それはある昼下がりのことだった。『香霖堂』と名のついた道具屋を一人の悪魔――余談だが、悪魔の数え方はこれでいいのだろうか――を訪れたところから始まる。
道具屋の店主、森近霖之助は扉の開いた音に気づいても読んでいる本から目を離さなかった。しかし、その音に続いて聞こえるはずの声がないことに違和感を覚え扉のほうを向く。扉を開けたのが普段この店を訪れる博麗霊夢や霧雨魔理沙だとしたら、挨拶なり愚痴なり茶の催促なりの声が飛んでくるはずだったからだ。常連が2人しかいない上に客ではないという悲しい事実には一度目を背けた。
そういったわけでこの度の見慣れない"客"の来訪は、霖之助にとっても非常に不本意ながら珍しいと思わざるをえなかった。「いらっしゃい」という店主のある種の決まり文句を放ったのも、これまた非常に不本意ながら久しぶりだった。
「こんにちは。……ええと、咲夜さんの代理で商品を引き取りに来たんですけど、ありますか?」
にこやかに、かつ穏やかに挨拶を済ませた天使のような――悪魔だが――客と実に久しぶりにかわされた"店主"と"顧客"のやり取りに霖之助は不覚にも感動の涙を流しそうになった。しかし自分は立派な商売人なんだから客の前でみっともないことをしてはいけない、と懸命に涙をこらえる。彼を商売人だと思っている人などいないことに気づいていないのは、もはや森近霖之助本人ただ一人であった。
目の前の客は見慣れないと言ったが、見たことがないわけではない。彼女は吸血鬼の住まう館・紅魔館にある大図書館の司書であり、またそこに住まう魔女、パチュリー・ノーレッジの使い魔だ。
「珍しいね。君がこんなところに来るとは」
「えーと……咲夜さんに、自分は侵入者を許した門番に罰を与えないといけないから代わりに行ってくれないかと頼まれまして」
「すまない。今度僕からも何か言っておこう。どうせ聞かないと思うが」
苦笑いしながら事情を話す客に、一応保護者的立場であるため、魔理沙の非礼を詫びておき、さて十六夜咲夜の用件とは何だったかなと思考を巡らす。新しいティーセットを調達するよう頼まれていたことを思い出すのには、数秒を要した。
「新しいティーセットだったね。少し持ってくるのに時間がかかるから、お茶でも出そう。ゆっくりしていってくれ」
「えっ。いや、そんなの悪いですよ。お構いなく」
「もしかして急がなくてはいけないのかい?」
彼女の主であるパチュリーはそういえば体が弱いはずだった。そう考えると彼女を長い時間拘束してしまうのはよくないかもしれないなと霖之助は考える。
「いえ、今は魔理沙さんがいるから大丈夫だと思うんですが」
「そうかい? それならどうか落ち着いていってくれないか。ああ、これは君に気を遣っているわけでなく、新たな顧客を厚くもてなし、常連客を増やそうとする僕の商売人としての本能故の行動なのだから」
――その行動の結果生まれたリピーターが穀潰しと泥棒なわけだが。
霖之助の提案に、客は一度呆気に取られた顔をしてから、微笑み、
「そういうことでしたら、遠慮なく頂くことにします」
応える。霖之助も満足そうに頷き、茶葉を取りに行こうと重い腰を上げ……一声かけていこうと思ったところで彼女をどう呼べばいいかわからないことに気がついた。初対面というわけではないが、まともに会話するのは初めてではないかと思う。
「小悪魔、と呼んでいただければ。パチュリー様もそう仰ってますし」
それは呼び名ではなく種族名じゃないかと思ったが、みんなそう呼んでいるので、ということらしい。
「そうか、わかった。知っているかもしれないが、僕は森近霖之助。見ての通り、ここ『香霖堂』の店主だ。どうか寛いでいってほしい――小悪魔」
遅い自己紹介を終え、二人はどちらからともなく、笑った。
「それでですね。パチュリー様があなたにとっても外に出ることはいい勉強になるから、って言って定期的に休みをくれることになったんですよ」
「それはよかったね。幻想郷は狭いように見えて広い場所だからね。きっと色んな発見がある」
あれからしばらくの月日が流れ、珍しく霖之助の目論見通り香霖堂の常連客が一人増えることになった。しかもこの常連客は穀潰しや泥棒と違い、物を勝手に取って行ったりしないし、あろうことか商品の陳列や在庫の管理まで手伝ってくれる。その仕事の正確さと言ったらさすがあの大図書館の司書を務めているだけあると唸らされるものだった。商品は買っていってくれないが。というか商品を買っていかないのに客といっていいのだろうか。金も払わずに持って行くよりは遥かにマシだが。
そこが客としては物足りないと感じると同時に、最高の友を得ることができたと霖之助は内心喜んでいた。小悪魔は凡そ悪魔らしくなく、静かで落ち着いた雰囲気を漂わせているし、その上思いやりもあり、知識も深い。悲しいかな霖之助にとっては今まで接したことのない人種だった。もう何百年も生きているにも関わらずだ。"類は友を呼ぶ"とはどうやらやや信憑性に欠ける諺らしい。
「それがそうでもなくって……。やっぱ行ったことのない場所行くのって勇気がいりますからね。休みの日も紅魔館の周りをうろつくか、ここに来るぐらいしかやることがないんですよ」
こういう発言を聞くとやはり悪魔らしくないというか、幻想郷にもなかなかいないタイプだと思う。行動範囲が紅魔館近辺と香霖堂だけとは些かもったいない話だった。
「それなら今度の休み人里に出てみるのはどうかい? あそこはこことは違って賑やかだからね。何なら一緒に色々回ってみようじゃないか。僕も最近人里に出ていなかったし丁度いい」
だから困ったように笑う友に救いの手を差し伸べるのは霖之助にとっては当然の行動と言えた。なぜ小悪魔が少し驚いたあと、顔を赤らめているのかなど、霖之助には解るはずもない。
小悪魔は顔を少しだけ赤くしたまま考えこむような仕草を取り、やがて霖之助のほうを向いて、やはり少しだけ照れた様子で告げる。無論、その照れた様子に霖之助が気付く気配はない。
「では、案内をお願いできますか? 森近さん」
「是非お伴させていただくよ、小悪魔」
だからその言葉を交わしたときの笑顔の意味も霖之助はわかっていない。そんなに人里に出るのが楽しみか、偉そうなこと言ったけど自分に小悪魔の期待に応えられるような案内ができるかだろうか、という見当違い極まりないことしか考えていなかった。
「森近さんは優しいです」
「そんなことはない。友人の頼みを聞くのは当然だよ。それに元々僕が言い出したことだしね」
「では、もう一つ頼んでもよろしいですか?」
「もちろん。一つや二つと言わず、いくらでも頼ってくれ。もっとも、霊夢や魔理沙のような無茶な頼みでなければ、だが」
「実は二日後の宴会、紅魔館が会場となっているんですが」
「なるほど、食事を出す食器が足りないということだね? それならいくつか見繕ってくるから、持って行くといい。格安で提供しよう」
「いえ。そうではなく」
この友人は商品が絡むと途端にそっけない。
「ゲストとして、森近さんにも来ていただけないかと思いまして」
「僕が宴会に? 生憎そういう場所は得意ではないんだが」
「それは知っているんですが、森近さんあまり宴会におられないじゃないですか。来ていただけるとお嬢様やパチュリー様も喜びますよ」
正直あまり気が進まない話だった。霖之助にとって酒は静かに嗜むものであり、宴会――特に幻想郷で開催されるものは静けさとは対極にあるものである。それ故に今まで霊夢や魔理沙、さらには咲夜や魂魄妖夢、東風谷早苗がいくら誘っても、霖之助はとうとう宴会の場に姿を現すことはなかった。
しかし開催場所が紅魔館なら屋内だから弾幕ごっこに発展することもないだろうし、何より友人の頼みであるので今回ぐらいは行ってもいいか、と考えて……霖之助の目に小悪魔の伺うような視線が交ざった。
「わかった、行くよ。だからそんな不安そうな顔をしないでほしい」
小悪魔を安心させるように笑って答えると、彼女の顔にほっとしたような笑みが浮かび、それがまた霖之助を安心させた。
「二日後にお待ちしていますね」
「ああ、折角行くんだ。楽しみにさせてもらうよ」
そう言葉を交わして、その日は別れた。
次に会う約束なんてしたのは初めてだなと、その時の二人は同じ事を考えていた。
宴会当日。さすがに寝ていなかった門番に一声かけ、門をくぐると真っ先に出迎えに来たのは完璧で瀟洒なメイドだった。
「あら、霖之助さん珍しいですね? どうかなさいました?」
「珍しいも何も君らが誘ったんだろう」
不思議な顔をした咲夜に答えると、きょとんとしたような顔になり、しかし何かを心得たようにしていつもの表情に戻った。その刹那、何故か楽しげだったのが、霖之助は若干気になったが。
「そうでしたわね。すっかり忘れておりましたわ」
「おいおいひどいな」
そうは言いつつも、普段来ない客が来たというのだからそういうこともあるのだろうと、霖之助は自分を納得させた。お詫びにと案内を引き受けた咲夜の後ろをついていって……ある人物の前に案内される。
「こんばんわ、店主。いつも小悪魔がお世話になってるわね」
「こんばんわ、パチュリー・ノーレッジ。こちらこそいつもお世話になっているよ」
「そうでしょうね」
そこにいたのは小悪魔の主であるパチュリーだった。形式的な挨拶を済ませ、勧められるのを待って目の前の料理に手を伸ばした。
小悪魔とはあれまで話す機会があまりなかったが、パチュリーとはそうではない。むしろあの大図書館は魔理沙に連れられて何度か通った場所であり、そこでパチュリーと主に外の本について話をすることは珍しくなかった。その際の小悪魔はお茶やお菓子がなくなれば、その都度持ってくるために現れるという感じで、会話する機会というのはあまりなかった。
小悪魔の姿が見られなかったのでしばらくはパチュリーと話をしていた。やはり外からきた本の話もあったし、小悪魔の話もあり、魔理沙が本を持っていくのをやめないので困るという話もあった。それは自分に言われても困る、と霖之助が言うとやや不満そうな顔をしてから、それもそうね、とパチュリーが苦笑する。
魔女との会話の種が出尽くした頃、今は見慣れた影が近寄ってきた。今まで宴会の手伝いをしていたらしい小悪魔だ。
「森近さん、こちらにおられたんですね」
「やあ小悪魔。宴会のほうはもういいのかい?」
「はい。時間も時間ですのでもう上がっていいと咲夜さんが」
「お疲れ様。私もう部屋戻って休むから、小悪魔ここ座っていいわよ」
霖之助の向かいのパチュリーが席を立って自室に向かうと、空いた席に小悪魔が座った。顔を見ると、仄かに赤い。料理を持って行く際に、行く先々で色々と飲まされたらしい。それでも酔っている素振りは――あった。酒を持っていない方の手がものすごい速さで上下している。少しおばさんっぽいと思ったが、これを言うのは地雷であることはさすがの霖之助にも分かる。
さてどんな会話をしようかなと霖之助は思案していたが、どうやらそれは無駄骨らしかった。先程からコップを片手に持ちっぱなしの小悪魔の顔がさらに赤くなっていた。言葉の回転はいつもの数倍ではないかと思うくらいの早さで回っている。
「ううぅ、それでお嬢様ったらひどいんですよ。『あなたはとても悪魔の一族には見えないわね』とか言われちゃって。それをパチュリー様に言ったら『そういえばあなた悪魔だったわね』とか言うし……。美鈴さんに至っては『本当に悪魔だったんですか!? 初めて知りましたよー』って」
酔っ払った小悪魔は机に頭を乗せ、指で『の』の字を描きながら涙目で愚痴をこぼす。それは普段の凛とした立ち振る舞いからは程遠かったが、態々レミリア・スカーレットやパチュリー、紅美鈴の物真似をしながら愚痴る小悪魔は面白く、霖之助は止めることをしなかった。今日の話でいつかからかってみようとも思う。
「森近さんはどう思われますか?」
「君が悪魔らしいか、ということについてかい?」
「はい。私はそんなに悪魔として未熟でしょうか」
小悪魔は一応自分が気にしているらしい"悪魔らしさ"について霖之助に問いかける。霖之助は慰めを考えようとして――うまいフォローが思いつかず、酒の席だしここは素直な評価を話してしまってもいいだろうと思った。霖之助自身、自覚はなかったものの酒を飲んでいた影響があったのかもしれない。
「どうだろうね。一般的な悪魔のイメージ、恐怖や不安、絶望を与える存在からは確かに君は離れているように見える。僕の知っている君は、困っている者がいれば助け、心が弱っている者がいればそれに付け入るでもなく励まそうとする。善悪で言えば善、そう考えれば君は確かに悪魔としては未熟なのかもしれないね」
自分の小悪魔評を言い終えた霖之助は、意識を目の前の光景に移し――それを認識するのにも理解するのにも時間を要した。なぜ小悪魔は顔を両手で覆っているのだろうか。
「酷い、です……わ、私、だって…………頑張ってるのに……」
やがて紡がれた言葉は俄に湿っていて、そこでようやく泣かせてしまったのではないかと霖之助は気付く。魔理沙が成長してからというもの、他人に目の前で泣かれるという経験はほとんどなかった。
「い、いや! これはあくまで僕が現状の君を見てそう思うというだけであってだね。これから君がどうありたいと願うかは僕にはわからないが、その参考にしていただければと思っただけだ。君が今のままではいけないと思うのであれば、変わっていけば、変わろうとすればいいと思う。僕としては今のままの君でいるのが一番ありがたいけどね。そうだ、何か必要なものがあるというのならばうちの商品を持って行ってもいい。悪魔らしいアクセサリーや、そういえば『小悪魔的ヘアメイク!』と書かれていた外の雑誌もあったな」
慌てて早口で捲し立てる霖之助の姿は、霊夢や魔理沙といった霖之助と近しい人物でも滅多に見れないものだっただろう。だから――
「………………本当ですか?」
「ああ、もちろんだとも! 友人のためだ、僕も協力を惜しまないよ」
「ありがとうございます!」
顔から手を離すや否や満面の笑みで感謝の言葉を述べる小悪魔に、口をあんぐりと開ける霖之助など、寿命の短い人間にとっては一度見られるかどうかといった類のものであったに違いない。
「実はこの前整理しているときに、よさそうなアクセサリーを見つけてたんですよ。頂けるというなら遠慮無く頂きますね」
「……いや……あの」
「まさか今頃になって撤回なんてしませんよね? 店主さん」
ここでわざわざ"店主"という肩書きを持ってくるあたりが憎たらしい、と霖之助は思った。渋い顔を作り、小悪魔に恨み言をぶつける。
「……君がそういうことをするとは思ってなかったな!」
「あら。森近さんは私が何者か、お忘れですか?」
泣き真似をやめた小悪魔は悪戯っぽく笑い、人差し指を突き出した右手を霖之助の口に近づけ、言う
「私は――"小悪魔"ですから」
「……これは一本取られたな。未熟だなんてとんでもなかった、君は立派な"小悪魔"だよ」
「森近さんが騙されやすすぎるんですよ。商人がそれだと、苦労しますよ?」
「君が相手だったからだよ。僕の知っている――いや、知っていた小悪魔は誠実で十分に信用に足る存在だったからね。次からは気をつけるとしよう」
小悪魔は照れたように、そして満足そうに笑っていた。それを見た霖之助はため息を隠そうとせず、しかしどこか満足気に笑った。
「それでは、今度はアクセサリーをもらいに伺いますね。反故はなしですよ?」
「というか、よさそうだと思ったら買って欲しかったんだが。そんなに高いものだったか?」
「それはそうですけど」
小悪魔はそこで一旦言葉を切り、やがて意を決して続けた。
「買うんじゃなくて、プレゼントして欲しかったんですよ。森近さんに」
「……プレゼントとは少し違うと思うんだが」
「同じようなもんでしょう?」
そう言われればそういうもんか、と霖之助は納得させられそうになってしまう。どこか釈然としない思いを抱えながら、割り切ってしまうのは彼女にやりくるめられているようで
――それも悪くない、かな。
そう自分が感じたことに自分でも驚きつつ、霖之助は困ったような笑いを小悪魔に向けるのだった。
道具屋の店主、森近霖之助は扉の開いた音に気づいても読んでいる本から目を離さなかった。しかし、その音に続いて聞こえるはずの声がないことに違和感を覚え扉のほうを向く。扉を開けたのが普段この店を訪れる博麗霊夢や霧雨魔理沙だとしたら、挨拶なり愚痴なり茶の催促なりの声が飛んでくるはずだったからだ。常連が2人しかいない上に客ではないという悲しい事実には一度目を背けた。
そういったわけでこの度の見慣れない"客"の来訪は、霖之助にとっても非常に不本意ながら珍しいと思わざるをえなかった。「いらっしゃい」という店主のある種の決まり文句を放ったのも、これまた非常に不本意ながら久しぶりだった。
「こんにちは。……ええと、咲夜さんの代理で商品を引き取りに来たんですけど、ありますか?」
にこやかに、かつ穏やかに挨拶を済ませた天使のような――悪魔だが――客と実に久しぶりにかわされた"店主"と"顧客"のやり取りに霖之助は不覚にも感動の涙を流しそうになった。しかし自分は立派な商売人なんだから客の前でみっともないことをしてはいけない、と懸命に涙をこらえる。彼を商売人だと思っている人などいないことに気づいていないのは、もはや森近霖之助本人ただ一人であった。
目の前の客は見慣れないと言ったが、見たことがないわけではない。彼女は吸血鬼の住まう館・紅魔館にある大図書館の司書であり、またそこに住まう魔女、パチュリー・ノーレッジの使い魔だ。
「珍しいね。君がこんなところに来るとは」
「えーと……咲夜さんに、自分は侵入者を許した門番に罰を与えないといけないから代わりに行ってくれないかと頼まれまして」
「すまない。今度僕からも何か言っておこう。どうせ聞かないと思うが」
苦笑いしながら事情を話す客に、一応保護者的立場であるため、魔理沙の非礼を詫びておき、さて十六夜咲夜の用件とは何だったかなと思考を巡らす。新しいティーセットを調達するよう頼まれていたことを思い出すのには、数秒を要した。
「新しいティーセットだったね。少し持ってくるのに時間がかかるから、お茶でも出そう。ゆっくりしていってくれ」
「えっ。いや、そんなの悪いですよ。お構いなく」
「もしかして急がなくてはいけないのかい?」
彼女の主であるパチュリーはそういえば体が弱いはずだった。そう考えると彼女を長い時間拘束してしまうのはよくないかもしれないなと霖之助は考える。
「いえ、今は魔理沙さんがいるから大丈夫だと思うんですが」
「そうかい? それならどうか落ち着いていってくれないか。ああ、これは君に気を遣っているわけでなく、新たな顧客を厚くもてなし、常連客を増やそうとする僕の商売人としての本能故の行動なのだから」
――その行動の結果生まれたリピーターが穀潰しと泥棒なわけだが。
霖之助の提案に、客は一度呆気に取られた顔をしてから、微笑み、
「そういうことでしたら、遠慮なく頂くことにします」
応える。霖之助も満足そうに頷き、茶葉を取りに行こうと重い腰を上げ……一声かけていこうと思ったところで彼女をどう呼べばいいかわからないことに気がついた。初対面というわけではないが、まともに会話するのは初めてではないかと思う。
「小悪魔、と呼んでいただければ。パチュリー様もそう仰ってますし」
それは呼び名ではなく種族名じゃないかと思ったが、みんなそう呼んでいるので、ということらしい。
「そうか、わかった。知っているかもしれないが、僕は森近霖之助。見ての通り、ここ『香霖堂』の店主だ。どうか寛いでいってほしい――小悪魔」
遅い自己紹介を終え、二人はどちらからともなく、笑った。
「それでですね。パチュリー様があなたにとっても外に出ることはいい勉強になるから、って言って定期的に休みをくれることになったんですよ」
「それはよかったね。幻想郷は狭いように見えて広い場所だからね。きっと色んな発見がある」
あれからしばらくの月日が流れ、珍しく霖之助の目論見通り香霖堂の常連客が一人増えることになった。しかもこの常連客は穀潰しや泥棒と違い、物を勝手に取って行ったりしないし、あろうことか商品の陳列や在庫の管理まで手伝ってくれる。その仕事の正確さと言ったらさすがあの大図書館の司書を務めているだけあると唸らされるものだった。商品は買っていってくれないが。というか商品を買っていかないのに客といっていいのだろうか。金も払わずに持って行くよりは遥かにマシだが。
そこが客としては物足りないと感じると同時に、最高の友を得ることができたと霖之助は内心喜んでいた。小悪魔は凡そ悪魔らしくなく、静かで落ち着いた雰囲気を漂わせているし、その上思いやりもあり、知識も深い。悲しいかな霖之助にとっては今まで接したことのない人種だった。もう何百年も生きているにも関わらずだ。"類は友を呼ぶ"とはどうやらやや信憑性に欠ける諺らしい。
「それがそうでもなくって……。やっぱ行ったことのない場所行くのって勇気がいりますからね。休みの日も紅魔館の周りをうろつくか、ここに来るぐらいしかやることがないんですよ」
こういう発言を聞くとやはり悪魔らしくないというか、幻想郷にもなかなかいないタイプだと思う。行動範囲が紅魔館近辺と香霖堂だけとは些かもったいない話だった。
「それなら今度の休み人里に出てみるのはどうかい? あそこはこことは違って賑やかだからね。何なら一緒に色々回ってみようじゃないか。僕も最近人里に出ていなかったし丁度いい」
だから困ったように笑う友に救いの手を差し伸べるのは霖之助にとっては当然の行動と言えた。なぜ小悪魔が少し驚いたあと、顔を赤らめているのかなど、霖之助には解るはずもない。
小悪魔は顔を少しだけ赤くしたまま考えこむような仕草を取り、やがて霖之助のほうを向いて、やはり少しだけ照れた様子で告げる。無論、その照れた様子に霖之助が気付く気配はない。
「では、案内をお願いできますか? 森近さん」
「是非お伴させていただくよ、小悪魔」
だからその言葉を交わしたときの笑顔の意味も霖之助はわかっていない。そんなに人里に出るのが楽しみか、偉そうなこと言ったけど自分に小悪魔の期待に応えられるような案内ができるかだろうか、という見当違い極まりないことしか考えていなかった。
「森近さんは優しいです」
「そんなことはない。友人の頼みを聞くのは当然だよ。それに元々僕が言い出したことだしね」
「では、もう一つ頼んでもよろしいですか?」
「もちろん。一つや二つと言わず、いくらでも頼ってくれ。もっとも、霊夢や魔理沙のような無茶な頼みでなければ、だが」
「実は二日後の宴会、紅魔館が会場となっているんですが」
「なるほど、食事を出す食器が足りないということだね? それならいくつか見繕ってくるから、持って行くといい。格安で提供しよう」
「いえ。そうではなく」
この友人は商品が絡むと途端にそっけない。
「ゲストとして、森近さんにも来ていただけないかと思いまして」
「僕が宴会に? 生憎そういう場所は得意ではないんだが」
「それは知っているんですが、森近さんあまり宴会におられないじゃないですか。来ていただけるとお嬢様やパチュリー様も喜びますよ」
正直あまり気が進まない話だった。霖之助にとって酒は静かに嗜むものであり、宴会――特に幻想郷で開催されるものは静けさとは対極にあるものである。それ故に今まで霊夢や魔理沙、さらには咲夜や魂魄妖夢、東風谷早苗がいくら誘っても、霖之助はとうとう宴会の場に姿を現すことはなかった。
しかし開催場所が紅魔館なら屋内だから弾幕ごっこに発展することもないだろうし、何より友人の頼みであるので今回ぐらいは行ってもいいか、と考えて……霖之助の目に小悪魔の伺うような視線が交ざった。
「わかった、行くよ。だからそんな不安そうな顔をしないでほしい」
小悪魔を安心させるように笑って答えると、彼女の顔にほっとしたような笑みが浮かび、それがまた霖之助を安心させた。
「二日後にお待ちしていますね」
「ああ、折角行くんだ。楽しみにさせてもらうよ」
そう言葉を交わして、その日は別れた。
次に会う約束なんてしたのは初めてだなと、その時の二人は同じ事を考えていた。
宴会当日。さすがに寝ていなかった門番に一声かけ、門をくぐると真っ先に出迎えに来たのは完璧で瀟洒なメイドだった。
「あら、霖之助さん珍しいですね? どうかなさいました?」
「珍しいも何も君らが誘ったんだろう」
不思議な顔をした咲夜に答えると、きょとんとしたような顔になり、しかし何かを心得たようにしていつもの表情に戻った。その刹那、何故か楽しげだったのが、霖之助は若干気になったが。
「そうでしたわね。すっかり忘れておりましたわ」
「おいおいひどいな」
そうは言いつつも、普段来ない客が来たというのだからそういうこともあるのだろうと、霖之助は自分を納得させた。お詫びにと案内を引き受けた咲夜の後ろをついていって……ある人物の前に案内される。
「こんばんわ、店主。いつも小悪魔がお世話になってるわね」
「こんばんわ、パチュリー・ノーレッジ。こちらこそいつもお世話になっているよ」
「そうでしょうね」
そこにいたのは小悪魔の主であるパチュリーだった。形式的な挨拶を済ませ、勧められるのを待って目の前の料理に手を伸ばした。
小悪魔とはあれまで話す機会があまりなかったが、パチュリーとはそうではない。むしろあの大図書館は魔理沙に連れられて何度か通った場所であり、そこでパチュリーと主に外の本について話をすることは珍しくなかった。その際の小悪魔はお茶やお菓子がなくなれば、その都度持ってくるために現れるという感じで、会話する機会というのはあまりなかった。
小悪魔の姿が見られなかったのでしばらくはパチュリーと話をしていた。やはり外からきた本の話もあったし、小悪魔の話もあり、魔理沙が本を持っていくのをやめないので困るという話もあった。それは自分に言われても困る、と霖之助が言うとやや不満そうな顔をしてから、それもそうね、とパチュリーが苦笑する。
魔女との会話の種が出尽くした頃、今は見慣れた影が近寄ってきた。今まで宴会の手伝いをしていたらしい小悪魔だ。
「森近さん、こちらにおられたんですね」
「やあ小悪魔。宴会のほうはもういいのかい?」
「はい。時間も時間ですのでもう上がっていいと咲夜さんが」
「お疲れ様。私もう部屋戻って休むから、小悪魔ここ座っていいわよ」
霖之助の向かいのパチュリーが席を立って自室に向かうと、空いた席に小悪魔が座った。顔を見ると、仄かに赤い。料理を持って行く際に、行く先々で色々と飲まされたらしい。それでも酔っている素振りは――あった。酒を持っていない方の手がものすごい速さで上下している。少しおばさんっぽいと思ったが、これを言うのは地雷であることはさすがの霖之助にも分かる。
さてどんな会話をしようかなと霖之助は思案していたが、どうやらそれは無駄骨らしかった。先程からコップを片手に持ちっぱなしの小悪魔の顔がさらに赤くなっていた。言葉の回転はいつもの数倍ではないかと思うくらいの早さで回っている。
「ううぅ、それでお嬢様ったらひどいんですよ。『あなたはとても悪魔の一族には見えないわね』とか言われちゃって。それをパチュリー様に言ったら『そういえばあなた悪魔だったわね』とか言うし……。美鈴さんに至っては『本当に悪魔だったんですか!? 初めて知りましたよー』って」
酔っ払った小悪魔は机に頭を乗せ、指で『の』の字を描きながら涙目で愚痴をこぼす。それは普段の凛とした立ち振る舞いからは程遠かったが、態々レミリア・スカーレットやパチュリー、紅美鈴の物真似をしながら愚痴る小悪魔は面白く、霖之助は止めることをしなかった。今日の話でいつかからかってみようとも思う。
「森近さんはどう思われますか?」
「君が悪魔らしいか、ということについてかい?」
「はい。私はそんなに悪魔として未熟でしょうか」
小悪魔は一応自分が気にしているらしい"悪魔らしさ"について霖之助に問いかける。霖之助は慰めを考えようとして――うまいフォローが思いつかず、酒の席だしここは素直な評価を話してしまってもいいだろうと思った。霖之助自身、自覚はなかったものの酒を飲んでいた影響があったのかもしれない。
「どうだろうね。一般的な悪魔のイメージ、恐怖や不安、絶望を与える存在からは確かに君は離れているように見える。僕の知っている君は、困っている者がいれば助け、心が弱っている者がいればそれに付け入るでもなく励まそうとする。善悪で言えば善、そう考えれば君は確かに悪魔としては未熟なのかもしれないね」
自分の小悪魔評を言い終えた霖之助は、意識を目の前の光景に移し――それを認識するのにも理解するのにも時間を要した。なぜ小悪魔は顔を両手で覆っているのだろうか。
「酷い、です……わ、私、だって…………頑張ってるのに……」
やがて紡がれた言葉は俄に湿っていて、そこでようやく泣かせてしまったのではないかと霖之助は気付く。魔理沙が成長してからというもの、他人に目の前で泣かれるという経験はほとんどなかった。
「い、いや! これはあくまで僕が現状の君を見てそう思うというだけであってだね。これから君がどうありたいと願うかは僕にはわからないが、その参考にしていただければと思っただけだ。君が今のままではいけないと思うのであれば、変わっていけば、変わろうとすればいいと思う。僕としては今のままの君でいるのが一番ありがたいけどね。そうだ、何か必要なものがあるというのならばうちの商品を持って行ってもいい。悪魔らしいアクセサリーや、そういえば『小悪魔的ヘアメイク!』と書かれていた外の雑誌もあったな」
慌てて早口で捲し立てる霖之助の姿は、霊夢や魔理沙といった霖之助と近しい人物でも滅多に見れないものだっただろう。だから――
「………………本当ですか?」
「ああ、もちろんだとも! 友人のためだ、僕も協力を惜しまないよ」
「ありがとうございます!」
顔から手を離すや否や満面の笑みで感謝の言葉を述べる小悪魔に、口をあんぐりと開ける霖之助など、寿命の短い人間にとっては一度見られるかどうかといった類のものであったに違いない。
「実はこの前整理しているときに、よさそうなアクセサリーを見つけてたんですよ。頂けるというなら遠慮無く頂きますね」
「……いや……あの」
「まさか今頃になって撤回なんてしませんよね? 店主さん」
ここでわざわざ"店主"という肩書きを持ってくるあたりが憎たらしい、と霖之助は思った。渋い顔を作り、小悪魔に恨み言をぶつける。
「……君がそういうことをするとは思ってなかったな!」
「あら。森近さんは私が何者か、お忘れですか?」
泣き真似をやめた小悪魔は悪戯っぽく笑い、人差し指を突き出した右手を霖之助の口に近づけ、言う
「私は――"小悪魔"ですから」
「……これは一本取られたな。未熟だなんてとんでもなかった、君は立派な"小悪魔"だよ」
「森近さんが騙されやすすぎるんですよ。商人がそれだと、苦労しますよ?」
「君が相手だったからだよ。僕の知っている――いや、知っていた小悪魔は誠実で十分に信用に足る存在だったからね。次からは気をつけるとしよう」
小悪魔は照れたように、そして満足そうに笑っていた。それを見た霖之助はため息を隠そうとせず、しかしどこか満足気に笑った。
「それでは、今度はアクセサリーをもらいに伺いますね。反故はなしですよ?」
「というか、よさそうだと思ったら買って欲しかったんだが。そんなに高いものだったか?」
「それはそうですけど」
小悪魔はそこで一旦言葉を切り、やがて意を決して続けた。
「買うんじゃなくて、プレゼントして欲しかったんですよ。森近さんに」
「……プレゼントとは少し違うと思うんだが」
「同じようなもんでしょう?」
そう言われればそういうもんか、と霖之助は納得させられそうになってしまう。どこか釈然としない思いを抱えながら、割り切ってしまうのは彼女にやりくるめられているようで
――それも悪くない、かな。
そう自分が感じたことに自分でも驚きつつ、霖之助は困ったような笑いを小悪魔に向けるのだった。
物語のオチとしても小粒なのが、ちょっと残念な気もします。いい話だけど、少々物足りないかな。
彼女には「悪魔」ではなく「小悪魔」であってほしい。そういう意味でこのSSは大変に楽しめました。