※ ※ ※
アリスは現実から目を逸らしたくて、そっと顔を机に落とした。
けれども彼女は容赦なく、期待を隠しきれぬ声色でアリスに尋ねてくるのだった。
「そ、そんな別に、期待してるとかじゃないのよ、アリスちゃん、ただね、その……」
トレードマークのたくましいサイドテールが普段より丁寧に結わえてあったり、念入りに梳られた銀髪だったり、あるいはきょろきょろと一刻も落ち着きなく視線を動かす碧眼だったり。机の上で組まれた指先はまるで恋する乙女のようにひっきりなしにもじもじと動いていたし、なんというか、アリスの贔屓目からしても、そわそわしていた。
どう見ても、思いっきり期待していた。
「神綺さま」
「わかってる、わかってるわアリスちゃん。前作だって、魅魔ちゃんが出るかもって散々言われてて、結局は肩透かしだったのだけれど――」
「神綺さままずは」
「でででもね、だってね、“心綺楼”って、漫画版は読んでないから知らないけど、読んでそのまま蜃気楼はないと思うの」
「わかってます。神綺さま、でも、とにかく落ち着いて」
アリスの敬愛する創造神はふっふっと荒く息をついて、やおら胸を張ったり、腕を組んだり、忙しかった。始終頬の辺りを興奮からか赤くして、しんっ、きろう……と何度も繰り返し絶え絶えに呟いていた。ついにはアリスもああこりゃダメだとさじを投げるほどだった。当初は何をしにきたのですか、などと話を持っていくつもりだったが、この分だと本当にこれだけのために訪れた可能性が高かった。
一旦、お茶を淹れましょう。ありふれて若干ふやけてしまっているが、即効性と実効力の高いそういう手管で、ようやくアリスは魔界神の正面から外れる事ができた。何が一旦なのかアリスにもわからなかったが、ともかく意味はあった。神綺の喘ぎに被せるように、「お茶です」「おちゃ……」「お茶です神綺さま」「……お」「お茶」「お……おちゃー!」などとやり取りを繰り返した上での、戦果だ。
「神綺さま、お砂糖は何個にします?」
「さん……いやまって」
めんどくせえなとアリスはこっそり思った。
「わたし、信仰がテーマなのに、そんなのでいいのか……えっとつまり、見栄を張るってのとは全然違うんだけど……世間体っていうのかしら。ほうじ茶でも梅こんぶ茶でも、そうほいほいお砂糖を入れたりする神さまってのは」
「三個入れておきますね」
人形に運ばせず、手ずから紅茶を差し出したのは、何となくだった。アリスも取り留めて意識しなかった。
二人分のカップから、紅茶の湯気がゆらゆらと立ちのぼっている。
「あちっ」
そそっかしく口をつけた神綺が舌をはふはふさせた。
それでようやく、普段の調子を取り戻したらしい。ちょっと恥ずかしげに笑いながらカップを置いて、夢子ちゃんには内緒にしてねと、片目を瞑ってみせた。いたずらのばれた子供のような、あどけない表情だった。魔界にいた頃見慣れた神綺のイメージからは、いささか遠いものだったから、アリスはつかの間虚をつかれた。たぶん少しだけ、見とれていたのだろうと思った。
「しばらく見ない間に、ねえ――」
「あの、えと」
いつものアリスなら、そんな事をいわれても、平気な顔をしてちょっと月並みですだとか何とか、言い返していたはずだった。
困ったような、情けないような顔をしてしまう。久しぶりに会って、そしてこれなのだ。いつものようにというか、昔みたくしていろという方が無理だとアリスは思った。懐かしさと、戸惑いのようなものが半々ずつ胸に灯って、アリスを痛くした。知らず知らず、言葉尻が震えてしまうほどの、痛みだった。
「……神綺さま」
「そうだわ。それでね、アリスちゃん」
ぱあっと花の咲くように神綺は言いかけると立ち上がって、持ってきたカバンからいそいそと何やら面妖なものを引っ張り出してきた。
アリスはそれを直視したくないと思った。
「心綺楼の衣裳チェンジにね、こっちとこっちの」
「おい、神綺やめろお前」
※ ※ ※
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アリスは現実から目を逸らしたくて、そっと顔を机に落とした。
けれども彼女は容赦なく、期待を隠しきれぬ声色でアリスに尋ねてくるのだった。
「そ、そんな別に、期待してるとかじゃないのよ、アリスちゃん、ただね、その……」
トレードマークのたくましいサイドテールが普段より丁寧に結わえてあったり、念入りに梳られた銀髪だったり、あるいはきょろきょろと一刻も落ち着きなく視線を動かす碧眼だったり。机の上で組まれた指先はまるで恋する乙女のようにひっきりなしにもじもじと動いていたし、なんというか、アリスの贔屓目からしても、そわそわしていた。
どう見ても、思いっきり期待していた。
「神綺さま」
「わかってる、わかってるわアリスちゃん。前作だって、魅魔ちゃんが出るかもって散々言われてて、結局は肩透かしだったのだけれど――」
「神綺さままずは」
「でででもね、だってね、“心綺楼”って、漫画版は読んでないから知らないけど、読んでそのまま蜃気楼はないと思うの」
「わかってます。神綺さま、でも、とにかく落ち着いて」
アリスの敬愛する創造神はふっふっと荒く息をついて、やおら胸を張ったり、腕を組んだり、忙しかった。始終頬の辺りを興奮からか赤くして、しんっ、きろう……と何度も繰り返し絶え絶えに呟いていた。ついにはアリスもああこりゃダメだとさじを投げるほどだった。当初は何をしにきたのですか、などと話を持っていくつもりだったが、この分だと本当にこれだけのために訪れた可能性が高かった。
一旦、お茶を淹れましょう。ありふれて若干ふやけてしまっているが、即効性と実効力の高いそういう手管で、ようやくアリスは魔界神の正面から外れる事ができた。何が一旦なのかアリスにもわからなかったが、ともかく意味はあった。神綺の喘ぎに被せるように、「お茶です」「おちゃ……」「お茶です神綺さま」「……お」「お茶」「お……おちゃー!」などとやり取りを繰り返した上での、戦果だ。
「神綺さま、お砂糖は何個にします?」
「さん……いやまって」
めんどくせえなとアリスはこっそり思った。
「わたし、信仰がテーマなのに、そんなのでいいのか……えっとつまり、見栄を張るってのとは全然違うんだけど……世間体っていうのかしら。ほうじ茶でも梅こんぶ茶でも、そうほいほいお砂糖を入れたりする神さまってのは」
「三個入れておきますね」
人形に運ばせず、手ずから紅茶を差し出したのは、何となくだった。アリスも取り留めて意識しなかった。
二人分のカップから、紅茶の湯気がゆらゆらと立ちのぼっている。
「あちっ」
そそっかしく口をつけた神綺が舌をはふはふさせた。
それでようやく、普段の調子を取り戻したらしい。ちょっと恥ずかしげに笑いながらカップを置いて、夢子ちゃんには内緒にしてねと、片目を瞑ってみせた。いたずらのばれた子供のような、あどけない表情だった。魔界にいた頃見慣れた神綺のイメージからは、いささか遠いものだったから、アリスはつかの間虚をつかれた。たぶん少しだけ、見とれていたのだろうと思った。
「しばらく見ない間に、ねえ――」
「あの、えと」
いつものアリスなら、そんな事をいわれても、平気な顔をしてちょっと月並みですだとか何とか、言い返していたはずだった。
困ったような、情けないような顔をしてしまう。久しぶりに会って、そしてこれなのだ。いつものようにというか、昔みたくしていろという方が無理だとアリスは思った。懐かしさと、戸惑いのようなものが半々ずつ胸に灯って、アリスを痛くした。知らず知らず、言葉尻が震えてしまうほどの、痛みだった。
「……神綺さま」
「そうだわ。それでね、アリスちゃん」
ぱあっと花の咲くように神綺は言いかけると立ち上がって、持ってきたカバンからいそいそと何やら面妖なものを引っ張り出してきた。
アリスはそれを直視したくないと思った。
「心綺楼の衣裳チェンジにね、こっちとこっちの」
「おい、神綺やめろお前」
※ ※ ※
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あとがきで笑った