1
銀髪の少女を美鈴が拾って来た。私は放っておけと命じたのだけど、可哀想じゃないですかと美鈴が珍しく食い下がってきたのでしばらくは保護という形で館の一室を与えた。薄汚い恰好で屋敷を散策とかされると困るから、適当に給仕の服を見繕った。
適宜を見計らって、少女の部屋に戻る。彼女は不服そうに給仕の服を見ていた。気に入らないというわけか。私は手近な椅子に座り、問う。
「名は?」
少女は青い瞳を私に向け、ちょっと沈黙した。美鈴が拾って来たということは、つまりはそういうことなのだろう。厄介なことをしてくれる。情に負けた私が思うことではないか。
少女はやはり名乗らなかった。
「そう――」
「出してください」
「……は?」
「ここから出してください」
聞き間違いではなかった。少女の瞳に強い意志が火照り、私は少なからず苛立った。これを美鈴が聞けば何と思っただろう。人の良い美鈴のことだ。少し考え、怒らず、困ったように微笑した後、それらしいことを言ってここに一泊程度してもらうだろう。
「夜は危険だから駄目よ」
「嘘はやめてください」
「本当よ」
「でも、ここよりは安全かと思います」
「生意気ね」
「済みません。ですが、自分の身を守るために私も必死なのです」
と、表情一つ変えず言う。
この小娘はあれか、情報過多や危機に陥ると顔色に見せないタイプか? 何か、パチェの本で読んだ気がする。あれも面白くなくて途中でやめたけど。大体、あの書庫はつまらないもので溢れている。もっと分かりやすくて、面白いものを増やしてほしい。
「あなた、私が何かすると思っているの?」
「はい」
「あなたの生き血を啜ると?」
「はい」
「いらないわよ、別に」
「処女ですよ?」
「その告白もいらないわよ」
私がいくら飢えようとも保護という名目がある以上、彼女を襲う気などない。そんな野蛮な妖怪になった覚えはない。
「少し安心しました」
その目は優しく微笑んでいた。部屋にあった束縛感は少し和らいだ。何でこんな少女のために気を使わないといけないのだろう。
「着替えますので出て行ってください」
「はいはい、分かったわよ」
廊下に出ると美鈴が立っていた。美鈴は恐る恐る言う。
「お嬢様、あの、済みません」
美鈴を無視して歩き出した。美鈴は私の後ろを追って来る。しばらくと宣言した以上、少女はここにいる。誓いを破るわけにはいかない。だからといって、いつまでも部屋を貸すわけにはいかない。それ相応の理由を用意しよう。部屋を使うだけの理由。
「仕事をしてもらいましょう。その方が美鈴も楽でしょう? 門番と給仕の二つよりは」
「あの子に館内全てを?」
「妖精メイドは……まぁ、一部屋の対価には十分過ぎるものを与えるわ。別に門番でもいいのよ?」
「人間を立たせるわけにはいきません」
美鈴は強い調子で断言した。最初から少女に選択肢はなかったというわけか。給仕服を着ている。丁度良い。これから働いてもらおう。
「お嬢様、一つだけ確認させてください。本気ですか?」
「本気よ。あの子と誓いを立ててもいいわ」
窓から月光が零れる。十六夜が紅魔館を美しく照らしていた。
2
「あなたがここで働けば、絶対的な安全を約束する。でも、ある一言を口にした瞬間、その魂を委ねさせてもらうわ」
翌朝、少女が起きた時に部屋へ行き、そう言った。少女は相変わらず無表情で、そうですかと言った。それから、問う。
「魂、とは?」
「あなた自身。その名も記憶も、全てをいただくわ」
「つまりは生まれ変わると?」
「奴隷にね」
「その判断もできないようになるのですから、奴隷かどうかなんて分かりません」
「分からないわよ? その決定権を得るのは私なのだから」
そう答えると少女の瞳に不安が生じた。白い頬の底に流れる恐れが見えた。人並みの感情はあるらしい。不器用なのか、ポーカーフェイスなのか、緊張しているだけなのか、無愛想なのか。どれでもよい。が、女中として働く以上は、客人の前に現れるかもしれない。笑顔の一つぐらいできてもらわないと困る。
「それで、その一言とは何ですか?」
「時よ止まれ」
3
少女が働きだしから一年以上が経った。美鈴やパチェの評価は良いとのことだ。少女は私と話した時と同じように、静かに淡々と仕事をしていた。つまらないと思う反面、私を始めとした労働者が一つでも楽をできるのならば良い。これもまた主としての務めである。
一つ残念な点があるとすれば、紅茶だ。美鈴と比べるとどうしても劣る。ティータイムの時だけ美鈴を中に入れようか。働く機会を奪うのはどうなのだろう。契約違反ではないか。この味の良くない紅茶を飲むのは苦行に近い。それでも、誓いである以上は飲まなければならない。
少女と美鈴との違いは経験であろう。美鈴は私のことを知っている。しかし、少女は知らない。私がどういう存在でどういう物が好きで、どういうものが嫌いで……。一つ一つ教える必要がある。少女が長くここで働くのならば。
不味い紅茶を少し残し、少女に正面に掛けるように促した。少女は躊躇った様子を見せたが、これも命令だと思ったのか渋々と腰を落ち着かせた。
「あなた、私を知っている?」
「妖怪。吸血鬼」
「そうね。他には?」
「幼女、ここの主」
「終り?」
「紅茶にうるさい。我が儘。ケーキが好き。夜が好き。月夜が特に好き。星も見えるから」
「以上?」
「まだあります」
「言って」
「妹がいる。図書館が地下にあるのは、あの人が防衛や監視を担っているから」
「……誰から聞いたの」
そこまで踏み込めなどは命じていない。食事の提供は美鈴の仕事としている。人間はとても危ないからだ。低い声で追及する。
「言えません」
少女はきっぱりと答えた。その答え方に腹が立った。紅茶が絨毯に零れる。全てが割れ、派手な音を立てた。
屈辱であった。年端も行かない生娘に、こんな仕打ちを受けるのは陵辱以外の何物でもない。
「私の言うことが聞けないの」
「はい」
「どうして?」
「私は人間です。それが命令であろうと何であろうと選ぶ権利ぐらいはあります」
「それ、本気で言っているの?」
「はい」
少女の頬が赤く染まったのは次の瞬間であった。
「一つ覚えておきなさい。私は気の長い方じゃないの」
少女を残し、私は部屋を出た。
「掃除、やっときなさい」
4
「仲良くしないと駄目よ?」
「無理よ。あなた、勝手に秘密を知られて仲良くいられるの?」
「隠し所が悪いわ」
パチェに愚痴でも聞いてもらおうと思ったら、これだ。
今回ばかりは無罪だ。隠し事が悪い? 馬鹿を言え。誰にだって秘密や他人に知られたくないことがある。それが実の妹となれば、ナイーブになるだろう。これは隠し事というより、防衛だ。そう防衛なのだ。
「で、このままにしとくの?」
パチェは読書の合間に、私の方を一瞥した。また不味い紅茶を飲みながら――パチェが不味いからいらないと私に寄越した――考える。
勿論、修復は必須だ。私としても、ぎすぎすとした空気は好きじゃない。けれど、これは相手に非があるだろう。
あいつには配慮がない、遠慮がない、思いやりの心がない。あれが曲がりなりにも女中として働けているのだからビックリだ。
パチェは面倒臭そうに言う。
「こっちまで飛び火しないようにしてね」
「ならここから出ないでちょうだい」
「だったら早く出て行って」
「パチェ、どうしてあなたはそんなに冷たいの?」
「慰めてほしいのなら、美鈴の所に行きなさい」
「嫌よ」
「何で?」
「子供扱いされるの好きじゃないの」
「知らないわよ」
「乙女心は複雑なの」
「そ。じゃ、静かにして」
その時、図書館が大いに揺れた。地震が起きたような揺れが私達を襲う。本棚が壊れ、本が宙を舞う。刹那、私は憎悪に染まった赤い瞳を見た。何百もの本が実妹に降りかかる。
「パチェ、静かにしてればいいの?」
「そうよ。あなたの言葉なんて意味がないから」
「そうね。でも一つ言わせて」
「何よ?」
「今度はちゃんと封じなさい」
「あなたがやりなさい」
「無理よ」
「知ってた」
「姉より優れた妹なんて存在していいのかしら?」
「いいのよ。この世は弱肉強食なんだから」
「武闘派は好みじゃないの」
「良かったわ。レミィの好みじゃなくて」
パチェは背を向け、すらすらと歩き出した。
「騒がしいのは嫌いなの」
そんな言葉を残して。
私は神槍を出した。脂汗が背中に流れた。本の山から妹が出て来た。
5
「お姉様、お話しましょう」
「いいわよ。だったら、その禍々しい剣を仕舞いましょうか?」
一歩、妹が近付く。
「嫌よ」
「どうして?」
「だって、お姉様、私の話を聞かないじゃないの。聞いて」
また一歩と寄って来る。堪らず、神槍を握る手に力が加わる。
神槍は保険だ。私の妹であれ、心臓を貫かれれば数日は動けない。自分の身が大事ならばさっさとこの神槍を投げればいい。が、誰が家族を傷付けようか。心に傷を負わせて、こんなことを思う私は一体何なのだろう。神槍を握り直し、覚悟を決める。
深夜のような沈黙を、一人の少女が破った。
「時よ止まれ」
時計の針は落ちた。少女が私と妹の間に降ってきた。赤い瞳が、私を見る。私と少女以外の時は静止した。驚く私を余所に、少女は私を抱えた。図書館を出た。
6
少女に抱えられたまま、時が止まった回廊を眺めていた。全然分からなかった。それでも、一つだけ分かったことがある。
「あなた、いいの?」
「そのような問いは止めてください」
「あんなことを言った人間が、次の瞬間には私に魂を委ねている。おかしいじゃない」
「そうでしょうか?」
「そうよ!」
大きな声で肯定する。どこの物語にそんな事があるか。
「主が死んでしまえば、本も子もないのです」
少女は一つのドアの前で足を止め、私を優しく降ろした。少女はドアノブに手を掛ける。
「お嬢様、厚かましいかもしれませんが、一つお願いがあります」
「今、気分が良いの。一つぐらいなら叶えてあげるわ。記念にね」
「名をください」
「咲夜――十六夜咲夜」
「ありがとうございます。レミリアお嬢様、中へお入りください。美鈴さんがお待ちです」
美鈴が? という私の問いはドアが開いたのと同時だった。そこには美鈴が立っていた。
「お嬢様、こちらへ」
美鈴が椅子を指す。事の分からない私は操られたようにその椅子に座る。隣には読書を続けるパチェが居た。
「遅かったじゃない」
正面は空席。白いテーブルクロスの上には何もない。
「お姉様! お話しましょう!」
フランが、部屋に飛び込んで来た。咲夜の方を見て、丁寧にお辞儀をした。
「咲夜、ありがとう!」
咲夜は微笑を返した。フランが私の前に座った。美鈴が紅茶を持って来た。
咲夜はドアを閉め、笑った。
「止まれ、汝は美しい」
ゲーテの「ファウスト」がモチーフ元なんでしょうが、
何となくでしか知らないのでこれを期に手に取ってみようかな
しかし、終盤のところの意味が理解できなかった。
描写不足というよりは、雰囲気だけで書いてしまっている感じがします。
こんな話を読んでいる暇があるのでしたら、Amazonか本屋か図書館とかに行って、読むことをおすすめします。
>4
雰囲気だけで書いている。まさしく、その通りでございます。おいおい考え、これは駄目だと感じたのは誰でもない私なのです。読者が考えてくれれば良いかと、雰囲気を優先しました。
咲夜は、誰から聞いたかはわからないけどフランの存在を知り、フランから直接訳を聞いていて、パチュリーや美鈴に根回しして、フランと平和的に対話出来る団欒の場面を自身の契約と引き換えに造り出した。そして、紅魔の面々が紅茶を飲みながら笑いあえたその瞬間は、止まってしまえばいいほどに美しいでしょ? ってことです……よね?
咲夜がその決断をしたのは、一年という時間の中でもうレミリアを主と認めていたし、仲間たちを好きになっていたから、最良の選択を理由付けとして実行したのかなぁと。
程よく色々考えたりできる遊びがあったので、私は楽しめました。
でも、答えあわせしたくなる程度には遊びがあり過ぎた感もあったので-20で。雰囲気がとにかく秀逸でした。