「パルスィ、大発見ですよ!」
そう言って、いつものようにぱたぱた駆け寄ってきた古明地さとり。今日は淡いピンク色のマフラーを巻いていた。私が去年編んだものだ。
「クリスマスイブの夜にね、枕元に欲しい物を書いて、靴下を掛けておくんです。そしたらね、」
「ふむ?」
「朝までにサンタさんが来て、プレゼントしてくれるらしいんです!」
「な、なんだってー」
なんだかよくわからないが驚く振りをしてみる。するとジト目で睨まれた。
どうやら、一緒に驚いてほしかったらしい。
無茶だ。
仕方ないから真面目に話を聞いてみるに、クリスマスの夜にはサンタという親切な妖怪が現れるらしい。そいつはかわいい幼女の部屋にこっそり忍びこみ、特に理由もなく枕元にプレゼントを置いて回るそうだ。
ロリコンだ。
絶対変なことしてそう。
「……ふしだらですね、貴方の発想」
うっさいな。
他人の脳内にいちいちケチをつける奴だって、ふしだらだ。
だって、ありえない話ではないだろう。幼女のかわいい寝顔を見ながら、プレゼントだけ置いてすんなり帰るような奴がこの世にいるはずなかろう。うん絶対いない。
妬ましい。私だって、許されるならかわいいさとりの部屋に忍びこみたい。
「……」
ジト目が睨みつけてくる。
「何よ」
「……いえ、別に」
今度は露骨に目を逸らされた。
「まあいいです。貴方がふしだらなのは今に始まったことじゃないですし。そんなことよりサンタです。何でもくれる心優しい人なんですよ。すごいですよね」
「へー」
「反応薄すぎです……」
あまり興味は湧かなかった。
「欲しい物とか、ないんですか。貴方は」
「うーん」
愛かな。と心の中で答えたら笑われた。
なんだよ。いいじゃないか、別に。
「……あんたはどうなのよ」
「私は……ふふ。ひみつです。でもヒントを言うなら、ふつうの靴下には入らない物です。でっかいのを作らないといけないんですよ」
ほう。
サンタより、そちらのほうがまだいくらか興味がある。なんなら、私がプレゼントしたっていいのに。金はないが。
どこの馬の骨ともしれないロリコンのために、一晩かけて靴下を編むさとり。超妬ましかった。一生懸命なちみっこい姿。きっと滅茶苦茶かわいいのだろう。妬ましい。
「靴下作って、パーティも開いて、大変ね」
なんとはなしにそう言った。
一昨々年、一昨年と、彼女は地霊殿でクリスマスパーティを開いていた。しかし、去年はなぜか家族だけで過ごすと言って、やらなかった。
以来その話は特にしなかったのだが、私はてっきり、今年から再開するものだと思い込んでいた。
「いえ、今年も……パーティはしません。家族と過ごします」
しかし、とっくにそう決まっていたらしい。
正直、残念だった。
「……そうなの」
理由は聞けなかった。
家族という言葉が、やけに胸に刺さる。
妬ましい以前に、なんとなく寂しくなった。長いこと独りで暮らしていると、時折、こういうことがある。
もしサンタが本当に何でもくれるというのなら、私を愛してくれる家族が欲しいのに。……などと半ば本気で思ってしまったのが、なおさら悲しかった。
二十三日の夜、私は靴下を編むついでに、さとりにセーターでも編んでやるかと夜なべしていた。これが今年のクリスマスプレゼントになることだろう。先ほどさとりがしていた手編みマフラーは、去年のクリスマスに渡したものだった。
「じょーおねつのっ、赤いばーらーっ」
鼻歌まで歌って、ごきげんだった。
「そしてジェラシィ~~~」
もちろんさとりのスリーサイズなど知らない。が、とりあえず小さく作っておけば大丈夫だろう。ついでに、胸のところを露骨に細くする嫌がらせも完備しておけば、完璧。
とかなんとかいじわるを考えてはいるものの、なんだかんだで彼女には世話になっているので、本気で嫌がられるようなことはしない。プレゼントにはお返しの意味を込めているつもりだ。
仕返しの意味もついでに込めているだけだ。
「できたっ」
そうして完成したのは、完璧な女児用衣料品だった。
嫌がらせで小さく作っているわけではなく、ちゃんと彼女に着やすい大きさに作ったら、こんな嫌味なサイズになってしまっただけのことである。胸囲は嫌がらせだが。
別に、さとりのことが嫌いというわけではない。むしろ気兼ねのないところが好きでさえある。
橋姫のくせにこんなことをしているのも、好きゆえだ。……などと言うと媚びているようで少し恥ずかしいが、それでも会うたびに膨らんでいく気持ちは隠せない。
彼女に気持ちを隠すことなど、どうせできないのだ。
それならいっそ、好意を全部さらけ出して―――。
―――あー、いや。
よこしまな気持ちが膨れ上がって、はっとした。
脳裏に浮かんできたのはほとんど下心だった。
「うっわ」
なんだか自分にドン引きした。
相手は幼女だ。
これでは私がロリコンだった。
自分の行動がいきなりバカらしく思えてきた。気分が急転直下した。純粋な笑顔を向けてくるさとりに、申し訳なくなる。
俯いて、傍らの机に目をやれば、片方しかない手編み靴下。そして、会ったこともないサンタへの手紙がある。
『愛し合う家族が欲しい』
……我ながら、こっ恥ずかしい内容だった。こっちもこっちでドン引きである。
ああ、もう。
私は本当にダメな女だ。なんでこんなものを書いてしまったのだろう。
さすがに、ねえ。
捨てよう、と思って手を伸ばした、矢先。
いきなり窓が爆発四散した。
かと思えばすかさず青い服の女が飛び込んできて、叫んだ。
「メリーーークリスマース!!」
無意味な空中三回転半ジャンプ。
「しゅた!」
着地。
土足である。
あまりの惨劇に言葉が出なかった。
「こんばんゾンビー! 毒蝮サンタちゃんだよー!」
だじゃれだった。
サンタらしい。想像していたのと全然違った。
「ふふ。驚いてくれたようで嬉しいわ。大根が叫んでるみたいな顔しちゃって」
どんなだ。という内心の突っ込みはもちろん通じなかった。
最近さとりとばかり話していたせいか、突っ込みを心の中だけで済ませてしまっていけない。
「なになに、『家族が欲しい』……?」
うわ。
彼女は私の手紙を勝手に覗き見ていた。行動が早い。
読まれた。どこの馬の骨ともしれないサンタに、橋姫史上最も恥ずかしい手紙を読まれた。
顔から鬼火が出そう。
「へぇ、なるほど……惨めな女ね」
青サンタは特に表情もなく言った。
うるせえよ。
「ん、待てよ。これ、ちょうどいいかも……」
彼女はふと、何やら思案を巡らし始めた。そんなに考えこむ余地が、私の恥ずかしい手紙のどこにあるというのだろう。
「よし」
程なく、何かを決意したように唸った。
この状況は、「照れたら負けゲーム」の始まりに似ている。私とさとりの間でのみ流行っている、あの闇のゲームの。
まずい。さとりだったら、ここですかさず恥ずかしいことを言ってくるパターンだ。「私と結婚すればいいじゃないですか」とか。
と、ついつい身構えていたが。
刹那、腹部に衝撃。
遅れて打撃音。
そして、骨が折れるような音がした。
みぞおちに右フックを入れられている。
……なぜ?
拳が、みぞおちにねじ込まれていく。内蔵が圧迫される。胃液が逆流したのか、腹の奥から熱いものが溢れてくる。
予想の遙か斜め上を行かれた。まさか「死んだら負けゲーム」だったとは。
腹を守ろうとして思わず後退りすると、今度はすねにローキックをもらった。
なぜ??
その蹴りの速さに、部屋の中で一瞬、風が起こった気がする。しかしあまりの痛みに、もはや音すら聞こえなかった。
咄嗟にすねをかばうように足を引っ込めると、首根っこを掴まれた。
さらにそのまま宙へと持ち上げられる。
怪力だった。
やっべ。苦しい。
これ死んだ。
そして、もう音速を超えているんじゃないかという勢いで――――
――――首から床に叩きつけられた。
なぜ???
もう苦しいなんてものではない。血反吐を吐いた。もしかしたら内蔵も吐いたかもしれない。首そのものが潰れたかもしれない。なんか目玉も飛び出た気がする。
意識が遠のく。
青かったサンタの服が赤くなったのが、最後の認識だった。
ガッシボカ。私は気絶した。
奴が何をしたかったのかも、わからないまま。
来る二十四日。
目が覚めたら、さとりの部屋で巨大な靴下に押し込められていた。
出られない。
どうしてこうなった。
思い出す。なんだかとんでもない目に遭った気がするが、さすが妖怪の身体である。あらかたの怪我は既に治っているらしく、どこも痛くない。
とはいえ、靴下の中なので動けはしなかった。
仕方がないので辺りを見回してみる。サンタはいなかった。
傍らには手紙が置いてある。目を凝らしてみると『パルスィが欲しいです』と書いてあるのが見えた。
お前が黒幕か。
そのさとりの寝顔は、真正面のベッドの中にあった。
すごく、かわいかった。
こうして見るとただの幼女だ。黙っていれば本当、かわいい。
かわいい。
……子供は愛らしいという、至って普通の意味で。うん。
だがこれが目覚めた途端、目つきは一気に大人びるのだから困ってしまう。
知的な眼差し。落ち着いた仕草。慈しむような囁き声。そして、心の底から意地の悪い物言い。時折、ドキッとさせられる。そりゃ、妖怪としては子供なのだといっても、二百年くらいは生きているらしいから当然なのかもしれないが。
そんな彼女が、無性に愛おしかった。
……ひとりの少女として。
自分の気持ちがわからない。時には彼女を子供扱いしてあしらう私だが、そのくせまたある時には、まるで大人扱いしたように、心が燃え上がる。
彼女は、そのどちらにもなれてしまうような、とても微妙な位置に立っていた。
子供でもあり、大人でもある。
どちらとして扱うかで、私はずっと迷っていた。
片やただよく懐いてくれるだけの近所の子供だが、片や……。
矛盾が心の中を支配する。彼女がいつか大人になるまで、そっと見守っていたい。けれども彼女を今すぐ大人にしてしまいたい。
二律背反の理性と欲望が交差する。
私はどうすればいいだろう。
こんな幼い少女に、恋をしてしまった。
ぱちくり。気づくと、さとりが瞬きをしていた。
そして、いきなり感極まった声が部屋内に響く。
「まーなんてこと! ああサンタさん、ありがとう! ついにパルスィが私のペットに」
「ならんよ!?」
ベッドからネグリジェ姿のさとりが飛び出して、興奮した様子でしばらく部屋を飛び跳ねて回った。私の突っ込みは聞こえなかったらしい。
朝からテンション高ぇ。
と思ったらいきなり冷静になって、顔を洗いに行った。戻ってくると顔が真っ赤だった。一瞬誰かにぶたれたのかと思うほどだったが、照れているだけらしい。
「フヒヒ」
しかしすぐにまたテンションが上がってきて、変態の顔になる幼女。
この表情は好きになれそうにない。
「せっかくですし、大変なことをしちゃいますよ。どんな大変なことをしちゃおうかしら」
不気味に手をワキワキさせてくる。
面倒だった。
「な、なんちゃって。やだなー冗談ですよ」
萎えた心を読んだのか、彼女はそう言うと私を靴下から引っこ抜いた。案外あっさり自由にしてくれた。
「まったく……。冗談で誘拐の依頼なんてしないでよ」
「や、だってまさか、本当に連れてくるとは」
サンタ恐るべしです、と彼女は言う。
あれは本当に恐ろしかったので、私も頷いておいた。
「でも、よかった。会いたかったです」
「何よ改まって」
「えへへ」
意味深な微笑み。こんなに何気ない笑顔に、私はなぜか、はっとしてしまった。意識していなかったが、先ほどの思考を引きずっているらしい。焦る。あれを読まれるとすごく恥ずかしい。
「……」
だが、既に三つの目がじっと私を見つめていた。
彼女から、一瞬だけ笑顔が消えた。これは、照れたら負けゲームが始まるか―――と思ったが何も言われなかった。
「……えっとね、パルスィ」
彼女の笑顔は、そう言うとすぐ元通りになった。
「クリスマスは本来、家族と過ごす日なんだそうです。でも、恋人と過ごす日でもあるみたいで」
「何なのよ、藪から棒に」
「どっちでもいいんです。大切な人でさえあれば」
「?」
「だからその、パルスィ」
さとりは、私の手を取った。
心臓が止まった気がした。
ああ、そうだった。
こいつには私の苦悩も欲望も、何もかも筒抜けなのだ。複雑に絡まる私の気持ちさえ、簡単にわかる。
重ねられた手が、ほのかに温かい。
彼女は全てわかった上で、なお私の傍にいたいと願ってくれるのか。変わった奴だ。
だけど、とびきり優しい奴だ。
もしかして。
彼女はずっと、私のために、わざと微妙な位置で綱渡りをしていたのかもしれない。
半端な気持ちの私が答を出すのを、まだかまだかと待ちながら。
そうなの? 私は心で彼女に問う。
「う……お、おうおう、うぬぼれんじゃねーですよ。貴方のためじゃなく、自分のためです、こんなの。あまのじゃくな貴方をからかうのが、面白いだけですよ」
言うさとりの頬は赤かった。見るからに照れ隠しだった。かわいい。
床には、伸びてよれよれになった巨大靴下がぶっ倒れている。これを見たら、確かに私のためではなさそうだとも思う。私は殴られ蹴られてこれに押し込まれたのだ。いたわりも何もありゃしない。
そう、自分のために……。
楽観的すぎる解釈かもしれないが、彼女は自分のために私が必要なのだと、思ってくれているのかもしれない。
胸が高鳴る。
だが、それは。その気持ちは……。
「パーティ、やってもよかったんですけどね」
さとりは不意に切り出した。
「やっぱり色々難しくて。今年はやめといたほうがいいって、映姫も言うし」
「そっか」
理由が気になる。是非曲直の上司まで口を出してくるとはただごとではない。
聞いてもいいものなのか、迷う。
「理由は、まあその、色々あったんです」
色々って? と、思わず考えてしまった。
「あぅ。その」
「いや、いいのよ言わなくても。ごめん、つい」
「……」
さとりは俯いてしまった。
まずい。
彼女が元気をなくすと、ものすごく心に来る。
「す、すいません。言います。言います、けど……あまり人に話さないでくださいね」
「私が他人と仲よく喋るわけないじゃない」
「それもそうですね」
「否定してよ」
「色々理由はあるんですよ。某鬼さんと某鬼さんが酔った勢いで力比べしたら屋敷が半壊したりとか。それで是非曲直庁から修繕費を下ろしてもらうのに骨を折ったりとか。後は、『さとりのくせに調子コイてんじゃねえぞ』的な脅迫状が来たりしましたね」
「えっシャレになってない!」
鬼はともかく、脅迫した奴は後で呪い殺しておこう。
「いえ、それだけなら別にいいんです。そこまで怖いものでもないですから。けど一番の理由があって」
息を呑む。
「ちょっと恥ずかしいんですけど」
「えっ恥ずかしいの」
さとりの恥ずかしいのなんて、ものすごく興味があった。
「……その。パルスィ、泥酔するとキス魔になるのが」
「私が恥ずかしい話だった!?」
しかも全く記憶になかった。
「そしたらね、普段の貴方がコレなだけに、皆ギャップ萌えしちゃって面白がるんですよ。それで『いいぞもっとやれ』だの『私にもしろ』だの『どうせなら脱いでからやれ』だの……」
私は絶句した。
「そこからはもう乱交パーティですよ」
「!?」
予想以上に酷い理由だった。
「私は逃げましたけどね。でもパルスィは……あれからどうなったのか……」
わからないらしい。
ホラーだった。
「ということが一昨年あって、是非曲直で問題化したんです。それで去年は自粛しました」
「そっか……。それは私が悪い……ごめん……」
不甲斐なさと申し訳なさで心が沈んだ。
私って、もしかしたらすごく酒癖が悪いのかもしれない。
マジへこむ。
しばらく酒を控えたほうがいいだろうか。
「過ぎたことです。気にしないでください」
「まだ過ぎてないよ。今年もやれない感じなんでしょ?」
「あー、……いや、頑張ればできたんですけど。今年は、考えがありまして」
「考え?」
「えっと、順番に話しますね」
さとりはとても神妙な顔になって私を見つめた。
「まずですね」
ピンと張り詰めた空気に、私も息を呑む。
「一昨年のクリスマス、貴方がキスした相手は、私です」
「は?」
「『さとりは私のものよ! 誰にも渡さん!』って言いながら」
「何言ってんの私!?」
衝撃の事実のオンパレードだった。
さとりが照れた顔で上目遣いをしてくる。しかし、それをかわいいと思う心の余裕が既になくなっている私がいる。
「そして、去年のクリスマス。あのときはパーティこそ開きませんでしたが、深夜になってから、私がパルスィのおうちに行きましたよね」
「ああ。泥酔して、ね」
「はい。去年は家族だけで過ごそう、って思ってたんですけどね。皆早々に酔い潰れちゃったので、なんだか酔っぱらい心に、寂しくなっちゃったみたいなんです」
地霊殿の奴らは揃ってお酒に弱いらしい。さとりが酒に特別強いわけでもないのに。
泥酔した妖怪に絡まれるなんて、普段の私なら最悪の気分だっただろう。しかし、あの日はどういうわけか私も寂しがっていたので丁度よかったわけである。
どうしてだったっけ。
「そういうわけで初キッスから一年後、私とパルスィはついに一夜を共にしたわけです」
「妙な言い方しないでよ」
「だって、お泊りですよお泊り。それに―――」
確かに一人暮らしの狭い部屋なので、一緒のベッドで寝るしかなかった。だが断じて変なことはしていない。
はずだった。
「―――ごめんなさい、今だから白状します。その日、寝てる貴方にキスしました」
「ばっ!?」
なぜ。
なぜキスした。
そしてなぜ白状した。
「夜中、急に目が覚めて。そしたら目の前にパルスィが寝てて。それで、一昨年の仕返しをしようって思って」
おい。
ちょっと。
「先にキスしたのは貴方なんですから、おあいこですよ」
あ、はい。
いや……でもあの。
待って。
頭の整理が追いつかない。何が仕返しだ。なんてことしてるんだお前は。いや人のことは言えないのだが。
私たちは、今までいったい何度キスしたのだろう。これでは全然、微妙な関係なんかじゃない。ただのカップルだ。
「……」
深呼吸。
すると襲ってきたのは、喪失感だった。
私が、この橋姫が、そんなことをしていたなんて。
そりゃ、さとりはかわいいが。いたずら好きでウザいときもあるが、根はとてもいい子だ。しっかりしていて気立てもいい。行儀がよくて礼儀正しい。酔うとちょっと積極的になるという新発見もあった。
えっ。ちょっと。
よく考えてみたら、ものすごくいい子だった。
だけど……。
いや、だからこそ。
やっぱり、彼女はまだ子供だから。
そんなことをするには、早すぎる。
早すぎるのに、私はなんてことをしてしまったのだろう。
さとりが他者と交流するようになったのは、本当に最近のことだった。それまで彼女の世界はずっと、自分と、せいぜい妹だけで完結していた。ずっと二人きりで生きてきたのだと、言っていた。
そんな小さな世界からようやく抜け出したのが、パーティを開こうと思い立った日だったのだろう。まだ、ようやく赤の他人と触れ合い始めたばかりだ。
見た目だって、せいぜい十歳ぐらいにしか見えない。彼女はそんな子だ。
そんな子の恋心が、私に向けられているなんて。
いくら酔っ払っていたとはいえ、私が無理やりキスなどしてしまったせいだ。純粋な彼女の心を惑わせてしまったらしい。
未来ある子供の足を引っ張るのは、いくらなんでも下衆にすぎる。
「……意外。喜んでくれるかと思ったんですが」
さとりはそう言うと、少し切ない顔をした。
その表情に、私の胸が痛む。だがこんな状況を喜ぶほど、私は悪趣味じゃない。私は大人の女なのだ。彼女の幼い恋心を、純粋に受け止められるほどの清らかさは、もう持ち合わせていないのだ。
パーティで粗相を働いた私は、せっかく心を開いた彼女を、再び閉じ込めてしまったような気がする。独占欲からの、嫉妬心。それで彼女の未来を奪ったのではないか。そんな気がする。
きっと彼女は、去年も今年も、もっとたくさん色んな人と交流したかっただろうに。
大人が子供に恋をするというのは、そういうことだ。
だから、いけないことなのだ。
こんな我侭な気持ちは、伝えるべきではないのだ。
「へ、へえー。そんなふうに思っちゃうんですか。確かに私、知ってますよ。パルスィが私のこと、好きだってこと」
言って、彼女は無理に笑った。
「でも、私だってパルスィのこと、好きなんですよ」
とても強引で、とても今更な、告白だった。
「……なのに、私が子供だったら、ダメなんですか」
「それは……」
無理やりな笑顔は、すぐに崩れた。
「私じゃ、ダメなんですか……」
「……」
さとりは、狭い世界の外を見ようとしているのだ。しかし私は逆を見ている。彼女を縛りたい。自分だけ見ていてほしい。他の誰とも会わせたくない。そんなことばかり考えている。
私のよこしまな思いは、たちまちさとりへと伝わってしまっていた。ずっと以前にもう、単刀直入で、あまりにも正直すぎる、残酷極まりない宣告を……私はしてしまっていたのだ。
「ごめん」
謝るのが精一杯だった。
幼い少女の頬に涙が伝った。
「自分に嘘をつくなんて、随分ナメた真似してくれるじゃない、ババア。ひじきみたいな顔して」
地霊殿を出て旧都大通りをダラダラ歩いていると、青サンタがよくわからない暴言をまき散らしてきた。
「せっかく私が相思相愛の仲を取り持ってあげようとしてるのに、面倒なことばっかり考えて。そんなだからひじきになるのよ」
「……何なのよ、あんた」
私がついそう聞いてしまうと、サンタはいきなり目を輝かせて言った。
「私は! サンタの皮をかぶった毒蝮の皮をかぶった邪仙! 霍青娥!!」
「はぁ?」
邪仙がなぜサンタなどやっているのだ。
すると彼女は、私の心を読んだかのようにチッチッと指を振り、こう続けた。
「真に偉大な者とは、良い人なのか悪い人なのかわからないものなのよ。だから私は邪仙でありながら、たまにいいことをする! サンタの格好をして、少女たちにプレゼントを届けつつ、母親のヘソクリを盗み取る! 悩める少女の恋愛相談に乗りつつ、ババアの不倫はとことん煽る! かわいい女の子からは感謝され! 根っこの腐ったババアからは避けられる! 乙女にだけ優しい! それが邪仙、霍青娥なの!」
ロリコンだった。近寄らんとこ。
さっさと離れようと歩を進める。
「何よお、待って」
しかし青娥はふよふよと浮かびながら、全く同じ速さでついてくる。その姿だけ見ると、しかしまるで全く動いていないようにも見える。
気持ち悪い動きだった。
「なんてついてくるのよ。私は乙女じゃないでしょ」
「ええ、貴方はババアだけど。かわいい乙女からお願いされちゃってね。パルスィが欲しいです、って」
「……」
さとりか。
今さっき彼女の部屋で見かけた、とんでもない手紙を思い出す。そしてこの偽サンタが怖くなってきた。なにせ、おそらく手紙を見ただけのこいつに、私は有無を言わさず拉致されたのだ。
相手は無駄に強い。しかも何も考えているのかわからないのだから不気味だった。
自然と、歩く速度が上がる。すると彼女もそれに合わせて速くなった。徐々に足を早め、ほとんど逃げるように早歩きをするようになっても、完全に、正確に、ぴったり合わせて付いてくる。
こわ。
本気で恐ろしく思えてきた頃に……。
「身も心も彼女のものになるまで、逃がしませんことよ」
突然ドスを利かせた彼女の声が、耳元すぐ聞こえた。
私は思わず歩みを止めてしまった。
謎の威圧感だった。
死ぬほどぶたれたトラウマが蘇る。
霍青娥。どうやら、さとりの部屋に私を連れて行っただけではい終わり、後は知らない、なんて半端なことはしてくれないらしい。私が本当にさとりのものにならないと、こいつは延々付きまとってくるのだろうか。
やりかねない空気は醸し出していた。
「貴方、乙女の恋を甘く見すぎよ。歳を取りすぎて、若い頃の恋を忘れてしまったの? それとも、いい歳して恋をしたこともないのかしら。貴方のやっていることは醜い、実に醜いわ。さすがババアね」
言っていることはただの説教だったが。
「いい度胸じゃない、橋姫に恋を説くっての?」
「なーんだ、貴方橋姫なの? だったら知っているはずよ。乙女は強いのよ。コワイのよ。有り余るほどの情熱で、天使にも悪魔にもなれちゃう」
「……」
「恐ろしい鬼にだって……ね。そうでしょ?」
年端のいかない少女が恋に夢中になると、どこまでも一途になる。相手のためになら何だってできるようになる。どんな素晴らしいことも、どんな恐ろしいことも。それが、少女。
私が一番よく知っているはずのことだった。
「さとりが……私を怨むとでも、言いたいのかしら」
そう言葉にするのは、少し怖かった。
「うーん。それはちょっと違うかな。けど」
「けど?」
「貴方にがっかりは、しているでしょうね。……死ぬほどね。貴方全然、橋姫らしくないもの。他人がどうとか、幸せがどうとか、くだらない言い訳ばっかり」
「……」
落胆。失望。
胸を刺すような言葉だった。
「欲しいものは、どんな手を使ってでも手に入れなさいよ。それが妖怪でしょう。好きなのに身を引くなんて、人間じゃあるまいし。不幸が何だっていうの。いいじゃない、散々イチャイチャしてから不幸にしてやって、何が悪いの?」
「……いや、それは悪いでしょ」
「ああ、そう? ああそう! そこまであの子を泣かせたいなら、仕方ないわね! じゃあ、その通り報告しなくちゃ……『さとりちゃん、パルスィはなんか色々理由をつけて、貴方と付き合いたくないって言うの。だからごめんなさい、お願い叶えられなくなっちゃった。お詫びと言ってはなんだけど、仕方がないから、代わりに私の熱いキッスをプレゼ――――』」
考えるより先に拳が出ていた。
ひたすら己の苛立ちに任せた、今まで出した中で最も速いグーパンだった。
……が、青娥は片手で受け止めた。それも、笑顔ひとつ崩さないまま。やはり、強い。
「――――あれえー? 怒ってるのおー? どうしてかなあー?」
棒読みの口調が、私の苛立ちを加速させる。
「あの子が私にキスされるのが、嫌なのね? ふーん……」
言うと青娥は私の手を振り払い、後方へふんわりと飛んだ。
「なら、阻止してごらんなさい」
そして、凄まじい速さで地霊殿の方へと向かう。
突風に近いものが頬をかすめていった。
追いかけっこをしろというのか。
やっぱり訳のわからない奴だ。だが、このまま放っておくと、何をしでかすかわかったものではない。
さとりにキスだとかなんとか、言っていた。
それだけは許せなかった。
だから、追いかけた。
宙を飛ぶのは苦手だった。おまけに地底の空は、天井からつららのような岩々が垂れていて、障害物だらけときている。走って追いかけるしかない。
しかし、大通りは通行人でごった返し。ジグザグに避け、私は走る。何も考えちゃいなかった。ひたすら嫉妬心に支配されて走った。
上を飛ぶ青娥は、既に遠くなっている。ふわふわ飛んでいるように見えて、とても速い。障害物も華麗に避けていく。
無茶苦茶な女。霍青娥。なぜか現れ、なぜかさとりに協力し、なぜか私を挑発する。結局何がしたいのかよくわからないが、喧嘩を売られていることだけはわかる。
あんな奴に、さとりを取られたくない。あんな奴より私のほうが、さとりを愛している。
さとり、さとり、さとり――――。
心の中で彼女の名前を連呼し、走った。無我夢中で走った。邪仙の背中を、闇雲に追いかけた。
地霊殿の門を飛び越える。その空中で、青娥の後ろ姿を睨んだ。なんとか見失わず、ここまでついて来られた。青娥は、きっと玄関に入るため一度地上に降りてくる。少しのロスができるはずなので、そこを狙えば一気に追い越せる。
よし。相手は無闇やたらに強いが、これ以上好き勝手にさせてもいられない。
着地。
と同時に再び助走。ラストスパートをかけた。
しかし。青娥は降りてこなかった。
それどころではない。不思議な道具で壁をすり抜けて、直接さとりの部屋へ入ってしまったのだ。
「は……?」
唖然としすぎて、卑怯だと叫ぶことすらままならない。
思わず足を止めてしまう。気づけば既に、肩で息をしていた。
どこまでも無茶苦茶な奴だ、あいつは! 何なんだ。どうしてこんなに私を振り回す。
壁抜けなんてできるなら、あっという間ではないか。これでは勝負も何もあったものではない、する必要すらないではないか。
奴は、さとりに会って何をするつもりなのだろう。
したくもない想像が掻き立てられる。心がいたずらに乱されて、どうにかなりそうだった。
もしや、それが目的なのか。
力の差を見せつけ打ちのめすことで、私にさとりを諦めさせるつもりなのか。
まさか本当に、奴もさとりを愛しているというのか。
だとしたら……。
なめやがって。
邪仙だか何だか知らないが、ここまでおちょくられて黙っているほど、私はできた女じゃない。
あいつに、あんな奴に比べれば。
私のほうがまだマシなロリコンだ。
玄関扉を勢いよく開けた。重い扉が壁まで叩きつけられた音は、地霊殿じゅうに響いただろう。奥に見えた二、三匹の猫が、驚いて逃げた。私は気にもせずロビーを駆け抜け、階段を二段飛ばしで登り、さっきまでいたさとりの部屋へ舞い戻る。
二人はそこにいた。
大人になるというのは、不幸なことだと思う。他人というものがいかに悪かを知って、自分がどれだけちっぽけな存在かを知って、そんなもんだと笑い飛ばして。そうして全てを諦めてしまう。
子供の頃に夢見た理想を諦めて、私は無理やり生きている。
綺麗な花嫁になるのが夢だった。その夢は一時叶ったけれど、すぐに幻となった。本当は花嫁のまま死んだほうがよかったのかもしれないけれど、強引に生き延びる道を選んだ。
鬼になってでも。
あの人を殺してでも。
どれだけ惨めになっても死にたくないと、必死になったその時が、純粋な少女から、醜い大人へと変わった瞬間だったのかもしれない。
さとりの細い身体は、後ろから青娥に抱き締められていた。特に抵抗する様子はなかった。
「ね? ちゃんと戻ってきたでしょ?」
青娥はさとりに言った。
「そうですね」
「かわいいさとりちゃん。貴方の欲しいものは、必ず私がプレゼントしてあげる」
その言葉に、さとりは無表情で頷く。まるで、私が戻ってくることを予見していたかのように落ち着き払っている。
青娥はわざわざ私を待っていたのか。またそうして挑発するのか。
悔しかった。妬ましかった。
さとりを離せ、さもないと殺す、絶対殺す。心が怨嗟に蝕まれていく。
心を読むさとりの目の前だというのに。
よせ、私よ。こんなに醜い感情を、醜い姿を、さとりに見せるのはよせ。自分にそう言い聞かせる。
こんなでは、いけない……怯えた顔のさとりが、目の前にいる。
「ふぅん。……少しはいい顔になってきたけど、まだまだね」
青娥は不敵に笑った。
「足りないわ」
何が。
何が足りないというのだ。
「さとりちゃん」
そして彼女は、さとりのあごを艶かしく撫でた。敏感なさとりは、その感覚で静かに目を細める。
やめろ。
やめて。
さとりをそんなふうにするのは。
「キス、したことある?」
瞬間、さとりの表情が羞恥に歪む。
「してあげましょうか」
ダメだ。
嫉妬が爆発する。
「やめろ!!」
叫んだ。
今まで出したことのないような大声で、叫んだ。
「いい加減にしろ! さとりを離せ、さとりに触れるな、辱めるなッ! 今すぐ消えろ、さもないと殺す! さとりは、さとりは私のッ――――」
そして、あっという間に声が枯れた。
息さえしていなかったことに気づいた。肺が酸素を欲して、無理やりに膨らんだ。その反動で気管支が誤作動を起こす。
痛いほどの咳が出た。
我ながら、情けない。
「ははは! 殺す? 私を? ちょっと走っただけで息を切らすような貴方が?」
「――――、そうよ」
怒りに震えた身体が言うことを聞かない。未だに、肩で息をしている。
だけど勝機はある。これだけの怒り、憎しみ、妬み……。人ひとり呪い殺すには充分すぎる量が、私の中に満ちている。
本気だ。私は、さとりのために本気になっている。
何年ぶりの感覚か、もう憶えていない。
青娥を睨みつける。相手の力量は未だ計り知れないが、やるしかない。
天に手をかざす。そして、青娥を指差す。銃口を向けるように、狙いを定める。
視界に緑色のフィルターが掛かった。呪われた力が、瞳に集まる。この両目の緑色が、そのまま呪いとなる。呪いは重力となり、奴の身体を地に沈める。
見えない怪物に襲われたかのごとく。
青娥は、避けようとさえしなかった。
決まった。そう思った。
しかし倒した手応えが全くない。
仰向けに倒れた彼女の、不気味な笑い声が響いた。
「ふふ。まあまあやるじゃない。とりあえず及第点かなあ」
彼女はゆらりと起き上がる。まだまだ余裕といった様子だった。
「せいぜい、二人一緒に不幸になりなさいな」
そう呪詛を唱えると、ふと窓の向こうへ消えてしまった。
嵐のように現れ、去っていった邪仙。
何だったのだ、一体。
私たちは、二人きりで残されてしまった。
その日はそれからも大変だった。青娥に振り回された後の疲れた状態で、さとりの家族と一緒になって、ささやかにクリスマスを祝った。
「去年のクリスマスが終わってからずっと、こうしようって決めてたんです」
さとりはそう語っていた。
私は、まるで家族の一員みたいに、そこにいた。
懐かしくて、嬉しくて、幸せな気分だった。
こいしちゃんに引っ張られ、お燐ちゃんにからかわれ、空ちゃんに撃ち抜かれて過ごした。そしてみんなが寝静まった後、私とさとりは二人きりで酒を楽しみ、思いを語り合った。
数年前から。
心が読めるさとりは、心底寂しがっている私を放っておかなかった。
他人を突き放し、自ら距離を取り、妬むだけの存在として振舞っていた私の、わずかな心の隙を見つけてしまったのが彼女だった。
最初は単なる興味だったらしい。矛盾だらけの寂しがり妖怪。本当の気持ちを知っているのは、さとりだけ。さぞ面白かっただろう。
そうして毎日からかっていたら、いつの間にか普通に仲よくなっていたからおかしかった。私にとっても彼女にとっても驚きだった。気づけば、まるでずっと昔から友達だったみたいに笑い合っていた。
だが私は内心、恐れていた。彼女とこれ以上仲よくなったら、その優しさに本気で甘えてしまいそうだった。
重い女だと思われたくない。私が本気で愛したら、却って彼女を傷つけてしまう。相手の優しい心にしがみついて、依存して、縛る。私の愛し方は、そうだったから。ずっと昔からそうだったから。
さとりを壊してしまうのが……そして。
さとりに嫌われてしまうのが、怖かった。
大まじめに、そんなことを話し合った。
するとさとりは、
「ええ、知ってます」
と言って、くすくす悪戯に笑った。
そうだ。
彼女は心が読めるのだから、知らないはずがないのだった。
だけど知っていたなら、どうして何も言わなかったのだろう。
「それは」
さとりはさかずきを持ったまま、それを見つめた。
「貴方の心が決まるまで、待とうと思ってたんです。……本当は、ね」
でも、焦ってしまったんです、と言う。
気軽な気持ちでサンタに願ったら、本当に私を連れてこられてしまった。当然、訳を話さざるを得なくなる。秘めていた思いごと。
だから決意して、自分から話したのだという。
私は。
その時、逃げた。
彼女の思いを受け止められる自信がなかった。
「逃げられましたねー。正直、かなり焦りました。でも、ちゃんと戻ってきてくれたから」
「うん」
「よかったです。そういうところ……好きですよ」
照れたように微笑んだ彼女を見ると、守りたい気持ちになる。
この心に嘘はなかった。だけど、実力不足が怖くて仕方なかった。
私は、ダメな女だから。
だけど、今は違う。
「パルスィ。私ね、パルスィと一緒なら、不幸になってもいいって思ってるんです」
「え……」
言って、さとりは盃に口をつけた。
「私ね。今の立場になるまでは、こいしと二人きりでした。境遇は、不幸そのものでしたよ。他人には嫌われ、虐げられ、時に裏切られることもありました。辛かったですけどね、不思議と乗り越えられたんです」
そのとき一瞬だけ、彼女の笑顔がかげった気がした。
「どうしてだと思いますか?」
問いかける時にはもう、彼女は笑っていた。いつもと違う、大人びた微笑みだった。
「愛する家族がいたからです。私ひとりだったら、きっと挫けてた。こういうとき、家族っていいものですよ」
「さとり……」
見上げる丸い瞳が綺麗だった。
先ほど遊んだばかりの、こいしちゃんたちのことを思い出す。めっぽう元気で、無邪気で、愛らしい。彼女たちが、さとりの愛する家族。
「私、貴方となら、いいって思います」
さとり。かわいいさとり。
愛しい彼女の思いが、私の心に直接伝わってくる。
「私の家族になりませんか」
その言葉に、私は悲鳴のひとつも上げそうになった。そして自分の至らなさに恥ずかしくなった。
ああ、もう。
嬉しい。
私は、さとりがそういう子だということを、いつしか忘れていたのかもしれない。
いじわるだけどその実、信じられないほど優しい子。か細い手でも、愛する者のためならなんだってする、とても強い子。
そんな彼女だからこそ、私は惹かれて――――。
「ペットになってください!」
私はずっこけた。
翌、十二月二十五日の朝、地上は豪雪だったらしい。そのおかげか、地底は静かだった。
「メッルルィィィィーーーークリスマァァァーーース!!」
地面の下から青娥が飛び出してきた。
「クリスマスだっていうのに、こんなところで一人ぼっちなんて寂しいわねー!」
「クリスマスだっていうのに一人で穴掘ってる女に言われたくないわよ」
静かだったのになー。
こんな奴がチョロチョロしているから、クリスマスでも橋守はしなくてはいけない。
「ひととおりプレゼントを配り終えたら、暇になっちゃったのよー」
「本当に訳わかんないクリスマスの過ごし方してるわね、あんた」
こいつの滅茶苦茶な言動は、結局、本当にさとりへのクリスマスプレゼントのためだったらしい。プレゼントは、私だった。とんでもない話だが。
ちなみにさとり以外にも、お寺の女の子に音楽機材をあげたり、魔法使いの女の子に超難しい魔導書をあげたり、人里の女の子に奴隷妖精をあげたりしてきたらしい。変わり者にもほどがある。
けれど……。
こいつのおかげで、幸せな日を過ごせたのは間違いなかった。こいつが現れなかったら、私は自分の気持ちとしっかり向き合うことはなかった。きっと、これでよかったのだ。
ロリコンの変態が恩人だなんてかなり嫌だけど、仕方ない。
「ありがとね」
私は素直にそう言った。青娥は、
「気にしないで、趣味でやってるようなものだから。お代は、貴方の家と土地だけでいいからね」
と返した。
「……は?」
今、とても不穏な話が聞こえた気が。
「といっても、欲しいのは土地だけなんだけど。あんなボロ家あっても邪魔だし、取り壊すわね」
「ちょっと、おい待て」
「そして!! あそこに!! 私のゾンビハウスを建てるのよー! いえーい!」
青娥はなぜか急激にテンションを上げると、くるくる回りながら壁の中に消えていった。
「おいー!?」
クリスマスの洞窟に、私の絶叫が虚しくこだました。
と思ったら、正面の壁から青娥の生首が浮き出てきた。
「はいこれ、一昨日編んでたセーター」
右手も生えてきた。わざわざセーターを確保してきてくれたらしい。
「あ、どうも」
「じゃ」
そして引っ込んだ。
「って、いや待て!」
慌てて捕まえようとするが、またもあっさり逃げられてしまった。
「おいー!」
洞窟に、私の絶叫が虚しくこだました。二度目。
さて。
登記簿の管理は、役所代わりであるところの地霊殿がしている。
すごーく嫌な予感がしたので、全速力でさとりの元へ走ってみると案の定だった。私の不動産登記が、さも当たり前のように改ざんされている。
不祥事だった。
「ちょっとさとり。何よこれ。どうしてこんなことになってんのよ」
「てへ」
てへじゃねえよ。
あんたも一枚噛んでいたのか。
「おおさとりよ、邪仙の横暴を許すとは情けない」
「だって」
「あいつに脅されたの?」
「ううん」
さとりは首を横に振った。
かわいいから許したくなってくる。
「だったらどうして?」
尋ねると、彼女は満足げに微笑んで言った。
「パルスィがうちに住めばいいだけですから」
「……」
なるほど……っておい。
謀ったな。
そう言って、いつものようにぱたぱた駆け寄ってきた古明地さとり。今日は淡いピンク色のマフラーを巻いていた。私が去年編んだものだ。
「クリスマスイブの夜にね、枕元に欲しい物を書いて、靴下を掛けておくんです。そしたらね、」
「ふむ?」
「朝までにサンタさんが来て、プレゼントしてくれるらしいんです!」
「な、なんだってー」
なんだかよくわからないが驚く振りをしてみる。するとジト目で睨まれた。
どうやら、一緒に驚いてほしかったらしい。
無茶だ。
仕方ないから真面目に話を聞いてみるに、クリスマスの夜にはサンタという親切な妖怪が現れるらしい。そいつはかわいい幼女の部屋にこっそり忍びこみ、特に理由もなく枕元にプレゼントを置いて回るそうだ。
ロリコンだ。
絶対変なことしてそう。
「……ふしだらですね、貴方の発想」
うっさいな。
他人の脳内にいちいちケチをつける奴だって、ふしだらだ。
だって、ありえない話ではないだろう。幼女のかわいい寝顔を見ながら、プレゼントだけ置いてすんなり帰るような奴がこの世にいるはずなかろう。うん絶対いない。
妬ましい。私だって、許されるならかわいいさとりの部屋に忍びこみたい。
「……」
ジト目が睨みつけてくる。
「何よ」
「……いえ、別に」
今度は露骨に目を逸らされた。
「まあいいです。貴方がふしだらなのは今に始まったことじゃないですし。そんなことよりサンタです。何でもくれる心優しい人なんですよ。すごいですよね」
「へー」
「反応薄すぎです……」
あまり興味は湧かなかった。
「欲しい物とか、ないんですか。貴方は」
「うーん」
愛かな。と心の中で答えたら笑われた。
なんだよ。いいじゃないか、別に。
「……あんたはどうなのよ」
「私は……ふふ。ひみつです。でもヒントを言うなら、ふつうの靴下には入らない物です。でっかいのを作らないといけないんですよ」
ほう。
サンタより、そちらのほうがまだいくらか興味がある。なんなら、私がプレゼントしたっていいのに。金はないが。
どこの馬の骨ともしれないロリコンのために、一晩かけて靴下を編むさとり。超妬ましかった。一生懸命なちみっこい姿。きっと滅茶苦茶かわいいのだろう。妬ましい。
「靴下作って、パーティも開いて、大変ね」
なんとはなしにそう言った。
一昨々年、一昨年と、彼女は地霊殿でクリスマスパーティを開いていた。しかし、去年はなぜか家族だけで過ごすと言って、やらなかった。
以来その話は特にしなかったのだが、私はてっきり、今年から再開するものだと思い込んでいた。
「いえ、今年も……パーティはしません。家族と過ごします」
しかし、とっくにそう決まっていたらしい。
正直、残念だった。
「……そうなの」
理由は聞けなかった。
家族という言葉が、やけに胸に刺さる。
妬ましい以前に、なんとなく寂しくなった。長いこと独りで暮らしていると、時折、こういうことがある。
もしサンタが本当に何でもくれるというのなら、私を愛してくれる家族が欲しいのに。……などと半ば本気で思ってしまったのが、なおさら悲しかった。
二十三日の夜、私は靴下を編むついでに、さとりにセーターでも編んでやるかと夜なべしていた。これが今年のクリスマスプレゼントになることだろう。先ほどさとりがしていた手編みマフラーは、去年のクリスマスに渡したものだった。
「じょーおねつのっ、赤いばーらーっ」
鼻歌まで歌って、ごきげんだった。
「そしてジェラシィ~~~」
もちろんさとりのスリーサイズなど知らない。が、とりあえず小さく作っておけば大丈夫だろう。ついでに、胸のところを露骨に細くする嫌がらせも完備しておけば、完璧。
とかなんとかいじわるを考えてはいるものの、なんだかんだで彼女には世話になっているので、本気で嫌がられるようなことはしない。プレゼントにはお返しの意味を込めているつもりだ。
仕返しの意味もついでに込めているだけだ。
「できたっ」
そうして完成したのは、完璧な女児用衣料品だった。
嫌がらせで小さく作っているわけではなく、ちゃんと彼女に着やすい大きさに作ったら、こんな嫌味なサイズになってしまっただけのことである。胸囲は嫌がらせだが。
別に、さとりのことが嫌いというわけではない。むしろ気兼ねのないところが好きでさえある。
橋姫のくせにこんなことをしているのも、好きゆえだ。……などと言うと媚びているようで少し恥ずかしいが、それでも会うたびに膨らんでいく気持ちは隠せない。
彼女に気持ちを隠すことなど、どうせできないのだ。
それならいっそ、好意を全部さらけ出して―――。
―――あー、いや。
よこしまな気持ちが膨れ上がって、はっとした。
脳裏に浮かんできたのはほとんど下心だった。
「うっわ」
なんだか自分にドン引きした。
相手は幼女だ。
これでは私がロリコンだった。
自分の行動がいきなりバカらしく思えてきた。気分が急転直下した。純粋な笑顔を向けてくるさとりに、申し訳なくなる。
俯いて、傍らの机に目をやれば、片方しかない手編み靴下。そして、会ったこともないサンタへの手紙がある。
『愛し合う家族が欲しい』
……我ながら、こっ恥ずかしい内容だった。こっちもこっちでドン引きである。
ああ、もう。
私は本当にダメな女だ。なんでこんなものを書いてしまったのだろう。
さすがに、ねえ。
捨てよう、と思って手を伸ばした、矢先。
いきなり窓が爆発四散した。
かと思えばすかさず青い服の女が飛び込んできて、叫んだ。
「メリーーークリスマース!!」
無意味な空中三回転半ジャンプ。
「しゅた!」
着地。
土足である。
あまりの惨劇に言葉が出なかった。
「こんばんゾンビー! 毒蝮サンタちゃんだよー!」
だじゃれだった。
サンタらしい。想像していたのと全然違った。
「ふふ。驚いてくれたようで嬉しいわ。大根が叫んでるみたいな顔しちゃって」
どんなだ。という内心の突っ込みはもちろん通じなかった。
最近さとりとばかり話していたせいか、突っ込みを心の中だけで済ませてしまっていけない。
「なになに、『家族が欲しい』……?」
うわ。
彼女は私の手紙を勝手に覗き見ていた。行動が早い。
読まれた。どこの馬の骨ともしれないサンタに、橋姫史上最も恥ずかしい手紙を読まれた。
顔から鬼火が出そう。
「へぇ、なるほど……惨めな女ね」
青サンタは特に表情もなく言った。
うるせえよ。
「ん、待てよ。これ、ちょうどいいかも……」
彼女はふと、何やら思案を巡らし始めた。そんなに考えこむ余地が、私の恥ずかしい手紙のどこにあるというのだろう。
「よし」
程なく、何かを決意したように唸った。
この状況は、「照れたら負けゲーム」の始まりに似ている。私とさとりの間でのみ流行っている、あの闇のゲームの。
まずい。さとりだったら、ここですかさず恥ずかしいことを言ってくるパターンだ。「私と結婚すればいいじゃないですか」とか。
と、ついつい身構えていたが。
刹那、腹部に衝撃。
遅れて打撃音。
そして、骨が折れるような音がした。
みぞおちに右フックを入れられている。
……なぜ?
拳が、みぞおちにねじ込まれていく。内蔵が圧迫される。胃液が逆流したのか、腹の奥から熱いものが溢れてくる。
予想の遙か斜め上を行かれた。まさか「死んだら負けゲーム」だったとは。
腹を守ろうとして思わず後退りすると、今度はすねにローキックをもらった。
なぜ??
その蹴りの速さに、部屋の中で一瞬、風が起こった気がする。しかしあまりの痛みに、もはや音すら聞こえなかった。
咄嗟にすねをかばうように足を引っ込めると、首根っこを掴まれた。
さらにそのまま宙へと持ち上げられる。
怪力だった。
やっべ。苦しい。
これ死んだ。
そして、もう音速を超えているんじゃないかという勢いで――――
――――首から床に叩きつけられた。
なぜ???
もう苦しいなんてものではない。血反吐を吐いた。もしかしたら内蔵も吐いたかもしれない。首そのものが潰れたかもしれない。なんか目玉も飛び出た気がする。
意識が遠のく。
青かったサンタの服が赤くなったのが、最後の認識だった。
ガッシボカ。私は気絶した。
奴が何をしたかったのかも、わからないまま。
来る二十四日。
目が覚めたら、さとりの部屋で巨大な靴下に押し込められていた。
出られない。
どうしてこうなった。
思い出す。なんだかとんでもない目に遭った気がするが、さすが妖怪の身体である。あらかたの怪我は既に治っているらしく、どこも痛くない。
とはいえ、靴下の中なので動けはしなかった。
仕方がないので辺りを見回してみる。サンタはいなかった。
傍らには手紙が置いてある。目を凝らしてみると『パルスィが欲しいです』と書いてあるのが見えた。
お前が黒幕か。
そのさとりの寝顔は、真正面のベッドの中にあった。
すごく、かわいかった。
こうして見るとただの幼女だ。黙っていれば本当、かわいい。
かわいい。
……子供は愛らしいという、至って普通の意味で。うん。
だがこれが目覚めた途端、目つきは一気に大人びるのだから困ってしまう。
知的な眼差し。落ち着いた仕草。慈しむような囁き声。そして、心の底から意地の悪い物言い。時折、ドキッとさせられる。そりゃ、妖怪としては子供なのだといっても、二百年くらいは生きているらしいから当然なのかもしれないが。
そんな彼女が、無性に愛おしかった。
……ひとりの少女として。
自分の気持ちがわからない。時には彼女を子供扱いしてあしらう私だが、そのくせまたある時には、まるで大人扱いしたように、心が燃え上がる。
彼女は、そのどちらにもなれてしまうような、とても微妙な位置に立っていた。
子供でもあり、大人でもある。
どちらとして扱うかで、私はずっと迷っていた。
片やただよく懐いてくれるだけの近所の子供だが、片や……。
矛盾が心の中を支配する。彼女がいつか大人になるまで、そっと見守っていたい。けれども彼女を今すぐ大人にしてしまいたい。
二律背反の理性と欲望が交差する。
私はどうすればいいだろう。
こんな幼い少女に、恋をしてしまった。
ぱちくり。気づくと、さとりが瞬きをしていた。
そして、いきなり感極まった声が部屋内に響く。
「まーなんてこと! ああサンタさん、ありがとう! ついにパルスィが私のペットに」
「ならんよ!?」
ベッドからネグリジェ姿のさとりが飛び出して、興奮した様子でしばらく部屋を飛び跳ねて回った。私の突っ込みは聞こえなかったらしい。
朝からテンション高ぇ。
と思ったらいきなり冷静になって、顔を洗いに行った。戻ってくると顔が真っ赤だった。一瞬誰かにぶたれたのかと思うほどだったが、照れているだけらしい。
「フヒヒ」
しかしすぐにまたテンションが上がってきて、変態の顔になる幼女。
この表情は好きになれそうにない。
「せっかくですし、大変なことをしちゃいますよ。どんな大変なことをしちゃおうかしら」
不気味に手をワキワキさせてくる。
面倒だった。
「な、なんちゃって。やだなー冗談ですよ」
萎えた心を読んだのか、彼女はそう言うと私を靴下から引っこ抜いた。案外あっさり自由にしてくれた。
「まったく……。冗談で誘拐の依頼なんてしないでよ」
「や、だってまさか、本当に連れてくるとは」
サンタ恐るべしです、と彼女は言う。
あれは本当に恐ろしかったので、私も頷いておいた。
「でも、よかった。会いたかったです」
「何よ改まって」
「えへへ」
意味深な微笑み。こんなに何気ない笑顔に、私はなぜか、はっとしてしまった。意識していなかったが、先ほどの思考を引きずっているらしい。焦る。あれを読まれるとすごく恥ずかしい。
「……」
だが、既に三つの目がじっと私を見つめていた。
彼女から、一瞬だけ笑顔が消えた。これは、照れたら負けゲームが始まるか―――と思ったが何も言われなかった。
「……えっとね、パルスィ」
彼女の笑顔は、そう言うとすぐ元通りになった。
「クリスマスは本来、家族と過ごす日なんだそうです。でも、恋人と過ごす日でもあるみたいで」
「何なのよ、藪から棒に」
「どっちでもいいんです。大切な人でさえあれば」
「?」
「だからその、パルスィ」
さとりは、私の手を取った。
心臓が止まった気がした。
ああ、そうだった。
こいつには私の苦悩も欲望も、何もかも筒抜けなのだ。複雑に絡まる私の気持ちさえ、簡単にわかる。
重ねられた手が、ほのかに温かい。
彼女は全てわかった上で、なお私の傍にいたいと願ってくれるのか。変わった奴だ。
だけど、とびきり優しい奴だ。
もしかして。
彼女はずっと、私のために、わざと微妙な位置で綱渡りをしていたのかもしれない。
半端な気持ちの私が答を出すのを、まだかまだかと待ちながら。
そうなの? 私は心で彼女に問う。
「う……お、おうおう、うぬぼれんじゃねーですよ。貴方のためじゃなく、自分のためです、こんなの。あまのじゃくな貴方をからかうのが、面白いだけですよ」
言うさとりの頬は赤かった。見るからに照れ隠しだった。かわいい。
床には、伸びてよれよれになった巨大靴下がぶっ倒れている。これを見たら、確かに私のためではなさそうだとも思う。私は殴られ蹴られてこれに押し込まれたのだ。いたわりも何もありゃしない。
そう、自分のために……。
楽観的すぎる解釈かもしれないが、彼女は自分のために私が必要なのだと、思ってくれているのかもしれない。
胸が高鳴る。
だが、それは。その気持ちは……。
「パーティ、やってもよかったんですけどね」
さとりは不意に切り出した。
「やっぱり色々難しくて。今年はやめといたほうがいいって、映姫も言うし」
「そっか」
理由が気になる。是非曲直の上司まで口を出してくるとはただごとではない。
聞いてもいいものなのか、迷う。
「理由は、まあその、色々あったんです」
色々って? と、思わず考えてしまった。
「あぅ。その」
「いや、いいのよ言わなくても。ごめん、つい」
「……」
さとりは俯いてしまった。
まずい。
彼女が元気をなくすと、ものすごく心に来る。
「す、すいません。言います。言います、けど……あまり人に話さないでくださいね」
「私が他人と仲よく喋るわけないじゃない」
「それもそうですね」
「否定してよ」
「色々理由はあるんですよ。某鬼さんと某鬼さんが酔った勢いで力比べしたら屋敷が半壊したりとか。それで是非曲直庁から修繕費を下ろしてもらうのに骨を折ったりとか。後は、『さとりのくせに調子コイてんじゃねえぞ』的な脅迫状が来たりしましたね」
「えっシャレになってない!」
鬼はともかく、脅迫した奴は後で呪い殺しておこう。
「いえ、それだけなら別にいいんです。そこまで怖いものでもないですから。けど一番の理由があって」
息を呑む。
「ちょっと恥ずかしいんですけど」
「えっ恥ずかしいの」
さとりの恥ずかしいのなんて、ものすごく興味があった。
「……その。パルスィ、泥酔するとキス魔になるのが」
「私が恥ずかしい話だった!?」
しかも全く記憶になかった。
「そしたらね、普段の貴方がコレなだけに、皆ギャップ萌えしちゃって面白がるんですよ。それで『いいぞもっとやれ』だの『私にもしろ』だの『どうせなら脱いでからやれ』だの……」
私は絶句した。
「そこからはもう乱交パーティですよ」
「!?」
予想以上に酷い理由だった。
「私は逃げましたけどね。でもパルスィは……あれからどうなったのか……」
わからないらしい。
ホラーだった。
「ということが一昨年あって、是非曲直で問題化したんです。それで去年は自粛しました」
「そっか……。それは私が悪い……ごめん……」
不甲斐なさと申し訳なさで心が沈んだ。
私って、もしかしたらすごく酒癖が悪いのかもしれない。
マジへこむ。
しばらく酒を控えたほうがいいだろうか。
「過ぎたことです。気にしないでください」
「まだ過ぎてないよ。今年もやれない感じなんでしょ?」
「あー、……いや、頑張ればできたんですけど。今年は、考えがありまして」
「考え?」
「えっと、順番に話しますね」
さとりはとても神妙な顔になって私を見つめた。
「まずですね」
ピンと張り詰めた空気に、私も息を呑む。
「一昨年のクリスマス、貴方がキスした相手は、私です」
「は?」
「『さとりは私のものよ! 誰にも渡さん!』って言いながら」
「何言ってんの私!?」
衝撃の事実のオンパレードだった。
さとりが照れた顔で上目遣いをしてくる。しかし、それをかわいいと思う心の余裕が既になくなっている私がいる。
「そして、去年のクリスマス。あのときはパーティこそ開きませんでしたが、深夜になってから、私がパルスィのおうちに行きましたよね」
「ああ。泥酔して、ね」
「はい。去年は家族だけで過ごそう、って思ってたんですけどね。皆早々に酔い潰れちゃったので、なんだか酔っぱらい心に、寂しくなっちゃったみたいなんです」
地霊殿の奴らは揃ってお酒に弱いらしい。さとりが酒に特別強いわけでもないのに。
泥酔した妖怪に絡まれるなんて、普段の私なら最悪の気分だっただろう。しかし、あの日はどういうわけか私も寂しがっていたので丁度よかったわけである。
どうしてだったっけ。
「そういうわけで初キッスから一年後、私とパルスィはついに一夜を共にしたわけです」
「妙な言い方しないでよ」
「だって、お泊りですよお泊り。それに―――」
確かに一人暮らしの狭い部屋なので、一緒のベッドで寝るしかなかった。だが断じて変なことはしていない。
はずだった。
「―――ごめんなさい、今だから白状します。その日、寝てる貴方にキスしました」
「ばっ!?」
なぜ。
なぜキスした。
そしてなぜ白状した。
「夜中、急に目が覚めて。そしたら目の前にパルスィが寝てて。それで、一昨年の仕返しをしようって思って」
おい。
ちょっと。
「先にキスしたのは貴方なんですから、おあいこですよ」
あ、はい。
いや……でもあの。
待って。
頭の整理が追いつかない。何が仕返しだ。なんてことしてるんだお前は。いや人のことは言えないのだが。
私たちは、今までいったい何度キスしたのだろう。これでは全然、微妙な関係なんかじゃない。ただのカップルだ。
「……」
深呼吸。
すると襲ってきたのは、喪失感だった。
私が、この橋姫が、そんなことをしていたなんて。
そりゃ、さとりはかわいいが。いたずら好きでウザいときもあるが、根はとてもいい子だ。しっかりしていて気立てもいい。行儀がよくて礼儀正しい。酔うとちょっと積極的になるという新発見もあった。
えっ。ちょっと。
よく考えてみたら、ものすごくいい子だった。
だけど……。
いや、だからこそ。
やっぱり、彼女はまだ子供だから。
そんなことをするには、早すぎる。
早すぎるのに、私はなんてことをしてしまったのだろう。
さとりが他者と交流するようになったのは、本当に最近のことだった。それまで彼女の世界はずっと、自分と、せいぜい妹だけで完結していた。ずっと二人きりで生きてきたのだと、言っていた。
そんな小さな世界からようやく抜け出したのが、パーティを開こうと思い立った日だったのだろう。まだ、ようやく赤の他人と触れ合い始めたばかりだ。
見た目だって、せいぜい十歳ぐらいにしか見えない。彼女はそんな子だ。
そんな子の恋心が、私に向けられているなんて。
いくら酔っ払っていたとはいえ、私が無理やりキスなどしてしまったせいだ。純粋な彼女の心を惑わせてしまったらしい。
未来ある子供の足を引っ張るのは、いくらなんでも下衆にすぎる。
「……意外。喜んでくれるかと思ったんですが」
さとりはそう言うと、少し切ない顔をした。
その表情に、私の胸が痛む。だがこんな状況を喜ぶほど、私は悪趣味じゃない。私は大人の女なのだ。彼女の幼い恋心を、純粋に受け止められるほどの清らかさは、もう持ち合わせていないのだ。
パーティで粗相を働いた私は、せっかく心を開いた彼女を、再び閉じ込めてしまったような気がする。独占欲からの、嫉妬心。それで彼女の未来を奪ったのではないか。そんな気がする。
きっと彼女は、去年も今年も、もっとたくさん色んな人と交流したかっただろうに。
大人が子供に恋をするというのは、そういうことだ。
だから、いけないことなのだ。
こんな我侭な気持ちは、伝えるべきではないのだ。
「へ、へえー。そんなふうに思っちゃうんですか。確かに私、知ってますよ。パルスィが私のこと、好きだってこと」
言って、彼女は無理に笑った。
「でも、私だってパルスィのこと、好きなんですよ」
とても強引で、とても今更な、告白だった。
「……なのに、私が子供だったら、ダメなんですか」
「それは……」
無理やりな笑顔は、すぐに崩れた。
「私じゃ、ダメなんですか……」
「……」
さとりは、狭い世界の外を見ようとしているのだ。しかし私は逆を見ている。彼女を縛りたい。自分だけ見ていてほしい。他の誰とも会わせたくない。そんなことばかり考えている。
私のよこしまな思いは、たちまちさとりへと伝わってしまっていた。ずっと以前にもう、単刀直入で、あまりにも正直すぎる、残酷極まりない宣告を……私はしてしまっていたのだ。
「ごめん」
謝るのが精一杯だった。
幼い少女の頬に涙が伝った。
「自分に嘘をつくなんて、随分ナメた真似してくれるじゃない、ババア。ひじきみたいな顔して」
地霊殿を出て旧都大通りをダラダラ歩いていると、青サンタがよくわからない暴言をまき散らしてきた。
「せっかく私が相思相愛の仲を取り持ってあげようとしてるのに、面倒なことばっかり考えて。そんなだからひじきになるのよ」
「……何なのよ、あんた」
私がついそう聞いてしまうと、サンタはいきなり目を輝かせて言った。
「私は! サンタの皮をかぶった毒蝮の皮をかぶった邪仙! 霍青娥!!」
「はぁ?」
邪仙がなぜサンタなどやっているのだ。
すると彼女は、私の心を読んだかのようにチッチッと指を振り、こう続けた。
「真に偉大な者とは、良い人なのか悪い人なのかわからないものなのよ。だから私は邪仙でありながら、たまにいいことをする! サンタの格好をして、少女たちにプレゼントを届けつつ、母親のヘソクリを盗み取る! 悩める少女の恋愛相談に乗りつつ、ババアの不倫はとことん煽る! かわいい女の子からは感謝され! 根っこの腐ったババアからは避けられる! 乙女にだけ優しい! それが邪仙、霍青娥なの!」
ロリコンだった。近寄らんとこ。
さっさと離れようと歩を進める。
「何よお、待って」
しかし青娥はふよふよと浮かびながら、全く同じ速さでついてくる。その姿だけ見ると、しかしまるで全く動いていないようにも見える。
気持ち悪い動きだった。
「なんてついてくるのよ。私は乙女じゃないでしょ」
「ええ、貴方はババアだけど。かわいい乙女からお願いされちゃってね。パルスィが欲しいです、って」
「……」
さとりか。
今さっき彼女の部屋で見かけた、とんでもない手紙を思い出す。そしてこの偽サンタが怖くなってきた。なにせ、おそらく手紙を見ただけのこいつに、私は有無を言わさず拉致されたのだ。
相手は無駄に強い。しかも何も考えているのかわからないのだから不気味だった。
自然と、歩く速度が上がる。すると彼女もそれに合わせて速くなった。徐々に足を早め、ほとんど逃げるように早歩きをするようになっても、完全に、正確に、ぴったり合わせて付いてくる。
こわ。
本気で恐ろしく思えてきた頃に……。
「身も心も彼女のものになるまで、逃がしませんことよ」
突然ドスを利かせた彼女の声が、耳元すぐ聞こえた。
私は思わず歩みを止めてしまった。
謎の威圧感だった。
死ぬほどぶたれたトラウマが蘇る。
霍青娥。どうやら、さとりの部屋に私を連れて行っただけではい終わり、後は知らない、なんて半端なことはしてくれないらしい。私が本当にさとりのものにならないと、こいつは延々付きまとってくるのだろうか。
やりかねない空気は醸し出していた。
「貴方、乙女の恋を甘く見すぎよ。歳を取りすぎて、若い頃の恋を忘れてしまったの? それとも、いい歳して恋をしたこともないのかしら。貴方のやっていることは醜い、実に醜いわ。さすがババアね」
言っていることはただの説教だったが。
「いい度胸じゃない、橋姫に恋を説くっての?」
「なーんだ、貴方橋姫なの? だったら知っているはずよ。乙女は強いのよ。コワイのよ。有り余るほどの情熱で、天使にも悪魔にもなれちゃう」
「……」
「恐ろしい鬼にだって……ね。そうでしょ?」
年端のいかない少女が恋に夢中になると、どこまでも一途になる。相手のためになら何だってできるようになる。どんな素晴らしいことも、どんな恐ろしいことも。それが、少女。
私が一番よく知っているはずのことだった。
「さとりが……私を怨むとでも、言いたいのかしら」
そう言葉にするのは、少し怖かった。
「うーん。それはちょっと違うかな。けど」
「けど?」
「貴方にがっかりは、しているでしょうね。……死ぬほどね。貴方全然、橋姫らしくないもの。他人がどうとか、幸せがどうとか、くだらない言い訳ばっかり」
「……」
落胆。失望。
胸を刺すような言葉だった。
「欲しいものは、どんな手を使ってでも手に入れなさいよ。それが妖怪でしょう。好きなのに身を引くなんて、人間じゃあるまいし。不幸が何だっていうの。いいじゃない、散々イチャイチャしてから不幸にしてやって、何が悪いの?」
「……いや、それは悪いでしょ」
「ああ、そう? ああそう! そこまであの子を泣かせたいなら、仕方ないわね! じゃあ、その通り報告しなくちゃ……『さとりちゃん、パルスィはなんか色々理由をつけて、貴方と付き合いたくないって言うの。だからごめんなさい、お願い叶えられなくなっちゃった。お詫びと言ってはなんだけど、仕方がないから、代わりに私の熱いキッスをプレゼ――――』」
考えるより先に拳が出ていた。
ひたすら己の苛立ちに任せた、今まで出した中で最も速いグーパンだった。
……が、青娥は片手で受け止めた。それも、笑顔ひとつ崩さないまま。やはり、強い。
「――――あれえー? 怒ってるのおー? どうしてかなあー?」
棒読みの口調が、私の苛立ちを加速させる。
「あの子が私にキスされるのが、嫌なのね? ふーん……」
言うと青娥は私の手を振り払い、後方へふんわりと飛んだ。
「なら、阻止してごらんなさい」
そして、凄まじい速さで地霊殿の方へと向かう。
突風に近いものが頬をかすめていった。
追いかけっこをしろというのか。
やっぱり訳のわからない奴だ。だが、このまま放っておくと、何をしでかすかわかったものではない。
さとりにキスだとかなんとか、言っていた。
それだけは許せなかった。
だから、追いかけた。
宙を飛ぶのは苦手だった。おまけに地底の空は、天井からつららのような岩々が垂れていて、障害物だらけときている。走って追いかけるしかない。
しかし、大通りは通行人でごった返し。ジグザグに避け、私は走る。何も考えちゃいなかった。ひたすら嫉妬心に支配されて走った。
上を飛ぶ青娥は、既に遠くなっている。ふわふわ飛んでいるように見えて、とても速い。障害物も華麗に避けていく。
無茶苦茶な女。霍青娥。なぜか現れ、なぜかさとりに協力し、なぜか私を挑発する。結局何がしたいのかよくわからないが、喧嘩を売られていることだけはわかる。
あんな奴に、さとりを取られたくない。あんな奴より私のほうが、さとりを愛している。
さとり、さとり、さとり――――。
心の中で彼女の名前を連呼し、走った。無我夢中で走った。邪仙の背中を、闇雲に追いかけた。
地霊殿の門を飛び越える。その空中で、青娥の後ろ姿を睨んだ。なんとか見失わず、ここまでついて来られた。青娥は、きっと玄関に入るため一度地上に降りてくる。少しのロスができるはずなので、そこを狙えば一気に追い越せる。
よし。相手は無闇やたらに強いが、これ以上好き勝手にさせてもいられない。
着地。
と同時に再び助走。ラストスパートをかけた。
しかし。青娥は降りてこなかった。
それどころではない。不思議な道具で壁をすり抜けて、直接さとりの部屋へ入ってしまったのだ。
「は……?」
唖然としすぎて、卑怯だと叫ぶことすらままならない。
思わず足を止めてしまう。気づけば既に、肩で息をしていた。
どこまでも無茶苦茶な奴だ、あいつは! 何なんだ。どうしてこんなに私を振り回す。
壁抜けなんてできるなら、あっという間ではないか。これでは勝負も何もあったものではない、する必要すらないではないか。
奴は、さとりに会って何をするつもりなのだろう。
したくもない想像が掻き立てられる。心がいたずらに乱されて、どうにかなりそうだった。
もしや、それが目的なのか。
力の差を見せつけ打ちのめすことで、私にさとりを諦めさせるつもりなのか。
まさか本当に、奴もさとりを愛しているというのか。
だとしたら……。
なめやがって。
邪仙だか何だか知らないが、ここまでおちょくられて黙っているほど、私はできた女じゃない。
あいつに、あんな奴に比べれば。
私のほうがまだマシなロリコンだ。
玄関扉を勢いよく開けた。重い扉が壁まで叩きつけられた音は、地霊殿じゅうに響いただろう。奥に見えた二、三匹の猫が、驚いて逃げた。私は気にもせずロビーを駆け抜け、階段を二段飛ばしで登り、さっきまでいたさとりの部屋へ舞い戻る。
二人はそこにいた。
大人になるというのは、不幸なことだと思う。他人というものがいかに悪かを知って、自分がどれだけちっぽけな存在かを知って、そんなもんだと笑い飛ばして。そうして全てを諦めてしまう。
子供の頃に夢見た理想を諦めて、私は無理やり生きている。
綺麗な花嫁になるのが夢だった。その夢は一時叶ったけれど、すぐに幻となった。本当は花嫁のまま死んだほうがよかったのかもしれないけれど、強引に生き延びる道を選んだ。
鬼になってでも。
あの人を殺してでも。
どれだけ惨めになっても死にたくないと、必死になったその時が、純粋な少女から、醜い大人へと変わった瞬間だったのかもしれない。
さとりの細い身体は、後ろから青娥に抱き締められていた。特に抵抗する様子はなかった。
「ね? ちゃんと戻ってきたでしょ?」
青娥はさとりに言った。
「そうですね」
「かわいいさとりちゃん。貴方の欲しいものは、必ず私がプレゼントしてあげる」
その言葉に、さとりは無表情で頷く。まるで、私が戻ってくることを予見していたかのように落ち着き払っている。
青娥はわざわざ私を待っていたのか。またそうして挑発するのか。
悔しかった。妬ましかった。
さとりを離せ、さもないと殺す、絶対殺す。心が怨嗟に蝕まれていく。
心を読むさとりの目の前だというのに。
よせ、私よ。こんなに醜い感情を、醜い姿を、さとりに見せるのはよせ。自分にそう言い聞かせる。
こんなでは、いけない……怯えた顔のさとりが、目の前にいる。
「ふぅん。……少しはいい顔になってきたけど、まだまだね」
青娥は不敵に笑った。
「足りないわ」
何が。
何が足りないというのだ。
「さとりちゃん」
そして彼女は、さとりのあごを艶かしく撫でた。敏感なさとりは、その感覚で静かに目を細める。
やめろ。
やめて。
さとりをそんなふうにするのは。
「キス、したことある?」
瞬間、さとりの表情が羞恥に歪む。
「してあげましょうか」
ダメだ。
嫉妬が爆発する。
「やめろ!!」
叫んだ。
今まで出したことのないような大声で、叫んだ。
「いい加減にしろ! さとりを離せ、さとりに触れるな、辱めるなッ! 今すぐ消えろ、さもないと殺す! さとりは、さとりは私のッ――――」
そして、あっという間に声が枯れた。
息さえしていなかったことに気づいた。肺が酸素を欲して、無理やりに膨らんだ。その反動で気管支が誤作動を起こす。
痛いほどの咳が出た。
我ながら、情けない。
「ははは! 殺す? 私を? ちょっと走っただけで息を切らすような貴方が?」
「――――、そうよ」
怒りに震えた身体が言うことを聞かない。未だに、肩で息をしている。
だけど勝機はある。これだけの怒り、憎しみ、妬み……。人ひとり呪い殺すには充分すぎる量が、私の中に満ちている。
本気だ。私は、さとりのために本気になっている。
何年ぶりの感覚か、もう憶えていない。
青娥を睨みつける。相手の力量は未だ計り知れないが、やるしかない。
天に手をかざす。そして、青娥を指差す。銃口を向けるように、狙いを定める。
視界に緑色のフィルターが掛かった。呪われた力が、瞳に集まる。この両目の緑色が、そのまま呪いとなる。呪いは重力となり、奴の身体を地に沈める。
見えない怪物に襲われたかのごとく。
青娥は、避けようとさえしなかった。
決まった。そう思った。
しかし倒した手応えが全くない。
仰向けに倒れた彼女の、不気味な笑い声が響いた。
「ふふ。まあまあやるじゃない。とりあえず及第点かなあ」
彼女はゆらりと起き上がる。まだまだ余裕といった様子だった。
「せいぜい、二人一緒に不幸になりなさいな」
そう呪詛を唱えると、ふと窓の向こうへ消えてしまった。
嵐のように現れ、去っていった邪仙。
何だったのだ、一体。
私たちは、二人きりで残されてしまった。
その日はそれからも大変だった。青娥に振り回された後の疲れた状態で、さとりの家族と一緒になって、ささやかにクリスマスを祝った。
「去年のクリスマスが終わってからずっと、こうしようって決めてたんです」
さとりはそう語っていた。
私は、まるで家族の一員みたいに、そこにいた。
懐かしくて、嬉しくて、幸せな気分だった。
こいしちゃんに引っ張られ、お燐ちゃんにからかわれ、空ちゃんに撃ち抜かれて過ごした。そしてみんなが寝静まった後、私とさとりは二人きりで酒を楽しみ、思いを語り合った。
数年前から。
心が読めるさとりは、心底寂しがっている私を放っておかなかった。
他人を突き放し、自ら距離を取り、妬むだけの存在として振舞っていた私の、わずかな心の隙を見つけてしまったのが彼女だった。
最初は単なる興味だったらしい。矛盾だらけの寂しがり妖怪。本当の気持ちを知っているのは、さとりだけ。さぞ面白かっただろう。
そうして毎日からかっていたら、いつの間にか普通に仲よくなっていたからおかしかった。私にとっても彼女にとっても驚きだった。気づけば、まるでずっと昔から友達だったみたいに笑い合っていた。
だが私は内心、恐れていた。彼女とこれ以上仲よくなったら、その優しさに本気で甘えてしまいそうだった。
重い女だと思われたくない。私が本気で愛したら、却って彼女を傷つけてしまう。相手の優しい心にしがみついて、依存して、縛る。私の愛し方は、そうだったから。ずっと昔からそうだったから。
さとりを壊してしまうのが……そして。
さとりに嫌われてしまうのが、怖かった。
大まじめに、そんなことを話し合った。
するとさとりは、
「ええ、知ってます」
と言って、くすくす悪戯に笑った。
そうだ。
彼女は心が読めるのだから、知らないはずがないのだった。
だけど知っていたなら、どうして何も言わなかったのだろう。
「それは」
さとりはさかずきを持ったまま、それを見つめた。
「貴方の心が決まるまで、待とうと思ってたんです。……本当は、ね」
でも、焦ってしまったんです、と言う。
気軽な気持ちでサンタに願ったら、本当に私を連れてこられてしまった。当然、訳を話さざるを得なくなる。秘めていた思いごと。
だから決意して、自分から話したのだという。
私は。
その時、逃げた。
彼女の思いを受け止められる自信がなかった。
「逃げられましたねー。正直、かなり焦りました。でも、ちゃんと戻ってきてくれたから」
「うん」
「よかったです。そういうところ……好きですよ」
照れたように微笑んだ彼女を見ると、守りたい気持ちになる。
この心に嘘はなかった。だけど、実力不足が怖くて仕方なかった。
私は、ダメな女だから。
だけど、今は違う。
「パルスィ。私ね、パルスィと一緒なら、不幸になってもいいって思ってるんです」
「え……」
言って、さとりは盃に口をつけた。
「私ね。今の立場になるまでは、こいしと二人きりでした。境遇は、不幸そのものでしたよ。他人には嫌われ、虐げられ、時に裏切られることもありました。辛かったですけどね、不思議と乗り越えられたんです」
そのとき一瞬だけ、彼女の笑顔がかげった気がした。
「どうしてだと思いますか?」
問いかける時にはもう、彼女は笑っていた。いつもと違う、大人びた微笑みだった。
「愛する家族がいたからです。私ひとりだったら、きっと挫けてた。こういうとき、家族っていいものですよ」
「さとり……」
見上げる丸い瞳が綺麗だった。
先ほど遊んだばかりの、こいしちゃんたちのことを思い出す。めっぽう元気で、無邪気で、愛らしい。彼女たちが、さとりの愛する家族。
「私、貴方となら、いいって思います」
さとり。かわいいさとり。
愛しい彼女の思いが、私の心に直接伝わってくる。
「私の家族になりませんか」
その言葉に、私は悲鳴のひとつも上げそうになった。そして自分の至らなさに恥ずかしくなった。
ああ、もう。
嬉しい。
私は、さとりがそういう子だということを、いつしか忘れていたのかもしれない。
いじわるだけどその実、信じられないほど優しい子。か細い手でも、愛する者のためならなんだってする、とても強い子。
そんな彼女だからこそ、私は惹かれて――――。
「ペットになってください!」
私はずっこけた。
翌、十二月二十五日の朝、地上は豪雪だったらしい。そのおかげか、地底は静かだった。
「メッルルィィィィーーーークリスマァァァーーース!!」
地面の下から青娥が飛び出してきた。
「クリスマスだっていうのに、こんなところで一人ぼっちなんて寂しいわねー!」
「クリスマスだっていうのに一人で穴掘ってる女に言われたくないわよ」
静かだったのになー。
こんな奴がチョロチョロしているから、クリスマスでも橋守はしなくてはいけない。
「ひととおりプレゼントを配り終えたら、暇になっちゃったのよー」
「本当に訳わかんないクリスマスの過ごし方してるわね、あんた」
こいつの滅茶苦茶な言動は、結局、本当にさとりへのクリスマスプレゼントのためだったらしい。プレゼントは、私だった。とんでもない話だが。
ちなみにさとり以外にも、お寺の女の子に音楽機材をあげたり、魔法使いの女の子に超難しい魔導書をあげたり、人里の女の子に奴隷妖精をあげたりしてきたらしい。変わり者にもほどがある。
けれど……。
こいつのおかげで、幸せな日を過ごせたのは間違いなかった。こいつが現れなかったら、私は自分の気持ちとしっかり向き合うことはなかった。きっと、これでよかったのだ。
ロリコンの変態が恩人だなんてかなり嫌だけど、仕方ない。
「ありがとね」
私は素直にそう言った。青娥は、
「気にしないで、趣味でやってるようなものだから。お代は、貴方の家と土地だけでいいからね」
と返した。
「……は?」
今、とても不穏な話が聞こえた気が。
「といっても、欲しいのは土地だけなんだけど。あんなボロ家あっても邪魔だし、取り壊すわね」
「ちょっと、おい待て」
「そして!! あそこに!! 私のゾンビハウスを建てるのよー! いえーい!」
青娥はなぜか急激にテンションを上げると、くるくる回りながら壁の中に消えていった。
「おいー!?」
クリスマスの洞窟に、私の絶叫が虚しくこだました。
と思ったら、正面の壁から青娥の生首が浮き出てきた。
「はいこれ、一昨日編んでたセーター」
右手も生えてきた。わざわざセーターを確保してきてくれたらしい。
「あ、どうも」
「じゃ」
そして引っ込んだ。
「って、いや待て!」
慌てて捕まえようとするが、またもあっさり逃げられてしまった。
「おいー!」
洞窟に、私の絶叫が虚しくこだました。二度目。
さて。
登記簿の管理は、役所代わりであるところの地霊殿がしている。
すごーく嫌な予感がしたので、全速力でさとりの元へ走ってみると案の定だった。私の不動産登記が、さも当たり前のように改ざんされている。
不祥事だった。
「ちょっとさとり。何よこれ。どうしてこんなことになってんのよ」
「てへ」
てへじゃねえよ。
あんたも一枚噛んでいたのか。
「おおさとりよ、邪仙の横暴を許すとは情けない」
「だって」
「あいつに脅されたの?」
「ううん」
さとりは首を横に振った。
かわいいから許したくなってくる。
「だったらどうして?」
尋ねると、彼女は満足げに微笑んで言った。
「パルスィがうちに住めばいいだけですから」
「……」
なるほど……っておい。
謀ったな。
ドタバタコメディのはず?なのにちょっとグッと来てしまった
そしてまさかの登場娘々、案の定のろりこん。
おいしい役貰いやがって、うちにも来てください。
え?幻想郷に法律は無いって?なら尚更問題ないよ(殴
燃える恋情、猛る愛情、橋姫パルスィここにあり!
いやぁ、これで晴れてさとりんと一つ屋根の下でペット生活……あれ?
恒例のさとパルダァァァアアアアア
個人的に、パルスィが殺す殺す連呼してた感情が溢れ出すシーンが好きです。
そこからラストにかけてなんかちょっと物足りなかったのがおしい
良いクリスマスプレゼントでしたー
やだ、なにこれかっこいい