古代日本の街を、宮古芳香は歩いていた。
芳香は、墨が無くなったので自ら買い出しに出ていた。そして、ちょっと衝動買いもしつつ今自分の屋敷に戻っている所である。
が、気づけば両手に荷物。ちょっとどころじゃない衝動買いとなってしまった。
「豊聡耳様が十人の話を一度に全部聞いたらしいぞ!」
「ああ、俺も知ってるよ!話聞いてもらいてえな~」
「ちらっと見たけど、ありゃかわいいぜ!女と見間違えちまった」
横を通りかかる男二人のくだらない会話が耳に入った。
(どこ行っても豊聡耳様、豊聡耳様ね…素晴らしい事には変わりないけど)
行けども行けども豊聡耳神子の話。芳香は流石に飽きを感じてきた。
先日、豊聡耳神子が10人の話を一度に全部聞いたというのだ。芳香は実際に見たわけでないのだが、
噂というのはすぐに広まるもので、気づけば街中で神子の話をしていた。それだけ広まれば、嫌でも情報を得るというものだ。
しかし、神子の話だらけなのは当然街中だけではない。
屋敷内も神子の話ばかりだ。しかも話だけではなく、
「ただいま」
「芳香様、お帰りなさいませ。神子様に贈呈なされる詩はお考えつきましたか?」
「まだよ…そんな急かさないでちょうだい」
「芳香様、期限は明日でございますぞ…」
「分かっているわよ」
詩まで作れというのだ。それも明日までに、だ。
芳香が屋敷に帰ると、使用人の老人が出迎えに来る。そして出迎えて聞くことがこれだ。
芳香が飽き飽きしているのはこれだ。適当に使用人に返事すればすぐに自室へと向かった。
どうにもこうにも、本当かどうかも分からないこの噂話でなにか詩を作って送ろうという事になったらしい。
ただの貴族の娘ならば、親兄弟に「頑張って詩をお作りなさってください」とでも言っておけば、なんとも無いのだが、
芳香はただの一貴族の娘というわけでは無い。
芳香は小さいころから詩を作ることが好きで、ずっと作り続けていた。
そして、いつしか作る詩は評価されるようになり、父親に持ち上げられるようになった。
父親と言っても、義理の父だ。
芳香の本当の父親、いや両親は宗教絡みで殺された。
芳香の本当の両親もそれはもう貴族で、父親は政務に置いても重大なポジションについていた。
しかし、まだ芳香が幼い内に宗教戦争が勃発、両親は殺された。
芳香も殺されかけたのだが、なんとか生きる事ができた。そして、今の父親に引き取られ今に至る。
外様から来た娘だからか、処遇は良くなかった。それが、詩が評価されるとともに優遇されるようになった。もはや道具の一つに近い。
そのせいか、こういう事になると芳香も詩を作っておかないといけないような事になった。
一度だけ、詩を作って送ってくれと言われたのに、送らなかったことがある。
すると、芳香は父にこっぴどく怒られた。それ以降送らないことは無かった。
「めんどくさいわねえ、そんなポンポンと作れるわけでもないんだけど」
愚痴を言いながら木簡と筆を机に用意する。生活がかかっているんじゃ、やるしかないと、送るにふさわしい一作を考える。
今回は考えついても、なんか自分が納得しない、そればっかりだ。おかげで最初は紙に書いていたのだが、最近は木簡だ。
紙は高価、貴族身分でもそんな調子乗って多く使えるものではない。だから最近は安価な木簡を使っている。
木簡で下書きをし、納得いくものができたならそれを紙に本書する、そうすることにした。
もう裏面には失敗作の書かれてある木簡を前に芳香は詩を考える。
時々、考えている詩をちょっと声に出してみては「違う」などとつぶやきながら考える。筆はまだとっていない。
「ああ、道教の勉強もしなくちゃなあ」
芳香の頭の中には詩や神子の事より、自らの唯一の師の姿が思い浮かぶ。近頃はあまりあっていない、そんな気がする。
こんな時に師が来てくれれば、こんな面倒な事もしなくて済むのだろうに。そんな事まで考えてしまう。
と、その時だった。コンコンと屋敷の扉が叩かれる。そして
「こんにちは~、芳香様はいますか?」
と芳香を呼ぶ女の声がする。青娥…芳香が待っていた師の声だ。
青娥は中国からこちらに道教という怪しげな宗教を伝えてきた人。…というのが周りの通常認識。
だがしかし、芳香には違う。
「芳香様、青娥様が」
「分かっている、私が出迎えるわ」
芳香は道教の魅力に惹かれていた。
会って間もないころは、芳香も怪しい奴が怪しい宗教を広めてるとしか思ってなかった。
それでも、青娥が時々見せる道術の数々にどんどんと気持ちをつかまれていった。
他の者は見ても「なにかカラクリがある」と言って信じない。しかし芳香は信じた。
どこをどう見てもカラクリなんて無い。間違いなくこれは道術の力だと。
今では、家族に、いや世間の目から隠れて道教を青娥から学んでいる。
自ら青娥に弟子入りを志願した。最初、青娥は拒否していたが、あきらめずに志願を続けたところ、弟子入りすることを許された。
芳香は小さいころから詩を書き続けていたが、言い加えると、詩を書くことにしか興味が無かった。
道教はそんな芳香が初めて持った詩以外の趣味だった。そして青娥は初めての師だった。
今日は何を教えてくれるのだろうか、そんな期待を胸に秘めながら玄関を開ける。
「こんにちは、芳香様」
微笑みを見せる青娥がそこには待っていた。
「様付けなんてしなくていいですわ、青娥様」
「世間の目というのもあるのよ。あなたこそ様付けなんてしなくていいわ。
それより、今お暇かしら?」
「…ええ!」
暇ではない。詩を作らなければいけないのだから。
が、芳香は暇だと答えた。
単純にサボる口述がほしいのと、道教を学びたいから。
大事だ。芳香にとって道教はそれだけ大事なものになっていた。
「ちょっと、青娥さんと街に行ってくるわ!」
使用人に嘘の事をその場で伝える。道教を学びに行くときはいつもこれだ。
「芳香様、詩の方は?」
「大丈夫、帰ったらやるわ。さ、行きましょ?」
止めようとする使用人を、まるで子供のような言い返しで済ませる。
使用人はさらにそれ以上何か言おうとしたのだが、その前に芳香と青娥は行ってしまった。
▼
誰にも見つからないような、どこにあるかすらも常人には分からないような場所に青娥は居を構えていた。
「いい?芳香。もっと気を練って」
「気を練る…?」
その青娥の家で今日は芳香は道術を学んでいた。
いつもは道教について。しかし、今日は
「そろそろ術も分かるかしらね」
と、道術を修行する事となった。
青娥曰く、道術が使えるようになれば浮遊移動や呪術の類のようなものが使えるようになり、
最終的には不老不死になれるのだという。
芳香は言われるがままにやることをやってみる。しかしどうにも上手くいかない。
“気を練る”と言われても、練るというのがどういうことだか全くだ。
修行開始から幾許か時間が経った。しかし、芳香は未だに上達していなかった。
「う~ん、まったく分からないです…」
「ま、仕方ないわね。芳香は今日が初めてだから、少しずつできるようにしましょ?
じゃ、今日は終わり。おつかれ」
「わ、私はまだできます!」
「あなたができないからとかじゃないわよ。外見なさい」
青娥に言われ外を見れば、もう日が暮れていた。ここに来た時はまだ青空が広がっていたのに。
「これ以上は流石に騒ぎになるわ、いいわね」
「は、はい…」
貴族の娘が、夜になっても帰らないという事態となればどうなるか。それは芳香も分かっていた。
残念だが、芳香は青娥の言う事を聞くしかなかった。
「しょうがないわね、特別に一つ凄いものをみせてあげるわ、こっちに来なさい」
残念そうに帰る支度をする芳香を、青娥は自分の物置へとついて来させた。
物置には日がわずかにしか入らない。灯りをつけ、青娥は何かを探す。
中には道教に使いそうなものから訳の分からないものまで様々なものが置いてあった。
芳香にとっては、この物置の中にあるものを見ていくだけでも“凄いもの”だった。
書物の数々、見たことのない物質と形状で作られた置物、とてもじゃないが表現のし難いものまで、様々だ。
「あったわ」
青娥がピタリとあるものの前で止まる。
棺だ。
「えっ、凄いものって…これですか?」
「ええ、これが凄いもの。何が入っていると思う?」
棺の中に入っているもの、芳香は死体ぐらいしかまともに考えつかなかった。
金銀財宝というのも考えたが、ここまできてそれだったら、夢が無いと、その考えはやめた。
「死体ですか…?」
「正解」
あまりにも単純すぎる答えに芳香は言葉を失った。
青娥はにっこり。芳香はあぜん。
「さ、開けてごらん?凄いから」
「え?開けるんですか?」
「当たり前じゃない、中が凄いに決まってるじゃない。ほら早く早く」
死体が入っていると知って誰がこの棺を開けたがるのだろうか。
そう考えつつも一応開けてみる事にした。
もしかしたら、死体っていうのは嘘で、やっぱり違うものが入っているのかもしれない。
いや、もしかしたら、本当に死体が入っているかもしれない。でも、それには道術がかかっていて、普通とは違う死体なのかもしれない。
例えば、まったく腐っていない死体とか。そんな期待をしながら恐る恐る棺の蓋を開けてみる。
開けた瞬間、芳香の期待は崩れ落ちた。
棺の中に充満していただろう、とんでもない異臭が、広がる。
芳香は腐った死体の臭いなんて嗅いだことは無い。異臭がすると聞いたことがあるぐらいだ。
だが、このなんとも表現しがたい臭いは間違いなく腐った死体の臭いだ。中身は見てないが、芳香はそう確信した。
それと同時に蓋を急いで閉じた。そして、棺に背を向け、青娥に文句を言おうとした
瞬間だった。
「だーれーだー!!!!」
棺があったはずの背後から声がする。そしてさっき閉じ込めたはずの異臭がまた溢れ出している。
芳香が恐る恐る振り向くとそこには、
札を貼られた、死体のようなナニカがいて、そのナニカが芳香を食べようとしていた。
「…きゃあああああああああああああ!?!?!?」
「はい、止まれ!その子は食べちゃダメ」
青娥が一つ命令を下しただけで死体のようなナニカは止まった。
「驚いたかしら?これはキョンシーと言われる動く死体でね。見たくれはアレだけど、
私の言う事をちゃんと聞いてくれるのよ?
…ってあれ?」
返事がしないからと芳香を見てみると、芳香はあまりの恐怖に気絶していた。青娥の説明は当然耳に入っていないし、肝心のキョンシーもまともに見てない。
「ちょっと、刺激が強すぎたかしらねえ…あ、貴方は寝てていいわ。突然起こしてごめんなさい」
「芳香様が、起きろという時に、私、起きる。おやすみ」
気絶してしまった芳香を憐れむ目で見る。
この様子では、キョンシーをまともに見れないだろうと判断した彼女はキョンシーをもう一度寝かせた。
ちょっとだけ見せて満足させて帰すつもりだったが、こうなっては仕方ない。青娥はなんらかの口述をつけて芳香の家に送ることにした。
芳香の事を想う一方、もう一つの事を青娥は思っていた。
「…まったく、これから先輩になる存在だっていうのに、失礼しちゃうわね。
それにしても、思った以上に状態が悪くなってきているわね。もともと状態は悪かったけど、仕方ない、そろそろ捨てよう。
状態が良くないとこれから先、神子様を守れないし。
なにせ、何年も何百年も霊廟を守らなきゃいけないんだから…」
青娥が芳香を見る目が、悪意に満ちたものになっていたことなんて、
芳香は知る由もない。
▼
どこだか分からない暗い空間に芳香は拘束されていた。
拘束器具で縛られているわけでは無い。しかし、体が全く動かない。
その身動きの取れない芳香に青娥が近づく。
いや、芳香の身動きを奪った青娥が近づく。
「青娥様!?何を!?」
「あなたを不老不死にしてあげるわ。そして、永遠に私の僕にしてあげる」
抵抗のできない芳香に青娥は術をかけ、札を貼る。
すると、芳香の血色が死んだかのように青白くなっていく。
脳が溶けたのかと思うほど、だんだんとまともな考えができなくなってくる。
なにもかんがえられない。
「青娥様、止めて!?青娥様…せ…い…が…さ」
「………はっ!?」
完全に意識がなくなる寸前、目を覚ました。
目を覚ました芳香は体を起こし、周りを見た。夜ではあるが、月光でうっすらと周りが見える。自分の部屋だ。先程の空間では無い。
次に自分の体を触る、見る。なにも変なものは無い。札も貼られてない。血色は分からないが、おそらく大丈夫だろう。
考える事もちゃんとできる。
そこで夢だと気付いた。夢の中の自分自身の意識が溶けるように無くなると同時に夢から抜け出せた。
今の夢はなんだったのだろうか。師である青娥に何か術をかけられた。
こんな夢を見た原因が頭の中にうっすらと残ってはいるが、完全に何だかは分からない。
青娥に“凄いもの”を見せてもらった結果、気絶した。そして屋敷に運ばれここに至る。そこまでは予測が付いた。
しかし、何を見せられたのか、それだけが思い出せない。あまりの衝撃に記憶が飛んだのか。
いくら考えても思い出せない。代わりに
「あ、詩かかなきゃ」
詩を完成させなければいけない事を思い出した。
つくづくめんどくさいと思うが、やらなきゃまた怒られると、夜な夜なとりあえずで詩を作った。
納得のいかない出来ではあるが、出さないよりはマシだと考えた。
▼
「昨日は大変だったわ、芳香、いきなり倒れちゃうんだもん」
「いきなり…」
昨日に引き続き、芳香は青娥の家にいた。
青娥の家に行けば、何か思い出せるかもしれない、その思いもあって訪れたのだが、やはり思い出せない。
「あの…凄いものを見せるって言われて、それで…」
「そんなこと言ったかしら?」
芳香が気絶する前にある最後の記憶。しかし、青娥はそれを否定する。
物置になんて連れて行っていないと青娥は話す。
しかしこれは青娥の優しさ。あんだけのショックを受けたなら思い出させる事は無いと考えたのだ。
そんな青娥の優しさで、芳香の記憶がますます混乱する。いつ倒れたのか、いつ見てはいけばいようなものをみたのか、
どこまでが現実の記憶で、どこまでが夢の記憶なのか、混乱する。
「ま、悪い夢でも見たってことでいいじゃない?さ、修行を始めましょう」
結局、何も解決しないまま今日も一日が終わってしまった。
思えば、青娥に夢の内容を話していなかった。いや、言い出せなかった。
青娥があんなことをするわけがないと、芳香は見てしまった夢を否定している。
街中の民の絶対的存在は天皇、そして神子。
ならば、芳香の絶対的存在は青娥。
青娥を疑うという事は出来ない。疑いたくない。
あんな夢を見たのだからそれだけの事があったのかもしれない。しかし、夢は夢。現実とは違う。
芳香はもう二度とこの事を考えるのは止めようと、心に決めた。
▼
ある雨の日であった。
こう雨なのでは外には出たくないと芳香は屋敷でゆっくりとしていた。
そんな芳香の元に彼女の父が上機嫌で近づいた。
「なにやら機嫌がよさそうですね、父上」
「ああ!芳香!お前は本当によくやった!」
芳香の肩をガシッと掴み、父は嬉々として芳香に事を話した。
「えっ、あれがですか…?」
「いや~、父さんは嬉しいぞ!」
なんでも、芳香がとりあえずで作った詩が神子に気に入られたのだという。
それも数ある詩の中でも最高の評価だったそうだ。
父が何の心配も無く浮かれ喜ぶ一方、芳香は困惑した表情だった。
うれしいのはうれしい。しかし、自分が納得していない上に、適当気味に作った一作。
本当に評価されたのかと、芳香は信じることができなかった。
だが、芳香もこの言葉でようやく信じる事ができた。
「神子様がお前に是非会いたいとおっしゃっていた。早く準備しろ」
「へ?」
「だから今から神子様に会いに行くんだよ!」
父には冗談で言ってるふりは見えなかった。
芳香はここでようやく自分が評価されたんだと信じ、一つうなずいた後、すぐに着替えに向かった。
▼
「ごめんなさいね、あんなくだらない事に詩なんか作ってもらちゃって」
「いえ、くだらない事だなんて…」
神子と芳香は一目のつかないような場所二人で居た。
父親を混ぜての芳香への褒賞贈呈のあと、神子は二人にしてほしいと、芳香を連れ出した。
二人にしてほしい、その言葉を聞いた時の父の顔が邪な笑みだったのを芳香は見て、つくづく自分の立場というのが嫌になった。
神子との二人だけの対面。絶対的存在が青娥といえども、芳香は流石に緊張した。
そんな緊張をする芳香を見てか、神子は緊張をほぐすようにくだけた口調で芳香に話した。
自分が実は女だったとかも、普通に神子は話した。
「くだらないわよ、私は普通の事をしたまでなんだし」
「ふ、普通なんですか?」
「そ、普通。だから今あんなに騒ぎになちゃって、今回のように詩を贈ろうみたいな話にまでなちゃったでしょう?
もう、まいちゃった。毎回毎回その話ばっかりだし!」
「街中もその話ばっかりです」
「やっぱり?ほんと困っちゃうわね~」
芳香は今目の前にいる神子がなんら普通の女の子のように思えた。
緊張は既に溶け、二人の会話は既に単なるガールズトークになっていた。
普段の生活についてだとか、コイバナも途中でたりだとか、たわいも無い会話だ。
そんな楽しい会話が数十分続き、話は神子が政務に戻ると言ってようやく終わった。
芳香にはこの楽しい時間が終わる事が残念だった。そして、結果的に父親の望む通りになってしまうが、結婚してもいいと思った。
芳香の中で、神子もまた絶対的存在になりかけていた。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「いえ、私も」
このまま別れようと芳香が戻ろうと動こうとした時だった。
「あ、いや、ちょっと待ってくれ」
「え?」
神子が止める声にちょっと芳香はどきっとした。神子の目は真面目だ。
「…芳香」
言葉の続きを芳香はじっと待つ。だが、期待していた言葉とは違かった。
「あなたは、道教を学んでいますね?」
「え?」
芳香は神子に道教の事を話していない。なのに、神子は知っている。
「…やはり本当でしたか。師は霍青娥、ですね」
青娥が師という事も知られている。いったいなにがどうなってと、芳香は焦燥を隠せない。
絶対的存在になりかけていた神子が、だんだんと恐怖の存在になっていく。
「私の能力です。過去を読ませていただきました。ごめんなさい、どうしても一つ気になってしまって」
「私が道教に手を染めていることにですか…?」
芳香はもう道教に関わる事を禁止にされるか、最悪処刑されることしか考えられなかった。
そうなれば、神子は絶対的悪だ。
「道教を禁止される事を恐れているようですね…」
「いやよ!道教は私の生きがいなの!」
「…道教を信仰するのは構いません」
予想外の言葉が返ってきた。しかし、後に続く言葉で、神子は絶対的悪になった。
「でも、青娥の元から離れなさい。あなたは、青娥に近づいちゃ駄目だ」
唯一の師である青娥から離れろ、芳香にとって道教を辞めるより遥かに辛かった。
「何故!?何故青娥様から!?そもそも、あなたは何故青娥様を知っているの!?」
「知っている…だが、関係は教えられない。でも、青娥は!」
「ふざけないで!!」
芳香は神子の元から走って離れた。
「芳香…」
今から走って行けば、道術を使えば、追いつくことは容易。走り去られる前に腕を引き留めることだって出来た。
が、もう説得はできないと思い、走り去る姿をただ見てしまった。
「青娥から見えた『若い体のキョンシー』…もし若い体があるとするなら…」
青娥が何を考えているのか、それだけでも教えられればと、神子は後悔した。
▼
「青娥様!」
「あら、芳香」
芳香は青娥の元に向かっていた。笠も被らず、雨でずぶぬれになってまで、芳香は青娥の元に行った。
青娥だけが芳香の頼りだから。
「青娥様、教えてください!神子様…あ、いや豊聡耳神子となんの関係があるのですか!?」
神子が答えないのならば青娥に聞けばいい、単純だ。
「神子様に会ったのね…しょうがないわね。ま、いずれはどうせ話す必要あっただろうし」
青娥は全てを話した。何故、この国に来たのか、神子に近づいた理由、全て。
包み隠さず話した。迷いは無い、別に知られてもいい。
芳香の口が軽かったとしても、別に話していい。知られれば――
「つまり、神子も道教を?」
「ええ、そうよ」
芳香はますます分からなくなった。神子に離れろと言われた理由が。
芳香はそればかりを理解しようとした。
そんな、理解に苦しむ芳香に青娥は答えを教えてあげる事にした。
「それじゃ、なんで私に青娥様から離れろだなんて…私もあの人も同じ…」
「仕方ないわね、こっちに来なさい、芳香。答えを教えるわ」
青娥は物置へと、そしてあの棺の前に導いた。
芳香にはここの記憶は無い。しかし、芳香は何故か見覚えがあるような感覚があった。
妙な感覚に少し戸惑う芳香に青娥は突然にこう聞いた。
「ねえ、芳香。あなたは私を信じている?私と一緒にいたい?」
なんの脈絡も無いような問い。しかし芳香は特に疑うことなく答えた。
「はい。ずっと」
答えた瞬間、青娥は道術を使った。そして、芳香の体の自由を奪った。
「じゃあ、これからも一緒にいようね」
死ぬ、殺される。芳香はそれを直感した。
その瞬間、走馬灯だろうか。さまざまな記憶がよみがえる。
両親が死んだ時の事、青娥に殺される夢を見たこと。
死の恐怖が芳香へと襲いかかる。体が動かず何の抵抗もしようがないのがさらにそれを増幅させる。
叫ぶことも、何もできない。
芳香は“神子が逃げろと言った理由”の答えを望み、
“何故、芳香を弟子に迎えた理由”の答えを受け取った。
▼
一体の札の貼られていないキョンシーが墓地の真ん中でただ呆然としていた。
時に詩を歌い、時に独り言を、ただ呆然と。
「青娥…様…何故…何故、私を…」
今でも芳香は聞きたい、あの時の事。キョンシーになった今でも。
見慣れた青い服が見えた。今日こそ、今日こそ訳を――
「せい…が…」
「あら、札が剥がれているわ?誰が剥がしたのかしら」
札が貼られた。何を考えていたのか一気に分からなくなる。
それでも聞こう、聞こうとするが、抵抗できない。
「……おお、青娥様!札を剥がされて何もできなかったぞ!」
「まったく、誰に剥がされたか覚えてる?」
「…んー、誰だったっけ?」
「ま、期待しちゃ駄目よね。さ、今日はもう寝なさい」
「分かった!」
青娥に命令されればキョンシーは土に還る。
そしてまた今度、青娥の命令一つでキョンシーは蘇り、命令されたように動く。
「青娥様ー、なんでー、なんでなのー…でも、なに聞こうとしたんだっけ~?寝よう…」
芳香は、墨が無くなったので自ら買い出しに出ていた。そして、ちょっと衝動買いもしつつ今自分の屋敷に戻っている所である。
が、気づけば両手に荷物。ちょっとどころじゃない衝動買いとなってしまった。
「豊聡耳様が十人の話を一度に全部聞いたらしいぞ!」
「ああ、俺も知ってるよ!話聞いてもらいてえな~」
「ちらっと見たけど、ありゃかわいいぜ!女と見間違えちまった」
横を通りかかる男二人のくだらない会話が耳に入った。
(どこ行っても豊聡耳様、豊聡耳様ね…素晴らしい事には変わりないけど)
行けども行けども豊聡耳神子の話。芳香は流石に飽きを感じてきた。
先日、豊聡耳神子が10人の話を一度に全部聞いたというのだ。芳香は実際に見たわけでないのだが、
噂というのはすぐに広まるもので、気づけば街中で神子の話をしていた。それだけ広まれば、嫌でも情報を得るというものだ。
しかし、神子の話だらけなのは当然街中だけではない。
屋敷内も神子の話ばかりだ。しかも話だけではなく、
「ただいま」
「芳香様、お帰りなさいませ。神子様に贈呈なされる詩はお考えつきましたか?」
「まだよ…そんな急かさないでちょうだい」
「芳香様、期限は明日でございますぞ…」
「分かっているわよ」
詩まで作れというのだ。それも明日までに、だ。
芳香が屋敷に帰ると、使用人の老人が出迎えに来る。そして出迎えて聞くことがこれだ。
芳香が飽き飽きしているのはこれだ。適当に使用人に返事すればすぐに自室へと向かった。
どうにもこうにも、本当かどうかも分からないこの噂話でなにか詩を作って送ろうという事になったらしい。
ただの貴族の娘ならば、親兄弟に「頑張って詩をお作りなさってください」とでも言っておけば、なんとも無いのだが、
芳香はただの一貴族の娘というわけでは無い。
芳香は小さいころから詩を作ることが好きで、ずっと作り続けていた。
そして、いつしか作る詩は評価されるようになり、父親に持ち上げられるようになった。
父親と言っても、義理の父だ。
芳香の本当の父親、いや両親は宗教絡みで殺された。
芳香の本当の両親もそれはもう貴族で、父親は政務に置いても重大なポジションについていた。
しかし、まだ芳香が幼い内に宗教戦争が勃発、両親は殺された。
芳香も殺されかけたのだが、なんとか生きる事ができた。そして、今の父親に引き取られ今に至る。
外様から来た娘だからか、処遇は良くなかった。それが、詩が評価されるとともに優遇されるようになった。もはや道具の一つに近い。
そのせいか、こういう事になると芳香も詩を作っておかないといけないような事になった。
一度だけ、詩を作って送ってくれと言われたのに、送らなかったことがある。
すると、芳香は父にこっぴどく怒られた。それ以降送らないことは無かった。
「めんどくさいわねえ、そんなポンポンと作れるわけでもないんだけど」
愚痴を言いながら木簡と筆を机に用意する。生活がかかっているんじゃ、やるしかないと、送るにふさわしい一作を考える。
今回は考えついても、なんか自分が納得しない、そればっかりだ。おかげで最初は紙に書いていたのだが、最近は木簡だ。
紙は高価、貴族身分でもそんな調子乗って多く使えるものではない。だから最近は安価な木簡を使っている。
木簡で下書きをし、納得いくものができたならそれを紙に本書する、そうすることにした。
もう裏面には失敗作の書かれてある木簡を前に芳香は詩を考える。
時々、考えている詩をちょっと声に出してみては「違う」などとつぶやきながら考える。筆はまだとっていない。
「ああ、道教の勉強もしなくちゃなあ」
芳香の頭の中には詩や神子の事より、自らの唯一の師の姿が思い浮かぶ。近頃はあまりあっていない、そんな気がする。
こんな時に師が来てくれれば、こんな面倒な事もしなくて済むのだろうに。そんな事まで考えてしまう。
と、その時だった。コンコンと屋敷の扉が叩かれる。そして
「こんにちは~、芳香様はいますか?」
と芳香を呼ぶ女の声がする。青娥…芳香が待っていた師の声だ。
青娥は中国からこちらに道教という怪しげな宗教を伝えてきた人。…というのが周りの通常認識。
だがしかし、芳香には違う。
「芳香様、青娥様が」
「分かっている、私が出迎えるわ」
芳香は道教の魅力に惹かれていた。
会って間もないころは、芳香も怪しい奴が怪しい宗教を広めてるとしか思ってなかった。
それでも、青娥が時々見せる道術の数々にどんどんと気持ちをつかまれていった。
他の者は見ても「なにかカラクリがある」と言って信じない。しかし芳香は信じた。
どこをどう見てもカラクリなんて無い。間違いなくこれは道術の力だと。
今では、家族に、いや世間の目から隠れて道教を青娥から学んでいる。
自ら青娥に弟子入りを志願した。最初、青娥は拒否していたが、あきらめずに志願を続けたところ、弟子入りすることを許された。
芳香は小さいころから詩を書き続けていたが、言い加えると、詩を書くことにしか興味が無かった。
道教はそんな芳香が初めて持った詩以外の趣味だった。そして青娥は初めての師だった。
今日は何を教えてくれるのだろうか、そんな期待を胸に秘めながら玄関を開ける。
「こんにちは、芳香様」
微笑みを見せる青娥がそこには待っていた。
「様付けなんてしなくていいですわ、青娥様」
「世間の目というのもあるのよ。あなたこそ様付けなんてしなくていいわ。
それより、今お暇かしら?」
「…ええ!」
暇ではない。詩を作らなければいけないのだから。
が、芳香は暇だと答えた。
単純にサボる口述がほしいのと、道教を学びたいから。
大事だ。芳香にとって道教はそれだけ大事なものになっていた。
「ちょっと、青娥さんと街に行ってくるわ!」
使用人に嘘の事をその場で伝える。道教を学びに行くときはいつもこれだ。
「芳香様、詩の方は?」
「大丈夫、帰ったらやるわ。さ、行きましょ?」
止めようとする使用人を、まるで子供のような言い返しで済ませる。
使用人はさらにそれ以上何か言おうとしたのだが、その前に芳香と青娥は行ってしまった。
▼
誰にも見つからないような、どこにあるかすらも常人には分からないような場所に青娥は居を構えていた。
「いい?芳香。もっと気を練って」
「気を練る…?」
その青娥の家で今日は芳香は道術を学んでいた。
いつもは道教について。しかし、今日は
「そろそろ術も分かるかしらね」
と、道術を修行する事となった。
青娥曰く、道術が使えるようになれば浮遊移動や呪術の類のようなものが使えるようになり、
最終的には不老不死になれるのだという。
芳香は言われるがままにやることをやってみる。しかしどうにも上手くいかない。
“気を練る”と言われても、練るというのがどういうことだか全くだ。
修行開始から幾許か時間が経った。しかし、芳香は未だに上達していなかった。
「う~ん、まったく分からないです…」
「ま、仕方ないわね。芳香は今日が初めてだから、少しずつできるようにしましょ?
じゃ、今日は終わり。おつかれ」
「わ、私はまだできます!」
「あなたができないからとかじゃないわよ。外見なさい」
青娥に言われ外を見れば、もう日が暮れていた。ここに来た時はまだ青空が広がっていたのに。
「これ以上は流石に騒ぎになるわ、いいわね」
「は、はい…」
貴族の娘が、夜になっても帰らないという事態となればどうなるか。それは芳香も分かっていた。
残念だが、芳香は青娥の言う事を聞くしかなかった。
「しょうがないわね、特別に一つ凄いものをみせてあげるわ、こっちに来なさい」
残念そうに帰る支度をする芳香を、青娥は自分の物置へとついて来させた。
物置には日がわずかにしか入らない。灯りをつけ、青娥は何かを探す。
中には道教に使いそうなものから訳の分からないものまで様々なものが置いてあった。
芳香にとっては、この物置の中にあるものを見ていくだけでも“凄いもの”だった。
書物の数々、見たことのない物質と形状で作られた置物、とてもじゃないが表現のし難いものまで、様々だ。
「あったわ」
青娥がピタリとあるものの前で止まる。
棺だ。
「えっ、凄いものって…これですか?」
「ええ、これが凄いもの。何が入っていると思う?」
棺の中に入っているもの、芳香は死体ぐらいしかまともに考えつかなかった。
金銀財宝というのも考えたが、ここまできてそれだったら、夢が無いと、その考えはやめた。
「死体ですか…?」
「正解」
あまりにも単純すぎる答えに芳香は言葉を失った。
青娥はにっこり。芳香はあぜん。
「さ、開けてごらん?凄いから」
「え?開けるんですか?」
「当たり前じゃない、中が凄いに決まってるじゃない。ほら早く早く」
死体が入っていると知って誰がこの棺を開けたがるのだろうか。
そう考えつつも一応開けてみる事にした。
もしかしたら、死体っていうのは嘘で、やっぱり違うものが入っているのかもしれない。
いや、もしかしたら、本当に死体が入っているかもしれない。でも、それには道術がかかっていて、普通とは違う死体なのかもしれない。
例えば、まったく腐っていない死体とか。そんな期待をしながら恐る恐る棺の蓋を開けてみる。
開けた瞬間、芳香の期待は崩れ落ちた。
棺の中に充満していただろう、とんでもない異臭が、広がる。
芳香は腐った死体の臭いなんて嗅いだことは無い。異臭がすると聞いたことがあるぐらいだ。
だが、このなんとも表現しがたい臭いは間違いなく腐った死体の臭いだ。中身は見てないが、芳香はそう確信した。
それと同時に蓋を急いで閉じた。そして、棺に背を向け、青娥に文句を言おうとした
瞬間だった。
「だーれーだー!!!!」
棺があったはずの背後から声がする。そしてさっき閉じ込めたはずの異臭がまた溢れ出している。
芳香が恐る恐る振り向くとそこには、
札を貼られた、死体のようなナニカがいて、そのナニカが芳香を食べようとしていた。
「…きゃあああああああああああああ!?!?!?」
「はい、止まれ!その子は食べちゃダメ」
青娥が一つ命令を下しただけで死体のようなナニカは止まった。
「驚いたかしら?これはキョンシーと言われる動く死体でね。見たくれはアレだけど、
私の言う事をちゃんと聞いてくれるのよ?
…ってあれ?」
返事がしないからと芳香を見てみると、芳香はあまりの恐怖に気絶していた。青娥の説明は当然耳に入っていないし、肝心のキョンシーもまともに見てない。
「ちょっと、刺激が強すぎたかしらねえ…あ、貴方は寝てていいわ。突然起こしてごめんなさい」
「芳香様が、起きろという時に、私、起きる。おやすみ」
気絶してしまった芳香を憐れむ目で見る。
この様子では、キョンシーをまともに見れないだろうと判断した彼女はキョンシーをもう一度寝かせた。
ちょっとだけ見せて満足させて帰すつもりだったが、こうなっては仕方ない。青娥はなんらかの口述をつけて芳香の家に送ることにした。
芳香の事を想う一方、もう一つの事を青娥は思っていた。
「…まったく、これから先輩になる存在だっていうのに、失礼しちゃうわね。
それにしても、思った以上に状態が悪くなってきているわね。もともと状態は悪かったけど、仕方ない、そろそろ捨てよう。
状態が良くないとこれから先、神子様を守れないし。
なにせ、何年も何百年も霊廟を守らなきゃいけないんだから…」
青娥が芳香を見る目が、悪意に満ちたものになっていたことなんて、
芳香は知る由もない。
▼
どこだか分からない暗い空間に芳香は拘束されていた。
拘束器具で縛られているわけでは無い。しかし、体が全く動かない。
その身動きの取れない芳香に青娥が近づく。
いや、芳香の身動きを奪った青娥が近づく。
「青娥様!?何を!?」
「あなたを不老不死にしてあげるわ。そして、永遠に私の僕にしてあげる」
抵抗のできない芳香に青娥は術をかけ、札を貼る。
すると、芳香の血色が死んだかのように青白くなっていく。
脳が溶けたのかと思うほど、だんだんとまともな考えができなくなってくる。
なにもかんがえられない。
「青娥様、止めて!?青娥様…せ…い…が…さ」
「………はっ!?」
完全に意識がなくなる寸前、目を覚ました。
目を覚ました芳香は体を起こし、周りを見た。夜ではあるが、月光でうっすらと周りが見える。自分の部屋だ。先程の空間では無い。
次に自分の体を触る、見る。なにも変なものは無い。札も貼られてない。血色は分からないが、おそらく大丈夫だろう。
考える事もちゃんとできる。
そこで夢だと気付いた。夢の中の自分自身の意識が溶けるように無くなると同時に夢から抜け出せた。
今の夢はなんだったのだろうか。師である青娥に何か術をかけられた。
こんな夢を見た原因が頭の中にうっすらと残ってはいるが、完全に何だかは分からない。
青娥に“凄いもの”を見せてもらった結果、気絶した。そして屋敷に運ばれここに至る。そこまでは予測が付いた。
しかし、何を見せられたのか、それだけが思い出せない。あまりの衝撃に記憶が飛んだのか。
いくら考えても思い出せない。代わりに
「あ、詩かかなきゃ」
詩を完成させなければいけない事を思い出した。
つくづくめんどくさいと思うが、やらなきゃまた怒られると、夜な夜なとりあえずで詩を作った。
納得のいかない出来ではあるが、出さないよりはマシだと考えた。
▼
「昨日は大変だったわ、芳香、いきなり倒れちゃうんだもん」
「いきなり…」
昨日に引き続き、芳香は青娥の家にいた。
青娥の家に行けば、何か思い出せるかもしれない、その思いもあって訪れたのだが、やはり思い出せない。
「あの…凄いものを見せるって言われて、それで…」
「そんなこと言ったかしら?」
芳香が気絶する前にある最後の記憶。しかし、青娥はそれを否定する。
物置になんて連れて行っていないと青娥は話す。
しかしこれは青娥の優しさ。あんだけのショックを受けたなら思い出させる事は無いと考えたのだ。
そんな青娥の優しさで、芳香の記憶がますます混乱する。いつ倒れたのか、いつ見てはいけばいようなものをみたのか、
どこまでが現実の記憶で、どこまでが夢の記憶なのか、混乱する。
「ま、悪い夢でも見たってことでいいじゃない?さ、修行を始めましょう」
結局、何も解決しないまま今日も一日が終わってしまった。
思えば、青娥に夢の内容を話していなかった。いや、言い出せなかった。
青娥があんなことをするわけがないと、芳香は見てしまった夢を否定している。
街中の民の絶対的存在は天皇、そして神子。
ならば、芳香の絶対的存在は青娥。
青娥を疑うという事は出来ない。疑いたくない。
あんな夢を見たのだからそれだけの事があったのかもしれない。しかし、夢は夢。現実とは違う。
芳香はもう二度とこの事を考えるのは止めようと、心に決めた。
▼
ある雨の日であった。
こう雨なのでは外には出たくないと芳香は屋敷でゆっくりとしていた。
そんな芳香の元に彼女の父が上機嫌で近づいた。
「なにやら機嫌がよさそうですね、父上」
「ああ!芳香!お前は本当によくやった!」
芳香の肩をガシッと掴み、父は嬉々として芳香に事を話した。
「えっ、あれがですか…?」
「いや~、父さんは嬉しいぞ!」
なんでも、芳香がとりあえずで作った詩が神子に気に入られたのだという。
それも数ある詩の中でも最高の評価だったそうだ。
父が何の心配も無く浮かれ喜ぶ一方、芳香は困惑した表情だった。
うれしいのはうれしい。しかし、自分が納得していない上に、適当気味に作った一作。
本当に評価されたのかと、芳香は信じることができなかった。
だが、芳香もこの言葉でようやく信じる事ができた。
「神子様がお前に是非会いたいとおっしゃっていた。早く準備しろ」
「へ?」
「だから今から神子様に会いに行くんだよ!」
父には冗談で言ってるふりは見えなかった。
芳香はここでようやく自分が評価されたんだと信じ、一つうなずいた後、すぐに着替えに向かった。
▼
「ごめんなさいね、あんなくだらない事に詩なんか作ってもらちゃって」
「いえ、くだらない事だなんて…」
神子と芳香は一目のつかないような場所二人で居た。
父親を混ぜての芳香への褒賞贈呈のあと、神子は二人にしてほしいと、芳香を連れ出した。
二人にしてほしい、その言葉を聞いた時の父の顔が邪な笑みだったのを芳香は見て、つくづく自分の立場というのが嫌になった。
神子との二人だけの対面。絶対的存在が青娥といえども、芳香は流石に緊張した。
そんな緊張をする芳香を見てか、神子は緊張をほぐすようにくだけた口調で芳香に話した。
自分が実は女だったとかも、普通に神子は話した。
「くだらないわよ、私は普通の事をしたまでなんだし」
「ふ、普通なんですか?」
「そ、普通。だから今あんなに騒ぎになちゃって、今回のように詩を贈ろうみたいな話にまでなちゃったでしょう?
もう、まいちゃった。毎回毎回その話ばっかりだし!」
「街中もその話ばっかりです」
「やっぱり?ほんと困っちゃうわね~」
芳香は今目の前にいる神子がなんら普通の女の子のように思えた。
緊張は既に溶け、二人の会話は既に単なるガールズトークになっていた。
普段の生活についてだとか、コイバナも途中でたりだとか、たわいも無い会話だ。
そんな楽しい会話が数十分続き、話は神子が政務に戻ると言ってようやく終わった。
芳香にはこの楽しい時間が終わる事が残念だった。そして、結果的に父親の望む通りになってしまうが、結婚してもいいと思った。
芳香の中で、神子もまた絶対的存在になりかけていた。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「いえ、私も」
このまま別れようと芳香が戻ろうと動こうとした時だった。
「あ、いや、ちょっと待ってくれ」
「え?」
神子が止める声にちょっと芳香はどきっとした。神子の目は真面目だ。
「…芳香」
言葉の続きを芳香はじっと待つ。だが、期待していた言葉とは違かった。
「あなたは、道教を学んでいますね?」
「え?」
芳香は神子に道教の事を話していない。なのに、神子は知っている。
「…やはり本当でしたか。師は霍青娥、ですね」
青娥が師という事も知られている。いったいなにがどうなってと、芳香は焦燥を隠せない。
絶対的存在になりかけていた神子が、だんだんと恐怖の存在になっていく。
「私の能力です。過去を読ませていただきました。ごめんなさい、どうしても一つ気になってしまって」
「私が道教に手を染めていることにですか…?」
芳香はもう道教に関わる事を禁止にされるか、最悪処刑されることしか考えられなかった。
そうなれば、神子は絶対的悪だ。
「道教を禁止される事を恐れているようですね…」
「いやよ!道教は私の生きがいなの!」
「…道教を信仰するのは構いません」
予想外の言葉が返ってきた。しかし、後に続く言葉で、神子は絶対的悪になった。
「でも、青娥の元から離れなさい。あなたは、青娥に近づいちゃ駄目だ」
唯一の師である青娥から離れろ、芳香にとって道教を辞めるより遥かに辛かった。
「何故!?何故青娥様から!?そもそも、あなたは何故青娥様を知っているの!?」
「知っている…だが、関係は教えられない。でも、青娥は!」
「ふざけないで!!」
芳香は神子の元から走って離れた。
「芳香…」
今から走って行けば、道術を使えば、追いつくことは容易。走り去られる前に腕を引き留めることだって出来た。
が、もう説得はできないと思い、走り去る姿をただ見てしまった。
「青娥から見えた『若い体のキョンシー』…もし若い体があるとするなら…」
青娥が何を考えているのか、それだけでも教えられればと、神子は後悔した。
▼
「青娥様!」
「あら、芳香」
芳香は青娥の元に向かっていた。笠も被らず、雨でずぶぬれになってまで、芳香は青娥の元に行った。
青娥だけが芳香の頼りだから。
「青娥様、教えてください!神子様…あ、いや豊聡耳神子となんの関係があるのですか!?」
神子が答えないのならば青娥に聞けばいい、単純だ。
「神子様に会ったのね…しょうがないわね。ま、いずれはどうせ話す必要あっただろうし」
青娥は全てを話した。何故、この国に来たのか、神子に近づいた理由、全て。
包み隠さず話した。迷いは無い、別に知られてもいい。
芳香の口が軽かったとしても、別に話していい。知られれば――
「つまり、神子も道教を?」
「ええ、そうよ」
芳香はますます分からなくなった。神子に離れろと言われた理由が。
芳香はそればかりを理解しようとした。
そんな、理解に苦しむ芳香に青娥は答えを教えてあげる事にした。
「それじゃ、なんで私に青娥様から離れろだなんて…私もあの人も同じ…」
「仕方ないわね、こっちに来なさい、芳香。答えを教えるわ」
青娥は物置へと、そしてあの棺の前に導いた。
芳香にはここの記憶は無い。しかし、芳香は何故か見覚えがあるような感覚があった。
妙な感覚に少し戸惑う芳香に青娥は突然にこう聞いた。
「ねえ、芳香。あなたは私を信じている?私と一緒にいたい?」
なんの脈絡も無いような問い。しかし芳香は特に疑うことなく答えた。
「はい。ずっと」
答えた瞬間、青娥は道術を使った。そして、芳香の体の自由を奪った。
「じゃあ、これからも一緒にいようね」
死ぬ、殺される。芳香はそれを直感した。
その瞬間、走馬灯だろうか。さまざまな記憶がよみがえる。
両親が死んだ時の事、青娥に殺される夢を見たこと。
死の恐怖が芳香へと襲いかかる。体が動かず何の抵抗もしようがないのがさらにそれを増幅させる。
叫ぶことも、何もできない。
芳香は“神子が逃げろと言った理由”の答えを望み、
“何故、芳香を弟子に迎えた理由”の答えを受け取った。
▼
一体の札の貼られていないキョンシーが墓地の真ん中でただ呆然としていた。
時に詩を歌い、時に独り言を、ただ呆然と。
「青娥…様…何故…何故、私を…」
今でも芳香は聞きたい、あの時の事。キョンシーになった今でも。
見慣れた青い服が見えた。今日こそ、今日こそ訳を――
「せい…が…」
「あら、札が剥がれているわ?誰が剥がしたのかしら」
札が貼られた。何を考えていたのか一気に分からなくなる。
それでも聞こう、聞こうとするが、抵抗できない。
「……おお、青娥様!札を剥がされて何もできなかったぞ!」
「まったく、誰に剥がされたか覚えてる?」
「…んー、誰だったっけ?」
「ま、期待しちゃ駄目よね。さ、今日はもう寝なさい」
「分かった!」
青娥に命令されればキョンシーは土に還る。
そしてまた今度、青娥の命令一つでキョンシーは蘇り、命令されたように動く。
「青娥様ー、なんでー、なんでなのー…でも、なに聞こうとしたんだっけ~?寝よう…」
もっと歴史の勉強をしましょう。
青娥の邪仙っぷり、そして利用される芳香の哀れさ……面白かったです。
キョンシーになった芳香を見た神子は、何を思うのでしょう…
おそらく誤字だと思うのですが、
>「芳香様が、起きろという時に、私、起きる。おやすみ」
芳香ではなく青娥では?
何というか、何故その人がそういう行動を取ったのか、
何故そういう考えを持ったのか、そういうものが分かるような作りになればより良い物になると思います。
口語体と文語体が混合し、少々読み辛い部分がありました。統一した方が、読者側としてはありがたいです。