「かにぃ」
さとり様がカニになった。
いや、カニ……なのかな?
カニっぽくないよね。
髪型からスリッパ、やけに短い腕の長さまで合わせて、全部いつものさとり様。
でもカニだって言ってるし。
足の数足りない気がするけど。
多分カニなんだろう。
そういうわけで、さとり様がカニになった。
「どうも、古明地タラバです。こっちが妹の古明地ズワイ」
こいし様もカニになった。
でも、カニってこう、やっぱり足が8本くらいなかったっけ。10本?
……どっちだったかな。
「はっ、タラバガニとズワイガニは違う仲間……ッ!」
そうそう、足の数はタラバが8本でズワイが10本だ。
あれ? それってつまり……?
「ま、まさか……私たちは本当の姉妹ではない……ッ!?」
爆弾発言。発言的には、かなり酷いですね。
「お姉ちゃん、それって……」
「いえ、誰が何と言おうとこいしは私の妹です」
あ、こいし様の呼び名はズワイじゃないんですか。
「お姉ちゃん! おねえちゃーん!」
「こいし!」
ああ、お二人とも仲良く抱き合って……うん。
そろそろ、現実に戻ろうか。
「おかしいだろうがぁぁああぁあぁああぁあああぁ!」
目が覚めた。
でも、悪夢は続いていた。
夢だと思いたかった。
しかし夢ではなかった。
現実で、目の前のさとり様はカニカニ言っているし、こいし様はさとり様に抱きついて笑ってる。
頬をつねったところで、やっぱりただ痛いだけだった。
「どうしたんですか、叫び声をあげて」
「どうしたもこうしたも有りませんよ! おかしいでしょう、さとり様!?」
「おや? タラバ、と御呼びください」
「頭でもおかしくなりやがりましたかタラバ様!」
「まぁ、飼い主に向かって何たる言葉づかい。いけませんよ、おスベ」
「あたいの主人はさとり様! カニなんかじゃな……おスベ?」
「古明地タラバ、古明地ズワイ、タカアシ空、火焔猫スベスベマンジュウガニ。4人で蟹霊殿です」
「あたいだけ名前なげぇ!」
不条理だった。
さとり様も、こいし様も、お空も、字数だけは同じ。だというのに、あたいだけ異様に長い。
あたいはその場に崩れ落ちながら床を思いきり殴りつけた。
勿論、すごく痛かった。
「あら、不服です?」
「ったりまえでしょうが! この世界のどこに、マンジュウ呼ばわりで満足する人がいるんですか!
?」
「おスベがいます」
「あたいか!? あたいは嫌ですよ!」
「ふむ……そうですか」
「何で不服そうなんですかさとぁラバ様!?」
「なんですかその発音は」
「言い間違えただけですっ!」
思わず言い間違えてしまった。
いや、むしろあってるはずなんだけど。
さとり様でいいはずなんだけど。
「うーむ……あんなに毒が強いのに」
「スベスベマンジュウなのに毒!?」
「フグ毒のテトロドキシンを蓄えています。猛毒ですよ」
「食べられないんです?」
「即死級です」
「誰だそんなおいしそうな名前を付けたのは!」
「さぁ? 少なくとも私ではありませんし」
首をかしげたさとり様は困ったような顔をした。
困ってんのはこっちだ、ともう一度床を殴りつける。
せめて、こう……もうちょっと普遍的なカニでありたかった。
「んなわけねぇだろ!」
自分にツッコミ。
いや、うん。ダメだ。やっぱりあたいは猫がいい。
猫。にゃーん。
結構気に入ってんだ。
そして、さとり様はさとり様でなくてはいけない。
気にいってんだ。
タラバじゃなくて、さとり様だ。
「さとり様」
「タラバ、と」
「さとり様、やっぱりあたい――」
「そうですね、スベスベマンジュウガニでは不服でしょう」
「――分かって、くださいますか?」
伏せていた顔を上げる。
やはりさとり様は分かってくれる。あたいの
「では、貴方は火焔猫スベスベケブカガニで」
「キャッツウォーク!」
「かにぃ!」
クラウチングスタートで、さとり様にラリアット。
甲殻類のような悲鳴を上げて、さとり様は宙を舞った。
それを見て、こいし様は噴き出していらっしゃる。
助けてほしいな、という視線を送ってみた。
こいし様はウィンクを返してきた。
く、言葉でなくては通じない、か……!
「助けてこいし様。お願いします」
「面白いからやーだ」
やっぱり言葉でも通じませんよねー。
分かっていても、くやしい。
そしてまた、あたいの拳が床に吸い込まれていく。
くそう。だれがこんな地霊殿にしたんだ!
「おスベ。ここは蟹霊殿ですよ」
さとり様は蟹歩きで戻って来た。
ぴんぴんしてる。くそう。
「まずはそのおスベというのを止めてください」
「……おケブカ?」
「キャッツウォーク!」
「しおまねきっ!」
さとり様に、もう一度ラリアット。
助走なしなのに、さとり様は見事に吹っ飛びなさった。
……ちょっと痛そう。
痛そうだけど、うん。自業自得だし?
向こうのさとり様も、元気そうだ。
そして、こいし様はお腹を抱えて笑っていらっしゃる。
あたいそんなに滑稽なのかな
「うん、すっごく面白い」
「畜生っ!」
あたいの拳が悲鳴を上げ始める、しかし床を殴る動きは止まらない。
床が凹んできた。あたいの心はもっと凹んでいた。
こんなん地霊殿じゃないやい。地霊殿を返せ。あたいの地霊殿を返せ。
ああ、床がぼやけてきた。くそう、涙が……涙が出そうに……。
「おスベ」
性懲りもなく、さとり様はあたいをおスベと呼ぶ。こいし様は爆笑されている。
あたいはそのカニ姉妹に背を向けて、体育座りした。
もう、元に戻るまで口をきいてあげませんからね。
「どうしましょうこいし、おスベの髪が赤くなってます」
「ゆでられちゃったのかな」
「地毛ですよ!」
つい反応してしまった。
あたいこの髪色も気に入ってるんだ!
くそう。もう反応してやらない。
「おスベ」
「……」
「おスベ」
「……」
「おースーベー」
さとり様が、あたいの周りを歩き始めた。カニ歩きかつすり足で、ゆっくりと。
あたいの背後でこいし様が転げまわって笑っていらっしゃる。
泣きたい。
でも、こう、時折視界に映る、ガニ股のさとり様の足を見てると……ねぇ。
こう、軽快にシャカシャカと音を立てて……ねぇ。
なんだかあたいも、うん、ホントに悔しいんだけど、面白くなってきた。
だってさ、笑うなって言う方が無理だと思うんだ。
でも、笑わない、あたいは耐える――
「高速で逆回転っ!」
おいおいおいおい、こいし様何おかしな注文つけちゃってるんです?
「かにぃ!」
さとり様がノったぁーっ!
目の前で交錯する細くて色白の脚を見ながら、あたいはついに噴き出した。
あの後、半泣きでさとり様の股の下を駆け抜けたあたいはそのまま部屋に閉じこもった。
頭を抱えて、布団でゴロゴロと精神を休める。
……うん。さとり様が元に戻ったら出るんだ。
さとり様はいいお方。ちょっと頭おかしくなってるだけなんだ、きっと。
「お燐、お燐」
扉の向こうから、お空の声が聞こえる。
「ごめんお空、いまちょっと元気なくて」
「さとり様がカニ食べようって」
「ごめんね、ちょっと今は甲殻類見たくないんだ」
カニは勿論、エビも見たくない。
シャコもきつい。
……ミジンコなら、いいかな。
「で、でもおいしそうだよ」
あー……でも食べるなら許せるかもしれない。
カニ、やっぱりおいしいし。
さとり様があたいをお燐、って呼んでくれてたのなら行こうかな。
「……さとり様がなんて言っていたか、覚えてない?」
「えーっと……うにゅ、覚えてない」
だよねー。
お空だもんなぁ。仕方ないよね。
「で、でも私はお燐とカニ食べたい!」
「……お空」
「ダメ、かな……?」
ああ、お空は純真でいい子だ。
そんなお空に推定涙目で頼まれたのなら、それはもう行くしかない。
「駄目じゃないさ。わかった、あたいも行くよ」
しかたないね、お空には負ける。
それに……お空に分かるように言ったのなら、多分お燐に戻ってるだろうし。
「お燐ー?」
「はいはい、今行くよ」
布団で一度顔を拭いて、あたいは扉を開けた。
「お燐、大丈夫?」
そして、ゆっくり扉を閉じた。
「おりーん、どうしたの?」
どんどんどん、と扉が叩かれる。
それをあたいは体全体を使って全力で止める。
現実を見たくなかった。
「ごめん、うん。今お空と話したくないや」
「なんで! なんでよ!」
「うーん、その背中に付けてる物のせいかなー」
そう、なんであたいがお空を遠ざけるか。
それはね。
お空が、カニを背負っていたように見えたからなんだ。
背中から、10本なんか生えてたように見えるし。
気のせいかな。
気のせい……かな?
「かっこいいじゃん、この足!」
「知らんわ!」
気のせいじゃないよね、うん。
純真すぎるのも考えものだぁ。
「えへへ。これね、さとり様が30分でやってくれたの!」
「また無駄なこ……30分!?」
タカアシガニって深海生物じゃなかったっけ。
好奇心がうずいて、つい扉を開いていた。
やはり、お空はカニを背負っていた。
それはかなり精巧な作りをした、ほっそいカニの足。
よもすれば生きているようにも見える。
……いや、生きてるよねこれ。完全に生きてるよね。
「何してるんださとり様は……」
「でね。私にはこれだけど、お燐にはちっちゃなブローチだって」
そう言って、二センチくらいの、何やら黒いものを手渡された。
勿論、カニである。
生きてるし。
動いてるし。
ちょっとしめっぽいし。
ああ、うん。
……うん。
これは何の嫌がらせだー!?
「もしかしてこれって……スベスベマンジュウガニ?」
「えーっと……もうちょっともっさりしてたと思う」
「そっかースベスベケブカガニの方だったかー」
うわぁ、つるっつるのすべっすべ。
どっちつかずの名前だけどスベスベだったんですねあははー。
「ねぇお空」
「なぁに?」
「今さとり様どこにいるかな?」
「多分、広間」
「ちょっと行ってくる」
「え、ちょ、ちょっとまって!」
あたい、久々にキレちまった……。
お空の制止も振り切り、あたいは駆け出した。
絶対さとり様にこのカニを投げつける。
……やめ、挟むんじゃない、カニ!
痛いわぁ!
「おらァ! さとり様ァ!」
景気よく扉を開ける。
椅子に座ったさとり様は、こいし様と机を囲んで鍋をつついていた。
「あら、お燐。カニ鍋ができてますよ」
「喰らえカニアタック」
「さわがにっ!」
こちらを向いたさとり様のおでこに、コツン、とカニが激突した。
そのままさとり様は椅子ごと後ろ向きに倒れる。
ちっちゃなカニが当たっただけなのに。
……でもさとり様、今あたいの事をお燐って――
大げさに倒れたさとり様が心配になって、つぼにはまったらしくむせているこいし様を無視してあ
たいはさとり様のそばまで走って行った。
顔にカニを乗せたさとり様は、ぴくぴくと痙攣していた。
「……さとり様、大丈夫ですか?」
「お……お燐……」
さとり様の声は弱々しくて、こいし様が机をバンバンと叩く音にかき消されてしまいそうだった。
……そんなに面白いですかこいし様?
さとり様は結構重症みたいですよ?
頭とか。特に。
もっと悪くなってなければいいんですけどねー。
「さとり様、どうしました?」
「カニを……カニを投げてはいけませんよ……」
「……えーっと、うん。納得いきませんが、すいません」
「……カニだって……生きているんですよ?」
「え、ええ。そうですね。あたいも生きてます」
「ですから……カニの命を大切にしましょう」
「あ、はい」
生返事しかできなかった。
いや、どうかえせと言うのでしょうか。
カニって、海の中に生きる生き物ですよね。
生命への冒とくはさとり様のほうが――というか、いまさらだけどどこから持ってきた!?
「海から直送です」
「海どこ!? しかもさとり様達カニ食ってますよね!?」
「すべての生命に感謝して、戴きましょう?」
「コイツでも食っててください」
「ガザミっ!」
さとり様の口の中に、スベスベケブカガニをねじ込む。
すると、さっきまで弱り切っていたように見えたさとり様は、急に暴れ出した。
口の中のスベスベケブカガニを吐きだして、そしてさとり様は強い口調であたいを呼んだ。
「お燐」
「は、はい」
あたいはその気迫に押されて二歩下がった。
「いいですか? スベスベケブカガニには毒があるんですよ?」
「……さとり様、タカアシガニに毒は有ります?」
「食用です」
「何であたいだけ毒なんですかァー!」
「シャンハイっ!」
「どこの人形ですかっ! もう、さとり様なんて知らない!」
さとり様をラリアットで跳ね飛ばす。
そして、あたいはタカアシガニを背負ったお空の横を走り抜け、部屋まで逃げ帰って行った。
あたいは布団にくるまって、じっとうずくまっていた。
もーしらない。
もーさとり様なんて知らない。
あれはタラバだ。
古明地タラバだ。
ザリガニの仲間だ。
今や、さとり様の顔も見たくない。
毒殺しかけたけど。
……いや、うん。
なんだろう。
あの流れ、あたいあんまり悪くないよね。
「おーりーん?」
突然、あたいの布団の中に別種の温かみと磯臭さが混じってきた。
こいし様だ。
違った、ズワイ様だ。
古明地クラブ(crab)のうち、純粋なカニ方。
かなり肉薄している、というかもう布団の中で密着してるけど、不思議と何も感じない。
ズワイ様だし。
「……何の用ですか」
「ごめんね、私のせいで」
「……貴方の所為じゃないですよ。タラバの奴が悪いんですよ」
なんだか、カニに様を付けるのも馬鹿らしくなってきた。
さとり様orタラバ。こいし様orズワイ。
あたいはお燐だ。誰がおスベと言おうとも。
「違うの。お姉ちゃんね、私の笑った顔が見たいから、って全部仕組んでたみたい」
「……どういうことです?」
「だからね、カニの真似をしたら私が笑うんじゃないかって、思ってたみたいなの」
「……で、あたいはどうしてこういう仕打ちを?」
「それはお姉ちゃんの性格」
「ですよねー」
はは、ははは。
でもそれも仕方ないか。
……さとり様、変人だし。
「でねでね、おスベ」
「ホントもうお願いですからお燐に戻してください」
「面白かったよ!」
……そういうズワイ、じゃなくてこいし様の笑顔は、とっても輝いていらっしゃった。
はぁ。なんだか、怒る気力も失せてきちゃって。
「お姉ちゃんも、ごめんなさいって言ってたし。それのための、カニ鍋だったのよ?」
「……あー、そうですかい」
「わざわざスキマの人に頼んで、取ってきてもらったんだって」
「まったく、酔狂な」
「まだ残ってるよ」
「……あー。後で食べます」
そういえば、カニって高級食材だよね……ホントに、さとり様は何をしているんだろう。
「で、あとこれ!」
そういって、こいし様は何かをあたいの目の前に置いた。
……おいおいおいおい。
「これ、お燐ががんばって世話してね!」
「ちょっと待ってくださいよ!?」
それは、おスベの家、と書かれた小さな水槽。
中にはあの、さとり様の口にも入ったスベスベケブカガニが、ちょこちょことカニ歩きしていた。
「なんであたいがこれを飼わなきゃいけないんですか!? 他のカニは!?」
「全部食用だし」
「畜生!」
あたいは理不尽さをこめて、思いきりベッドを殴った。
ちなみに、半泣きで後日食べたカニ鍋はかなりおいしかった。
くそう。
さとり様がカニになった。
いや、カニ……なのかな?
カニっぽくないよね。
髪型からスリッパ、やけに短い腕の長さまで合わせて、全部いつものさとり様。
でもカニだって言ってるし。
足の数足りない気がするけど。
多分カニなんだろう。
そういうわけで、さとり様がカニになった。
「どうも、古明地タラバです。こっちが妹の古明地ズワイ」
こいし様もカニになった。
でも、カニってこう、やっぱり足が8本くらいなかったっけ。10本?
……どっちだったかな。
「はっ、タラバガニとズワイガニは違う仲間……ッ!」
そうそう、足の数はタラバが8本でズワイが10本だ。
あれ? それってつまり……?
「ま、まさか……私たちは本当の姉妹ではない……ッ!?」
爆弾発言。発言的には、かなり酷いですね。
「お姉ちゃん、それって……」
「いえ、誰が何と言おうとこいしは私の妹です」
あ、こいし様の呼び名はズワイじゃないんですか。
「お姉ちゃん! おねえちゃーん!」
「こいし!」
ああ、お二人とも仲良く抱き合って……うん。
そろそろ、現実に戻ろうか。
「おかしいだろうがぁぁああぁあぁああぁあああぁ!」
目が覚めた。
でも、悪夢は続いていた。
夢だと思いたかった。
しかし夢ではなかった。
現実で、目の前のさとり様はカニカニ言っているし、こいし様はさとり様に抱きついて笑ってる。
頬をつねったところで、やっぱりただ痛いだけだった。
「どうしたんですか、叫び声をあげて」
「どうしたもこうしたも有りませんよ! おかしいでしょう、さとり様!?」
「おや? タラバ、と御呼びください」
「頭でもおかしくなりやがりましたかタラバ様!」
「まぁ、飼い主に向かって何たる言葉づかい。いけませんよ、おスベ」
「あたいの主人はさとり様! カニなんかじゃな……おスベ?」
「古明地タラバ、古明地ズワイ、タカアシ空、火焔猫スベスベマンジュウガニ。4人で蟹霊殿です」
「あたいだけ名前なげぇ!」
不条理だった。
さとり様も、こいし様も、お空も、字数だけは同じ。だというのに、あたいだけ異様に長い。
あたいはその場に崩れ落ちながら床を思いきり殴りつけた。
勿論、すごく痛かった。
「あら、不服です?」
「ったりまえでしょうが! この世界のどこに、マンジュウ呼ばわりで満足する人がいるんですか!
?」
「おスベがいます」
「あたいか!? あたいは嫌ですよ!」
「ふむ……そうですか」
「何で不服そうなんですかさとぁラバ様!?」
「なんですかその発音は」
「言い間違えただけですっ!」
思わず言い間違えてしまった。
いや、むしろあってるはずなんだけど。
さとり様でいいはずなんだけど。
「うーむ……あんなに毒が強いのに」
「スベスベマンジュウなのに毒!?」
「フグ毒のテトロドキシンを蓄えています。猛毒ですよ」
「食べられないんです?」
「即死級です」
「誰だそんなおいしそうな名前を付けたのは!」
「さぁ? 少なくとも私ではありませんし」
首をかしげたさとり様は困ったような顔をした。
困ってんのはこっちだ、ともう一度床を殴りつける。
せめて、こう……もうちょっと普遍的なカニでありたかった。
「んなわけねぇだろ!」
自分にツッコミ。
いや、うん。ダメだ。やっぱりあたいは猫がいい。
猫。にゃーん。
結構気に入ってんだ。
そして、さとり様はさとり様でなくてはいけない。
気にいってんだ。
タラバじゃなくて、さとり様だ。
「さとり様」
「タラバ、と」
「さとり様、やっぱりあたい――」
「そうですね、スベスベマンジュウガニでは不服でしょう」
「――分かって、くださいますか?」
伏せていた顔を上げる。
やはりさとり様は分かってくれる。あたいの
「では、貴方は火焔猫スベスベケブカガニで」
「キャッツウォーク!」
「かにぃ!」
クラウチングスタートで、さとり様にラリアット。
甲殻類のような悲鳴を上げて、さとり様は宙を舞った。
それを見て、こいし様は噴き出していらっしゃる。
助けてほしいな、という視線を送ってみた。
こいし様はウィンクを返してきた。
く、言葉でなくては通じない、か……!
「助けてこいし様。お願いします」
「面白いからやーだ」
やっぱり言葉でも通じませんよねー。
分かっていても、くやしい。
そしてまた、あたいの拳が床に吸い込まれていく。
くそう。だれがこんな地霊殿にしたんだ!
「おスベ。ここは蟹霊殿ですよ」
さとり様は蟹歩きで戻って来た。
ぴんぴんしてる。くそう。
「まずはそのおスベというのを止めてください」
「……おケブカ?」
「キャッツウォーク!」
「しおまねきっ!」
さとり様に、もう一度ラリアット。
助走なしなのに、さとり様は見事に吹っ飛びなさった。
……ちょっと痛そう。
痛そうだけど、うん。自業自得だし?
向こうのさとり様も、元気そうだ。
そして、こいし様はお腹を抱えて笑っていらっしゃる。
あたいそんなに滑稽なのかな
「うん、すっごく面白い」
「畜生っ!」
あたいの拳が悲鳴を上げ始める、しかし床を殴る動きは止まらない。
床が凹んできた。あたいの心はもっと凹んでいた。
こんなん地霊殿じゃないやい。地霊殿を返せ。あたいの地霊殿を返せ。
ああ、床がぼやけてきた。くそう、涙が……涙が出そうに……。
「おスベ」
性懲りもなく、さとり様はあたいをおスベと呼ぶ。こいし様は爆笑されている。
あたいはそのカニ姉妹に背を向けて、体育座りした。
もう、元に戻るまで口をきいてあげませんからね。
「どうしましょうこいし、おスベの髪が赤くなってます」
「ゆでられちゃったのかな」
「地毛ですよ!」
つい反応してしまった。
あたいこの髪色も気に入ってるんだ!
くそう。もう反応してやらない。
「おスベ」
「……」
「おスベ」
「……」
「おースーベー」
さとり様が、あたいの周りを歩き始めた。カニ歩きかつすり足で、ゆっくりと。
あたいの背後でこいし様が転げまわって笑っていらっしゃる。
泣きたい。
でも、こう、時折視界に映る、ガニ股のさとり様の足を見てると……ねぇ。
こう、軽快にシャカシャカと音を立てて……ねぇ。
なんだかあたいも、うん、ホントに悔しいんだけど、面白くなってきた。
だってさ、笑うなって言う方が無理だと思うんだ。
でも、笑わない、あたいは耐える――
「高速で逆回転っ!」
おいおいおいおい、こいし様何おかしな注文つけちゃってるんです?
「かにぃ!」
さとり様がノったぁーっ!
目の前で交錯する細くて色白の脚を見ながら、あたいはついに噴き出した。
あの後、半泣きでさとり様の股の下を駆け抜けたあたいはそのまま部屋に閉じこもった。
頭を抱えて、布団でゴロゴロと精神を休める。
……うん。さとり様が元に戻ったら出るんだ。
さとり様はいいお方。ちょっと頭おかしくなってるだけなんだ、きっと。
「お燐、お燐」
扉の向こうから、お空の声が聞こえる。
「ごめんお空、いまちょっと元気なくて」
「さとり様がカニ食べようって」
「ごめんね、ちょっと今は甲殻類見たくないんだ」
カニは勿論、エビも見たくない。
シャコもきつい。
……ミジンコなら、いいかな。
「で、でもおいしそうだよ」
あー……でも食べるなら許せるかもしれない。
カニ、やっぱりおいしいし。
さとり様があたいをお燐、って呼んでくれてたのなら行こうかな。
「……さとり様がなんて言っていたか、覚えてない?」
「えーっと……うにゅ、覚えてない」
だよねー。
お空だもんなぁ。仕方ないよね。
「で、でも私はお燐とカニ食べたい!」
「……お空」
「ダメ、かな……?」
ああ、お空は純真でいい子だ。
そんなお空に推定涙目で頼まれたのなら、それはもう行くしかない。
「駄目じゃないさ。わかった、あたいも行くよ」
しかたないね、お空には負ける。
それに……お空に分かるように言ったのなら、多分お燐に戻ってるだろうし。
「お燐ー?」
「はいはい、今行くよ」
布団で一度顔を拭いて、あたいは扉を開けた。
「お燐、大丈夫?」
そして、ゆっくり扉を閉じた。
「おりーん、どうしたの?」
どんどんどん、と扉が叩かれる。
それをあたいは体全体を使って全力で止める。
現実を見たくなかった。
「ごめん、うん。今お空と話したくないや」
「なんで! なんでよ!」
「うーん、その背中に付けてる物のせいかなー」
そう、なんであたいがお空を遠ざけるか。
それはね。
お空が、カニを背負っていたように見えたからなんだ。
背中から、10本なんか生えてたように見えるし。
気のせいかな。
気のせい……かな?
「かっこいいじゃん、この足!」
「知らんわ!」
気のせいじゃないよね、うん。
純真すぎるのも考えものだぁ。
「えへへ。これね、さとり様が30分でやってくれたの!」
「また無駄なこ……30分!?」
タカアシガニって深海生物じゃなかったっけ。
好奇心がうずいて、つい扉を開いていた。
やはり、お空はカニを背負っていた。
それはかなり精巧な作りをした、ほっそいカニの足。
よもすれば生きているようにも見える。
……いや、生きてるよねこれ。完全に生きてるよね。
「何してるんださとり様は……」
「でね。私にはこれだけど、お燐にはちっちゃなブローチだって」
そう言って、二センチくらいの、何やら黒いものを手渡された。
勿論、カニである。
生きてるし。
動いてるし。
ちょっとしめっぽいし。
ああ、うん。
……うん。
これは何の嫌がらせだー!?
「もしかしてこれって……スベスベマンジュウガニ?」
「えーっと……もうちょっともっさりしてたと思う」
「そっかースベスベケブカガニの方だったかー」
うわぁ、つるっつるのすべっすべ。
どっちつかずの名前だけどスベスベだったんですねあははー。
「ねぇお空」
「なぁに?」
「今さとり様どこにいるかな?」
「多分、広間」
「ちょっと行ってくる」
「え、ちょ、ちょっとまって!」
あたい、久々にキレちまった……。
お空の制止も振り切り、あたいは駆け出した。
絶対さとり様にこのカニを投げつける。
……やめ、挟むんじゃない、カニ!
痛いわぁ!
「おらァ! さとり様ァ!」
景気よく扉を開ける。
椅子に座ったさとり様は、こいし様と机を囲んで鍋をつついていた。
「あら、お燐。カニ鍋ができてますよ」
「喰らえカニアタック」
「さわがにっ!」
こちらを向いたさとり様のおでこに、コツン、とカニが激突した。
そのままさとり様は椅子ごと後ろ向きに倒れる。
ちっちゃなカニが当たっただけなのに。
……でもさとり様、今あたいの事をお燐って――
大げさに倒れたさとり様が心配になって、つぼにはまったらしくむせているこいし様を無視してあ
たいはさとり様のそばまで走って行った。
顔にカニを乗せたさとり様は、ぴくぴくと痙攣していた。
「……さとり様、大丈夫ですか?」
「お……お燐……」
さとり様の声は弱々しくて、こいし様が机をバンバンと叩く音にかき消されてしまいそうだった。
……そんなに面白いですかこいし様?
さとり様は結構重症みたいですよ?
頭とか。特に。
もっと悪くなってなければいいんですけどねー。
「さとり様、どうしました?」
「カニを……カニを投げてはいけませんよ……」
「……えーっと、うん。納得いきませんが、すいません」
「……カニだって……生きているんですよ?」
「え、ええ。そうですね。あたいも生きてます」
「ですから……カニの命を大切にしましょう」
「あ、はい」
生返事しかできなかった。
いや、どうかえせと言うのでしょうか。
カニって、海の中に生きる生き物ですよね。
生命への冒とくはさとり様のほうが――というか、いまさらだけどどこから持ってきた!?
「海から直送です」
「海どこ!? しかもさとり様達カニ食ってますよね!?」
「すべての生命に感謝して、戴きましょう?」
「コイツでも食っててください」
「ガザミっ!」
さとり様の口の中に、スベスベケブカガニをねじ込む。
すると、さっきまで弱り切っていたように見えたさとり様は、急に暴れ出した。
口の中のスベスベケブカガニを吐きだして、そしてさとり様は強い口調であたいを呼んだ。
「お燐」
「は、はい」
あたいはその気迫に押されて二歩下がった。
「いいですか? スベスベケブカガニには毒があるんですよ?」
「……さとり様、タカアシガニに毒は有ります?」
「食用です」
「何であたいだけ毒なんですかァー!」
「シャンハイっ!」
「どこの人形ですかっ! もう、さとり様なんて知らない!」
さとり様をラリアットで跳ね飛ばす。
そして、あたいはタカアシガニを背負ったお空の横を走り抜け、部屋まで逃げ帰って行った。
あたいは布団にくるまって、じっとうずくまっていた。
もーしらない。
もーさとり様なんて知らない。
あれはタラバだ。
古明地タラバだ。
ザリガニの仲間だ。
今や、さとり様の顔も見たくない。
毒殺しかけたけど。
……いや、うん。
なんだろう。
あの流れ、あたいあんまり悪くないよね。
「おーりーん?」
突然、あたいの布団の中に別種の温かみと磯臭さが混じってきた。
こいし様だ。
違った、ズワイ様だ。
古明地クラブ(crab)のうち、純粋なカニ方。
かなり肉薄している、というかもう布団の中で密着してるけど、不思議と何も感じない。
ズワイ様だし。
「……何の用ですか」
「ごめんね、私のせいで」
「……貴方の所為じゃないですよ。タラバの奴が悪いんですよ」
なんだか、カニに様を付けるのも馬鹿らしくなってきた。
さとり様orタラバ。こいし様orズワイ。
あたいはお燐だ。誰がおスベと言おうとも。
「違うの。お姉ちゃんね、私の笑った顔が見たいから、って全部仕組んでたみたい」
「……どういうことです?」
「だからね、カニの真似をしたら私が笑うんじゃないかって、思ってたみたいなの」
「……で、あたいはどうしてこういう仕打ちを?」
「それはお姉ちゃんの性格」
「ですよねー」
はは、ははは。
でもそれも仕方ないか。
……さとり様、変人だし。
「でねでね、おスベ」
「ホントもうお願いですからお燐に戻してください」
「面白かったよ!」
……そういうズワイ、じゃなくてこいし様の笑顔は、とっても輝いていらっしゃった。
はぁ。なんだか、怒る気力も失せてきちゃって。
「お姉ちゃんも、ごめんなさいって言ってたし。それのための、カニ鍋だったのよ?」
「……あー、そうですかい」
「わざわざスキマの人に頼んで、取ってきてもらったんだって」
「まったく、酔狂な」
「まだ残ってるよ」
「……あー。後で食べます」
そういえば、カニって高級食材だよね……ホントに、さとり様は何をしているんだろう。
「で、あとこれ!」
そういって、こいし様は何かをあたいの目の前に置いた。
……おいおいおいおい。
「これ、お燐ががんばって世話してね!」
「ちょっと待ってくださいよ!?」
それは、おスベの家、と書かれた小さな水槽。
中にはあの、さとり様の口にも入ったスベスベケブカガニが、ちょこちょことカニ歩きしていた。
「なんであたいがこれを飼わなきゃいけないんですか!? 他のカニは!?」
「全部食用だし」
「畜生!」
あたいは理不尽さをこめて、思いきりベッドを殴った。
ちなみに、半泣きで後日食べたカニ鍋はかなりおいしかった。
くそう。
ちなみにタラバはヤドカリの仲間、足の数はその為だったりする
振り回されちゃうお燐がとっても可愛かった&面白かったです。
なんだかんだと奇行が多い扱いされるさとりん話の一つで終わってしまったし、テンポも微妙に悪い。
ノリ突っ込みだけじゃあ限界も早いぜ。
何より。なんで誰もビームを撃たないんだ!
カニの着ぐるみを来たうにゅほがテンション上がって地霊殿を蟹光線(イブセマスジー)で吹き飛ばす爆発オチを期待したのにっ!
ネタが古いって? 仕方ないね。
お燐は大概、突っ込みが似合うなあ。
ワタリガニも美味いよ!?
>「どうも、古明地タラバです。こっちが妹の古明地ズワイ」
もうこの一行で駄目だった。
火焔猫スベスベマンジュウガニって一人だけ毒じゃねーか! とか心のなかで突っ込みました。