西空が紅く染まる時刻、二人の女性が紅魔館の門前で対立していた。一方は呆れと困惑によってやる気の無さそうに、もう一方は怒りと正義によって熱く燃え上がりながら。夕刻の赤は、そんな彼女たちをまとめて包みこんで、似たような影を伸ばしていた。
紅い髪の彼女の方が口を開く。
「先生。本当にやるんですか……?」
「無論だ。可愛い教え子をみすみす妖怪の手に渡したりはしない」
先生と呼ばれた青髪を持つ女性は、紅髪を見据えて自分の『左胸』を強く叩いた。変わらない青髪の態度に、紅髪はハアと溜息をもらす。
「ぜったい誤解していると思うんですけどね……」
紅髪が呟いて、冷たく鋭い風が吹いた。先に動いたのは青髪のほうだった。拳をきつく握りしめ、紅髪に向かって走り出した。
紅と青と。二人の女性の間で、幼い少年は複雑な心のままに揺れていた。
少年がその紅髪の門番・紅美鈴に興味を持ったのは、まったく偶然のことであった。たまたま里に来ていた彼女が、たまたま里人を襲っていた妖怪を退治した所を、たまたま少年が目撃したのである。以来、少年は門番の雄姿が頭から離れず、彼女が武術の達人だと聞いた時には、勢い立って門番へ弟子入りを志願した。
当然、門番は断った。彼女は弟子を取らない主義だと言った。本当は門番稼業の間のシエスタを、こんな少年に邪魔されたくないと思っていた。しかし、門番の言葉を額面通りに受け取った少年は、驚愕の事実を知って大いに肩を落とした。
少年は門番に文字通り門前払いをくらい、とぼとぼと里まで引き返して行く。門番はやれやれと思いながら昼寝の続きを開始した。
しかし、少年は諦めなかった。来る日も来る日も門番の元を訪ね、自分を弟子にしてくれと願った。門番はその都度断るが、断れば断るほど、少年の情熱は大きくなるようだった。意固地になってしまったのである。そして少年は、弟子にしてくれるまでは帰らないと、ついには寝袋持参で居座ってしまったのだ。
対応に困るのは門番である。部外者、しかも業務を妨害する邪魔者と云えども、こんな少年に手を上げて追い返す訳にもいかない。そうかと言ってこのまま居座ってもらえば、主の叱責が怖い。門番は何とか考えを改めるように少年の説得を開始した。
そんな時である。途方に暮れる門番の元に、その青髪の女性が現れたのだ。彼女は寺子屋で教師を務める上白沢慧音であった。六時の門限を過ぎても帰らないと家の者から連絡があり、最近少年が傾斜している紅魔館まで探しに来たのである。
門番は彼女の姿を認めて、ようやく苦役から解放されるとほっと息を吐いた。彼女が少年を連れ戻す為にやって来たと思ったからだ。
しかし、その教師は、確かに少年を連れ戻す為にやって来たのであったが、そこに至るまでの思考が門番とは全く異なっていた。
彼女は門番の前に立つや否や、指差し付きでこう言ったのだ。
「この妖怪! よくも私の可愛い教え子を誘惑したな!」
門番はポカンとした表情で慧音を見ていた。向けられた細い指を見ながら、白くて綺麗な指だなと思っていた。
「お前が色気を使ってこの子を誘惑したことは分かってるんだ」
教師の暴走は続く。さり気なく、差した指がチャイナ服のスリットに向けられたような気がした。門番はまだ固まったまま動けない。
「勝負だ門番! 私が勝ったらその子から手を引いてもらおう!」
門番はようやく教師の言った言葉の意味を、少しずつ理解しはじめた。このとき門番は実に間抜けな顔をしていただろう。
門番から声が漏れる。
「……へ?」
声まで間抜けだった。
こうして門番と教師は、一人の少年を賭けて決闘することになったのだ。
――教師は力の限り拳を振り上げた。そのまま門番に向かって猛進する。彼女の側まで詰めると、振り上げた拳を門番の頭部に向かって振り下ろした。
拳による振り下ろし、いや、先生が教え子にやる『げんこつ』の形だった。
門番は軽々とそれをかわした。後ろに飛んで距離を取る。教師は、素早い身のこなしの門番を苦々しく見つめていた。
もう何度目か分からなくなるほど、同じ展開が続いている。
教師の脚力では、門番を捕えることは出来なかった。教師は門番にあっさり攻撃をかわされ、すぐに距離を取られる。教師はそれでも負けずに押し迫るが、そんな彼女の攻撃は全て門番に見切られた。ひらりひらりと、蝶でも舞うように門番は攻撃を往なす。
教師の顔に、少しずつ焦りの色が浮かんでいった。
「くそう、私はあの子を守らないといけないのに……!」
「ホントにお願いしますよ。こっちも迷惑しているですから」
だからこんな無意味な事をやってないで早く連れて行ってくれと、門番は本心から思う。だが門番の本心は、教師には曲がって伝わるようだった。
「迷惑だと!? 子供を守るのが私の仕事だ! それの何が可笑しい!!」
いや、オカシイのはあなたの思考回路だと門番は思う。だが、それを口にする前に教師が襲いかかって来る。門番は苦も無くそれをかわした。
「もうっ、いい加減にして下さいよ!」
門番は辟易しながら呟いた。
どうも教師は、弾幕戦ではなく、肉弾戦で勝負を着けたいようだった。門番が武術の達人であるのなら、遠距離から戦った方が有利である。明らかに不審であったが、門番は、真っ直ぐな(向きは間違っているが)教師の瞳から、彼女が相手の封殺を目的としているのではないと読んだ。彼女は門番の得意としている接近戦に勝つことで、邪悪な門番を更生させようと考えていたのだ。
正義に燃える教師は、真に更生させるべきは自分の思い込みだと気付かない。
(……どうしよう、悪い人じゃないんだけどなぁ……)
正直、戦い辛い。それが門番の感想だった。門番が負ければ少年は教師が連れて帰ってくれ、教師もそれで満足するのなら、それが一番賢いやり方である。だが、門番にも武術家として鍛えてきた誇りがあるし、何より背後から『絶対に負けるな』というオーラが伝わってきている。恐らくそれは主のものに違いなく、そして主は、門番を困らせて楽しんでいるに違いなかった。
教師が振り降ろした拳を、門番は身体を反らして避ける。また同じ展開だった。違うのは、勢いを付け過ぎた教師がそのまま地面に転んでしまったことだ。
地に伏せた教師は、どうしても攻撃を当てられない事実が歯痒く、悔しさと憤りの混じった表情で門番を睨んだ。
門番はこの熱血教師が可哀想になってきた。
「あのー、もう止めません? ぜったい誤解してると思うんですけど……」
「――私は負けられないんだ。子供たちのために、負けるわけにはいかないんだ!」
「いや、だから。そう思うんなら早く連れていって下さいよ」
「子供の安全を守るのが教師の務めだ。こんな色情魔の術など私が取り払って見せる!!」
「……うぉーい、戻って来て下さーい」
教師は門番の弁明に耳を傾けることなく、マイ・ワールドに陶酔していた。
いよいよ困るのは門番だ。明らかに真逆の方向へ爆走し続けるこの教師を、どう取り扱えば良いのだろうか。門番は視界の隅に映った少年に助けを求める。少年は過ちを犯す恩師に向かって口を開いた。
「先生、ぼくは……、」
「――いや、いいんだ! お前の言いたい事は分かっている!」
教師は、あろうことか少年の告白を自分で遮った。「そこは聞いておけよ」と、門番は静かにツッコミを入れるが、無論、教師には届かない。
というか、賭けてもいいが彼女は絶対に分かっていない。明らかに誤解している。何故なら、分かっているなら、このような無意味な展開になるはずがないからである。
そう辟易する門番をよそに、なおも暴走する教師は、少年に向かって優しく語りかけた。
「すまないな、頼りない先生で。でも、もう少し待ってくれないか。私は絶対にお前を助けてやるから……!」
教師はお湯でも沸きそうなほど熱い口調で言った。場違いでなければ、教師は主人公になっていたに違いない。しかし、残念ながら教師の言葉はあらゆる意味で間違っていた。
そして、そんな教師を見る少年はと言うと、
「先生……っ!」
目を潤ませて感動していた。
「って、あなた! 違うでしょ! ここは否定するところでしょ!」
まさかの裏切りである。少年はここに来て目的を見失ってしまったようだ。余りにも強引な教師のペースに呑まれてしまっている。
というか、もう帰れよお前らと門番は心の中で毒づくが、熱い絆で結ばれた教師と生徒には届かない。
「先生はやるよ。お前を絶対に連れて帰る。約束するよ」
「……はい先生。ぼく、信じています!」
彼らは互いの絆を確認し合う。美しい師弟関係である。美しすぎて門番はがっくりと肩を落とした。
「いくぞ門番。これが最後の攻撃だ」
「ううう、もう何が何やら……」
門番の心教師は知らず。教師は最後の一撃のために、気合いを入れて構えなおした。門番をキッと見据えると、地を蹴って走り始める。互いの距離が少しずつ短くなっていく。
「うおおおおおおおおお!!!」
教師は雄叫びと共に門番に迫った。門番は仕方なく攻撃に備える。
教師の拳が高く降り上げられる。――げんこつの構えだ。教師のげんこつが門番を捉える。だが、その拳は門番に見切られ、振り下ろされた拳は門番の拳によって弾かれた。隙だらけの教師の身体に門番の一撃が迫る。
――しかし、
「かかったな!!」
教師は拳を弾かれたまま、今度は自分の頭を思い切り振り上げた。そしてそれを門番に向けて振り下ろす。これこそ教師の得意技――、頭突きであった。
教師の意外な切り返しに、門番は往なす時間を持てなかった。来たる衝撃に備える。歯を食いしばる教師は、渾身の一撃を門番に放った、、、!!
……ところで、教師は聖職者の体面からか、己の性格からか、丈の長いスカートを好んでいた。それは門番のスリットが入ったものとは対照的にきっちりと固められており、全く色の入る隙を見せないものだ。だが、逆に言えば、そのスカートは動きが制限されて運動しにくく、決して戦闘に向いているとは言い難いものだった。
教師の爪先がそのスカートの裾を踏んだ。今までの激しい戦闘で位置が下がっていたのかも知れない。不意に訪れた別角度からの衝撃に、教師の身体は呆気なくバランスを崩した。
あ――、と言った時には、教師は地に倒れ伏していた。
「……って、ええええええええ???!!」
衝撃に備えていた門番は、目の前の奇跡に驚愕の声を上げた。まさかの自滅である。負けることさえ難しいのかと愕然としていた。
伏したままの教師から無念そうな声が漏れる。
「くそう。やはり私では勝てないのか……、私では守りきれないのか……」
教師は力無くうな垂れる。
というか勝つも負けるも、そもそも門番は勝負をしていない。勝負を勝手に始めたのは教師の方で、勝手に終わらせたのも教師の方である。それを悔しがられても困る。門番は教師の扱いにいよいよ苦慮していた。
「先生、泣かないで」
少年からの声だった。勝負の行く末を見届けた少年は、傷心の恩師に向かって優しく語りかける。
「先生はとっても格好よかったよ。先生はぼくの誇りさ」
そう言って少年は、教師に向かって自分の『左胸』を叩く仕草をした。それは教師が授業中に教えた、大事な物の在処を示す仕草だった。卒業生を見送る少年たちに、大事な物はずっとそこにあるのだと教えたのだ。
少年の言葉に、教師ははっとなった。彼は、例え妖怪の術に取り込まれようとも、教師のことはずっと忘れないと言っているのだ。
教師は両目に涙を蓄えて、心優しい少年を抱きしめる。教師と生徒の感動的な抱擁であった。
その光景に門番は冷ややかな視線を送っていた。
やがて教師は少年から手を離して立ち上がる。門番に向かってゆっくりと口を開いた。
「……私の負けだ。彼をお前に預ける」
「いや、いりません。持って帰って下さい」
門番は即座に拒絶するが、生憎、この教師には通じないことが、様々な角度から検証済みである。教師は門番の嘆きを華麗にスルーすると、またもや指を差し向けて言い放つ。
「だが、泊まり込みは許さない! なぜなら――、」
教師は一呼吸入れて、次の言葉に備える。少年に向けて力強く頷いた。
「寺子屋の規則で『門限は六時』だからだ!!」
教師の、教員らしく良く通る声が夕暮れに響いた。門番を見る教師は、してやったりといった顔をしている。門を守る門番が門限を破る訳にはいかないだろう、とでも言いたげな表情である。少年はというと、「先生……!」などと心を震わせて謎の感動をしていた。
門番は最後の頼りとばかりに館の方を見やる。窓の向こうでは、小さな主が腹を抱えて笑っているのが見えた。
「もう、どうにでもして……」
門番は世の無情を儚む。最早、やむなし――。
そうして少年は、門番の弟子入りを許されたのだった。
それから暫らく時間が過ぎた。昼の高い陽が館から伸びる梢の合間に漏れ、きらきらと枝葉を輝かせている。壁に寄りかかる門番は、それを眺めながら眠そうに番をしていた。
彼女の元に一人の女性が近付く。彼女の青い髪は、午後の温い風に揺られて、さらさらと流れている。彼女が側に寄ると、門番はむくりと起き上がった。
「こんにちは、先生。今日もいい天気ですね」
「うん。溜まった洗濯物がよく乾くから助かっているよ」
彼女たちは、まずは互いに挨拶を交わした。そうして社交辞令が済むと、教師は門番の指示に従い、外来者用の入館記録に記帳する。門番は彼女に色つきのバッジを与えると、重く軋む鉄柵の門を開いた。教師がその門を素早く通り抜ける。
「知っていると思いますけど、そのバッジで行けるのは図書館だけですからね」
「分かってる。図書館にしか用はないよ」
バッジには魔力が込められており、それを付けていると紅魔館内で行ける場所が制限される。外部からの入館があった場合は、必ずこのバッジを渡して、目的の場所以外は立ち入れないようにするのが、ここの規則であった。
逆に言えば、手順を踏んで規則さえ守れば、ある程度の自由は許されるのが紅魔館流と言える。
教師は貰ったバッジを『左胸』に付けた。
――あの少年は、もうここに来ることは無かった。初めの内は、成り行き上稽古を付けた門番だったが、それも三日過ぎると少年が休みがちになり、二週間を超えた頃にはぱたりと来なくなった。今は里の子供たちの間でベーゴマが話題となっており、少年は他の子供たちを出し抜く為に、日夜ベーゴマの修行を積んでいると教師に聞いた。
門番はそんなものだろうと思い、また、その方がいいだろうとも思った。
だが、その代わりに顔馴染になった者もいる。子供の事となると多少激しい性格だが、それ以外は割とまともで、門番ともよく話が合った。門番は、もしかしてあの少年は、自分と彼女を近付ける為に現れたのではないだろうかと、そんな空想をしたりもした。
――何を。そんな馬鹿な。
門番は心の中でその考えをわらって捨てた。
「帰りは何時頃になりますか。慧音」
門番は教師の背中に向かって声をかけた。教師は門番に振り返ると、彼女に向かって照れたように微笑む。門番もにこりと笑って教師を見た。
「夕方までには帰るよ、美鈴。『門限は六時』だから」
門番と教師はふふと少しだけ笑い、そうして二人はそれぞれの用に戻っていった。
読了、有難うございます。
※慧音先生の髪は、ホントは銀に青が入った感じだそうです。
でもこのお話では、美鈴と対極にするため青髪としました。
みすゞ※慧音先生の髪は、ホントは銀に青が入った感じだそうです。
でもこのお話では、美鈴と対極にするため青髪としました。
方向がおかしい青春系みたいで面白かったです。
> 「こんにちわ、先生。今日もいい天気ですね」
些細な事ではありますが、“こんにちわ”よりも“こんにちは”の方が良いかと
少年も少年で妙な正確してるし……
中々味のあるSSだったと思います。
評価有難うございます。
指摘された誤字は修正しました。