私は今日も変わらず橋でぼんやりとしていた。
地上と地底が交流を始めてから、この橋を通る者は格段に増えた。
一応、縦穴の番人として此処にいるのだが、意気揚々と目の前を通って行く奴らを恨めしそうに見るのが私の仕事と言っていいのかもしれない。
今日も今日とて妬み三昧。ああ、何て幸せな日々!
けれども、そんな平和な時間を崩す奴がやってきた。
欄干に寄り掛かっている私に近づいてきたかと思えば、顔色を伺うように覗いてくる。
何時もなら私を無視して地上へ行く面倒な奴が、今日は何故か絡んできた。
「パルスィの眼って、綺麗な緑色だよね」
古明地こいし、青いマフラーをくるりと巻いて地上へ雪見にでも行く予定なのだろう。
地底にも雪は降ってくるが、薄暗くあまり綺麗だと感じることはない。
地上へ行く気はないけれど、きっと美しい銀世界が広がっているんでしょうね。
ああ、想像しただけで妬ましいわ。
「ねえ、無視しないでよー」
「……普段から私の目の前を素通りしていく貴女に言われたくないわ」
何考えてるのか分からない奴と話すのは疲れるし、早くどっかに行ってくれないかしら。
……ああ、この子は何も考えていないんだったっけ。
こいしは私のすぐ隣で同じ様に欄干に寄り掛かり、遠くの岩肌を見つめている。
私の言葉なんて毛ほども気にしていないのでしょうね。
「緑色って苦そうだけれど、パルスィの眼はそうじゃないと思うの」
これは彼女なりの褒め言葉なのだろうか?
そもそも私は、眼の味なんて知らないし知りたくもない。
「アンタって人間を喰うタイプだったっけ?」
「いーや。今日の朝ご飯はお姉ちゃんが作ったふわふわプレーンオムレツだったわ」
「じゃあ何でそんな話をするのよ」
「んー。この前ね、灼熱地獄に落とされる死体の眼が潰れててさ、そのガラス体っていうのかな、透明なゼリーみたいなのが綺麗で美味しそうだったのよ」
私には及びもつかないようなグロテスクな話だ。
この調子で今日はこいしの相手をするのが仕事になるのだけは勘弁願いたいわ……。
「それを食べようとしたらお燐に止められちゃって……。どんな味か気になるから本で調べたけれど、どこにも載ってないの。だから地上にいる賢者とやらに聞きに行こうと思ってね」
「私は眼の味なんて知らないわよ。早く地上へ行ったらどうかしら?」
できるだけ早く会話を切り上げたいが、こいしはまだまだ此処にいるようだ。
本当に地上へ行く気があるのだろうか。
私が呆れた表情をありありと出しても、この子はまた口を開いて話し始める。
さとりに文句を言ってもいいかしら。仕事の邪魔になるって。
仕事らしい仕事はしていないけれど。
「昨日ね、ガラス体の味は瞳の色と関係してるかもって思ったの」
「……子どもらしい突飛な発想ね」
嫌味を言ってもビクともしない。というか、嫌味だと分かっていないのかもしれない。
能天気な奴らって本当に幸せね。
「いくら美味しそうって言っても、透明な色だし味が想像できないのよ。色のない料理なんて中々ないでしょ?」
あら、意外とまともな事も言うのね。
確かに透明な食べ物なんて寒天くらいしか思いつかないわ。
前に食べたのはいつだったかしら……。
「そこで私は考えてみたんだけど、例えば黒茶色の瞳は苦~いビターなチョコレート」
「焦げた魚みたいな味かもしれないわ」
「赤色は甘酸っぱいリンゴの味がするかも」
「きっと舌が焼けるように辛いんじゃないかしら」
「灰色は何だろう、こんにゃくみたいな?」
「石みたいな、食べ物じゃない味がしそうね」
「金色はプリンかな!」
「何にも例えられないゲテモノな気がするわ」
「青色はサイダーとか、清涼感がありそうなの!」
「炭酸の眼なんて御免だわ」
「緑色は苦いお野菜の味かなぁ」
「あら、私の眼は健康的なのね」
こいしの空想に合わせて、適当に自分の考えを述べてみる。
こうしてみると、なんだか自分の発想が悲しく思えてきたわ……。
「でもパルスィの緑はちょっと違う気がしたの」
さっきも同じ様なことを言っていたが、何がどう違うというのだ。
一般的な緑眼と比べれば、自分の眼は少し濃い色をしているぐらいだ。
これと言った特別な何かがある訳ではない。ありふれたただの眼である。
「きっと苦いだけじゃなくて、深い味わいみたいな何かがあると思うんだけど……」
こいしが欄干に寄り掛かるのをやめて、私の目の前に立つ。
真正面から見つめられるのは、何と言うか……慣れていない。
いつものように視線を逸らそうとしたけれど、できなかった。
「ねぇ、私、貴女の眼を食べたいんだけど、いいよね?」
何を言っているんだ、この娘は。
そう笑い飛ばそうとしたが、並々ならぬ圧力が私の動きを止めた。
長年妖怪として生きてきたが、こんなに強い妖気を直に浴びせられたことはない。
鬼ですら私を遠くから見るだけで、喧嘩を売ってくる輩なんてそうそういなかったもの。
……上手く動けない。視線から逃げられない。後ろに下がろうにも、背には欄干の感触。
私の能力で退けさせよとしたが、心を閉じたこいしには効き目がない。
これはいけない。
本気、なの?
ねぇ、ちょっと、
まずい、このままでは、ほんとう
に
こ
いしの
手 が
私
の
め
を
「わたしの、眼は………嫉妬で、できて、いるの……! 心を捨てた……そんな、そんな貴女にっ……その味が、分かるワケないっ!!」
私の擦れた声が、洞窟に響く。
ピタリ、とこいしの動きが止まる。
「そっか……じゃあもし、私のサードアイが開いた時には食べさせてくれる?」
私の眼まであと一寸、すんでのところで抉り取られる事は阻止できたようだ。
張り詰めていた妖気が収まっていくのが感じられる。
平然としているこいしが妬ましい。
私は貴女のせいで危機にさらされていたと言うのに。
「……考えておいてあげるけれど、その時には眼を食べたいなんて思わなくなってると思うわ……」
なんだか体に力が入らない。
気付けばこいしは目の前から消えて、旧都の方角へ向かっていた。
「じゃ、なんだかお姉ちゃんに抱きつきたくなったから帰るね! またね、パルスィ」
地上に行く予定はいいのだろうか?
まあ、どうせ賢者に同じ質問をぶつけても迷惑がられるだけだろうし、これでいいのかもしれない。
こいしの姿が暗闇へと消える。
少ししか話していないはずなのに、なぜか酷く疲れた。
……しばらくは誰の眼も見たくない。
苦くて甘い嫉妬を肴に、今日は一人酒をしようかしらね……。
了
地上と地底が交流を始めてから、この橋を通る者は格段に増えた。
一応、縦穴の番人として此処にいるのだが、意気揚々と目の前を通って行く奴らを恨めしそうに見るのが私の仕事と言っていいのかもしれない。
今日も今日とて妬み三昧。ああ、何て幸せな日々!
けれども、そんな平和な時間を崩す奴がやってきた。
欄干に寄り掛かっている私に近づいてきたかと思えば、顔色を伺うように覗いてくる。
何時もなら私を無視して地上へ行く面倒な奴が、今日は何故か絡んできた。
「パルスィの眼って、綺麗な緑色だよね」
古明地こいし、青いマフラーをくるりと巻いて地上へ雪見にでも行く予定なのだろう。
地底にも雪は降ってくるが、薄暗くあまり綺麗だと感じることはない。
地上へ行く気はないけれど、きっと美しい銀世界が広がっているんでしょうね。
ああ、想像しただけで妬ましいわ。
「ねえ、無視しないでよー」
「……普段から私の目の前を素通りしていく貴女に言われたくないわ」
何考えてるのか分からない奴と話すのは疲れるし、早くどっかに行ってくれないかしら。
……ああ、この子は何も考えていないんだったっけ。
こいしは私のすぐ隣で同じ様に欄干に寄り掛かり、遠くの岩肌を見つめている。
私の言葉なんて毛ほども気にしていないのでしょうね。
「緑色って苦そうだけれど、パルスィの眼はそうじゃないと思うの」
これは彼女なりの褒め言葉なのだろうか?
そもそも私は、眼の味なんて知らないし知りたくもない。
「アンタって人間を喰うタイプだったっけ?」
「いーや。今日の朝ご飯はお姉ちゃんが作ったふわふわプレーンオムレツだったわ」
「じゃあ何でそんな話をするのよ」
「んー。この前ね、灼熱地獄に落とされる死体の眼が潰れててさ、そのガラス体っていうのかな、透明なゼリーみたいなのが綺麗で美味しそうだったのよ」
私には及びもつかないようなグロテスクな話だ。
この調子で今日はこいしの相手をするのが仕事になるのだけは勘弁願いたいわ……。
「それを食べようとしたらお燐に止められちゃって……。どんな味か気になるから本で調べたけれど、どこにも載ってないの。だから地上にいる賢者とやらに聞きに行こうと思ってね」
「私は眼の味なんて知らないわよ。早く地上へ行ったらどうかしら?」
できるだけ早く会話を切り上げたいが、こいしはまだまだ此処にいるようだ。
本当に地上へ行く気があるのだろうか。
私が呆れた表情をありありと出しても、この子はまた口を開いて話し始める。
さとりに文句を言ってもいいかしら。仕事の邪魔になるって。
仕事らしい仕事はしていないけれど。
「昨日ね、ガラス体の味は瞳の色と関係してるかもって思ったの」
「……子どもらしい突飛な発想ね」
嫌味を言ってもビクともしない。というか、嫌味だと分かっていないのかもしれない。
能天気な奴らって本当に幸せね。
「いくら美味しそうって言っても、透明な色だし味が想像できないのよ。色のない料理なんて中々ないでしょ?」
あら、意外とまともな事も言うのね。
確かに透明な食べ物なんて寒天くらいしか思いつかないわ。
前に食べたのはいつだったかしら……。
「そこで私は考えてみたんだけど、例えば黒茶色の瞳は苦~いビターなチョコレート」
「焦げた魚みたいな味かもしれないわ」
「赤色は甘酸っぱいリンゴの味がするかも」
「きっと舌が焼けるように辛いんじゃないかしら」
「灰色は何だろう、こんにゃくみたいな?」
「石みたいな、食べ物じゃない味がしそうね」
「金色はプリンかな!」
「何にも例えられないゲテモノな気がするわ」
「青色はサイダーとか、清涼感がありそうなの!」
「炭酸の眼なんて御免だわ」
「緑色は苦いお野菜の味かなぁ」
「あら、私の眼は健康的なのね」
こいしの空想に合わせて、適当に自分の考えを述べてみる。
こうしてみると、なんだか自分の発想が悲しく思えてきたわ……。
「でもパルスィの緑はちょっと違う気がしたの」
さっきも同じ様なことを言っていたが、何がどう違うというのだ。
一般的な緑眼と比べれば、自分の眼は少し濃い色をしているぐらいだ。
これと言った特別な何かがある訳ではない。ありふれたただの眼である。
「きっと苦いだけじゃなくて、深い味わいみたいな何かがあると思うんだけど……」
こいしが欄干に寄り掛かるのをやめて、私の目の前に立つ。
真正面から見つめられるのは、何と言うか……慣れていない。
いつものように視線を逸らそうとしたけれど、できなかった。
「ねぇ、私、貴女の眼を食べたいんだけど、いいよね?」
何を言っているんだ、この娘は。
そう笑い飛ばそうとしたが、並々ならぬ圧力が私の動きを止めた。
長年妖怪として生きてきたが、こんなに強い妖気を直に浴びせられたことはない。
鬼ですら私を遠くから見るだけで、喧嘩を売ってくる輩なんてそうそういなかったもの。
……上手く動けない。視線から逃げられない。後ろに下がろうにも、背には欄干の感触。
私の能力で退けさせよとしたが、心を閉じたこいしには効き目がない。
これはいけない。
本気、なの?
ねぇ、ちょっと、
まずい、このままでは、ほんとう
に
こ
いしの
手 が
私
の
め
を
「わたしの、眼は………嫉妬で、できて、いるの……! 心を捨てた……そんな、そんな貴女にっ……その味が、分かるワケないっ!!」
私の擦れた声が、洞窟に響く。
ピタリ、とこいしの動きが止まる。
「そっか……じゃあもし、私のサードアイが開いた時には食べさせてくれる?」
私の眼まであと一寸、すんでのところで抉り取られる事は阻止できたようだ。
張り詰めていた妖気が収まっていくのが感じられる。
平然としているこいしが妬ましい。
私は貴女のせいで危機にさらされていたと言うのに。
「……考えておいてあげるけれど、その時には眼を食べたいなんて思わなくなってると思うわ……」
なんだか体に力が入らない。
気付けばこいしは目の前から消えて、旧都の方角へ向かっていた。
「じゃ、なんだかお姉ちゃんに抱きつきたくなったから帰るね! またね、パルスィ」
地上に行く予定はいいのだろうか?
まあ、どうせ賢者に同じ質問をぶつけても迷惑がられるだけだろうし、これでいいのかもしれない。
こいしの姿が暗闇へと消える。
少ししか話していないはずなのに、なぜか酷く疲れた。
……しばらくは誰の眼も見たくない。
苦くて甘い嫉妬を肴に、今日は一人酒をしようかしらね……。
了
眼は、涙の味がするんでしょうかね……
私の中ではとても「ありそう」なSSでした。