それは毎度お馴染み、博麗神社の宴会での出来事だった。
この宴会の一応の名目は忘年会である。慰労を意識して参加したものがいたかどうかは怪しいところだが、所詮は名目であるがゆえ問題は無い。
ともあれ、こうした自由参加の宴会が開かれたのは久方振りの事であり、今宵の博麗神社は、冬季の寒空の下でありながら中々の盛況振りであった。
境内に茣蓙やらレジャーシートやら緋毛氈やらペルシャ絨毯やらを敷き詰め、そこへありったけの座卓を並べるという急造感で一杯の会場には、何処から噂を聞きつけたのか、暇した人妖連中が幻想郷の各所から集まっては、飲食に歓談に遊戯に姦淫にと励み、さながら百鬼夜行の様相を呈していた。
騒がしい時が緩やかに流れ、良くも悪くも宴会場の雰囲気が弛緩し始めた時分。
宴会場の中心部、即ち博麗神社の建屋の近くに設えられている、子供の背丈程の高さの簡素な舞台。歌やら演奏やら踊りやら漫談やら、何か出し物があるならそこでどうぞ。という目的で用意されたそれに、新たな挑戦者が姿を見せた。
烏天狗、射命丸文である。
「はーい、ちゅーもくしてくださぁーい。これより、ちょっとした遊戯を始めますよぉーっ。ゲームでーす。レクリエーションでーす。ご協力お願いしまぁーす」
その大きく良く通る声からは、こうした場に慣れている事が伺えるが、些か呂律が回っていない。酒豪の彼女にしては珍しい様ではあるが、職務や取材といった枷を取り払い、一個人に戻れば案外このようなものだったりする。
宴会客らの反応はというと、積極的に聞き入る者やら、応援とも野次ともつかない声を上げる者、無関心を装いつつもしっかり耳だけは傾ける者など、おおむね好意的なものであったと言える。丁度暇になる頃合だったのだ。
が、その寛容な反応も、次の瞬間までのことであった。
「では、みなさーん、今から二人組を作ってくださーい」
ぴしり、と、空気が凍りつく音がした。
喧騒に包まれていた筈の会場から、一切の物音が消える。弛緩していた筈の空気は、瞬時に息の詰まるような緊張感に取って代わられた。それは、あまりに異様な光景だった。
だが文は気付かない。あるいは気付いていた上で無視したのかもしれない。何れにせよ、次に放たれた文の言葉が、あらゆる意味で止めの一撃となったことは間違いないだろう。
「あー、それともうひとつ、身内の人と組むのは面白くないんで禁止でーす。必ず他所の方と組んで下さいねー」
と、悪気の欠片も見えない、眩しい程に良い笑顔で、そう言ってのけたのだった。
時間にすれば、およそ数秒程度。しかし当事者にとっては永遠とも感じられる長い沈黙。それは、一つの行動によって破られた。
「へっくち!」
一人の妖怪が無意識の内に発したくしゃみ。さして大きくもない可愛らしいくしゃみだが、それは凍りついた時を動かす切っ掛けとしては十分だった。彼女の周辺にいた面々が、その音を皮切りに行動を開始したのだ。
何処かへと駆け出す。隣の人物と相談を始める。諦めたかのように寝転がる。と、行動形式は実に多様だったが、その様子を目にした者が、尋常ではない空気を感じ取って動き出すといった塩梅で、混乱はあっという間に会場全域に伝達していった。
そして、時間が経つにつれ、混乱はその度合いをより深めていく。
とある妖怪は逃げた。自分は孤独ではない、孤高なのだ。そう自分に言い聞かせて、宴会場から、そして現実から物理的に走って逃げた。
その先にあったものは、博麗神社の長い石段。精神の均衡を失い不確かとなった足取りは、その細い石段を踏み外すには十分な理由だった。
かくして一人蒲田行進曲ごっこの完成である。
とある妖精は戦慄した。近く訪れるであろう終末の時の情景を想像し、心の底から恐怖を覚えた。その結果、突如として隣席の同族に襲い掛かるという凶行に走った。
これでもう身内じゃない。そんな言葉をうわ言のように繰り返しては殴る蹴るを繰り返し、それを受けた相手もまた、歪んだ笑みを浮かべつつ反撃を開始する。
どこまでも醜く、そして悲しい戦いの始まりだった。
とある神は全てを悟った。ここは自分のいる場所ではない。ここに来るべきではなかった。己の役目はもう終わったのだと確信した。
存在意義の消失は、肉体の消失にまったく等しかった。その神は自らの存在を、音も無くあっさりと消滅させた。
当然ながら、その事実に気付いた者もまた、誰もいなかった。
それは正に、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「……あやや?」
混沌の坩堝と化した会場を、文はきょとんとした様子で見つめていた。
悲しいかな、この烏天狗は騒動を生み出した張本人であるにも関わらず、その原因について理解していなかった。いや、理解出来なかったとするほうが正解だろうか。
すべては彼女のリアルが充実していたが故の悲劇なのだ。
◇
騒乱の最中にありながら、一つの座卓に腰を落ち着け、静かに周囲の動向を見守っている三柱の神がいた。言わずとも知れた、守矢神社御一行である。
浮き足立たないのは流石と言いたいところだが、正確には、動くに動けずにいた、との表現が正しいだろう。
信仰を集める立場の者が、誰か私と組んでくださーいと叫んで回るなど言語道断である。が、あそこの神様ってペアを組む相手もいなかったんだって、うわーダッサ。との噂が立つのも、それはそれで体面が悪すぎる。
故に、どうにかしなければという思いを抱えつつも、座して転機を待つより他なかったのである。
「かみさまーっ!」
その転機は、以外と早く訪れた。
普段通り、杯片手に胡坐をかいて悠然と構えていた神奈子の元に、一人の少女が勢い良く飛び込んだのだ。……と言えば微笑ましい光景にも映ろうが、残念ながらその少女の名前は霊烏路空。即ち、飛び込みとはロケットダイブである。
常人であれば、この時点で死亡事故発生のお知らせだが、とんでもねぇ、相手は神様だよ。
「ぐふ……おっとと」
そして神奈子は強かった。
風神たる強大な力と、その豊満な胸部装甲、そして精一杯の虚勢をもって、空の突撃を見事に受け止めていた。
「ね、神様。私とフュージョンしよ?」
神奈子の懐に収まったまま、屈託の無い笑顔で見上げる空。
元より空に攻撃の意識が皆無であることは明白であり、神奈子もそれを理解した上でのやせ我慢だ。肋骨が数本持っていかれたことなどおくびにも出さない。神様も大変である。
「融合は困るわね、魔神だか地母神だかが誕生する。ああ、でもペアなら喜んで組むわよ」
「そうですか。では、セカンドプランでお願いします」
「何で急にサラリーマン口調になるの……」
「うにゅ?」
まるで成長していない。だが、それが良い。
そんな訳の分からない感想を浮かべつつ、意外な形で先行投資が実ったことを喜ぶ神奈子であった。
もっとも、肉体的ダメージとトレードオフではあるが。
(……ふぅ、良かった)
その様子を眺めていた早苗は、心の内でため息を吐いた。無論、安堵によるものだ。
事実上の主神であるが故に、自ら動く事もぼっちのままである事も許されない神奈子の存在は、風祝たる早苗にとっては一番の悩みどころであったが、それが真っ先に解決したのはまこと喜ばしい事だからだ。
が、心とはそう単純なものではない。それは、人であろうと神であろうと同じだ。
それまで黙して推移を見守っていた筈のもう一柱が唐突に立ち上がったのは、心の複雑さ故といった所だろう。
「さ、早苗っ、私ちょっと古馴染みに挨拶して来るよ」
返事を待たずして諏訪子は、喧騒の中へと慌ただしく飛び込んで行った。
それは、幼い外見とは裏腹に、土着神の頂点に相応しい強靭なメンタリティを誇る諏訪子をもってしても、動かずにはいられない程の事態であるとの証明だ。
簡単に言えば、神奈子に先を越されて焦ったのである。
(古馴染みって何万年前の話だろう……まあ、諏訪子様なら心配は無いか。それよりも今は自分の事ね)
一人、残される形となった早苗は、今後に向けて思考を巡らしはじめた。
ここまでの大惨事となった原因の一つ、身内禁止ルールは、元より早苗に影響を与える事はない。
守矢神社内で二人組を作るなら、間違いなく神奈子と諏訪子が組む事になり、早苗はあぶれる。例え本人達にその気が無くとも、早苗が組ませようとするからだ。
即ち、早苗は最初から外部のパートナーを探す必要があったのだ。
神奈子が片付き、諏訪子も自ら動き出した今、行動を抑える理由はない。ではその指針は?
(ええと……)
外部の人物で、真っ先に思い浮かんだのが三人。先日の異変において顔を合わせた面々である。
(霊夢さんは争奪戦だろうなぁ、魔理沙さんはもっと酷そうだし、妖夢さんは……無い。というか無理ね)
陰惨たる状況下にも関わらず早苗は冷静だった。今必要なのは確実な逆指名であることを知っていた。このドラフト会議に外れ一位という概念は存在しないのだ。
(……なら、あの人も……ん?)
秒にも満たない逡巡の後、その視線がとある一点へと収束される。
会場の中心に近い位置に鎮座する、ひときわ大きい座卓は、泣く子も黙るか指をさして笑い出すと評判の、紅魔館御一行席。本来ならば賑やかな雰囲気に包まれている筈のその場所は、今日に限っては、まるで台風の目の如き平静さを見せていた。
というのも本日は、動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジが体調不良とのことで物理的に図書館から動く事が出来ず欠席。当然、それに付き従う形で司書の小悪魔も欠席。そして、今の状況で自分が遊びに出る気にもなれないとの理由から、紅美鈴も門番の仕事に就いたままだった。
従って、本日の宴会における紅魔館からの参加者は、普段の僅か半分に過ぎず、こと今に至っては、どういう訳か当主姉妹まで不在であった。即ち、その席に着いているのは十六夜咲夜ただ一人だった。
両の手で包み込むように酒杯を抱えては、上目遣いでちらちらと周囲の様子を伺う様は、おおよそ小動物のそれに近い。普段の毅然とした態度は何処へやらといった感じである。
(意外……という訳でもないのかな)
彼女がペアを組む相手を選ぶとすれば、それは一にも二にも主人であるレミリアであり、そこには選択の余地などない。
また、その枷を外した場合であったとしても、浮上する相手はその妹だったり門番だったり居候だったりと、極めて紅魔館の内部に偏った人選が予測された。それは、この身内禁止ルール下においては致命的である。
それでいて咲夜は、実像はともかくとして、外面的には高嶺の花というイメージが強く、気安く誘いをかける相手としては些かハードルが高い。孤立もある意味必然だったと言えよう。
無論、早苗にとっては好都合以外の何物でもなかった。
「咲夜さん、貴方に決めましたっ!」
一人宣言すると、ついに早苗は動き出した。
蛇と蛙の動きを組み合わせた、まったく新しいが誰も真似しないであろう移動法で、巧みに障害物をすり抜け飛び越え、恐るべき速度で紅魔卓へとにじり寄った。
不穏な気配に気付いたのか、いつしか咲夜の表情が引きつった笑みへと変わっていたが、早苗はまるで意に介さず、その眼前に滑り込む。
「さ「咲夜さん」
早苗の言葉は、横から飛んだ声によってものの見事に遮られ、消えた。気のせいか咲夜の表情も安堵のそれが滲み出たように見える。
現人神たる私の行動を阻害するとは何事か、と、少々おかしなテンションのままに、早苗は声の主を睨み付ける。同時にその瞳は、驚愕に大きく見開かれた。ついでに鼻の穴も少し開いた。
咲夜の隣にちょこんと立ち、照れ臭そうに頬を掻いている小柄な少女の名は魂魄妖夢。
それは、ここにいる筈がない、ここにいてはならない人物だった。
(呆れた半人前だ。生かしておけぬ)
早苗は激怒した。必ず、かの厚顔無恥な庭師を調伏せねばならぬと決意した。
早苗には常識がわからぬ。けれども、交友関係に対しては、人一倍に敏感であった。
「あら妖夢。どうしたの?」
「はい、よろしければ私と組み「ラッセーラッ!!」
果たして妖夢の台詞は、腹部への痛恨打撃の前に中断を余儀なくされた。木人相手に日々研鑽を重ねた早苗の拳は、海は割れずとも妖夢の腹筋を割るには十分の破壊力であった。
鳴き声とも呻き声ともつかぬ奇妙な声を発しつつ、妖夢は地面に膝を突く。
「みょっ……さ、さなえしゃん……? にゃ、にゃにおするんでひゅか」
「お黙りなさい。貴方は今、自分がどれだけ罪深い行為に走ったのか分かっているんですか?」
「……ふぁい?」
何故こんな理不尽な仕打ちをとでも言いたげな怪訝な表情に、気の抜けた返答。妖夢が状況を理解していないのは明白だった。
早苗は、もう一発殴りたい衝動を抑えつつ、妖夢の顔を引っ掴んでは強引に起き上がらせる。
「い、いひゃいですよう」
「いいからさっさと起きて下さい。そして、その節穴と変わらない二つの目で、己の愚行が招いた結果を見届けなさい」
妖夢の視線が、早苗の手によって強制的に一つの方向に定められる。
今、二人のいる紅魔館御一行の席から、距離にして10メートルにも満たない、ほど近い位置。丁度ここを中心として守矢神社卓の対称に位置する一つの卓……永遠亭一行の席である。
他の面子は何処に行ったのか、その席には一羽の兎のみが取り残さる形となっていた。
その兎の名を、鈴仙・優曇華院・イナバという。
「……ぅ……ぇ……」
開いた両足の間に尻を落とす、いわゆるぺたん座りの体勢から、やや前傾しつつ両手を床に付け、上目遣いに視線を送るという、通称、雌兎のポーズ。
本来、庇護欲やら嗜虐心やらといったものをそそる筈のポーズだが、今日この時に至っては、唯一つの感想しか持ち得ない。それは、絶望。
蒼白を極め、もはや死人と変わりない顔色に、狂気を何処かに置き忘れ、黒く濁りきっている瞳。時折漏れるのは声にならない呻き声。明らかに尋常な様子ではない。
兎は寂しいと死んでしまう。それが俗説ではないとの証明が、今、成されようとしていたのだ。
「理解出来ましたか?」
「れ、鈴仙……?、あれ、何が……え?」
「はあ、この後に及んでまだすっとぼける気ですか」
早苗は大いに呆れた。
妖夢が鈍感であることなど重々承知済みだが、こと今に至って状況を理解していないのは困りものだった。
もう二、三発ほど拳を決めて覚醒を促すという手も考えはしたが、肉体的に覚醒されてはカウンター六根清浄斬で成仏してしまう故、却下である。
となれば、あとは言葉による喚起くらいしか道は無い。
「鈴仙さんは、貴方を待ってたんですよ。何か大変な事になってるみたいだけど、私には無関係よね。とか、そんな生温い優越感に浸ってたんでしょうね。まあ、私もそうするものだと思ってましたし、無理もないです」
「……」
「そんな時、暢気に咲夜さんに声をかける貴方を目にしたんです。落差が大きい分、受ける衝撃も相当なものでしょうね。中々サディストの素養がありますよ、妖夢さん」
「で、でも、私は、そんなつもりじゃ……」
「デモもストも無いですし、ツモもロンも無いんです。貴方が今すべき事は、私への言い訳ですか?」
そう言うと早苗は妖夢から手を離し、後方へと視線を送る。
話の流れに乗りきれなかったのか、ぼんやりとした様子で二人を眺めていた咲夜だったが、そこは完全で瀟洒なメイドの事。小さく頷くと、立ち尽くす妖夢の肩に手を置き、慈悲の笑みをもって語りかけた。
「何も難しく考える必要なんて無いのよ」
「咲夜さん……」
「自分に正直になりなさい。後先考えない無茶無謀な行動力こそが魂魄妖夢たる所以でしょう?」
「それ、褒め言葉ですか?」
「褒めてないわ。でも、今一番必要なものよ」
「……酷いなぁ。人を単純馬鹿みたいに」
効果は覿面だった。
妖夢は照れたような笑みを浮かべると、二人に向けて姿勢を正す。それは、彼女の中で気持ちの切り替えが完了した事を告げる合図だった。
なお、下げた後に持ち上げるのは洗脳の基本だが、それはこの会話とは何の関係も無い。らしい。
「咲夜さん。……あー、それと早苗さん。お二人共、ありがとうございます。私はまた間違えてしまうところでした」
「礼はいいから早く行きなさい。手遅れになる前にね」
「あれ、どうして私がおまけ的な扱い……いえ、何でもないですよ、ええ」
妖夢は小さく頷くと、二人から視線を切り、地面に片膝を着けるような体勢を取った。
少しでも速く鈴仙の元へ。その思いが形となって表れたものだった。
「魂魄妖夢……参る!」
私の目でも捉えられない程の速さだが、短い距離の直線かつ事前の準備が必要と、条件が多すぎるのが難点。とは、某新聞記者の言葉だが、果たしてその条件は強引に整えられた。
直線でないなら直線にしてしまえば良いとばかりに、己と鈴仙の間に存在する全てのものを無視して、妖夢は駆けた。
その際、二点間に存在していた不運な妖怪が数名、夜空の流星となって散ったが、妖夢は決して振り返らない。彼女にとって、これは紛れもなく戦いであり、戦いに犠牲は付き物なのだ。大迷惑である。
「さて、咲夜さん。私達も行きましょうか」
「行くって、野次馬でもするの?」
「人聞きの悪い事を言わないで下さい。妖夢さんをけしかけた以上、私達には顛末を見届ける責任があると思うんですよ」
「ものは言い様ね……でも、今はそれが正しいと見たわ」
二人は揃って鷹揚に頷くと、迷わず妖夢の後を追った。
博麗神社プレゼンツ、フィーリングカップル1VS1。実況は東風谷早苗、解説は十六夜咲夜でお届けしてまいります。
◇
「鈴仙っ!!」
距離にして五間。時間にして一秒未満の長く苦しい道程を経て、ついに妖夢は鈴仙の元へと辿り着いた。
流石に勢い余って鈴仙までも弾き飛ばしてしまうという事もなく、互いの息がかかるほどの距離まで詰め寄ったところでピタリと停止し、間髪入れず大きく呼びかける。
「……」
だが、鈴仙から一切の反応は無い。呆然と虚空と見つめたまま、時折掠れた呻き声を漏らすだけ。その瞳には狂気は愚か、一切の光を宿してはいなかった。
変わり果ててしまった鈴仙の姿を前に、妖夢は僅かに表情を歪めると、纏わりついた迷いを振り払うように頭を振り、厳かに口を開いた。
「聞こえていますか、鈴仙。……そのままでいいので、少し、私の話を聞いてください」
「……」
「私達が初めて出会ったあの永い夜の事、鈴仙は覚えていますか? 私は今でも鮮明に覚えています」
「……」
「幽々子様とはぐれて、一人で永遠亭を彷徨っていたところを、貴方は弾幕ごっこのお約束とかガン無視でヘッドショットでワンキル狙ってきましたよね。もしもあの時、コンマ一秒反応が遅れてたらと思うと今でもゾクゾクします」
『怖っ! 鈴仙さん怖っ! そりゃ忘れたくても忘れられませんって!』
『幻想郷では割とよくある事よ。あまり表に出てこないだけでね』
『うう、想像したくないなぁ……あれ? そういえば何で妖夢さん敬語なんでしょう』
『当時を思い出してるんじゃないかしら。砕けた口調で鈴仙と話すようになったのは、結構経ってからよ』
『へぇ……詳しいんですね』
『まあ、何気に付き合い長いから。もう十年近くにも……ゲッフン! ゲフン!』
『あ、いえ、気にしないでください。私だってもう幻想郷に来て五年以上経ちますが、未だに身も心も女子高生ですよ』
『……それはそれでどうかと思うけど』
いつしかサザエさん時空の恩恵と恐怖について語り始める早苗と咲夜。
が、本題とは何ら関係ないのでカメラを妖夢達に戻すことにする。
「そのまま何だかんだで弾幕り合って、お互いにぼろぼろになって主人の元に駆けつけてみたら、良い所なんだから邪魔すんなって言われたんですよね。酷いご主人様です」
「……」
「それから、二人で愚痴り合いながら、夜が明けるまで色んなことしましたよね。八意先生と咲夜さん達の戦闘を覗いたり、宝物庫を占拠してた魔女連中を排除したり、皆の分のご飯を準備したり……。今思えば、何をやっていたんでしょうね、私達」
『これが永夜異変の真実なんですか。色々と酷いなぁ。というか、名前が出てこないんですが、霊夢さんは何をしてたんでしょう』
『朝方に来たわよ。何でも、スキマ共々寝過ごしたらしいわ』
『本当に酷い……』
「それから私は、眼の治療の為に永遠亭に通院する事になって、その時は面倒な事になったなくらいにしか思っていなかったけど、丁度、門を潜った辺りで貴方を見かけて……その時貴方が、不器用な笑顔で小さく手を振って迎えてくれた事。何でもない光景の筈なのに、未だに鮮明に覚えてます。……とても、嬉しかったんです」
「……」
「次からは長距離通院も苦じゃなくなりました。……我ながら単純だとは思いますけど、それでも貴方と共に過ごせる僅かな時間が、とても幸せだったんです」
「……」
「完治したとの言葉を聴いた時、私は安心するよりも先に、残念に思ってしまったんです。だって、この眼が治ってしまえば、永遠亭を尋ねる理由が無くなってしまうから。……貴方に会う事が、出来なくなってしまうから」
妖夢の独白は続く。
鈴仙の元に辿り着くまでの蛮行。そして、時間の経過によりいくらか落ち着きを取り戻しつつあった宴会場の空気も相まって、既に相当な数の視線を集めているが、妖夢はまるで意に介さない。それどころか注目されている事に気付いているかも怪しい。
今の妖夢にとって、鈴仙の存在以外はすべてノイズであり、遮断されてしかるべきものだからだ。
天晴れな根性と見るか、もはや手遅れと見るべきかは、判断に悩むところである。
「だから、新規の顧客になって欲しいって理由で、貴方が白玉楼に姿を見せた時は驚きました。だって、冥界に薬を必要とする者なんて、私しかいないんですから」
「……」
「私の独り善がりじゃない。そう分かって、毎日が本当に楽しくなりました。一緒に遊びに出かけたり、お互いの屋敷にお泊りしたり……時には喧嘩もしましたけど、それも含めて、本当に楽しかったんです」
「……」
「……でも、それを今、私が壊してしまったんですよね」
妖夢は座り込んだままの鈴仙の背後へと周り、その肩を両手で抱いた。
反応は、無い。
「よく私は馬鹿だって言われますけど、まったくその通りですね。こんな事になって……やっと自分の気持ちに確信を持てたんですから」
「……」
「私は剣を振るう事しか脳の無い不器用な女です。だから……だから、こんな言い方しか出来ないけど、それでも聞いて欲しい」
『おや? 妖夢さんの口調が……』
『どうやら覚悟を決めたようね。ここからの妖夢は本気よ』
『え、今までので本気じゃないんですか』
『……ごめん。適当言ったわ』
『そういうアバウトなところ、嫌いじゃないです』
空気の読めない実況席を他所に、いつの間にやら妖夢は鈴仙の正面へと戻っていた。その口は真一文字に結ばれ、瞳も堅く閉じられている。
開かんとすれば、まずは蓋をすべし。
そんな訓示に従うかの如く、妖夢は溢れそうになる感情を、ぐっと押えつける。
時間にすれば僅かに数秒という短い時間に、自らの想い全てを凝縮させ――そして、開放した。
「私は貴方が……貴方が好きだっ! 貴方が欲しい!! 鈴仙!! レイセェーーーーーーーーーーーーーーン!!」
妖夢は叫んだ。
魂の咆哮とでも言うべき大音量で、愛しき者の名をひたすらに呼んだ。
何事かと寄り集まったギャラリーにより、完全に衆人環視となったその場で、一切構わずに叫んだ。
叫んで叫んで叫び続け、ついには息切れを起こし、それでももう一度とばかりに大きく息を吸い込んだその時。
「……よう……む……」
妖夢の純粋なる想いは、壊れかけていた鈴仙の心を、確かに捉えた。
光を失っていた双眸に、僅かに赤い輝きが戻り始め、その焦点が眼前の人物へと集約される。
そして蘇った感情は、言葉として世界に生み出された。
「鈴仙っ!」
「よう、む……妖夢っ!」
「レイセーーーーーーン!」
「よーむーーーーーーっ!」
「レイセーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!」
「よーむーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
手が届く程に近い距離であるのにも関わらず、ただひたすらに大音量で互いの名前を呼び合う二人。
やがて鈴仙は、ゆっくりと立ち上がると、目の前の妖夢の元へと飛び込んだ。
「バカっ!」
「へぷっ」
そして、力任せに拳を振るった。
お前は一体軍隊で何の訓練をしていたんだ。と突っ込みたくなる素人丸出しのテレフォンパンチなのだが、何故かものの見事に直撃を受けた妖夢は、まるで漫画のようにくるくると回転しながら吹き飛ぶと、大の字となって地面と一体化した。
何事かとざわついていた周辺が、別の意味で静かになった瞬間である。
『むぅ、あれはまさしくスーパーうどんげパンチ……』
『な、なんですって! 知っているんですか咲夜さん!?』
『正面からの大振りのパンチを回避したと思ったら後頭部に直撃を受けていた。この矛盾した現象を引き起こす、鈴仙の隠し技よ。他にも、秒間十発の打撃を叩き込む豪熱マシンガンうどんげパンチや、二倍の助走距離と取って、三倍の力を込めて両手で殴る事で十二倍の威力を発揮するウォーズマン式うどんげパンチのように、無限のバリエーションが存在するわ』
『なるほど、もうお前弾幕とか撃たずに殴ってろよ、って感じですね!』
何故か楽しそうな実況席であったが、当の本人達がそれどころではないことは言うまでもない。
鈴仙は殴り倒した勢いで妖夢に馬乗りになると、興奮に赤らんだ顔のままに声を荒げた。
「何、こっ恥ずかしいこと絶叫してるのよ大馬鹿っ!」
「うう、何か今日殴られてばっかり……い、いや、でも、これが私の本心だから……」
「本心じゃなかったらもっと怒ってるわよ! って、違う、そんな事が言いたいんじゃないの」
「……?」
疑問符を浮かべる妖夢を他所に、鈴仙は興奮を抑えるかのように深く息を吸い込むと、厳かに口を開く。
「ふぅー……妖夢の気持ち、良く分かったわ。妖夢がこういう時に出任せを口に出来るほど器用じゃないのも知ってるから……その、凄く、嬉しい」
「……うん」
「でも、ね、それなら……どうして咲夜のところに行ったりしたの?」
「あ」
「あ、じゃないでしょ! 私がどれだけショック受けたと思ってるのよっ!」
早苗の推測は、おおむね正しいものだった。
きっと妖夢は自分の元へ向かうだろうから、入れ違いにならないように待っていよう。そう信じて雌兎のポーズで待機していた鈴仙にとって、平然と咲夜に声をかける妖夢の姿はどのように映ったのだろうか。
その結果、比較しないでくれと豆腐側からクレームが付いたと噂の鈴仙のメンタルは、容易く素粒子単位まで崩壊し、あわや孤独死といったところまで追い込まれたのである。
「その、ごめん。あれは別に深い理由があった訳じゃなくて……わざわざ他所の人と組めって念を押すくらいだから、いつも一緒の鈴仙と組んだら拙いのかなって思って、そしたら丁度、咲夜さんが一人でいたのが見えたから……」
「……出来れば、私を先に視界に入れて欲しかったなー」
鈴仙は深くため息をついた。その内訳は呆れよりも安堵の要素が大半である。深く考えすぎであった事は鈴仙も自覚しているのだ。
『咲夜さん、咲夜さん。バカップルのダシに使われた気分はどうですか?』
『何でキラキラした目で言うの……。ま、本人達が幸せなら良いんじゃないかしら』
『……はぁ』
『早苗?』
『本当に丸くなっちゃいましたね。二時間前に出直してきな、とか言ってた男前の咲夜さんはもう帰ってこないんでしょうか……』
『ちょ、なんで貴方がその頃の私を知ってるの!?』
『女の子には秘密が多いものなんです』
もはや実況を放棄して独自の物語を展開しつつあった実況席は謹んで無視し、妖夢達である。
「鈴仙」
「な、なに?」
先程の大告白劇を経たことで精神的な成長を遂げたのか、それとも感情が麻痺しつつあるのか定かではないが、とにかく今の妖夢には一切の衒いがない。
その余りにも真っ直ぐな視線は、別段後ろめたいことも無いのに鈴仙の反応に戸惑いが混じってしまうほどだった。
もっとも、その体勢はマウントポジションのままなので、客観的には絵にならないこと甚だしいのだが。
「私の気持ちは伝えた。だから今度は、鈴仙の気持ちが知りたい」
「き、気持ちって、今更言わなくても分かってるでしょ」
未だに妖夢ほどに吹っ切れていない鈴仙は、ぷい、と視線を逸らしては、答えを濁す。
「きちんと言葉にしないと駄目な事ってあるんじゃないかな。多分、今がその時なんだと思う」
「ぐ、ぐう……」
妖夢らしからぬ物言いに、ぐうの音を出す事しか出来ない鈴仙。
頑なに答えを濁すことは、あらぬ誤解を生む原因となりかねない。それどころか、自らの想いすら不安定にしかねない愚行だ。
気持ちなど最初から決まっているのだから、後は鈴仙自身の覚悟の問題なのである。
「……わ、分かった、わ。言う。言うから、聞いて。妖夢」
しばらくの後、ようやくといった塩梅で、鈴仙が口を開いた。
覚悟を決めた割には、しどろもどろで、今にも消え入ってしまいそうな、なんとも頼りない声だったが、それでもかつての鈴仙を思えば大きな進歩である。
昔のままの彼女であれば、とうにこの場から逃げ出しているだろう。
「……い、言う、から……ふっ」
「……」
「……ふう……ふぅっ……」
「……」
「……はっ……ふひゅ……ひっ……ふっ……」
が、中々始まらない。それどころか、だんだんと鈴仙の呼吸が荒くなって来ていた。
立ち直ったとは言え、鈴仙のメンタルが極めて惰弱である事に変わりはない。故に、妖夢の心配は募る。
「れ、鈴仙、大丈夫?」
「……だ、だいじょ、ひぅっ……び。へっ、へいきだから、あんしん、して。はっ」
「安心できる材料が無いんだけど……」
「い、言う……いっ、今、言う、からっ……」
鈴仙は自分に言い聞かせるように呟くと、突如スカートのポケットから桃色の試験管を取り出し、その中身を一息に呷る。止める間も無い早業だった。
「ちょっ、鈴仙!? 今、何飲んだ!?」
「……そうよ、言うのよ……私の気持ちを……妖夢に……『伝えないと』」
「鈴仙ってば! ……えっ?」
それは、漠然とした違和感だった。
眼前から発されている筈の鈴仙の声が、どこかずれて聞こえている。まるで自分の中に直接響いたかのような感覚だった。
妖夢は反射的に視線を動かす。マウントポジションを取られている為、稼動範囲は微々たるものだったが、それでも早苗と咲夜の姿を捉える事は出来た。
「ん? んんっ? 鈴仙さんの声が近い? 音声さんの悪戯でしょうか」
「誰よ音声さんって。でも確かに妙な感じね」
二人は揃って怪訝な表情で、耳を叩いたり、周囲を見渡したりしていた。
おおよそ常識に囚われない早苗と、大抵の異変には動じない咲夜が、揃って警戒心を露にする程の現象。それの意味するところは何か。
(ま、まさかっ!?)
妖夢は知っていた。鈴仙の持つ能力と、その汎用性の高さについてを。
それ故か、慌てて鈴仙へと視線を戻すと、身を捩りつつ声を上げた。
「ま、待って鈴仙! 声! 声があちこちに届いちゃってるからっ!」
『届く……そう、言わないと届かないんだから……』
からん、と空になった試験管が、床に転がった。その名は天衣無縫の薬。壮大な名前の割には、ほんの少し心を開く手助けをするだけという、八意印らしからぬ無難な効能の薬。が、それをこの弟子に持たせてしまう辺り、やはり月の頭脳の詰めは甘いといわざるを得ない。
『私の、この想い……届いて!』
かくしてほんの少しだけ開かれた鈴仙の心は、言葉となって広がっていった。
波長を操る力によって、宴会場の枠をちょっと超えてしまう程度に。
優曇華院大放送、ここに開局である。
<紅魔館 大図書館>
七種の属性魔法を自在に操り、魔女として、そして知識人として確固たる地位を確立しているパチュリー。だが、天は二物を与えず、彼女は病弱だった。
故に、体調を崩すことも然程珍しくもないのだが、それが偶々宴会の日取りと重なってしまったのは不運であった。
本をこよなく愛するが故、必然的に引き篭もり同然の生活となってしまってはいるが、別段彼女は他者との交流を拒んでいる訳ではない。むしろ、体裁やらを気にする事なく交流を図れる場として、宴会は歓迎すべきものと捉えている程である。
そんな理由もあり、本日の彼女のご機嫌はあまりよろしいものではなかった。そして、その機嫌は更に悪化の一途を辿る事となる。
『妖夢! 好き! 大好き! 愛してるわ妖夢!』
「ぶふっ!」
寝台から半身を起こし、湯気の上がるマグカップを抱え込んでいたパチュリーは、文字通り噴き出した。
多少の事では動じない彼女とはいえ、唐突かつ大音量の告白が直接頭蓋を揺らしたのだから、驚きもしよう。
「だ、大丈夫ですかパチュリー様」
「……ええ。小悪魔、貴方にも聞こえてる?」
「え? あ、はい。一体何なんでしょう、これ」
『前から、妖夢よりももっと前から、初めて会ったあの夜から、ずっと好きだったのっ!』
絶えず耳に届き続ける、何者かの愛の告白。
不安げな表情できょろきょろと周囲を見回す小悪魔を他所に、パチュリーはその声の主、及び、ヨウムなる人物に関する情報を、脳内データベースから引き出す作業を開始する。
この知識人の脳内検索速度は重要性と反比例すると言われている。そして、この日は極めて速く結果が出た。
「……ああ、そういう事か。ふむん、狂気を操る能力とは良く言ったものね」
「……?」
「安心しなさい。別に呪いとかそういう類のものではないわ。例えるなら……そうね、音量の大きいラジオドラマかしら」
「ええと、チャンネルを変える権利とかは無いんでしょうか」
「無いわ。聴取率十割よ。スポンサーも大喜びね」
「は、はぁ」
『真っ直ぐすぎて融通の利かない所も、鈍感だけど純粋な所も、一途で意地っ張りな所も、全部、全部大好きっ!』
こんな馬鹿な真似、正気にて成し得る筈も無し。それが、彼女の結論だった。
結論が出た以上、これ以上の考察も問答も無用とばかりに、パチュリーはマグカップを小悪魔へ押し付けると、再び寝台へと潜り込んだ。
他人の色恋沙汰より、自身の体調を優先するのは当然の事。というのがその理由だ。
行けなかった時に限って楽しそうなことやってやがんなチクショウ。という子供染みた感情による不貞寝などでは、断じてない。
と、心の中でセルフツッコミを入れた辺りで、寝室の扉が勢いよく開け放たれる。
「ぱっ、パチュリー様! 何ですかこれは!? 新手のスタンド使い!?」
「……寝かせてよ、もう」
正気でありながら、能力の使い所を知らない門番の姿に、寝台の中でパチュリーは一つ、ため息を吐いた。
本は愛しているが、紅はまだまだという事だ。
<地底 旧都>
その能力を疎まれ、地上から追放された妖怪達が集う場所、地底。
が、当の本人達にそうした意識が残っているのかどうかは、甚だ怪しいものである。
それほどまでに、地底の妖怪は暢気で陽気だった。
『もう私は自分を誤魔化したりしない! 邪魔したい奴はさっさと出てきなさい! 全員脳天ブチ抜いてやるわっ!』
「何だかわからんが凄い自信だなぁ」
「恋敵じゃないのに自発的に出て行く人とか出てきそうだよね」
「あはは、確かに」
「何でそこで私を見るんだよ」
それを証明するかのように、今日も妖怪たちは賑やかに酒を酌み交わしていた。
唐突なる聴覚ジャックにもまるで動じない。彼女等にとっては、丁度良い酒の肴が出来た、くらいの感覚でしか無いのだろう。
もっとも地底の妖怪とて多種多様。受け取り方も千差万別である。
そのもっとも極端な例と言えるのが、彼女である。
「……ふふふ……」
パルスィは燃えていた。
歓談する妖怪の輪に入ることなく、一人静かに決意を固めていた。
声の主に心当たりはないし、そもそもにして興味もない。彼女が興味を示したのは、告白劇の内容ではなく、それが与えるであろう影響にあった。
『嘘よっ! 大嘘でしたっ! だって、そんな事に時間を使うより、もっとずっとしたいことがあるんだからっ!』
「これは私に対する挑戦ね。そう、どうせ私には何も出来ないとでも思ってるに違いないわ。ああ、妬ましい、どこまでも妬ましいわ」
「いつになく気合入ってるね」
「そだねぇ……気合入りすぎで、自爆しそうな気がするけど」
輪には入らないが、同じ場所で飲んでいることには変わりないので、その様子は他の面々からも丸わかりであった。
パルスィが楽しそうで何よりです、との理由から、本人のしたいがままにさせているという次第だ。
「という訳で、ちょっと行って来るわ」
「行くって、何処に?」
突如として席を立ったパルスィに、ヤマメが声をかける。
「この声が届いている範囲全部よ。今ならきっと、大量の嫉妬心が集められるに違いないわ」
「ああ、そういう事ね」
そう答えるも、ヤマメは半信半疑だった。
惚気ならばともかく、この声はまだ告白の段階に過ぎない。しかも、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい、分かりやすくストレートなものだ。それを耳にして生まれた感情が果たして嫉妬心と呼べるのだろうか?
そもそもパルスィ自身からして、嫉妬しているように見えないのだから、甚だ怪しいと言わざるを得まい。
が、それをヤマメが口に出すことはなかった。
恐らくパルスィは嫉妬心を抱いていない輩に対して、激しく嫉妬する事だろう。そしてその嫉妬心は、他ならぬパルスィの糧となる。恐るべき永久機関だ。
要は、止めようが止めまいが同じなのだ。ならば、止めないほうが楽しいに決まっている。
「ふふっ、何処の誰だか知らないけど良い度胸ね。橋姫たる私が何でメシを食ってるのか思い知らせてやるわ」
「その通りなんだろうけど、言葉にするとなんかサラリーマンみたいだよねそれ」
「部長! 今月の嫉妬ノルマ達成しました! とか?」
「あー、いいねいいね。それだと牛の刻参りは、新規顧客開拓だな」
「また皆して私を馬鹿にするのね……嗚呼、妬ましや、妬ましや」
「笑って言うとあんまり妬みっぽくないよ」
ともあれ、地底の面々は、今日も平常運転だった。
<彼岸 是非曲直庁>
『キスしたいの! 頬に! 口に! 身体中に! 心にっ!』
「……ぅぁー……」
「……」
空気が重かった。
三途の渡し守、小野塚小町が、本日の業務報告を済ませるべく、四季映姫の執務室を訪れた際に、それは唐突に始まった。
声の主、そして声の主の向こうにいるであろう相手が誰であるかは、知り合いなこともあって直ぐに気がついた。それは眼前でネルフ総司令ポーズのまま沈黙している映姫にしても思い当たりのある人物であろう。
だからこそ、気まずかった。
(あいつら何だってこんな事を……しかもタイミングが最悪だよ)
これが普通の宴会の場でもあったなら、普通に応援もするし、上手く行けば祝福だってするだろう。
だが、現実として、ここは職場であり、しかも極めて規律に煩い上司との一対一という場面だ。反応に困るのも当然である。
が、それでも小町は動いた。それは己の精神衛生面を慮っての強行突破だ。
「あ、あー、今日も良く働きましたねー、うん。そうだ四季様、久し振りに飲みにでも行きませんか。細かい事は忘れてパーっと」
「……」
「ぱ、ぱーっと……」
「……」
早くも小町の心は折れた。
せめて怒るなり何なりしてくれるなら対応のしようもあるが、押し黙られたのではどうにもならない。
こうなればもう、あらゆる感情を殺して業務報告を済ませ、速やかに退室する他ない。
そう決意した小町は、一歩、映姫の元へ歩み寄る。
と、その時だった。
「……よ、よくも、こんな……こ、こっ恥ずかしいことを……」
恐らくは、本人も意識して出しているものではない、かすれて消えそうな小さな声。
だが、それは確かに映姫本人の口から出ているものだった。
まさかと思いつつ小町は、伏せられたままの映姫の顔を、大胆かつ慎重に覗き込む。
完熟トマトフェイスだった。
(耐性ひくー!?)
ここで小町は、真相に辿り着いた。
映姫は怒っていたのではない。恥ずかしさに身悶えていただけなのだと。
『妖夢を抱き締めたいの! 潰しちゃうくらい強く抱き締めたい!』
「……し、しかも……全国放送とか……わ、わけがわからないです……有罪です……」
「あのー、四季様」
「ひゅぃっ!?」
距離が近くなったからか、小町の呼びかけに、映姫は鋭く反応した。
鋭すぎて、どこぞの河童のような鳴き声になっていたが。
「な、なんですか小町。脅かさないでください」
「いや、どうして普通に声掛けただけで驚かれなきゃいけないんです」
「そ、それもそうですね。え、ええと、それで、何の用件でしたか。結婚式の日取りについてですか。私は出来れば白無垢よりもドレスのほうが」
「四季様、四季様ってば。ノイズ入りすぎですよ。落ち着いて、とりあえず深呼吸しましょう」
「は、はい。……ふぅー……すぅー……ふぅー」
言われるがままに深呼吸を繰り返す映姫。威厳もへったくれもあったものではない。
が、それ故に生まれ出るものも、また存在する。
(可愛い生き物だなぁ……)
おおよそ、泣く子も黙る閻魔である相手に抱く感想ではない。が、閻魔が相手であるが故に、小町は自分の心に嘘を吐けなかった。
「……ふぅ。失礼、少し取り乱したようです」
「あ、いえ、もう平気ですか?」
「ええ、それでは報告をお願いします」
流石と言うべきか、この短時間で、映姫はすっかり我を取り戻していた。
これなら、もう少し身悶える様を眺めておくべきだったかと後悔を覚えた程である。
その空気を察したのか、映姫の視線に鋭いものが混じる。
「小町」
「は、はいっ、変なこと考えて済みません! 今後あたいは清廉潔白な善良死神を目指し……」
「訳のわからない事を言ってないで、早く報告を済ませなさい。時間が惜しいです」
「時間って、何か約束でもあるんですか?」
「……怒りますよ?」
映姫の視線が、更に鋭くなる。
「へ? ……あ、ああ、そういや誘ったのはあたいの方でしたね。返事を頂けなかったんで、てっきり断られたもんかと」
「……そうでしたか? ごめんなさい、少し記憶が曖昧で」
「あ、いえ、じゃあOKなんですね?」
「勿論です。ましてや今日は、とてもおめでたい日になったんですからね」
「……まあ、頭は大分おめでたいですよね、あいつら」
そんな軽口とは裏腹に、小町の表情はいささか緩んでいた。
果たしておめでたいのはどちらであったのか、判断を下すのはまこと難しいところである。
<月の都 綿月邸>
『私は妖夢のものになりたい! そして、心から尽くしたいの! それが私の喜びなんだから!』
これが玉兎通信というものか。と、御大将が吼えたかどうかはともかく、鈴仙の魂の叫びは、十万里の距離も物ともせず、月の都にもお届けされていた。
しかも完全一方通行かつ、拒否権無しのオープンチャンネルという傍迷惑な通信だ。
「凄いなぁ。良くここまで言えるわね」
「これって、レイセンだよね?」
「呼んだ?」
「お前じゃねぇ、座ってろ」
「空気読んだのに酷い……」
ともあれ、平穏だが退屈な日々を送る玉兎達にとって、この放送は良い刺激となった。
かつて共に過ごした仲間が、地上のこととは言え、新天地で色々な意味で頑張っている報を耳にして悪い気がする筈もない。ましてやそれが、色恋沙汰であればなおさらだ。
「……ふぅ……」
訓練を放り出し、雑談に興じている玉兎達を前に、綿月依姫は深くため息を吐いた。
本来ならば、叱責してしかるべき場面であるが、事が事だけに、さしもの彼女も紡ぐべき言葉を見つけられずにいたのである。
いったい何処の世界に、逃げだした場所へと向けて、愛の告白シーンを生放送でお届けする脱走兵が存在するというのか。
この世界にいたのだ。しかも、自分の元部下に。
開いた口が塞がらないとはまさにこの事である。
「ねえ、よっちゃん」
「その呼び方止めて下さい。兎達の前ですよ」
いつしか依姫の隣には、豊姫の姿があった。
基本的に訓練の場に顔を出すことのない姉が、ここにいる理由。それは推測するまでもなく、ひとつしかない。
「いいじゃないの別に。誰も私達に関心なんて無いわ」
「それはそれで問題です」
「奔放であってこその玉兎よ。……まあ、奔放過ぎる子もいたようだけれどね」
当然ながら、話題はそこに帰結する。
依姫は、もう一度ため息を吐くと、おもむろに口を開く。
『そして、もっと妖夢と喜びを分かち合いたいの! もっと強く、深く!』
「馬鹿な子です。自ら穢れた地に身を落としたに留まらず、このような真似まで仕出かすとは」
この無茶苦茶な行動からして、臆病なところは克服出来たのかもしれないが、それ以上に問題点が増えているのではないか。というのが依姫の分析だった。
もう今となっては直接関わることは出来ないが、それでもかつては上司として、そして飼い主として共に過ごした兎だ。思うところもあって当然である。
故に依姫の表情は、今ひとつ浮かなかった。
「ヨウム……鳥? まあ、誰だか知らないけど大したものね。あの、超が付くくらい引っ込み思案だった子にここまで言わせるなんて、どんな手管を弄したのかしら」
「お、お姉様?」
対称的に、豊姫は心底楽しげな様子だった。
訝しむ依姫の視線に気付くと、わざとらしく咳払いなどをしては、依姫へと向き直った。
「あー、うん、分かってるわ。地上に住まう者はそれだけで罪。だから罰を与えなくてはいけないわね」
「……」
なんでやねん。と突っ込むことはしない。姉の言わんとする事を、おぼろげに察した為である。
「ええと、一生地に這い蹲って生き、死ぬこと。そして……」
「そして?」
「二人で一つの墓に入ること、かしら」
「……なるほど」
何故だか、深く感心する依姫であった。
<博麗神社 境内>
「妖夢ぅーーーーーーーーっ!! 大好きぃぃーーーーーーーーーーっ!!」
力を使い果たしたのか、それとも薬の効能が切れたのか、それまでの直接耳に届くような声ではなかったが、それでも宴会場全域を振るわせるほどの大音量の叫びをもって、鈴仙の告白は締められた。
時間にして四分と三十三秒。無音とは対極に位置する、騒がしさの極みの如き時間だった。
『若さって、何なんでしょうね』
『振り返らない事よ』
呆れと感慨の入り混じった複雑な表情のままに、何処かで聞いたようなフレーズを口にする早苗と咲夜。
ちなみにこの二人は、妖夢や鈴仙よりも年下だ。
それはさておき、鈴仙である。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、は、っ、ふぅーっ……」
「……」
不足した酸素を一気に取り戻さんとばかりに、荒く呼吸を繰り返す鈴仙。機関銃の如く捲し立て続けた弊害だ。
もっとも、無尽蔵のスタミナの持ち主である彼女の事、収束は時間の問題だった。
「はぁーっ、ふぅーっ、ふぅー……はぅー」
「……」
「ふぅーっ……ふぅーーっ……ふぅっ」
「……落ち着いた?」
「ふー……え? あ、うん、平気、だと思う」
丁度、呼吸が整った頃合に飛んできた眼下から声に、鈴仙は反射的に返事を返した。その瞳は、先程までのような怪しい輝きを見せてはいない。落ち着いたという言葉は、呼吸のみならず精神的な意味でもあったようだ。
となれば、次に行うべきことは、現状の把握である。
(……えーと……えーと……ええ、と……っ)
平静を取り戻した筈の鈴仙の顔が、みるみるうちに赤く染まって行く。
ここに来てようやく、自分の行った行為と、それがもたらしたであろう結果にまで思いが至ったのだ。
そして、とどめとばかりに、ウサ耳という名の受信アンテナに、着信のお知らせが鳴り響く。
『レイセーン、良く頑張ったねー。後で上手く行ったかどうか教えてねーっ』
それは玉兎通信。
即ち、自分の言葉が、漏れなく月の都にまで届いたという証拠であった。
「ま、待って! 違うの! いや、違くないけど違うんだってば! 内緒! これ内緒で! トップシークレット扱いでお願いします!」
意味不明な抗弁を始める鈴仙だったが、すべては遅すぎた。月面世界にまでお届けされたこの情報。もはや幻想郷を消滅させたところで封鎖する事など出来はしないだろう。
しかも発信源は、他ならぬ鈴仙本人である。何とも救い難い話だ。
「鈴仙」
「わ、私、その、あの、そ、そういう事じゃなくて、その、ええと、うあー」
「ありがとう」
いつの間にかマウントポジションから抜け出していた妖夢が、ぎゅむ、と鈴仙を抱き締めた。
「よ、妖夢っ?」
「きっと、私は不安だったんだ。鈴仙がいつも一緒にいてくれるのは、優しいだけだからじゃないのか。本当は無理に付き合わせているんじゃないかって」
「そ、そんなこと、ない。私は本当に……」
「うん。鈴仙の気持ち、伝わった。凄く強く伝わったよ。だからもう私は二度と迷ったりしない。……無理させちゃって、ごめんね」
「……」
「そして……こんな私を好きになってくれて、本当にありがとう」
その抱擁、そして妖夢の真摯な言葉は、存分に浮き足立っていた鈴仙の心を落ち着かせた。
鈴仙は、されるがままに宙をさまよっていた手を、そっと妖夢の背中へと回す。
「……こんな、ね。確かに妖夢は他人の気持ちに疎いし、どうしようもなく無鉄砲だし、そのくせ妙なところで臆病になるし、変に気を回そうとしてかえって事態を悪化させたりするけど……」
「うぅー」
「そんなところも含めて、私は妖夢の事が好き。大好き」
「……鈴仙」
「でも、ね」
そこで言葉を切ると、鈴仙は妖夢から目を背け、その身体を突き放した。
予想外の行動だったのか、妖夢は押されるがままに抱擁を解く。
「それと全国中継は話が別なのぉーーーー! うわぁーーーーーーーーん!」
そして鈴仙は、雌兎のポーズを取っては、人目を憚らず泣いた。
自業自得とはいえ、優曇華院大放送という事実は、彼女にとっては重すぎる出来事だったのだ。
「うーん。案外、大丈夫じゃないかな。自分の名前は出してなかったでしょ?」
「そういう問題じゃないのよぅ。恥ずかしいのよぅ。うう、でも妖夢はもっと恥ずかしいよね。ごめん、ごめんね。アホな兎で本当にごめんねぇ……」
「あー、そうか。私の名前だけが知れ渡ったって事になるのね……」
『ええと、私の集計によると十六回呼んでますね』
『よくも呼んだりね。今、幻想郷知名度ランキングでも始めたら、一瞬で二位決定戦に成り下がるんじゃないかしら』
『二位じゃ駄目なんですか?』
『誤解を招く発言はやめなさい!』
親切かつ残酷な実況席であった。
が、その事実が明らかになった今も、妖夢に動揺の兆候は見られない。むしろ、何処か誇らしげな様子すら伺えた。
「……怒ってないの?」
「好きな人から名前を呼ばれて怒る意味が分からないよ。まあ、恥ずかしくないと言えば嘘になるけど、それ以上に嬉しかったから」
「妖夢……」
ぴこーん、と効果音。
これ以上無いと思われていた鈴仙の妖夢に対する高感度が、さらに上昇した瞬間だった。即ち、バグである。
汚物は消毒されなければならないように、バグもまた修正されなければならない。そうでなければ怒りの日を迎えてご覧の有様となってしまう。
そうした意図があったかどうかはさておき、妖夢の次なる台詞は、鈴仙に生じたバグを修正し、そして新たなバグを生むこととなった。
「それに私はこれから、もっと馬鹿な事をしようと考えてるから」
「……へ?」
ぽかん、と間抜けに口を空ける鈴仙を他所に、妖夢は徐に立ち上がる。
その視線の先は、雲ひとつ無い満点の星空。そして、今宵も力強い輝きを放つ満月があった。
「……少し前、私と幽々子様がひと月くらい冥界を離れていたこと、覚えてる?」
「え? あ、うん、出張だっけ?」
「うん。その出張先っていうのが、月だったの」
「へぇ。……え?」
まさに青天の霹靂だった。
鈴仙にとって、妖夢と月は、イコールで結ばれない、まったく別世界のキーワードだったからだ。
「と、いっても色々と動いてたのは幽々子様。私は何をするでもなく、ただ後を付いて回ってただけ。……で、気が付いたの。理由は分からないけど、月の住人は、私の存在をまったく認識していない事に」
「……どういう事?」
「だって、玉兎……だっけ? 鈴仙の元同僚さん達。あの人たち、幽々子様とは普通にお喋りしてたのに、私とは視線すら合わせなかったんだもの」
「無視されてた……って事はないわね、流石に」
鈴仙は余所行きモードの妖夢の厄介さを良く知っている。いくら玉兎が暢気とはいえ、そんな危険人物を放置しておくほど呆けてはいないだろう。
浄土たる冥界に住まう亡霊が、穢れを嫌う月において自由に行動できるのは理屈として分かるが、半人半霊なる生物学に真っ向から喧嘩を売るような種族の妖夢は、月の住人にはどのように映ったのか。
既に、地上の住人である事を自認している鈴仙には、まったく想像が付かなかった。
「で、幽々子様はやっぱり何も教えてはくれない。そして月の連中は相変わらず私の事に気付かない。銃に泥詰め込んでもただの暴発事故として扱われてたし、ちょっと制服着てみたら、なんか知らない子が冤罪で罰則受けてたし、桃の木を柿の木に植え替えても全然気付かずに食べてるし……」
「ちょ、何やってんの!?」
「……そうしたらもう、何もかも馬鹿らしく思えてきちゃって……それで、どうせなら私のやりたい事をやってやろうって、そう決めたの」
「いや、もう十分好き勝手やってる気がするんだけど」
鈴仙の突っ込みは、余裕の笑みを持ってスルーされた。
今の妖夢からは、紛れも無き大人物のオーラが漂っている。そして、その大人物とは間違いなく犯罪者だ。
「私と月の接点なんて、結局は鈴仙にしか無い。でも逆に言えば、鈴仙の存在があったからこそ、私は月にいる意味を、その理由を見出す事が出来た」
言いながら妖夢は、その小さな身体に見合わぬ長大な太刀、楼観剣を抜き放った。
魂魄流が太刀を担いだら用心せよ。とは誰の言葉だったか。そもそもにして妖夢は、ほぼ一日中太刀を担いでいるので、幽々子などは気の休まる暇が無くなってしまうのだが、そういう問題ではない。
重要なのは、妖夢が剣を抜いた事の意味である。
「私は奇術師ではないけれど、一月もあれば仕込みをする事くらいは出来る。その種明かしに必要な条件は二つ。一つは、満月の夜であること。もう一つは……」
「よ、妖夢? さっきから何を言ってるの?」
妖夢は答えず、ただ一瞬だけ視線を鈴仙へと向ける。
その瞳の色は、いつしか紅に染まっていた。
「鈴仙、貴方が私と共にあることだ」
刹那、妖夢の振るう楼観剣の煌きが、夜空を奔った。
待宵反射衛星斬。
狂気の力を用いて全てのものを斬り潰す、妖夢最後の切り札は、皮肉にも、その力の源である月に向かって放たれた。
いかな奥義とて、未だ完成ならぬ少女一人の力では、月面に与えられる影響など、せいぜいそよ風程度のものに過ぎない。
だが、此度に限っては、それだけで十分だった。
「……えっ……」
鈴仙が小さく呟くと同時に、妖怪の賢者は脳梗塞を起こして倒れ、月の頭脳は九九の七の段の答えが解らなくなり、華胥の亡霊は鼻からスパゲッティを噴き出し、永遠の姫君は奇妙な盆栽を粉砕した。
月面に刻まれていたのは、地上から容易に確認できてしまう程の巨大なハートマーク。そして、その中には、これまた巨大な二つの名前が印されていた。
妖夢。そして、鈴仙である。
この一世一代の大仕事こそが、妖夢にとっての月面戦争だった。
「良かった、漢字だから潰れて見えないか不安だったけど上手く行ったみたい。……私の好きな鈴仙は、カタカナじゃないからね」
「……」
何故か晴れやかな表情で語る妖夢だが、反応は無い。
見れば鈴仙は、何時の間にか元の雌兎のポーズに戻っており、その視線も妖夢ではなく、月に向けられたままである。
不安を覚えた妖夢は、楼観剣を鞘へと収めると、鈴仙の元へと近寄り、膝を突いてその顔を覗き込んだ。
「……鈴仙?」
「……は……ふぅ……」
赤……というよりは桃色に染まった頬。潤んだ瞳。漏れる吐息はねっとりと熱い。
かつての妖夢であれば、さては風邪でも引いたか、と惚けていただろう。が、この短時間において、妖夢の恋愛経験値は、はぐれメタルを乱獲したかの如く急上昇を遂げている。
故に理解出来てしまった。
(は、発情してる、の?)
どうしてこうなったのか、玉兎の生態に詳しい訳でもない妖夢には解らない。
が、妖夢一世一代の大仕事が鈴仙の中二病的な感性にジャストフィットしたことだけは確実だった。
「あ、あの、れい、むっ」
霊夢ではない。一時的な肉体の接触により、妖夢の発言権が剥奪されたのである。
五秒。
十秒。
十五秒。
二十秒。
ついには三十秒を超え、そろそろ酸素的な意味で危機感を覚え始めた頃合になり、ようやく鈴仙の唇が離れた。
押し倒しに移行しない辺りから、どうやら、ギリギリのラインで踏みとどまったようだ。
「……」
レベルは上がっても、スキルが足りていなかったのか、彫像と化した妖夢。
そんな様子を、鈴仙は潤んだままの瞳で見つめつつ、その頬を愛しげに撫でた。
「……ばか……」
「……」
「……これじゃ私、もう月に帰れないじゃないの……ばぁか……」
「……違う」
鈴仙の声には金の針でも混ざっていたのか、彫像化の解除されていた妖夢が、ぼそりと呟く。
「……違うって、何が?」
「鈴仙の帰る場所は、月じゃない……よね?」
「……んっ……そう、だね。私の帰る場所は……」
最後まで言わせないとばかりに、妖夢は力一杯、愛しき兎を抱き締める。
鈴仙もまた、それを待ち望んでいたかのように、されるがままに受け入れていた。
ここは紛れも無く二人だけの世界だった。
◇
完全に己の世界に入り込んだ故か、二人は気付かない。
宴会場の雰囲気が、それまでのものとは明らかに変質しつつあることに。
それは、とある一人の妖怪が、無意識の内にぼそりと呟いたある一言に集約されていたと言えよう。
「無いわー」
即ち、ドン引きだった。
優曇華院全国放送の時点で既にギリギリのラインを走っていたのだから、この妖夢の手による月面陵辱はラインアウトを招いて当然と言えた。
物事には限度がある、といった常識的な感想や、もうお前ら二人で無人島にでも行って来いよ、等という妬みを超えた呆れ。そして、もしかしたら我々はとんでもない連中に関わってしまったのではないか、という純然たる怖れ、等々。全員が全員ではないにせよ、それまで心の内に燻っていたものが噴出するには、十分な切っ掛けであった。
熱気に包まれていたはずの博麗神社には、いつしか氷河期にも達せんとする寒気が忍び寄っていたのである。
だが、そんな空気の元にあっても、まだ二人には味方がいた。
我等がメイド長にして、そしてうどみょん一級解説者、十六夜咲夜である。
「死ねばいいのに……」
おい、カメラ止めろ。
(おほん……これは拙いわね)
咲夜は唇を噛んだ。
濃密なうどみょん空間にあてられ、若干の苛立ちと殺意を覚えたりはしたものの、それでも基本的に彼女は二人の味方である心積りであった。
だが、あまりにも状況が悪い。この空気を良好なものに変えるのは容易ではない。なにしろ、どう言い訳をしようが、月を見るたび嫌でも思い出してしまうのだ。
時間を止めて二人を圏外まで連れ出す。という手も考えはしたが、それはただの問題の先送りでしかない。
ここまでの事をやらかした以上、妖夢と鈴仙は最後まで勝者でなくてはならない。それが例え、どれだけ険しい道であったとしても。
『私達には顛末を見届ける責任があると思うんですよ』
行動を共にする切っ掛けとなった早苗の言葉が、咲夜の脳裏を過ぎった。
それはきっと、ただの名目だったが、今となっては、正鵠を射た発言である。
だが、それだけでは足りないのだ。
「咲夜さん」
何時の間にか隣席の早苗の視線が、真っ直ぐに咲夜へと向けられていた。その双眸に秘められたるは、確固たる決意。
(……大したものね)
自分よりも一足先に結論に辿り着いたであろう早苗に、咲夜は心の中で賛辞を送る。
幻想郷では常識に囚われてはいけない。
何かと物議を醸す早苗の行動指針ではあるが、この日この時ばかりは、賛同せざる得なかった。
「私達もちゅーしましょう」
「なんでやねん!」
無意識の内に、咲夜は突っ込みを入れていた。
これは紅魔館に籍を置く者の基本スキル故、致し方ない事である。
「なんでやねんとはなんでやねん! 場を和ませようと思っただけでんがな! フルーツおいしいねん!」
「関西の人に怒られるからその辺で止めなさい長野県民。大体、私達だけが和んでも仕方ないでしょうに」
「し、失礼しました。でも、私は大真面目ですよ。だって、私達まで悲壮感出してたら意味が無いじゃないですか。これからやる事って、そういうものですよね?」
「……凄いわね、貴方」
皮肉ではない、本心からの言葉が、咲夜の口から零れた。
「えへへ、それほどでもあります。だから、今が余りのんびりしていられない時だって事も知ってますよ」
「そうだったわね。……責任を持つ以上は私達も最後まで足掻いてみせないと駄目。行くわよ、早苗」
「はい! 任せて下さいっ!」
そして二人は、実況席を立った。
不退転の決意を胸に秘めて。
妖夢と鈴仙は未だに自分達の世界に入り込んだままだった。だが、それは永遠という訳ではない。
嫌が応でも時間は流れ、時間が経てば熱は収まる。熱が収まれば当然、鈍い彼女等であっても、空気の変化に気付いてしまう。そうなれば全ては終わりだ。
待っているのは氷河期か、それとも銃と剣の殺人鬼の誕生か、はたまた爆発オチか、いずれにしてもろくな結末ではあるまい。
なればこそ、その絶望的な未来を変える為に、彼女達はここにいた。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
いつしか静けさすら感じられるようになった宴会場の空気を、二つの祝福の声が切り裂いた。
咲夜と早苗は、満面の笑みで、絶え間なく拍手を送りつつ、ただひたすらに祝辞を送り続ける。
完全に退路を断った背水の陣。根性で耐えて回復薬を飲まない荒行。帰りの電車賃を注ぎ込んだ単勝一点買い。表現は色々あるが、もっとも適切なのはこれ。
ヤケクソだった。
「おめでとう! 本当におめでとう! 二人とも幸せになってね!」
「こんなにおめでたい事はありません! 神前式の際には是非、守矢神社をよろしくお願いします!」
重すぎる空気の前に、ともすれば瞬時に押し潰されかねない行動であるが、それでも二人の祝福行為は止むことを知らない。
いや、正しく言うならば、もう彼女達は止まることが出来ないのだ。
咲夜は知っている。自分の声が途切れたその時が、全ての終焉となる事を。
早苗は知っている。拍手を送るこの手は、幻想郷の命綱を握る手そのものであると。
その時だった。
「「おめでとう」」
咲夜のものでも、早苗のものでもない、まったく別のところから飛んだ声。そして、やや遅れて聞こえて来たのは、ぱちぱちと手を叩く音。
それだけには留まらず、音の発生源は時と共にその数を増やしていった。
二人が取った行動は、後先を一切考えない、あまりにも無謀なもの。
だが、その愚直なる想いは確かに、凍った時を動かし、そして奇跡を呼び起こしたのだ。
「いやあ、めでたいな。何がどうなってるのかサッパリだけど、とにかくめでたい! うん!」
「理解してから言いなさいよ。……あー、はいはい、おめでと。というか、あんた達そういう関係だったのね」
最初に届いた声は、満面の笑みを浮かべた霧雨魔理沙、そして、呆れ混じりの博麗霊夢のものだった。
当初の早苗の推測とは異なり、彼女等は争奪戦とはならなかった。争うであろう面々が、ことごとく早苗と同じ結論に達した為である。
その結果、今日は何故か誰も声をかけてくれない。と心の中で涙目になっていたところ、互いに盲点となっていたその存在を認め、晴れてペア結成と相成った次第である。
深読みも牽制も程々にといったところか。
「おめでとう。なんか主人共々あんた達に凄く虚仮にされた気がしないでもないけど、おめでとう。せいぜい苦しんで死になさい」
「言うまでもないでしょうが、内心では凄く興奮してますよ。あ、おめでとうございます。お幸せに」
続いての祝福……らしき声は、あまり大きくもない妖夢と鈴仙よりも、更に低い目線から届けられた。
レミリア・スカーレットに、古明地さとり。何か知らないけど気が付いたら妹同士が組んでいた。との理由から、必然的にペアとなった二人である。
実のところ、この二人はこれが初対面であったのだが、その相性は思いのほか良好だった。
さとり曰く、ここまで心の表裏がはっきりしている相手は逆に珍しくて好感が持てる、との事だ。
ちなみに、お互いにまだ名前すら知らないことには気付いていない。
「おめでとうございます。これから先、苦難に見舞われることもあるでしょうが、それでもきっと貴方達であれば乗り越えられるものと信じています。お二人の未来がより良きものとなりますよう……」
「欠けていた君の欲が満ちているのがわかります。どうやら我々とは異なる道を歩む事を決めたようですね。……と、これは無粋かしらね。おめでとう。心より祝福します」
些か堅苦しい言葉と共に祝辞を述べるのは、幻想郷を代表する宗教家、聖白蓮と、豊聡耳神子。
おおよそ道の交わることは無いと思われていたこの二人、及び、彼女らを中心として形成された組織は、本日の宴席を契機に、電撃的に協調路線を歩むこととなった。
そこには、私達身内で固まりすぎじゃね? ヤバくね? という俗な意図など無い。無いといったら無い。
その際、霍青娥が、私はお約束を守らねばなりません。との極めて不可解な理由で神子一派から離脱して、某桃色髪の仙人とコンビを結成したり、人口比問題が存在する事に気付き、鉄の結束を誇っていた筈の妙蓮寺で目を背けたくなるような醜い内乱劇が沸き起こった事など、些細な問題である。
「よくやった! 感動した! ……じゃない、おめでとう二人とも。安心しろ、これから何があろうとも私はお前達の味方だ」
「阿呆かおぬしは。その物言いでは、これから何かがあると言うとるようなもんじゃろうて。この場は祝いの言葉だけでええんじゃ。うむ、おめでとう」
更なる祝いの言葉は、九尾の狐、八雲藍と、佐渡の化け狸、二ッ岩マミゾウから届けられた。
在り得ないという意味では最たる組み合わせとも言えたが、実際のところ、この二人は解り合った訳ではないし、そもそもにしてペアを組んだという意識もない。
単に、酒の勢いに任せて喧嘩と口論の境界線を二人で踊っていたところを、優曇華院大放送及び月面陵辱が行われた為、まだ話は終わっちゃいないが続きは後で。という事にして祝福に駆けつけたというのが真相である。
無論、第三者から見れば、こいつら狐と狸の癖にずっと一緒とか仲良しだな。といった認識でしかないのだが。
「「……」」
二人だけの世界から、強引に引きずり出される形となった妖夢と鈴仙は、何をするという訳でもなく、ただ呆然と祝福の波に身をさらしていた。
急激な環境の変化に心が付いて来ていない、といった様子である。
何を今更、と言いたいところではあるが、実際問題、つい数十分前までは友達でしかなかった二人が経験するには、本日の出来事は壮絶に過ぎた。
勢いに身を任せていた時ならばともかく、このような受身の立場に至るとなれば、多少放心したくらいで責めるのは、酷というものだろう。
その事を理解していたからか、それともただの偶然か、丁度二人が現状を把握した辺りの頃合で、その声は届いた。
「「おめでとう」」
飾りのない、シンプルな祝福の言葉。だがそれは、彼女らの耳には極めて鮮明に届いた。
何故ならばその声の主は西行寺幽々子と蓬莱山輝夜。紛れもなき、妖夢と鈴仙の主人達だったからだ。
「中途半端なら叱ってやるつもりだったけど、ここまでやられたら流石に脱帽よ。大きくなったわね妖夢。あら、目からオリーブオイルが……」
「幽々子様……」
「見直したわよイナ……鈴仙。貴方の、貴方達の覚悟、確かに見届けたわ。それにしてもこの枝、どうして樹液が赤いのかしら」
「姫様……」
少々言動に後遺症が見られはするものの、基本的に二人の様子は普段と殆ど変わりないものだった。
そんな日常的な光景であるが故、妖夢と鈴仙は改めて、今宵の出来事が確かな現実であったことを痛感していた。
「あー、言っておきますけど、今更無かった事になんて出来ないわよ?」
「そうね。でなければ、あの二人も報われないわ」
そう言って輝夜が一瞥を飛ばしたその先には、未だに意識の戻らない紫と、地面に木の棒で九九の七の段と格闘している永琳の姿があった。
妖怪の賢者と月の頭脳の末路としては余りにも気の毒な有様であるが、すべては幽々子や輝夜のように大らかに捉えることの出来なかったが故の悲劇であった。
「そんな気はありません。あのお二人がどうして壊れてるのかは知りませんが、私の想いは変わりません」
「いやいや妖夢。せめて自覚くらいしなさいな」
「わ、私もです。師匠の死は辛いことですが、それでも妖夢となら、きっと乗り越えて先に進めると思います」
「死なないから。死んでないから。まあ、魂的には死んだかもしれないけど……」
頼もしき従者達の発言に、主人達の突っ込みが冴え渡るという、普段とは逆のパターンであった。
「まあ、それは置いといて。貴方達には最後の一仕事が残ってるわ」
「……しごと?」
「仕事というか、義務ね。鈴仙、貴方はわかってる?」
「……ええと、済みません、全然わかりません」
幽々子と輝夜は、同時にため息をつくと、それぞれの従者に向けて、なにやら耳打ちをする。
周囲に聞こえないように、との配慮だが、その配慮に何の意味があるのかは定かではなかった。
もっとも、この主人達の考えなど、理解出来る訳も無いのだが。
「……とても今更って感じがするんですが」
「あら、そう? だって貴方達、想いを伝え合ったのは良いけど、その後のことについて一言でも具体的に話したかしら?」
「それは……あれっ、して……ない?」
「私の知る限りではしてないわね。まあ、今更であることは確かだけど、それでもやらないと駄目。それは祝福してくれた皆へ対する礼儀でもあるのよ」
「「……」」
妖夢と鈴仙は押し黙る。
ここに来てようやく、主人の思惑を理解したのだ。
ならば、自分達のすべきことは何か。
妖夢の視線が、真っ直ぐに鈴仙の元へと向けられた。
その視線に気付くと、鈴仙は小さく頷いてみせる。
言葉は不要。その領域まで達した彼女達だが、これから成さんとしている事は、それとは逆行するものといえた。
「……え、ええと、鈴仙さん」
「な、何でしょう、妖夢さん」
「あの、その、わ、私と、お付き合いして頂けますか」
「あ、は、はい、よ、喜んでお受けします」
これまでに散々、愛と欲望に塗れた言葉をぶつけ合った二人のものとは思えない、ぎこちなく青臭いやり取り。
だが、これこそが、彼女達が先に進む為に必要なもの。
そして、この混沌を極めた宴席のフィナーレに相応しいもの。
『おめでとう!!』
かくして、博麗神社の中心で愛を叫んだ二人は、晴れて成就の時を迎えたのだった。
◇
万雷の拍手に怒号混じりの祝福が宴会場を埋め尽くす中、早苗は密やかに胸を撫で下ろしていた。
人も妖怪も皆、刹那的に生きることを決めたのだ。ええじゃないか。
「結局、ゲームって何だったのかしらね」
ぼそり、と隣席の咲夜が呟く。
既に二人は、妖夢と鈴仙から離れ、元の席……紅魔館卓へと戻り、腰を落ち着つけていた。
別段、逃げたという訳ではなく、単に己の役目が済んだ事を悟ったのだ。
「あー、そういえば、これってゲームの組決めだったんですよね」
「私もアレを見るまで忘れてたわ。多分、覚えてる人なんて殆どいないんじゃないかしら」
咲夜の視線の先にあるアレ。
それは、宴会場の舞台上で、体育座りの姿勢で膝に顔を埋め、ピクリとも動かない文の姿だった。
自らの発言が招いた事態の重さに負け、精神の均衡を失い、自分だけの世界へと逃げ込んだ哀れな烏天狗の末路である。
「……てっきり新聞のネタ作り目的で、何か企んでいたものとばかり思ってました」
「ゲームとやらはそうだったのかもしれないけど、流石にここまでの大事になるとは思ってなかったんでしょうね」
もしかしたら、物理的な迫害……八つ当たりにでも遭ったのかもしれないが、今となっては真相を知る由も無い。
確かなのは、ゲームとやらの正体は不明、という客観的事実だけである。
(そう、もう意味なんてない……けど)
「……咲夜さん」
「ん、何?」
「ええと、ひとつお願いがあるんですが」
「お願い? まあ、無茶な事じゃなければ聞くわ」
「私と、ペアを組みませんか?」
それは、妖夢に遮られたことで、最後まで言えなかった言葉。
ゲームが事実上の企画倒れに終わった今、二人組を作る事に意味はない。
だが、それでもあえて早苗は口にした。
(……私もあの二人に感化されてるのかなぁ)
一瞬訝しげな表情を作った咲夜だったが、その意図を汲み取ったのか、直ぐに真面目なものへと変える。
そして、数秒の後。
「ええ、私でよければ」
小さく、そしてしっかりと頷いたのだった。
「まあ、ちゅーはしないけどね」
「そ、それは忘れて下さい」
「ふふっ」
わざとらしく頬を膨らませる早苗と、穏やかな笑みを浮かべる咲夜。
やがて、どちらからともなく手を伸ばすと、座卓の影に隠れるように、そっと重ねた。
賑やかに過ぎる舞台を、これまた派手に支えて見せた二人の、実に密やかなる触れ合いだった。
後に、この宴会は、一夜にして幻想郷の勢力図を一変させた異変として歴史に記録される事となるのだが、それはまた別の話である。
この宴会の一応の名目は忘年会である。慰労を意識して参加したものがいたかどうかは怪しいところだが、所詮は名目であるがゆえ問題は無い。
ともあれ、こうした自由参加の宴会が開かれたのは久方振りの事であり、今宵の博麗神社は、冬季の寒空の下でありながら中々の盛況振りであった。
境内に茣蓙やらレジャーシートやら緋毛氈やらペルシャ絨毯やらを敷き詰め、そこへありったけの座卓を並べるという急造感で一杯の会場には、何処から噂を聞きつけたのか、暇した人妖連中が幻想郷の各所から集まっては、飲食に歓談に遊戯に姦淫にと励み、さながら百鬼夜行の様相を呈していた。
騒がしい時が緩やかに流れ、良くも悪くも宴会場の雰囲気が弛緩し始めた時分。
宴会場の中心部、即ち博麗神社の建屋の近くに設えられている、子供の背丈程の高さの簡素な舞台。歌やら演奏やら踊りやら漫談やら、何か出し物があるならそこでどうぞ。という目的で用意されたそれに、新たな挑戦者が姿を見せた。
烏天狗、射命丸文である。
「はーい、ちゅーもくしてくださぁーい。これより、ちょっとした遊戯を始めますよぉーっ。ゲームでーす。レクリエーションでーす。ご協力お願いしまぁーす」
その大きく良く通る声からは、こうした場に慣れている事が伺えるが、些か呂律が回っていない。酒豪の彼女にしては珍しい様ではあるが、職務や取材といった枷を取り払い、一個人に戻れば案外このようなものだったりする。
宴会客らの反応はというと、積極的に聞き入る者やら、応援とも野次ともつかない声を上げる者、無関心を装いつつもしっかり耳だけは傾ける者など、おおむね好意的なものであったと言える。丁度暇になる頃合だったのだ。
が、その寛容な反応も、次の瞬間までのことであった。
「では、みなさーん、今から二人組を作ってくださーい」
ぴしり、と、空気が凍りつく音がした。
喧騒に包まれていた筈の会場から、一切の物音が消える。弛緩していた筈の空気は、瞬時に息の詰まるような緊張感に取って代わられた。それは、あまりに異様な光景だった。
だが文は気付かない。あるいは気付いていた上で無視したのかもしれない。何れにせよ、次に放たれた文の言葉が、あらゆる意味で止めの一撃となったことは間違いないだろう。
「あー、それともうひとつ、身内の人と組むのは面白くないんで禁止でーす。必ず他所の方と組んで下さいねー」
と、悪気の欠片も見えない、眩しい程に良い笑顔で、そう言ってのけたのだった。
時間にすれば、およそ数秒程度。しかし当事者にとっては永遠とも感じられる長い沈黙。それは、一つの行動によって破られた。
「へっくち!」
一人の妖怪が無意識の内に発したくしゃみ。さして大きくもない可愛らしいくしゃみだが、それは凍りついた時を動かす切っ掛けとしては十分だった。彼女の周辺にいた面々が、その音を皮切りに行動を開始したのだ。
何処かへと駆け出す。隣の人物と相談を始める。諦めたかのように寝転がる。と、行動形式は実に多様だったが、その様子を目にした者が、尋常ではない空気を感じ取って動き出すといった塩梅で、混乱はあっという間に会場全域に伝達していった。
そして、時間が経つにつれ、混乱はその度合いをより深めていく。
とある妖怪は逃げた。自分は孤独ではない、孤高なのだ。そう自分に言い聞かせて、宴会場から、そして現実から物理的に走って逃げた。
その先にあったものは、博麗神社の長い石段。精神の均衡を失い不確かとなった足取りは、その細い石段を踏み外すには十分な理由だった。
かくして一人蒲田行進曲ごっこの完成である。
とある妖精は戦慄した。近く訪れるであろう終末の時の情景を想像し、心の底から恐怖を覚えた。その結果、突如として隣席の同族に襲い掛かるという凶行に走った。
これでもう身内じゃない。そんな言葉をうわ言のように繰り返しては殴る蹴るを繰り返し、それを受けた相手もまた、歪んだ笑みを浮かべつつ反撃を開始する。
どこまでも醜く、そして悲しい戦いの始まりだった。
とある神は全てを悟った。ここは自分のいる場所ではない。ここに来るべきではなかった。己の役目はもう終わったのだと確信した。
存在意義の消失は、肉体の消失にまったく等しかった。その神は自らの存在を、音も無くあっさりと消滅させた。
当然ながら、その事実に気付いた者もまた、誰もいなかった。
それは正に、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「……あやや?」
混沌の坩堝と化した会場を、文はきょとんとした様子で見つめていた。
悲しいかな、この烏天狗は騒動を生み出した張本人であるにも関わらず、その原因について理解していなかった。いや、理解出来なかったとするほうが正解だろうか。
すべては彼女のリアルが充実していたが故の悲劇なのだ。
◇
騒乱の最中にありながら、一つの座卓に腰を落ち着け、静かに周囲の動向を見守っている三柱の神がいた。言わずとも知れた、守矢神社御一行である。
浮き足立たないのは流石と言いたいところだが、正確には、動くに動けずにいた、との表現が正しいだろう。
信仰を集める立場の者が、誰か私と組んでくださーいと叫んで回るなど言語道断である。が、あそこの神様ってペアを組む相手もいなかったんだって、うわーダッサ。との噂が立つのも、それはそれで体面が悪すぎる。
故に、どうにかしなければという思いを抱えつつも、座して転機を待つより他なかったのである。
「かみさまーっ!」
その転機は、以外と早く訪れた。
普段通り、杯片手に胡坐をかいて悠然と構えていた神奈子の元に、一人の少女が勢い良く飛び込んだのだ。……と言えば微笑ましい光景にも映ろうが、残念ながらその少女の名前は霊烏路空。即ち、飛び込みとはロケットダイブである。
常人であれば、この時点で死亡事故発生のお知らせだが、とんでもねぇ、相手は神様だよ。
「ぐふ……おっとと」
そして神奈子は強かった。
風神たる強大な力と、その豊満な胸部装甲、そして精一杯の虚勢をもって、空の突撃を見事に受け止めていた。
「ね、神様。私とフュージョンしよ?」
神奈子の懐に収まったまま、屈託の無い笑顔で見上げる空。
元より空に攻撃の意識が皆無であることは明白であり、神奈子もそれを理解した上でのやせ我慢だ。肋骨が数本持っていかれたことなどおくびにも出さない。神様も大変である。
「融合は困るわね、魔神だか地母神だかが誕生する。ああ、でもペアなら喜んで組むわよ」
「そうですか。では、セカンドプランでお願いします」
「何で急にサラリーマン口調になるの……」
「うにゅ?」
まるで成長していない。だが、それが良い。
そんな訳の分からない感想を浮かべつつ、意外な形で先行投資が実ったことを喜ぶ神奈子であった。
もっとも、肉体的ダメージとトレードオフではあるが。
(……ふぅ、良かった)
その様子を眺めていた早苗は、心の内でため息を吐いた。無論、安堵によるものだ。
事実上の主神であるが故に、自ら動く事もぼっちのままである事も許されない神奈子の存在は、風祝たる早苗にとっては一番の悩みどころであったが、それが真っ先に解決したのはまこと喜ばしい事だからだ。
が、心とはそう単純なものではない。それは、人であろうと神であろうと同じだ。
それまで黙して推移を見守っていた筈のもう一柱が唐突に立ち上がったのは、心の複雑さ故といった所だろう。
「さ、早苗っ、私ちょっと古馴染みに挨拶して来るよ」
返事を待たずして諏訪子は、喧騒の中へと慌ただしく飛び込んで行った。
それは、幼い外見とは裏腹に、土着神の頂点に相応しい強靭なメンタリティを誇る諏訪子をもってしても、動かずにはいられない程の事態であるとの証明だ。
簡単に言えば、神奈子に先を越されて焦ったのである。
(古馴染みって何万年前の話だろう……まあ、諏訪子様なら心配は無いか。それよりも今は自分の事ね)
一人、残される形となった早苗は、今後に向けて思考を巡らしはじめた。
ここまでの大惨事となった原因の一つ、身内禁止ルールは、元より早苗に影響を与える事はない。
守矢神社内で二人組を作るなら、間違いなく神奈子と諏訪子が組む事になり、早苗はあぶれる。例え本人達にその気が無くとも、早苗が組ませようとするからだ。
即ち、早苗は最初から外部のパートナーを探す必要があったのだ。
神奈子が片付き、諏訪子も自ら動き出した今、行動を抑える理由はない。ではその指針は?
(ええと……)
外部の人物で、真っ先に思い浮かんだのが三人。先日の異変において顔を合わせた面々である。
(霊夢さんは争奪戦だろうなぁ、魔理沙さんはもっと酷そうだし、妖夢さんは……無い。というか無理ね)
陰惨たる状況下にも関わらず早苗は冷静だった。今必要なのは確実な逆指名であることを知っていた。このドラフト会議に外れ一位という概念は存在しないのだ。
(……なら、あの人も……ん?)
秒にも満たない逡巡の後、その視線がとある一点へと収束される。
会場の中心に近い位置に鎮座する、ひときわ大きい座卓は、泣く子も黙るか指をさして笑い出すと評判の、紅魔館御一行席。本来ならば賑やかな雰囲気に包まれている筈のその場所は、今日に限っては、まるで台風の目の如き平静さを見せていた。
というのも本日は、動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジが体調不良とのことで物理的に図書館から動く事が出来ず欠席。当然、それに付き従う形で司書の小悪魔も欠席。そして、今の状況で自分が遊びに出る気にもなれないとの理由から、紅美鈴も門番の仕事に就いたままだった。
従って、本日の宴会における紅魔館からの参加者は、普段の僅か半分に過ぎず、こと今に至っては、どういう訳か当主姉妹まで不在であった。即ち、その席に着いているのは十六夜咲夜ただ一人だった。
両の手で包み込むように酒杯を抱えては、上目遣いでちらちらと周囲の様子を伺う様は、おおよそ小動物のそれに近い。普段の毅然とした態度は何処へやらといった感じである。
(意外……という訳でもないのかな)
彼女がペアを組む相手を選ぶとすれば、それは一にも二にも主人であるレミリアであり、そこには選択の余地などない。
また、その枷を外した場合であったとしても、浮上する相手はその妹だったり門番だったり居候だったりと、極めて紅魔館の内部に偏った人選が予測された。それは、この身内禁止ルール下においては致命的である。
それでいて咲夜は、実像はともかくとして、外面的には高嶺の花というイメージが強く、気安く誘いをかける相手としては些かハードルが高い。孤立もある意味必然だったと言えよう。
無論、早苗にとっては好都合以外の何物でもなかった。
「咲夜さん、貴方に決めましたっ!」
一人宣言すると、ついに早苗は動き出した。
蛇と蛙の動きを組み合わせた、まったく新しいが誰も真似しないであろう移動法で、巧みに障害物をすり抜け飛び越え、恐るべき速度で紅魔卓へとにじり寄った。
不穏な気配に気付いたのか、いつしか咲夜の表情が引きつった笑みへと変わっていたが、早苗はまるで意に介さず、その眼前に滑り込む。
「さ「咲夜さん」
早苗の言葉は、横から飛んだ声によってものの見事に遮られ、消えた。気のせいか咲夜の表情も安堵のそれが滲み出たように見える。
現人神たる私の行動を阻害するとは何事か、と、少々おかしなテンションのままに、早苗は声の主を睨み付ける。同時にその瞳は、驚愕に大きく見開かれた。ついでに鼻の穴も少し開いた。
咲夜の隣にちょこんと立ち、照れ臭そうに頬を掻いている小柄な少女の名は魂魄妖夢。
それは、ここにいる筈がない、ここにいてはならない人物だった。
(呆れた半人前だ。生かしておけぬ)
早苗は激怒した。必ず、かの厚顔無恥な庭師を調伏せねばならぬと決意した。
早苗には常識がわからぬ。けれども、交友関係に対しては、人一倍に敏感であった。
「あら妖夢。どうしたの?」
「はい、よろしければ私と組み「ラッセーラッ!!」
果たして妖夢の台詞は、腹部への痛恨打撃の前に中断を余儀なくされた。木人相手に日々研鑽を重ねた早苗の拳は、海は割れずとも妖夢の腹筋を割るには十分の破壊力であった。
鳴き声とも呻き声ともつかぬ奇妙な声を発しつつ、妖夢は地面に膝を突く。
「みょっ……さ、さなえしゃん……? にゃ、にゃにおするんでひゅか」
「お黙りなさい。貴方は今、自分がどれだけ罪深い行為に走ったのか分かっているんですか?」
「……ふぁい?」
何故こんな理不尽な仕打ちをとでも言いたげな怪訝な表情に、気の抜けた返答。妖夢が状況を理解していないのは明白だった。
早苗は、もう一発殴りたい衝動を抑えつつ、妖夢の顔を引っ掴んでは強引に起き上がらせる。
「い、いひゃいですよう」
「いいからさっさと起きて下さい。そして、その節穴と変わらない二つの目で、己の愚行が招いた結果を見届けなさい」
妖夢の視線が、早苗の手によって強制的に一つの方向に定められる。
今、二人のいる紅魔館御一行の席から、距離にして10メートルにも満たない、ほど近い位置。丁度ここを中心として守矢神社卓の対称に位置する一つの卓……永遠亭一行の席である。
他の面子は何処に行ったのか、その席には一羽の兎のみが取り残さる形となっていた。
その兎の名を、鈴仙・優曇華院・イナバという。
「……ぅ……ぇ……」
開いた両足の間に尻を落とす、いわゆるぺたん座りの体勢から、やや前傾しつつ両手を床に付け、上目遣いに視線を送るという、通称、雌兎のポーズ。
本来、庇護欲やら嗜虐心やらといったものをそそる筈のポーズだが、今日この時に至っては、唯一つの感想しか持ち得ない。それは、絶望。
蒼白を極め、もはや死人と変わりない顔色に、狂気を何処かに置き忘れ、黒く濁りきっている瞳。時折漏れるのは声にならない呻き声。明らかに尋常な様子ではない。
兎は寂しいと死んでしまう。それが俗説ではないとの証明が、今、成されようとしていたのだ。
「理解出来ましたか?」
「れ、鈴仙……?、あれ、何が……え?」
「はあ、この後に及んでまだすっとぼける気ですか」
早苗は大いに呆れた。
妖夢が鈍感であることなど重々承知済みだが、こと今に至って状況を理解していないのは困りものだった。
もう二、三発ほど拳を決めて覚醒を促すという手も考えはしたが、肉体的に覚醒されてはカウンター六根清浄斬で成仏してしまう故、却下である。
となれば、あとは言葉による喚起くらいしか道は無い。
「鈴仙さんは、貴方を待ってたんですよ。何か大変な事になってるみたいだけど、私には無関係よね。とか、そんな生温い優越感に浸ってたんでしょうね。まあ、私もそうするものだと思ってましたし、無理もないです」
「……」
「そんな時、暢気に咲夜さんに声をかける貴方を目にしたんです。落差が大きい分、受ける衝撃も相当なものでしょうね。中々サディストの素養がありますよ、妖夢さん」
「で、でも、私は、そんなつもりじゃ……」
「デモもストも無いですし、ツモもロンも無いんです。貴方が今すべき事は、私への言い訳ですか?」
そう言うと早苗は妖夢から手を離し、後方へと視線を送る。
話の流れに乗りきれなかったのか、ぼんやりとした様子で二人を眺めていた咲夜だったが、そこは完全で瀟洒なメイドの事。小さく頷くと、立ち尽くす妖夢の肩に手を置き、慈悲の笑みをもって語りかけた。
「何も難しく考える必要なんて無いのよ」
「咲夜さん……」
「自分に正直になりなさい。後先考えない無茶無謀な行動力こそが魂魄妖夢たる所以でしょう?」
「それ、褒め言葉ですか?」
「褒めてないわ。でも、今一番必要なものよ」
「……酷いなぁ。人を単純馬鹿みたいに」
効果は覿面だった。
妖夢は照れたような笑みを浮かべると、二人に向けて姿勢を正す。それは、彼女の中で気持ちの切り替えが完了した事を告げる合図だった。
なお、下げた後に持ち上げるのは洗脳の基本だが、それはこの会話とは何の関係も無い。らしい。
「咲夜さん。……あー、それと早苗さん。お二人共、ありがとうございます。私はまた間違えてしまうところでした」
「礼はいいから早く行きなさい。手遅れになる前にね」
「あれ、どうして私がおまけ的な扱い……いえ、何でもないですよ、ええ」
妖夢は小さく頷くと、二人から視線を切り、地面に片膝を着けるような体勢を取った。
少しでも速く鈴仙の元へ。その思いが形となって表れたものだった。
「魂魄妖夢……参る!」
私の目でも捉えられない程の速さだが、短い距離の直線かつ事前の準備が必要と、条件が多すぎるのが難点。とは、某新聞記者の言葉だが、果たしてその条件は強引に整えられた。
直線でないなら直線にしてしまえば良いとばかりに、己と鈴仙の間に存在する全てのものを無視して、妖夢は駆けた。
その際、二点間に存在していた不運な妖怪が数名、夜空の流星となって散ったが、妖夢は決して振り返らない。彼女にとって、これは紛れもなく戦いであり、戦いに犠牲は付き物なのだ。大迷惑である。
「さて、咲夜さん。私達も行きましょうか」
「行くって、野次馬でもするの?」
「人聞きの悪い事を言わないで下さい。妖夢さんをけしかけた以上、私達には顛末を見届ける責任があると思うんですよ」
「ものは言い様ね……でも、今はそれが正しいと見たわ」
二人は揃って鷹揚に頷くと、迷わず妖夢の後を追った。
博麗神社プレゼンツ、フィーリングカップル1VS1。実況は東風谷早苗、解説は十六夜咲夜でお届けしてまいります。
◇
「鈴仙っ!!」
距離にして五間。時間にして一秒未満の長く苦しい道程を経て、ついに妖夢は鈴仙の元へと辿り着いた。
流石に勢い余って鈴仙までも弾き飛ばしてしまうという事もなく、互いの息がかかるほどの距離まで詰め寄ったところでピタリと停止し、間髪入れず大きく呼びかける。
「……」
だが、鈴仙から一切の反応は無い。呆然と虚空と見つめたまま、時折掠れた呻き声を漏らすだけ。その瞳には狂気は愚か、一切の光を宿してはいなかった。
変わり果ててしまった鈴仙の姿を前に、妖夢は僅かに表情を歪めると、纏わりついた迷いを振り払うように頭を振り、厳かに口を開いた。
「聞こえていますか、鈴仙。……そのままでいいので、少し、私の話を聞いてください」
「……」
「私達が初めて出会ったあの永い夜の事、鈴仙は覚えていますか? 私は今でも鮮明に覚えています」
「……」
「幽々子様とはぐれて、一人で永遠亭を彷徨っていたところを、貴方は弾幕ごっこのお約束とかガン無視でヘッドショットでワンキル狙ってきましたよね。もしもあの時、コンマ一秒反応が遅れてたらと思うと今でもゾクゾクします」
『怖っ! 鈴仙さん怖っ! そりゃ忘れたくても忘れられませんって!』
『幻想郷では割とよくある事よ。あまり表に出てこないだけでね』
『うう、想像したくないなぁ……あれ? そういえば何で妖夢さん敬語なんでしょう』
『当時を思い出してるんじゃないかしら。砕けた口調で鈴仙と話すようになったのは、結構経ってからよ』
『へぇ……詳しいんですね』
『まあ、何気に付き合い長いから。もう十年近くにも……ゲッフン! ゲフン!』
『あ、いえ、気にしないでください。私だってもう幻想郷に来て五年以上経ちますが、未だに身も心も女子高生ですよ』
『……それはそれでどうかと思うけど』
いつしかサザエさん時空の恩恵と恐怖について語り始める早苗と咲夜。
が、本題とは何ら関係ないのでカメラを妖夢達に戻すことにする。
「そのまま何だかんだで弾幕り合って、お互いにぼろぼろになって主人の元に駆けつけてみたら、良い所なんだから邪魔すんなって言われたんですよね。酷いご主人様です」
「……」
「それから、二人で愚痴り合いながら、夜が明けるまで色んなことしましたよね。八意先生と咲夜さん達の戦闘を覗いたり、宝物庫を占拠してた魔女連中を排除したり、皆の分のご飯を準備したり……。今思えば、何をやっていたんでしょうね、私達」
『これが永夜異変の真実なんですか。色々と酷いなぁ。というか、名前が出てこないんですが、霊夢さんは何をしてたんでしょう』
『朝方に来たわよ。何でも、スキマ共々寝過ごしたらしいわ』
『本当に酷い……』
「それから私は、眼の治療の為に永遠亭に通院する事になって、その時は面倒な事になったなくらいにしか思っていなかったけど、丁度、門を潜った辺りで貴方を見かけて……その時貴方が、不器用な笑顔で小さく手を振って迎えてくれた事。何でもない光景の筈なのに、未だに鮮明に覚えてます。……とても、嬉しかったんです」
「……」
「次からは長距離通院も苦じゃなくなりました。……我ながら単純だとは思いますけど、それでも貴方と共に過ごせる僅かな時間が、とても幸せだったんです」
「……」
「完治したとの言葉を聴いた時、私は安心するよりも先に、残念に思ってしまったんです。だって、この眼が治ってしまえば、永遠亭を尋ねる理由が無くなってしまうから。……貴方に会う事が、出来なくなってしまうから」
妖夢の独白は続く。
鈴仙の元に辿り着くまでの蛮行。そして、時間の経過によりいくらか落ち着きを取り戻しつつあった宴会場の空気も相まって、既に相当な数の視線を集めているが、妖夢はまるで意に介さない。それどころか注目されている事に気付いているかも怪しい。
今の妖夢にとって、鈴仙の存在以外はすべてノイズであり、遮断されてしかるべきものだからだ。
天晴れな根性と見るか、もはや手遅れと見るべきかは、判断に悩むところである。
「だから、新規の顧客になって欲しいって理由で、貴方が白玉楼に姿を見せた時は驚きました。だって、冥界に薬を必要とする者なんて、私しかいないんですから」
「……」
「私の独り善がりじゃない。そう分かって、毎日が本当に楽しくなりました。一緒に遊びに出かけたり、お互いの屋敷にお泊りしたり……時には喧嘩もしましたけど、それも含めて、本当に楽しかったんです」
「……」
「……でも、それを今、私が壊してしまったんですよね」
妖夢は座り込んだままの鈴仙の背後へと周り、その肩を両手で抱いた。
反応は、無い。
「よく私は馬鹿だって言われますけど、まったくその通りですね。こんな事になって……やっと自分の気持ちに確信を持てたんですから」
「……」
「私は剣を振るう事しか脳の無い不器用な女です。だから……だから、こんな言い方しか出来ないけど、それでも聞いて欲しい」
『おや? 妖夢さんの口調が……』
『どうやら覚悟を決めたようね。ここからの妖夢は本気よ』
『え、今までので本気じゃないんですか』
『……ごめん。適当言ったわ』
『そういうアバウトなところ、嫌いじゃないです』
空気の読めない実況席を他所に、いつの間にやら妖夢は鈴仙の正面へと戻っていた。その口は真一文字に結ばれ、瞳も堅く閉じられている。
開かんとすれば、まずは蓋をすべし。
そんな訓示に従うかの如く、妖夢は溢れそうになる感情を、ぐっと押えつける。
時間にすれば僅かに数秒という短い時間に、自らの想い全てを凝縮させ――そして、開放した。
「私は貴方が……貴方が好きだっ! 貴方が欲しい!! 鈴仙!! レイセェーーーーーーーーーーーーーーン!!」
妖夢は叫んだ。
魂の咆哮とでも言うべき大音量で、愛しき者の名をひたすらに呼んだ。
何事かと寄り集まったギャラリーにより、完全に衆人環視となったその場で、一切構わずに叫んだ。
叫んで叫んで叫び続け、ついには息切れを起こし、それでももう一度とばかりに大きく息を吸い込んだその時。
「……よう……む……」
妖夢の純粋なる想いは、壊れかけていた鈴仙の心を、確かに捉えた。
光を失っていた双眸に、僅かに赤い輝きが戻り始め、その焦点が眼前の人物へと集約される。
そして蘇った感情は、言葉として世界に生み出された。
「鈴仙っ!」
「よう、む……妖夢っ!」
「レイセーーーーーーン!」
「よーむーーーーーーっ!」
「レイセーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!」
「よーむーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
手が届く程に近い距離であるのにも関わらず、ただひたすらに大音量で互いの名前を呼び合う二人。
やがて鈴仙は、ゆっくりと立ち上がると、目の前の妖夢の元へと飛び込んだ。
「バカっ!」
「へぷっ」
そして、力任せに拳を振るった。
お前は一体軍隊で何の訓練をしていたんだ。と突っ込みたくなる素人丸出しのテレフォンパンチなのだが、何故かものの見事に直撃を受けた妖夢は、まるで漫画のようにくるくると回転しながら吹き飛ぶと、大の字となって地面と一体化した。
何事かとざわついていた周辺が、別の意味で静かになった瞬間である。
『むぅ、あれはまさしくスーパーうどんげパンチ……』
『な、なんですって! 知っているんですか咲夜さん!?』
『正面からの大振りのパンチを回避したと思ったら後頭部に直撃を受けていた。この矛盾した現象を引き起こす、鈴仙の隠し技よ。他にも、秒間十発の打撃を叩き込む豪熱マシンガンうどんげパンチや、二倍の助走距離と取って、三倍の力を込めて両手で殴る事で十二倍の威力を発揮するウォーズマン式うどんげパンチのように、無限のバリエーションが存在するわ』
『なるほど、もうお前弾幕とか撃たずに殴ってろよ、って感じですね!』
何故か楽しそうな実況席であったが、当の本人達がそれどころではないことは言うまでもない。
鈴仙は殴り倒した勢いで妖夢に馬乗りになると、興奮に赤らんだ顔のままに声を荒げた。
「何、こっ恥ずかしいこと絶叫してるのよ大馬鹿っ!」
「うう、何か今日殴られてばっかり……い、いや、でも、これが私の本心だから……」
「本心じゃなかったらもっと怒ってるわよ! って、違う、そんな事が言いたいんじゃないの」
「……?」
疑問符を浮かべる妖夢を他所に、鈴仙は興奮を抑えるかのように深く息を吸い込むと、厳かに口を開く。
「ふぅー……妖夢の気持ち、良く分かったわ。妖夢がこういう時に出任せを口に出来るほど器用じゃないのも知ってるから……その、凄く、嬉しい」
「……うん」
「でも、ね、それなら……どうして咲夜のところに行ったりしたの?」
「あ」
「あ、じゃないでしょ! 私がどれだけショック受けたと思ってるのよっ!」
早苗の推測は、おおむね正しいものだった。
きっと妖夢は自分の元へ向かうだろうから、入れ違いにならないように待っていよう。そう信じて雌兎のポーズで待機していた鈴仙にとって、平然と咲夜に声をかける妖夢の姿はどのように映ったのだろうか。
その結果、比較しないでくれと豆腐側からクレームが付いたと噂の鈴仙のメンタルは、容易く素粒子単位まで崩壊し、あわや孤独死といったところまで追い込まれたのである。
「その、ごめん。あれは別に深い理由があった訳じゃなくて……わざわざ他所の人と組めって念を押すくらいだから、いつも一緒の鈴仙と組んだら拙いのかなって思って、そしたら丁度、咲夜さんが一人でいたのが見えたから……」
「……出来れば、私を先に視界に入れて欲しかったなー」
鈴仙は深くため息をついた。その内訳は呆れよりも安堵の要素が大半である。深く考えすぎであった事は鈴仙も自覚しているのだ。
『咲夜さん、咲夜さん。バカップルのダシに使われた気分はどうですか?』
『何でキラキラした目で言うの……。ま、本人達が幸せなら良いんじゃないかしら』
『……はぁ』
『早苗?』
『本当に丸くなっちゃいましたね。二時間前に出直してきな、とか言ってた男前の咲夜さんはもう帰ってこないんでしょうか……』
『ちょ、なんで貴方がその頃の私を知ってるの!?』
『女の子には秘密が多いものなんです』
もはや実況を放棄して独自の物語を展開しつつあった実況席は謹んで無視し、妖夢達である。
「鈴仙」
「な、なに?」
先程の大告白劇を経たことで精神的な成長を遂げたのか、それとも感情が麻痺しつつあるのか定かではないが、とにかく今の妖夢には一切の衒いがない。
その余りにも真っ直ぐな視線は、別段後ろめたいことも無いのに鈴仙の反応に戸惑いが混じってしまうほどだった。
もっとも、その体勢はマウントポジションのままなので、客観的には絵にならないこと甚だしいのだが。
「私の気持ちは伝えた。だから今度は、鈴仙の気持ちが知りたい」
「き、気持ちって、今更言わなくても分かってるでしょ」
未だに妖夢ほどに吹っ切れていない鈴仙は、ぷい、と視線を逸らしては、答えを濁す。
「きちんと言葉にしないと駄目な事ってあるんじゃないかな。多分、今がその時なんだと思う」
「ぐ、ぐう……」
妖夢らしからぬ物言いに、ぐうの音を出す事しか出来ない鈴仙。
頑なに答えを濁すことは、あらぬ誤解を生む原因となりかねない。それどころか、自らの想いすら不安定にしかねない愚行だ。
気持ちなど最初から決まっているのだから、後は鈴仙自身の覚悟の問題なのである。
「……わ、分かった、わ。言う。言うから、聞いて。妖夢」
しばらくの後、ようやくといった塩梅で、鈴仙が口を開いた。
覚悟を決めた割には、しどろもどろで、今にも消え入ってしまいそうな、なんとも頼りない声だったが、それでもかつての鈴仙を思えば大きな進歩である。
昔のままの彼女であれば、とうにこの場から逃げ出しているだろう。
「……い、言う、から……ふっ」
「……」
「……ふう……ふぅっ……」
「……」
「……はっ……ふひゅ……ひっ……ふっ……」
が、中々始まらない。それどころか、だんだんと鈴仙の呼吸が荒くなって来ていた。
立ち直ったとは言え、鈴仙のメンタルが極めて惰弱である事に変わりはない。故に、妖夢の心配は募る。
「れ、鈴仙、大丈夫?」
「……だ、だいじょ、ひぅっ……び。へっ、へいきだから、あんしん、して。はっ」
「安心できる材料が無いんだけど……」
「い、言う……いっ、今、言う、からっ……」
鈴仙は自分に言い聞かせるように呟くと、突如スカートのポケットから桃色の試験管を取り出し、その中身を一息に呷る。止める間も無い早業だった。
「ちょっ、鈴仙!? 今、何飲んだ!?」
「……そうよ、言うのよ……私の気持ちを……妖夢に……『伝えないと』」
「鈴仙ってば! ……えっ?」
それは、漠然とした違和感だった。
眼前から発されている筈の鈴仙の声が、どこかずれて聞こえている。まるで自分の中に直接響いたかのような感覚だった。
妖夢は反射的に視線を動かす。マウントポジションを取られている為、稼動範囲は微々たるものだったが、それでも早苗と咲夜の姿を捉える事は出来た。
「ん? んんっ? 鈴仙さんの声が近い? 音声さんの悪戯でしょうか」
「誰よ音声さんって。でも確かに妙な感じね」
二人は揃って怪訝な表情で、耳を叩いたり、周囲を見渡したりしていた。
おおよそ常識に囚われない早苗と、大抵の異変には動じない咲夜が、揃って警戒心を露にする程の現象。それの意味するところは何か。
(ま、まさかっ!?)
妖夢は知っていた。鈴仙の持つ能力と、その汎用性の高さについてを。
それ故か、慌てて鈴仙へと視線を戻すと、身を捩りつつ声を上げた。
「ま、待って鈴仙! 声! 声があちこちに届いちゃってるからっ!」
『届く……そう、言わないと届かないんだから……』
からん、と空になった試験管が、床に転がった。その名は天衣無縫の薬。壮大な名前の割には、ほんの少し心を開く手助けをするだけという、八意印らしからぬ無難な効能の薬。が、それをこの弟子に持たせてしまう辺り、やはり月の頭脳の詰めは甘いといわざるを得ない。
『私の、この想い……届いて!』
かくしてほんの少しだけ開かれた鈴仙の心は、言葉となって広がっていった。
波長を操る力によって、宴会場の枠をちょっと超えてしまう程度に。
優曇華院大放送、ここに開局である。
<紅魔館 大図書館>
七種の属性魔法を自在に操り、魔女として、そして知識人として確固たる地位を確立しているパチュリー。だが、天は二物を与えず、彼女は病弱だった。
故に、体調を崩すことも然程珍しくもないのだが、それが偶々宴会の日取りと重なってしまったのは不運であった。
本をこよなく愛するが故、必然的に引き篭もり同然の生活となってしまってはいるが、別段彼女は他者との交流を拒んでいる訳ではない。むしろ、体裁やらを気にする事なく交流を図れる場として、宴会は歓迎すべきものと捉えている程である。
そんな理由もあり、本日の彼女のご機嫌はあまりよろしいものではなかった。そして、その機嫌は更に悪化の一途を辿る事となる。
『妖夢! 好き! 大好き! 愛してるわ妖夢!』
「ぶふっ!」
寝台から半身を起こし、湯気の上がるマグカップを抱え込んでいたパチュリーは、文字通り噴き出した。
多少の事では動じない彼女とはいえ、唐突かつ大音量の告白が直接頭蓋を揺らしたのだから、驚きもしよう。
「だ、大丈夫ですかパチュリー様」
「……ええ。小悪魔、貴方にも聞こえてる?」
「え? あ、はい。一体何なんでしょう、これ」
『前から、妖夢よりももっと前から、初めて会ったあの夜から、ずっと好きだったのっ!』
絶えず耳に届き続ける、何者かの愛の告白。
不安げな表情できょろきょろと周囲を見回す小悪魔を他所に、パチュリーはその声の主、及び、ヨウムなる人物に関する情報を、脳内データベースから引き出す作業を開始する。
この知識人の脳内検索速度は重要性と反比例すると言われている。そして、この日は極めて速く結果が出た。
「……ああ、そういう事か。ふむん、狂気を操る能力とは良く言ったものね」
「……?」
「安心しなさい。別に呪いとかそういう類のものではないわ。例えるなら……そうね、音量の大きいラジオドラマかしら」
「ええと、チャンネルを変える権利とかは無いんでしょうか」
「無いわ。聴取率十割よ。スポンサーも大喜びね」
「は、はぁ」
『真っ直ぐすぎて融通の利かない所も、鈍感だけど純粋な所も、一途で意地っ張りな所も、全部、全部大好きっ!』
こんな馬鹿な真似、正気にて成し得る筈も無し。それが、彼女の結論だった。
結論が出た以上、これ以上の考察も問答も無用とばかりに、パチュリーはマグカップを小悪魔へ押し付けると、再び寝台へと潜り込んだ。
他人の色恋沙汰より、自身の体調を優先するのは当然の事。というのがその理由だ。
行けなかった時に限って楽しそうなことやってやがんなチクショウ。という子供染みた感情による不貞寝などでは、断じてない。
と、心の中でセルフツッコミを入れた辺りで、寝室の扉が勢いよく開け放たれる。
「ぱっ、パチュリー様! 何ですかこれは!? 新手のスタンド使い!?」
「……寝かせてよ、もう」
正気でありながら、能力の使い所を知らない門番の姿に、寝台の中でパチュリーは一つ、ため息を吐いた。
本は愛しているが、紅はまだまだという事だ。
<地底 旧都>
その能力を疎まれ、地上から追放された妖怪達が集う場所、地底。
が、当の本人達にそうした意識が残っているのかどうかは、甚だ怪しいものである。
それほどまでに、地底の妖怪は暢気で陽気だった。
『もう私は自分を誤魔化したりしない! 邪魔したい奴はさっさと出てきなさい! 全員脳天ブチ抜いてやるわっ!』
「何だかわからんが凄い自信だなぁ」
「恋敵じゃないのに自発的に出て行く人とか出てきそうだよね」
「あはは、確かに」
「何でそこで私を見るんだよ」
それを証明するかのように、今日も妖怪たちは賑やかに酒を酌み交わしていた。
唐突なる聴覚ジャックにもまるで動じない。彼女等にとっては、丁度良い酒の肴が出来た、くらいの感覚でしか無いのだろう。
もっとも地底の妖怪とて多種多様。受け取り方も千差万別である。
そのもっとも極端な例と言えるのが、彼女である。
「……ふふふ……」
パルスィは燃えていた。
歓談する妖怪の輪に入ることなく、一人静かに決意を固めていた。
声の主に心当たりはないし、そもそもにして興味もない。彼女が興味を示したのは、告白劇の内容ではなく、それが与えるであろう影響にあった。
『嘘よっ! 大嘘でしたっ! だって、そんな事に時間を使うより、もっとずっとしたいことがあるんだからっ!』
「これは私に対する挑戦ね。そう、どうせ私には何も出来ないとでも思ってるに違いないわ。ああ、妬ましい、どこまでも妬ましいわ」
「いつになく気合入ってるね」
「そだねぇ……気合入りすぎで、自爆しそうな気がするけど」
輪には入らないが、同じ場所で飲んでいることには変わりないので、その様子は他の面々からも丸わかりであった。
パルスィが楽しそうで何よりです、との理由から、本人のしたいがままにさせているという次第だ。
「という訳で、ちょっと行って来るわ」
「行くって、何処に?」
突如として席を立ったパルスィに、ヤマメが声をかける。
「この声が届いている範囲全部よ。今ならきっと、大量の嫉妬心が集められるに違いないわ」
「ああ、そういう事ね」
そう答えるも、ヤマメは半信半疑だった。
惚気ならばともかく、この声はまだ告白の段階に過ぎない。しかも、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい、分かりやすくストレートなものだ。それを耳にして生まれた感情が果たして嫉妬心と呼べるのだろうか?
そもそもパルスィ自身からして、嫉妬しているように見えないのだから、甚だ怪しいと言わざるを得まい。
が、それをヤマメが口に出すことはなかった。
恐らくパルスィは嫉妬心を抱いていない輩に対して、激しく嫉妬する事だろう。そしてその嫉妬心は、他ならぬパルスィの糧となる。恐るべき永久機関だ。
要は、止めようが止めまいが同じなのだ。ならば、止めないほうが楽しいに決まっている。
「ふふっ、何処の誰だか知らないけど良い度胸ね。橋姫たる私が何でメシを食ってるのか思い知らせてやるわ」
「その通りなんだろうけど、言葉にするとなんかサラリーマンみたいだよねそれ」
「部長! 今月の嫉妬ノルマ達成しました! とか?」
「あー、いいねいいね。それだと牛の刻参りは、新規顧客開拓だな」
「また皆して私を馬鹿にするのね……嗚呼、妬ましや、妬ましや」
「笑って言うとあんまり妬みっぽくないよ」
ともあれ、地底の面々は、今日も平常運転だった。
<彼岸 是非曲直庁>
『キスしたいの! 頬に! 口に! 身体中に! 心にっ!』
「……ぅぁー……」
「……」
空気が重かった。
三途の渡し守、小野塚小町が、本日の業務報告を済ませるべく、四季映姫の執務室を訪れた際に、それは唐突に始まった。
声の主、そして声の主の向こうにいるであろう相手が誰であるかは、知り合いなこともあって直ぐに気がついた。それは眼前でネルフ総司令ポーズのまま沈黙している映姫にしても思い当たりのある人物であろう。
だからこそ、気まずかった。
(あいつら何だってこんな事を……しかもタイミングが最悪だよ)
これが普通の宴会の場でもあったなら、普通に応援もするし、上手く行けば祝福だってするだろう。
だが、現実として、ここは職場であり、しかも極めて規律に煩い上司との一対一という場面だ。反応に困るのも当然である。
が、それでも小町は動いた。それは己の精神衛生面を慮っての強行突破だ。
「あ、あー、今日も良く働きましたねー、うん。そうだ四季様、久し振りに飲みにでも行きませんか。細かい事は忘れてパーっと」
「……」
「ぱ、ぱーっと……」
「……」
早くも小町の心は折れた。
せめて怒るなり何なりしてくれるなら対応のしようもあるが、押し黙られたのではどうにもならない。
こうなればもう、あらゆる感情を殺して業務報告を済ませ、速やかに退室する他ない。
そう決意した小町は、一歩、映姫の元へ歩み寄る。
と、その時だった。
「……よ、よくも、こんな……こ、こっ恥ずかしいことを……」
恐らくは、本人も意識して出しているものではない、かすれて消えそうな小さな声。
だが、それは確かに映姫本人の口から出ているものだった。
まさかと思いつつ小町は、伏せられたままの映姫の顔を、大胆かつ慎重に覗き込む。
完熟トマトフェイスだった。
(耐性ひくー!?)
ここで小町は、真相に辿り着いた。
映姫は怒っていたのではない。恥ずかしさに身悶えていただけなのだと。
『妖夢を抱き締めたいの! 潰しちゃうくらい強く抱き締めたい!』
「……し、しかも……全国放送とか……わ、わけがわからないです……有罪です……」
「あのー、四季様」
「ひゅぃっ!?」
距離が近くなったからか、小町の呼びかけに、映姫は鋭く反応した。
鋭すぎて、どこぞの河童のような鳴き声になっていたが。
「な、なんですか小町。脅かさないでください」
「いや、どうして普通に声掛けただけで驚かれなきゃいけないんです」
「そ、それもそうですね。え、ええと、それで、何の用件でしたか。結婚式の日取りについてですか。私は出来れば白無垢よりもドレスのほうが」
「四季様、四季様ってば。ノイズ入りすぎですよ。落ち着いて、とりあえず深呼吸しましょう」
「は、はい。……ふぅー……すぅー……ふぅー」
言われるがままに深呼吸を繰り返す映姫。威厳もへったくれもあったものではない。
が、それ故に生まれ出るものも、また存在する。
(可愛い生き物だなぁ……)
おおよそ、泣く子も黙る閻魔である相手に抱く感想ではない。が、閻魔が相手であるが故に、小町は自分の心に嘘を吐けなかった。
「……ふぅ。失礼、少し取り乱したようです」
「あ、いえ、もう平気ですか?」
「ええ、それでは報告をお願いします」
流石と言うべきか、この短時間で、映姫はすっかり我を取り戻していた。
これなら、もう少し身悶える様を眺めておくべきだったかと後悔を覚えた程である。
その空気を察したのか、映姫の視線に鋭いものが混じる。
「小町」
「は、はいっ、変なこと考えて済みません! 今後あたいは清廉潔白な善良死神を目指し……」
「訳のわからない事を言ってないで、早く報告を済ませなさい。時間が惜しいです」
「時間って、何か約束でもあるんですか?」
「……怒りますよ?」
映姫の視線が、更に鋭くなる。
「へ? ……あ、ああ、そういや誘ったのはあたいの方でしたね。返事を頂けなかったんで、てっきり断られたもんかと」
「……そうでしたか? ごめんなさい、少し記憶が曖昧で」
「あ、いえ、じゃあOKなんですね?」
「勿論です。ましてや今日は、とてもおめでたい日になったんですからね」
「……まあ、頭は大分おめでたいですよね、あいつら」
そんな軽口とは裏腹に、小町の表情はいささか緩んでいた。
果たしておめでたいのはどちらであったのか、判断を下すのはまこと難しいところである。
<月の都 綿月邸>
『私は妖夢のものになりたい! そして、心から尽くしたいの! それが私の喜びなんだから!』
これが玉兎通信というものか。と、御大将が吼えたかどうかはともかく、鈴仙の魂の叫びは、十万里の距離も物ともせず、月の都にもお届けされていた。
しかも完全一方通行かつ、拒否権無しのオープンチャンネルという傍迷惑な通信だ。
「凄いなぁ。良くここまで言えるわね」
「これって、レイセンだよね?」
「呼んだ?」
「お前じゃねぇ、座ってろ」
「空気読んだのに酷い……」
ともあれ、平穏だが退屈な日々を送る玉兎達にとって、この放送は良い刺激となった。
かつて共に過ごした仲間が、地上のこととは言え、新天地で色々な意味で頑張っている報を耳にして悪い気がする筈もない。ましてやそれが、色恋沙汰であればなおさらだ。
「……ふぅ……」
訓練を放り出し、雑談に興じている玉兎達を前に、綿月依姫は深くため息を吐いた。
本来ならば、叱責してしかるべき場面であるが、事が事だけに、さしもの彼女も紡ぐべき言葉を見つけられずにいたのである。
いったい何処の世界に、逃げだした場所へと向けて、愛の告白シーンを生放送でお届けする脱走兵が存在するというのか。
この世界にいたのだ。しかも、自分の元部下に。
開いた口が塞がらないとはまさにこの事である。
「ねえ、よっちゃん」
「その呼び方止めて下さい。兎達の前ですよ」
いつしか依姫の隣には、豊姫の姿があった。
基本的に訓練の場に顔を出すことのない姉が、ここにいる理由。それは推測するまでもなく、ひとつしかない。
「いいじゃないの別に。誰も私達に関心なんて無いわ」
「それはそれで問題です」
「奔放であってこその玉兎よ。……まあ、奔放過ぎる子もいたようだけれどね」
当然ながら、話題はそこに帰結する。
依姫は、もう一度ため息を吐くと、おもむろに口を開く。
『そして、もっと妖夢と喜びを分かち合いたいの! もっと強く、深く!』
「馬鹿な子です。自ら穢れた地に身を落としたに留まらず、このような真似まで仕出かすとは」
この無茶苦茶な行動からして、臆病なところは克服出来たのかもしれないが、それ以上に問題点が増えているのではないか。というのが依姫の分析だった。
もう今となっては直接関わることは出来ないが、それでもかつては上司として、そして飼い主として共に過ごした兎だ。思うところもあって当然である。
故に依姫の表情は、今ひとつ浮かなかった。
「ヨウム……鳥? まあ、誰だか知らないけど大したものね。あの、超が付くくらい引っ込み思案だった子にここまで言わせるなんて、どんな手管を弄したのかしら」
「お、お姉様?」
対称的に、豊姫は心底楽しげな様子だった。
訝しむ依姫の視線に気付くと、わざとらしく咳払いなどをしては、依姫へと向き直った。
「あー、うん、分かってるわ。地上に住まう者はそれだけで罪。だから罰を与えなくてはいけないわね」
「……」
なんでやねん。と突っ込むことはしない。姉の言わんとする事を、おぼろげに察した為である。
「ええと、一生地に這い蹲って生き、死ぬこと。そして……」
「そして?」
「二人で一つの墓に入ること、かしら」
「……なるほど」
何故だか、深く感心する依姫であった。
<博麗神社 境内>
「妖夢ぅーーーーーーーーっ!! 大好きぃぃーーーーーーーーーーっ!!」
力を使い果たしたのか、それとも薬の効能が切れたのか、それまでの直接耳に届くような声ではなかったが、それでも宴会場全域を振るわせるほどの大音量の叫びをもって、鈴仙の告白は締められた。
時間にして四分と三十三秒。無音とは対極に位置する、騒がしさの極みの如き時間だった。
『若さって、何なんでしょうね』
『振り返らない事よ』
呆れと感慨の入り混じった複雑な表情のままに、何処かで聞いたようなフレーズを口にする早苗と咲夜。
ちなみにこの二人は、妖夢や鈴仙よりも年下だ。
それはさておき、鈴仙である。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、は、っ、ふぅーっ……」
「……」
不足した酸素を一気に取り戻さんとばかりに、荒く呼吸を繰り返す鈴仙。機関銃の如く捲し立て続けた弊害だ。
もっとも、無尽蔵のスタミナの持ち主である彼女の事、収束は時間の問題だった。
「はぁーっ、ふぅーっ、ふぅー……はぅー」
「……」
「ふぅーっ……ふぅーーっ……ふぅっ」
「……落ち着いた?」
「ふー……え? あ、うん、平気、だと思う」
丁度、呼吸が整った頃合に飛んできた眼下から声に、鈴仙は反射的に返事を返した。その瞳は、先程までのような怪しい輝きを見せてはいない。落ち着いたという言葉は、呼吸のみならず精神的な意味でもあったようだ。
となれば、次に行うべきことは、現状の把握である。
(……えーと……えーと……ええ、と……っ)
平静を取り戻した筈の鈴仙の顔が、みるみるうちに赤く染まって行く。
ここに来てようやく、自分の行った行為と、それがもたらしたであろう結果にまで思いが至ったのだ。
そして、とどめとばかりに、ウサ耳という名の受信アンテナに、着信のお知らせが鳴り響く。
『レイセーン、良く頑張ったねー。後で上手く行ったかどうか教えてねーっ』
それは玉兎通信。
即ち、自分の言葉が、漏れなく月の都にまで届いたという証拠であった。
「ま、待って! 違うの! いや、違くないけど違うんだってば! 内緒! これ内緒で! トップシークレット扱いでお願いします!」
意味不明な抗弁を始める鈴仙だったが、すべては遅すぎた。月面世界にまでお届けされたこの情報。もはや幻想郷を消滅させたところで封鎖する事など出来はしないだろう。
しかも発信源は、他ならぬ鈴仙本人である。何とも救い難い話だ。
「鈴仙」
「わ、私、その、あの、そ、そういう事じゃなくて、その、ええと、うあー」
「ありがとう」
いつの間にかマウントポジションから抜け出していた妖夢が、ぎゅむ、と鈴仙を抱き締めた。
「よ、妖夢っ?」
「きっと、私は不安だったんだ。鈴仙がいつも一緒にいてくれるのは、優しいだけだからじゃないのか。本当は無理に付き合わせているんじゃないかって」
「そ、そんなこと、ない。私は本当に……」
「うん。鈴仙の気持ち、伝わった。凄く強く伝わったよ。だからもう私は二度と迷ったりしない。……無理させちゃって、ごめんね」
「……」
「そして……こんな私を好きになってくれて、本当にありがとう」
その抱擁、そして妖夢の真摯な言葉は、存分に浮き足立っていた鈴仙の心を落ち着かせた。
鈴仙は、されるがままに宙をさまよっていた手を、そっと妖夢の背中へと回す。
「……こんな、ね。確かに妖夢は他人の気持ちに疎いし、どうしようもなく無鉄砲だし、そのくせ妙なところで臆病になるし、変に気を回そうとしてかえって事態を悪化させたりするけど……」
「うぅー」
「そんなところも含めて、私は妖夢の事が好き。大好き」
「……鈴仙」
「でも、ね」
そこで言葉を切ると、鈴仙は妖夢から目を背け、その身体を突き放した。
予想外の行動だったのか、妖夢は押されるがままに抱擁を解く。
「それと全国中継は話が別なのぉーーーー! うわぁーーーーーーーーん!」
そして鈴仙は、雌兎のポーズを取っては、人目を憚らず泣いた。
自業自得とはいえ、優曇華院大放送という事実は、彼女にとっては重すぎる出来事だったのだ。
「うーん。案外、大丈夫じゃないかな。自分の名前は出してなかったでしょ?」
「そういう問題じゃないのよぅ。恥ずかしいのよぅ。うう、でも妖夢はもっと恥ずかしいよね。ごめん、ごめんね。アホな兎で本当にごめんねぇ……」
「あー、そうか。私の名前だけが知れ渡ったって事になるのね……」
『ええと、私の集計によると十六回呼んでますね』
『よくも呼んだりね。今、幻想郷知名度ランキングでも始めたら、一瞬で二位決定戦に成り下がるんじゃないかしら』
『二位じゃ駄目なんですか?』
『誤解を招く発言はやめなさい!』
親切かつ残酷な実況席であった。
が、その事実が明らかになった今も、妖夢に動揺の兆候は見られない。むしろ、何処か誇らしげな様子すら伺えた。
「……怒ってないの?」
「好きな人から名前を呼ばれて怒る意味が分からないよ。まあ、恥ずかしくないと言えば嘘になるけど、それ以上に嬉しかったから」
「妖夢……」
ぴこーん、と効果音。
これ以上無いと思われていた鈴仙の妖夢に対する高感度が、さらに上昇した瞬間だった。即ち、バグである。
汚物は消毒されなければならないように、バグもまた修正されなければならない。そうでなければ怒りの日を迎えてご覧の有様となってしまう。
そうした意図があったかどうかはさておき、妖夢の次なる台詞は、鈴仙に生じたバグを修正し、そして新たなバグを生むこととなった。
「それに私はこれから、もっと馬鹿な事をしようと考えてるから」
「……へ?」
ぽかん、と間抜けに口を空ける鈴仙を他所に、妖夢は徐に立ち上がる。
その視線の先は、雲ひとつ無い満点の星空。そして、今宵も力強い輝きを放つ満月があった。
「……少し前、私と幽々子様がひと月くらい冥界を離れていたこと、覚えてる?」
「え? あ、うん、出張だっけ?」
「うん。その出張先っていうのが、月だったの」
「へぇ。……え?」
まさに青天の霹靂だった。
鈴仙にとって、妖夢と月は、イコールで結ばれない、まったく別世界のキーワードだったからだ。
「と、いっても色々と動いてたのは幽々子様。私は何をするでもなく、ただ後を付いて回ってただけ。……で、気が付いたの。理由は分からないけど、月の住人は、私の存在をまったく認識していない事に」
「……どういう事?」
「だって、玉兎……だっけ? 鈴仙の元同僚さん達。あの人たち、幽々子様とは普通にお喋りしてたのに、私とは視線すら合わせなかったんだもの」
「無視されてた……って事はないわね、流石に」
鈴仙は余所行きモードの妖夢の厄介さを良く知っている。いくら玉兎が暢気とはいえ、そんな危険人物を放置しておくほど呆けてはいないだろう。
浄土たる冥界に住まう亡霊が、穢れを嫌う月において自由に行動できるのは理屈として分かるが、半人半霊なる生物学に真っ向から喧嘩を売るような種族の妖夢は、月の住人にはどのように映ったのか。
既に、地上の住人である事を自認している鈴仙には、まったく想像が付かなかった。
「で、幽々子様はやっぱり何も教えてはくれない。そして月の連中は相変わらず私の事に気付かない。銃に泥詰め込んでもただの暴発事故として扱われてたし、ちょっと制服着てみたら、なんか知らない子が冤罪で罰則受けてたし、桃の木を柿の木に植え替えても全然気付かずに食べてるし……」
「ちょ、何やってんの!?」
「……そうしたらもう、何もかも馬鹿らしく思えてきちゃって……それで、どうせなら私のやりたい事をやってやろうって、そう決めたの」
「いや、もう十分好き勝手やってる気がするんだけど」
鈴仙の突っ込みは、余裕の笑みを持ってスルーされた。
今の妖夢からは、紛れも無き大人物のオーラが漂っている。そして、その大人物とは間違いなく犯罪者だ。
「私と月の接点なんて、結局は鈴仙にしか無い。でも逆に言えば、鈴仙の存在があったからこそ、私は月にいる意味を、その理由を見出す事が出来た」
言いながら妖夢は、その小さな身体に見合わぬ長大な太刀、楼観剣を抜き放った。
魂魄流が太刀を担いだら用心せよ。とは誰の言葉だったか。そもそもにして妖夢は、ほぼ一日中太刀を担いでいるので、幽々子などは気の休まる暇が無くなってしまうのだが、そういう問題ではない。
重要なのは、妖夢が剣を抜いた事の意味である。
「私は奇術師ではないけれど、一月もあれば仕込みをする事くらいは出来る。その種明かしに必要な条件は二つ。一つは、満月の夜であること。もう一つは……」
「よ、妖夢? さっきから何を言ってるの?」
妖夢は答えず、ただ一瞬だけ視線を鈴仙へと向ける。
その瞳の色は、いつしか紅に染まっていた。
「鈴仙、貴方が私と共にあることだ」
刹那、妖夢の振るう楼観剣の煌きが、夜空を奔った。
待宵反射衛星斬。
狂気の力を用いて全てのものを斬り潰す、妖夢最後の切り札は、皮肉にも、その力の源である月に向かって放たれた。
いかな奥義とて、未だ完成ならぬ少女一人の力では、月面に与えられる影響など、せいぜいそよ風程度のものに過ぎない。
だが、此度に限っては、それだけで十分だった。
「……えっ……」
鈴仙が小さく呟くと同時に、妖怪の賢者は脳梗塞を起こして倒れ、月の頭脳は九九の七の段の答えが解らなくなり、華胥の亡霊は鼻からスパゲッティを噴き出し、永遠の姫君は奇妙な盆栽を粉砕した。
月面に刻まれていたのは、地上から容易に確認できてしまう程の巨大なハートマーク。そして、その中には、これまた巨大な二つの名前が印されていた。
妖夢。そして、鈴仙である。
この一世一代の大仕事こそが、妖夢にとっての月面戦争だった。
「良かった、漢字だから潰れて見えないか不安だったけど上手く行ったみたい。……私の好きな鈴仙は、カタカナじゃないからね」
「……」
何故か晴れやかな表情で語る妖夢だが、反応は無い。
見れば鈴仙は、何時の間にか元の雌兎のポーズに戻っており、その視線も妖夢ではなく、月に向けられたままである。
不安を覚えた妖夢は、楼観剣を鞘へと収めると、鈴仙の元へと近寄り、膝を突いてその顔を覗き込んだ。
「……鈴仙?」
「……は……ふぅ……」
赤……というよりは桃色に染まった頬。潤んだ瞳。漏れる吐息はねっとりと熱い。
かつての妖夢であれば、さては風邪でも引いたか、と惚けていただろう。が、この短時間において、妖夢の恋愛経験値は、はぐれメタルを乱獲したかの如く急上昇を遂げている。
故に理解出来てしまった。
(は、発情してる、の?)
どうしてこうなったのか、玉兎の生態に詳しい訳でもない妖夢には解らない。
が、妖夢一世一代の大仕事が鈴仙の中二病的な感性にジャストフィットしたことだけは確実だった。
「あ、あの、れい、むっ」
霊夢ではない。一時的な肉体の接触により、妖夢の発言権が剥奪されたのである。
五秒。
十秒。
十五秒。
二十秒。
ついには三十秒を超え、そろそろ酸素的な意味で危機感を覚え始めた頃合になり、ようやく鈴仙の唇が離れた。
押し倒しに移行しない辺りから、どうやら、ギリギリのラインで踏みとどまったようだ。
「……」
レベルは上がっても、スキルが足りていなかったのか、彫像と化した妖夢。
そんな様子を、鈴仙は潤んだままの瞳で見つめつつ、その頬を愛しげに撫でた。
「……ばか……」
「……」
「……これじゃ私、もう月に帰れないじゃないの……ばぁか……」
「……違う」
鈴仙の声には金の針でも混ざっていたのか、彫像化の解除されていた妖夢が、ぼそりと呟く。
「……違うって、何が?」
「鈴仙の帰る場所は、月じゃない……よね?」
「……んっ……そう、だね。私の帰る場所は……」
最後まで言わせないとばかりに、妖夢は力一杯、愛しき兎を抱き締める。
鈴仙もまた、それを待ち望んでいたかのように、されるがままに受け入れていた。
ここは紛れも無く二人だけの世界だった。
◇
完全に己の世界に入り込んだ故か、二人は気付かない。
宴会場の雰囲気が、それまでのものとは明らかに変質しつつあることに。
それは、とある一人の妖怪が、無意識の内にぼそりと呟いたある一言に集約されていたと言えよう。
「無いわー」
即ち、ドン引きだった。
優曇華院全国放送の時点で既にギリギリのラインを走っていたのだから、この妖夢の手による月面陵辱はラインアウトを招いて当然と言えた。
物事には限度がある、といった常識的な感想や、もうお前ら二人で無人島にでも行って来いよ、等という妬みを超えた呆れ。そして、もしかしたら我々はとんでもない連中に関わってしまったのではないか、という純然たる怖れ、等々。全員が全員ではないにせよ、それまで心の内に燻っていたものが噴出するには、十分な切っ掛けであった。
熱気に包まれていたはずの博麗神社には、いつしか氷河期にも達せんとする寒気が忍び寄っていたのである。
だが、そんな空気の元にあっても、まだ二人には味方がいた。
我等がメイド長にして、そしてうどみょん一級解説者、十六夜咲夜である。
「死ねばいいのに……」
おい、カメラ止めろ。
(おほん……これは拙いわね)
咲夜は唇を噛んだ。
濃密なうどみょん空間にあてられ、若干の苛立ちと殺意を覚えたりはしたものの、それでも基本的に彼女は二人の味方である心積りであった。
だが、あまりにも状況が悪い。この空気を良好なものに変えるのは容易ではない。なにしろ、どう言い訳をしようが、月を見るたび嫌でも思い出してしまうのだ。
時間を止めて二人を圏外まで連れ出す。という手も考えはしたが、それはただの問題の先送りでしかない。
ここまでの事をやらかした以上、妖夢と鈴仙は最後まで勝者でなくてはならない。それが例え、どれだけ険しい道であったとしても。
『私達には顛末を見届ける責任があると思うんですよ』
行動を共にする切っ掛けとなった早苗の言葉が、咲夜の脳裏を過ぎった。
それはきっと、ただの名目だったが、今となっては、正鵠を射た発言である。
だが、それだけでは足りないのだ。
「咲夜さん」
何時の間にか隣席の早苗の視線が、真っ直ぐに咲夜へと向けられていた。その双眸に秘められたるは、確固たる決意。
(……大したものね)
自分よりも一足先に結論に辿り着いたであろう早苗に、咲夜は心の中で賛辞を送る。
幻想郷では常識に囚われてはいけない。
何かと物議を醸す早苗の行動指針ではあるが、この日この時ばかりは、賛同せざる得なかった。
「私達もちゅーしましょう」
「なんでやねん!」
無意識の内に、咲夜は突っ込みを入れていた。
これは紅魔館に籍を置く者の基本スキル故、致し方ない事である。
「なんでやねんとはなんでやねん! 場を和ませようと思っただけでんがな! フルーツおいしいねん!」
「関西の人に怒られるからその辺で止めなさい長野県民。大体、私達だけが和んでも仕方ないでしょうに」
「し、失礼しました。でも、私は大真面目ですよ。だって、私達まで悲壮感出してたら意味が無いじゃないですか。これからやる事って、そういうものですよね?」
「……凄いわね、貴方」
皮肉ではない、本心からの言葉が、咲夜の口から零れた。
「えへへ、それほどでもあります。だから、今が余りのんびりしていられない時だって事も知ってますよ」
「そうだったわね。……責任を持つ以上は私達も最後まで足掻いてみせないと駄目。行くわよ、早苗」
「はい! 任せて下さいっ!」
そして二人は、実況席を立った。
不退転の決意を胸に秘めて。
妖夢と鈴仙は未だに自分達の世界に入り込んだままだった。だが、それは永遠という訳ではない。
嫌が応でも時間は流れ、時間が経てば熱は収まる。熱が収まれば当然、鈍い彼女等であっても、空気の変化に気付いてしまう。そうなれば全ては終わりだ。
待っているのは氷河期か、それとも銃と剣の殺人鬼の誕生か、はたまた爆発オチか、いずれにしてもろくな結末ではあるまい。
なればこそ、その絶望的な未来を変える為に、彼女達はここにいた。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
いつしか静けさすら感じられるようになった宴会場の空気を、二つの祝福の声が切り裂いた。
咲夜と早苗は、満面の笑みで、絶え間なく拍手を送りつつ、ただひたすらに祝辞を送り続ける。
完全に退路を断った背水の陣。根性で耐えて回復薬を飲まない荒行。帰りの電車賃を注ぎ込んだ単勝一点買い。表現は色々あるが、もっとも適切なのはこれ。
ヤケクソだった。
「おめでとう! 本当におめでとう! 二人とも幸せになってね!」
「こんなにおめでたい事はありません! 神前式の際には是非、守矢神社をよろしくお願いします!」
重すぎる空気の前に、ともすれば瞬時に押し潰されかねない行動であるが、それでも二人の祝福行為は止むことを知らない。
いや、正しく言うならば、もう彼女達は止まることが出来ないのだ。
咲夜は知っている。自分の声が途切れたその時が、全ての終焉となる事を。
早苗は知っている。拍手を送るこの手は、幻想郷の命綱を握る手そのものであると。
その時だった。
「「おめでとう」」
咲夜のものでも、早苗のものでもない、まったく別のところから飛んだ声。そして、やや遅れて聞こえて来たのは、ぱちぱちと手を叩く音。
それだけには留まらず、音の発生源は時と共にその数を増やしていった。
二人が取った行動は、後先を一切考えない、あまりにも無謀なもの。
だが、その愚直なる想いは確かに、凍った時を動かし、そして奇跡を呼び起こしたのだ。
「いやあ、めでたいな。何がどうなってるのかサッパリだけど、とにかくめでたい! うん!」
「理解してから言いなさいよ。……あー、はいはい、おめでと。というか、あんた達そういう関係だったのね」
最初に届いた声は、満面の笑みを浮かべた霧雨魔理沙、そして、呆れ混じりの博麗霊夢のものだった。
当初の早苗の推測とは異なり、彼女等は争奪戦とはならなかった。争うであろう面々が、ことごとく早苗と同じ結論に達した為である。
その結果、今日は何故か誰も声をかけてくれない。と心の中で涙目になっていたところ、互いに盲点となっていたその存在を認め、晴れてペア結成と相成った次第である。
深読みも牽制も程々にといったところか。
「おめでとう。なんか主人共々あんた達に凄く虚仮にされた気がしないでもないけど、おめでとう。せいぜい苦しんで死になさい」
「言うまでもないでしょうが、内心では凄く興奮してますよ。あ、おめでとうございます。お幸せに」
続いての祝福……らしき声は、あまり大きくもない妖夢と鈴仙よりも、更に低い目線から届けられた。
レミリア・スカーレットに、古明地さとり。何か知らないけど気が付いたら妹同士が組んでいた。との理由から、必然的にペアとなった二人である。
実のところ、この二人はこれが初対面であったのだが、その相性は思いのほか良好だった。
さとり曰く、ここまで心の表裏がはっきりしている相手は逆に珍しくて好感が持てる、との事だ。
ちなみに、お互いにまだ名前すら知らないことには気付いていない。
「おめでとうございます。これから先、苦難に見舞われることもあるでしょうが、それでもきっと貴方達であれば乗り越えられるものと信じています。お二人の未来がより良きものとなりますよう……」
「欠けていた君の欲が満ちているのがわかります。どうやら我々とは異なる道を歩む事を決めたようですね。……と、これは無粋かしらね。おめでとう。心より祝福します」
些か堅苦しい言葉と共に祝辞を述べるのは、幻想郷を代表する宗教家、聖白蓮と、豊聡耳神子。
おおよそ道の交わることは無いと思われていたこの二人、及び、彼女らを中心として形成された組織は、本日の宴席を契機に、電撃的に協調路線を歩むこととなった。
そこには、私達身内で固まりすぎじゃね? ヤバくね? という俗な意図など無い。無いといったら無い。
その際、霍青娥が、私はお約束を守らねばなりません。との極めて不可解な理由で神子一派から離脱して、某桃色髪の仙人とコンビを結成したり、人口比問題が存在する事に気付き、鉄の結束を誇っていた筈の妙蓮寺で目を背けたくなるような醜い内乱劇が沸き起こった事など、些細な問題である。
「よくやった! 感動した! ……じゃない、おめでとう二人とも。安心しろ、これから何があろうとも私はお前達の味方だ」
「阿呆かおぬしは。その物言いでは、これから何かがあると言うとるようなもんじゃろうて。この場は祝いの言葉だけでええんじゃ。うむ、おめでとう」
更なる祝いの言葉は、九尾の狐、八雲藍と、佐渡の化け狸、二ッ岩マミゾウから届けられた。
在り得ないという意味では最たる組み合わせとも言えたが、実際のところ、この二人は解り合った訳ではないし、そもそもにしてペアを組んだという意識もない。
単に、酒の勢いに任せて喧嘩と口論の境界線を二人で踊っていたところを、優曇華院大放送及び月面陵辱が行われた為、まだ話は終わっちゃいないが続きは後で。という事にして祝福に駆けつけたというのが真相である。
無論、第三者から見れば、こいつら狐と狸の癖にずっと一緒とか仲良しだな。といった認識でしかないのだが。
「「……」」
二人だけの世界から、強引に引きずり出される形となった妖夢と鈴仙は、何をするという訳でもなく、ただ呆然と祝福の波に身をさらしていた。
急激な環境の変化に心が付いて来ていない、といった様子である。
何を今更、と言いたいところではあるが、実際問題、つい数十分前までは友達でしかなかった二人が経験するには、本日の出来事は壮絶に過ぎた。
勢いに身を任せていた時ならばともかく、このような受身の立場に至るとなれば、多少放心したくらいで責めるのは、酷というものだろう。
その事を理解していたからか、それともただの偶然か、丁度二人が現状を把握した辺りの頃合で、その声は届いた。
「「おめでとう」」
飾りのない、シンプルな祝福の言葉。だがそれは、彼女らの耳には極めて鮮明に届いた。
何故ならばその声の主は西行寺幽々子と蓬莱山輝夜。紛れもなき、妖夢と鈴仙の主人達だったからだ。
「中途半端なら叱ってやるつもりだったけど、ここまでやられたら流石に脱帽よ。大きくなったわね妖夢。あら、目からオリーブオイルが……」
「幽々子様……」
「見直したわよイナ……鈴仙。貴方の、貴方達の覚悟、確かに見届けたわ。それにしてもこの枝、どうして樹液が赤いのかしら」
「姫様……」
少々言動に後遺症が見られはするものの、基本的に二人の様子は普段と殆ど変わりないものだった。
そんな日常的な光景であるが故、妖夢と鈴仙は改めて、今宵の出来事が確かな現実であったことを痛感していた。
「あー、言っておきますけど、今更無かった事になんて出来ないわよ?」
「そうね。でなければ、あの二人も報われないわ」
そう言って輝夜が一瞥を飛ばしたその先には、未だに意識の戻らない紫と、地面に木の棒で九九の七の段と格闘している永琳の姿があった。
妖怪の賢者と月の頭脳の末路としては余りにも気の毒な有様であるが、すべては幽々子や輝夜のように大らかに捉えることの出来なかったが故の悲劇であった。
「そんな気はありません。あのお二人がどうして壊れてるのかは知りませんが、私の想いは変わりません」
「いやいや妖夢。せめて自覚くらいしなさいな」
「わ、私もです。師匠の死は辛いことですが、それでも妖夢となら、きっと乗り越えて先に進めると思います」
「死なないから。死んでないから。まあ、魂的には死んだかもしれないけど……」
頼もしき従者達の発言に、主人達の突っ込みが冴え渡るという、普段とは逆のパターンであった。
「まあ、それは置いといて。貴方達には最後の一仕事が残ってるわ」
「……しごと?」
「仕事というか、義務ね。鈴仙、貴方はわかってる?」
「……ええと、済みません、全然わかりません」
幽々子と輝夜は、同時にため息をつくと、それぞれの従者に向けて、なにやら耳打ちをする。
周囲に聞こえないように、との配慮だが、その配慮に何の意味があるのかは定かではなかった。
もっとも、この主人達の考えなど、理解出来る訳も無いのだが。
「……とても今更って感じがするんですが」
「あら、そう? だって貴方達、想いを伝え合ったのは良いけど、その後のことについて一言でも具体的に話したかしら?」
「それは……あれっ、して……ない?」
「私の知る限りではしてないわね。まあ、今更であることは確かだけど、それでもやらないと駄目。それは祝福してくれた皆へ対する礼儀でもあるのよ」
「「……」」
妖夢と鈴仙は押し黙る。
ここに来てようやく、主人の思惑を理解したのだ。
ならば、自分達のすべきことは何か。
妖夢の視線が、真っ直ぐに鈴仙の元へと向けられた。
その視線に気付くと、鈴仙は小さく頷いてみせる。
言葉は不要。その領域まで達した彼女達だが、これから成さんとしている事は、それとは逆行するものといえた。
「……え、ええと、鈴仙さん」
「な、何でしょう、妖夢さん」
「あの、その、わ、私と、お付き合いして頂けますか」
「あ、は、はい、よ、喜んでお受けします」
これまでに散々、愛と欲望に塗れた言葉をぶつけ合った二人のものとは思えない、ぎこちなく青臭いやり取り。
だが、これこそが、彼女達が先に進む為に必要なもの。
そして、この混沌を極めた宴席のフィナーレに相応しいもの。
『おめでとう!!』
かくして、博麗神社の中心で愛を叫んだ二人は、晴れて成就の時を迎えたのだった。
◇
万雷の拍手に怒号混じりの祝福が宴会場を埋め尽くす中、早苗は密やかに胸を撫で下ろしていた。
人も妖怪も皆、刹那的に生きることを決めたのだ。ええじゃないか。
「結局、ゲームって何だったのかしらね」
ぼそり、と隣席の咲夜が呟く。
既に二人は、妖夢と鈴仙から離れ、元の席……紅魔館卓へと戻り、腰を落ち着つけていた。
別段、逃げたという訳ではなく、単に己の役目が済んだ事を悟ったのだ。
「あー、そういえば、これってゲームの組決めだったんですよね」
「私もアレを見るまで忘れてたわ。多分、覚えてる人なんて殆どいないんじゃないかしら」
咲夜の視線の先にあるアレ。
それは、宴会場の舞台上で、体育座りの姿勢で膝に顔を埋め、ピクリとも動かない文の姿だった。
自らの発言が招いた事態の重さに負け、精神の均衡を失い、自分だけの世界へと逃げ込んだ哀れな烏天狗の末路である。
「……てっきり新聞のネタ作り目的で、何か企んでいたものとばかり思ってました」
「ゲームとやらはそうだったのかもしれないけど、流石にここまでの大事になるとは思ってなかったんでしょうね」
もしかしたら、物理的な迫害……八つ当たりにでも遭ったのかもしれないが、今となっては真相を知る由も無い。
確かなのは、ゲームとやらの正体は不明、という客観的事実だけである。
(そう、もう意味なんてない……けど)
「……咲夜さん」
「ん、何?」
「ええと、ひとつお願いがあるんですが」
「お願い? まあ、無茶な事じゃなければ聞くわ」
「私と、ペアを組みませんか?」
それは、妖夢に遮られたことで、最後まで言えなかった言葉。
ゲームが事実上の企画倒れに終わった今、二人組を作る事に意味はない。
だが、それでもあえて早苗は口にした。
(……私もあの二人に感化されてるのかなぁ)
一瞬訝しげな表情を作った咲夜だったが、その意図を汲み取ったのか、直ぐに真面目なものへと変える。
そして、数秒の後。
「ええ、私でよければ」
小さく、そしてしっかりと頷いたのだった。
「まあ、ちゅーはしないけどね」
「そ、それは忘れて下さい」
「ふふっ」
わざとらしく頬を膨らませる早苗と、穏やかな笑みを浮かべる咲夜。
やがて、どちらからともなく手を伸ばすと、座卓の影に隠れるように、そっと重ねた。
賑やかに過ぎる舞台を、これまた派手に支えて見せた二人の、実に密やかなる触れ合いだった。
後に、この宴会は、一夜にして幻想郷の勢力図を一変させた異変として歴史に記録される事となるのだが、それはまた別の話である。
新しくできた勢力図でのお話ってのもみてみたいですね~
とりあえずま~うどみょんに祝福を
凄まじい勢いのうどみょんに全て押し流されてしまった
ちょっとACE3やってくる
まさかここまでするとはw
あと早苗さんがいい味だしてます。
最初は「おいやめろトラウマが」みたいなコメントしようと思ってたんだが、なんかもうどうでも良いや。
個人的には咲夜さんと早苗がかわいい。
ときめくお話でした。
Zをしたのか…!
いやぁ、しかしこれパルスィ止められるのかなw
どこから突っ込めばいいかわからないけど突っ込む前に
おめでとう
勢いがあって、面白かったです
あと、誤字があったので報告を
聖と神子のセリフの後、命蓮寺が妙蓮寺になってましたよー
カメラ止めろは反則過ぎるw
圧倒的うどみょん小宇宙でしたw
しかし、公開告白しちゃった二人はこれから幻想郷で生きていけるのでしょうか?
甘くて良いうどみょんでした。
末永く爆発しろ。
早苗さんと咲夜さんが意外に良い組み合わせ。
個人的には、うどみょん成分が濃すぎたようにも思いますが、ここまで突っ走られると拍手するしかないのです。おめでとう!
そっからの力技が素敵w
作者すら途中で抑えられなくなった、濃いうどみょんでした。おめでとう
いや面白かった。
勢いがあって最高に面白かったです。
読んでて楽しくなりました 惜しみ無い100です
暴走鈴仙から一気にヒートアップしていって、最後には腹を抱えて笑いましたw
3回じゃ足りません。4回言いました。
「おめでとう!」
突然の走れメロスには笑った