※ストーリー中に関わりはありませんが、前回投稿「変装異変(http://coolier.sytes.net/sosowa/ssw_l/176/1354811034)」の後のお話です
人里でインフルエンザが流行り出した。
それは言わずもがな、永遠亭の繁忙期だ。
永琳は人里に出向いて危急の患者の病状の確認と治療。
鈴仙は永遠亭にこもって永琳の作成したレシピでのワクチンや飲み薬の作成。
てゐは鈴仙の使う材料の調達。
輝夜は他3人にお茶出し等をして休憩の補助。
と、主従の壁を超えつついささかその負担に差のある磐石の態勢で臨むのがお決まりのパターンとなっている。
負担が大きいのは永琳・鈴仙だ。
てゐも作業量こそ多いものの幾分か代わりが利くため、他の者に任せられる部分は任せ全力で手を抜いている。
超人じみた永琳は間違いなく一番大変な位置に居る割に疲れすら見せない。
そして鈴仙は……
(うわぁ、世界が、揺れるぅぅ……)
毎度毎度極限まで消耗している。
永琳印の強壮薬・国士無双の薬を用いつつ騙し騙しやってはいるが、飲みすぎると誇張や比喩でなく「爆発する」ため頼りすぎるわけにはいかない。
薬剤の作成をもっと手早く済ませられれば良いのだが、臆病な性格もあってどうしても過剰な慎重さが抜けず、時間を多くかけてしまう。
慎重に行うという事は即ち心身の消耗も激しくなる。
「貴女は半人前だけど、胸を張っていい程度の技術があるのもまた事実なのだから、思い切ってやっちゃっていい所はそんなに怯えなくていいのよ」
と、永琳は折りにつけ言うが、性格による所が大きいため超えられずにいる壁だった。
「もうちょっとで……当面必要って量は……終わるわね……」
永琳から指示された必要量まで後少し……
「鈴仙ー、生きてるー?」
てゐの呼ぶ声が響いた。
間違いなく、余計な仕事だ……鈴仙は頭を抱える。
普段は悪戯を仕掛けてくるてゐも、流石にこの時は邪魔は一切しない。
にも関わらず作業の途中に話しかけてくる時は確実に、鈴仙でないと出来ない何かが舞い込んできた場面だ。
「なんとかー……」
それ以上言う気力もない。
「ご愁傷様、急患だよ。 まー、もう1個追加だね」
言って、てゐは鈴仙に背を向け、腰を下ろす。
いつも嫌がらせとすら言うべき悪戯をしかけるてゐも、この時ばかりは優しい。
診療室までおぶって行こうという意思表示だ。
鈴仙は作成済みの薬を一つ手に取ると、てゐの背中に身を預けた。
診療室までの移動、普段移動する分には然程長くはないはずなのだが、それでも疲れの溜まりきった体には身を預ける心地よさで眠ってしまっていたらしい。
「おいおい、大丈夫なのか……?」
無遠慮な声が聞こえる。 魔理沙だ。
ぼんやりとした頭でも、納得が行く。
この場面で直接永遠亭まで訪ねて来る事が出来る――二重の意味で――のはこの遠慮の無い魔法使いくらいなものだろう。
「どうせ……インフルエンザに、かかったみたいだから……でしょう?」
「あ、ああ。 咳は出るし、熱もある」
……余裕があるように見える。 自分より余程。
頭に血が上りそうにもなるが、ぐっと抑える。
「インフルエンザは……発症すると……急激に熱があがるの。 だから……風邪かな、って……思うよりも、急激に……強い症状が、出る」
「そうだな、家を出たくないくらいだったが、だからこそ診てもらうべきかと思って来たんだ」
……強がりで余裕があるように見せているのだろうか。
「じゃあ、これを……」
先程取った薬を手渡す。
「これは、インフルエンザの薬で……風邪の薬じゃ、ない。 貴女が、本当に、もう寝床から出たくないくらいの病状なのに……無理して、来たなら……家で、大人しく……これを、使って……静養して」
「お、おう……」
「悪いねぇ鈴仙。 この白黒ったら、ちゃんと診られる奴を出してくれって聞かなくて。」
なんとも間の悪い。
とはいえ病状が本物か偽物か、或いはもしかしたら別のものなのか。
恐らく口頭で確認しても要領を得ない。
そこで、帰路につこうとする魔理沙の動きを見る事にした。
少なくとも病状を推しての度合いがどれ程かはそれではかれるだろう。
と、玄関までてゐに背負って欲しいと頼み……
「有難う、てゐ」
「……大丈夫?」
滅多に聞く事の出来ない心配の声。
それだけで気力が沸き起こった。
「ええ、おかげ……で?」
だが、体はついていかなかった。
「あ? れ?」
ふらつく足取り。
ガシャァン!!
玄関に飾られていた壺に向けて倒れ、突き出した手で割ってしまった。
「あー……やっちまったな」
「れ、鈴仙!?」
これは、確か……いわれは解らないが、輝夜が貴重なものだと言っていた壺。
「なぁ、これって貴重品なのか?」
「姫様がそう言ってたけど……」
頭も、視界も、白に染まる。
次の瞬間、鈴仙はいずこへとも向けずただ、逃げていた。
どこへ向けて、どこまで来たのだろう……解らないが、ただ、暗かった。
意識があるのか、ないのか、それも解らなかった。
次に鈴仙の意識がはっきりした時。
見知らぬ天井がそこにあった。
「気がつきましたか」
天狗の新聞記者・射命丸文だ。
「え? 文さん……? こ、ここは……?」
「地霊殿の一室ですよ。 ネタを探してたら縦穴の辺りで倒れてる貴女を見つけたので、近いここに運び込んだんです」
起き上がろうとすると、何ら抵抗なくすんなりと体を起こせた。
壺を割ってしまった時に出した左手は……所々絆創膏が貼ってある。
無傷とはいかなかったようだ、が、痛みは僅か。 深く切りはせずに済んだと見える。
「もしかして私……何日も意識がなかったんですか?」
「運び込んだのが一昨日の午後ですから、ほぼ丸2日ですね」
言いながら、ベッドの横にある引出に置かれていたバスケットからリンゴを取ると、横に置いてあった果物ナイフで手早く剥いてみせる。
小皿に乗せて鈴仙に手渡した。
「はい、うさちゃんリンゴですよー」
「……それは一体?」
誰かがお見舞いにでも来たのだろうか。
「ああ、これは私が買ってきたんです。 お見舞いといえば果物が相場でしょう?」
「あ、有難うございます……」
文の厚意の意図が解らず、鈴仙は戸惑いを隠せなかった。
「私が親切にするのは何か裏があるとお思いで?」
ニヤッと悪い笑みを浮かべる。
「え? あ、その……」
「行き倒れを拾いました後よろしく、じゃ、寝覚めも悪いですからね。 まぁ確かに、貴女が地底で手に怪我をして倒れてるだなんて異常事態は取材したいですけれども」
そこは順番を逆にした方がいいのではないだろうか。
助けられた手前突っ込めずにいると、文が続けた。
「それよりも、体の具合はどうです?」
ベッドから降り、軽く体を動かして全身の様子を確かめる。
「すっかりよくなってるみたいですね」
文の説明によれば丸2日程寝ていた事になるが、修羅場を切り抜けた後はもう少し尾を引くはずだ。
日常生活すらなく完全に寝ていた分回復が早かったのだろうか。
「それはよかった。 ではさとりさんの所へ参りましょう。 目が覚めたら話す事があるとおっしゃってましたので」
「あ、そうなんですか……部屋を借りたお礼をしないとなぁ」
「さ、どうぞ」
短く告げて、文は鈴仙に背を向けてしゃがんだ。
「え……?」
「病み上がりでしょう? 幻想郷最速、を屋内で披露するわけにはいきませんが、さとりさんの所までぱっとお連れしますよ」
てゐの小さな背中を思い出す。
「い、いえ、大丈夫です。 歩けますから……!」
声を震わさぬよう、必死だった。
部屋を出ようとした所で扉がノックされた。
「声が聞こえたので来てしまいました。 さとりです」
「お、流石、耳が早いですねさとりさん、どうぞ」
何故か文が入室を促す。
「無事お目覚めになったようで何よりです、鈴仙さん」
「助けて頂いたそうですね、有難うございます」
そういえば直接会うのは初めてだ。
地霊殿の主・さとりといえば心を読む能力を……
(……ッ!)
思わず身構えてしまう鈴仙。 永遠亭で輝夜の壺を割って逃げるように出てきた事情も筒抜けなのでは、と。
「ええ、まぁ……事情は大体解ってますのでそれについては諦めて下さい」
今度は目の前が真っ暗になるような思いだった。
「その上で、なんですが……」
ニヤッと悪い笑みを浮かべる。
先程の文の笑いや、更にはてゐの笑いもフラッシュバックした。
何か企んでいそうな気がする。
「私は貴女を「保護する」と決めました。 ここで暮らせという意味ではないです。 元気になったからじゃあさよならと送り出しても永遠亭には帰らないでしょう? ですから、自分から帰ろうという気がおきるまでの間を……ここ地霊殿で過ごしてもらいます」
「え?」
予想だにしない言葉だった。
「因みに欺いて出て行こうとは思わない方がいいですよ。 何せ私は心を読みますからね」
なんだか大変な事になった……!
途方にくれてしまう鈴仙だった。
……少しの沈黙を経て、さとりは小さく笑って言った。
「とりあえず、ただの食客としていてもらおうというつもりはありません。 何か頼む事でもあれば遠慮なく貴女にもやって頂きますから」
ただ飯食らいでは申し訳ないという思いがよぎったのを拾われたようだ。
「あう……」
「そんなにこれからの事で悩まなくてもいいですよ。 心の整理がつくまでゆっくりしていくくらいに思えばいいんです」
「何故……」
何故そこまでしてくれるのか、言葉にならなかった続きを読んださとりが言った。
「退屈しのぎの気まぐれみたいなものです。 ここは訪問者が少ないですからね」
さとりが退出してから、そういえば文がやけに静かだと見てみれば何やらニヤニヤしていた。
「いやぁ面白い事になりましたね」
「外野から見れば面白いでしょうけど……」
さとりにはゆっくりしていればいいと言われたものの、鈴仙としてはそれでは気がすまない。
永遠亭では放っておくと限りなく自堕落に過ごす輝夜に永琳があれこれ是正を試みている中で暮らしている。
それは勿論立場が下である鈴仙・てゐが率先してやらされる羽目になる――てゐはうまい事手を抜いたりしているが――
その結果「働かざる者食うべからず」精神が染みついているのだ。
しかも今回は押しかける形での地霊殿訪問。
「保護する」という事自体はさとりの気まぐれらしいといえども何かしないと落ち着かない。
「あんまり気に病まない方がいいですよ。 あの方は人の弱みに付け込んでいじめてくるお方なんです。 働かないと申し訳ないって節を見せたらニヤニヤ笑いながらごはん抜き、とか言われちゃいますよ?」
「え? そういう風には見えなかったけどなぁ……」
意地悪だけど優しい、鈴仙から見ればそんな印象だった。
「いつぞやなんか 眠りを覚ます恐怖の記憶(トラウマ)で眠るがいい! って襲いかかってきたんですから」
腕をかかげて襲いかかるような仕草を見せる文。
ガチャッ
「文々。新聞のバックナンバーに注釈を添えて怪力乱神に届けるべきと聞いて」
バタン
ひきつった笑みで固まる。
不穏な発言を聞きつけてとどまってでもいたのだろうか、釘をさす言葉を残してパタパタと足音が遠ざかって行った。
「サ、サトリサンハトッテモイイヒトデスヨ」
「……ちょっとわかった気がします」
目の当たりにしたやり取りが、どことなく永琳とてゐに似てるような気がした鈴仙だった。
「まぁ……貴女なら大丈夫でしょう」
言って、文は窓を開ける。
どういう意味でなのだろうと気になりはしたが、うかつに何か言う事が出来なくなった以上はぐらかされそうに思えた鈴仙は敢えて問わなかった。
「では、鈴仙さんも目覚めた事ですし、私はそろそろお暇しますね」
「あ、はい。 有難うございました」
お礼の言葉と共に頭を下げる。
「これからも頻繁に様子を見に来るつもりでいますのでよろしくお願いします。 取材として、であるかどうかはご想像にお任せしますよ」
先程とは違い柔らかい笑みを見せてから、文は飛び去って行った。
あの新聞記者にも優しい所があるんだなぁ、と思う鈴仙だった。
……そう油断すると大体痛い目に遭うのだが。
少し経って、鈴仙はあてがわれた部屋を出てさとりを探し始めた。
地霊殿にはさとりの妹・こいし、ペットの代表格・霊烏路空と火焔猫燐もいるはずだ。
聞くところによると遊びに出歩いている事も多いようだが――特に無意識で自由に動き回るこいし――いるのなら挨拶しておきたい。
(……どこにいるんだろう)
探す目的が、人様の家を無断でうろつく罪悪感に負け始めて不安が鎌首をもたげる。
「後ろにいますが」
「うわっ!?」
驚いた様子が面白かったらしくさとりはニヤニヤしている。
「もう、探してるって解ってたんなら声をかけて下さいよ」
「貴女の挙動が初々しくてついからかってみたくなりました」
悪びれもせずに言ってのける。
「こいしは出かけてますがお空とお燐は居ますね」
要件を告げようとしたら先回りされた。
咄嗟に、便利だなぁなどと思う鈴仙。
「便利さを帳消しにして有り余る程のデメリットもありますがね」
「……?」
「いえ……忘れて下さい。 ……お空とお燐の所へ案内しましょう」
地霊殿の中庭。
地底の奥にあり灼熱地獄跡の上に建てられた屋敷の、中庭。
そうとだけ知っていた鈴仙はさとりに連れられて中庭に出て感嘆の声を漏らした。
「うわぁ……」
木々が、草花がある。 それに明るい。
上が岩盤でふさがっていなければ地上の森と何ら変わりないかもしれない。
「……なんだか、そう喜んでいただけると悪い気はしませんね」
地獄、それも「灼熱」の上とあれば、そこは荒廃した荒地かと思っていた。
予想を良い意味で裏切られた形だ。
「どうしてここにこんな見事な自然が?」
「ペットとして動物がたくさんいますから」
「あ、そうか」
地霊殿にはお空とお燐だけでなく多数のペットが居る。
動物達のために設えた自然という事のようだ。
あそこのベンチにいるのがお空とお燐です」
さとりがそう説明すると共に、空と燐もこちらに気付く。
「寝てたお姉さん、目が覚めたんだね。 死体をもらえなかったのは残念だけど、ともかくおはよう。 あたいがお燐でこっちが……」
「お空だよ、よろしくね。 得意技は核融合!」
二人して自己紹介にとても物騒な字面を交えている。
「鈴仙よ、地上の永遠亭で薬師見習をしているわ。 よろしくね」
一瞬、「輝夜のペット」というフレーズが脳裏をよぎったが慌てて振り払った。
「っ……!」
さとりが笑いをこらえられずに漏らした。
ほんの一瞬浮かんだ連想が命取りだったらしい。
「き、聞かれたっ!? い、今のはどうか内緒にして下さいお願いします!」
「いいえ、そういうわけにはいきません。 貴女は今この子達へは砕けた言葉を使っていました。 はっきり意識しての事ではないですが「ペット」という言葉があって立ち位置をやや下に見たようですね」
笑いを打ち消し、さとりは真面目な顔で語る。
「あ……」
言われてみれば確かに、そうだ。
「ご、ごめんなさい! 私なんて事を……」
「この子達はペットであると共に家族、そのように見るなど言語道断」
「ご、ごめんなさい……」
うつむき、すっかり縮こまる鈴仙。
「というわけで鈴仙さんは薬師見習であると共に永遠亭の主・輝夜さんのペットだそうです」
「ひょえ!?」
珍妙な声をあげながら顔をあげると、さとりは意地の悪い笑みを浮かべていた。
「おおー、そうか、それじゃペット仲間だね」
兎と烏と猫だね!」
「……ッ!!」
申し訳なさと恥ずかしさとか入り混じり、鈴仙は何も返せなくなってしまった。
親睦を深めるための会話を、と続けられる状況でもなくなってしまったため、軽く挨拶のみで分かれる事となった。
「正に、穴があったら入りたい心地です……」
「入りますか? 中庭に凄いのありますよ?」
さとりの追撃は容赦ない。
「あ、いえ……それは多分死ぬと思います」
「霊夢さんはあそこに入って生きて戻りましたよ。 しかもお空を倒した上で」
何故あの巫女はまだ人間なのだろう。
「えーっと……と、ところで、頼むことがあればやってもらうって言ってましたけど、何か予定はあるんですか?」
「そうですね、明日にでも外……旧都へ買出しにといった所でしょうか」
旧都……実際訪れた事はなかったが、ここ地霊殿は旧都・古くは地獄であった場所の一部、の中央にあるのだと鈴仙は思い出した。
「先程の中庭の件もそうですが、多分地獄の名のついたここ近辺への印象が変わると思いますよ? と、言ってもここはもう地獄ではありませんが」
「はぁ……」
言われて窓から外を見やる。
確かにこうして見ると、「地獄」とは程遠い町並みに見えた。
「爪弾き者が集まってますから、地上に比べて治安が悪い事は忘れてはいけませんけどね。
そこは……頼りになる用心棒を連れていれば問題ないでしょう」
「用心棒?」
ここで「頼りになる」ような者といえば……
「そう、推察の通り。 お調子者の天狗をも怯えさせる鬼・星熊勇儀。 使いを出して知らせておきますよ。 貴女が来ている事は既に知っていて、興味があるようでしたから」
地底にも夜は訪れる。 寝るに程よい時間に鈴仙は床についた。
と言っても窓からも空は見えず部屋の中ではただ時を示す針のみがそれを知らせるだけであるため
地上の生活に慣れた鈴仙には朝も夜も変わらぬ風景というのは慣れない感覚だ。
平時に永琳が数日留守にして自由を得た輝夜がインドアの遊びをたっぷり部屋に持ち込んで朝から一歩も出ずに夜になってようやく出て来たという事があったが
真っ当な暮らしをしている鈴仙にはやはり、陽の光を感じないのは落ち着かない。
(なんて思ってはみても、2、3日もすれば慣れるんだろうなぁ)
と、考えた所でふと気付く。
帰ろうという発想が全くなかった事に。
失敗して叱責に怯えて逃げ出すのは月から逃げ出して以降、ある種トラウマじみたものにより繰り返す悪癖だ。
いつもは怯えて怯えて怯え抜いて――数時間から1、2日と期間は様々だが――なんとか踏ん切りをつけて帰る。
その「怯える」事が今はない、しかし帰るという選択がない。
さとりの厚意に甘えて課題を直視していないのか……
さとりの厚意への恩を返すまでは帰れないのか……
帰る事が怖いとは今は思わない、しかし今帰るのは何か違う気がする。
とりあえずは……
(逃げの口実でないと示すために……)
あの意地悪な家主に「有難う」って言わせてやる。
……そんなことを考えているうちに、眠りに落ちた……
帰るだの帰らないだの考えている鈴仙は一つ忘れている。 永遠亭に連絡していない。
しかしその点について、実は心配はいらないのであった。
「あの子は元気にやっているようね」
鈴仙が地霊殿に居る事は当日から――普段なかなか見ない程度に焦りを浮かべた永琳が方々手を尽くした事で――既に把握していた。
実は鈴仙の保護も永琳の依頼によるものだ。
どうせすぐには帰ってこないのだから、それならいずことも知れぬ空の下でふらふらされるよりは知った仲の家で預かってもらう方が安心できる。
そして鈴仙の状況を知らせる手紙を毎日よこすようにと手配もしてあるというわけだ。
その手紙を、永琳は永遠亭の居間で輝夜・てゐに読み聞かせていた。
因みに輝夜はあの騒ぎを壺の音で知りつつも煎餅かじってダラダラしてた罰で
てゐは鈴仙の逃走を「いつもの事だから」とただ見送った罰で
それぞれ背筋をピンと伸ばした正座を強いられている。
「あっちの烏や猫とじゃれてる元気があるなら帰ってくればいいのにねー」
軽い調子で言うてゐ。 その様が気に障ってか……
ゴッ
拳骨が降りてきた。
「おおおおおお……」
頭を押さえてのた打ち回るてゐ。
「そもそも貴女がちゃんと捕まえてればこうはなっていなかったわ」
「……ふふっ」
のた打ち回るてゐの様を見て輝夜が笑いを漏らす。
ゴッ
「のおおおおお……」
それは2秒後の輝夜の姿だった。
「他人事みたいに笑わない。 貴女にだってあの子を止める事は出来たでしょうに」
「うう……第三の兎耳が生えるかと思ったよ」
ようやくてゐが起き上がった。
「死ぬかと思ったわ……」
どういうわけか輝夜の復帰が早い。
「全くもう……」
永琳は小さくため息をつく。
この時期の修羅場で一番頑張っているのは鈴仙だ、と永琳は思う。
終わったら盛大に労おうと思っていた。
今回の件も仮に逃げずにしおらしく謝罪の一つもすれば許しただろうし、例え輝夜が責めようと黙らせていただろう、物理的手段で。
(逃げた事を叱らないわけにはいかないじゃない……)
もう一度ため息をついた。
地底にも朝は訪れる。 普段永遠亭で起床する頃合に鈴仙は目が覚めた。
空は見えるわけがなく、建物や街道に備え付けられた明かりがあるばかり。
永琳の姫様真人間化計画――てゐ命名――に付き合う日々を是として昼夜逆転生活など碌に経験のない鈴仙にはひどい違和感だった。
(もしかしたら、2、3日過ぎたって慣れないかもしれない……)
身支度を整え、なんとなく窓から旧都の方を眺める。
ここ地底でも朝から動き回る者はいるらしい。
疎らに歩いては死角へと消えていく人を、妖を、怨霊を眺めてとりとめのない事を思いながらしばらく過ごした。
コンコンと扉のノックの音。
「はーい」
開けるとそこにはさとりがいた。
「おはようございます。 朝食の準備はもうできてますよ。 それと今回用心棒を依頼した勇儀さんに依頼料として食事に招いてますから同席となります。 互いの挨拶は食事の後にと伝えてありますし、気楽に構えてご参加ください」
「あ、はい、解りました」
広い食堂、地霊殿の特徴たる赤と黒のタイルで出来た床やステンドグラスの天窓はここも同様だ。
壁面の照明や、適度に設置された装飾品、いずれもが鈴仙の目を楽しませる。
(まるで西洋の物語のお城か何かのよう……とまで言うと大げさか)
普段住む世界と違い過ぎて、夢の中にいるかのような感覚すら覚える。
詰まる所見る分にはいいのだがどことなく自分が場違いに思えてしまう。
「昨日もそうでしたけど、そんなに硬くならないでいいですよ」
そう声をかけるさとりはなんだかうれしそうだ。
そういえば昨日はこんな所で食事をと縮こまるばかりで明確に感想を考えてはいなかった。
そんな鈴仙が委縮してしまうような食堂、一足先に入っていた人物がとんでもないペースで食事をしている。
初めて見る者だが、紹介されるまでもなくその人物が勇儀であろうと鈴仙は理解した。
その隣ではもう一人、マイペースにゆっくり食べている者がいる。
「あのいかにも鬼っぽいのが勇儀さんで、もう一人は水橋パルスィさんです」
さとりが言いながら椅子を一つ引きつつ、その隣に座る。
隣に座れという事だろう、促されるまま、そこに座る。
勇儀に目を奪われてばかりだったが、ここでようやく鈴仙は妙だと気付いた。
自分の席には食器が並んでいるがいずれも空っぽ。
隣のさとりの席にはコーヒーだけが置かれている。
それに、地霊殿の面々がいない。
辺りを見渡す鈴仙。
「勇儀さんはよく食べるので今朝はビュッフェ形式……あそこにある料理を好きにとってくる形にしてるんですよ」
もしかしてこれは……
「早くとらないとなくなりますよ?」
大慌てで食糧確保に向かう羽目になる鈴仙だった。
残り少ないパンやベーコン、サラダなど洋食で統一された品々を色々と取ってくる。
「まぁなくなっても補充するんですけどね」
戻ってすぐ涼しい顔で補足された。
「うぐぐ……」
また慌てる様を面白く見られたのだろう。
勇儀がよく食べるからビュッフェ形式としたといっていた。
つまり、料理がなくなる都度呼んでおかわりを用意してでは食べる側も作る側も面倒だからまとめて補充できるこの形にしたはずだ。
考えてみれば気付けたはずだと鈴仙は内心歯噛みした。
「他の皆さんは? さとりさんも既に食事は終えてるんですよね」
てゐにからかわれ慣れているせいか、してやられた悔しさも素早く切り替えて見せる鈴仙。
「お空が同席すると、あの子は子供みたいな所がありますし取り合いから喧嘩になりかねないんですよ。 でもあの子一人で食べさせるのもそれはそれで寂しいと駄々をこねる問題があるので……私も含め、うちの者はすみませんがお先に頂きました」
なんだかいじめられてるのではないかという気持ちが一瞬よぎる鈴仙だったがすぐに否定した。
いじめであれば本当に「なくなったら終わり」にされてる。 これはまだからかっているだけだ。
「……ちょっとやりすぎましたね」
「え?」
「そんな風に思わせてしまうだなんて、度が過ぎたようです」
……返す言葉が出て来ない。
が、考えてはしまう。 さとりにはそれで十分だ。
「嫌われ者の地霊の主がこんなにしおらしく出るだなんて意外だ、と」
隠し立ては出来ない。
「……はい。 評判はよろしくないというのが事実です。 にも関わらず、からかう事は容赦ないですけど私には、そんなに嫌な奴だ、なんて印象はありません」
ただ、てゐよりも手段と頻度がえげつない程度だ。 ……多分。
「……まぁ、まず心が読めるというだけで近づきたがらない者は多いですし 近づいた者もこういう振る舞いを受けると怒る例ばかりですからね。 貴女のように順応するのは稀ですよ」
(霊夢や魔理沙なんかは怒る方、なんだろうなぁ)
直後に、思う。
順応? 言われてみれば確かに自然と当たり前のように受け止めてここにいる。
何故だろう。
全て見透かされてるんじゃないかとすら思えてしまう永琳。
日頃から悪戯をしかけてくるてゐ。
そのどちらの顔――大半はてゐ側――も見せる輝夜と共に過ごしてるからだろうか。
「でも、謝るのならなぜこういう意地悪な事を?」
「そういう妖怪だからです」
至ってシンプルな答えだ。
やりすぎて悪いとは思いながらもからかう事を改めるつもりはないようだ。
それから鈴仙が食事を終えても勇儀は圧倒的ペースを維持しながらまだ食べていた。
が、程無くして
「あー、食った食ったァ」
エンゲル係数 という言葉が脳裏をよぎったが恐らく訊ねてみてもそんな細かい事は気にしていないだろう。
どうやら満足したらしい。
パルスィと共に席を立って近づいてくる。
「やあ、初めまして永遠亭の兎さん。 さとりから頼まれてあんたの用心棒をする星熊勇儀さ、よろしく。 ……で、こっちが水橋パルスィ」
「初めまして、鈴仙さん。 綺麗な髪をしているわね。 妬ましいわ」
「妬……え?」
笑顔を浮かべつつの挨拶の中でごく自然と嫉妬されて混乱する鈴仙。
「あー、嫉妬心を操る程度の能力ってわけで嫉妬深い奴なんだ。 しょっちゅう妬ましい妬ましい言ってるが根は悪い奴じゃないんで気にしないでやってくるとありがたいね」
「はぁ……おっと、すみません、呆気にとられてしまって。 鈴仙・優曇華院・イナバです、永遠亭の八意永琳師匠の元で薬師見習をしています」
「それと蓬莱山輝夜さんのペット、と」
すかさず追加されるさとりの余計な紹介。
キッ! とにらみを利かすが意に介さずさとりはニヤニヤしている。
「ペット? ああ、お空とお燐みたいな感じだね」
「衣食住の保証された生活、妬ましいわ」
二人ともペットの方向で納得したようだ。
「はぁ……もういいです」
3人で旧都へと出る。
さとりから渡された買い出しリストは食材と日用品がずらっと並んでいた。
何故か外傷に用いる治療用具の割合が多い。
いずれも永遠亭の規模と比べると少なめではあったが……
「多いですね」
さとりにこいし、空に燐、更に他のペット達の分としてもそれより多いという印象だった。
「いや、今回は多いので、って頼まれて手伝った事があるけどその時はもっと多かったね。あそこはすっかり動物屋敷だしねぇ」
「動物屋敷? ……そんな表現をする程多いんですか?」
廊下ですれ違ったり中庭で見かけたりはしたが、それ程多くは無いというのが鈴仙の印象だった。
「病み上がりの貴女を気遣って遠ざけたんじゃないかしら。 その様子だと好奇心旺盛な子達に取り囲まれるって、あそこでよくある事も経験していないようだし」
パルスィの言に、脳内で猫に取り囲まれる鈴仙。
思わず頬がゆるみかけるが、黒猫の大群が登場しかけた所で慌てて思考を打ち払う。
「……うーん、さとりさんが気遣い……」
からかわれてばかりなのでピンと来ない。
「さとりは心を読む力を利用して息をするようにからかってくるけど、逆に心を読んでじゃない気遣いをする事もまた多いんだ」
「でもそれをひけらかすばかりか知らせもしない。 隠れた優しさというわけね。 妬ましいわ」
元々鈴仙としてはさとりに悪印象をそう持ってはいない。
さとりの気遣いとは何か、それとなく探してみるのも……
(いえ、無理ね)
それとなく、は、無理だ。
既に聞いてしまった以上頭には浮かんでしまう。
堂々と探すしかないだろう。
いずれにせよ今ここで「さとりにそういう面がある」と知った事は必然的にさとりにも知られる事になる。
買い物を終えて地霊殿までの道すがら……
「お二人はよく一緒に行動しているんですか?」
なんとなく気になったので訊ねる鈴仙。
「そういえば今回一緒だって言ってなかったわね」
「ええ、さとりさんからは勇儀さんに用心棒を頼んだとしか」
「普段からつるんでる事も多いけど、誰かと初めて会う時は大体一緒だね」
何故誰かと初めて会う時に一緒が多いのか、疑問に思っていると勇儀が続けた。
「私の場合は細かい事を気にしなさすぎて……」
と、パルスィを見やる。
「私は妬ましい妬ましいと言ってばかり」
「で、一緒ならそれをお互いフォロー出来るってわけさ」
勇儀の歯に衣着せぬ物言いはデリカシーに欠いているとも言える。 そしてパルスィの妬み節は言わずもがな。
それに対して嫉妬してばかりのパルスィは細部にも目が行っている。 勇儀の快活さは妬み節を和らげる。
「成程、いいコンビだというわけですね」
自分の場合てゐとで「いいコンビ」と評されるかもしれないが、
それはからかう者からかわられる者の構図で問題無く回っている所を指してになりそうな気がする。
そう思うと良い意味で噛み合っていてうらやましいと思う鈴仙だった。
「いいコンビだってさ、パルスィ」
勇儀は嬉しそうに笑う。
「褒められた事を恥ずかしがらずに素直に喜んでいる、妬ましいわ」
パルスィは顔を背けていた。 発言からすると恥ずかしいようだ。
「うーん……」
鈴仙は思う、先程さとりが――どこまで本当か解らないが――からかう事をせずにはいられないのはそういう妖怪であるためと言っていた。
パルスィも妬ましいと自然に思って言ってしまうのだろう、勇儀はそれを上手くあしらっていると見える。
何かその感覚にコツでもあるのだろうか。 鈴仙は2人へ向けそれを素直に吐き出した。
「まるで妖怪との付き合い方が解らない、みたいな事を言うねぇ」
勇儀は不思議だと言いたげだ。
「永遠亭が外部と交流を持つようになったのは最近の事、私は幻想郷に来てから数十年その永遠亭にいましたし、薬売り稼業も人里に行っているばかり。 意識はしていませんでしたが、その通りなのかもしれません」
関わりのある妖怪連中もどこか人間臭い者ばかりだ。 猫をかぶってるだけかもしれないが。
「主に人間と接してるわけか……それだけではないだろうけども、地上の奴らはここの連中程灰汁が強くないしね。 それでその疑問についてだけど……私は、「そういう奴なんだ」って受け止めてやる事が肝要だと思うね」
「はぁ……」
「例えば人間にだっていろんな奴がいるだろう? 腕っぷしの強い奴、知恵の回る奴、酒が飲めない奴、病気によくかかってしまう奴、誰もが違う。 そういうのを特技だの特徴だの言うじゃないか」
「そうですねぇ」
「それとおんなじさ。 パルスィの妬みやさとりの読心術は受け入れにくく思われがちだけど、それも「そういう特徴だ」って思って受け入れてやれば付き合っていけると、私は思うね。 あんたの場合さとりに対しては、もう半分それをやってると思うんだけどねぇ」
「え?」
勇儀の思う、さとりとの付き合い方。 それを既に半ばやっている……?
心当たりがなく、戸惑っていると勇儀が続けた。
「私らの付き合い方を見てそのコツを訊いたってのはつまり……さとりとどうやって付き合っていけばいいかと理解しようとした、って事だろう?」
「珍しくさとりに懐く者が現れたのね、妬ましいわ」
懐いているという程のつもりはないが、そう見えるらしい。
少なくとも、何らかの手で一泡吹かせてやりたいとは思う。
(あ、そうか、多分だから「懐いてる」のか……)
この2人と話す事で迷いが一つ晴れた、そんな気がした鈴仙だった。
……夜、鈴仙があてがわれた部屋に戻ってきてから。
外で、音もなく、影が一つ飛び去った。
影は旧都の上空を駆け抜け……
パァン!! 「へぶし!!」
ようとした所を何かにぶつかり、破裂音に似た音を響かせた。
落下し、地面に激突――しかけるがなんとか勢いをゆるめ、残り数十cmをゆるやかにずり落ちる。
「おぉぉぉぉぅ、世界に拒絶されたぁぁぁ……」
よく解らない事を言ってのたうちまわる。 影の正体は射命丸文だった。
「さっき何かがつかずはなれずうろうろしてたと思えば、あんただったのかい」
少しの距離を置いて見下ろす勇儀。
「あやややや……やっぱりバレてました?」
かつて鬼は妖怪の山にいて天狗はその下についていた。
その名残と、性格的な問題で文は勇儀が苦手だ。
気付かれずに済ませたかったがそうもいかなかったようだ。
「あの兎の事を面白おかしく新聞に書くのかい?」
返答次第ではもっと痛い目に遭うぞ。 文にはそう聞こえた。
「いえいえ滅相もない。 あの兎の事で来てはいますが報道のためじゃございません。 もっと、私的な要件でして」
「あの見るにたえない記事が公でなんかあるもんか。 それより私的だって言ったらどんなくだらない理由で付きまとってるんだか」
倒れたまま腕組みをしてうーんとうなる文。
それを冷たい目で見降ろす勇儀。
「仕方ないですね、貴女の前で嘘はつけません。 私が彼女を地霊殿まで運び込んだ事はご存じでしょう?」
「らしいねぇ。 で、その後取材を申し込むも断られたから、付きまとって調べてるって事かと思ったんだけど?」
相変わらず倒れたままで首を振る。
「実は永遠亭の八意永琳さんから依頼を受けていたのですよ……っと」
倒れたままなのも締りがないと思ったのか、ようやく起き上がるとその場に座った。
「人里での午前の診療を終えた永琳さんが昼休憩を兼ねて携行薬剤の補充に帰宅してみれば鈴仙さんがいない。 鈴仙さんは大口の仕事を不眠不休に近いペースでこなしたばかりで遠くに行く体力すら残っていないはずなのに、何故か永遠亭近辺では影も形も見当たらない。 そこへ、ネタの匂いを感じ取った私が折よく訪ねたわけですが、永琳さんは私の能力を買って捜索への協力を依頼されたのですよ」
「ほほう」
「謝礼は出来る範囲の事であれば何でもするとの事でしたが断りました」
「断った?」
「ええ、この射命丸文、財や名誉の類のために動かされはしない。 しかし貴女のその情のために動こう。 というわけでしてノーギャラで請け負いました」
キリッと表情を決めて「貴女のその情~」のくだりを得意気に言う文。
勇儀の胡散臭いといった表情がくだらないと言いたげに変わった。
「いつもあんたがやってる事からすりゃ、信じられないね」
「ですが嘘のような本当の話ですよ。 風の噂で当たりをつけてから椛に頭下げてこの辺見てもらったらフラフラして今にも倒れそうな鈴仙さんを発見して、椛さんすげー超すげー有難う愛してるって尻尾もふもふしてから、高空を衝撃波撒き散らしながら飛んできて速度をゆるめて地底に突撃、キャッチアンド地霊殿へリリース、永琳印の疲労回復薬を口にねじ込んでおくのも忘れずに……って次第です」
話の内容ばかりか言い回しまで胡散臭くなり、勇儀は顔をしかめる。
「あんた……信じてもらいたいのか、もらいたくないのか、どっちなんだい」
「どの道私自身には証明する術がないですからね。 鈴仙さんを地霊殿に預けた後は、毎日報告するようにとの任を仰せつかって手紙にしてお届けしてるというわけで」
ぴくりと勇儀の眉が動いた。
「ほう、するとつまり今は永遠亭に手紙を届けに行こうとしてたわけだね?」
「ええ、そうです」
「連れて行きなさい」
「は?」
「あんたが自分で証明する方法がないのだから、雇い主に確認させてもらおうじゃないか」
にやっと笑う勇儀。
「いえ、あの、私……誰かさんから加速を完全に殺す程に全身をくまなく強打しても「とても痛い」だけで済むだなんて常軌を逸した衝撃をぶちこまれたせいで体中が痛いのですか?」
「あんたなら私が下で怪しいなと見てる事くらい気付いたでしょうに。 それを無視して逃げようとしたからそうなるんだ」
「0コンマ未満の時間で反応した上に一歩間違えれば赤い染みが旧都の空に飛び散っていたような繊細な技を、目の前を走りぬけようとした子供の襟首掴んで持ち上げたみたいに軽く言わないでくださいよ!」
「はっはっは、怪力乱神を舐めてはいけないぞー?」
……
「ぜー、はー」
永遠亭の裏手まで勇儀を抱えて高速移動。
やり遂げた文は土の上も構わず大の字に寝転がった。
「うむ、風情も何もあったもんじゃないね。 早すぎる」
要求された無茶への意趣返しとばかりに可能な限りの速度を出して空気抵抗に晒したが、全く苦にしていなかったようだ。
「おやあ? 珍しいお客さんだ」
どうやって察したのか、様子を伺いにやってきたてゐがのんきな声をあげる。
「この時間に天狗が連れてきたって事は地底の御人でしょう? ようこそ永遠亭へ。 うちの鈴仙がお世話になっています」
ぺこりと頭を下げる。
「あんたが永琳……ではないよねぇ?」
「ええ、私は因幡てゐ。 お師匠様に御用、と。 縁側にでも座ってしばしお待ちをー」
(メッセージ、です……受け取ってください、てゐさん……伝わって下さい……)
勇儀の後ろでは顔だけ起こした文が一生懸命、勇儀を指さしては頭から指を2本伸ばすジェスチャーをしていた。
そう、「そいつは鬼だ、いつものようにだましたら痛い目に遭うぞ」と……
文の必死の合図も伝わったか否か解らぬままに、戻ってきたてゐは勇儀を伴い奥へと入っていった。
「うわぁ烏が半死半生で倒れてる」
輝夜が出てきたようだ。 文は倒れて空を見上げたまま体力回復に努めている。
「どうもお姫様、半ば死に掛けたまま話す無礼をお許し下さい」
態度の割に台詞は随分余裕がある。
「構わないわよ。 っていうかむしろ無理に営業モード維持しないでもっと死に掛けてていいわ」
「いえ、速度乗せて飛びだした所を叩き落されて全身が痛いのにここまで運ばされた痛みと疲れがあるだけで、話す事自体は苦ではありませんので」
「要は動きたくないのね。 まー、この寒空の下で死に掛けてんのもキツいでしょう? ちょっとそのまま死に掛けてなさい、温かいお茶でも淹れてきてあげるわ」
「助かります」
流石に地べたに大の字は辛くなってきたので四つんばいでもぞもぞ動いて石段の上に腰掛ける。
少しして輝夜がお茶と金平糖の小皿を2つずつ乗せたお盆を携えて戻ってきた。
「はいお待たせ、お茶請けは適当にあったものだからこんなのしかないけど」
「いえいえ、疲れ果てた身なのでつけて頂けるだけで十二分に有り難いですよ」
お茶をすする音、しばしの沈黙。
「それにしても、貴女が手伝ってくれなかったらどうなってたことか」
「あー、それは多分……結果論なんですけど私が手助けせずとも鈴仙さんは地霊殿にたどり着いてたと思います」
それを聞いて輝夜は顎に指を置いて宙を見やる。
「地底の縦穴の所で倒れてたんだっけ?」
「ええ、あの縦穴は水橋パルスィさんが守護神として行き来する者の安全を維持していますので。 私が見つけて回収しなくてもパルスィさんが発見して縁のある地霊殿へ連れていっただろう、と」
「成程ね」
再びお茶をすする音。
「……あの子はいつ戻ってくるかしら」
呟くように、輝夜が言う。
「勇儀さんとパルスィさんにさとりさんとの付き合い方のアドバイスを求めていたようですから……恩義故か、まずあそこで何かを為そうとしているのだと思います。 ……っと、忘れる所でした。 これ、今日の報告です」
言って、今日の鈴仙を付回して書き記したメモを取り出し、渡す。
「へぇ、あの子がそんな事を」
輝夜は嬉しそうに笑った。
「地上を見下す月の価値観が薄れて丸くなってきたのかしら?」
「貴女方はどうなんです?」
無遠慮に文は訊ねたが、輝夜は別段気にしてはいない様子で続けた。
「秘密よ。 まぁ……永遠亭に仕掛けた術を解いて、よそと係わり合いながら暮らしていくようになったんだから、お偉く高飛車に振舞ったっていい事はないわよ」
「成程満月ですね」
またお茶をすする音。
「……ところでさぁ」
「はい?」
「お尻冷たいでしょ? どうせあの鬼送って戻る事になるんでしょうから、土払って上がんなさいよ」
「そうですね、そうさせて頂きましょう」
翌日。
さとりに呼ばれて共に中庭へと向かった鈴仙。
そこでは様々な動物達が喧嘩をしていた。
「な……何なんですかこれはっ!」
「ああ、ご心配なく。 喧嘩してるように見えるでしょうけれどもじゃれあってるんですよ」
「どういう事なんです?」
ご心配なく、と言われても見た目はただ事じゃないようにしか見えない。
「おもいっきり遊んでるんだよ」
逆から声がかかる。 まだ挨拶していない……と、なるとこいしだろう。
「ただ漫然と過ごしてると日常的に誰かしら些細な事で喧嘩して結構大変なんですよ。 喧嘩ともなると大きな怪我を負う事もありますし」
「はぁ……」
「ですのでこいしの発案から「仲良く喧嘩しなday」なるものを設けまして。 この日は思いっきりじゃれあう事で鬱憤を晴らしていい、というわけなんです。 因みに長引きそうな怪我を負わせたら今日はご飯抜きとなります」
「……成程」
説明を受けてもやっぱり喧嘩しているようにしか見えない。
大丈夫なのだろうか。
「ご飯がかかってますから無茶はしませんよ、基本的に。 ですが熱くなりすぎて……という例は多くは無いですが、やっぱりあります。 そういう子の治療を、ありあわせのもので出来る範囲で構いませんからお願いできますか?」
「はい、わかりました」
と、答えた所で……
灼熱地獄への穴から空と燐が飛び出してきた。
お互い所々擦り傷を負っていたり、下で白熱したじゃれあい――弾幕だろうか――を繰り広げていたと見える。
「戯れは終わりじゃあああああああ!!」
「やってやんよおおおおおおお!!」
両者叫んで激突、やはり弾幕を使用していたのか光があたりをつつみ……
ニャーニャー カーカー
ぺしぺし てちてち
光がおさまると、動物形態を取り、可愛らしいじゃれあいに切り替わっている姿がそこにあった。
「あ、あれ? なんだか可愛い事になってますが」
「あの子らの場合、二人でやるなら下で弾幕で遊んできてから最後の決着は動物の姿で、という事にしてるんです。 決着まで人の姿をとって力を使っていたら、お空がうっかり地霊殿を一部崩落させかねないですからね」
多分、崩落させた事があるんだろうなぁ……と引きつった笑いを浮かべる鈴仙。
「ところであのぶつかる前の台詞って有名なんですか?」
「有名かどうかは解りませんが、ある時地上に遊びに行ってから言い出すようになりましたね」
「うーん、人里で聞いた事があるような……?」
永遠亭の生活はどうにも流行り廃りに疎くなる。
「まぁいいか……じゃあさとりさん、お願いしたい事があるんですが」
「2色のひもか何かを用意……?」
心を読んで先取りしたが、それだけはピンと来なかったらしい。
だが鈴仙がすぐさま続きを口にしようとした事で理解したようだ。
「解りました、そういう事なら……」
やがてじゃれ合いが終わった面々は、さとりの呼びかけにより、怪我が重度だと感じる者はさとりの方へ集まり、 軽度だと感じる者はこいしの方へ集まり、 治療は要らない・怪我をしていない者は解散という事になった。
異変だと言われても信じそうな程の騒ぎだった割に大半は解散していった。
さとりが怪我の箇所を聞き出しつつ鈴仙が治療を行う。
重度の怪我と言っても少し深めの切創刺創といった類で、危険な程ではなく、 あんな騒ぎなのにこの程度で済むのかと鈴仙を驚かせた。
やがて一通り終わり、皆思い思いに散っていった。
「ふぅ……」
一つ大きく息をつく。
「お疲れ様、みんな待ってるよー」
こいしがそう言ってぐいぐいと鈴仙の背を押す。
すぐそばで設置されたテーブルにお茶とケーキが並べられていた。
既にさとり・空・燐が座っている。
「有難うございます、助かりました」
「お姉さん、見事な手際だったよ」
「こういうやり方もあるのか! って感じだったねー、すごい!」
3人が思い思いに鈴仙を労う。
「えへへ……お役にたててよかったです」
照れくさそうに笑いながら席に着く鈴仙。
「ああやって統制を取って行う方法を知らなかったので、いつも大変だったんですよ」
「こちらも学ぶ事がありました」
てゐについている永遠亭の兎達も、定期的に何かを催す事でガス抜きとする手法が使えるかもしれない。
「半人前だって謙遜してたけど、一人前みたいだったよ」
急にこいしが心を読んだ事があるような事を言った。
「え?」
「かっこよかった」
混乱しているとさとりが補足する。
「こいしはあっちへふらふらこっちへふらふら、誰にも気づかれず自由に遊びまわってますから、人里での貴女や、或いはもしかしたら永遠亭での貴女を見た事があるんじゃないですか?」
「派手な服の人が言ってたよ」
鈴仙の事を半人前呼ばわりする「派手な服の人」と言えば……
「えーっと、そう、鈴仙のお師匠様。 永琳」
「会ってきたんですか!?」
「いえ、基本的に一人で出歩いているこいしは能力によって他人から存在を認知されません。 こいしが自分から相手に、話しかけるなどして働きかければその限りではないのですが、永遠亭と私達は関わりがなかったですし、話すとは考えにくいのでいつかどこかで通りがかりに聞きでもしたのでしょう」
ここに居る事が永琳の伝わったかと思って慌ててしまう鈴仙にさとりが補足した。
「こいし様は本当に神出鬼没だよね、天狗みたい」
「博麗神社で昼寝してる時に話しかけられた時は夢に出たのかと思ったよ」
無邪気に褒める空とあの時は参ったといった顔を浮かべる燐。
「神出鬼没で幻想郷の至る所に表れる天狗のような存在、成程ある意味私のライバルですね」
何食わぬ顔で頷いて見せる文。
「うわ! いつの間に……」
「永琳さんの名が出て慌てた様子を見て、チャンスと思ってその隙に」
驚く鈴仙に向けてニヤリと笑顔を浮かべる。
「あ、噂をすれば本物の天狗」
「驚かせる妖怪にでも宗旨替えしたのかい?」
空と燐は驚くでもなくごく普通に受け入れている。
「いえ、これはただの趣味ですね」
「悪趣味ですね」
いけしゃあしゃあと突っ込むさとり。
「さとりさんがそれを言いますか」
「私は驚かせたりからかったりする手法が天狗のものよりも手が込んでますからね」
何故か誇らしげな表情だ。
「成程確かに……」
納得する鈴仙を見たさとりがうつむいてしまった。
「どうされました?」
目ざとくそれに気付いた文が問いかける。
「いえ、なんでもありません」
今思った事を聞かれたのだろうと鈴仙は思った。
昨日勇儀から聞いた、相手を受け入れる事。
それを意識してみたら自然と思い浮かんでしまった。
子供が頑張って悪戯しているようにも思えて、そう考えてみると可愛いかもしれないと。
夜になってから勇儀がパルスィを伴って現れた。
鈴仙の部屋にさとりとまだ居座っていた文とで集まった状態、5人だとやや狭い。
「ちょっといいものを見せてやろうと思ってね」
と、勇儀の言。
「昨日は済まなかった。 お詫びといっちゃ難だが、良ければあんたもついてくるといい」
続けて文に向けてそう言う。
「昨日何かあったんですか?」
鈴仙が勇儀に向けてたずねると文の顔が強張った。
「ああ、あんたの事心配して付け回してたのさ。 それを私が新聞にするつもりで付け回してたのかと思って叩き落しちゃってね」
「鈴仙さんも気を付けて下さいね。 この方からは絶対に逃げられません」
「あ、あはは……」
尋常でない速度を尋常でない力でとらえたという事ならば幻覚で惑わせば逃げ切れるのではないか、とも思った鈴仙だが、 やましい事をせずに付き合っていればそんな事を試す機会もないだろうとそれ以上考えなかった。
「で、さとりはどうする?」
「今日はこいしがいますからまたの機会に」
「こいしはさとりに大切に思われてるのね、妬ましいわ」
旧都へ出ると、歩かずに飛び始めた。
「ちょっと遠いんでね、のんびり歩いてたら夜が明けちまう」
「え? そんなに?」
地底は幻想郷より広いとは聞いているが、鬼の健脚には苦にならないのだろうか。
などと文字通りに受け取り考える鈴仙。
「それ程ではないわ。 喩えだけどあそこを知らない人に言うのは誤解を招くわね」
パルスィが補足した。
「鬼の薦める「いいもの」ですか、なんだかワクワクしますね」
文は楽しそうだ。
「新聞にはしないでおくれよ? あんまり人に知れて騒がしくなっちゃ台無しだ」
「私だってそこまで無粋じゃありませんよ。 こっそりと楽しませていただきます」
一旦会話が途切れる。
が、鈴仙がすぐに静寂を破った。
「勇儀さんとパルスィさんは今行こうとしてる場所へ二人で行った事があるんですか?」
「あるわよ。 天狗はどうか解らないけど貴女は多分気に入ってくれるわね」
パルスィが自慢気に答えた。
「あやややや……なんとなーくどういうものか想像出来てきました」
上へ下へ左へ右へ、迷路のような洞窟を進んでしばし。
先頭を行く勇儀は目印の確認か、時折何かを見るようにちらちらと視線や顔を動かしているが淀みなくすいすいと進んでいる。
これは案内されたって、次は自分だけで来てみようとしてもたどり着けるわけがない。
そう思ったのも既に大分前の事。
「これ、はぐれたら野垂れ死に確定ですねー」
物騒な事を楽しそうに言う文。
「そ、そんな怖いこと言わないで下さいよ……」
思わず文に抱きついてしまう鈴仙。
「まぁ、そうなったら上を掘ってって地上にでも出ればとりあえず死なずには済むさ」
「そんな無茶が出来るのは鬼くらいなものでしょう、妬ましいわ」
鬼でなくともやれそうな者も居る、白黒魔法使い辺りなどがそうだろう。
(そういえば魔理沙のインフルエンザは治ったのかな?)
永遠亭を飛び出した正にその時に薬を渡した。
今日で4日目の夜、既に治っているかもしれないし、まだかもしれない。 微妙なラインだ。
「よーし、着いた」
と、着地する。
しかし特に変わった所はない場所に見える。
「もうちょっと奥なんだ。 先に行って準備をするから……パルスィ、頼むよ」
「ええ、解ったわ」
勇儀が先行してすぐに、奥へ向けて青い光が灯った。
「よーし、いいぞー」
「……うわぁ……!」
かなりの広さの開けた場所に、六角柱状で透明の巨石が大量にある。
それらが、勇儀が作って設置した青い光を反射させて幻想的な光景を作り出していた。
「これは……玻璃ですか? こんなにたくさん……?」
文も驚きを隠せないようだ。
「前に萃香と暇潰しに探索した事があってね。
最終的にここにたどり着いた所でもうやめて帰ろうって話になったんだけど……結局何も収穫がなかったのが悔しくて腹いせにって萃香が壁やら床やらいじってこんな風にしちゃったってわけ」
「す、凄い……」
鈴仙には理屈はわからなかったが、些細な事だった。
「この光景を肴に一献やったら最高だったねぇ……」
「迷ったら即ち命の危機ってくらいだから、私達はやるわけにいかないわね。 妬ましいわ、ああ、妬ましい」
いつもに輪をかけて妬ましいらしく、2度も言うパルスィ。
少しの間、皆この光景に見入り、誰も言葉を発しなかった。
「……買い出しに出てた時、何度か上を見てたのをパルスィが気付いていてね」
不意に、勇儀がぽつりと言った。
「地上の者がここに滞在すると空を懐かしむ奴がよくいるんだ。 そういう事かと思ってね……青空には及ばないかもしれないが、地底にも良い所があると見せてやりたかったんだ」
「人工物って点がちょっと締まらないですね」
ぶち壊しな文の突っ込みには誰も反応を返さなかった。
「とても素晴らしいですよ、感動しました」
笑顔を見せる鈴仙。
「……で、それとついでに聞きたい事があってね」
「聞きたい事?」
「ああ、帰れる目途はついてるのかい?」
心臓を鷲掴みにされたような心地だった。
そんな言い方をするのだから勇儀も事情を知っているという事だ。
悪い事をして、逃げた。 いわば保身のための行動と言える。
鬼の勇儀には不快な事ではないだろうか。
「そんな怯えんでも、別に怒ってるわけじゃないさ。 実は天狗に永遠亭まで連れて行ってもらって永琳と話したんだ」
「お師匠様と?」
文の方を見やるとバレちゃった、とでも言いたげなお茶目な表情を浮かべていた。
「ああ、とても心配していた。 あんたのためにならんからと、伝えるならそのくらいにって口止めされているけどね」
本心としては帰ってくるよう促してほしいが、鈴仙が自ら帰るつもりにならねば意味がない。
そう思っての事だろうと鈴仙も察しがついてしまった。
「あー、ごほん、それじゃあ発覚ついでにもう一つ。 勇儀さんが永琳さんと話されている間に私は輝夜さんと話していたのですが、そこで一つ伝言を賜っています。 「そっちでなんかやろうとしてんならさっさと終わらせて胸張って帰ってきなさい。そしたらみんなで打ち上げよ」……だ、そうです」
永琳も輝夜も、怒ってなどいなかったのだ。
「帰りを待つ者がいるのだから、あまり待たせてはいけないわね」
妬ましいとつけずに、パルスィがそう言った。
「皆さん……有難うございます……」
絞り出すようにそう言う鈴仙は、泣いていた。
こいしは自由に放浪しているが、地霊殿に居る事も珍しいわけではない。
それでも、居るのなら極力一緒に過ごしていたいと思っているさとりは誘いを断った。
既に空も燐も眠っていて、二人だけでテーブルについてお茶を飲みながら話している。
「鈴仙さんと会っていた?」
こいしが思いもよらぬ事を言った。
鈴仙が地霊殿に運び込まれた日、こいしは鈴仙と会ったというのだ。
「そう。 印象が全然違ったから別人かと思ってたんだけどー……でもやっぱりあの耳あるし、鈴仙だよねぇって思って」
「詳しく聞かせてもらえる?」
「何か幽霊みたいな兎が居る!」
森の中、一際大きな木の下。
見上げながら何かぶつぶつとつぶやいている鈴仙を、こいしが発見した。
「すごく小さい声でぶつぶつ言ってて本当に幽霊って感じ」
鈴仙に顔を寄せてその声を聴く。
「空の……見えない……所へ……」
「空の見えない所?」
この大木の下なら確かに葉で視界をさえぎられて空は見えないかもしれないが
こいしからすればこんな場所は「空の見えない所」ではない。
「それならいい場所があるよ! つれていってあげる! えーっと、貴女は飛べる?」
こいしの問いかけに鈴仙は答えずにわずかに浮かんだ。
「うんうん、それじゃあしゅっぱーつ!」
こいしは鈴仙の手を引いて、地底への洞窟を目指した。
洞窟を進んでいると黒谷ヤマメがやってきた。
「生気のない兎がフラフラしてると思ったら、地霊殿の妹さんかい」
「あ、こんにちわヤマメちゃん」
「こんにちわ」
こいし・鈴仙のペースに合わせてゆっくりと並んで飛び始める。
「その幽霊みたいな兎さんを連れて行くのか……ちょっと失礼」
ぺたりと鈴仙の腕に触れる。
「うーむ、幽霊っぽくない」
今の鈴仙は疲労のせいでやや熱っぽい。
「温かくて生きてるみたいだね」
「そうなると……パルスィが居るったってあの縦穴を降りるのは大変でしょうねぇ。 手伝ってあげるよ」
「ありがとう!」
縦穴に到着すると、ヤマメは二人に少し待っているようにと言い、辺りを探し始めた。
「このくらいでいいかな……? よっと」
まるで落ちている石を拾うかのような気軽さで、人が乗れそうな岩を持ち上げた。
岩を持ったまま縦穴のそばまで来ると、天井へ向けて糸を放つ。
軽く跳躍し、天井から伸びた糸にヤマメがぶら下がり、下に岩を持った形でぴたりと止まった。
「さぁ、どうぞ」
「うん!」
ヤマメは土蜘蛛であり、器用さと力強さを持った妖怪だ。
事情を知らなければ――或いは知っていても――乗る事に躊躇しそうな岩に、こいしは迷いなく鈴仙の手を引いて乗った。
「じゃあ降りていくけど、一応ふらついておっこちないように支えててあげてね」
即席ヤマメエレベーターが縦穴の底に到着した。
「地下666階、逆さ摩天楼の果てフロアに到着ー、なんちゃって」
いつぞやパルスィが言っていた事を真似ておどけてみせる。
「ありがとうヤマメちゃん!」
「困った時はお互い様ね。 じゃ、お気をつけてー」
そう言うと、岩を手にしたまま、降りる時と比べ数段速く上へと消えていった。
「この先が旧都、奥には私とお姉ちゃんの住んでる地霊殿もあるよ。 ここなら貴女が言うように「空が見えない所」だね。 じゃあ、私は地上で遊んでくるから、ゆっくりしていってねー」
ヤマメの後を追うように、こいしも上へと飛び去っていった。
「成程……じゃあ半分貴女が誘拐したみたいなものなのね、結果的に」
さとりは額を抑えて言う。
「誘拐じゃないよー、言ってる場所に連れてきてあげただけだし」
「それは確かにその通りなんだけど」
ふぅ、と、小さくため息をつく。
2日間も眠りこける程に消耗していた鈴仙が何故地底で倒れていたのか。
その点の謎は気になっていたがまさか妹が犯人とは。
……翌朝。
朝食の後、鈴仙はさとりの部屋の前まで来た。
少し迷った後、意を決して扉をノックする。
「どうぞ」
すぐに声が帰ってきた。
扉を開け、中に入る。
「……どうやら迷いは晴れたようですね、すっきりした顔をしています」
「……はい、今まで有難うございました。 そろそろ帰ろうと思います」
真面目な顔でお互いに見詰め合う。
……ぷすっ
さとりの口から笑いが漏れた。
「ちょっと乗せてみようとそれらしい事を言ってみました。 表情はいつも通りですね。 内側は確かにすっきりしているようですけど」
「ええ、帰っちゃうとこのさとりさんの意地悪も聞けなくなるのが寂しいですよ。 てゐがちょっと似てはいるとは言っても別物ですし」
さとりが少し意外そうな顔をした。
「本気で言っているのですね、やはり貴女は珍しい」
「ここまでに思うようになれたのは勇儀さんのおかげです」
受け入れてやればいい、そう聞いたとはさとりも心を読んだ事で知っていた。
「だからといってそんな風に振る舞えるなんて稀も稀、ましてや地上の者に居ようとは……」
「さとりさん」
手を差し出す鈴仙。
少し間をおいて、さとりはその手を取った。
ぴくりと眉を動かし、鈴仙の顔を見やる。
鈴仙は、笑みを浮かべ、残るもう片方の手をさとりの手を包むように添えた。
「便利な能力ですよね、口にせずとも、伝わる」
「貴女もなかなかに意地悪ですね」
さとりは顔を背けてしまった。
「では、師匠も姫様も首を長くして待っていて下さってるようなので、これで」
「ええ、またいつでもいらしてください。 歓迎します」
部屋を出る鈴仙の背に小さく
「……ありがとう」
と、聞こえた。
鈴仙ももう一度、新しく出来た友人へ向けて胸の中でお礼を言った。
バタバタバタバタ……
綺麗に終わりそうな流れを、鈴仙を追いかけるさとりの足音が破壊した。
「大事な事を忘れてました」
……
さとりは昨日こいしから聞いた話を、鈴仙に伝えた。
……
「というわけで、どうやらこいしが貴女をここまで誘導したようなのですよ。 知らなかったとはいえ、半ば誘拐したような形、申し訳ありません」
ここに来たからこそさとりと友達になれた。 鈴仙にとってそれは悪い事ではない。
逆に心の内で感謝すると、読み取ったさとりが照れくさそうに顔を背ける。
それよりも気になる事があった。
「空の見えない所……?」
自分で言っていた事らしいのだが、鈴仙は記憶がない。
永遠亭を飛び出した後、気が付いたら地霊殿だった、という程度にしか覚えていないのだ。
「恐らく、ですが、それはあまり気にしない方がいいと思います。 朦朧とした意識の中で言っていた事の上に内容が不穏ですし、解らないなら解らないままの方がいいですよ、きっと」
心を読む事の出来るさとりに言われると妙に説得力を感じた。
永遠亭に到着した。
玄関に入ると、永琳・輝夜・てゐが3人揃って鈴仙の帰りを待っていた。
「ただいま戻りました……ご心配をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
両肩に手を置かれた。 顔を上げると今にも泣き出しそうな永琳の顔。
「……心配、したんだから……」
永琳は鈴仙を叱る事なく、強く抱きしめた。
「いい話だねー」
他人事のように軽く言うてゐ。
「永琳ずるいー、私だって心配したんだから鈴仙抱きしめたいわ。 飽きたら交代ね」
輝夜も同じく軽い。
感動の再開を終えると、輝夜が打ち上げの準備が出来ていると告げた。
地霊殿の面々や文など、今回の関係者を招いての宴会をするつもりでいるが
まずは人里のインフルエンザ対策が片付いた事のお疲れ様会という趣旨でという事だった。
鈴仙はもう少しだった薬の作成が途中だった事を詫びたが、永琳はもう少しだったのだから残りは楽だったし気にする事はないと返した。
そして居間に向けての移動中……
(……? 何かしら、あれ)
縁側を降りた辺りの位置に、何かメモのようなものが落ちている。
気になった鈴仙が降りて取ろうとすると……
メシャァ!
足元が崩れた。
「いっ……たたたた……?」
「あはははは、引っかかったー!」
てゐの落とし穴だった。
「……」
「どうだい鈴仙、帰ってきたって感じでしょ?」
「……こぉぉぉぉらあああああああ! てえええええゐ!!」
「ひょえ!? な、なんで笑いながら追いかけてくんの!? 怖いよそれ!」
悔しい事に、てゐの言う通り。
落とし穴に引っかかったのだと気付いた瞬間……他の何より、帰ってきたのだという事を実感した。
「全くもう……」
「やっぱこれがないとね」
永琳も輝夜も、笑っていた。
「あー……だっるー……」
「姿を見せないと思えばインフルエンザで寝込んでたとはねぇ……ほら、おかゆ出来たわよ」
「おー、ありがとなアリス」
「……どうしたの? 窓の外なんか見て」
「いや、鈴仙の奴あの後どうしたかなって」
「鈴仙? 貴女の薬の追加を永遠亭にもらいに行った時に挨拶されたけどどうかしたの?」
「おー、そいつはよかった。 木のそばまで連れてってやったけど、ちゃんと帰ってたんだなぁ」
(……夢でも見たのかしら?)
人里でインフルエンザが流行り出した。
それは言わずもがな、永遠亭の繁忙期だ。
永琳は人里に出向いて危急の患者の病状の確認と治療。
鈴仙は永遠亭にこもって永琳の作成したレシピでのワクチンや飲み薬の作成。
てゐは鈴仙の使う材料の調達。
輝夜は他3人にお茶出し等をして休憩の補助。
と、主従の壁を超えつついささかその負担に差のある磐石の態勢で臨むのがお決まりのパターンとなっている。
負担が大きいのは永琳・鈴仙だ。
てゐも作業量こそ多いものの幾分か代わりが利くため、他の者に任せられる部分は任せ全力で手を抜いている。
超人じみた永琳は間違いなく一番大変な位置に居る割に疲れすら見せない。
そして鈴仙は……
(うわぁ、世界が、揺れるぅぅ……)
毎度毎度極限まで消耗している。
永琳印の強壮薬・国士無双の薬を用いつつ騙し騙しやってはいるが、飲みすぎると誇張や比喩でなく「爆発する」ため頼りすぎるわけにはいかない。
薬剤の作成をもっと手早く済ませられれば良いのだが、臆病な性格もあってどうしても過剰な慎重さが抜けず、時間を多くかけてしまう。
慎重に行うという事は即ち心身の消耗も激しくなる。
「貴女は半人前だけど、胸を張っていい程度の技術があるのもまた事実なのだから、思い切ってやっちゃっていい所はそんなに怯えなくていいのよ」
と、永琳は折りにつけ言うが、性格による所が大きいため超えられずにいる壁だった。
「もうちょっとで……当面必要って量は……終わるわね……」
永琳から指示された必要量まで後少し……
「鈴仙ー、生きてるー?」
てゐの呼ぶ声が響いた。
間違いなく、余計な仕事だ……鈴仙は頭を抱える。
普段は悪戯を仕掛けてくるてゐも、流石にこの時は邪魔は一切しない。
にも関わらず作業の途中に話しかけてくる時は確実に、鈴仙でないと出来ない何かが舞い込んできた場面だ。
「なんとかー……」
それ以上言う気力もない。
「ご愁傷様、急患だよ。 まー、もう1個追加だね」
言って、てゐは鈴仙に背を向け、腰を下ろす。
いつも嫌がらせとすら言うべき悪戯をしかけるてゐも、この時ばかりは優しい。
診療室までおぶって行こうという意思表示だ。
鈴仙は作成済みの薬を一つ手に取ると、てゐの背中に身を預けた。
診療室までの移動、普段移動する分には然程長くはないはずなのだが、それでも疲れの溜まりきった体には身を預ける心地よさで眠ってしまっていたらしい。
「おいおい、大丈夫なのか……?」
無遠慮な声が聞こえる。 魔理沙だ。
ぼんやりとした頭でも、納得が行く。
この場面で直接永遠亭まで訪ねて来る事が出来る――二重の意味で――のはこの遠慮の無い魔法使いくらいなものだろう。
「どうせ……インフルエンザに、かかったみたいだから……でしょう?」
「あ、ああ。 咳は出るし、熱もある」
……余裕があるように見える。 自分より余程。
頭に血が上りそうにもなるが、ぐっと抑える。
「インフルエンザは……発症すると……急激に熱があがるの。 だから……風邪かな、って……思うよりも、急激に……強い症状が、出る」
「そうだな、家を出たくないくらいだったが、だからこそ診てもらうべきかと思って来たんだ」
……強がりで余裕があるように見せているのだろうか。
「じゃあ、これを……」
先程取った薬を手渡す。
「これは、インフルエンザの薬で……風邪の薬じゃ、ない。 貴女が、本当に、もう寝床から出たくないくらいの病状なのに……無理して、来たなら……家で、大人しく……これを、使って……静養して」
「お、おう……」
「悪いねぇ鈴仙。 この白黒ったら、ちゃんと診られる奴を出してくれって聞かなくて。」
なんとも間の悪い。
とはいえ病状が本物か偽物か、或いはもしかしたら別のものなのか。
恐らく口頭で確認しても要領を得ない。
そこで、帰路につこうとする魔理沙の動きを見る事にした。
少なくとも病状を推しての度合いがどれ程かはそれではかれるだろう。
と、玄関までてゐに背負って欲しいと頼み……
「有難う、てゐ」
「……大丈夫?」
滅多に聞く事の出来ない心配の声。
それだけで気力が沸き起こった。
「ええ、おかげ……で?」
だが、体はついていかなかった。
「あ? れ?」
ふらつく足取り。
ガシャァン!!
玄関に飾られていた壺に向けて倒れ、突き出した手で割ってしまった。
「あー……やっちまったな」
「れ、鈴仙!?」
これは、確か……いわれは解らないが、輝夜が貴重なものだと言っていた壺。
「なぁ、これって貴重品なのか?」
「姫様がそう言ってたけど……」
頭も、視界も、白に染まる。
次の瞬間、鈴仙はいずこへとも向けずただ、逃げていた。
どこへ向けて、どこまで来たのだろう……解らないが、ただ、暗かった。
意識があるのか、ないのか、それも解らなかった。
次に鈴仙の意識がはっきりした時。
見知らぬ天井がそこにあった。
「気がつきましたか」
天狗の新聞記者・射命丸文だ。
「え? 文さん……? こ、ここは……?」
「地霊殿の一室ですよ。 ネタを探してたら縦穴の辺りで倒れてる貴女を見つけたので、近いここに運び込んだんです」
起き上がろうとすると、何ら抵抗なくすんなりと体を起こせた。
壺を割ってしまった時に出した左手は……所々絆創膏が貼ってある。
無傷とはいかなかったようだ、が、痛みは僅か。 深く切りはせずに済んだと見える。
「もしかして私……何日も意識がなかったんですか?」
「運び込んだのが一昨日の午後ですから、ほぼ丸2日ですね」
言いながら、ベッドの横にある引出に置かれていたバスケットからリンゴを取ると、横に置いてあった果物ナイフで手早く剥いてみせる。
小皿に乗せて鈴仙に手渡した。
「はい、うさちゃんリンゴですよー」
「……それは一体?」
誰かがお見舞いにでも来たのだろうか。
「ああ、これは私が買ってきたんです。 お見舞いといえば果物が相場でしょう?」
「あ、有難うございます……」
文の厚意の意図が解らず、鈴仙は戸惑いを隠せなかった。
「私が親切にするのは何か裏があるとお思いで?」
ニヤッと悪い笑みを浮かべる。
「え? あ、その……」
「行き倒れを拾いました後よろしく、じゃ、寝覚めも悪いですからね。 まぁ確かに、貴女が地底で手に怪我をして倒れてるだなんて異常事態は取材したいですけれども」
そこは順番を逆にした方がいいのではないだろうか。
助けられた手前突っ込めずにいると、文が続けた。
「それよりも、体の具合はどうです?」
ベッドから降り、軽く体を動かして全身の様子を確かめる。
「すっかりよくなってるみたいですね」
文の説明によれば丸2日程寝ていた事になるが、修羅場を切り抜けた後はもう少し尾を引くはずだ。
日常生活すらなく完全に寝ていた分回復が早かったのだろうか。
「それはよかった。 ではさとりさんの所へ参りましょう。 目が覚めたら話す事があるとおっしゃってましたので」
「あ、そうなんですか……部屋を借りたお礼をしないとなぁ」
「さ、どうぞ」
短く告げて、文は鈴仙に背を向けてしゃがんだ。
「え……?」
「病み上がりでしょう? 幻想郷最速、を屋内で披露するわけにはいきませんが、さとりさんの所までぱっとお連れしますよ」
てゐの小さな背中を思い出す。
「い、いえ、大丈夫です。 歩けますから……!」
声を震わさぬよう、必死だった。
部屋を出ようとした所で扉がノックされた。
「声が聞こえたので来てしまいました。 さとりです」
「お、流石、耳が早いですねさとりさん、どうぞ」
何故か文が入室を促す。
「無事お目覚めになったようで何よりです、鈴仙さん」
「助けて頂いたそうですね、有難うございます」
そういえば直接会うのは初めてだ。
地霊殿の主・さとりといえば心を読む能力を……
(……ッ!)
思わず身構えてしまう鈴仙。 永遠亭で輝夜の壺を割って逃げるように出てきた事情も筒抜けなのでは、と。
「ええ、まぁ……事情は大体解ってますのでそれについては諦めて下さい」
今度は目の前が真っ暗になるような思いだった。
「その上で、なんですが……」
ニヤッと悪い笑みを浮かべる。
先程の文の笑いや、更にはてゐの笑いもフラッシュバックした。
何か企んでいそうな気がする。
「私は貴女を「保護する」と決めました。 ここで暮らせという意味ではないです。 元気になったからじゃあさよならと送り出しても永遠亭には帰らないでしょう? ですから、自分から帰ろうという気がおきるまでの間を……ここ地霊殿で過ごしてもらいます」
「え?」
予想だにしない言葉だった。
「因みに欺いて出て行こうとは思わない方がいいですよ。 何せ私は心を読みますからね」
なんだか大変な事になった……!
途方にくれてしまう鈴仙だった。
……少しの沈黙を経て、さとりは小さく笑って言った。
「とりあえず、ただの食客としていてもらおうというつもりはありません。 何か頼む事でもあれば遠慮なく貴女にもやって頂きますから」
ただ飯食らいでは申し訳ないという思いがよぎったのを拾われたようだ。
「あう……」
「そんなにこれからの事で悩まなくてもいいですよ。 心の整理がつくまでゆっくりしていくくらいに思えばいいんです」
「何故……」
何故そこまでしてくれるのか、言葉にならなかった続きを読んださとりが言った。
「退屈しのぎの気まぐれみたいなものです。 ここは訪問者が少ないですからね」
さとりが退出してから、そういえば文がやけに静かだと見てみれば何やらニヤニヤしていた。
「いやぁ面白い事になりましたね」
「外野から見れば面白いでしょうけど……」
さとりにはゆっくりしていればいいと言われたものの、鈴仙としてはそれでは気がすまない。
永遠亭では放っておくと限りなく自堕落に過ごす輝夜に永琳があれこれ是正を試みている中で暮らしている。
それは勿論立場が下である鈴仙・てゐが率先してやらされる羽目になる――てゐはうまい事手を抜いたりしているが――
その結果「働かざる者食うべからず」精神が染みついているのだ。
しかも今回は押しかける形での地霊殿訪問。
「保護する」という事自体はさとりの気まぐれらしいといえども何かしないと落ち着かない。
「あんまり気に病まない方がいいですよ。 あの方は人の弱みに付け込んでいじめてくるお方なんです。 働かないと申し訳ないって節を見せたらニヤニヤ笑いながらごはん抜き、とか言われちゃいますよ?」
「え? そういう風には見えなかったけどなぁ……」
意地悪だけど優しい、鈴仙から見ればそんな印象だった。
「いつぞやなんか 眠りを覚ます恐怖の記憶(トラウマ)で眠るがいい! って襲いかかってきたんですから」
腕をかかげて襲いかかるような仕草を見せる文。
ガチャッ
「文々。新聞のバックナンバーに注釈を添えて怪力乱神に届けるべきと聞いて」
バタン
ひきつった笑みで固まる。
不穏な発言を聞きつけてとどまってでもいたのだろうか、釘をさす言葉を残してパタパタと足音が遠ざかって行った。
「サ、サトリサンハトッテモイイヒトデスヨ」
「……ちょっとわかった気がします」
目の当たりにしたやり取りが、どことなく永琳とてゐに似てるような気がした鈴仙だった。
「まぁ……貴女なら大丈夫でしょう」
言って、文は窓を開ける。
どういう意味でなのだろうと気になりはしたが、うかつに何か言う事が出来なくなった以上はぐらかされそうに思えた鈴仙は敢えて問わなかった。
「では、鈴仙さんも目覚めた事ですし、私はそろそろお暇しますね」
「あ、はい。 有難うございました」
お礼の言葉と共に頭を下げる。
「これからも頻繁に様子を見に来るつもりでいますのでよろしくお願いします。 取材として、であるかどうかはご想像にお任せしますよ」
先程とは違い柔らかい笑みを見せてから、文は飛び去って行った。
あの新聞記者にも優しい所があるんだなぁ、と思う鈴仙だった。
……そう油断すると大体痛い目に遭うのだが。
少し経って、鈴仙はあてがわれた部屋を出てさとりを探し始めた。
地霊殿にはさとりの妹・こいし、ペットの代表格・霊烏路空と火焔猫燐もいるはずだ。
聞くところによると遊びに出歩いている事も多いようだが――特に無意識で自由に動き回るこいし――いるのなら挨拶しておきたい。
(……どこにいるんだろう)
探す目的が、人様の家を無断でうろつく罪悪感に負け始めて不安が鎌首をもたげる。
「後ろにいますが」
「うわっ!?」
驚いた様子が面白かったらしくさとりはニヤニヤしている。
「もう、探してるって解ってたんなら声をかけて下さいよ」
「貴女の挙動が初々しくてついからかってみたくなりました」
悪びれもせずに言ってのける。
「こいしは出かけてますがお空とお燐は居ますね」
要件を告げようとしたら先回りされた。
咄嗟に、便利だなぁなどと思う鈴仙。
「便利さを帳消しにして有り余る程のデメリットもありますがね」
「……?」
「いえ……忘れて下さい。 ……お空とお燐の所へ案内しましょう」
地霊殿の中庭。
地底の奥にあり灼熱地獄跡の上に建てられた屋敷の、中庭。
そうとだけ知っていた鈴仙はさとりに連れられて中庭に出て感嘆の声を漏らした。
「うわぁ……」
木々が、草花がある。 それに明るい。
上が岩盤でふさがっていなければ地上の森と何ら変わりないかもしれない。
「……なんだか、そう喜んでいただけると悪い気はしませんね」
地獄、それも「灼熱」の上とあれば、そこは荒廃した荒地かと思っていた。
予想を良い意味で裏切られた形だ。
「どうしてここにこんな見事な自然が?」
「ペットとして動物がたくさんいますから」
「あ、そうか」
地霊殿にはお空とお燐だけでなく多数のペットが居る。
動物達のために設えた自然という事のようだ。
あそこのベンチにいるのがお空とお燐です」
さとりがそう説明すると共に、空と燐もこちらに気付く。
「寝てたお姉さん、目が覚めたんだね。 死体をもらえなかったのは残念だけど、ともかくおはよう。 あたいがお燐でこっちが……」
「お空だよ、よろしくね。 得意技は核融合!」
二人して自己紹介にとても物騒な字面を交えている。
「鈴仙よ、地上の永遠亭で薬師見習をしているわ。 よろしくね」
一瞬、「輝夜のペット」というフレーズが脳裏をよぎったが慌てて振り払った。
「っ……!」
さとりが笑いをこらえられずに漏らした。
ほんの一瞬浮かんだ連想が命取りだったらしい。
「き、聞かれたっ!? い、今のはどうか内緒にして下さいお願いします!」
「いいえ、そういうわけにはいきません。 貴女は今この子達へは砕けた言葉を使っていました。 はっきり意識しての事ではないですが「ペット」という言葉があって立ち位置をやや下に見たようですね」
笑いを打ち消し、さとりは真面目な顔で語る。
「あ……」
言われてみれば確かに、そうだ。
「ご、ごめんなさい! 私なんて事を……」
「この子達はペットであると共に家族、そのように見るなど言語道断」
「ご、ごめんなさい……」
うつむき、すっかり縮こまる鈴仙。
「というわけで鈴仙さんは薬師見習であると共に永遠亭の主・輝夜さんのペットだそうです」
「ひょえ!?」
珍妙な声をあげながら顔をあげると、さとりは意地の悪い笑みを浮かべていた。
「おおー、そうか、それじゃペット仲間だね」
兎と烏と猫だね!」
「……ッ!!」
申し訳なさと恥ずかしさとか入り混じり、鈴仙は何も返せなくなってしまった。
親睦を深めるための会話を、と続けられる状況でもなくなってしまったため、軽く挨拶のみで分かれる事となった。
「正に、穴があったら入りたい心地です……」
「入りますか? 中庭に凄いのありますよ?」
さとりの追撃は容赦ない。
「あ、いえ……それは多分死ぬと思います」
「霊夢さんはあそこに入って生きて戻りましたよ。 しかもお空を倒した上で」
何故あの巫女はまだ人間なのだろう。
「えーっと……と、ところで、頼むことがあればやってもらうって言ってましたけど、何か予定はあるんですか?」
「そうですね、明日にでも外……旧都へ買出しにといった所でしょうか」
旧都……実際訪れた事はなかったが、ここ地霊殿は旧都・古くは地獄であった場所の一部、の中央にあるのだと鈴仙は思い出した。
「先程の中庭の件もそうですが、多分地獄の名のついたここ近辺への印象が変わると思いますよ? と、言ってもここはもう地獄ではありませんが」
「はぁ……」
言われて窓から外を見やる。
確かにこうして見ると、「地獄」とは程遠い町並みに見えた。
「爪弾き者が集まってますから、地上に比べて治安が悪い事は忘れてはいけませんけどね。
そこは……頼りになる用心棒を連れていれば問題ないでしょう」
「用心棒?」
ここで「頼りになる」ような者といえば……
「そう、推察の通り。 お調子者の天狗をも怯えさせる鬼・星熊勇儀。 使いを出して知らせておきますよ。 貴女が来ている事は既に知っていて、興味があるようでしたから」
地底にも夜は訪れる。 寝るに程よい時間に鈴仙は床についた。
と言っても窓からも空は見えず部屋の中ではただ時を示す針のみがそれを知らせるだけであるため
地上の生活に慣れた鈴仙には朝も夜も変わらぬ風景というのは慣れない感覚だ。
平時に永琳が数日留守にして自由を得た輝夜がインドアの遊びをたっぷり部屋に持ち込んで朝から一歩も出ずに夜になってようやく出て来たという事があったが
真っ当な暮らしをしている鈴仙にはやはり、陽の光を感じないのは落ち着かない。
(なんて思ってはみても、2、3日もすれば慣れるんだろうなぁ)
と、考えた所でふと気付く。
帰ろうという発想が全くなかった事に。
失敗して叱責に怯えて逃げ出すのは月から逃げ出して以降、ある種トラウマじみたものにより繰り返す悪癖だ。
いつもは怯えて怯えて怯え抜いて――数時間から1、2日と期間は様々だが――なんとか踏ん切りをつけて帰る。
その「怯える」事が今はない、しかし帰るという選択がない。
さとりの厚意に甘えて課題を直視していないのか……
さとりの厚意への恩を返すまでは帰れないのか……
帰る事が怖いとは今は思わない、しかし今帰るのは何か違う気がする。
とりあえずは……
(逃げの口実でないと示すために……)
あの意地悪な家主に「有難う」って言わせてやる。
……そんなことを考えているうちに、眠りに落ちた……
帰るだの帰らないだの考えている鈴仙は一つ忘れている。 永遠亭に連絡していない。
しかしその点について、実は心配はいらないのであった。
「あの子は元気にやっているようね」
鈴仙が地霊殿に居る事は当日から――普段なかなか見ない程度に焦りを浮かべた永琳が方々手を尽くした事で――既に把握していた。
実は鈴仙の保護も永琳の依頼によるものだ。
どうせすぐには帰ってこないのだから、それならいずことも知れぬ空の下でふらふらされるよりは知った仲の家で預かってもらう方が安心できる。
そして鈴仙の状況を知らせる手紙を毎日よこすようにと手配もしてあるというわけだ。
その手紙を、永琳は永遠亭の居間で輝夜・てゐに読み聞かせていた。
因みに輝夜はあの騒ぎを壺の音で知りつつも煎餅かじってダラダラしてた罰で
てゐは鈴仙の逃走を「いつもの事だから」とただ見送った罰で
それぞれ背筋をピンと伸ばした正座を強いられている。
「あっちの烏や猫とじゃれてる元気があるなら帰ってくればいいのにねー」
軽い調子で言うてゐ。 その様が気に障ってか……
ゴッ
拳骨が降りてきた。
「おおおおおお……」
頭を押さえてのた打ち回るてゐ。
「そもそも貴女がちゃんと捕まえてればこうはなっていなかったわ」
「……ふふっ」
のた打ち回るてゐの様を見て輝夜が笑いを漏らす。
ゴッ
「のおおおおお……」
それは2秒後の輝夜の姿だった。
「他人事みたいに笑わない。 貴女にだってあの子を止める事は出来たでしょうに」
「うう……第三の兎耳が生えるかと思ったよ」
ようやくてゐが起き上がった。
「死ぬかと思ったわ……」
どういうわけか輝夜の復帰が早い。
「全くもう……」
永琳は小さくため息をつく。
この時期の修羅場で一番頑張っているのは鈴仙だ、と永琳は思う。
終わったら盛大に労おうと思っていた。
今回の件も仮に逃げずにしおらしく謝罪の一つもすれば許しただろうし、例え輝夜が責めようと黙らせていただろう、物理的手段で。
(逃げた事を叱らないわけにはいかないじゃない……)
もう一度ため息をついた。
地底にも朝は訪れる。 普段永遠亭で起床する頃合に鈴仙は目が覚めた。
空は見えるわけがなく、建物や街道に備え付けられた明かりがあるばかり。
永琳の姫様真人間化計画――てゐ命名――に付き合う日々を是として昼夜逆転生活など碌に経験のない鈴仙にはひどい違和感だった。
(もしかしたら、2、3日過ぎたって慣れないかもしれない……)
身支度を整え、なんとなく窓から旧都の方を眺める。
ここ地底でも朝から動き回る者はいるらしい。
疎らに歩いては死角へと消えていく人を、妖を、怨霊を眺めてとりとめのない事を思いながらしばらく過ごした。
コンコンと扉のノックの音。
「はーい」
開けるとそこにはさとりがいた。
「おはようございます。 朝食の準備はもうできてますよ。 それと今回用心棒を依頼した勇儀さんに依頼料として食事に招いてますから同席となります。 互いの挨拶は食事の後にと伝えてありますし、気楽に構えてご参加ください」
「あ、はい、解りました」
広い食堂、地霊殿の特徴たる赤と黒のタイルで出来た床やステンドグラスの天窓はここも同様だ。
壁面の照明や、適度に設置された装飾品、いずれもが鈴仙の目を楽しませる。
(まるで西洋の物語のお城か何かのよう……とまで言うと大げさか)
普段住む世界と違い過ぎて、夢の中にいるかのような感覚すら覚える。
詰まる所見る分にはいいのだがどことなく自分が場違いに思えてしまう。
「昨日もそうでしたけど、そんなに硬くならないでいいですよ」
そう声をかけるさとりはなんだかうれしそうだ。
そういえば昨日はこんな所で食事をと縮こまるばかりで明確に感想を考えてはいなかった。
そんな鈴仙が委縮してしまうような食堂、一足先に入っていた人物がとんでもないペースで食事をしている。
初めて見る者だが、紹介されるまでもなくその人物が勇儀であろうと鈴仙は理解した。
その隣ではもう一人、マイペースにゆっくり食べている者がいる。
「あのいかにも鬼っぽいのが勇儀さんで、もう一人は水橋パルスィさんです」
さとりが言いながら椅子を一つ引きつつ、その隣に座る。
隣に座れという事だろう、促されるまま、そこに座る。
勇儀に目を奪われてばかりだったが、ここでようやく鈴仙は妙だと気付いた。
自分の席には食器が並んでいるがいずれも空っぽ。
隣のさとりの席にはコーヒーだけが置かれている。
それに、地霊殿の面々がいない。
辺りを見渡す鈴仙。
「勇儀さんはよく食べるので今朝はビュッフェ形式……あそこにある料理を好きにとってくる形にしてるんですよ」
もしかしてこれは……
「早くとらないとなくなりますよ?」
大慌てで食糧確保に向かう羽目になる鈴仙だった。
残り少ないパンやベーコン、サラダなど洋食で統一された品々を色々と取ってくる。
「まぁなくなっても補充するんですけどね」
戻ってすぐ涼しい顔で補足された。
「うぐぐ……」
また慌てる様を面白く見られたのだろう。
勇儀がよく食べるからビュッフェ形式としたといっていた。
つまり、料理がなくなる都度呼んでおかわりを用意してでは食べる側も作る側も面倒だからまとめて補充できるこの形にしたはずだ。
考えてみれば気付けたはずだと鈴仙は内心歯噛みした。
「他の皆さんは? さとりさんも既に食事は終えてるんですよね」
てゐにからかわれ慣れているせいか、してやられた悔しさも素早く切り替えて見せる鈴仙。
「お空が同席すると、あの子は子供みたいな所がありますし取り合いから喧嘩になりかねないんですよ。 でもあの子一人で食べさせるのもそれはそれで寂しいと駄々をこねる問題があるので……私も含め、うちの者はすみませんがお先に頂きました」
なんだかいじめられてるのではないかという気持ちが一瞬よぎる鈴仙だったがすぐに否定した。
いじめであれば本当に「なくなったら終わり」にされてる。 これはまだからかっているだけだ。
「……ちょっとやりすぎましたね」
「え?」
「そんな風に思わせてしまうだなんて、度が過ぎたようです」
……返す言葉が出て来ない。
が、考えてはしまう。 さとりにはそれで十分だ。
「嫌われ者の地霊の主がこんなにしおらしく出るだなんて意外だ、と」
隠し立ては出来ない。
「……はい。 評判はよろしくないというのが事実です。 にも関わらず、からかう事は容赦ないですけど私には、そんなに嫌な奴だ、なんて印象はありません」
ただ、てゐよりも手段と頻度がえげつない程度だ。 ……多分。
「……まぁ、まず心が読めるというだけで近づきたがらない者は多いですし 近づいた者もこういう振る舞いを受けると怒る例ばかりですからね。 貴女のように順応するのは稀ですよ」
(霊夢や魔理沙なんかは怒る方、なんだろうなぁ)
直後に、思う。
順応? 言われてみれば確かに自然と当たり前のように受け止めてここにいる。
何故だろう。
全て見透かされてるんじゃないかとすら思えてしまう永琳。
日頃から悪戯をしかけてくるてゐ。
そのどちらの顔――大半はてゐ側――も見せる輝夜と共に過ごしてるからだろうか。
「でも、謝るのならなぜこういう意地悪な事を?」
「そういう妖怪だからです」
至ってシンプルな答えだ。
やりすぎて悪いとは思いながらもからかう事を改めるつもりはないようだ。
それから鈴仙が食事を終えても勇儀は圧倒的ペースを維持しながらまだ食べていた。
が、程無くして
「あー、食った食ったァ」
エンゲル係数 という言葉が脳裏をよぎったが恐らく訊ねてみてもそんな細かい事は気にしていないだろう。
どうやら満足したらしい。
パルスィと共に席を立って近づいてくる。
「やあ、初めまして永遠亭の兎さん。 さとりから頼まれてあんたの用心棒をする星熊勇儀さ、よろしく。 ……で、こっちが水橋パルスィ」
「初めまして、鈴仙さん。 綺麗な髪をしているわね。 妬ましいわ」
「妬……え?」
笑顔を浮かべつつの挨拶の中でごく自然と嫉妬されて混乱する鈴仙。
「あー、嫉妬心を操る程度の能力ってわけで嫉妬深い奴なんだ。 しょっちゅう妬ましい妬ましい言ってるが根は悪い奴じゃないんで気にしないでやってくるとありがたいね」
「はぁ……おっと、すみません、呆気にとられてしまって。 鈴仙・優曇華院・イナバです、永遠亭の八意永琳師匠の元で薬師見習をしています」
「それと蓬莱山輝夜さんのペット、と」
すかさず追加されるさとりの余計な紹介。
キッ! とにらみを利かすが意に介さずさとりはニヤニヤしている。
「ペット? ああ、お空とお燐みたいな感じだね」
「衣食住の保証された生活、妬ましいわ」
二人ともペットの方向で納得したようだ。
「はぁ……もういいです」
3人で旧都へと出る。
さとりから渡された買い出しリストは食材と日用品がずらっと並んでいた。
何故か外傷に用いる治療用具の割合が多い。
いずれも永遠亭の規模と比べると少なめではあったが……
「多いですね」
さとりにこいし、空に燐、更に他のペット達の分としてもそれより多いという印象だった。
「いや、今回は多いので、って頼まれて手伝った事があるけどその時はもっと多かったね。あそこはすっかり動物屋敷だしねぇ」
「動物屋敷? ……そんな表現をする程多いんですか?」
廊下ですれ違ったり中庭で見かけたりはしたが、それ程多くは無いというのが鈴仙の印象だった。
「病み上がりの貴女を気遣って遠ざけたんじゃないかしら。 その様子だと好奇心旺盛な子達に取り囲まれるって、あそこでよくある事も経験していないようだし」
パルスィの言に、脳内で猫に取り囲まれる鈴仙。
思わず頬がゆるみかけるが、黒猫の大群が登場しかけた所で慌てて思考を打ち払う。
「……うーん、さとりさんが気遣い……」
からかわれてばかりなのでピンと来ない。
「さとりは心を読む力を利用して息をするようにからかってくるけど、逆に心を読んでじゃない気遣いをする事もまた多いんだ」
「でもそれをひけらかすばかりか知らせもしない。 隠れた優しさというわけね。 妬ましいわ」
元々鈴仙としてはさとりに悪印象をそう持ってはいない。
さとりの気遣いとは何か、それとなく探してみるのも……
(いえ、無理ね)
それとなく、は、無理だ。
既に聞いてしまった以上頭には浮かんでしまう。
堂々と探すしかないだろう。
いずれにせよ今ここで「さとりにそういう面がある」と知った事は必然的にさとりにも知られる事になる。
買い物を終えて地霊殿までの道すがら……
「お二人はよく一緒に行動しているんですか?」
なんとなく気になったので訊ねる鈴仙。
「そういえば今回一緒だって言ってなかったわね」
「ええ、さとりさんからは勇儀さんに用心棒を頼んだとしか」
「普段からつるんでる事も多いけど、誰かと初めて会う時は大体一緒だね」
何故誰かと初めて会う時に一緒が多いのか、疑問に思っていると勇儀が続けた。
「私の場合は細かい事を気にしなさすぎて……」
と、パルスィを見やる。
「私は妬ましい妬ましいと言ってばかり」
「で、一緒ならそれをお互いフォロー出来るってわけさ」
勇儀の歯に衣着せぬ物言いはデリカシーに欠いているとも言える。 そしてパルスィの妬み節は言わずもがな。
それに対して嫉妬してばかりのパルスィは細部にも目が行っている。 勇儀の快活さは妬み節を和らげる。
「成程、いいコンビだというわけですね」
自分の場合てゐとで「いいコンビ」と評されるかもしれないが、
それはからかう者からかわられる者の構図で問題無く回っている所を指してになりそうな気がする。
そう思うと良い意味で噛み合っていてうらやましいと思う鈴仙だった。
「いいコンビだってさ、パルスィ」
勇儀は嬉しそうに笑う。
「褒められた事を恥ずかしがらずに素直に喜んでいる、妬ましいわ」
パルスィは顔を背けていた。 発言からすると恥ずかしいようだ。
「うーん……」
鈴仙は思う、先程さとりが――どこまで本当か解らないが――からかう事をせずにはいられないのはそういう妖怪であるためと言っていた。
パルスィも妬ましいと自然に思って言ってしまうのだろう、勇儀はそれを上手くあしらっていると見える。
何かその感覚にコツでもあるのだろうか。 鈴仙は2人へ向けそれを素直に吐き出した。
「まるで妖怪との付き合い方が解らない、みたいな事を言うねぇ」
勇儀は不思議だと言いたげだ。
「永遠亭が外部と交流を持つようになったのは最近の事、私は幻想郷に来てから数十年その永遠亭にいましたし、薬売り稼業も人里に行っているばかり。 意識はしていませんでしたが、その通りなのかもしれません」
関わりのある妖怪連中もどこか人間臭い者ばかりだ。 猫をかぶってるだけかもしれないが。
「主に人間と接してるわけか……それだけではないだろうけども、地上の奴らはここの連中程灰汁が強くないしね。 それでその疑問についてだけど……私は、「そういう奴なんだ」って受け止めてやる事が肝要だと思うね」
「はぁ……」
「例えば人間にだっていろんな奴がいるだろう? 腕っぷしの強い奴、知恵の回る奴、酒が飲めない奴、病気によくかかってしまう奴、誰もが違う。 そういうのを特技だの特徴だの言うじゃないか」
「そうですねぇ」
「それとおんなじさ。 パルスィの妬みやさとりの読心術は受け入れにくく思われがちだけど、それも「そういう特徴だ」って思って受け入れてやれば付き合っていけると、私は思うね。 あんたの場合さとりに対しては、もう半分それをやってると思うんだけどねぇ」
「え?」
勇儀の思う、さとりとの付き合い方。 それを既に半ばやっている……?
心当たりがなく、戸惑っていると勇儀が続けた。
「私らの付き合い方を見てそのコツを訊いたってのはつまり……さとりとどうやって付き合っていけばいいかと理解しようとした、って事だろう?」
「珍しくさとりに懐く者が現れたのね、妬ましいわ」
懐いているという程のつもりはないが、そう見えるらしい。
少なくとも、何らかの手で一泡吹かせてやりたいとは思う。
(あ、そうか、多分だから「懐いてる」のか……)
この2人と話す事で迷いが一つ晴れた、そんな気がした鈴仙だった。
……夜、鈴仙があてがわれた部屋に戻ってきてから。
外で、音もなく、影が一つ飛び去った。
影は旧都の上空を駆け抜け……
パァン!! 「へぶし!!」
ようとした所を何かにぶつかり、破裂音に似た音を響かせた。
落下し、地面に激突――しかけるがなんとか勢いをゆるめ、残り数十cmをゆるやかにずり落ちる。
「おぉぉぉぉぅ、世界に拒絶されたぁぁぁ……」
よく解らない事を言ってのたうちまわる。 影の正体は射命丸文だった。
「さっき何かがつかずはなれずうろうろしてたと思えば、あんただったのかい」
少しの距離を置いて見下ろす勇儀。
「あやややや……やっぱりバレてました?」
かつて鬼は妖怪の山にいて天狗はその下についていた。
その名残と、性格的な問題で文は勇儀が苦手だ。
気付かれずに済ませたかったがそうもいかなかったようだ。
「あの兎の事を面白おかしく新聞に書くのかい?」
返答次第ではもっと痛い目に遭うぞ。 文にはそう聞こえた。
「いえいえ滅相もない。 あの兎の事で来てはいますが報道のためじゃございません。 もっと、私的な要件でして」
「あの見るにたえない記事が公でなんかあるもんか。 それより私的だって言ったらどんなくだらない理由で付きまとってるんだか」
倒れたまま腕組みをしてうーんとうなる文。
それを冷たい目で見降ろす勇儀。
「仕方ないですね、貴女の前で嘘はつけません。 私が彼女を地霊殿まで運び込んだ事はご存じでしょう?」
「らしいねぇ。 で、その後取材を申し込むも断られたから、付きまとって調べてるって事かと思ったんだけど?」
相変わらず倒れたままで首を振る。
「実は永遠亭の八意永琳さんから依頼を受けていたのですよ……っと」
倒れたままなのも締りがないと思ったのか、ようやく起き上がるとその場に座った。
「人里での午前の診療を終えた永琳さんが昼休憩を兼ねて携行薬剤の補充に帰宅してみれば鈴仙さんがいない。 鈴仙さんは大口の仕事を不眠不休に近いペースでこなしたばかりで遠くに行く体力すら残っていないはずなのに、何故か永遠亭近辺では影も形も見当たらない。 そこへ、ネタの匂いを感じ取った私が折よく訪ねたわけですが、永琳さんは私の能力を買って捜索への協力を依頼されたのですよ」
「ほほう」
「謝礼は出来る範囲の事であれば何でもするとの事でしたが断りました」
「断った?」
「ええ、この射命丸文、財や名誉の類のために動かされはしない。 しかし貴女のその情のために動こう。 というわけでしてノーギャラで請け負いました」
キリッと表情を決めて「貴女のその情~」のくだりを得意気に言う文。
勇儀の胡散臭いといった表情がくだらないと言いたげに変わった。
「いつもあんたがやってる事からすりゃ、信じられないね」
「ですが嘘のような本当の話ですよ。 風の噂で当たりをつけてから椛に頭下げてこの辺見てもらったらフラフラして今にも倒れそうな鈴仙さんを発見して、椛さんすげー超すげー有難う愛してるって尻尾もふもふしてから、高空を衝撃波撒き散らしながら飛んできて速度をゆるめて地底に突撃、キャッチアンド地霊殿へリリース、永琳印の疲労回復薬を口にねじ込んでおくのも忘れずに……って次第です」
話の内容ばかりか言い回しまで胡散臭くなり、勇儀は顔をしかめる。
「あんた……信じてもらいたいのか、もらいたくないのか、どっちなんだい」
「どの道私自身には証明する術がないですからね。 鈴仙さんを地霊殿に預けた後は、毎日報告するようにとの任を仰せつかって手紙にしてお届けしてるというわけで」
ぴくりと勇儀の眉が動いた。
「ほう、するとつまり今は永遠亭に手紙を届けに行こうとしてたわけだね?」
「ええ、そうです」
「連れて行きなさい」
「は?」
「あんたが自分で証明する方法がないのだから、雇い主に確認させてもらおうじゃないか」
にやっと笑う勇儀。
「いえ、あの、私……誰かさんから加速を完全に殺す程に全身をくまなく強打しても「とても痛い」だけで済むだなんて常軌を逸した衝撃をぶちこまれたせいで体中が痛いのですか?」
「あんたなら私が下で怪しいなと見てる事くらい気付いたでしょうに。 それを無視して逃げようとしたからそうなるんだ」
「0コンマ未満の時間で反応した上に一歩間違えれば赤い染みが旧都の空に飛び散っていたような繊細な技を、目の前を走りぬけようとした子供の襟首掴んで持ち上げたみたいに軽く言わないでくださいよ!」
「はっはっは、怪力乱神を舐めてはいけないぞー?」
……
「ぜー、はー」
永遠亭の裏手まで勇儀を抱えて高速移動。
やり遂げた文は土の上も構わず大の字に寝転がった。
「うむ、風情も何もあったもんじゃないね。 早すぎる」
要求された無茶への意趣返しとばかりに可能な限りの速度を出して空気抵抗に晒したが、全く苦にしていなかったようだ。
「おやあ? 珍しいお客さんだ」
どうやって察したのか、様子を伺いにやってきたてゐがのんきな声をあげる。
「この時間に天狗が連れてきたって事は地底の御人でしょう? ようこそ永遠亭へ。 うちの鈴仙がお世話になっています」
ぺこりと頭を下げる。
「あんたが永琳……ではないよねぇ?」
「ええ、私は因幡てゐ。 お師匠様に御用、と。 縁側にでも座ってしばしお待ちをー」
(メッセージ、です……受け取ってください、てゐさん……伝わって下さい……)
勇儀の後ろでは顔だけ起こした文が一生懸命、勇儀を指さしては頭から指を2本伸ばすジェスチャーをしていた。
そう、「そいつは鬼だ、いつものようにだましたら痛い目に遭うぞ」と……
文の必死の合図も伝わったか否か解らぬままに、戻ってきたてゐは勇儀を伴い奥へと入っていった。
「うわぁ烏が半死半生で倒れてる」
輝夜が出てきたようだ。 文は倒れて空を見上げたまま体力回復に努めている。
「どうもお姫様、半ば死に掛けたまま話す無礼をお許し下さい」
態度の割に台詞は随分余裕がある。
「構わないわよ。 っていうかむしろ無理に営業モード維持しないでもっと死に掛けてていいわ」
「いえ、速度乗せて飛びだした所を叩き落されて全身が痛いのにここまで運ばされた痛みと疲れがあるだけで、話す事自体は苦ではありませんので」
「要は動きたくないのね。 まー、この寒空の下で死に掛けてんのもキツいでしょう? ちょっとそのまま死に掛けてなさい、温かいお茶でも淹れてきてあげるわ」
「助かります」
流石に地べたに大の字は辛くなってきたので四つんばいでもぞもぞ動いて石段の上に腰掛ける。
少しして輝夜がお茶と金平糖の小皿を2つずつ乗せたお盆を携えて戻ってきた。
「はいお待たせ、お茶請けは適当にあったものだからこんなのしかないけど」
「いえいえ、疲れ果てた身なのでつけて頂けるだけで十二分に有り難いですよ」
お茶をすする音、しばしの沈黙。
「それにしても、貴女が手伝ってくれなかったらどうなってたことか」
「あー、それは多分……結果論なんですけど私が手助けせずとも鈴仙さんは地霊殿にたどり着いてたと思います」
それを聞いて輝夜は顎に指を置いて宙を見やる。
「地底の縦穴の所で倒れてたんだっけ?」
「ええ、あの縦穴は水橋パルスィさんが守護神として行き来する者の安全を維持していますので。 私が見つけて回収しなくてもパルスィさんが発見して縁のある地霊殿へ連れていっただろう、と」
「成程ね」
再びお茶をすする音。
「……あの子はいつ戻ってくるかしら」
呟くように、輝夜が言う。
「勇儀さんとパルスィさんにさとりさんとの付き合い方のアドバイスを求めていたようですから……恩義故か、まずあそこで何かを為そうとしているのだと思います。 ……っと、忘れる所でした。 これ、今日の報告です」
言って、今日の鈴仙を付回して書き記したメモを取り出し、渡す。
「へぇ、あの子がそんな事を」
輝夜は嬉しそうに笑った。
「地上を見下す月の価値観が薄れて丸くなってきたのかしら?」
「貴女方はどうなんです?」
無遠慮に文は訊ねたが、輝夜は別段気にしてはいない様子で続けた。
「秘密よ。 まぁ……永遠亭に仕掛けた術を解いて、よそと係わり合いながら暮らしていくようになったんだから、お偉く高飛車に振舞ったっていい事はないわよ」
「成程満月ですね」
またお茶をすする音。
「……ところでさぁ」
「はい?」
「お尻冷たいでしょ? どうせあの鬼送って戻る事になるんでしょうから、土払って上がんなさいよ」
「そうですね、そうさせて頂きましょう」
翌日。
さとりに呼ばれて共に中庭へと向かった鈴仙。
そこでは様々な動物達が喧嘩をしていた。
「な……何なんですかこれはっ!」
「ああ、ご心配なく。 喧嘩してるように見えるでしょうけれどもじゃれあってるんですよ」
「どういう事なんです?」
ご心配なく、と言われても見た目はただ事じゃないようにしか見えない。
「おもいっきり遊んでるんだよ」
逆から声がかかる。 まだ挨拶していない……と、なるとこいしだろう。
「ただ漫然と過ごしてると日常的に誰かしら些細な事で喧嘩して結構大変なんですよ。 喧嘩ともなると大きな怪我を負う事もありますし」
「はぁ……」
「ですのでこいしの発案から「仲良く喧嘩しなday」なるものを設けまして。 この日は思いっきりじゃれあう事で鬱憤を晴らしていい、というわけなんです。 因みに長引きそうな怪我を負わせたら今日はご飯抜きとなります」
「……成程」
説明を受けてもやっぱり喧嘩しているようにしか見えない。
大丈夫なのだろうか。
「ご飯がかかってますから無茶はしませんよ、基本的に。 ですが熱くなりすぎて……という例は多くは無いですが、やっぱりあります。 そういう子の治療を、ありあわせのもので出来る範囲で構いませんからお願いできますか?」
「はい、わかりました」
と、答えた所で……
灼熱地獄への穴から空と燐が飛び出してきた。
お互い所々擦り傷を負っていたり、下で白熱したじゃれあい――弾幕だろうか――を繰り広げていたと見える。
「戯れは終わりじゃあああああああ!!」
「やってやんよおおおおおおお!!」
両者叫んで激突、やはり弾幕を使用していたのか光があたりをつつみ……
ニャーニャー カーカー
ぺしぺし てちてち
光がおさまると、動物形態を取り、可愛らしいじゃれあいに切り替わっている姿がそこにあった。
「あ、あれ? なんだか可愛い事になってますが」
「あの子らの場合、二人でやるなら下で弾幕で遊んできてから最後の決着は動物の姿で、という事にしてるんです。 決着まで人の姿をとって力を使っていたら、お空がうっかり地霊殿を一部崩落させかねないですからね」
多分、崩落させた事があるんだろうなぁ……と引きつった笑いを浮かべる鈴仙。
「ところであのぶつかる前の台詞って有名なんですか?」
「有名かどうかは解りませんが、ある時地上に遊びに行ってから言い出すようになりましたね」
「うーん、人里で聞いた事があるような……?」
永遠亭の生活はどうにも流行り廃りに疎くなる。
「まぁいいか……じゃあさとりさん、お願いしたい事があるんですが」
「2色のひもか何かを用意……?」
心を読んで先取りしたが、それだけはピンと来なかったらしい。
だが鈴仙がすぐさま続きを口にしようとした事で理解したようだ。
「解りました、そういう事なら……」
やがてじゃれ合いが終わった面々は、さとりの呼びかけにより、怪我が重度だと感じる者はさとりの方へ集まり、 軽度だと感じる者はこいしの方へ集まり、 治療は要らない・怪我をしていない者は解散という事になった。
異変だと言われても信じそうな程の騒ぎだった割に大半は解散していった。
さとりが怪我の箇所を聞き出しつつ鈴仙が治療を行う。
重度の怪我と言っても少し深めの切創刺創といった類で、危険な程ではなく、 あんな騒ぎなのにこの程度で済むのかと鈴仙を驚かせた。
やがて一通り終わり、皆思い思いに散っていった。
「ふぅ……」
一つ大きく息をつく。
「お疲れ様、みんな待ってるよー」
こいしがそう言ってぐいぐいと鈴仙の背を押す。
すぐそばで設置されたテーブルにお茶とケーキが並べられていた。
既にさとり・空・燐が座っている。
「有難うございます、助かりました」
「お姉さん、見事な手際だったよ」
「こういうやり方もあるのか! って感じだったねー、すごい!」
3人が思い思いに鈴仙を労う。
「えへへ……お役にたててよかったです」
照れくさそうに笑いながら席に着く鈴仙。
「ああやって統制を取って行う方法を知らなかったので、いつも大変だったんですよ」
「こちらも学ぶ事がありました」
てゐについている永遠亭の兎達も、定期的に何かを催す事でガス抜きとする手法が使えるかもしれない。
「半人前だって謙遜してたけど、一人前みたいだったよ」
急にこいしが心を読んだ事があるような事を言った。
「え?」
「かっこよかった」
混乱しているとさとりが補足する。
「こいしはあっちへふらふらこっちへふらふら、誰にも気づかれず自由に遊びまわってますから、人里での貴女や、或いはもしかしたら永遠亭での貴女を見た事があるんじゃないですか?」
「派手な服の人が言ってたよ」
鈴仙の事を半人前呼ばわりする「派手な服の人」と言えば……
「えーっと、そう、鈴仙のお師匠様。 永琳」
「会ってきたんですか!?」
「いえ、基本的に一人で出歩いているこいしは能力によって他人から存在を認知されません。 こいしが自分から相手に、話しかけるなどして働きかければその限りではないのですが、永遠亭と私達は関わりがなかったですし、話すとは考えにくいのでいつかどこかで通りがかりに聞きでもしたのでしょう」
ここに居る事が永琳の伝わったかと思って慌ててしまう鈴仙にさとりが補足した。
「こいし様は本当に神出鬼没だよね、天狗みたい」
「博麗神社で昼寝してる時に話しかけられた時は夢に出たのかと思ったよ」
無邪気に褒める空とあの時は参ったといった顔を浮かべる燐。
「神出鬼没で幻想郷の至る所に表れる天狗のような存在、成程ある意味私のライバルですね」
何食わぬ顔で頷いて見せる文。
「うわ! いつの間に……」
「永琳さんの名が出て慌てた様子を見て、チャンスと思ってその隙に」
驚く鈴仙に向けてニヤリと笑顔を浮かべる。
「あ、噂をすれば本物の天狗」
「驚かせる妖怪にでも宗旨替えしたのかい?」
空と燐は驚くでもなくごく普通に受け入れている。
「いえ、これはただの趣味ですね」
「悪趣味ですね」
いけしゃあしゃあと突っ込むさとり。
「さとりさんがそれを言いますか」
「私は驚かせたりからかったりする手法が天狗のものよりも手が込んでますからね」
何故か誇らしげな表情だ。
「成程確かに……」
納得する鈴仙を見たさとりがうつむいてしまった。
「どうされました?」
目ざとくそれに気付いた文が問いかける。
「いえ、なんでもありません」
今思った事を聞かれたのだろうと鈴仙は思った。
昨日勇儀から聞いた、相手を受け入れる事。
それを意識してみたら自然と思い浮かんでしまった。
子供が頑張って悪戯しているようにも思えて、そう考えてみると可愛いかもしれないと。
夜になってから勇儀がパルスィを伴って現れた。
鈴仙の部屋にさとりとまだ居座っていた文とで集まった状態、5人だとやや狭い。
「ちょっといいものを見せてやろうと思ってね」
と、勇儀の言。
「昨日は済まなかった。 お詫びといっちゃ難だが、良ければあんたもついてくるといい」
続けて文に向けてそう言う。
「昨日何かあったんですか?」
鈴仙が勇儀に向けてたずねると文の顔が強張った。
「ああ、あんたの事心配して付け回してたのさ。 それを私が新聞にするつもりで付け回してたのかと思って叩き落しちゃってね」
「鈴仙さんも気を付けて下さいね。 この方からは絶対に逃げられません」
「あ、あはは……」
尋常でない速度を尋常でない力でとらえたという事ならば幻覚で惑わせば逃げ切れるのではないか、とも思った鈴仙だが、 やましい事をせずに付き合っていればそんな事を試す機会もないだろうとそれ以上考えなかった。
「で、さとりはどうする?」
「今日はこいしがいますからまたの機会に」
「こいしはさとりに大切に思われてるのね、妬ましいわ」
旧都へ出ると、歩かずに飛び始めた。
「ちょっと遠いんでね、のんびり歩いてたら夜が明けちまう」
「え? そんなに?」
地底は幻想郷より広いとは聞いているが、鬼の健脚には苦にならないのだろうか。
などと文字通りに受け取り考える鈴仙。
「それ程ではないわ。 喩えだけどあそこを知らない人に言うのは誤解を招くわね」
パルスィが補足した。
「鬼の薦める「いいもの」ですか、なんだかワクワクしますね」
文は楽しそうだ。
「新聞にはしないでおくれよ? あんまり人に知れて騒がしくなっちゃ台無しだ」
「私だってそこまで無粋じゃありませんよ。 こっそりと楽しませていただきます」
一旦会話が途切れる。
が、鈴仙がすぐに静寂を破った。
「勇儀さんとパルスィさんは今行こうとしてる場所へ二人で行った事があるんですか?」
「あるわよ。 天狗はどうか解らないけど貴女は多分気に入ってくれるわね」
パルスィが自慢気に答えた。
「あやややや……なんとなーくどういうものか想像出来てきました」
上へ下へ左へ右へ、迷路のような洞窟を進んでしばし。
先頭を行く勇儀は目印の確認か、時折何かを見るようにちらちらと視線や顔を動かしているが淀みなくすいすいと進んでいる。
これは案内されたって、次は自分だけで来てみようとしてもたどり着けるわけがない。
そう思ったのも既に大分前の事。
「これ、はぐれたら野垂れ死に確定ですねー」
物騒な事を楽しそうに言う文。
「そ、そんな怖いこと言わないで下さいよ……」
思わず文に抱きついてしまう鈴仙。
「まぁ、そうなったら上を掘ってって地上にでも出ればとりあえず死なずには済むさ」
「そんな無茶が出来るのは鬼くらいなものでしょう、妬ましいわ」
鬼でなくともやれそうな者も居る、白黒魔法使い辺りなどがそうだろう。
(そういえば魔理沙のインフルエンザは治ったのかな?)
永遠亭を飛び出した正にその時に薬を渡した。
今日で4日目の夜、既に治っているかもしれないし、まだかもしれない。 微妙なラインだ。
「よーし、着いた」
と、着地する。
しかし特に変わった所はない場所に見える。
「もうちょっと奥なんだ。 先に行って準備をするから……パルスィ、頼むよ」
「ええ、解ったわ」
勇儀が先行してすぐに、奥へ向けて青い光が灯った。
「よーし、いいぞー」
「……うわぁ……!」
かなりの広さの開けた場所に、六角柱状で透明の巨石が大量にある。
それらが、勇儀が作って設置した青い光を反射させて幻想的な光景を作り出していた。
「これは……玻璃ですか? こんなにたくさん……?」
文も驚きを隠せないようだ。
「前に萃香と暇潰しに探索した事があってね。
最終的にここにたどり着いた所でもうやめて帰ろうって話になったんだけど……結局何も収穫がなかったのが悔しくて腹いせにって萃香が壁やら床やらいじってこんな風にしちゃったってわけ」
「す、凄い……」
鈴仙には理屈はわからなかったが、些細な事だった。
「この光景を肴に一献やったら最高だったねぇ……」
「迷ったら即ち命の危機ってくらいだから、私達はやるわけにいかないわね。 妬ましいわ、ああ、妬ましい」
いつもに輪をかけて妬ましいらしく、2度も言うパルスィ。
少しの間、皆この光景に見入り、誰も言葉を発しなかった。
「……買い出しに出てた時、何度か上を見てたのをパルスィが気付いていてね」
不意に、勇儀がぽつりと言った。
「地上の者がここに滞在すると空を懐かしむ奴がよくいるんだ。 そういう事かと思ってね……青空には及ばないかもしれないが、地底にも良い所があると見せてやりたかったんだ」
「人工物って点がちょっと締まらないですね」
ぶち壊しな文の突っ込みには誰も反応を返さなかった。
「とても素晴らしいですよ、感動しました」
笑顔を見せる鈴仙。
「……で、それとついでに聞きたい事があってね」
「聞きたい事?」
「ああ、帰れる目途はついてるのかい?」
心臓を鷲掴みにされたような心地だった。
そんな言い方をするのだから勇儀も事情を知っているという事だ。
悪い事をして、逃げた。 いわば保身のための行動と言える。
鬼の勇儀には不快な事ではないだろうか。
「そんな怯えんでも、別に怒ってるわけじゃないさ。 実は天狗に永遠亭まで連れて行ってもらって永琳と話したんだ」
「お師匠様と?」
文の方を見やるとバレちゃった、とでも言いたげなお茶目な表情を浮かべていた。
「ああ、とても心配していた。 あんたのためにならんからと、伝えるならそのくらいにって口止めされているけどね」
本心としては帰ってくるよう促してほしいが、鈴仙が自ら帰るつもりにならねば意味がない。
そう思っての事だろうと鈴仙も察しがついてしまった。
「あー、ごほん、それじゃあ発覚ついでにもう一つ。 勇儀さんが永琳さんと話されている間に私は輝夜さんと話していたのですが、そこで一つ伝言を賜っています。 「そっちでなんかやろうとしてんならさっさと終わらせて胸張って帰ってきなさい。そしたらみんなで打ち上げよ」……だ、そうです」
永琳も輝夜も、怒ってなどいなかったのだ。
「帰りを待つ者がいるのだから、あまり待たせてはいけないわね」
妬ましいとつけずに、パルスィがそう言った。
「皆さん……有難うございます……」
絞り出すようにそう言う鈴仙は、泣いていた。
こいしは自由に放浪しているが、地霊殿に居る事も珍しいわけではない。
それでも、居るのなら極力一緒に過ごしていたいと思っているさとりは誘いを断った。
既に空も燐も眠っていて、二人だけでテーブルについてお茶を飲みながら話している。
「鈴仙さんと会っていた?」
こいしが思いもよらぬ事を言った。
鈴仙が地霊殿に運び込まれた日、こいしは鈴仙と会ったというのだ。
「そう。 印象が全然違ったから別人かと思ってたんだけどー……でもやっぱりあの耳あるし、鈴仙だよねぇって思って」
「詳しく聞かせてもらえる?」
「何か幽霊みたいな兎が居る!」
森の中、一際大きな木の下。
見上げながら何かぶつぶつとつぶやいている鈴仙を、こいしが発見した。
「すごく小さい声でぶつぶつ言ってて本当に幽霊って感じ」
鈴仙に顔を寄せてその声を聴く。
「空の……見えない……所へ……」
「空の見えない所?」
この大木の下なら確かに葉で視界をさえぎられて空は見えないかもしれないが
こいしからすればこんな場所は「空の見えない所」ではない。
「それならいい場所があるよ! つれていってあげる! えーっと、貴女は飛べる?」
こいしの問いかけに鈴仙は答えずにわずかに浮かんだ。
「うんうん、それじゃあしゅっぱーつ!」
こいしは鈴仙の手を引いて、地底への洞窟を目指した。
洞窟を進んでいると黒谷ヤマメがやってきた。
「生気のない兎がフラフラしてると思ったら、地霊殿の妹さんかい」
「あ、こんにちわヤマメちゃん」
「こんにちわ」
こいし・鈴仙のペースに合わせてゆっくりと並んで飛び始める。
「その幽霊みたいな兎さんを連れて行くのか……ちょっと失礼」
ぺたりと鈴仙の腕に触れる。
「うーむ、幽霊っぽくない」
今の鈴仙は疲労のせいでやや熱っぽい。
「温かくて生きてるみたいだね」
「そうなると……パルスィが居るったってあの縦穴を降りるのは大変でしょうねぇ。 手伝ってあげるよ」
「ありがとう!」
縦穴に到着すると、ヤマメは二人に少し待っているようにと言い、辺りを探し始めた。
「このくらいでいいかな……? よっと」
まるで落ちている石を拾うかのような気軽さで、人が乗れそうな岩を持ち上げた。
岩を持ったまま縦穴のそばまで来ると、天井へ向けて糸を放つ。
軽く跳躍し、天井から伸びた糸にヤマメがぶら下がり、下に岩を持った形でぴたりと止まった。
「さぁ、どうぞ」
「うん!」
ヤマメは土蜘蛛であり、器用さと力強さを持った妖怪だ。
事情を知らなければ――或いは知っていても――乗る事に躊躇しそうな岩に、こいしは迷いなく鈴仙の手を引いて乗った。
「じゃあ降りていくけど、一応ふらついておっこちないように支えててあげてね」
即席ヤマメエレベーターが縦穴の底に到着した。
「地下666階、逆さ摩天楼の果てフロアに到着ー、なんちゃって」
いつぞやパルスィが言っていた事を真似ておどけてみせる。
「ありがとうヤマメちゃん!」
「困った時はお互い様ね。 じゃ、お気をつけてー」
そう言うと、岩を手にしたまま、降りる時と比べ数段速く上へと消えていった。
「この先が旧都、奥には私とお姉ちゃんの住んでる地霊殿もあるよ。 ここなら貴女が言うように「空が見えない所」だね。 じゃあ、私は地上で遊んでくるから、ゆっくりしていってねー」
ヤマメの後を追うように、こいしも上へと飛び去っていった。
「成程……じゃあ半分貴女が誘拐したみたいなものなのね、結果的に」
さとりは額を抑えて言う。
「誘拐じゃないよー、言ってる場所に連れてきてあげただけだし」
「それは確かにその通りなんだけど」
ふぅ、と、小さくため息をつく。
2日間も眠りこける程に消耗していた鈴仙が何故地底で倒れていたのか。
その点の謎は気になっていたがまさか妹が犯人とは。
……翌朝。
朝食の後、鈴仙はさとりの部屋の前まで来た。
少し迷った後、意を決して扉をノックする。
「どうぞ」
すぐに声が帰ってきた。
扉を開け、中に入る。
「……どうやら迷いは晴れたようですね、すっきりした顔をしています」
「……はい、今まで有難うございました。 そろそろ帰ろうと思います」
真面目な顔でお互いに見詰め合う。
……ぷすっ
さとりの口から笑いが漏れた。
「ちょっと乗せてみようとそれらしい事を言ってみました。 表情はいつも通りですね。 内側は確かにすっきりしているようですけど」
「ええ、帰っちゃうとこのさとりさんの意地悪も聞けなくなるのが寂しいですよ。 てゐがちょっと似てはいるとは言っても別物ですし」
さとりが少し意外そうな顔をした。
「本気で言っているのですね、やはり貴女は珍しい」
「ここまでに思うようになれたのは勇儀さんのおかげです」
受け入れてやればいい、そう聞いたとはさとりも心を読んだ事で知っていた。
「だからといってそんな風に振る舞えるなんて稀も稀、ましてや地上の者に居ようとは……」
「さとりさん」
手を差し出す鈴仙。
少し間をおいて、さとりはその手を取った。
ぴくりと眉を動かし、鈴仙の顔を見やる。
鈴仙は、笑みを浮かべ、残るもう片方の手をさとりの手を包むように添えた。
「便利な能力ですよね、口にせずとも、伝わる」
「貴女もなかなかに意地悪ですね」
さとりは顔を背けてしまった。
「では、師匠も姫様も首を長くして待っていて下さってるようなので、これで」
「ええ、またいつでもいらしてください。 歓迎します」
部屋を出る鈴仙の背に小さく
「……ありがとう」
と、聞こえた。
鈴仙ももう一度、新しく出来た友人へ向けて胸の中でお礼を言った。
バタバタバタバタ……
綺麗に終わりそうな流れを、鈴仙を追いかけるさとりの足音が破壊した。
「大事な事を忘れてました」
……
さとりは昨日こいしから聞いた話を、鈴仙に伝えた。
……
「というわけで、どうやらこいしが貴女をここまで誘導したようなのですよ。 知らなかったとはいえ、半ば誘拐したような形、申し訳ありません」
ここに来たからこそさとりと友達になれた。 鈴仙にとってそれは悪い事ではない。
逆に心の内で感謝すると、読み取ったさとりが照れくさそうに顔を背ける。
それよりも気になる事があった。
「空の見えない所……?」
自分で言っていた事らしいのだが、鈴仙は記憶がない。
永遠亭を飛び出した後、気が付いたら地霊殿だった、という程度にしか覚えていないのだ。
「恐らく、ですが、それはあまり気にしない方がいいと思います。 朦朧とした意識の中で言っていた事の上に内容が不穏ですし、解らないなら解らないままの方がいいですよ、きっと」
心を読む事の出来るさとりに言われると妙に説得力を感じた。
永遠亭に到着した。
玄関に入ると、永琳・輝夜・てゐが3人揃って鈴仙の帰りを待っていた。
「ただいま戻りました……ご心配をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
両肩に手を置かれた。 顔を上げると今にも泣き出しそうな永琳の顔。
「……心配、したんだから……」
永琳は鈴仙を叱る事なく、強く抱きしめた。
「いい話だねー」
他人事のように軽く言うてゐ。
「永琳ずるいー、私だって心配したんだから鈴仙抱きしめたいわ。 飽きたら交代ね」
輝夜も同じく軽い。
感動の再開を終えると、輝夜が打ち上げの準備が出来ていると告げた。
地霊殿の面々や文など、今回の関係者を招いての宴会をするつもりでいるが
まずは人里のインフルエンザ対策が片付いた事のお疲れ様会という趣旨でという事だった。
鈴仙はもう少しだった薬の作成が途中だった事を詫びたが、永琳はもう少しだったのだから残りは楽だったし気にする事はないと返した。
そして居間に向けての移動中……
(……? 何かしら、あれ)
縁側を降りた辺りの位置に、何かメモのようなものが落ちている。
気になった鈴仙が降りて取ろうとすると……
メシャァ!
足元が崩れた。
「いっ……たたたた……?」
「あはははは、引っかかったー!」
てゐの落とし穴だった。
「……」
「どうだい鈴仙、帰ってきたって感じでしょ?」
「……こぉぉぉぉらあああああああ! てえええええゐ!!」
「ひょえ!? な、なんで笑いながら追いかけてくんの!? 怖いよそれ!」
悔しい事に、てゐの言う通り。
落とし穴に引っかかったのだと気付いた瞬間……他の何より、帰ってきたのだという事を実感した。
「全くもう……」
「やっぱこれがないとね」
永琳も輝夜も、笑っていた。
「あー……だっるー……」
「姿を見せないと思えばインフルエンザで寝込んでたとはねぇ……ほら、おかゆ出来たわよ」
「おー、ありがとなアリス」
「……どうしたの? 窓の外なんか見て」
「いや、鈴仙の奴あの後どうしたかなって」
「鈴仙? 貴女の薬の追加を永遠亭にもらいに行った時に挨拶されたけどどうかしたの?」
「おー、そいつはよかった。 木のそばまで連れてってやったけど、ちゃんと帰ってたんだなぁ」
(……夢でも見たのかしら?)
もやっとします。
全員がやさしいのはいいのですが、鈴仙がただひたすら優しくされてるだけで、物語の起伏がなくて盛り上がれませんね、なんかもう一捻り欲しかったかなと思います。