間が悪い。
本当にその一言に尽きることなのだろう。
「だだいま戻りました」
ざく、ざく、と。
小気味よい雪の音と共に、聖が人里から戻ったそのとき。
ざくっ、ざくっ、と。
荒く、雪を跳ね上げながら、今にも倒れそうな勢いで一人の妖怪が飛び込んできた。聖の横を掠めるように、飛び込んできたのは、ミスティアや文のような羽を持った鳥の妖怪。
……のはずなのだが、
聖は、いきなりの出来事に驚きながらその妖怪の背中を覗き見て、
「っ! 大丈夫ですかっ! なんという酷い怪我を……」
悲鳴にもにた声が、聖の喉からこぼれ落ちる。
無惨に切り裂かれ、片方しか残っていない羽。
残った片側も、その身を覆う衣服さえボロボロで、着ていると言うより、肩に掛かっている状態。
当然、肌の傷などは言うまでもない。
「たすけて……、助けてっ!」
寺の敷地に入り、聖を正面から確認した途端、瞳に涙を溜めたまま抱きつき、懇願する。見覚えのない鳥の妖怪。
必死に助けを乞い、ぶるぶると震える妖怪に対し、落ち着いて下さいと聖は優しい声を掛け、大丈夫だと抱きしめる。
そのときだった。
「その妖怪の娘を渡せ!」
人里に常駐している対妖怪の能力者が、命蓮寺の外から声を張り上げたのは。
それを聞いて、少女の姿をした妖怪はより一層、聖の服を強く掴んだ。
聖がその能力者に背中を向けつつ、横目で探れば、その姿は二つ。
抜き身の刀を持つ者と、符を持つ者。
この少女が何をされたかなど、想像に難しくない。
だから聖は精一杯、押し殺した声で告げる。
「……スペルカードは、お持ちですか?」
その一人が持つ刀で、羽を奪われ。
肌を、服を、切り裂かれた。
別の一人が持つ符で、力を奪われ。
滅ぼされ掛けた。
怯え、助けを求めるこの少女から、聖は確かに意志を感じ取っていた。
ゆえに、無言のまま返事を返さない二人の男。僧侶にも似た衣服を着た能力者に対し、聖はもう一度問い掛ける。
「スペルカードは、お持ちですか?」
意志のある妖怪の少女がスペルカードルールを活用出来ないはずがない。
そもそも、スペルカードバトルで妖怪が滅び掛けるなど、ほとんどないのだ。
だから聖は問う。
あなたたちは、それを持っているのかと。
あなたたちが握った凶器で、この少女に直接危害を加えたのかと。
男は表情を変えず、口を開き。
「その娘は、許されざることをした。よって、我らが始末す――っ!?」
だが聖に対する答えが、あからさまに止まった。
口を開けなくなっわけではない。
聖が攻撃を加えたわけでもない。
ただ、聖が妖怪から離れ、男の正面を向いた。
それだけのことで、男は声を飛ばせなくなる。
「人の身でありながら……、他者を乏しめるその濁った精神……」
立っているだけ、
聖が棒立ちになって男をまっすぐ見つめているだけだというのに。
まさに、蛇に睨まれた蛙の如く。
男たちの身は会話などという余計な労力に意志を注ぐことを拒否し、ただ、聖の一挙手一投足に集中した。
そして、ふわりっと。
風もないのに、聖の法衣が一瞬だけ翻る。
直後、近くで火薬でも爆発したかのような、盛大な雪煙が男達の視界を覆い隠した途端。
一陣の風が、二人の間を通り過ぎて、
「誠に度し難く……、悪逆非道である!」
男達の後ろから、あるはずのない声が響いた。
彼らが今まで感じたことのない怖気と共に……
◇ ◇ ◇
「ね~、暇なんでしょ? 暇だよね? ね? マミゾウ?」
「……」
マミゾウ専用部屋となった命蓮寺の客室の一つ。
その中央部に設置された掘りごたつの対面に座り合う二つの影は、寺に住む者なら見慣れた冬の風物詩。
こたつの上に置かれた煎餅とみかんが、さらなる風情を醸し出していた。
その風情溢れるお茶請けに負けじと、こたつの上にぬえが顎を置いた。
「ね?」
「だから、何が『ね?』なのじゃ、妙な声をだしおって」
冬の暇つぶしの一つ。
いろんな天狗の新聞一気読み、という常人では苦行になりかねないことに集中していたマミゾウは、紙面から目を外して、こたつの上の置物と化すぬえへと意識を向ける。
ぬえのこんな無防備な姿は本当に珍しく、見慣れない者ならついついコロっと。言うことを聞いてしまいそうになりそうな愛らしさであるが。
残念、相手はマミゾウであった。
「気持ち悪い顔をせずに、さっさと要件だけ言わんか」
「うわっ! 酷っ! マミゾウ、酷っ!」
「はいはい、酷くて結構。儂は情報収集に忙しいんじゃ」
「ふーん、どうせ寒いから動きたくない癖に……ババくさっ」
「えいっ♪」
「ぎゃふっ!」
伝家の宝刀。
液符『みかんの皮を、指で摘んでぴゅっ』
マミゾウの指の間から生み出された弾幕がぬえの目に直撃し、ぬえは畳の上をのたうち回る。
妖怪にも効果があるとは、恐るべしリーサルウェポンである。
「目がぁ……ぁぁ、目がぁぁ~~」
「大袈裟じゃのぅ」
「マミゾウは眼鏡があるから、この不意打ちの苦しみがわかんないんだよ!」
「ああ、儂が悪かった。悪かったから、さっさと話だけしていかんか」
「うん、まあ、わかった。じゃあ結論から言うとね」
やっと新聞を置いて、話を聞く気になったマミゾウの姿を見て、ぬえはこほんっと、咳払い。コタツから出て、マミゾウの横で正座をすると。
「……実はね、聖がね」
さっきとはまるで別物の神妙な顔つきをして、低い声を零す。
肩を落とし、ぎゅっと、ふともものうえの衣服を握りしめ。
「間違って人殺しの妖怪をかくまっちゃった……」
「は?」
今度は、マミゾウが変な声を出す番であった。
ぽろっと。
さっきのような軽い雰囲気の中で伝えてはいけない、あまりに重すぎる内容。しかもそのぬえの豹変ぶりからして、冗談ではないと察したマミゾウは、その簡単な流れを説明しろと続けてぬえに促す。
それに従って、ぬえがぽつりぽつりと語り始めた。
その内容というのが、
まず、聖が帰ってきたときに、傷だらけの妖怪が助けを求めてきた。
彼女を追いかけるように、危害を加えたと思われる二人の人間とも遭遇する。
その人間のあまりの態度に怒り、聖があっさり撃退してしまったわけだが、
……その後で妖怪の少女に話を聞いたら、人間を殺していたことが判明したというのだ。
「ね? やばいよね? これ、やばいよねっ!」
「うーむ、状況はわかった。しかし、これはいつ話に出たのじゃ? 聖殿の言葉では聞いたことがないが」
「今朝! マミゾウいなかったとき!」
「そうか、皆が不自然に集まっておったアレか。儂は呼ばれておらなんだからな」
マミゾウが呼ばれなかったのは、正式な寺の一員ではないからという面もあるかもしれないが、客人扱いであるマミゾウに被害が及ばないようにしたいという聖の意志に違いない。
それは出会ってそう日の経っていないマミゾウでもわかる。
聖という人物は策略家とは程遠く、直上的な性質を見せるときがある。そういった部分だけみれば、まず策を練ってから行動するマミゾウとは正反対の位置づけとなるだろう。
ゆえに、マミゾウは特に心配する様子でもなく。
「そんなもの、簡単ではないか」
「え、ええっ! ホント? さっすがマミゾウ!」
頼りがいのある言葉にぬえは瞳をキラキラ輝かせ、
「ほれ、その妖怪を人間に突きだして、聖殿が謝罪する。これで完璧じゃ」
「……うっわ、期待した私が馬鹿だった」
しかし期待とは正反対の答えに、むすっと表情を暗くする。それを見たマミゾウは、くぃっと眼鏡の位置を正し、ため息を吐く。
「――と、いうのが楽な解決方法じゃが。聖殿のことじゃ。あれじゃろ? 面子とか言う問題ではなく、その妖怪を差し出したら間違いなく殺される。それがわかっているから差し出せないと。しかし、何があったか知らんが人里で人を殺してしまったそやつをかくまい続ければ、命蓮寺の信用はガタ落ちと」
「そう! だから困ってるんだよぅ!」
「ま、それで済めばいい話なのじゃがな……」
「どういうこと?」
マミゾウは長細い木箱からキセルを取り出すと、火をつけ、軽く息を吸い込みながら、さっきまで見ていた天狗の新聞をぬえに手渡した。
何のつもりかとぬえが首を傾げると、マミゾウはある一箇所を指差す。
その文々。新聞という題名新聞の右下あたりを、
『妖怪が人間を殺害っ!? 事件の真相に迫る!』
「……え?」
ぬえは、血の気が引いた青い顔でマミゾウを見つめ。
その視線を受けたマミゾウは首を縦に振る。
「そういうことじゃ、事件には当然人里の関係者がおる。信用問題だけで済むならばいいのじゃが」
こんっと、マミゾウは灰皿にキセルの中身を捨て。
「……儂らだけが動くとは限らんのが問題かのぅ」
わずかに濁った煙を静かに吐き出した。
「ふふ、はははっ! さすが太子様っ! このような欲まで感じ取って下さるとは!」
神霊廟の廊下を歩いていた布都は、さきほど人里で拾った新聞を大事そうに抱えていた。上機嫌に、鼻歌など奏でながら。
『人里から何やらざわついた黒い欲を感じます。布都、調べてきて下さい』
太子は道教を広めつつ、人に仇なす妖怪の退治も請け負い、人間から信頼を集め始めていた。だからこそ、また妖怪が事件を引き起こしたかも知れないと察し、布都を差し向け、その戦利品が新聞というわけだ。
記事には妖怪が人里で人間を殺めたかもしれない、という文言があり。
加えて、その件に命蓮寺が絡んでいるかも知れないとも記載されていた。
まさしくそれは、千載一遇のチャンス。
「憎き命蓮寺の輩どもめ、目にもの見せてくれようぞ!」
妖怪の敵となりうる神子の復活を阻止しようとした、布都にとって大悪党以外の何者でもない聖。彼女を貶める。いや、命蓮寺の連中全員を屠るにはこれ以上ない好機と言っても良い。
さっそく太子様に報告を、と。足取り軽く歩いていた布都であったが、いきなりぴたりとその歩みを止めてしまう。
「いや、しかし……」
急に顔に浮かんだのは迷い。
神妙な面持ちのまま、小さく唸ると。とうとう腕を組んだまま止まってしまう。眉間に寄るしわが語るのは、幻想郷に共に生きる者としての良心か、それとも――
「太子様の手を煩わせることなく、我一人でことを成し遂げれば……、その寵愛は我だけのモノに……くふふ……」
単に欲まみれでした。
ペシッ
「愚か者」
「あいたっ! い、いきなりなにを……」
と、そんな欲以外の何者でもない意志を太子が感じ取れないわけもなく。
布都が顔を上げれば、そこには心の中に思っていた主の姿が
「屋敷の中で欲を垂れ流さないように、あなたの声で俗世の欲がまるで聞こえないじゃないですか」
「……い、いえ、我は決してそのような。仙人の一人である我が、人並みの欲に流されるなどあるはずも」
「確か、寵愛がどうとか?」
「わーっ! わーっ! わーっ!
それ以上はいけませんぞっ! 命に係わりますっ! 我のっ!」
おもに社会的な生死の意味で。
叫び終わると布都は自分の口を押さえて、神子に背中を向けてしゃがみ込む。欲を漏らさないようにという苦肉の策のようだが、そう自分で言い聞かせるほど、布都の中の神子への感情が高ぶっていくのだから性質が悪い。
「布都、もういいから仙人らしく自然体でいなさい」
耳当ての欲望遮断を若干強めつつ、従者への悪態を付くが。布都が騒ぎの間に取り落とした新聞を拾い上げ、神子は実際に自分の目でその記事を眺めた。
「まあ、いいでしょう。私が欲の変動を感じ取ったからと言っても。あなたが持ち帰ったこの情報はなかなか興味深いのは事実。布都、大儀でした」
「は、ははっ! ありがたき幸せ!」
その神子の一言であっさりと立ち直る布都に一抹の不安を感じつつ、神子は先ほどの布都と同じように腕を組み。
「それと、布都。今から人里へ出向きます、準備を」
「えと、それはどういった用事で?」
「決まっているでしょう。情報収集です。」
神子は腕を組んだ状態から右手を軽く顔の前に、持ってきて、人差し指を唇に触れさせる。
そしてくすり、と微笑んで。
「あなたの策に、乗らせていただこうかと思いまして」
ぱちり、と。
布都に片目を閉じて見せた。
「……マミゾウ、私のネズミたちの話だと、人里にあの神子が現れたそうだよ」
今後の作戦会議のために皆が集まった広い居間の中に、偵察班のナズーリンの声が響くと、気配が大きくざわついた。
一輪と村紗は不安そうに顔を見合わせ、雲山とぬえは心配そうに聖に視線を送る。その聖は部屋の中央で正座し、微動だにしないまま。
向かいに座るマミゾウをまっすぐ見つめる。
「狙いは、この機に乗じて名を売るか。命蓮寺の名を汚すこと、でしょうね」
「両方という可能性が一番高いじゃろうな。予想はついておったが、実際に動かれるとたまらんものじゃ」
聖が瞳を閉じて嘆いても、もう事態は好転することがない。神子の陣営の動きで悪化するだけ。それを招いたのが聖自身の我が儘であることも、自覚した上で、それでも聖はマミゾウや他の住人を目の前にして
「しかし、私は……この子を人里に渡す真似はしたくありません……」
聖の背にに隠れるようにして、正座しながらぶるぶる震える妖怪の少女に『大丈夫ですよ』と微笑みを向けた。
しかし、その微笑みの暖かさが他の住人を余計に不安にさせる。
その感情を代弁するかのように、マミゾウの横で座っていた星が神妙な面持ちで声を絞り出した。
「……罪のある妖怪を庇い立てして人と対立する。それは聖らしいことだと思います」
それは飾らない星の本心だ。
ここにいる者の多くが、曰わくのある妖怪で、聖に救われたと言っても良い者ばかりなのだ。聖は今回もそれをやりたいと言っているだけ。それは星も痛いほど理解していた。
それでも瞳に涙を溜めて、苦しそうに言葉を探す。
「しかし、聖……私は……、いえ、私達は、二度とあのときのような想いはしたくないのです」
「星……」
「また聖が犠牲になるかもしれない……、そう考えるだけで私達は……胸が締め付けられる想いなのです」
だから、今回ばかりは。と、星は必死に訴えた。
その星の声に賛同するかのように、ぬえも、村紗も、一輪も、雲山も、ナズーリンでさえ静かに頷いていた。
(まあ、ことがことじゃからな)
と、マミゾウもその意見には賛成であった。
聖の後ろに隠れる、鳥の妖怪。
新聞屋の文の髪を少し伸ばして、身長を縮めた。そんな外見の小さな鳥の妖怪。服が駄目になったのでぬえと同じ服を着せてはいるが、ぬえのようなハツラツさはどもこにもなく、今は不安だけが表情に張り付いていた。
(こやつが悪人であれば、聖殿も悩まずにすむはずじゃが……)
事件後、この妖怪の少女の口から出た言葉と、ナズーリンが集めた情報をつなぎ合わせればこうだ。
この少女はただ、歌を歌うことが好きなハーピーに分類されるような妖怪で、人里で歌を聴かせ、その感動を食料にするという比較的無害な存在だったらしい。
それでも、人里で堂々と妖怪が活動していることに反感を抱くグループからいちゃもんをつけられて、いつも使っている広場を出入り禁止にしてやるなどと、口論がエスカレートしていき。
どんっと、その人間に肩を押された直後。
「何するのっ!」
かっとなって突き返してしまったのだという。
その手の爪が、興奮で長く伸びてしまっていることに気付かずに。
その後は、もう。
逃げ出したことしか記憶にないのだという。
ナズーリンの集めた目撃情報も似たようなものだった。
そして不幸なことに、その爪が胸に突き刺さっていたようで……
治療が間に合わず、人間は絶命。
かくしてこの鳥の妖怪は、人里から指名手配にあっているようなもの。幻想郷の規律の中でも、争いは弾幕勝負で決着するものであり、人里で妖怪が人殺しをするなど合ってはならないこととされている。
不幸な事故だった。
そんな一言で片づけられない。
妖怪側としては最悪の事態。
「しかし……」
それでも聖は、星たちの意見に賛同しない。
「私は、思うのです。確かにこの妖怪は許されないことをしたのかもしれません。けれど、それは彼女の本心からの行動ではなく、人間を襲うという性質も持ち合わせていない。おそらくは人間との争いなんて、経験もなかったはずです」
そして震える妖怪の側まで動くと、優しく後ろから抱きしめて。
「人間との、歌と会話以外の接し方をしらなかったこの子に暴力で挑んだ人間の非を問わず。この子にだけすべてを押しつける。そのようなやり方を、私はどうしても許せないのです……」
「しかしっ……」
「わかって、星……」
渦中にありながらも、聖に抱きしめられ、穏やかな表情をし始めた少女。
星とて、その少女をの何処を見ても、人を殺めるような妖怪には感じられない。
けれどやはり、事実は残る。
人を殺したことのある妖怪という認識は、この場を乗り切ったとしても少女の存在を危うくするに違いない。
聖が村紗たちを救ったときとは違う。
誤魔化しようのない真実が既に広まっているのだ。
となれば、やはり。ずっとこの妖怪を命蓮寺で匿うことになり。
少女のことを人間達が許さない限り、毘沙門天の信仰も薄れていく。
それをすべて理解した上で、聖は言うのだ。
「私は、この子を救いたいのです……」
こうなってしまったら聖は何を言っても聞かない。
星は、そんな諦めの表情を浮かべながらも、何故か、少しだけほっとした表情で。
「……相変わらず、強情ですね」
「すみません……」
「でも、そうでないと聖らしくない」
「え……?」
暖かな聖と、その少女に微笑みを向け。
「私も、協力します。聖がそうしたいのであれば、全力で私が守ってみせますから」
星の声に続き、寺の住人達が『私も』と声を上げた。
その絆はまさに、家族のようで、
「その子一人の悪評など、毘沙門天代理である私が受け止めて見せます!」
「ご主人っ!!」
それでも、部屋の入り口近くにいたナズーリンだけが、鋭い声を星に向けた。
「……今の言葉は、いままで私たちが築き上げた毘沙門天様の信仰を犠牲にしてもいいと、そういう意志なのかい?」
「な、ナズーリン……」
「宝塔の件だけでなく、また私に負担を掛けると?」
「あ、と……えと、その……」
毘沙門天から使わされたナズーリンの怒り。
それを見て、星はあわてふためくが。
いくら待っても、星からはごめんなさいの声も、取り消すという声も聞こえない。
だからナズーリンは、耳を倒して、肩を落とすと。諦めたように息を吐いた。
「わかった……、わかったよ。毘沙門天様への報告は……、こちらでなんとかするから。ご主人はご主人のやりたいようにすればいいさ」
「ナズーリン……」
「ああもう、なんて情けない顔をするんだ君はっ! 宝塔が無くなったときの言い訳と比べたら、朝飯前。たったそれだけのことであってだね――」
「ナズーリーンっ!」
「あ、こら! 急に抱きつくんじゃないっ」
いつもの暖かい、命蓮寺の風景。
困ったように星を引き離そうとしながらも、照れくさそうに頬を赤くする。そんなナズーリンの姿を楽しそうな笑い声が包む。
そしてその声が、聖と妖怪の少女さえ包み込む中で。
(さて、と……、確かにこのままでも良いのじゃが……)
マミゾウはおもむろに席を立ち、廊下へと向かう。
雪に覆われた中庭は昼の日差しを受けてキラキラと輝かんばかり。
ただ、その雪の上に一つ。朝にはなかったはずの真新しい変化があった。
「ふむ」
寒さでやられたのだろうか。
寂しそうに横たわる小鳥が、雪の中に小さな点として浮かび上がっていた。たったその一つを見つけてしまっただけで、この輝かしい景色が壊れてしまったかのように思えてしまう。
マミゾウはまた、その動かなくなった小鳥に視線をやってから。
「……のう、聖殿や?」
「なんでしょう?」
その眼鏡を、日差しで怪しく光らせながら。
「その妖怪の件、儂に任せてはくれんかのぅ? 少々妙案を思いついたのでな。万事解決してみせるぞい?」
「ほ、本当ですか!」
「もちろんじゃとも、儂は人と妖怪の間を取り持ってきた実績がある。大船に乗ったつもりでおるがいいわ」
マミゾウの頼もしい言葉に、部屋のほとんどの者の顔が明るくなる中で。
ぬえだけが、首を傾げてマミゾウに尋ねる。
「……そんなこと、できるの?」
「ああ、おぬしらの協力があれば、じゃがな」
「協力?」
「そうじゃ、ほれ、来たぞ」
何が来たのか。
誰かを出迎えるように雪の上を浮いて移動するマミゾウ。
それを追うように聖と星が廊下に出たとき、門を見張っていた響子が慌てた様子で中庭に駆け込んでくる。
顔色は真っ青で、がたがた震えながら門の方を差していた。
「ひ、聖っ! 星っ! 人間がっ!」
その一言で、聖と星は察した。
あちらの陣営が先手を打ってきたのだと。
「うむ、じゃから儂が準備をするためのちょっとした時間稼ぎをお願いしたいのじゃが……」
「わかりました! 星、出ますよ!」
「はいっ!」
二人に続いて、命蓮寺の全員が門の方へと向かう。
部屋の中にハーピーの少女を、そして廊下にマミゾウを残して。
そして、少女と二人きりになったマミゾウは、すーっと静かに入り口を閉めて部屋の中を見渡した後、目的のものを見つけて、にやり、と微笑んだ。
大慌てで出て行ったせいか、それとも交渉事にはそぐわないと判断したのか。
「あ、あの……私は、何をすれば……」
ただ、そのにやけ顔は少女を不安にさせるのに充分で、
「ああ、すまんすまん。まずは簡単な質問に応えてくれればよい」
そんな少女の肩をぽんぽんっと叩きつつ、マミゾウは静かに尋ねた。
「おぬし、小心者か?」
今の場に、まったく相応しくない。
何の関係もなさそうな質問だった。
場所が代わって、命蓮寺の門付近。
そこには人里の代表者と思われる長老と、その関係者と思われる数人。そして被害者家族の10名程度が門のところに押し寄せたところだった。
「お待ち下さい!」
いまにも屋敷に入り込みそうな一団に大声をぶつけた聖は、彼らを止めるように屋敷と人間達との間に入る。それに続くように星や、ナズーリンたちも続き、聖の後ろについた。
「ご心配なく、こちらの方々は最初からあなたたちとお話に来ただけですので」
「そうだぞ、偉大なる太子様は、そちらの言い分も聞いてやろうとやってきたのだからな」
そんな聖と対するように、人間達にもまた先導者と思われる人影があった。神霊の異変の元凶となった神子が、余裕綽々と言った様子で立ち尽くしている。
そんな後ろ盾があるからだろうか。
「何が正義の毘沙門天だ! 人殺しの妖怪を庇いやがって!」
「この妖怪寺!」
死んだ人間の家族やその友人の代表と思われる人間から声が飛ぶ。それに反応しようとする星を手で制し、聖は静かに一礼してから、
「皆さんのお怒りはもっともだと思います。それを匿ったこちらにも、非礼はあったことは事実。その点については深く謝罪をさせていただきたく思います」
「それでは、その妖怪を引き渡す準備があるということですか?」
交渉事を任せられているのか、聖の声に神子が応じる。
他人の欲を感じ取れる能力、さとりにも似た読心術を持っているがゆえだろう。
その能力で聖の答えを知りながらも、神子は冷静な態度で返す。
「……いえ、いまそちらに引き渡すことはできません」
なんでだ、と。家族の誰かが叫びそうになるのを遮り、
「こちらに渡せば妖怪の命がない。だから庇うと?」
「……そう受け取られても仕方のないことかと思います。けれど、皆さんもあの妖怪のことを知っているはず」
「知っている、とは?」
「話を聞けば、あの妖怪はもともと歌を歌うだけの比較的害のない妖怪だったはずです。人間の肉を食料せず。里に頻繁に出入りしていた妖怪の一人だとも知られていたはずです」
人間達が、静まり返る。
確かにそれは事実なのだから。人間の被害が出ないから、歌わせても問題ない。そう判断していたのだ。
「その彼女が今の事件を引き起こした。それには何か原因があるのではありませんか? 例えば、誰かが彼女に干渉することで興奮状態になったとか、そのようなことがです。それを棚に上げて責任を妖怪だけに押し付ける。酷い言い方になるかもしれませんが、人里の側にも原因があったのではないでしょうか」
「それは……」
里の代表者も、そのことはわかっている。
ただ、人間と妖怪の簡単な争いならスペルカードバトルでなんとでもなるのだ。それを一人の人間が無視し、先に暴力を働いたことで妖怪が過剰に反応した。
過剰防衛にはあたるだろうが、最初から殺意があったわけではない。
それでも、人間と妖怪の命の問題となると、簡単な足し算、引き算で考えることの方が多いのだ。
しかしそれを聖は否定する。
「人里だから妖怪は手を出せない。そういった奢りが、今回の事件を生み出した。私はそんな気がしてならないのです。ですから! 人里の皆さんも事件についてもう少し真剣に向き合って下さい! あの子には死を与えるのではなく。人間社会について学ばせる機会を与えた方が人間と妖怪にとってより良い関係造りに繋がるはずです!
もちろん私も手助けしていくつもりです。罪を自覚しているあの子を支え、命蓮寺で教育していきます! ですから、お願いです!」
それを否定しようと、人間達の唇が動くが。
その言葉の中に事実が含まれているため、上手い反論が思いつかず、言葉にもならない。
けれど、神子は落ち着き払ったまま、横にいる布都に目で合図を送る。
すると今まで静かだったのが嘘のように、布都が騒ぎ出した。
「ふふん、語るに落ちたな! あの妖怪が人畜無害? ヘソが茶を沸かすというものよ!」
「何が違うというのです!」
聖の声を余裕で受け止めた布都は、事前に準備していた。巻物を懐から取り出し。
こほんっと咳払い一つしてから。大袈裟な仕草でそれを開く。
「はぁぴぃ~なる妖怪は、本来その歌で人間を狂わせる。ならばそのはぁぴぃ~を襲った人間は歌に狂わされて、乱暴になったのではないか?」
「なっ――」
「そうですね、布都。私達はあの妖怪を長く観察していませんから、本来あるべき妖怪の能力が知らず知らずのうちに発動していても、知ることができません。それを否定できますか?」
「それは……」
「それと、あなたたちがあの妖怪とどれくらいの間接して、その結論を得たのか。その期間も詳しく教えていただけると参考になるのですが。
まさか、とは思いますが。事件がおきてからのわずかな時間で、あの妖怪の能力について結論づけたわけではありませんよね?」
可能性の、問題。
それを持ち出されて、聖は何も言うことができなくなる。
確かにあの妖怪は阿求の文献にすら載っていない妖怪だ。いままで安全であったからこそ、書記に乗せる優先順位からはみ出た妖怪。
それが今回の事件では圧倒的不利な条件として作用してしまった。
「……あの子のことを詳しく知ったのは、この寺に助けを求めてからです。ですが!」
「太子様! やはりこやつたち、短期間しか妖怪と接しておりませんぞ」
「ふむ、まあ、温厚な妖怪、いえ妖獣でしょうか。そういった部類だというのはわかります。けれど、妖獣は騙すことに長けた化生。本心がどこにあるかなど、わかったものではありません。
それに、ですよ? 事故か故意かは別にしても、人里で問題を起こした妖怪を命蓮寺で匿い続けるのは道理にも反すると思いますが?」
「……しかし」
「それとも、人里の意見を無視して、あなたの意見を強引に通すのが道理だと?
それが命蓮寺の謳う人間と妖怪の共存というところなのでしょうか?」
決定的な言葉を突きつけられ、聖は強く唇を噛んだ。
ぎりっと。
奥歯を鳴らせたのは、星だった。
手助けしたくても、感情だけで反論すればそれこそ相手の思う壷。それをわかりきっているからこそ、穏やかな表情のまま心の奥で牙を抑え続ける。
ナズーリンがその星の前にわずかに出て立つのも、聖のことで熱くなりすぎる可能性のある星を止めるため。
だが、そうやって場を比較的客観視できるナズーリンであっても。
先手を打たれた命蓮寺陣営の圧倒的不利を覆す案は何もない。
こっそりと周囲の仲間に視線を飛ばしても、誰一人として余裕のある顔をしていない。
「妖怪を出せ!」
神子が優勢と見ると、人間達の圧力もまた増してきている。
このままでは、妖怪を差し出さなければ丸く収まらない。
時間を掛ければ掛けるほど、人里で命蓮寺が妖怪だけに甘い寺だという悪評が立つに違いないのだから。
策もなく、時間稼ぎも限界。
加えて、神子は相手の欲を知る能力者。
つまりは……
「それでは、妖怪のいる部屋に案内していただきましょうか」
この場の全員の欲、つまり聖の手助けをしたいことや、人間達を追い出したいということ、妖怪を救いたいということ、その入り交じった感情が相手に筒抜けで。
加えて、誰かの手助けを待つ、という欲もこぼれ落ちているに違いない。その誰かというのはこの場にいないもう一人以外に他ならず。
「……さとり妖怪並に、厄介だね君は」
ナズーリンは、飾らない言葉を神子にぶつける。
それを神子はやはり微笑みだけで受け止めて、冷静な目でナズーリンを見下ろしていた。その目は、語っていた。あなたたちの策など全て見抜いていると。
神子の能力の有効範囲。それがどれほどの距離なのかはわからないが、もしもマミゾウやあの妖怪の少女の欲望すら読み取っているとするなら。
部屋へ連れて行けと言うのは、マミゾウの言っていた妙案を潰す策に他ならず。
そこへ行かせたくなくても、無理矢理追い出すという選択肢が取れない聖は、もう決断するしかなかった。
「さあ、案内していただけますね?」
はい、と。
うつむき沈黙していた聖が、神子の声に従う。
命蓮寺側の敗北を意味する、そんな頷き、
その直後だった。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!」
恐怖に染まった悲鳴が、屋敷の方から聞こえてきたのは。
神子と布都は、勝ち誇っていた。
一度は聖の手で苦渋を舐めさせられた、その充分な意趣返しに成功しただけで心の中のわだかまりも薄らぐというモノ。
後は、妖怪を確保し人里に手渡す。
それだけで、命蓮寺の威厳を削り、神子の陣営の影響力を高められる。一石二鳥の策であったはずだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その叫び声をきくまでは。
あるはずのない声に、命蓮寺の面々は動揺を隠すことなく身を固くする。
人里の人間達も何事かと狼狽し、神子を見る。
しかし、それ以上に神子は混乱していた。
『助けて、死にたくない!!』
悲痛な叫びに乗った、強烈すぎる欲。
それを感じるはずの場面など、想定していなかったからだ。
だから行動が遅れる。
「太子様っ!」
布都の声ではっと神子が我に返れば、命蓮寺の面々は既に走り出していた。その声が聞こえてきたはずの屋敷の、中庭の方へ。脚で蹴り上げられた雪煙がずいぶんと離れて見えた。
「いきますよっ! 布都っ!」
遅れること、数秒。
太子は人間を置き去りにする形で素早く浮かび上がると、布都と共に飛ぶ。命蓮寺に遅れをとらないよう全力で。
急いで建物の屋根を飛び越えて、上から状況を確認したとき。
確かに、そこには神子の予想通り。
最後の策を練ることのできずはずのマミゾウがいた。
中庭のちょうど真ん中あたりに、佇み、何かを見下ろしている。
「やめなさい、マミゾウっ!」
それが、なんなのか。
すでに現場近くまで迫った聖の声がそれを証明していた。
雪の上に尻餅をつき、助けを求めるようにマミゾウを見上げる小さな妖怪。その妖怪をマミゾウは見下ろしているのだ。
神子の位置からは後ろ姿しか見えないが、間違いない。
まるで、妖怪を追いつめているかのように。
その手には、槍のようなものが握られていて、
「マミゾウっっ!!」
ぬえの叫び声と、その槍が振り下ろされるのは同時だった。
「なっ!?」
一瞬だけ、赤い鮮血の花が宙を舞い。
その名残を雪の上に残す。
それは雪の上に真っ赤に咲いた、牡丹の花のよう……
空から見下ろす神子からは、そう見えた。
花弁の中央、おしべや、めしべにあたる胸の中央に。
無粋な槍を突き立てられたままの、鮮やかな華。
雪の上に、季節外れの色が広がったとき。
マミゾウに伸ばした妖怪の手が、ぱたりと、悲しげに落ちる。
「神子、様……これは、一体……」
布都が動揺するのはわかる。
こんな状況など想定外だったのだから。
それでも、予想していなかったからと言って、ここまで来たら引き下がるわけにもいかない。
神子は、油断なく、欲の収集範囲を拡大させながら、聖たちの側へと降り立った。
だが、途端に、目眩がした。
「う……」
本来の穏和な聖からは想像もつかない、黒い欲望。
吐き気を催しかねないほどの怒りに伴う欲が、神子に耳に流れ込もうとしたからだ。気をやりそうになるほどの激情に当てられ、神子は慌てて耳当ての欲の感度を大幅に下げ、なんとか踏みとどまるが……、重い頭痛が残ってしまう。
それほどに、目の前で妖怪を殺すことを見せつけられた聖の怒りは凄まじく……
「マミゾウ、さん? これはどういうことですか……」
穏やかな声の中にも確かに、圧倒的な圧力があった。
神子の後ろで、布都が怯えるほどに。
人間などは、少し離れた場所で腰を抜かせてしまっている。
聖の側に集まっていた命蓮寺の面々も、その怒りに乗せられているようだった。
「……何? とは?」
しかし、マミゾウはそれを平然と受け止めていた。
眼鏡の位置を直し、片目を閉じて。
自分のやった成果を見せつけるように、妖怪に刺さった槍を右手で握り続ける。
「居間に、星がよく使う槍が置きっぱなしになっていたからな、それを使っただけじゃが?」
「そのようなふざけた答え! 誰が求めたというのです!」
「おうおう、怖い怖い」
まるで聖の怒りをさらに誘うかのように、マミゾウは微笑み。
その足下で動かなくなった妖怪へと視線を降ろした。
「妖怪と人間、儂はその微妙な関係を長く見てきた。じゃからこそ、これが一番なのじゃよ、聖殿」
「ですが、あなたはさっき!」
「ああ、妙案があるとも。万事解決してみせるとは言うた。
しかし、じゃよ?」
ずぶり、と。
赤くなった染まった槍を妖怪から引き抜き、まだ白い雪の上へとそれを突き立てる。すると、みるみるうちにその雪が薄紅へと染まっていく。
それになんの感慨も見せぬまま、冷めた顔でマミゾウは言い切った。
「誰が、こやつの命を助けると言うた?」
「っ!?」
命蓮寺の全員が息を呑む中。
またしても濃くなる黒い欲に、神子は顔をしかめる。
「っ! マミゾウっ! 貴方という人はっ!」
「人ではない、妖怪じゃよ、聖殿。この世界の決まり事を勉強中の、しがない妖怪じゃ。そんな未熟モノの儂でも、こやつを生かし続けることに利点を思いつかん」
血の気の失せた顔、そして、誰も姿も写さない意志のない瞳。
それをさらし続ける小さな妖怪を是か非だけで切り捨てた。
聖の意志を無視し、それを実行したマミゾウを命蓮寺の住人達は強く否定し、しかし神子は……
「……」
何の行動も起こせずにいた。
妖怪を生かして匿う。それが悪だと言って出向いてきたというのに、肝心要の妖怪を目の前で殺されてしまった。
そんな明らかな現実を見せつけられ、人里の人間からも急激に命蓮寺を攻める気概が失われつつあったからだ。
加えて、欲を読みにくくなってこの場。
一種類の欲が強すぎるせいで、肝心要の、一番警戒するべき相手のマミゾウの欲がはっきりとわからない。
霞に隠れたようにぼやけるだけで、動けずにいた。
だからこそ、布都が意を決したようにマミゾウの前へ移動し、
「ふ、ふんっ! このようなはったりを見抜けぬ我だと思うたか! おまえも妖獣、しかも狸という人を騙すのに長けたアヤカシ! ほれ、どうせこの妖怪の身体も幻術か何かの類でっ!」
布都が己を奮い立たせるように大声を出しながら、妖怪へと接近し、聖達の制止を聞かぬままその身に触れた。
どうせすり抜けたり、肉の感触がしないはず。
そう思っていたのだろう。
だが、
「幻術の……部類……で……あろ……、ば、馬鹿なっ!」
その手に伝わるのは、確かな感触。
雪の冷たさと一緒に伝わる肉が、間違いなくそこにあった。
「おや? そんなに疑問ならもっと調べてもいいんじゃよ?」
動揺し、妖怪に触れたまま固まる布都の姿を眺めながら、神子は必死に思考を働かせる。聖たちの反応を見る限り、演技ではない。心の欲も、嘘を吐いているなどと到底思えない。ならば、限りなくあの妖怪は本物という可能性が高く。
「……ほれ、そこの人間の方々。此度は悪いことをしたな。おぬしらの手でこやつの命を奪いたかったかとは思うのじゃが、今後の関係のこともあるからな。儂が独断で処分させて貰ったのじゃ。
少々その後の対処についても問題はあったかもしれんが、これで手打ちにはできんかのぅ?」
人間達もこの異常な空気から速く逃げ出したいと、そう思い始めてしまっていた。それが神子に伝わってくる。
明らかな形勢の逆転、これを取り戻すにはマミゾウの自信の根拠であるあの妖怪の死体を探らなければならない。
だから神子は、布都の側へ歩いていこうとしたところで。
『さあ、来い……』
「っ!?」
マミゾウ側から、うっすらとそんな欲が飛んで来た気がした。
気を抜いていたら気がつかないほどの、微かなモノだったが……
まるで、神子が布都と一緒になって、この死体は偽物である証明をするのを望んでいるかのような。
化かすことが能力の一つとして記されたマミゾウから浮かぶ、罠の気配。
神子は平静を装いながら、くるりとマミゾウに背を向け、
「布都、戻りなさい……」
引いた。
死体を調べることで、もしかしたら何か得られるかも知れない。
このマミゾウすら追いつめられる何かが見つかったかも知れない。
しかしである。
聖達の不意を打った神子たちと同じように、マミゾウは妖怪の命というモノすら利用して神子の不意を打って見せたのだ。
さらには、聖の怒りも利用し、神子の能力をまともに作用させないようにした。
欲も満足に聞き取れない不利な状況下で、これ以上の罠がないと信じ、強引に突き進む。
そんな掛けをするほど、神子は愚かになりきれなかった。
「……すみませんでした、そちらが妖怪に対し厳しい態度が取れるとは考えていなかったもので、人里の皆さんもこれでよろしいですか?」
力無い肯定の返事を受け取り、神子は改めて聖とマミゾウに向き直り。
まだ死体の側にいた布都を強引に引き戻した。
「……そうですね、今日のようなことが金輪際起こらないよう……切に願います」
聖が必死で何かに耐えながら零した言葉。
それを受けた神子たちと人間は、足早に寺を出て行く。
不満そうに何度も振り返る、布都を最後尾にして。
そんな仙人の影すら消え去った頃。
「わかっていますね、マミゾウさん……」
マミゾウと聖は雪の上で対峙する。
「聖は……、あの妖怪を救いたかっただけだというのに、あなたはそれを平然と裏切った!」
1対1などという甘い構図ではない。
聖と同様、いや、それ以上に怒りに瞳を染めた星が、妖怪を殺すのに使われた槍を持つ。もう片方の腕には、宝塔すら握られていた。
「命を奪う必要なんてどこにもなかった!」
「そうだよ! 何でそんな勝手にっ!」
一輪が雲山と共に、宙に浮かび。
その後ろで村紗がアンカーを高く掲げる。
「……君の言い分は理にかなっているが、しかし……しかしだっ!」
「そういうのは駄目なんだからっ!」
ナズーリンも複雑な顔でダウジングロッドを構える。
響子すら、竹箒を手にしてマミゾウと向かい合っていた。
昨日まで共に生活していたはずの全員が敵に回る中で……
「マミゾウ……冗談、だよね? ほら、ドロンってさ。偽物でしたーって。そういうヤツなんでしょ? ねぇ、マミゾウ……」
ぬえだけが、泣きそうな顔でマミゾウを見つめていた。
敵にもなれず、味方もできず。
どうしていいかわからないまま、ただマミゾウを信じて。
けれど――
「……」
敵意と、困惑と、様々な感情をぶつけられる中で。
マミゾウの瞳の色が変わる。
どこか寂しげな、遠くをみるかのような……
「……聖殿。裏切ってしまい本当にすまんかったとおもっておるよ。気を悪くさせたこともな」
「……」
「しかし、じゃ。儂がああでもせんかぎり、聖殿の立場は悪くなったまま。その上で妖怪を連れ去られるという最悪の事態が発生する可能性が高かった。そうなれば妖怪の命などあっさり奪われよう」
「マミゾウ……」
「だから、じゃ。儂がやらねばならんと思ったのじゃ……。
ああなってしまった以上、どれかを捨てねばならんと。しかしな、儂は選べなかったのじゃ」
だから、即興で思いついた案を実行したとマミゾウは言う。
聖が激昂すると知りつつ、妖怪の命を奪う。
それで神子の能力を阻害し、判断力を低下させる。
それを活用することで、神子を引き下がらせたのだと。
そのために聖たちの気持ちを逆なでする言い方をしたと頭を下げた後。
妖怪の死体を背負い、今にも消えていってしまいそうなほど儚い微笑みを聖に向けた。
「ぬえを引き取り、大切にしてくれた。聖殿の立場が危うくなる選択だけは、しとうなかった……それだけを、言い訳にさせてくれ……」
「……ですが、ですが私はっ!」
マミゾウの気持ちを理解しても、聖はまだ納得しきれない。
必要だったから、と。
罪があるから、と。
決断して、絶対に反対されることを敢えて実行したマミゾウの気持ちは痛いほどわかるというのに。
目の前で彼女を殺した、そんなマミゾウをどうしても……許せなかった。
「ああ、わかっておる。儂はそれだけのことをしたのじゃから。せめてもの罪滅ぼしが、たったこれだけじゃ。こやつの亡骸をあやつらに持っていかせなかった……、本当に些細なことじゃよ。それと、こやつは丁重に葬ってやってくれ……、がんばってくれたからのぅ……」
「な、何言ってるの……マミゾウ……そんな、お別れみたいにさ……」
死体を置き、聖達をその場に残し、背を向ける。
そのマミゾウの姿に何かを感じ取ったぬえが、悲鳴じみた声を上げるが、マミゾウはただ、振り返り。
暖かい笑みを浮かべるばかり……
「達者でな、ぬえ……」
そしてその一言を告げた後。
ごぅっと。
マミゾウを覆うような吹雪がぬえの視界を覆い尽くし、
「マミゾウ……? マミゾウ~~~っ!」
親友の姿は、視界の全てから消え失せていた。
立っていた足下に、小さなメモを残したまま。
そして、そのぬえの悲痛な声を聞き、命蓮寺の上空で一つの影が動いた。
ほんの少し前まで、
たった一週間ほど前まで、ぬえの親友がいた客室。
そこはまだ、こたつも、畳んである布団も片づけられてはおらず。生活感だけが取り残されているようだった。こたつのうえの干からびたみかんを見ているだけで、ぬえの胸はしめつけられるようだった。
ただ、この部屋がそのままであるから、まだ望みがあるのかも知れないと思う。マミゾウがいつかまたここに戻ってこれるような。
そんなことを考えながら部屋に入ったぬえは、あのときマミゾウが残したメモを手にとって部屋の奥の箱へと移動する。
『儂の部屋の衣装箱。そこに多少の金が隠してある。それで聖殿と気晴らしでもしてくれ』
もしかすると、マミゾウは事件の新聞を読んでいた頃から、マミゾウなりに何かを予感していたのかもしれない。
だから何があってもいいように、準備だけをしていた。
『ほれ、おぬしが地底におったときに良く行ったというオススメの店があったじゃろ? そこならば、聖殿も人の視線を気にせず楽にできるのではないか?』
しかも、妙な気配りまで。
ぬえは、ちょっぴり瞳を潤ませつつ、マミゾウから残された金を握りしめた。そして、事件から一週間後、日が沈む頃合に。
あの事件が起きてから、あまり元気のない聖の部屋へ行き。
『出かけよう!』
と。無理矢理に腕を掴んで誘う。
「明日の準備がありますので……」
聖が拒否しても、本当に無理矢理引っ張って。
そうして苦労しながら命蓮寺を出て、異変前に立ち寄ったことがある旧都へとその身を向け、とある店の看板を潜り、
ぴたり、と。
絵に描いたように。二人同時にその身を固める。
目を見開いたまま、入り口から微動だにできなかった。
だってそうだろう。
「いらっしゃいませー、て! あっ! 聖さんっ、お待ちしてましたっ!」
「え、ぇぇぇええええっ!?」
あのとき、死んだはずの。
マミゾウに槍で貫かれ、絶命したはずの、あのハーピーが。
満面の笑みを浮かべて、二人を出迎えたのだから。
「で?」
「で? とは?」
そして、ぬえと聖は、その店にここ一週間ほど入り浸っている狸を見つけて、同じ席についた。
眼鏡と、頭の上の葉っぱがトレードマークの、言わずと知れた二ッ岩マミゾウ。それを丸いテーブルの両側から挟む形で。
「なんであの子が生きてるわけ!」
「うわ、酷いなぬえは……死んでおって欲しかったなどと……」
「ちーがーうー!」
「嫌じゃのう、冗談じゃよ~」
「うわ、酒くさっ!」
笑いながらぬえにしなだれかかるマミゾウは、上機嫌で、命蓮寺を出て落ち込んだ風には見えない。
むしろ、あの妖怪がいきているのであれば、落ち込む要素が見あたらないわけではあるのだが。
「しかし、マミゾウさん。一体どうやって……、あのときの叫び声は確かにあの子のモノだったのに」
聖も不思議そうに首を傾げる。地底の居酒屋で働くハーピーの姿を見て、立ち直ったように見えるものの、やはり疑問だけは残る。
あのとき、悲鳴を上げたのは間違いなく彼女。
そうでなければ、あの神子が騙されるはずがないのだから。
「ああ、そのことか。簡単じゃよ」
と、それまでぬえにじゃれついていたマミゾウが、背筋を伸ばして座り直し、
「儂が本気でやつを襲ったからじゃ」
「……は?」
「あー、そうなんですよ。マミゾウさんってば酷いんですよ……」
本気でわからなくなった二人のところに、ちょうど注文を取りに来たハーピーが、水を置きながら、
「いきなり、お前は小心者かって聞いてきて、私が『違うかも』って答えた瞬間ですよ。いきなり槍を持って、私の胸に突き刺そうとしたんです。で、えーっと……」
「まるで小心者のように、気絶したわけじゃよ。自己申告とは正反対じゃったが」
「もうっ! マミゾウさんっ!」
つまりは、あのときの叫び声は本物。
それで、本人は気絶したから、それで欲の声は聞こえなくなる。
「槍の脅しで気絶しなかったらこう、首どんっとか。いろいろ考えておったんじゃがな」
「え? でも、あのときマミゾウって庭に逃げたあの子刺してたよね?」
「刺されたんですか、私っ!」
「ああ、あれか? 確かに刺したな、別なヤツを」
マミゾウは新しい酒の注文をしつつ、自慢げに言う。
気絶したこのハーピーを小さな小物に変化させて、その後、独りで庭に下りたのだ、と。
そうすると刺したのがなんなのか、余計にわからなくなるわけで。
「刺したのは、単なる死体じゃよ」
「死体って、まさか……お墓の……」
「どあほぅ、あの雪の日に、寒さで一匹小鳥が死んでおったじゃろ?」
「……いたっけ」
「うむ、おったのじゃ。それを儂の化かす力でこのハーピーの姿に変異させ、儂の方から腕を掴んで、やめてと抵抗している用に見せた訳じゃ。操り人形の応用じゃな。じゃからあの大袈裟な血しぶきそのものが、幻術というわけじゃ」
そういえば、と。
ぬえと、聖は顔を合わせる。
死体を墓地で弔った後、雨が降り、積もっていた雪の大半が消えた。血の痕跡も綺麗さっぱりと消えていたので、それだけ酷い雨だったのだろうと、そう結論づけていたが、それすらも幻だったというわけだ。
「儂ら狸の変化は、外見すら化かすからな。狸が茶釜に化けるようなものを応用し、死体をただ大きくしただけ、じゃからあの仙人の小娘も、死体であると触れて理解した。しかし詳しく調べられたらたまらんからな、罠があるかも知れないと警戒させたわけじゃな。
その際、聖殿にも本気を怒って貰う必要があったわけで、それと。帰ったと見せかけてこっそり覗く可能性もあったからのぅ。ケンカ別れしたように見せる必要もあった。最後の妖力放出の風も単なる見かけ倒し、あのあとすぐに部屋に戻って、気絶しておった本物のこやつを慌てて連れ出したのだからな」
「そうだったのですか……、私はてっきり……」
「そんなことがあったんですか。マミゾウさんってば、私は地上で死んだことになってるから、とか、詳しいことは後で話すーとかばっかりだったので……」
「で、でも! 一言くらい私に相談があっても良いじゃない! 親友でしょ!」
「あほぅ、あの神子というやつの能力を忘れたか。皆が慌てておる中で、おぬしだけが落ち着き払っておるのを感づかれたら、それこそ台無しじゃ。
敵を欺くには、まず味方から。騙しの基本じゃろうが」
「あ、そっか……」
そうやって、ハーピーがマミゾウたちと会話を楽しんでいると。居酒屋の店長と思われる妖怪に呼ばれた、マミゾウが頼んだ酒ができたから取りに来いとのことらしい。
それと、マミゾウから追加注文一つ。
その注文に従い、ハーピーは居酒屋の隅の、ちょっと高くなった床のところ。
簡易な舞台の上に立つ。
「さて、誤解もとけたことじゃし、乾杯といくか」
「ええ、そうしましょう。ほら、ぬえも」
「しょーがないなー」
なんだかんだ言いながらも、嬉しそうにグラスを受け取るぬえと、心からほっとした様子で手渡す聖。
そしてそれを満足そうに眺めるマミゾウの三つの笑いと、
『かんぱーい』
カチンっという、小気味よい音が合図となったかのように。
澄み切ったハーピーの歌声が、地底のちっぽけな居酒屋を彩った。
本当にその一言に尽きることなのだろう。
「だだいま戻りました」
ざく、ざく、と。
小気味よい雪の音と共に、聖が人里から戻ったそのとき。
ざくっ、ざくっ、と。
荒く、雪を跳ね上げながら、今にも倒れそうな勢いで一人の妖怪が飛び込んできた。聖の横を掠めるように、飛び込んできたのは、ミスティアや文のような羽を持った鳥の妖怪。
……のはずなのだが、
聖は、いきなりの出来事に驚きながらその妖怪の背中を覗き見て、
「っ! 大丈夫ですかっ! なんという酷い怪我を……」
悲鳴にもにた声が、聖の喉からこぼれ落ちる。
無惨に切り裂かれ、片方しか残っていない羽。
残った片側も、その身を覆う衣服さえボロボロで、着ていると言うより、肩に掛かっている状態。
当然、肌の傷などは言うまでもない。
「たすけて……、助けてっ!」
寺の敷地に入り、聖を正面から確認した途端、瞳に涙を溜めたまま抱きつき、懇願する。見覚えのない鳥の妖怪。
必死に助けを乞い、ぶるぶると震える妖怪に対し、落ち着いて下さいと聖は優しい声を掛け、大丈夫だと抱きしめる。
そのときだった。
「その妖怪の娘を渡せ!」
人里に常駐している対妖怪の能力者が、命蓮寺の外から声を張り上げたのは。
それを聞いて、少女の姿をした妖怪はより一層、聖の服を強く掴んだ。
聖がその能力者に背中を向けつつ、横目で探れば、その姿は二つ。
抜き身の刀を持つ者と、符を持つ者。
この少女が何をされたかなど、想像に難しくない。
だから聖は精一杯、押し殺した声で告げる。
「……スペルカードは、お持ちですか?」
その一人が持つ刀で、羽を奪われ。
肌を、服を、切り裂かれた。
別の一人が持つ符で、力を奪われ。
滅ぼされ掛けた。
怯え、助けを求めるこの少女から、聖は確かに意志を感じ取っていた。
ゆえに、無言のまま返事を返さない二人の男。僧侶にも似た衣服を着た能力者に対し、聖はもう一度問い掛ける。
「スペルカードは、お持ちですか?」
意志のある妖怪の少女がスペルカードルールを活用出来ないはずがない。
そもそも、スペルカードバトルで妖怪が滅び掛けるなど、ほとんどないのだ。
だから聖は問う。
あなたたちは、それを持っているのかと。
あなたたちが握った凶器で、この少女に直接危害を加えたのかと。
男は表情を変えず、口を開き。
「その娘は、許されざることをした。よって、我らが始末す――っ!?」
だが聖に対する答えが、あからさまに止まった。
口を開けなくなっわけではない。
聖が攻撃を加えたわけでもない。
ただ、聖が妖怪から離れ、男の正面を向いた。
それだけのことで、男は声を飛ばせなくなる。
「人の身でありながら……、他者を乏しめるその濁った精神……」
立っているだけ、
聖が棒立ちになって男をまっすぐ見つめているだけだというのに。
まさに、蛇に睨まれた蛙の如く。
男たちの身は会話などという余計な労力に意志を注ぐことを拒否し、ただ、聖の一挙手一投足に集中した。
そして、ふわりっと。
風もないのに、聖の法衣が一瞬だけ翻る。
直後、近くで火薬でも爆発したかのような、盛大な雪煙が男達の視界を覆い隠した途端。
一陣の風が、二人の間を通り過ぎて、
「誠に度し難く……、悪逆非道である!」
男達の後ろから、あるはずのない声が響いた。
彼らが今まで感じたことのない怖気と共に……
◇ ◇ ◇
「ね~、暇なんでしょ? 暇だよね? ね? マミゾウ?」
「……」
マミゾウ専用部屋となった命蓮寺の客室の一つ。
その中央部に設置された掘りごたつの対面に座り合う二つの影は、寺に住む者なら見慣れた冬の風物詩。
こたつの上に置かれた煎餅とみかんが、さらなる風情を醸し出していた。
その風情溢れるお茶請けに負けじと、こたつの上にぬえが顎を置いた。
「ね?」
「だから、何が『ね?』なのじゃ、妙な声をだしおって」
冬の暇つぶしの一つ。
いろんな天狗の新聞一気読み、という常人では苦行になりかねないことに集中していたマミゾウは、紙面から目を外して、こたつの上の置物と化すぬえへと意識を向ける。
ぬえのこんな無防備な姿は本当に珍しく、見慣れない者ならついついコロっと。言うことを聞いてしまいそうになりそうな愛らしさであるが。
残念、相手はマミゾウであった。
「気持ち悪い顔をせずに、さっさと要件だけ言わんか」
「うわっ! 酷っ! マミゾウ、酷っ!」
「はいはい、酷くて結構。儂は情報収集に忙しいんじゃ」
「ふーん、どうせ寒いから動きたくない癖に……ババくさっ」
「えいっ♪」
「ぎゃふっ!」
伝家の宝刀。
液符『みかんの皮を、指で摘んでぴゅっ』
マミゾウの指の間から生み出された弾幕がぬえの目に直撃し、ぬえは畳の上をのたうち回る。
妖怪にも効果があるとは、恐るべしリーサルウェポンである。
「目がぁ……ぁぁ、目がぁぁ~~」
「大袈裟じゃのぅ」
「マミゾウは眼鏡があるから、この不意打ちの苦しみがわかんないんだよ!」
「ああ、儂が悪かった。悪かったから、さっさと話だけしていかんか」
「うん、まあ、わかった。じゃあ結論から言うとね」
やっと新聞を置いて、話を聞く気になったマミゾウの姿を見て、ぬえはこほんっと、咳払い。コタツから出て、マミゾウの横で正座をすると。
「……実はね、聖がね」
さっきとはまるで別物の神妙な顔つきをして、低い声を零す。
肩を落とし、ぎゅっと、ふともものうえの衣服を握りしめ。
「間違って人殺しの妖怪をかくまっちゃった……」
「は?」
今度は、マミゾウが変な声を出す番であった。
ぽろっと。
さっきのような軽い雰囲気の中で伝えてはいけない、あまりに重すぎる内容。しかもそのぬえの豹変ぶりからして、冗談ではないと察したマミゾウは、その簡単な流れを説明しろと続けてぬえに促す。
それに従って、ぬえがぽつりぽつりと語り始めた。
その内容というのが、
まず、聖が帰ってきたときに、傷だらけの妖怪が助けを求めてきた。
彼女を追いかけるように、危害を加えたと思われる二人の人間とも遭遇する。
その人間のあまりの態度に怒り、聖があっさり撃退してしまったわけだが、
……その後で妖怪の少女に話を聞いたら、人間を殺していたことが判明したというのだ。
「ね? やばいよね? これ、やばいよねっ!」
「うーむ、状況はわかった。しかし、これはいつ話に出たのじゃ? 聖殿の言葉では聞いたことがないが」
「今朝! マミゾウいなかったとき!」
「そうか、皆が不自然に集まっておったアレか。儂は呼ばれておらなんだからな」
マミゾウが呼ばれなかったのは、正式な寺の一員ではないからという面もあるかもしれないが、客人扱いであるマミゾウに被害が及ばないようにしたいという聖の意志に違いない。
それは出会ってそう日の経っていないマミゾウでもわかる。
聖という人物は策略家とは程遠く、直上的な性質を見せるときがある。そういった部分だけみれば、まず策を練ってから行動するマミゾウとは正反対の位置づけとなるだろう。
ゆえに、マミゾウは特に心配する様子でもなく。
「そんなもの、簡単ではないか」
「え、ええっ! ホント? さっすがマミゾウ!」
頼りがいのある言葉にぬえは瞳をキラキラ輝かせ、
「ほれ、その妖怪を人間に突きだして、聖殿が謝罪する。これで完璧じゃ」
「……うっわ、期待した私が馬鹿だった」
しかし期待とは正反対の答えに、むすっと表情を暗くする。それを見たマミゾウは、くぃっと眼鏡の位置を正し、ため息を吐く。
「――と、いうのが楽な解決方法じゃが。聖殿のことじゃ。あれじゃろ? 面子とか言う問題ではなく、その妖怪を差し出したら間違いなく殺される。それがわかっているから差し出せないと。しかし、何があったか知らんが人里で人を殺してしまったそやつをかくまい続ければ、命蓮寺の信用はガタ落ちと」
「そう! だから困ってるんだよぅ!」
「ま、それで済めばいい話なのじゃがな……」
「どういうこと?」
マミゾウは長細い木箱からキセルを取り出すと、火をつけ、軽く息を吸い込みながら、さっきまで見ていた天狗の新聞をぬえに手渡した。
何のつもりかとぬえが首を傾げると、マミゾウはある一箇所を指差す。
その文々。新聞という題名新聞の右下あたりを、
『妖怪が人間を殺害っ!? 事件の真相に迫る!』
「……え?」
ぬえは、血の気が引いた青い顔でマミゾウを見つめ。
その視線を受けたマミゾウは首を縦に振る。
「そういうことじゃ、事件には当然人里の関係者がおる。信用問題だけで済むならばいいのじゃが」
こんっと、マミゾウは灰皿にキセルの中身を捨て。
「……儂らだけが動くとは限らんのが問題かのぅ」
わずかに濁った煙を静かに吐き出した。
「ふふ、はははっ! さすが太子様っ! このような欲まで感じ取って下さるとは!」
神霊廟の廊下を歩いていた布都は、さきほど人里で拾った新聞を大事そうに抱えていた。上機嫌に、鼻歌など奏でながら。
『人里から何やらざわついた黒い欲を感じます。布都、調べてきて下さい』
太子は道教を広めつつ、人に仇なす妖怪の退治も請け負い、人間から信頼を集め始めていた。だからこそ、また妖怪が事件を引き起こしたかも知れないと察し、布都を差し向け、その戦利品が新聞というわけだ。
記事には妖怪が人里で人間を殺めたかもしれない、という文言があり。
加えて、その件に命蓮寺が絡んでいるかも知れないとも記載されていた。
まさしくそれは、千載一遇のチャンス。
「憎き命蓮寺の輩どもめ、目にもの見せてくれようぞ!」
妖怪の敵となりうる神子の復活を阻止しようとした、布都にとって大悪党以外の何者でもない聖。彼女を貶める。いや、命蓮寺の連中全員を屠るにはこれ以上ない好機と言っても良い。
さっそく太子様に報告を、と。足取り軽く歩いていた布都であったが、いきなりぴたりとその歩みを止めてしまう。
「いや、しかし……」
急に顔に浮かんだのは迷い。
神妙な面持ちのまま、小さく唸ると。とうとう腕を組んだまま止まってしまう。眉間に寄るしわが語るのは、幻想郷に共に生きる者としての良心か、それとも――
「太子様の手を煩わせることなく、我一人でことを成し遂げれば……、その寵愛は我だけのモノに……くふふ……」
単に欲まみれでした。
ペシッ
「愚か者」
「あいたっ! い、いきなりなにを……」
と、そんな欲以外の何者でもない意志を太子が感じ取れないわけもなく。
布都が顔を上げれば、そこには心の中に思っていた主の姿が
「屋敷の中で欲を垂れ流さないように、あなたの声で俗世の欲がまるで聞こえないじゃないですか」
「……い、いえ、我は決してそのような。仙人の一人である我が、人並みの欲に流されるなどあるはずも」
「確か、寵愛がどうとか?」
「わーっ! わーっ! わーっ!
それ以上はいけませんぞっ! 命に係わりますっ! 我のっ!」
おもに社会的な生死の意味で。
叫び終わると布都は自分の口を押さえて、神子に背中を向けてしゃがみ込む。欲を漏らさないようにという苦肉の策のようだが、そう自分で言い聞かせるほど、布都の中の神子への感情が高ぶっていくのだから性質が悪い。
「布都、もういいから仙人らしく自然体でいなさい」
耳当ての欲望遮断を若干強めつつ、従者への悪態を付くが。布都が騒ぎの間に取り落とした新聞を拾い上げ、神子は実際に自分の目でその記事を眺めた。
「まあ、いいでしょう。私が欲の変動を感じ取ったからと言っても。あなたが持ち帰ったこの情報はなかなか興味深いのは事実。布都、大儀でした」
「は、ははっ! ありがたき幸せ!」
その神子の一言であっさりと立ち直る布都に一抹の不安を感じつつ、神子は先ほどの布都と同じように腕を組み。
「それと、布都。今から人里へ出向きます、準備を」
「えと、それはどういった用事で?」
「決まっているでしょう。情報収集です。」
神子は腕を組んだ状態から右手を軽く顔の前に、持ってきて、人差し指を唇に触れさせる。
そしてくすり、と微笑んで。
「あなたの策に、乗らせていただこうかと思いまして」
ぱちり、と。
布都に片目を閉じて見せた。
「……マミゾウ、私のネズミたちの話だと、人里にあの神子が現れたそうだよ」
今後の作戦会議のために皆が集まった広い居間の中に、偵察班のナズーリンの声が響くと、気配が大きくざわついた。
一輪と村紗は不安そうに顔を見合わせ、雲山とぬえは心配そうに聖に視線を送る。その聖は部屋の中央で正座し、微動だにしないまま。
向かいに座るマミゾウをまっすぐ見つめる。
「狙いは、この機に乗じて名を売るか。命蓮寺の名を汚すこと、でしょうね」
「両方という可能性が一番高いじゃろうな。予想はついておったが、実際に動かれるとたまらんものじゃ」
聖が瞳を閉じて嘆いても、もう事態は好転することがない。神子の陣営の動きで悪化するだけ。それを招いたのが聖自身の我が儘であることも、自覚した上で、それでも聖はマミゾウや他の住人を目の前にして
「しかし、私は……この子を人里に渡す真似はしたくありません……」
聖の背にに隠れるようにして、正座しながらぶるぶる震える妖怪の少女に『大丈夫ですよ』と微笑みを向けた。
しかし、その微笑みの暖かさが他の住人を余計に不安にさせる。
その感情を代弁するかのように、マミゾウの横で座っていた星が神妙な面持ちで声を絞り出した。
「……罪のある妖怪を庇い立てして人と対立する。それは聖らしいことだと思います」
それは飾らない星の本心だ。
ここにいる者の多くが、曰わくのある妖怪で、聖に救われたと言っても良い者ばかりなのだ。聖は今回もそれをやりたいと言っているだけ。それは星も痛いほど理解していた。
それでも瞳に涙を溜めて、苦しそうに言葉を探す。
「しかし、聖……私は……、いえ、私達は、二度とあのときのような想いはしたくないのです」
「星……」
「また聖が犠牲になるかもしれない……、そう考えるだけで私達は……胸が締め付けられる想いなのです」
だから、今回ばかりは。と、星は必死に訴えた。
その星の声に賛同するかのように、ぬえも、村紗も、一輪も、雲山も、ナズーリンでさえ静かに頷いていた。
(まあ、ことがことじゃからな)
と、マミゾウもその意見には賛成であった。
聖の後ろに隠れる、鳥の妖怪。
新聞屋の文の髪を少し伸ばして、身長を縮めた。そんな外見の小さな鳥の妖怪。服が駄目になったのでぬえと同じ服を着せてはいるが、ぬえのようなハツラツさはどもこにもなく、今は不安だけが表情に張り付いていた。
(こやつが悪人であれば、聖殿も悩まずにすむはずじゃが……)
事件後、この妖怪の少女の口から出た言葉と、ナズーリンが集めた情報をつなぎ合わせればこうだ。
この少女はただ、歌を歌うことが好きなハーピーに分類されるような妖怪で、人里で歌を聴かせ、その感動を食料にするという比較的無害な存在だったらしい。
それでも、人里で堂々と妖怪が活動していることに反感を抱くグループからいちゃもんをつけられて、いつも使っている広場を出入り禁止にしてやるなどと、口論がエスカレートしていき。
どんっと、その人間に肩を押された直後。
「何するのっ!」
かっとなって突き返してしまったのだという。
その手の爪が、興奮で長く伸びてしまっていることに気付かずに。
その後は、もう。
逃げ出したことしか記憶にないのだという。
ナズーリンの集めた目撃情報も似たようなものだった。
そして不幸なことに、その爪が胸に突き刺さっていたようで……
治療が間に合わず、人間は絶命。
かくしてこの鳥の妖怪は、人里から指名手配にあっているようなもの。幻想郷の規律の中でも、争いは弾幕勝負で決着するものであり、人里で妖怪が人殺しをするなど合ってはならないこととされている。
不幸な事故だった。
そんな一言で片づけられない。
妖怪側としては最悪の事態。
「しかし……」
それでも聖は、星たちの意見に賛同しない。
「私は、思うのです。確かにこの妖怪は許されないことをしたのかもしれません。けれど、それは彼女の本心からの行動ではなく、人間を襲うという性質も持ち合わせていない。おそらくは人間との争いなんて、経験もなかったはずです」
そして震える妖怪の側まで動くと、優しく後ろから抱きしめて。
「人間との、歌と会話以外の接し方をしらなかったこの子に暴力で挑んだ人間の非を問わず。この子にだけすべてを押しつける。そのようなやり方を、私はどうしても許せないのです……」
「しかしっ……」
「わかって、星……」
渦中にありながらも、聖に抱きしめられ、穏やかな表情をし始めた少女。
星とて、その少女をの何処を見ても、人を殺めるような妖怪には感じられない。
けれどやはり、事実は残る。
人を殺したことのある妖怪という認識は、この場を乗り切ったとしても少女の存在を危うくするに違いない。
聖が村紗たちを救ったときとは違う。
誤魔化しようのない真実が既に広まっているのだ。
となれば、やはり。ずっとこの妖怪を命蓮寺で匿うことになり。
少女のことを人間達が許さない限り、毘沙門天の信仰も薄れていく。
それをすべて理解した上で、聖は言うのだ。
「私は、この子を救いたいのです……」
こうなってしまったら聖は何を言っても聞かない。
星は、そんな諦めの表情を浮かべながらも、何故か、少しだけほっとした表情で。
「……相変わらず、強情ですね」
「すみません……」
「でも、そうでないと聖らしくない」
「え……?」
暖かな聖と、その少女に微笑みを向け。
「私も、協力します。聖がそうしたいのであれば、全力で私が守ってみせますから」
星の声に続き、寺の住人達が『私も』と声を上げた。
その絆はまさに、家族のようで、
「その子一人の悪評など、毘沙門天代理である私が受け止めて見せます!」
「ご主人っ!!」
それでも、部屋の入り口近くにいたナズーリンだけが、鋭い声を星に向けた。
「……今の言葉は、いままで私たちが築き上げた毘沙門天様の信仰を犠牲にしてもいいと、そういう意志なのかい?」
「な、ナズーリン……」
「宝塔の件だけでなく、また私に負担を掛けると?」
「あ、と……えと、その……」
毘沙門天から使わされたナズーリンの怒り。
それを見て、星はあわてふためくが。
いくら待っても、星からはごめんなさいの声も、取り消すという声も聞こえない。
だからナズーリンは、耳を倒して、肩を落とすと。諦めたように息を吐いた。
「わかった……、わかったよ。毘沙門天様への報告は……、こちらでなんとかするから。ご主人はご主人のやりたいようにすればいいさ」
「ナズーリン……」
「ああもう、なんて情けない顔をするんだ君はっ! 宝塔が無くなったときの言い訳と比べたら、朝飯前。たったそれだけのことであってだね――」
「ナズーリーンっ!」
「あ、こら! 急に抱きつくんじゃないっ」
いつもの暖かい、命蓮寺の風景。
困ったように星を引き離そうとしながらも、照れくさそうに頬を赤くする。そんなナズーリンの姿を楽しそうな笑い声が包む。
そしてその声が、聖と妖怪の少女さえ包み込む中で。
(さて、と……、確かにこのままでも良いのじゃが……)
マミゾウはおもむろに席を立ち、廊下へと向かう。
雪に覆われた中庭は昼の日差しを受けてキラキラと輝かんばかり。
ただ、その雪の上に一つ。朝にはなかったはずの真新しい変化があった。
「ふむ」
寒さでやられたのだろうか。
寂しそうに横たわる小鳥が、雪の中に小さな点として浮かび上がっていた。たったその一つを見つけてしまっただけで、この輝かしい景色が壊れてしまったかのように思えてしまう。
マミゾウはまた、その動かなくなった小鳥に視線をやってから。
「……のう、聖殿や?」
「なんでしょう?」
その眼鏡を、日差しで怪しく光らせながら。
「その妖怪の件、儂に任せてはくれんかのぅ? 少々妙案を思いついたのでな。万事解決してみせるぞい?」
「ほ、本当ですか!」
「もちろんじゃとも、儂は人と妖怪の間を取り持ってきた実績がある。大船に乗ったつもりでおるがいいわ」
マミゾウの頼もしい言葉に、部屋のほとんどの者の顔が明るくなる中で。
ぬえだけが、首を傾げてマミゾウに尋ねる。
「……そんなこと、できるの?」
「ああ、おぬしらの協力があれば、じゃがな」
「協力?」
「そうじゃ、ほれ、来たぞ」
何が来たのか。
誰かを出迎えるように雪の上を浮いて移動するマミゾウ。
それを追うように聖と星が廊下に出たとき、門を見張っていた響子が慌てた様子で中庭に駆け込んでくる。
顔色は真っ青で、がたがた震えながら門の方を差していた。
「ひ、聖っ! 星っ! 人間がっ!」
その一言で、聖と星は察した。
あちらの陣営が先手を打ってきたのだと。
「うむ、じゃから儂が準備をするためのちょっとした時間稼ぎをお願いしたいのじゃが……」
「わかりました! 星、出ますよ!」
「はいっ!」
二人に続いて、命蓮寺の全員が門の方へと向かう。
部屋の中にハーピーの少女を、そして廊下にマミゾウを残して。
そして、少女と二人きりになったマミゾウは、すーっと静かに入り口を閉めて部屋の中を見渡した後、目的のものを見つけて、にやり、と微笑んだ。
大慌てで出て行ったせいか、それとも交渉事にはそぐわないと判断したのか。
「あ、あの……私は、何をすれば……」
ただ、そのにやけ顔は少女を不安にさせるのに充分で、
「ああ、すまんすまん。まずは簡単な質問に応えてくれればよい」
そんな少女の肩をぽんぽんっと叩きつつ、マミゾウは静かに尋ねた。
「おぬし、小心者か?」
今の場に、まったく相応しくない。
何の関係もなさそうな質問だった。
場所が代わって、命蓮寺の門付近。
そこには人里の代表者と思われる長老と、その関係者と思われる数人。そして被害者家族の10名程度が門のところに押し寄せたところだった。
「お待ち下さい!」
いまにも屋敷に入り込みそうな一団に大声をぶつけた聖は、彼らを止めるように屋敷と人間達との間に入る。それに続くように星や、ナズーリンたちも続き、聖の後ろについた。
「ご心配なく、こちらの方々は最初からあなたたちとお話に来ただけですので」
「そうだぞ、偉大なる太子様は、そちらの言い分も聞いてやろうとやってきたのだからな」
そんな聖と対するように、人間達にもまた先導者と思われる人影があった。神霊の異変の元凶となった神子が、余裕綽々と言った様子で立ち尽くしている。
そんな後ろ盾があるからだろうか。
「何が正義の毘沙門天だ! 人殺しの妖怪を庇いやがって!」
「この妖怪寺!」
死んだ人間の家族やその友人の代表と思われる人間から声が飛ぶ。それに反応しようとする星を手で制し、聖は静かに一礼してから、
「皆さんのお怒りはもっともだと思います。それを匿ったこちらにも、非礼はあったことは事実。その点については深く謝罪をさせていただきたく思います」
「それでは、その妖怪を引き渡す準備があるということですか?」
交渉事を任せられているのか、聖の声に神子が応じる。
他人の欲を感じ取れる能力、さとりにも似た読心術を持っているがゆえだろう。
その能力で聖の答えを知りながらも、神子は冷静な態度で返す。
「……いえ、いまそちらに引き渡すことはできません」
なんでだ、と。家族の誰かが叫びそうになるのを遮り、
「こちらに渡せば妖怪の命がない。だから庇うと?」
「……そう受け取られても仕方のないことかと思います。けれど、皆さんもあの妖怪のことを知っているはず」
「知っている、とは?」
「話を聞けば、あの妖怪はもともと歌を歌うだけの比較的害のない妖怪だったはずです。人間の肉を食料せず。里に頻繁に出入りしていた妖怪の一人だとも知られていたはずです」
人間達が、静まり返る。
確かにそれは事実なのだから。人間の被害が出ないから、歌わせても問題ない。そう判断していたのだ。
「その彼女が今の事件を引き起こした。それには何か原因があるのではありませんか? 例えば、誰かが彼女に干渉することで興奮状態になったとか、そのようなことがです。それを棚に上げて責任を妖怪だけに押し付ける。酷い言い方になるかもしれませんが、人里の側にも原因があったのではないでしょうか」
「それは……」
里の代表者も、そのことはわかっている。
ただ、人間と妖怪の簡単な争いならスペルカードバトルでなんとでもなるのだ。それを一人の人間が無視し、先に暴力を働いたことで妖怪が過剰に反応した。
過剰防衛にはあたるだろうが、最初から殺意があったわけではない。
それでも、人間と妖怪の命の問題となると、簡単な足し算、引き算で考えることの方が多いのだ。
しかしそれを聖は否定する。
「人里だから妖怪は手を出せない。そういった奢りが、今回の事件を生み出した。私はそんな気がしてならないのです。ですから! 人里の皆さんも事件についてもう少し真剣に向き合って下さい! あの子には死を与えるのではなく。人間社会について学ばせる機会を与えた方が人間と妖怪にとってより良い関係造りに繋がるはずです!
もちろん私も手助けしていくつもりです。罪を自覚しているあの子を支え、命蓮寺で教育していきます! ですから、お願いです!」
それを否定しようと、人間達の唇が動くが。
その言葉の中に事実が含まれているため、上手い反論が思いつかず、言葉にもならない。
けれど、神子は落ち着き払ったまま、横にいる布都に目で合図を送る。
すると今まで静かだったのが嘘のように、布都が騒ぎ出した。
「ふふん、語るに落ちたな! あの妖怪が人畜無害? ヘソが茶を沸かすというものよ!」
「何が違うというのです!」
聖の声を余裕で受け止めた布都は、事前に準備していた。巻物を懐から取り出し。
こほんっと咳払い一つしてから。大袈裟な仕草でそれを開く。
「はぁぴぃ~なる妖怪は、本来その歌で人間を狂わせる。ならばそのはぁぴぃ~を襲った人間は歌に狂わされて、乱暴になったのではないか?」
「なっ――」
「そうですね、布都。私達はあの妖怪を長く観察していませんから、本来あるべき妖怪の能力が知らず知らずのうちに発動していても、知ることができません。それを否定できますか?」
「それは……」
「それと、あなたたちがあの妖怪とどれくらいの間接して、その結論を得たのか。その期間も詳しく教えていただけると参考になるのですが。
まさか、とは思いますが。事件がおきてからのわずかな時間で、あの妖怪の能力について結論づけたわけではありませんよね?」
可能性の、問題。
それを持ち出されて、聖は何も言うことができなくなる。
確かにあの妖怪は阿求の文献にすら載っていない妖怪だ。いままで安全であったからこそ、書記に乗せる優先順位からはみ出た妖怪。
それが今回の事件では圧倒的不利な条件として作用してしまった。
「……あの子のことを詳しく知ったのは、この寺に助けを求めてからです。ですが!」
「太子様! やはりこやつたち、短期間しか妖怪と接しておりませんぞ」
「ふむ、まあ、温厚な妖怪、いえ妖獣でしょうか。そういった部類だというのはわかります。けれど、妖獣は騙すことに長けた化生。本心がどこにあるかなど、わかったものではありません。
それに、ですよ? 事故か故意かは別にしても、人里で問題を起こした妖怪を命蓮寺で匿い続けるのは道理にも反すると思いますが?」
「……しかし」
「それとも、人里の意見を無視して、あなたの意見を強引に通すのが道理だと?
それが命蓮寺の謳う人間と妖怪の共存というところなのでしょうか?」
決定的な言葉を突きつけられ、聖は強く唇を噛んだ。
ぎりっと。
奥歯を鳴らせたのは、星だった。
手助けしたくても、感情だけで反論すればそれこそ相手の思う壷。それをわかりきっているからこそ、穏やかな表情のまま心の奥で牙を抑え続ける。
ナズーリンがその星の前にわずかに出て立つのも、聖のことで熱くなりすぎる可能性のある星を止めるため。
だが、そうやって場を比較的客観視できるナズーリンであっても。
先手を打たれた命蓮寺陣営の圧倒的不利を覆す案は何もない。
こっそりと周囲の仲間に視線を飛ばしても、誰一人として余裕のある顔をしていない。
「妖怪を出せ!」
神子が優勢と見ると、人間達の圧力もまた増してきている。
このままでは、妖怪を差し出さなければ丸く収まらない。
時間を掛ければ掛けるほど、人里で命蓮寺が妖怪だけに甘い寺だという悪評が立つに違いないのだから。
策もなく、時間稼ぎも限界。
加えて、神子は相手の欲を知る能力者。
つまりは……
「それでは、妖怪のいる部屋に案内していただきましょうか」
この場の全員の欲、つまり聖の手助けをしたいことや、人間達を追い出したいということ、妖怪を救いたいということ、その入り交じった感情が相手に筒抜けで。
加えて、誰かの手助けを待つ、という欲もこぼれ落ちているに違いない。その誰かというのはこの場にいないもう一人以外に他ならず。
「……さとり妖怪並に、厄介だね君は」
ナズーリンは、飾らない言葉を神子にぶつける。
それを神子はやはり微笑みだけで受け止めて、冷静な目でナズーリンを見下ろしていた。その目は、語っていた。あなたたちの策など全て見抜いていると。
神子の能力の有効範囲。それがどれほどの距離なのかはわからないが、もしもマミゾウやあの妖怪の少女の欲望すら読み取っているとするなら。
部屋へ連れて行けと言うのは、マミゾウの言っていた妙案を潰す策に他ならず。
そこへ行かせたくなくても、無理矢理追い出すという選択肢が取れない聖は、もう決断するしかなかった。
「さあ、案内していただけますね?」
はい、と。
うつむき沈黙していた聖が、神子の声に従う。
命蓮寺側の敗北を意味する、そんな頷き、
その直後だった。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!」
恐怖に染まった悲鳴が、屋敷の方から聞こえてきたのは。
神子と布都は、勝ち誇っていた。
一度は聖の手で苦渋を舐めさせられた、その充分な意趣返しに成功しただけで心の中のわだかまりも薄らぐというモノ。
後は、妖怪を確保し人里に手渡す。
それだけで、命蓮寺の威厳を削り、神子の陣営の影響力を高められる。一石二鳥の策であったはずだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その叫び声をきくまでは。
あるはずのない声に、命蓮寺の面々は動揺を隠すことなく身を固くする。
人里の人間達も何事かと狼狽し、神子を見る。
しかし、それ以上に神子は混乱していた。
『助けて、死にたくない!!』
悲痛な叫びに乗った、強烈すぎる欲。
それを感じるはずの場面など、想定していなかったからだ。
だから行動が遅れる。
「太子様っ!」
布都の声ではっと神子が我に返れば、命蓮寺の面々は既に走り出していた。その声が聞こえてきたはずの屋敷の、中庭の方へ。脚で蹴り上げられた雪煙がずいぶんと離れて見えた。
「いきますよっ! 布都っ!」
遅れること、数秒。
太子は人間を置き去りにする形で素早く浮かび上がると、布都と共に飛ぶ。命蓮寺に遅れをとらないよう全力で。
急いで建物の屋根を飛び越えて、上から状況を確認したとき。
確かに、そこには神子の予想通り。
最後の策を練ることのできずはずのマミゾウがいた。
中庭のちょうど真ん中あたりに、佇み、何かを見下ろしている。
「やめなさい、マミゾウっ!」
それが、なんなのか。
すでに現場近くまで迫った聖の声がそれを証明していた。
雪の上に尻餅をつき、助けを求めるようにマミゾウを見上げる小さな妖怪。その妖怪をマミゾウは見下ろしているのだ。
神子の位置からは後ろ姿しか見えないが、間違いない。
まるで、妖怪を追いつめているかのように。
その手には、槍のようなものが握られていて、
「マミゾウっっ!!」
ぬえの叫び声と、その槍が振り下ろされるのは同時だった。
「なっ!?」
一瞬だけ、赤い鮮血の花が宙を舞い。
その名残を雪の上に残す。
それは雪の上に真っ赤に咲いた、牡丹の花のよう……
空から見下ろす神子からは、そう見えた。
花弁の中央、おしべや、めしべにあたる胸の中央に。
無粋な槍を突き立てられたままの、鮮やかな華。
雪の上に、季節外れの色が広がったとき。
マミゾウに伸ばした妖怪の手が、ぱたりと、悲しげに落ちる。
「神子、様……これは、一体……」
布都が動揺するのはわかる。
こんな状況など想定外だったのだから。
それでも、予想していなかったからと言って、ここまで来たら引き下がるわけにもいかない。
神子は、油断なく、欲の収集範囲を拡大させながら、聖たちの側へと降り立った。
だが、途端に、目眩がした。
「う……」
本来の穏和な聖からは想像もつかない、黒い欲望。
吐き気を催しかねないほどの怒りに伴う欲が、神子に耳に流れ込もうとしたからだ。気をやりそうになるほどの激情に当てられ、神子は慌てて耳当ての欲の感度を大幅に下げ、なんとか踏みとどまるが……、重い頭痛が残ってしまう。
それほどに、目の前で妖怪を殺すことを見せつけられた聖の怒りは凄まじく……
「マミゾウ、さん? これはどういうことですか……」
穏やかな声の中にも確かに、圧倒的な圧力があった。
神子の後ろで、布都が怯えるほどに。
人間などは、少し離れた場所で腰を抜かせてしまっている。
聖の側に集まっていた命蓮寺の面々も、その怒りに乗せられているようだった。
「……何? とは?」
しかし、マミゾウはそれを平然と受け止めていた。
眼鏡の位置を直し、片目を閉じて。
自分のやった成果を見せつけるように、妖怪に刺さった槍を右手で握り続ける。
「居間に、星がよく使う槍が置きっぱなしになっていたからな、それを使っただけじゃが?」
「そのようなふざけた答え! 誰が求めたというのです!」
「おうおう、怖い怖い」
まるで聖の怒りをさらに誘うかのように、マミゾウは微笑み。
その足下で動かなくなった妖怪へと視線を降ろした。
「妖怪と人間、儂はその微妙な関係を長く見てきた。じゃからこそ、これが一番なのじゃよ、聖殿」
「ですが、あなたはさっき!」
「ああ、妙案があるとも。万事解決してみせるとは言うた。
しかし、じゃよ?」
ずぶり、と。
赤くなった染まった槍を妖怪から引き抜き、まだ白い雪の上へとそれを突き立てる。すると、みるみるうちにその雪が薄紅へと染まっていく。
それになんの感慨も見せぬまま、冷めた顔でマミゾウは言い切った。
「誰が、こやつの命を助けると言うた?」
「っ!?」
命蓮寺の全員が息を呑む中。
またしても濃くなる黒い欲に、神子は顔をしかめる。
「っ! マミゾウっ! 貴方という人はっ!」
「人ではない、妖怪じゃよ、聖殿。この世界の決まり事を勉強中の、しがない妖怪じゃ。そんな未熟モノの儂でも、こやつを生かし続けることに利点を思いつかん」
血の気の失せた顔、そして、誰も姿も写さない意志のない瞳。
それをさらし続ける小さな妖怪を是か非だけで切り捨てた。
聖の意志を無視し、それを実行したマミゾウを命蓮寺の住人達は強く否定し、しかし神子は……
「……」
何の行動も起こせずにいた。
妖怪を生かして匿う。それが悪だと言って出向いてきたというのに、肝心要の妖怪を目の前で殺されてしまった。
そんな明らかな現実を見せつけられ、人里の人間からも急激に命蓮寺を攻める気概が失われつつあったからだ。
加えて、欲を読みにくくなってこの場。
一種類の欲が強すぎるせいで、肝心要の、一番警戒するべき相手のマミゾウの欲がはっきりとわからない。
霞に隠れたようにぼやけるだけで、動けずにいた。
だからこそ、布都が意を決したようにマミゾウの前へ移動し、
「ふ、ふんっ! このようなはったりを見抜けぬ我だと思うたか! おまえも妖獣、しかも狸という人を騙すのに長けたアヤカシ! ほれ、どうせこの妖怪の身体も幻術か何かの類でっ!」
布都が己を奮い立たせるように大声を出しながら、妖怪へと接近し、聖達の制止を聞かぬままその身に触れた。
どうせすり抜けたり、肉の感触がしないはず。
そう思っていたのだろう。
だが、
「幻術の……部類……で……あろ……、ば、馬鹿なっ!」
その手に伝わるのは、確かな感触。
雪の冷たさと一緒に伝わる肉が、間違いなくそこにあった。
「おや? そんなに疑問ならもっと調べてもいいんじゃよ?」
動揺し、妖怪に触れたまま固まる布都の姿を眺めながら、神子は必死に思考を働かせる。聖たちの反応を見る限り、演技ではない。心の欲も、嘘を吐いているなどと到底思えない。ならば、限りなくあの妖怪は本物という可能性が高く。
「……ほれ、そこの人間の方々。此度は悪いことをしたな。おぬしらの手でこやつの命を奪いたかったかとは思うのじゃが、今後の関係のこともあるからな。儂が独断で処分させて貰ったのじゃ。
少々その後の対処についても問題はあったかもしれんが、これで手打ちにはできんかのぅ?」
人間達もこの異常な空気から速く逃げ出したいと、そう思い始めてしまっていた。それが神子に伝わってくる。
明らかな形勢の逆転、これを取り戻すにはマミゾウの自信の根拠であるあの妖怪の死体を探らなければならない。
だから神子は、布都の側へ歩いていこうとしたところで。
『さあ、来い……』
「っ!?」
マミゾウ側から、うっすらとそんな欲が飛んで来た気がした。
気を抜いていたら気がつかないほどの、微かなモノだったが……
まるで、神子が布都と一緒になって、この死体は偽物である証明をするのを望んでいるかのような。
化かすことが能力の一つとして記されたマミゾウから浮かぶ、罠の気配。
神子は平静を装いながら、くるりとマミゾウに背を向け、
「布都、戻りなさい……」
引いた。
死体を調べることで、もしかしたら何か得られるかも知れない。
このマミゾウすら追いつめられる何かが見つかったかも知れない。
しかしである。
聖達の不意を打った神子たちと同じように、マミゾウは妖怪の命というモノすら利用して神子の不意を打って見せたのだ。
さらには、聖の怒りも利用し、神子の能力をまともに作用させないようにした。
欲も満足に聞き取れない不利な状況下で、これ以上の罠がないと信じ、強引に突き進む。
そんな掛けをするほど、神子は愚かになりきれなかった。
「……すみませんでした、そちらが妖怪に対し厳しい態度が取れるとは考えていなかったもので、人里の皆さんもこれでよろしいですか?」
力無い肯定の返事を受け取り、神子は改めて聖とマミゾウに向き直り。
まだ死体の側にいた布都を強引に引き戻した。
「……そうですね、今日のようなことが金輪際起こらないよう……切に願います」
聖が必死で何かに耐えながら零した言葉。
それを受けた神子たちと人間は、足早に寺を出て行く。
不満そうに何度も振り返る、布都を最後尾にして。
そんな仙人の影すら消え去った頃。
「わかっていますね、マミゾウさん……」
マミゾウと聖は雪の上で対峙する。
「聖は……、あの妖怪を救いたかっただけだというのに、あなたはそれを平然と裏切った!」
1対1などという甘い構図ではない。
聖と同様、いや、それ以上に怒りに瞳を染めた星が、妖怪を殺すのに使われた槍を持つ。もう片方の腕には、宝塔すら握られていた。
「命を奪う必要なんてどこにもなかった!」
「そうだよ! 何でそんな勝手にっ!」
一輪が雲山と共に、宙に浮かび。
その後ろで村紗がアンカーを高く掲げる。
「……君の言い分は理にかなっているが、しかし……しかしだっ!」
「そういうのは駄目なんだからっ!」
ナズーリンも複雑な顔でダウジングロッドを構える。
響子すら、竹箒を手にしてマミゾウと向かい合っていた。
昨日まで共に生活していたはずの全員が敵に回る中で……
「マミゾウ……冗談、だよね? ほら、ドロンってさ。偽物でしたーって。そういうヤツなんでしょ? ねぇ、マミゾウ……」
ぬえだけが、泣きそうな顔でマミゾウを見つめていた。
敵にもなれず、味方もできず。
どうしていいかわからないまま、ただマミゾウを信じて。
けれど――
「……」
敵意と、困惑と、様々な感情をぶつけられる中で。
マミゾウの瞳の色が変わる。
どこか寂しげな、遠くをみるかのような……
「……聖殿。裏切ってしまい本当にすまんかったとおもっておるよ。気を悪くさせたこともな」
「……」
「しかし、じゃ。儂がああでもせんかぎり、聖殿の立場は悪くなったまま。その上で妖怪を連れ去られるという最悪の事態が発生する可能性が高かった。そうなれば妖怪の命などあっさり奪われよう」
「マミゾウ……」
「だから、じゃ。儂がやらねばならんと思ったのじゃ……。
ああなってしまった以上、どれかを捨てねばならんと。しかしな、儂は選べなかったのじゃ」
だから、即興で思いついた案を実行したとマミゾウは言う。
聖が激昂すると知りつつ、妖怪の命を奪う。
それで神子の能力を阻害し、判断力を低下させる。
それを活用することで、神子を引き下がらせたのだと。
そのために聖たちの気持ちを逆なでする言い方をしたと頭を下げた後。
妖怪の死体を背負い、今にも消えていってしまいそうなほど儚い微笑みを聖に向けた。
「ぬえを引き取り、大切にしてくれた。聖殿の立場が危うくなる選択だけは、しとうなかった……それだけを、言い訳にさせてくれ……」
「……ですが、ですが私はっ!」
マミゾウの気持ちを理解しても、聖はまだ納得しきれない。
必要だったから、と。
罪があるから、と。
決断して、絶対に反対されることを敢えて実行したマミゾウの気持ちは痛いほどわかるというのに。
目の前で彼女を殺した、そんなマミゾウをどうしても……許せなかった。
「ああ、わかっておる。儂はそれだけのことをしたのじゃから。せめてもの罪滅ぼしが、たったこれだけじゃ。こやつの亡骸をあやつらに持っていかせなかった……、本当に些細なことじゃよ。それと、こやつは丁重に葬ってやってくれ……、がんばってくれたからのぅ……」
「な、何言ってるの……マミゾウ……そんな、お別れみたいにさ……」
死体を置き、聖達をその場に残し、背を向ける。
そのマミゾウの姿に何かを感じ取ったぬえが、悲鳴じみた声を上げるが、マミゾウはただ、振り返り。
暖かい笑みを浮かべるばかり……
「達者でな、ぬえ……」
そしてその一言を告げた後。
ごぅっと。
マミゾウを覆うような吹雪がぬえの視界を覆い尽くし、
「マミゾウ……? マミゾウ~~~っ!」
親友の姿は、視界の全てから消え失せていた。
立っていた足下に、小さなメモを残したまま。
そして、そのぬえの悲痛な声を聞き、命蓮寺の上空で一つの影が動いた。
ほんの少し前まで、
たった一週間ほど前まで、ぬえの親友がいた客室。
そこはまだ、こたつも、畳んである布団も片づけられてはおらず。生活感だけが取り残されているようだった。こたつのうえの干からびたみかんを見ているだけで、ぬえの胸はしめつけられるようだった。
ただ、この部屋がそのままであるから、まだ望みがあるのかも知れないと思う。マミゾウがいつかまたここに戻ってこれるような。
そんなことを考えながら部屋に入ったぬえは、あのときマミゾウが残したメモを手にとって部屋の奥の箱へと移動する。
『儂の部屋の衣装箱。そこに多少の金が隠してある。それで聖殿と気晴らしでもしてくれ』
もしかすると、マミゾウは事件の新聞を読んでいた頃から、マミゾウなりに何かを予感していたのかもしれない。
だから何があってもいいように、準備だけをしていた。
『ほれ、おぬしが地底におったときに良く行ったというオススメの店があったじゃろ? そこならば、聖殿も人の視線を気にせず楽にできるのではないか?』
しかも、妙な気配りまで。
ぬえは、ちょっぴり瞳を潤ませつつ、マミゾウから残された金を握りしめた。そして、事件から一週間後、日が沈む頃合に。
あの事件が起きてから、あまり元気のない聖の部屋へ行き。
『出かけよう!』
と。無理矢理に腕を掴んで誘う。
「明日の準備がありますので……」
聖が拒否しても、本当に無理矢理引っ張って。
そうして苦労しながら命蓮寺を出て、異変前に立ち寄ったことがある旧都へとその身を向け、とある店の看板を潜り、
ぴたり、と。
絵に描いたように。二人同時にその身を固める。
目を見開いたまま、入り口から微動だにできなかった。
だってそうだろう。
「いらっしゃいませー、て! あっ! 聖さんっ、お待ちしてましたっ!」
「え、ぇぇぇええええっ!?」
あのとき、死んだはずの。
マミゾウに槍で貫かれ、絶命したはずの、あのハーピーが。
満面の笑みを浮かべて、二人を出迎えたのだから。
「で?」
「で? とは?」
そして、ぬえと聖は、その店にここ一週間ほど入り浸っている狸を見つけて、同じ席についた。
眼鏡と、頭の上の葉っぱがトレードマークの、言わずと知れた二ッ岩マミゾウ。それを丸いテーブルの両側から挟む形で。
「なんであの子が生きてるわけ!」
「うわ、酷いなぬえは……死んでおって欲しかったなどと……」
「ちーがーうー!」
「嫌じゃのう、冗談じゃよ~」
「うわ、酒くさっ!」
笑いながらぬえにしなだれかかるマミゾウは、上機嫌で、命蓮寺を出て落ち込んだ風には見えない。
むしろ、あの妖怪がいきているのであれば、落ち込む要素が見あたらないわけではあるのだが。
「しかし、マミゾウさん。一体どうやって……、あのときの叫び声は確かにあの子のモノだったのに」
聖も不思議そうに首を傾げる。地底の居酒屋で働くハーピーの姿を見て、立ち直ったように見えるものの、やはり疑問だけは残る。
あのとき、悲鳴を上げたのは間違いなく彼女。
そうでなければ、あの神子が騙されるはずがないのだから。
「ああ、そのことか。簡単じゃよ」
と、それまでぬえにじゃれついていたマミゾウが、背筋を伸ばして座り直し、
「儂が本気でやつを襲ったからじゃ」
「……は?」
「あー、そうなんですよ。マミゾウさんってば酷いんですよ……」
本気でわからなくなった二人のところに、ちょうど注文を取りに来たハーピーが、水を置きながら、
「いきなり、お前は小心者かって聞いてきて、私が『違うかも』って答えた瞬間ですよ。いきなり槍を持って、私の胸に突き刺そうとしたんです。で、えーっと……」
「まるで小心者のように、気絶したわけじゃよ。自己申告とは正反対じゃったが」
「もうっ! マミゾウさんっ!」
つまりは、あのときの叫び声は本物。
それで、本人は気絶したから、それで欲の声は聞こえなくなる。
「槍の脅しで気絶しなかったらこう、首どんっとか。いろいろ考えておったんじゃがな」
「え? でも、あのときマミゾウって庭に逃げたあの子刺してたよね?」
「刺されたんですか、私っ!」
「ああ、あれか? 確かに刺したな、別なヤツを」
マミゾウは新しい酒の注文をしつつ、自慢げに言う。
気絶したこのハーピーを小さな小物に変化させて、その後、独りで庭に下りたのだ、と。
そうすると刺したのがなんなのか、余計にわからなくなるわけで。
「刺したのは、単なる死体じゃよ」
「死体って、まさか……お墓の……」
「どあほぅ、あの雪の日に、寒さで一匹小鳥が死んでおったじゃろ?」
「……いたっけ」
「うむ、おったのじゃ。それを儂の化かす力でこのハーピーの姿に変異させ、儂の方から腕を掴んで、やめてと抵抗している用に見せた訳じゃ。操り人形の応用じゃな。じゃからあの大袈裟な血しぶきそのものが、幻術というわけじゃ」
そういえば、と。
ぬえと、聖は顔を合わせる。
死体を墓地で弔った後、雨が降り、積もっていた雪の大半が消えた。血の痕跡も綺麗さっぱりと消えていたので、それだけ酷い雨だったのだろうと、そう結論づけていたが、それすらも幻だったというわけだ。
「儂ら狸の変化は、外見すら化かすからな。狸が茶釜に化けるようなものを応用し、死体をただ大きくしただけ、じゃからあの仙人の小娘も、死体であると触れて理解した。しかし詳しく調べられたらたまらんからな、罠があるかも知れないと警戒させたわけじゃな。
その際、聖殿にも本気を怒って貰う必要があったわけで、それと。帰ったと見せかけてこっそり覗く可能性もあったからのぅ。ケンカ別れしたように見せる必要もあった。最後の妖力放出の風も単なる見かけ倒し、あのあとすぐに部屋に戻って、気絶しておった本物のこやつを慌てて連れ出したのだからな」
「そうだったのですか……、私はてっきり……」
「そんなことがあったんですか。マミゾウさんってば、私は地上で死んだことになってるから、とか、詳しいことは後で話すーとかばっかりだったので……」
「で、でも! 一言くらい私に相談があっても良いじゃない! 親友でしょ!」
「あほぅ、あの神子というやつの能力を忘れたか。皆が慌てておる中で、おぬしだけが落ち着き払っておるのを感づかれたら、それこそ台無しじゃ。
敵を欺くには、まず味方から。騙しの基本じゃろうが」
「あ、そっか……」
そうやって、ハーピーがマミゾウたちと会話を楽しんでいると。居酒屋の店長と思われる妖怪に呼ばれた、マミゾウが頼んだ酒ができたから取りに来いとのことらしい。
それと、マミゾウから追加注文一つ。
その注文に従い、ハーピーは居酒屋の隅の、ちょっと高くなった床のところ。
簡易な舞台の上に立つ。
「さて、誤解もとけたことじゃし、乾杯といくか」
「ええ、そうしましょう。ほら、ぬえも」
「しょーがないなー」
なんだかんだ言いながらも、嬉しそうにグラスを受け取るぬえと、心からほっとした様子で手渡す聖。
そしてそれを満足そうに眺めるマミゾウの三つの笑いと、
『かんぱーい』
カチンっという、小気味よい音が合図となったかのように。
澄み切ったハーピーの歌声が、地底のちっぽけな居酒屋を彩った。
妖怪が人間を殺した理由が正当防衛でも何でもない唯の不可抗力だから、多少の考慮はあっても罪は償われるべきだと思いますし、聖が自分の信仰を優先して匿ったのも人としては誉められたものではなく、この命蓮寺は信仰を失うだろうと感じました
明るい話もいいけどストーリー的に
救われない話も書いてもらいたい
面白かったのですが、上の方の意見も一理あると私は思いますね。
内容は面白かったんですが、やはり人間側にももう少し救いが欲しかった…
誤字がいくつかあったので報告を
> その風情溢れるお茶請けに負けじと、こたつの上に顎にぬえが顎を置いた。
“顎に”が余計かと
> 従者への悪態を付くが。布が騒ぎの間に取り落とした新聞を拾い上げ、
“が”が余計?それと“布”→“布都”でしょうか
>「しかし、私は……この子を人里の渡す真似はしたくありません……」
“人里の”ではなく“人里に”でしょうか
> こやつを生かし続けること利点を思いつかん」
“に”が抜けているかと
> 聖たちの反応を見る限り、縁起ではない。
“演技”でしょうか
> マミゾウあ妖怪の命というモノすら利用して神子の不意を打って見せたのだ。
“あ”ではなく“は”でしょうか
神子は人々を扇動して、過剰防衛でしかない妖怪を、自分の欲のためだけに殺そうとした。
一方、聖は、妖怪の肩を一方的に持ったわけではなく、人里の人々にも単純な殺人ではないことを考慮して欲しいと言っただけ。
私としては、聖は十分に理性的であり、誇れる行為をしたと感じます。
そして、ハーピーの妖怪も罰を受けなかったわけではないでしょう。彼女は少なくとも数十年間は、地上に出ることはできなくなりました。
人々が怒りに駆られ、正常な判断ができなくかった状況において、マミゾウのとった行動は、まさに、「嘘も方便」。責められるべきものとは、到底思えません。
聖の良い所は、人妖どちらの側にも立たず、平等に物事を見れる視点を持っているところだと思います。
ただ、それゆえに、どちらからも恨まれがちになるのは、辛いところですね。
そういうところが好きなんですが。
最後に、誤字報告いたします。
直上的な性質を見せるときがある。→直情的
聖たちの反応を見る限り、縁起ではない。→演技
マミゾウあ妖怪の命というモノすら→マミゾウは
そんな掛けをするほど、神子は愚かになりきれなかった。→賭け
筆者の中では大団円かもしれませんが、正直読む人にとっては不快感のある作品だと思います。
布都の噛ませ犬っぷりが良いw
「もう少し真剣に向き合え」「殺された側にも非はある」
とはあまりにも配慮に欠けた言葉
聖の言葉から感じる傲慢さにイライラ
そしてそれを誰も諌めない展開にもイライラ
聖は自分のエゴでしか行動せず、他のメンバーに至っては「聖」のことのみでハーピーの少女なんて全く見ていませんでした。
……まあ自分が封じられてた経験があるのに、霊廟の上に寺を建てるキチガイ女と狂信者達という意味では非常によく書けていたと思います。
太子が余りにも能力頼みの三下なのがちょっと・・・
布都ちゃんの欲をどうこう言ってる割に結局自分の事しか考えて無いわけで人里側に立ったのも寺を貶めるためっていう・・・
個人的には霊廟組が好きなので、余りにも無能に描かれていることに心が痛みました。
いっその事 もっと後味悪かったり、ひじりんが思想に狂ってたりしてた方が
突き抜けて面白かったかも 寺組を善人にしすぎ
この展開も納得だったんですけど・・・
ただ、故意ではなかったとしても人を殺したのは事実なので、ハーピーはそれに対してもう少し申し訳ないと思って欲しかったですね。
最後のシーンでやたらとのんきな様子だったので、「いや、君一応人殺しだからね?」と言いたくなりました。
あと、布都はともかく神子がちょっとあれですね。曲がりなりにも聖人君子なので、人間側に付く理由が「気に入らないから」ってどうかと思います。ジャイアンじゃないんですから、「人里の人間を殺した妖怪を許せない」などの理由であって欲しかったです。
以上が個人的な意見です。多少気になる所もありましたが、全体的には良い作品だったと思います。次回作をたのしみにしています。
マミゾウと一緒に炬燵に入って尻尾をモフりながらぬえの頭をナデナデしたい。
勝手な話ですがハーピーの妖怪は過失とはいえ人を殺めてしまったわけですし、それがマミゾウさんの脅し&地底行きで済まされてしまうのもなんだかなぁ、と
人間の側から見れば、殺された人は気の毒に想うし遺族の悲しみも共感できるけど、ハーピーの少女だって人間同様生きてるわけだし、自分として聖の考えを支持してます。
しかし騙すためとはいえ命蓮寺の面々との絆を断ち切るとは(後で修復したけど)・・・マミゾウさんはホント騙しのプロですな。
それはそれとして、人里内での騒動に巫女も賢者も表れないのは野暮な突っ込みか