフが出る辺りはまだまだヒヨッコだなフラン。メイドを怖がってちゃ冒険はできないぜ? ってか、怒る怒られないなら部屋に忍び込んだ時点でアウトだしな」
勿論、バレないようにするんだが。魔理沙はそう言ってレミリアの部屋の合鍵とぬいぐるみ達を金庫に戻しつつ不敵に笑った。
「よし、そんじゃ私は行くぜフラン。お前は……そうだな、私が出て五分後ぐらいに部屋を出てくれ」
「うん、解った」
魔理沙は魔女帽子を一度、深めに押し下げてからドアノブに手を伸ばし……
「っと、そうだフラン」
「……?」
「私達の目的はあくまでレミリアの部屋だ。……今日の所はこれまでだけどな」
フランの方に振り返った魔理沙は、だから、と言葉を区切って、
「また、明日な!!」
そう言ってフランの髪をくしゃりと撫でて、ドアから飛び出した。
「ヒャッハー!! いきなりマスタースパァァァクッ!!」
「ちょ、何よ今の轟音はっ!? ……ああ!? 居た、みんなー魔理沙が居……」
「とろいわーー!!」
「ふぎゃああああああ!?」
いきなり壁が崩れるような轟音と悲鳴が響き渡り、その喧騒が徐々にフランの居る咲夜の部屋から遠ざかって行く。余程の騒がしさなのだろう、その音はドアを一枚隔てたぐらいではちっとも小さくならずフランの所にまで響いてくる。しかし、
「また、明日……またっ明日っ!!」
魔理沙に撫でられた頭に手をやり、ほのかに、けれど幸せそうに微笑むフランにはきっと聞こえていなかったに違いない。
………………
…………
……
「へー、ほー、ふーん。なるほどなぁ、ここんところが暗号のキーになってんだな、よく出来てる。メモメモっと……」
ホゥホゥと、あと数日で満ちる月の光を浴びる梟の声を聞いているのか、いないのか。魔理沙は自宅のごちゃごちゃと物の乗った机の上に白い羊皮紙を広げて、同じく机の上に置かれたミニ八卦炉が投影機のように浮かべる魔方陣を観察しては感心したように唸り、何やら羊皮紙に書き込んでいた。今、ミニ八卦炉が浮かべているのは昼間に写したパチュリー謹製の魔法鍵の術式であり、魔理沙はそれをテキストに自主学習の真っ最中なのであった。もうどれ程そうしているのか机の上に置かれたランタンの蝋燭は大分短くなっていた。
「んー……と。はぁ、やっぱパチュリーは凄いなぁ。これ、鍵そのものを解析せず錠前の方を解こうとしたら、私じゃ軽く十年はかかるぜ」
長時間、複雑怪奇な魔法式と格闘していた疲れが出たのか、椅子の背もたれ沿いに伸ばした魔理沙の背筋はボキボキと未だ年端行かぬ少女らしくない音を立てた。いや、あるいはその音は魔理沙の中で半分位へし折れた自信の塔が立てた音かもしれないが。
……解ってはいるのだ。パチュリーは見た目こそ若く見えるが、魔理沙の十倍近く生きている生粋の魔法使いで、それに対して自分は二十年生きていない人生の、そのまた半分ですら魔法使いとして生きてきた時間には及ばない未熟者だと。
弾幕ごっこでの勝率こそどうにか五分を保ってはいるが、それは偶々スペルカードルールが魔理沙の得意魔法に嵌っただけで、その他おおよそ全て、パチュリー得意の精霊魔法は勿論、儀式魔法やら召喚魔法、その他全ての魔法技術において自分はパチュリーに劣っていると、そしてそれが当然の事だとも、解ってはいるのだ。……けれど、
『ふふふ、こんなに月も紅いから?』
けれど……
『永い夜になりそうね』
けれど……
『魔理沙、あんたは……』
ゴンッ!!
魔理沙が机に額を打ち付けた。面白くない、けれど忘れ得ない記憶を断ち切るために。
「……はぁ。いかん、煮詰まってきてるな。ちょっと休憩しよう」
一人呟きつつ魔理沙は、机の隅に乗っけてあった魔法瓶から温かいココアをマグカップに注いだ。一口飲めば甘い香りが口に広がり、嫌な回想も溶けていく。
(そういやフランの奴は今何してんだかな? お辞儀の練習とかだったら……いかん、また凹んできた)
回想の代わりに頭の片隅にポカリと浮かんできた想像図を偲んで、魔理沙は机に突っ伏した。
……フラン。フランドール・スカーレット。捻くれ者の多い幻想郷では珍しい程、素直で真っ直ぐな少女。いや、少女というのは間違いか。フランの言葉を信じるなら、彼女は魔理沙どころかパチュリーと比べてすら遥か年上である。けれど……恐らく495年間地下に居た影響か、まだまだ行動の端々に幼い所が見受けられた。そう、人間として見てすら子供に分類される魔理沙が先輩っぽく振る舞えるほどに。実際、悪くない気分だった。一人っ子の魔理沙には解らないが、妹というのがいたらああいう感じだろうか? 趣味も良く合うし、本当に一日の付き合いとは思えないほど仲良くなれたと思う。だからそう、あいつには……
「むにゃ、世界は広いんだぜフラン……もっともっと……色んなとこ……」
ココアの甘い香りにつられて落ちた夢の中、フランは妖怪の山のてっぺんで、魔法の森のただ中で、楽しそうに笑っていた。それを夢見る魔理沙と、同じように。その日が本当に来るのはきっとそう遠くない。幼い普通の魔法使いは、心の底からそう信じていた。
………………
…………
……
魔理沙が机の上で寝こけている頃、フランは魔理沙の想像通り一人で自分の部屋に居た。幸いにもと言うべきか、一人で延々とお辞儀を繰り返すことはしていなかったが。しかし、代わりに……
「それでねそれでね、魔理沙ったら凄いんだよ。帽子の中から聴診器取り出して、金庫に貼りつけたと思ったらあっという間に開けちゃったの。聞きそびれたけど、あれってどうやったのかなぁ?」
「キキキキ、それはね、聴診器でダイヤルの合った時の音を聞いてるんだよ。最近の金庫じゃ出来ないはずだけど紅魔館にある物は結構なんでも古いからねぇ、私みたく」
「へ~そうなんだ。……私もやったらできるかな?」
「出来ると思うよ。吸血鬼は耳もいいからね、案外あっさり成功するかも」
……もう一度言うが、フランは間違いなく自室に"一人"で居る。にも関わらずフランの言葉に応えが返ってくる。その奇怪な現象に答えを求めるなら、ベットに座ったフランの膝の上を見ればいい。そこには……
「でも、貴方も良く知ってるよね"コウモリさん"。コウモリさんも冒険家なの?」
「キキキキ、何を言ってるんだいフラン。君も知っての通り、私はただのぬいぐるみだよ? 冒険どころか、生まれてこの方この屋敷から出たことがないね」
「うーん、そっか残念。冒険の話とか聞けたら良かったのになぁ」
「キキキキ、残念無念。キキキキ」
古ぼけたコウモリのぬいぐるみが置いてあった。
……お世辞にも出来のいいとは言い難い、コウモリと言われなければそれと解らないようなそのぬいぐるみが、いつから部屋にあったのか、初めて喋ったのはいつのことだったか、フランは良く覚えていない。けれどコウモリと初めて交わした言葉は良く覚えている。ある日突然、こんにちはと挨拶してきたコウモリに驚いたフランは、
『……ぬ、ぬいぐるみが喋った?』
『キキキキ、初めましてフランちゃん。私は可愛いコウモリさんだ。よろしくね?』
『私の事、知ってるの?』
『もちろん、もちろん。何せ私は君とお話する為に生まれてきたんだからね。君の事を知らなきゃ話相手なのに話にもならない』
『……本当に?』
『んん?』
『本当に、私とお話してくれるの?』
『……もちろん、もちろん。でないと私は生まれてきた意味がない。だから……よろしくね?』
『……うんっ!! よろしくねっ、コウモリさんっ!!』
……それ以来、コウモリのぬいぐるみはフランの一番の話相手だった。こちらから話かけても応えてくれないのが玉に瑕だったが、向こうから話しかけて来てくれた時はそれこそ夜通し話続けることだってあった。話してはいけない事以外はなんだって話してきた。そして今もまた魔理沙との冒険話で話の花を咲かせていた。
「それにしても、君と魔理沙は随分相性がいいんだねぇ。君の話を聞いてるとまるで十年来の親友の話をしているように聞こえてくるよ」
「うんっ、私と魔理沙ってなんか凄い気が合うみたいで……ほら、前言ってた地下室迷宮化計画も大賛成って言ってたよ」
「ああ、あれねぇ……けど、本気で実行するのはやめときなよ? でないとメイド長さんが困った事になるだろうからねぇ」
「……」
「……んん?」
淀みなく、阿吽の呼吸と言った調子で続いていた会話が途絶えた。コウモリが不思議そうな声を出して俯いてしまったフランを見上げ……恐らく首が動けば見上げていただろうと確信出来るぐらい不自然な途絶え方だった。そうしてしばし、沈黙が部屋に降り……
「ねぇ、コウモリさん?」
「なんだいなんだい、フラン? 随分と改まってからに」
「咲夜って私の事……どう思ってるのかな?」
「んん?」
コウモリが再び、疑問気な声を上げる。紅いボタンの目にジグザグ縫い糸の口では表情は計れないが、声だけは確かに疑問符が付いていた。
「前にコウモリさん言ってたよね。咲夜の宝物は大切な人のぬいぐるみで、いつも大事にしまってるって」
「んん……そうだねぇ、言ったねぇ」
「それでね、今日咲夜の金庫の中を、えっと、見ちゃったんだけど」
「……」
「なかったんだ、私のぬいぐるみ。……他の皆のは、ちゃんとあったのに」
「……」
他の皆。咲夜がぬいぐるみとして持っていた四人には実は魔理沙の知らない共通点があった。それは彼女達が全員幻想郷に来る前から紅魔館に居て、館ごとこちらに移ってきたという事で……それにはフランも勿論含まれる。魔理沙の前では強がってみたものの、その面々から仲間外れにされていた疎外感は、フランの心に確かな影を落としていた。そして、もっと嫌な予感もまた……
「咲夜は……咲夜は私のこと本当は……」
「……」
「ねぇ、コウモリさ……ッ!!」
コンコン。
コウモリの後頭に顔を埋めつつポツポツと問うていたフランが、不意に響いたノックの音を聞いてびくりと背筋を跳ねさせた。
「妹様? 少々よろしいでしょうか?」
「さ、くや?……う、うん、いいよ入って」
扉の向こうから聞こえてきたのは咲夜の声だった。あまりのタイミングの良さにフランは少々声を動揺に震わせつつも、どうにかいつもと同じ笑顔を取り繕って咲夜を招いた。招かれた咲夜はフランの見慣れた優しい笑顔で手に一杯の白い花を持って部屋に入って来た。そんな否が応でも目に付く手土産を見て、フランは不思議そうに目を瞬かせた。
「咲夜……? そのお花は……?」
「ふっふっふー、よくぞ聞いて下さいました妹様。これこそはたった一夜に咲き誇る花、月下美人なので御座いますっ!!」
「月下美人……? ああっ!! そう言えば本で見たことあるよこの花!! へーこれがそうなんだ!!」
「はい、先程所用からの帰り道で群生しているのを見つけまして」
咲夜が差し出した花束から一輪だけ手に取ったフランは白い花を物珍しそうにつつき、その香気を思い切り吸い込んだ。
「うん、良い香りだね。花も綺麗だし、一晩で散っちゃうのが残念だなぁ」
「ちっちっち、甘いですよ妹様。月下美人は花が散ってからでもしっかり楽しめるのです」
「うん? えーと……?」
「月下美人は綺麗で香りがいいだけでなく、なんと美味しいのです!!」
「……はい?」
「何を隠そう月下美人は私の好物で……ああ、明日はどんな風にお料理しましょう。定番の酢の物? 天ぷら? 新しい物に挑戦するのもいいですね!!」
まだ咲いている月下美人を抱えて、『月下美人』と呼ぶに相応しい咲夜がきゃーきゃー浮かれてくるくる回る、その調理方法に思いを馳せて……シュールな絵だった。
その姿を見てフランは遅まきながら悟る。ああ、まだメイド服着てるけど咲夜もう仕事上がったんだ。……紅魔館メイド長十六夜咲夜、仕事を上がると少し天然が凄く天然に変わるというのは紅魔館では有名な話であった。
「決めました妹様!! 私、明日は月下美人の活造りに挑戦します!!」
「って、なんか凄い所に着地した!? 待って咲夜、それ多分料理って言わないから!!」
「無問題です!! 何故なら調理の際にはきちんと和服に正座で臨みますので!!」
「それもう活造りじゃなくて活花だよねっ!? っていうか実は解ってて言ってない咲夜!?」
「……?」
両手を振り上げ叫んだフランの言葉に、咲夜は不思議そうに首を傾げて応えた。それを見てフランは思った、咲夜ちゃん可愛い。……今度は両手をだらりと垂らしてフランは脱力した。
「うぅ……ええと咲夜、とりあえず活造りはやめて? 私はほら、その月下美人の天ぷらっていうのを食べてみたいから、そっちをお願い」
「むぅ……活造りを諦めるのは惜しいですが、妹様たっての願いとなれば致し方ありません。この月下美人の末路は煮えたぎった油で衣付けに決定です」
「……末路って言うのやめて、拷問っぽく言うのやめて、ナイフ取り出して舌舐ずりするのやめてー!!」
「……むぅ」
フラン渾身の三段ツッコミを受けた咲夜は、残念そうな顔で銀のナイフを腿のホルスターにしまった。そんな咲夜の姿を見て、フランは力の抜けた顔で微笑んだ。いつもならいつも通りに笑える咲夜とのやり取り。けれど今は……
「……ねぇ咲夜」
「はい、何でしょうか妹様?」
その笑みの後ろに落ちる影がある。咲夜は突然追い詰められたような顔で改まったフランを見て、今度もまたきょとりと首を傾げてみせた。
「私の事…………好き?」
「……はい?」
「う゛、えっと、あの……」
咲夜に真剣に不思議そうな顔をされたフランは慌てて顔を伏せた。いきなり何言ってるの私、唐突すぎるし唐突じゃなくても何か誤解されそうなーー!!
顔を羞恥色に染めたフランは胸元で糸を巻くように両手の人差し指を回転させつつ、頭から湯気を吹き出した。そんなフランをやはり不思議そうな顔で見つめる咲夜は、とりあえずと言った感じで、ポンとフランの肩に手を置いた。
「妹様」
「……うぅ、はい」
「上げます」
「……へ?」
咲夜に呼ばれ、顔を上げたフランの鼻先に月下美人の花束が差し出された。つい反射的にフランがそれを受け取ると、咲夜は更に腿のホルスターを外し、ナイフごとフランの手に乗せ、ついでにエプロンと首元のタイを外して、えいやと思い切りよくエプロンドレスを脱ぎ……
「って待って待って待って!! なんでいきなり服脱いでるの咲夜!?」
「なんで、と問われればメイド服は私の誇りだからと答えますが」
「う、うん? ……よ、よく解らないけど、とりあえず脱ぐのはやめよ? ね?」
「むぅ、妹様がそう仰るなら……では代わりにこちらを」
「え、うん」
脱ぎかけで捲り上げていたスカートをパサリとおろし、咲夜は頭からヘッドドレスを外してフランに手渡す。結果、フランの手元に月下美人とナイフとヘッドドレスという奇妙な三点セットが積み上げられる。十六夜咲夜という人間を知らぬ者が果たしてこの三つに関係性を見出すことが出来ようか? 無理だろう、なにせ咲夜を知っているフランですら困惑しているのだから。
「えっと……咲夜?」
「実は私、昔お嬢様に月下美人に似ていると言われた事が密かな自慢なんです。えっへん」
「う、うん。それは私も思うから別に変だとは思わないけど……」
「恐れ入ります。じゃあ話は早いです」
咲夜はそう言って、月下美人を指差す。
「その花は、私のかんばせ」
咲夜はそう言って、次に銀のナイフを指差す。
「その刃は、私の力」
咲夜はそう言って、更にヘッドドレスを指差す。
「その装いは私の誇り」
そして月のような静けさを湛え朗々と語る咲夜は、最後にフランの手を握った。
「そのどれもを貴方に捧ぐのに、私は対価を求めません。貴方との魂の契約なら私は無償で交わします。……これで答えになりますか、妹様?」
「……咲夜」
「と言っても、お嬢様にも同じ事を言ってしまっているので、私のどこをどう分け合うかは御姉妹で相談して頂くことになるのですが」
お嬢様なら、妹様にねだられたら全部上げちゃいそうですねぇ、咲夜はそう言ってクスクスと笑ってフランの手を放す。自身になぞらえた三つの物を残したまま。
「とりあえず、その三つは前契約という事でお収め下さいな、妹様」
「う、うん……っていいの? 月下美人とか明日お料理するんじゃ?」
「いえいえご心配なく。たくさん咲いていたのでまた摘んできますから。ナイフもヘッドドレスも予備はたくさんありますし」
「……それはそれでなんだかなぁ」
胸を張って、問題なしですと誇らしげな咲夜の姿にフランは呆れるような複雑そうな苦笑で応えた。と、そこでボォーンボォーンと部屋の掛け時計の鐘が鳴る。時計の針は重なって午前0時を示していた。
「むぅ……妹様申し訳ありません。そろそろお嬢様が起き出す頃ですので……」
「ん、解ってる。にしてもお姉様は相変わらずお寝坊さんだねぇ……ってあれ? 咲夜もう仕事上がったんじゃ?」
「いえ違います、それは逆です妹様。今日私は15時頃からお休みを頂いて、今からお嬢様のお世話に戻るところですわ」
「あ、そうなんだ。道理で……」
「道理で……とは?」
「あ、何でもない何でもない!! 私の事はいいから早くお姉様のところに行ってあげて?」
「??……解りました。では私はこれで失礼します。妹様もどうかいい夜を」
そう言って笑顔一つ残して、鐘の音と同時に天然からみるみる内に完全で瀟洒なメイドに変わっていった咲夜の姿が掻き消えた。その顔付きまでどこか変わったように見える変わりっぷりは一見の価値アリだとフランは思う。
……ところで、
「……咲夜」
先程の咲夜とのやり取り。今もまだフランの手の中にある月下美人やナイフがそれは夢ではないと告げている。フランはそれをぎゅっと抱きしめた。銀のナイフで肌が薄く切れることに構いもせずに。言ってしまえば、それらはフランにとっての光だった。もっと嫌な予感……いつも優しい咲夜が本当は自分を疎んでいるのではないかという不安の影を払うための。実際、その光の効果はあった。フランの心の中で不安の影は確かに小さくなった。
……けれど、
(咲夜、咲夜……なら、なんでぬいぐるみは無かったの? 小さな事だって解ってる。さっきの咲夜の言葉に比べたら気にする程の事じゃないって解ってる。けど、けどッ……)
私の前ではいつも優しくて、頼みになる言葉を掛けてくれて。けれど、私が見えないはずの所じゃそうではなくて。……それじゃ、それじゃまるで……
「そりゃあ騙されてるんじゃないかなぁ? キキキキ」
「――ッ!?」
影は、光が強くなればなるほど濃さを増す。
後ろから投げられた言葉に心臓を串刺しにされたような衝撃を感じて、フランは目端を痙攣させ、引き攣った顔で振り向いた。
「コ、コウモリ、さん? い、いきなり、なにを言って……?」
「何を言ってと問われたら、私は君の疑念をと答えるね、フラン。君だって解ってるはずだよ? キキキキ」
フランの、あるいは親友と言ってもいいかもしれないコウモリのぬいぐるみが陰鬱に笑った。その笑い声が恐ろしく聞こえたのはフランにとって初めての事だった。
「メイド長さんのさっきの言葉は嘘で誤魔化せる類の事実。そりゃそうだ、五百年近く引き篭ってまともに人と話してこなかった君を騙すなんて、百戦錬磨のメイド長さんなら朝飯前だろうさ」
「……やめて」
フランの小さな呟き。それが聞こえていないのか、それとも意図して無視したのかコウモリのぬいぐるみは言葉を続ける。
「それと比べて君が見たっていうぬいぐるみの方……これはどう考えても嘘じゃ有り得ない事実だ。そりゃそうだ、君が今日魔理沙と一緒にメイド長さんの部屋に忍び込むなんて、一体誰が予測出来る? いや、誰にも出来ないだろうね。となれば嘘の付きようがないじゃないか。キキキキ、となると……」
「やめて……もうやめて言わないで」
「いいや、やめないよフラン。君は聞いておくべきだからね。さて、好意は嘘、疎外は本当。となれば……出る答えは一つだ」
「嫌、嫌……」
フランは咲夜の贈り物を抱いてうずくまる。強まる月下美人の香りがフランを押し包む。けれど……
「咲夜は君を疎んでいる。これが正解だろうね、間違いなく」
「違うッ!!」
光は、もう見えなかった。
贈り物をとうとう取り落として、フランは目を血走らせてコウモリに迫り、叫んだ。
「咲夜は、咲夜はいつも優しかった!!」
「そりゃあ優しくはするだろうさ。何せご主人様の妹なんだから。彼女はメイドだからね、仕事の内さ、それも」
「……ッ、咲夜は……いつも笑いかけてくれた!!」
「そりゃあ笑いかけは、以下同文。ついでに言うなら嘘の為に笑うなんて事、誰だってやるさ。君だってあるだろう?」
「咲夜は……咲夜は……ッ痛、なに? 頭、が……」
「ていうかさぁ……」
「……ッ!!」
突然、本当に突然沸き上がってきた激しい頭痛に一瞬意識を飛ばしかけたフランだったが、コウモリの言葉への反抗心を支えにどうにか持ち直す。しかし、
「彼女がさっきみたいに普通に会いに来るってことはだよ? 彼女は"お嬢様が君をここに閉じ込めている事を良しとしている"って事じゃないのかい? そんな相手に君は好かれていると本気で思えるのかい? ねぇ妹様?」
「そ、れは……それは……あ、ッつぅ。何、これ……」
コウモリの言葉にとうとう一つの言葉も返せなくなるフラン。意識が薄れる。イタイいたいイタイ、アタマが割れそうにイタイ。フランの意識が砕けていく。そうして掠れていく視界と音の中でフランは最後に、
「けど、心配ないよフラン。だって君には……」
魔理沙が、居るだろう? その言葉に背を押されるようにフランの意識は途切れた。
……夜はまだ、始まったばかりだった。
………………
…………
……
「……リー!! そっ……抑え……!!」
あれ?
「解っ……レア!! ……まだ……て!!」
なんだろこれ?
「……夜さん!! わた……ます!!」
夢、かな? だってわたし……
「これで……しっ!!」
わたし……わたし……
「……様!! ……が!!」
夢、だよね。なら聞いてもいいかな? うん、聞いちゃおう。ねぇ……
「咲夜は、私が嫌いなの?」
「……!!」
「「「咲夜!!」」」
ああ、いやな夢だなぁ……
部屋に置かれたチェストやベッド、壁紙やカーペット、部屋の隅々まで最高級で埋められた部屋だったが、日と月の光を浴びる事がないというただそれだけで、少し精彩を欠いているように感じられた。
そんな豪奢で侘しい部屋の中で二人の少女が開かれた本を挟んで向かい合い、ベッドの上で楽しそうに言葉を交わしていた。
「ねぇお姉様。このベテルギウスっていう星は、どれくらい赤いの? 私達の目よりも赤いのかな?」
金の髪の少女が、開かれた本を指差し、弾むような声で問いかけた。
問いかけられた青みがかった銀の髪の少女はそれを聞いて鷹揚に頷き、得意そうに答えた。
「いいえフラン。どんな美しい星だって私達の瞳の緋色には及ばないわ。でも、そうね……半分ぐらいには届いてるかも知れないわね」
「半分? ……本当にそれだけなの?」
「ええ、昨日見て確認したから間違い無いわ」
「……きのう?」
胸を張って答えた銀の少女の言葉に金の少女はパチパチと瞬きして、それから壁にかかった七曜表に目をやってから口を開いた。
「お姉様、ベテルギウスっていうのは冬の大三角形って呼ばれてる星の一つで……その、今の時期は見れないんだけど」
「…………」
銀の少女が胸を張ったまま固まった。彼女の後ろの壁にある七曜表、月毎に捲る種類のそれが指し示す月は七月、夏真っ盛りである。
「……フラン」
「なに? お姉様?」
「ごめんなさい、お姉様ちょっと知ったかぶりしちゃったわ」
「そうだと思った!! も~何でそういう事するの、お姉様は!?」
「あ、ごめんごめん。ちょっと待って、痛い、痛いわフラン、お姉様の耳齧らないで」
「うぅー!!」
あっさり銀の少女が白状すると、金の少女が彼女を仰向けに押し倒してガジガジと耳を齧り始めた。
ただ、金の少女も本気ではないのか鋭い犬歯が耳朶に食い込む事はなかった。まるで子犬がじゃれつくような、甘えるような啄みだった。銀の少女も痛いというよりはくすぐったいのかクスクスとさえずるように笑っていた。
「……ねぇお姉様」
「あら、何かしらフラン?」
「私、ベテルギウス見てみたいな」
「……」
金の少女のその言葉に銀の少女は笑いを収めて再び沈黙で応えた。
冬の星を夏に見たいと願われたからではない。その願いがもっと別の事への遠回しな訴えだった為である。
「ベテルギウスだけじゃないよ。アルタイルとかシリウスとかもっともっと、いっぱい……」
「フラン」
金の少女が熱っぽく耳元で囁く言葉を、銀の少女が短い言葉で断ち切った。
ただ一言、しかし断固とした意思の込められた呼び掛けに金の少女は泣き出してしまいそうな顔になり、それでも、
「ねぇ、お姉様……」
「何かしらフラン?」
「なんで、なんで私を外に出してくれないの?」
「……」
その震える声を最後に本当に泣き出してしまったのか、銀の少女の耳にえずくような嗚咽が聞こえてくる。
金の少女の下で天井を見つめる銀の少女はそれを聞いて目を閉じた。そして、
「フラン」
銀の少女は泣いている金の少女の頭を抱いて、真摯な声音で囁き返す。
「本当は……私にこんな事を言う資格はないのでしょうね。けど、けどね、どうか信じてフラン、それは……」
……それ以来、金の少女が同じ問いを投げる事はなかった。
その時囁かれた言葉は時を経て記憶となり、薄れ、掠れ、それでも金の少女の中に残り続けた。
それはまるで星のようだった。暗い地下室で過ごす少女の胸に灯った小さな明かり。その言葉は今日まで確かにその輝きで少女の心を支えて来た。だから……
――始まりは、きっとその言葉だったのだろう。その輝きが彼女を留め、幻想の園まで導いたのだから。きっと、きっとその言葉こそが……
紅魔館の秘宝 ~Devil girls destiny~ 1st Day
――霧雨魔理沙がそれを見つけたのは、ただの偶然だった。
「おりょ? なんじゃありゃ?」
紅魔館。湖に張り出した出島に建つ、仮に幻想郷に観光案内が付くのなら、必ず名所的扱いを受けるだろう真っ赤なお屋敷。
今日も今日とてその地下図書館に突撃し、辛くも図書館の主たるパチュリーとの弾幕戦を制した魔理沙は戦利品としてかっぱらう……もとい、死ぬまで借る本を選んでいたのだが、ふとした拍子に物色していた本棚とその隣の本棚の間にホコリまみれの何かがある事に気が付いた。
「どれどれ……んーこりゃ暖炉なのか? なんだってこんなとこに? しかもまた凄いセンスだなおい」
"何か"の上に積もった埃を魔理沙が愛用の箒でバサバサ払えば、現れたそれは確かに暖炉のようだった。
しかし唯の暖炉にしては奇妙な点が二つあった。一つは場所、この暖炉、奇妙なことに本棚と本棚の間、約1m程度の隙間にひっそりと一つだけ佇んでいるのだ。図書館のだだっ広さを考えればこの大きさの暖炉が一つあったところで暖を取ることなど出来そうにないし、そも木と紙の集まりである本棚の間にぴったり収まっている暖炉になど火を入れられようはずもない。入れる奴が居るとしたらそれは余程のうつけか粗忽者かのどちらかだろう。そして、もう一つ変わった点が……
「おーホントにえぐいな、牙付き角付きの暖炉なんて初めて見たぜ。うお、中には舌まであんのか。無駄に凝ってるな」
見た目である。例えて言うなら沖縄のシーザー悪魔版と言ったところだろうか。そんな、とにかくいかつい感じの面相が断末魔の悲鳴が聞こえてきそうな捻れた形相でガパリと口を開けていた。そこに薪を入れて火を付けろということなのだろうが、薪を入れるのに少しばかり度胸が要りそうなデザインだった。しかし暖炉の前に立つのは霧雨魔理沙、伊達に悪魔の館に殴り込みをかけることを日常の一コマとしておらず、肝の太さは一級品である。暖炉が発するローマの真実の口すら先を譲りそうな迫力を物ともせず、好奇心の赴くまま悪魔の顔を弄り回す。
(ふーん、結構いい石材使ってんな。意匠も悪魔像として見れば中々だし、こりゃ……ん?)
中の方は意外と綺麗だった暖炉に頭を突っ込んではしゃいでいた魔理沙だったが暖炉内部の一箇所を見つめ、目を細めて口を閉じた。
魔理沙が目を止めたのは悪魔暖炉の舌だった。蛇の舌の様に二又に裂けた舌の彫刻、その付け根と床の接続部によくよく、本当によくよく注意深く見れば、僅かに隙間があるのが見て取れた。魔理沙はその舌の根元に指を這わせ触診する。確信があった、これはただの隙間でなく……
(へへっ、やっぱりな。この舌動きやがるぜ。ってことはもしかすると……)
魔理沙は歳相応の可愛らしい顔に、新発見の遺跡を見つめるトレジャーハンターの鋭さを宿し、悪魔の舌を押し込んだ。
すると、ゴゴゴゴと、石の擦れる重苦しい音を立て暖炉の底が開き……
「おお、隠し階段!! そうだよな、悪魔の屋敷の地下図書館なんてのにはこれぐらいの仕掛けがなくちゃ駄目だよな!!」
真っ暗な洞窟を下っていく隠し階段が現れた。振って湧いた素敵な展開に魔理沙は思わず手を打ってはしゃいだ。
怪しい紅屋敷の秘密階段、こんな露骨にお宝の匂いがする代物を見つけて血が滾らないようなら魔理沙は強欲の魔法使いなどと呼ばれはしない。
チロリと舌なめずりした魔理沙は懐からミニ八卦炉を取り出し、呪文を唱えて威力のない明かりを灯す。行動派魔法使い必須の即席懐中電灯の魔法である。
「ふっふっふ、そんじゃパチュリーが復活する前に行ってみましょうかね。ふふ……いかん、笑いがおさまらん」
そもそも、魔理沙が実家を飛び出してまで魔法使いなんぞやっている理由には、こういう如何にもなシチュエーションでの宝探しが大好きだからというのがカウントされたりする。故に魔理沙は鰹節を丸ごと渡された猫のような喜色満面の笑顔で、暗く冷たい石の階段を靴音立てて降りて行く。まだ見ぬ秘宝に思いを馳せて。
魔理沙は知らない、彼女の行く先にある"秘宝"が、彼女の求める金銀宝石や魔導書などとは多少、いやかなり異なるものであることを。
ゴゴゴゴと、魔理沙が降りていった後ろで悪魔の喉が再び音を立てて閉じられる。
――霧雨魔理沙がそれを見つけたのはただの偶然だった。
――しかしそれを、人は、あるいは……
――運命と、呼ぶのかもしれない。
………………
…………
……
カツン、カツンと、そんな足音さえもあまりに"らしい"出来過ぎた洞窟のような隠し階段。魔理沙がそれを降り始めて、どれほどの時間が立っただろうか?
夢中で友人宅でのトレジャーハントに興じていた魔理沙は今、腕組みをして唸っていた。というのも、プラスにせよマイナスにせよ何のイベントもなく階段の終点らしき行き止まりに到着してしまった為である。前を見れば壁、左を見ても壁、そして一縷の望みを胸にそっと右を見てもそっけなく壁。そんな一切の弁明を拒むようなどうしようもない行き止まりであった。
「……これはあれか? 私をからかう為にパチュリーが用意した婉曲なイタズラだったとか、そういうことか?」
だとしたらこの場で魔砲をぶっ放すのを堪えることは出来んな、例え私が埋まるとしても。
魔理沙は憎々しげにパチュリーが居るだろうと思われる上方を睨み、かの魔法使いの代わりに罪なき天井に怒りをぶつけた。おのれあの引き篭もりめ、私の純情を弄びやがって、と。
そうして魔理沙は数秒、あまりに近すぎる天を睨んでいたが……
「……お?」
怒りの表情から一転して、どこか呆気にとられたような顔で魔理沙はあくまで壁しかない左方に再び視線をやった。と言っても魔理沙が見ているのは壁ではない。緩やかに波打った金色のロングヘア、その左肩にかかった先端が微かにふよふよそよいでいた。
(確か階段の入口は私が入った後閉じたよな? そして終点が行き止まりなんだから風が吹くはずがないんだが……)
訝る魔理沙は更に自身の髪先を見つめて……気付いた。この風、下から上に吹いている。
魔理沙は慌ててミニ八卦炉をノーチェックだった床に向ける。 するとミニ八卦炉の明かりに照らされ、改めて下に降りるツルリとした綺麗な石の扉が現れた。
「……」
その扉と何秒か無言でにらめっこした後、魔理沙は再び上を向いた。すまんパチュリー、勘違いだったんだぜ。
そうして頭上の魔法使いに一瞬謝罪の念を送った魔理沙は、気を取り直して引き上げ式の扉を持ち上げ開く。そうして開いた入り口に向け、魔理沙は箒に跨り下降して……着地した絨毯の柔らかさに驚いた。
「うん? ここは……?」
魔理沙は降り立った部屋を見渡して、首を傾げた。
魔理沙の魔法の光に照らされた暗い部屋はどうにも見覚えのある部屋で……そう、レミリアだ、レミリアの部屋だここは。魔理沙は豪奢な天蓋付きベットに光を当ててそう気付いた。が、それが有り得ない事だともすぐに気付いた。何せレミリアの部屋は紅魔館の地上部にあるのだ。地下図書館から更に下降した所にある部屋がレミリアの居室であるはずがない。となると……、
「レミリアの部屋に良く似た部屋ってことか? 何でそんなもんが地下に……」
「何でって言われても、ここが私の部屋だからとしか答えようがないんだけど」
「そうなのか? そりゃ悪かったな。しっかし、ならなんで隠し階段なんて……お?」
……ちょっと待て。今、どこから応えが返って来た?
魔理沙は慌ててミニ八卦炉を四方に巡らし暗い部屋の中を再び見渡す。しかし……誰もいない。
(気のせい? いやそんなレベルじゃなくはっきり聞こえたぞ今のは。となると……姿を消す程度の能力? そんな能力の奴いたか? 紅魔館に)
魔理沙は油断なくミニ八卦炉を構えて襲撃に備える。
基本的に魔理沙は紅魔館において見敵必殺の認められた撃墜目標である。まぁ勿論それも状況によりけりなのだが、付近に一緒にお茶を飲むレミリアも、魔法について語るパチュリーもいない今は間違いなく撃っていい方の状況である。故に魔理沙は前後左右、四方何処から仕掛けてきても反応できるよう目を凝らし、耳を済まし、声の主の姿を探し求め……
「ねぇどこ見てるの? こっちだよこっち」
「……ッ!!」
……上、真上。しまった、空飛ぶ妖怪ひしめく幻想郷で、上方警戒を怠るとは――!!
反応は一瞬。魔理沙は飛び込み前転の要領で素早く声の元から距離を取り、身体を捻り後ろに向き直る。すると……
「あはは、すごいすごい。まるでネコみたい。まぁネコって昔に一回しか見たことないんだけど」
ボッ、と音を立てて天井のに照明の火が灯った。すると居た。紅魔館の名に相応しく紅々しく彩られた部屋の中でも一際紅い、何よりも深い紅が天井に立ってそこに居た。
いや紅だけではない。くるりと宙返りして床に降り立った少女は、しゃらしゃらと涼やかな音を立てる七色の羽をはばたかせ、金鎖を溶かしたような細い髪で頭を飾る、およそ紅一色とは言えぬ容貌であった。しかし、それでも魔理沙が彼女を紅と思ってしまったのは……
(あの瞳……冗談じゃない。ピジョンブラッドを埋め込んだってあんな深い色にはなんないぞ。あんなの、あんなの……)
魅入られるような深い紅、あんな紅を見たのは後にも先にもただ一度、あの緋色の月を背に負った……
『……ふふふ、こんなに月も紅いから』
あの吸血鬼の……
「ねぇ、目に触られると多分私が痛いと思うんだけど?」
「――ッ!!」
きょとんとした声に手を引かれて、どうにか夢想から回帰した魔理沙は慌てて手を引っ込めた。
いつの間に近づいてしまったのか、気づけば魔理沙は手を伸ばして紅い少女の目に指を突き込みそうになっていた。
そんなおいたをしかけた自分の右手を左手で抑えつつ、魔理沙はもう一度、今や目の前に居る少女をとっくり眺める。
(ふむ、よく見れば髪の色と羽……羽? まぁいいや、羽以外はあいつにそっくりだな)
冷静になってみれば一目瞭然、この少女は恐らく……
「お前、レミリアの姉妹か何かか?」
「わ、すごい。なんで解ったの? ……うん、私はフランドール・スカーレット。レミリアお姉様の妹だよ」
お姉様はフランって呼ぶよ、と続けて言葉を結んだフランはスカートの端を摘み丁寧にお辞儀して見せる。
そのキチンと背筋の通った礼は実に見事であり、彼女の幼い言動と比べるとどうにも違和感がある。しかしともあれ、このレミリアの妹を名乗る少女に敵意が無いらしい事を察した魔理沙は安堵の息を付きつつ、フランの礼に答えた。
「丁寧な挨拶痛みいるぜ、フラン。私の名前は森近霖之助、道具屋だ。よろしくな」
……もっとも魔理沙の答えは多分に礼を欠いていたというか嘘だったが。しかし別に魔理沙には悪気があったわけではない。この程度の冗談は幻想郷の少女達にとってはちょっと洒落のきいた挨拶のようなものなのである。ところが、
「あ、そうなんだ。よろしくね、りんのすけ。それで……」
「いや待った待った。悪かった、私が悪かったから信じないでくれ。私の名前は霧雨魔理沙、普通の魔法使いだぜ」
無邪気100%の微笑みと共にあっさり嘘を信じられた魔理沙は慌てて訂正する。ここまで素直な反応が返ってくるのは魔理沙の想定外だった。
魔理沙の訂正を聞いたフランは、目をパチクリさせ表情を消して首を傾げた。
「え、そうなの? ……嘘、ついたんだ。なんで? どうしてそんなことするの? ねえなんで?」
「な、なんでって……ただの冗談だぜ? というか騙されると思わなかったしな。霖之助なんてどう聞いたって男の名前だろ?」
目を大きく見開き異様な威圧感を漂わせて問い詰めてくるフランに気圧されつつも、しどろもどろに魔理沙は答えを返した。と言ってもその言葉はひどく正論で、私魔女ですと全身で主張している魔理沙がフラン以外に同じことを言ったところで信じる者など皆無だろう。
しかし、
「おとこ? ……男!? へ~そうなんだ。男って本でしか見たことないから解らなかったよ。へ~」
「本でしかって……マジか?」
「え? マジだけど?」
威圧感こそなくなったものの、フランの予想だにしないぶっ飛んだ言葉に魔理沙は唖然とした。
魔理沙自身、男の知り合いは多くないが、それでも見たことがないなどと言う奴はそれこそ見たことがない。
目の前の吸血鬼が突如珍妙な生き物に見えてきて魔理沙はうんうん唸って考える。……そして結論、
「……そうかなるほど。つまり、お前、箱入りお嬢様なんだな?」
「うーん、どっちかっていうと墓入りかも。地下だし、ここ」
「……おまけに吸血鬼だしってか?」
「そう、その通り!! 我は死者の王なりってね!!」
フランは楽しげにそう言って、にぱっと笑う。
ふむ、洒落を言えるだけの頭はあるから馬鹿ではない。そのくせ常識以前の常識も知らない。こりゃ本物だ。
魔理沙は得心したように一つ頷いた。
「そうかい。それじゃ王様、一つ聞きたいことがあるんだが」
「え? なに?」
「私は隠し階段を通ってここまで来たんだが、なんでそんなもんがここに繋がってるか知ってるか?」
「隠し階段……? ってそう言えば魔理沙、天井から生えてきたよね。そういう能力かと思ってたけど……隠し階段?」
魔理沙の言葉を聞いたフランは羽をはためかせ浮遊し、魔理沙が入ってきた"何事もなく平らな"天井をしげしげと見つめ検分し始めた。
それに気付いた魔理沙は肩を跳ねさせ驚いた。なにせ自分が入ってきた入り口が何事も無かったかのように消えているのだから。しかし、
「ん~……ここ、かな? えやっ!!」
「おお!? フ、フラン!?」
勢い良くフランが天井に頭を突っ込むと、なんとそのまま天井をすり抜けた。さらに続けてフランは腰元までの上半身も天井に突っ込み……当のフランもこの事態に驚いているのか天井の上から、お~とか、わ~とか感嘆まじりの声を上げては、室内に残った足をパタパタと嬉しそうに揺らしていた。
それを見て魔理沙は天井のカラクリの正体をようやく理解した。恐らく隠し階段の扉に幻術の類が掛かっていて部屋側からは常に天井の"絵"が見えるようになっているのだろう。この辺の仕掛けは流石悪魔の館と言ったところだろうか。魔理沙がその仕掛けに感心してふむふむと唸っていると、フランが床に降り立ち目をキラキラさせて魔理沙に駆け寄って来る。
「凄い凄い、隠し階段だよ魔理沙!! なんかこう、これでもかってぐらいの!!」
「おお!? そうだよな、その通りだぜフラン!! 解ってるじゃないか、あれぐらいこれでもかってのは中々ないもんだぜ!!」
「やっぱり!? だよね!?」
戻ってくるなり興奮して叫ぶフランとそれを聞いて相好を崩して喜ぶ魔理沙。そう、そうなのだ、隠し階段にしてもあそこまで"らしい"物となると中々ない。その辺のらしさに所謂ロマンとか信念とかそういうモノを持っているのが霧雨魔理沙という少女なのだが、知り合いの巫女やら何やらにその辺を語っても、よく解らんと今日までそっけなく流され続けてきたのである。それを考えれば初対面でいきなりそのロマンに理解を示すフランを見て、はしゃいでしまうのは仕方ない事なのかもしれない。
「怪しい秘密の階段!! そして行く手を遮る骸骨兵に苛烈なトラップ!! 吸血鬼の屋敷ってんならそれぐらいないとダメだよな!?」
「そうだよね!! そう思うよね!! だっていうのにお姉様意外とその辺保守的なの。私は前々から地下の廊下を全部迷宮化しようって言ってるのにっ!!」
「おお、いいなそれ!! 私は全面的に支持するぜその案!!」
「ホントに!? そう言ってくれた人初めてだよ魔理沙!!」
頬を赤く染め、高揚を閉じ込めたキラキラした目で語り合う二人。僅か数秒の会話で完全に意気投合した二人は肩を組んでレミリアに提案してみたい紅魔館改造計画を部屋中に響く声で叫ぶ。やれ庭に食人植物を植えろだの、やれ門にパズル式の鍵を付けろだの、やれ時計塔の最上階に宝箱を用意しろだの……宝箱?
「って、おおそうだフラン。お前の部屋に宝箱とかってないのか? 私はそういう展開期待してここまで来たんだが」
「へ、そうなの? ああ、でもうん、確かにあの隠し階段の先にはそれくらいあってもいいかも……」
「だろ? という訳でなんかそういう感じのないか? あるいは更に先を示す宝の地図でもいいぜ」
「うーん、あったかなぁ? 私、495年地下から出てないけど、そういうのは見なかったような気が……」
「……は?」
困ったように眉根を寄せて、とりあえず部屋にあったチェストを開こうとするフランと、何か聞き捨てならない台詞をさらっと言われた気がして呆ける魔理沙。そして魔理沙が我に返り、チェストを漁っているフランに声をかけようとしたところで、
「妹様、少々よろしいでしょうか? 以前頼まれていた本を小悪魔が見繕ってきたのでお持ちしたのですが」
コンコンと、そんなノックの音と共に完全で瀟洒なメイド、十六夜咲夜の声が部屋の扉の向こうから聞こえてきた。
その声を聞いた魔理沙とフランの反応は全くの正反対だった。魔理沙はげっ、と呻いて顔をしかめ、フランはチェストから顔を引き抜いて顔に笑みを灯らせる。
「あ、うん、いいよ入って!! それとね咲夜、今魔理沙が……」
(フラーン!!)
「もごっ!?」
明るい顔に相応しい明るい声音で咲夜に応えようとしたフランの口を小声で絶叫するという器用な真似をした魔理沙が素早く手で塞いだ。
(フラン頼むから、頼むから私がここに居ることは咲夜に黙っててくれオーケー?)
「むく? ……もぐふも」
口を自らが塞いでしまっている為、フランが何と応えたかは魔理沙にもさっぱり解らなかったが、とりあえずフランが頷いたのを見て手を放す。そして、再度打ち鳴らされたノックの音と、妹様? という訝しげな咲夜の呼び掛けに急かされるように魔理沙は慌てて天井の隠し扉に退却。その後、天井から腕一本だけ生やし、フランに向って親指を立てて見せるとその手もすぐに引っ込めた。そんな魔理沙の行動を見て、一人残されたフランは不思議そうに首を傾げる。
「……? えーと?」
「妹様ー? 居らっしゃいますかー?」
「あ、居る居る。居るよ咲夜、入って」
「はい、失礼します」
ようやく返って来たフランの返事を聞いて咲夜が背中で扉を押し開け部屋に入ってくる。何故手を使わず部屋に入ってきたかと言えば、その両手に本を何冊も抱えていたためである。その量は正に一抱えと言った有様で人の頭に振り下ろせば確殺できるであろう重量があるはずだ。そして、そんな咲夜の姿を……
(ほー、この幻術、扉開けるとこっち側から透けて見えるんだな)
天井裏に潜んだ魔理沙もまたその目に捉えていた。
ガラス板を一枚隔てたかのような部屋の中の光景を見て魔理沙は感心の吐息を零す。魔理沙自身、通り抜けたにも関わらず全く気付けなかった隠密性、そしてこのマジックミラー仕様、どうやら隠し階段にかけられた幻術は思ったより高度な物のようだった。
「それで咲夜、どの本持ってきてくれたの?」
「えーとですね。まず、幻想郷縁起、著:稗田阿未。未来記、著:聖徳太子。十五少年漂流記、著ジュール・ヴェルヌ。淑女の礼儀作法【中編】著:早乙女……」
ポケットから取り出したメモを読み上げ、羅列されて行く書名達。魔理沙が聞く限り本のジャンルはどれもバラバラで本棚から適当に引き抜いてきたかのような有様だったが、書名を全て聞き終えたフランは満足そうに頷いていた。
「ありがと咲夜。注文通りだったよ」
「恐れ入ります。と言っても、探したのは私ではないのですが。お褒めの言葉は小悪魔にも伝えておきます、きっと喜ぶでしょうから」
「うん、えっと……小悪魔によろしくね?」
「はい。では私は夕食の仕込みがありますのでこれで……あ、それとも何かお飲み物をお持ちしましょうか? 読書のお供に」
「あ、うん、そうだねお願……あ、いいや今は、欲しくなったら呼ぶから今は要らない」
「……? 解りました。その時はいつものベルでお呼び下さい。では失礼します」
魔理沙の方に思わず目をやり、慌てて咲夜の提案を断ったフランに不思議そうな顔をしながらも瀟洒なメイドは一礼してその場から姿をかき消した。残されたフランは一応辺りを見回し、ついでに扉を開けて廊下の左右も確認。誰も居ない事を確かめ魔理沙に手招きをした。それを見て魔理沙は天井裏から飛び降りる。
「ふぅ~、ったくあのメイドはいっつもいきなり現れるから心臓に悪いぜ。ありがとなフラン、黙っといてくれて」
「うん、それはいいんだけど……魔理沙、何で咲夜から隠れるの? 何か悪さでもしたの? お皿割っちゃったとか」
「うぐ、そ、それはだなその……っと、いやそれよりフラン、お前随分と読書家なんだな。半分ぐらいしか聞いてなかったけど、凄いラインナップじゃないか」
いえ泥棒稼業に励んでました。
……まさか本当の事も言うわけにもいかない魔理沙は誤魔化すように早口でそう言って机に置かれた本の塔を見上げる。机の高さを足した塔の背丈は魔理沙のそれを完全に上回っていた。しかもよく見れば机の横には似たような塔が三本鎮座している。
「本当に凄いな。こっちの横のは読破済みの奴だよな? こんだけあるなら読むのも時間かかるだろうに」
「あ……うん、私、時間だけならたくさんあるし……地下だと他にあんまりやることもないから」
「――――」
照れくさそうに、しかしどこか寂しげに呟いたフランの言葉を聞いて、魔理沙は眉を顰めた。
さっき引っかかったフランの一言。まさかそのままの意味ではあるまいと思っていたのだが……
「なぁフラン、お前さっき495年地下から出てないって言ってたけど……あれってまさか一回も出てないって意味じゃないよな?」
「……そういう意味だけど?」
それがどうかしたの? とでも言いたげなフランの顔を見て、魔理沙は自分の顔が凄まじい勢いで引き攣っていくのを自覚した。クラリときた。よんひゃくきゅうじゅうごねん? 本当に?
(その間空も飛ばず、森にも行かず、ずっとか? ずっと地下に居たってのか?)
頼むから嘘であってくれ、自身初めてのような気がするそんな思いを胸に、魔理沙はフランの大きな瞳を引き攣った顔のまま凝視する。しかし、その瞳にはどうにも嘘付き特有の揺らぎは見られない。というか、そもそもそんな嘘を付く理由が魔理沙には全く想像出来ない……故に魔理沙は静かに得心し改めて驚愕した。どうやらホントにマジらしいぞ、これ。
そして、そんな魔理沙の青褪めた顔を見て慌てたのがフランである。さっきまで明るい表情ばかり見せていた魔理沙が突然、余命宣告されたような顔になってしまったのだから無理もない。何が何やら解らないが自分の言った何かが魔理沙に衝撃を与えたらしいという事だけ察したフランは必死でフォローの言葉を考え……
「あ、大丈夫だよ魔理沙!!」
「……あん?」
何か閃いたようにパッと顔を明るくしたフランが、ベットに置かれていた古ぼけたコウモリのぬいぐるみを魔理沙の顔に突きつけた。
「これ、コウモリさん!! ええと、今は喋らないけど偶にお話してくれるの!! あと、えと……お辞儀の練習とか他にもやる事はあるから心配しなくても大丈夫だよ!!」
「……くぅ」
コウモリのぬいぐるみに、今喋ってくれたら嬉しいんだけどなーコウモリさーん、と話しかけているフランの姿が魔理沙の視界の中で滲んだ。無論、それは魔理沙の瞳から溢れそうになった涙のせいである。だって、だってコウモリだけなら私の為の嘘と解るけど、お辞儀の練習って言って部屋の姿見を指差すんだもの!! 魔理沙は涙を隠すためフランから逸らした視線の先に、一人で部屋の鏡に向かってお辞儀を繰り返すフランの姿を幻視した。……不憫過ぎる。
「フラン!!」
「わひゃ!? え、なに魔理沙?」
「外に出よう!! 大丈夫、私が一緒に行ってやるから!!」
「へ、へ?」
「いいから行くぞ!! 約半ミレニアムも引き篭もりなんてお天道様が許しても私が許さん!!」
「え、ちょ……」
力強い叫びと共にフランの手をがっちり掴んだ魔理沙がズルズルと扉の方へフランを引きずっていく。495年物の引き篭もり、外がどんだけ怖いか知らないが、このまま見放してはアウトドア派魔法使い、霧雨魔理沙の名折れである。
「ちょ、魔理沙? 私、外に出たら……」
「ええい、聞く耳持たん!! お前も一回屋根の上でひなたぼっこしてみろ、こんなホコリっぽい地下に引き篭もるのが阿呆らしくなるから!!」
「や、私、吸血鬼だからそれやったら外でも辺りがホコリっていうか灰っぽくなるんだけど!? ……じゃなくて、待って本当に待って魔理沙!!」
「知らん!! 私はもうお前を外に出すって決めたんだ!! この霧雨魔理沙に二言はなーい!!」
「ええと、そんな事言わないで話を……って、ああもう、とにかく待ってってば!!」
「ぐほあっ!?」
魔理沙の強気な態度に押されっぱなしだったフランが、初めて本気の抵抗に出た。と言っても、ただ足に力を入れその場に踏みとどまったというだけなのだが。しかし、フランの手を引いていた魔理沙のつんのめり方はあたかも散歩に連れていた仔犬が、突如リードの先で巨岩に変じたかのようだった。
「く、お……意外と、力持ち、なんだな、フラン」
「……だから、私、吸血鬼だからね? 念の為もう一度言うけど」
肩を抑えて蹲る魔理沙に最初はやり過ぎたかと心配そうな視線を送っていたフランだったが、返って来た言葉とよろける魔理沙の仕草にダウンしたボクサーを演じるような冗談の匂いを感じ、呆れた顔でそう言った。
「とにかく、私は外に出ちゃ駄目なんだよ魔理沙」
「いーや、そんなことないぜフラン。ていうかお前が言う通り、お前は吸血鬼なんだ。外に出るのに一体何を怖がるってんだ?」
「うん? ……別に怖いことは一個もないけど?」
「あん? ……じゃなんで外出ないんだ?」
フランと魔理沙は互いに顔を見合わせ首を傾げる。未だ互いの齟齬に気付かない二人だったが、その行き違いもフランの一言によってあっさり解消された。
「それは……出たらお姉様に怒られちゃうからだけど……」
「なんだと?」
魔理沙の顔が一気に険しくなった。
魔理沙は今の今までフランが地下に居るのは自分で望んでの事だと思っていた。なにせ何度も言うようだがフランは吸血鬼なのである。およそ妖怪の最強種と言っても過言ではない吸血鬼、その吸血鬼を望まぬ地下に押し込めることなど出来ようはずもない。
……ただ一人、同じ吸血鬼であるレミリア・スカーレットを除けば。
「じゃあ何か? フランお前、本当は外に出たいのにレミリアに閉じ込められてるっていうのか?」
「と、閉じ込めるって……違う、違うよ。お姉様はそんな事しないよ。ただ、外に出るのは私の為にならないからって……」
「お前そりゃ……いや、いいや。それこそ言ったってしょうがないな、じゃあ聞くけどさフラン」
「なに?」
「お前は外に出たくないのか? レミリアとか、その、為にならないとかいう話を取っ払った所にある……フランドール・スカーレットの意思は何て言ってるんだ?」
「…………」
魔理沙が滅多に見せない真剣極まる顔でそう言われて、フランは俯いて黙り込んでしまった。フランは無言であった。ただの一言も発しはしない。しかし、
(ここで黙ったら本当は出たいですって言ってるのと変わんないんだがな。……この辺、ホント初いよなこいつ)
魔理沙は腹芸の出来ない素直なフランの様子に苦笑した。何というか、覚えがある。この初さには、覚えが。それは自分が周囲の反対を押し切って、家を飛び出したばかりの頃で……
(うん、よし)
俯き何も言えないフランにかつての自分を重ねた魔理沙は心の中で一つ頷き、フランの肩にそっと手を置いた。その手に込められた優しさを感じてか、フランは気弱気におずおずと顔を上げ……太陽のような笑顔の魔理沙と顔を合わせた。
「フラン」
「うぅ……なに? 魔理沙?」
「お前の気持ちは良く解った。言わずとも、私にはよーく解る。だから、お前にはこんな時古くから先人達が、励みにしてきた言葉を教えてやる」
「え……そんなのあるの?」
「ああ、この言葉はかつて何人もの迷える子羊を救ってきたんだ」
魔理沙はそう言ってフランの顔を聖母のような慈愛溢れる顔で見つめ、その箴言を口にした。すなわち、
「犯罪はッ!! バレなけりゃオッケェ!!」
「……ふぇ?」
ビシリと親指おっ立て、今度は聖母様にはとても見せられないような邪悪な笑みを見せた魔理沙は、続けて天井に目をやった。正確に言うと、有ると解っていてもさっぱり見えない隠し階段に。……魔理沙の笑みが一層悪どく、楽しげに深められた。
………………
…………
……
抜き足、差し足、忍び足。
ぬきあし、さしあし、しのびあし。
紅魔館の真っ赤な廊下、ふかふかの絨毯が敷かれたそこを、こそこそ蠢く影二つ。
足音潜ませ、そっと静かに歩み行く、小さな小さな影二つ。
……抜き足、差し足、忍び足。
「抜き足、差し足、忍び足」
一度止まって周囲確認……
「一度止まって周囲確認……」
…………
「フラン」
「え? なに、魔理沙?」
「口に出して言っちゃ駄目だ。それじゃ足音を忍ばせても声でバレる」
「あ、そっか。ごめんなさい」
素直にペコリと頭を下げて謝るフラン。それを見た魔理沙は一瞬、顔を引き攣らせ、解ればいいと言って再び忍び足に戻る。
普通の魔法使いこと霧雨魔理沙。周囲にひねくれ者の変わり者(当人含む)しかいないので、憎まれ口なしの素直な謝罪は、どうにも苦手なようだった。
……さて、魔理沙とフランが歩いているこの廊下は当然の事ながら地下の物ではない。ここは本来フランの出入りが禁じられている紅魔館地上部、それも最上階である四階の廊下であった。そこを行くフランはやはり落ち着かないのか顔をきょろきょろさせ辺りを何度も見回している。……いや、その忙しない動きが不安による物であるのも確かであろうが、それだけでないのもまた確かな事であった。他の誰でもない魔理沙にはその事が良く解った。なにせ隠し階段を登って地下図書館を隠れながら渡り切り、地上部に繋がる扉を開けた瞬間……
『……凄い、世界が明るいよ』
フランが零したその一言で不覚にもまた涙がちょちょ切れた魔理沙であった。何せ紅魔館は日当たりを悪くする為に窓を北向きに作っているので昼でも薄暗いのである。しかしそれでも……頼りない燭台の蝋燭のみが明かりの地下に比べれば格段に明るい。
薄暗い廊下を明るいと評するフランの姿に胸を痛ませながらも、やっぱりこいつを連れてきて良かったとフランの感激した横顔を見て魔理沙は改めて思ったのだった。そして同時に、
(よし決めた。レミリアの奴、今回は容赦なしで凹ませてやる。金髪美少女の自由を奪うのは何より重い罪なんだぜ)
くっくっくっ、と人攫いの魔女のような笑い声を零しつつ魔理沙はレミリアへの怒りを燃え立たせた。
はっきり言ってしまえば、魔理沙はフランを地下に閉じ込めるのが彼女の為になるというレミリアの言い分を一ミリ足りとも信じていなかった。普通そんなのはただの言い訳というか自分を正当化する為の嘘だろうと。
確かに、貴方の為なのよと言って我が子を地下に閉じ込める母とかいうのは、いわゆる児童虐待の典型である。その事は魔理沙の滅茶苦茶な言い分であっさり付いて来たフランを見れば明らかであった。そう、バレなければ大丈夫というトンデモナイ言葉でフランは本当にあっさり魔理沙に付いて来たのだ。それはすなわち、フランが本当は外に出たくて仕方がなかったという証左に他ならない。それを無理やり押し込めるというのは……やはりどう考えても犯罪的である。
……しかし、そうレミリアを疑る一方で魔理沙は、
(何やってんだかなーあのチビッコ吸血鬼は。大方、くだらねー事情でこうなってるんだろうに)
と、こうも思っていた。実のところ、レミリアと魔理沙の付き合いというのは結構深い。そも、住人以外で紅魔館を頻繁に出入りする者というのが魔理沙の他にほぼ居ない。その上、魔理沙は吸血鬼として五百年を生きるレミリアから見ても面白いと思えるような人間で、しかも彼女がご執心の博麗霊夢に最も近しい者の一人なのである。必然、紅魔館で見かける魔理沙の姿が彼女の目を引く事も多く、そのまま一緒にティータイムと洒落込む事も少なくない。そんな風にレミリアと共にカップを傾けて来た魔理沙からすると……今回のフランに対する仕打ちは非常にレミリアらしくない。魔理沙からすればレミリア・スカーレットというお嬢様は短気で喧嘩っ早いが決して陰湿ではない人格の持ち主である。そんな奴が怒って手袋を投げつけるならともかく拉致監禁……はっきり言って有り得ない。そう言い切れる程度には魔理沙はレミリアの事を知っていた。故に魔理沙は……
(多分、おっそろしくどうでもいい気まぐれな理由でフランに出るなって言っちゃったけど、撤回するタイミングなくしてズルズル今日まで来ちゃってんだろうなー)
と、そう結論付けていた。あんまりと言えばあんまりな結論であったが、レミリアの性格を考えるとこれが一番しっくり来る結論なのである。勿論、そんな理由で495年も妹を閉じ込めるって有り得んのかよ、という意見も魔理沙の脳内には浮き上がってきたが……実はこれも有り得たりするのだ。レミリアが人間でない事を考慮すると。この辺もまた、妖怪に挟まれて生きている魔理沙は良く知っていた。悠久の時を延々と生き続ける妖怪と、人生長くて百年ちょっとの人間とでは時間の感覚にかなりのズレが有ることを。知り合いの妖怪に十年ぐらい前の話をちょっと前という前置きと共に語られ混乱する等というのは今でもザラにある。
そしてその辺を勘案し、フランの現状を解決すべく魔理沙が考えたのが……
「魔理沙、魔理沙」
「……ん? 何だフラン?」
「ええと、咲夜の部屋通り過ぎちゃってるけど……いいの?」
「おお、悪い悪い。ちょっと考え事しててな。見逃しちまった」
フランに袖を引かれ振り返った魔理沙は頭を掻きつつ後ろ歩きで三歩ほど後退した。そうして魔理沙が立ったのは"Sakuya Izayoi"と洒落た飾り字で書かれたネームプレートの掛かった部屋の前だった。そう、この部屋こそは誰あろう紅魔館の諸事一切を取り仕切るメイド長、十六夜咲夜の私室であった。
……別名、紅魔館最危険地帯とも言う。だって、ネームプレートの下に"勝手に入るなトラップ有り"って書いてあるんだもの。上の名前部分とのギャップが激しい威嚇的な字体とバックの髑髏マークの不吉さに、さしもの魔理沙もつぅと一筋冷や汗を流した。なにせ、
「さて……んじゃ行くかフラン」
「う、うん……って魔理沙、本当に入るの? その……咲夜の部屋に?」
「おう、レミリアの部屋の鍵があるのは、ここしかないからな。行かざるを得ない」
「うぅ……本当にいいのかなぁ?」
「いいんだってば。さっきから言ってんだろ、バレなきゃ問題なし!!」
「うぅ~」
魔理沙とフランは今からこの紅魔境の最北たる咲夜の部屋に侵入しようとしているのだから。
フランを閉じ込めているのがしょうもない理由であろうと推測した魔理沙がフランを地下から出すために考えたのが、同じくしょうもない交渉材料をゲットしてレミリアを説得しちゃおうぜ、というプランであった。この場合のしょうもない交渉材料というのはいわゆる日記とか自作ポエムとかえっちぃ本とか……あるいは普通の恋愛小説とかでもあの吸血鬼なら恥ずかしがりそうな気がする。……要するにそういう物をレミリアの部屋から拝借しちまおうぜ、という算段である。
しかし、ここで問題になるのが言うまでもなくレミリアの部屋の鍵である。レミリアの部屋の鍵はパチュリー謹製の難解極まる魔法錠であり、業腹ながら鍵なしでこれを解錠するのは些か魔理沙の手に余る。そこで魔理沙が目を付けたのが咲夜の部屋にあるレミリアの部屋の合い鍵であった。これは魔法を使えない、けれどレミリアの部屋に出入りする事の多い咲夜に発行された物で、オリジナルの鍵と変わらない働きを果たすコピー品であり、普段は咲夜の部屋にある金庫に厳重に収められている。
ちなみに魔理沙が何故そんな事を知っているかというと、勿論前々からレミリアの部屋にあるらしいレア本目当てに狙っていたためである。日頃の悪行がこんな風に都合良く転がる辺りに、霧雨魔理沙という少女の強運っぷりが伺えた。
「でも魔理沙、そもそも咲夜の部屋にも鍵はかかってるよ? どうやって入るの、これ?」
魔理沙のプランに、外に出られるようになるかも……けど、お姉様に悪いしなぁ、という感想のフランはどうにも歯切れが悪かった。長年閉じ込められていたにも関わらず未だ心配が覗く辺りにフランがまだレミリアを姉として慕っていることが伺えた。しかし、いやだからこそ魔理沙は、
(ここで私が一肌脱いで、姉妹仲直りのキッカケを作ってやらにゃ普通の魔法使いの名が廃るってもんだぜ)
と、張り切っているのだった。そう、やり方はどうあれ魔理沙の目的はしっかりフランとレミリアの関係を最善に持っていくことなのだ。故に魔理沙は躊躇しない。魔法を嗜まない咲夜の部屋の……機械式の鍵を前に帽子の中からピッキングツールを取り出すことにも、全く躊躇しない。
「くっくっくっ、咲夜め。幻想郷で手に入る中では最新式の鍵を使ってる辺りは流石だが……ピンシリンダー錠なあたりまだまだだな。私に喧嘩売るのは十年早い」
言いつつ魔理沙は、ガンベルトのような収納具に収まったL字のテンションレンチを鍵穴に押し込み捻り、次いで差し込んだピックで鍵の奥のピンを手先の感覚を頼りに押し上げる。カチャカチャと小さな金属音を立てて魔理沙が二本のピックを細心の注意で操っていく。
ピッキングという言葉を知らないフランでも魔理沙の雰囲気から何か良からぬことをやっているのは察しがつくのか、ごくりと緊張感溢れる様子で唾を飲み込んだ。そして、
カチャリ
「ふ、ミッションコンプリート」
「あ、開いちゃった……」
魔理沙が弄っていた鍵穴が90度回ったのを見て、フランが呆然とした様子で呟いた。それもそのはず、魔理沙が咲夜の部屋の鍵を開けるのに要した時間、なんと僅か20秒。まず熟練の手管と言っていい犯罪的な鍵開けを初心な少女が目撃したのである。その心中に走った衝撃たるや……
「す、凄いよ魔理沙!! まるで冒険小説みたい!!」
「ハッハッハ、そうだろうそうだろう。何せいつか宝箱とか発見した日の為に磨いてきた技だからな。もっと褒めていいぞフラン」
「いよっ、白黒トレジャーハンター、魔法使いにして探検家、この女インディ・ジョーンズ!!」
「ハッハッハッハッ!!」
感激の一言だった。フランドール・スカーレット、好きな小説は冒険物。この二人、趣味の一致という点で本当に望ましいコンビのようだった。
フランに褒め称えられた魔理沙は隠密行動であることも忘れて高笑いを上げつつ、再び帽子に手を突っ込み中を探る。そんな魔理沙の右手をフランは期待に満ちた瞳で見つめる。その瞳は如実にこう語っている、次はどんな秘密道具が出てくるの? ……尻尾を振りたくる仔犬のような期待を受け、魔理沙が帽子から取り出したのは……
「……何それ? ていうか何してるの魔理沙?」
「んー何かって言うと、まぁ用心だな。咲夜の部屋は本気で物騒だからな」
「物騒?」
「ああ。前に一回だけ咲夜の部屋に忍び込もうとしたことがあるんだが……」
フランにそう応えつつ、魔理沙は部屋の扉の前に四つん這いになって頬を床につけ、扉の下から自作の内視鏡を突っ込み部屋の内部を探る。
部屋の四方の壁と、フランに不意を突かれた経験を活かし今度は天井のチェックも忘れない。その結果……
「うおー、え、えげつないな咲夜のやつ。前々から思ってたが、あいつ本当にメイドなのか?」
「……魔理沙?」
「あー、いや、ちょっと待ってなフラン。開けたら解るから」
内視鏡を帽子の中に放り込みつつ立ち上がった魔理沙は、彼女の一連の行動に訝しそうな顔をするフランを後ろに押しやりつつ、そっと扉を開く。すると、
「ひゃっ!?」
「速っ!! 一体どんなバネ使ってやがるんだ、あいつ」
魔理沙が扉を開いた瞬間、大開きにした扉の影に隠れていた魔理沙とフランの前をナイフが一本、二本……合計二十本横切って行く。その威力の程は扉正面の石壁に楽々突き刺さっている辺りから推して知るべし。もし、魔理沙達が扉の正面に立っていれば、間違いなく串刺しの憂き目に遭っていたに違いない。そんな物騒極まるトラップを目撃したフランは初めて見る本物のトラップに喜ぶ事も忘れて顔を強張らせた。
「わ、わー……さ、咲夜って実は怖いんだねー。いつもはすっごく優しいのに」
「や、フラン、騙されてるぜそれ。あいつは私の事見かけたら問答無用でナイフ投げてくる奴だからな? しかも時間止めて百本ぐらい」
「へ、へーそうなんだ……咲夜が、騙して……?」
「っと、待ったフラン。まだ前に出ちゃ駄目だ」
「え?」
魔理沙の冗談めかした言葉を聞いてブツブツと何事か呟きながら扉を潜ろうとしたフランを、魔理沙が首根っこ引っ掴んで引き戻す。すると、
「ふやっ!?」
「……二段目は上と前、そして左右からの挟撃。マジで殺る気だな、あのメイド」
風切り音と共に再び飛び出すナイフ群。しかも今度は前方からだけでなく扉を入ってすぐの空間を全方位から刺すように、天井そして左右の壁からも飛び出てくる。……一度トラップを回避して油断したところを本命の包囲射撃で確殺する。魔理沙の言う通りえげつない時間差トラップであった。
(し、しかもナイフがNot銀製。そして壁に刺さったナイフの高さがちょうど私の急所位置……ターゲットは完全に私だなこりゃ)
人間にあんな速さのナイフが刺さったら本当に死ぬんだが。壁に刺さったナイフに目をやった魔理沙はそれに込められた咲夜の本気を察して改めて戦慄する。しかし……
「ふっ、いかに本気だろうと当たらなにゃ意味がない。いくぜフラン」
「う、うん」
トラップを回避しきった事に気を良くした魔理沙が意気揚々、扉に向かう。
そしてフランはそんな魔理沙の後ろにおっかなびっくり続く。どうやらいつも優しいメイド長の意外な一面を見て怯えているようだった。
「はっはっは、心配すんなフラン。見た感じ、もうトラップはないからな」
「う、うん、でも……」
「平気だ平気。ほらこうしてれば怖くないだろ?」
「あ……うん!!」
フランの怯えた様子を見て、魔理沙はフランの手を握る。その手から伝わる温かさ、そして頼もしさを感じとり、萎んでいたフランの元気がたちまち元通りの大きさを取り戻す。そんなフランを見て魔理沙は一つ満足気に頷き……そして、ついに紅魔館最危険地帯:咲夜の部屋に最初の一歩を踏み出した。
その一歩は確かに小さな一歩かもしれない、しかしフランドール・スカーレット解放を目指す、普通の魔法使い、霧雨魔理沙にとっては大きな……
――ガゴン!!
「……お?」
「……へ?」
大きな一歩であったのだが、その一歩を踏み出したらなんか床が割れて開きやがりましたよ? あー、つまりこれは……
己が身が重力に囚われる前の一瞬、魔理沙はその最終トラップの名に思いを馳せる。
其はトラップの原点にして頂点、其は幾多のサーガに名を刻む偉大なる一つ、其の名は……
「落とし穴だとぉぉおおおおおおお!!?」
「魔理沙ぁぁああああ!?」
叫ぶ通りのトラップに引っかかった魔理沙が深い縦穴に飲み込まれる。そうなってしまえば奈落の底まで一直線。何人たりとも逃れられない地獄の底への一本道。
……魔理沙一人ならそうなっていたはずである。
「う、うぅううう……」
「フ、フラン平気か!? 無理そうなら離していいぞ!?」
「へ、平気……一回耐えちゃえば魔理沙ぐら……いっ!!」
「うおぅ!?」
魔理沙と手を繋ぎ、かつ彼女の後ろに続いていた為、落とし穴に落ちずに魔理沙を支える事に成功していたフランが、掛け声と共に小柄な体躯に似合わぬ膂力で魔理沙を一気に引き上げる。
勢い余ったフランはそのまま尻餅をついてしまい、魔理沙も引っ張られた勢いのまま床を転がる羽目になったが、見事落とし穴の危険域から脱出を果たした。
「はー……」
「フ、フラン……すまん、正直助かった。私もこれはちょっと予想してなかった……」
「う、うん……私も、びっくりした……」
しばし二人揃って激しく息を継ぐ。
そして、その動悸が収まると二人は開いた落とし穴をそっと上から覗き見た。
「ふ、深いねー。ここ、四階なのに……」
「わ、わざわざ下の階の壁を縦に掘ったのかあいつ。……意外と暇なのか? 紅魔館メイド長」
底の見えない暗い穴に二人それぞれ感想を述べる。しかし……
「なんで落とし穴? こんなの飛べる人なら意味ないのに」
「あーそれは多分……私用なんだろ、これも」
「え、魔理沙飛べないの? あ、そういえばさっきは飛んでこなかったよね」
「あー飛べないっていうか……」
決まり悪そうな調子で魔理沙はわしわしと後ろ頭を掻いた。
……実は魔理沙は魔女としてのこだわりから飛行の術の発動条件に箒というアイテムをあえて組み込んでいる。そのため空を飛ぶのに必ず箒を取り出すというワンアクションが必要になるのだが……
「穴の直径が狭いだろ? 落とし穴っていうのは普通、手とかで突っ張れないようにある程度広く作るんだが……」
「これだけ狭いと箒には乗れないね。ていうか取り回すのも無理そう」
「ああ。つまり、そういうことだろうな」
どんだけ私をマークしてるんだ咲夜の奴は……人、というか魔理沙が丁度一人入るぐらいの大きさの穴を見て魔理沙の背に冷たい物がぞわりと走る。
しかし、実のところ話は簡単で、そもそも咲夜の部屋に不法侵入を試みる無謀な輩など魔理沙ぐらいのものだというだけの事なのだが……当人は気付いていないようであった。
「とは言え、これでもうトラップは本当に最後だろうな。こんだけ私をマークしてるなら間違いなく」
「え、なんで?」
「私一人ならここで落ちて終わってたから。私は忍びこむ時は基本一人でやるからな。フランを連れてるのは、いくら咲夜でも予想できないだろ」
恐ろしい事であるが、咲夜はこの部屋まで踏み込んで来た場合の魔理沙の行動を読み切っている節がある。二段式のナイフトラップを魔理沙が見切る事も、ナイフの威力と配置から本気を汲み取る事も、その本気を見てかつそれを躱した事で魔理沙が油断するだろう事も。そして、そう読み切った上での三段目の落とし穴。……まさに完全の名を冠する咲夜らしい隙のないトラップ群である。しかし、それだけの洞察力を持つという事は、このトラップを魔理沙なら越えられないという事すら読み切ってしまうという事であり……
「四段目を用意する必要がないって事も解っちまうっつー事だ」
「おお、なるほど」
上機嫌で自らの推理を話す魔理沙と、それを聞いて感嘆の言葉を零すフラン。そして、その魔理沙の推理が正しい事は二人が今現在、部屋のチェストを開いてその中の金庫を目前にしている事から明らかであった。……まぁ、落とし穴を越える際わざわざ宙を飛んでいたあたり、多少はビビっていたのかもしれないが。
「はぁん、ダイヤル式とは手抜かりだな咲夜。トラップの出来に慢心したか?」
金庫の鍵を見て魔理沙はニンマリと笑い舌舐めずり。魔女帽の中から聴診器を取り出しダイヤルの横に貼り付ける。
カチカチ、カチカチ……フランが固唾を飲んで見守る中、魔理沙がダイヤルを回す音が静かに響く。
そして……
「ふ、イッツ・パーフェクトワーク」
「お、おおー、開いた、開いたよ魔理沙!!」
トラップ回避に苦労したのが信じられないぐらいあっさりと金庫の扉が開く。
それを見て二人は思わずハイタッチ。難関を乗り越えた喜びを噛み締める。
「わ、わ、なんかすっごい……こう、胸の奥からなんかこうっ!?」
「はっはっは、お前なら解ってくれると思ってたぜフラン。今お前の中から沸き上がってくるのが冒険の喜びってやつだ。私みたいのはな、それに中毒しちまってんだよ」
「う、うん、解るよ……なんか、なんかーーッッ!!」
「お、おおう解った、解ったから暴れるなよフラン」
その身に溢れる得体の知れない喜びに耐えかね、腕を振り回し身悶えするフランとそれを羽交い絞めにしてどうにか抑える魔理沙。流石に吸血鬼だけあって抑えるのに苦労したが、フランも本気ではなかったのかどうにか抑えられた。
そうして、難関クリアの興奮が一段落すれば二人の視線は必然……
「ね、ねぇ魔理沙……中、見てみていい?」
「ん、見てみろ見てみろ。正直、今回の一番手柄はフランだからな。お前が居なきゃ今頃どうなってたか解らん」
「そ、そうかな?」
「おう、お前が居てくれて良かったぜフラン」
照れたように顔を赤らめるフランの頭をポンポンと叩いて、魔理沙はフランをチェストの方に押し出した。そうして、この部屋で初めて魔理沙の前に立ったフランはおっかなびっくり金庫の中に手を差し入れ……
「……あった。これだよね、魔理沙」
「おお、それだ。間違いない。そのカッチリした術式は間違いなくパチュリーのだ」
重要そうな書類やら、高価そうな宝石やらに目もくれずフランが取り出したのは、六芒星の描かれた六角形の木版で、形状としては魔理沙の持つミニ八卦炉に近い。ただし、そこに込められたのは動ではなく静、パワーの過多よりロジックの精密さに重きを置いた魔理沙とは正反対の、正しくパチュリー・ノーレッジのあり方を体現するかのような魔法であった。
「うっしっし、さーてあとはこの術式を魔理沙さんお手製のコピー術式で解析しまして……どうしたフラン?」
「え、あ、うん……それ……」
「あん? ってなんだそれ?」
ミニ八卦炉から出る青白い光の魔方陣の上に木版を置いて解析していた魔理沙が、何か困惑するような様子のフランに気付いて振り向くとフランは金庫の片隅を指差した。その先を見た魔理沙は思わず自身が目にしたそれに手を伸ばした。何故かといって、それは金庫の中身として、何より十六夜咲夜の持ち物として似つかわしくない物で……
「……ぬいぐるみ、だよな?」
「う、うん、多分」
だよな? 多分。そんな疑問気な言葉が本来必要無いほど、それはぬいぐるみだった。結構な年代物なのか、よく見れば何度も補修した跡が見受けられる。
「それにこれ……レミリアか? お、こっちは美鈴にパチュリー、おっと小悪魔までいるな」
可愛らしく二頭身ぐらいにデフォルメされたぬいぐるみ。それがフランが指差した金庫の中身であった。それを確認した魔理沙はレミリアのぬいぐるみとパチュリーのぬいぐるみをそれぞれ手に取って、右左と次々見遣り……、
「に、似合わねー」
思わず、といった調子でそう呟いた。
いやいやいや、解ってるぜ? 咲夜だって私とそう年も変わらない女の"子"だって解ってるぜ? 大人びてるけど、メイド長だけど、トラップしかけちゃうけど。だけど、あのクールビューティーな咲夜が金庫にぬいぐるみって、しかも自分と一緒に住んでる奴の。それは流石に……
ぐるぐる回る頭の中、魔理沙は思わず妄想する。それは例えば、こっそり金庫からぬいぐるみを取り出して大事そうに頬ずりしてる咲夜だったり、あまつさえぬいぐるみと一緒に幸せそうな笑顔で眠る咲夜だったり…………おお。
「おお~、か、可愛い。咲夜ちゃん可愛いんだぜ。うふ、うふふ」
咲夜のそんな姿を想像して、思いの外似合うというか普通に可愛らしい事に気付いてしまった魔理沙が、側にあったベットをばしばし叩いて、身を震わせた。
新発見、新発見だぜ、咲夜は可愛い系、とそんな事を考えてニヤけている魔理沙の顔はそれはそれはだらし無くやに下がっており……そんな魔理沙を困ったような顔で見つめる悲しげな瞳が一対。その視線にハッと気付いた魔理沙は慌てて真面目な顔を取り繕う。
「いやぁ、意外だけど咲夜の奴も可愛いとこあるんだな!! なぁフラン、あっはっはっは!!」
「う、うん……そうだね」
「……フラン? どうし……ッ」
フランの前では頼れる先輩の顔をしていたかった魔理沙が誤魔化すようにそう叫ぶとフランは変わらず戸惑っているような顔でぎこちなく頷いた。それを見て魔理沙はフランの様子が何かおかしい事にようやく気付き……ほぼ同時にその原因にも気が付いてしまった。咲夜の金庫に入っていたぬいぐるみはレミリア、美鈴、パチュリー、小悪魔の四人分で……それで全部"フランは居ない"。
その事に気付いた魔理沙は冒険の興奮から一転、氷の塊が突然肺腑の中に現れたような気分になった。魔理沙ですらそれなのだ、果たしてフランは今どんな気持ちなのか?
「あー……な、なぁフラ……」
「そっちは見つかった!?」
「ううん、居なかった。後は……客室の方かなぁ?」
「良し、それじゃそっちの方に行くわよ!!」
「……ッ!!」
フランを気遣い肩を叩こうとした魔理沙が、弾かれたように扉の方へと振り向いた。扉の向こうからの声を聞くまですっかり忘れていたが、魔理沙はパチュリーを撃墜した足でそのままフランを連れ出しているのだ。そしてフランの事はともかく、出て行く時もだいたい派手な魔理沙がまだ紅魔館の中に居るという事はパチュリーが復活すれば簡単に察せられる。となると……
(これ以上長居するのは不味いか? 私はともかく、あんまり妖精メイドが捜索に駆り出されるとフランをこっそり帰すのが難しくなる)
魔理沙は扉を見つめてここまで来た道のりを思い返し、そう結論した。とはいえ、今の何か危うい感じのするフランを置いて行く訳にも……
「魔理沙!!」
魔理沙が懊悩しているとフランがそんな風に魔理沙の名を呼んだ。魔理沙はその声に自分でも大げさに思う程驚いた。何故かと言えばフランのその声音が……
「今のって魔理沙を探してるんだよね? だったら早く逃げた方がいいんじゃない? 咲夜の部屋で見つかるのは不味いでしょ」
なんなら手伝うおっか、と魔理沙に手助けを申し出るフランは果たして声音通りの明るい笑顔だった。扉の方から改めてフランに目を向けた先にそんな快活な顔を認めて魔理沙は思わず呆気に取られた。
「ん? 魔理沙どうかした?」
「え、ああ、おう。別に何ともないぜ。そうだな、これ以上ここに居るのはちと不味いな」
フランのあっけらかんとした様子に魔理沙は少々動揺しつつも、かぶりを振ってそれをどうにか思考から追い出した。
そうだよな。考えてみたら、自分のぬいぐるみを咲夜が持ってなかったってだけだもんな。ていうか、紅魔館の住人の数を考えたらぬいぐるみになってる奴の方が少ないぜ。
魔理沙はパチュリーの図書館に突撃する度湧いてくる妖精メイド達の顔を思い浮かべて得心する。となれば、今重要なのはフランをこっそり自室まで帰す策で……魔理沙は鍵を解析中だった魔法陣の色が完了を示す緑色に変わっているのを横目で確認してから、おとがいに手をやってしばし思考に耽る。
「……ふむ。フラン一つ聞くが、お前ここまで来た道っていうのはしっかり覚えてるか?」
「え、うん、覚えてるけど?」
「よし、それじゃあ今から私は派手に暴れながら来た道と逆方向に撤退して行くから、お前はその隙をついてこっそり部屋まで戻れ。出来るな?」
「出来るけど……魔理沙、そんな事ばっかりしてたら本当に咲夜に怒られちゃうよ? いいの?」
「はっはっは、そんなセリフが出る辺りはまだまだヒヨッコだなフラン。メイドを怖がってちゃ冒険はできないぜ? ってか、怒る怒られないなら部屋に忍び込んだ時点でアウトだしな」
勿論、バレないようにするんだが。魔理沙はそう言ってレミリアの部屋の合鍵とぬいぐるみ達を金庫に戻しつつ不敵に笑った。
「よし、そんじゃ私は行くぜフラン。お前は……そうだな、私が出て五分後ぐらいに部屋を出てくれ」
「うん、解った」
魔理沙は魔女帽子を一度、深めに押し下げてからドアノブに手を伸ばし……
「っと、そうだフラン」
「……?」
「私達の目的はあくまでレミリアの部屋だ。……今日の所はこれまでだけどな」
フランの方に振り返った魔理沙は、だから、と言葉を区切って、
「また、明日な!!」
そう言ってフランの髪をくしゃりと撫でて、ドアから飛び出した。
「ヒャッハー!! いきなりマスタースパァァァクッ!!」
「ちょ、何よ今の轟音はっ!? ……ああ!? 居た、みんなー魔理沙が居……」
「とろいわーー!!」
「ふぎゃああああああ!?」
いきなり壁が崩れるような轟音と悲鳴が響き渡り、その喧騒が徐々にフランの居る咲夜の部屋から遠ざかって行く。余程の騒がしさなのだろう、その音はドアを一枚隔てたぐらいではちっとも小さくならずフランの所にまで響いてくる。しかし、
「また、明日……またっ明日っ!!」
魔理沙に撫でられた頭に手をやり、ほのかに、けれど幸せそうに微笑むフランにはきっと聞こえていなかったに違いない。
………………
…………
……
「へー、ほー、ふーん。なるほどなぁ、ここんところが暗号のキーになってんだな、よく出来てる。メモメモっと……」
ホゥホゥと、あと数日で満ちる月の光を浴びる梟の声を聞いているのか、いないのか。魔理沙は自宅のごちゃごちゃと物の乗った机の上に白い羊皮紙を広げて、同じく机の上に置かれたミニ八卦炉が投影機のように浮かべる魔方陣を観察しては感心したように唸り、何やら羊皮紙に書き込んでいた。今、ミニ八卦炉が浮かべているのは昼間に写したパチュリー謹製の魔法鍵の術式であり、魔理沙はそれをテキストに自主学習の真っ最中なのであった。もうどれ程そうしているのか机の上に置かれたランタンの蝋燭は大分短くなっていた。
「んー……と。はぁ、やっぱパチュリーは凄いなぁ。これ、鍵そのものを解析せず錠前の方を解こうとしたら、私じゃ軽く十年はかかるぜ」
長時間、複雑怪奇な魔法式と格闘していた疲れが出たのか、椅子の背もたれ沿いに伸ばした魔理沙の背筋はボキボキと未だ年端行かぬ少女らしくない音を立てた。いや、あるいはその音は魔理沙の中で半分位へし折れた自信の塔が立てた音かもしれないが。
……解ってはいるのだ。パチュリーは見た目こそ若く見えるが、魔理沙の十倍近く生きている生粋の魔法使いで、それに対して自分は二十年生きていない人生の、そのまた半分ですら魔法使いとして生きてきた時間には及ばない未熟者だと。
弾幕ごっこでの勝率こそどうにか五分を保ってはいるが、それは偶々スペルカードルールが魔理沙の得意魔法に嵌っただけで、その他おおよそ全て、パチュリー得意の精霊魔法は勿論、儀式魔法やら召喚魔法、その他全ての魔法技術において自分はパチュリーに劣っていると、そしてそれが当然の事だとも、解ってはいるのだ。……けれど、
『ふふふ、こんなに月も紅いから?』
けれど……
『永い夜になりそうね』
けれど……
『魔理沙、あんたは……』
ゴンッ!!
魔理沙が机に額を打ち付けた。面白くない、けれど忘れ得ない記憶を断ち切るために。
「……はぁ。いかん、煮詰まってきてるな。ちょっと休憩しよう」
一人呟きつつ魔理沙は、机の隅に乗っけてあった魔法瓶から温かいココアをマグカップに注いだ。一口飲めば甘い香りが口に広がり、嫌な回想も溶けていく。
(そういやフランの奴は今何してんだかな? お辞儀の練習とかだったら……いかん、また凹んできた)
回想の代わりに頭の片隅にポカリと浮かんできた想像図を偲んで、魔理沙は机に突っ伏した。
……フラン。フランドール・スカーレット。捻くれ者の多い幻想郷では珍しい程、素直で真っ直ぐな少女。いや、少女というのは間違いか。フランの言葉を信じるなら、彼女は魔理沙どころかパチュリーと比べてすら遥か年上である。けれど……恐らく495年間地下に居た影響か、まだまだ行動の端々に幼い所が見受けられた。そう、人間として見てすら子供に分類される魔理沙が先輩っぽく振る舞えるほどに。実際、悪くない気分だった。一人っ子の魔理沙には解らないが、妹というのがいたらああいう感じだろうか? 趣味も良く合うし、本当に一日の付き合いとは思えないほど仲良くなれたと思う。だからそう、あいつには……
「むにゃ、世界は広いんだぜフラン……もっともっと……色んなとこ……」
ココアの甘い香りにつられて落ちた夢の中、フランは妖怪の山のてっぺんで、魔法の森のただ中で、楽しそうに笑っていた。それを夢見る魔理沙と、同じように。その日が本当に来るのはきっとそう遠くない。幼い普通の魔法使いは、心の底からそう信じていた。
………………
…………
……
魔理沙が机の上で寝こけている頃、フランは魔理沙の想像通り一人で自分の部屋に居た。幸いにもと言うべきか、一人で延々とお辞儀を繰り返すことはしていなかったが。しかし、代わりに……
「それでねそれでね、魔理沙ったら凄いんだよ。帽子の中から聴診器取り出して、金庫に貼りつけたと思ったらあっという間に開けちゃったの。聞きそびれたけど、あれってどうやったのかなぁ?」
「キキキキ、それはね、聴診器でダイヤルの合った時の音を聞いてるんだよ。最近の金庫じゃ出来ないはずだけど紅魔館にある物は結構なんでも古いからねぇ、私みたく」
「へ~そうなんだ。……私もやったらできるかな?」
「出来ると思うよ。吸血鬼は耳もいいからね、案外あっさり成功するかも」
……もう一度言うが、フランは間違いなく自室に"一人"で居る。にも関わらずフランの言葉に応えが返ってくる。その奇怪な現象に答えを求めるなら、ベットに座ったフランの膝の上を見ればいい。そこには……
「でも、貴方も良く知ってるよね"コウモリさん"。コウモリさんも冒険家なの?」
「キキキキ、何を言ってるんだいフラン。君も知っての通り、私はただのぬいぐるみだよ? 冒険どころか、生まれてこの方この屋敷から出たことがないね」
「うーん、そっか残念。冒険の話とか聞けたら良かったのになぁ」
「キキキキ、残念無念。キキキキ」
古ぼけたコウモリのぬいぐるみが置いてあった。
……お世辞にも出来のいいとは言い難い、コウモリと言われなければそれと解らないようなそのぬいぐるみが、いつから部屋にあったのか、初めて喋ったのはいつのことだったか、フランは良く覚えていない。けれどコウモリと初めて交わした言葉は良く覚えている。ある日突然、こんにちはと挨拶してきたコウモリに驚いたフランは、
『……ぬ、ぬいぐるみが喋った?』
『キキキキ、初めましてフランちゃん。私は可愛いコウモリさんだ。よろしくね?』
『私の事、知ってるの?』
『もちろん、もちろん。何せ私は君とお話する為に生まれてきたんだからね。君の事を知らなきゃ話相手なのに話にもならない』
『……本当に?』
『んん?』
『本当に、私とお話してくれるの?』
『……もちろん、もちろん。でないと私は生まれてきた意味がない。だから……よろしくね?』
『……うんっ!! よろしくねっ、コウモリさんっ!!』
……それ以来、コウモリのぬいぐるみはフランの一番の話相手だった。こちらから話かけても応えてくれないのが玉に瑕だったが、向こうから話しかけて来てくれた時はそれこそ夜通し話続けることだってあった。話してはいけない事以外はなんだって話してきた。そして今もまた魔理沙との冒険話で話の花を咲かせていた。
「それにしても、君と魔理沙は随分相性がいいんだねぇ。君の話を聞いてるとまるで十年来の親友の話をしているように聞こえてくるよ」
「うんっ、私と魔理沙ってなんか凄い気が合うみたいで……ほら、前言ってた地下室迷宮化計画も大賛成って言ってたよ」
「ああ、あれねぇ……けど、本気で実行するのはやめときなよ? でないとメイド長さんが困った事になるだろうからねぇ」
「……」
「……んん?」
淀みなく、阿吽の呼吸と言った調子で続いていた会話が途絶えた。コウモリが不思議そうな声を出して俯いてしまったフランを見上げ……恐らく首が動けば見上げていただろうと確信出来るぐらい不自然な途絶え方だった。そうしてしばし、沈黙が部屋に降り……
「ねぇ、コウモリさん?」
「なんだいなんだい、フラン? 随分と改まってからに」
「咲夜って私の事……どう思ってるのかな?」
「んん?」
コウモリが再び、疑問気な声を上げる。紅いボタンの目にジグザグ縫い糸の口では表情は計れないが、声だけは確かに疑問符が付いていた。
「前にコウモリさん言ってたよね。咲夜の宝物は大切な人のぬいぐるみで、いつも大事にしまってるって」
「んん……そうだねぇ、言ったねぇ」
「それでね、今日咲夜の金庫の中を、えっと、見ちゃったんだけど」
「……」
「なかったんだ、私のぬいぐるみ。……他の皆のは、ちゃんとあったのに」
「……」
他の皆。咲夜がぬいぐるみとして持っていた四人には実は魔理沙の知らない共通点があった。それは彼女達が全員幻想郷に来る前から紅魔館に居て、館ごとこちらに移ってきたという事で……それにはフランも勿論含まれる。魔理沙の前では強がってみたものの、その面々から仲間外れにされていた疎外感は、フランの心に確かな影を落としていた。そして、もっと嫌な予感もまた……
「咲夜は……咲夜は私のこと本当は……」
「……」
「ねぇ、コウモリさ……ッ!!」
コンコン。
コウモリの後頭に顔を埋めつつポツポツと問うていたフランが、不意に響いたノックの音を聞いてびくりと背筋を跳ねさせた。
「妹様? 少々よろしいでしょうか?」
「さ、くや?……う、うん、いいよ入って」
扉の向こうから聞こえてきたのは咲夜の声だった。あまりのタイミングの良さにフランは少々声を動揺に震わせつつも、どうにかいつもと同じ笑顔を取り繕って咲夜を招いた。招かれた咲夜はフランの見慣れた優しい笑顔で手に一杯の白い花を持って部屋に入って来た。そんな否が応でも目に付く手土産を見て、フランは不思議そうに目を瞬かせた。
「咲夜……? そのお花は……?」
「ふっふっふー、よくぞ聞いて下さいました妹様。これこそはたった一夜に咲き誇る花、月下美人なので御座いますっ!!」
「月下美人……? ああっ!! そう言えば本で見たことあるよこの花!! へーこれがそうなんだ!!」
「はい、先程所用からの帰り道で群生しているのを見つけまして」
咲夜が差し出した花束から一輪だけ手に取ったフランは白い花を物珍しそうにつつき、その香気を思い切り吸い込んだ。
「うん、良い香りだね。花も綺麗だし、一晩で散っちゃうのが残念だなぁ」
「ちっちっち、甘いですよ妹様。月下美人は花が散ってからでもしっかり楽しめるのです」
「うん? えーと……?」
「月下美人は綺麗で香りがいいだけでなく、なんと美味しいのです!!」
「……はい?」
「何を隠そう月下美人は私の好物で……ああ、明日はどんな風にお料理しましょう。定番の酢の物? 天ぷら? 新しい物に挑戦するのもいいですね!!」
まだ咲いている月下美人を抱えて、『月下美人』と呼ぶに相応しい咲夜がきゃーきゃー浮かれてくるくる回る、その調理方法に思いを馳せて……シュールな絵だった。
その姿を見てフランは遅まきながら悟る。ああ、まだメイド服着てるけど咲夜もう仕事上がったんだ。……紅魔館メイド長十六夜咲夜、仕事を上がると少し天然が凄く天然に変わるというのは紅魔館では有名な話であった。
「決めました妹様!! 私、明日は月下美人の活造りに挑戦します!!」
「って、なんか凄い所に着地した!? 待って咲夜、それ多分料理って言わないから!!」
「無問題です!! 何故なら調理の際にはきちんと和服に正座で臨みますので!!」
「それもう活造りじゃなくて活花だよねっ!? っていうか実は解ってて言ってない咲夜!?」
「……?」
両手を振り上げ叫んだフランの言葉に、咲夜は不思議そうに首を傾げて応えた。それを見てフランは思った、咲夜ちゃん可愛い。……今度は両手をだらりと垂らしてフランは脱力した。
「うぅ……ええと咲夜、とりあえず活造りはやめて? 私はほら、その月下美人の天ぷらっていうのを食べてみたいから、そっちをお願い」
「むぅ……活造りを諦めるのは惜しいですが、妹様たっての願いとなれば致し方ありません。この月下美人の末路は煮えたぎった油で衣付けに決定です」
「……末路って言うのやめて、拷問っぽく言うのやめて、ナイフ取り出して舌舐ずりするのやめてー!!」
「……むぅ」
フラン渾身の三段ツッコミを受けた咲夜は、残念そうな顔で銀のナイフを腿のホルスターにしまった。そんな咲夜の姿を見て、フランは力の抜けた顔で微笑んだ。いつもならいつも通りに笑える咲夜とのやり取り。けれど今は……
「……ねぇ咲夜」
「はい、何でしょうか妹様?」
その笑みの後ろに落ちる影がある。咲夜は突然追い詰められたような顔で改まったフランを見て、今度もまたきょとりと首を傾げてみせた。
「私の事…………好き?」
「……はい?」
「う゛、えっと、あの……」
咲夜に真剣に不思議そうな顔をされたフランは慌てて顔を伏せた。いきなり何言ってるの私、唐突すぎるし唐突じゃなくても何か誤解されそうなーー!!
顔を羞恥色に染めたフランは胸元で糸を巻くように両手の人差し指を回転させつつ、頭から湯気を吹き出した。そんなフランをやはり不思議そうな顔で見つめる咲夜は、とりあえずと言った感じで、ポンとフランの肩に手を置いた。
「妹様」
「……うぅ、はい」
「上げます」
「……へ?」
咲夜に呼ばれ、顔を上げたフランの鼻先に月下美人の花束が差し出された。つい反射的にフランがそれを受け取ると、咲夜は更に腿のホルスターを外し、ナイフごとフランの手に乗せ、ついでにエプロンと首元のタイを外して、えいやと思い切りよくエプロンドレスを脱ぎ……
「って待って待って待って!! なんでいきなり服脱いでるの咲夜!?」
「なんで、と問われればメイド服は私の誇りだからと答えますが」
「う、うん? ……よ、よく解らないけど、とりあえず脱ぐのはやめよ? ね?」
「むぅ、妹様がそう仰るなら……では代わりにこちらを」
「え、うん」
脱ぎかけで捲り上げていたスカートをパサリとおろし、咲夜は頭からヘッドドレスを外してフランに手渡す。結果、フランの手元に月下美人とナイフとヘッドドレスという奇妙な三点セットが積み上げられる。十六夜咲夜という人間を知らぬ者が果たしてこの三つに関係性を見出すことが出来ようか? 無理だろう、なにせ咲夜を知っているフランですら困惑しているのだから。
「えっと……咲夜?」
「実は私、昔お嬢様に月下美人に似ていると言われた事が密かな自慢なんです。えっへん」
「う、うん。それは私も思うから別に変だとは思わないけど……」
「恐れ入ります。じゃあ話は早いです」
咲夜はそう言って、月下美人を指差す。
「その花は、私のかんばせ」
咲夜はそう言って、次に銀のナイフを指差す。
「その刃は、私の力」
咲夜はそう言って、更にヘッドドレスを指差す。
「その装いは私の誇り」
そして月のような静けさを湛え朗々と語る咲夜は、最後にフランの手を握った。
「そのどれもを貴方に捧ぐのに、私は対価を求めません。貴方との魂の契約なら私は無償で交わします。……これで答えになりますか、妹様?」
「……咲夜」
「と言っても、お嬢様にも同じ事を言ってしまっているので、私のどこをどう分け合うかは御姉妹で相談して頂くことになるのですが」
お嬢様なら、妹様にねだられたら全部上げちゃいそうですねぇ、咲夜はそう言ってクスクスと笑ってフランの手を放す。自身になぞらえた三つの物を残したまま。
「とりあえず、その三つは前契約という事でお収め下さいな、妹様」
「う、うん……っていいの? 月下美人とか明日お料理するんじゃ?」
「いえいえご心配なく。たくさん咲いていたのでまた摘んできますから。ナイフもヘッドドレスも予備はたくさんありますし」
「……それはそれでなんだかなぁ」
胸を張って、問題なしですと誇らしげな咲夜の姿にフランは呆れるような複雑そうな苦笑で応えた。と、そこでボォーンボォーンと部屋の掛け時計の鐘が鳴る。時計の針は重なって午前0時を示していた。
「むぅ……妹様申し訳ありません。そろそろお嬢様が起き出す頃ですので……」
「ん、解ってる。にしてもお姉様は相変わらずお寝坊さんだねぇ……ってあれ? 咲夜もう仕事上がったんじゃ?」
「いえ違います、それは逆です妹様。今日私は15時頃からお休みを頂いて、今からお嬢様のお世話に戻るところですわ」
「あ、そうなんだ。道理で……」
「道理で……とは?」
「あ、何でもない何でもない!! 私の事はいいから早くお姉様のところに行ってあげて?」
「??……解りました。では私はこれで失礼します。妹様もどうかいい夜を」
そう言って笑顔一つ残して、鐘の音と同時に天然からみるみる内に完全で瀟洒なメイドに変わっていった咲夜の姿が掻き消えた。その顔付きまでどこか変わったように見える変わりっぷりは一見の価値アリだとフランは思う。
……ところで、
「……咲夜」
先程の咲夜とのやり取り。今もまだフランの手の中にある月下美人やナイフがそれは夢ではないと告げている。フランはそれをぎゅっと抱きしめた。銀のナイフで肌が薄く切れることに構いもせずに。言ってしまえば、それらはフランにとっての光だった。もっと嫌な予感……いつも優しい咲夜が本当は自分を疎んでいるのではないかという不安の影を払うための。実際、その光の効果はあった。フランの心の中で不安の影は確かに小さくなった。
……けれど、
(咲夜、咲夜……なら、なんでぬいぐるみは無かったの? 小さな事だって解ってる。さっきの咲夜の言葉に比べたら気にする程の事じゃないって解ってる。けど、けどッ……)
私の前ではいつも優しくて、頼みになる言葉を掛けてくれて。けれど、私が見えないはずの所じゃそうではなくて。……それじゃ、それじゃまるで……
「そりゃあ騙されてるんじゃないかなぁ? キキキキ」
「――ッ!?」
影は、光が強くなればなるほど濃さを増す。
後ろから投げられた言葉に心臓を串刺しにされたような衝撃を感じて、フランは目端を痙攣させ、引き攣った顔で振り向いた。
「コ、コウモリ、さん? い、いきなり、なにを言って……?」
「何を言ってと問われたら、私は君の疑念をと答えるね、フラン。君だって解ってるはずだよ? キキキキ」
フランの、あるいは親友と言ってもいいかもしれないコウモリのぬいぐるみが陰鬱に笑った。その笑い声が恐ろしく聞こえたのはフランにとって初めての事だった。
「メイド長さんのさっきの言葉は嘘で誤魔化せる類の事実。そりゃそうだ、五百年近く引き篭ってまともに人と話してこなかった君を騙すなんて、百戦錬磨のメイド長さんなら朝飯前だろうさ」
「……やめて」
フランの小さな呟き。それが聞こえていないのか、それとも意図して無視したのかコウモリのぬいぐるみは言葉を続ける。
「それと比べて君が見たっていうぬいぐるみの方……これはどう考えても嘘じゃ有り得ない事実だ。そりゃそうだ、君が今日魔理沙と一緒にメイド長さんの部屋に忍び込むなんて、一体誰が予測出来る? いや、誰にも出来ないだろうね。となれば嘘の付きようがないじゃないか。キキキキ、となると……」
「やめて……もうやめて言わないで」
「いいや、やめないよフラン。君は聞いておくべきだからね。さて、好意は嘘、疎外は本当。となれば……出る答えは一つだ」
「嫌、嫌……」
フランは咲夜の贈り物を抱いてうずくまる。強まる月下美人の香りがフランを押し包む。けれど……
「咲夜は君を疎んでいる。これが正解だろうね、間違いなく」
「違うッ!!」
光は、もう見えなかった。
贈り物をとうとう取り落として、フランは目を血走らせてコウモリに迫り、叫んだ。
「咲夜は、咲夜はいつも優しかった!!」
「そりゃあ優しくはするだろうさ。何せご主人様の妹なんだから。彼女はメイドだからね、仕事の内さ、それも」
「……ッ、咲夜は……いつも笑いかけてくれた!!」
「そりゃあ笑いかけは、以下同文。ついでに言うなら嘘の為に笑うなんて事、誰だってやるさ。君だってあるだろう?」
「咲夜は……咲夜は……ッ痛、なに? 頭、が……」
「ていうかさぁ……」
「……ッ!!」
突然、本当に突然沸き上がってきた激しい頭痛に一瞬意識を飛ばしかけたフランだったが、コウモリの言葉への反抗心を支えにどうにか持ち直す。しかし、
「彼女がさっきみたいに普通に会いに来るってことはだよ? 彼女は"お嬢様が君をここに閉じ込めている事を良しとしている"って事じゃないのかい? そんな相手に君は好かれていると本気で思えるのかい? ねぇ妹様?」
「そ、れは……それは……あ、ッつぅ。何、これ……」
コウモリの言葉にとうとう一つの言葉も返せなくなるフラン。意識が薄れる。イタイいたいイタイ、アタマが割れそうにイタイ。フランの意識が砕けていく。そうして掠れていく視界と音の中でフランは最後に、
「けど、心配ないよフラン。だって君には……」
魔理沙が、居るだろう? その言葉に背を押されるようにフランの意識は途切れた。
……夜はまだ、始まったばかりだった。
………………
…………
……
「……リー!! そっ……抑え……!!」
あれ?
「解っ……レア!! ……まだ……て!!」
なんだろこれ?
「……夜さん!! わた……ます!!」
夢、かな? だってわたし……
「これで……しっ!!」
わたし……わたし……
「……様!! ……が!!」
夢、だよね。なら聞いてもいいかな? うん、聞いちゃおう。ねぇ……
「咲夜は、私が嫌いなの?」
「……!!」
「「「咲夜!!」」」
ああ、いやな夢だなぁ……
フランが部屋に閉じ込められている描写、魔理沙の心境など細かいところもしっかり表現されている上、続編としの前ふりもあり続きを期待したくなる作品でした。
あと登場キャラの表現も私好みで、完全で瀟洒で天然なメイドは私も好みなんです。
次回作に期待でこの点数にさせていただきます。
さてこれからどうなるのか
さあ、続きです。
しかも面白いです
ドキドキワクワクしつつ次に行かさせてもらいます。
でも、続編は、100kb越え、完結編は、なんと300KB越えなんですよね……。読めるかなぁ。
久々に続きを読みたくなる作品に出会った気がします。
皆いいキャラしてるなー。レミリアなんか最初しか出てないのにしっかり印象に残っています。
さて、続きですが……106KBに322KB……? な、長い夜になりそうね……
てなわけで読み始めました。
106KB?322KB?問題ない。内容が面白ければ関係ないのだ!