「あーさー、あさだよー。あさごはんたべてーどっかにあそびにいくよー」
「何の真似だ、諏訪子」
「何となく」
今日も清々しい朝の日差し。
外からは鳥の囀る声が聞こえてくる中、守矢神社の居間のテーブルに、湯気を立てる朝ご飯が並べられていく。
「早苗は?」
「まだ寝てんじゃない?」
「……やれやれ」
「あれ、怒らないねぇ?」
普段なら目を三角にするのに、と諏訪子。
一方の、ご飯を並べているエプロン姿の彼女――神奈子は、『昨日までが忙しかったから』と、未だ、この場に現れていない人物を擁護するような発言をした。
「あー、確かに。
何だって、この山の連中みんなで『クリスマスパーティーやろうぜ!』ってことになったんだろ」
「彼らとしては、我々を歓迎しているのか、はたまた、単にお祭り好きなのか、あるいは……」
「天魔ちゃんのわがままか。
ま、これだろうね」
あれにゃ困ったもんだ、と諏訪子は言う。
しかし、一応、先日までのパーティーでは大いに楽しませてもらったため、特段の苦情等は考えていないようだ。
「早苗も大変だったねぇ」
なぜかサンタのコスプレさせられて、小さな子達に『プレゼントですよ~』と色々とものを配ったり、お酒の用意をしたり、会場のあちこちを走り回って、器やカップなどの用意をしたり。
結局のところ、一番、大忙しだったのは彼女であった。
「だから、今日くらいは寝坊してもいいかな、とね」
「なるほど。優しいね。
けど、朝ご飯が冷めたらもったいないからさ。二度寝でいいんじゃん?」
ひょいと、気配もなく立ち上がった諏訪子が、その場に踵を返して部屋を辞する。
すたすた、腕を頭の後ろで組んで陽気に口笛など吹きながら廊下を行く諏訪子。
そして、目的の部屋の前――『早苗のお部屋。ノックすること』とプレートのかけられたドアの前にやってくる。
「おーい、早苗ー。おっはよー。入るよー」
ノックせずに、ドアの前で宣言してから、それをがちゃっと開けて。
「おーい、まだ寝てるー? 朝ご飯だよー」
ベッドの上の人物に、彼女は声をかけた。
ゆっくりと、その人物は、目を覚ましていたのか諏訪子の方を振り返る。
そして、彼女は盛大にため息をついた。
「どうしたどうした、朝から。そんなため息なんてついて。
疲れが抜けないの?」
「……諏訪子さま。早苗は思うんです」
「は?」
「……リア充爆発しろ、と」
――その時、諏訪子は長い長い神様人生の中で、生まれて初めて、真の『恐怖』というものを知ったのだった。
どよ~ん、といい具合に朝の空気がよどんでいる
朝食を囲むテーブル。
引きつり笑顔の神奈子。やたらびくびくおどおどしている諏訪子。そして、
「……せっかくのクリスマスに勝手に予定ねじこんできて、しかも人を働かせるだけ働かせて『後よろしく』とかふざけんじゃないわよ。
いくらわたしが寛容な性格だからって、いい加減、キレるわよ。大人しい現代っ子なめると痛い目見るってこと教えてやろうかしら。
あーもー腹立つ……せっかくのクリスマスだったのに……!」
――と、普段なら決して使うはずのない、やたら刺々しい独り言をぶつぶつつぶやく早苗の姿。
「……諏訪子。早苗、何かあったの?」
「さ、さあ……? ベッドから起きた途端にあんな調子で……」
「神奈子さま」
低く、据わった声。
神奈子が「な、何?」と振り向く。その神奈子に、無言で、早苗はお茶碗を突き出した。
普段なら『お代わりお願いします』と笑顔で言ってくるのに、だ。
「……量は普通でいい?」
「大盛りで」
神奈子は恐る恐るそれを受け取って、ご飯を盛って返す。
早苗は無言でそれを受け取り、がつがつと、口の中にご飯を放り込んでいく。
……一見すると、やけ食いのそれである。
「……あ、あのさ、早苗。何かあった?」
諏訪子が、その時、勇気を出した。
そっと尋ねる彼女に、神奈子は内心で『よくやった、諏訪子!』とエールを送っている。
「……別に」
しかし、返ってきた答えはそっけないものであった。
だが、諏訪子は、『今こそ、諏訪の神としての実力見せてやる!』と覚悟を決めて、『そ、そんなことないでしょ?』と食い下がる。
「別に、何でもありません。諏訪子さまに言っても仕方ないし」
とことん、早苗は冷たかった。
すげなく諏訪子をあしらう彼女。諏訪子の笑顔は完全に引きつり、ぎぎぎっ、と音を立てて、神奈子に視線を向ける。その視線は、かつての盟友に助けを求める戦士のそれだった。
「……早苗。食事の場で、そういう態度はよくない」
神奈子は、努めて平然を装いながら早苗に向かって言葉をかける。
早苗は無言だった。
無言のまま、じろりと神奈子を見た。
その視線の強烈さたるやすさまじいものがあり、神奈子ですら、内心、めっちゃ腰が引けていた。
「何かあったのなら言いなさい。助けになるから」
口の中が乾く。声が引きつる。
それでも神奈子は、神としての威厳を保った。がけっぷちぎりぎりのところでこらえていた。
諏訪子はそんな彼女を見て、『あー、やっぱ神奈子でもきついかー』と思っていた。早苗の視線が自分に向いていないことを、心底、安堵していた。
「……昨日のパーティーのことです」
「あれが何か?」
「……神奈子さま。諏訪子さま。
お二人ならきっとご存知だと思いますが、わたしが外の世界にいた間、どんなクリスマスを過ごしていたか……」
二人は顔を見合わせる。
「わたしのクリスマスっ!
楽しく過ごそうと思って友達に声かけても、『ごめん、彼氏と約束あるんだ』とか『先約があるの、ごめんね早苗』とか、挙句、『早苗は誰かと過ごすと思って、その日、別に予定入れちゃったよ』とかっ!
とどめに『え? 早苗、今年も一人なの?』とかっ!!
何度っ! 何度、こんな答えばっかり聞かされてぼっちのクリスマスを送ったことかっ!
覚えてますよね!?」
「……えーっと」
「あー……」
二人そろって目が泳ぐ。
一応、外の世界にいた頃は、なるべく早苗たちに干渉することは避けていたためだ。
しかし、それでも、早苗が普段、どんな生活を送っていたかくらいのことは覚えている。
早苗が言う通り、この季節の彼女は、一人寂しく部屋の中で『わーい、クリスマスケーキ美味しいなー』とつぶやきながらパソコンの画面に向かい、『……うふふ。いいもんねー、わたしのお嫁さん、ここにいるもんねー。画面から出てこないけど』と泣きながら用意したケーキ(二人分)を食べていたものだ。
ちなみにそんな彼女を見ていた両親は、心の底から娘を不憫に思い、思いっきり豪華なクリスマスプレゼントを贈っていたりする(一番高いプレゼントは『これを自由に使いなさい』という現ナマ20諭吉ほどである)。
「リア充爆発しろ! それを願いながらすごした、一人寂しいクリスマス!
ええ、クリスマスプレゼントは盛大に使いましたとも! 服! コスメ! パソコン! フィギュア! ゲーム!
けど、それじゃ、心の寂しさは癒されないんですよ! 二次元嫁を愛でる心に隙間風がマッハGO! GO! GO! ですよ!」
「じゃ、じゃあさ、その……あのパーティー、楽しくなかったとか?」
「楽しかったですよ!」
どん、とテーブル拳でぶっ叩く。
その衝撃に、樫で出来たテーブルの一部が『めきょり』とかいう音を立てた。
「誰かと過ごす楽しいクリスマス! みんなで飲んで騒いで食べて! 楽しかったですよっ! また来年もお願いしたいですよ!
だけど、違う! わたしが求めていた幸せハッピークリスマスとは違うっ!
ここ重要! そして、昨日は、わたしには別に予定が入っていたんですよっ!」
目に涙が浮かんでいた。
早苗はこの時、本気で泣いていた。
彼女が、心から涙を流すことなど、一生のうちにどれほどあることだろうか。
人間として、心から泣きたいことなど、生きる間に何度めぐり合うだろうか。
「……じゃあ、その……断ってもよかったのよ?」
「そういうわけにもいかないじゃないですか!
神奈子さまと諏訪子さまの顔を立ててこその巫女でしょう!」
うわー、とこの時、二人は心底、頭を抱えた。
端的に言い換えると、『二人のせい』で、早苗は今、心底の涙を流しているということになる。
そこまでこちらを思ってくれるのはもちろん嬉しいのだが、『そこまでだったら別に私らのことなんていいから自分の幸せ追い求めろよ』と魂からのツッコミを放ちたくなった。
……もっとも、そういうところが、早苗のいいところなのかもしれないが。
「……というわけで、わたしは今、ものすごく不機嫌なのです。
これから幽香さんのところ行ってきます。クリスマスケーキの売れ残りが大安売りされてるでしょうから」
ご馳走様でした、と立ち上がる早苗。
背中に縦線を背負い、彼女は部屋を後にする。
二人は……何も出来なかった。
「……どうするよ?」
「いや、どうするよって言われてもだな……」
「っていうか、うちらのせいじゃん!? うちら、早苗を泣かせてるよ!?」
「う、うーん……」
そして、後に残るのは、盛大な困惑だけであった。
さて、一方。
「いや~、アリス。飯をおごってもらって助かったぜ」
「ったくもう。
『アリス、お腹すいた~……ご飯食べさせて~……』って泣きながらやってくるんだもの。何事かと思ったわ」
「魔法の研究に熱が入りすぎて、米粒一つないことをうっかり忘れてたぜ」
わっはっは、と笑う彼女――霧雨魔理沙は、お腹が一杯になっていることも相まって、いつも通りの彼女である。
その横を併走するアリス・マーガトロイドは『こいつはこれだから困る』という顔をして、苦笑を浮かべている。
「さて、見えてきた見えてきた」
「霊夢に何か用事でもあるの?」
「いや、ない。
ただ、暇な時はあいつのところに行けば、大体、何かあるか誰かいるからな」
なるほど、とアリスはうなずく。
視界の先――博麗神社を見て、二人は少しだけ、飛行速度を上げる。
それからしばらくして、二人は神社の境内に降り立つと、母屋に向かって歩いていく。
「霊夢~、邪魔するぜ~」
がらがらと引き戸を開けて、中へ。
とことこ廊下を歩いていく。
「おーい、霊夢ー。魔理沙さんが遊びに来たぞー。お茶くらい出せー」
などという無礼なことを言いながら、彼女は居間につながる襖を開けた。
そして、二人はそろって沈黙する。
「えー……っと」
「……おい、アリス。私はどうしたらいい……?」
居間の中。
ぽつんと置かれたテーブルの上に、神社の主が突っ伏していた。
ぴくりとも動かない『それ』を見て、さすがの二人も顔を引きつらせて、頬に汗一筋。
「ね、ねぇ、霊夢……? その……お腹すいてるの? 今から、何か買ってこようか……?」
恐る恐るアリスが霊夢の肩に手を置いて、それを揺さぶりながら尋ねる。
沈黙。
無言。
静寂。
時計の音だけが響き渡り、アリスは顔を上げると、首を左右に振った。
「お、おい、霊夢。どうしたんだ? 生きてるか? おい。永遠亭、行くか?」
さすがの魔理沙も不安になったのか、霊夢に顔を寄せて声をかける。
そんなことをしばらく繰り返して、ようやく、霊夢が顔を上げた。
「……あー、何だ。あんた達、来てたの……?」
力も生気もない言葉。
二人はそろって、顔を見合わせる。
「どうしたんだよ、霊夢」
「そうよ。元気ないわよ。体がどこか悪いの?」
「よ、よし、飯だな。飯。
アリス、ちょっと金くれ。何かうまいもの買ってくる」
「あ、え、ええ。そうね。
ちょっと待っててね……」
「……あー、いや……違うから……」
ははは、と力なく笑った霊夢は、ため息混じりに座椅子の背に寄りかかる。
天井を見上げる彼女の瞳に光はなく、ゆらゆらと、その視点は揺らいでいる。
「……昨日さー」
ぽつりと、霊夢は口を開いた。
「……クリスマスだったじゃん?」
「あ、あー、そうだな。
何だ、霊夢。プレゼントが欲しかったのか?
よし、じゃあ、今からお前に、魔理沙さんがクリスマスプレゼントを用意しよう」
「あ、わ、私も用意するわ。今すぐ。何が欲しいの? 服? アクセサリ? この際だからお金でもいいわよ? 何でも言ってね」
二人そろって引きつり笑顔。
このような状態の霊夢を見たことがない二人は、さすがに、どうしたらいいかわからない様子だった。
霊夢はつぶやく。
「……咲夜がさー、『せっかくだから、うちのクリスマスプラン、使ってみる? お金は取らないから』って言ってくれてさー……。
紅魔館のね、一番いい部屋と料理を用意してくれるってことになってさ……。
咲夜がさ、『早苗と一緒に来なさいね』って、……言って……くれたのにさ……。
誘ったらね……? 『いいですよ』って……言ったんだよ……? それなのに、当日になって……『やっぱりダメです』って……。ひどいってさ……思わない……?」
二人は、霊夢を見て、そろって同じ事を思った。
『霊夢がマジ泣きしてるの初めて見た』
――と。
「……そりゃね、あっちにだって都合とかあってさ……。わかってるんだよ……わかってるんだけど……。
断られてさ……。ちょっと……辛くて……」
「わかった! わかったから、霊夢! 飯、食おう! うまい飯!
アリス、今から買ってくるから!」
「え、ええ、そうね!
じゃあ、霊夢! 今からお茶、淹れるわ! 美味しいやつ! ね!?」
二人はそろって大慌て。
魔理沙は大急ぎで箒に飛び乗り、外へと飛び出していく。一方のアリスは人形たちに『霊夢を慰めてなさい!』と指示してキッチンへ。
『……慰めてろって言われても……』
『どうしたらいいのかしら……』
本日、アリスが連れてきた上海人形と和蘭人形は、そろって、今の状況にどう対処したらいいものかと思案していた。
「どうだ、霊夢。うまいか? うまいだろ? な? 元気になったか?」
「あ、ほら、霊夢。お茶、空っぽよ」
もぐもぐがつがつと、テーブルの上の料理を平らげていく霊夢。
どうやら、相当、お腹がすいていたらしい。しかし、一方から見ると、それはやけ食いのようにも見えた。
「落ち着いたか、霊夢」
「お粗末様」
アリスが人形たちを使って、テーブルの上を片付けていく。
テーブルの上には、新たにみかんとお茶が人数分、並べられている。
「しかし、そっかそっか。大変だったな、霊夢。
これから、どうだ。一緒に温泉でも行かないか?」
「あ、いいわね。温泉。
きっと疲れも取れるわよ、霊夢」
「……あのさー、二人とも」
お茶を飲みながら、彼女。
「……ありがと。心配してくれて」
頬をちょっぴり赤くして、うつむきがちにつぶやく霊夢。
その仕草はなかなかかわいらしく、また同時に、しおらしい女の子風味だった。
魔理沙は『へぇ』と内心で声を上げ、アリスは『はいはい』と笑顔でそれを受け流す。
「にしても、珍しいな。あの早苗が」
「だよね。絶対にそう思う。
二つ返事で『おっけー』って言ってくれたのにさ……」
「きっと、何か大切な用事が入ったのね」
「別にそれでもいいんだよ? いいんだけど……やっぱり、私を優先して欲しかったって言うか……」
ふてくされ、ほっぺた膨らませる彼女。
そんな彼女の仕草に、魔理沙は『気にするなよ』と、相手の肩を叩く。
「あいつにだって、ほら、色々と事情があるんだ。
これが最後のチャンスってわけじゃないんだから、次だ、次。な? あんま気にするなよ」
実に軽く、そして安い慰めではあるが、魔理沙らしい言葉である。
そうそう、とアリスもそれに同意する。
「もう一度、連絡を取ってみたら? 一日二日、ずれこんだっていいじゃない。
あの子はあの子で、ちゃんと、霊夢のこと、考えてくれてるんだから」
「……わかってるよ。
だけどさぁ……」
だからといって、当人の心が納得するというわけではない。
すねた霊夢を魔理沙が『わはは』と笑いながら、『まあまあ』と相手をする。
一方のアリスは人形のうち、一体に指示を出して、『守矢神社の様子を探ってきなさい』と空へと放つ。
「そもそも、霊夢。お前、クリスマスに早苗に何をもらいたかったんだ?」
「んーっと……。
何かこの前、『霊夢さんにプレゼントをあげますね』って言ってたから。
それが欲しい」
「へぇ。何だよ?」
「さあ。聞いても『秘密です』って言って教えてくれないし。
マフラーとかがいいなー」
「お、いいな。マフラー。
私のこれもだな、アリスが作ってくれたんだ。あったかいんだぜ。いいだろ~?」
「へぇ~。
さすがね、アリス。こんなきれいな刺繍とか入れられるんだ……」
何とか、霊夢の機嫌を直すために、魔理沙があれこれと話題を振っている。
普段の彼女のにぎやかしっぷりは、逆に鬱陶しく感じることもあるのだが、今日のそれはちがう。
アリスはこの時、魔理沙が『魔理沙らしい』性格でよかったと、ほっと安堵していた。
「……だけど、早苗が、霊夢との約束を反故にしないといけないほどのこと、ねぇ」
何があったのかしら、とアリスはつぶやく。
よほどのことがなければ、早苗は絶対に、霊夢との約束を優先するはずだ。
にも拘わらず、今回の一件はそれにそぐわない。となれば、守矢神社の方でも、何らかの騒動が起きているはず――彼女は、そう推測する。
そんな彼女の、優秀な分析力が証明されるのは、またしばらく後のことだった。
「……あやややや。まさか、そんなことになっているとは」
さて、所変わって守矢神社。
そこには、神様二人によって呼び出された、いつもの射命丸こと文が座っている。
「まぁ、うちらもさ、今更どうこう言っても仕方ないとはわかってるんだけどね。
一応、そんなことになってます、ってことを伝えておこうかなぁ、って」
「伝えられても困るんですけどね」
文は頭をかきながら、ふぅ、とため息をつく。
そして、出されたお茶を一口してから、『実はですね』と口を開く。
「先日のあれ。
実は、皆さんを歓迎する……と言うのもおかしいかな?
ともあれ、皆さん向けに催されたパーティーだったんですよ」
「ふむ」
「天魔さま曰く、『あ、そういえば、守矢の連中を盛大に迎えたことってなかったねぇ』と。
それなら、今回の『クリスマス』というイベントに重ねて行なえばいい、と」
その命令が天狗一同に下ったのは、何とクリスマスイヴの前日であったという。
――大急ぎで用意しろ。
たった、その一言で、文たち天狗はおおわらわになったとのことだ。
「当日は早苗さん含め、皆さんは主賓だったのですけどね。
何をどう間違ったか、早苗さんには大活躍させてしまいまして」
「それをどうにかしようとはしなかったの?」
「しましたよ。
私も大忙しでしたし。手が足りなかったんですよねぇ……結局」
天魔さまの思い付きには困ったものだ、と文。
時間さえあれば、きちんと、早苗や神奈子、諏訪子に何の手も煩わせることなく、にぎやかなパーティーが出来たものを、唐突な思い付きが発端であることが全てを台無しにしてしまったのだ。
「だが、我々に対しての、というのであれば、何かを言うことは出来ないな」
「そう言ってくれるとありがたいですね」
「けどねぇ……。
いや、あたしらも悪かったといえば悪かったんだよね。
ほら、早苗って、毎年、クリスマスとか一人だったから……。だから、今年も大丈夫かな~、なんて。
きっと喜ぶだろうなぁ、って思っていたらこのざまだよ」
早苗に対する愛が足りなかったんだ、と諏訪子は言う。
半分、冗談めかした口調ではあったが、その瞳は真剣そのものだった。
「思えば、クリスマスの少し前くらいから、早苗は浮かれていたな……。
それを見抜けなかったとは、神として、全く情けない」
はぁ、とため息をつく神奈子。
どうしたもんだか、という雰囲気がその場に漂う。
「とりあえず、早苗さんに機嫌を直してもらうためにも、霊夢さんの方に働きかけて、動きを出してもらうしかないかと」
「それが一番かねぇ。
うちらじゃどうしようもないし。というか、こういう時、家族ってのは無力なもんだよね」
そんなことはないですよ、と文は言うのだが、諏訪子は『いやはや』と肩をすくめるばかりだ。
ちょうどその時、外に向いた窓が、とんとん、と叩かれる。
視線を向けると、そこにアリスの人形が一体、ふよふよと漂っていた。
文が立ち上がり、窓を開ける。室内に入り込んだ人形が、『実は――』と、会話用のフリップを出して筆談を始める。
「向こうも、色々と悩んでいるみたいです」
「みたいだねぇ」
「……やれやれ」
楽しいクリスマスのはずが、何をどう間違ったら、こんな大騒ぎになってしまうのか。
人の世は、そして歩き方というのは、なかなかに難しいものだと、一同、小さくうなずくのだった。
「早苗、太るわよ」
「別にいいです」
幽香のお店、喫茶『かざみ』人里支店の一角。イートインスペースに陣取って、早苗は片っ端からケーキを平らげていた。
最初は本店に行ったのだが、店主がいなかったのでこちらにやってきたのだ。
その店主――幽香は『やれやれ』という顔をしている。
「何かあったの?」
尋ねる彼女に、早苗は答えない。
そういう態度をとられると、幽香は『ちょっと』と眉を吊り上げるのだが、今回は、早苗にも何らかの事情があることを悟っているのか、強い言葉は口にはしない。
「何があったか知らないけど、やけ食いで晴れるようないらいらなら、大したことないわね」
その言葉に、早苗の動きが止まった。
彼女はじろりと幽香を見る。その視線はかなり険しいものだ。
「大したことです。わたしにとって」
「だけど、そういうことをすればどうにかなる程度なら、大したことないのよ。
ストレスのはけ口を求めてるだけなんだし」
「そんなことありません。別にストレスなんてありません。幽香さんのケーキが美味しいから、ついつい、たくさん食べているだけです」
「そういうふてくされた顔をして食べてもらっても嬉しくなんてないわ」
一触即発。
ぴりぴりとした空気が店内に漂い始め、客たちもざわざわとざわついている。
「……じゃあ帰ります。ご馳走様でした」
「待ちなさい。
ちゃんと、うちのお菓子を食べて、『美味しかった』って顔をしてもらわないと帰せないわ。
アリス曰く、『客商売は評判が命』。不機嫌な顔のまま、外に出したら、うちが勘違いされるもの」
幽香はそう言うと、『まぁ、待ってなさい』と店の奥に引っ込んでしまった。
早苗はふてくされた顔のまま――しかし、視線だけは、寂しそうに窓の外に向けて、少し浮かしていた腰を椅子の上に戻した。
「何があったのか知らないけど、らしくないよ」
そんな彼女に、アルバイトとして働いている(強制)妹紅が声をかけた。
「誰かとケンカとかした?」
「……してません」
「じゃ、何があったのさ」
よいしょ、と妹紅が彼女の対面に腰掛ける。
テーブルに頬杖ついて、早苗は窓の外を見つめている。妹紅と視線を合わせたくないと言わんばかりに。
「何かいやなことがあったのなら、それを誰かに話すなりして気を晴らしたほうがいいと思うけどね。
そんな風にふてくされてると、美人が台無しだよ」
「ほっといてください」
「ほら、また怒った。
こんなどうでもいい言葉でもかりかりするってことは、気が落ち着いてない証拠。
私らみたく、長い間、生きてるとそれがわかるんだよね。精神的に成熟してきたから? そんなはずはないと思ってるけど。
せっかくかわいい顔してるんだから、もっと笑って笑って」
これは妹紅なりの励ましでもあったのかもしれない。
早苗はちらりと相手の方を見て、またぷいっと顔を逸らしてしまった。
その彼女の仕草に何を感じたのか。
妹紅は椅子から立ち上がると、「ま、ごゆっくり」と言って店内の客あしらいに戻っていってしまった。
――それから、ややしばらくして。
「お待ちどうさま」
幽香が戻ってくる。
彼女は、片手に持っていたケーキを、早苗の前へと置いた。
「……何ですか、これ」
「うちの新製品よ。ちょうど味見係を探していたの」
「……頂きます」
早苗は手にしたフォークとスプーンで、それを一口、口にした。
「どう?」
「……美味しいです」
「そう。ありがとう。
じゃあ、これ、メニューに加えるわね」
幽香は素っ気無い。
先ほど、早苗に『ちょっと待っていろ』と言っていたのに、その目的は、ただ『味見係を探してた』だけだという。
味見係なら他にもいるじゃないか。どうしてわたしなんだ。
早苗の視線は、幽香に向く。
幽香はそんな彼女の視線を一蹴すると、
「だって、あなた、私の友達なんでしょ?」
それだけを言って、彼女は踵を返した。
早苗はしばし、その場で沈黙する。
友達。
そういえば、彼女に対して、以前、そんなことを言ったような気がする。
その友達に対して、今、早苗はどんな態度でいるのだろう。ふと、冷静になって考えてみる。自分の今の姿。
窓に映る、ふてくされた自分の顔。
「……はぁ」
小さなため息を、彼女はついた。
視線をテーブルの上に戻し、食べかけのケーキを口にする。
口の中一杯に広がる、甘く、とろける味。
美味しい。
とても美味しい。
一人で食べてもこんなに美味しいのだから、あの人と一緒にテーブルを囲んで食べることが出来たら、どんなに美味しかっただろうか。
――ぽたりと、涙がこぼれる。
「……わたし、いやな奴やってるな」
それを選択したのは自分なのに。
先約を断って、自分の立場を優先させたのは自分のはずなのに。
それなのに、それを誰かのせいにしようとしている。
あまつさえ、友人に当り散らして、こうやってふてくされている。
――何やってるんだろう、と思った。
店の中を見渡すと、『クリスマスセール』の文字が見える。その前には、売れ残りであろうクリスマスケーキが置かれ、『半額』のプレートが置かれている。
せっかくのクリスマス。初めて、家族以外の誰かと過ごすはずだったその日を、自分で不意にした。
「……また来年、か」
一年は365日。あと365回、布団の上で目を閉じれば、またクリスマスはやってくる。
――そうだ。どうせ、こうやってふてくされていたって、過ぎた日は帰ってこないのだ。
なら、仕方ないのかもしれない。
「……そういえば、プレゼント、まだ渡してなかったっけ」
昨日は大忙しで、すっかり、そのことも忘れていた。
あの時は、確か、『明日の朝になったら、霊夢さんのところに行こう。行って頭を下げて謝ろう。それから、プレゼント、渡さなきゃ』と、そう思っていた。
しかし、現実はというと、朝、目を覚ましたら、そのことよりも怒りやいらいらの方が先に来てしまった。
せっかくの、一世一代のイベントを不意にされてしまった――不意にした、その事実の方が目の前にあったから。
「朝、起きたらじゃなくて、その日のうちに行っとくべきだったかな」
彼女は苦笑すると、テーブルの上のケーキをきれいに平らげる。
そして、カウンターへと歩いていった。
「幽香さん、お代、どこに置けばいいですか?」
「誰かバイトの子、つかまえて払ってちょうだい」
店の奥から素っ気無い声が聞こえる。
早苗は近くを歩いていたアルバイトの少女をつかまえて、『すいません。お会計お願いします』と笑顔を向けた。
そして、お金を払って帰る間際、ドアの近くでファンの女の子達に捕まり、きゃーきゃー言われてる妹紅を一瞥する。
「ご迷惑をおかけしました」
にこっと微笑み、ぺこりと一礼。
妹紅は、そんな彼女を見て『はいはい』とそれをあしらった。
ドアの向こう――店の外に出ると、青空と、差し込む光がまぶしく見える。
季節は冬。辺りは白一色に覆われている。そんな中、美しい青をたたえた空を見上げて、『あー』と、早苗は声を上げたのだった。
「よーっし!
魔理沙、アリス! 今日は酒よ! 酒! 飲む!」
一方の霊夢はというと、魔理沙とアリスに散々愚痴り、さりげないフォローももらっていたおかげか、何とか復帰レベルまでは回復していた。
二人は内心、ほっと息をつき、『そうだな』と霊夢に賛同している。
「じゃあ、私、何かお酒と食べ物買ってくるわ」
「おー、そうしろそうしろ。
うまいものをよろしく頼むぜ」
「はいはい」
席を立つアリス。
彼女は襖を開き、廊下の向こうへと歩いていく。とたとたという足音が遠ざかる。
「それにさ、霊夢。クリスマスってのは来年もあるんだ。それを楽しみにしてようぜ」
「ま、そうね。
だけど、早苗に逢ったら、ちゃんと今回の事情説明をしてもらうわ」
「それだけで許すとか、心が広いな。
私なら間違いなく、弾幕バトルだぜ」
二人そろって、そんな冗談を言って笑いあう。
「外、そろそろ暗くなってきたな」
その時、ふと、魔理沙は障子の向こうに視線をやった。
冬の太陽は落ちるのが早い。世界は徐々に闇に染まっていっている。
そうね、と霊夢は返事をして、立ち上がると、外に開いた障子や戸を閉めて、冷気が部屋の中に入ってこないようにする。
そうして、居間へと戻ってきた霊夢は、部屋の隅に置かれている暖房を確認して、『それじゃ――』と声を上げたところで。
「わっ!」
「お、何だ。停電か?」
ふっ、と辺りの明かりが消えた。
ずいぶん前から、八雲紫の手によって電気の通された神社は、あっという間に暗闇に包まれる。
しかし、霊夢も慣れたもので、『今、ローソクとか出すから』とその暗闇に動じない。
彼女は手探りでローソクが置かれた場所へと辿り着くと、それにぽっと明かりを点した。
途端――、
「わひっ!?」
目の前に浮かんだ人の顔に驚いて、危なく、ローソクを取り落としそうになる。
「なっ、なななっ!?」
「ばあ、ってやったら驚きますか?」
そこに、一体いつからいたのか。
やけに幼い笑顔で笑う早苗が立っていた。
「ちょっと魔理沙! 何で早苗がいるの、黙ってたのよ!」
部屋の中に向かって声を張り上げる。
返事はなかった。
あれ? と首をかしげる霊夢。
そんな彼女の手を、早苗が引いた。
「霊夢さん、こっちこっち」
「いや、こっちこっち、って……。
あ、ち、ちょっと待って。早苗。そもそも……」
――何で昨日の約束、すっぽかしたのよ。
そう問いかけようとした霊夢は、ローソクの明かりにぼんやり浮かぶ、テーブルの上の料理を見て沈黙した。
「キャンドルパーティーって知ってます?
こうやって、灯りを消して、ローソクの明かりだけですごす夜です。外の世界では電気の灯りが基本になってるから、こういう、儚い光って人気があるんですよ」
ローソクに照らされる範囲に、魔理沙の姿はない。先ほどまでテーブルについていたのにだ。
事態があまり飲み込めていない霊夢の手を引いて、早苗は卓に着いた。
「お料理、用意してきました。食べましょう」
「あの、だから、その……」
湯気を立てている料理。おいしそうな匂いが、部屋中に漂っている。
霊夢は言われるまま、手を引かれるまま、早苗の隣に腰を下ろした。
「お酒もありますよ。さ、どうぞ」
「だから、ちょっと待ってよ!」
グラスを渡され、お酒を注いでもらったところで、ようやく、霊夢は声を上げた。
どうしたんですか? と首をかしげる早苗。
霊夢は、「昨日のこと!」と声を上げる。
「私との約束! あれ、どうして……」
「……ごめんなさい。
本当は、霊夢さんとのパーティー、したかったんですけど……。うちの方でもパーティーがあって……」
「……抜け出せばよかったじゃない。
私……待ってたんだから……。『今日は行けない』って、早苗、言ったけど……。もしかしたら来てくれるかもしれない、って……待ってたんだからね……」
渡された酒を、ぐいっと一気に飲み干す彼女。
空になったグラスに、早苗が、新しく酒を注ぐ。
「……聞かせて。どうして来られなかったのか」
「……ごめんなさい。
わたし……やっぱり、まだ、自分の立場を優先してるみたいです」
それから訥々と、早苗は語る。どうして昨日、自分がここに来られなかったのかを。
霊夢は何も言わず、黙ってそれを聞いていた。
時折、料理に手を伸ばして、『はい』と早苗にも取り分けた皿を手渡す。
「それで……来られませんでした。ごめんなさい」
何度目かになる言葉と謝罪。
頭を下げる早苗に、霊夢は無言だった。無言と、視線と。その二つを彼女へと返して、霊夢は言う。
「……バカ」
ポツリとつぶやく。
「何で……。何で、それなら……呼んでくれなかったのよ……」
「……え?」
「だから! そんなパーティーだったなら、私、呼んでくれてもよかったじゃない!
どうせ天狗のやることなんてずさんなだから、人が一人増えたくらい、何ともなかったじゃない! 私が行けば、早苗の手伝いだって出来たし、ちょっとくらい時間作って抜け出す事だって出来たし!
私、二人っきりで早苗と過ごしたかったけど、それじゃなくて、早苗と一緒ならよかったんだから!」
少しだけ、言葉が支離滅裂になっていた。
顔を真っ赤にした霊夢。
彼女の言葉に、早苗はぽかんとしていた。そして、段々、その言葉の意味がわかってきたのか、ぽんと手を打つ。
「……そうですよね。そういえば、何で、霊夢さんを呼ばなかったんでしょう」
「だからよ! バカ! それくらい気づきなさいよ!
はい、お酒!」
何でそんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
早苗は、そんな間抜けな顔をしていた。
突き出されるグラスに、慌ててお酒を注いで、『そうよ。そうよね? 何で気付かなかったんだろう』と、何度も自分で自分に問いかける。
「……あ~、そうだなぁ。そうですよねぇ。
霊夢さん、わたしって間抜けですね」
「そうよ、もう! 楽しみにしてたんだからね! ちゃんと責任、取りなさいよ!」
取り皿の上の料理を平らげて、霊夢は次の料理に手を伸ばす。
「早苗、私へのプレゼントは!?」
「あ、はい! ただいま!」
そのために来たんでしょ、という視線。
早苗は苦笑を浮かべて、何やら、自分の後ろをごそごそと探る。
そして、彼女は『一日遅れのクリスマスプレゼントです」と、それを取り出した。
「早苗特製、あったかグッズです。
セーター、マフラー、帽子に手袋、スカートも作りました」
「……ありがと」
それを受け取った霊夢は、べ~、と舌を出した。
「来年は、もしも、そういうことになったら、ちゃんと私を呼びなさいよ!」
「はい、わかりました」
「また来年も、私、あんたのこと呼ぶから! 今度、来られなかったらひどいんだからね!」
「ええ、そうですね」
「お腹すいた! お酒とご飯! ほら、早苗!」
「はいはい」
霊夢の横顔に浮かぶのは、嬉しさか、それとも恥ずかしさか。
ローソクの柔らかい、暖かな光に照らされているせいで、暖色の色はわかりづらい。
早苗は霊夢のグラスに酒を注いで、「今年は間抜けでしたね」と笑った。
「そうよ。早苗が間抜けなだけじゃない。
私なら、絶対にそんなことしないのに。早苗、ちゃんと呼ぶのにさ。
もしかして、早苗の中で、私ってその程度?」
「そんなことありませんよ。すっごく大きいですよ、霊夢さんの居場所。大きすぎて、わたしの居場所がなくなっちゃうくらい」
「じゃあ、私の場所、ちゃんと貸してあげるから。
そこにちゃんといてね。ずっと」
「ええ」
――いつだって、そこにいます。
早苗は言う。
その言葉が嬉しかったのか、霊夢は笑った。かわいらしい、早苗の前でしか見せない笑顔で。
「早苗も飲む?」
「わたしは遠慮します。収拾つかなくなるから」
「ちぇっ。
じゃあ、ほら。一緒に食べよ?」
「はい」
これ、美味しいわね、と霊夢は言う。
そうですね、と早苗はそれに返して、『実はですね、霊夢さん』と新しい話題を振る。
二人の間に話は尽きない。
ゆらゆら揺れるローソクの火は、相変わらず、ゆらゆら燃え盛っている。
その火が消えるまで――その火が消えても、二人の間に、話題は尽きない。
「……で、紫。お前、何で今の今まで顔を出さなかったんだ?」
襖を少しだけ開き、中の様子を伺っていた魔理沙が、襖を閉めながら、自分の後ろに佇む女に尋ねた。
「あら。
いつもいつも手助けばかりしていたら、子供は成長しないでしょ?」
「とか何とか言って。
下手したら、あなた、天魔相手にケンカ売りに行くところだったんじゃないの?」
「まさか。そんな危ないことは致しませんよ」
くすくす笑う彼女は、アリスの方へと視線を向ける。
いつだって霊夢を見守る、『霊夢の母親』を公言する彼女は、『人間って大変だから』と、よくわからないことを言う。
「あなた達には感謝するわ。おかげで、霊夢も早苗ちゃんと仲直りできたみたいだし」
「元から仲たがいとか、してるようには見えなかったけどな」
「確かに。というか、あの二人がケンカしてる姿は、今の状態じゃ想像できないわね」
ちょっと前まではそんな関係などどこにもなかったはずなのに、ふとしたきっかけで激変するのが人間関係。それは、長く時を生きる妖怪にはわかりづらいことだと、アリスは言う。
そういう大きな感情の起伏があるから、人間というのは早死にするのではないか、とまで彼女は言う。
魔理沙は、「あー、それ、あるかもな」とアリスに同意して、『だけど、私は長生きするぜ?』と笑う。
「それじゃ、私はこれで。
あなた達も、どこかに行くのなら送っていくわ。今日のお礼をさせてちょうだい」
「そんなら、人里の酒場だな。
アリスも来るか?」
「私は、ああいうところは苦手だから遠慮しておくわ。紅魔館辺りで、優雅にディナーって言うのが、私の色にあっているの」
「お、そうか。
そんなら、私もそれにあわせるかな。代金はお前もちな。お前の方が金あるし」
「はいはい」
それでは、と空間の亀裂を開く紫。
魔理沙とアリスは二人そろって、その中へと消えていった。
彼女たちを見送って、紫は、ふぅ、と息をつく。
「……にしても、ほんと、はらはらしたわ。
どうなることかと」
私は少し、霊夢に入れ込みすぎているのかしら? そんな風に思って、彼女は首をかしげる。
しかし、別段、それが悪いことだとは、彼女は思っていないらしい。
それならそれでいいか、という結論をつけて、ひょいとその場に飛び上がる。
「彼女も首を長くして待っているだろうし。今日の様子を報告してあげましょうか」
生み出した亀裂の中に彼女の姿が消えていく。
去り際に、彼女は『それじゃあね、霊夢。風邪とか引かないように』と、誰もいない空間に声だけを残していく。
しんと静まる神社の母屋。
その中に、かすかに点るローソクの明かりと、小さく響く二人の少女の声は、その日の夜遅くまで消えることはなかった。
「何の真似だ、諏訪子」
「何となく」
今日も清々しい朝の日差し。
外からは鳥の囀る声が聞こえてくる中、守矢神社の居間のテーブルに、湯気を立てる朝ご飯が並べられていく。
「早苗は?」
「まだ寝てんじゃない?」
「……やれやれ」
「あれ、怒らないねぇ?」
普段なら目を三角にするのに、と諏訪子。
一方の、ご飯を並べているエプロン姿の彼女――神奈子は、『昨日までが忙しかったから』と、未だ、この場に現れていない人物を擁護するような発言をした。
「あー、確かに。
何だって、この山の連中みんなで『クリスマスパーティーやろうぜ!』ってことになったんだろ」
「彼らとしては、我々を歓迎しているのか、はたまた、単にお祭り好きなのか、あるいは……」
「天魔ちゃんのわがままか。
ま、これだろうね」
あれにゃ困ったもんだ、と諏訪子は言う。
しかし、一応、先日までのパーティーでは大いに楽しませてもらったため、特段の苦情等は考えていないようだ。
「早苗も大変だったねぇ」
なぜかサンタのコスプレさせられて、小さな子達に『プレゼントですよ~』と色々とものを配ったり、お酒の用意をしたり、会場のあちこちを走り回って、器やカップなどの用意をしたり。
結局のところ、一番、大忙しだったのは彼女であった。
「だから、今日くらいは寝坊してもいいかな、とね」
「なるほど。優しいね。
けど、朝ご飯が冷めたらもったいないからさ。二度寝でいいんじゃん?」
ひょいと、気配もなく立ち上がった諏訪子が、その場に踵を返して部屋を辞する。
すたすた、腕を頭の後ろで組んで陽気に口笛など吹きながら廊下を行く諏訪子。
そして、目的の部屋の前――『早苗のお部屋。ノックすること』とプレートのかけられたドアの前にやってくる。
「おーい、早苗ー。おっはよー。入るよー」
ノックせずに、ドアの前で宣言してから、それをがちゃっと開けて。
「おーい、まだ寝てるー? 朝ご飯だよー」
ベッドの上の人物に、彼女は声をかけた。
ゆっくりと、その人物は、目を覚ましていたのか諏訪子の方を振り返る。
そして、彼女は盛大にため息をついた。
「どうしたどうした、朝から。そんなため息なんてついて。
疲れが抜けないの?」
「……諏訪子さま。早苗は思うんです」
「は?」
「……リア充爆発しろ、と」
――その時、諏訪子は長い長い神様人生の中で、生まれて初めて、真の『恐怖』というものを知ったのだった。
どよ~ん、といい具合に朝の空気がよどんでいる
朝食を囲むテーブル。
引きつり笑顔の神奈子。やたらびくびくおどおどしている諏訪子。そして、
「……せっかくのクリスマスに勝手に予定ねじこんできて、しかも人を働かせるだけ働かせて『後よろしく』とかふざけんじゃないわよ。
いくらわたしが寛容な性格だからって、いい加減、キレるわよ。大人しい現代っ子なめると痛い目見るってこと教えてやろうかしら。
あーもー腹立つ……せっかくのクリスマスだったのに……!」
――と、普段なら決して使うはずのない、やたら刺々しい独り言をぶつぶつつぶやく早苗の姿。
「……諏訪子。早苗、何かあったの?」
「さ、さあ……? ベッドから起きた途端にあんな調子で……」
「神奈子さま」
低く、据わった声。
神奈子が「な、何?」と振り向く。その神奈子に、無言で、早苗はお茶碗を突き出した。
普段なら『お代わりお願いします』と笑顔で言ってくるのに、だ。
「……量は普通でいい?」
「大盛りで」
神奈子は恐る恐るそれを受け取って、ご飯を盛って返す。
早苗は無言でそれを受け取り、がつがつと、口の中にご飯を放り込んでいく。
……一見すると、やけ食いのそれである。
「……あ、あのさ、早苗。何かあった?」
諏訪子が、その時、勇気を出した。
そっと尋ねる彼女に、神奈子は内心で『よくやった、諏訪子!』とエールを送っている。
「……別に」
しかし、返ってきた答えはそっけないものであった。
だが、諏訪子は、『今こそ、諏訪の神としての実力見せてやる!』と覚悟を決めて、『そ、そんなことないでしょ?』と食い下がる。
「別に、何でもありません。諏訪子さまに言っても仕方ないし」
とことん、早苗は冷たかった。
すげなく諏訪子をあしらう彼女。諏訪子の笑顔は完全に引きつり、ぎぎぎっ、と音を立てて、神奈子に視線を向ける。その視線は、かつての盟友に助けを求める戦士のそれだった。
「……早苗。食事の場で、そういう態度はよくない」
神奈子は、努めて平然を装いながら早苗に向かって言葉をかける。
早苗は無言だった。
無言のまま、じろりと神奈子を見た。
その視線の強烈さたるやすさまじいものがあり、神奈子ですら、内心、めっちゃ腰が引けていた。
「何かあったのなら言いなさい。助けになるから」
口の中が乾く。声が引きつる。
それでも神奈子は、神としての威厳を保った。がけっぷちぎりぎりのところでこらえていた。
諏訪子はそんな彼女を見て、『あー、やっぱ神奈子でもきついかー』と思っていた。早苗の視線が自分に向いていないことを、心底、安堵していた。
「……昨日のパーティーのことです」
「あれが何か?」
「……神奈子さま。諏訪子さま。
お二人ならきっとご存知だと思いますが、わたしが外の世界にいた間、どんなクリスマスを過ごしていたか……」
二人は顔を見合わせる。
「わたしのクリスマスっ!
楽しく過ごそうと思って友達に声かけても、『ごめん、彼氏と約束あるんだ』とか『先約があるの、ごめんね早苗』とか、挙句、『早苗は誰かと過ごすと思って、その日、別に予定入れちゃったよ』とかっ!
とどめに『え? 早苗、今年も一人なの?』とかっ!!
何度っ! 何度、こんな答えばっかり聞かされてぼっちのクリスマスを送ったことかっ!
覚えてますよね!?」
「……えーっと」
「あー……」
二人そろって目が泳ぐ。
一応、外の世界にいた頃は、なるべく早苗たちに干渉することは避けていたためだ。
しかし、それでも、早苗が普段、どんな生活を送っていたかくらいのことは覚えている。
早苗が言う通り、この季節の彼女は、一人寂しく部屋の中で『わーい、クリスマスケーキ美味しいなー』とつぶやきながらパソコンの画面に向かい、『……うふふ。いいもんねー、わたしのお嫁さん、ここにいるもんねー。画面から出てこないけど』と泣きながら用意したケーキ(二人分)を食べていたものだ。
ちなみにそんな彼女を見ていた両親は、心の底から娘を不憫に思い、思いっきり豪華なクリスマスプレゼントを贈っていたりする(一番高いプレゼントは『これを自由に使いなさい』という現ナマ20諭吉ほどである)。
「リア充爆発しろ! それを願いながらすごした、一人寂しいクリスマス!
ええ、クリスマスプレゼントは盛大に使いましたとも! 服! コスメ! パソコン! フィギュア! ゲーム!
けど、それじゃ、心の寂しさは癒されないんですよ! 二次元嫁を愛でる心に隙間風がマッハGO! GO! GO! ですよ!」
「じゃ、じゃあさ、その……あのパーティー、楽しくなかったとか?」
「楽しかったですよ!」
どん、とテーブル拳でぶっ叩く。
その衝撃に、樫で出来たテーブルの一部が『めきょり』とかいう音を立てた。
「誰かと過ごす楽しいクリスマス! みんなで飲んで騒いで食べて! 楽しかったですよっ! また来年もお願いしたいですよ!
だけど、違う! わたしが求めていた幸せハッピークリスマスとは違うっ!
ここ重要! そして、昨日は、わたしには別に予定が入っていたんですよっ!」
目に涙が浮かんでいた。
早苗はこの時、本気で泣いていた。
彼女が、心から涙を流すことなど、一生のうちにどれほどあることだろうか。
人間として、心から泣きたいことなど、生きる間に何度めぐり合うだろうか。
「……じゃあ、その……断ってもよかったのよ?」
「そういうわけにもいかないじゃないですか!
神奈子さまと諏訪子さまの顔を立ててこその巫女でしょう!」
うわー、とこの時、二人は心底、頭を抱えた。
端的に言い換えると、『二人のせい』で、早苗は今、心底の涙を流しているということになる。
そこまでこちらを思ってくれるのはもちろん嬉しいのだが、『そこまでだったら別に私らのことなんていいから自分の幸せ追い求めろよ』と魂からのツッコミを放ちたくなった。
……もっとも、そういうところが、早苗のいいところなのかもしれないが。
「……というわけで、わたしは今、ものすごく不機嫌なのです。
これから幽香さんのところ行ってきます。クリスマスケーキの売れ残りが大安売りされてるでしょうから」
ご馳走様でした、と立ち上がる早苗。
背中に縦線を背負い、彼女は部屋を後にする。
二人は……何も出来なかった。
「……どうするよ?」
「いや、どうするよって言われてもだな……」
「っていうか、うちらのせいじゃん!? うちら、早苗を泣かせてるよ!?」
「う、うーん……」
そして、後に残るのは、盛大な困惑だけであった。
さて、一方。
「いや~、アリス。飯をおごってもらって助かったぜ」
「ったくもう。
『アリス、お腹すいた~……ご飯食べさせて~……』って泣きながらやってくるんだもの。何事かと思ったわ」
「魔法の研究に熱が入りすぎて、米粒一つないことをうっかり忘れてたぜ」
わっはっは、と笑う彼女――霧雨魔理沙は、お腹が一杯になっていることも相まって、いつも通りの彼女である。
その横を併走するアリス・マーガトロイドは『こいつはこれだから困る』という顔をして、苦笑を浮かべている。
「さて、見えてきた見えてきた」
「霊夢に何か用事でもあるの?」
「いや、ない。
ただ、暇な時はあいつのところに行けば、大体、何かあるか誰かいるからな」
なるほど、とアリスはうなずく。
視界の先――博麗神社を見て、二人は少しだけ、飛行速度を上げる。
それからしばらくして、二人は神社の境内に降り立つと、母屋に向かって歩いていく。
「霊夢~、邪魔するぜ~」
がらがらと引き戸を開けて、中へ。
とことこ廊下を歩いていく。
「おーい、霊夢ー。魔理沙さんが遊びに来たぞー。お茶くらい出せー」
などという無礼なことを言いながら、彼女は居間につながる襖を開けた。
そして、二人はそろって沈黙する。
「えー……っと」
「……おい、アリス。私はどうしたらいい……?」
居間の中。
ぽつんと置かれたテーブルの上に、神社の主が突っ伏していた。
ぴくりとも動かない『それ』を見て、さすがの二人も顔を引きつらせて、頬に汗一筋。
「ね、ねぇ、霊夢……? その……お腹すいてるの? 今から、何か買ってこようか……?」
恐る恐るアリスが霊夢の肩に手を置いて、それを揺さぶりながら尋ねる。
沈黙。
無言。
静寂。
時計の音だけが響き渡り、アリスは顔を上げると、首を左右に振った。
「お、おい、霊夢。どうしたんだ? 生きてるか? おい。永遠亭、行くか?」
さすがの魔理沙も不安になったのか、霊夢に顔を寄せて声をかける。
そんなことをしばらく繰り返して、ようやく、霊夢が顔を上げた。
「……あー、何だ。あんた達、来てたの……?」
力も生気もない言葉。
二人はそろって、顔を見合わせる。
「どうしたんだよ、霊夢」
「そうよ。元気ないわよ。体がどこか悪いの?」
「よ、よし、飯だな。飯。
アリス、ちょっと金くれ。何かうまいもの買ってくる」
「あ、え、ええ。そうね。
ちょっと待っててね……」
「……あー、いや……違うから……」
ははは、と力なく笑った霊夢は、ため息混じりに座椅子の背に寄りかかる。
天井を見上げる彼女の瞳に光はなく、ゆらゆらと、その視点は揺らいでいる。
「……昨日さー」
ぽつりと、霊夢は口を開いた。
「……クリスマスだったじゃん?」
「あ、あー、そうだな。
何だ、霊夢。プレゼントが欲しかったのか?
よし、じゃあ、今からお前に、魔理沙さんがクリスマスプレゼントを用意しよう」
「あ、わ、私も用意するわ。今すぐ。何が欲しいの? 服? アクセサリ? この際だからお金でもいいわよ? 何でも言ってね」
二人そろって引きつり笑顔。
このような状態の霊夢を見たことがない二人は、さすがに、どうしたらいいかわからない様子だった。
霊夢はつぶやく。
「……咲夜がさー、『せっかくだから、うちのクリスマスプラン、使ってみる? お金は取らないから』って言ってくれてさー……。
紅魔館のね、一番いい部屋と料理を用意してくれるってことになってさ……。
咲夜がさ、『早苗と一緒に来なさいね』って、……言って……くれたのにさ……。
誘ったらね……? 『いいですよ』って……言ったんだよ……? それなのに、当日になって……『やっぱりダメです』って……。ひどいってさ……思わない……?」
二人は、霊夢を見て、そろって同じ事を思った。
『霊夢がマジ泣きしてるの初めて見た』
――と。
「……そりゃね、あっちにだって都合とかあってさ……。わかってるんだよ……わかってるんだけど……。
断られてさ……。ちょっと……辛くて……」
「わかった! わかったから、霊夢! 飯、食おう! うまい飯!
アリス、今から買ってくるから!」
「え、ええ、そうね!
じゃあ、霊夢! 今からお茶、淹れるわ! 美味しいやつ! ね!?」
二人はそろって大慌て。
魔理沙は大急ぎで箒に飛び乗り、外へと飛び出していく。一方のアリスは人形たちに『霊夢を慰めてなさい!』と指示してキッチンへ。
『……慰めてろって言われても……』
『どうしたらいいのかしら……』
本日、アリスが連れてきた上海人形と和蘭人形は、そろって、今の状況にどう対処したらいいものかと思案していた。
「どうだ、霊夢。うまいか? うまいだろ? な? 元気になったか?」
「あ、ほら、霊夢。お茶、空っぽよ」
もぐもぐがつがつと、テーブルの上の料理を平らげていく霊夢。
どうやら、相当、お腹がすいていたらしい。しかし、一方から見ると、それはやけ食いのようにも見えた。
「落ち着いたか、霊夢」
「お粗末様」
アリスが人形たちを使って、テーブルの上を片付けていく。
テーブルの上には、新たにみかんとお茶が人数分、並べられている。
「しかし、そっかそっか。大変だったな、霊夢。
これから、どうだ。一緒に温泉でも行かないか?」
「あ、いいわね。温泉。
きっと疲れも取れるわよ、霊夢」
「……あのさー、二人とも」
お茶を飲みながら、彼女。
「……ありがと。心配してくれて」
頬をちょっぴり赤くして、うつむきがちにつぶやく霊夢。
その仕草はなかなかかわいらしく、また同時に、しおらしい女の子風味だった。
魔理沙は『へぇ』と内心で声を上げ、アリスは『はいはい』と笑顔でそれを受け流す。
「にしても、珍しいな。あの早苗が」
「だよね。絶対にそう思う。
二つ返事で『おっけー』って言ってくれたのにさ……」
「きっと、何か大切な用事が入ったのね」
「別にそれでもいいんだよ? いいんだけど……やっぱり、私を優先して欲しかったって言うか……」
ふてくされ、ほっぺた膨らませる彼女。
そんな彼女の仕草に、魔理沙は『気にするなよ』と、相手の肩を叩く。
「あいつにだって、ほら、色々と事情があるんだ。
これが最後のチャンスってわけじゃないんだから、次だ、次。な? あんま気にするなよ」
実に軽く、そして安い慰めではあるが、魔理沙らしい言葉である。
そうそう、とアリスもそれに同意する。
「もう一度、連絡を取ってみたら? 一日二日、ずれこんだっていいじゃない。
あの子はあの子で、ちゃんと、霊夢のこと、考えてくれてるんだから」
「……わかってるよ。
だけどさぁ……」
だからといって、当人の心が納得するというわけではない。
すねた霊夢を魔理沙が『わはは』と笑いながら、『まあまあ』と相手をする。
一方のアリスは人形のうち、一体に指示を出して、『守矢神社の様子を探ってきなさい』と空へと放つ。
「そもそも、霊夢。お前、クリスマスに早苗に何をもらいたかったんだ?」
「んーっと……。
何かこの前、『霊夢さんにプレゼントをあげますね』って言ってたから。
それが欲しい」
「へぇ。何だよ?」
「さあ。聞いても『秘密です』って言って教えてくれないし。
マフラーとかがいいなー」
「お、いいな。マフラー。
私のこれもだな、アリスが作ってくれたんだ。あったかいんだぜ。いいだろ~?」
「へぇ~。
さすがね、アリス。こんなきれいな刺繍とか入れられるんだ……」
何とか、霊夢の機嫌を直すために、魔理沙があれこれと話題を振っている。
普段の彼女のにぎやかしっぷりは、逆に鬱陶しく感じることもあるのだが、今日のそれはちがう。
アリスはこの時、魔理沙が『魔理沙らしい』性格でよかったと、ほっと安堵していた。
「……だけど、早苗が、霊夢との約束を反故にしないといけないほどのこと、ねぇ」
何があったのかしら、とアリスはつぶやく。
よほどのことがなければ、早苗は絶対に、霊夢との約束を優先するはずだ。
にも拘わらず、今回の一件はそれにそぐわない。となれば、守矢神社の方でも、何らかの騒動が起きているはず――彼女は、そう推測する。
そんな彼女の、優秀な分析力が証明されるのは、またしばらく後のことだった。
「……あやややや。まさか、そんなことになっているとは」
さて、所変わって守矢神社。
そこには、神様二人によって呼び出された、いつもの射命丸こと文が座っている。
「まぁ、うちらもさ、今更どうこう言っても仕方ないとはわかってるんだけどね。
一応、そんなことになってます、ってことを伝えておこうかなぁ、って」
「伝えられても困るんですけどね」
文は頭をかきながら、ふぅ、とため息をつく。
そして、出されたお茶を一口してから、『実はですね』と口を開く。
「先日のあれ。
実は、皆さんを歓迎する……と言うのもおかしいかな?
ともあれ、皆さん向けに催されたパーティーだったんですよ」
「ふむ」
「天魔さま曰く、『あ、そういえば、守矢の連中を盛大に迎えたことってなかったねぇ』と。
それなら、今回の『クリスマス』というイベントに重ねて行なえばいい、と」
その命令が天狗一同に下ったのは、何とクリスマスイヴの前日であったという。
――大急ぎで用意しろ。
たった、その一言で、文たち天狗はおおわらわになったとのことだ。
「当日は早苗さん含め、皆さんは主賓だったのですけどね。
何をどう間違ったか、早苗さんには大活躍させてしまいまして」
「それをどうにかしようとはしなかったの?」
「しましたよ。
私も大忙しでしたし。手が足りなかったんですよねぇ……結局」
天魔さまの思い付きには困ったものだ、と文。
時間さえあれば、きちんと、早苗や神奈子、諏訪子に何の手も煩わせることなく、にぎやかなパーティーが出来たものを、唐突な思い付きが発端であることが全てを台無しにしてしまったのだ。
「だが、我々に対しての、というのであれば、何かを言うことは出来ないな」
「そう言ってくれるとありがたいですね」
「けどねぇ……。
いや、あたしらも悪かったといえば悪かったんだよね。
ほら、早苗って、毎年、クリスマスとか一人だったから……。だから、今年も大丈夫かな~、なんて。
きっと喜ぶだろうなぁ、って思っていたらこのざまだよ」
早苗に対する愛が足りなかったんだ、と諏訪子は言う。
半分、冗談めかした口調ではあったが、その瞳は真剣そのものだった。
「思えば、クリスマスの少し前くらいから、早苗は浮かれていたな……。
それを見抜けなかったとは、神として、全く情けない」
はぁ、とため息をつく神奈子。
どうしたもんだか、という雰囲気がその場に漂う。
「とりあえず、早苗さんに機嫌を直してもらうためにも、霊夢さんの方に働きかけて、動きを出してもらうしかないかと」
「それが一番かねぇ。
うちらじゃどうしようもないし。というか、こういう時、家族ってのは無力なもんだよね」
そんなことはないですよ、と文は言うのだが、諏訪子は『いやはや』と肩をすくめるばかりだ。
ちょうどその時、外に向いた窓が、とんとん、と叩かれる。
視線を向けると、そこにアリスの人形が一体、ふよふよと漂っていた。
文が立ち上がり、窓を開ける。室内に入り込んだ人形が、『実は――』と、会話用のフリップを出して筆談を始める。
「向こうも、色々と悩んでいるみたいです」
「みたいだねぇ」
「……やれやれ」
楽しいクリスマスのはずが、何をどう間違ったら、こんな大騒ぎになってしまうのか。
人の世は、そして歩き方というのは、なかなかに難しいものだと、一同、小さくうなずくのだった。
「早苗、太るわよ」
「別にいいです」
幽香のお店、喫茶『かざみ』人里支店の一角。イートインスペースに陣取って、早苗は片っ端からケーキを平らげていた。
最初は本店に行ったのだが、店主がいなかったのでこちらにやってきたのだ。
その店主――幽香は『やれやれ』という顔をしている。
「何かあったの?」
尋ねる彼女に、早苗は答えない。
そういう態度をとられると、幽香は『ちょっと』と眉を吊り上げるのだが、今回は、早苗にも何らかの事情があることを悟っているのか、強い言葉は口にはしない。
「何があったか知らないけど、やけ食いで晴れるようないらいらなら、大したことないわね」
その言葉に、早苗の動きが止まった。
彼女はじろりと幽香を見る。その視線はかなり険しいものだ。
「大したことです。わたしにとって」
「だけど、そういうことをすればどうにかなる程度なら、大したことないのよ。
ストレスのはけ口を求めてるだけなんだし」
「そんなことありません。別にストレスなんてありません。幽香さんのケーキが美味しいから、ついつい、たくさん食べているだけです」
「そういうふてくされた顔をして食べてもらっても嬉しくなんてないわ」
一触即発。
ぴりぴりとした空気が店内に漂い始め、客たちもざわざわとざわついている。
「……じゃあ帰ります。ご馳走様でした」
「待ちなさい。
ちゃんと、うちのお菓子を食べて、『美味しかった』って顔をしてもらわないと帰せないわ。
アリス曰く、『客商売は評判が命』。不機嫌な顔のまま、外に出したら、うちが勘違いされるもの」
幽香はそう言うと、『まぁ、待ってなさい』と店の奥に引っ込んでしまった。
早苗はふてくされた顔のまま――しかし、視線だけは、寂しそうに窓の外に向けて、少し浮かしていた腰を椅子の上に戻した。
「何があったのか知らないけど、らしくないよ」
そんな彼女に、アルバイトとして働いている(強制)妹紅が声をかけた。
「誰かとケンカとかした?」
「……してません」
「じゃ、何があったのさ」
よいしょ、と妹紅が彼女の対面に腰掛ける。
テーブルに頬杖ついて、早苗は窓の外を見つめている。妹紅と視線を合わせたくないと言わんばかりに。
「何かいやなことがあったのなら、それを誰かに話すなりして気を晴らしたほうがいいと思うけどね。
そんな風にふてくされてると、美人が台無しだよ」
「ほっといてください」
「ほら、また怒った。
こんなどうでもいい言葉でもかりかりするってことは、気が落ち着いてない証拠。
私らみたく、長い間、生きてるとそれがわかるんだよね。精神的に成熟してきたから? そんなはずはないと思ってるけど。
せっかくかわいい顔してるんだから、もっと笑って笑って」
これは妹紅なりの励ましでもあったのかもしれない。
早苗はちらりと相手の方を見て、またぷいっと顔を逸らしてしまった。
その彼女の仕草に何を感じたのか。
妹紅は椅子から立ち上がると、「ま、ごゆっくり」と言って店内の客あしらいに戻っていってしまった。
――それから、ややしばらくして。
「お待ちどうさま」
幽香が戻ってくる。
彼女は、片手に持っていたケーキを、早苗の前へと置いた。
「……何ですか、これ」
「うちの新製品よ。ちょうど味見係を探していたの」
「……頂きます」
早苗は手にしたフォークとスプーンで、それを一口、口にした。
「どう?」
「……美味しいです」
「そう。ありがとう。
じゃあ、これ、メニューに加えるわね」
幽香は素っ気無い。
先ほど、早苗に『ちょっと待っていろ』と言っていたのに、その目的は、ただ『味見係を探してた』だけだという。
味見係なら他にもいるじゃないか。どうしてわたしなんだ。
早苗の視線は、幽香に向く。
幽香はそんな彼女の視線を一蹴すると、
「だって、あなた、私の友達なんでしょ?」
それだけを言って、彼女は踵を返した。
早苗はしばし、その場で沈黙する。
友達。
そういえば、彼女に対して、以前、そんなことを言ったような気がする。
その友達に対して、今、早苗はどんな態度でいるのだろう。ふと、冷静になって考えてみる。自分の今の姿。
窓に映る、ふてくされた自分の顔。
「……はぁ」
小さなため息を、彼女はついた。
視線をテーブルの上に戻し、食べかけのケーキを口にする。
口の中一杯に広がる、甘く、とろける味。
美味しい。
とても美味しい。
一人で食べてもこんなに美味しいのだから、あの人と一緒にテーブルを囲んで食べることが出来たら、どんなに美味しかっただろうか。
――ぽたりと、涙がこぼれる。
「……わたし、いやな奴やってるな」
それを選択したのは自分なのに。
先約を断って、自分の立場を優先させたのは自分のはずなのに。
それなのに、それを誰かのせいにしようとしている。
あまつさえ、友人に当り散らして、こうやってふてくされている。
――何やってるんだろう、と思った。
店の中を見渡すと、『クリスマスセール』の文字が見える。その前には、売れ残りであろうクリスマスケーキが置かれ、『半額』のプレートが置かれている。
せっかくのクリスマス。初めて、家族以外の誰かと過ごすはずだったその日を、自分で不意にした。
「……また来年、か」
一年は365日。あと365回、布団の上で目を閉じれば、またクリスマスはやってくる。
――そうだ。どうせ、こうやってふてくされていたって、過ぎた日は帰ってこないのだ。
なら、仕方ないのかもしれない。
「……そういえば、プレゼント、まだ渡してなかったっけ」
昨日は大忙しで、すっかり、そのことも忘れていた。
あの時は、確か、『明日の朝になったら、霊夢さんのところに行こう。行って頭を下げて謝ろう。それから、プレゼント、渡さなきゃ』と、そう思っていた。
しかし、現実はというと、朝、目を覚ましたら、そのことよりも怒りやいらいらの方が先に来てしまった。
せっかくの、一世一代のイベントを不意にされてしまった――不意にした、その事実の方が目の前にあったから。
「朝、起きたらじゃなくて、その日のうちに行っとくべきだったかな」
彼女は苦笑すると、テーブルの上のケーキをきれいに平らげる。
そして、カウンターへと歩いていった。
「幽香さん、お代、どこに置けばいいですか?」
「誰かバイトの子、つかまえて払ってちょうだい」
店の奥から素っ気無い声が聞こえる。
早苗は近くを歩いていたアルバイトの少女をつかまえて、『すいません。お会計お願いします』と笑顔を向けた。
そして、お金を払って帰る間際、ドアの近くでファンの女の子達に捕まり、きゃーきゃー言われてる妹紅を一瞥する。
「ご迷惑をおかけしました」
にこっと微笑み、ぺこりと一礼。
妹紅は、そんな彼女を見て『はいはい』とそれをあしらった。
ドアの向こう――店の外に出ると、青空と、差し込む光がまぶしく見える。
季節は冬。辺りは白一色に覆われている。そんな中、美しい青をたたえた空を見上げて、『あー』と、早苗は声を上げたのだった。
「よーっし!
魔理沙、アリス! 今日は酒よ! 酒! 飲む!」
一方の霊夢はというと、魔理沙とアリスに散々愚痴り、さりげないフォローももらっていたおかげか、何とか復帰レベルまでは回復していた。
二人は内心、ほっと息をつき、『そうだな』と霊夢に賛同している。
「じゃあ、私、何かお酒と食べ物買ってくるわ」
「おー、そうしろそうしろ。
うまいものをよろしく頼むぜ」
「はいはい」
席を立つアリス。
彼女は襖を開き、廊下の向こうへと歩いていく。とたとたという足音が遠ざかる。
「それにさ、霊夢。クリスマスってのは来年もあるんだ。それを楽しみにしてようぜ」
「ま、そうね。
だけど、早苗に逢ったら、ちゃんと今回の事情説明をしてもらうわ」
「それだけで許すとか、心が広いな。
私なら間違いなく、弾幕バトルだぜ」
二人そろって、そんな冗談を言って笑いあう。
「外、そろそろ暗くなってきたな」
その時、ふと、魔理沙は障子の向こうに視線をやった。
冬の太陽は落ちるのが早い。世界は徐々に闇に染まっていっている。
そうね、と霊夢は返事をして、立ち上がると、外に開いた障子や戸を閉めて、冷気が部屋の中に入ってこないようにする。
そうして、居間へと戻ってきた霊夢は、部屋の隅に置かれている暖房を確認して、『それじゃ――』と声を上げたところで。
「わっ!」
「お、何だ。停電か?」
ふっ、と辺りの明かりが消えた。
ずいぶん前から、八雲紫の手によって電気の通された神社は、あっという間に暗闇に包まれる。
しかし、霊夢も慣れたもので、『今、ローソクとか出すから』とその暗闇に動じない。
彼女は手探りでローソクが置かれた場所へと辿り着くと、それにぽっと明かりを点した。
途端――、
「わひっ!?」
目の前に浮かんだ人の顔に驚いて、危なく、ローソクを取り落としそうになる。
「なっ、なななっ!?」
「ばあ、ってやったら驚きますか?」
そこに、一体いつからいたのか。
やけに幼い笑顔で笑う早苗が立っていた。
「ちょっと魔理沙! 何で早苗がいるの、黙ってたのよ!」
部屋の中に向かって声を張り上げる。
返事はなかった。
あれ? と首をかしげる霊夢。
そんな彼女の手を、早苗が引いた。
「霊夢さん、こっちこっち」
「いや、こっちこっち、って……。
あ、ち、ちょっと待って。早苗。そもそも……」
――何で昨日の約束、すっぽかしたのよ。
そう問いかけようとした霊夢は、ローソクの明かりにぼんやり浮かぶ、テーブルの上の料理を見て沈黙した。
「キャンドルパーティーって知ってます?
こうやって、灯りを消して、ローソクの明かりだけですごす夜です。外の世界では電気の灯りが基本になってるから、こういう、儚い光って人気があるんですよ」
ローソクに照らされる範囲に、魔理沙の姿はない。先ほどまでテーブルについていたのにだ。
事態があまり飲み込めていない霊夢の手を引いて、早苗は卓に着いた。
「お料理、用意してきました。食べましょう」
「あの、だから、その……」
湯気を立てている料理。おいしそうな匂いが、部屋中に漂っている。
霊夢は言われるまま、手を引かれるまま、早苗の隣に腰を下ろした。
「お酒もありますよ。さ、どうぞ」
「だから、ちょっと待ってよ!」
グラスを渡され、お酒を注いでもらったところで、ようやく、霊夢は声を上げた。
どうしたんですか? と首をかしげる早苗。
霊夢は、「昨日のこと!」と声を上げる。
「私との約束! あれ、どうして……」
「……ごめんなさい。
本当は、霊夢さんとのパーティー、したかったんですけど……。うちの方でもパーティーがあって……」
「……抜け出せばよかったじゃない。
私……待ってたんだから……。『今日は行けない』って、早苗、言ったけど……。もしかしたら来てくれるかもしれない、って……待ってたんだからね……」
渡された酒を、ぐいっと一気に飲み干す彼女。
空になったグラスに、早苗が、新しく酒を注ぐ。
「……聞かせて。どうして来られなかったのか」
「……ごめんなさい。
わたし……やっぱり、まだ、自分の立場を優先してるみたいです」
それから訥々と、早苗は語る。どうして昨日、自分がここに来られなかったのかを。
霊夢は何も言わず、黙ってそれを聞いていた。
時折、料理に手を伸ばして、『はい』と早苗にも取り分けた皿を手渡す。
「それで……来られませんでした。ごめんなさい」
何度目かになる言葉と謝罪。
頭を下げる早苗に、霊夢は無言だった。無言と、視線と。その二つを彼女へと返して、霊夢は言う。
「……バカ」
ポツリとつぶやく。
「何で……。何で、それなら……呼んでくれなかったのよ……」
「……え?」
「だから! そんなパーティーだったなら、私、呼んでくれてもよかったじゃない!
どうせ天狗のやることなんてずさんなだから、人が一人増えたくらい、何ともなかったじゃない! 私が行けば、早苗の手伝いだって出来たし、ちょっとくらい時間作って抜け出す事だって出来たし!
私、二人っきりで早苗と過ごしたかったけど、それじゃなくて、早苗と一緒ならよかったんだから!」
少しだけ、言葉が支離滅裂になっていた。
顔を真っ赤にした霊夢。
彼女の言葉に、早苗はぽかんとしていた。そして、段々、その言葉の意味がわかってきたのか、ぽんと手を打つ。
「……そうですよね。そういえば、何で、霊夢さんを呼ばなかったんでしょう」
「だからよ! バカ! それくらい気づきなさいよ!
はい、お酒!」
何でそんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
早苗は、そんな間抜けな顔をしていた。
突き出されるグラスに、慌ててお酒を注いで、『そうよ。そうよね? 何で気付かなかったんだろう』と、何度も自分で自分に問いかける。
「……あ~、そうだなぁ。そうですよねぇ。
霊夢さん、わたしって間抜けですね」
「そうよ、もう! 楽しみにしてたんだからね! ちゃんと責任、取りなさいよ!」
取り皿の上の料理を平らげて、霊夢は次の料理に手を伸ばす。
「早苗、私へのプレゼントは!?」
「あ、はい! ただいま!」
そのために来たんでしょ、という視線。
早苗は苦笑を浮かべて、何やら、自分の後ろをごそごそと探る。
そして、彼女は『一日遅れのクリスマスプレゼントです」と、それを取り出した。
「早苗特製、あったかグッズです。
セーター、マフラー、帽子に手袋、スカートも作りました」
「……ありがと」
それを受け取った霊夢は、べ~、と舌を出した。
「来年は、もしも、そういうことになったら、ちゃんと私を呼びなさいよ!」
「はい、わかりました」
「また来年も、私、あんたのこと呼ぶから! 今度、来られなかったらひどいんだからね!」
「ええ、そうですね」
「お腹すいた! お酒とご飯! ほら、早苗!」
「はいはい」
霊夢の横顔に浮かぶのは、嬉しさか、それとも恥ずかしさか。
ローソクの柔らかい、暖かな光に照らされているせいで、暖色の色はわかりづらい。
早苗は霊夢のグラスに酒を注いで、「今年は間抜けでしたね」と笑った。
「そうよ。早苗が間抜けなだけじゃない。
私なら、絶対にそんなことしないのに。早苗、ちゃんと呼ぶのにさ。
もしかして、早苗の中で、私ってその程度?」
「そんなことありませんよ。すっごく大きいですよ、霊夢さんの居場所。大きすぎて、わたしの居場所がなくなっちゃうくらい」
「じゃあ、私の場所、ちゃんと貸してあげるから。
そこにちゃんといてね。ずっと」
「ええ」
――いつだって、そこにいます。
早苗は言う。
その言葉が嬉しかったのか、霊夢は笑った。かわいらしい、早苗の前でしか見せない笑顔で。
「早苗も飲む?」
「わたしは遠慮します。収拾つかなくなるから」
「ちぇっ。
じゃあ、ほら。一緒に食べよ?」
「はい」
これ、美味しいわね、と霊夢は言う。
そうですね、と早苗はそれに返して、『実はですね、霊夢さん』と新しい話題を振る。
二人の間に話は尽きない。
ゆらゆら揺れるローソクの火は、相変わらず、ゆらゆら燃え盛っている。
その火が消えるまで――その火が消えても、二人の間に、話題は尽きない。
「……で、紫。お前、何で今の今まで顔を出さなかったんだ?」
襖を少しだけ開き、中の様子を伺っていた魔理沙が、襖を閉めながら、自分の後ろに佇む女に尋ねた。
「あら。
いつもいつも手助けばかりしていたら、子供は成長しないでしょ?」
「とか何とか言って。
下手したら、あなた、天魔相手にケンカ売りに行くところだったんじゃないの?」
「まさか。そんな危ないことは致しませんよ」
くすくす笑う彼女は、アリスの方へと視線を向ける。
いつだって霊夢を見守る、『霊夢の母親』を公言する彼女は、『人間って大変だから』と、よくわからないことを言う。
「あなた達には感謝するわ。おかげで、霊夢も早苗ちゃんと仲直りできたみたいだし」
「元から仲たがいとか、してるようには見えなかったけどな」
「確かに。というか、あの二人がケンカしてる姿は、今の状態じゃ想像できないわね」
ちょっと前まではそんな関係などどこにもなかったはずなのに、ふとしたきっかけで激変するのが人間関係。それは、長く時を生きる妖怪にはわかりづらいことだと、アリスは言う。
そういう大きな感情の起伏があるから、人間というのは早死にするのではないか、とまで彼女は言う。
魔理沙は、「あー、それ、あるかもな」とアリスに同意して、『だけど、私は長生きするぜ?』と笑う。
「それじゃ、私はこれで。
あなた達も、どこかに行くのなら送っていくわ。今日のお礼をさせてちょうだい」
「そんなら、人里の酒場だな。
アリスも来るか?」
「私は、ああいうところは苦手だから遠慮しておくわ。紅魔館辺りで、優雅にディナーって言うのが、私の色にあっているの」
「お、そうか。
そんなら、私もそれにあわせるかな。代金はお前もちな。お前の方が金あるし」
「はいはい」
それでは、と空間の亀裂を開く紫。
魔理沙とアリスは二人そろって、その中へと消えていった。
彼女たちを見送って、紫は、ふぅ、と息をつく。
「……にしても、ほんと、はらはらしたわ。
どうなることかと」
私は少し、霊夢に入れ込みすぎているのかしら? そんな風に思って、彼女は首をかしげる。
しかし、別段、それが悪いことだとは、彼女は思っていないらしい。
それならそれでいいか、という結論をつけて、ひょいとその場に飛び上がる。
「彼女も首を長くして待っているだろうし。今日の様子を報告してあげましょうか」
生み出した亀裂の中に彼女の姿が消えていく。
去り際に、彼女は『それじゃあね、霊夢。風邪とか引かないように』と、誰もいない空間に声だけを残していく。
しんと静まる神社の母屋。
その中に、かすかに点るローソクの明かりと、小さく響く二人の少女の声は、その日の夜遅くまで消えることはなかった。
また糖尿病への階段を登らせていただきました。