今年はいつの間にか秋が終わっていた、と考える人が少なくないのでは無いだろうか。
異様に長続きする暑さを乗り越えて一息ついたと思ったら、すぐに異常な寒さが到来した。
幻想郷においてもそれは変わりがなく、雪女が早めに姿を現すようになった事から見ても、異を唱えるものは少数だろう。
食欲。芸術。スポーツ。秋はその醍醐味を充分に謳歌してもらえず、風の様に、或いは短い一生を終えた生き物の様に、ひっそりとその役目を終えたのだった。
悪魔の館、紅魔館においてもそれは例外では無く、秋の終焉を憂いている妖怪がここにも一人存在した。
質実剛『拳』、紅美鈴である。
生活の大半が門の前、と言う彼女のライフスタイルにおいて過ごし易い時期とは即ち、春と秋であった。
暑すぎず寒すぎず、風が心地よく、睡眠にはもってこいの季節だ。
まあ暑さ寒さが厳しい季節は、あの十六夜咲夜が差し入れをくれたりするので、そう悪い事ばかりと言う訳でも無いのだが、それはまた別の話だ。
彼女が貸してくれたマフラーを巻いて、門の柱にもたれかかっていると、来客があった。
基本的に紅魔館への来客は、命知らずか顔見知りの二者であり、美鈴の仕事はその二者の撃退か取次ぎなのである。
だが、今回は様相が違った。
美鈴は急いで居住まいを正し、右手で作った拳を左手で包み、礼を行ったのだ。
彼女がここまでの敬意を表す者は、幻想郷ではレミリア・スカーレットのみである、と言う認識が一般的だが――。
美鈴は感極まった様に、来客に話しかけた。
「秋老師、お久しぶりです」
紅魔館の紅は、文字通り血の色だ。その赤からは不幸な結末しか予感させない、呪われた色である。
だが、老師と呼ばれた者の赤は、見る者全てを楽しませる、艶やかな紅が基調となっていた。
豊穣と終焉を司る秋の神、その片割れ。秋静葉であった。
「美鈴さん、ご壮健のようで。修行の方は順調です?」
「はい、相も変わらず未熟ではありますが、日々の修練に適している、と言う意味ではここは最高の環境です。お気遣いありがとうございます」
「そう畏まらなくても」
「いいえ。自分より多くの功夫を積んでいる以上、貴方は先生ですとも。それで、老師は何故此方に?」
「此方、と言うよりも貴方に用事があってやって来たのですが――」
「当館の丁稚に何か御用でしょうか?」
言葉を続けようとした静葉に、別の声がかかる。
声の出所は美鈴のすぐ背後からである。今まで気配など無かった筈だが、気配や時間など、全て関係無いと言う能力者が紅魔館には存在する。
即ち、パーフェクトメイド、十六夜咲夜。
美鈴は困ったような笑顔で反論した。
「丁稚て」
「言葉のアヤですわ。美鈴、貴方に師匠がいたとは初耳だけれど」
「師父じゃないです。老師です。ここに来る前にお世話になった事があるんですよ」
「違いがあるの?」
咲夜は瀟洒な立ち居振る舞いに似合わぬ可愛らしさで小首を傾げた。
スキが微塵も無さそうなのに、たまに見せるこう言った無垢な反応は、普段の彼女にわずかなりとも接した事がある者の心を、いとも容易く虜にするのだった。
その癖、虜にした本人には自覚が無いのでエロコメディの主人公並に始末が悪く、紅魔館の瀟洒なメイド、と言う肩書きが無ければ、稀代のタラシとして名を轟かせていたかも知れない。
「師父ってのは正式に弟子入りしないと呼んじゃいけないんです。弟子入りするってのは家族になるも同然な訳で、私の今の家族は紅魔館の皆ですから。ただ尊敬の意味を込める場合は『老師』と呼ぶのが一般的、ですかね」
「へぇ。で、その老師さんのご用件は?」
「美鈴さんの力を借りに参りました」
え? と間の抜けた声を発しつつ、美鈴はその言葉を頭の中で反芻した。
神の端くれである彼女から助力を求められるとは想像の埒外だったのだろう。
咲夜は澄ました表情を崩す事は無かったが、アゴに手を当ててしばし考え込んだ後、「とりあえず館に御越し下さい、お客様」と言い残して、その場から消失した。
「これは――招待されたと考えても?」
「ええ、咲夜さんが招いたのなら大丈夫ですよ。ようこそ、悪魔の館、紅魔館へ」
悪魔の館と、ようこそと言う歓迎の言葉に関連性を見出せず、くすくすと上品に笑いながら静葉は言った。
「できたメイドさんですのね」
「ええ、自慢の妹分ですよ。姉貴分としては何となく申し訳ない気がしますがね」
ぼやきながらも門を開き、静葉をともなって美鈴は紅魔館の扉を開いた。
扉の音に紛れて、
「どこの家も似たようなモノなのかなぁ」
と言う静葉の声が聞こえた様な気がしたが、美鈴は聞こえなかった振りをした。
◆
応接間のソファーには既に館の主、レミリア・スカーレットがエレガントに腰掛けている。
ソファーの傍らには、咲夜が直立不動で主に付き従っており、レミリアの隣には、何故か紅魔館の誇る稀代の魔女――パチュリー・ノーレッジが陣取っていた。
血の様に赤いワインの入ったグラスを片手で弄びながら、その獰猛さを隠そうともせずに主が言い放ったのが、
「――で?」
の一言だった。
常人ならば、この一言だけで命の危険を感じ、失神に到ってもおかしくない。
しかしここに招かれている客はまがりなりにも神であった。
気丈にも――いや、最初から気にしていないのか、笑顔で静葉は切り返した。
「彼女をしばし私に同伴させたいのです」
「見返りも無しに部下を貸し与えろと?」
「私から差し出せる物はありませんが――せめて、今年の妖怪の山における紅葉の終焉、美しい落葉は、あなたに捧げましょう」
「へぇ」
レミリアの反応は好感触の様だった。
傍目にはレミリアの態度に変化は無いように見えるが、声の調子は明らかに楽しそうだ。
紅魔館の主、スカーレットと言うだけあり、その名が冠される事象が自分に捧げられると聞いて、気を良くしたらしい。
パチュリーは変わらず本に視線を落としていたが、咲夜と美鈴は苦笑している。
「ふん、まぁ、見返り云々は良いとしよう。で、どういう理由で美鈴の力が必要だと?」
「今年の落葉樹を見ておかしいと気づいた事はありませんか?」
「どうなんだ、咲夜」
「はい。私見で恐縮ですが、今年は秋の到来が遅く、且つ冬の到来が早い。秋の節目とも言うべき、紅葉と落葉。それが時間に追いついていません。簡単に言えば、時期がズレています。未だ葉が落ちていない木はまだそこかしこに存在している様です」
唐突にレミリアから話を振られた咲夜は間を置かず、淀みなくスラスラと答えた。
レミリアは頷いて、
「それと美鈴に何か関係があるのか?」
と静葉に再び問いかけた。
それに答えたのは静葉では無く、隣のパチュリーであった。
「幻想郷縁起特別増刊、求問口授142ページ目。秋静葉はその紅葉や落葉を己の手で以って再現していると言う。紅葉ならば一枚一枚葉を染め、落葉においては樹木に衝撃を与えてその葉を落とす、と記されているわね」
レミリアは胡散臭いな、と言う表情でパチュリーを見た。
彼女の視線は手に持っている本から動かない。読んでいる本は件の幻想郷縁起では無く、表紙に『黄衣の王』と記されている。
つまり、彼女はどの本のどのページにどんな記述があるのかを記憶しているのだ。
一応親友の言葉だが、レミリアには信じ難かった。
まさか紅葉や落葉が手作業で行われていたとは、意外にも程があると言う物だ。
「パチェ、それって――」
「くどい」
パチュリーは根拠の無い事を断言しない。
どういう来歴の物か、信憑性があるのか、そう言った異説があれば必ず注釈や前置きをするのである。
「つまり――こういう事か? 貴様は、美鈴に樹木を叩く手伝いをして欲しいと、そう言ってるって事?」
「ご理解が早くて助かります」
静葉は深々と頭を下げた。神のお辞儀など滅多に見られないだろう。
さすがに神性を持っているだけあって、その仕草も雰囲気もどこか荘重な物であった。
対照的に、レミリアは力を抜いてソファの背もたれに寄りかかった。「なんでぇ」と拍子抜けした声が聞こえてきそうな弛緩っぷりであった。
「そんなの、貴様一人でできるんじゃないの? 時期がズレちゃったなら、もうどれだけズレても同じじゃないかしらね」
「それが――今年は秋が短かった分、信仰も芳しくなく、逆にその為に山を歩き回るのも難儀する位で」
「私が手伝ってやろうか?」
「えっ」
静葉の伏せがちな顔は、虚を突かれた様にハネ上がった。
レミリアと対峙した物は多かれ少なかれ、その大物ぶりと稚気の振れ幅に驚くのだが、彼女も例外では無かった。
裏表がはっきりしており、可憐で艶のある容姿と仕草。
相反する要素を併せ持っている事が、彼女の魅力(カリスマ)なのだと、静葉は今理解に到った。
「木を殴れば良いんだろう」
「お嬢様」
レミリアのノリの良さに待ったをかけたのは、渦中の人物、美鈴である。
「なんだい」
「お嬢様の力では樹木を粉砕してしまう様な気が」
「あー、そうか。それなら一枚一枚を私が全速で――」
「それでは時間がかかるのではないかなー、と」
「じゃあ、何か? 樹木を傷つけずに葉だけを散らせる様な衝撃を与えろと?」
「秋老師はそうしているようです」
「面白い!」
そう言って、レミリアは勢い良く立ち上がった。
「そんな事ができるのなら興味深いわ。美鈴の件は了解したから、是非見せて欲しい。フランも呼んで来て」
静葉は呆気にとられ、美鈴と咲夜は苦笑するしか無かった。
幸いと言うか、都合よくと言うか、紅魔館の庭にも景観を良くする為に一定の間隔で樹木が植えられており、中には静葉の言った通り、落葉に到っていない木がチラホラと残っている。
思い立ったが吉日、レミリアに躊躇や遠慮の二文字は無い。
咲夜はテキパキと日傘や日焼け止めの用意をし、パチュリーは「よっこいしょ」と言いながら重い腰を上げた。
即断即決は上に立つ者として得難い資質ではあるが、別の方向で発揮すると、この様な突飛な事態に発展する。
しかし、それを好ましいと思うのが、紅魔館に集っている者達の総意でもあった。
家族や部下、友人など、身近な者が彼女を慕っているのが良くわかる。
静葉はそんなレミリアを、少し羨ましいと思った。
◆
紅魔館の主要メンバーが総出で庭に集っているのを見た者は、すわ異変か、と警戒を露にするに違いない。
だが、本人達はピクニック気分であり、野外パーティーにも満たない規模なのでどこ吹く風だ。
彼女達の目前には、今にも葉が散りそうで散らない樹木がそびえ立っている。
レミリアはまず美鈴に話の矛先を向けた。
「まずは、美鈴がその仕事を手伝えるかどうかをまず確認したいわね」
「わ、私ですか? 構いませんけれども」
「お姉様、何が始まるの?」
「私達の為に美しい落葉を演出してくれるそうよ」
「本当に? 見たい!」
紅魔館当主とその妹のプレッシャーを背に、美鈴は「では小檎打(しょうきんだ)をご覧に入れます」と言って一歩前に出た。
風と木の葉が鳴る音のみが周囲に鳴り響くのみで、他の者達は一様に黙り込んだ。
気を整え、左半身を前に、半身で構える。
後ろ足に力を込めて前の足を力強く踏み出す。
ずん、と地面が陥没する様な凄まじい震脚と同時に、美鈴は右の掌底を鋭く打ち出した。
同時に凄まじい打撃音。しかし、樹木そのものには一片の損傷も無い。
だが――ざざざざ、と言う心地よい葉の音が聞こえて、枝は残った葉を全て失った。
美鈴はそれを見て満足したようで、振り返って一礼を送り、静葉はパチパチと拍手をした。
「なるほど。確かに今の私には、マネできそうに無い」
「お姉さま! 今の凄い! どうやるの!?」
「え? ――そうね、あの、そうだな、うん」
レミリアの返答は要領を得ない。
いつもなら素直にパチュリーか咲夜辺りに質問するのだが、妹に良い所を見せようと考え込んでいる。
フランドールがマネをして掌で殴りつけたが、それが命中した瞬間、その箇所が文字通り木っ端微塵に砕け散り、幹はごっそりと削り取られてしまった。
「むー」
当のフランは不服そうに自分の掌を見つめた。
未だに首を捻っているレミリアに気を使ってか、咲夜がパチュリーに質問をした。
レミリアはこっそり聞き耳を立てる。
「どういう原理なんです?」
「素人にもわかる様に言えば、あれは発勁がもの凄く上手いって事なんでしょうね」
「へぇ」
咲夜の返答は生返事に近い。これほど語り甲斐の無い相手も無いだろう。
パチュリーは非難する様な口調で言った。
「メイド以外の日常に興味は無いの?」
「ええ、あまり。パチュリー様は中国拳法に興味がおありで?」
「無いわね」
即答であった。
咲夜はおかしな表情になったが、気を取り直して質問を続けた。
「で、発勁って何です?」
「力の発揮の仕方ね。一言で言えば運動エネルギーのコントロール。慣れれば刹那の間にとんでもない力を搾り出したり、狙った箇所で力を散らしたり、或いはエネルギーを対象の向こう側まで貫通させたり――ああ、『打撃を通す』ってそう言う意味か。なるほど。瞬発力だけで打突を行うから、極めれば予備動作も加速空間すらも無用で、例え密着していても――」
何やら一人で納得を始めたパチュリーの話を聞きながら、レミリアは考える。
と言う事は、秋を司る神の姉は、そのレベルの仕事を毎年行っていると言う事。
四季と言うのがいつから認知されていたのかは知らないが、だとすれば――。
「静葉、と言ったかしら。一足先に私たちに捧げられる落葉を、あなた自身の手で見せてもらえない?」
「はぁ、ですが今は本調子では無いので、それでよろしければ」
「構わないわ。もしそれでさらに調子が悪くなったら美鈴をコキ使いなさい」
「かしこまりました。では、僭越ながら」
静葉は事も無げに言うと、無造作にまだ葉が散っていない木に近づいた。
散歩のついで、とでも言う風な感じであり、美鈴の様に構えも取らない。
そして、片手で木の表面に軽く触れる。
瞬間、美鈴の時よりも大きな炸裂音が辺りに響き渡った。
樹木どころか、打撃の衝撃は地面にまで伝わっていて、しかも木には何の変化も見られない。
くるりと振り向いてスカートの裾をつまみ、静葉は優雅に一礼した。
呆気に取られた一同の元へ彼女が歩みを進めた瞬間、背後の樹木の葉は、全て地に落ちた。
フランですらもさすがに言葉が無い。
「な、るほど。美鈴が『老師』と言うのもわかる」
「いいえ。これは私の仕事であり、存在理由でもありますから、当然の事です」
「それでも何十年か? それとも何百年か? ちっぽけな神かと思えば、その実、気が遠くなるほどの年月を打撃の修練に費やした拳法家と、中身は同じと言う訳か」
「お褒めに預かり光栄です。早速ですが――美鈴さんにお手伝いをして頂きたいのですが」
「ああ、構わんよ。無期限、利子は無しだ。私達の為に、美しい紅葉と落葉を演出してくれ」
ありがとうございます――と静葉は言い残し、美鈴と共に妖怪の山へ向かった。
美鈴は修行になると喜んでいたから、身売りの様な状況も気にしていないだろう。
むしろ小旅行と言った風な趣で、咲夜の作ったお弁当を手に、意気揚々と出かけていった。
「なあ、咲夜」
「はい、お嬢様」
「本当に面白い所だよ、幻想郷は」
「仰せの通りです」
二人はそれだけを交わして、踵を返した。
そして葉の無くなった樹木を見てふと思い立ち、レミリアは館に戻る道すがら、歩きながら葉の残っている樹木に、そっと手を触れた。
すると、静葉の物ほど繊細で高度では無いが、衝撃と共に葉が舞い散り、美しい落葉が完成する。
「なんだ、できるじゃないか。私も行けば良かったな」
それを見ていたフランが尊敬の――いや、見直した、と言う眼差しをレミリアを向けた。
レミリアとしては何の気なしにやった事だ。
たった二度の実技と、パチュリーの説明。それだけで、レミリアは発勁のコツの様なものを習得したのかもしれない。
それだけで妹からの尊敬を受けられたのだから、今のは棚からぼた餅と言う奴だろう。
これも同じ姉と言う立場である、秋の神の御利益かもしれない。
咲夜はレミリアの呟きを拾って、空を見上げてから報告を行った。
「パチュリー様の占咳術によると、本日は快晴だそうですから、出かけるには不都合が多いと愚考します。私達は、ここでゆっくり秋の終わりに感じ入るのがベターな楽しみ方かと」
「占咳術?」
「喘息の調子で占うんだそうです」
レミリアはしばらく沈黙した後、
「当たりそうだな」
と投げやりに言った。
咲夜は、今のところ百発百中だそうです、と付け加えた。後ろではパチュリーが「むきゅしょん!」と謎のくしゃみをしている。
「調子が良さそうで何よりだ。それはそうと、喉が渇いたな。紅茶を用意してくれ」
「かしこまりました」
咲夜は、機嫌の良さそうな主とその妹を見て、自らの気分も高揚してくるのを隠せなかった。
一足早く訪れた秋の終焉は、冬の到来を早めただけでは無い。
他の季節が駆け足と言う事は、春もその分早くやってくるのでは無いかと、彼女は夢想する。
秋静葉は、妹の豊穣と合わせて再誕も司っている。秋限定だが、二人一組で木花咲耶姫の様な物事を司っているのだろう。
桜が散り、来年の春の為に再び力を蓄える様に。人が死に、しかしまた別のどこかで命が生まれる様に。
姉が妹に劣等感を抱いている所もどこか似ている。
終焉とは即ち、また新しい何かが生まれて来る事なのだ。
美鈴が戻ってきたら、お疲れパーティーでも開こうか。
そんな事を考えながら、咲夜は急いで紅茶を煎れて戻った。
吸血鬼には似合わぬ気持ちの良い青空の中、レミリアは色とりどりに染まった山の紅葉を、そしてその終焉を、楽しそうに見つめていた。
異様に長続きする暑さを乗り越えて一息ついたと思ったら、すぐに異常な寒さが到来した。
幻想郷においてもそれは変わりがなく、雪女が早めに姿を現すようになった事から見ても、異を唱えるものは少数だろう。
食欲。芸術。スポーツ。秋はその醍醐味を充分に謳歌してもらえず、風の様に、或いは短い一生を終えた生き物の様に、ひっそりとその役目を終えたのだった。
悪魔の館、紅魔館においてもそれは例外では無く、秋の終焉を憂いている妖怪がここにも一人存在した。
質実剛『拳』、紅美鈴である。
生活の大半が門の前、と言う彼女のライフスタイルにおいて過ごし易い時期とは即ち、春と秋であった。
暑すぎず寒すぎず、風が心地よく、睡眠にはもってこいの季節だ。
まあ暑さ寒さが厳しい季節は、あの十六夜咲夜が差し入れをくれたりするので、そう悪い事ばかりと言う訳でも無いのだが、それはまた別の話だ。
彼女が貸してくれたマフラーを巻いて、門の柱にもたれかかっていると、来客があった。
基本的に紅魔館への来客は、命知らずか顔見知りの二者であり、美鈴の仕事はその二者の撃退か取次ぎなのである。
だが、今回は様相が違った。
美鈴は急いで居住まいを正し、右手で作った拳を左手で包み、礼を行ったのだ。
彼女がここまでの敬意を表す者は、幻想郷ではレミリア・スカーレットのみである、と言う認識が一般的だが――。
美鈴は感極まった様に、来客に話しかけた。
「秋老師、お久しぶりです」
紅魔館の紅は、文字通り血の色だ。その赤からは不幸な結末しか予感させない、呪われた色である。
だが、老師と呼ばれた者の赤は、見る者全てを楽しませる、艶やかな紅が基調となっていた。
豊穣と終焉を司る秋の神、その片割れ。秋静葉であった。
「美鈴さん、ご壮健のようで。修行の方は順調です?」
「はい、相も変わらず未熟ではありますが、日々の修練に適している、と言う意味ではここは最高の環境です。お気遣いありがとうございます」
「そう畏まらなくても」
「いいえ。自分より多くの功夫を積んでいる以上、貴方は先生ですとも。それで、老師は何故此方に?」
「此方、と言うよりも貴方に用事があってやって来たのですが――」
「当館の丁稚に何か御用でしょうか?」
言葉を続けようとした静葉に、別の声がかかる。
声の出所は美鈴のすぐ背後からである。今まで気配など無かった筈だが、気配や時間など、全て関係無いと言う能力者が紅魔館には存在する。
即ち、パーフェクトメイド、十六夜咲夜。
美鈴は困ったような笑顔で反論した。
「丁稚て」
「言葉のアヤですわ。美鈴、貴方に師匠がいたとは初耳だけれど」
「師父じゃないです。老師です。ここに来る前にお世話になった事があるんですよ」
「違いがあるの?」
咲夜は瀟洒な立ち居振る舞いに似合わぬ可愛らしさで小首を傾げた。
スキが微塵も無さそうなのに、たまに見せるこう言った無垢な反応は、普段の彼女にわずかなりとも接した事がある者の心を、いとも容易く虜にするのだった。
その癖、虜にした本人には自覚が無いのでエロコメディの主人公並に始末が悪く、紅魔館の瀟洒なメイド、と言う肩書きが無ければ、稀代のタラシとして名を轟かせていたかも知れない。
「師父ってのは正式に弟子入りしないと呼んじゃいけないんです。弟子入りするってのは家族になるも同然な訳で、私の今の家族は紅魔館の皆ですから。ただ尊敬の意味を込める場合は『老師』と呼ぶのが一般的、ですかね」
「へぇ。で、その老師さんのご用件は?」
「美鈴さんの力を借りに参りました」
え? と間の抜けた声を発しつつ、美鈴はその言葉を頭の中で反芻した。
神の端くれである彼女から助力を求められるとは想像の埒外だったのだろう。
咲夜は澄ました表情を崩す事は無かったが、アゴに手を当ててしばし考え込んだ後、「とりあえず館に御越し下さい、お客様」と言い残して、その場から消失した。
「これは――招待されたと考えても?」
「ええ、咲夜さんが招いたのなら大丈夫ですよ。ようこそ、悪魔の館、紅魔館へ」
悪魔の館と、ようこそと言う歓迎の言葉に関連性を見出せず、くすくすと上品に笑いながら静葉は言った。
「できたメイドさんですのね」
「ええ、自慢の妹分ですよ。姉貴分としては何となく申し訳ない気がしますがね」
ぼやきながらも門を開き、静葉をともなって美鈴は紅魔館の扉を開いた。
扉の音に紛れて、
「どこの家も似たようなモノなのかなぁ」
と言う静葉の声が聞こえた様な気がしたが、美鈴は聞こえなかった振りをした。
◆
応接間のソファーには既に館の主、レミリア・スカーレットがエレガントに腰掛けている。
ソファーの傍らには、咲夜が直立不動で主に付き従っており、レミリアの隣には、何故か紅魔館の誇る稀代の魔女――パチュリー・ノーレッジが陣取っていた。
血の様に赤いワインの入ったグラスを片手で弄びながら、その獰猛さを隠そうともせずに主が言い放ったのが、
「――で?」
の一言だった。
常人ならば、この一言だけで命の危険を感じ、失神に到ってもおかしくない。
しかしここに招かれている客はまがりなりにも神であった。
気丈にも――いや、最初から気にしていないのか、笑顔で静葉は切り返した。
「彼女をしばし私に同伴させたいのです」
「見返りも無しに部下を貸し与えろと?」
「私から差し出せる物はありませんが――せめて、今年の妖怪の山における紅葉の終焉、美しい落葉は、あなたに捧げましょう」
「へぇ」
レミリアの反応は好感触の様だった。
傍目にはレミリアの態度に変化は無いように見えるが、声の調子は明らかに楽しそうだ。
紅魔館の主、スカーレットと言うだけあり、その名が冠される事象が自分に捧げられると聞いて、気を良くしたらしい。
パチュリーは変わらず本に視線を落としていたが、咲夜と美鈴は苦笑している。
「ふん、まぁ、見返り云々は良いとしよう。で、どういう理由で美鈴の力が必要だと?」
「今年の落葉樹を見ておかしいと気づいた事はありませんか?」
「どうなんだ、咲夜」
「はい。私見で恐縮ですが、今年は秋の到来が遅く、且つ冬の到来が早い。秋の節目とも言うべき、紅葉と落葉。それが時間に追いついていません。簡単に言えば、時期がズレています。未だ葉が落ちていない木はまだそこかしこに存在している様です」
唐突にレミリアから話を振られた咲夜は間を置かず、淀みなくスラスラと答えた。
レミリアは頷いて、
「それと美鈴に何か関係があるのか?」
と静葉に再び問いかけた。
それに答えたのは静葉では無く、隣のパチュリーであった。
「幻想郷縁起特別増刊、求問口授142ページ目。秋静葉はその紅葉や落葉を己の手で以って再現していると言う。紅葉ならば一枚一枚葉を染め、落葉においては樹木に衝撃を与えてその葉を落とす、と記されているわね」
レミリアは胡散臭いな、と言う表情でパチュリーを見た。
彼女の視線は手に持っている本から動かない。読んでいる本は件の幻想郷縁起では無く、表紙に『黄衣の王』と記されている。
つまり、彼女はどの本のどのページにどんな記述があるのかを記憶しているのだ。
一応親友の言葉だが、レミリアには信じ難かった。
まさか紅葉や落葉が手作業で行われていたとは、意外にも程があると言う物だ。
「パチェ、それって――」
「くどい」
パチュリーは根拠の無い事を断言しない。
どういう来歴の物か、信憑性があるのか、そう言った異説があれば必ず注釈や前置きをするのである。
「つまり――こういう事か? 貴様は、美鈴に樹木を叩く手伝いをして欲しいと、そう言ってるって事?」
「ご理解が早くて助かります」
静葉は深々と頭を下げた。神のお辞儀など滅多に見られないだろう。
さすがに神性を持っているだけあって、その仕草も雰囲気もどこか荘重な物であった。
対照的に、レミリアは力を抜いてソファの背もたれに寄りかかった。「なんでぇ」と拍子抜けした声が聞こえてきそうな弛緩っぷりであった。
「そんなの、貴様一人でできるんじゃないの? 時期がズレちゃったなら、もうどれだけズレても同じじゃないかしらね」
「それが――今年は秋が短かった分、信仰も芳しくなく、逆にその為に山を歩き回るのも難儀する位で」
「私が手伝ってやろうか?」
「えっ」
静葉の伏せがちな顔は、虚を突かれた様にハネ上がった。
レミリアと対峙した物は多かれ少なかれ、その大物ぶりと稚気の振れ幅に驚くのだが、彼女も例外では無かった。
裏表がはっきりしており、可憐で艶のある容姿と仕草。
相反する要素を併せ持っている事が、彼女の魅力(カリスマ)なのだと、静葉は今理解に到った。
「木を殴れば良いんだろう」
「お嬢様」
レミリアのノリの良さに待ったをかけたのは、渦中の人物、美鈴である。
「なんだい」
「お嬢様の力では樹木を粉砕してしまう様な気が」
「あー、そうか。それなら一枚一枚を私が全速で――」
「それでは時間がかかるのではないかなー、と」
「じゃあ、何か? 樹木を傷つけずに葉だけを散らせる様な衝撃を与えろと?」
「秋老師はそうしているようです」
「面白い!」
そう言って、レミリアは勢い良く立ち上がった。
「そんな事ができるのなら興味深いわ。美鈴の件は了解したから、是非見せて欲しい。フランも呼んで来て」
静葉は呆気にとられ、美鈴と咲夜は苦笑するしか無かった。
幸いと言うか、都合よくと言うか、紅魔館の庭にも景観を良くする為に一定の間隔で樹木が植えられており、中には静葉の言った通り、落葉に到っていない木がチラホラと残っている。
思い立ったが吉日、レミリアに躊躇や遠慮の二文字は無い。
咲夜はテキパキと日傘や日焼け止めの用意をし、パチュリーは「よっこいしょ」と言いながら重い腰を上げた。
即断即決は上に立つ者として得難い資質ではあるが、別の方向で発揮すると、この様な突飛な事態に発展する。
しかし、それを好ましいと思うのが、紅魔館に集っている者達の総意でもあった。
家族や部下、友人など、身近な者が彼女を慕っているのが良くわかる。
静葉はそんなレミリアを、少し羨ましいと思った。
◆
紅魔館の主要メンバーが総出で庭に集っているのを見た者は、すわ異変か、と警戒を露にするに違いない。
だが、本人達はピクニック気分であり、野外パーティーにも満たない規模なのでどこ吹く風だ。
彼女達の目前には、今にも葉が散りそうで散らない樹木がそびえ立っている。
レミリアはまず美鈴に話の矛先を向けた。
「まずは、美鈴がその仕事を手伝えるかどうかをまず確認したいわね」
「わ、私ですか? 構いませんけれども」
「お姉様、何が始まるの?」
「私達の為に美しい落葉を演出してくれるそうよ」
「本当に? 見たい!」
紅魔館当主とその妹のプレッシャーを背に、美鈴は「では小檎打(しょうきんだ)をご覧に入れます」と言って一歩前に出た。
風と木の葉が鳴る音のみが周囲に鳴り響くのみで、他の者達は一様に黙り込んだ。
気を整え、左半身を前に、半身で構える。
後ろ足に力を込めて前の足を力強く踏み出す。
ずん、と地面が陥没する様な凄まじい震脚と同時に、美鈴は右の掌底を鋭く打ち出した。
同時に凄まじい打撃音。しかし、樹木そのものには一片の損傷も無い。
だが――ざざざざ、と言う心地よい葉の音が聞こえて、枝は残った葉を全て失った。
美鈴はそれを見て満足したようで、振り返って一礼を送り、静葉はパチパチと拍手をした。
「なるほど。確かに今の私には、マネできそうに無い」
「お姉さま! 今の凄い! どうやるの!?」
「え? ――そうね、あの、そうだな、うん」
レミリアの返答は要領を得ない。
いつもなら素直にパチュリーか咲夜辺りに質問するのだが、妹に良い所を見せようと考え込んでいる。
フランドールがマネをして掌で殴りつけたが、それが命中した瞬間、その箇所が文字通り木っ端微塵に砕け散り、幹はごっそりと削り取られてしまった。
「むー」
当のフランは不服そうに自分の掌を見つめた。
未だに首を捻っているレミリアに気を使ってか、咲夜がパチュリーに質問をした。
レミリアはこっそり聞き耳を立てる。
「どういう原理なんです?」
「素人にもわかる様に言えば、あれは発勁がもの凄く上手いって事なんでしょうね」
「へぇ」
咲夜の返答は生返事に近い。これほど語り甲斐の無い相手も無いだろう。
パチュリーは非難する様な口調で言った。
「メイド以外の日常に興味は無いの?」
「ええ、あまり。パチュリー様は中国拳法に興味がおありで?」
「無いわね」
即答であった。
咲夜はおかしな表情になったが、気を取り直して質問を続けた。
「で、発勁って何です?」
「力の発揮の仕方ね。一言で言えば運動エネルギーのコントロール。慣れれば刹那の間にとんでもない力を搾り出したり、狙った箇所で力を散らしたり、或いはエネルギーを対象の向こう側まで貫通させたり――ああ、『打撃を通す』ってそう言う意味か。なるほど。瞬発力だけで打突を行うから、極めれば予備動作も加速空間すらも無用で、例え密着していても――」
何やら一人で納得を始めたパチュリーの話を聞きながら、レミリアは考える。
と言う事は、秋を司る神の姉は、そのレベルの仕事を毎年行っていると言う事。
四季と言うのがいつから認知されていたのかは知らないが、だとすれば――。
「静葉、と言ったかしら。一足先に私たちに捧げられる落葉を、あなた自身の手で見せてもらえない?」
「はぁ、ですが今は本調子では無いので、それでよろしければ」
「構わないわ。もしそれでさらに調子が悪くなったら美鈴をコキ使いなさい」
「かしこまりました。では、僭越ながら」
静葉は事も無げに言うと、無造作にまだ葉が散っていない木に近づいた。
散歩のついで、とでも言う風な感じであり、美鈴の様に構えも取らない。
そして、片手で木の表面に軽く触れる。
瞬間、美鈴の時よりも大きな炸裂音が辺りに響き渡った。
樹木どころか、打撃の衝撃は地面にまで伝わっていて、しかも木には何の変化も見られない。
くるりと振り向いてスカートの裾をつまみ、静葉は優雅に一礼した。
呆気に取られた一同の元へ彼女が歩みを進めた瞬間、背後の樹木の葉は、全て地に落ちた。
フランですらもさすがに言葉が無い。
「な、るほど。美鈴が『老師』と言うのもわかる」
「いいえ。これは私の仕事であり、存在理由でもありますから、当然の事です」
「それでも何十年か? それとも何百年か? ちっぽけな神かと思えば、その実、気が遠くなるほどの年月を打撃の修練に費やした拳法家と、中身は同じと言う訳か」
「お褒めに預かり光栄です。早速ですが――美鈴さんにお手伝いをして頂きたいのですが」
「ああ、構わんよ。無期限、利子は無しだ。私達の為に、美しい紅葉と落葉を演出してくれ」
ありがとうございます――と静葉は言い残し、美鈴と共に妖怪の山へ向かった。
美鈴は修行になると喜んでいたから、身売りの様な状況も気にしていないだろう。
むしろ小旅行と言った風な趣で、咲夜の作ったお弁当を手に、意気揚々と出かけていった。
「なあ、咲夜」
「はい、お嬢様」
「本当に面白い所だよ、幻想郷は」
「仰せの通りです」
二人はそれだけを交わして、踵を返した。
そして葉の無くなった樹木を見てふと思い立ち、レミリアは館に戻る道すがら、歩きながら葉の残っている樹木に、そっと手を触れた。
すると、静葉の物ほど繊細で高度では無いが、衝撃と共に葉が舞い散り、美しい落葉が完成する。
「なんだ、できるじゃないか。私も行けば良かったな」
それを見ていたフランが尊敬の――いや、見直した、と言う眼差しをレミリアを向けた。
レミリアとしては何の気なしにやった事だ。
たった二度の実技と、パチュリーの説明。それだけで、レミリアは発勁のコツの様なものを習得したのかもしれない。
それだけで妹からの尊敬を受けられたのだから、今のは棚からぼた餅と言う奴だろう。
これも同じ姉と言う立場である、秋の神の御利益かもしれない。
咲夜はレミリアの呟きを拾って、空を見上げてから報告を行った。
「パチュリー様の占咳術によると、本日は快晴だそうですから、出かけるには不都合が多いと愚考します。私達は、ここでゆっくり秋の終わりに感じ入るのがベターな楽しみ方かと」
「占咳術?」
「喘息の調子で占うんだそうです」
レミリアはしばらく沈黙した後、
「当たりそうだな」
と投げやりに言った。
咲夜は、今のところ百発百中だそうです、と付け加えた。後ろではパチュリーが「むきゅしょん!」と謎のくしゃみをしている。
「調子が良さそうで何よりだ。それはそうと、喉が渇いたな。紅茶を用意してくれ」
「かしこまりました」
咲夜は、機嫌の良さそうな主とその妹を見て、自らの気分も高揚してくるのを隠せなかった。
一足早く訪れた秋の終焉は、冬の到来を早めただけでは無い。
他の季節が駆け足と言う事は、春もその分早くやってくるのでは無いかと、彼女は夢想する。
秋静葉は、妹の豊穣と合わせて再誕も司っている。秋限定だが、二人一組で木花咲耶姫の様な物事を司っているのだろう。
桜が散り、来年の春の為に再び力を蓄える様に。人が死に、しかしまた別のどこかで命が生まれる様に。
姉が妹に劣等感を抱いている所もどこか似ている。
終焉とは即ち、また新しい何かが生まれて来る事なのだ。
美鈴が戻ってきたら、お疲れパーティーでも開こうか。
そんな事を考えながら、咲夜は急いで紅茶を煎れて戻った。
吸血鬼には似合わぬ気持ちの良い青空の中、レミリアは色とりどりに染まった山の紅葉を、そしてその終焉を、楽しそうに見つめていた。
秋姉妹の関係、美鈴と静葉の関係、静葉のお仕事の方が面白そうで、
おぜうが添え物程度に見えます。
それぞれをもっと練った上で上手につなげたのを読みたかったなと。
色々と生煮えかつ露骨で、ちょっと残念です。
反省すんなし
しかしあなたは本当に奇抜な組み合わせが好きだな
淡々とした世界の中に味わいのある、いい作品でした。
面白かったです
レアな組み合わせなので新鮮な気持ちで楽しめました。
拳児のあのシーンはいつ読んでも興奮しますね。
この文章は実際に読んでいる人へ問うているのでしょうか?
だとすると、この文だけ浮いている気がしますねー。