長らく閉鎖された世界だった旧都が、先の異変によって限定的に外の世界との交流を持つようになり、地上から様々な物が伝わって来た。
珍しい道具や食べ物、果ては文化そのものに至るまで、地底の妖怪たちは目まぐるしく流行り、そして廃れるそれらを肴にして騒ぐ事に暇がない。地上の者にとっては、箸が転がった程度の他愛ない常識であっても地底の者にとっては新鮮で、すぐに宴や余興を開く口実になってしまう。
地上から伝わってくる様々な物や出来事は、地上と地底を繋ぐ縦穴を吹き抜ける風よりも強く大きなうねりとなって、地底の世界をコロコロと一変させる。
そんな土壌があるからこそ、地底に『クリスマス』の風習が流行してしまったのもまた、必然だったと言えよう。
そもそもは『外の世界』の文化だ。
そこから隔絶された幻想郷に流入した時点で、既に【子供の靴下が大好物なジジイを撃退する奇祭】と成り果てていたクリスマスが、更に隔絶されている地底世界に正しい形で伝わってくる訳もなかった。大掛かりな伝言ゲームが、完全な形で成功することが無いのと同じだ。
友人とガチの殴り合いの果てに、自らの衣服を返り血で真っ赤に染め上げて「俺が最強だァ――ッ!」と最高にハイって奴になるサバイバーな鬼が妖々跋扈したり、雪が積もっている訳でも無いのにソリに乗り込み、何が楽しいのかと首を傾げる者が居たり、家じゅうに灯篭を数え切れない程に飾り付けて『らいとあっぷ』なるものをしようとした挙句、うっかり自宅をローストしてしまう者が居たり、と半ば暴動の様な狂乱を見せる旧都ではあったが、ただ一つだけ、正しく『外の世界』から伝わって来た情報があった。
それが、【クリスマスは恋人と二人で過ごす】というモノだクソったれ。
若干の間違いを多分に含んだクリスマス・イブを明日に控えた本日、星熊勇儀は地上へと至る途中に掛かっている橋へと向かっていた。無論、パルスィを見る為である。
嫉妬の権化たる彼女の事、『クリスマス』に対して抱く思いは相当な物だろう。
恐らくは心中穏やかならざる彼女と対話し、なだめすかし、あわよくば一緒に性――もとい聖夜を過ごそうという彼女のささやかな下心である。
勇儀も人の子……ではなく鬼の女の子。そういった催し事の際に一人でいるのは嫌だったし、開き直って仲間たちを集めて独身呑みを開催するのも癪だった。やはりちょっと気になる奴と二人っきりになってみたいのだ。
「――さてさて、アイツはどうしてるかねぇ……」
やっぱり苛々してるんだろうか、と雪のチラつく旧都の街並みを悠然と闊歩しながら彼女は考えた。楽器を奏でられる連中はクリスマスソングとやらをそこら中で演奏し、前述のとおり少々歪ながらも、きちんとクリスマス然とした雰囲気はそこかしこに漂っている。
もしかしたら、橋の欄干には無数の藁人形が打ち付けられているかもしれないぞ、等と思いつつ勇儀が橋へと至る大通りの端に出る。
すると、そこでは火の手が上がっていた。
「――え? えぇ!?」
薄闇が広がるばかりの空を舐める火柱を見上げて、流石の勇儀も口をポカンと開けてただただ立ち尽くす。
既に野次馬が幾重にも人垣を築いており、何やかやと騒がしくしていた。
「ち、ちょ、ちょっとちょっと、ゴメンよ。通しておくれ……」
人波を押し退けて火柱の傍に躍り出る。そこには道のど真ん中ででかでかと焚き火を敢行する水橋パルスィが、体育座りをして炎を眺めているシュールな光景が広がっていた。てっきりパルスィが嫉妬の余り橋の上で焼身自殺を試みたとばかり思っていた勇儀は、目の前の意味不明な状況を余所にホッと胸を撫で下ろした。
手慰み、といった風情で赤いサンタ帽を被った藁人形を業火の中に投げ入れるパルスィの表情は炎の明かりにチラチラと照らされて窺い辛いが、自身の周囲が騒ぎになっていることすらどうでも良いと思っている事だけは間違いない様だった。
「その……パルスィ?」
恐る恐るパルスィに歩み寄った勇儀が声を掛けると、彼女は訝しげに勇儀の方へと振り向いた。
「アンタ何やってるんだい? いくらクリスマスが妬ましいからって、こんな……」
「は? クリスマス? 妬ましい? 何が? ちょっと意味判んないわ」
「いやいや、この期に及んでお前さんは何を言ってるんだい?」
「ホラ、私ペルシャ人だから。これは単なるゾロアスター教の神聖な儀式なだけですけど?」
パルスィの声を燃え盛る炎の中で何かが小さく爆ぜる音が飲み込んでしまい、その言い訳は酷く聞き取り難かった。
「……お前さんは一応、日本の妖怪かつ神様だろうに……」
やれやれ、と勇儀は肩を竦めると、火柱の傍らに律儀にも備えてあった消火用バケツを使ってキャンプファイヤーの如く燃える炎を消すと、「ホラ、ここは何とか私が収めておくからさ」と群衆を散らした。
それらの始末が一段落ついても尚、体育座りの姿勢を崩さずにボンヤリとしているパルスィの前に立ち、まだ煙を薄らと上げる燃えさしの上にしゃがんだ勇儀は、彼女と目を合わせた。
「その、何だ……『クリスマス』とやらが地底に伝わって以来、お前さんの心中も穏やかじゃ無かろうと思ってはいたが、天下の往来のど真ん中で焚き火をする程とまでは思わなかったよ。どんど焼きの時期までは、まだかなりあるだろうに」
勇儀の言葉に返事をする訳でも無く、パルスィは足元にまだ数体残っていた藁人形の一体を手にして、人形が被っているサンタ帽を弄っていた。
折しも、パルスィと二人きりである。勇儀の鼓動は、緊張を孕んで見る見るうちに高鳴って行く。
――今だ。今しかない。今こそが、パルスィをデートに誘うチャンス。言うんだ私。なるべくさりげなく、それでいてこちらの思惑を悟られないように……!
フゥ、と大きく息を吐いた勇儀は、小刻みに震える唇を手で隠してパルスィの緑眼を見る。
「――クリスマスに一人でいるのが嫌ならさ、私が居るじゃないか。一緒に酒でも呑もう。そうすれば、お前さんの心も少しは楽になるんじゃないかい?」
――やった! 言った! 言えた! 誘えた!
余裕ある表情を取り繕う反面、思わず狂喜乱舞しそうなくすぐったい心地の勇儀が、内心で照れや臆病風に吹かれて流されなかった自分自身を褒める。
パルスィはチラと勇儀を見ると、弄っていた人形を地面に放り、ホゥと白い息を薄く棚引かせて、おもむろに一言、
「いや、別に良い」
と言った。
………………あれ?
「――いやいやいや……別にさ、お前さんに対して安っぽい同情をしてるとかそういう訳じゃ無いんだ。ただホラ、何て言うかその……アレだ。私もたまにはお前さんと酒を酌み交わしたいなぁ、と言うか……」
「良いってば。だってアンタ、いつもはどんなに強い酒を浴びるほど飲んでもケロッとしてるくせに、私と飲むと矢鱈早く酔い潰れたり、私の肩に凭れ掛かって来て酒臭い息を吐いて来たり、私の布団を占領したりするじゃない。だから別に良い」
そりゃパルスィと一緒だからこそ……! と反射的に口にしそうになった勇儀だが、何とかその衝動を飲み込んだ。
……それにしても、さっきはあんなにド派手な火柱を焚いていたくせに、パルスィの様子には迫り来るクリスマスに対する嫉妬や怒り、恨みといった負の感情が全く見えない。『クリスマス・イブ』は明日だと言うのに、嫉妬狂いの橋姫らしからぬ平然とした態度に、勇儀は戸惑う。
「え? だってお前さん、イブに一人で居るのがムカつくから、往来のど真ん中で焚き火を敢行するなんて蛮行に走ったんじゃないのかい?」
「あぁ、アレ? アレ単なるパフォーマンスよ? 『クリスマス』が近づいて来たってだけで誰も彼もが遠目で私の様子をニヤニヤ窺って来るのが鬱陶しくてね。あぁしてれば私が黙って火に当たってるだけで、皆が『あぁ、クリスマスが近いから嫉妬してるんだな』って早とちりしてくれるから楽だと思ったのよ。私は何とも思ってないってのに面倒くさくて仕方が無いわ」
苛々とパルスィがそう吐き捨てる。単なる強がりには聞こえなかった。
彼女は本当に、クリスマス・イブを一人で過ごす事を何とも思っていないらしい。
「……! さ、さてはお前! 本物のパルスィじゃないな!?」
自分が今目の当たりにしているパルスィの平静が信じられず、思わず立ち上がった勇儀が彼女を指差して糾弾した。
「……誰が好き好んで私なんかに成りすますってのよ? え?」
「いや、みなまで言うな。お前さんがもし本物ならば、これから私が出すなぞかけ問答に答えられる筈だ!」
眉根に皺を寄せたパルスィが、小さく溜め息を吐いて首を傾げる。
「何でアンタそんな興奮してるの? 酒と間違えてメチル・アルコールでも一気したの?」
「問答無用! 行くぞ!」
「……問答を出すって言ったのアンタじゃない」
勇儀の唐突な糾弾に面食らっているらしいパルスィが、少々引き気味に返す。
「第一問! 『小野塚小町を怒らせた浮遊霊とかけて、幸せそうな恋人同士と解く。その心は?』」
「――どちらも渡し(私)に殺される」
「第二問! 『風邪をひいたお前さんとかけて、椅子に腰掛けると解く。その心は?』」
「――どちらもシット(嫉妬)・ダウン」
「第三問! 『才色兼備の金持ちとかけて、仕入れがすこぶる上手くいった寿司屋と解く。その心は?』」
「――どちらもあぁ、ネタ増し(妬まし)」
「……ふぅむ……やはり本物のパルスィの様だねぇ……」
腕を組み首を傾げてしみじみと頷く勇儀を見上げるパルスィは、付き合ってられないとばかりに溜め息を吐き捨ててから立ち上がり、スカートの尻の辺りをポンポンと叩いた。
「当たり前でしょ? アンタの目は節穴なの?」
肩を竦めたパルスィは橋の上へと向かい、欄干に背を預けて腕を組んだ。勇儀もまた彼女の後に続いてパルスィの隣に陣取ると、欄干に両肘を乗せて眼下の河を眺める。
「――だとすれば、やはり解せんねぇ……アンタは何でまた『クリスマス』とやらが、妬ましくも腹立たしくも無いんだい?」
私でさえもちょっと腹立たしいのに、という言葉は言わないで置いた。
「『クリスマス』に一人で居る事に絶望している私を見て、嗤おうとして来たアンタの事はムカつく」
「な、な、そ、そんな訳ないさね!」
「冗談よ」
そう言ってフフン、とパルスィが笑い、まんまと担がれた事を悟った勇儀は二の句を継げずに、むぐ、と押し黙る。
「……て言うか、クリスマスって何よ? 何を祝う祭りなの?」
パルスィは自分のつま先を眺めながら、ふと独り言のように口にした。
「さぁ? 確か、異国の神様の生誕祭だった様な……何と言ったかな? き……キリ……キリ……キリシマ?」
「部活辞めるの?」
「何の事だい? いや、違ったか……まぁ兎に角、神様の生誕祭ってのに間違いは無いさね」
勇儀が言うと「そこよ」、とパルスィは勇儀に向かって指を差した。
「その生誕祭と、恋人同士が云々に何の関係があるってのよ? 別に恋人同士はその、『クリスマス』にだけ会ったり、何やかんやする訳じゃ無いんでしょ?」
「七夕とは違う祭りらしいしねぇ……」
「じゃ、何でワザワザそのクリスマスの日一日だけ、恋人同士を殊更に妬む必要が有るってのよ? 恋人同士はいつだって幸せだろうし、幸せそうな奴らは年中無休でムカつくし妬ましいわよ」
「そりゃ、何か特別なお祝いをするってのが有るんじゃないかい? その……一緒に会って鶏か何かを食べるとかさぁ……」
風の噂でクリスマスのしきたりについては、そこそこ調べの付いている勇儀ではあったが、ワザと余りよく知らない振りをして言う。するとパルスィは「ふぅん……」と余り興味なさげに頷いた。
「――じゃ、私は明日の晩御飯に鳥そぼろ弁当とか買って食べる事にするわね」
「いやいや、そう言うんじゃないだろうに……」
ローストチキンと鳥そぼろ弁当の間にある天と地ほどの差異を思った勇儀が、ガクリと肩を落として言う。
「ま、『クリスマス』が近づいたからって思い出したみたいに恋人同士を妬んだり、慌てて恋人を用意しようって中途半端な気持ちの方が、よっぽど腹立たしいわよ」
パルスィのその言葉に、勇儀はドキリとさせられた。
「私は嫉妬狂いの橋姫よ? 私の妬みってのは、そんな急ごしらえの模造品染みた幼稚な感情とは訳が違うのよ。誰かの幸せその物が嫌なの。で、幸せってのは唐突に奪われる事が儘あるとは言え、基本的には恒常的な概念でしょ? クリスマス限定で幸福が訪れる訳では無くて、結局は普段の生活で抱く幸せの延長線上に位置するってだけでしょ? だから私だって、クリスマスだけを特別視する必要なんて無いの。全ての他人の幸福を平等に妬み、恨み、全ての他人が幸せを奪われる瞬間に、至上の喜びを感じる。だからこそ、私にとってクリスマスは何ら特別な意味を持たないのよ」
「…………そうかい」
パルスィの言葉を聞きながら、勇儀は絶望的な思いを抱くと同時に、安易な下心を持って彼女と接しようとした自分を恥じた。
橋姫の持つ嫉妬とは、凡百の存在が付和雷同的に持つそれとは一線を画すのだ。
――私はどこか、パルスィの事を軽く考えていたのかもしれない。
千年以上を嫉妬と怨嗟の中に生きて来た彼女の胸中を、表層的にしか想像していなかったのかもしれない。
……でも。
その事は、自分の感情を説得できる類の反省では無い。
自分がクリスマスをパルスィと一緒に過ごしたい気持ちは変わらない。
「だから私は……」
「――パルスィ!」
勇儀は意を決して、彼女の名を呼んだ。
「な、何よ……折角の人の話を遮って……」
驚いたパルスィが勇儀を見上げる。
――嘘を吐かない事こそが、鬼の信条では無かったのか。
目的までまっすぐ進む事こそが、鬼の生き様では無かったのか。
勇儀は前を向く。気付かぬ内に易きに流されていた自分を戒める意味でも、自らを鼓舞する意味でも自分の頬を思いきり両手で叩き、鬼の本能に従って、パルスィに正面から自分の気持ちをぶつける事にした。
「――私は、私はお前と一緒にクリスマスを過ごしたいんだよパルスィ! 私はお前と二人っきりで、食事をしたり酒を飲んだり話をしたりしたいんだ!」
不意に訪れた勇儀の告白によって、パルスィの翡翠色の両眼が驚愕に見開かれる。勇儀はその視線から目を逸らさない。旧都のどこか遠くから外界輸入の古いクリスマスソングが小さく流れてくる。川の流れる音に飲み込まれそうな程に弱々しい響きは、二人の間の沈黙を明瞭に描き出していた。
やがてパルスィが、ふっと視線をたじろがせた。それでも勇儀は視線を揺るがせない。それを見たパルスィは、小さく微笑んだ。
「――最初から、そう言ってくれれば良いのに……」
独り言みたいに呟いたパルスィが欄干に預けていた背を離し、腕を組んだまま勇儀を見上げるとニッコリと微笑み、
「ダメ」
と言った。
……………………あれぇ?
――何で? 今完全にOKな流れだったじゃん!? マジで? マジで『ダメ』って言った? 聞き間違いとかじゃなくて?
……あ、ヤバい。泣きそう。泣くかも。目頭が熱くなって来たし身体が崩れそうだし。
状況を上手く噛み砕けずに狼狽する勇儀をニヤニヤ見ていたパルスィが、再び口を開いた。
「だって、さっき言ったでしょ? 私、クリスマスだからって他人に流されるみたいに慌てて誰かを誘ったり、誰かの誘いをホイホイ受け入れたと思われんの嫌なの。橋姫の沽券に関わるわ……だから、クリスマスが終わったら、良いわよ。終わったら、デートでも食事でも、一緒に行ってあげる」
悪戯っぽく人差し指を唇に付けたパルスィが、勇儀に微笑みかける。立ち尽くしたまま呆然と泣きそうだった勇儀だが、『クリスマスが終わったら』という言葉が徐々に胸の奥へと浸透していくに従って、パッと表情を綻ばせて頬を染め上げる。
「――ぜ、絶対な!? 絶対だな!? ク、クリスマスが終わったら、良いんだな!?」
念を押す勇儀に、パルスィはコクリと首を縦に振る。
勇儀はそれを確認すると小さくガッツポーズをする。そして興奮冷めやらぬといった面持ちで踵を返すと、「うおっしゃあああ!! クリスマスソングを垂れ流すのをやめろおおおおおおおおぁあああああああ!!!!」と歓喜の雄たけびを上げながら、走り去ってしまった。
勇儀が大江山の嵐の様に去った橋の上で、パルスィはボンヤリと小さな雪の粒が舞い落ちる空を見上げて、ポツリと「脳筋のくせに、可愛い所あるじゃない」と呟く。
その後の二日間。
クリスマス・イブとクリスマス当日。
たった一人でいつもと同じように橋の上に佇む嫉妬狂いの水橋パルスィが、やけに幸せそうな表情を浮かべているのを見た旧都の妖怪たちは、皆一様に首を傾げたのである。
FIN
珍しい道具や食べ物、果ては文化そのものに至るまで、地底の妖怪たちは目まぐるしく流行り、そして廃れるそれらを肴にして騒ぐ事に暇がない。地上の者にとっては、箸が転がった程度の他愛ない常識であっても地底の者にとっては新鮮で、すぐに宴や余興を開く口実になってしまう。
地上から伝わってくる様々な物や出来事は、地上と地底を繋ぐ縦穴を吹き抜ける風よりも強く大きなうねりとなって、地底の世界をコロコロと一変させる。
そんな土壌があるからこそ、地底に『クリスマス』の風習が流行してしまったのもまた、必然だったと言えよう。
そもそもは『外の世界』の文化だ。
そこから隔絶された幻想郷に流入した時点で、既に【子供の靴下が大好物なジジイを撃退する奇祭】と成り果てていたクリスマスが、更に隔絶されている地底世界に正しい形で伝わってくる訳もなかった。大掛かりな伝言ゲームが、完全な形で成功することが無いのと同じだ。
友人とガチの殴り合いの果てに、自らの衣服を返り血で真っ赤に染め上げて「俺が最強だァ――ッ!」と最高にハイって奴になるサバイバーな鬼が妖々跋扈したり、雪が積もっている訳でも無いのにソリに乗り込み、何が楽しいのかと首を傾げる者が居たり、家じゅうに灯篭を数え切れない程に飾り付けて『らいとあっぷ』なるものをしようとした挙句、うっかり自宅をローストしてしまう者が居たり、と半ば暴動の様な狂乱を見せる旧都ではあったが、ただ一つだけ、正しく『外の世界』から伝わって来た情報があった。
それが、【クリスマスは恋人と二人で過ごす】というモノだクソったれ。
若干の間違いを多分に含んだクリスマス・イブを明日に控えた本日、星熊勇儀は地上へと至る途中に掛かっている橋へと向かっていた。無論、パルスィを見る為である。
嫉妬の権化たる彼女の事、『クリスマス』に対して抱く思いは相当な物だろう。
恐らくは心中穏やかならざる彼女と対話し、なだめすかし、あわよくば一緒に性――もとい聖夜を過ごそうという彼女のささやかな下心である。
勇儀も人の子……ではなく鬼の女の子。そういった催し事の際に一人でいるのは嫌だったし、開き直って仲間たちを集めて独身呑みを開催するのも癪だった。やはりちょっと気になる奴と二人っきりになってみたいのだ。
「――さてさて、アイツはどうしてるかねぇ……」
やっぱり苛々してるんだろうか、と雪のチラつく旧都の街並みを悠然と闊歩しながら彼女は考えた。楽器を奏でられる連中はクリスマスソングとやらをそこら中で演奏し、前述のとおり少々歪ながらも、きちんとクリスマス然とした雰囲気はそこかしこに漂っている。
もしかしたら、橋の欄干には無数の藁人形が打ち付けられているかもしれないぞ、等と思いつつ勇儀が橋へと至る大通りの端に出る。
すると、そこでは火の手が上がっていた。
「――え? えぇ!?」
薄闇が広がるばかりの空を舐める火柱を見上げて、流石の勇儀も口をポカンと開けてただただ立ち尽くす。
既に野次馬が幾重にも人垣を築いており、何やかやと騒がしくしていた。
「ち、ちょ、ちょっとちょっと、ゴメンよ。通しておくれ……」
人波を押し退けて火柱の傍に躍り出る。そこには道のど真ん中ででかでかと焚き火を敢行する水橋パルスィが、体育座りをして炎を眺めているシュールな光景が広がっていた。てっきりパルスィが嫉妬の余り橋の上で焼身自殺を試みたとばかり思っていた勇儀は、目の前の意味不明な状況を余所にホッと胸を撫で下ろした。
手慰み、といった風情で赤いサンタ帽を被った藁人形を業火の中に投げ入れるパルスィの表情は炎の明かりにチラチラと照らされて窺い辛いが、自身の周囲が騒ぎになっていることすらどうでも良いと思っている事だけは間違いない様だった。
「その……パルスィ?」
恐る恐るパルスィに歩み寄った勇儀が声を掛けると、彼女は訝しげに勇儀の方へと振り向いた。
「アンタ何やってるんだい? いくらクリスマスが妬ましいからって、こんな……」
「は? クリスマス? 妬ましい? 何が? ちょっと意味判んないわ」
「いやいや、この期に及んでお前さんは何を言ってるんだい?」
「ホラ、私ペルシャ人だから。これは単なるゾロアスター教の神聖な儀式なだけですけど?」
パルスィの声を燃え盛る炎の中で何かが小さく爆ぜる音が飲み込んでしまい、その言い訳は酷く聞き取り難かった。
「……お前さんは一応、日本の妖怪かつ神様だろうに……」
やれやれ、と勇儀は肩を竦めると、火柱の傍らに律儀にも備えてあった消火用バケツを使ってキャンプファイヤーの如く燃える炎を消すと、「ホラ、ここは何とか私が収めておくからさ」と群衆を散らした。
それらの始末が一段落ついても尚、体育座りの姿勢を崩さずにボンヤリとしているパルスィの前に立ち、まだ煙を薄らと上げる燃えさしの上にしゃがんだ勇儀は、彼女と目を合わせた。
「その、何だ……『クリスマス』とやらが地底に伝わって以来、お前さんの心中も穏やかじゃ無かろうと思ってはいたが、天下の往来のど真ん中で焚き火をする程とまでは思わなかったよ。どんど焼きの時期までは、まだかなりあるだろうに」
勇儀の言葉に返事をする訳でも無く、パルスィは足元にまだ数体残っていた藁人形の一体を手にして、人形が被っているサンタ帽を弄っていた。
折しも、パルスィと二人きりである。勇儀の鼓動は、緊張を孕んで見る見るうちに高鳴って行く。
――今だ。今しかない。今こそが、パルスィをデートに誘うチャンス。言うんだ私。なるべくさりげなく、それでいてこちらの思惑を悟られないように……!
フゥ、と大きく息を吐いた勇儀は、小刻みに震える唇を手で隠してパルスィの緑眼を見る。
「――クリスマスに一人でいるのが嫌ならさ、私が居るじゃないか。一緒に酒でも呑もう。そうすれば、お前さんの心も少しは楽になるんじゃないかい?」
――やった! 言った! 言えた! 誘えた!
余裕ある表情を取り繕う反面、思わず狂喜乱舞しそうなくすぐったい心地の勇儀が、内心で照れや臆病風に吹かれて流されなかった自分自身を褒める。
パルスィはチラと勇儀を見ると、弄っていた人形を地面に放り、ホゥと白い息を薄く棚引かせて、おもむろに一言、
「いや、別に良い」
と言った。
………………あれ?
「――いやいやいや……別にさ、お前さんに対して安っぽい同情をしてるとかそういう訳じゃ無いんだ。ただホラ、何て言うかその……アレだ。私もたまにはお前さんと酒を酌み交わしたいなぁ、と言うか……」
「良いってば。だってアンタ、いつもはどんなに強い酒を浴びるほど飲んでもケロッとしてるくせに、私と飲むと矢鱈早く酔い潰れたり、私の肩に凭れ掛かって来て酒臭い息を吐いて来たり、私の布団を占領したりするじゃない。だから別に良い」
そりゃパルスィと一緒だからこそ……! と反射的に口にしそうになった勇儀だが、何とかその衝動を飲み込んだ。
……それにしても、さっきはあんなにド派手な火柱を焚いていたくせに、パルスィの様子には迫り来るクリスマスに対する嫉妬や怒り、恨みといった負の感情が全く見えない。『クリスマス・イブ』は明日だと言うのに、嫉妬狂いの橋姫らしからぬ平然とした態度に、勇儀は戸惑う。
「え? だってお前さん、イブに一人で居るのがムカつくから、往来のど真ん中で焚き火を敢行するなんて蛮行に走ったんじゃないのかい?」
「あぁ、アレ? アレ単なるパフォーマンスよ? 『クリスマス』が近づいて来たってだけで誰も彼もが遠目で私の様子をニヤニヤ窺って来るのが鬱陶しくてね。あぁしてれば私が黙って火に当たってるだけで、皆が『あぁ、クリスマスが近いから嫉妬してるんだな』って早とちりしてくれるから楽だと思ったのよ。私は何とも思ってないってのに面倒くさくて仕方が無いわ」
苛々とパルスィがそう吐き捨てる。単なる強がりには聞こえなかった。
彼女は本当に、クリスマス・イブを一人で過ごす事を何とも思っていないらしい。
「……! さ、さてはお前! 本物のパルスィじゃないな!?」
自分が今目の当たりにしているパルスィの平静が信じられず、思わず立ち上がった勇儀が彼女を指差して糾弾した。
「……誰が好き好んで私なんかに成りすますってのよ? え?」
「いや、みなまで言うな。お前さんがもし本物ならば、これから私が出すなぞかけ問答に答えられる筈だ!」
眉根に皺を寄せたパルスィが、小さく溜め息を吐いて首を傾げる。
「何でアンタそんな興奮してるの? 酒と間違えてメチル・アルコールでも一気したの?」
「問答無用! 行くぞ!」
「……問答を出すって言ったのアンタじゃない」
勇儀の唐突な糾弾に面食らっているらしいパルスィが、少々引き気味に返す。
「第一問! 『小野塚小町を怒らせた浮遊霊とかけて、幸せそうな恋人同士と解く。その心は?』」
「――どちらも渡し(私)に殺される」
「第二問! 『風邪をひいたお前さんとかけて、椅子に腰掛けると解く。その心は?』」
「――どちらもシット(嫉妬)・ダウン」
「第三問! 『才色兼備の金持ちとかけて、仕入れがすこぶる上手くいった寿司屋と解く。その心は?』」
「――どちらもあぁ、ネタ増し(妬まし)」
「……ふぅむ……やはり本物のパルスィの様だねぇ……」
腕を組み首を傾げてしみじみと頷く勇儀を見上げるパルスィは、付き合ってられないとばかりに溜め息を吐き捨ててから立ち上がり、スカートの尻の辺りをポンポンと叩いた。
「当たり前でしょ? アンタの目は節穴なの?」
肩を竦めたパルスィは橋の上へと向かい、欄干に背を預けて腕を組んだ。勇儀もまた彼女の後に続いてパルスィの隣に陣取ると、欄干に両肘を乗せて眼下の河を眺める。
「――だとすれば、やはり解せんねぇ……アンタは何でまた『クリスマス』とやらが、妬ましくも腹立たしくも無いんだい?」
私でさえもちょっと腹立たしいのに、という言葉は言わないで置いた。
「『クリスマス』に一人で居る事に絶望している私を見て、嗤おうとして来たアンタの事はムカつく」
「な、な、そ、そんな訳ないさね!」
「冗談よ」
そう言ってフフン、とパルスィが笑い、まんまと担がれた事を悟った勇儀は二の句を継げずに、むぐ、と押し黙る。
「……て言うか、クリスマスって何よ? 何を祝う祭りなの?」
パルスィは自分のつま先を眺めながら、ふと独り言のように口にした。
「さぁ? 確か、異国の神様の生誕祭だった様な……何と言ったかな? き……キリ……キリ……キリシマ?」
「部活辞めるの?」
「何の事だい? いや、違ったか……まぁ兎に角、神様の生誕祭ってのに間違いは無いさね」
勇儀が言うと「そこよ」、とパルスィは勇儀に向かって指を差した。
「その生誕祭と、恋人同士が云々に何の関係があるってのよ? 別に恋人同士はその、『クリスマス』にだけ会ったり、何やかんやする訳じゃ無いんでしょ?」
「七夕とは違う祭りらしいしねぇ……」
「じゃ、何でワザワザそのクリスマスの日一日だけ、恋人同士を殊更に妬む必要が有るってのよ? 恋人同士はいつだって幸せだろうし、幸せそうな奴らは年中無休でムカつくし妬ましいわよ」
「そりゃ、何か特別なお祝いをするってのが有るんじゃないかい? その……一緒に会って鶏か何かを食べるとかさぁ……」
風の噂でクリスマスのしきたりについては、そこそこ調べの付いている勇儀ではあったが、ワザと余りよく知らない振りをして言う。するとパルスィは「ふぅん……」と余り興味なさげに頷いた。
「――じゃ、私は明日の晩御飯に鳥そぼろ弁当とか買って食べる事にするわね」
「いやいや、そう言うんじゃないだろうに……」
ローストチキンと鳥そぼろ弁当の間にある天と地ほどの差異を思った勇儀が、ガクリと肩を落として言う。
「ま、『クリスマス』が近づいたからって思い出したみたいに恋人同士を妬んだり、慌てて恋人を用意しようって中途半端な気持ちの方が、よっぽど腹立たしいわよ」
パルスィのその言葉に、勇儀はドキリとさせられた。
「私は嫉妬狂いの橋姫よ? 私の妬みってのは、そんな急ごしらえの模造品染みた幼稚な感情とは訳が違うのよ。誰かの幸せその物が嫌なの。で、幸せってのは唐突に奪われる事が儘あるとは言え、基本的には恒常的な概念でしょ? クリスマス限定で幸福が訪れる訳では無くて、結局は普段の生活で抱く幸せの延長線上に位置するってだけでしょ? だから私だって、クリスマスだけを特別視する必要なんて無いの。全ての他人の幸福を平等に妬み、恨み、全ての他人が幸せを奪われる瞬間に、至上の喜びを感じる。だからこそ、私にとってクリスマスは何ら特別な意味を持たないのよ」
「…………そうかい」
パルスィの言葉を聞きながら、勇儀は絶望的な思いを抱くと同時に、安易な下心を持って彼女と接しようとした自分を恥じた。
橋姫の持つ嫉妬とは、凡百の存在が付和雷同的に持つそれとは一線を画すのだ。
――私はどこか、パルスィの事を軽く考えていたのかもしれない。
千年以上を嫉妬と怨嗟の中に生きて来た彼女の胸中を、表層的にしか想像していなかったのかもしれない。
……でも。
その事は、自分の感情を説得できる類の反省では無い。
自分がクリスマスをパルスィと一緒に過ごしたい気持ちは変わらない。
「だから私は……」
「――パルスィ!」
勇儀は意を決して、彼女の名を呼んだ。
「な、何よ……折角の人の話を遮って……」
驚いたパルスィが勇儀を見上げる。
――嘘を吐かない事こそが、鬼の信条では無かったのか。
目的までまっすぐ進む事こそが、鬼の生き様では無かったのか。
勇儀は前を向く。気付かぬ内に易きに流されていた自分を戒める意味でも、自らを鼓舞する意味でも自分の頬を思いきり両手で叩き、鬼の本能に従って、パルスィに正面から自分の気持ちをぶつける事にした。
「――私は、私はお前と一緒にクリスマスを過ごしたいんだよパルスィ! 私はお前と二人っきりで、食事をしたり酒を飲んだり話をしたりしたいんだ!」
不意に訪れた勇儀の告白によって、パルスィの翡翠色の両眼が驚愕に見開かれる。勇儀はその視線から目を逸らさない。旧都のどこか遠くから外界輸入の古いクリスマスソングが小さく流れてくる。川の流れる音に飲み込まれそうな程に弱々しい響きは、二人の間の沈黙を明瞭に描き出していた。
やがてパルスィが、ふっと視線をたじろがせた。それでも勇儀は視線を揺るがせない。それを見たパルスィは、小さく微笑んだ。
「――最初から、そう言ってくれれば良いのに……」
独り言みたいに呟いたパルスィが欄干に預けていた背を離し、腕を組んだまま勇儀を見上げるとニッコリと微笑み、
「ダメ」
と言った。
……………………あれぇ?
――何で? 今完全にOKな流れだったじゃん!? マジで? マジで『ダメ』って言った? 聞き間違いとかじゃなくて?
……あ、ヤバい。泣きそう。泣くかも。目頭が熱くなって来たし身体が崩れそうだし。
状況を上手く噛み砕けずに狼狽する勇儀をニヤニヤ見ていたパルスィが、再び口を開いた。
「だって、さっき言ったでしょ? 私、クリスマスだからって他人に流されるみたいに慌てて誰かを誘ったり、誰かの誘いをホイホイ受け入れたと思われんの嫌なの。橋姫の沽券に関わるわ……だから、クリスマスが終わったら、良いわよ。終わったら、デートでも食事でも、一緒に行ってあげる」
悪戯っぽく人差し指を唇に付けたパルスィが、勇儀に微笑みかける。立ち尽くしたまま呆然と泣きそうだった勇儀だが、『クリスマスが終わったら』という言葉が徐々に胸の奥へと浸透していくに従って、パッと表情を綻ばせて頬を染め上げる。
「――ぜ、絶対な!? 絶対だな!? ク、クリスマスが終わったら、良いんだな!?」
念を押す勇儀に、パルスィはコクリと首を縦に振る。
勇儀はそれを確認すると小さくガッツポーズをする。そして興奮冷めやらぬといった面持ちで踵を返すと、「うおっしゃあああ!! クリスマスソングを垂れ流すのをやめろおおおおおおおおぁあああああああ!!!!」と歓喜の雄たけびを上げながら、走り去ってしまった。
勇儀が大江山の嵐の様に去った橋の上で、パルスィはボンヤリと小さな雪の粒が舞い落ちる空を見上げて、ポツリと「脳筋のくせに、可愛い所あるじゃない」と呟く。
その後の二日間。
クリスマス・イブとクリスマス当日。
たった一人でいつもと同じように橋の上に佇む嫉妬狂いの水橋パルスィが、やけに幸せそうな表情を浮かべているのを見た旧都の妖怪たちは、皆一様に首を傾げたのである。
FIN
問答などの小ネタがよくできていて面白かったです。
妬ましいぜ……
クリスマス