暗い暗い……闇の中空の中で辺りを漂う光の線に照らされた空間の中に、人の形をした者達が浮んでいた。
その内の一人……身にまとった服で覆われていない顔と手に無数の皺を浮かばせ、萎れて色の抜け落ちた髪の老人。
その者が人の形をした人で無い者であろう目の前の二人を見据えている。
とても小さい体
背中の羽
…手を広げて、目の前の者から後ろの者を守るように、羽を瞬かせながら、浮かぶ者
全身に輝く紋様が走った体
背から頭の間に生えた角
…手を自分が腰を下ろしている中空に突き立てて、それを支えに倒れ伏せまいとする者
弛んだ顔の皮から覗く老人の瞳は動くこともなく、人の形をした二人を捉え続けていた。
「これほどとはな…」
……目の前の二人を見据えながら、老人が呟く。
「…大したものだ…悪魔に成り切ってい無いにも関わらず…こうも手を焼かせるとは」
老人が表情を変えずに、しゃべり続ける中で目の前の二人の内の後ろの
体に文様が刻まれた者が立ち上がり、中央の羽の生えた小さい者の前に出た。
…立ちはだかった体に文様が刻まれた者が、乱れていた呼吸を止めて歯を強く噛み、目の前の老人を睨み付ける。
睨みつけられても老紳士の表情は変わらずに、体に文様が刻まれた者の強く輝く瞳を動じずに見据え続けた。
「…となると、ここで失うのは惜しいな」
…老人が呟き、目を閉じると、目の前の体に文様が刻まれた者の足元に一際色濃い闇の暗い穴が
突如として現れ、その穴に文様が刻まれた者が沈んでいく。
それを見た羽の生えた小さい者が、即座に羽を瞬かせて体に文様が刻まれた
者の角にしがみつき、共にその穴の中へと飲み込まれ、落ちていく。
暗い穴の中の闇に沈み、二人の姿が消えると穴は瞬時に狭まり、線となって……消えた。
…二人が消えた闇の中空の中で、老人が何かを堪えるように皺がより浮かぶほど強く、目を瞑って俯いた。
「…肩を、貸してくれないか」
……後ろにいつからか立っていた車椅子を引いた喪服の女性に老人がそう頼むと
喪服の女性が老人に近づいて、腕を取り、自分の首の後にその腕を通す。
喪服の女性に体を預けながら、車椅子へと運ばれ、慎重に車椅子に座らせられると
車椅子に鎮座した老人が椅子の背にもたれかかり、深く、重く…静かに首を傾けて息を吐いた。
「…どうも迷っているようだ…迷いも自由だろうが…時は待つことは無い…早く事を進めてもらわねば」
喪服の女性は言葉を返すこともなく、老人の言葉を聞く。
「そう案ずることも無い…十分に彼は理解しているさ」
「只…受け止めることが出来無いだけだろう」
と…しゅ…
……まどろみの中で呼ぶ声がした
ひと…しゅ…
…揺り動かされた意識が、目を開く
「…人修羅っ!」
眼を見開くと、鼻の先まで近づかせて、必死に呼びかけていた…古き友の顔に息が詰まった。
「…ととっ、ごめん…」
困惑をすぐに感じ取った古き友が背の羽を動かして上空へと離れたので、ゆっくりと体を起こして、
そのまま深く重い息を吐いて、まだ眼が覚め切ってい無い意識を起こすように首を振った。
「…眼は覚めた?人修羅」
頭の少し上で滞空しながら古き友が体調を尋ねてきた。
▶
「……まあ、大丈夫そうね…腕も足もちゃんとあるし…」
返答に古き友がどこか不満げな素振りを見せる。
「それにしても……おお、人修羅よっ!」
芝居がかった大声で名前を呼ぶと滞空していた古き友が急に空中で身を翻した。
「ぐっすりおねんねしちゃうなんて情けないったらないわ…まったく」
「…強くなって少しは頼もしくなったかなって思ったりもしてたけど…気のせいだったみたいね」
空中で器用に寝そべりながら笑みを浮かべて、頬杖を付いた姿勢で話しかけてくる古き友
…その光景にどこか懐かしさを感じながら、腰を上げて立ち上がった。
「……それにしても」
……背の羽を瞬かせながら、中空の古き友が左右に首を振った。
「……どこなのよ、ここは」
起き上がった人修羅と古き友を囲むように鬱蒼と生い茂る木々の数々とその向こうにうっすらと見える山の姿
「ほんとあいつったらもー……こんなところに送ってー…大迷惑だわ」
その見慣れない景色が古き友の意気を消沈させる。
「…それになによりー……」
眼を手で覆い、射して来る光を防ぎながら古き友が光の元へと顔を傾けた。
視線の先には人修羅と古き友がいた世界とはまったく違う禍々しい物は一切無い清浄な
蒼空に雲の間から見える瞼を焼き付けるような光の塊がある。
「カグツチじゃない……わね」
「……熱くて眩しいだけだし…つまんないわ」
照り輝くそれをもう十分だと振り払うように古き友が空中で身を翻した。
「ねえ、人修羅……お猿さんとか手がいっぱいの人とか呼べるかな?」
古き友の言葉に、人修羅が手を握って目の前にかざし…祈るように集中して、振り払うが周りには何の変化も生じ無かった。
「…まあ、予想はしてたけどやっぱりか……」
「……ここは違う世界みたいね」
「ねえ、人修羅…とりあえずここから離れない?ここで立ち往生する必要も無いしさ…」
▶
「……オッケー、そんじゃあ、いこっか!」
人修羅の返答を聞くと威勢のいい返事と共に古き友が人修羅の頭に乗り上げた。
「…とりあえずー、何かここから見える面白そうなところがー……」
人修羅の返答を聞くと、古き友が人修羅の頭の上で、首を振って、この場のめぼしい物を探し始める。
「…ん?」
何かが目に止まったのか、古き友の首振りが止まった。
「…ねっ、人修羅…ちょっと横向いて」
「私が今、指で頭をグリグリってしてる方に」
…頭に感じる痒みに似た感覚のする方向に古き友の言うとおりに体の向きを変えた。
「…あのね、今向いてる反対方向の木の上に、何かいるわ」
耳打ちのような小さい声で、古き友が人修羅の頭の上から感じ取った存在を教える。
「悪魔か何かわからないけど…どうするの?」
▶
「……うん、わかった…まずは私が軽い雷を落として威嚇してみるね」
人修羅の返答に古き友が人修羅の頭の上から飛び立ち、目標の反対方向へと体を向けた。
「…急に振り向いてから落として…それからは人修羅が出て来いとか言ってみて…段取りはそれで」
…古き友の言葉に人修羅が短い返事を返すと、すぐに頭の上で火花が散るような音が人修羅の耳に入った。
「……それっ!」
…集中して、力を貯め切ったfが振り向くと同時に、指を鳴らした。
指を鳴らす音と共に人修羅が振り向いた瞬間、何本にも束ねられた蒼い光の柱が人修羅達と木の間の地面に墜落し、爆音と共に
大雷が落ちた衝撃で土煙を纏った豪風が雷が落ちた地点から吹き荒れた。
砂塵を巻き上げてこちらに向かってくる風に、hが頭を腕で覆って堪えて
豪風に飛ばされそうになった小さい体のfが、咄嗟にhの頭の角を掴む。
防御の姿勢を取った古き友と人修羅の体中に砂礫が叩きつけられて、針を浅めに刺されるような感覚が体中に走っていく。
「………はー」
程なく砂塵と豪風が通りすぎて、体に当たる砂礫の感触が消え、古き友が安堵の息と共に目を開いた。
「…えーっと……」
…目を開いた古き友の目線の先の雷が墜落した地面には深さは無いが、かなり広いクレーターが出来上がり、まだ
焦げた土の上で小さい火が燻っていて、砂の煙も辺りに漂っている。
下手に森にでも落としていれば大火事にすらなりそうだった。
「これはまた何と言うか…」
古き友が落とした雷による惨状に落とした本人が引いている様子を見せる。
「…だいじょうぶ?人修羅」
目を覆っていた腕を払って、雷が落ちた地面を見下ろす人修羅に古き友が
頭の上からバツが悪そうに訪ねて来た。
「…ほら、何て言うか…手加減って難しいよね!」
▶
「そんなぞんざいに言わなくたっていいじゃない…」
人修羅の返答に古き友が肩を落とした。
「…それにしても」
古き友が人修羅の頭の上から飛び立ち、雷を落とした場所へと羽を動かし始める。
元から責める気は無いのか、それに習って人修羅も歩き始めた。
「強くなるってのも楽なことばかりじゃないわね」
古き友が何気なく言ったその言葉に…人修羅の歩みが急に止まった。
「そう思わない?人修羅」
お前はその力を持つがゆえに
「……人修羅」
人として
「…人修羅っ!」
俯き、立ち尽す人修羅が自分を呼ぶ古き友の声に頭を上げる。
「……」
人修羅の目の先の古き友が、口を曲げて不機嫌そうに空中にいる木の傍の自分の下の地面に指を指した。
すぐに人修羅が早足で古き友に近づき、指を指された地面へと目を落とした。
「むぎゅう…」
「うーんん…」
「ぐう…」
古き友の指の先の地面には倒れ込んでいる……三つの人の形をした者がいた。
「…何?こいつら」
倒れ、うめき声を上げている三人の体格はかなり小さく、人間の子供とおよそ同じ位である。
そして、その三人それぞれの背に、古き友のように、うっすらと服の上から、透き通った薄羽根が浮いていた。
「……妖精かなあ、私と同じ…」
宙に浮いた三人の羽を見て、古き友が呟いた。
「んん……」
「…一人お目覚めのご様子ね」
倒れこんだ三人の内の一人の意識が戻ってきたのか、もぞもぞと体が動き始めて
それを確認すると、古き友が、すぐに人修羅の頭の上に乗り上げた。
「…残念ねえ、寝てる間に色々してやろうと思ったんだけど」
「……はー」
か細い溜息を吐いて、一人が体を起こした。
傍に落ちている帽子を被り、丁寧にセットされていた頭の金髪がその中に一部が隠れる。
「……ちょっとサニー、ちゃんと私達の姿を…えっ?」
「…お早う、よく眠れた?」
「っ……!」
人修羅の頭の上から、微笑みかける古き友と、人修羅が目に入った瞬間、起きた一人が、体を凍りつかせた
見る間に顔は青ざめ、恐怖に、体が震え始める。
「…やあねえ、そんなに怖がっちゃって」
「……どうする?人修羅」
期待するような、どこか媚を含んだ声色で、古き友が、人修羅に問い掛けた。
対面している起きた一人は、既に恐怖で、足が竦んでいるのか、逃げることもせず震えるばかりである。
…蛇に睨まれた蛙のようになっている起きた一人に、身を屈めて人修羅が手を差し出した。
「……え?」
人修羅の行為が恐怖によって理解が出来ず、差し伸べられた手を、起きた一人は手に取ることが出来ない。
恐る恐る起きた一人が変化の無い人修羅の表情と、中空に固まっている手を交互に見つめる。
混乱している起きた一人の行動を、人修羅は怒りもせずに、手に取るのを待ち続けた。
「……っ」
その内に危険が無いと判断したのか、起きた一人が差し伸べられた人修羅の手に、自分の手を重ねて強く握る。
「…しょっ、と…」
人修羅の手を引き立ち上がって、自分を見下ろす人修羅の顔を一瞥すると、起きた一人が顔を俯かせた。
「……その…」
「ムード作っちゃってる所悪いんだけど」
あからさまに不機嫌そうな声と共に古き友が人修羅の頭から飛び降りて、起きた一人の目の前に浮遊した。
「…まず、質問に答えてくれる?」
「えっ…」
いきなり割入って投げかけられた質問に起きた一人が困惑する。
「……あんた達妖精よね?」
「…は、はいっ!妖精です、光の三妖精です!」
古き友の敵意の混じった低い声と、周りで何故か散り始める青い火花に、堰が崩れたように、早口で
起きた一人が返答した。
「私達に何をしようとしてたの?」
「い、悪戯…で、す…」
「…そう」
満足したのか、古き友が息を吐くと、周りで散っていた火花が一瞬で消えた。
「……今後は悪戯は相手を見てからすることね…」
「は、はいい…」
古き友の言葉に、起きた一人が目に涙を浮かべて顔を俯かせた。
「…で、人修羅…こいつはどうする?」
古き友が浮きながら、人修羅に顔を向けて尋ねる。
▶
「はいはい、そうよねー…そう言うと思った」
人修羅の返答に呆れ果てた様子で、古き友が大げさな身振りと共に息を吐いた。
「ホント、人修羅ったら甘ちゃんよねー…」
「…それでー、離してやるのはいいとしても…」
古き友が空中でまた身を翻す。
「…道案内ぐらいしてもらわないと私達迷子のまんまだよ?」
(…とりあえず一回休みは無いみたいだけど…そう簡単に放して貰えそうに無いなあ)
……人修羅と古き友の会話に聞き耳を立てる起きた一人が、二人の自分たちに対する扱いに暗澹たる思いを抱く。
(…雷を落としたのはあの時指を鳴らしたこの妖精だけど…)
(横の鬼みたいな角が生えてるのは…)
「つつつ……」
「てて…」
「…ん?」
起きた一人にとっては、聞き慣れた二種類の声に、この場で目覚めている三人が一同に声がした
方向へと振り向いた。
「……まったく、ルナー…ちゃんと音を消してよ…」
「……まったくだわ…二人ともちゃんとしてよね…」
この場の現状と自分の立場がわからないまま、意識が戻り、体を起こして、立ち上がった二人が、他の
二人に責任をなすりつけようと、こぞって愚痴を零した。
「…ん?」
「…え?」
「…お早う、光の三妖精さん」
「「……」」
中空で笑みを浮かべながら、自分達に話し掛ける古き友に寝ていた二人が固まり、動かなくなる。
寝ていた二人が自分の横にいる仲間の方へと、顔を向けてそれぞれ顔を合わせ、何秒
かたってからそれぞれが反対方向へと一気に駆け出した。
「…撤収っ!」
「はいなーっ!」
そんな二人の行動を古き友が、予定調和と言わんばかりの余裕
を保ったまま、逃げた二人の内の一人の服の背をすかさず掴んだ。
「…はい、ストップー」
「…あれ?」
体格は人間の子供のようでも、古き友の倍以上あるはずの体は、壁や
柱に括られたように掴まれた位置から一向に動かない。
「…えっ、ちょ、なん…で…っ!?」
逃げた一人が顔色を変わる程の満身の力を込めて、振り払おうとするが、反比例するように古き友の
顔は涼しげだった。
その古き友の涼しげな顔は、逃げたもう一人の妖精の逃げた方向へと向けられていた。
古き友の目の先の逃げた方向には…なぜか逃げた妖精の姿は消えてしまっている。
「はいはい、姿を消しても無駄だって……」
古き友がもう片方の開いている手を上げて、何かを構えるようにその姿勢を留める。
「…っの」
さっきと同じように指を鳴らすと、古き友の視線の先に小さい光の線が
地面に急降下し、地面に落ちると同時に悲鳴が上がり、先ほど逃げた妖精が姿を現した。
「……むぎゅうう」
古き友が落とした雷に打たれたのか、逃げた妖精の一人はまた地面で倒れ、気絶した。
「…ねえ」
「…は、はいっ!」
古き友が一部始終を呆然と見つめていた最初に起きた一人目に声をかけると、慌てて返事を返した。
最早、古き友に対して反抗する意思は見受けられない。
「あんた、名前は?」
「…光の三妖精の一人、ルナチャイルドですっ!」
「そう、それじゃあ…」
古き友が掴んでいた未だ逃げ出そうとしている妖精の
服を離すと、急に離され、妖精は余った勢いに翻弄されて地面に激突した。
「道案内を頼める?他にも色々とね…光の三妖精さん」
この世界で目覚めた人修羅と古き友の目覚めた場所の近くの森の中
……この世界の季節は秋なのか、朱に染まり切った葉や、まだ青さを残している葉
が、面々に踏まれる度に音を立てる。
「はー……何でこんな事に…」
「…サニーがやろうって言ったからじゃないのー」
まだ気が済んでいないのか、肩を並べて歩く先頭の妖精の二人が小競り合いを始めた。
「…無駄口はやめて歩いてくれないかな?」
「「…すいません」」
後ろで人修羅の肩の上で、留まっている古き友がすぐにそれを制する。
「…まったく、余計な節介だろうけど、あんたもこんな薄情者と組まない方がいいわよ?」
「はは…まあ、そうですね…」
人修羅の横を歩くルナに古き友が声を掛けると、二人が
まだ少し怖いのか、苦い笑いを浮かべながら、曖昧な返事を返した。
「それで…本当にこの先にある神社にこの世界に詳しい人間がいるの?」
「ええ、そうです!そこの巫女に色々聞くなり、倒して神社を乗っ取るなり……」
「…おべっかはやめてよ、嫌いだからさ」
「……はい」
調子づくルナにすかさず古き友が釘を刺すと、前の二人と同様に肩を落とした。
「……人修羅」
肩の上に留まっていた古き友が少しか細い声で人修羅に声を掛けると、飛び立ち、人修羅の
頭の上に乗り上げた。
「…ちょっと疲れたから、眠らせて」
そういって古き友が震えるほどに体を大きく伸ばす。
「…あんたたちっ!」
「は、はいっ!?」
「な、何でしょうっ!?」
古き友に大声で急に声を掛けられ、跳ねるように前の二人が振り向いた。
「言っておくけど、道案内も終わってないのに逃げ出したら承知しないわよ」
「…人修羅はねー、とっても甘ちゃんだけど私より強いんだから…わかったわね?」
「はいい…」
「わかりまし…た」
古き友の剣幕に、二人の体がまた震えた。
「…それじゃあ、おやすみー……」
言いたいことも言い終えて、古き友が人修羅の頭の上で寝そべて目を閉じた。
「「「………」」」
古き友が眠り、三人の妖精と人修羅が押し黙ったまま、木々の間や草が茂った道を歩き続ける。
お互いが何も喋らずに、黙々と只、目的地へと向かっていた。
「……あの」
……重苦しい雰囲気の中、不意に人修羅の横を歩いていたルナが小さい声で人修羅を呼びかけた。
その声が耳に入った人修羅が足を止めて、自分を見上げていたルナに目を落とした。
「っ……」
目があった瞬間、気恥ずかしさからか、恐怖からか、すぐにルナが人修羅から顔が
見えなくなる程に頭を俯かせた。
「……その、人修羅、さんって…」
途切れ途切れにルナが、言葉を頭を俯かせたまま必死に紡ごうとする。
「……何者なんですか?」
▶
「…えっ?」
人修羅の返答を聞いたルナが、その言葉を理解できずに固まってしまう。
「悪魔…?人間…?」
「人修羅は人修羅よ」
さっきまで眠っていた筈の古き友の声が、急に辺りに響いた。
「…ていうか」
人修羅の頭の上から古き友が飛び降りて、ルナの目の前の中空で体を翻した。
「…なに人修羅に色目使ってんのかしら?」
「す、…すいません……」
眉を顰めて、睨みつけてくる古き友に涙目でルナが謝った。
「……そこの逃げようとしてる薄情者二人ー…」
「「…」」
いつの間にか、かなり遠くまで離れている前の二人にまたすぐに古き友が釘を差した。
「…あんたたちもういっていいわよ」
「「えっ…」」
古き友の開放の宣言に、前の二人が戸惑う。
「…その巫女さんがいる神社はとにかくここからまっすぐよね?」
「は、はい、まっすぐです!」
「とにかくまっすぐにまっすぐと!」
「…ふん」
露骨そのものの二人の態度に、古き友が鼻を鳴らして人修羅の頭に飛び乗った。
「……いこっ、人修羅」
古き友が催促すると、一拍置いてから人修羅が歩き出した。
「…す、すいませんっ、人修羅さんっ!」
背を向けて歩き出した人修羅にルナが思い出したように大声で人修羅に謝り、頭を下げる。
「…何か聞いちゃいけないことを聞いてしまったみたいで」
▶
「……その、ほんとにすいません」
人修羅の言葉に、重ねてルナが頭を深々と下げた。
また顔が見えなくなる程に頭を上げたルナを後ろ目で一瞥して、そのままサニーとスターの横を人修羅が通り過ぎて行った。
……先に行ってしまった人修羅達が視界からいなくなると、サニーとスターが大きい安堵のため息を吐いた。
「…もう行っちゃったかな?二人共」
「…もう話しても大丈夫でしょ、あの二人のこと」
「……」
「…何なの?あの二人というか、あの妖精って!…すごい雷落としてたけど」
「雷の妖精かしらね?あれだったらいつでも梅雨明けできそうね」
「その隣りの角が生えた…歌舞伎役者みたいな人だけど、あの人妖怪かな?」
「確か、悪魔とか人間とか…自分から言ってたけど…」
「……人修羅さん、か」
「…はっきりしないなあ、まるで鈍くさいルナみたいね」
「そうね、優柔不断な辺りがそっくりだわ」
「……っ」
「あの悪魔人間も、ルナみたいに鈍くさいから、あんまり喋んなかったのかな?」
「……っ!」
「…どうしたの?ルナ…もう二人共行っちゃったでしょ?何で震えて」
「…うるっさいわねえっ!悪かったわねっ!鈍くさくって…ていうか、さっき私を置いてえっ!…」
「…つーいたっ、と!」
……人修羅が最後の茂みを抜けて、開けた道に出た瞬間に頭の上の
古き友が晴れやかに声を上げ、体を伸ばした。
「…と言っても歩いたのはほとんど人修羅だけどね、お疲れ様ー」
ねぎらいのつもりか、自分が地面にしている人修羅の頭を撫でてから、古き友が飛び立った。
「……それにしてもちゃんと神社ねー…一応あの三妖精の言ってることも嘘じゃなかったか…」
飛びながら手を目の上にかざし、目を凝らして古き友が、左右の赤塗の鳥居と神社に首を振る。
「…そんなに大きい神社でもないけど、景観はまあまあかな…掃除もしてあるし」
満足したのか、古き友が空中で身を翻し、人修羅に振り向いた。
「…神社には巫女が付き物っ、てもんだし、この神社の巫女さんに色々聞いてみようよ」
▶
「……そこはまあ、何とかなるでしょ…襲いかかってきてもこんなボロい神社の巫女さんじゃあ、私達
が祓えるとは思えないしね」
人修羅の返答と懸念を聞いても、古き友が気に留めていない様子でいつもの様に人修羅の頭の上に降りた。
「…それとも怖いの?」
▶
「……うんうん、そうだねー」
「…怖くないなら証明しないとねー」
まんまと挑発に乗ったと言わんばかりにクスクスと笑う古き友の糠に釘といった態度に
これ以上は無駄だと判断したのか、人修羅が神社へと足を動かした。
「…それにしても」
「寂れそう感の漂う神社ねー……」
……近づいた目の前の立てられた神社の外観に古き友がさっと感想を述べた。
目立ったボロや、障子紙は破れていたりしていないが、社自体はそれほど
大きくなく…世辞にも、よく参拝されている神社という感じではなかった。
▶
「…うん、今、ちょっと留守なのかな?……」
人修羅の言葉に古き友が、人修羅の頭の上で、また首を振って左右に目をやる。
「社務所みたいな所も無いし…」
人がいないのかと、途方に暮れ始めた二人の耳に、急に障子を引く音が入った。
「………はー…」
引いた障子から現れた紅白の衣装に身を包んだ少女が地面と一つ高い縁側で人修羅と古き友の姿を見る
と何故か大げさと思える程のため息を付いて肩を落とした。
(……なんか予想していたどのアクションとも違うわね、この巫女さん…)
頭の上から古き友が耳打ちするような小さい声で人修羅に話し掛ける。
「……ねえ、そこの…鬼みたいな角生えたー、あんたっ」
神社の巫女と思われる少女が俯かせていた頭を上げると、かなり友好的ではない態度で
人修羅を指名した。
「……ここにお酒は無いわよ、一滴も」
(……は?)
「…そうね、山の天狗達とか、山の神社とか、山の麓の近くの館とか…沢山お酒があるからお勧めよ」
少女が矢継ぎ早で言葉を投げるが、古き友と人修羅は混乱するだけだ。
「それと、酒の肴はあんたの頭のつきまとってる妖精にでもしておいてよ」
「……」
少女のその言葉を聞いた古き友が額に皺を寄せる。
「……随分とまあ、失礼極まり無い巫女さんね」
「……ふん」
古き友の言葉を聞いた少女がつまらなそうに鼻を鳴らし、立っている神社の縁側から地面に降りた。
「妖精なんて馬鹿な奴らが失礼だなんて、可笑しいったら無いわ」
「……………」
少女の悪態に古き友が人修羅の頭から飛び立ち、人修羅と少女の間の空中に滞空した。
「消し炭になりたいの?……お嬢ちゃん」
「やっぱり妖精は馬鹿ねえ……焦げちゃったら美味しくないし、体にも悪いのにね」
「………そうねえ」
物騒なことを言い出す古き友を前にしても変わらず悪態をつく少女に古き友が口端を歪める。
「……消し炭どころか」
古き友が中空で一度身を翻し、頭を俯かせて両手を垂らして何かに集中し始めた。
「……ああ?」
…古き友を中心に青い火花が飛び散り、大気が震え始める。
「…っ……!」
何かの力がここに集まってることに少女が気付き、即座に服の袖から棒を取り出した。
「…塵にしてあげましょうっ!」
古き友が垂らしていた両手を振り上げ、空に掲げた瞬間
雷よりも強く、眩い閃光が辺りに爆発した。
「……ねえ」
「…ねえ、ちょっと」
「…離してよ、人修羅」
古き友が頼むと、体に巻きついた指が離れていく。
「…っと」
空中での急な開放に慌てて羽を動かして、人修羅の肩に古き友が留まった。
「…まったく」
……人修羅が古き友を掴んで止めなければ、魔法で吹きとんでいた神社の辺り一帯を見回し、古き友が
憤慨そのものと言わんばかりに重い息を吐いた。
「残念ねえ…あの失礼極まりない巫女さんごと消してやろうと思ったけど」
▶
「はいはい、…そうね、私も大人気なかったわ」
人修羅の言葉に古き友が口先で賛同するが、明らかに納得はしていない様子である。
「……人間にもマシなのはたまーにいるけど、随分とひどい奴もいたもんね…あれ?」
辺りを見回す古き友がこの場の一つの異常に気付いた。
「…あいつがいないみたいだけど……」
目の前の神社の縁側の傍に棒を取り出して、立っていた紅白の衣装の
少女の姿は忽然と消えていた。
「…逃げたのかしら?…見てない?人修羅」
▶
「えー…じゃあ、どこに行ったのよー……言っておくけど、私はやってないからねっ!」
人修羅の返答を聞いて、古き友が大声でがなり立て始める。
「…まったく、出会ってそうそう唾吐くわ、勝手に姿を消すわ、どこまでも失礼極まりない巫女だこと…」
「今度あったら消し炭にしてからチリにしてやる…」
気が収まらない古き友が不機嫌を撒き散らす最中…また障子を引く音が辺りに響いた。
即座に振り向いた二人の目の先の神社の障子を開けた者が縁側から穏やかな声と共に頭を下げた。
「こんにちは」
「……」
腰まで届くほどに長い金髪に陰陽図が描かれた服
…緩やかな動作で神社の縁側からその女性が地面へと降りる。
物腰は穏やかだが、その分慣れない相手の雰囲気に古き友が息を呑んだ。
「…申し訳ありません…先程はこの神社の者がとんだ粗相を…」
謝罪の言葉と共に女性がまた深々と頭を下げた。
「…あの失礼な巫女を逃したのはあんた?」
「ええ、そうです…あの失礼極まり無さすぎる巫女を逃したのは私です」
顔を上げた金髪の女性がそう言って目を細めて、笑みを浮かべた。
「…誰が失礼極まりない巫女だっ!」
罵声と共にさっきの少女が神社の縁側の障子を壊すような勢いで引き開けて、再度姿を現した。
「…誰がどう見ても失礼極まりないでしょ」
さっきまでの古き友に勝るとも劣らない憤怒を示す少女に金髪の女性が顔色も変えずに
火に油を注ぐような言葉を投げかける。
「出てきてほしくない時にいつも玄関通らずに出てくるあんたよりよっぽど礼儀正しいわっ!」
「……やれやれ」
付き合っていられないと金髪の女性が目を伏せて、人修羅に歩み寄った。
「ちょっと、あんたっ、人の話を……」
後ろで喚く少女を気にも留めずに、金髪の女性は足を進める。
人修羅との距離が手の届くほどになると、その歩みは止まった。
「…いかがですか?この世界は」
▶
「…質問に質問で返すのはあまりよろしくないですよ?」
人修羅の返答に金髪の女性が、扇子を取り出し、その扇子で口元を隠しながら、眉を顰めた。
「……ですが、答えてあげましょう」
金髪の女性が扇子を持った手を跳ねさせると、鋭い音と共に扇子が閉じる。
「あなたの仰る通りにあなたをこの世界に送り込んだのはあの老紳士です」
そう言って金髪の女性が首を傾けて空を仰いだ。
「人間も妖怪も神も悪魔も住まう……この世界に」
「…観光案内い?何でえ?」
人修羅と古き友の前に現れたこの世界の管理者…紫が人修羅の質問に答えてから、紫がこの幻想郷を管理する者としてと
前置きした言葉に神社の巫女…霊夢が顔をしかめて、口を曲げて、盛大に不満を示した。
「そうです…とにかく、後ろのお二人をもてなしなさいな」
「お二人共、何もしていない者に自分から危害を加えるような低い程度の心根では無いとはいえ…」
「…万が一、と言うこともあります」
「な~に言ってんのよ、いきなり何か魔法打ってきた輩に対して…」
「そうですね、いきなり何か魔法打ってきた輩に対して、顔を合わせて、早々に悪態をついてきましたしね」
「…けど、私には神社の巫女として」
「参拝者なんて来るわけ無いでしょ、お賽銭の中身どころか神様も不在のこの神社じゃ」
「つまらない言い訳はやめなさいな、この不真面目」
「…神様不在って…ゆうなあっ!」
「…何なの?あの二人って」
…喧しいと耳をふさぎたくなる紫と霊夢のやり取りを冷ややかな目で古き友と人修羅が間に入らずに、触ること無く見ていた。
「…不真面目な巫女はさておいて」
「誰が不真面目だあっ!」
不意に紫がまた霊夢を放って古き友と人修羅に近づき、懐に手を入れた。
「っ!……」
「…お?」
警戒していた人修羅の頭の上の古き友が紫に差し出された、武器等で無い…手の上の只の包に拍子が抜けた。
「観光費と観光のガイドブックです」
「ねえ、人修羅…開けてみるね」
人修羅の頭の上から飛び降りた古き友が紫の手の上に乗って、包を広げた。
「…ほんとだ…大判小判に…幻想郷ガイド…少本版?」
「どうぞお受取りくださ…おや?」
差し出された包を受け取るどころか、人修羅が何故か紫に急に背を向けて歩き出した。
「ねえ、人修羅ーっ?…」
古き友に呼ばれても人修羅の歩みは止まることはなかった。
「…そうね、あいつに遣わされたってのは気に喰わないけど…」
古き友が急いで包を閉じて、その小さい体で担ぎ上げて、紫の手から飛び立った。
「まったくあの子ったら甘ちゃんだからねえ…お金は大事な物っていうのにさ、私が貰っておくわ」
「そうですか…有難うございます」
嘆息しながら紫に話し掛ける古き友に紫が微笑みながら頭を下げた。
「…余計な世話ですが、過保護はあまり良くないですよ?」
「まあ…わかってるけど、ほっとけないのよね…」
「それじゃあ…ああ、そーそー…」
「…ん?…何か用?」
紫とのやり取りからか、どこか不機嫌な様子の霊夢に去る前に古き友が近づいた。
「じゃあね、神様不在の巫女さん♪」
…階段を前にして、人修羅が降りる一歩を踏み出そうとした瞬間に、後頭部に軽い衝撃が走った。
「話は後で!とにかく急いで駆け下りてっ!」
その声に古き友だとすぐに分かり、開口一番の言葉は
何かと聞こうとした人修羅が…背後に感じた強い力に有無をいわさずに全速で階段から駆け下りていった。
「全くあの巫女ときたら、もー…」
……階段を降り切って、獣道をしばらく歩いてから、人修羅の頭の上の古き友が逃げてきた霊夢に対して、顔をしかめた。
「自分にしたって失礼極まりなかったて言うのにねえ…」
「…それはさておいて」
毒づいてから、古き友が担いだ包みをほどいて、ガイドブックを取り出した。
「人修羅…これ持って」
残った大判小判が入った包を人修羅の眼の前に垂らして、それを人修羅が受け取ると、古き友が本を広げた。
「ふんふん…なるほど…」
古き友が本を読み終わることを人修羅が足を止めてじっと待ち続け、分ほどもかからずに古き友が
本を閉じて、さっきと同じように人修羅の前の本を垂らして手渡した。
「とりあえず…人里って言うところがあるらしいからそこに行ってみようよ、ね?」
「お店とかもいろいろあるって…何より野宿は嫌だしさ」
▶
「……うん、それじゃあ、いこっかっ!」
人修羅が返答して、機嫌が戻った様子の古き友に渡された本を開き、眺めながら歩き出した。
「…この幻想郷の社会は妖怪によって統制されて、人間は妖怪に生かされている者達だ」
「統制といっても、人間に奴隷そのものの生活を強いるようなものでは無い、むしろその逆と言っても良いだろう」
「長い前置きはおいて、妖怪は人間がいなければ存在できない者だ…人間に恐れられていなければ」
「……まっ、早い話が持ちつ持たれつ、か」
渡されたガイドブックの朗読を古き友が中断して、人修羅の前に垂らした。
何も言わずに、それを受け取り、今度は人修羅が本を開いて、眺め始めた。
「うーん、見つかんないねえ…」
行動の予定を決めて、古き友と人修羅が幻想郷の獣道を目的を求めて歩き続けるが、目当ての人里
は見つからず、変わらない景色に古き友が退屈に参りそうになっていた。
「何か…お地蔵さんが近くにあるらしいんだけど…」
既に何度かお互いが、役割として暇つぶしも兼ねていた
ガイドブックを交換しながら読み合っていて、ほぼ本の内容は網羅していた。
目的地の近くに設置してある物も覚えていたが、長時間歩いていても、それすら見当たることは無かった。
「ほんと、見つかんないなあ……ん?」
また首を振り始めた古き友が目に入った何かに気づき、首を振るのをやめて、それが
何かを視認するため、人修羅の頭の上で身を屈めて、目を寄せる。
「ねえ、人修羅…ちょっとあそこまで行って」
古き友が頭の上から指を指した方向には、人修羅よりかなり背の高い木がそびえ立っていた
古き友の指示通りに人修羅が木に向かって歩いていく。
「…何なの?これ」
すぐ近くまで寄った木の根本の木陰にあるそれに、古き友が眉をひそめた。
二人の視線の先の木陰の中…木陰よりも色濃く、暗い闇の固形物
円形のそれを木の枝葉の間をくぐって差し込む日の光すらも、照らすことはできていなかった
「…中からおっきい顔とか出てこないよね?」
「…本には乗ってなかったし…何だろ?ほんと…」
それが何なのかということや、その物体の危険性も把握しきっていないま
ま、古き友が人修羅の頭から不用意に飛び立ち、球状の闇に近づいた。
「…中に何か…っ!」
高度を落として、その闇に徐々に近づいていく古き友に不意に音もなく、闇が動き、盛り上がった。
その動きに危機を感じた古き友が一旦下がろうとした瞬間、地面に光が
波打つように走って、球状の闇へと、激突した。
その光の衝撃によって闇の球体が吹っ飛び、後ろの木に二重の激突を食らう。
「っと…人修羅、ごめん、迂闊だった…」
前方に手を掲げた姿勢の人修羅の肩に迅速に古き友が飛び乗り、二人が臨戦態勢を取った。
「さっきの、破魔のだっけ…ん?」
人修羅が起こした雷を食らった目の先の闇の球体は既に姿はなく、入れ替わったように木陰の
中でのびているそれに古き友が固まった。
「…女の子?」
「…うーん……」
背に大木を預けて、さっきの衝撃によって気絶しているであろう、短い金髪に赤いリボンを留めてある年端もいってなさ
そうな少女が古き友の言葉に返事をするように呻き声を上げた。
「…ねえ、大して強くなさそうだしさ、とりあえず起こして話を聞いてみようよ、人修羅」
▶
「……うん、私は少し離れておくからね」
人修羅の返答に古き友が肩から飛び立ち、飛行の高度を上げて、離れると、人修羅がまず
大足で木陰の少女との距離を詰めた。
人修羅の足が木陰に差し掛かり、立ったまま頭を下げて、顔を木陰の少女に寄せる。
「んー……」
間近で見た顔は、人間の少女の寝顔のそれと変わりはしない。
これほど近づいても、噛み付いたりしてこないので、危険は少ないと判断した人修羅が手を伸ばし、木陰の
少女の肩を掴んで体を揺すった。
「………」
さっきまで呻いていたのに、人修羅が揺すっても木陰の少女の反応はなかった。
「…ねえ、人修羅…私が回復」
「お…」
反応が無いと思われた少女のか細い儚げな声が木陰の少女の口から漏れでて、
すぐに人修羅が肩から手を離した。
「お、なか…」
「…お腹すいたー……」
「…は別にしなくてもよさそうね…」
「というか…多分、意味が無いわ」
少女の言葉を聞いて、危険は無いと判断した古き友が上から人修羅の頭の上に乗った。
「…ていうか、この子…妖怪なのかな?」
「んー…」
顔をしかめて何かを嫌がるような少女の高い声がまた漏れでた。
「…とりあえずこの子どうするの?人修羅」
▶
「……まあ、お昼寝の邪魔をしたようなものだしね…落ち度はこっちにしか無いしさ」
「助けるのはいいけど…」
人修羅の返答に古き友が難色だと言う素振りを見せる。
「…まだ人里は見つかってないし、お地蔵さんも見かけないしさ…」
「その子が急を要するってわけでもないけどねえ…」
「うーん、どうしたもんか…」
今度は古き友が手を組んで呻き始めた。
「……そうだっ」
「ねえ、あの神社に戻ってみよう?」
その言葉を聞いて、今度は人修羅が難色をつけようと口を開くが、その前に頭から降りた
古き友が目の前で滞空して、口が空いたまま、言葉が止まった。
「まだあの失礼極まりない巫女さんが怒ってるかもしれないけど、大丈夫だって」
「さっきお賽銭がないって確かにあの紫って人から聞いたしね」
言葉の途中で古き友が不敵に笑う。
「…持ってる大判小判で、頬叩いてやればあんな奴すぐ言うこと聞くわ」
▶
「……はいはい、善は急いで、神社にもどろーっ」
人修羅の返答を聞くと、頭の上で古き友が後ろを向いて意気揚々と掛け声を上げた。
次の予定も決まって、人修羅が木陰の少女の体を担いで、背中におぶった。
…背負った少女の体は軽く、人修羅が運ぶには苦にならない重量だ。
「…ん」
寝たまま体を揺さぶられた不快感か、木陰の少女が人修羅の背でまた呻き声を上げた。
「…ちょっと、人修羅…他所の子の大事な所触んないでよねっ!」
古き友の注意に辟易しながら、人修羅が背の少女に注意を払いながら、ゆっくりと歩き出した。
幻想郷の今日も、外界と同じく時が経つにつれて、日が沈んで空が暗くなった頃
「はぐっ、んぐっ、むぐっ、んぐぐ……」
……古き友が提案した通りに神社に闇を纏っていた少女を連れて戻って、大判小判の何枚かを
差し出してもてなすように頼むと、目論見どおりに事は進んで、現在に至っていた。
空腹の苦しさも含めて気絶していた少女は、神社の居間のちゃぶ台に置かれた神社
の巫女の作った料理の匂いにつられて起きて、湖に顔を入れて、吸い込むような勢いで
作られた料理を貪り続けていたのであった。
「この子ったら、よく食べるわねえ…」
闇を纏っていた少女の貪り続ける様を見て、古き友がちゃぶ台の上に座って、大皿のおかずを
齧り付きながら、絶句した。
その隣に座っていた人修羅も隣の者のあまりの食べっぷりに箸が進んでいなかった。
「…はい、追加の分」
次に作った料理を皿に載せて、霊夢が台所からお盆を抱えて来た。
「…って、ちょっとあんたっ、箸ぐらい使いなさいよっ…他にも色々こぼれちゃってるし…」
皿をちゃぶ台に置いて、霊夢が横の料理を貪っていた闇を纏っていた少女の
手掴みで食べていたために、口元と汚れた手とちゃぶ台の上に驚き、すぐに台所に引っ込んだ。
「…ほら、じっとして」
「えっ、ん…」
手拭を持って戻ってきた霊夢が闇を纏っていた少女の頭を掴み、もう片方の手で口元を拭った。
「…っていうか、あんたたちの連れなんだから、しつけぐらいちゃんとしてって!」
急に霊夢に口元を拭われて、何をされたのか、解しきれていない呆然としている闇を纏っていた
少女の手に手拭を置いて、霊夢が古き友と人修羅に指を指した。
「はいはい…しょうがないでしょー?こいつ随分とお腹すいてたみたいだしさ」
「がっつくわよ、それは」
「…がっつくのかー?」
「…あれ、喋れたの?」
古き友に相槌を打つようなどこか気の抜けた暢気な声と言葉に古き友が驚いた。
「うん、喋れるよー……」
「…とりあえず、名前を教えてくれないかな?一応食わせてやったんだしさ」
古き友の言葉に応答した渡された手拭で両手を拭く闇を纏っていた少女に、古き友が名乗りを頼んだ。
「…名前?」
「そっ、名前」
「…私の名前はルーミアだよ、所で…」
古き友の頼んだとおりに名前を述べて、何故かちゃぶ台に手拭を置いて、急に闇を
纏っていた少女が立ち上がり、両手を広げた。
その急な行動にこの場の者全員の視線が、闇を纏っていた少女に集中する。
「ねえ、角の生えたあなた」
「角の生えたあなたは食べられる人……」
言葉の途中で何故か、闇を纏っていた少女が口元を押さえた。
「…げふっ」
咳き込むような吐息が闇を纏っていた少女の口から一度だけ漏れ出た。
「ねえ、巫女さん…お茶入れて上げてくれないかな?」
「…はーっ」
湯飲みのお茶を飲み干して、ルーミアが一息ついた。
「肝心な台詞の時にゲップなんて、あんたもう妖怪として駄目なんじゃないの?」
「…んー?何か言った?」
「…やっぱり駄目だわ、こいつ」
横に座ってルーミアに話しかけた霊夢が自分の言葉を聞いていなかったルーミアに顔に手を当てながら、嘆いた。
「…ねえ、妖怪として駄目って…っていうか、この子妖怪なの?」
霊夢の言葉を聞いていた古き友が話しに割って入った。
「何言ってんの、どっからどう見ても妖怪じゃないの」
「えっ、いや、その…どこがさ?」
「…?」
二人の話しを聞いていても、まったく解してい無い様子のルーミアが首を傾げた。
「あんたらはこの世界の新参者だからよ……まったくこんなやつが妖怪じゃあ、私の商売上がったりだって」
相手にしていられないと、霊夢が立ち上がり、背を伸ばした。
「…ほんと失礼な巫女さんだこと」
「…おっとっと、そう言えば…ねえ、人修羅…さんだっけ?」
横に座って茶を飲んでいるルーミアと同様に座って茶を飲んでいた人修羅に霊夢が唐突に指名した。
「その格好じゃあ、その歌舞伎役者みたいな化粧が眩しいからさ…」
横に置かれている箪笥の段を霊夢が引っ張って、中から畳まれた着物を取り出した。
「…これ着てくれない?あの紫って言う隙間妖怪が持ってきた物だけど」
そういって霊夢から差し出された畳まれた着物を立ち上がった人修羅が一瞬だけためらって手に取って
畳まれた着物を広げて、袖を通した。
「へー…人修羅って着物が似合うじゃん」
古き友の世辞を聞きながら袖に腕を通して、人修羅がそのまま帯を締めようとするが、慣れていないからか、試行を繰り返して
も、帯が中途半端に引っかかって垂れてしまう。
「…はいはい、もー…じっとしてっ」
後ろの霊夢が溜まりかねて、垂れている帯を取って、即座に力一杯に帯を引くと、その刺
激に人修羅の体が硬直した。
その隙に霊夢が帯を結び、迅速に締めていく。
「ちょっときつめに締めるけど、しばらくしたら楽になるから…っしょ」
最後に霊夢が帯を引くと、人修羅の身に完全に余すことなく、着物が纏われた。
「…うん、ばっちり色男だよっ、人修羅!」
「ばっちりなのかー」
「…へえ…」
顎に手を当てて霊夢が人修羅の着物に顔を近づけて、目を凝らせて凝視する。
「…あの胡散臭い妖怪がこんな普通の着物を渡すなんてね」
「纏った瞬間に、二人羽織りみたいに何かに操られて、湯飲みのお茶でも放って来るかと思ったけど」
「…どれほどあの妖怪を信用して無いのよ、巫女さん」
危惧するような物が無いと分かった霊夢が人修羅の着物から顔を離した。
「…馬鹿馬鹿しい、人間が妖怪を信じるなんて」
「馬鹿馬鹿しいのかー」
「…ドライね」
「もう、季節は秋だからよ」
「…うーん、何か違くないかな?」
霊夢の言葉の返しに古き友が顔をしかめた。
「っていうか、もう何も食べないわよね?だったらもう寝てほしいんだけど」
「…普通もてなす側が言う?そんな事」
「もてなそうにも今、ここにはもう何も無いわよ…せいぜい出せる物は寝床ぐらいね」
「…そうねえ、お賽銭も不在だったし、勘弁してあげようかな…」
溜息を一つ吐いて、古き友がちゃぶ台から飛び立った。
「なんだかんだで出してくれた物はおいしかったしさ」
「それは、どうも…素直に嬉しいわ」
目の前で微笑みながら、出された料理の感想を述べる古き友に霊夢が目を伏せる。
「…とりあえず隣の部屋の襖から布団を引っ張ってくるから、待ってて」
そう言って霊夢が縁側の障子を引いて、居間から出て行った。
「…そういえば、あんたはどうするの?」
場に霊夢がいなくなると、古き友が時々相槌を打っていたルーミアに話しかける。
「…どうするのかー?」
「やっ、あんたが聞いてどうするの…」
首を傾げる古き友の質問の意味を解していない様子のルーミアに古き友が嘆息した。
「…?」
「…とにかくー、この神社に私達と泊まるのかって言う事っ」
「…んー……」
古き友の言葉にルーミアが顎に指を当てて、考えるが、古き友の提案に乗り気でないのか、どうにも反応は鈍い。
「…もう夜は寒いでしょ?泊まって行きなさいって」
「…うん、そうだね」
「わかってくれたか…」
ようやくルーミアの意思を聞きつけることが出来た古き友が息を吐いた。
「嬉しいなー…さすがに野ざらしで眠るのは辛くなってきたしね」
「夜に人間を襲おうにも…寒いのに、外を歩いてくれている襲える人間なんていないものねー」
「えっ、もう寝る時間なのに?結構意欲的ねー…あんた」
「ううん、いつもはこの時間が起きてる時間で、朝が弱いの」
「ってことは、平常運転じゃない…駄目駄目じゃん…」
「…んっ?どうしたの、人修羅?」
何か言いたげな様子の人修羅に気づき、古き友が声を掛けた。
「……な~に言ってんのよ、人修羅ったら…さっき散々あのガイドブックを読んだでしょ?」
人修羅の言葉を聞いた人修羅が空中で体を翻して、寝そべりながら、頬杖をついた。
「まず、妖怪は人間に恐れられなければ、ってさ…甘ちゃんこじらせるのもいい加減にしなさいっての」
呆れた様子で古き友が人修羅に説教をする中で、横の障子が開かれた。
「…そして、人間は妖怪を退治する…それがこの世界の掟」
「それにしても、妖精にしては随分わかってるわねえ…どこかの仙人に爪垢を飲ませたいくらいだわ」
障子を開けた霊夢が古き友の説教を締めくくると、古き友を霊夢が褒める様な口ぶりをした。
「ふふん、褒めたって何も出ないわよ?」
「出さなくて…っていうか、もう寝る準備は出来たから、とにかく隣の部屋に来て」
そう告げて、霊夢が隣の部屋へと縁側を歩いて、戻った。
「はいはい…先行ってるわよ、人修羅、ルーミア」
霊夢の招きに、早々に羽を動かして、古き友が居間から縁側に出ていく。
「…しょっと」
取り残されたルーミアが立ち上がり、何かの癖なのか、両手を広げて、小走りに居間から出て、走りだした。
ただ一人居間に残った人修羅が頭を俯かせて、目を瞑る。
何かを思い出し、それを堪えるように…重い息を一つ吐いて、居間の障子を抜けた。
既に夕刻もとっくに過ぎて、縁側から見える空は完全に暗くなり、神社から目に見える光は
さっきまでいた居間と隣の部屋と空の星だけとなっていた。
「…ちょっと、何よこれってー!」
縁側に出た瞬間に聞こえた、古き友の嫌そうな声に、人修羅が足を止めて
悪い予感ではないが、あまりいい予感もしないまま、足をのろのろと進めた。
「…しょうがないでしょ?この神社に布団って二つしか無いんだからさ」
隣の部屋の前に立つと、すぐに聞こえた霊夢の言葉に人修羅が即座に障子を抜けて、入った部屋の
端の小さい明かりに照らされた部屋の床を見下ろした。
部屋の中央…枕が一つの布団の傍に立って霊夢が飛びながらの古き友の苦情を顔をしかめながら、聞いている
横ではルーミアが普段通りの澄ました顔で立って、二人のやり取りを横で眺めていた。
「納得いかないっての!あんたの布団もよこしなさいよ」
「渡す気はないわ…この季節に人間が布団無しで寝たら風邪引いちゃうからね」
「…元からお賽銭が不在の貧乏神社だもの」
「…神様だって不在でしょ」
「ご不在なのかー」
「…仰るとおりね」
古き友の挑発も大した効を成さずに、霊夢が背を向けて、人修羅の横を通り過ぎる。
「私の眠りを妨害しないなら、いくら騒いでもいいから…お休み」
それだけ言い残すと、霊夢が縁側に出て、障子を閉めた。
「…やっぱり、こんな貧乏神社じゃなくて、人里に行くべきだったかしらね」
障子の向こうの霊夢の影が、居間の方へと戻っていくのを見ながら、古き友が愚痴を零した。
「…まったく、人修羅も少しはビシッと言わないと…」
突っ立ったままで、霊夢に何も言わなかった人修羅に古き友がそっぽを向いて、腕を組んで不満を示す。
「……えっ……いいの?お布団で眠れなくて?」
人修羅の言葉にルーミアが、伺うような口調で、人修羅の顔を見上げながら、聞き返した
「…そう自分から率先して貧乏くじ引いちゃって、どうするのっ!」
背を向けていた古き友が勢いをつけて、空中で踵を返し、人修羅に指を指した
指を指された人修羅が古き友に激を入れられても、何の反応も無い
「…ええい、もう全員で寝るわよ、この布団でっ!」
人修羅の態度に業を煮やした古き友が、唐突に人修羅の意思を無視した方法を提示した
「……えっ…別に、私はいいけどー?」
人修羅の言葉に、人修羅の気遣いとは対照的にルーミアが首を傾げて、人修羅の躊躇を不思議がってすらいる様子だった。
「…うーんと、寒い方が寝やすいの?熱いのが苦手なの?」
「あー、熱いのも、寒いのも得意よ、人修羅は…て言うか」
「…ご本人がこう言ってるんだから、気にしなくていいじゃないの…それとも」
人修羅の目の前でまた古き友が体を翻して、頬杖をついた。
「…一緒に寝てると人修羅は耐え切れずにルーミアに何かしちゃったり、しちゃうのかな?」
「…耐え切れないのかー?」
口端にいつもの自分をからかう時の笑みを浮かべる古き友の横で、古き友の質問の意味を
解していないルーミアが首を傾げた。
「…あははっ!人修羅ったら…ムキになっちゃってえ…余計怪しく思われちゃうってっ!」
「思われちゃうのかー」
人修羅が返答すると、悪意しか存在しない質問を仕掛けた古き友がまた体を翻して腹を抱えて、爆笑した。
「はー、苦しー…ああ、ゴメンゴメン、そう、機嫌損ねないで…」
二人に背を向けようとする人修羅に古き友が急いで、宥めに入った。
「…まあ、人修羅はそういう事は信用できるから、安心してよ、ルーミア」
「んー、そういう事って…何なの?」
「それは言わぬが花ってやつ…さっ、することもないし、もう寝よっか…」
さっきから全く話の意味を解し切れていないルーミアを放って、古き友が部屋の明かりの所まで飛んでいく。
「…消すよー、二人共ー」
二人の了解も無いままに、古き友が部屋の明かりに息を吹きかけると、炎が消えた。
……部屋の明かりが消えて、部屋の中ではっきりと見えるのは、人修羅の体の紋様だけとなる。
「まず人修羅が布団の方まで行ってくれる?」
古き友に言われて、人修羅が納得行かない気持ちを抱えたまま、慎重に足を進めて、足から布団
の感触が伝わると、布団についたと声を上げた。
「次はルーミアね」
「うん…」
人修羅の体の紋様の明かりを頼りに、ルーミアが抜き足差し足で、歩を進める。
「ゆっくりでいいからねー」
「…大丈夫、ついたー」
その声ははっきりと、人修羅の近くから聞こえてくる。
「…それじゃあ、人修羅…布団に入って」
特にいつもの自分をからかうような声色でない古き友の普通の伝令の言葉に、人修羅が
腰を下ろして、布団をめくって、体をその中に入れた。
ルーミアも布団に入り、人修羅がかぶっている布団が少し引っ張られて、その方向に人修羅が背を向けた。
「んー…冷たいなー…」
布団に入ったルーミアが、体温で暖まっていない布団の冷たさに不満を漏らした。
「…文句言わない、野ざらしよりましでしょ?」
布団に入ってきたのがいつかわからない、古き友がルーミアの不満を窘める。
「…それじゃあ」
不意にルーミアが布団の中で体をにじらせて、衣擦れの音を立てながら、傍の人修羅の纏っている服を掴んで、自分の
服を掴むルーミアに何事かと人修羅が問う前に、ルーミアが人修羅の背中に自分の体を寄せて、抱きついて来た。
「…私に抱きしめられるのが嫌なの?あなたは」
抱きついた人修羅の体の動揺による微動が伝わり、それを自分に抱きつかれるのが嫌だと勘違いしたルーミアが
眠いせいか、か細い声でルーミアが人修羅に問いかけた。
「……なら、いいじゃない…寒いのは…嫌だもの」
人修羅の返答を真に受けて、ルーミアが更に自分の体を人修羅に密着させて人修羅の体に巻き付ける腕
の力を強めて、服越しのルーミアの体温や体の柔らかさが人修羅に全身から、より伝わって来る
「…ねえ、…臭くない?…私の体」
「……臭くないのかー、よかったー…」
人修羅の言葉にルーミアが安堵の息を吐いて、その暖かい息が人修羅の背に当った
「私…いつも、外で、寝てて…お風呂、とか…入って、なくて」
「だから、一緒に、寝るのが…嫌だっ、て……」
「……ん」
途切れ途切れで紡がれていたルーミアの言葉が、途中で完全に止まり、今度は安らかな寝息が
後ろから人修羅の耳に入った。
「………ねえ、人修羅」
「空気を読んで黙っていたけど、これだけは言わせて」
「……」
「スケベ」
…仰向けになった視界に、顔を見下ろす一人の老婆と少年が映る
少年が老婆に耳打ちをして…何かを取り出した
取り出したそれが目の前にかざされ
目覚め
蠢き
……目を見開いた人修羅が、視界に映る部屋の襖と、次に耳に入ってきた古き友とルーミアの
寝息に、自分が今どこにいて、どうしてここにいるかを認識する。
息を大きく吐いて、布団の中から人修羅が自分の手を抜いて、目の前にそれを掲げた。
…手に刻まれた紋様の暗闇の中の輝きを眺め、それを掛け布団の上へと、下ろす。
……変わらず耳に入り続ける二人の寝息に誘われて、もう一度寝ようと、人修羅が目を
閉じようとした瞬間、覚えのある感覚が体の中を走った。
飲み込んだ悪魔の力の結晶…何度も味わった暴れだすそれに、人修羅が歯を噛んだ。
不快極まり無い最近は無かったその衝動に、人修羅が言いようの無い恐怖に囚われるが、何故
かいつもより、それは短く…ほぼ一瞬で収まった。
…収まって、人修羅が口を結ぶと、一つの予感と共に、体を起こした。
傍で横たわっている二人を起こさないように、慎重に体を布団から抜いて、人修羅が腰を上げる。
少し乱れた布団をかけ直して、二人の寝顔を見下ろして…深く目を瞑った。
…決意と共に、二人に背を向けて、人修羅が障子を引いた。
……半月の微弱な光りに照らされた庭
その中に人修羅の予想した通りの者は立っていた。
「…やあ…こんばんは」
この世界…人修羅を幻想郷へと送り込んだ老紳士が、容姿にかよった抑揚の薄い枯れた声で人修羅に話しかける。
「…そう、睨むな…お前と戦いに来たわけではない」
神社の縁側から自分を見据える人修羅に、人修羅が危惧する意思は無いと主張して、老紳士が
縁側へと足を進めた。
…ゆっくりとした足取りで自分に近づく、老紳士に人修羅は目を離さない。
その内、手を伸ばせば届く距離まで老紳士が近づくと、不意に人修羅に背を向けた。
「…この建物の主には悪いが、まあ、座るだけなら良かろう」
そう言って、人修羅の傍の縁側に腰掛けて、重苦しい息を吐いて、老紳士が目を閉じると
顔に刻まれた皺が浮き立ち、瞼の中に瞳の輝きがしまわれる。
「…お前も座ったらどうだ?」
…警戒しながらも、人修羅が老紳士の言葉通りに、横に腰を下ろして、縁側に足を垂らした。
「…怒っているか?いきなりこの世界へ放り込まれて」
目を閉じたまま、老紳士が横の人修羅に話しかけるが、人修羅は返答をしなかった。
「…だんまりをしていても、もうお前はわかっているはずだ」
老紳士が閉じていた目を開き、半月が輝く空を仰いだ。
「…来るべき時は来ると」
「この地上で生きとし生ける者全てが…生命を授かった瞬間に与えられる…」
「賢者にも、愚者にも…人間にも、悪魔にも…等しく授かる…自由」
「それを守るための戦いが」
老紳士の言葉に人修羅の息が詰まった。
「私を恨んでもいいさ…お前に与えたその力によって、お前は幾度も苦痛を味わい、辛苦に晒された」
「…私の手によるものでなかったとしても」
▶
「…ん?ああ…なぜここにお前を送ったか…か」
人修羅の質問に、老紳士が足に肘を当てて、手を組んだ。
「多分、もう会っただろうが、彼女に誘われてね…お前の了解はとっていなかったのはすまないが…」
「…ここは人間以上の知能を持つ人間とは違う種族が、共存していると聞いてね」
「余計な世話かと思ったかもしれんが…私の気遣いのような物だ」
老紳士の言葉に人修羅は怒りもせず、喜びもせず、ただ押し黙っていた。
「…さて、ここまでは、地に落ちた天使として…悪魔としての言葉だ」
「次はお前という存在を見てきたものとしての…言葉を贈ろう」
そう言って、また老紳士が目を閉じた。
「恐れられる事を恐れるか?…人修羅よ」
その言葉に横で座っていた人修羅が、即座に横を向いた。
老紳士は自分の方に顔を向けた人修羅に顔を合わせずに、手を組んだまま、目を閉じ続ける。
「燭台を捧げて、道を開いてきたあそこで…あの言葉を聞いてから、お前は迷い始めた」
「獣と人…あの下らん問いだ」
…続けて投げかけられた言葉に人修羅の手に力がこもった。
「…救ってくれた者に対して、救ってくれたにもかかわらず…自分を殺そうとした獣を殺した
その者を恐れる…不条理なものであるが…」
「…大抵の人間は弱い…自らの愚かさによって、自らを滅して…死んでいく」
「…只、目に入る物全てを表面だけ捉えて、その者を計らず追い出していく」
「だが、それは正しくもないが、間違ってもいない…」
「お前も、今となっては獣など何とも無い、取るに足らない存在だろうが…」
「傍に用意に自分を噛み殺すことが出来るものなどそう置きたくはないだろう?」
「…勿体ぶるのはここまでにするか」
組んでいた手を離して、また老紳士が空を仰いだ。
「恐れるな、人修羅よ」
「お前の自由の赴くままに進め」
「…誰かを助けたとしても、感謝どころか、その逆の仕打ちをされるかもわからん」
「だが、それは只の一つの結果だ…全てでない…助けたければ、助けるがいいさ」
「…その逆もまた…な」
「つまんないおしゃべりはそこまで」
不意に、後ろから聞こえた…人修羅の傍にいつもいた者の声が辺りに響いた瞬間、二人の後ろの
障子が開いた。
「…ねえ、人修羅ー…隣のおじいちゃんは食べてもいい人類なの?」
「食べてもいいけど、人類じゃないし、こんなやつ食べてもお腹壊すわよ」
「壊すのかー」
障子から現れた飛んでいる古き友の横のルーミアの質問に古き友が軽口で答える。
「やれやれ…食べられるのは嫌だし、そろそろ去るとしよう」
後ろの二人に目をやらずに、老紳士が庭に降り立った。
「…可愛がりはしないと決めていたしな…まあ、ちょうどいい幕引きとなったか」
「夜分にすまなかったな…それでは」
「…まったく、好きなときに現れて、好きなときに消えて……いいご身分だこと」
……別れを告げた老紳士が去って、姿が消えた頃古き友がこの場にいないその者に嫌味を吐いた。
…投げかけられた言葉に、座ったまま固まる人修羅が自分の服を掴まれる感触に振り向いた。
「…もう寝よう?寒いでしょう?あなたも」
服を掴んで目を擦りながらルーミアが布団に戻ることを催促する。
「…ねえ、ルーミア…人修羅のこと、あなたって言うのはやめてくれるかな?」
「…んー、何でえ?」
「…とにかく、いいからっ…何でも」
「……」
古き友に言われて、ルーミアが人修羅の顔をじっと見つめた。
…何度も見てきたあの世界の悪魔たちが殺し、奪い…求めてきた光よりも静かに同じ色に輝く瞳を人修羅が見つめ返した。
「…それじゃあ、さっきは私が抱っこしたからー、次は人修羅が抱っこしてね」
▶
「…えー」
人修羅の返答にルーミアが不満の声を上げる。
「…もー、なんでもいいからさー…もう寝ようよ…今日は疲れたー」
…また頭の上に古き友が乗って音を上げると、口元を緩めながら人修羅が腰を上げた。
その内の一人……身にまとった服で覆われていない顔と手に無数の皺を浮かばせ、萎れて色の抜け落ちた髪の老人。
その者が人の形をした人で無い者であろう目の前の二人を見据えている。
とても小さい体
背中の羽
…手を広げて、目の前の者から後ろの者を守るように、羽を瞬かせながら、浮かぶ者
全身に輝く紋様が走った体
背から頭の間に生えた角
…手を自分が腰を下ろしている中空に突き立てて、それを支えに倒れ伏せまいとする者
弛んだ顔の皮から覗く老人の瞳は動くこともなく、人の形をした二人を捉え続けていた。
「これほどとはな…」
……目の前の二人を見据えながら、老人が呟く。
「…大したものだ…悪魔に成り切ってい無いにも関わらず…こうも手を焼かせるとは」
老人が表情を変えずに、しゃべり続ける中で目の前の二人の内の後ろの
体に文様が刻まれた者が立ち上がり、中央の羽の生えた小さい者の前に出た。
…立ちはだかった体に文様が刻まれた者が、乱れていた呼吸を止めて歯を強く噛み、目の前の老人を睨み付ける。
睨みつけられても老紳士の表情は変わらずに、体に文様が刻まれた者の強く輝く瞳を動じずに見据え続けた。
「…となると、ここで失うのは惜しいな」
…老人が呟き、目を閉じると、目の前の体に文様が刻まれた者の足元に一際色濃い闇の暗い穴が
突如として現れ、その穴に文様が刻まれた者が沈んでいく。
それを見た羽の生えた小さい者が、即座に羽を瞬かせて体に文様が刻まれた
者の角にしがみつき、共にその穴の中へと飲み込まれ、落ちていく。
暗い穴の中の闇に沈み、二人の姿が消えると穴は瞬時に狭まり、線となって……消えた。
…二人が消えた闇の中空の中で、老人が何かを堪えるように皺がより浮かぶほど強く、目を瞑って俯いた。
「…肩を、貸してくれないか」
……後ろにいつからか立っていた車椅子を引いた喪服の女性に老人がそう頼むと
喪服の女性が老人に近づいて、腕を取り、自分の首の後にその腕を通す。
喪服の女性に体を預けながら、車椅子へと運ばれ、慎重に車椅子に座らせられると
車椅子に鎮座した老人が椅子の背にもたれかかり、深く、重く…静かに首を傾けて息を吐いた。
「…どうも迷っているようだ…迷いも自由だろうが…時は待つことは無い…早く事を進めてもらわねば」
喪服の女性は言葉を返すこともなく、老人の言葉を聞く。
「そう案ずることも無い…十分に彼は理解しているさ」
「只…受け止めることが出来無いだけだろう」
と…しゅ…
……まどろみの中で呼ぶ声がした
ひと…しゅ…
…揺り動かされた意識が、目を開く
「…人修羅っ!」
眼を見開くと、鼻の先まで近づかせて、必死に呼びかけていた…古き友の顔に息が詰まった。
「…ととっ、ごめん…」
困惑をすぐに感じ取った古き友が背の羽を動かして上空へと離れたので、ゆっくりと体を起こして、
そのまま深く重い息を吐いて、まだ眼が覚め切ってい無い意識を起こすように首を振った。
「…眼は覚めた?人修羅」
頭の少し上で滞空しながら古き友が体調を尋ねてきた。
▶
「……まあ、大丈夫そうね…腕も足もちゃんとあるし…」
返答に古き友がどこか不満げな素振りを見せる。
「それにしても……おお、人修羅よっ!」
芝居がかった大声で名前を呼ぶと滞空していた古き友が急に空中で身を翻した。
「ぐっすりおねんねしちゃうなんて情けないったらないわ…まったく」
「…強くなって少しは頼もしくなったかなって思ったりもしてたけど…気のせいだったみたいね」
空中で器用に寝そべりながら笑みを浮かべて、頬杖を付いた姿勢で話しかけてくる古き友
…その光景にどこか懐かしさを感じながら、腰を上げて立ち上がった。
「……それにしても」
……背の羽を瞬かせながら、中空の古き友が左右に首を振った。
「……どこなのよ、ここは」
起き上がった人修羅と古き友を囲むように鬱蒼と生い茂る木々の数々とその向こうにうっすらと見える山の姿
「ほんとあいつったらもー……こんなところに送ってー…大迷惑だわ」
その見慣れない景色が古き友の意気を消沈させる。
「…それになによりー……」
眼を手で覆い、射して来る光を防ぎながら古き友が光の元へと顔を傾けた。
視線の先には人修羅と古き友がいた世界とはまったく違う禍々しい物は一切無い清浄な
蒼空に雲の間から見える瞼を焼き付けるような光の塊がある。
「カグツチじゃない……わね」
「……熱くて眩しいだけだし…つまんないわ」
照り輝くそれをもう十分だと振り払うように古き友が空中で身を翻した。
「ねえ、人修羅……お猿さんとか手がいっぱいの人とか呼べるかな?」
古き友の言葉に、人修羅が手を握って目の前にかざし…祈るように集中して、振り払うが周りには何の変化も生じ無かった。
「…まあ、予想はしてたけどやっぱりか……」
「……ここは違う世界みたいね」
「ねえ、人修羅…とりあえずここから離れない?ここで立ち往生する必要も無いしさ…」
▶
「……オッケー、そんじゃあ、いこっか!」
人修羅の返答を聞くと威勢のいい返事と共に古き友が人修羅の頭に乗り上げた。
「…とりあえずー、何かここから見える面白そうなところがー……」
人修羅の返答を聞くと、古き友が人修羅の頭の上で、首を振って、この場のめぼしい物を探し始める。
「…ん?」
何かが目に止まったのか、古き友の首振りが止まった。
「…ねっ、人修羅…ちょっと横向いて」
「私が今、指で頭をグリグリってしてる方に」
…頭に感じる痒みに似た感覚のする方向に古き友の言うとおりに体の向きを変えた。
「…あのね、今向いてる反対方向の木の上に、何かいるわ」
耳打ちのような小さい声で、古き友が人修羅の頭の上から感じ取った存在を教える。
「悪魔か何かわからないけど…どうするの?」
▶
「……うん、わかった…まずは私が軽い雷を落として威嚇してみるね」
人修羅の返答に古き友が人修羅の頭の上から飛び立ち、目標の反対方向へと体を向けた。
「…急に振り向いてから落として…それからは人修羅が出て来いとか言ってみて…段取りはそれで」
…古き友の言葉に人修羅が短い返事を返すと、すぐに頭の上で火花が散るような音が人修羅の耳に入った。
「……それっ!」
…集中して、力を貯め切ったfが振り向くと同時に、指を鳴らした。
指を鳴らす音と共に人修羅が振り向いた瞬間、何本にも束ねられた蒼い光の柱が人修羅達と木の間の地面に墜落し、爆音と共に
大雷が落ちた衝撃で土煙を纏った豪風が雷が落ちた地点から吹き荒れた。
砂塵を巻き上げてこちらに向かってくる風に、hが頭を腕で覆って堪えて
豪風に飛ばされそうになった小さい体のfが、咄嗟にhの頭の角を掴む。
防御の姿勢を取った古き友と人修羅の体中に砂礫が叩きつけられて、針を浅めに刺されるような感覚が体中に走っていく。
「………はー」
程なく砂塵と豪風が通りすぎて、体に当たる砂礫の感触が消え、古き友が安堵の息と共に目を開いた。
「…えーっと……」
…目を開いた古き友の目線の先の雷が墜落した地面には深さは無いが、かなり広いクレーターが出来上がり、まだ
焦げた土の上で小さい火が燻っていて、砂の煙も辺りに漂っている。
下手に森にでも落としていれば大火事にすらなりそうだった。
「これはまた何と言うか…」
古き友が落とした雷による惨状に落とした本人が引いている様子を見せる。
「…だいじょうぶ?人修羅」
目を覆っていた腕を払って、雷が落ちた地面を見下ろす人修羅に古き友が
頭の上からバツが悪そうに訪ねて来た。
「…ほら、何て言うか…手加減って難しいよね!」
▶
「そんなぞんざいに言わなくたっていいじゃない…」
人修羅の返答に古き友が肩を落とした。
「…それにしても」
古き友が人修羅の頭の上から飛び立ち、雷を落とした場所へと羽を動かし始める。
元から責める気は無いのか、それに習って人修羅も歩き始めた。
「強くなるってのも楽なことばかりじゃないわね」
古き友が何気なく言ったその言葉に…人修羅の歩みが急に止まった。
「そう思わない?人修羅」
お前はその力を持つがゆえに
「……人修羅」
人として
「…人修羅っ!」
俯き、立ち尽す人修羅が自分を呼ぶ古き友の声に頭を上げる。
「……」
人修羅の目の先の古き友が、口を曲げて不機嫌そうに空中にいる木の傍の自分の下の地面に指を指した。
すぐに人修羅が早足で古き友に近づき、指を指された地面へと目を落とした。
「むぎゅう…」
「うーんん…」
「ぐう…」
古き友の指の先の地面には倒れ込んでいる……三つの人の形をした者がいた。
「…何?こいつら」
倒れ、うめき声を上げている三人の体格はかなり小さく、人間の子供とおよそ同じ位である。
そして、その三人それぞれの背に、古き友のように、うっすらと服の上から、透き通った薄羽根が浮いていた。
「……妖精かなあ、私と同じ…」
宙に浮いた三人の羽を見て、古き友が呟いた。
「んん……」
「…一人お目覚めのご様子ね」
倒れこんだ三人の内の一人の意識が戻ってきたのか、もぞもぞと体が動き始めて
それを確認すると、古き友が、すぐに人修羅の頭の上に乗り上げた。
「…残念ねえ、寝てる間に色々してやろうと思ったんだけど」
「……はー」
か細い溜息を吐いて、一人が体を起こした。
傍に落ちている帽子を被り、丁寧にセットされていた頭の金髪がその中に一部が隠れる。
「……ちょっとサニー、ちゃんと私達の姿を…えっ?」
「…お早う、よく眠れた?」
「っ……!」
人修羅の頭の上から、微笑みかける古き友と、人修羅が目に入った瞬間、起きた一人が、体を凍りつかせた
見る間に顔は青ざめ、恐怖に、体が震え始める。
「…やあねえ、そんなに怖がっちゃって」
「……どうする?人修羅」
期待するような、どこか媚を含んだ声色で、古き友が、人修羅に問い掛けた。
対面している起きた一人は、既に恐怖で、足が竦んでいるのか、逃げることもせず震えるばかりである。
…蛇に睨まれた蛙のようになっている起きた一人に、身を屈めて人修羅が手を差し出した。
「……え?」
人修羅の行為が恐怖によって理解が出来ず、差し伸べられた手を、起きた一人は手に取ることが出来ない。
恐る恐る起きた一人が変化の無い人修羅の表情と、中空に固まっている手を交互に見つめる。
混乱している起きた一人の行動を、人修羅は怒りもせずに、手に取るのを待ち続けた。
「……っ」
その内に危険が無いと判断したのか、起きた一人が差し伸べられた人修羅の手に、自分の手を重ねて強く握る。
「…しょっ、と…」
人修羅の手を引き立ち上がって、自分を見下ろす人修羅の顔を一瞥すると、起きた一人が顔を俯かせた。
「……その…」
「ムード作っちゃってる所悪いんだけど」
あからさまに不機嫌そうな声と共に古き友が人修羅の頭から飛び降りて、起きた一人の目の前に浮遊した。
「…まず、質問に答えてくれる?」
「えっ…」
いきなり割入って投げかけられた質問に起きた一人が困惑する。
「……あんた達妖精よね?」
「…は、はいっ!妖精です、光の三妖精です!」
古き友の敵意の混じった低い声と、周りで何故か散り始める青い火花に、堰が崩れたように、早口で
起きた一人が返答した。
「私達に何をしようとしてたの?」
「い、悪戯…で、す…」
「…そう」
満足したのか、古き友が息を吐くと、周りで散っていた火花が一瞬で消えた。
「……今後は悪戯は相手を見てからすることね…」
「は、はいい…」
古き友の言葉に、起きた一人が目に涙を浮かべて顔を俯かせた。
「…で、人修羅…こいつはどうする?」
古き友が浮きながら、人修羅に顔を向けて尋ねる。
▶
「はいはい、そうよねー…そう言うと思った」
人修羅の返答に呆れ果てた様子で、古き友が大げさな身振りと共に息を吐いた。
「ホント、人修羅ったら甘ちゃんよねー…」
「…それでー、離してやるのはいいとしても…」
古き友が空中でまた身を翻す。
「…道案内ぐらいしてもらわないと私達迷子のまんまだよ?」
(…とりあえず一回休みは無いみたいだけど…そう簡単に放して貰えそうに無いなあ)
……人修羅と古き友の会話に聞き耳を立てる起きた一人が、二人の自分たちに対する扱いに暗澹たる思いを抱く。
(…雷を落としたのはあの時指を鳴らしたこの妖精だけど…)
(横の鬼みたいな角が生えてるのは…)
「つつつ……」
「てて…」
「…ん?」
起きた一人にとっては、聞き慣れた二種類の声に、この場で目覚めている三人が一同に声がした
方向へと振り向いた。
「……まったく、ルナー…ちゃんと音を消してよ…」
「……まったくだわ…二人ともちゃんとしてよね…」
この場の現状と自分の立場がわからないまま、意識が戻り、体を起こして、立ち上がった二人が、他の
二人に責任をなすりつけようと、こぞって愚痴を零した。
「…ん?」
「…え?」
「…お早う、光の三妖精さん」
「「……」」
中空で笑みを浮かべながら、自分達に話し掛ける古き友に寝ていた二人が固まり、動かなくなる。
寝ていた二人が自分の横にいる仲間の方へと、顔を向けてそれぞれ顔を合わせ、何秒
かたってからそれぞれが反対方向へと一気に駆け出した。
「…撤収っ!」
「はいなーっ!」
そんな二人の行動を古き友が、予定調和と言わんばかりの余裕
を保ったまま、逃げた二人の内の一人の服の背をすかさず掴んだ。
「…はい、ストップー」
「…あれ?」
体格は人間の子供のようでも、古き友の倍以上あるはずの体は、壁や
柱に括られたように掴まれた位置から一向に動かない。
「…えっ、ちょ、なん…で…っ!?」
逃げた一人が顔色を変わる程の満身の力を込めて、振り払おうとするが、反比例するように古き友の
顔は涼しげだった。
その古き友の涼しげな顔は、逃げたもう一人の妖精の逃げた方向へと向けられていた。
古き友の目の先の逃げた方向には…なぜか逃げた妖精の姿は消えてしまっている。
「はいはい、姿を消しても無駄だって……」
古き友がもう片方の開いている手を上げて、何かを構えるようにその姿勢を留める。
「…っの」
さっきと同じように指を鳴らすと、古き友の視線の先に小さい光の線が
地面に急降下し、地面に落ちると同時に悲鳴が上がり、先ほど逃げた妖精が姿を現した。
「……むぎゅうう」
古き友が落とした雷に打たれたのか、逃げた妖精の一人はまた地面で倒れ、気絶した。
「…ねえ」
「…は、はいっ!」
古き友が一部始終を呆然と見つめていた最初に起きた一人目に声をかけると、慌てて返事を返した。
最早、古き友に対して反抗する意思は見受けられない。
「あんた、名前は?」
「…光の三妖精の一人、ルナチャイルドですっ!」
「そう、それじゃあ…」
古き友が掴んでいた未だ逃げ出そうとしている妖精の
服を離すと、急に離され、妖精は余った勢いに翻弄されて地面に激突した。
「道案内を頼める?他にも色々とね…光の三妖精さん」
この世界で目覚めた人修羅と古き友の目覚めた場所の近くの森の中
……この世界の季節は秋なのか、朱に染まり切った葉や、まだ青さを残している葉
が、面々に踏まれる度に音を立てる。
「はー……何でこんな事に…」
「…サニーがやろうって言ったからじゃないのー」
まだ気が済んでいないのか、肩を並べて歩く先頭の妖精の二人が小競り合いを始めた。
「…無駄口はやめて歩いてくれないかな?」
「「…すいません」」
後ろで人修羅の肩の上で、留まっている古き友がすぐにそれを制する。
「…まったく、余計な節介だろうけど、あんたもこんな薄情者と組まない方がいいわよ?」
「はは…まあ、そうですね…」
人修羅の横を歩くルナに古き友が声を掛けると、二人が
まだ少し怖いのか、苦い笑いを浮かべながら、曖昧な返事を返した。
「それで…本当にこの先にある神社にこの世界に詳しい人間がいるの?」
「ええ、そうです!そこの巫女に色々聞くなり、倒して神社を乗っ取るなり……」
「…おべっかはやめてよ、嫌いだからさ」
「……はい」
調子づくルナにすかさず古き友が釘を刺すと、前の二人と同様に肩を落とした。
「……人修羅」
肩の上に留まっていた古き友が少しか細い声で人修羅に声を掛けると、飛び立ち、人修羅の
頭の上に乗り上げた。
「…ちょっと疲れたから、眠らせて」
そういって古き友が震えるほどに体を大きく伸ばす。
「…あんたたちっ!」
「は、はいっ!?」
「な、何でしょうっ!?」
古き友に大声で急に声を掛けられ、跳ねるように前の二人が振り向いた。
「言っておくけど、道案内も終わってないのに逃げ出したら承知しないわよ」
「…人修羅はねー、とっても甘ちゃんだけど私より強いんだから…わかったわね?」
「はいい…」
「わかりまし…た」
古き友の剣幕に、二人の体がまた震えた。
「…それじゃあ、おやすみー……」
言いたいことも言い終えて、古き友が人修羅の頭の上で寝そべて目を閉じた。
「「「………」」」
古き友が眠り、三人の妖精と人修羅が押し黙ったまま、木々の間や草が茂った道を歩き続ける。
お互いが何も喋らずに、黙々と只、目的地へと向かっていた。
「……あの」
……重苦しい雰囲気の中、不意に人修羅の横を歩いていたルナが小さい声で人修羅を呼びかけた。
その声が耳に入った人修羅が足を止めて、自分を見上げていたルナに目を落とした。
「っ……」
目があった瞬間、気恥ずかしさからか、恐怖からか、すぐにルナが人修羅から顔が
見えなくなる程に頭を俯かせた。
「……その、人修羅、さんって…」
途切れ途切れにルナが、言葉を頭を俯かせたまま必死に紡ごうとする。
「……何者なんですか?」
▶
「…えっ?」
人修羅の返答を聞いたルナが、その言葉を理解できずに固まってしまう。
「悪魔…?人間…?」
「人修羅は人修羅よ」
さっきまで眠っていた筈の古き友の声が、急に辺りに響いた。
「…ていうか」
人修羅の頭の上から古き友が飛び降りて、ルナの目の前の中空で体を翻した。
「…なに人修羅に色目使ってんのかしら?」
「す、…すいません……」
眉を顰めて、睨みつけてくる古き友に涙目でルナが謝った。
「……そこの逃げようとしてる薄情者二人ー…」
「「…」」
いつの間にか、かなり遠くまで離れている前の二人にまたすぐに古き友が釘を差した。
「…あんたたちもういっていいわよ」
「「えっ…」」
古き友の開放の宣言に、前の二人が戸惑う。
「…その巫女さんがいる神社はとにかくここからまっすぐよね?」
「は、はい、まっすぐです!」
「とにかくまっすぐにまっすぐと!」
「…ふん」
露骨そのものの二人の態度に、古き友が鼻を鳴らして人修羅の頭に飛び乗った。
「……いこっ、人修羅」
古き友が催促すると、一拍置いてから人修羅が歩き出した。
「…す、すいませんっ、人修羅さんっ!」
背を向けて歩き出した人修羅にルナが思い出したように大声で人修羅に謝り、頭を下げる。
「…何か聞いちゃいけないことを聞いてしまったみたいで」
▶
「……その、ほんとにすいません」
人修羅の言葉に、重ねてルナが頭を深々と下げた。
また顔が見えなくなる程に頭を上げたルナを後ろ目で一瞥して、そのままサニーとスターの横を人修羅が通り過ぎて行った。
……先に行ってしまった人修羅達が視界からいなくなると、サニーとスターが大きい安堵のため息を吐いた。
「…もう行っちゃったかな?二人共」
「…もう話しても大丈夫でしょ、あの二人のこと」
「……」
「…何なの?あの二人というか、あの妖精って!…すごい雷落としてたけど」
「雷の妖精かしらね?あれだったらいつでも梅雨明けできそうね」
「その隣りの角が生えた…歌舞伎役者みたいな人だけど、あの人妖怪かな?」
「確か、悪魔とか人間とか…自分から言ってたけど…」
「……人修羅さん、か」
「…はっきりしないなあ、まるで鈍くさいルナみたいね」
「そうね、優柔不断な辺りがそっくりだわ」
「……っ」
「あの悪魔人間も、ルナみたいに鈍くさいから、あんまり喋んなかったのかな?」
「……っ!」
「…どうしたの?ルナ…もう二人共行っちゃったでしょ?何で震えて」
「…うるっさいわねえっ!悪かったわねっ!鈍くさくって…ていうか、さっき私を置いてえっ!…」
「…つーいたっ、と!」
……人修羅が最後の茂みを抜けて、開けた道に出た瞬間に頭の上の
古き友が晴れやかに声を上げ、体を伸ばした。
「…と言っても歩いたのはほとんど人修羅だけどね、お疲れ様ー」
ねぎらいのつもりか、自分が地面にしている人修羅の頭を撫でてから、古き友が飛び立った。
「……それにしてもちゃんと神社ねー…一応あの三妖精の言ってることも嘘じゃなかったか…」
飛びながら手を目の上にかざし、目を凝らして古き友が、左右の赤塗の鳥居と神社に首を振る。
「…そんなに大きい神社でもないけど、景観はまあまあかな…掃除もしてあるし」
満足したのか、古き友が空中で身を翻し、人修羅に振り向いた。
「…神社には巫女が付き物っ、てもんだし、この神社の巫女さんに色々聞いてみようよ」
▶
「……そこはまあ、何とかなるでしょ…襲いかかってきてもこんなボロい神社の巫女さんじゃあ、私達
が祓えるとは思えないしね」
人修羅の返答と懸念を聞いても、古き友が気に留めていない様子でいつもの様に人修羅の頭の上に降りた。
「…それとも怖いの?」
▶
「……うんうん、そうだねー」
「…怖くないなら証明しないとねー」
まんまと挑発に乗ったと言わんばかりにクスクスと笑う古き友の糠に釘といった態度に
これ以上は無駄だと判断したのか、人修羅が神社へと足を動かした。
「…それにしても」
「寂れそう感の漂う神社ねー……」
……近づいた目の前の立てられた神社の外観に古き友がさっと感想を述べた。
目立ったボロや、障子紙は破れていたりしていないが、社自体はそれほど
大きくなく…世辞にも、よく参拝されている神社という感じではなかった。
▶
「…うん、今、ちょっと留守なのかな?……」
人修羅の言葉に古き友が、人修羅の頭の上で、また首を振って左右に目をやる。
「社務所みたいな所も無いし…」
人がいないのかと、途方に暮れ始めた二人の耳に、急に障子を引く音が入った。
「………はー…」
引いた障子から現れた紅白の衣装に身を包んだ少女が地面と一つ高い縁側で人修羅と古き友の姿を見る
と何故か大げさと思える程のため息を付いて肩を落とした。
(……なんか予想していたどのアクションとも違うわね、この巫女さん…)
頭の上から古き友が耳打ちするような小さい声で人修羅に話し掛ける。
「……ねえ、そこの…鬼みたいな角生えたー、あんたっ」
神社の巫女と思われる少女が俯かせていた頭を上げると、かなり友好的ではない態度で
人修羅を指名した。
「……ここにお酒は無いわよ、一滴も」
(……は?)
「…そうね、山の天狗達とか、山の神社とか、山の麓の近くの館とか…沢山お酒があるからお勧めよ」
少女が矢継ぎ早で言葉を投げるが、古き友と人修羅は混乱するだけだ。
「それと、酒の肴はあんたの頭のつきまとってる妖精にでもしておいてよ」
「……」
少女のその言葉を聞いた古き友が額に皺を寄せる。
「……随分とまあ、失礼極まり無い巫女さんね」
「……ふん」
古き友の言葉を聞いた少女がつまらなそうに鼻を鳴らし、立っている神社の縁側から地面に降りた。
「妖精なんて馬鹿な奴らが失礼だなんて、可笑しいったら無いわ」
「……………」
少女の悪態に古き友が人修羅の頭から飛び立ち、人修羅と少女の間の空中に滞空した。
「消し炭になりたいの?……お嬢ちゃん」
「やっぱり妖精は馬鹿ねえ……焦げちゃったら美味しくないし、体にも悪いのにね」
「………そうねえ」
物騒なことを言い出す古き友を前にしても変わらず悪態をつく少女に古き友が口端を歪める。
「……消し炭どころか」
古き友が中空で一度身を翻し、頭を俯かせて両手を垂らして何かに集中し始めた。
「……ああ?」
…古き友を中心に青い火花が飛び散り、大気が震え始める。
「…っ……!」
何かの力がここに集まってることに少女が気付き、即座に服の袖から棒を取り出した。
「…塵にしてあげましょうっ!」
古き友が垂らしていた両手を振り上げ、空に掲げた瞬間
雷よりも強く、眩い閃光が辺りに爆発した。
「……ねえ」
「…ねえ、ちょっと」
「…離してよ、人修羅」
古き友が頼むと、体に巻きついた指が離れていく。
「…っと」
空中での急な開放に慌てて羽を動かして、人修羅の肩に古き友が留まった。
「…まったく」
……人修羅が古き友を掴んで止めなければ、魔法で吹きとんでいた神社の辺り一帯を見回し、古き友が
憤慨そのものと言わんばかりに重い息を吐いた。
「残念ねえ…あの失礼極まりない巫女さんごと消してやろうと思ったけど」
▶
「はいはい、…そうね、私も大人気なかったわ」
人修羅の言葉に古き友が口先で賛同するが、明らかに納得はしていない様子である。
「……人間にもマシなのはたまーにいるけど、随分とひどい奴もいたもんね…あれ?」
辺りを見回す古き友がこの場の一つの異常に気付いた。
「…あいつがいないみたいだけど……」
目の前の神社の縁側の傍に棒を取り出して、立っていた紅白の衣装の
少女の姿は忽然と消えていた。
「…逃げたのかしら?…見てない?人修羅」
▶
「えー…じゃあ、どこに行ったのよー……言っておくけど、私はやってないからねっ!」
人修羅の返答を聞いて、古き友が大声でがなり立て始める。
「…まったく、出会ってそうそう唾吐くわ、勝手に姿を消すわ、どこまでも失礼極まりない巫女だこと…」
「今度あったら消し炭にしてからチリにしてやる…」
気が収まらない古き友が不機嫌を撒き散らす最中…また障子を引く音が辺りに響いた。
即座に振り向いた二人の目の先の神社の障子を開けた者が縁側から穏やかな声と共に頭を下げた。
「こんにちは」
「……」
腰まで届くほどに長い金髪に陰陽図が描かれた服
…緩やかな動作で神社の縁側からその女性が地面へと降りる。
物腰は穏やかだが、その分慣れない相手の雰囲気に古き友が息を呑んだ。
「…申し訳ありません…先程はこの神社の者がとんだ粗相を…」
謝罪の言葉と共に女性がまた深々と頭を下げた。
「…あの失礼な巫女を逃したのはあんた?」
「ええ、そうです…あの失礼極まり無さすぎる巫女を逃したのは私です」
顔を上げた金髪の女性がそう言って目を細めて、笑みを浮かべた。
「…誰が失礼極まりない巫女だっ!」
罵声と共にさっきの少女が神社の縁側の障子を壊すような勢いで引き開けて、再度姿を現した。
「…誰がどう見ても失礼極まりないでしょ」
さっきまでの古き友に勝るとも劣らない憤怒を示す少女に金髪の女性が顔色も変えずに
火に油を注ぐような言葉を投げかける。
「出てきてほしくない時にいつも玄関通らずに出てくるあんたよりよっぽど礼儀正しいわっ!」
「……やれやれ」
付き合っていられないと金髪の女性が目を伏せて、人修羅に歩み寄った。
「ちょっと、あんたっ、人の話を……」
後ろで喚く少女を気にも留めずに、金髪の女性は足を進める。
人修羅との距離が手の届くほどになると、その歩みは止まった。
「…いかがですか?この世界は」
▶
「…質問に質問で返すのはあまりよろしくないですよ?」
人修羅の返答に金髪の女性が、扇子を取り出し、その扇子で口元を隠しながら、眉を顰めた。
「……ですが、答えてあげましょう」
金髪の女性が扇子を持った手を跳ねさせると、鋭い音と共に扇子が閉じる。
「あなたの仰る通りにあなたをこの世界に送り込んだのはあの老紳士です」
そう言って金髪の女性が首を傾けて空を仰いだ。
「人間も妖怪も神も悪魔も住まう……この世界に」
「…観光案内い?何でえ?」
人修羅と古き友の前に現れたこの世界の管理者…紫が人修羅の質問に答えてから、紫がこの幻想郷を管理する者としてと
前置きした言葉に神社の巫女…霊夢が顔をしかめて、口を曲げて、盛大に不満を示した。
「そうです…とにかく、後ろのお二人をもてなしなさいな」
「お二人共、何もしていない者に自分から危害を加えるような低い程度の心根では無いとはいえ…」
「…万が一、と言うこともあります」
「な~に言ってんのよ、いきなり何か魔法打ってきた輩に対して…」
「そうですね、いきなり何か魔法打ってきた輩に対して、顔を合わせて、早々に悪態をついてきましたしね」
「…けど、私には神社の巫女として」
「参拝者なんて来るわけ無いでしょ、お賽銭の中身どころか神様も不在のこの神社じゃ」
「つまらない言い訳はやめなさいな、この不真面目」
「…神様不在って…ゆうなあっ!」
「…何なの?あの二人って」
…喧しいと耳をふさぎたくなる紫と霊夢のやり取りを冷ややかな目で古き友と人修羅が間に入らずに、触ること無く見ていた。
「…不真面目な巫女はさておいて」
「誰が不真面目だあっ!」
不意に紫がまた霊夢を放って古き友と人修羅に近づき、懐に手を入れた。
「っ!……」
「…お?」
警戒していた人修羅の頭の上の古き友が紫に差し出された、武器等で無い…手の上の只の包に拍子が抜けた。
「観光費と観光のガイドブックです」
「ねえ、人修羅…開けてみるね」
人修羅の頭の上から飛び降りた古き友が紫の手の上に乗って、包を広げた。
「…ほんとだ…大判小判に…幻想郷ガイド…少本版?」
「どうぞお受取りくださ…おや?」
差し出された包を受け取るどころか、人修羅が何故か紫に急に背を向けて歩き出した。
「ねえ、人修羅ーっ?…」
古き友に呼ばれても人修羅の歩みは止まることはなかった。
「…そうね、あいつに遣わされたってのは気に喰わないけど…」
古き友が急いで包を閉じて、その小さい体で担ぎ上げて、紫の手から飛び立った。
「まったくあの子ったら甘ちゃんだからねえ…お金は大事な物っていうのにさ、私が貰っておくわ」
「そうですか…有難うございます」
嘆息しながら紫に話し掛ける古き友に紫が微笑みながら頭を下げた。
「…余計な世話ですが、過保護はあまり良くないですよ?」
「まあ…わかってるけど、ほっとけないのよね…」
「それじゃあ…ああ、そーそー…」
「…ん?…何か用?」
紫とのやり取りからか、どこか不機嫌な様子の霊夢に去る前に古き友が近づいた。
「じゃあね、神様不在の巫女さん♪」
…階段を前にして、人修羅が降りる一歩を踏み出そうとした瞬間に、後頭部に軽い衝撃が走った。
「話は後で!とにかく急いで駆け下りてっ!」
その声に古き友だとすぐに分かり、開口一番の言葉は
何かと聞こうとした人修羅が…背後に感じた強い力に有無をいわさずに全速で階段から駆け下りていった。
「全くあの巫女ときたら、もー…」
……階段を降り切って、獣道をしばらく歩いてから、人修羅の頭の上の古き友が逃げてきた霊夢に対して、顔をしかめた。
「自分にしたって失礼極まりなかったて言うのにねえ…」
「…それはさておいて」
毒づいてから、古き友が担いだ包みをほどいて、ガイドブックを取り出した。
「人修羅…これ持って」
残った大判小判が入った包を人修羅の眼の前に垂らして、それを人修羅が受け取ると、古き友が本を広げた。
「ふんふん…なるほど…」
古き友が本を読み終わることを人修羅が足を止めてじっと待ち続け、分ほどもかからずに古き友が
本を閉じて、さっきと同じように人修羅の前の本を垂らして手渡した。
「とりあえず…人里って言うところがあるらしいからそこに行ってみようよ、ね?」
「お店とかもいろいろあるって…何より野宿は嫌だしさ」
▶
「……うん、それじゃあ、いこっかっ!」
人修羅が返答して、機嫌が戻った様子の古き友に渡された本を開き、眺めながら歩き出した。
「…この幻想郷の社会は妖怪によって統制されて、人間は妖怪に生かされている者達だ」
「統制といっても、人間に奴隷そのものの生活を強いるようなものでは無い、むしろその逆と言っても良いだろう」
「長い前置きはおいて、妖怪は人間がいなければ存在できない者だ…人間に恐れられていなければ」
「……まっ、早い話が持ちつ持たれつ、か」
渡されたガイドブックの朗読を古き友が中断して、人修羅の前に垂らした。
何も言わずに、それを受け取り、今度は人修羅が本を開いて、眺め始めた。
「うーん、見つかんないねえ…」
行動の予定を決めて、古き友と人修羅が幻想郷の獣道を目的を求めて歩き続けるが、目当ての人里
は見つからず、変わらない景色に古き友が退屈に参りそうになっていた。
「何か…お地蔵さんが近くにあるらしいんだけど…」
既に何度かお互いが、役割として暇つぶしも兼ねていた
ガイドブックを交換しながら読み合っていて、ほぼ本の内容は網羅していた。
目的地の近くに設置してある物も覚えていたが、長時間歩いていても、それすら見当たることは無かった。
「ほんと、見つかんないなあ……ん?」
また首を振り始めた古き友が目に入った何かに気づき、首を振るのをやめて、それが
何かを視認するため、人修羅の頭の上で身を屈めて、目を寄せる。
「ねえ、人修羅…ちょっとあそこまで行って」
古き友が頭の上から指を指した方向には、人修羅よりかなり背の高い木がそびえ立っていた
古き友の指示通りに人修羅が木に向かって歩いていく。
「…何なの?これ」
すぐ近くまで寄った木の根本の木陰にあるそれに、古き友が眉をひそめた。
二人の視線の先の木陰の中…木陰よりも色濃く、暗い闇の固形物
円形のそれを木の枝葉の間をくぐって差し込む日の光すらも、照らすことはできていなかった
「…中からおっきい顔とか出てこないよね?」
「…本には乗ってなかったし…何だろ?ほんと…」
それが何なのかということや、その物体の危険性も把握しきっていないま
ま、古き友が人修羅の頭から不用意に飛び立ち、球状の闇に近づいた。
「…中に何か…っ!」
高度を落として、その闇に徐々に近づいていく古き友に不意に音もなく、闇が動き、盛り上がった。
その動きに危機を感じた古き友が一旦下がろうとした瞬間、地面に光が
波打つように走って、球状の闇へと、激突した。
その光の衝撃によって闇の球体が吹っ飛び、後ろの木に二重の激突を食らう。
「っと…人修羅、ごめん、迂闊だった…」
前方に手を掲げた姿勢の人修羅の肩に迅速に古き友が飛び乗り、二人が臨戦態勢を取った。
「さっきの、破魔のだっけ…ん?」
人修羅が起こした雷を食らった目の先の闇の球体は既に姿はなく、入れ替わったように木陰の
中でのびているそれに古き友が固まった。
「…女の子?」
「…うーん……」
背に大木を預けて、さっきの衝撃によって気絶しているであろう、短い金髪に赤いリボンを留めてある年端もいってなさ
そうな少女が古き友の言葉に返事をするように呻き声を上げた。
「…ねえ、大して強くなさそうだしさ、とりあえず起こして話を聞いてみようよ、人修羅」
▶
「……うん、私は少し離れておくからね」
人修羅の返答に古き友が肩から飛び立ち、飛行の高度を上げて、離れると、人修羅がまず
大足で木陰の少女との距離を詰めた。
人修羅の足が木陰に差し掛かり、立ったまま頭を下げて、顔を木陰の少女に寄せる。
「んー……」
間近で見た顔は、人間の少女の寝顔のそれと変わりはしない。
これほど近づいても、噛み付いたりしてこないので、危険は少ないと判断した人修羅が手を伸ばし、木陰の
少女の肩を掴んで体を揺すった。
「………」
さっきまで呻いていたのに、人修羅が揺すっても木陰の少女の反応はなかった。
「…ねえ、人修羅…私が回復」
「お…」
反応が無いと思われた少女のか細い儚げな声が木陰の少女の口から漏れでて、
すぐに人修羅が肩から手を離した。
「お、なか…」
「…お腹すいたー……」
「…は別にしなくてもよさそうね…」
「というか…多分、意味が無いわ」
少女の言葉を聞いて、危険は無いと判断した古き友が上から人修羅の頭の上に乗った。
「…ていうか、この子…妖怪なのかな?」
「んー…」
顔をしかめて何かを嫌がるような少女の高い声がまた漏れでた。
「…とりあえずこの子どうするの?人修羅」
▶
「……まあ、お昼寝の邪魔をしたようなものだしね…落ち度はこっちにしか無いしさ」
「助けるのはいいけど…」
人修羅の返答に古き友が難色だと言う素振りを見せる。
「…まだ人里は見つかってないし、お地蔵さんも見かけないしさ…」
「その子が急を要するってわけでもないけどねえ…」
「うーん、どうしたもんか…」
今度は古き友が手を組んで呻き始めた。
「……そうだっ」
「ねえ、あの神社に戻ってみよう?」
その言葉を聞いて、今度は人修羅が難色をつけようと口を開くが、その前に頭から降りた
古き友が目の前で滞空して、口が空いたまま、言葉が止まった。
「まだあの失礼極まりない巫女さんが怒ってるかもしれないけど、大丈夫だって」
「さっきお賽銭がないって確かにあの紫って人から聞いたしね」
言葉の途中で古き友が不敵に笑う。
「…持ってる大判小判で、頬叩いてやればあんな奴すぐ言うこと聞くわ」
▶
「……はいはい、善は急いで、神社にもどろーっ」
人修羅の返答を聞くと、頭の上で古き友が後ろを向いて意気揚々と掛け声を上げた。
次の予定も決まって、人修羅が木陰の少女の体を担いで、背中におぶった。
…背負った少女の体は軽く、人修羅が運ぶには苦にならない重量だ。
「…ん」
寝たまま体を揺さぶられた不快感か、木陰の少女が人修羅の背でまた呻き声を上げた。
「…ちょっと、人修羅…他所の子の大事な所触んないでよねっ!」
古き友の注意に辟易しながら、人修羅が背の少女に注意を払いながら、ゆっくりと歩き出した。
幻想郷の今日も、外界と同じく時が経つにつれて、日が沈んで空が暗くなった頃
「はぐっ、んぐっ、むぐっ、んぐぐ……」
……古き友が提案した通りに神社に闇を纏っていた少女を連れて戻って、大判小判の何枚かを
差し出してもてなすように頼むと、目論見どおりに事は進んで、現在に至っていた。
空腹の苦しさも含めて気絶していた少女は、神社の居間のちゃぶ台に置かれた神社
の巫女の作った料理の匂いにつられて起きて、湖に顔を入れて、吸い込むような勢いで
作られた料理を貪り続けていたのであった。
「この子ったら、よく食べるわねえ…」
闇を纏っていた少女の貪り続ける様を見て、古き友がちゃぶ台の上に座って、大皿のおかずを
齧り付きながら、絶句した。
その隣に座っていた人修羅も隣の者のあまりの食べっぷりに箸が進んでいなかった。
「…はい、追加の分」
次に作った料理を皿に載せて、霊夢が台所からお盆を抱えて来た。
「…って、ちょっとあんたっ、箸ぐらい使いなさいよっ…他にも色々こぼれちゃってるし…」
皿をちゃぶ台に置いて、霊夢が横の料理を貪っていた闇を纏っていた少女の
手掴みで食べていたために、口元と汚れた手とちゃぶ台の上に驚き、すぐに台所に引っ込んだ。
「…ほら、じっとして」
「えっ、ん…」
手拭を持って戻ってきた霊夢が闇を纏っていた少女の頭を掴み、もう片方の手で口元を拭った。
「…っていうか、あんたたちの連れなんだから、しつけぐらいちゃんとしてって!」
急に霊夢に口元を拭われて、何をされたのか、解しきれていない呆然としている闇を纏っていた
少女の手に手拭を置いて、霊夢が古き友と人修羅に指を指した。
「はいはい…しょうがないでしょー?こいつ随分とお腹すいてたみたいだしさ」
「がっつくわよ、それは」
「…がっつくのかー?」
「…あれ、喋れたの?」
古き友に相槌を打つようなどこか気の抜けた暢気な声と言葉に古き友が驚いた。
「うん、喋れるよー……」
「…とりあえず、名前を教えてくれないかな?一応食わせてやったんだしさ」
古き友の言葉に応答した渡された手拭で両手を拭く闇を纏っていた少女に、古き友が名乗りを頼んだ。
「…名前?」
「そっ、名前」
「…私の名前はルーミアだよ、所で…」
古き友の頼んだとおりに名前を述べて、何故かちゃぶ台に手拭を置いて、急に闇を
纏っていた少女が立ち上がり、両手を広げた。
その急な行動にこの場の者全員の視線が、闇を纏っていた少女に集中する。
「ねえ、角の生えたあなた」
「角の生えたあなたは食べられる人……」
言葉の途中で何故か、闇を纏っていた少女が口元を押さえた。
「…げふっ」
咳き込むような吐息が闇を纏っていた少女の口から一度だけ漏れ出た。
「ねえ、巫女さん…お茶入れて上げてくれないかな?」
「…はーっ」
湯飲みのお茶を飲み干して、ルーミアが一息ついた。
「肝心な台詞の時にゲップなんて、あんたもう妖怪として駄目なんじゃないの?」
「…んー?何か言った?」
「…やっぱり駄目だわ、こいつ」
横に座ってルーミアに話しかけた霊夢が自分の言葉を聞いていなかったルーミアに顔に手を当てながら、嘆いた。
「…ねえ、妖怪として駄目って…っていうか、この子妖怪なの?」
霊夢の言葉を聞いていた古き友が話しに割って入った。
「何言ってんの、どっからどう見ても妖怪じゃないの」
「えっ、いや、その…どこがさ?」
「…?」
二人の話しを聞いていても、まったく解してい無い様子のルーミアが首を傾げた。
「あんたらはこの世界の新参者だからよ……まったくこんなやつが妖怪じゃあ、私の商売上がったりだって」
相手にしていられないと、霊夢が立ち上がり、背を伸ばした。
「…ほんと失礼な巫女さんだこと」
「…おっとっと、そう言えば…ねえ、人修羅…さんだっけ?」
横に座って茶を飲んでいるルーミアと同様に座って茶を飲んでいた人修羅に霊夢が唐突に指名した。
「その格好じゃあ、その歌舞伎役者みたいな化粧が眩しいからさ…」
横に置かれている箪笥の段を霊夢が引っ張って、中から畳まれた着物を取り出した。
「…これ着てくれない?あの紫って言う隙間妖怪が持ってきた物だけど」
そういって霊夢から差し出された畳まれた着物を立ち上がった人修羅が一瞬だけためらって手に取って
畳まれた着物を広げて、袖を通した。
「へー…人修羅って着物が似合うじゃん」
古き友の世辞を聞きながら袖に腕を通して、人修羅がそのまま帯を締めようとするが、慣れていないからか、試行を繰り返して
も、帯が中途半端に引っかかって垂れてしまう。
「…はいはい、もー…じっとしてっ」
後ろの霊夢が溜まりかねて、垂れている帯を取って、即座に力一杯に帯を引くと、その刺
激に人修羅の体が硬直した。
その隙に霊夢が帯を結び、迅速に締めていく。
「ちょっときつめに締めるけど、しばらくしたら楽になるから…っしょ」
最後に霊夢が帯を引くと、人修羅の身に完全に余すことなく、着物が纏われた。
「…うん、ばっちり色男だよっ、人修羅!」
「ばっちりなのかー」
「…へえ…」
顎に手を当てて霊夢が人修羅の着物に顔を近づけて、目を凝らせて凝視する。
「…あの胡散臭い妖怪がこんな普通の着物を渡すなんてね」
「纏った瞬間に、二人羽織りみたいに何かに操られて、湯飲みのお茶でも放って来るかと思ったけど」
「…どれほどあの妖怪を信用して無いのよ、巫女さん」
危惧するような物が無いと分かった霊夢が人修羅の着物から顔を離した。
「…馬鹿馬鹿しい、人間が妖怪を信じるなんて」
「馬鹿馬鹿しいのかー」
「…ドライね」
「もう、季節は秋だからよ」
「…うーん、何か違くないかな?」
霊夢の言葉の返しに古き友が顔をしかめた。
「っていうか、もう何も食べないわよね?だったらもう寝てほしいんだけど」
「…普通もてなす側が言う?そんな事」
「もてなそうにも今、ここにはもう何も無いわよ…せいぜい出せる物は寝床ぐらいね」
「…そうねえ、お賽銭も不在だったし、勘弁してあげようかな…」
溜息を一つ吐いて、古き友がちゃぶ台から飛び立った。
「なんだかんだで出してくれた物はおいしかったしさ」
「それは、どうも…素直に嬉しいわ」
目の前で微笑みながら、出された料理の感想を述べる古き友に霊夢が目を伏せる。
「…とりあえず隣の部屋の襖から布団を引っ張ってくるから、待ってて」
そう言って霊夢が縁側の障子を引いて、居間から出て行った。
「…そういえば、あんたはどうするの?」
場に霊夢がいなくなると、古き友が時々相槌を打っていたルーミアに話しかける。
「…どうするのかー?」
「やっ、あんたが聞いてどうするの…」
首を傾げる古き友の質問の意味を解していない様子のルーミアに古き友が嘆息した。
「…?」
「…とにかくー、この神社に私達と泊まるのかって言う事っ」
「…んー……」
古き友の言葉にルーミアが顎に指を当てて、考えるが、古き友の提案に乗り気でないのか、どうにも反応は鈍い。
「…もう夜は寒いでしょ?泊まって行きなさいって」
「…うん、そうだね」
「わかってくれたか…」
ようやくルーミアの意思を聞きつけることが出来た古き友が息を吐いた。
「嬉しいなー…さすがに野ざらしで眠るのは辛くなってきたしね」
「夜に人間を襲おうにも…寒いのに、外を歩いてくれている襲える人間なんていないものねー」
「えっ、もう寝る時間なのに?結構意欲的ねー…あんた」
「ううん、いつもはこの時間が起きてる時間で、朝が弱いの」
「ってことは、平常運転じゃない…駄目駄目じゃん…」
「…んっ?どうしたの、人修羅?」
何か言いたげな様子の人修羅に気づき、古き友が声を掛けた。
「……な~に言ってんのよ、人修羅ったら…さっき散々あのガイドブックを読んだでしょ?」
人修羅の言葉を聞いた人修羅が空中で体を翻して、寝そべりながら、頬杖をついた。
「まず、妖怪は人間に恐れられなければ、ってさ…甘ちゃんこじらせるのもいい加減にしなさいっての」
呆れた様子で古き友が人修羅に説教をする中で、横の障子が開かれた。
「…そして、人間は妖怪を退治する…それがこの世界の掟」
「それにしても、妖精にしては随分わかってるわねえ…どこかの仙人に爪垢を飲ませたいくらいだわ」
障子を開けた霊夢が古き友の説教を締めくくると、古き友を霊夢が褒める様な口ぶりをした。
「ふふん、褒めたって何も出ないわよ?」
「出さなくて…っていうか、もう寝る準備は出来たから、とにかく隣の部屋に来て」
そう告げて、霊夢が隣の部屋へと縁側を歩いて、戻った。
「はいはい…先行ってるわよ、人修羅、ルーミア」
霊夢の招きに、早々に羽を動かして、古き友が居間から縁側に出ていく。
「…しょっと」
取り残されたルーミアが立ち上がり、何かの癖なのか、両手を広げて、小走りに居間から出て、走りだした。
ただ一人居間に残った人修羅が頭を俯かせて、目を瞑る。
何かを思い出し、それを堪えるように…重い息を一つ吐いて、居間の障子を抜けた。
既に夕刻もとっくに過ぎて、縁側から見える空は完全に暗くなり、神社から目に見える光は
さっきまでいた居間と隣の部屋と空の星だけとなっていた。
「…ちょっと、何よこれってー!」
縁側に出た瞬間に聞こえた、古き友の嫌そうな声に、人修羅が足を止めて
悪い予感ではないが、あまりいい予感もしないまま、足をのろのろと進めた。
「…しょうがないでしょ?この神社に布団って二つしか無いんだからさ」
隣の部屋の前に立つと、すぐに聞こえた霊夢の言葉に人修羅が即座に障子を抜けて、入った部屋の
端の小さい明かりに照らされた部屋の床を見下ろした。
部屋の中央…枕が一つの布団の傍に立って霊夢が飛びながらの古き友の苦情を顔をしかめながら、聞いている
横ではルーミアが普段通りの澄ました顔で立って、二人のやり取りを横で眺めていた。
「納得いかないっての!あんたの布団もよこしなさいよ」
「渡す気はないわ…この季節に人間が布団無しで寝たら風邪引いちゃうからね」
「…元からお賽銭が不在の貧乏神社だもの」
「…神様だって不在でしょ」
「ご不在なのかー」
「…仰るとおりね」
古き友の挑発も大した効を成さずに、霊夢が背を向けて、人修羅の横を通り過ぎる。
「私の眠りを妨害しないなら、いくら騒いでもいいから…お休み」
それだけ言い残すと、霊夢が縁側に出て、障子を閉めた。
「…やっぱり、こんな貧乏神社じゃなくて、人里に行くべきだったかしらね」
障子の向こうの霊夢の影が、居間の方へと戻っていくのを見ながら、古き友が愚痴を零した。
「…まったく、人修羅も少しはビシッと言わないと…」
突っ立ったままで、霊夢に何も言わなかった人修羅に古き友がそっぽを向いて、腕を組んで不満を示す。
「……えっ……いいの?お布団で眠れなくて?」
人修羅の言葉にルーミアが、伺うような口調で、人修羅の顔を見上げながら、聞き返した
「…そう自分から率先して貧乏くじ引いちゃって、どうするのっ!」
背を向けていた古き友が勢いをつけて、空中で踵を返し、人修羅に指を指した
指を指された人修羅が古き友に激を入れられても、何の反応も無い
「…ええい、もう全員で寝るわよ、この布団でっ!」
人修羅の態度に業を煮やした古き友が、唐突に人修羅の意思を無視した方法を提示した
「……えっ…別に、私はいいけどー?」
人修羅の言葉に、人修羅の気遣いとは対照的にルーミアが首を傾げて、人修羅の躊躇を不思議がってすらいる様子だった。
「…うーんと、寒い方が寝やすいの?熱いのが苦手なの?」
「あー、熱いのも、寒いのも得意よ、人修羅は…て言うか」
「…ご本人がこう言ってるんだから、気にしなくていいじゃないの…それとも」
人修羅の目の前でまた古き友が体を翻して、頬杖をついた。
「…一緒に寝てると人修羅は耐え切れずにルーミアに何かしちゃったり、しちゃうのかな?」
「…耐え切れないのかー?」
口端にいつもの自分をからかう時の笑みを浮かべる古き友の横で、古き友の質問の意味を
解していないルーミアが首を傾げた。
「…あははっ!人修羅ったら…ムキになっちゃってえ…余計怪しく思われちゃうってっ!」
「思われちゃうのかー」
人修羅が返答すると、悪意しか存在しない質問を仕掛けた古き友がまた体を翻して腹を抱えて、爆笑した。
「はー、苦しー…ああ、ゴメンゴメン、そう、機嫌損ねないで…」
二人に背を向けようとする人修羅に古き友が急いで、宥めに入った。
「…まあ、人修羅はそういう事は信用できるから、安心してよ、ルーミア」
「んー、そういう事って…何なの?」
「それは言わぬが花ってやつ…さっ、することもないし、もう寝よっか…」
さっきから全く話の意味を解し切れていないルーミアを放って、古き友が部屋の明かりの所まで飛んでいく。
「…消すよー、二人共ー」
二人の了解も無いままに、古き友が部屋の明かりに息を吹きかけると、炎が消えた。
……部屋の明かりが消えて、部屋の中ではっきりと見えるのは、人修羅の体の紋様だけとなる。
「まず人修羅が布団の方まで行ってくれる?」
古き友に言われて、人修羅が納得行かない気持ちを抱えたまま、慎重に足を進めて、足から布団
の感触が伝わると、布団についたと声を上げた。
「次はルーミアね」
「うん…」
人修羅の体の紋様の明かりを頼りに、ルーミアが抜き足差し足で、歩を進める。
「ゆっくりでいいからねー」
「…大丈夫、ついたー」
その声ははっきりと、人修羅の近くから聞こえてくる。
「…それじゃあ、人修羅…布団に入って」
特にいつもの自分をからかうような声色でない古き友の普通の伝令の言葉に、人修羅が
腰を下ろして、布団をめくって、体をその中に入れた。
ルーミアも布団に入り、人修羅がかぶっている布団が少し引っ張られて、その方向に人修羅が背を向けた。
「んー…冷たいなー…」
布団に入ったルーミアが、体温で暖まっていない布団の冷たさに不満を漏らした。
「…文句言わない、野ざらしよりましでしょ?」
布団に入ってきたのがいつかわからない、古き友がルーミアの不満を窘める。
「…それじゃあ」
不意にルーミアが布団の中で体をにじらせて、衣擦れの音を立てながら、傍の人修羅の纏っている服を掴んで、自分の
服を掴むルーミアに何事かと人修羅が問う前に、ルーミアが人修羅の背中に自分の体を寄せて、抱きついて来た。
「…私に抱きしめられるのが嫌なの?あなたは」
抱きついた人修羅の体の動揺による微動が伝わり、それを自分に抱きつかれるのが嫌だと勘違いしたルーミアが
眠いせいか、か細い声でルーミアが人修羅に問いかけた。
「……なら、いいじゃない…寒いのは…嫌だもの」
人修羅の返答を真に受けて、ルーミアが更に自分の体を人修羅に密着させて人修羅の体に巻き付ける腕
の力を強めて、服越しのルーミアの体温や体の柔らかさが人修羅に全身から、より伝わって来る
「…ねえ、…臭くない?…私の体」
「……臭くないのかー、よかったー…」
人修羅の言葉にルーミアが安堵の息を吐いて、その暖かい息が人修羅の背に当った
「私…いつも、外で、寝てて…お風呂、とか…入って、なくて」
「だから、一緒に、寝るのが…嫌だっ、て……」
「……ん」
途切れ途切れで紡がれていたルーミアの言葉が、途中で完全に止まり、今度は安らかな寝息が
後ろから人修羅の耳に入った。
「………ねえ、人修羅」
「空気を読んで黙っていたけど、これだけは言わせて」
「……」
「スケベ」
…仰向けになった視界に、顔を見下ろす一人の老婆と少年が映る
少年が老婆に耳打ちをして…何かを取り出した
取り出したそれが目の前にかざされ
目覚め
蠢き
……目を見開いた人修羅が、視界に映る部屋の襖と、次に耳に入ってきた古き友とルーミアの
寝息に、自分が今どこにいて、どうしてここにいるかを認識する。
息を大きく吐いて、布団の中から人修羅が自分の手を抜いて、目の前にそれを掲げた。
…手に刻まれた紋様の暗闇の中の輝きを眺め、それを掛け布団の上へと、下ろす。
……変わらず耳に入り続ける二人の寝息に誘われて、もう一度寝ようと、人修羅が目を
閉じようとした瞬間、覚えのある感覚が体の中を走った。
飲み込んだ悪魔の力の結晶…何度も味わった暴れだすそれに、人修羅が歯を噛んだ。
不快極まり無い最近は無かったその衝動に、人修羅が言いようの無い恐怖に囚われるが、何故
かいつもより、それは短く…ほぼ一瞬で収まった。
…収まって、人修羅が口を結ぶと、一つの予感と共に、体を起こした。
傍で横たわっている二人を起こさないように、慎重に体を布団から抜いて、人修羅が腰を上げる。
少し乱れた布団をかけ直して、二人の寝顔を見下ろして…深く目を瞑った。
…決意と共に、二人に背を向けて、人修羅が障子を引いた。
……半月の微弱な光りに照らされた庭
その中に人修羅の予想した通りの者は立っていた。
「…やあ…こんばんは」
この世界…人修羅を幻想郷へと送り込んだ老紳士が、容姿にかよった抑揚の薄い枯れた声で人修羅に話しかける。
「…そう、睨むな…お前と戦いに来たわけではない」
神社の縁側から自分を見据える人修羅に、人修羅が危惧する意思は無いと主張して、老紳士が
縁側へと足を進めた。
…ゆっくりとした足取りで自分に近づく、老紳士に人修羅は目を離さない。
その内、手を伸ばせば届く距離まで老紳士が近づくと、不意に人修羅に背を向けた。
「…この建物の主には悪いが、まあ、座るだけなら良かろう」
そう言って、人修羅の傍の縁側に腰掛けて、重苦しい息を吐いて、老紳士が目を閉じると
顔に刻まれた皺が浮き立ち、瞼の中に瞳の輝きがしまわれる。
「…お前も座ったらどうだ?」
…警戒しながらも、人修羅が老紳士の言葉通りに、横に腰を下ろして、縁側に足を垂らした。
「…怒っているか?いきなりこの世界へ放り込まれて」
目を閉じたまま、老紳士が横の人修羅に話しかけるが、人修羅は返答をしなかった。
「…だんまりをしていても、もうお前はわかっているはずだ」
老紳士が閉じていた目を開き、半月が輝く空を仰いだ。
「…来るべき時は来ると」
「この地上で生きとし生ける者全てが…生命を授かった瞬間に与えられる…」
「賢者にも、愚者にも…人間にも、悪魔にも…等しく授かる…自由」
「それを守るための戦いが」
老紳士の言葉に人修羅の息が詰まった。
「私を恨んでもいいさ…お前に与えたその力によって、お前は幾度も苦痛を味わい、辛苦に晒された」
「…私の手によるものでなかったとしても」
▶
「…ん?ああ…なぜここにお前を送ったか…か」
人修羅の質問に、老紳士が足に肘を当てて、手を組んだ。
「多分、もう会っただろうが、彼女に誘われてね…お前の了解はとっていなかったのはすまないが…」
「…ここは人間以上の知能を持つ人間とは違う種族が、共存していると聞いてね」
「余計な世話かと思ったかもしれんが…私の気遣いのような物だ」
老紳士の言葉に人修羅は怒りもせず、喜びもせず、ただ押し黙っていた。
「…さて、ここまでは、地に落ちた天使として…悪魔としての言葉だ」
「次はお前という存在を見てきたものとしての…言葉を贈ろう」
そう言って、また老紳士が目を閉じた。
「恐れられる事を恐れるか?…人修羅よ」
その言葉に横で座っていた人修羅が、即座に横を向いた。
老紳士は自分の方に顔を向けた人修羅に顔を合わせずに、手を組んだまま、目を閉じ続ける。
「燭台を捧げて、道を開いてきたあそこで…あの言葉を聞いてから、お前は迷い始めた」
「獣と人…あの下らん問いだ」
…続けて投げかけられた言葉に人修羅の手に力がこもった。
「…救ってくれた者に対して、救ってくれたにもかかわらず…自分を殺そうとした獣を殺した
その者を恐れる…不条理なものであるが…」
「…大抵の人間は弱い…自らの愚かさによって、自らを滅して…死んでいく」
「…只、目に入る物全てを表面だけ捉えて、その者を計らず追い出していく」
「だが、それは正しくもないが、間違ってもいない…」
「お前も、今となっては獣など何とも無い、取るに足らない存在だろうが…」
「傍に用意に自分を噛み殺すことが出来るものなどそう置きたくはないだろう?」
「…勿体ぶるのはここまでにするか」
組んでいた手を離して、また老紳士が空を仰いだ。
「恐れるな、人修羅よ」
「お前の自由の赴くままに進め」
「…誰かを助けたとしても、感謝どころか、その逆の仕打ちをされるかもわからん」
「だが、それは只の一つの結果だ…全てでない…助けたければ、助けるがいいさ」
「…その逆もまた…な」
「つまんないおしゃべりはそこまで」
不意に、後ろから聞こえた…人修羅の傍にいつもいた者の声が辺りに響いた瞬間、二人の後ろの
障子が開いた。
「…ねえ、人修羅ー…隣のおじいちゃんは食べてもいい人類なの?」
「食べてもいいけど、人類じゃないし、こんなやつ食べてもお腹壊すわよ」
「壊すのかー」
障子から現れた飛んでいる古き友の横のルーミアの質問に古き友が軽口で答える。
「やれやれ…食べられるのは嫌だし、そろそろ去るとしよう」
後ろの二人に目をやらずに、老紳士が庭に降り立った。
「…可愛がりはしないと決めていたしな…まあ、ちょうどいい幕引きとなったか」
「夜分にすまなかったな…それでは」
「…まったく、好きなときに現れて、好きなときに消えて……いいご身分だこと」
……別れを告げた老紳士が去って、姿が消えた頃古き友がこの場にいないその者に嫌味を吐いた。
…投げかけられた言葉に、座ったまま固まる人修羅が自分の服を掴まれる感触に振り向いた。
「…もう寝よう?寒いでしょう?あなたも」
服を掴んで目を擦りながらルーミアが布団に戻ることを催促する。
「…ねえ、ルーミア…人修羅のこと、あなたって言うのはやめてくれるかな?」
「…んー、何でえ?」
「…とにかく、いいからっ…何でも」
「……」
古き友に言われて、ルーミアが人修羅の顔をじっと見つめた。
…何度も見てきたあの世界の悪魔たちが殺し、奪い…求めてきた光よりも静かに同じ色に輝く瞳を人修羅が見つめ返した。
「…それじゃあ、さっきは私が抱っこしたからー、次は人修羅が抱っこしてね」
▶
「…えー」
人修羅の返答にルーミアが不満の声を上げる。
「…もー、なんでもいいからさー…もう寝ようよ…今日は疲れたー」
…また頭の上に古き友が乗って音を上げると、口元を緩めながら人修羅が腰を上げた。
ただ、文章の構成が改行の無駄遣いに見えてしまって、読み難さを感じます
必要な所以外は空白改行いらなかったんじゃないかな…
まず読み易くしないと、クロスが受け入れられ難いこの場所では、さらにお客さんを逃してしまうんじゃないかな、と
クリティカル食らいながらも空白駄文等日々精進いたしますorz