・このお話は、キャラの違う描写があります(特に勇儀とヤマメ) これらのキャラが好きな方、価値観を壊されたくない方は、申し訳ありませんが戻ることをお勧めします。
・また、以前に書いた作品「追跡・星熊勇儀」と世界観を共有しております。単品でも読めるように最大限配慮したつもりですが、もし気になられた方は、前作を読んでいただけると、とても嬉しいです。
冷え込みの厳しい師走。そんなことは関係ないと何時も通りに、地底の住人達は酒に喧嘩に花を咲かせる、はずだった。
地底にある、とある居酒屋。普段ならばやんややんやと笑い声や怒号が飛び交う時間帯なのだが、今は見事に静まり返っている。客のほとんどは鬼の若衆であり、そんな彼らが一様に息を呑んで、ある人物を凝視している。目線の先にいたのは鬼達の顔役でもあり、地底を取り締まる星熊勇儀だった。
閉じられていた彼女の目が、ゆっくりと開かれる。しばらくきょろきょろと辺りを見回していた勇儀は、隣に座る黒谷ヤマメと視線が合う。やたらと緊張している様子のヤマメを見ながら、勇儀は口を開いた。
「どうしたのですか?ヤマメ」
割れんばかりの鬼達の歓声が響いた。その喧騒の中にいた水橋パルスィは、釣瓶落としのキスメを抱きながら、誰に聞こえるわけでもなく呟いた。
「……うっそお」
話は少し巻き戻る。
その日の朝、地底の大穴に開いている横穴でヤマメは本を読んでいた。タイトルは『今日からアナタも催眠術師!』という、端から見れば誰もが純度十割の勢いで胡散臭さを感じ取る本である。
件の異変から、少しずつではあるが地上との交流が行われるようになった。これは偶々本屋でたたき売りされていたのを発見したものである。
今日びもう少しまともなタイトルを選びたくなるような本を、ヤマメは熱心に読んでいた。近くに来ていたパルスィの気配を感じぬほどに。
「おい」
「うおう!ってパルスィか。びっくりさせないでよ」
「勇儀からの伝言よ。今夜いつもの場所で宴会だって」
「本当に!?ちょうどいい。これを試すとき時がこんなに早く来るなんて」
何を読んでいたのかパルスィが尋ねると、ヤマメは嬉々として読んでいた本の表紙を見せる。そのタイトルに、今日もヤマメはヤマメなのだとパルスィは奇妙な安心感を抱いた。
「その目……さてはバカにしてるな?」
「バカにはしてないわよ。だって貴女もうバカじゃない」
「ヒュー。嬢ちゃんいい拳してるぜ」
軽口を叩きながらも軽く涙目になったヤマメは、懐から取り出したものをおもむろにパルスィの前に差し出す。穴の開いた銅銭が、蜘蛛の糸にくくりつけられていた。
なんだこれはという疑問を口に出したかったパルスィだったが、とりあえず正座させられる。その眼前に銅銭を垂らすと、ヤマメは少しずつそれを振り始めた。
「貴女はだんだん眠くなーる。眠くなーる」
本気である。本気で自分に催眠術をかけようとしているのだとパルスィは気付いた。集中して左右に振れる銭を見つめるが、当然眠くなるはずも無い。可笑しくて笑ってしまいそうになったが、パルスィはあえてヤマメの期待に乗ることにした。その方が面白くなりそうだからである。
少しずつ瞼が下がっていくパルスィを見て(もちろんわざとであるが)、ヤマメはおお、と小さく声を上げる。やがて完全にパルスィの目が閉じたところで、ヤマメは小さくガッツポーズをした。
ちらりとパルスィが薄目を開けると、それに気付いていないヤマメはぶつぶつと独り言を口走っている。
「やべえ、やべえよ……催眠術すごくね?いや私がすごくね?これきてるよ。私が地底の頂点に立つ時が来てるよ」
笑ってはいけない。ここで笑ってしまってはばれてしまう。今現在盛大に勘違いしているヤマメの様子を見る限り、このまま騙されればもっと凄いことになるに違いない。笑いを奥歯でかみ殺して、パルスィはヤマメの動向を見守る。
「ってかまさかパルスィに効くとは思わなんだ。中身が真っ黒でもちゃんと効くものなんだなあ。いや、それともそんなの関係なしに私の催眠術が強力だったとか?どうしよう。どんな催眠をかけようかなあ」
とりあえずパルスィはヤマメの顔面に拳を叩き込むのだった。
「あなたは段々ねむくなるー。あなたは段々ねむくなるー」
「あ、いや……私には効かないみたい。ごめんね、ヤマメ」
「まさか、キスメまで心が汚れているなんて……私は信じたく、う、ううっ……」
「ごめんなさいねキスメ。この子ちょっと自分の能力で頭がパーになったみたい」
「そうなの?」
「私は正常だってーの!」
どうどうとヤマメをなだめながら、妖怪三匹は好き好きにつまみと酒を口に運ぶ。一足先に居酒屋へと足を運んでいた。
結局あの後ヤマメは地底の住人達に片っ端から催眠術をかけたが、結果は惨憺たる者だった。鬼や妖怪たちはいざ知らず、遂にはどこか間が抜けていると評判の地霊殿の地獄鴉にすら効かなかったのである。
「ヤマメ、何か悪いものでも食べたの?」
地獄鴉、空の談である。何人にも無謀な挑戦をした挙句にこの言葉は、ヤマメの意外と傷つきやすい心を抉るには充分すぎた。事情のわからぬ空をその場に残し、ヤマメは逃げるようにその場を後にした。空のばーかという捨て台詞を残して。
結局拗ねてしまったヤマメはパルスィとキスメを巻き込んで、一足先に自棄酒を決め込んだのである。これがもう少しまともな内容ならばパルスィとて気にかけることも出来るのだが、内容が内容である。完全に自業自得なのだ。キスメも苦笑いしか浮かべない辺り、わかっているようだ。
「ちくしょう。私の野望はこんなところで潰えてしまうのか」
「本読んで半日でぶち上げた野望なんて潰れてしかるべきね。ちなみにどんな?」
「催眠王女になりたい」
「ないわー」
というよりも、胡散臭い本を読んだだけで催眠術を使いこなせるようになったと考えるヤマメの頭の中が悲惨だと、パルスィは毒づく。キスメはかける言葉が未だに見つからず、ちびちびと酒を呑んでいた。
しばらくすると、少しずつ地底の妖怪たちが店へと入ってくる。大半は勇儀の部下である鬼の若衆たちだ。既に噂が広がっているのだろう。客達はヤマメの催眠術話をしきりに聞きたがる。地底のアイドルということもあってか、やはりヤマメの顔は広かった。
段々と喧騒が大きくなる頃に、勇儀はやってきた。彼女もどこかで噂を聞いたのだろう。挨拶をするや、ヤマメの隣にどかりと座り込んだ。
「なあヤマメ。アタシにも催眠術ってのかけてくれないかい?」
周りにいた若衆がざわつく。まさか自分から名乗りを上げるとは思っていなかったからだ。
「いいんだ。どうせ私の催眠術なんかお空にも効かないほどなんだからさ。勇儀にやっても意味無いよ」
「なんか随分捻くれてるねえ。そんなこと言わずにさ、やっておくれよ。一度かかってみたいんだよ。催眠術」
(まさかヤマメと同レベルとは……星熊勇儀、恐ろしい)
誰からも期待されていなかったヤマメにとって、その言葉はくすぶっていた熱を与えるには充分だった。いらぬところで戦慄するパルスィと不安そうに見つめるキスメを他所に、よっしゃあと意気を挙げてヤマメはあの銅銭と糸を取り出した。
周りの客や若衆たちもなんだなんだと事態を見守る。静かにとヤマメは一喝し、勇儀の前に銭を垂らす。煩いはずの酒家は、珍妙な沈黙に包まれた。
勇儀がじいっと銅銭に集中したのを確認して、ヤマメは少しずつ糸を左右に振り始めた。その顔は真剣そのものである。どこか集中力の使い方を間違っている二匹を見て、パルスィは呆れの感情とともに溜息を吐いた。
「あなたはだんだん眠くなる……あなたは段々眠くなる……」
いつの間にか、周りにいる観客達の表情も真剣になる。催眠術などかかるわけがない、そうかかるわけがないのだ。だが、それでも、もしかしたら。そんな感情が観客達の中に芽生えるのは、ひとえにヤマメや勇儀の人徳……妖徳のなせる業かもしれない。
しばらくの間銅銭が左右に揺れていると、ある変化が起こった。勇儀の瞼が少しずつ下がってきたのである。何匹かの客達が小さくおおと声をあげたが、それはすぐに消えた。
「眠くなる……眠くなる……」
もはやヤマメが『催眠術がかけられると思い込む催眠』にかかっているのではないか。そう思える程にその顔は一切の遊びが感じられない。ある意味で全力で遊んでいるともいえるが。
とろんとした勇儀の瞼は、しばらくもしない内に完全に閉じた。その様子を見ても、誰一人として声をあげることは無い。まだ場の緊張が解けていないからだ。
銅銭をしまったヤマメは、軽く勇儀の名を呼ぶ。反応は無い。その後に何度か頬を突いてみたが、やはり勇儀の瞼は閉じられたままである。観客達は次第に歓声を上げ始めた。ちなみにヤマメ自身もそうとうに驚いていたらしく、
「お、おお……」
となんとも取れないような声をあげた後に、
「どうだあ!見たかあ皆の衆!これが私の超能力だあ!」
と高らかに宣言した。それにつられて観客達も大きな声をあげる。これだけの大騒ぎでも勇儀の目が開かないあたり、本当にかかっているのだろう。
ちなみにいつの間にか催眠術は超能力へと驚異の進化を遂げていたが、そのことについて言及するのはパルスィを除いて誰もいない。それが地底の優しさである。
興奮が冷めやらぬ中、ある若い鬼がヤマメに問いかけた。
どんな催眠をかけるんですかい?
その言葉に、再び場に沈黙が訪れた。皆の視線が一斉にヤマメへと集中する。なにか思うところがあるのか、考え込むようにうつむく。その様子を見て思わずキスメは不安になったが、直後にヤマメは口を開いた。
「私はね、もし催眠術がかかったらまずやりたいことがあったんだ」
誰もが口を挟まず、ヤマメの言葉に耳を傾ける。パルスィは我関せずといった表情で酒を呑み、キスメは眠っている勇儀を膝枕しながら髪を梳いている。その様子をちらりとヤマメは横目で見る。
「例えばさ、ここにいるパルスィがもしもすんごく明るかったら、皆はどう思う?」
皆の視線が一斉にパルスィに向く。思わず一瞬身構えながらも、パルスィはじと目で全員をにらみ返す。
「……何よ」
全員の顔が緩み、半分ほどは鼻の下を伸ばしていた。何を想像してんのよというパルスィの言葉を他所に、ヤマメは言葉を続ける。
「もし、寝ている勇儀に膝枕をするほどに可愛いキスメが、開口一番で罵詈雑言を笑顔で言うような小悪魔だったら……皆はどう思う?」
今度は視線がキスメへと向く。場の空気に耐えられなくなったキスメは、たまらず桶の中に身を隠してしまった。どこからか、それもアリだという声が聞こえてきたが、ヤマメはさらに言葉を続けた。
「さて、皆もわかっているように、今この場ですやすやと眠っている勇儀さんは漢らしくてかっこいい。そうよね?」
ヤマメの問いかけに観客達は一様に首を縦に振った。確かに勇儀を端的な印象で表すならば、そういう表現がしっくり来るだろう。
どんなものにも分け隔てなく公平に接する性格に気風のよさ、厳しい面も確かにあるが、それが逆に彼女のよさでもある。パルスィですらも、勇儀のそういう面に関してはしっかりと認めている。だからこそ妬ましくもあるわけだが。キスメも桶をかたかたと揺らして肯定の意を表している。
「さて、そんな彼女ですが、先日私達はそんな彼女の思いがけない一面を発見したのです。彼女に従ってる奴等は、もちろん知ってるわよね?」
ヤマメが言ったのは、先日地底で起こった事件のことである。勇儀が皆に内緒で誰かに遭っているという噂が流れた。鬼の若衆たちの頼みもあってヤマメ、キスメ、パルスィの三匹が事件の真相を確かめたのだ。
結果としては、未開発地区にいる子猫と狼を構いに行ってただけなのだが、その時の勇儀の姿を見たヤマメたちと、後日勇儀についていったとある若鬼は、こんな感情を抱いたのだ。
かわいい、と。
「あの時は、勇儀の可愛さのほんの一端しか私達は見ることが出来なかった。その時私は思ったの。もしかしたら、勇儀には違う一面があるのかもしれないと……」
段々とヤマメの調子が下がっていき、それと反比例するかのように、場の緊張は再び増していく。ヤマメが再び口を閉じる。だが、これで終わりのわけが無い。皆はヤマメが口を開くのをじっと待っている。何故か居酒屋の店主と従業員まで仕事をそっちのけでヤマメの話を聞いているが、突っ込むものは誰もいない。
ことここに至って、パルスィは思った。こいつは何を言っているんだろうか。そしてこいつらは何を聞いているんだと。なぜかごくりと口で言っているキスメを軽く妬みながら、パルスィに出来ることはやはりヤマメの言葉を待つだけなのだった。
何秒の間沈黙していただろうか。ヤマメが小さく諸君と言ったのを、聞き逃したものは誰もいない。そして、直後にヤマメは目の前の卓に足をかけた。衝撃でいくつかの皿がひっくり返ったが、気にするものは誰もいなかった。
「私はっ!勇儀の違う一面を見てみたい!しかも可愛い勇儀を見てみたい!諸君はどうかっっ!見たくはないか!?」
数秒の間。その後に、ある若い鬼が声をあげた。
見てみたいです!
皆、待っていたのだ。口火を。一度ついた火は消えることを知らない。そこかしこから俺も僕も私もわしも、と声が上がる。それらをひとしきり聞いた後に、ヤマメはゆっくりと言ったのだ。
「諸君等の願い、私が叶えてみせよう」
かくして話は、冒頭へとつながる。
周囲の歓声に勇儀は一瞬びくりとすると、きょろきょろと周りを見渡した。状況を理解しようとしているのだろう。そしてやはりヤマメに視線を戻すと、普段からは考えも出来ないほどに狼狽しながら尋ねた。
「なにがどうなってるんですか?ヤマメ、わかりますか?」
空気が固まる。おそらくこの場で一番冷静であるだろうパルスィですらも身体を硬直させるほどに。沈黙を破って、ヤマメは聞き返した。勇儀、もう一回言ってと。豪放磊落な鬼は、首をちょこんと傾けた。
「? いや、だからどうして皆騒いでいるのかなって。ヤマメ、わかりますか?」
「お……お……」
「大丈夫ですかヤマメ?なんか顔色が優れないようですが……」
勇儀は気付かない、自分が催眠術にかかっていることに。ヤマメの顔は、もはや顔色が悪いという程度を通り越して土気色になっている。そして目は白目をむいている。少なくとも少女がしていい顔ではないことは確かだった。
本当にヤマメが心配なのだろう。心配そうに自分の顔を覗きこむ勇儀の顔を見て、ヤマメは渾身の一言を口から搾り出す。
「乙女がおる……」
そしてヤマメはばたりと倒れた。突然の出来事に勇儀はきゃっと声をあげたが、すぐにヤマメを抱き寄せると容態を確認する。その様子は、さながら子を心配する母である。その様子を見て、パルスィは口を開いた。
「催眠術って、おっそろしいわねえ……」
『乙女になる』
ヤマメが勇儀にかけた催眠である。目を開けた勇儀は、彼女の持つ『乙女』という価値観に基づいて行動しているのだ。
誰も、勇儀に乙女とはこのようなものだと吹き込んではいない。つまり、今の勇儀の状態が、そのまま彼女の持つ乙女像なのだろう。だが、それにしてはあまりにも凄まじい違いである。こういう時にこそ噴火しそうなパルスィですら、今必死にヤマメに呼びかけている鬼を勇儀だと理解する作業で一杯であった。
周りでは、固まっている者が半数。鼻の下を伸ばして固まっているのが三割ほど。残りは白目をむいて固まっていた。それほどまでに、勇儀の変貌は凄まじかったのである。
衝撃から復活したヤマメは、周りの惨状を目の当たりにして溜息を吐いた。まさか言葉遣いと性格が変わるだけでこんなにも印象が変わるとは思っていなかったのだ。
「ねえ、勇儀。一緒に行きたいところがあるんだけどこれから大丈夫?」
まだ宴会が始まってからそう時間は経っていないのだが、とても酒を楽しめるような状態ではない。店主も従業員達も固まったままだからだ。勇儀は首をかしげながらも構わないと応える。
「どこに行く気よ?」
パルスィの言葉に振り向いたヤマメの顔は、しばらく見ないほどの笑顔を浮かべていた。
「地霊殿。さとりたちにも見せてあげなくちゃ不公平でしょ?」
もっともらしいことを土蜘蛛はのたまったが、パルスィは知っている。これはただ単に自分が楽しみたいだけだと。生の永い妖怪、楽しみは永く味わいたいのである。そして、パルスィもまた妖怪であった。
「勇儀、とってもきれい」
「ありがとうキスメ。そう言われると嬉しいです」
地霊殿へと向かう道中、ヤマメたちは勇儀の家へと寄った。勇儀を着替えさせるためである。先程までは普段どおりの姿だったが、それでは少し味気ない。ということで以前若衆たちからもらった服へと着替えさせたのだ。
白のセーターに赤いロングスカートに革のブーツ。ついでに髪の毛も後ろで縛っておいた。桶ごとキスメを抱きかかえる姿は少しシュールだが、それを差し引いても充分に綺麗である。
地霊殿に向かう道中で、喧嘩をしている二匹の妖怪がいた。普段ならば積極的に介入して、結局気が済むまで喧嘩をさせる勇儀だが、今回の対応は違った。
なんと妖怪たちを正座させると、説教を始めたのだ。最終的には少し涙目にもなっていた。だが、一通り話が終わると喧嘩を再開させるあたりは例え乙女になっても勇儀であった。
「あいつら、どんな反応するかなあ。いやー楽しみだわ」
「まあ、さとりはあまり変わらないんじゃない?普段から勇儀と喋っているだろうし。心の中も見ているだろうから」
「いやいやわからんよ。逆に変わった性格の勇儀を見て一番狼狽するのは、さとりだと思うけどね」
後ろでキスメと戯れる勇儀に気付かれぬよう、ヤマメとパルスィは小声で喋る。そうこうしているしているうちに、一向は地霊殿へと辿りついた。意気揚々と敷地へと入ったヤマメたちに、動物達が近寄ってきた。顔見知りということでよくここに訪れるヤマメたちは、ここの動物達に懐かれている。
そんな動物たちを、勇儀は率先して構っていた。皆を引っ張っていく印象の強い彼女であるが、意外と動物に対しては自分から構っていく。どうやら動物好きらしい。
「みんな、元気にしてましたか?」
勇儀の言葉にある犬は尻尾を振り、ある狼は腹を見せ、ある猫は足元をすりついて離れない。まさしく人気者であった。キスメも一緒になって動物達を構っている。
「乙女力(おとめちから)たけーなあ……」
「なにそのハイパー化とかありそうな力は。あいつは普段から好かれてるわよ。いつもと違うから目立って見えるだけでしょ」
「ってかパルスィはあの勇儀見てなんも妬まんの?」
「……なんつうか、毒気を抜かれたわ」
「ああ、確かに」
懐いてくる動物たちを構いながら、ヤマメは館の中へと入る。館の主がいるであろう部屋を目指し、そこの扉を開けると、案の定地霊殿の主……古明地さとりはそこにいた。
「……何か用ですか?」
「へい、さとり。時間あるかい?面白いのを連れてきたぜ!」
「はあ。まあ今は暇ですから大丈夫ですが……!?」
「こんばんは、さとりちゃん。お邪魔しています」
勇儀の言葉にさとりの身体が固まった。勇儀の後ろではヤマメとパルスィが腹を抱えて震えている。地霊殿の主が吃驚するところなど中々見られないのだ。
返事が無いことに不安を覚えたのか、抱えているキスメの頭を勇儀は何度も撫でる。しばらくした後に、やっとのことでさとりは口を開いた。
「……誰?本当に勇儀、ですか?」
館の中に、土蜘蛛と橋姫の笑い声が木霊した。
「なるほど、そういうことだったのですか」
「いやあ、さっきのアンタの呆けた顔。素晴らしかったわ」
「なんのことですか?」
「勇儀は知らなくてよいのです」
場所をサロンへと移した一行は、ことの次第をさとりに『読ませた』。勇儀はキスメと空と共に、相変わらず動物達と戯れている。その様子を眺めながら、さとりは燐が淹れた紅茶に口をつけた。
「いや本当、あたいもびっくりしましたよ。いきなり勇儀の姐さんに『燐ちゃん』なんて呼ばれるんですもん」
燐もものの見事に勇儀の変貌に衝撃を受けた。名前を呼ばれたときは『おふっ』と普段そうそう口には出さない言葉で、ヤマメたちを笑わせることになった。
逆に空は、全くと言っていいほどに驚かなかった。どうやら話し言葉や見た目が変わろうとも、彼女には勇儀として認識されているようである。
事の成り行きと、ヤマメのそれまでの痴態で談笑していると、勇儀がさとりをちらちらと見ていることにパルスィは気付いた。どうしたのかと尋ねると、勇儀はもじもじとしている。さとりの顔が赤くなっているのをパルスィは見逃さなかった。
「あのう、ちょっとさとりちゃんにお願いがあるんです」
「さとりに?一体何をっ……て顔赤っ!」
何故か勇儀の顔も赤くなっている。これは何か面白いことになるに違いない。ヤマメとパルスィはにやにやと事の次第を見守ることに決めた。ちなみに燐もその様子を見てにやけ顔を浮かべたが、直後にさとりの射殺さんばかりの視線を受けて、口笛を吹くこととなった。
「私、ちょっとさとりちゃんとこいしちゃんが羨ましいんです。私には親も兄弟もいませんので。だから、姉妹とかに憧れてるんです。で、ものは相談なんですけど……」
「い、いけませんよ、勇儀。そういうのは心の中にとどめておくべきものです。せめて二人きりのときとかに、ね?」
「一回だけでいいんです。私のことを……」
キスメに空、動物たちまでも場の空気を感じてか、勇儀とさとりに視線を注いでいる。勇儀はしばらく上気した顔を忙しなく動かしていたが、やがて意を決したのか、ぎこちない笑顔と共にこう言った。
「お。お姉ちゃんって、呼んでみてくれませんか?」
パルスィは飲んでいた紅茶を盛大に噴出し、ヤマメはまたもや白目になって固まった。どうやら乙女力(おとめちから)にやられたらしい。燐は我が事のように顔を真っ赤にし、キスメと空は特に変わらなかった。
「お姉ちゃん!」
場の空気を動かしたのは、突如として勇儀に抱きついたこいしであった。勇儀は顔に赤みを帯びたまま、こいしを抱き返す。
「こいしちゃん、もう一回言ってみてくれませんか?」
「いいよ。勇儀お姉ちゃん!」
「~っ!」
余程嬉しかったのだろう。満面の笑顔と共に勇儀はこいしを抱き返す。こいしも満更ではない様子である。こいしを抱きしめたまま、勇儀はさとりへと視線を向けた。普段の病的なまでに白い肌はどこへやら。さっきからさとりの顔は赤くなりっぱなしである。
「さあ、さとりちゃんもお願いします!」
「そうよ、お姉ちゃん。勇儀お姉ちゃんが長女なんだから、姉の言うことには従わないと。お姉ちゃん自身よく言ってるじゃない」
逃げられない。何故こうなったのか、混乱した頭でさとりは考えたが、今はそれどころではなかった。何故かキスメと空も妹になりたかったようで、勇儀にお姉ちゃんといって抱きついている。パルスィは未だにむせており、ヤマメはやはり白目だった。
「お……お……」
この場を切り抜けるのは簡単だ。一言言えばいいのだ。お姉ちゃんと。だが、こうまで注目される状況だと、何故か言葉が出てこない。
どうしてこんなにも恥ずかしい思いをしているのか。もし勇儀が普段の調子で言ってきたのならば、さとりは特に気にするでもなく返すことが出来ただろう。軽口を叩く、ジョークを返す。それこそお姉ちゃんといってあげる。そう出来たはずなのだ。ちょっと印象が違うだけで、こうも変わってしまうのかと、茹で上がった頭でそんなことを考える。
ふと、さとりは勇儀を見つめた。そのうっすらと赤みを帯びた顔は、不安そうに揺れている。それを見て、いつぞやのことを思い出した。
さとりは、勇儀のことは嫌いではない。その理由の最たるところが、自分を特別視しないところだ。常に自然体で、さとりである自分と対してもその心を隠さずにぶつけてくれる。そんなところが好きなのだ。
いつだったか。自分とこいしがじゃれているのを見たときに、勇儀の感情が揺れ動いたのを感じたことがある。それは言葉にすることが出来ないほどに淡い感情だったが、そんな感情を抱いても勇儀はそれを隠そうとしなかった。
家族。気の合う仲間も背中を預けられる戦友も持っている勇儀が、唯一手にしていないもの。当時それを感じたとき、さとりはなんと言っていいのか分からず、こいしに部屋を出るように言った。
「いいもんだねえ、家族ってのは」
あの時の勇儀の言葉が思い出される。あの時、自分は気の利いた言葉などかけてやれるわけも無かった。わからなかったから。そして、勇儀を信頼していたから。信頼していたからこそ、下手な言葉で取り繕うことなど出来なかった。
もう一度、勇儀の顔を見る。不安と緊張で、普段の彼女からは想像も出来ないほどに弱々しい顔をしている。何かが、すとんと胸に落ちた気がした。
「今日だけですよ……お姉ちゃん」
さとりがそう言い終わった直後、目の前が真っ暗になった。何事かと思ったが、どうやら勇儀に抱きしめられているようだ。どうにかこうにかさとりが顔を上げると、そこには真っ赤な顔をした勇儀の顔があった。
「も、もう一回言ってくれませんか?」
「いいですよ。お姉ちゃん」
「~っ、さとりちゃん、お姉ちゃんはさとりちゃんが大好きですよ!」
「はいはい、私も大好きですよ」
「私も勇儀お姉ちゃん好きだよー!」
「私も!」
「私も」
さとりに続いて、こいしたちも好きだ好きだと連呼する。勇儀も律儀にそれを返していた。
そんな不思議空間を眺めながら、パルスィはヤマメの頭を小突く。ようやく白目状態から脱したヤマメはパルスィと視線を合わせると、何故か不適に笑った。
「いやあ、いい仕事をしたね、さすが私」
「嘘こけ。完全に予想の斜め上の事態じゃない」
「まあまあ。さて、そろそろお邪魔虫は退散するとするかね」
「それもそうね」
そういってヤマメたちは椅子から腰を上げる。何故か気の聞いた台詞を言っているように思えるが、二匹の心根は別だった。
このままここにいると十中十巻き込まれる。
企みごとは、遠くから眺めるからこそ面白いのだ。危険を察知した二匹は、気付かれぬように出口へと向かおうとして、
「『聞こえて』いますよそこのお二方。燐」
さとりの言葉が、パルスィ達の耳朶に響いた。瞬間、扉の前で燐が立ち塞がる。
「ごめんよお、お二人さん」
「どけい、猫!私達は帰る!」
「ここの主はさとり様。あたいはさとり様に従うだけさ。それに」
道連れは、多いほうがいい。後ろを振り返ったヤマメとパルスィが見たものは、幸せそうな顔をしながらにじり寄る勇儀と、邪悪な笑みを浮かべたさとりだった。
「こ、こんなはずわあああ……!」
こうして、土蜘蛛と橋姫の悲鳴が、地霊殿に響き渡るのだった。
重たい瞼をゆっくりと開く。周りの景色は闇に溶け込んでいた。どうやら寝ていたらしい。
「ここは……」
寝ぼけ眼をこすって、視線をさまよわせる。何故か服は寝巻きに変わっており、自分の隣ではさとりとこいしが寝息を立てていた。よく見ると、他の皆や動物たちも一緒になって、幾つもベッドをくっつけて眠りこけている。
どうしてこうなったのか、全く分からない。どうやら本当に催眠術というのにかかっていたようだ。一体どんなことが合ったのだろうか。憶えていないのは少し寂しかったが、きっと明日になれば皆が教えてくれるだろう。
「こういうのを家族って言うのかねえ」
みんなの笑顔を見て満足したのか、彼女は再び眠りにつくのだった。
地底にある、とある居酒屋のとある座敷の一室。今日も今日とて様々な声が飛び交う中で、ヤマメは飲んでいた。その前では何匹かの鬼達が頭を下げている。
先の催眠術騒動から数日経った後のことである。ある若い鬼がこう言ったのだ。
妹っぽい姐さんを見てみたいと。
「頼む、ヤマメちゃん!何故か恥ずかしがって家から出てこない姐さんを、催眠術で妹っぽく!」
「断る」
今日も地底は平和である。
・また、以前に書いた作品「追跡・星熊勇儀」と世界観を共有しております。単品でも読めるように最大限配慮したつもりですが、もし気になられた方は、前作を読んでいただけると、とても嬉しいです。
冷え込みの厳しい師走。そんなことは関係ないと何時も通りに、地底の住人達は酒に喧嘩に花を咲かせる、はずだった。
地底にある、とある居酒屋。普段ならばやんややんやと笑い声や怒号が飛び交う時間帯なのだが、今は見事に静まり返っている。客のほとんどは鬼の若衆であり、そんな彼らが一様に息を呑んで、ある人物を凝視している。目線の先にいたのは鬼達の顔役でもあり、地底を取り締まる星熊勇儀だった。
閉じられていた彼女の目が、ゆっくりと開かれる。しばらくきょろきょろと辺りを見回していた勇儀は、隣に座る黒谷ヤマメと視線が合う。やたらと緊張している様子のヤマメを見ながら、勇儀は口を開いた。
「どうしたのですか?ヤマメ」
割れんばかりの鬼達の歓声が響いた。その喧騒の中にいた水橋パルスィは、釣瓶落としのキスメを抱きながら、誰に聞こえるわけでもなく呟いた。
「……うっそお」
話は少し巻き戻る。
その日の朝、地底の大穴に開いている横穴でヤマメは本を読んでいた。タイトルは『今日からアナタも催眠術師!』という、端から見れば誰もが純度十割の勢いで胡散臭さを感じ取る本である。
件の異変から、少しずつではあるが地上との交流が行われるようになった。これは偶々本屋でたたき売りされていたのを発見したものである。
今日びもう少しまともなタイトルを選びたくなるような本を、ヤマメは熱心に読んでいた。近くに来ていたパルスィの気配を感じぬほどに。
「おい」
「うおう!ってパルスィか。びっくりさせないでよ」
「勇儀からの伝言よ。今夜いつもの場所で宴会だって」
「本当に!?ちょうどいい。これを試すとき時がこんなに早く来るなんて」
何を読んでいたのかパルスィが尋ねると、ヤマメは嬉々として読んでいた本の表紙を見せる。そのタイトルに、今日もヤマメはヤマメなのだとパルスィは奇妙な安心感を抱いた。
「その目……さてはバカにしてるな?」
「バカにはしてないわよ。だって貴女もうバカじゃない」
「ヒュー。嬢ちゃんいい拳してるぜ」
軽口を叩きながらも軽く涙目になったヤマメは、懐から取り出したものをおもむろにパルスィの前に差し出す。穴の開いた銅銭が、蜘蛛の糸にくくりつけられていた。
なんだこれはという疑問を口に出したかったパルスィだったが、とりあえず正座させられる。その眼前に銅銭を垂らすと、ヤマメは少しずつそれを振り始めた。
「貴女はだんだん眠くなーる。眠くなーる」
本気である。本気で自分に催眠術をかけようとしているのだとパルスィは気付いた。集中して左右に振れる銭を見つめるが、当然眠くなるはずも無い。可笑しくて笑ってしまいそうになったが、パルスィはあえてヤマメの期待に乗ることにした。その方が面白くなりそうだからである。
少しずつ瞼が下がっていくパルスィを見て(もちろんわざとであるが)、ヤマメはおお、と小さく声を上げる。やがて完全にパルスィの目が閉じたところで、ヤマメは小さくガッツポーズをした。
ちらりとパルスィが薄目を開けると、それに気付いていないヤマメはぶつぶつと独り言を口走っている。
「やべえ、やべえよ……催眠術すごくね?いや私がすごくね?これきてるよ。私が地底の頂点に立つ時が来てるよ」
笑ってはいけない。ここで笑ってしまってはばれてしまう。今現在盛大に勘違いしているヤマメの様子を見る限り、このまま騙されればもっと凄いことになるに違いない。笑いを奥歯でかみ殺して、パルスィはヤマメの動向を見守る。
「ってかまさかパルスィに効くとは思わなんだ。中身が真っ黒でもちゃんと効くものなんだなあ。いや、それともそんなの関係なしに私の催眠術が強力だったとか?どうしよう。どんな催眠をかけようかなあ」
とりあえずパルスィはヤマメの顔面に拳を叩き込むのだった。
「あなたは段々ねむくなるー。あなたは段々ねむくなるー」
「あ、いや……私には効かないみたい。ごめんね、ヤマメ」
「まさか、キスメまで心が汚れているなんて……私は信じたく、う、ううっ……」
「ごめんなさいねキスメ。この子ちょっと自分の能力で頭がパーになったみたい」
「そうなの?」
「私は正常だってーの!」
どうどうとヤマメをなだめながら、妖怪三匹は好き好きにつまみと酒を口に運ぶ。一足先に居酒屋へと足を運んでいた。
結局あの後ヤマメは地底の住人達に片っ端から催眠術をかけたが、結果は惨憺たる者だった。鬼や妖怪たちはいざ知らず、遂にはどこか間が抜けていると評判の地霊殿の地獄鴉にすら効かなかったのである。
「ヤマメ、何か悪いものでも食べたの?」
地獄鴉、空の談である。何人にも無謀な挑戦をした挙句にこの言葉は、ヤマメの意外と傷つきやすい心を抉るには充分すぎた。事情のわからぬ空をその場に残し、ヤマメは逃げるようにその場を後にした。空のばーかという捨て台詞を残して。
結局拗ねてしまったヤマメはパルスィとキスメを巻き込んで、一足先に自棄酒を決め込んだのである。これがもう少しまともな内容ならばパルスィとて気にかけることも出来るのだが、内容が内容である。完全に自業自得なのだ。キスメも苦笑いしか浮かべない辺り、わかっているようだ。
「ちくしょう。私の野望はこんなところで潰えてしまうのか」
「本読んで半日でぶち上げた野望なんて潰れてしかるべきね。ちなみにどんな?」
「催眠王女になりたい」
「ないわー」
というよりも、胡散臭い本を読んだだけで催眠術を使いこなせるようになったと考えるヤマメの頭の中が悲惨だと、パルスィは毒づく。キスメはかける言葉が未だに見つからず、ちびちびと酒を呑んでいた。
しばらくすると、少しずつ地底の妖怪たちが店へと入ってくる。大半は勇儀の部下である鬼の若衆たちだ。既に噂が広がっているのだろう。客達はヤマメの催眠術話をしきりに聞きたがる。地底のアイドルということもあってか、やはりヤマメの顔は広かった。
段々と喧騒が大きくなる頃に、勇儀はやってきた。彼女もどこかで噂を聞いたのだろう。挨拶をするや、ヤマメの隣にどかりと座り込んだ。
「なあヤマメ。アタシにも催眠術ってのかけてくれないかい?」
周りにいた若衆がざわつく。まさか自分から名乗りを上げるとは思っていなかったからだ。
「いいんだ。どうせ私の催眠術なんかお空にも効かないほどなんだからさ。勇儀にやっても意味無いよ」
「なんか随分捻くれてるねえ。そんなこと言わずにさ、やっておくれよ。一度かかってみたいんだよ。催眠術」
(まさかヤマメと同レベルとは……星熊勇儀、恐ろしい)
誰からも期待されていなかったヤマメにとって、その言葉はくすぶっていた熱を与えるには充分だった。いらぬところで戦慄するパルスィと不安そうに見つめるキスメを他所に、よっしゃあと意気を挙げてヤマメはあの銅銭と糸を取り出した。
周りの客や若衆たちもなんだなんだと事態を見守る。静かにとヤマメは一喝し、勇儀の前に銭を垂らす。煩いはずの酒家は、珍妙な沈黙に包まれた。
勇儀がじいっと銅銭に集中したのを確認して、ヤマメは少しずつ糸を左右に振り始めた。その顔は真剣そのものである。どこか集中力の使い方を間違っている二匹を見て、パルスィは呆れの感情とともに溜息を吐いた。
「あなたはだんだん眠くなる……あなたは段々眠くなる……」
いつの間にか、周りにいる観客達の表情も真剣になる。催眠術などかかるわけがない、そうかかるわけがないのだ。だが、それでも、もしかしたら。そんな感情が観客達の中に芽生えるのは、ひとえにヤマメや勇儀の人徳……妖徳のなせる業かもしれない。
しばらくの間銅銭が左右に揺れていると、ある変化が起こった。勇儀の瞼が少しずつ下がってきたのである。何匹かの客達が小さくおおと声をあげたが、それはすぐに消えた。
「眠くなる……眠くなる……」
もはやヤマメが『催眠術がかけられると思い込む催眠』にかかっているのではないか。そう思える程にその顔は一切の遊びが感じられない。ある意味で全力で遊んでいるともいえるが。
とろんとした勇儀の瞼は、しばらくもしない内に完全に閉じた。その様子を見ても、誰一人として声をあげることは無い。まだ場の緊張が解けていないからだ。
銅銭をしまったヤマメは、軽く勇儀の名を呼ぶ。反応は無い。その後に何度か頬を突いてみたが、やはり勇儀の瞼は閉じられたままである。観客達は次第に歓声を上げ始めた。ちなみにヤマメ自身もそうとうに驚いていたらしく、
「お、おお……」
となんとも取れないような声をあげた後に、
「どうだあ!見たかあ皆の衆!これが私の超能力だあ!」
と高らかに宣言した。それにつられて観客達も大きな声をあげる。これだけの大騒ぎでも勇儀の目が開かないあたり、本当にかかっているのだろう。
ちなみにいつの間にか催眠術は超能力へと驚異の進化を遂げていたが、そのことについて言及するのはパルスィを除いて誰もいない。それが地底の優しさである。
興奮が冷めやらぬ中、ある若い鬼がヤマメに問いかけた。
どんな催眠をかけるんですかい?
その言葉に、再び場に沈黙が訪れた。皆の視線が一斉にヤマメへと集中する。なにか思うところがあるのか、考え込むようにうつむく。その様子を見て思わずキスメは不安になったが、直後にヤマメは口を開いた。
「私はね、もし催眠術がかかったらまずやりたいことがあったんだ」
誰もが口を挟まず、ヤマメの言葉に耳を傾ける。パルスィは我関せずといった表情で酒を呑み、キスメは眠っている勇儀を膝枕しながら髪を梳いている。その様子をちらりとヤマメは横目で見る。
「例えばさ、ここにいるパルスィがもしもすんごく明るかったら、皆はどう思う?」
皆の視線が一斉にパルスィに向く。思わず一瞬身構えながらも、パルスィはじと目で全員をにらみ返す。
「……何よ」
全員の顔が緩み、半分ほどは鼻の下を伸ばしていた。何を想像してんのよというパルスィの言葉を他所に、ヤマメは言葉を続ける。
「もし、寝ている勇儀に膝枕をするほどに可愛いキスメが、開口一番で罵詈雑言を笑顔で言うような小悪魔だったら……皆はどう思う?」
今度は視線がキスメへと向く。場の空気に耐えられなくなったキスメは、たまらず桶の中に身を隠してしまった。どこからか、それもアリだという声が聞こえてきたが、ヤマメはさらに言葉を続けた。
「さて、皆もわかっているように、今この場ですやすやと眠っている勇儀さんは漢らしくてかっこいい。そうよね?」
ヤマメの問いかけに観客達は一様に首を縦に振った。確かに勇儀を端的な印象で表すならば、そういう表現がしっくり来るだろう。
どんなものにも分け隔てなく公平に接する性格に気風のよさ、厳しい面も確かにあるが、それが逆に彼女のよさでもある。パルスィですらも、勇儀のそういう面に関してはしっかりと認めている。だからこそ妬ましくもあるわけだが。キスメも桶をかたかたと揺らして肯定の意を表している。
「さて、そんな彼女ですが、先日私達はそんな彼女の思いがけない一面を発見したのです。彼女に従ってる奴等は、もちろん知ってるわよね?」
ヤマメが言ったのは、先日地底で起こった事件のことである。勇儀が皆に内緒で誰かに遭っているという噂が流れた。鬼の若衆たちの頼みもあってヤマメ、キスメ、パルスィの三匹が事件の真相を確かめたのだ。
結果としては、未開発地区にいる子猫と狼を構いに行ってただけなのだが、その時の勇儀の姿を見たヤマメたちと、後日勇儀についていったとある若鬼は、こんな感情を抱いたのだ。
かわいい、と。
「あの時は、勇儀の可愛さのほんの一端しか私達は見ることが出来なかった。その時私は思ったの。もしかしたら、勇儀には違う一面があるのかもしれないと……」
段々とヤマメの調子が下がっていき、それと反比例するかのように、場の緊張は再び増していく。ヤマメが再び口を閉じる。だが、これで終わりのわけが無い。皆はヤマメが口を開くのをじっと待っている。何故か居酒屋の店主と従業員まで仕事をそっちのけでヤマメの話を聞いているが、突っ込むものは誰もいない。
ことここに至って、パルスィは思った。こいつは何を言っているんだろうか。そしてこいつらは何を聞いているんだと。なぜかごくりと口で言っているキスメを軽く妬みながら、パルスィに出来ることはやはりヤマメの言葉を待つだけなのだった。
何秒の間沈黙していただろうか。ヤマメが小さく諸君と言ったのを、聞き逃したものは誰もいない。そして、直後にヤマメは目の前の卓に足をかけた。衝撃でいくつかの皿がひっくり返ったが、気にするものは誰もいなかった。
「私はっ!勇儀の違う一面を見てみたい!しかも可愛い勇儀を見てみたい!諸君はどうかっっ!見たくはないか!?」
数秒の間。その後に、ある若い鬼が声をあげた。
見てみたいです!
皆、待っていたのだ。口火を。一度ついた火は消えることを知らない。そこかしこから俺も僕も私もわしも、と声が上がる。それらをひとしきり聞いた後に、ヤマメはゆっくりと言ったのだ。
「諸君等の願い、私が叶えてみせよう」
かくして話は、冒頭へとつながる。
周囲の歓声に勇儀は一瞬びくりとすると、きょろきょろと周りを見渡した。状況を理解しようとしているのだろう。そしてやはりヤマメに視線を戻すと、普段からは考えも出来ないほどに狼狽しながら尋ねた。
「なにがどうなってるんですか?ヤマメ、わかりますか?」
空気が固まる。おそらくこの場で一番冷静であるだろうパルスィですらも身体を硬直させるほどに。沈黙を破って、ヤマメは聞き返した。勇儀、もう一回言ってと。豪放磊落な鬼は、首をちょこんと傾けた。
「? いや、だからどうして皆騒いでいるのかなって。ヤマメ、わかりますか?」
「お……お……」
「大丈夫ですかヤマメ?なんか顔色が優れないようですが……」
勇儀は気付かない、自分が催眠術にかかっていることに。ヤマメの顔は、もはや顔色が悪いという程度を通り越して土気色になっている。そして目は白目をむいている。少なくとも少女がしていい顔ではないことは確かだった。
本当にヤマメが心配なのだろう。心配そうに自分の顔を覗きこむ勇儀の顔を見て、ヤマメは渾身の一言を口から搾り出す。
「乙女がおる……」
そしてヤマメはばたりと倒れた。突然の出来事に勇儀はきゃっと声をあげたが、すぐにヤマメを抱き寄せると容態を確認する。その様子は、さながら子を心配する母である。その様子を見て、パルスィは口を開いた。
「催眠術って、おっそろしいわねえ……」
『乙女になる』
ヤマメが勇儀にかけた催眠である。目を開けた勇儀は、彼女の持つ『乙女』という価値観に基づいて行動しているのだ。
誰も、勇儀に乙女とはこのようなものだと吹き込んではいない。つまり、今の勇儀の状態が、そのまま彼女の持つ乙女像なのだろう。だが、それにしてはあまりにも凄まじい違いである。こういう時にこそ噴火しそうなパルスィですら、今必死にヤマメに呼びかけている鬼を勇儀だと理解する作業で一杯であった。
周りでは、固まっている者が半数。鼻の下を伸ばして固まっているのが三割ほど。残りは白目をむいて固まっていた。それほどまでに、勇儀の変貌は凄まじかったのである。
衝撃から復活したヤマメは、周りの惨状を目の当たりにして溜息を吐いた。まさか言葉遣いと性格が変わるだけでこんなにも印象が変わるとは思っていなかったのだ。
「ねえ、勇儀。一緒に行きたいところがあるんだけどこれから大丈夫?」
まだ宴会が始まってからそう時間は経っていないのだが、とても酒を楽しめるような状態ではない。店主も従業員達も固まったままだからだ。勇儀は首をかしげながらも構わないと応える。
「どこに行く気よ?」
パルスィの言葉に振り向いたヤマメの顔は、しばらく見ないほどの笑顔を浮かべていた。
「地霊殿。さとりたちにも見せてあげなくちゃ不公平でしょ?」
もっともらしいことを土蜘蛛はのたまったが、パルスィは知っている。これはただ単に自分が楽しみたいだけだと。生の永い妖怪、楽しみは永く味わいたいのである。そして、パルスィもまた妖怪であった。
「勇儀、とってもきれい」
「ありがとうキスメ。そう言われると嬉しいです」
地霊殿へと向かう道中、ヤマメたちは勇儀の家へと寄った。勇儀を着替えさせるためである。先程までは普段どおりの姿だったが、それでは少し味気ない。ということで以前若衆たちからもらった服へと着替えさせたのだ。
白のセーターに赤いロングスカートに革のブーツ。ついでに髪の毛も後ろで縛っておいた。桶ごとキスメを抱きかかえる姿は少しシュールだが、それを差し引いても充分に綺麗である。
地霊殿に向かう道中で、喧嘩をしている二匹の妖怪がいた。普段ならば積極的に介入して、結局気が済むまで喧嘩をさせる勇儀だが、今回の対応は違った。
なんと妖怪たちを正座させると、説教を始めたのだ。最終的には少し涙目にもなっていた。だが、一通り話が終わると喧嘩を再開させるあたりは例え乙女になっても勇儀であった。
「あいつら、どんな反応するかなあ。いやー楽しみだわ」
「まあ、さとりはあまり変わらないんじゃない?普段から勇儀と喋っているだろうし。心の中も見ているだろうから」
「いやいやわからんよ。逆に変わった性格の勇儀を見て一番狼狽するのは、さとりだと思うけどね」
後ろでキスメと戯れる勇儀に気付かれぬよう、ヤマメとパルスィは小声で喋る。そうこうしているしているうちに、一向は地霊殿へと辿りついた。意気揚々と敷地へと入ったヤマメたちに、動物達が近寄ってきた。顔見知りということでよくここに訪れるヤマメたちは、ここの動物達に懐かれている。
そんな動物たちを、勇儀は率先して構っていた。皆を引っ張っていく印象の強い彼女であるが、意外と動物に対しては自分から構っていく。どうやら動物好きらしい。
「みんな、元気にしてましたか?」
勇儀の言葉にある犬は尻尾を振り、ある狼は腹を見せ、ある猫は足元をすりついて離れない。まさしく人気者であった。キスメも一緒になって動物達を構っている。
「乙女力(おとめちから)たけーなあ……」
「なにそのハイパー化とかありそうな力は。あいつは普段から好かれてるわよ。いつもと違うから目立って見えるだけでしょ」
「ってかパルスィはあの勇儀見てなんも妬まんの?」
「……なんつうか、毒気を抜かれたわ」
「ああ、確かに」
懐いてくる動物たちを構いながら、ヤマメは館の中へと入る。館の主がいるであろう部屋を目指し、そこの扉を開けると、案の定地霊殿の主……古明地さとりはそこにいた。
「……何か用ですか?」
「へい、さとり。時間あるかい?面白いのを連れてきたぜ!」
「はあ。まあ今は暇ですから大丈夫ですが……!?」
「こんばんは、さとりちゃん。お邪魔しています」
勇儀の言葉にさとりの身体が固まった。勇儀の後ろではヤマメとパルスィが腹を抱えて震えている。地霊殿の主が吃驚するところなど中々見られないのだ。
返事が無いことに不安を覚えたのか、抱えているキスメの頭を勇儀は何度も撫でる。しばらくした後に、やっとのことでさとりは口を開いた。
「……誰?本当に勇儀、ですか?」
館の中に、土蜘蛛と橋姫の笑い声が木霊した。
「なるほど、そういうことだったのですか」
「いやあ、さっきのアンタの呆けた顔。素晴らしかったわ」
「なんのことですか?」
「勇儀は知らなくてよいのです」
場所をサロンへと移した一行は、ことの次第をさとりに『読ませた』。勇儀はキスメと空と共に、相変わらず動物達と戯れている。その様子を眺めながら、さとりは燐が淹れた紅茶に口をつけた。
「いや本当、あたいもびっくりしましたよ。いきなり勇儀の姐さんに『燐ちゃん』なんて呼ばれるんですもん」
燐もものの見事に勇儀の変貌に衝撃を受けた。名前を呼ばれたときは『おふっ』と普段そうそう口には出さない言葉で、ヤマメたちを笑わせることになった。
逆に空は、全くと言っていいほどに驚かなかった。どうやら話し言葉や見た目が変わろうとも、彼女には勇儀として認識されているようである。
事の成り行きと、ヤマメのそれまでの痴態で談笑していると、勇儀がさとりをちらちらと見ていることにパルスィは気付いた。どうしたのかと尋ねると、勇儀はもじもじとしている。さとりの顔が赤くなっているのをパルスィは見逃さなかった。
「あのう、ちょっとさとりちゃんにお願いがあるんです」
「さとりに?一体何をっ……て顔赤っ!」
何故か勇儀の顔も赤くなっている。これは何か面白いことになるに違いない。ヤマメとパルスィはにやにやと事の次第を見守ることに決めた。ちなみに燐もその様子を見てにやけ顔を浮かべたが、直後にさとりの射殺さんばかりの視線を受けて、口笛を吹くこととなった。
「私、ちょっとさとりちゃんとこいしちゃんが羨ましいんです。私には親も兄弟もいませんので。だから、姉妹とかに憧れてるんです。で、ものは相談なんですけど……」
「い、いけませんよ、勇儀。そういうのは心の中にとどめておくべきものです。せめて二人きりのときとかに、ね?」
「一回だけでいいんです。私のことを……」
キスメに空、動物たちまでも場の空気を感じてか、勇儀とさとりに視線を注いでいる。勇儀はしばらく上気した顔を忙しなく動かしていたが、やがて意を決したのか、ぎこちない笑顔と共にこう言った。
「お。お姉ちゃんって、呼んでみてくれませんか?」
パルスィは飲んでいた紅茶を盛大に噴出し、ヤマメはまたもや白目になって固まった。どうやら乙女力(おとめちから)にやられたらしい。燐は我が事のように顔を真っ赤にし、キスメと空は特に変わらなかった。
「お姉ちゃん!」
場の空気を動かしたのは、突如として勇儀に抱きついたこいしであった。勇儀は顔に赤みを帯びたまま、こいしを抱き返す。
「こいしちゃん、もう一回言ってみてくれませんか?」
「いいよ。勇儀お姉ちゃん!」
「~っ!」
余程嬉しかったのだろう。満面の笑顔と共に勇儀はこいしを抱き返す。こいしも満更ではない様子である。こいしを抱きしめたまま、勇儀はさとりへと視線を向けた。普段の病的なまでに白い肌はどこへやら。さっきからさとりの顔は赤くなりっぱなしである。
「さあ、さとりちゃんもお願いします!」
「そうよ、お姉ちゃん。勇儀お姉ちゃんが長女なんだから、姉の言うことには従わないと。お姉ちゃん自身よく言ってるじゃない」
逃げられない。何故こうなったのか、混乱した頭でさとりは考えたが、今はそれどころではなかった。何故かキスメと空も妹になりたかったようで、勇儀にお姉ちゃんといって抱きついている。パルスィは未だにむせており、ヤマメはやはり白目だった。
「お……お……」
この場を切り抜けるのは簡単だ。一言言えばいいのだ。お姉ちゃんと。だが、こうまで注目される状況だと、何故か言葉が出てこない。
どうしてこんなにも恥ずかしい思いをしているのか。もし勇儀が普段の調子で言ってきたのならば、さとりは特に気にするでもなく返すことが出来ただろう。軽口を叩く、ジョークを返す。それこそお姉ちゃんといってあげる。そう出来たはずなのだ。ちょっと印象が違うだけで、こうも変わってしまうのかと、茹で上がった頭でそんなことを考える。
ふと、さとりは勇儀を見つめた。そのうっすらと赤みを帯びた顔は、不安そうに揺れている。それを見て、いつぞやのことを思い出した。
さとりは、勇儀のことは嫌いではない。その理由の最たるところが、自分を特別視しないところだ。常に自然体で、さとりである自分と対してもその心を隠さずにぶつけてくれる。そんなところが好きなのだ。
いつだったか。自分とこいしがじゃれているのを見たときに、勇儀の感情が揺れ動いたのを感じたことがある。それは言葉にすることが出来ないほどに淡い感情だったが、そんな感情を抱いても勇儀はそれを隠そうとしなかった。
家族。気の合う仲間も背中を預けられる戦友も持っている勇儀が、唯一手にしていないもの。当時それを感じたとき、さとりはなんと言っていいのか分からず、こいしに部屋を出るように言った。
「いいもんだねえ、家族ってのは」
あの時の勇儀の言葉が思い出される。あの時、自分は気の利いた言葉などかけてやれるわけも無かった。わからなかったから。そして、勇儀を信頼していたから。信頼していたからこそ、下手な言葉で取り繕うことなど出来なかった。
もう一度、勇儀の顔を見る。不安と緊張で、普段の彼女からは想像も出来ないほどに弱々しい顔をしている。何かが、すとんと胸に落ちた気がした。
「今日だけですよ……お姉ちゃん」
さとりがそう言い終わった直後、目の前が真っ暗になった。何事かと思ったが、どうやら勇儀に抱きしめられているようだ。どうにかこうにかさとりが顔を上げると、そこには真っ赤な顔をした勇儀の顔があった。
「も、もう一回言ってくれませんか?」
「いいですよ。お姉ちゃん」
「~っ、さとりちゃん、お姉ちゃんはさとりちゃんが大好きですよ!」
「はいはい、私も大好きですよ」
「私も勇儀お姉ちゃん好きだよー!」
「私も!」
「私も」
さとりに続いて、こいしたちも好きだ好きだと連呼する。勇儀も律儀にそれを返していた。
そんな不思議空間を眺めながら、パルスィはヤマメの頭を小突く。ようやく白目状態から脱したヤマメはパルスィと視線を合わせると、何故か不適に笑った。
「いやあ、いい仕事をしたね、さすが私」
「嘘こけ。完全に予想の斜め上の事態じゃない」
「まあまあ。さて、そろそろお邪魔虫は退散するとするかね」
「それもそうね」
そういってヤマメたちは椅子から腰を上げる。何故か気の聞いた台詞を言っているように思えるが、二匹の心根は別だった。
このままここにいると十中十巻き込まれる。
企みごとは、遠くから眺めるからこそ面白いのだ。危険を察知した二匹は、気付かれぬように出口へと向かおうとして、
「『聞こえて』いますよそこのお二方。燐」
さとりの言葉が、パルスィ達の耳朶に響いた。瞬間、扉の前で燐が立ち塞がる。
「ごめんよお、お二人さん」
「どけい、猫!私達は帰る!」
「ここの主はさとり様。あたいはさとり様に従うだけさ。それに」
道連れは、多いほうがいい。後ろを振り返ったヤマメとパルスィが見たものは、幸せそうな顔をしながらにじり寄る勇儀と、邪悪な笑みを浮かべたさとりだった。
「こ、こんなはずわあああ……!」
こうして、土蜘蛛と橋姫の悲鳴が、地霊殿に響き渡るのだった。
重たい瞼をゆっくりと開く。周りの景色は闇に溶け込んでいた。どうやら寝ていたらしい。
「ここは……」
寝ぼけ眼をこすって、視線をさまよわせる。何故か服は寝巻きに変わっており、自分の隣ではさとりとこいしが寝息を立てていた。よく見ると、他の皆や動物たちも一緒になって、幾つもベッドをくっつけて眠りこけている。
どうしてこうなったのか、全く分からない。どうやら本当に催眠術というのにかかっていたようだ。一体どんなことが合ったのだろうか。憶えていないのは少し寂しかったが、きっと明日になれば皆が教えてくれるだろう。
「こういうのを家族って言うのかねえ」
みんなの笑顔を見て満足したのか、彼女は再び眠りにつくのだった。
地底にある、とある居酒屋のとある座敷の一室。今日も今日とて様々な声が飛び交う中で、ヤマメは飲んでいた。その前では何匹かの鬼達が頭を下げている。
先の催眠術騒動から数日経った後のことである。ある若い鬼がこう言ったのだ。
妹っぽい姐さんを見てみたいと。
「頼む、ヤマメちゃん!何故か恥ずかしがって家から出てこない姐さんを、催眠術で妹っぽく!」
「断る」
今日も地底は平和である。
こぉ、意識しなかった幼馴染が! みたいな!w
>>この場を切り抜けるのは簡単だ。一言言えばいいのだ。お姉ちゃんと。だが、こうまで注目される状況だと、何故か言葉が出てこなかっい。
↑来なかった、と来ない、が合体しておりますぞ
>「例えばさ、ここにいるパルスィがもしもすんごく明るかったら、皆は同思う?」
同→どう 誤字ですかね?
とても可愛かったです。
終始ニヤニヤしながら読ませて頂きました。ごちそうさまです。