「死」ということについて想像をしてみる。
死は、我々には遠い世界のことだ。ともすれば、忘れてしまいそうになるほどに。我々は魔女であり、特別な事由なくて、死の影が、我々に覆い被さることはない。自然への反逆云々ではなくて、一種死の世界に含まれてしまっているようなものだから、道術の者どもにそうするように、死神がちょっかいをかけにくることもない。
それを希った時にのみ、死は我々に寄添う。
アリス・マーガトロイドの場合。彼女は魔法使いだ。人形を媒介にする。
彼女は、人間の他に、意識を持って行動するものの生存を認めない。彼女はそれを認めるために、人間以外の、意識を持つ者……自立人形の確立を目指している。自立人形の確立を見て初めて、過去において彼女が疑った、意識生命体の存在を認識する。
その過程で、彼女は人間でなくなってしまった。彼女は自動人形だ。元が人間であるというだけで、彼女は魔法により生きる自立人形なのだ。彼女の存在そのものが、既に意識生命体だ。だが、彼女はそのことを問題にするつもりはないらしい。大抵の魔法使いにとって、目的と手段は逆転している。手段の為なら目的は問わないのだ。自立人形さえできれば、彼女にとっては他の何者も問題ではない。
つまり、彼女は生きながらにして死を乗り越えている。死を乗り越えた彼女が、死を問題としない自動人形を生み出すというのは、珍しい話ではないだろう。
彼女は数十年、あるいは数百年を生きている。長く生きることを恥と思わない。永遠は、一つの理想であり、その生命が長く続くほど、彼女の自信となる。魔法使いとは、一つの自尊機関である。ただ自らを崇めるエゴイスティックな機関だ。極端に言えば、手段さえ必要ではない。ただ、生き続けるだけの自分を、崇め続けるだけの理由に過ぎないとも言える。
この世に魔女は存在するか?
アリス・マーガトロイドがそうであるならば、存在すると言える。だが、彼女はアリス・マーガトロイドであろうか。かつて存在した、その名の少女は、自らの身体を魔法に捧げた瞬間から、その主体は別のものと成っている。彼女は、【人間】アリス・マーガトロイドではない。彼女は一つの魔法である。未来において自立人形を確立するか、何らかの力(強大な妖怪、怪物、あるいは人間)により魔法が解ける。残るのは自立人形とアリス・マーガトロイドの名だけであり、現在の、【魔法】アリス・マーガトロイドが存在した痕跡は、(人間界には)残らない。観測できるのは同じ魔女である私くらいだろう。だが、その痕跡すら、人間には認めることはできないのである。私が残すのは、知識であるパチュリーの名だけ。純粋に過ぎる知識は、後の世の誰にも観測することはできない。私は、何も残さない。【魔法】【知識】パチュリー・ノーレッジを見る、【魔法】アリスだけが、その生ある限り、私の痕跡を見ることになる。【魔法】パチュリーが見る、【魔法】【知識】アリスも同じ。
霧雨魔理沙の場合。彼女は人間だ。魔法を指向する。
彼女は、アリスマーガトロイドとは違う。目的の為に、魔法を行使する。彼女にとって魔法は目的に過ぎない。
霧雨魔理沙は死ぬために生きている。この世の全ての目的は、「死ぬことを受け入れること」である。霧雨魔理沙は立派に生きたい。家族への虚栄心、彼女の人生において大きなファクターである博麗霊夢への対抗心、こうしたものは人間特有のものである。立派に死ぬこと。彼女にはそれしかない。手段を突き詰めることは、彼女にとって問題ではない。
彼女は十数年生きた。まだ、自分が生きるということさえ、はっきりと自覚していないだろう。他人にさえ、自分自身にさえ、責任を持つこともできない。
彼女の使う魔法は、魔法を解するものではない。魔法の森に生きるキノコの使う魔法を、霧雨魔理沙が指向するのである。魔法のキノコ、また彼女の調合する素材により、爆発あるいは閃光となる。世界に干渉するのはその一瞬のみであり、故に便利で扱いやすい。後に何も残さないのである。
魔法を行使するものは、やがて魔法そのものになる。自らが目的ではなく手段だと、知るのである。魔法に身を委ねる契機となる。そうなれば、後に必要なのは目的だけであり、更に言えば、その目的さえ、人間であれば他愛なく、明日には忘れ去るようなことに、全身を捧げうる少女性、刹那的な生き方が伴えば、その一瞬の知識のために、残りの人生と自らの肉体を投げ打つことができる。その瞬間、霧雨魔理沙は死に、【魔法】霧雨魔理沙と成り、何らかの手段を生み出す。若くして死んだ霧雨魔理沙の生み出した【結果】を、後の世の誰かが活用することになるだろう。
魔法を使う者が、魔法の持つ永遠性、不死に憧れるのは、活用する危険物質の影響で、健康に被害が出ることも影響するに違いない。
私は想像する。彼女の魔法は、恐らく一過性のものに過ぎない。彼女の本質は臆病と推測する。彼女は人でなくなることを、恐れるだろう。彼女は生きている。死に身を浸して生きることを、生だと思わないだろう。彼女は細心を払い、魔法との適切な距離を保ち、魔法を利用し生きるだろう。
だが、彼女は危険に身を晒しすぎる。時には、死の影が急速に伸びることがあり、その淵にて魔法使いとなることも珍しくはない。
そうして得た永遠……生とは、不死とは、これまでの生と同じであろうか? それは死である。彼女にとっての死は、その瞬間に訪れている。魔法の知識があれば、魔法使いとなって生き延びることも可能であろう。だがその生は【魔法】霧雨魔理沙としての生である。一瞬の夢、生への渇望に過ぎない。やがて欲望に目覚め手段と成り果てる。
パチュリー・ノーレッジ。……私だ。私の場合。私は魔法使いである。知識のみを求める。
私が誰かに求められる時、必要とされるのは知識としてである。機能として考えるならば、パチュリー・ノーレッジとしての自己が呼び起こされる必要はない。知識とは、純然たる情報である。世界のどこかにある、過去の記録。私はただのレコード。図書館に置いてある、一台の検索及び思考機械に過ぎない。
知識が実感である必要はない。紙に乗ったインクの手触りだけで、世界が理解できることが何より重要である。具現する手触りが目的ならば、知識は手段である。
私は手段。何よりも、知識を集めることが目的であり、それを引き出すことは必要ではない。知識は知識を構築し、肯定し、あるいは時折否定し、また新たな肯定の元となり、新しく収集した知識を肯定し、構築する。だが構築は目的ではないのだ。新たな知識を会得するための手段に過ぎない。目的は次の手段。手段は次の目的。
どこへ向かうのか? そう言ったことに疑問を持たないのが、魔法使いという生き物である。私は疑問ではない。
「死」ということについて想像をしてみる。人間はいくつもの死を繰り返しながら生きている。一つには細胞の死。一つには昨日の自分の死。肉体の死と名前の死。肉体は死ぬと分解されて地に還る。名前は……死んでも残る。書物に残る。書物が死ねば、名前は死ぬ。
死なないものが一つある。因果は死なない。生命を持つということは、一つの細胞が自立して動き出すということは、因果に組み込まれるということだ。生まれた瞬間に母親と、父親の精神に因果を及ぼす。体内で死んだとしても、死産という因果が母親に、父親に、周囲の人々に刻まれることだろう。
生命あることは、因果を刻み続けること。誰もに影響を与える。誰かに与えた因果は、誰かの中で生き、また新たな他人へと繋がる。因果は死なない。因果が死ぬとすれば、全てが失われる時だろう。太陽が、宇宙が滅びようと、それはまた新たな宇宙への因果の繋がりに過ぎない。
本来の魔法使いには、因果がない。【魔法】アリス・マーガトロイド、【魔法】パチュリー・ノーレッジの因果は、【魔法】私とアリスの、元々の人間の一部が因果として生きているのだから、【魔法】パチュリーとアリスには因果が存在していない。
魔法使いは、あらゆる死を内包している。
私は死そのもの。あるいは死ぬ寸前に、夢見る【人間】パチュリー・ノーレッジの妄念。
故に、妄念に刻まれた因果だけが、私の周囲との関係を形作る。
魔法使いにとっての死とは、自死に他ならない。死を希った時、私は死ぬ。後悔、揺らぎ、失恋。私を取り巻くあらゆる感情の惑いが、死の誘惑を振りまく。
かつての私について回想する。
かつての私を回想する。私の母について回想する。私の母は、若くして死んだ。私が八つになる年まで存命し、死んだ。『強く生んであげられなくてごめんなさい』と繰り返し繰り返し唱えて、死んだ。私の身体の弱さは彼女譲りだった。そして、『あなたは長く生きられないわ。全部私のせい』と、母が繰り返し繰り返し唱えたことが、私を殺した。私は長生きできないと信じ込んでいた。全て母のせいだった。呪いだ。私の中に刻み込まれた、母の遺伝子情報は、因果の言葉に反応して毒を作り出した。染み出した毒は、肺の痛み、咳、喘息の発作となった。そして、私の死となった。
幼い頃の私は、ベッドから出られない、窓際の不良少女だった。煙草をこっそり吸うことは、私の唯一の愉しみだった。
生きていたい、とは思わなかった。私は死だった。死そのものだった。病の治癒は望まなかった。私の病は治らない、私は長く生きられない、と決まっていた。母がそう決めた。だから、病の治癒を望むことの代わりに、死を希った。
父は、母を愛していたように、私を愛した。そして、私が長く生きられないことを、母と同じように哀しんだ。彼らの哀しみを私は理解しなかった。病を治そうと力を尽くすよりも、死を柔らかく優しく受け入れさせようとしかしなかったから。父は、私が望むもの何でも与えようとしたけれど、肺を病んでいる私から、煙草だけは奪った。私は何も望まなかったけれど、やがて、父親の差し入れる本に私は夢中になった。絵や、劇などではなく、本だったのは、それが私一人で自由になるものだからだろう。私一人の指先の中に収められ、いつでも開き、閉じることができるものだからだろう。知識を集めることに、私は夢中になった。指向ではなく、与えられるものとして享受した。やがて私が集め、思考しているはずの言葉に、私は支配されていった。文字が私を思考し、私を知識の塊にするべく流れ込んだ。
何気なく、興味もなく、ただ拾い上げて、それが何なのかを調べるために持ち上げた一冊の本が、私そのものになった。
その中の知識を見た瞬間に、私は知識そのものになった。
おそらく、人間としてのパチュリー・ノーレッジは、その瞬間に死んだ。後に残った生命の残滓が、魔法使いの不死の幻想を夢見、やがて魔法使いの外法に手を伸ばすに至る。最後に残った【魔法使い】パチュリー・ノーレッジは、妄念である。本を読むことしか、できない。
最後に残ったものがある。
病だ。両親は言った。『お前の病は、治ることはない』私の病は治らない。
けれど、そのことだけが、私を、私たらしめているような気がする。
私、パチュリー・ノーレッジは、病に冒されている。肺の痛みは、咳は、喘息の症状は、私から決して離れることはない。母親から与えられた言葉のように、私の身体に染み込んでいる。
分かっていたはずなのに、魔法であれば生き長らえられると思った。ある意味では間違っていなかったのだろう。事実、私はまだ息をしている。魔法というものに身を任せて、私は私でいる。だが、以前の私とは違ってしまった。病というものが私と私を繋いでいる。
生きるために知識を蓄えた。今は、知識を蓄えるために生きている。生きるとは皮肉なものだ。数式は、求めれば単純になる。私は段々と知識へと純化されてゆく。だが、知識がパチュリーと呼ばれることはないだろう。
知識はどこまで求めようとも、新しい概念が常に生まれ、移り変わりゆく。知識の永遠性は、すなわち【魔法】パチュリー・ノーレッジの永遠性となる。
さて、物語を現在へと引き戻そう。マイナスから零へ。思考の中から、現行の時間軸へ。
雨音が、私の側に寄り添っている。長雨だった。少なくとも丸一日の間、その雨は降り続いている。
それが分かるのは、一日中、私の身体はベッドに横たえられていたからだ。肺の調子が少し悪い。いつもなら気にしないけれど、小悪魔が気を遣って、埃っぽい図書館から私を連れ出し、紅魔館の一室へと連れてきた。本来は無用のものだ。既に私が死んでいることを思えば。
だが、私は魔女【魔法】パチュリー・ノーレッジであると共に、今は紅魔館の一員なのだ。こうした監禁を受け入れることも、その役割の一つだろう。私は胸の奥のしこりを感じている。それ以上に、することがない。
幻想郷に雨の帳が下りている。勢いは弱く、静かに地面にふわり舞い降りて、染み込んでゆく。
私の寄り添っている窓辺からは、森が見える。雨で煙るようになった魔法の森は、薄靄がかって、濃い緑色に白い淡いパステルを被せたように見える。遠くには山々の影だけが、うっすらと、その巨大さだけをぼんやりと表象して立っている。
時間は夕刻。太陽は自らを山陵に隠してしまう前に、厚く空にかかる雲で隠している。日光を地上に落としてはいない。薄暗く、影の中のようだ。
何かの傘の下で、幻想郷が雨宿りをしているようにも思えた。何もかもが身体を休めている。何か、寄り添えるものの近くで。雨と一緒に、音が地面に吸い込まれて溶けて消えてゆくようであった。静けさが全てを覆っていた。静かな雨音がはっきりと聞こえるほどに、この紅魔館も、静けさの中に落ちている。
私の隣に霧雨魔理沙がいる。木で出来たスツールに腰掛けて、背を抱くようにして、ぼんやり、窓の外を見ている。
そのことには、ずっと気付いていた。珍しく、静かだったので、私も合わせておいたのだ。自分から、特別話しかけるような、用事もない。
視線を投げかけると、魔理沙はにへっと笑った。そのことが契機となって、魔理沙は口を開いた。静かにさせておけば良かったのに、と少し後悔する。
「寝込んでるって聞いてな」
寝込まされてるのよ、とは言わなかった。自発的行為と強制的行為にどういう違いがあるだろう。ここには結果だけがベッドの上で横になっている。
「珍しいじゃないか」
珍しいでしょう。そう、無駄に誇ってみることも考えた。言うべきか言わないべきかを考えているうち、言葉を発する機会を失ってしまったように感じた。へへ、と魔理沙が笑って煙草を取り出す。おっと、と呻き、すぐに仕舞う。
「お前、肺が悪かったんだったな。悪い悪い」
「煙草を吸っているの?」
「おお、何となくな」
ふうん、と思った。私が初めて煙草を、気紛れに吸って、はまりこんだのはいつのことだっただろう。今の魔理沙と同じくらいの年だっただろうか。
霧雨魔理沙は好奇心が強い。すぐに飽きて止めてしまうにしても、生涯の友とするにしても、煙草に興味を持つのも珍しいことではない。
煙草は一種の麻薬だ。多くの先進的文化圏においては偏見の目に晒され、禁じられている。一種のタブーである。
しかし、分かっていても、実感してみたくなる。肺に悪害をもたらす煙草というものは、どういうものなのか。禁じられているもの以上に、知的好奇心の発露を促すものはない。幼い少年少女は一度は興味を持つものだ。霧雨魔理沙のような好奇心の強い娘が、煙草に興味を持たないはずがない。
「いいわよ。吸っても」
「あ?」
「その代わり、一本ちょうだい」
大丈夫なのかよ、と呟きながら、魔理沙は私に一本を渡し、ジッポーを擦って私の前にかざした。熱が私の顔を炙り、口元の巻き煙草に赤く火がともった。
懐かしい煙の匂い。たっぷりと口の中に巡り、私はそれをふぅー、と長く吐き出した。魔理沙も、口元に一本くわえ、火を付けた。
「ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫よ。肺になんて入れないもの」
魔理沙はジッポーを開いたり、閉じたりして遊んでいたが、やがて懐中にしまった。魔理沙の好きそうな、ギミックの多そうな代物だ。ジッポーの音が消えると、あとに残るのは煙草を吐く吐息だけになった。二人して、黙ったまま、紫煙を吹かした。
燃えているものを見ると、落ち着くという。焚き火などがそうだ。煙草にもその作用はある。懐かしさと、タールの麻薬と、炎の心地良さで、私は三重にぼうっとなっている。
魔理沙は、煙草の煙、紙巻きの燃える炎を見て、何を思い返すのか。推測する。魔理沙は煙草の煙、炎の中に、煙草を吸うようになった己を見るのだ。吸うようになった経緯。ことあるごとに、吸うようになる己。次第に煙草を吸うことが己そのものとなってゆく。……そこまで親しんでいるか、私は知らないが。
私は、ただただ、懐かしい。人であった頃を思うのみである。病に冒され、死に瀕した。やがて本にのめり込み、魔法使いに憧れた。
魔法使いは永遠を生き、呪文によってあらゆる現世の法を取り除く。新しい存在、これまでのパチュリー・ノーレッジを乗り越えた何かになる。
だが、それは違った。
命は魔法の中で、永遠となった。だが、病が治るはずもなく、私は病床から逃れることはできなかった。魔法の助力によって、他人を傷つけ、疾く動けるようになった。だけど、そうした動作も、魔法が全てを行っている。私が動く訳ではない。いつでも、魔法が私の周りを取り巻く。
病は、どうしようもなくパチュリー・ノーレッジの因果だった。
魔法使いになって以来、こっそりと吸い続けていた煙草はすっぱりと止めた。
「昔ね、煙草を吸っていたの」
「ほう? 不良だったんだな」
「ええ。あなたほどではないけれど」
魔理沙は何も言わなかった。魔理沙は未だ、自分が煙草を吸う理由の渦中なのだろう。特別、言葉にできるほど、理由を持っていないに違いない。
しばらくして、魔理沙は部屋を出て行った。まだ、雨は降り続いている。勝手に図書館に入り込むなり、レミィのところに行くなりして、時間を潰すのだろう。
「パチュリー様、紅茶が入りましたよ。……あら」
小悪魔が部屋に入ってきて、サイドテーブルに置いてある煙草を持ち上げた。咎めるように、私を見た。
「こんなもの吸って。身体が悪いのに、無理をして、どうするつもりですか」
「あなたは今もって悪徳を続けている。そもそも紅魔館からして悪魔の館でしょうに」
小悪魔の持ってきてくれた紅茶を手に取った。紅茶はきちんと温度が計られているものだから、冷めたらもったいない。
「この紅茶、甘いわね」
「はい。喉にいいかと思って、蜂蜜を入れてみました。少しばかり幼い味かもしれませんが」
幼い。そう。幼い折には、甘いものを望んでいた頃もあった。
「……私ね、小さい頃はお菓子屋さんになりたかったの」
「へえ。初めて聞きました」
「お菓子屋さんにも、コックさんにも、メイドにも。……何にでもなりたかったわ。でも、お菓子屋さんに立つには体力がないし。そもそも、お菓子作りを覚えるほど、長く生きていられなかったから、すぐに諦めてしまった」
「それで、本を読んでたんですか。今も、読み続けているんですか」
「ええ。お菓子は、一瞬の慰めにしかならないわ。永遠の命を得て、極めようと思うほどには、興味を惹かれなかったのね。私の中で、リスクに足るものではなかった」
それで。……全てを、諦めた。死の前に、全てを投げ出した。
「知識はいいわ。始まりも、終わりもないもの。ただ、それだけでいいの。純粋で、力強い。そのことに意味はなく、だけど全てだわ。小悪魔、どう?」
「ええ。だからと言って、身体を粗末にしていい訳ではありません」
ずるずると紅茶をすすった。
「……甘いわね」
「そうです。その紅茶みたいに、心配してる人もいるんですから、パチュリー様も少しは心配らしいものを自分の身にも施して下さい」
私はくすりと笑った。小悪魔は法だ。求めるものには与える。ただし、枠からはみ出す者に罰を与える。それは決めごと、容赦のない決めごと。小悪魔は何を求めているのだろう。果たして、私を真に求めているのはこの小悪魔だけのような気もする。
「ええ」
雨は、未だ降り続いている。身体の調子も良くない。
「そうするわ」
「死」ということについて想像してみる。
死は、我々――魔法使いには、遠い世界のことだ。だが、私、パチュリー・ノーレッジには、死はごく近い事象だ。(事象だ。事象だった。【人間】パチュリー・ノーレッジにおいて、また、新たな【魔法】パチュリー・ノーレッジにおいても)私の死は、私の生の瞬間から、私の側に寄り添っていた。死の側で私の無意識は生まれ、私の意識は育まれた。私は自分の死期を眺めながら過ごした。
私は死に瀕していた。今も、瀕し続けている。私の病は、私の永遠性を疑う。そのものも、永遠でありながら、私の永遠を疑い、奪おうと活動し続ける。
病が存在する限り、私が存在し、私が存在する限り、病は存在している。
私は未来永劫において、自らの死期に寄り添って生きている。
思考はただダダ流しするのではなく一度洗わなければ小説になりませんよ
病はあるいは、魔女パチュリーの存在を繋ぎ止める要件であるのかもと、そんなことを思いました。
過去を振り返るパチュリーが、淡々としつつ少し哀しんでいるようで、心に残ります。
「死」→現在→「死」という構成も上手だし、このSSの中でひとつの世界が出来上がっている。
読めてよかったです。